(2021年5月23日)
本日の赤旗の紙面、ボルテージが高い。1?3面の大部分が、「東京五輪を中止せよ」の記事で埋めつくされている。
1面の大見出しが、「感染拡大しても医療崩壊しても五輪やるのか/IOC副会長に抗議/小池書記局長『政府は中止決断を』」。2面と3面にまたがる見出しが、「これで強行するのか東京五輪」「菅政権 根拠なき楽観、共産党 中止決断迫る」「医療現場も自治体も矛盾噴出」「国民の命・健康より開催優先」
2面の「主張」(他紙の社説に相当)は都議選の檄だが、「五輪固執の勢力に審判を」と小見出しが付いている。都議選も、「東京五輪中止」を軸に訴えようということなのだ。
その小見出しの付いた記事に、次の一節がある。
「共産党都議団は1月26日、五輪中止を小池知事に申し入れ、その後も繰り返し要請しています。2?3月の都議会定例会では代表質問で、五輪に1万人以上の医療スタッフが必要になることを示し、中止を迫りました。」
共産党都議団は小池都政を批判する立場の最大野党と言ってよい。その党が、今年1月以来、「五輪中止」の方針を明確化して看板に掲げた。この時期のこの選択は賢明であった。この方針がメディアの論調や世論調査の結果をリードした形となった。他党はどうだ。「主張」は続ける。
「自民党は「大会開催と成功に向けて邁進していくことを強く要請します」(定例会閉会にあたっての談話)、都民ファーストは「大会の成功に向けた取り組みを加速させるべきです」(代表質問)と、無謀な開催に突き進む小池都政に付き従います。公明党も「安全で安心な大会にしていくための対策を都民、国民に示し、理解を求めていく必要がある」(同)と開催推進の立場です。
世論調査では「中止」の回答が多数を占めます。五輪中止をただちに決断し、あらゆる力をコロナ対策に集中せよ―この声を共産党の都議選勝利ではっきり示そうではありませんか。」
赤旗「主張」が、東京五輪批判というだけではなく明確な「中止」を掲げたのは、今年の1月29日が初めてであったろう。「今夏の東京五輪 開催やめコロナ収束に集中を」という表題だった。下記の書き出しである。
「1年延期され、今年7月23日に開幕予定の東京五輪・パラリンピックまで半年を切りました。新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し、感染力がより強いとされる変異株も発生し、五輪開催に対する不安や危惧、反対の声が高まっています。国内では医療体制が逼迫(ひっぱく)し、今月7日に緊急事態宣言が再び出されるなど、五輪の延期を決めた時以上に事態は深刻です。今夏の五輪は中止を決断し、あらゆる力をコロナ収束のために集中することが必要です。」
その後、コロナ蔓延への不安の拡大とともに、世論は明確に東京五輪中止を求めるものとなった。そして、注目すべきは、世論がコロナの蔓延は政権の責任だと自覚していることである。
朝日新聞5月17日発表の世論調査結果は、五輪「中止」43%、「再延期」40%、併せて83%が今夏の東京五輪中止を求めている。そして、本日発表の毎日新聞の世論調査では、「菅政権のコロナ対策を評価しない」が69%である。その結果として、菅政権の支持率は31%に急落、不支持率は59%にもなっている。
この傾向は財界にも及んでいる。楽天グループの三木谷浩史が、14日米CNNテレビのインタビューで、五輪開催について「まるで自殺行為だ」と批判。ソフトバンクグループの孫正義も、自身のツイッターで、「今、国民の8割以上が延期か中止を希望しているオリンピック。誰が何の権利で強行するのだろうか」と疑問を呈した。
各紙の社説も、実質的に中止を求めるものとなっている。たとえば、4月23日の朝日社説。「五輪とコロナ これで開催できるのか」という表題。
「こんな状態で五輪・パラリンピックを開催できるのか。強行したら国内外にさらなる災禍をもたらすことになるのではないか。それが多くの人が抱く率直な思いだろう。
ところが、政府、都、組織委員会、そして国際オリンピック委員会(IOC)は「開催ありき」の姿勢を崩さず、市民の当然の懸念や疑問に真摯(しんし)に向き合おうとしない。」
「朝日新聞の社説は繰り返し、その説明と、国民が判断するために必要な情報の開示、現実を踏まえたオープンな議論を求めてきた。しかし聞こえてくるのは「安全で安心できる大会を実現する」「宣言の影響はない」といった根拠不明の強気の発言ばかりだ。菅首相以下、リーダーに期待される使命を果たしているとは到底いえない。」
本日の信濃毎日の社説が、端的に「東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ」と表題して話題になっている。「崩壊する医療体制」「開く意義はどこに」「分断生じる恐れも」と小見出しが付されている。やや長文の論説だが、一部を引用する。よく練られた立派な社説だと思う。
「不安と緊張が覆う祭典を、ことほぐ気にはなれない。
7月23日の五輪開幕までに、感染状況が落ち着いたとしても、持てる資源は次の波への備えに充てなければならない。
東京五輪・パラリンピックの両大会は中止すべきだ。」
「菅義偉政権は地域医療への影響を否定するけれど、医療従事者を集められるなら、不足する地域に派遣すべきではないのか。検査も満足に受けられない国民が『五輪選手は特権階級なのか』と、憤るのも無理はない。
「東京大会組織委員会などは既に海外からの観客の受け入れを断念した。選手との交流事業や事前合宿を諦めた自治体も多い。各国から集う人々が互いに理解を深め、平和推進に貢献する五輪の意義はしぼみつつある。」
「感染対策の確認を兼ねた各競技のテスト大会は、無観客だったり海外選手が出場しなかったりと、本番を想定したとは言い難い。五輪予選への選手団派遣を見送った国もある。『公平な大会にならない』と訴える選手がいる。」
「コンパクト五輪、復興五輪、完全な形での開催、人類が新型コロナに打ち勝った証し…。安倍晋三前首相と菅首相らが強調してきたフレーズは、いずれもかけ声倒れに終わっている。「国民みんなの五輪」をうたいながら、当初の倍以上に膨らんだ1兆6440億円の開催費用の詳細を伏せている。大会に伴うインフラ整備が、人口減少社会を迎える国の首都構想に、どう生きるのかもはっきりしない。」
「菅首相は大会を「世界の団結の象徴」とする、別の“理念”を持ち出した。何のための、誰のための大会かが見えない。反対の世論は収まらず、賛否は選手間でも割れている。開催に踏み切れば、分断を招きかねない。」
「国会で首相は「IOCは既に開催を決定している」と、人ごとのように述べていた。感染力の強いインド変異株がアジアで猛威をふるい始めている。コロナ対応を最優先し、出口戦略を描くこと。国民の命と暮らしを守る決断が、日本政府に求められる。」
