明日8月15日は敗戦の日。戦争国家・大日本帝国が滅亡して、平和国家・日本が新生した日。天皇の日本が死んで、国民の日本が生まれた日。どういうわけか、その日を選んでの靖國神社参拝者が多い。
靖國神社の案内にはこうある。
「明治5年に建てられた本殿には、246万6千余柱の神霊がお鎮まりになります。本殿内に掲げられた明治天皇の御製に触れると、靖国の杜に籠められた先人たちの想いが心の奥底にまで沁み透ってきます。」
おやおや。天皇の御製に触れないと「先人たちの想い」に触れることができない仕組みなのか。それにしても、「靖国の杜に籠められた先人たちの想い」の具体的内容を、神社はどのように考えているのだろうか。
靖國神社は改称前は東京招魂社と言った。戊辰戦争の官軍は、賊軍の死者の埋葬を禁じて、官軍の死者だけを祀った。これが招魂祭。友軍の死者の霊前に復讐を誓う血なまぐさい儀式であった。招魂祭では、西南諸藩の官軍を「皇御軍」(すめらみいくさ)と美称し、敵となった奥羽越列藩同盟軍を「荒振寇等」(あらぶるあたども)」と蔑称した。天皇への忠死者は未来永劫称えられる神であり、天皇への反逆軍の死者は未来永劫貶められる賊軍の死者としての烙印が押される。
招魂祭を行う場が招魂社となり、靖國神社となった。靖國神社とは、その出自において国家の宗教施設ではなく、天皇軍の宗教施設である。そして、怨親平等とは相容れない死者を徹底して差別する思想を今も持っている。
日本の文化的伝統とは無縁に、天皇制軍隊のイデオロギー装置として拵え上げられた創建神社・靖國。実は、戦死者を悼む宗教施設ではない。もちろん、平和を祈る場でもない。招魂祭の時代からの伝統を引き継いで、戦死者を顕彰するとともに、生者が霊前に復讐を誓う宗教的軍事施設なのだ。だから、戦死をもたらした戦争を批判したり反省する視点は皆無である。もちろん、戦争を唱導した天皇への批判や懐疑など考えもおよばない。
ときおり、その本質を確認してくれる人が現れる。かつては大勲位・中曽根康弘、そしてごく最近では、泣く泣く明日の靖國参拝をあきらめた防衛大臣・イナダ朋美である。この人は、極右的発言だけがウリの政治家。自ずと言うことがストレートで分かり易い。
このことを報じているのが、8月13日の「リテラ」。「参拝中止の裏で…稲田朋美防衛相が語っていた靖国神社の恐怖の目的!『9条改正後、国民が命捧げるために必要』」という記事。このところ、リテラ頗る快調である。面白い。読ませる。本日は、宮島みつや記者の長い記事の一部を抜粋させていただく。
http://lite-ra.com/2016/08/post-2492.html
稲田氏の“靖国史観”の危険性はそもそも、参拝するかどうか以前の問題だ。恐ろしいのは、稲田氏が靖国にこだわる理由が過去の戦没者の慰霊のためでないことだ。たとえば、彼女はかつて靖国神社の存在意義をこう説明していた。
「九条改正が実現すれば、自衛戦争で亡くなる方が出てくる可能性があります。そうなったときに、国のために命を捧げた人を、国家として敬意と感謝を持って慰霊しなければ、いったい誰が命をかけてまで国を守るのかということですね」
「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(赤池誠章衆院議員らとの座談会、「WiLL」06年9月号/ワック)
「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです」(渡部昇一、八木秀次との共著『日本を弑する人々』PHP研究所)
つまり、稲田氏にとって、靖国は先の大戦の慰霊の施設ではなく、国民をこれから戦地へ送り込み、国に命をかけさせるためのイデオロギー装置なのだ。むしろ、稲田氏の真の目的は、新たに靖国に祀られることになる“未来の戦死者”をつくりだすことにあるといっていいだろう。
これは決してオーバーな表現ではない。実際、稲田氏はこれまで、国民が国のために血を流す、国のために命をささげることの必要性を声高に語ってきた。
「国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです!」(講演会での発言)
「いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」(産経新聞2006年9月4日付)
さらに前掲書では、“国のために命をかけられる者だけが選挙権をもつ資格がある”とまで言い切っている。
「税金や保険料を納めているとか、何十年も前から日本に住んでいるとかいった理由で参政権の正当性を主張するのは、国家不在の論理に基づくもので、選挙権とは国家と運命をともにする覚悟のある者が、国家の運営を決定する事業に参画する資格のことをいうのだという“常識”の欠如が、こういう脳天気な考えにつながっているものと思います」
「「その国のために戦えるか」が国籍の本質だと思います」(前傾『日本を弑する人々』))
これまで長く、憲法改正は絵空事で、再びの戦争もリアリティがなかった。だからこれまでは、靖国参拝は過去の戦争の戦死者を悼むこと、と言って済まされてきた。しかし、戦争法が成立し、改憲勢力が議席の3分の2を占める今、「次の戦争」を構想し、「新たな戦死者」を想定する為政者にとって、「新たな英霊の顕彰」を現実の問題と考えざるをえない時代なのだ。過去の戦争の死者を悼むだけでなく、国民に新たな英霊となる決意や覚悟を固める場所としての靖國。イナダという極右の政治家が、靖國神社本来の役割を分かり易く教えてくれている。
そして、よく覚えておこう。「選挙権とは国家と運命をともにする覚悟のある者が、国家の運営を決定する事業に参画する資格のこと」というイナダの発言を。これが、アベ政権の防衛大臣なのだ。
(2016年8月14日)
都知事選の敗北を引きずっての8月である。脱力感が抜けないまま、はや原爆忌。この間、内閣改造があって、えっ? 稲田朋美が防衛大臣だと?。悪い冗談はほどほどに、と言わざるを得ないできごと。共和党の大統領候補となったトランプ同様の悪夢。と言うよりはリアリティのないマンガ的なできごとではないか。とはいえ、小池百合子都知事同様、イナダ防衛大臣が現実となっている。そもそもアベ政権の存在が、既に悪夢であり、信じがたいマンガ的できごとであり、冗談のはずの現実なのだ。
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8月3日深夜のイナダ就任記者会見は、さすがにご祝儀会見とはならなかった。記者諸君のツッコミはなかなかのもの。防衛省のホームページに防衛大臣臨時記者会見概要として掲載されている。
