(2020年10月16日)
本日が、不肖スガ義偉を首班とする内閣が発足してからちょうど一か月。この一か月を振り返ると、高揚感と不安感の交錯だった。もう少し正確に言えば、この一月間の前半はあまりの順風に頬が緩みっぱなし。そして後半は思いがけない逆風に戸惑いを隠せない。天と地、順と逆の、極端なコントラストの前半と後半。
その前半と後半の境目は10月1日。その日の「しんぶん赤旗」一面トップ「菅首相、学術会議人事に介入」「推薦候補を任命せず」「安保法批判者ら数名」の記事が風向きを変えた。やっぱり、私・スガの天敵は共産党だ。
思えばこの一か月の前半は、私・スガの思惑のとおりに順調だった。私・スガの信念において、「人はパンのみにて生くるものに非ず」は大ウソだ。自分の経験から確信していることだが、人々は形而下のものでしか動かない。大多数の国民は、パンとサーカスさえ与えられていれば、自由にも民主主義にも関心はないのだ。大切なのは、ケイタイ料金の引き下げという目に見える具体的利益の速やかな実現であり、東京オリンピックという見世物の開催であって、その他の課題は全て後回しでよい。これが思惑のとおりに当たって、スガ新内閣の支持率はほぼ全ての調査で70%を超えた。ひとときではあるが、季節外れの「スガの世の春」だった。
ところが、好事魔多しである。月に叢雲の例えのとおりの暗雲が急に垂れ込めた。私・スガの信念では、学術会議のメンバーが誰になろうとも、国民の関心事ではないはずだった。学術会議の新会員が、学術会議自身の推薦によるものであろうとなかろうと、また、官邸が新任会員人事に介入していようとなかろうと、多くの人々の関心を惹くテーマではない…はず。その信念が崩れたのだ。
意外なことに、人々は、「学術会議への政権の人事介入」という形而上的テーマを大きな問題として捉えた。人事介入を通じての思想統制と理解したのだ。ケイタイ料金の引き下げなんぞで誤魔化されないぞ、という構え。これは、私・スガにとっての仰天の事態。「人はパンのみにて生くるものに非ず」「国民はケイタイ料金引き下げのみにてスガ政権を支持するものに非ず」という、国民の声の高まりに、我が信念を打ち砕かれた衝撃を禁じえない。
本日(10月16日)、私・スガは、こんな風に言ってみた。
「国民のために働く内閣を発足してからもう1か月、振り返る間もなく早かったな、というのが私の率直な感じであります。そして、私自身、常に念頭に置いていますのは、やるべきことをスピード感を持って躊躇なく実行に移すこと。
そしてまた、携帯電話の引下げを始めとして、できるものから改革を進めて国民の皆さんに実感として味わっていただくこと。これからもいろいろな課題山積しておりますけれども、初心を忘れずに一つ一つ着実に実行に移していきたい、このように思います。」
新内閣の抱負のトップが「携帯電話(料金)の引下げ」である。その格調の欠如に、これが首相のスピーチかと、我ながら忸怩たる思いがないでもない。しかし、所詮私・スガには、国民に語りかけるべき高邁な理念の持ち合わせはない。格調高い演説など、土台無理なのだ。それでも、ちりばめたのは「働く内閣」「スピード感」「携帯電話の引下げ」だ。無内容ではあるが、これで多くの国民は納得してくれるはず…だった。少なくとも9月末までは。
本日のスピーチに、野党幹部からは、「スピード感が出ているのは、重要課題の解決においてではなく、民主主義の破壊においてである」と揶揄される始末。この言葉が、国民の喝采を受け、浸透している印象があるだけに、やりきれない。
悪いことは続くものだ。明後日10月17日の故中曽根康弘首相合同葬への弔意表明の要請が同根の問題と批判の対象になっている。私・スガの感覚では、多くの国民が騒ぐほどのことではないはずなのだが時期が悪い。政権が弔意表明を要請すること自体がけしからんと、多くの人々が「強権・スガ内閣」の証しとしている。河井訴訟もIR事件もコロナ対策も、あれもこれも悪材料になるのが逆風なのだ。
NHKは、10月9日?12日の世論調査で、菅内閣「支持する」は、政権発足後初めての先月の調査より7ポイント下がって55%、「支持しない」は、7ポイント上がって20%だったと発表した。時事通信が9?12日に実施した菅内閣発足後初めての10月の世論調査によると、内閣支持率は51.2%(不支持率は15.6%)だった。私・スガには、この急激な支持率低下が恐ろしい。
もっと恐ろしいのが、今月26日招集予定の臨時国会だ。私・スガが所信表明演説をしなければならない。予算委員会の質疑に答弁もしなければならない。前任のアベさんにできたことだから、形だけなら私・スガにできないはずはない。しかし、世論の期待に応えるように上手にできる自信はない。
政権発足一か月でこの事態だ。これから一挙に沈み込むはずの支持率の低下が恐ろしい。
(2020年10月15日)
近代社会の究極の課題は、《個人の尊厳》と《国家権力》との対抗関係の調整にある。この命題は、「日本国憲法が関心をもつ最大の課題は、《個人対公権力》《個対全体》《自由対秩序》《人権対公共の利益》の各調整である」と言い換えてもよい。
言うまでもなく、《個人》こそが根源的存在である。このことを常に確認しなければならない。《国家》は個人の集合体によって便宜作られたものに過ぎず、かつ永続的に作り直し続けられているものである。国家には必要な限りで《権力》が付与されるが、その権力は《個人の尊厳》を侵害するものであってはならず、《個人の尊厳》を擁護し亢進させるよう行使されねばならない。
ところが往々にして、被造物である《権力》が増長して、造物主である《個人》に反逆することがある。「許されざる下克上」と言わねばならない。最も普遍的な目に余る増長例は、国家による国民への愛国心の強制であるが、天皇や中曽根康弘への弔意強制もその一例である。
個人は、国家から、思想・良心の在り方を強制される存在ではない。国家は毛ほども、個人の思想・良心の自由に介入する権限をもってはいない。個人の、歴史観・社会観・国家観・宗教観・死生観・ジェンダー観・芸術観等々は飽くまでも本来的に自由であって、国家が個人の思想や良心のありかたを「善導」することも、個人の内心を推知しようと試みることも許されない。