十分な説得力がある。これに反して、東京オリパラ開催強行派には今や何の理念もなく説得力もない。ただただ、惰性で動いているだけなのだ。国民の命が危険に曝されている。
(2021年5月22日)
バッハ以下のIOC幹部は、どうやら意識的に悪役を演じている様子である。開催地日本の住民の神経を敢えて逆撫でしようとの底意が見える。
おそらくは、日本人の気質を舐めきっているのだ。日本人とは、羊のごとく温順で権威にも権力にも逆らうことを知らない種族と思い込んでいるのだろう。上から目線で強く押さえ込むことで、この羊たちを統御できるはず。東京オリパラは断乎やるという姿勢を見せさえすれば、おとなしく従うことになる。そう、誰かに知恵を付けられているに違いない。
しかし、一寸の虫にも五分の魂があり、窮鼠は猫を噛むのだ。羊にだって、自尊心も反抗心もある。調子に乗り過ぎたIOCはネズミや羊の反撃を覚悟しなければならない。
IOCのジョン・コーツ副会長(調整委員長という肩書の報道も)は昨日(5月21日)の記者会見で、「たとえ東京で新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が発令されていても、7月23日に始まる予定の東京オリンピックは実施すると発言した」と報じられている。
私はナショナリストではない。むしろ、ナショナリズムの危険性に警鐘を鳴らしてきた立場だ。その私も、この発言には腹ただしい思いだ。コーツよ、いったいおまえは自分を何様と思いあがっているのか。
「緊急事態宣言下でも東京オリパラは強行する」、そうコーツが言い切ったことの意味は小さくない。緊急事態宣言下における国民や医療従事者の不安な思いを冷笑するに等しい。一国の、法制度、医療政策を侮蔑し、蔑ろにすること甚だしい。我が国のコロナ対策の深刻さを一顧だにしないコーツの思いあがりも甚だしい。おそらくは、この一言で、IOCは国民世論の敵となった。オリパラの関係者も、アスリートも、さぞ肩身の狭い思いだろう。
東京オリパラ強行にコロナ蔓延拡大のリスクがつきまとうことは周知の事実だ。そのコロナ拡大の被害を被るのは、日本に居住している我々である。オリンピック開催の可否は、日本に居住している者の総意で決めねばならない。バッハやコーツの意向で強行を許してはならない。
コーツは、「緊急事態宣言下でも、5競技のテストイベントが実施され成功してきた」と述べ、「選手や日本の人たちの安全を守るために整えてある計画はどれも、最悪の事態を想定したものなので、(緊急事態宣言の中で五輪が開けるかという質問への)答えは、絶対にできるだ」と話したという。
そりゃムチャクチャだ。まったく説得力に欠ける。今、国内のコロナ蔓延拡大を必死で食い止めようとしている深刻な事態ではないか。まず水際で食い止め、国内での人の移動、人と人との接触を可能な限り制約しようと努力しているのだ。そこに、海外から7万8000人という人を迎え入れ、この人たちを国内で移動させ、濃厚な人と人との接触の機会を作りだそうというのだ。これが危険でないという立証責任は、オリパラを強行しようというIOCが負わねばならない。
「5競技のテストイベント」が本当にコロナ感染と結びつかなかったのか、住民サービスにこそ割くべき貴重な医療リソースが不当に奪われてはいなかったか。小規模なテストイベントで、大規模な大会の安全性を保証できるのか。最近の変異株のリスクは考慮されているのか。IOCは、資料を示して具体的に丁寧に説明しなければならない。
専門家らで構成する政府の基本的対処方針分科会の舘田一博東邦大教授は21日、報道陣に個人的な見解として「東京で緊急事態宣言が出されている状況で五輪ができるとは思わないし、やってはいけないというのがみんなのコンセンサス」と述べた(毎日)。当然のことではないか。
ところが問題は、ハゲタカIOCの言に首相までが従順な羊の一匹となり、「国民の命や健康を守り、安全安心の大会を実現する」と一つ覚えの繰り返しを続けていることである。願望を述べるだけでは無意味であり、何の説得力もないのだ。
大会組織委員長の橋本聖子も基本は同じである。橋本は、海外から来日する大会関係者の数を延期前の合計18万人から、オリンピック5万9000人、パラリンピック1万9000人に削減したと明らかにした。削減したとは言え、国境を越えて7万8000人が押し寄せてくるのだ。
その医療を支える体制について、1日当たりの医師は最大230人、看護師は最大310人と想定しているという。また、各国の選手団などに実施する検査について橋本氏は「1日最大5万?6万件程度を想定している」という。
東京オリパラ関係者にそれだけの医療リソースを割かねばならないということは、国民が享受すべき医療がその分だけ奪われているということではないか。
IOCだけではない。政府と組織委員会にも批判が必要なのだ。
(2021年5月21日)
Change.orgが、「DHC商品のコンビニからの撤去、および同社との取引中止を求めます」というネット署名キャンペーンを始めている。下記のURLでアクセスして、ご協力をお願いしたい。また、このURLの拡散をお願いしたい。
https://t.co/1XBu4Rb95q?amp=1
キャンペーンの趣旨は、以下のとおりである。
人権侵害として言論の自由の許容範囲を超える、このDHC社と吉田会長による行為に対して、あらゆる行政や企業等は、責任をもって対処する必要があります。
つきまして、本署名において、コンビニエンスストア各社に対して、DHCの商品の取り扱いの中止と、DHCとのあらゆる取引を中止するよう求めます。
本署名は、大手コンビニエンスストア各社に対し、直接提出したうえで、各社の反応についてレポートし、各社がどのような対応をするかを広く周知したいと考えております。
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さて、以下が、批判の対象となる3件のDHC吉田嘉明のヘイトコメントである。今どき、このような稚拙なまでにあからさままなヘイトの文章は珍しい。その意味では、貴重なコメントといってよい。
https://top.dhc.co.jp/contents/other/kuji_about/
上記3件のコメントの内、最後のものが5月13日掲載と思われる。前2件に比較してやや長い。益するところのない長文は読むのにつらい。以下に、注目すべきところだけを引用する。
まずもって最も注目すべきは、DHCに対する社会的制裁が案外効いているということである。吉田は、DHCの宣伝に新聞折り込みを利用しようとして断られたと言っている。テレビコマーシャルもである。これが真実だとすれば、ヘイトを糾弾する側は、その言論による批判の効果に自信を持ってよい。