http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2016/08/04a.html
見出しをつけ、多少質疑の順番を入れ替えて整理してみた。少し長いがイナダなるものがよく分かる。ぜひ目を通していただきたい。イナダが、防衛大臣として不適任なこと明々白々ではないか。こんな人物を物騒な地位に就けては、日本の安全にもアジアの平和にも有害だ。もっとも、外の省庁なら適任という意味ではない。この人、過去の自分の発言に無責任だ。質問に噛み合った答弁の能力がない。言っていることが論理的整合性に乏しい。上手に切り返す政治的センスがない。答弁に余裕もユーモアもない。要するに政治家としてはまったくダメということだ。
イナダの歴史認識を問う
Q:大臣は、日中戦争から第2次世界大戦にいたる戦争は、侵略戦争だと思いますか。自衛のための戦争だと思いますか。アジア解放のための戦争だと思いますか。
A:歴史認識に関する政府の見解は、総理、官房長官にお尋ねいただきたいと思います。防衛大臣として、私個人の歴史認識について、お答えする立場ではありません。
Q:防衛大臣としての見解を伺いたい。
A:防衛大臣として、お答えする立場にはないと考えております。
Q:大臣の就任が決まってから、中国やフランスのメディアなどが、右翼政治家と指摘していたと思うのですけれども、大臣のそれについての御見解と、自分をどういう政治家だと。
A:多分、弁護士時代に関わっていた裁判などを捉えられたりされているのではないかというふうに思っておりますけれども、私自身は、歴史認識の問題について、様々な評価はあるでしょうけれども、一番重要なことは客観的な事実が何かということだと思います。私自身の歴史認識に関する考え方も、一面的なものではなくて、やはり客観的事実が何かということを追求してきたつもりであります。その上で、私は、やはり先ほども申し上げましたように、東アジア太平洋地域の平和と安定、そしてそのためには、中国、韓国との協力的な関係を築いていくということは不可欠だろうというふうに思っております。いつでも、私は、交流というか、話し合いの場を自分から設けていきたい。そして、議論することによって、私に対する誤解も、多分払拭されていくのではないかというふうに思っております。
Q:それに関連して、前の大臣、中谷さんは、訪中についてかなり追求されていたと思うのですけれども、大臣、先ほどの質問で聞かせていただいたのですが、訪中に関する考え方を教えて下さい。
A:機会があれば、訪中したいというふうに思っております。
Q:海外メディアは、大臣の歴史問題に関しまして、南京事件について御見解がいろいろあると思うのですが、聞きたいということと、防衛省の正式な見解では、非戦闘員の殺害、略奪行為をやったことは否定できないと。正しいか、いろいろな説はあるのでどれかとは整理はできませんとあるのですけれども、この見解についてはどう御覧になられますか。
A:私が、弁護士時代取組んでいたのは、南京大虐殺の象徴的な事件といわれている百人切りがあったか、なかったか。私は、これはなかったと思っておりますが、そういったことを裁判として取り上げたわけであります。それ以上の歴史認識については、ここでお答えすることは差し控えたいと思います。
Q:外務省の方の見解は、これは政府としての正式な見解ではないと思うのですけれども、どうお考えですか。
A:外務省の見解を申し上げていただけますか。
Q:南京入城の時に、非戦闘員が殺害、略奪行為があったことは否定できないと思われていますと。具体的なニュースについては、諸説あるので政府はどれが正しいか言えませんと。歴史のQ&Aのホームページ、外務省に書いてあるのですけれども、これはいかがでしょうか。
A:それは、三十万人、四十万人という数が、南京大虐殺の数として指摘をされています。そういった点については、私は、やはり研究も進んでいることですので、何度も言いますけれども、歴史的事実については、私は、客観的事実が何かということが最も重要だろうというふうに思います。
Q:この見解については、虐殺があったと。略奪行為。民間人の虐殺であったと。数は分からないと。この認識だと思うのですけど。これはお認めになるのですか。
A:数はどうであったかということは、私は重要なことだというふうに思っております。それ以上に、この問題について、お答えする立場にはないというふうに思っています。
Q:例えば秦郁彦なんて、ああいった右の方だと思うのですが、日本軍の陣中日記ですとか、その作戦の照合とか御覧になって、捕虜になって捕まった人は、正式な軍事裁判にかけられずに殺されていると。これは、民間人ではないし、虐殺に当たる。虐殺というか、不法な殺害に当たるので、そういう意味では数万の殺害は認めざるを得ないと。これは、かなりコンセンサス的にできあがっているところだと思うのですけれども、戦闘詳報とか、先ほど「事実が大切」と仰いましたが、日本側の残した正式な記録に残る少なくとも数万の殺害というのは、認められるのかどうかというのをぜひお伺いしたいのですが。
A:秦先生を含め、様々な見解が出ていいます。何が客観的事実かどうか、しっかりと見極めていくことが重要で、それ以上について、私がお答えできる立場にはないと思います。
Q:外務省の見解についてはどうなのですか。ホームページに載っているのですけれども。外務省と防衛省、見解が違ったら困ると思うのですが。
A:外務省の見解が、政府の見解と反するということではない、当たり前のことですけれども。
Q:大臣もこの見解をとられると、従うということですか。
A:大臣もというか、私は、歴史的な問題については客観的事実が全てであり、数は関係ないという御意見もありますけれども、数を含めて客観的事実が何かということを、しっかりと検証していくことが重要だというふうに思っています。
Q:その点でのポイントというのは、ここ20年ぐらいは議論が進んでいなくて、歴史家でこれに挑戦する人ってあまりいないのですけれども、大臣、そこら辺は、事実、事実と仰られますが、この点についても、捕虜の殺害、この点、疑義があられるということなのでしょうか。
A:私がここで秦先生の見解について、何かコメントをする立場にはありません。
イナダの靖国参拝の意向について問う
Q:大臣は、靖国の参拝を心の問題だとおっしゃったけれども、かつて小泉内閣時代に、総理は堂々と靖国に公式参拝するべきだとおっしゃられていました。それが、なぜ今、防衛大臣になられて、公式参拝をするとも、しないとも言えないのですか。
