(2022年1月18日)
昨日(1月17日)、第208通常国会が始まった。会期は6月15日まで。参院選が控えていることから、会期の延長はなかろうとされている。
冒頭、岸田首相による施政方針の説明。12000字の原稿朗読が行われた。羅列主義、メリハリに欠ける、具体性がない、などと総じて評判はよくない。が、無難、安倍・菅に較べれば格段にマシ、などという評価もある。
私の関心は、以下の3点。「新しい資本主義の実現」「敵基地攻撃能力」「憲法改正」、いずれもしっかり書き込まれている。
まずは、「新しい資本主義の実現」
経済の現状認識は、政治の責任者が見てもこういうことだ。
「市場に依存し過ぎたことで、公平な分配が行われず生じた、格差や貧困の拡大。市場や競争の効率性を重視し過ぎたことによる、中長期的投資の不足、そして持続可能性の喪失。行き過ぎた集中によって生じた、都市と地方の格差。自然に負荷をかけ過ぎたことによって深刻化した、気候変動問題。分厚い中間層の衰退がもたらした、健全な民主主義の危機。……市場に任せれば全てがうまくいくという、新自由主義的な考え方が生んだ、さまざまな弊害を乗り越え、持続可能な経済社会の実現に向けた、歴史的スケールでの「経済社会変革」の動きが始まっています」
この現状にどう切り込みどう改善して、格差や貧困から健全な民主主義の危機に至る弊害をどう克服するのか。という課題を語る段になると何とも情けない。具体策がない、次のような弁明でしかないのだ。
私は、成長と分配の好循環による「新しい資本主義」によって、この世界の動きを主導していきます。官と民が全体像を共有し、協働することで、国民一人一人が豊かで、生き生きと暮らせる社会を作っていきます。日本ならばできる、日本だからできる。共に、この「経済社会変革」に挑戦していこうではありませんか。
成長戦略では「デジタル」「気候変動」「経済安全保障」「科学技術・イノベーション」などの社会課題の解決を図るとともに、これまで、日本の弱みとされてきた分野に、官民の投資を集め、成長のエンジンへと転換していきます。分配や格差の問題にも正面から向き合い、次の成長につなげます。こうして、成長と分配の両面から経済を動かし、好循環を生み出すことで、持続可能な経済を作り上げます。
分かるかな。分かるはずはない。言ってる岸田本人にも分かっているはずはないのだから。「分配や格差の問題にも正面から向き合い」って、いったいどう向き合うというのだ。「次の成長につなげます」って、具体的にどうつなげるべきかが問われているのだ。何の具体策もないのか。不公正税制の手を着けると言っていたはずなのに、いったいどうした。直接税の累進性強化や、消費減税はやらないのか。相変わらず、株式売買や配当の優遇税制は温存か。大した「聞く力」じゃないか。格差を是正して、分厚い中間層を創出するというのは、本気の発言か。
「おおむね1年をかけて、新たな国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛力整備計画を策定します。これらのプロセスを通じ、いわゆる「敵基地攻撃能力」を含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討します。先月成立した補正予算と来年度予算を含め、スピード感を持って防衛力を抜本的に強化します。海上保安庁と自衛隊の連携を含め、海上保安体制を強化するとともに、島しょ防衛力向上などを進め、南西諸島への備えを強化します」「日米同盟の抑止力を維持しながら、沖縄の皆さんの心に寄り添い、基地負担軽減に引き続き取り組みます。普天間飛行場の一日も早い全面返還を目指し、辺野古への移設工事を進めます」
彼が朗読した原稿12000文字のうちの7文字が「敵基地攻撃能力」。目立たぬように、しかししっかりと書き込まれている。これは、たいへんなことだ。しかも、あれだけ反対の世論渦巻く、辺野古の基地建設も、「沖縄の皆さんの心に寄り添い、辺野古への移設工事を進めます」と言ってのける。大した神経だ。
そして、「憲法改正」
「先の臨時国会において、憲法審査会が開かれ、国会の場で、憲法改正に向けた議論が行われたことを、歓迎します。
憲法の在り方は、国民の皆さんがお決めになるものですが、憲法改正に関する国民的議論を喚起していくには、われわれ国会議員が、国会の内外で、議論を積み重ね、発信していくことが必要です。本国会においても、積極的な議論が行われることを心から期待します。」
おかしいじゃないか。「憲法の在り方は、国民の皆さんがお決めになる」ものであれば、国民の意見をよく聞くがよいではないか。政権や議会が主導して、「憲法改正に関する国民的議論を喚起」すべき理由はまったくあり得ない。
今議論すべきは、コロナ対策だろう。コロナに疲弊した生活や生業の支援だろう。福祉であり、教育であり、そして経済の回復のあり方ではないか。憲法改正などは、究極の不要不急課題ではないか。本国会においての積極的な議論の必要はまったくない。
(2022年1月6日)
憲法20条は、厳格な政教分離を定める。高く堅固な分離の壁で隔てられる「政」と「教」とは、「政治権力=国家」と「宗教」である。この宗教とは、宗派を問わない宗教一般ではあるが、日本国憲法制定の過程に鑑みれば、明らかに「国家神道=天皇教」がその中核にある。