「先日、DHCの主要商品を宣伝するのに久しぶりに折り込み広告を利用しようということになって、ついでに皆さんが知りたがっている私自身の来歴も一部紹介した方がよかろうということになって、そしてそのついでにこの時期どうしても触れておいた方が日本のためになる唾棄すべきコリアン系有名人数名を実名で掲載していたところ折込会社の猛烈な拒否にあい、結果として折り込みは頓挫してしまいました。」
「私自身が直接相手の会社の社長を呼び出して糾弾したのですが、…あまりにも知的レベルが低すぎて話がかみ合いません。後でこの会社を調べたら★毎日新聞社グループ★毎日折込株式会社という社員25人の零細企業でした。」「毎日新聞グループの一員と知って納得しました。」
「毎日折込株式会社のやったことはこれで終わりではありません。毎日新聞系ですから、これくらいはやるだろうとは最初から想定はしていましたが、なんと読売や産経系列の折込会社にまで手をまわして、掲載をストップさせたのです。」「『読売、産経、お前もか』と裏切られた気持ちです。」
「産経新聞、読売新聞そのものは、日本全国腐った新聞オンパレードの中にあって孤軍奮闘している真っ当な新聞です。こんな新聞社であっても子会社はすでに朝鮮化しているところが恐ろしいところです。」
「読売新聞といえば、その実質子会社のテレビ局は日本テレビです。DHCが過日、子会社の株式会社伝々虫を通してスポット広告を申し込んでいたところ、日本テレビは民族差別会社の広告は受けられないと言ってきました。」「私がブログに書いた文章が朝鮮民族に対しての差別的表現になるというのである。日本テレビは会長の大久保好男が日本放送連盟の会長になってから急に左傾化、朝鮮化したといわれている。」
以下は、さして注目すべき点ではないが、吉田嘉明のいつもながらの繰り返しのヘイトコメント。あちこちに八つ当たりの体である。
「『NHKは日本の敵です。つぶしましょう』という私のブログは日本全国に大反響を呼んでおり、その半分は『誰も言えないことをよく言ってくれた。応援しているので体を大切に頑張ってください』という涙が出るほどのうれしいものでした。」
「私が危惧しているのはこういうことです。NHKや朝日新聞や国会議員や弁護士や裁判官や官僚や、はたまた経団連の所属会員等日本の中枢を担っている人たちの大半が今やコリアン系で占められているのは、日本国にとって非常に危険なことではなかろうか、私企業にしてもTBSやサントリーがコリアン系ばかりというのは会社が大きいだけに気持ち悪くありませんかということです。」
「日本の主要ポストにコリアン系ばかりが占めている現状はやはり我々大和民族として忸怩たる思いがするのは自然の感情ではないでしょうか。多すぎるというのは困るということ、そして何よりも日本の悪口を言ったり、日本を貶めるような行動をとったりすることは許せないということです。」
「立憲民主党、日弁連の弁護士、NHK、朝日新聞、東京新聞、週刊文春、週刊金曜日等は特に悪質であり、彼らは日本の敵です。自分たちが朝鮮系の日本人なので、大和民族が大嫌いです。みなさん、今後大変な目に必ず遭遇しますので、注意して観察していてください。」
「わたしのような半ば専門家から見るとコリアン系の好む何百の名前が頭にインプットされており、名前を見ただけで一目瞭然なのです。外見は、小さい目、チョンと粘土を顔にくっつけたような低い鼻、奥に引き締まった小さな口、高い頬骨、張ったえら、突き出た下あごでそれとわかりますが、整形が可能なところなので決定打は後頭部の絶壁です。それでもって私は判定しているのです。」
そして、吉田嘉明の独善性がよく表れた一文。
「私はグローバリズム、多様性という言葉を最も嫌っています。アメリカのトランプ氏と同じ考えです。この美しい歴史のある日本に、グローバリズム、多様性、同性結婚、ジェンダーフリー、夫婦別姓など全く似合いません。何かというと多様性・多様性と口にする政治家の野田聖子、私の最も嫌いな政治家です。日本人(大和民族)は少々見栄えは悪いですが、こんなに性格の美しい民族は先進国の中では断然世界一です。」
引用した吉田の文章を批判する予定であったが、引用するだけで十分なようだ。吉田嘉明という人物の根っからの差別根性が誰の目にも明らかではないか。
(2021年5月20日)
人の性はけっして悪ではないが、善ともいいがたい。医師の善なるものは仁術に徹し、善ならざる者は算術に徹する。多くの医師は、仁を理想としつつも余儀なくされた算との妥協に揺れている。が、中には少数ながら、算術に徹して恥じない医師もいる。
仁に徹した医師の典型が中村哲であり、その対極にあって臆面もなく算術としての医に徹した典型が高須克弥であろう。中村の生き方は多くの人の範として尊敬され、高須の身過ぎの在り方は尊敬とは対極にあって、心ある人々からは眉をひそめられる存在となっている。
医師としての尊敬とは無縁な高須が「愛知100万人リコールの会」の会長になって、田中孝博、河村たかしらとともに、愛知県知事大村秀章のリコール署名運動を主導した。今、その運動自体が持つ大きな問題性は措いて、高須の社会的な責任についてだけ問題としたい。
周知のとおり、このリコール運動は惨めな失敗に終わった。のみならず、運動内部から前代未聞の大量の署名偽造という犯罪を発生させて逮捕者まで出すに至った。この犯罪によって傷付けられた法益は「民主主義」であり、「地方自治」である。この運動に関わった人々の罪は深い。そして、その責任との向き合い方において、各自の人間性があぶり出されてもいる。その性の善ならざるところを見せつけられる思いである。
この署名偽造問題がメディアに報道されて以来、高須は、「報道が事実であれば最終的な責任は会長である僕にあります」「僕は逃げも隠れもしません」「僕が責任をとります」と繰り返しコメントしてきた。高須のいう責任とはいったい何に対するどのようなものなのか。そして、具体的にどのように責任をとろうというのか。そもそも、責任をとることが可能なのか、それを問い質したい。
学生時代にこんな経験をしたことがある。何の案件であったか、自治会と学部ととの間での交渉が不調に終わったとき、自治会の委員長がこう言い放った。「この件は、自治会の言い分を通させていただく。責任は、委員長の自分がとる」。
そのとき、早野雅三さんであったか西村秀夫さんであったか、学生部長がこうたしなめた。正確な言葉は再現できないが、「いったい、君はどのように責任をとろうというのか。この件について、学生である君に責任をとる能力はない」。
「とれもしない責任をとる」などと軽々に無責任なことを言うものではない、との言葉になるほどと頷いた記憶がある。高須の「僕が全責任をとります」という軽薄な態度もまったく同じこと。民主主義が毀損された犯罪に、いったい彼がどのように償えるのか。どのように「責任をとる」つもりなのか。
