澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

パールハーバーでのアベ晋三演説の違和感

パールハーバーでのアベ晋三の、なんとも面妖な17分間の演説。朝、ラジオで聞いていて、神経に障った。不愉快極まりない。

なるほど、詐欺師と総理大臣とは、平気で嘘をつかねば務まらない。「アンダーコントロールでブロック」のときも呆れたが、今度は戦争と平和についての問題として、さらに深刻だ。

演説の内容は、3つの部分からなる印象。
(1) どうでもよい、情緒的で無内容なつまらぬ部分。
(2) それ自体間違ってはいないが、「そんな演説をする資格があるのか」と突っ込まねばならない部分。
(3) そして、本音の問題発言部分。

(1) 「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入江。」「耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。」「あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で、死んでいった…」

誰が書いた文章なのかは知らないが、こんな浮わついた駄文の朗読を聞かされる身にもなって見よ。耳が痒くなる。尻が落ち着かない。それが、「日本国民を代表して」と繰り返されての発言なのだから、目から火が出るほどに恥ずかしい。日本とは、この程度の首相しか出せない国なのだ。

それはともかく、驚いたのは次のくだりだ。

(2) 戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

「日本国総理大臣として」の部分を除けば、このように演説のできる人、このような演説を口にして違和感のない人物は、保守革新の立場を問わず、日本に少なからずいる。しかし、そのような人は、アベ政権とその周囲にはいない。「不戦の誓いを貫いてまいりました」と言える人は、例外なくアベ晋三の批判者である。政敵であるといってもよい。

「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない」とは日本国憲法の根幹の理念である。一貫して憲法を敵視し、とりわけ九条改憲に執着してきたアベの口から出れば、デマゴギーである。あるいはマヌーバーなのだ。教育基本法を改悪し、特定秘密保護法や戦争法の制定を強行し、日本を戦争のできる国にしたばかりか、非核三原則や武器輸出三原則をないがしろにして、防衛予算だけを聖域化してきたアベではないか。どの口からどの舌をもって「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ、この不動の方針をこれからも貫いてまいります」などと言えるのか。

(3) さらに、「勇者は、勇者を敬う」の引用が愚かしくも危険極まりない。アベは、奇襲した側の皇軍の兵士も、奇襲を受けたアメリカ軍の兵士も、ともに「勇者」として称えているのだ。靖国の思想に通底する。戦争を徹底して愚かなものと見ないのだ。それぞれの祖国のために勇敢に闘った勇者と勇者。そのように美化する戦没兵士観。これは同盟国同士の戦意高揚演説ではないか。

最大の問題点は、平和を語っていたのが、いつの間にか日米の同盟の賛美を語りはじめる点だ。この演説の本音はここにある。同盟(alliance)とは、軍事に関わる用語ではないか。共通の仮想敵国を想定しての軍事同盟(military alliance)を意味しているのだ。そのような理解で読めば、文意が明瞭になる。

「歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた(軍事的)同盟国となりました。」「それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の(共通の仮想敵国がもたらす)困難に、ともに立ち向かう(軍事)同盟です。明日を拓く、『(軍事的勝利という)希望の同盟』です。」というもの。

こんな軍事同盟はやめて、どこの国とも積極的に友好関係を結ぶべきではないか。そうすれば、特定国との軍事同盟の必要は無くなる。そのような姿勢こそ、「不戦の誓いを貫く」ものとして、誇るに足りるものではないか。

ところで、この演説の中に何度も出て来る「日本国民」とは、はたして沖縄県民を含んでいるのだろうか。いや、沖縄県民に共感してアベ政権を批判する多くの全土の国民を含んでいるのだろうか。アベ政権は、「不戦の誓いを貫く」とは正反対の行動として、沖縄に新軍事基地を建設しようと狂奔している。アベのパールハーバー行の最中に、名護市辺野古大浦湾埋め立て承認の「取り消し処分」が取り消され、日米軍事同盟を強化して、戦争のための基地建設工事が再開された。

こうしてアベ政権と沖縄県民との基地建設の工事をめぐる攻防も再開された。到底、ここに「自由で民主的な国」の姿はない。「法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました」とは、ぬけぬけとよくも言ったもの。「平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ」る事態とはほど遠い。

翁長知事は今後も、あらゆる手段で辺野古新基地建設を阻止する考えに変わりないことを強調している。地元の理解や協力なくして、防衛も安全保障もあり得ない。

これを見れば、米軍とアベ政権のパールハーバーでの共同セレモニーは、結局のところ、国民を無視しての支配層同士・軍部同士の、日米軍事同盟強化のパフォーマンスだったと言うべきではないか。
(2016年12月28日)

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