その「国家神道=天皇教」は、敗戦を機に制度の上では姿を消したが、信教の自由の保障を得て、国家とは切り離された私的な存在としては生き残っている。しかし、《国家と天皇と神道》との結びつきを《日本古来の伝統》と考える、右翼・守旧派は「国家神道=天皇教」を公的な存在として復活させたいのだ。
「国家神道=天皇教」を代表する二大施設が、伊勢神宮と靖国神社である。軍国神社靖国への公式参拝には戦争被害国を中心に批判の目が厳しい。ところが天皇教の本宗である伊勢神宮には、比較的批判の声が小さい。いつの間にか、首相がここで年頭の記者会見をすることが定着してきた。それを許したメディアも、世論も反省しなければならない。それだけではない。野党の党首までが、年頭の伊勢詣でとは、情けないにもほどがある。
以下は、政教分離にもっとも鋭敏な宗教者からの抗議声明である。
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党の代表者による伊勢神宮参拝と記者会見に抗議します
内閣総理大臣 岸田文雄様
立憲民主党代表 泉健太様
国民民主党代表 玉木雄一郎様
マスコミ関係各社 御中
2022年1月4日、岸田首相は伊勢神宮を参拝し、記者会見を開きました。TBSやMBSなどによりますと、総理周辺は「伊勢参拝は公務としての行事であり、地元に帰るのとはわけが違う」と述べたことが報道されています。
最高裁は1997年、公費で玉串料を払った愛媛県に対し、「県が特定の宗教団体を特別に支援している印象を一般の人に与える」と指摘し、政教分離違反にあたるとの判決を出しています。今回、首相が公務であると自覚しつつ伊勢神宮を参拝したことは、憲法20条3項の政教分離原則を蹂躙する許しがたい行為です。さらに、こうした政府の暴走をチェックすべき野党の代表までが、無批判に後を追う姿勢に強く抗議いたします。
私たちはまた、記者会見において、そのことを指摘しなかったマスコミ各社に対しても、失望と憤りを禁じ得ません。
かつて1933年、伊勢神宮参拝旅行への参加を拒否した一児童に対して、政界、教育界、宗教界、マスコミを巻き込んだ全国的な排撃運動(いわゆる美濃ミッション事件)が展開され、私たちの教会の先達である日本基督教会大垣教会の浅倉重雄牧師も「祖先・国忠志を祭る神社に低頭して敬意をはらうのはキリスト教信仰に何ら差し支えない。愛する美濃ミッションの方々が国体と神社を正しく認識し、問題を繰り返さぬよう祈る」との見解を美濃大正新聞に発表しました。官民がこぞって伊勢神宮参拝を国民行事として支持し、マスコミの煽動によってマイノリティーを排除しようとした歴史に加担した罪責を覚える時、私たちは今回の与野党の代表者による伊勢神宮参拝とマスコミによる記者会見を看過することができません。
1965年の佐藤栄作首相以来、連綿と続いている総理大臣による伊勢神宮参拝によって、この国は少しはマシになったのでしょうか。かえって政治も経済も教育も医療も宗教も、すべからく低迷しているのではないでしょうか。いやしくも一国の首相や公党の代表たるあなたがたが、与野党ともに神頼みの政治を行おうとしている体たらくは、国内外の他民族に新たな恐怖を植え付けるとともに、唯々諾々と情報を垂れ流すマスコミ各社ともども、失笑を買うほかないでしょう。
かつて全国民に神社参拝を強要した狂気は、アジア全体にすさまじい戦争の惨禍をもたらしましたが、あのような過ちを二度と繰り返さないためにも、公人による伊勢神宮参拝と記者会見は、これを最後にして欲しいと願います。
2022年1月4日 日本キリスト教会大会靖国委員会委員長 小塩海平
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この声明で取りあげられている美濃ミッション(大垣のキリスト教会)事件について、略述しておきたい。狂信的な天皇教信徒と化した民衆による、少数者の精神的自由圧殺の典型的な一事例である。
1929年以後、美濃ミッション教会員の子弟が、その宗教的信念から神社参拝、招魂祭例への参加、さらには伊勢神宮参拝を拒否した。この事件は新聞で大々的に報道されて、大きな問題となった。日本基督教会も味方してはくれなかった。
メディアや政治家に煽動された大垣市地元民は「美濃ミッション排撃の歌:守れ国体、葬れ邪教」を作って美濃ミッションを迫害したという。(ウィキペディアから引用)
我が国体の尊厳を 害なう彼らミッションの
排撃目ざす 我らこそ 使命に生きる国民ぞ
血潮漲る憂国の 麋城(びじょう)の健児の力もて
倒せミッション倭異奴(ワイド)輩 正々堂々最後まで
いざ起て勇士時は今 我市四萬の健児らよ
邪教の牙城を葬りて 正義の御旗輝かせ
(上記の「麋城(びじょう)」とは大垣城の異名、「倭異奴(ワイド)」は、この教会の宣教師ワイドナーのことである。)
この排撃に遭遇して宣教師ワイドナーは健康を害して帰国の途次病没したという。また、複数の幹部が治安維持法違反で検挙されている。メディアと官憲と地域社会全体が、少数者を弾圧する典型例であった。もっとも、信徒については戦時中も信仰を守り妥協せず、官製の日本基督教団に加わることがなかったとされている。
このような官民一体になっての宗教弾圧事件は全国に無数に起きた。このような事件の根源は天皇を神とする信仰の全国民への強制にあった。敗戦時に廃棄すべきであった天皇が生き残ったため、この天皇を再び神にしてはならないとする歯止めの装置が必要となった。信教の自由保障を掲げるだけでなく、日本国憲法は歯止めの装置としての政教分離規定を創設した。政治に関わる者すべてが、これを遵守しなければならない。