安倍晋三が典型であったが、「責任」という言葉が木の葉のごとく軽いのだ。口先だけ形式だけのことで、具体的にどう責任をとるのか考えてもいない、責任の重みに耐える覚悟もない。
今、高須は事件への直接の関与を全面否定し、署名の偽造について自分は知らなかった、知らされていなかった、と言う。果たしてそうであろうか。
あの署名簿は一見して署名の偽造ないしその疑惑が明白な態様のものばかりである。高須が、ほんの少しでも署名簿の束に目を通せば、とうていマスコミにも見せられず、真正なものとして選管に提出できる代物ではないことは瞭然だったはず。果たして、リコールの会の会長である高須がまったく署名簿に目を通していなかったというのだろうか。
各選管への署名簿提出の直前まで、「正々堂々、署名簿の整理はメディアに公開する」と言っていた高須だった。20年11月2日には、「明日、11月3日、大村愛知県知事リコールの公開開票を行います。すでに各メディアに連絡済みです。正々堂々と勝利を目指します。トランプより早く勝利宣言できますよう🤲なう。午後1:43 ? 2020年11月2日」というツイートを確認することも出来る。しかし、その、「正々堂々」の実行はなかった。
替わって高須が強調するようになったのは、「リコールの会が仮提出した署名簿は、封印したまま僕の目の前で溶解液に入れて破棄する方針だ。万が一、リコールの会が集めた署名簿の情報が漏洩した場合、すべて責任は取ります」という言辞。「署名簿溶解」とは穏やかではない。公開するといっていた方針からの極端な変更である。
地方自治法上、必要数以上の署名が集まると、署名簿は「縦覧」に供される。つまり、一定の範囲の有権者に、一定期間公開される仕組みとなっている(法74条の2)。高須の姿勢は、これを極端に恐れたように映るのだ。署名簿を見られたくない事情を認識したと推認されてもやむを得まい。
さて高須は、事務局長ら4名の逮捕者を出した深刻な事態に、リコールの会会長として無為無策を続けるのだろうか。この運動の代表者として、具体的に自分のどこをどう反省し、具体的にどのような仕方で責任を取ろうとするのだろうか。あるいは、口先だけの「僕に全責任」の姿勢を続けるのだろうか。
本日の報道では、高須の秘書も署名の偽造に直接関わっていることが判明している。高須は、「秘書を叱っておきました」ですませるつもりだろうか。それが、全責任をとると言うことなのだろうか。お詫びの仕方で、その人の誠実さが量られる。こういうときにこそ、人間性が顕れる。
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DHCとの取引中止を求めるネット署名ご協力のお願い
Change.orgが、「DHC商品のコンビニからの撤去、および同社との取引中止を求めます」というネット署名キャンペーンを始めている。下記のURLでアクセスして、ご協力をお願いしたい。また、このURLの拡散をお願いしたい。
https://t.co/1XBu4Rb95q?amp=1
キャンペーンの趣旨は、以下のとおりである。
人権侵害として言論の自由の許容範囲を超える、このDHC社と吉田会長による行為に対して、あらゆる行政や企業等は、責任をもって対処する必要があります。
つきまして、本署名において、コンビニエンスストア各社に対して、DHCの商品の取り扱いの中止と、DHCとのあらゆる取引を中止するよう求めます。
本署名は、大手コンビニエンスストア各社に対し、直接提出したうえで、各社の反応についてレポートし、各社がどのような対応をするかを広く周知したいと考えております。
(2021年5月19日)
Change.orgが、「DHC商品のコンビニからの撤去、および同社との取引中止を求めます」というネット署名キャンペーンを始めている。下記のURLでアクセスして、ご協力をお願いしたい。また、このURLの拡散をお願いしたい。
https://t.co/1XBu4Rb95q?amp=1
キャンペーンの趣旨は、以下のとおりである。
人権侵害として言論の自由の許容範囲を超える、このDHC社と吉田会長による行為に対して、あらゆる行政や企業等は、責任をもって対処する必要があります。
つきまして、本署名において、コンビニエンスストア各社に対して、DHCの商品の取り扱いの中止と、DHCとのあらゆる取引を中止するよう求めます。
本署名は、大手コンビニエンスストア各社に対し、直接提出したうえで、各社の反応についてレポートし、各社がどのような対応をするかを広く周知したいと考えております。
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さて、DHC吉田嘉明のヘイトコメント批判その2である。このコメントは、NHKに対するいわれのない非難に尽きている。NHKが、DHCのヘイトコメントを批判の視点で報道したからだ。NHKは、定石どおりにDHCに事前の取材を申し入れている。そして、DHCの言い分も正確に伝えている。さすがに、付け入る隙を与えていない。この報道に先立つ取材について、吉田のヘイトコメントは、こう触れている。
NHK「おはよう日本」報道局ディレクター 大淵光彦と称する人物からDHCの広報部に電話が入り、当方の「ヤケクソくじ」の説明文に人種差別の問題が含まれていて、今に至ってもまだホームページに掲載が続いているがその理由を聞かせてくれとのことであった。名前を聞いて、明らかに在日系が好む日本名であることから、NHKを騙るコリアン系の反日日本人かと思ったが、NHKに問い合わせてみると確かに在籍しているとのこと。
この取材の上で、NHKは2021年4月9日、朝の情報・報道番組「おはよう日本」で、この問題を取り上げた。番組では、2月に東京都内で行われたDHCへの抗議行動を報道。DHC公式サイトに掲載されたコラムを紹介し、「在日コリアンを蔑む表現をしています」とナレーションで伝えた。
また、DHCの商品を愛用してきたという在日コリアン4世の女性が、「ただの失言という域を超えて私たちが直接攻撃されているような、そんな気持ちにもなってしまいました」とコメントする様子や、国会で問題が取り上げられたことも報道した。
また、番組は、DHCの会長から寄せられた以下のコメントも紹介した。
「小生のことをマスコミ(これもコリアン系ばかり)は人種差別主義者だと言うが、人種差別というのは本来マジョリティがマイノリティに対して行う行動を指すのであって、今や日本におけるコリアン系はマイノリティどころか日本の中枢をほとんど牛耳っている大マジョリティである」
「NHKに対してひと言感想をと言われれば、『NHKは日本の敵です。不要です。つぶしましょう』」(以上、ハフポストによる)