身近な人の死を悼むことは、人としての自然な感情の発露である。生者の死者に対する弔意の表明には、他人もそれなりの礼をもって接すべきことに異論はない。しかし、特定の政治家の死に関しての弔意となれば、様相はまったく異るものとなってくる。その弔意の表明や弔意の要請が、特定の政治的色彩を帯びて来ざるを得ないからだ。
いかなる人の死についても、弔意の強制があってはならないが、かつての自民党総裁・内閣総理大臣という、一党一派の領袖であり、権力の頂点にいた人物に対する弔意となればなおさらのことだ。「強制ではありません。飽くまでご協力を求めるだけ」であっても、決して許されることではない。もちろん、天皇や皇族の死に対する弔意強制や要請についても同様である。原理的に国家がなし得ることではなく、原理的に国民個人が受容し得ないことなのだ。
明後日(10月17日)には、亡中曽根康弘元首相の合同葬(内閣と自民党の共催)が行われ、合同葬の費用は国と自民党が折半する方針で、総額は2億円近くに上る。政府は2020年度予算の予備費から約9600万円を計上する方針だが、「高額にすぎる」という批判が上がっているのは当然のことだろう。
葬儀とは、故人の身内と親しい人で行い、故人を悼む気持の人だけが参加すればよいものだ。中曽根に対しては徹底して否定的な評価をしている国民の立場から見れば、これに弔意を示すために国費を投じての葬儀の挙行には強い抵抗感をもたざるを得ない。自分の懐から出た金が、国を媒介にして、中曽根への弔意の表明のために使われるのだから。ましてや、権力を笠に着ての弔意の「要請」などもってのほかというしかない。
ところが、この問題の合同葬に合わせて、政府が全国の国立大など教育現場に弔旗の掲揚や黙とうによる弔意の表明を求めていることが明らかになったと報じられている。こういう愚かな要請は、即刻撤回しなければならない。
本日(10月15日)の報道によると経緯は次のようなものだという。
政府は今月(10月)2日、合同葬当日(17日・土)に各府省が弔旗を掲揚するとともに、午後2時10分に黙とうすることを閣議了解。同様の方法で哀悼の意を表するよう関係機関に協力を要望することも決めた。加藤勝信官房長官は同日付で、萩生田光一文科相にも周知を求める文書を出した。
文科省はこれに基づき、13日付で国立大や所管する独立行政法人、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などのトップに対し、加藤長官名の文書を添付して「この趣旨に沿ってよろしくお取り計らいください」と記した通知を出した。都道府県教育委員会には「参考までにお知らせします」として加藤長官名の文書を送付。市区町村教委への周知を求めた。
都道府県教委に対しては、弔意表明について「参考までにお知らせします」とし、さらに市区町村教委への参考周知を依頼した。いずれの文書にも、明治天皇の葬儀で使われた弔旗の揚げ方を図で示した「閣令」や、黙禱時刻が午後2時10分であることを知らせる文書が添えられている。
文科省によると、「あくまで行政機関を対象にしたお知らせであり、学校現場や子どもたちに(弔旗掲揚や黙禱を)求めるものではない」としている。
なお、報じられている限りでは、大阪府教委だけが、「特定政党への支持や政治的な活動を禁じている教育基本法14条に抵触する恐れがある」と判断し、府立校には送付しないことを決めたという。
いずれにせよ、亡中曽根康弘への弔意の有無は、個人の内心の自由に属するもので、その弔意の表明を「要請」される筋合いはない。「強制」ではないと言われても、要請を断った場合の不利益を考慮せざるを得ない。また、要請を断ることによって、政治観や歴史観を推知されることにもなる。このような、本来公務員の業務とも、教員の任務とも無関係の不要な「要請」そのものが、思想・良心の自由への侵害と言わざるを得ない。
(2020年10月13日)
今年2020年は、後世どのように振り返られることになるでしょうか。私は3点で、歴史に刻まれる年になると思います。
第1点は、コロナ蔓延の年として。
第2点は、「アベ改憲願望政権」崩壊の年として。
そして第3点が、スガ政権による学術会議人事介入事件の年として。
新型コロナの蔓延とその対策のありかたは、この社会と政治構造の脆弱さと矛盾をあぶり出しました。とりわけ、この社会の経済的な格差や貧困を明るみに出し、危機に弱い政権の実態を明るみに出しました。もしかしたら、コロナ禍が大きな社会的変化への転換点になるかも知れません。
アベ前首相は、保守改憲勢力のエースとしての存在でした。しかし、改憲勢力の与望を担って登場したアベ政権は、結局のところ、政治を私物化し国政を私物化した、みっともない政権として終わりました。日本国民は、アベ改憲とたたかって憲法を守ったことによって、日本国憲法をさらに血肉化する体験を重ねたのです。
そして、今進行中なのが、スガ新政権による学術会議人事介入事件です。日本学術会議とは、自然科学・人文科学・社会科学などの学術の振興を図るだけでなく、これを国策に活かそうという特別の国家機関です。学術会議法は、「行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」と定めています。
言うまでもなく、学問や科学は、多数決原理に馴染むものではありません。政権から独立し、政権に耳を痛いことを提言できてこそ存在意義があります。政権の意向を忖度した発言しかしない学術会議などなんの役にも立たないもの。政府は、自分に耳の痛いことを言ってもらうために、このような機関をつくったのです。政府が金を出しているのだから、政府に不都合なことを言う組織の存在は許さない、などという理屈は、ものの道理を弁えないにもほどがあると言わねばなりません。
これは大きな事件です。スガ新政権の日本学術会議に対する強権的な人事介入は、学問の自由の侵害であり、学術会議の独立の破壊です。さらにその先にあるものは、軍事研究に反対し、軍産学複合体制の確立に抵抗してきた学術会議への権力的介入なのです。学問の自由侵害の問題というに留まらず、民主主義や平和主義の仕組みを崩してしまうことにもなりかねません。