年頭からの伊勢神宮参拝に違和感をもたないような、政党や政治家では、困るのだ。日本国憲法の理念を尊重していただきたい。
(2022年1月3日)
2022年の年開けは、少しも目出度くない。寒さが厳しいだけではない。思いがけなくも憲法をめぐる状況についての厳しさも痛感せざるを得ない。
邪悪な改憲勢力の首魁(実は単なる無能)の安倍晋三をようやく政権の座から、引きずり下ろし、「これでしばらくは憲法の安泰期」と思っていたら、何としたことだ。ハトかに見えた岸田が、俄然タカの様相である。
岸田は、総理大臣としての年頭所感でこう語った。「自由民主党結党以来の党是である、憲法改正も、本年の大きなテーマです。国会での論戦を深めるとともに、国民的な議論を喚起していきます」と。言わずもがなのことを、わざわざと。
これが岸田の本心であるか否かを穿鑿するのは意味のないこと。自民党内の力学が、「改憲の好機到来」と認識して動き出しているのだ。「好機」をもたらしたのは、総選挙における反共野党勢力の跳梁である。とりわけ、維新の罪が深い。そして、《「安倍改憲」には反対だったが、「安倍抜き改憲」なら議論を始めてもよいのでは》というグループも、である。
そのような情勢のさなかに、「コロナ禍と緊急条項」というテーマが浮上しつつある。12月31日の時事配信記事が「改憲勢力に勢い 緊急事態条項で進展目指す―立民苦慮、狭まる包囲網」という刺激的なもの。その中で、緊急事態条項に触れて、こう報じている。
自民党は1月召集の通常国会で、国会議員任期の特例延長など緊急事態条項の創設を軸に改憲議論を進展させたい考えだ。新型コロナウイルス禍を踏まえて、世論の理解が得られやすいと判断しているためだ。
10月の衆院選で、憲法改正に前向きな日本維新の会と国民民主党が議席を増やしたことも追い風とみている。「改憲ありきの議論」と一線を画す立憲民主党が対応に苦慮する場面が増えそうだ。
緊急事態条項は、大地震などの大規模災害時に国会議員の任期を特例で延長することや、国会承認がなくても政府の政令を認める内容。公明党は「緊急事態で国会機能をいかに維持していくかという論点からの論議が必要だ」(北側一雄中央幹事会長)と、議員任期の延長に理解を示す。
国民民主党幹部は「議員任期の延長特例は地方議会では既に認められている」と指摘。日本維新の会も前向きで、野党側からも一定の賛成が見通せる状況だ。
以下は、この件に関する、私の地元文京での学習会のお知らせ。
改憲NO!文京アクション
新春学習会
憲法第9条と緊急事態条項、
改悪するとどうなる?
参加無料
日時 2022年1月7日(金)18 :30?
場所 文京区民センター2A(文京区本郷4丁目15-14)
最寄り駅:東京メトロ丸ノ内線後楽園駅
講師 澤藤 大河 弁護士(東大卒2016年弁護士登録)
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「憲法改悪を許さない全国署名」にご協力願います。
岸田政権は、2021年10月の総選挙で、改憲発議に必要な3分の2の議席を手に入れました。中国や朝鮮を念頭に「敵基地攻撃能力の保有」を国会で表明し、そのため現在6兆円の防衛費2倍(GDP比2%)を主張しています。米国はじめ欧米諸国と軍事同盟を強化し「戦争する国」づくりを進め、アジアの緊張を高めています。改憲派は、参議院選挙をにらみながら9条に自衛隊を書き込むことと、緊急事態条項の創設を狙っています。
私たちは、自民党の改憲発議を許すことなく、憲法9条をはじめとし、今の日本国憲法で国民のいのちと暮らしを守る政治を求めていきます。
改憲NO!文京アクション事務局
文京区小石川2?21?8 (文京区労協新事務所)
電話 03-3815-1558 FAX 03-3813-6006
(2022年1月2日)
本日は、母のことを語りたい。そして、母方の祖父のことも。
母・澤藤光子(旧姓赤羽、戸籍名ミツ子)は、1915年7月2日の生まれで1998年1月11日に没している。父にやや遅れて生まれ、父と結婚して4人の子を育て、父を看取って間もなく生を終えたことになる。
生前歌作をしていたはずだが、散逸してのことか遺された歌は意外に少ない。その中に次の歌があることを知った。いつの作品か、誰のことを詠ったのかは定かでない。
うなじ垂れ失意に深く沈む子にことばもなくて熱き茶いるる
この「失意に沈む子」は、私かも知れない。私は、1962年3月に東大を受験して不合格となった。合格の自信はあり、自分に挫折あろうことなど考えてもいなかっただけに、確かに失意は深かった。このとき地球が自分を中心に回っているのではないことを知った。
不合格の報を受けたときの記憶は定かでないが、母は私の「失意」を見ていたはず。この歌はいかにも母らしいと思う。今にして、母が4人の子に、ことあるごとに「ことばもなくて熱き茶いるる」を繰り返していただろうと思い当たる。
またもしかしたら、この「失意に沈む子」は、次弟の明かも知れない。明は、1966年3月に京大を受験して不合格となっている。私よりも繊細な弟の方が、この歌の情景にふさわしいかも知れない。
幸い、私も明も不合格の翌年には合格している。また、末弟の盛光は69年に京大に合格しているが、3人の子の合格を喜ぶ歌は残されていない。「深く失意に沈む子」に寄り添う歌が母にはふさわしいように思える。