吉田嘉明によるNHK非難のこのヘイトコメントは、論理性に欠けウィットもユーモアもないつまらぬ文章である。もちろん何の説得力もない。それでも、吉田嘉明という人物の理解のために、ぜひ目を通していただきたい。小見出しを付けて多少読み易くしてみよう。
※吉田嘉明におけるNHKの現状に関する認識
「もう日本国民の誰もが気がついていることであると思うが、NHKは幹部・アナウンサー・社員のほとんどがコリアン系である。出演者についても、学者・芸能人・スポーツ選手の多くがコリアン系であり、ひどいことに偶然を装った街角のインタビューさえコリアン系を選んでいる。」
※どうして出演者をコリアン系だと判断できるのか
「特徴のある名前とつき出たあご、引きしまった小さな口元、何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく。」
※誰の責任でこんなことになってしまったのか
「自民党の一部のコリアン系の国会議員であるが、野党はコリアン系だらけだからNHKのやることには誰もストップをかけない。」「立憲民主党の党員のほぼ全員がコリアン系である」
※NHKの報道姿勢について
「コリアン系は長い歴史の中で中国を常に宗主国としてきたから、宗主国のやることには逆らえないというDNAができている。韓国の歴代の大統領を見るとよくわかる。」「NHKは朝鮮半島の悪口は絶対に言わない。これは同族だから当然のことだが、親分の中国にも何も言えない。」
※日本社会の「朝鮮化」の実状
「今や日本におけるコリアン系はマイノリティどころか日本の中枢をほとんど牛耳っている大マジョリティである。毎日ものすごい数で帰化人が誕生している。数だけの同族でマジョリティではなく、彼らは東大・京大・一橋・早稲田を出ていることから政界・財界・法曹界・マスコミ界という日本の中枢をすべて牛耳っている大マジョリティである」「経団連の会員は日本を代表する有名企業ばかりで、コリアン系などいないと思われるでしょうが、ここ数十年の間に続々とコリアン系が増殖して、幹部や一般会員だけでなく、会を支える事務局員までコリアン系で占められるようになった。そのため、彼らは日本のために働いているのではなく、何かあると必ず中国寄りの態度を示し、韓国には常に同情的である」
※結論
「NHKは日本の敵です。不要です。つぶしましょう。」株式会社ディーエイチシー代表取締役会長・CEO吉田嘉明
(2021年5月18日)
いかなる一地域の人権状況も、世界の関心事でなくてはならない。今、ウィグルで何が起こっているのか、とうてい無関心ではおられない。予てから漢民族のウィグル族に対する人権侵害の報道は少なくなかった。アメリカは、中国政府の行為をジェノサイドと呼んで非難するまでになっている。これを裏付ける国外に逃れた人々の恐るべき被害の証言も積み重ねられてはいる。
報じられているのは、強制労働や不妊手術の強制、子供に対する同化教育、そして、治安対策としてウイグル人らへの監視や取り締まり、「再教育施設」への強制収容、100万人以上が中国国内で強制収容されているとの見方もある。
まさかそれほどでもあるまいと思う気持ちが強かったが、理不尽な香港での事態の報道に接して以来、見方は変わった。外部の目の届かないチベットやウィグルで、中国政府当局の大規模な人権侵害はありえよう。これまで信じがたいとしてきたウィグル族弾圧報道が真実味を帯びてきている。
しかも最近の報道は、国際的に定評のある信頼すべきメディアのものだ。とりわけ、世界中に大きな衝撃を与えたものが、2月2日の英BBCの報道だった。新疆ウイグル自治区の「再教育」施設で組織的レイプや性的虐待、拷問が行われてきたとする証言を、被害者の顔と名前つきで放送した。
中国政府の反応は素早く、中国外務省の汪文斌副報道局長は2月3日の記者会見でBBCの報道は「事実無根」だとした上で、「そもそも『再教育施設』なるものは存在しない。過去の報道で取材を受けた人の中には、誤情報を拡散する「役者」だと判明した人もいる」とした。
真実を求めて多くのジャーナリストがウィグルでの取材を試みたが、厳しい情報統制のため、外部からの実態把握は難しい。当局の妨害を受けたという記事を発信している。
この事態に国連が腰をあげ、バチェレ人権高等弁務官が現地を訪問しての調査を申し出た。この人、ベロニカ・ミチェル・バチェレ・ヘリア(1951年9月29日生)は、女性初のチリ大統領を2期務めた政治家だが、外科医であり小児科医でもあるという。
中国政府も、さすがに「NO」とは言えない。しかし、何をどのように調査するのか、調査の条件にこだわって調査は実現していない。
そのようななか、5月5日には日本を含む主要7カ国(G7)が国連人権高等弁務官による現地調査の受け入れを中国に求めた。英国で開かれたG7外相会合の共同声明は、現地の少数民族ウイグル族らを対象に「再教育のための大規模な収容所が存在し、強制労働や強制不妊が報告されている」として、深い懸念を示している。
また、5月12日には米英独の国連代表部などは、新疆ウイグル自治区の人権状況を議論するオンラインの会義を開いた。主催側によると、47か国が参加。少数民族ウイグル族らへの抑圧を非難し、国連のバチェレ人権高等弁務官による無条件での現地調査を即時受け入れるよう求める声が相次いだ。中国はこれにも、強く反発したと報道されている。
トーマスグリーンフィールド米国連大使は「中国がウイグル族らへの(民族根絶を図る)ジェノサイドや人道に対する罪をやめるまで声を上げ続ける」と強調。ドイツのホイスゲン国連大使は「隠すことがないなら、なぜ人権高等弁務官の制限なき訪問を承諾しないのか」と中国を批判した。
この日はバチェレ氏は欠席したが、国連側からフェルナンド・ドバレンヌ特別報告者(少数派問題担当)が登壇。「ことの重大さを考えれば、国連が中国政府に対し(調査への)協力をもっと強く要求しないのは、臆病だと言わざるをえない」と語ったという。(以上の事実関係は、ほぼ毎日新聞の報道に基づく)
また、この席で、ウイグル族の権利擁護を訴え、中国に投獄されている研究者、イリハム・トフティ氏の娘のジュハールさんが参加し「私の父の運命は国際社会にかかっています。人道危機を止めるために結束して行動する必要があります」と訴えたという。事態は深刻なのだ。
これに対して中国側は、会合に参加しないよう各国に呼びかけたほか、中国の国連代表部は12日、報道官の声明で「うそにあふれ、中国をたたくための政治的なたくらみだ」とアメリカを非難した。(NHK)
現地での検証が不可欠であり、中国は速やかに調査を受け入れるべきが当然なのだ。しかし、こうまで中国が居丈高なのは、国連人権理事会の構成は、中国支持派が多数で、機能不全に陥っているからなのだという。なんということだ。