1933年には京大・滝川事件が起こり、35年東大・天皇機関説事件で大学の自治は奪われました。こうして、国民精神の総動員体制はほぼ完成し、国家総動員法の成立、大政翼賛体制の確立を経て、太平洋戦争突入となります。
今、右翼が学術会議の独立性を攻撃しています。国家から運営の資金を得ている以上、学術会議の独立はあり得ないという理屈。万が一にも、これを許せば、同じ理屈で国立大学の自治が攻撃されます。私学も、補助金による助成を受けていれば、同様になります。大学だけでなく、中等教育機関の教育にも国家が介入できることになります。これは危険な瀬戸際と言わざるを得ません。
しかし、今はピンチであるだけではなく、チャンスかも知れません。多くの学術団体、市民団体が、スガ政権の学術会議の人事介入に抗議の声を上げています。
3年前の秋を思い出します。当時得意の絶頂にあった、希望の党の代表・小池百合子は、民進党からの議員の受け入れについて、改憲問題や安保で意見の合わない入党希望者は「排除します」と明言しました。希望の党は、小池百合子のこの一言で、完全にポシャってしまいました。
今、その事態とよく似ています。「不都合な6人は排除します」「政権批判者は任命しません」と言った、スガ首相を、国民の側で完全にポシャらせてしまおうではありませんか。
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「本郷・湯島九条の会」石井 彰
秋風が心地よく流れる本郷三丁目・かねやす前の昼街宣になりました。
きょうは10人の参加者で賑やかな雰囲気で活動し、プラスターを持つひと、マイクで九条改憲反対を訴える人、元気よく昼のひとときを活動しました。
プラスター:「ケイタイ料金ちょっぴり下げて、公費はバッサリ」「たっぷりと歳費もらって叫ぶ自助」「苦労人冷たい人もいるんだな」「杉田副長官ってだあれ。アベ官僚がそのままスガ官僚、6人任命拒否」「敵基地攻撃よりコロナワクチン治療薬」「イージス・アショアの失敗、虫の良すぎる敵基地攻撃準備、憲法9条違反」
マイクでは:日本学術会議推薦の105人のうち99人任命し6人を任命拒否したことを告発しました。後に菅義偉首相は「推薦者名簿を見ていなかった」と発言。こんな首相はこれまでいなかった。日本学術会議法施行以来71年の間、推薦者を任命拒否したことはなかったこと、法解釈変更権は内閣にはないこと、戦前の滝川事件、天皇機関説事件によって学者が大学を追放され、学者が戦争に協力させられた、その反省にたって日本学術会議ができたこと、などを訴えました。近く予想される総選挙で、立憲野党連合政権をつくるためには多くの方々が国会議員を後押しし、投票所に足を運ぶことが決定的に大事だ、と訴えました。
さらに「敵基地攻撃能力保有論」に訴えは続きます。米中、北朝鮮をはじめ世界情勢が緊迫してきた今日、核兵器あるいは武力などによってこの情勢は解決できない、とりわけ中国の戦力は格段と上がっており、わたしたちが認識しているようなあまいものではないこと、太平洋戦争で日米開戦の失敗を未だに総括していないこと、日本は多くの国々と国交を結んでおり、王国のサウジアラビアとも国交を結んでいる、国際情勢をしっかり見極めながら、国際関係の中で平和なアジア、世界を創造するうえで憲法9条を持つ日本の果たす役割は大きい、と訴えました。
参加なさっていただいた各位にその奮闘を讃えたいと思います。今度の菅義偉政権はアベ政権を上回るファッショ的な危険性が浮かび上がってきました。長きに渡ってかねやす前で街宣をおこなってきましたが、手を緩めるわけにはいきません。これからいっそう魂を込めて活動を展開したいと思います。わたしたの子や孫、曾孫のためにも。そしてアジア・世界平和のためにも。
(2020年10月12日)
今、我々の眼前で進行しているスガ政権の日本学術会議人事への介入事件。もっと正確に言えば、スガ政権の学術会議人事介入を切っ掛けに生じた、民主主義の枠組みを擁護しようという勢力と破壊しようという勢力との壮大なせめぎ合い。これからの状況進展如何にかかわらず、歴史に刻まれることになる。
昨日(10月11日)の報道では、理工系93学会が共同で、「政権の任命拒否を憂慮する」緊急声明を発表したという。
声明は日本地球惑星科学連合、日本数学会、日本物理学会のほか、生物科学学会連合と自然史学会連合の傘下学会が共同で出した。政府が理由を示さずに会員候補の任命を拒否した事態を憂慮し、対話による早期解決を求めた。
任命を拒否された6人は人文・社会科学系の学者だが、日本地球惑星科学連合の田近英一会長(東京大教授)は記者会見で、「理系でも起こり得る話。学術に基づいた自由な言動が制限されることは学問の自由の制限につながる」と述べた。
日本物理学会の永江知文会長(京都大教授)は、拒否の理由が説明されない点を問題視し、「忖度しないとならない世界は、科学者から見れば変な世の中だ」と批判した。
私の所属している日本民主法律家協会も声明を出した。一昨日地元文京区で行われた、「今なぜ敵基地攻撃なのか」緊急学習会(講師・澤藤大河)でも、参加者一同の名で抗議の声明を採択し、官邸に送ることとした。今後、続々と、抗議声明が積み重ねられることになるだろう。問題の大きさにふさわしい、大きな運動が盛り上がりつつある。
https://jdla.jp/shiryou/seimei/201009_seimei.pdf
アベ・スガの両名が、学問の自由破壊のみならず、民主主義の基本枠組みの破壊をたくらんだ頭目として歴史に悪名を残すことになろう。このときに、喜々として政権の走狗の役割を買って出ようというのが、情けなや河野太郎だ。スガは、文字どおり狷介な悪代官、河野太郎よ、その悪代官スガの腰巾着となって歴史に悪名を残そうというのか。キミは、そんな情けない人物だったのか。