A:私は、靖国神社に参拝するか、しないか、これは、私は、心の問題であるというふうに感じております。そして、それぞれ一人一人の心の問題について、行くべきであるとか、行かないべきであるとか、また、行くか、行かないか、防衛大臣として、行くか、行かないかを含めて、申し上げるべきではないと考えております。
Q:かつて、総理大臣が一国のリーダーとして、堂々と公式参拝するべきだというふうにおっしゃっていましたけれども、それとは考え方が変わったということですか。
A:変わったというより、本質は心の問題であるというふうに感じております。
Q:そのときには、総理大臣は行くべきだというふうにおっしゃっていた訳ではないですか。心の問題だというふうにおっしゃっていないではないですか。
A:そのときの私の考えを、ここで申し上げるべきではないというふうに思います。また、一貫して、行政改革担当大臣、さらには政調会長、もうずっとこの問題は心の問題であって、行くとか、行かないとかは、お話しはしませんけれども、安倍内閣の一員として適切に判断をして行動してまいりたいと思っております。
Q:行政改革担当大臣としては行かれた。防衛大臣としては、なぜ行くとも行かないとも言わないのですか。
A:行政改革担当大臣の時代にも、何度も予算委員会、それから様々な記者会見でもお尋ねを受けました。その際にも私は、心の問題であり、靖国に参拝するとか、しないとか、すべきであるとか、すべきでないとか、申し上げませんということを一貫して申し上げてきたとおりです。
Q:一国の総理大臣は、公式参拝すべきだと言っているではないですか。べきだと、「べきだ論」を言っているではないですか。
A:私は、これの本質は心の問題だというふうに感じております。
イナダの従軍慰安婦問題の認識を問う
Q:慰安婦問題に関して聞きたいのですけれども、2007年に、事実委員会が、報告をアメリカの新聞に出したのですけれど、そのときは、大臣は賛同者として名前をつけたのですけれども、慰安婦は、強制性はなかったとコメントもあったので、今の考え方は変わっていますか。
A:慰安婦制度に関しては、私は女性の人権と尊厳を傷つけるものであるというふうに認識をいたしております。今、そのワシントンポストの意見公告についてでありますが、その公告は、強制連行して、若い女性を20万人強制連行して、性奴隷にして虐殺をしたというような、そういった米国の簡易決議に関連してなされたものだというふうに思っております。いずれにいたしましても、8月14日、総理談話で述べられているように、戦場の影に深く名誉と尊厳を傷つけられた女性達がいたことを忘れてはならず、20世紀において、戦時下、多くの女性達の尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を胸に刻みつけて、21世紀は女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていくという、その決意であります。
Q:強制性はあったということですか。
A:そういうことではありません。そういうことを言っているのではありません。
イナダの沖縄・辺野古政策を問う
Q:別件になるのですけれども、先ほど沖縄の件で、大臣は辺野古が唯一の解決策だというふうに従来の政府の見解を示されました。ただ、なかなか移設は進んでいない状況があると、この根本的な原因はどこにあるとお考えでしょうか。
A:まずは、普天間の辺野古移設が決められた経緯でありますけれども、この問題の本質は、普天間飛行場が世界一危険な飛行場と言われ、まさしく市の中心部、ど真ん中、小学校のすぐ近くにあるということだというふうに思っております。そういったこの問題の本質を、やはり住民の皆様方にしっかりと説明をしていくということが必要であろうと思っております。そして、大きな議論の末に、裁判所で国と県が和解をして、和解条項が成立したわけでありますので、その和解条項に基づいて、今、国も提訴し、さらには協議も進めて行くのだということも説明した上で、誠実に対処していく必要がある、引き続き粘り強く取組んでいく必要があるというふうに思っております。
Q:住民に説明するのが必要と仰いましたけれども、防衛大臣になられて、自ら沖縄に訪問する、行きたいというお考えはありますか。
A:この問題については、しっかりと知事や県民の皆様方にも、御説明をする必要があるというふうに思っています。今、具体的にスケジュール的なものを検討しているわけではありませんけれども、その必要があるというふうに考えております。
Q:今日、午前の菅官房長官の会見で、基地問題と振興策がリンクしている部分があるのではないかという懸念が出ました。大臣御自身は、沖縄の基地問題、現在の辺野古移設とか止まっていますが、これが進まない段階では、振興策は減らすべきだとお考えですか。
A:振興策を減らすとはどういうことでしょうか。
Q:沖縄の振興予算を減額すべきだとお考えでしょうか。
A:私は、沖縄の基地移転、そしてその負担軽減、これは、政府を上げて安倍政権が出来ることは全て行い、また、目に見える形で実施するという基本方針の基で、在日米軍の再編を初めとした施策を着実に進めて行きたいというふうに思っております。その上で、振興策について、防衛省として、お答えする立場にはないというふうに思います。また、基地問題と沖縄振興をリンクさせることについては、本日午前の官房長官会見において、菅長官が述べられたとおりだと承知いたしております。
防衛費について問う
Q:防衛費についてお聞かせください。一時的な例外を除いて、日本の防衛費はGDPの1%以下に抑えられていたという整理だったと思うのですけれども、事実として、1%に抑えられてきたと、それが意識されていたという経緯もあるかと思うのですけれども、そういった防衛費の扱い方というのは、適正かどうかというのを、大臣、どのようにお考えでしょうか。
A:予算の中で防衛費がどうあるべきか、日本の安全を守るためにどれぐらいの防衛予算が必要か、非常に重要な問題だと思います。そういった点を踏まえて、中期防も計画を立てているわけでありますので、その中で着実に、必要な防衛費ということは、つけていくということだというふうに思います。
Q:必要があれば、1%を超えることも、躊躇するべきではないというふうに、大臣、お考えでしょうか。
A:しっかりと、いろいろなことを勘案して計画は立てております。そして、その結果が防衛予算、それが必要なものを積み上げたものであるというふうに、私は認識をいたしております。
