澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「浜の一揆」の密謀

東北新幹線の車窓からの冬晴れの富士がこのうえない目の愉しみ。大宮を過ぎてしばらくは、冠雪のその姿がことのほか大きく美しかった。残念ながら盛岡は雪景色。岩手山は盛岡の町を覆う雪雲のなかに隠れて見えなかった。その雪雲の下の盛岡の某所で、三陸沿岸の各地から集まった「浜の一揆」の首謀者たちの密議が行われた。

かつての一揆の謀議はどのように行われたのだろうか。密告者の耳や目をおもんばかって、厳重な秘密会だったに違いない。どのように連絡を取りあい、どんな場所で会合をもったのだろうか。その苦労がしのばれる。今、我々の「浜の一揆」に格別の秘密はない。この作戦会議を地元のメディアに公開してもいっこうに差し支えない。この真剣で活発な討議の様子を行政にも、浜の有力者にも見せてやりたい。

サケは岩手沿岸漁業の基幹魚種である。そのサケを一般漁民は捕獲することができない。うっかりサケを捕獲すると「密漁」となり、県条例で「6月以下の懲役若しくは10万円以下の罰金に処せられる。刑罰を科せられるだけでなく、漁業許可の取り消しから漁船・漁具の没収にまで及ぶ制裁が用意されている。だから、網にサケがかかれば、もったいなくも海に捨てなければならない。これほど厳重に、一般漁民はサケ漁から閉め出されているのだ。

サケを獲っているのはもっぱら「漁協」と「浜の有力者」である。漁法はケタ違いに大規模な定置網漁。漁協が必ずしも漁民の利益のための組織となっていない実態があり、浜の有力者が不当に利益をむさぼっているボス支配の現実がある。

震災・津波の被害のあと、三陸沿岸漁業の復興の過程で、この浜の現状は漁民にとって耐えがたいものとなり、「漁民にサケを獲らせよ」という浜の一揆の要求になり、運動になった。この「浜の一揆」は三陸復興における大事件である。地域経済上の問題でもあり、民主主義の問題でもある。地元メディアが、もっと関心を寄せてしかるべきではないか。

今、岩手県知事宛に、俺たちにもさけを獲らせろと、「固定式刺し網によるサケ漁の許可」を求めている小型船舶所有漁民が101人。近々、もう少しその人数は増えることになる。人数がそろったところでどうするか、今日はその作戦会議なのだ。

私が口火を切って、いろいろと意見が交わされる。
「どうも県の担当課には緊迫感が感じられない。相変わらず、漁民が陳情や請願を繰り返しているとでも思っているのではないか。行政不服審査法に基づく審査請求から行政訴訟提起への行動に踏み出したのだということをよく理解しているのだろうか」
「それは、分かっているようだ。担当課長は『裁判はなんとか避けたい』とは言っている。『それなら許可を出せばよいことだ』と返答すると、『それでは、漁連が納得しない。なんとか、漁連が納得するような方法を考えてくれ』と言う」
「県は、けっして我々の要求が間違っているとか、できないことだとは言わない。漁連と話し合ってくれというだけなのだ。でも、それは行政にあるまじき逃げの姿勢でしかない。県は態度を決めなければならない」
「仮に行政が不許可なら裁判で争おうというこれまでの方針でよいと思う」
「ただ、裁判をすること自体が目的ではない。サケを捕れて、生計が立つようにすることが目的なのだから、早期にその目的を実現する方法があれば、その方がよい」
「『最終手段としては裁判を』という基本はしっかりと確認しながら、行政との交渉で要求が通るものなら、それも考慮の余地はあるのではないか」
「裁判では、県知事の不許可決定が違法として取り消されるか否かの二者択一しかない。しかし、県との交渉であればいろんな案を検討して、どこかに落ち着けることも可能だ」
「これまで要求してきた、TAC(漁獲総量規制)とIQ(個別漁獲量割当)を具体化して政策要求とすることはどうだろうか」
「判決に代わる落としどころとして『岩手版IQ』を漁民自身が提案し、これを実現するとなれば、画期的なことではないか」
「漁業の将来を考え、水産資源保護をもっとも真剣に考えているのは行政でも漁連でもなく私たちだ。けっして乱獲にならないような自主規制によって、漁業の永続を考えてのIQ提案なのだ」
「たとえば、TACはとりあえず過去3年の漁獲量の平均として定める。固定式刺し網にはその漁獲高の20%を割り当てる。」
「固定式刺し網と限定せず、延縄でも刺し網でも、小型漁船漁民に20%で良いのではないか」
「そうすると大型定置の取り分は、これまでの100%から80%に減ることになるだろうか」
「実際には減らないのではないだろうか。固定式刺し網の漁期を秋に限定するのは一案ではないか。この時期、サケは水温の低い沖のやや深いところを回流していて定置にはかからない。この時期に沖合の小規模の固定式刺し網漁は、岸に近い大型の定置網漁と競合しないはずだ」
「相互扶助という観点から『IQ』よりは『ITQ』(譲渡性あるIQ)の方が魅力がある。漁師が病気になって漁に出られないときは一時的にその権利を譲って凌ぐようにできればありがたい」
「病気だけでなく『漁運』というものもある。たまたま不漁の時に、他の好漁の人に枠を融通できれば便利だ」
「譲ることができる相手は、同じ小型船舶の漁民ということに限定しておかないと、大きな資本に買荒らされることになりかねない。歯止めをしっかりしておこう」
「そのような案を具体化し、請求人団として、代理人の弁護士を先頭に県との交渉をしよう。その際には、きちんとマスコミにもレクチャーをしておこう」
「一人くらいは、本気で漁業の問題を取材する記者も現れるのではないか」
「そこまでやって県がだめだというのなら、裁判をすればよいことだ。その腹はもう固まっている」

意見はまだまだ続いた。充実した3時間の議論。田野畑村から押し出した、かの三閉伊一揆のあのときの謀議の雰囲気もこのようだったのではなかろうか。
(2014年12月19日)

朝日バッシング集会の「卑劣な犯罪」激励発言

昨日(11月13日)の「週刊金曜日」ネットニュースが報じている。去る10月25日、「『朝日新聞を糺す国民会議』結成国民大集会」なるものが、東京・永田町で開催されたとのこと。同記事の標題は、「植村氏への“脅迫煽る”元議員も―『朝日』叩きで集会」となっている。

同報道は、この集会での3人の発言を紹介している。
まず、この集会の基本性格を明確にする藤岡信勝発言。
「藤岡信勝・拓殖大学客員教授は今後の争点は『二つある』として、第一に、従軍“慰安婦”問題の『土台になる(日本国への)朝鮮人強制連行のデマそのものを打ち砕かなければいけない』などと持論を展開。第二の争点は『南京事件』であるとして、来年『終戦70年』を前に歴史戦が激しく闘われることになるのは間違いなく、そこでは『必ず南京事件、南京大虐殺(の史実をめぐる応酬)がむし返されます』と述べ、『週刊文春』や本誌で近日、藤岡氏と本多勝一本誌編集委員による誌上公開討論が予定されていると告知した」

そして、私が驚いた土屋敬之発言。
「土屋たかゆき・前東京都議会議員は、元『朝日新聞』記者の植村隆氏が非常勤講師を務める北星学園大学(札幌市)に今年9月、何者かが植村氏を辞めさせなければ大学に危害を加えるなどと脅迫した事件に触れ、『(同大学に)抗議が殺到して、彼(植村氏)はなんと言ったかというと「大変な脅迫を受けている」(と訴えたが)、冗談じゃないですよ!』『だって国賊でしょ? 売国……でしょ?』などと脅迫行為を支持するともとられかねない発言を繰り広げた」