ところで、「大正生れの歌」には、女性版がある。
☆大正生れのわたし達 すべて戦争(いくさ)の青春で
恋も自由もないままに 銃後の守りまかされた
終戦迎えたその時は たのみの伴侶は帰らずに
淋しかったわ ねぇあなた
☆大正生れのわたし達 再建日本の女房役
姑に仕え子育てと ただがむしゃらに三十年
泣きも笑いも出つくして やっと振り向きゃ白い髪
それでもやらなきゃ ねぇあなた
☆大正生れのわたし達 可愛い孫のお守り役
いまでは嫁も強くなり それでも引かれぬことがある
休んじゃおれない ねぇあなた
しっかりやりましょ ねぇあなた
必ずしも母のイメージとは重ならないが、夫を戦争にとられ、戦後の混乱と貧しさの中での子育てに苦労したのは、この歌のとおりだ。私は幼いころ、母から「戦争は嫌だ」「あんな思いは二度としたくない」と繰り返し聞かされた。
そして、父が軍隊生活を懐かしんで話すのによい顔をしなかった。子どもたちが、どうしてみんな戦争に反対しなかったの? と聞くと、「反対できるような世の中ではなかった」「しょうがなかったんだよ」と悲しそうに呟いていた。
父が遺した歌に、
妻と子が日ごと詣でし氏神に無事の帰還を礼申しける
農家より米もらうとて箪笥開け妻は晴着の幾枚を出す
などがある。母は、戦時中も戦後も苦労させられたわけだ。
母光子の父、つまり私の母方の祖父は赤羽幹と言った。盛岡に根付いた人だったが、晩年、光子を訪ねて大阪府下の富田林に来て1週間ほどを過ごしたことがある。そのとき私は中学生だったが、初めて明治生まれの人と忌憚なく話し込むという経験をした。祖父と孫との会話である。一人前に扱われたこともあり、私にとっても楽しいものだった。祖父も楽しそうによく話を聞いてくれた。
きっかけは忘れたが、天皇が話題となって雰囲気が変わった。私は、遠慮することなく、しゃべった。子どもの頃、私は口が達者だった。
私は天皇(裕仁)のことを「あの猫背のオッサン」と呼んだ。「あのオッサンが日本のみんなを騙して戦争を始めた」「騙された日本人が、戦争に巻き込まれてたくさん死んだ」「原爆落とされて死んだ可哀想な人もいっぱいいる」「それなのに、あのオッサンは自分だけ生き延びたずるいヤツだ」「どうしてまた今、エラそうな顔をしていられるのか」としゃべった。
すると、思いがけないことが起こった。黙って聞いていた祖父の目に涙が溜まっているのだ。そして、圧し殺すような声で「今の日本人が生きておられるのは天皇陛下のお蔭だ」「天皇陛下がいなければ、敗戦のとき日本人は皆殺しだった」と言った。私には、印象的な衝撃的な体験だった。それ以上言い募ることはせず黙った。
母はその顛末を知っていたはずだが、何も言わなかった。その後1年を経ずして、祖父の訃報が母に届いた。私は、あのときの居心地の悪さを抱えたまま今日に至っている。
(2021年12月31日)
2021年が暮れていく。その歳の境目で考える。いったい、世界は進歩しているのだろうか。実は、恐ろしく退歩してしまったのではないだろうか。ロシアはウクライナの国境に10万の軍を集結して一触即発と伝えられている。クーデターを起こしたミャンマー国軍の蛮行は止まるところを知らない。そして香港である。本日も、香港行政当局が民主的新聞社を襲撃し、幹部7人を逮捕したというニュースが流れている。逮捕状は、山梨大学の教員にも出されているという。
【香港・時事】によれば、香港警察の国家安全維持部門は29日、200人以上を動員して「立場新聞」のオフィスを捜索し、当局は関連資産6100万香港ドル(約9億円)を凍結した。同紙は同日、廃刊を発表した。
これ以上はない典型的な、権力による言論弾圧というほかはない。容疑は「扇動的な出版物発行の共謀」と報じられている。警察は、逮捕理由を「2020年7月から今年11月、香港政府や司法への憎しみを引き起こす文章を発表した」と説明したという。
同紙が、政府の転覆を企てたというわけではなく、虚偽の報道をしたというわけでもない。「香港政府や司法への批判」は、中国共産党にとっては「憎しみを引き起こす文章の発表」として許容し得ないのだ。これが「中国的民主」である。さすが習近平、焚書坑儒の故事に倣ったのだ。我が身を秦の始皇帝になぞらえてのこと。
あらためて思う。「人はパンのみにて生くるものに非ず」という箴言を。
中国共産党は「小康社会を実現したその成果を見よ」「人民は自由も民主も望んでいない。その望むところはパンであり、経済的な利益への均霑である。中国共産党は十分にこれに応えた」と胸を張っているのだ。
しかし、これは14億の民を家畜かペットと勘違いしているのではないか。人にはそれぞれの尊厳があり、精神生活が不可欠である。人が人である以上、自分で選択した情報を得ることも、その情報に基づいて意見を述べることも、そして支配されているだけでなく能動的に政治参加することも基本的な欲求なのだ。おそらくは習政権、かならずこのことを思い知ることになるだろう。それがいつであるか、具体的に指摘できないことが歯がゆい。
国内はどうだろうか。安倍壊憲政治の後遺症は余りに大きい。モリ・カケ・サクラ・クロカワイ、そして学術会議である。何一つ本当何が起こったのか明らかになっていない。尻尾は切って、トカゲのアタマは何の責任もとろうとしない。このようなときに、「野党は批判ばかり」という安倍応援団のバッシング。国民は民主主義社会の主権者としての未成熟を露呈した。新しい年も、おそらくは変わり映えしない状況が続くことになるのだろう。元気の出ない、さして目出度くもない正月になりそうだ。