国際連盟の時代、柳条湖事件勃発後のリットン調査団を、当時の日本でさえ受け容れたではないか。中国も、まずはバチェレ調査を受け容れるべきだ。そうでなければ、国連人権理事会の賛否がどうであれ、中国の言い分に耳を貸そうという人を確実に減らすことになろう。
(2021年5月17日)
デマとヘイトとステマとスラップの常習企業、その異常な体質の株式会社がDHCである。この4拍子を揃えた稀有な企業のオーナーが吉田嘉明。DHCの、デマもヘイトもステマもスラップも、吉田嘉明の稀有な性格によるものである。吉田嘉明の性格を反映して、DHCは、コンプライアンスとも、企業倫理とも、CRSとも無縁なのだ。
その吉田嘉明が、DHCの公式サイトに、ヘイト根性丸出しのコメントを掲載している。以前にも、同種のコメント掲載があったが、世論に叩かれて引っ込めた。ところが、今度は引っ込めない。世間の良識に敢えて逆らい挑戦する姿勢が見える。そのことで、吉田嘉明の本性と、DHCというヘイト企業の実態がよく見えている。
https://top.dhc.co.jp/contents/other/kuji_about/
上記URLがDHC公式サイトの貴重なヘイトコメントだが、これはプリントアウトもコピーも出来ない。下記は、一部ではあるが、心ある人の骨折りによるOCR版である。ヘイト批判の見地から、大いに利用すべきである。
https://anond.hatelabo.jp/20201216121017
掲載されている吉田嘉明のヘイトコメントは3件。まず最初に、「ヤケクソくじの由来」と表題するコメントが掲載された。2020年11月の日付がある。その内容が露骨なヘイトであるとして、多くの人やメディアからの批判を受けた。特筆すべきは、NHKがその番組で批判したのだ。NHKの経営陣には大いに不満があるが、番組制作現場の見識には敬意を表せざるを得ない。
このNHK報道の直後(4月10日)に、2件目の吉田のヘイトコメントが掲出された。「NHKは日本の敵です。不要です。つぶしましょう。」という、身も蓋もない言葉で結ばれているもの。NHKに差別用語をぶつける異様な文章である。当然のこととして、これに対しても批判の言論が押し寄せた。すると、5月13日に突然3件目のコメント掲載となった。なんのための文章か焦点が定まらないが、DHCの社内から見れば、「殿ご乱心」としか見て取れないであろう代物。今度は、毎日新聞を標的にしている。
以下、3件の吉田嘉明コメントを、順次批判しておきたい。ヘイトのみならず、牽強付会の自己礼賛の姿勢についても。本日はその第1回。以下、赤字が吉田嘉明のヘイトコメントである。
浅薄な学識をもって「ヤケクソとはいかにも汚らわしい」と短絡的に思う人は多いようです。やけくそは「焼け糞」ではなく「自棄くそ」であり、「下手くそ」というように自暴自棄を強めて言うと「やけくそ」になるのです。
この冒頭の一文に表れている吉田嘉明自身の「学識の浅薄ぶり」は、さしたる問題ではない。彼の、「浅薄な学識」を省みない独善、断定が問題であり害悪なのだ。彼の言う、DHC商品の性能や効能などは、すべてこの種、この程度の、独善、断定と疑わねばならない。
化粧品や食品・サプリを扱うイメージ産業の経営者自らによる、「ヤケクソくじ」というおぞましいネーミング。とうてい正気の沙汰とも思えない。これを意識してか、吉田嘉明は「ヤケクソとはいかにも汚らわしい」と思い込むのは「浅薄な学識」という。イメージは、学識の問題ではない。学識の深浅にかかわらず、「ヤケクソとはいかにも汚らわしい」のは当然のこと。学識深ければヤケクソも汚らわしからず、とは笑止千万。
「やけくそ」も、「下手くそ」も、くそは漢字で表記すれば「糞」である。卑しめ、罵り、強調の「くそ」は「糞」に由来する。こんなことは、手許の辞書を調べて見ればすぐに分かること。また、「自棄」の語源が「焼け」である。もともと「焼け」に「思うようにならないため自暴自棄の行為をする」(広辞苑)という意味があり、後に「自棄」の字を当てるようになったとされる。
浅薄な思い込みを得々と述べること自体は罪でも違法でもない。しかし、こんな人物の宣伝を鵜呑みにして、貴重なカネを無駄にしてはならない。
売上金額ではDHCはサントリーに負けていることになっています。しかし、どれだけ消費者に愛用されているかの調査ではDHCはダントツNO.1の結果を残しています。経済産業省で「利用している(利用したい)メーカー名どこか」と消費者にアンケート調査を実施していますが、DHCはサントリーの3倍強の支持率を獲得しています(別表)。…DHCでなら500円で売れるものを5,000円近くで販売しているわけですから、売上金額の集計では、多くなるのは当たり前です。消費者の一部は、はっきり言ってバカですから、値段が高ければそれだけ中身もいいのではないかと思ってせっせと買っているようです。
サントリーのCMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人です。そのためネットではチョントリーと揶揄されているようです。DHCは起用タレントをはじめ、すべてが純粋な日本企業です。まもなく創業50年を迎えようとしている老舗の会社です。
2020年11月
株式会社ディーエイチシー代表取締役会長・CEO吉田嘉明
DHCは、業界No.1のサントリーが気になるご様子。「DHCでなら500円で売れるものを、サントリーは5,000円近くで販売している」というのは、商品総体について言っていることなのか、特定の商品についてのものなのか。具体的に両社の製品のどれとどれを比較してのことと特定しなければ、真偽の判断すら出来ない。
「サントリーはチョントリー」「CMタレントはほぼ全員がコリアン系」と言い、「これに対してDHCはすべて純粋な日本人」と強調する。ことさらに民族の差別を言い立て、何の根拠もない優越意識を誇示する。これを差別と言い侮蔑という。このコメントは、吉田嘉明の心根の中枢にある差別観の噴出にほかならない。
(2021年5月16日)
日弁連の機関紙「自由と正義」の5月号が届いた。いつも巻頭に、「司法の源流を訪ねて」とする各地の写真記事が掲載される。今号は、その第51回で、「ため池ほとりの伏石事件碑」が取りあげられている。筆者は、香川県弁護士会所属の弁護士。
「伏石事件とは、小作争議事件であり、1922年、伏石地区で小作農を営んでいた約150名が、その地主たちへ小作料の減額を要求したことから、地主側との紛争になりました。
1924年、地主側が、田に生えている稲に対する動産仮差押えを行い、一方、小作側は、弁護士に相談の上、事務管理及び留置権を根拠として、稲を刈り取り、保管しました。
この小作側が行った稲の刈り取りに対し、地主側は告訴を行い、小作人及びその代理人をしていた弁護士も含めた20名余りが身柄拘束されました。