そして、もうひとり。
「ジャーナリストの大高未貴氏は『左巻きの連中』を『歴史捏造主義者』などと揶揄したが、自身の『捏造』記事をめぐり、現在、韓国・ソウル大学の名誉教授から『出版物による名誉毀損罪』で告訴されている件(本誌10月17日号で既報)への言及はなかった」

この集会の決議文をネットで読むことができる。
「朝日新聞は、日本軍の兵士が朝鮮人女性を『強制連行』し、『従軍慰安婦』にしたとの吉田清治『証言』を報道し、その嘘とねつ造が明らかになっても訂正謝罪することなく、30年以上も放置して来ました。その結果、世界中の人々は、日本の兵士が、朝鮮人女性を『強制連行』し、『性奴隷』のごとく扱ったかのような認識とイメージを抱くようになりました。朝日新聞のねつ造報道によって、世界で最も軍律厳しく道義心の高かった皇軍兵士は、野蛮で残酷な誘拐犯や強姦魔のごとき犯罪者扱いをされたまま、日本人の名誉と誇りを傷つけられて来ました(以下略)」

「世界で最も軍律厳しく道義心の高かった皇軍兵士」とは一驚に値する。彼らの心情(願望というべきか)を素直に吐露するものとして甚だ興味深い。

もちろん、「吉田清治『証言』を報道し」たのは朝日だけではない。産経も読売も毎日もなのだ。とりわけ産経は熱心だった。読売も当時は良心的な記事を書いていた。これは周知の事実。朝日だけをバッシングの対象とするのは理不尽極まる。とりわけ、植村隆元記者は、吉田清治証言紹介記事とは無縁なのだ。

さらに、この決議が興味を惹くのは、「日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」「戦後体制脱却」が繰り返されていること。安倍政権や自民党と同じフレーズを使って、親和性がアピールされているのだ。安倍自民党は、かつての「保守」政党ではなく、この集会の参加者と同質の極右政党と化していることをよく表している。

この集会では、「日本と日本人の名誉と誇りを取り戻す」ことが繰りかえし強調された。「『戦後日本』ではなく、本来の『日本』が動き出した」「『世界市民』ではなく、『日本国民』が起ち上がった」などとされている。また、この日の集会で代表者に選出された渡部昇一は、「朝日新聞の社長と関係者は、国連ビル前で切腹してもらいたいくらいだ」とまで発言している。

最も注目すべきは先に見た土屋敬之発言である。週刊金曜日は品良く、「脅迫行為を支持するともとられかねない発言」と手心を加えているが、誰が見ても「犯罪容認発言」であり、「犯罪者にエールを送る発言」でもある。国賊や売国者には脅迫があってしかるべきとする見地から犯罪者を激励する発言ではないか。

かつて石原慎太郎がテロ容認発言をして物議を醸した。
右翼少年による浅沼稲次郎・元社会党委員長の刺殺事件に対して「こんな軽率浅はかな政治家はその内天誅が下るのではないかと密かに思っていたら、果たせるかなああしたことにあいなった」と言い、また、外務省の田中均外務審議官の自宅ガレージに右翼が爆発物を仕掛けた事件に関して、「何やってんですか。田中均というやつ、今度、爆弾を仕掛けられて、当ったり前の話だ」と発言している。

土屋発言も同様だが、法が支配する社会において許容される限度を明らかに超えた発言である。法秩序を逸脱し、人権や人身を攻撃する暴言として許容してはならないのだ。

私は、北星学園大学への匿名脅迫状の発送を威力業務妨害罪に当たるとして、その犯人に厳正な捜査と処罰を求めた告発人弁護士380名のひとりである。共同代表のひとりでもある。この卑劣な犯罪を容認し、公然と激励する発言者を許しがたい。もちろん、このような発言を組織した集会もだ。

朝日バッシングの尖兵になっているのは、匿名脅迫状発送の卑劣な犯罪者にシンパシーをもつ、このような集会の参加者なのだ。必要な批判を遠慮してはならないと思う。
(2014年11月14日)

石原慎太郎の「一文字」改憲論に

石原慎太郎が所属している政党は「次世代の党」という(「前世紀の党」ではない)。その党の衆院予算委員会の持ち時間に石原が質問に立った。10月30日のこと。

その質問について、共同は「憲法前文に助詞の使い方の間違いがあるとして、安倍晋三首相に一文字だけの改正を提案した」と伝えている。時事は、「日本国憲法前文の日本語の使い方に不備があると訴え、安倍晋三首相も石原氏の主張に一部同調する場面があった」と。

メディアの注目度が低く、詳細は報じられていないが、次のような内容であったようだ。
「石原氏は前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼』の部分を例に取り、『助詞の「に」の使い方が明らかに間違いだ。おかしな日本語は日本に厄介な問題をもたらす9条につながっている』とまくし立て、助詞だけでも手直すよう首相に求めた」(時事)
「作家である石原氏は、前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』の表現について『明らかに間違いだ』と指摘し、『信義に』を『信義を』に改めるべきだと主張した」(共同)

まったくつまらない話。ネタ切れで、目先を変えてみたということ。メディアの受けをねらったものだろうが、当てが外れたようだ。

思い出すのは、教育勅語についての似たような話題。私が手にした高校時代の国文法の教材に、「教育勅語に動詞の使い方の間違いがあった」と述べられていた。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の「一旦緩急あれば(已然形)」は、「一旦緩急あらば(未然形)」の間違いだという。

もちろん、間違いではないとする説もあるようだ。しかし、学生が教えられる意味に勅語を理解し、教えられた国文法に照らせば、明らかに勅語には「一字の間違い」がある。しかも「もっとも大事な部分の大きな間違い」なのだ。私が使ったその教材では、「当時、どの国文の教師も間違いには気付いていたが、畏れ多くも天皇の文書に誤りがあるなどとは指摘できなかった。起草者の元田永孚の権威を失墜することも憚られた」と、当時の社会や学会の権威主義を批判していた。

その印象に深い教材のおかげで、私は古語における動詞の「未然形」と「已然形」との違いを理解し、以後取り違えをすることはなかった。

さて今の世に、仮に憲法の「一文字の間違い」があったとして、いかほどの意味を持つだろうか。憲法は拝跪すべき聖典ではない。文字や文章の一字一句を侵すべからずとする神聖な存在でもない。教育勅語とは違うのだ。

石原には、「一文字の間違いがある」と指摘する表現の自由がある。しかし、石原の指摘する「一文字の間違い」で、憲法の理念についての国民の確信に何の揺るぎも生じるものではない。要するに、とるに足りない些事の指摘でしかない。

それでも、彼が、予算委員会で党の持ち時間をこの些事に費やしたことについて、産経は次のように報じている。
「質問を志願したという石原氏が取り上げたのは憲法の前文。『間違った助詞の一字だけでも変えたい。それがアリの一穴となり、自主憲法の制定につながる』と訴えた」
一文字の間違いがあったとしても、「それがアリの一穴となり、自主憲法の制定につながる」は、思い込みも甚だしい。

しかも、彼が何をもって「間違い」、「不備」というのかは詳報に接していないもののどうしても理解しがたい。まさか、「信頼する」は他動詞だから、格助詞は「を」をもちいるべきだ、などと言っているわけでもあるまい。