北朝鮮弾道ミサイル発射に関して
Q:別件で大変恐縮なのですけれども、北朝鮮の弾道ミサイル、発射されたものについて、回収作業というのは、現在、どのような感じで進んでらっしゃるのか。一部報道で、打ち切ったということも報じられているのですけれども、大臣としては、どのように認識されていますか。
A:昨日から今朝にかけて、弾道ミサイル、あるいは、その一部が落下したと推定される海域において、自衛隊のP?3Cや護衛艦、海上保安庁の航空機や巡視船による捜索を実施し、発見した漂流物を回収しているところであります。他方、現在までに回収した漂流物の中に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるようなものは確認されておりません。引き続き、自衛隊の護衛艦や艦載ヘリによる捜索を実施し、仮に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるような物体を発見できれば、それを回収し、分析することを考えております。
自衛隊員の戦死の持つ意味について問う
Q:戦死ということについてお伺いしたいのですけれども、国民国家においては日本に限らず、戦死ということに様々な意味が付与されてきたと思います。現在、自衛隊員を預かる防衛大臣として、戦死、戦争で亡くなるということに対して、どういうふうなお考えを持つのか、戦死という言葉が持つ意味についての御認識をお聞かせ下さい。
A:憲法上、日本は戦争を放棄いたしております。ただ、憲法ができた時には9条があるので、攻めてこられたとしても、白旗を揚げて自衛権も行使しないというのが解釈だったわけですけれども、1954年に解釈を変えて、そして、日本も主権国家であるので、自衛隊は憲法違反ではない、合憲である。そして、自衛権の行使も、必要最小限度の行使を可能であるということを解釈上決め、また、それは最高裁でもそのような解釈にあるわけであります。自衛権の行使の過程において、犠牲者が出る事も、考えておかなきゃいけないことだろうとは思います。非常に、重たい問題だと思います。
重ねて歴史認識を問う。先の戦争は侵略戦争ではないのか。
Q:先ほどお答えいただけなかったので、もう一回聞きますけれども、軍事的組織の自衛隊のトップとしての防衛大臣に伺いますが、日中戦争から第二次世界大戦にいたる戦争は侵略戦争ですか、自衛のための戦争ですか、アジア解放のための戦争ですか、見解を教えてください。
A:政府の見解は、総理、官房長官に聞いていただきたいと思います。私は、昨年総理が出された談話、これが政府の見解だと認識しております。
Q:大臣自身の見解もそのとおりですか。異論はないのですか。
A:昨年の総理が出された談話に異論はありません。
Q:侵略戦争ですか。
A:侵略か侵略でないかというのは、評価の問題であって、それは一概に言えないし、70年談話でも、そのことについて言及をしているというふうには認識していません。
Q:大臣は侵略戦争だというふうに思いますか、思いませんか。
A:私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います。
Q:防衛大臣として極めて重要な問いかけだと思うので答えてください。答えられないのであれば、その理由を言って下さい。
A:防衛大臣として、その問題についてここで答える必要はないのではないでしょうか。
Q:軍事的組織のトップですよ。自衛隊のトップですよ。その人が過去の戦争について、直近の戦争について、それは侵略だったのか、侵略じゃないか答える必要はあるのではないですか。何故、答えられないのですか。
A:何度も言いますけども、歴史認識において、最も重要な事は、私は、客観的事実が何かということだと思います。
Q:侵略だと思うか、思わないかということを聞いているわけです。
A:侵略か侵略でないかは事実ではなく、それは評価の問題でそれぞれの方々が、それぞれの認識を持たれるでしょうし、私は歴史認識において最も重要なことは客観的事実であって、そして、この場で私の個人的な見解を述べる立場にはありません。
Q:防衛大臣としての見解ですよ。
A:防衛大臣として、今の御質問について、答える立場にはありません。
Q:では、関連ですけれども、日中戦争と太平洋戦争は若干違うと思うのですが、日中戦争の前、日本は、あの時は南満州鉄道あたりしか駐留する権利はなかったわけですね、軍隊を。そこからはみ出して、傀儡国家を打ち立てて、満州国を作ったと。これ侵略じゃないのですか。普通の常識から言って、いろいろ議論はあるのでしょうけれど、太平洋戦争は議論があるとしても、満州国を作るときの経緯というのは、どういう法律に基づいたのか、しかも、あのとき陸軍は、天皇の統帥権を最後無視して、暴走して、拡大して、後から認めた件はありますけれども、それが日本にとって最大の軍事的な教訓なわけですよね。日中戦争、あるいは、その満州国の作り方について、評価できないというのは、国のリーダーとして、いかがなものかと思いますけれど、この2点いかがですか。
A:私は、安倍内閣の一員として、政府の大臣として、この場におります。私の個人的な見解や、また、この場は、歴史論争をする場ではないと思います。政府の一員として、私は、政府の見解、これは昨年の70年談話において総理が示されたとおりだというふうに認識をいたしております。
Q:別に歴史認識(論争)をしたいわけではなくて、これはリアルな、過去をどう捉えて、軍をどうコントロールするか、あるいは、今の近隣諸国とどう仲良くやっていくか、今のリアルの問題と繋がっているからお聞きしているので、別に学者的な論争をしたいわけではないのですけど。日中戦争の、特に満州国の作るときの過程というのは、これは侵略じゃないと、歴史学者は、普通、侵略と言うと思うのですけれども、国際法の専門家の議論はあると思うのですけれども、国民感情からして、歴史学者は、普通、侵略というのは、一般の常識じゃないかと思うのですけれども、そういった一般の、例えば世界中の人々に受け止め方ですね。これ、侵略じゃないと言い切って、どこの欧米の方でもリーダーとして議論されたらいいと思うのですけれども、まともに議論できるとお思いなのでしょうか。
A:私は、歴史認識において、最も重要なのは、客観的事実が何かということだと思います。また、昨年の70年談話でも示されたように、我が国は、過去の歩みをしっかり反省をして、戦後、しっかりと憲法の下で、法律を守り、法の支配の下で、どこの国を侵略することも、また、戦争することもなく、70年の平和な歩みを続けてきたこの歩みを続けていくということだと思っております。