1925年、高松地方裁判所で、1名を除いて、窃盗罪等により有罪判決が下され、うち弁護士も含め3名が実刑判決となり、上訴も全て棄却されました。この伏石事件は、当時、外国の新聞にも掲載されたそうです。
香川県民は、気候のとおり、温和な県民性とされていますが、このような熱き心を抱かれた先人たちがいたことを知り、大変興味深いところでした。」
付加して多少のコメントが必要である。伏石事件を語るときには、弁護士若林三郎の名を落としてはならない。彼は、1921年に設立された自由法曹団の若き活動家だった。小作人組合の顧問として、大阪から現地伏石に渡り、この闘争の法的部門での指導者となった。
当時、小作争議は、労働争議と並ぶ激しい階級闘争であった。伏石事件は、西日本における小作農階級と地主階級の総力戦ともいうべき象徴的闘いであった。
若林は法的戦術を練り先頭に立って闘ったが、結局多くの農民を巻き込む犠牲を出して敗北する。彼自身も窃盗教唆で起訴され、実刑が確定する。
伏石事件の刑事弾圧を語ることは、当時の「天皇の裁判所」の果たした役割を語ることであり、これと果敢に闘った群像の悲劇を語ることでもある。
この事件での取調べは苛烈を極め、自白の強要や拷問ともいうべき行為が連日長時間にわたり続けられたとされる。小作農からも精神に異常をきたす者、仮釈放後に自殺した者が出ている。
1922年に発足した自由法曹団は総力をあげて支援し、全国的な抗議行動も広まったが、抗議の演説を行った弁護士らが各地で拘束されている。
伏石事件で起訴された者は23名。1924年7月に高松地裁で公判が開かれ、9月には判決言い渡しとなった。有罪22名(うち19名に執行猶予)・無罪1名であった。1927年に上告が棄却され、刑が確定している。
この厳しい闘争の結果、小作料については10?15%の減額となったというが、若林三郎は窃盗教唆の首謀者と認定されて実刑を受け下獄した。10か月の服役を終えた彼の傷心は癒えることなく、出所直後に2歳の娘を道連れに自殺している。1928年のことである。
伏石事件の弾圧が1924年、その翌年に治安維持法が成立し、若林の死の1928年には3・15の大弾圧が起こっている。天皇の裁判所が、野蛮な弾圧機関として、遺憾なく猛威を振るった時代であった。若林の死後20年たらずで、日本国憲法が制定され、「天皇の裁判官」はパージを受けることなく、そのまま「国民主権国家の裁判官」に移行した。
歴史を記憶し、ことあるごとに歴史の教訓を反芻しておきたい。天皇の裁判が横暴を極めていた時代の悲劇を繰り返してはならない。
(2021年5月15日)
我々一般人は、ジャーナリストの目と耳と筆を通じて、世の中の出来事を認識している。これなくして意見の交換も議論も成立しない。ジャーナリストとは、民主主義にとって掛け替えのない大切な人々なのだ。とりわけ、危険な最前線で貴重な情報を発信する国際記者には敬意を表するしかない。ミャンマーで逮捕され、帰国させられた北角裕樹さんの会見ビデオを視聴して改めてそう思う。
だから、民主主義に敵対し人権を蹂躙する勢力は、ジャーナリストを嫌う。取材の自由も、発表の自由も認めたくない。今、ミャンマーの国軍がそのような典型的事態にある。
昨日(5月14日)、国連の報道官は記者会見で、ミャンマーでは84人のジャーナリストが逮捕され、このうち少なくとも48人は現在も拘束されていると発表した。その上で、軍による報道機関への締めつけに深刻な懸念を表明した。そのうえで「表現の自由と報道は市民の自由を下支えする人間の基本的な権利であり、守られなければならない」と述べて、軍に対してすべてのジャーナリストを解放するよう要請したという。
現在も拘束されているという48人の国籍は明らかではないが、その人たちの安否が気遣われる。このような勇気ある大切な人々を世界の世論が守り抜かねばならない。拘禁されていた北角さんが釈放されて無事に帰国したことには、ひとまず胸をなで下ろす思いであるが、視点を変えれば、国軍側はうるさいジャーナリスト1人の排除に成功したのだ。なんとも複雑な気持ではある。
昨日(5月14日)午後10時過ぎ到着直後の成田での北角さんの記者会見は、落ちついた好感の持てるものだった。この人の発信する記事には信用がおけると思わせる印象だった。
最初に、自分を救出する運動に礼を述べ、大要「自分は記者だから、ヤンゴンで起こっていることを伝えたいという気持ちがあった」「しかし、帰国せざるを得なくなり、悔しい」「ミャンマーの人々から世界に伝えてくれと言われたことがたくさんあるので、多くの国の人たちに伝えていきたい」「これから、ミャンマーで起こっていたことを知ってもらう活動に取り組みたい」と述べている。
会見の最後に、英語でミャンマーの人たちに語りかけた。「勇敢に抗議を続ける、ミャンマーのあなた方は未来に向けた希望だ」と締めくくった。衒いのない、自然な語り口だった。
現地で自分は暴力を受けることはなく、取り調べの最中に机をたたかれ、「お前のことを刑務所に入れることができる」と脅しの言葉を掛けられた程度だったという。レンガ造りの長屋のような独房に入れられ、食事を楽しみにし、運動をするように心がけた。ペンを持つことを禁止され、「どうやって克明に記憶しようかと、何回もあったことを反すうした」と振り返った。ジャーナリストとしての使命感に溢れたものだった。幸い、彼に対する右翼からのバッシングはないようだ。
以下に、「ミャンマーで拘束されているジャーナリスト北角裕樹さんの釈放を求める有志の会」によるコメント(抜粋)を引用させていただく。全面的に賛意を表したい。
4月18日の不当な拘束以来、一刻も早い解放を求める署名が3万6千人以上も寄せられていました。解放を後押しした国内外の多くの皆さんのアクションに感謝し、ミャンマー市民と日本や世界をつなぐ「架け橋」を担ってきた北角さんが無事に帰国する喜びを分かち合いたいと思います。
ヤンゴンに在住する北角さんは、2月1日にミャンマー国軍が権力を握った直後から、クーデターに抗議するミャンマー市民のデモの様子などを取材。一時拘束などの国軍側の圧力に屈することなく、「ミャンマーで起きていることを知って、ぜひ国際社会から圧力をかけてほしい」と願うミャンマーの人たちの思いを代弁し、SNSや独自のネットワークを駆使して発信してきました。国軍側は「虚偽ニュースを拡散させた」という不当なレッテルを貼って拘束しましたが、北角さんが伝えてきたのはミャンマーで起きている真実であり、ミャンマー市民の切なる願いです。