私には、「日本国民は、‥平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」が日本語の文章として間違いとの指摘には到底頷く気にはなれない。日本語として不適切とも、醜い文体とも思えない。とりわけ、わけの分からない多くの法律条文の「醜悪な」文体に辟易している身には、この日本国憲法の文章は、例外的に分かり易く、美しいとさえ思える。

石原の指摘のごとく、「諸国民の公正と信義を信頼して」としてもよかろうが、やや意味が変わってくるのではないだろうか。両者を比較しての文意についての感覚的な印象としては、「を」を用いた場合には信頼の対象は「諸国民」の意味合いが強く、「に」を用いた場合には信頼の対象はほかならぬ「公正と信義」となるのではないか。

また、「諸国民の公正と信義『を』信頼して、われらの安全と生存『を』保持しようと決意した」という同じ助詞の重なりを避けようとした修辞上の配慮もあったろう。すくなくとも、「を」が正しくて「に」は間違いと決めつけることはできない。ましてや、「助詞の『に』の使い方が明らかに間違いだ」「おかしな日本語だ」と断定する根拠はあるまい。

こういうときには、まず「日本国語大辞典」だ。格助詞「に」を引いてみるが、膨大に過ぎて手に負えない。結局、広辞苑が手頃だ。格助詞「に」について14通りの用法分類があって、その8番目に「対象を指定する」用法の説明がある。文語の用例がいくつかならび、最後に口語の「赤いの『に』決めた」とある。これだろう。

憲法前文は、信頼の対象を単に「平和を愛する諸国民」とせず、さらに「その公正と信義」と指定(特定)したのだ。決して間違った日本語でも不自然な日本語でもない。

なお、憲法の教科書では「平和を愛する諸国民の公正と信義」は、国連の理念と活動への評価だと説かれる。内容においても間違いはなく、ここをもって「アリの一穴」とすべき理由はない。

本日のブログのタイトルを、「石原慎太郎の『一文字』改憲論に」とした。「石原慎太郎の『一字』改憲論に反駁する」の意味である。これを、「石原慎太郎の『一文字』改憲論を」にしないのは「明らかに間違い」、「日本語として不備」などと指さされる筋合いはなかろう。
(2014年11月2日)

「はだしのゲン」攻撃の逆効果に学ぶ

昨日(10月26日)の毎日に、「【読書世論調査】はだしのゲン、5割『読んだ』」の見出しで、次の記事が報じられている。

「毎日新聞が8〜9月に実施した「第68回読書世論調査」で、広島の被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」を読んだことがある人は2人に1人に上ることが分かった。このうち9割超は小中学生が読むことを『問題ない』としており、戦争の悲惨さを伝える平和教育の教材として肯定的に受け止めていることがうかがえる。」

調査は全国の16歳以上の男女3600人を対象に郵送方式で実施し、2406人から有効回答を得たという大規模なもの。調査では49%が「はだしのゲン」を読んだことが「ある」と答えた。「特に学校で読んだことが推測される30代は年代別で最も多い73%が読んでいた」という。

興味深いのは、「小中学生が読むことについては、全体で85%、読んだ人に限ると97%が『問題ない』と答えた」ということ。詳細のデータは報告されていないが、「小中学生が読むことについて問題があると考えるか否か」の回答には、読んだ群と、読んでいない群との間で大きな落差があることだ。その差はほぼ24%と推定される。

読んだ人々は、自分の読書経験から判断している。その97%が「小中学生が読むことについて問題がない」と回答していることは注目すべき肯定度というべきである。これが、実際に読んだことのない者だけでの同じ設問についての回答が73%(推定)となるのはどうしてだろうか。

自分で読まない人々の回答は、ことさらに残虐なシーンだけを抜き出して強調したプロパガンダに少なからず影響されたのではないだろうか。全体の文脈から切り離して、戦闘や原爆の残酷な場面や、日本兵の女性に対する暴行の場面、あるいは差別表現だけを抜き出して、これを「小中学生が読むことについて問題がないか」と問われれば、躊躇することは当然に考えられる。それでも、7割を超える人が「問題ない」と回答していることを心強く思うべきなのだろう。

毎日の見出しに強調されてはいないが、実際に「はだしのゲン」を読んだことがある人たちが自分の読書経験から判断して、実にその97%が「小中学生が読むことについて問題がない」と回答していることは、もっと世に知らしむべことだと思う。この調査結果を教えられれば、読んだことがない人々の意見も変わってくるのではないか。「描写が過激」なのは、戦争の現実の悲惨に近づこうとした結果にすぎないということへの理解が得られると思う。

このような調査が行われたのは、「間違った歴史認識を植えつけている」という一部の心ない人々の陳情に松江の市教委が過剰に反応したことがきっかけになっている。2012年12月、松江市教委は、「旧日本軍の残虐行為などの描写に過激な部分がある」という理由で、読むのに教師の許可が必要な閉架措置とするよう学校側に要請することにした。それが「知る権利」や「表現の自由」を侵すものだと社会問題に発展して、結局市教委の事務局の手続きに不備があったということに落ち着き、13年8月に市教委は閲覧制限を撤回した。良識ある世論の大きな勝利である。

この事件をきっかけに、「はだしのゲン」の単行本は注文が相次いで増刷を重ねたという。昨年(13年)の夏には、例年同時期の2?3倍の売れ行きがあったと報じられている。続いそうした社会的関心の高まりが、今回の毎日の調査にもつながっている。

「間違った歴史認識を植えつけている」からこのマンガを子どもに見せるべきでない、という陳情は完全に裏目に出た。松江市教委の判断もである。このような「逆効果」こそが、歴史修正主義からの攻撃に対する最も有効な反撃となる。これが、この事件から学ぶべき最大の教訓ではないか。

なお、「はだしのゲン」は、マンガという媒体で戦争の悲惨を訴えて成功した典型例である。小説や詩歌だけでは十分にできなかったことを、優れた映画がなしえた。多くの人の感性に訴え得て反戦の気運を盛り上げた。その映画よりもさらに広範な多くの読み手を得て、「はだしのゲン」は、原爆の悲惨を訴え戦争にまつわる現実を突きつけた。

戦争は、常にそれを推進する勢力と押しとどめようとする勢力との、壮大なせめぎ合いのテーマとなる。だから、二度と戦争をしてはならないと訴える作品は、戦争推進勢力から疎まれる。あわよくば、折あらば、排斥しようとの試みの標的となる。一部右翼の排斥の蠢動は、「はだしのゲン」の反戦作品としての影響力を無視し得なくなった表れとして故中沢啓治の名誉でもあろう。

戦地での戦闘行為は、戦争のごく一部に過ぎない。長い長い国民全体の戦争準備期間における諸々の政治経済教育報道の過程があり、戦争に関係づけられた国民生活がある。戦後も国民各人の人生の後遺症を引きずることになる。

「はだしのゲン」は、戦前の市民生活から、思想差別、民族差別、皇軍の残虐、被爆後の広島の生活までを壮大に描ききった大河ストリーである。だから、読ませたくない勢力の標的となった。いま、「はだしのゲン」攻撃に対する反撃成功の教訓に学ぶべき意義は大きい。
(2014年10月27日)

「従軍慰安婦」報道の元朝日記者を応援する

朝日バッシングは、時代を画しかねない大きな問題である。朝日の「誤報」が責められているのではない。「誤報」は朝日を叩く恰好のきっかけ提供に過ぎず、叩かれているのはリ朝日が象徴するリベラリズムそのものなのだ。戦後民主々義が攻撃されていると言ってもよい。