河野太郎よ、キミは、「行政改革担当相として、日本学術会議を行革の対象として検証する」と言った。「(自民)党の方から行政改革の観点からも見てほしい、という要請があった」「私のところで年度末に向け予算あるいは機構、定員については聖域なく、例外なく見ることにしているので、その中でしっかり見ていきたい」とも述べたという。これは、メディアの言うとおり、「政府のまさかの逆ギレ検証」「任命拒否問題を学術会議の機構・定員問題にすり替え」ではないか。自民党内からも「このタイミングで検証するのは目くらましだ」と疑問の声が上がっている。その先頭に立たされているのがキミなのだ。
河野太郎よ。行革の対象を「聖域なくしっかり見ていきたい」と語るのなら、真っ当な優先順位というものがあろう。まず何よりも、不要不急な武器の爆買いを強いられている防衛費支出のメカニズムにメスを入れよ。アメリカの言い値のとおりに、一機100億円を超すF-35A、さらに高価なF-35Bを購入せざるを得ないというこの事態を何とかしたらどうだ。思いやり予算の計上も同罪だ。政党助成金も、皇室費も、官房機密費も、大いに見直すがよかろう。
踏み込むべきところには踏み込まず、切り込むべきところに切り込まず、日本学術会議の名を特に上げて行革の対象とし、「年度末に向けて予算、機構、定員について聖域なく見るので、しっかり見ていきたい」と述べている。明らかに、政権に楯突くと予算で締め上げるぞ、という悪辣ぶり。
しかしだ、河野太郎よ。考え時ではないか。スガが沈むとき一緒に沈もうというのは愚かなことだ。姑息にスガの腰巾着になるよりは、民主主義の大道を歩むべきだと思うのだが。
(2020年10月10日)
本日各紙の報道によれば、スガ首相は昨日(10月9日)午後、新聞各社の2度目のインタビューに応じ、日本学術会議の人事介入問題に触れて幾つかの重大な発言をした。
最も注目さるべきは、スガが「官邸が6人を除外する前の、学術会議が推薦した105名の推薦者名簿は『見ていない』」と述べたということ。スガが名簿を確認した段階で、すでに6人は除外されていたとした。「最終的に決裁を行ったのは9月28日。会員候補のリストを拝見したのはその直前」としたうえで、「現在の会員となった(99人の)方が、そのままリストになっていたと思う」と説明した。
この記事には我が目を疑った。このことだけで事件である。日本学術会議法が、「学術会議の推薦に基づいて」新会員の任命をすべきと義務付けされている首相が、学術会議の推薦名簿を見ていないと明言したのだ。スガ義偉、正気か。これは、明らかに任命行為の違法を認めるオウンゴール発言である。
幾つかの理解が可能である。おそらくは1枚の名簿に記載された、学術会議による105名の新会員推薦行為を不可分一体の1件の行為と見れば、スガ首相がその名簿に目を通すことなく、99名を任命した手続は明らかに違法で法的瑕疵がある。つまり、任命行為に当たって、スガは何者かによってすり替えられたニセの名簿にもとづいての任命手続を行ったに過ぎないもので、学術会議による真正な新会員推薦に基づく任命を行ってはいないということのだ。
学術会議は105名の新会員推薦名簿を作成して、これを内閣府に提出している。内閣府は、学術会議から受領した105名の推薦名簿を、そのまま官邸にまわしたと言っている。すると、名簿は官邸が受領して首相の目に入るまでの間に、何者かがすり替えたことになる。この官邸官僚の責任は重大である。もちろん、スガの監督責任も免れない。
適法な手続が未了なのだから、改めての任命手続が必要となる。但し、両名簿に重複掲載されている99名については、手続き的瑕疵が治癒されるとして取り扱うことは可能であろう。
また、学術会議による105名の新会員推薦行為を、各人毎に各別の105個の行為とみれば、99人については、適法な任命行為がなされたことになる。しかし、残る6人については学術会議の推薦が首相に到達していないのだから、任命行為が不存在というほかはない。首相は、改めてこの6人についての任命をしなければならない。もちろん、憲法と日本学術会議法に則っての任命でなければならず、スガ自身がこのインタビューで、推薦者の思想信条が任命の是非に影響することは「ありません」と否定しているところなのだから、6人の全員任命以外に採るべき途はあり得ない。
以上の発言を含め、スガの言うことは、支離滅裂で牽強付会というほかはない。今後の学術会議のあり方の見直しに向けた政府内での検討についてはこう語っている。「学術会議が良い方向に進むなら歓迎したい。私が指示することは考えていないが、行政改革の中で取り上げるということではないか」
スガの言う「よい方向」とは何か。言うまでもなく「『学問の自由』とか、専門家集団の『独立』などと生意気なことを言わせず」、「政権の意に染まない学者を、政権の意をもって排除することを可能とする」方向のことだ。各メデイアから、自らの違法を棚上げにしての「論点ずらし」と強い批判を受けている。
しかもスガは、6人を除外した理由について問われると、またまた「総合的・俯瞰的な活動、すなわち広い視野に立ってバランスのとれた行動をすること、国民に理解される存在であるべきことを念頭に全員を判断している」「一連の流れの中で判断した」などと、わけのわからぬことを述べてはぐらかし続けている。
さらに、首相の任命を「形式的にすぎない」とした1983年の政府答弁から「解釈変更を行っているものではない」と繰り返してもいる。
改めて思う。日本国民は、アベを脱してスガのトンデモ政権と対峙しているのだ。この支離滅裂な強権体質の政権と、本気になって対決しなければならない。
(2020年10月9日)
A 不思議でならない。スガ新内閣の支持率が70%にもなっている。10月5日発表のJNN調査の結果が、支持70.7%で、不支持はたった24.2%だという。いったいこの国の国民はどうなってしまったんだ。
B 別に驚くには当たらないだろう。みんな安倍さんの政治には飽きていたんだよ。新たなキャラクター登場で、その新味への期待感が支持率アップとなったと思う。それに、ケイタイ電話料金値下げ、既得権益を許さない行政改革断行なんて、悪くないんじゃじゃないか。
