澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

浜の一揆訴訟が問いかけるものー「21世紀の水産を考える会」総会での報告

「NPO法人21世紀の水産を考える会」の年次総会にお招きいただき、浜の一揆訴訟についてお話しする機会をいただいたことに感謝いたします。

この運動、この訴訟について、是非とも多くの人に知ってもらいたいのです。しかし、岩手の地元メディアは紹介に冷淡です。行政や漁連に遠慮をしているのではないかといういぶかしさを拭えません。漁民自身が、「生活を守ろう」「後継者を確保して漁業を継続しよう」と立ち上がっていることに、もっと大きな関心をもって話題にしてもらいたいところです。

私は、この漁民の運動を、幕末の三閉伊一揆と同様の理不尽な支配構造への抵抗運動だととらえています。そのことをご理解いただきたくて、別紙のようにレジメはつくってまいりました。ところが、本日の総会に配布された、貴会の機関誌「日本人とさかな」33号に、トピックス「浜一揆提訴報告(岩手県サケ漁業権裁判)」が掲載されています。目を通して見ますとこれがなかなかによくできている。無味乾燥なKレジメよりよっぽど面白い。私が今日お話ししようと思ったことは、あらかたここに書いてある。実はこれ、私のブログの転載記事なのです。

「漁業で生活できる行政を」―浜の一揆訴訟の第3回法廷
  http://article9.jp/wordpress/?p=6902

3頁にわたるかなりの長文ですが、さわりは次の文章。

「(1月14日法廷後の)報告集会では、いくつもの印象的な発言があった。
『サケがとれるかどうかは死活問題だし、今のままでは後継者が育たない。どうして、行政はわれわれの声に耳を傾けてくれないのだろうか。』『昔はわれわれもサケを獲っていた。突然とれなくなったのは平成2年からだ。』『いまでも県境を越えた宮城の漁民が目の前で、固定式刺し網でサケを獲っているではないか。どうして岩手だけが定置網に独占させ、漁民が目の前のサケを捕れないのか』『大規模に定置網をやっているのは浜の有力者と漁協だ。有力者の定置網漁は論外として、漁協ならよいとはならない。』『定置網漁自営を始めたことも、稚魚の放流事業も、漁民全体の利益のためとして始められたはず。それが、漁協存続のための自営定置となり、放流事業となってしまっている。漁民の生活や後継者問題よりも漁協の存続が大事という発想が間違っていると思う』

帰りの車内で、これはかなり根の深い問題なのではないかと思い至った。普遍性の高いイデオロギー論争のテーマと言ってよいのではなかろうか。

岩手県水産行政の一般漁民に対するサケ漁禁止の措置。岩手県側の言い分にまったく理のないはずはない。幕末の南部藩にも、天皇制政府にも、その政策には当然にそれなりの「理」(正義)があった。その「理」と、岩手県水産行政の「理」とどう違うのだろうか。あるいは同じなのだろうか。

私は現在の県政の方針を、南部藩政の御触にたとえてきた。定めし、高札にこう書いてあるのだ。

『今般領内沿岸のサケ漁の儀は、藩が格別に特許を与えた者以外には一律に禁止する』
『これまで漁民の中にはサケを獲って生計を立てる者があったと聞くが、今後漁民がサケを獲ること一切まかりならぬ』
『密漁は厳しく詮議し、禁を犯したる者の漁船漁具を取り上げ、入牢6月を申しつくるものなり』
これに対する漁民の抵抗だから、『浜の一揆』なのだ。

しかし、当時の藩政も「理」のないお触れを出すはずはない。すべてのお触れにも高札にも、それなりの「理」はあったのだ。「理」は「正義」と言い換えてもよい。まずは「藩の利益=領民全体の利益」という「公益」論の「理」(正義)が考えられる。

漁民にサケを獲らせては、貴重なサケ資源が私益にむさぼられることになるのみ。サケは公が管理してこそ、領民全体が潤うことになる。公が管理することとなればサケ漁獲の利益が直接に漁民に配分されることにはならないが、藩が潤うことはやがて下々にトリクルダウンするのだ。年貢や賦役の軽減にもつながる。これこそ、ご政道の公平というものだ、という「理」(正義)である。

天皇制政府も、個人の私益を捨てて公益のために奉仕するよう滅私奉公を説いた。その究極が、「命を捨てよ国のため、等しく神と祀られて、御代をぞ安く守るべき」という靖國の精神である。「君のため国のため」「お国のため」の滅私奉公が美徳とされ、個人の私益追求は悪徳とされた。個人にサケを獲らせるのではなく、公がサケ漁を独占することに違和感のない時代であった。

また、現状こそがあるべき秩序だという「理」(正義)があろう。『存在するものはすべて合理的である』とは、常に聞かされてきた保守派のフレーズだ。現状がこうなっているのは、それなりの合理的な理由と必然性があってのこと。軽々に現状を変えるべきではない。これは、現状の政策の矛盾を見たくない、見ようともしない者の常套句だ。もちろん、現状で利益に与っている者にとっては、その「利」を「理」の形にカムフラージュしているだけのことではあるが。