Q:これから、例えば、中国、韓国のリーダーとか、欧米のリーダーと会うときに、あの戦争、太平洋戦争はいろいろ議論があるかもしれませんが、日中戦争に関しても、侵略かどうか、私、言えませんというふうにおっしゃって議論されるわけですね。
A:そういう単純な質問はないと思うのですね。
Q:でも、報道関係、みんなに見られているからですね。欧米のメディアは、そこに歴史認識を集中しているわけですよ。単純と言われようがそういう具合に、この人こういう歴史認識を持っているのではないかとみんな懸念しているわけですよ。別に、単純に議論を私がふっかけるのではなくて、割と世界中のメディアがそういう懸念を持って、書いていると。それに対して答える影響というのは、我々国民なのですから、説明責任はあると思うのですが、いかがですか。
A:私は、昨年、総理が出された70年談話、この認識と一致いたしております。
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イナダは、2011年3月号の雑誌「正論」の対談で、「長期的には日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべきではないでしょうか」と発言していた。小池百合子と同類。軽佻浮薄の極みというべきだろう。
昨日(8月5日)の記者会見で、この点を記者から突っ込まれて、「憲法上、我が国がもてるとされる必要最小限度(の武力)がどのような兵器であるかということに限定がない」と述べ、憲法9条で禁止しているわけではないとする従来の政府見解に沿って説明した。ただ、「現時点で核保有はあり得ない」としつつ、「未来のことは申し上げる立場にない」とも語った。
イナダが述べたことは、「我が国が核武装することは憲法上は許されることだ」。だが、「現時点では諸般の事情に鑑み、政策として核保有はあり得ない」。もっとも、政策の問題だから、状況次第で未来の核政策はどうなるか分からない。未来とは過去と現在を除くすべて、つまりは明日からのこと」と理解すべきなのだ。
その発言の翌日に当たる今日(8月6日)が、71年めの広島平和記念式典。松井一実市長は平和宣言で、「今こそ『絶対悪』を消し去る道筋をつけるために連帯し、行動を」と呼びかけた。核は、絶対悪なのだ。絶対悪の廃絶こそが平和への道であり、国内外の世論ではないか。
状況次第で核保有が許される、核政策がころころ変わるようなことを許してはならない。「日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」などとは、悪魔の言と言わねばならない。
アベ首相は、6日、広島市内で記者会見し、イナダの発言を「我が国は核兵器を保有することはありえず、保有を検討することもありえない。稲田防衛大臣の発言はこのような政府の方針と矛盾するものではない」と擁護したという。これも同罪なのだ。都知事選敗北の脱力感は払拭し得ないが、早く悪魔が跳梁するこの悪夢を終わらせないと、世界が滅びてしまうことにもなりかねない。
(2016年8月6日)
本日、沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる「6月23日」。あの日から71年目である。折も折。元米海兵隊員の強姦殺害事件への追悼・抗議集会の直後であり、辺野古新基地建設反対を最大テーマとする参院選のさなかでもある。
選んだ如くのこの時に、「沖縄全戦没者追悼式」が糸満市の平和祈念公園で開かれた。アベ晋三も、抗議を受ける悪役としての参列。今年も「帰れ」という野次が飛んだという。さぞや針のムシロに坐る心もちであったろう。
「『全』戦没者追悼式」であることに意味がある。「平和の礎」の刻銘と同様に、勝者と敗者を区別することなく、また兵士と民間人の区別もなく、その死を意味づけすることなく、沖縄戦の戦没者のすべてを、かけがえのない命を失った犠牲者として等しく追悼するという考え方だ。ここはひたすらに戦没者の死を悼む場であって、それ以上に出過ぎた、遺族以外の何ものかが死者の魂を管理するという考えが拒否されている。
これと対極にあるのが、死者を徹底して区別し、死者の魂を国家が管理するという靖國の思想である。死者を悼むのではなく、特別の死に方を礼賛し称揚して、特定の死者の魂を国家が管理するというのだ。靖國神社は、天皇の軍と賊軍とを徹底して区別し、天皇への忠死か否かで死者を区別し、敵と味方を未来永劫に分かつ差別の思想に拠っている。露骨な死者の国家利用と言ってよい。しかも、軍国主義高揚のための戦没者と遺族の心情の利用である。
平和の礎は、21万1326人の沖縄戦戦没者の名を刻銘している。
「太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んで、永久に残すため、平成7年(1995年)6月に建設したものです。その趣旨は、沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするためです。」とされている。
「平和の礎」のデザインコンセプトは、“平和の波永遠なれ(Everlasting waves of peace)”というもので、屏風状に並んだ刻銘碑は世界に向けて平和の波が広がるようにとの願いをデザイン化したものだという。この刻銘碑の配列は、沖縄県民・県外都道府県民・外国人の各死者の刻銘碑群に区分されている。その外国人刻銘数は1万4572人。内訳は以下のとおりである。
米国 14,009
英国 82
台湾 34
朝鮮民主主義人民共和国 82
大韓民国 365
なお、沖縄県民 149,362人
県外都道府県計 77,402人
で、いずれも兵士と民間人の区分けはしていない。
平和の礎も沖縄全戦没者追悼式も、まったく靖国のようではない。靖国のように敵味方を区別しない、靖国のように兵士だけを顕彰するものではない。靖国のように神道という宗教形式をもたない、靖国のように天皇の関与がない、靖国のように戦没者の身分や階級にこだわらない、靖国のように恩給の受給資格と連動しない。そして、靖国のように愛国心を鼓舞しない。靖国のように戦死者の勇敢さや遺徳を誇示することはない。靖国のように、戦争を美化しない。靖国のように敗戦を無念としない。靖国のように、戦犯を祀ることがない。戦犯というカテゴリーもなければ、祀るという行為とも無縁である。靖国のように戦争や軍隊や兵士を意味づけることをしない。もちろん、靖国のように、武器を飾ってみせたりなどけっしてしない。