A でもね。スガは、アベ政権の継承を謳って総裁選に勝っている。これまではアベの皮を被ってきたスガが、アベの皮を脱ぎ捨て正体を現したのがスガ政権だろう。スガ自身にも、閣僚の人選にも、政策にも、新味なんてなにもない。ケイタイ料金値下げなんて、やる気さえあれば、今までだってできたことではないか。
B とは言っても、トップとナンバー2とでは、やっぱり大きく違うんじゃないか。スガさんは2世の坊ちゃんじゃない、雪深い秋田の出で、これまで苦労してきた人だというし、国民の利益になる身近なことをやってくれるというんだから、国民の期待は高いよ。
A JNNの世論調査では、学術会議の6名に対する任命拒否についても、質問している。「あなたは、政府の対応について妥当だと思いますか? 妥当ではないと思いますか?」という問に、「妥当だ」との回答は24%に過ぎない。妥当ではないは51%だ。にもかかわらず、内閣支持率70%とはどういうことだろう。
B 簡単なことさ。学問の自由の侵害なんて、学者や大学の問題だろう。多くの人にとっては、自分に関わることではないんだ。学問の自由よりは、ケイタイ料金引き下げの方が、遙かに重大事なんだよ。
A ケイタイ料金値下げ程度のエサに釣られて、スガの強権政治を見過ごしていると、社会全体の自由がなくなってしまう。そんなことでよいはずはないだろう。
B そんなことになるだろうか。確かに、安倍さんには「9条改憲」の危険な匂いがつきまとっていた。それに、モリ・カケ・桜と、政治の私物化というイメージも強かった。しかし、スガさんには、そんな強烈なものは感じられない。ケイタイ料金値下げをやってくれるのなら、ありがたいじゃないか。
A アベ内閣の官房長官だったスガはアベと同罪だろう。それに、スガ官房長官がこれまで記者会見で語ってきたことを思い出してみろよ。「そういう見方は当たらない」、「担当部局は適切に処理していると聞いている」、という一方的な説明拒否、説明打ち切りの連発。こんな人物を信用してはいけない。
B そう言われればそうかも知れない。でも、日本には憲法もある、選挙もある、報道の自由もある。そんなに簡単に、自由のない社会になるという実感が湧かない。
A 第2次アベ政権ができて以来、特定秘密保護法の強行採決、武器輸出三原則の廃棄、安保関連法による集団的自衛権容認、共謀罪法の強行、黒川検事長の定年延長等々、実質的に憲法が壊され、自由が蹂躙されてきた。これを実務面で支えてきたのがスガではないか。NHKをはじめとするメディアを統制して、選挙をも支配してきたのだ。
B 確かに、安倍政権の末期には支持率が下がって行き詰まったよ。しかし、菅さんだって、バカじゃないだろうから、簡単に支持率が下がるようなことはしないように思うがね。
A 日本学術会議が推薦した新会員候補者6名の任命拒否問題。これは、大きな問題だ。政権が、臆面もなく、自分の気に入らない人物や思想を選別して排除すると宣言したのだ。それでも支持率は下がるまいと、国民を侮っての仕業だ。この国の、学問の自由侵害というだけではなく、自由や人権、民主主義という基本的な枠組みを逸脱した行為といってよい。こんな政権をのさばらせてはいけない。
B 「ケイタイ料金くらいでダマされるな」「政権に侮られるな」ということくらいはわかったが、菅内閣がそんなに危険なものだということにまだ納得できない。もう少し、新政権のやり方を見たいと思う。
A くれぐれも、手遅れと後悔するようなことのないようにね。
(2020年10月8日)
スガ新政権の日本学術会議への強権的な人事介入。この報に接して以来、首筋に薄ら寒さが消えない。秋風のせいばかりではない。あの、戦前のイヤーな歴史の記憶が、甦るからだ。
思い出されるのは、1933年の京都帝大・「滝川幸辰」事件、35年の東京帝大・美濃部達吉に対する「天皇機関説」事件である。政府の強権と右翼の暴力とが学問の独立や自由を蹂躙した後に、全体主義の国家と社会が完成した。そして、38年の国家総動員法から40年大政翼賛体制確立を経て、41年の太平洋戦争開戦へとつながっていく。
苛酷な戦争の惨禍を体験した戦後日本は、以下の「日本学術会議法」前文のとおりに科学を位置づけて学術会議を設立した。
日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。
科学の使命は、「わが国の平和的復興と人類社会の福祉への貢献」だというのである。日本学術会議の主要な役割は、平和憲法と軌を一にして、再び科学が戦争の惨禍をもたらすことのないようにすることであった。今、国の産学官一体となっての防衛産業興隆策に、学術会議は科学者の良心を結集してよく抵抗してきた。
下記の「軍学共同反対連絡会」(共同代表、池内了・香山リカ・野田隆三郎)による「菅首相による日本学術会議会員の任命拒否に抗議し、撤回を求める」声明の、下記抜粋に全面的に賛意を表する。
http://no-military-research.jp/
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2020年10月5日
菅首相による日本学術会議会員の任命拒否に抗議し、撤回を求める
軍学共同反対連絡会
共同代表 池内 了 (名古屋大学名誉教授)
同 香山 リカ (立教大学教授)
同 野田隆三郎(岡山大学名誉教授)
私たち軍学共同反対連絡会は、戦前の日本の科学者たちが軍国主義政府に追随して侵略戦争に加担した歴史を反省して、科学者が軍事研究に手を染めることに反対する活動を続けてきた。その際に、日本学術会議が発した「軍事研究には絶対に従わない」との二度の決議と、それを継承する2017年の声明が大いなる導きとなってきた。今回の(菅首相による会員候補)任命拒否には、日本学術会議声明が大学における軍事研究を抑制している現状を変えようとする狙いも込められていると報じられており、その点でも私たちは断じて許すことはできない。
日本学術会議は、単に日本の学術を代表する機関であるにとどまらず、科学者に対して自らの学問的良心と科学者としての倫理を想起させるとともに、広く学問の在り方を点検するための重要な機関である。私たちは、日本学術会議が任命拒否に怯むことなく、また学問の論理を追求することを怠らず、これまで通り学術の独立性を保つ姿勢を毅然として持ち続けることを強く期待している。