このブログは、今年も毎日欠かさず365日書き続けた。出来のよいのばかりではないが、とにもかくにも2013年4月1日以来の連続更新は本日で3197回となった。明日から、足かけ10年目に入ることになる。引き続きのご愛読をどうぞよろしく。
そしてみなさま、よいお歳をお迎えください。加えて、人権にも民主主義にも、平和にも、よい歳でありますように。
(2021年12月27日)
幕藩体制に抵抗した農民を「立百姓」と言い、抵抗運動からの脱落者や裏切り者を「寝百姓」と言った。幕藩体制下の一揆は、文字どおり命を賭けた「立百姓」の団結と果敢な行動によって権力からの譲歩を勝ち取ったが、大きな犠牲を伴うのが常であった。「寝百姓」は、自ら危険に曝されることはなく、闘わずして「立百姓」が命を賭けて獲得した成果には均霑した。しかも、恥ずかしげもなく「立百姓」の足を引っ張り後方を撹乱することで、身の安全をはかった事例も多々ある。これは、昔話の世界だけのことではない。今なお、最前線で闘う多くの人々の成果だけを享受して、後方からこれを撃つ人々がいる。…恥ずかしげもなく。
昨日(12月26日)の毎日新聞に、「連合初の会長 芳野友子さん」の記事が掲載されている。1面トップと3面の大型企画記事。「提灯記事の如くで実は辛口」というべきか、「辛口の如くで、所詮は提灯記事」なのか。読む人によって、見解は分かれよう。辛口と思われる部分の一部を抜粋してみる。
連合会長に就任すると、(全労連議長の)小畑さんからコチョウランを贈られた。「ジェンダー平等実現のために頑張りましょう」とのメッセージが添えられていた。
「二つの全国組織のトップに女性が就いたのだから、ジェンダー平等を前に進めるチャンス」との思いを込めていたと小畑さんは明かす。でも、返事はないという。「それぞれが前に進もうということですかね」
女性同士の共闘が動き出さないばかりか「女性トップが変えていく」との期待は、暗転した。
きっかけは、衆院選投開票から一夜明けた11月1日にあった記者会見での発言だった。立憲民主党が議席を減らした結果について問われた芳野さんは「連合は、共産党や市民連合とは相いれない」と述べた。野党共闘を仲介する「市民連合」まで標的にした、と受け止められた。野党共闘の女性候補を応援した女性たちの間では「ジェンダー平等に取り組む人が、同じ志の仲間を排除するとも取れる発言はいかがなものか」といった失望感が広がった。
選挙期間中に予兆はあった。「立憲民主党と共産党がのぼりを立てて街頭で演説会をするのは受け入れられない」「連合票は(野党共闘で)行き場をなくした」とも述べていた。…報道機関のインタビューでは「民主主義の我々と共産の考え方は真逆」などと述べている。政治スタンスに関連する発言からは「反共」というキーワードが浮かび上がっている。
女性同士の共闘が動き出さないばかりか「女性トップが変えていく」との期待は、暗転した。
きっかけは、衆院選投開票から一夜明けた11月1日にあった記者会見での発言だった。立憲民主党が議席を減らした結果について問われた芳野さんは「連合は、共産党や市民連合とは相いれない」と述べた。野党共闘を仲介する「市民連合」まで標的にした、と受け止められた。野党共闘の女性候補を応援した女性たちの間では「ジェンダー平等に取り組む人が、同じ志の仲間を排除するとも取れる発言はいかがなものか」といった失望感が広がった。
選挙期間中に予兆はあった。「立憲民主党と共産党がのぼりを立てて街頭で演説会をするのは受け入れられない」「連合票は(野党共闘で)行き場をなくした」とも述べていた。連合が公表した芳野さんの遊説は選挙期間中12選挙区。会長に就任したばかりという事情があったにせよ、連日何カ所も掛け持ちした歴代会長と比べると、少ない。
報道機関のインタビューでは「民主主義の我々と共産の考え方は真逆」などと述べている。政治スタンスに関連する発言からは「反共」というキーワードが浮かび上がっている。
共産党に対する拒否感について、芳野さんに尋ねたことがある。その答えとして、出身労組の影響があると明かした。
概要は次の通りだ。就職したJUKIには共産党の影響を受けた組合があった。これに反発した組合員が同盟系の労組を作った。自分の入社時には、同盟系が多数派になっていたが、組合役員になると共産党系の組合と闘った過去を学んだり、相手から議論を仕掛けられたらどう切り返すかというシミュレーションをしたりした――。
このような経験から、共産系の組合が社内で宣伝活動などをしていると「会社に混乱を持ち込むのか」と嫌な気持ちになったという。労組専従の道を歩むとの決断が人生の転機になったのと同時に「共産アレルギー」が生まれ、徐々に膨らんでいったのかもしれない。
変化が見えないこともあってか、連合内には会長選びを巡って「誰も拾わない(会長という)火中の栗を女性に拾わせた」「女性を持ってくることで批判に蓋(ふた)をした」といった言辞がくすぶっている。
最終3行は、私(澤藤)の文章ではない。取材の東海林智記者の記事である。念のために。
(2021年12月22日)
昨日、臨時国会が終わった。なんとも、見せ場のない盛り上がり欠けた国会であった。野党から国会開けという要求は徹底して無視し、与党の都合だけで国会を開いて、補正予算が成立したらもう用はないという身勝手な姿勢。積み残したものを山積のまま、早々の幕引きが得策というわけだ。