この日、思い起こすべきは、沖縄県平和祈念資料館設立の趣意書にある次の言葉である。
「1945年3月末、史上まれにみる激烈な戦火がこの島々に襲ってきました。90日におよぶ鉄の暴風は、島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊し、20数万の尊い人命を奪い去りました。沖縄戦は日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦であり、アジア・太平洋戦争で最大規模の戦闘でありました。
沖縄戦の何よりの特徴は、軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上まわっていることにあり、その数は10数万におよびました。ある者は砲弾で吹き飛ばされ、ある者は追い詰められて自ら命を絶たされ、ある者は飢えとマラリアで倒れ、また、敗走する自国軍隊の犠牲にされる者もありました。私たち沖縄県民は、想像を絶する極限状態の中で戦争の不条理と残酷さを身をもって体験しました。
この戦争の体験こそ、とりもなおさず戦後沖縄の人々が、米国の軍事支配の重圧に抗しつつ、つちかってきた沖縄のこころの原点であります。
”沖縄のこころ”とは、人間の尊厳を何よりも重く見て、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、人間性の発露である文化をこよなく愛する心であります。
私たちは、戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに私たちのこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与するため、ここに県民個々の戦争体験を結集して、沖縄県平和祈念資料館を設立いたします。」
本日の琉球新報が、「安全保障関連法が施行され、日本が戦争のできる国へと大きく変貌した中で迎える『慰霊の日』」に、格別の思いの社説を書いている。タイトルが「慰霊の日『「軍隊は住民を守らない』 歴史の忘却、歪曲許さず」というもの。これこそ今ある沖縄の原点ともいうべきものだろう。
「『地獄は続いていた』
日本軍(第32軍)は沖縄県民を守るためにではなく、一日でも長く米軍を引き留めておく目的で配備されたため、住民保護の視点が決定的に欠落していた。首里城の地下に構築した司令部を放棄して南部に撤退した5月下旬以降の戦闘で、日本兵による食料強奪、壕追い出し、壕内で泣く子の殺害、住民をスパイ視しての殺害が相次いだ。日本軍は機密が漏れるのを防ぐため、住民が米軍に保護されることを許さなかった。そのため戦場で日本軍による命令や強制、誘導によって親子、親類、友人、知人同士が殺し合う惨劇が発生した。
日本軍の沖縄戦の教訓によると、例えば対戦車戦闘は『爆薬肉攻の威力は大なり』と記述している。防衛隊として召集された県民が急造爆弾を背負わされて米軍戦車に突撃させられ、効果があったという内容だ。人間の命はそれほど軽かった。県民にとって沖縄戦の最も重要な教訓は「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)」だ。
『終わらない戦争』
戦後、沖縄戦の体験者は肉体だけでなく心がひどくむしばまれ、傷が癒やされることなく生きてきた。その理由の一つが、沖縄に駐留し続ける米軍の存在だ。性暴力や殺人など米兵が引き起こす犯罪によって、戦争時の記憶が突然よみがえる。米軍の戦闘機や、米軍普天間飛行場に強行配備された新型輸送機MV22オスプレイの爆音も同様だ。体験者にとって戦争はまだ終わっていない。
戦後も女性たちは狙われ、命を落とした。1955年には6歳の幼女が米兵に拉致、乱暴され殺害された。ベトナム戦時は毎年1?4人が殺害されるなど残忍さが際立った。県警によると、72年の日本復帰から2015年末までに、米軍構成員(軍人、軍属、家族)による強姦は129件発生し、147人が摘発された。そして今年4月、元海兵隊員による女性暴行殺人事件が発生した。
戦場という極限状態を経験し、あるいは命を奪う訓練を受けた軍人が暴力を向ける先は、沖縄の女性たちだ。女性たちにとって戦争はまだ続いている。被害をなくすには軍隊の撤退しかない。
『軍隊は住民を守らない』。私たちは過酷な地上戦から導かれたこの教訓をしっかり継承していくことを犠牲者に誓う。国家や軍隊にとって不都合な歴史的出来事の忘却、歪曲は許されない。」
本日沖縄を訪れたアベ晋三は、この血を吐くような地元紙の社説を読んだだろうか。この社説に象徴される沖縄の民衆の気持ちを理解しただろうか。沖縄全戦没者追悼式と平和の礎の思想に触れ得ただろうか。それとも、改憲戦略においてどのように沖縄の世論を封じ込めるべきかと策をめぐらしただけであったろうか。
(2016年6月23日)
本日(5月26日)から伊勢志摩サミット。最初の公式日程が参加首脳らの伊勢神宮「訪問」で始まった。これは官邸の強い意向で実現されたものと報道されている。
ダメだよ、アベ君。またまた、キミの憲法違反だ。キミの思惑は、アベ流改憲運動への神社界や右翼連中へのサービスなのだろうが、勇み足として済ますには、ことが重大に過ぎる。キミは、憲法の何たるかをまったく分かっていない。キミが日本の首相であることを恥ずかしい限りだと思っていたが、この頃はこんなキミが政治を牛耳っているこの国の行く末が恐ろしい。
キミが憲法を分かっていないという大きな理由を二つあげておこう。
まず、憲法とは、権力を制約するものだ。「縛る」もの、と言ってもよい。キミは、憲法に縛られていることを自覚しなければならない。キミは憲法が許容することしかできない。その枠を越えて憲法が禁じていることは、してはならないのだ。キミは憲法の命じるところを謙虚に見定め、よく心得、憲法にしたがった行政を行わなくてはならない。これが、立憲主義というものだ。
ところが、キミは「自分のしたいことをして何が悪い」と開き直ってしまう。サミットの行事を神宮で始めたことについては、おそらくキミは単純にこう考えているのだろう。
「自分は間接的にではあるが、国民の信任を受けて権力の座にある。国民多数の意思が私を信任しているのだから、私が私のやりたいように政治を行うことが民意を反映することで、これこそが民主主義だ。」
キミは、自分の思いと憲法の定めとに齟齬が生じるとなると、憲法の方が間違っている。だから憲法の解釈を変えよう、となる。憲法に縛られるのはイヤだ。むしろ自分の方が憲法を縛り、憲法には遠慮させようという姿勢があまりに露骨なのだ。