日本ではかつて、紛争地域などの取材中に拘束されたジャーナリストや家族などに対して、「反日」や「自己責任」という言葉が浴びせられるという事件が起きました。また、日本政府が帰国後のジャーナリストのパスポート発給を拒否するという事態も続いています。このような私たちの目と耳をふさぐような行為は、民主主義社会として恥ずべき行為です。今回、解放された北角さんに対しても、今後の発信や取材・渡航活動に制約をかけるようなことはあってはならないことを日本政府に強く求めます。
北角さんは拘束の数日前のビデオメッセージのなかで、「ミャンマーの人にとって『デモクラシー(民主主義)』というのは『未来』と等しい言葉です。自分たちの国が民主化して発展していくことで、自分たちの暮らしがよくなるという夢が、2月1日のクーデターで閉ざされた」と語っていました。いまなお、ミャンマーでは「未来」を奪う軍事政権による市民やジャーナリストなどへの弾圧が続いています。ミャンマー国軍に対して、国内外の皆さんと連帯し、いまも拘束されている市民やジャーナリストなどの早期解放を求めるとともに、いちはやく民主主義のプロセスに復帰し、ミャンマー市民が「未来」を実感できる状況を取り戻すことを呼びかけます。
(2021年5月14日)
私が、IOC広報担当責任者 マーク・アダムズです。一昨日(5月12日)のIOC理事会のあとにバッハ会長に代わって記者会見を行った、あのアダムズです。
記者会見では私の思いが日本の皆さんに十分には伝わらなかったようですので、少し補充して、東京オリパラを目前にしている日本の皆様にコメントします。なおここだけの話しですが、バッハ会長には感情的でイレギュラーな発言が多く組織としてはハラハラせざるを得ません。その点は、お宅の国の前首相だった安倍晋三さん、全組織委員長だった森喜朗さんとよく似ています。みんな、とてもトップの器ではないのです。バッハさんの話よりは、私の発言をIOCの意思とお考えください。
私があの会見ではっきりさせたかったことは、日本国内の事情がどうであれ、「東京オリパラ2020」は必ず開催するということです。私たちは、けっして言われているほど愚かでも無鉄砲でもありません。世界と日本のパンデミックの状況も、日本の世論もよく知っています。その上で、IOCの利益のために必ず開催と言っているのです。
もう少し付け加えるなら、私たちIOCは、日本の皆様の国民性についてもよく研究し、知り尽くしているつもりです。第2次大戦時の米国が、日本人の精神構造をよく研究して、天皇制を残しつつ戦後処理に成功したようにです。
日本の皆様が、これまでのオリンピックとは異なる高いハードルを乗り越えねばならないことはもとより承知です。場合によっては感染再拡大のリスクあることも反対論者の言うとおりでしょう。それでも、東京オリパラは必ずやるのです。仮に、そのオリパラでパンデミックが再燃したとしても、それは現地の責任で、IOCが引き受ける問題ではありません。
なぜそこまでしてもオリパラをやるのか。理由は三つ。三つしかありません。「カネ、カネ、そしてカネ」です。ニューヨークタイムズに寄稿されたジュールズ・ボイコフ教授の仰るとおりです。
もっとも同教授は、「カネ、カネ、そしてカネ」を、なにか不純で不潔なものというイメージで描こうとしていますが、私どもはけっしてそうは考えません。今の世の中、お金は大切です。お金は神聖で美しい。オリンピック競技の勝者には、「金」「銀」が与えられるではありませんか。あれは、「金貨メダル」「銀貨メダル」という意味なのです。これを拝金主義というのであれば甘受するまです。
今われわれの前には二つの道があります。東京オリパラを中止することなく、何とかやり遂げれば、「カネ、カネ、そしてカネ」が手に入ります。しかし、これを中止すれば、「損、損、そして大損」が押し寄せてきます。その場合の金銭的損害や負債の処理は考えるだに恐ろしい。開催実行は当然ではありませんか。
パンデミックのコントロールが困難なこともよく分かっています。フクシマの事態をアンダーコントロールすることと同様の難事ですが、やめる理由にはなりません。あなたの国も困難承知で東京オリパラを招致したではありませんか。
選手団派遣をボイコットする国が出てくることはやむを得ません。が、IOCとしては、当該国の感染蔓延の事態にはさしたる関心はありません。隔離されたアスリートのワクチン接種が実行されていればよいだけの話で、幸いにファイザー社にはだぶついてきたワクチンがあります。これを特別枠として提供してもらえるのですから、多くの国に選手を派遣していただけるものと考えています。
日本の世論が、コロナ禍への恐怖と、オリンピック準備がコロナ対策への障害になるのではという疑念から、「東京オリパラ開催反対」に固まりつつあることは承知をしていますが、実はこの点は大した心配をしていません。
一昨日の記者会見で、「世論には浮き沈みがある。我々は耳を傾けるが、世論に動かされることはない」「トーキョー開催が決まった8年前には、世論が支持していた」「開催されれば世論が大会を強く支持すると確信しています」と申し上げたとおりです。
あの8年前のブェノスアイレスをお忘れか。あなた方の国のトップは、あんなにもはしゃいで、東京オリパラ招致の成功を喜んで見せたではありませんか。今は、コロナの恐怖で表面的にはオリンピック歓迎のムードに陰りがありますが、なに、開催すれば、世論なんてコロリと変わります。日本国民が、簡単に感動と誇りに思うオリパラになるものと確信していますよ。日本の世論なんて、その程度のものでしょう。
だいたい、一昨日の理事会では、東京大会のプレゼンテーションが行われたのですよ。組織委員会の橋本聖子会長からも武藤事務総長からも、中止に関する議論はまったく出ませんでした。日本の委員の発言をみる限り、大会開催に影響するほどの反オリパラ世論があるとは思いもよりませんね。
ローマの昔以来、市民はサーカスがお好きなのです。江戸・東京の市民も見世物が大好きだったではありませんか。オリンピックこそは、これ以上ない最大のサーカスであり見世物なのですから。
それに日本の皆さんは権威に弱い。お宅の国には、まだ天皇制というものがあるそうではないですか。IOCは権威ですよ。現代の貴族です。オリンピックは、日本の国民性と相性がよいのです。しかも、皆さん、いったん決めたことをやめようと言い出すことができない国民性。失礼ながら、この辺に付け込んで、IOCから日本の皆様に、「支援と理解を伝え、連帯を示したい」と思います。
誤解のないように繰り返しますが、IOCは東京オリパラがコロナ拡大の舞台となってよいと言っているわけではありません。でも、開催国の首相も主催都市の首長も、「しっかりと、安全安心な大会を開催する」と言っておられるのですから、その言を信頼すると言うことなのです。それが出来なければその人たちの責任で、IOCには関心のないことなのです。ですから、いかなる事態になったとしても、IOCの責任を問題にするがごとき不埒なことを言わないよう予め釘を刺しておきたいのです。