現行の岩手県水産行政は、藩政や明治憲法の時代とは違うという反論は、当然にあるだろう。一つは、漁協は民主的な漁民の自治組織なのだから漁協の漁獲独占には合理性がある、というもの。この論法、原告の漁民たちには鼻先であしらわれて、まったく通じない。よく考えると、この理屈、個人よりも家が大切。社員よりも会社が大事。住民よりも自治体が。国民よりも国家に価値あり。という論法と軌を一にするものではないか。個人の漁の権利を漁協が取り上げ、漁協存続のためのサケ漁独占となっているのが現状なのだ。漁協栄えて漁民亡ぶの本末転倒の図なのである。

また、現状こそが民主的に構成された秩序なのだという「理」(正義)もあろう。まずは行政は地方自治制度のもと民意に支えられている。その民主的に選出された知事による行政、しかも民主的な議会によるチェックも、漁業調整委員会という漁民によるチェックもある。その行政が、正当な手続で決めたことである。なんの間違いがあろうか。そういう気分が、地元メデイアの中にもあるように見受けられる。そのような社会だから、漁民が苦労を強いられることになるのだ。」

以上のことで、私が本日申しあげたいことは尽きているのですが、あらためて整理すれば以下の3点ほどのことになります。

まずは、浜の一揆訴訟では、漁民らは憲法上の権利の実現を要求しているのであって、「お代官様のお情けにおすがりして、サケをとらせていただくよう特別の許可をお願いしているのではない」ということ。

しかも、漁民らの要求は生活の維持のための切実なもので、生存と後継者維持の立場から不可欠なものとして尊重されなければならないこと。

これに対抗して、漁民のサケ漁の権利を制約してもよいとする岩手県知事の側の根拠がおよそ薄弱であること。中でも、漁協中心主義の漁業政策に納得できるような根拠は見出し難いこと。

このことをお話しするために準備したレジメは以下のとおりです。

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はじめに

三陸沿岸の漁民は、予てから沿岸で秋サケの採捕を禁じられていることの不合理を不満とし、これまで岩手県水産行政に請願や陳情を重ねてきたが、なんの進展もみませんでした。とりわけ、3・11の被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、2015年11月5日、100人の漁民が岩手県(知事)を被告として、盛岡地裁に行政訴訟を提起しました。原告らは、これを「浜の一揆」訴
訟と呼んでいます。

訴訟における請求の内容は、県知事の行った「サケ採捕申請不許可処分」の取消と、知事に対する「各漁民のサケ採捕申請許可」義務付けを求めるものです。
 小型漁船で零細な漁業を営む漁民に「サケを獲らせろ」という要求の実現を目指すもので、このことは、「漁民を保護して、漁業がなり立つ手立てを講じよ」という行政への批判と、「後継者が育つ漁業」をという切実な願いを背景にするものです。本件は県政の水産行政のあり方を問うとともに、地域の民主主義のあり方を問う訴訟でもあります。また、3・11被災後の沿岸漁業と地域経済の復興にも、重大な影響をもつものとも考えています。

Ⅰ 訴訟の概要
第1 経過概要
 1 県知事宛許可申請⇒小型漁船による固定式刺し網漁のサケ採捕許可申請
    2014年9月30日 第1次申請
    2014年11月4日 第2次申請
    2015年1月30日 第3次申請
 2 不許可決定(102名に対するもの)
    2015年6月12日 岩手県知事・不許可決定(277号・278号)
     *277号は、固定式刺し網漁の許可を得ている者  53名
     *278号は、固定式刺し網漁の許可を得ていない者 49名
 3 審査請求
    2015年7月29日 農水大臣宛審査請求(102名)
    2015年9月17日 県側からの弁明書提出
    2015年10月30日 審査請求の翌日から3か月を経過
 4 提訴と訴訟の経過
    2015年11月5日 岩手県知事を被告とする行政訴訟の提起(100名)
    2016年1月14日 第1回法廷 瀧澤さん意見陳述 訴状・答弁書陳述
    2016年3月11日 第2回法廷 
    2016年5月20日 第3回法廷 
    2016年8月05日 次回第4回法廷(予定)

第2 訴訟の提訴の内容
 1 当事者 原告 三陸沿岸の小型漁船漁業を営む一般漁民100名
          (すべて許可申請・不許可・審査請求の手続を経ている者)
         被告 岩手県(処分庁 岩手県知事達増拓也) 
 2 請求の内容
   *知事の不許可処分(277号・278号)を取消せ
     *277号処分原告(既に固定式刺し網漁の許可を得ている者) 51名
     *278号処分原告(固定式刺し網漁の許可を得ていない者)  49名
   *知事に対するサケ漁許可の義務づけ(全原告について)
    「年間10トンの漁獲量を上限とするサケの採捕を目的とする固定式刺網漁業許可申請について、申請のとおりの許可をせよ。」