国会で議論すべき緊急のテーマは無数にある。とりわけコロナである。コロナの蔓延を防止し、医療体制を充実させながら、国民生活の安全と生業の継続のためには、与野党の知恵を寄せ集めなければならない。抜本的なパンデミック対策も、保健所削減政策の根源にメスを入れ全面的な再編拡充も、そのための原資を調達するための税制の改革も課題であり、沖縄での米軍基地内クラスターにどう対処すべきかについても国民的議論が必要であろうに…。
但しこの国会、注目すべきは究極の不要不急というべき改憲論議についてだけは過剰に踏み込んだことである。多少なりとも憲法審査会が審議に入り、ハト派と思われていた岸田首相のタカ派ぶりの言動が目立った。岸田の改憲への積極姿勢や敵基地攻撃能力論への言及には少し驚ろかされた。これは手品か妖かしか、化かされた思いが強い。いや、これまでが化かされていたのだろうか。
まごうことなきタカであり、その爪を隠そうとしなかった安倍晋三の言動は分かり易かった。右翼もリベラルも、「安倍のいるうちが千載一遇の改憲のチャンス。安倍がその地位を失えば改憲の望みはなくなる」と、この点では見解一致であった。その安倍と安倍後継の失脚で、「改憲のチャンスは潰えた」はずだったのだが、どうやらこれまでは爪を隠していた新種のタカが現れた様子である。
岸田が、これまではハトを装ったタカだったのか、今はタカを装わざるを得ないハトなのか、実はよく分からない。が、その本性如何に関わらず、いまの岸田の言動を批判すべきことが重要なのだ。
その臨時国会閉幕の日に、自民党は党本部で、名称を新たにした「憲法改正実現本部」(本部長・古屋圭司)始動の総会を開いた。この席に岸田が出席している。岸田だけでなく、安倍も麻生も茂木も高市も、有象も無象も出席したという。
そこで岸田がなんと語ったか。「国会での議論と国民の理解を車の両輪と考えてしっかりと押し上げてもらいたい」「『憲法改正推進本部』から『憲法改正実現本部』への改組の狙いは、わが党の覚悟を示したもの」「憲法9条への自衛隊明記など党の4項目のたたき台(条文イメージ)は、いずれも国民にとって早急に実現しなければならない内容だ。総力を結集して結果を出したい」
会合では今後の活動方針について協議し、実現本部の中に「憲法改正・国民運動委員会」を設置し、全国遊説や対話集会などの活動を精力的に進めていくことを確認したという。もっと急がねばならないことがたくさんあるだろうに、不要不急の改憲のための全国遊説や対話集会とは恐れ入った次第。
なお、今国会では、維新がはしゃいで臆面もなく右翼的本質を露呈した。また、国民民主が与党に擦り寄ったことも印象に残った。その結果、改憲をめぐる政党レベルでの改憲派対改憲阻止派の対抗関係は、下記のとおりとなった。
《自・公・維・国》対《立・共・社・令》
改憲派に連合が与し、護憲派に市民連合が味方している。こうして、それぞれの陣営が、主権者である国民の支持を集めようと運動することになる。はっきり言えば、改憲派は国民を騙しにかかるのだ。騙されてはならないし、騙しを看過してもならないと思う。
(2021年12月21日)
《非核市民宣言運動・ヨコスカ/ヨコスカ平和船団》からの「たより 326」が届いた。発行日付が2021.12.17となっている。
総24ページの「たより」を開いて驚いた。メインの記事が11月23日開催の「横須賀基地問題シンポジウム」、その講師が頼和太郎さん(リムピース編集長)だったからである。
頼さんは、12月10日に亡くなられている。その死を報じる朝日の記事を引用させていただく。
頼和太郎さん(らい・わたろう=基地監視団体「リムピース」編集長)10日死去、73歳。米軍の艦船や航空機の動向を調べて発信するリムピースで、中心的な役割を果たしていた。横須賀海上保安部によると、神奈川県三浦市の三崎港で9日午前10時ごろ、頼さんのシーカヤックが転覆。別のカヤックに乗っていた妻(59)が海に飛び込んで抱え、近くの作業船に救助されたが、搬送先で死去した。
「たより」には、元気な頼さんの写真と講演録(要約記事)が掲載されている。そのリードを紹介したい。「たより」の雰囲気をよく醸し出している一文。
11月23日住民投票の会、基地問題シンポジウム。こういう集まりに出るのも2年ぶり。みんな元気そうで何より(ま、元気な人しか来ないもんね)。空白の期間を感じないほど、テキパキと準備して雑談して、すぐに解けこめる空間になるよね、この会は。
今日は司会なんだけどさ、他所もそう?、打ち合わせなんてほとんどない。大まかに時間決めて誰が話すか確認して、1分で打ち合わせが終わる。講演者の時間だけはっきりすれば、後はなんとかなる。そこが力量なんだろうけど。
講演がなんたって頼さんだからね(リムピース編集長頼和太郎さん)。攻めますよ、きっと。イヤな予感もちょっとする。
始まってすぐに、緊急事態発生。まさかの椅子が足りない。50人くらいかと思ってたのに。追加の椅子を出してもまだ足りない。そしてついに70部用意した資料もなくなってしまった。慌てて追加の印刷に行く。
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頼さんの話はね、詳細なのよ、詳細すぎるのよ。「(難しすぎて)ちょっと何言ってるかわからないんですけど‥・」って思うんだけど、あの記憶力はすごいね。艦船や飛行機の名前、世界中の軍事問題をいつどこで何があったとすらすら出る基地問題第一人者だね。私が認定してあげるわ。(中略)