その意味では、「従軍慰安婦」問題と、福島第1原発事故対応の「誤報」二部門の重みは格段に異なる。「従軍慰安婦」問題での「誤報・取り消し」は、歴史修正主義派を大いに勢いづかせるものとなった。吉田清治証言の虚偽性はとっくの昔に周知の事実になっていたにかかわらず、である。

故人となっている吉田清治叩きだけでは迫力がないからか、右派メディアは、当時の「従軍慰安婦」報道担当記者をバッシングの対象にしている。その標的の一人とされたU元記者は、吉田清治証言の紹介記事とは何の関係もない。

にもかかわらず、新聞・週刊誌だけではなく、ネットでの匿名に隠れた卑劣な記事の罵詈雑言がはなはだしい。元朝日記者本人だけでなく、高校生の娘さんを含め、家族みんなが標的とされている。右派「言論」のおぞましさをよく表す事態である。

そして、元記者が非常勤講師として勤務する札幌の北星学園大学に脅迫状が二度にわたって届いた。文面の一部は以下のようなものだという。

「U(元記者)をなぶり殺しにしてやる。」「(Uを)すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を傷めつけてやる」「あの頭の程度で講義がこなせるというのか。できるというのならその程度の学校か、ほほう朝鮮系か」「これをやるーガスボンベ爆発、サビ釘混ぜて」
あきらかな脅迫であり威力業務妨害である。リベラルな言論への萎縮効果を狙った表現の自由の封殺であり、大学の自治への挑戦でもある。そして、差別意識むき出しののヘイトスピーチでもある。

このような新聞・週刊誌・ネット・脅迫状などの総掛かりの「言論の暴力」に、私たちの社会はどれほどの耐性をもっているだろうか。健全な良識が復元力を発揮しうるだろうか。社会が試されている。

幸い、北星学園大学は毅然とした態度を堅持している。「負けるな北星!の会」の市民運動も動き出している。その意味では、けっして押されっぱなしではない。しかし、学校の警備を厳重にせざるを得ず、そのための費用負担は確実に大学の重荷になっていると漏れ聞こえてくる。仮に、右派言論の暴力に屈するような事態となれば、これは一大事だ。大学にもU記者とその家族にも、「負けるな」「がんばれ」と声援を送りたい。そして、精一杯支えなければならないと思う。

ネットや脅迫状のネタは、すべて新聞・週刊誌記事からの借り物である。新聞・週刊誌がすべてのネタ元となっており、しかも、ごく少数の右翼言論人がその中心に位置している。そこから、すべてが発せられ拡散されているという構図がある。U記者の記事を捏造という、その大ネタ元の内容が、あきらかにおかしい。とうてい、U記者の記事を捏造だなどと決めつけることはできない。

U記者の最初の「従軍慰安婦」記事は朝日の1991年8月11日付。後に実名を公表して訴訟に踏み切る金学順さんを取材したもの。その記事のリードの冒頭が以下のとおり。
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した」

これが、右派の大ネタ元から攻撃されている。この記事のうち、
?「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」の部分が「経歴詐称」であり「捏造」だというのだ。そもそも、「挺身隊」とは勤労動員組織なのだから慰安婦とは関係がない、という。

しかし、この記事は『女子挺身隊』は、個別事例としての金さんの経歴を指しているのではなく、「女子挺身隊の名で日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦」という一般例を指している。また、当時は韓国内でも「女子挺身隊」は「従軍慰安婦」を意味するものとされていたと反論されている。この点は、検証可能であろう。

ちなみに、ウィキペディアの「韓国挺身隊問題対策協議会」の解説記事では、「団体名に『挺身隊』とあるが、これは日本統治時代の慰安婦を指している。挺身隊(女子挺身隊)は日本や韓国などを含めた当時の日本領内の勤労奉仕団体のことを指すが、韓国においては現在も慰安婦を女子挺身隊と混同することが多い」とされている。

何よりも、問題は「狭義の強制性」にあるはずだが、このリードには「強制連行」の言葉はなく、本文には「だまされて慰安婦にさせられた」と明記されている。

また、U記者には、同年12月25日付の記事もある。このときは、「日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」という見出しになっている。

この記事について、
?金さんがキーセンであった経歴を意図的に隠した。
?Uさんの義母が戦後補償裁判の原告であることを隠した。の2点が攻撃されている。
以上の3点が、「捏造」指摘のすべてと言ってよいようだ。

しかし、金さんがキーセンの養成学校に通っていたことは、本筋の問題に何の関わりもないこととして、朝日だけでなく、当時他の新聞も記事にしていない。また、Uさんの義母は裁判の原告とはなっていない。朝日の検証記事でも、U記者が義母から記事の内容について提供を受けたことはない、と確認をされている。

私には、まだ右派の批判を「何の根拠もない」ときめつけるだけの資料に接してはいない。しかし、確信を持って言えることは、これらの批判が「従軍慰安婦」問題の本質に関するものではないということである。「従軍慰安婦」とされた女性の悲惨な状況を報じる記事の内容には触れることなく、その周辺の些事についてのこのような批判が、どうして右派勢力総掛かりの大合唱になるのだろうか。

朝日バッシングの意図と、これに対抗する言論の意義は明らかというべきではないか。いずれ、右派の「批判」については、黒白が明らかになるだろう。そのときは、攻守ところを変えることになるだろう。

もちろん、その際にも薄汚い「リベンジ言論」はあり得ない。
(2014年10月15日)

朝日バッシングに悪乗りした石原慎太郎の暴論

朝日バッシングの動きは、傍観しておられない。バッシングされているのは、「朝日」が象徴する戦後民主々義だからである。
朝日が戦後民主々義の正統な継承者であるかの議論は措く。虚像にもせよ攻撃する側の認識においては、「朝日=唾棄すべき戦後民主々義」なのだ。朝日叩きを通じて、「戦後」と「民主々義」とが叩かれている。叩かれっぱなしとするわけにはいかない。

時代の空気が、安倍のいう「戦後レジームからの脱却」や「(戦後レジーム以前の)日本を取り戻す」に染まりつつある。むしろ、そのような時代の空気が安倍を押し上げたのだろう。

朝日へのバッシングにおいて、戦前から断絶したはずの戦後が意識的に否定されている。具体的に攻撃されているものは、朝日が体現する歴史認識であり、その歴史認識が結実した日本国憲法であり、平和・民主々義・人権という理念にほかならない。だから、「従軍慰安婦問題」がメインテーマとなっているのだ。テーマだけではなく、その主張の乱暴さに驚かざるをえない。とうてい、放置してはおられない。

本日の朝日社会面の「メディアタイムズ」が、朝日バッシングのすさまじさをよく伝えている。
「慰安婦報道にかかわった元朝日新聞記者が勤める大学へ脅迫文が届き、警察が捜査を進めている。インターネット上では、元記者の実名を挙げ、「国賊」「反日」などと憎悪をあおる言葉で個人攻撃が繰り返され、その矛先は家族にも向かう。暴力で言論を封じることは許せないと市民の動きが始まった。」

標的とされた北星学園大学(札幌)は、「9月30日、学生と保護者に向けた説明文書の中で初めて、U氏の退職を求める悪質な脅迫状が5月と7月に届き、北海道警に被害届を出したことを明らかにした。3月以降、電話やメール、ファクス、手紙が大学や教職員あてに数多く届き、大学周辺では政治団体などによるビラまきや街宣活動もあった」という。