スガ新政権の日本学術会議に対する強権的な人事介入は、学術会議の独立の破壊であり、学問の自由の侵害である。さらにその先にあるものは、軍事研究に反対し、軍産学複合体制の確立に抵抗する学術会議への権力的掣肘なのだ。そのことが、首筋の薄ら寒さが消えない理由である。
(2020年10月7日)
政権は、思うとおりにならない科学者・研究者が目障りでならないのだ。世論を二分する重大な政治問題で、有力な学者たちが、反政府側の世論の先頭に立つ。理性や良識をもつ国民に影響力をもつこの人たちを何とか統制したい。その思惑での、菅政権による学術会議会員候補者の任命拒否である。反政府的言動を理由とする学術会議からの排斥であることが明らかと言ってよい。
真の意図を隠して、この度の6人の任命拒否を正当化する理由は、二つに絞られている。一つは、《学術会議が内閣の所轄とされている以上、内閣総理大臣の任命権がまったくの形式に過ぎないと解することはできない》という論法。そしてもう一つは、《国家が国費を投じている以上、学術会議の完全な独立はあり得ない》というもの。いずれも、ほとんど説得力をもたない。
権力というものは、なんでも意のままにやりたいという危険な衝動をもっている。この衝動が暴走に至らぬよう幾重もの歯止めの装置が必要なのだ。そもそも法の支配や立憲主義が、そのためのものである。権力の分立による相互の牽制も、人権という法技術も、野党の存在も、教育やメディアに権力の介入を禁じる原則も、権力の暴走への歯止めとなっている。
日本学術会議とは、その政策に学術を活用するために設けられた国家の一機関ではあるが、自ずから「独立性」を第一義とするものである。学術というものが、時の政権の思惑から当然に独立している存在であって、忖度のない立論や提言がなければ、そもそも存在価値はない。また、国家は、学者集団の叡智が発する時の政権への苦言に耳を傾けることによって、暴走の誤りを避けることが可能となる。学術会議とは、宿命的に政権に耳の痛い発言をする組織なのだ。
そのような機関の新会員任命権を内閣総理大臣が実質的に握っているというのは、憲法や日本学術会議法の解釈として明らかに妥当でない。学術会議の推薦のとおりに、内閣総理大臣が形式的な任命手続をすべきと解するのが正しい解釈というべきである。仮に、内閣総理大臣の任命権をまったくの形式とは解せないとしても、学術会議の推薦が常識を逸したものであった場合に限定されざるを得ない。そのような例外的な任命拒否について、総理側に厳格な説明責任が課せられるべきは当然である。
果たして、《学術会議が内閣の所轄とされている以上、内閣総理大臣の任命権がまったくの形式に過ぎないと解することはできない》と言えるだろうか。法は、明らかに、学術会議の独立性を認めて、時の政府におもねることのない活動や提言を期待しているのである。政府に批判の言動あった者を任命拒否するなど、あってはならないのだ。
また、《国家が国費を投じている以上、学術会議の完全な独立はあり得ない》などと言ってよいものだろうか。その性質上、国家は国費を投じても、これに介入すべきではない部門はいくつもある。教育・研究機関はその典型である。この論理を認めると、国費が投じられている国立大学・国立研究機関(独立行政法人も)は、時の政権からの介入を受けない「大学の自治」「学の独立」が根底から崩れてしまう。理は政権側にはない。
10月2日、学術会議は、菅首相に対し、
?任命されない理由を説明していただきたい、
?任命されていない方について速やかに任命していただきたい、
の2点を要望する「要望書」を提出した。
この学術会議の要望を支持する国民の意思を積み重ねていく運動の展開が必要となっている。スガ強権政治を許してはならない。
(2020年9月26日)
自民党衆議院議員の杉田水脈さん。本日(9月26日)の各紙朝刊に、あなたの言動についての記事が掲載されています。
お読みになっていますか。自分のことについて、このような記事にされていることに、心穏やかでいられますか。それとも、もう慣れてしまっているのでしょうか。メディアから、国会議員としての資質に欠けているという指摘を受けているとの自覚はありますか。この件について、弁明の記者会見をされる予定はありませんか。記事を書いた記者や、記者に情報を提供したという自民党議員と対決する覚悟はおありでしょうか。
これまでも、あなたの言動についての報道は、芳しいものとてありませんでした。しかし、今回の報道の内容は、あなたの議員としての資質に決定的に関わるものとお考えではありませんか。
冷静に事実を報道している代表的な記事として、共同通信配信のものを引用します。
杉田議員、女性はいくらでもうそ 自民党の合同会議で蔑視発言
自民党の杉田水脈衆院議員は25日の党の内閣第一部会などの合同会議で、女性への暴力や性犯罪に関し「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言した。被害者を蔑視する発言で批判が出るのは必至だ。
杉田氏は会議後、記者団に「そんなことは言っていない」と述べて発言を否定したが、会議に参加した複数の関係者から、杉田氏の発言が確認された。杉田氏は、会議で来年度予算の概算要求を受け、女性への性暴力に対する相談事業について、民間委託ではなく、警察が積極的に関与するよう主張。被害の虚偽申告があるように受け取れる発言をしたという。
あなたに対する辛口の論評を含む報道としては、日刊ゲンダイのこんな記事があります。
自民・杉田水脈また暴言 性暴力被害で「女性はウソつく」
やはり“付ける薬”はないようだ。自民党の杉田水脈衆院議員がまたやらかした。25日の党の内閣第一部会などの合同会議で、政府側から暴力や性犯罪の女性被害者の相談事業に関して説明を受けた際に、警察が積極的に関与するよう主張。その理由として「女性はいくらでもウソをつけますから」と、あたかも被害を虚偽申告する女性が多数いると受け取れる発言をした。
杉田氏は会議後、記者団に「そんなことは言っていない」と述べて発言を否定したが、複数の会議参加者が杉田氏の問題発言を確認した。発言に責任を持たず、往生際も悪すぎる。こんな国会議員を持つ国民は不幸だ。