神宮は宗教施設である。サミットは政府の公的行事である。ならば、サミットの行事に伊勢神宮「訪問」を組み込むことが、憲法の重要原則である政教分離に抵触することを恐れなければならない。憲法を尊重しようという姿勢が少しでもあれば、神宮でサミット・スタートは考えられるところではない。憲法を無視し、できれば変えたいと考えているキミだからこそ、敢えて政教分離に挑戦という姿勢なのだ。
次に、政教分離原則違反である。
アベ君、キミも法学部の出身だというではないか。伊勢志摩は、津にほど近い。伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、と謡われた津だ。その津で地鎮祭訴訟が争われたくらいのことはご存じだろう。津市の体育館起工に際しての地鎮祭で7000円ほどの神職への謝礼と供物料の支出が政教分離に反するとして争われた憲法訴訟。控訴審の名古屋高裁判決は、違憲の判断をして、市長に対して「市に謝礼相当分を賠償金として支払え」という歴史に残る名判決として知られる。この判決は、最高裁大法廷(1977年)で逆転するが、違憲派5人対合憲派10人の分布であった。
その後、愛媛玉串料訴訟大法廷判決(1997年)は、愛媛県から靖国神社への玉串料奉納を違憲と断じることになる。そのときの意見分布は、違憲13対合憲2の大差となった。
津地鎮祭訴訟では、津市と地元の神社との地鎮祭における関わりが問題とされた。愛媛玉串料訴訟では、愛媛県と靖国神社との玉串料奉納という形での結びつきが問題となった。そして、今回の伊勢志摩サミットでは、国と伊勢神宮との有力各国首脳を招いての外交舞台としての利用における関わりが問題となっている。
伊勢神宮とは国家神道の本宗である。国家神道とは、天皇を神格化する教説である。神格化は、天皇を権威付ける手段であった。旧明治憲法体系は、社会を序列化してその頂点に天皇を置き、これを政治支配の道具とした。権威主義的な社会的秩序形成の要石ともしたと言ってよい。
洋の東西を問わず、武力で権力を築いた勢力は、安定した権力構造を維持するために、自らの権力を正当化する神話を拵え上げた。3000年前、4000年前に、エジプトやメソポタミア、あるいは黄河流域に勃興した権力が皆そうであった。この前例を真似て、明治政府は8世紀に作られた神話を素材に天皇を神の直系とした。
その神話上の天皇の祖先神を祀る施設が伊勢神宮である。地上の人間序列を合理化するために、神々の序列が作られた。八百万の神々の中に天つ神の一群があり、その天つ神の最高神がアマテラスである。伊勢神宮はこれを主祭神とする。
政教分離とは、形式上は国家(政)と宗教一般(教)の癒着を禁止する憲法原則である。しかし、日本国憲法は明らかに、国家神道の復活を封じることを主眼としている。かつて、神なる天皇の存在が、原理的に反民主々義であり、軍国日本の暴走の主因となったからである。
だから、アベ君。「首脳らは、内宮の御正殿で御垣内参拝をし、『二拝二拍手一拝』の宗教的作法は求めず、あくまで自由に拝礼してもらう形を採った。」から問題がない、などと言ってはいけない。参拝を訪問というのは、退却を転進というが如しだ。「自由な拝礼」も、そこが宗教施設であればこそ成立する。
キミは、天皇の祖先神を祀る、国家神道の本宗に世界の主要国首脳を集めて、特定の宗教と国家との特別な関わりを演出したのだ。これは、最高裁がいう目的効果基準からは、国家と特定の宗教団体(伊勢神宮)との関わりあいが、相当とされる限度を超えると判断されることになるだろう。
そのことは、戦後レジームからの脱却をスローガンとするキミの仲間や、神社界の人びとや、天皇大好きな右翼諸君には大歓迎なのだろうが、憲法はけっしてこれを許してはいないことを知るべきなのだ。
えっ? アベ君、なんと言った? 「細かいことを言いなさんな」と? そのキミの態度が憲法軽視なのだ。政教分離原則は、国民主権原理確立のために天皇の神格化を否定したものというべきで、日本国憲法の全体を貫く根本理念なのだ。これを細かいことというキミの姿勢こそが徹底して批判されなければならない。
えっ? 「多くのマスコミが問題にしてないじゃないか」「世論調査をすれば、神宮訪問支持派が多数となるだろう」だと?
だから、キミはダメなんだ。確立された憲法原則は、多数決原理によって歪曲されてはならない。メディアがどう言おうと、世論調査の結果がどうであろうと、憲法原則を曲げることはできない。むしろ、国民の圧倒的多数が支持しても権力は違憲な行為をしてはならないというところにこそ、憲法の真骨頂がある。
こんなことも分からないキミが日本の首相なのだから、やっぱり恥かしい。そして、やっぱり恐ろしいのだ。
(2016年5月26日)
村岡到さんが主宰するロゴス社が、「ブックレット・ロゴス」というシリーズを出している。
http://logos-ui.org/index.html
このほど、そのNo.12として、「壊憲か、活憲か」が刊行された。村岡到編で、村岡到・澤藤統一郎・西川伸一・鈴木富雄の共著。
「壊憲か、活憲か」のタイトルについて、冒頭に村岡さんが次のように書いている。なかなかに面白く読ませる。
「硬い内容にならざるをえないので、最初は言葉のクイズから始めよう。
憲法の「憲」の付く熟語をいくつ知っていますか? 誰もが知っているのは、賛否は別にして「護憲」だろう。「憲法を守る」を二文字にすれば「守憲」となるが、「主権」と同音なので、「護る」を選んだのであろう。
その対極に「改憲」があると思われている。だが、いわば「左からの改憲」もあり得るので、「護憲」の対極は「壊憲」のほうが分かりやすい。「違憲」は、憲法に違反していることを意味する。「違憲立法審査権」は法律用語である。「違憲」の反対は「合憲」。公明党は「加憲」と主張している。
近年は「立憲主義」が流行り言葉になっている。「活憲」=「憲法を活かす」も浮上しつつある。「婚活」になぞらえて「憲活」という人もいる(杜民党の吉田忠智党首)。「創憲」を見ることもあるが、「送検」されることを好む人はいない。憲兵はもういないが、憲政記念館はある。
今や国会議員がわずか5人となった社民党の前身である社会党は最盛期には250人も議員がいたが、1996年に解党するまで自他ともに「護憲の社会党」と称していた。そのころは、日本共産党はけっして「護憲」とは言わなかった。社会党が解党した後、共産党は「護憲」と言うようになった。だが、「活憲」は好まないようである。だから、ほとんどの場合に「憲法を生かす」と表記する。「生かす」だと「生憲」となるが、これでは「政権」と紛らわしいから、こう書く人はいない。「制憲」の2文字はほとんど使われないが「制憲会議」はある。