「ネット上で、大学へ抗議電話やメールを集中させる呼びかけが始まった。3月、大学側が『採用予定だったU氏との雇用契約は解消されました』とホームページで公表すると、ネットには『吉報』『ざまぁ』の書き込みが相次いだ」とのこと。記事中にあるとおり、「もはやUさんだけの問題ではない。大学教育、学問の自由が脅かされている」

また、「帝塚山学院大(大阪府大阪狭山市)にも9月13日、慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の人間科学部教授の退職を要求する脅迫文が届き、府警が威力業務妨害容疑で調べている。元記者は同日付で退職した」とのこと。

さらに、ネットの書き込み自体も大きな問題だ。「ネットに公開していない自宅の電話番号が掲載されていた。高校生の長女の写真も実名入りでネット上にさらされた。『自殺するまで追い込むしかない』『日本から、出ていってほしい』と書き込まれた。長男の同級生が『同姓』という理由で長男と間違われ、ネット上で『売国奴のガキ』と中傷された」ともいう。これにも、適切な法的措置が必要だ。

北星学園事件と帝塚山学院事件、そしてネットでの中傷。いずれもまことに卑劣な行為。あきらかに、威力業務妨害、脅迫、強要、名誉毀損、侮辱などの犯罪に該当する。徹底した刑事事件としての訴追が必要であり、再発防止には処罰が有効だろう。

五野井郁夫・高千穂大准教授のコメントが適切である。
「民主主義の要である言論の自由を暴力で屈服させるテロ行為と等しく、大変危険だ」「言論を暴力で抑圧してきた過去を日本社会は克服したはずなのに、時代が逆戻りしたかのようだ。私たちはこうした脅しに屈してはいけない」

まったく同感である。一連のバッシングを「言論の自由を暴力で屈服させるテロ行為に等しい」との認識が定着しつつある。産経新聞ですら、「報道に抗議の意味を込めた脅迫文であれば、これは言論封じのテロ」「言論にはあくまで言論で対峙すべきだ」と社説で主張している。

ところが、比喩としての「言論によるテロ」ではなく、本物のテロの実行を煽る言動まで表れている。石原慎太郎「国を貶めて新聞を売った『朝日』の罪と罰」(『週刊新潮』10月9日号)がそれである。何とも驚くべき暴論。

「私と親しかった右翼活動家の野村秋介さんが、朝日新聞東京本社に乗り込んだ事件がありました。九十三年十月のことで、当時の中江利忠社長らに説教して謝罪させたあと、社長の目の前で自分のわき腹に向けて拳銃を放ち、自殺してしまいました。
 私は通夜に行って、『野村なんでこんな死に方をしたんだ、なんで相手と刺し違わなかったんだ』と言いました。彼は朝日新聞に対して、命がけで決着をつけるべきだったのです。そうすれば、彼らはもう少しまともな会社になっていたのではないか。朝日が国を売った慰安婦報道をひっくり返した今、なおさらそう思います。
 朝日新聞は、これだけ国家と民族を辱めました。彼らがやったことは国家を殺すのと同じことで、国家を殺すというのは、同胞民族を殺すことと同じです。彼らはいつもああいうマゾヒズム的な姿勢をとることで、エクスタシーを感じているのかもしれませんが、朝日の木村伊量社長は、世が世なら腹を切って死ななければならないはずだ。彼らの責任はそれくらい重いと思います。
 三島由紀夫は生前、『健全なテロがないかぎり、健全な民主主義は育たない』と言いました。私は、これにはパラドックスとして正しい面があると思います。
 野村秋介は六十三年に、当時建設大臣だった河野一郎邸に火をつけました。河野は代議士になる前は朝日新聞の記者で、典型的な売国奴のような男でしたが、那須の御用邸に隣接する上地を持っていて、御用邸との境界線争いが起きたとき、境界をうやむやにするために雑木林に火をつけさせたといわれた。
 それで御用邸の森の一部も燃えてしまい、泉も涸れてしまい、天皇陛下も大変悲しまれました。そのことが右翼全体の怒りを招き、結局、児玉誉士夫が騒ぎを収めたのですが、野村はそれでは納得できず、河野邸を燃やしたのです。
 野村はそれで十二年間、刑務所に入りました。もちろん放火という行為は推奨できないが、命懸けだった。少なくとも昔の言論人は命懸けで、最近、そういう志の高い右翼はまったくいなくなりました。今は、朝日が何をしようと安穏と過ごせる、結局うやむやにして過ごせる時代です」

これは、殺人と放火と業務妨害とを唆し煽る行為である。犯罪を煽動するものとして言論の自由の範疇を超えるものと言わなければならない。自分は安全な場所にいて、他人にテロをけしかけているという意味において卑劣な言動でもある。社会は、このような言論を許してはならない。筆者も筆者だが、新潮の責任も大きい。

今日の東京新聞「本音のコラム」に鎌田慧「軽率な謝罪」が、石原の記事に触れて正論を語っている。
「右派ジャーナリズムあおりに便乗して、石原慎太郎さんは朝日を廃刊にせよ、不買運動を、とアジっている。邪魔な新聞はつぶせ、という政治家の暴論だ」「盥の水と一緒に赤子(報道の自由と民主々義)を流すな」

石原慎太郎が「朝日の不買を」というのなら、私は定期購読を再開しよう。実は、朝日の姿勢に不満あって、ここしばらく定期購読はやめていたのだ。同じように、他紙に乗り換えた人は私の周りに少なくない。しかし、小異にこだわらず朝日を応援しよう。周囲にも朝日回帰を呼びかけよう。朝日が現場の記者を擁護してバッシングと闘い続ける限り、ささやかながら朝日を支え続けよう。
(2014年10月7日)

「政治をカネで買おう」という経団連の卑しい行為を批判しよう

各紙の本日(8月27日)夕刊の報道によれば、経団連は来月にも会員企業への政治献金呼びかけを再開する予定という。これは、「政治をカネで買おう」「政策をカネで買いつけよう」という卑しい行為の呼びかけではないか。主権者国民にとって黙っていられることではない。

榊原定征経団連会長は、6月の就任時に「安倍晋三政権との二人三脚で日本経済の再生に取り組む考え」を強調している。二人三脚で実現しようとという政策とは、原発再稼動であり、原発輸出であり、武器輸出であり、消費増税であり、企業減税であり、TPPも、労働基準法のなし崩しも、福祉切り捨ても、企業のための教育再生も…。要するに、庶民泣かせの企業優先政策ではないか。こんな安倍自民党に財界がカネを注ぎこむことは、壮大な「政治の売買」「政策の売買」以外のなにものでもない。

経団連の側からみれば、「大きな儲けのための、ほんのささやかな投資」であり、安倍自民の側からは「スポンサーからのありがたいご祝儀」なのだ。持ちつ持たれつの腐れ縁である。

政治献金とは宿命的に見返りの期待と結びついている。企業はその利益のためにカネを出すのだ。たとえ、目先の利益ではない遠い先の利益であっても、利益と結びつかないカネの支出は株主の許すところではない。中小企業家は中小企業家なりの利益のために、労働組合はその組合員の利益のために。そして、力も名もない庶民は、庶民としての自分のささやかな利益を実現する政党・政策のために貧者の一灯をともすのだ。

大企業や大金持ちが、多額のカネを拠出するとき、政治や政策をカネで買ってはならないと批判しなければならない。一方、庶民の零細な資金が集積されて政治に反映されるときには、民主政治の健全な在り方と積極評価されることなる。それが当たり前のことなのだ。民主主義社会においては、数がものをいうのが当然で、カネの多寡にものを言わせてはならないのだ。