第3 争点の概略
1 処分取消請求における、知事のした不許可処分の違法の有無
(1) 手続的違法
  行政手続法は、行政処分に理由の付記を要求している。付記すべき理由とは、形式的なもの(適用法条を示すだけ)では足りず、実質的な不許可の根拠を記載しなければならない。それを欠けば違法として取消理由となる。ましてや、本来国民の自由な行為を一般的に禁止したうえ、申請に従って個別に解除して本来の自由を回復すべき局面においては、飽くまでも許可が原則であって、不許可として自由を制約するには、合理性と必要性を備えた理由が要求される。その具体的な理由の付記を欠いた本件不許可処分はそれだけで手続的に違法である。
  本件不許可処分には、「内部の取扱方針でそう決めたから」というだけで、まったく実質的な理由が書かれていない。
(2) 実質的違法
  法は、申請あれば許可処分を原則としているが、許可障害事由ある場合には不許可処分となる。下記2点がサケ採捕の許可申請に対する障害事由として認められるか。飽くまで、主張・立証の責任は岩手県側にある。
  ①漁業調整の必要←漁業法65条1項
  ②水産資源の保護培養の必要←水産資源保護法4条1項
2 義務づけの要件の有無 上記1と表裏一体。 
3 原被告間の議論はまだ噛み合ったものとなっていない。

Ⅱ 何が争われているのか
第1 漁民のサケ採捕は憲法上の権利である。これを制限しうるのか。
1 憲法22条1項は営業の自由を保障している。
    ⇒漁民がサケの漁をすることは原則として自由(憲法上の権利)
    ⇒自由の制限には、合理性・必要性に支えられた理由がなくてはならない。
  *漁業法65条1項は、「漁業調整」の必要あれば、
   水産資源保護法4条1項は、水産資源の保護培養の必要あれば、
    「知事の許可を受けなければならないこととすることができる。」
  *岩手県漁業調整規則23条
   「知事は、「漁業調整」又は「水産資源の保護培養」のため必要があると認める場合は、漁業の認可をしない。」
   ⇒県知事が、「漁業調整」「水産資源の保護培養」の必要性について
      具体的な事由を提示し、証明しなければならない。
2 海洋の資源は原則として無主物であって、これを採捕(採取と捕獲を併せた立法上の造語)することは本来的に自由である。採捕を業として行うことは、営業の自由(憲法22条1項)に属する基本権として保障されている。
  憲法上の基本権が、無制限な自由ではなく、「公共の福祉」による内在的な制約に服すべきことは当然としても、原則が自由であることは、その制約には、首肯しうるだけの、制約の必要性と合理性を根拠づける理由がなくてはならない。
3 原告は、自らの憲法上の権利を制約する行政庁の不許可処分を特定して、これを違法と主張しているのである。権利を制約した側の被告行政庁において、その適法性の根拠を主張し挙証する責めを負うべきは当然である。
4 原告の営業の自由を制約する法律上の根拠は、漁業法65条1項にいう「漁業調整の必要」と、水産資源保護法4条1項にいう「資源の保護培養の必要」以外にはない。岩手県漁業調整規則23条1項3号は、この両者を取り込んで「知事は、漁業調整又は水産資源の保護培養のため必要があると認める場合は起業の認可をしない」としている。
5 だから、本来被告は「漁業調整又は水産資源の保護培養のための必要」に当たる具体的事実を主張しなければならない。しかも、「憲法上の権利を制約する根拠として」十分な、必要性・合理性を基礎づけるものでなくてはならない。
6 ところが、被告は自らした不許可処分の適法性の根拠について語るところはなく、もっぱら内規として取り決めた「取扱方針」によるとだけ主張して、具体的な根拠事実を主張しようとしない。原告に許可を与えれば漁業調整や水産資源の保護に不都合が生じる根拠となる具体的な事実についてはまったく主張しようとしない。「庁内で作成した「取扱方針」(2002年制定)にそう書いてあるから」というだけ。しかも、知事が適用している「取扱方針」の条項は、「固定式刺し網漁不許可」に関するもので、「サケ漁の許可」に関するものではない。51名の原告は「固定式刺し網漁不許可」は既に得ているので、被告(知事)の不許可処分の理由は、論理的に破綻している。

第2 漁協中心主義は漁民の権利を制約しうるか。
1 漁業法にいう、漁業の民主化とはなにか。
  零細の個々の漁民の権利にこそ配慮することではないか。漁協の営業のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行である。
2 漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。
  主客の店頭は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないか。
3 結局は、浜の有力者に奉仕する漁業行政の「カムフラージュの理論」ではないか。
            以 上
(2016年6月25日)  

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