また、「女性はウソつく」発言の背景事情について、こんな解説記事もあります。(リテラ)
このとんでもない暴言が飛び出したとされるのは、本日25日におこなわれた自民党の内閣第一部会などの合同会議。女性への性暴力や性犯罪について議論するなかで、杉田議員は、来年度予算の概算要求を受け、女性への性暴力に対する相談事業について、民間委託ではなく警察が積極的に関与するよう主張。そうした議論のなか、「女性はいくらでも嘘をつけますから」などと、女性被害者が虚偽申告するというような発言したのだという。
つまり、「女性はいくらでも性被害について嘘をつけますから」、民間委託の相談事業ではその嘘を見抜けず不適当なんです。犯罪捜査のプロである警察なら、女性の被害に関する嘘を見抜けるからより妥当なのです、という文脈で、あなたの発言がなされたというのです。頷ける話ではありませんか。
また、あなたの発言に、出席していた何人かの議員から失笑が漏れたという報道もあり、この失笑に違和感を感じたという議員の記者への発言もあったということです。あなたの発言についての報道は、極めて具体的で、リアリティに富み、しかも取材源は複数なのです。
しかし、この記事の報道内容が100%真実かどうか。それは、まだ私ども部外者には断定できません。報道でも、あなたは記者団に、「そんなことは言っていない」と発言を否定したそうですし、本日14時42分アップのブログでも、「一部報道における私の発言について」と題する記事を投稿して、「昨日、一部で私の発言についての報道がございましたので、ご説明いたします。まず、報道にありましたような女性を蔑視する趣旨の発言はしていないということを強く申し上げておきたいと存じます。」と書き込んでいます。
昨日の会議が終り、記者団に囲まれた時点では、あなたには二つの選択肢がありました。
(1) 発言を肯定する。その上で、自分の信念を披瀝する。あるいは、口を滑らせての本意ではない発言として、弁明する。
(2) 記者から指摘された発言を否定する。
(1) を選択すれば、あなたが嘘つきと言われることはなかったのです。しかし、あなたは、(2)を選択しました。今さら、(1)に戻る術はありません。
(2) の選択を前提とすると、以下のいずれかということになります。
(A)あなたは、真実のところ「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言したのに、「発言していない」とウソをついた。
(B)多くのメディアが、あなたが「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言してはいないのに、虚偽の報道をした。
今、あなたは、多くのメディアから、
(1) 「嘘つき政治家」だと非難されているのです。それだけではなく、
(2) 「女性でありながら、女性を差別視し女性の性被害救済を妨害しているとんでもない政治家」だと非難されているのです。
メディアの報道は「真実らしさ」が十分です。一方、あなたの「発言否定」は、あなたのこれまでの言動や、昨日の記者に対する不十分な対応によって、「嘘らしさ」に満ちています。
私は、ネットで見かけた、以下の意見に強く賛同します。
日本では、女性が性被害やセクハラ被害を訴えると、必ずと言っていいほど、SNSなどで「嘘だ」とか「ハニートラップだ」とか「売名行為」などと攻撃される。また、性暴力をめぐる刑法や裁判のあり方においても、男性優位目線がいまだ根強く、被害女性は性被害やセクハラ被害そのもの以上に、大きな二次被害を受けているというのが現状だ。そんななか、国会議員が「女性はいくらでも嘘をつけますから」などと発言することは、被害者攻撃をさらに助長するもので、断じて許されない暴言だ。(リテラ)
杉田水脈衆院議員が、女性への暴力や性犯罪被害に関し、「女性はいくらでもうそをつけますから」と公的な場でセカンドレイプ発言。複数の関係者が証言しているのに、記者団には「そんなことは言っていない」と発言を否定。いくらでもうそをつくのは女性じゃなくて自分だろう。(匿名)
国会議員として、絶対に言ってはならないことがある。人権の軽視や否定はその最たるもの。杉田水脈議員の場合、雑誌への寄稿で特定の人を「生産性がない」と書いた時点で国会議員失格だった。だがメディアは傍観した。今度こそ、この低劣な人権感覚の人物を、国会議員の地位から放逐しないといけない。(匿名)
杉田水脈さん。あなたは、今これだけの質の批判を受けているのです。しかも、その批判は今のところ十分な根拠をもつものと言わざるを得ません。あなたが、この批判を跳ね返す努力をして、それに成功しない限り、あなたは「嘘つき政治家」で、しかも「女性蔑視政治家」という汚名を甘受しなければなりません。ということは、国民の代表者である国会議員としての資格はなく、議員を辞任すべきということです。
あなたが今、直ちになすべき具体的行動は、自民党事務局に、昨日の会議の録音を公開させることです。それができなければ、記者会見を開いて、堂々と記者の追及を受けとめ、記者に情報を提供した同僚議員の「ウソ」を暴く工夫をすることです。それができなければ、あなたは「嘘つき政治家」で、しかも「女性蔑視政治家」なのですから、議員は務まりません。せめて、潔く議員の職を自ら辞することをお勧めします。
(2020年9月13日)
コロナ禍のさなか、現職総理大臣が任期途中で職を投げ出して、突然の総裁選となりました。事実上の次期総理大臣選挙です。もちろん、国民のみなさまご存じのとおり、選挙は形だけのもの。私・菅義偉の総裁当選は派閥領袖たちの談合で決まっています。この密室の密謀による密議で、私はようやく陽の当たる明るい場所に出ることになりました。これまでは陰険な印象のつきまとう執権職でしたが、ようやくにして晴れがましい将軍職へのステップ・アップ。まことに本懐とするところです。