政治資金規正法は、ザル法と言われながらも、世論が厳しくものを言う度に、ザルの目は少しずつではあるが密になってきている。また、これまで5年間も経団連が献金あっせんして来なかったのも、世論に遠慮してのこと。すべては世論次第。

確認しておこう。政治資金規正法は、どこまでザルの目を細かくしてきたか。会社・労働組合から、政治家個人・資金管理団体への献金は禁止されている。企業・労働組合から、政党・政治資金団体への献金は許されているが、その規模に応じて年間750万円?1億円の限度が設けられている。また、法の趣旨は、政治献金を奨励するものではない。積極的に献金を公開することで透明性を確保し、国民の監視と批判を期待しているのだ。

ところがいま、経団連には安倍自民と二人三脚で持ちつ持たれつの取引をしても、世論の風当たりは大したことはないと見えているのだろう。これにきついお灸をしておかないと取り返しの付かないことになる。

大企業や大金持ちから献金を受けている政党に、庶民のための政治を期待することがそもそも無理な話。政治資金の流れに目を光らせ、賢い庶民の投票行動を期待するのが民主政治である。

安倍政権には、思い知らさねばならない。財界との蜜月の関係は、政権与党に潤沢な政治資金をもたらすののかも知れないが、民衆からの支持の離反を招くものであることを。
(2014年8月27日)

スズメバチに学んだこの夏の教訓

今日は処暑。処とは、足と台とを組み合わせて、床几に落ちついている様を表す会意文字だという。処暑とは、暑さ落ち着くの意なのだろう。あるいは、処分・処断の処と解せば、暑さの始末がつくという意味であろうか。

旧暦でのこととはいえ残暑の厳しさも心なし和らいできているよう。夏も終わりに近い。

日本中が自然の猛威になすすべも無く翻弄された今年の夏。報じられている各地の災害はまことに傷ましい。それと較べれば些細な私事であるが、私も自然界による逆襲を受けた。

クロスズメバチの襲撃に遭って、痛い目にあったことは前のブログでお知らせした通り。たいしたことにならず、ホッとしていたら、追い打ちをかけるように、今度はキイロスズメバチに指と上唇の2カ所を刺されてしまった。その痛さはクロスズメバチの比ではない。釘を打ち込まれるようだという表現があるけれど、たしかに釘をバチンと打ち込まれればこんな感じかもしれない。指の付け根を刺されたら、みるみるうちに手全体は無論、前腕の半分ほどがパンパンにふくれあがった。焼き芋に5本のウインナーソーセージをぶらさげたよう。上唇のほうは、鼻の下だけが思いっきりはれあがって、カモノハシのようになり、よほど注意をしないとよだれが垂れるままのだらしない状態となった。

今でこそ余裕をもって報告できるが、刺されたときは深刻だった。これで三回目、合計7匹のスズメバチの毒を受けたことになるのだ。「もうダメかも知れない。アナフィラキシーショックで入院か」という思いが頭をかけめぐった。

しかし、クロスズメバチに刺されたときに学んでいたことが役に立った。水道水で徹底的に洗い流して、氷でひやした。痛いやら怖いやらでビクビクものだったが、またもや、冷静沈着な行動をとった私の勝ち。

3日間はふくれあがったが、後は徐々に回復。2日ほどは食事をするのが嫌になるほど痛かったが、3日以降は痒くて痒くてたいへん。でも、それだけのことだった。

ハチ毒に対するアレルギーは人それぞれ、場合によりけりらしいので、絶対に次回も安心できるとおもわない。油断大敵と厳しく自戒している。

スズメバチといえども、むやみやたらに攻撃するわけでは無い。巣に対する攻撃にたいして自衛の個別的自衛権を発動するするだけのことらしい。私が刺された状況に照らして、その説明は十分納得できる。クロスズメバチの場合はうっそうとしたウツギの大枝を切ってドサリと下に落としたときに刺された。キイロスズメバチの場合はツバキの上にからまったヤブガラシを引っ張りおろすために、ユッサユッサと揺らしたときに刺された。いずれも、一族の城に対する侵略への自衛措置である。

ちょうどイスラエルがガザで虐殺ともいえる攻撃をしている時期だったので、妙にスズメバチに同情する心がわきおこって、憎んだり怒ったりする気持ちにはなれなかった。「突然驚かしてゴメンね」と言ってみたが、通じてはいなかったようだ。

そんな同情心を持つにいたったのにはもう一つ理由がある。前回攻撃されたクロスズメバチの巣を見つけたのだ。愚かなことに、クロスズメバチは地面に直接、直径40センチほどの穴を掘って、その中に巣を作っていたのだ。近づくと兵隊蜂がワンワンと飛び出してきた。これだなと思って、蚊取り線香に火をつけて放り込むと、あたりまえのことだが、ますます大勢で飛び出してくる。位置の確認はできたが、内部構造まではわからない。そうこうしているうちに、台風11号による大雨が降った。土砂が穴を覆ってしまい、スズメバチの巣は閉じ込められてしまった。大雨という自然災害にはさしものスズメバチもなすすべが無かったとみえる。可哀想なことに、全滅した様子。できることなら、私がやったんじゃ無いとスズメバチに伝えて、誤解を解きたいと心から思う。

ところで、巣の作り方の教訓は子孫に伝わるのだろうか。来年は目立たない崖に、横穴を掘るべきであって、垂直に掘り下げる巣作りは危険だという死活的に重要な教訓は伝承できるのだろうか。伝承できなければ、クロスズメバチ一族の未来に希望はない。

人間はスズメバチとちがって、言い伝えたり、本に書き残したり、映像化したり、教訓を残す方法をたくさんもっている。

ところが、戦争に懲りたはずのこの日本が、またもや戦争ができる国になりそうな事態を迎えている。本当に人間はスズメバチより利口なのだろうか。せっかく手にした教訓と教訓伝承の手段は役に立たないのだろうか。

もしかしたら、本当に痛みを体験した者だけにしか、教訓は伝わらないのではなかろうか。スズメバチに刺された痛さだって、人に伝えることは難しい。戦争の悲惨さも同じことなのかも知れない。

しかし、人間が学びを積み重ね、伝承できないスズメバチと同じであってはならない。人間が虫けらのように殺されていくのが戦争だ。どんなに困難なことだとしても、その悲惨さと、繰り返してはならないとする教訓を、あらん限りの知恵を発揮して伝承しなければならない。

まだまだ間に合う。今一度の戦争はなんとしても防がなければならない。痛い目にあって、スズメバチから得たこの夏の「痛い教訓」。
(2014年8月23日)

安倍晋三首相に対する告発状

本日、安倍晋三首相の資金管理団体である晋和会の会計責任者と安倍晋三首相本人の両名を被告発人として、政治資金規正法違反の告発をした。

告発事案は、晋和会の政治資金収支報告書の寄付者の「職業」記載に、16か所の「虚偽記載」があること。「虚偽記載」は、故意だけでなく重過失を含むものと定義されている。会計責任者が刑事責任の対象となった場合、原則として資金管理団体の代表者の監督責任も問われることになる。
監督責任者としての被告発人安倍晋三の刑が確定すれば、公民権停止となる。その場合、公選法99条によって当然に議員としての地位を失う。議員でなくなれば、首相の座も失うことになる。