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帰るときにね、頼さんからカンパを頂きました。講演お礼の封筒がそのまま戻ってきました。こういうとこも頼さんらしい、ありがとう。
その頼さんが、講演から3週間を経ずして亡くなられた。合掌するのみ。
もうすこし紹介したい。この「たより」発行団体が最近刊行した「横須賀鎮守府3人の反戦水兵」というパンフの宣伝。こんな上手な宣伝文句は滅多にお目にかかれない。私も、申し込むことにする。
「横須賀鎮守府3人の反戦水兵」のパンフ、読みました?お薦めですよ、難しくないです。「人生、悪いことばかりじやない」って感じです。
反基地運動(平和活動も)やっている人って、気難しくてひねくれ者で、いつも不機嫌なイメージありますよね。実際多いでしょ。たぶん読者全員が「自分以外はちょっと変わってる人達」と思っているでしょう。体制に反対するなんて、清い心だけでやれないし。
1932年、治安維持法で刑務所に服役した、日本海軍の若き水平遠の活動が書かれているんだけど、こういう本はどうしても資料物が多いし、軍事戦略のことは難しくなりがち。でもこのパンフは時代背景の解説、当事者の日記、家族や身近な人達のインタビューと構成が多方面なので、読み物として人の生き様を感じられる「人物記」です。
たとえ戦時の兵士で、辛いこと悔しいこと悲しいことが多い暮らしの中にも、人は楽しさを見つけ、友情愛情を育み、未来への希望を持っている。元気になれる、久しぶりに良い本を読んだな?と思います。
ちなみに、私のお気に入りは「兵士の友」第1号に書かれた、「ぢや兄弟!俺は紙上で兄弟に握手をする!」ってとこ。な?んか小憎いのよね。
横須賀で運動している人はもちろん、全国の「ちょっと変わってる人達」にも読んで欲しい一冊です。
ちょっとだけ清い心が取り戻せますよ。
●横須賀鎮守府、3人の反戦水兵の「生き様」が問いかけるものは…。
A4・100ページ・200円
注文先は、下記(だと思う)。
非核市民宣言運動・ヨコスカ/ヨコスカ平和船団
横須賀市本町3-14山本ビル2F
tel/fax046-825-0157
市民宣言HPhttp://itsuharu-world.la.coocan.jp/
平和船団HPhttp://heiwasendan.la.coocan.jp/
郵便振込●00290-3-6512 非核市民宣言運動
(2021年12月20日)
かつて、安倍晋三という男が「積極的平和主義」を語った。彼が「積極的」という修飾語をつけると、「平和主義」は本来の意味の反対語に転化した。同様に、「民主主義」に「中国的」という3文字を冠すると民主主義は消え去る。民主主義社会の常識では、専制や独裁というべきものに転化するのだ。
その「中国的民主主義」に飲み込まれた香港立法会の「選挙」は、本来の意味の選挙ではあり得ない。中国はまたまた、香港を舞台にその醜悪な本性をさらけ出した。
選挙とは、民意を集約して権力を形成する営為を言う。正確な民意の反映という名分なくして選挙というに値せず、その名分を欠いた「選挙」によって形成された議会や権力に正統性はない。
誰がどう見ても香港立法会議員「選挙」は茶番に過ぎない。民意を反映する手続ではなく、民意を抑え込み、民意を弾圧する手続としての「形だけの選挙」「選挙まがい」の「似非選挙」である。いや、形だけはあるとも、選挙に似ているというも愚かである。こうして形作られた議会には何の権威もない。
むしろ、不思議でならない。中国共産党はどうして形だけの民主主義にこだわるのだろうか。《中国共産党の専制》《習近平の独裁》と、はっきり言うがよいではないか。専制・独裁こそ、多数人民の利益に適うのだ。しかも極めて効率よく。もちろん専制も独裁も、利益に均霑する多数者からの支持を失えば危うくなる。だから、少数者を多数者のために犠牲にするのはやむを得ない。人権やら民主主義やらを後生大事とし、党の支配に背き、愛国を軽蔑する輩を多数者の利益のために徹底して弾圧するのだ。そのどこが悪いのだ。
中国は大国として発展しつつある、経済は発展している。生活は格段によくなっているだろう。それ以上に、いったい何を望むことがあろうか。
人権や民主主義や反権力や少数者の権利などを価値として信奉する者は利口じゃない。それを口に出す者はバカだ。権力に反抗すればぶち込まれることを知りながら、敢えて行動する者はとうてい正気ではない。専制と独裁に身を委ねてみたまえ。こんな安楽なことはない。家族とも、親戚とも、近所とも、職場とも、社会とも、穏やかに付き合い、平穏な人生を送ることができるのだ。
中国がそう言っても、香港には民主主義を奉ずる多くの人がいる。この人たちを徹底して押さえ込んでの選挙だった。民主派の立候補者は事前審査で立候補の資格なしとされる露骨な選挙介入が実行された。名目は「愛国者」ではないということ。「愛国者」とは、中国共産党への忠誠を誓う者という意味である。
立法会の議席は70から90に増加したが、直接選挙による議席枠はわずか20人、15減である。この20の全議席を当然の如く親中派が占めた。選挙委員会による選出枠40議席、業界団体などによる職能枠30議席を含む全90議席が親中国派で占められ、民主派は一掃された。
