澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

漁協ファーストではなく、漁民ファーストでなければならない。

盛岡地裁における「浜の一揆訴訟」の口頭弁論期日(10月28日)が近づいてきた。
前回期日(8月5日)から2か月半。この間に、被告が準備書面による主張を提出し、原告がこれに反論することになる。

☆前回までの原告漁民側の主張を要約すれば、以下のとおり。
※海洋のサケは無主物である。無主物先占の原則のとおり、誰でも獲った人がこれを自分の所有物にすることができる。漁民がサケの捕獲を継続反復して、漁労で生計をたてることは憲法22条に基づく「営業の自由」に属する。制約を受けない権利というものはないが、制約には相応の根拠が必要となる。例えば薬事法が定める薬局の距離制限を求める法律上の根拠に基づいて、薬局開設を不許可とした行政処分を最高裁は違憲と判断して取り消している。この理屈の構造は、本件と同じもの。営業の自由が軽々に制約されてはならない。小規模(20トン以下の小型船)漁民のサケ漁の許可申請には許可すべきが原則で、本件においては不許可の実質的理由すら示されていない。

※また、本件処分は形式的にも違法である。
 不利益処分にはその理由を付記しなければならないが、根拠法条だけではなくその根拠法に該当する具体的な事実も付記しなければならない。しかし、本件の処分にはそのような記載がまったく欠けており、判例上違法として取消を免れない。

☆これに対して、被告岩手県は、9月20日付の準備書面で、初めて、一般漁民に「固定式刺し網によるサケ漁」を許可しない実質的な理由を整理して述べてきた。
以下のとおりである。
?岩手県の長年に亘るサケ産業(水産振興)政策とそれに基づく関係者の多大な尽力を根本的に損ねてしまうこと
?種卵採取というサケ資源保護の見地からも弊害が大きいこと
?各地漁協などが多大な費用と労力を投じた孵化放流事業により形成されたサケ資源をこれに寄与していない者が先取りする結果となり、その点でも漁業調整上の問題が大きいこと
?解禁に伴い膨大な漁業者が参入し一挙に資源が枯渇するなどの問題が生じること?沖合で採捕する固定式刺し網漁業の性質上、他道県との漁業調整上の摩擦も看過できないこと
?近年、県内のサケ資源が深刻な減少傾向にあること

以上の各理由は一応なりとも、合理的なものとは到底考えがたい。こんなことで漁民の切実な漁の自由(憲法22条の経済的基本権)が奪われてはならない。

☆各理由に通底するものは、徹頭徹尾定置網漁業完全擁護の立論である。およそいささかなりとも定置網漁業の利益を損なってはならないとする、行政にあるまじき偏頗きわまる立論として弾劾されてしかるべきでもの。利害対立する県民当事者相互間の利益を「調整」するという観念をまったく欠いた恐るべき主張というほかはない。

しかも、利害対立の当事者とは、一方は原告ら生身の零細漁民である。20トン以下の小型漁船で生計を立てる者で、法的には経済的基本権の主体である。そして対立するもう一方が、大規模な定置網漁業者である。その主体は、漁協単独の経営体であり、漁協と複数個人の共同経営体であり、株式会社であり、有限会社であり、定置網漁業を営む資本を有する経済力に恵まれた個人である。「浜の有力者」対「一般漁民」のせめぎあいなのである。

原告は、「定置網漁業者」と原告らのどちらに、サケを採捕せしめるべきが公平で合理的かという政策論争をしかけているのではない。原告の主張は、「定置網漁業者」の廃業を迫るものでもなければ操業規模を縮小せよというものでもない。定置網漁業者の利益が損なわれる虞があることを理由に、原告らに固定式刺し網によるサケの採捕の一律禁止をすることは法的になしえないと主張しているだけなのである。原告らの憲法上の経済的基本権を制約するに足りる憲法上の制約原理について、被告岩手県に課せられている主張挙証の責めが全うできるのかが問われている。

☆定置網漁業者の過半は、漁協である。したがって、被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きる。

今回の書面のやり取りは、被告岩手県が徹底した「漁協ファースト」の原理を掲げ、原告が「漁民ファースト」をもって反論している構図である。

漁民の繁栄あっての漁協であって、その反対ではない。飽くまで「漁民ファースト」が当然の大原則。漁協の健全経営維持のために漁民の操業が規制される筋合いはない。

☆以下は、被告が「近年、県内のサケ資源が深刻な減少傾向にあること」を不許可の理由として挙げていることに対する批判の一節である。

「近年のサケ資源の減少傾向」が、固定式刺し網漁業不許可の理由とはなりえない。これを理由に掲げる被告の主張は、いわゆる「獅子の分け前」(Lion’s Share)の思想にほかならない。
漁協は獅子である。獅子がたっぷり食べて余りがあれば、狐にも分けてやろう。しかし今はその余裕がないから、狐にやる分け前はない。被告岩手県は無邪気に、傲慢な差別を表白しているのである。
行政は平等で、公正でなくてはならない。漁協を獅子とし、漁民を狐として扱ってはならない。原告ら漁民こそが人権の主体であり、漁協は原告ら漁民の便益に奉仕するために作られた組織に過ぎないのだから。」

(2016年10月22日)

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Published in 土曜日, 10月 22nd, 2016, at 22:44, and filed under 浜の一揆.

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