本日午前11時、醍醐聰さんと私と神原弁護士とで、東京地検に告発状を提出してきた。今後の成り行きを注目したい。
告発状の全文を紹介する。
なお、下記URLを開いてもらえば、同文をクリーンな書式で読むことができる。

http://article9.jp/documents/告発状.pdf

2014年8月18日
告  発  状
東京地方検察庁 御 中

告   発   人      醍 醐   聰
同              湯 山 哲 守
同              斎 藤 貴 男
同              田 島 泰 彦
告発人代理人弁護士      澤 藤 統一郎
同              阪 口 徳 雄
同              神 原   元
同              藤 森 克 美
同              野 上 恭 道
同              山 本 政 明
同              茨 木   茂
同              中 川 素 充

被  告  発 人     ○ ○ ○  美
同              安 倍 晋 三

告 発 の 趣 旨
被告発人○○○美ならびに同安倍晋三に、それぞれ下記政治資金規正法違反の犯罪行為があるので、この事実を申告するとともに厳正なる処罰を求める。

被疑事実ならびに罰条
1 被告発人○○○美は、2011(平成23)年当時から現在に至るまで政治資金規正法上の政治団体(資金管理団体)である「晋和会」(代表者 安倍晋三、主たる事務所の所在地 東京都千代田区永田町2?2?1 衆議院第一議員会館1212号室)の会計責任者として、同法第12条第1項に基づき同会の各年の政治資金収支報告書を作成して東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に提出すべき義務を負う者であるところ、2012年5月31日に「同会の2011(平成23)年分収支報告書」について、また2013年5月31日に「同会の2012(平成24)年分収支報告書」について、いずれも「寄附をした者の氏名、住所及び職業」欄の記載に後記「虚偽記載事項一覧」のとおりの各虚偽の記載をして、同虚偽記載のある報告書を東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣宛に提出した。
被告発人○○○美の以上の行為は同法第25条第1項3号に該当し、同条1項によって5年以下の禁錮または100万円以下の罰金を法定刑とする罪に当たる。

2 被告発人安倍晋三は、資金管理団体「晋和会」の代表者として、同会の会計責任者の適正な選任と監督をなすべき注意義務を負う者であるところ、同会の会計責任者である被告発人○○○美の前項の罪の成立に関して、同被告発人の選任及び監督について相当の注意を怠った。
被告発人安倍晋三の以上の行為は、政治資金規正法25条第2項に基づき、50万円以下の罰金を法定刑とする罪に当たる。

3 虚偽記載事項一覧
2011(平成23)年分 (2012年5月31日作成提出)
・寄付者小山好晴について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「NHK職員」あるいは「団体職員」
・寄付者小山麻耶について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
・寄付者周士甫について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
(以下略)
2012(平成24)年分 (2013年5月31日提出)
・寄付者小山好晴について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「NHK職員」あるいは「団体職員」
・寄付者小山麻耶について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
・寄付者周士甫について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
→正しくは「会社員」
(以下略)

4 本件虚偽記載発覚の経緯
本件の発覚は、NHKの職員(チーフプロデューサー)である小山好晴が有力政治家安倍晋三(現首相)の主宰する政治団体(資金管理団体)に政治献金をしていることを問題としたマスメディアの取材に端を発する。
「サンデー毎日」本年7月27日号が、「NHKプロデューサーが安倍首相に違法献金疑惑」との見出しを掲げて報道した。同報道における「NHKプロデューサー」とは小山好晴を指し、「NHK職員による安倍首相への献金の当否」を問題とするものであった。また、同報道は小山好晴の親族(金美齢)の被告発人安倍晋三への献金額が政治資金規正法上の量的制限の限度額を超えるため、事実と認定された場合は脱法行為となる「分散献金」を隠ぺいするために小山好晴からの名義借りがあったのではないかという疑惑を提示し、さらに、政治資金収支報告書上の寄付者小山好晴の「職業」欄の「会社役員」という表示について、これを虚偽記載と疑う立場から検証して問題とするものであった。
小山好晴が「NHK職員」であることは晋和会関係者の知悉するところである。政治資金規正法(12条第1項1号ロ)によって記載を義務付けられている「職業」欄の記載は、当然に「NHK職員」あるいは「団体職員」とすべきところを「会社役員」と記載したことは、被告発人安倍晋三に対するNHK関係者の献金があることをことさらに隠蔽する意図があったものと推察される。
「サンデー毎日」が上記記事の取材に際して小山好晴らに対して「会社役員」との表示は誤謬ではないかと問い質したことがあって、その直後の7月11日晋和会(届出者は被告発人○○)は小山好晴の「職業」欄の記載を、「会社役員」から「会社員」に訂正した。しかし、小山は「会社員」ではなく、訂正後の記載もなお虚偽記載にあたる。
晋和会(届出者は被告発人○○)は、7月11日に寄付者小山麻耶(小山好晴の妻・金美齢の子)についても、「会社役員」から「会社員」に訂正している。この両者について、原記載が虚偽であったことを自認したことになる。
さらに7月18日に至って、晋和会(届出者は被告発人○○)は、自ら、後記「虚偽記載一覧」に記載したその余の虚偽記載についても訂正届出をした。合計16か所に及ぶ虚偽記載があったことになる。
告発人において虚偽記載を認識できるのは寄付者小山好晴についてのみで、その余の虚偽記載はすべて政治資金収支報告書の訂正によって知り得たものである。当然に、訂正に至らない虚偽記載も、訂正自体が虚偽である可能性も否定し得ないが、告発人らは確認の術を持たない。

5 本件各記載を「虚偽記載」と判断する理由
政治資金規正法第12条第1項・第25条第1項の虚偽記載罪の構成要件は、刑法総則の原則(刑法第38条第1項)に従って本来は故意犯と考えられるところ、政治資金規正法第27条第2項は「重大な過失により第25条第1項の罪を犯した者も、これを処罰するものとする」と規定して、重過失の場合も含むものとしている。
その結果、「虚偽記載」とは行為者が「記載内容が真実ではないことを認識した場合の記載」だけでなく、「重大な過失により誤記であることを認識していなかった場合の記載」をも含むものである。
告発人らは、被告発人○○に、寄付者小山好晴の職業欄記載については、故意があったものと思料するが、構成要件該当性の判断において本件の他の虚偽記載と区別する実益に乏しい。
刑法上の重過失とは、注意義務違反の程度の著しいことを指し、「わずかな注意を払いさえすれば容易に結果回避が可能であった」ことを意味する。本件の場合には、「わずかな注意を払いさえすれば容易に誤記であることの認識が可能であった」ことである。
本件の「虚偽記載」16か所は、すべて被告発人○○において訂正を経た原記載である。小山好晴の職業についての虚偽記載を指摘されて直ちに再調査の結果、極めて容易に誤記であることの認識が可能であったことを意味している。すべてが、「わずかな注意を払いさえすれば容易に誤記であることの認識が可能であった」という意味で、注意義務違反の程度が著しいことが明らかである。
以上のとおり、被告発人○○の行為は、指摘の16か所の記載すべてについて、政治資金規正法上の虚偽記載罪の構成要件に該当するものと思料される。
なお、被告発人○○の犯罪成立は、虚偽記載と提出で完成し、その後の訂正が犯罪の成否に関わるものでないことは論ずるまでもない。