もう決まっているなら、なぜいま面倒な選挙をしているのか。しかも、「政治に一瞬の空白も許されない今日」などと言いながら…。それは、必要な儀式だからなんですよ。いまは、ミンシュシュギの世の中。お分かりでしょう、ミンシュシュギって、頭数で決めるってことなんです。厄介なことに、この頭数を数える儀式は、密室ではできないことになっています。
ですから、私が自民党総裁としての正当性を獲得するためには、形だけでも選挙が必要なんですね。できれば、ダントツで当選したい。私・菅義偉の人望や能力には党内からも、疑いの目で見る人が多い。圧倒的に選挙に勝たなければ、人望や能力に疑問符がついたままになってしまいます。選挙に勝ったからって能力の証しにはならないだろう、なんて突っ込みはためにする議論。
選挙をする理由は、それだけではない。もちろん、この選挙では、各候補者がどんな国家ビジョンを描いているか。誰が国民のために真剣に政治を行おうとしているか。どんな政治思想や見識や政策をもっているか。国民の声を聴くよい耳を持っているか。廉潔な姿勢や誠実性があるか、外交手腕や調整能力に優れているか。そんなことは、実はまったく問題ではありません。投票の権利をもっている議員にとっては、どの候補者の陣営に擦り寄れば、どんなポストにありつくことができるか。それが、いや、それだけが問題なのです。当然のことでしょう。
負ける候補者を支持しても得るものはない。士たる者は士道に生きる。そりゃ嘘だ。どんな主君に使えるかだけが生き残る道。当たり前すぎる処世術。私・菅義偉を支持して、選挙運動に参加すれば、望みのポストに近づきます。今回はあぶれても、その次の機会には。選挙がなければどのように論功行賞をすればよいか、材料がない。選挙をすればこそ、候補者への忠誠心を量れるということになります。だから、いま、圧倒的に私への支持が増えていますね。みんなが勝ち馬に乗ろうとしているというわけです。
とは言うものの、明るみでやらざるを得ない選挙にはリスクもつきまとうのが悩みのタネ。他の候補と対等の議論の場に引っ張り出されると、私の地金を隠しきれなくなってしまう。無能・無才・無知・無学・無教養・無見識・無定見の馬脚が表れてしまう。とりわけ、私には討論の能力がない。昨日(9月12日)の日本記者クラブ主催の3候補「討論会」を報じるメディアの評も厳しい。たとえば、毎日新聞。揶揄されているようでもあって不愉快だけれど、そのとおりだから反論のしようもない。
岸田氏は菅氏に「社会保障の持続可能性をどう維持するのか」と質問したが、菅氏は幼児教育の無償化や雇用創出など安倍政権の実績を強調しただけで正面から答えなかった。ここは菅氏の「説明能力不足」を指摘するチャンスだったのに、岸田氏は何も言及しなかった。石破氏は新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正の必要性について明確に答えない菅氏に対し、「私が尋ねたことにお答えをいただきたかった」とクギを刺した。この「正面から説明しない」姿勢は、石破氏が争点化する安倍政権の負の側面と重なるので、もっと指摘してもよかったはずだ。
一方、菅氏は相手が話している時に下ばかり向いている姿が目立った。応答要領の資料をめくりながら次に発言する内容を確認していたのだと思うが、相手の発言をメモすることもほとんどなく、「討論」とはほど遠い姿勢だった。
象徴的だったのは、安倍政権の「負の遺産」が話題になった場面。森友学園問題をめぐって、朝日新聞の坪井ゆづる氏が再調査の必要性を尋ねると、財務省が内部調査をしたことなどを挙げて「結果は出ている」と従来の政府見解を繰り返した。財務省による身内の調査だと指摘されても「いま申し上げた通りだ」と答えるのみだった。
どうひいき目に見ても、私は、他の候補者に較べれば能力の面において見劣りがしますよ。そりゃそうだ。そのことを天下にさらけ出してしまった。でもね、私は安倍さんを見ているからね。あれでも総理は務まるんだから、私だってね。総裁選で当選してしまえば、こっちのものだと思っていますよ。
安倍さんも、きちんとした論戦のできる人ではなかった。でも、彼独特の「ご飯論法」で乗り切りましたね。あれは、安倍さんが意識的に編み出した、「論争手法」ではなく、追い詰められ、逃げ回って、苦し紛れにああなったというだけの話です。それが身について、とにもかくにも逃げおおせた。
私は、もっと意識的に、「美談論法」というものを採用したい。下記は、週刊文春最近号「菅義偉『美談の裏側』集団就職はフェイクだった」の一節。私の例の、「秋田の貧しい農家から、集団就職で上京して…」という叩き上げ苦労人の『美談』について。
「集団就職というのは、学校の先生に引率されて上京し、就職先を回って働き口を見つける、というもの。ところが、義偉君は一人で上京している。『集団就職で上京した』という記事を読むたび、どうしてこうなったのか、と不思議なんです」
菅氏の親戚の一人も「間違ったイメージが広がっていることに懸念を抱いていた」と漏らす。「ある時、義偉さんに言ったんです。そしたら本人も『集団就職したことになっているけど……』と認めていました。ただ、『本当に集団就職した人たちもいる。わざわざ、訂正してそういう人たちを傷つける必要はない。そう思われているなら、それでもいい』と」
つまり、菅氏は、自身が「集団就職」だということが「誤解」だとはっきり認識していながら、あえて訂正せずにいたのだ。
だってそうでしょ。敢えて美談を否定することはない。みんな美談が好きなんだから、あえて訂正する必要はない。私が積極的に嘘を言ったわけではない。安倍さんの「ご飯論法」での「ご飯は食べていない」という答弁は、パンを食べていたとしても、決して嘘を言っているわけじゃない。
私も、安倍後継を以て任じる以上は、できるだけ側近の官僚たちも「居抜き」で、「忖度文化」も、ウソとゴマカシのアベ政治も大事に受け継ぎたい。あとで弁解出来ない極端なウソはできるだけ控えるようにはしますが、都合のよい誤解を敢えて訂正するような愚かなことはしませんね。ご飯論法を私なりに受け継いで、美談のイメージを大切にする「美談論法」で、国会を乗り切りますよ。
えっ? できるかって? 私は安倍さんを見ていますからね。あの、安倍さんだってできたんですよ。大丈夫。ご安心ください。