注目された投票率は、30.2%だった。警察当局は白票や棄権を呼びかける行為を禁じた選挙条例に基づく取り締まりを強化し、市民を相次いで逮捕。19日も妨害行為の防止を名目に、銃を手にした特殊部隊員や警官らが1万人態勢で警戒に当たった。
投票ボイコットを呼び掛けて香港当局から指名手配されている区議会(地方議会)元議員(丘文俊氏(39))が、脱出先の英国で西日本新聞のオンライン取材に応じたという西日本新聞の下記の記事が衝撃的である。(北京・坂本信博)
香港返還の1997年、14歳の時に家族と広東省から香港に移住した丘氏は、民主派区議として10年間活動してきた。19年の区議選では民主派が圧勝し議席の8割超を獲得。危機感を募らせた習指導部は、香港の反政府活動を取り締まる国家安全維持法(国安法)を成立させ、今年5月に選挙制度も変えさせた。
現職議員への圧力が強まり、「政府にとって気に入らない発言をすると警告を受け、議員報酬の支給が数カ月遅れるようになった。尾行もされた。それでも、愛する香港を離れるつもりはなかった」と丘氏。
6月、民主派議員同士で新たな組織づくりを始めると、警察が連日のように早朝4時に民主派の人々の自宅玄関ドアを壊して身柄を拘束するようになった。「逮捕されても3?5年の懲役刑で、40代半ばで出所できるから大丈夫と思っていた。でも、国家転覆罪などで10年以上投獄される恐れがあると分かってきた。恐怖を感じて毎朝4時に目が覚めた。頭がおかしくなりそうだった」と振り返る。
7月、政府が現職区議に義務付けた香港への忠誠の宣誓式が開かれることになった。愛国者だと宣誓して議員を続けても政府の意向次第で資格が剥奪され、議員報酬の全額返還を求められる。辞職して香港を離れることを決め、渡英した。
民主主義の試練は続く。せめて、私たちの国をこんな状態にしてはならない。
(2021年12月19日)
昨日に続いて、「AERA dot.」が紹介する週刊朝日の記事。「皇室の今後はどうなる? 原武史、石川健治、河西秀哉、八木秀次の各氏が語るあるべき姿とは」に関連してもう一言。
https://dot.asahi.com/wa/2021120900077.html?page=1
この記事で八木秀次は、秋篠宮家長女の皇族からの離脱に関して、天皇制存続への影響をこう語っている(抜粋)。
「個人の自由意志を貫いて結婚した小室眞子さんをめぐる騒動は、天皇制の維持など、皇室のあり方に非常に大きな影響を与えたと思います。これが前例になることにより、他の内親王、女王の結婚にあたっても同じ形態がとれるようになりました。
一番懸念されるのは、悠仁親王の即位拒否に道を開いたことです。姉が自由意志を貫いたことが前例となり、即位拒否を主張されてもだめだとは言えなくなった。皇室典範上、皇太子になると皇籍離脱はできませんが、なったとしても特例法という「逃げ道」があるのです。
こうした道を開いたのは、上皇陛下の生前退位にあったと考えています。皇室典範には退位の規定はなく、むしろ解釈として禁止されていると考えられてきました。それを、当時の天皇陛下の思いを優先するという形にしました。結果として、皇族が自分の思いを貫くことを可能にしてしまった。その論理が提供され、眞子さんが自由意志を貫く結婚につながってしまったと考えるべきです。
制度として捉えると、退位を認めた瞬間に皇位安定性は一気に揺らぎ、不安定になります。当時、私は「退位を認めることが、即位拒否や、即位後まもなくの退位を認めることになる。これが何度か続けば、皇室は継承できる天皇が誰もいなくなってしまう」と指摘しました。」
なるほど、これが右翼の心情であり信条なのだ。皇統という血への信仰者(あるいはその集団)が予言する天皇制廃絶に至るドミノ理論である。少し補って解説すれば、最初のドミノが前天皇(明仁)の「8・8メッセージ」に始まる生前退位の実現であり、最後のドミノが天皇制の消滅、ないしは「天皇制の自然死」である。その因果を順序に並べると以下のとおりとなろうか。
(1) 前天皇(明仁)が自らの意志を貫いて生前退位
(2) ⇒個人の自由意志を貫いて皇嗣長女結婚・皇籍離脱
(3) ⇒他の皇族の追随(個人の自由意志による皇籍離脱)
(4) ⇒皇嗣長男(悠仁)の即位拒否
(5) ⇒天皇の自由意志による退位
(6) ⇒天皇位に就く者がなくなる
(7) ⇒象徴天皇という制度が消滅する
このドミノ理論におけるキーワードは、「皇族の自由意志」である。天皇もその余の皇族も、男性であれ女性であれ、自由意志を貫くことができるなら皇族の身分から離脱したいと願っているというのだ。だから、天皇制を維持するためには、天皇や皇族の自由意志を認めてはならない。籠の鳥に自由を与えてはならない。うっかりこの自由を認めれば、パンドラの箱が開いて、みんな箱から飛び出して逃げてしまうことになる、というわけだ。
この天皇制消滅に至るドミノ理論。八木は深刻な懸念として語っているが、私には素晴らしい希望に見える。皇族諸君も、不自由な籠から脱して、掛け替えのない自由やプライバシーを手に入れることができるのだ。天皇制維持にかかる数百億の国費の軽減にもなる。国民の主権者意識も成長するに決まっている。みんなハッピーではないか。
パンドラの箱を開ければ、皇族も天皇も飛び立って誰もいなくなる。制度としての象徴天皇制もなくなる。しかし、神話のとおり、豊かで明るい希望は箱の中に残るのだ。天皇あっての日本という馬鹿げた神話を清算して、自立した国民が形作る確かな希望である。