6 被告発人安倍晋三の罪責
政治資金規正法第25条第2項の政治団体の責任者の罪は、過失犯(重過失を要せず、軽過失で犯罪が成立する)であるところ、会計責任者の虚偽記載罪が成立した場合には、当然に過失の存在が推定されなければならない。資金管理団体を主宰する政治家が自らの政治資金の正確な収支報告書に責任をもつべきは当然だからである。
被告発人安倍において、特別な措置をとったにもかかわらず会計責任者の虚偽記載を防止できなかったという特殊な事情のない限り、会計責任者の犯罪成立があれば直ちにその選任監督の刑事責任も生じるものと考えるべきである。
とりわけ、被告発人安倍晋三は、被告発人○○が晋和会の2012(平成24)年分の政治資金収支報告書を提出した約半年前から内閣総理大臣として行政府のトップにあって、行政全般の法令遵守に責任をもつべき立場にある。自らが代表を務める資金管理団体の法令遵守についても厳格な態度を貫くべき責任を負わねばならない。
なお、被告発人安倍晋三が本告発によって起訴されて有罪となり罰金刑が確定した場合には、政治資金規正法第28条第1項によって、その裁判確定の日から5年間公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権を失う。その結果、被告発人安倍晋三は公職選挙法99条の規定に基づき、衆議院議員としての地位を失う。
また、憲法第67条1項が「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」としているところから、衆議院議員としての地位の喪失は、内閣総理大臣の地位を失うことをも意味している。
そのような結果は、法が当然に想定するところである。いかなる立場の政治家であろうとも、厳正な法の執行を甘受せざるを得ない。本件告発に、特別の政治的な配慮が絡んではならない。臆するところなく、厳正な処罰を求める次第である。

7 本件は決して軽微な罪ではない
政治資金規正法は、政治資金の流れについての透明性を徹底することにより、政治資金の面からの国民の監視と批判を可能として、民主主義的な政治過程の健全性を保持しようとするものである。
法の趣旨・目的や理念から見て、政治資金収支報告書の記載は、国民が政治を把握し監視や批判を行う上において、この上なく貴重な基礎資料である。したがって、その作成が正確になさるべきは、民主政治に死活的に重要といわざるを得ない。それ故に、法は刑罰の制裁をもって、虚偽記載を禁止しているのである。
本件16か所の「虚偽記載」(故意または重過失による不実記載)は、法の理念や趣旨から到底看過し得ない。特に、現首相の政治団体の収支報告は、法に準拠して厳正になされねばならない。
被告発人らの本件行為については、主権者の立場から「政治資金規正法上の手続を軽んじること甚だしい」と叱責せざるを得ない。
告発人らは、我が国の民主政治の充実とさらなる発展を望む理性ある主権者の声を代表して本告発に及ぶ。
捜査機関の適切厳正な対応を期待してやまない。
以上

添  付  資  料
疎明資料(すべて写)  各1通
1 晋和会2011(平成23)年分政治資金収支報告書 訂正以前のもの
2 同上訂正後のもの
3 晋和会2012(平成24)年分政治資金収支報告書 訂正以前のもの
4 同上訂正後のもの
5 「サンデー毎日」2014年7月27日号
委任状                    4通

69年目の終戦記念日にー天皇制の残滓と軍国主義の萌芽と

69年前の今日、国民すべての運命を翻弄した戦争が終わった。法的にはポツダム宣言受諾の14日が無条件降伏による戦争終結の日だが、国民の意識においては8月15日正午の天皇のラジオ放送による敗戦の発表の記憶が生々しい。

神風吹かぬままに天皇が唱導した聖戦が終わった日。負けることはないとされた神国日本のマインドコントロールが破綻した日。そして、主権者たる国民の覚醒第1日目でもあった。

69年を経た今日。当時の天皇の長男が現天皇として、政府主催の全国戦没者追悼式で次のように述べている。

「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

どうしても違和感を禁じ得ない。

「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」はいただけない。戦争は自然現象ではない。洪水や飢饉であれば「再び繰り返されないことを切に願い」でよいが、戦争は人が起こすもので必ず責任者がいる。憲法前文のとおりに、「ふたたび政府の行為によって戦争の惨禍が繰り返されないことを切に願い」というべきだった。「心から追悼の意を表し」は、まったくの他人事としての言葉。天皇制や天皇家の責任が少しは滲み出る表現でなくては不自然ではないか。

また、なによりも、どのように「ここに歴史を顧み」ているのか、忌憚のないところを聞いてみたいものだ。

たまたま本日、憲法会議から、「憲法運動」通巻432号が届いた。私の論稿が掲載されたもの。《憲法運動・憲法会議50年》シリーズの第4号。時事ものではなく、今の目線でこれまでの憲法運動を振り返るコンセプトの論稿である。昨年暮れの首相靖国参拝(12月26日)の直後に書いた原稿だが、わけありで掲載が遅れた。そのための加筆もでき、はからずも終戦記念日の今日の配送となったのは、結果として良いタイミングに落ちついたと思う。

その拙稿から「歴史を顧みる」に関連する一節を引用したい。

「日本国憲法は、一面普遍的な人類の叡智の体系であるが、他面我が国に固有の歴史認識の所産でもある。日本国憲法に固有の歴史認識とは、「大日本帝国」による侵略戦争と植民地支配の歴史を国家の罪悪とする評価的認識をさす。

アジア・太平洋戦争の惨禍についての痛恨の反省から日本国憲法は誕生した。このことを、憲法自身が前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と表現している。憲法前文がいう「戦争の惨禍」とは、戦争がもたらした我が国民衆の被災のみを意味するものではない。むしろ、旧体制の罪科についての責任を読み込む視点からは、近隣被侵略諸国や被植民地における大規模で多面的な民衆の被害を主とするものと考えなければならない。

このような歴史認識は、必然的に、加害・被害の戦争責任の構造を検証し、その原因を特定して、再び同様の誤りを繰り返さぬための新たな国家構造の再構築を要求する。日本国憲法は、そのような問題意識からの作業過程をへて結実したものと理解しなければならない。現行日本国憲法が、「戦争の惨禍」の原因として把握したものは、究極において「天皇制」と「軍国主義」の両者であったと考えられる。日本国憲法は、この両者に最大の関心をもち、旧天皇制を解体するとともに、軍国主義の土台としての陸海軍を崩壊せしめた。国民主権原理の宣言(前文・第1条)と、平和主義・戦力不保持(9条1・2項)である。」

ところで、本日の戦没者追悼式には、「天皇制の残滓」のほかにもう一人の主役がいる。「新たな軍国主義」を象徴する安倍晋三首相。7月1日集団的自衛権行使容認の閣議決定後初めての終戦記念日にふさわしく、彼は過去の戦争の加害責任にも将来の不戦にも触れなかった。「自虐史観」には立たないことを公言したに等しい。

その彼の式辞の一節である。
「歴史に謙虚に向き合い、その教訓を深く胸に刻みながら、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世の中の実現に、全力を尽くしてまいります。」

私にはこう聞こえる。
「歴史に謙虚に向き合えば、強い軍事力を持たない国は滅びます。その教訓を深く胸に刻みながら、ひたすら精強な軍隊を育て同盟軍との絆を堅持することによって、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のために、北朝鮮にも中国にも負けない強い国の未来を切り拓いてまいります。そうしてこそ世界の恒久平和に能うる限り貢献することができ、日本の国民が他国から侮られることなく、億兆心一つに豊かに暮らせる日本となるのです。その実現に、全力を尽くしてまいります。」「それこそが、戦後レジームから脱却して本来あるべき日本を取りもどすということなのです。」

来年は終戦70周年。こんな危険な首相を取り替えての終戦記念日としなくてはならない。
(2014年8月15日)

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