しかし、共産党系の運動でも「活かす」が使われることがある。…以下略。」
前書きに記された問題意識は、以下のとおりである。
「戦争法は施行されたが、市民による戦争法廃止の闘いは依然として全国で大きな規模で展開されている。そこでは『立憲主義』が強調されている。だが、この言葉は、少し前まではほとんど使われていなかった。憲法について真正面から考え、自らの生活や活動のなかで活かす努力は不十分だったのではないか。この反省のなかから、私は、『壊憲か、活憲か』を基軸として、憲法について明らかにしなければならないと考えるようになった。
すでに自民党の『日本国憲法改正草案』に対しては、多くの批判が提出されている。このブックレットでは、それらとは異なる角度から問題を提起する。
この小さな本は、この危険な壊憲策動に対して、憲法はなぜ大切なのか(村岡到論文)、岩手靖国訴訟を例にした訴訟を手段として憲法を活かす活動(澤藤統一郎論文)、自民党は立党いらい『改憲』を一貫して掲げていたのか(西川伸一論文)、さらに今から140年以上も前の明治維新の時代に千葉卓三郎によって書かれていた憲法草案の先駆性(鈴木富雄論文)について明らかにする。
ぜひとも、一読のうえ検討とご批判を切望する。」
面白そう。続きを読んでみたいと思われる方は、下記にご注文を。
2016年5月3日刊行で、四六判128頁、価格は1100円+税。
ロゴス〒113-0033東京都文京区本郷2-6-11-301
tel 03-5840-8525
fax 03-5840-8544
ついでに、私の執筆部分もお読みいただけたらありがたい。
目次は以下のとおり
まえがき
〈友愛〉を基軸に活憲を 村岡 到
はじめに 〈活憲〉の広がり
第1節 〈活憲〉の意味
第2節 憲法の意義
第3節 憲法や「市民」を軽視してきた左翼
第4節 共産党の憲法認識の揺れ、確たる転換を
第5節 「立憲主義」用語の曖昧さ
第6節 〈友愛〉の定立を
つなぎに
訴訟を手段として「憲法を活かす」
──岩手靖国訴訟を振り返って 澤藤統一郎
はじめに
「憲法を活かす」ことの意味
岩手靖国訴訟の発端
「政教分離」の本旨とは
靖国問題とは何なのか
岩手靖国訴訟──何をどう争ったのか
原告らの法廷陳述から
最低最悪の一審判決
勝ち取った控訴審での違憲判断
安倍政権下特有の靖国問題
「活憲」運動としての憲法訴訟
おわりに
自民党は改憲政党だったのか
──「不都合な真実」を明らかにする 西川伸一
はじめに
第1節 党史にはどう書かれてきたのか
第2節 綱領的文書にはどう書かれてきたのか
第3節 自民党首相は国会演説でどう発言してきたのか
むすび
日本国憲法の源流・五日市憲法草案 鈴木富雄
第1節 五日市憲法草案の先駆的中身
第2節 五日市憲法草案が発見された経過
第3節 起草者・千葉卓三郎
第4節 五日市の気風と五日市学芸講談会
第5節 GHQが憲法原案作成に着手した背景
第6節 「五日市憲法草案の会」の活動
あとがき
著者紹介
村岡 到 季刊『フラタニティ』編集長
澤藤統一郎 弁護士
西川伸一 明治大学教授
鈴木富雄 五日市憲法草案の会事務局長
そして、小著には過分の出版記念討論会が予定されている。
と き 2016年9月3日(土)午後1時30分
ところ 明治大学リバティタワー6F(1064教室)
報 告 村岡 到 澤藤統一郎 西川伸一 鈴木富雄
司 会 平岡 厚
参加費 700円
以上、伏してお願い申し上げます。
(2016年5月13日)
本日(5月4日)の毎日新聞社会面に、憲法記念日関連報道の一つとして「改憲署名 賛成派700万筆集める 氏子を動員」という記事。
「憲法記念日の3日、…憲法改正を目指す団体『美しい日本の憲法をつくる国民の会』は東京都内でイベントを開き、全国で同日までに700万2501筆の改憲賛同署名を集めたと発表した。署名活動の現場を取材すると、地域に根づく神社と氏子組織が活発に動いていた。」
「国民の会」がアベ政権の別働隊として1000万筆を目標に改憲推進署名を行っていること、その署名運動の現場の担い手として神社かフル稼働していることが、予てから話題となっている。
記事は、その現場のひとつを次のように報じている。
「福島県二本松市の隠津島神社は毎年正月、各地区の氏子総代を集めてお札を配る。だが2015年正月は様子が違った。神事の後、安部匡俊宮司がおもむろに憲法の話題を持ち出した。『占領軍に押しつけられた憲法を変えなくてはいけない』。宮司は総代約30人に国民の会の署名用紙を配り、『各戸を回って集めてほしい』と頭を下げたという。」
「安部宮司は今年3月、取材に『福島県神社庁からのお願いで県下の神社がそれぞれ署名を集めている。総代が熱心に回ってくれた集落は集まりが良かった。反対や批判はない』と話した。隠津島神社の氏子は約550戸2000人で世帯主を中心に350筆を集めたという。氏子たちの反応はさまざまだ。
「今年正月には東京都内の神社が境内に署名用紙を置いて話題になった。全国で氏子組織が動いているのかなどについて、全国の神社を統括する宗教法人「神社本庁」(東京都)は取材に『国民の会に協力しているが、詳細は分からない』と説明。
隠津島神社の氏子総代(の一人)は言う。『地元の人が選挙に出ると地縁血縁で後援会に入らざるを得なくなる。署名集めもそれと似ている。ましてや神様からお願いされているようで、断りづらい面があったと思う』」。
この記事には興味が尽きない。神社が改憲運動に大きな役割を果たしているのだ。「神様からお願いされては、改憲署名は断りづらい」という氏子のつぶやきは、まことに言い得て妙。
元来、神社は地縁社会と緊密に結びついてきた。国家神道とは、神社の村落や地縁との結びつきを、意識的に国家権力の統合作用に利用したもの。村の鎮守様を集落共同で崇める精神構造をそのままに、国家の神を国民共同で崇める信仰体系に作り替えたものと言えよう。
いま、国家神道はなくなってはいるが、その基底をなしていた「地縁に支えられた神社組織」は健在である。その神社組織が日本国憲法を敵視して、改憲運動を担って改憲署名運動の中心にある。
見過ごせないのは、次の記事。この神社中心の改憲署名運動は、極めて戦略的に憲法改正の国民投票までを見据えているというのだ。
「署名活動で神社関係者の動きが目立つが、『国民の会』を主導するのは保守系の任意団体『日本会議』だ。」「長野市内で昨年9月に開かれた日本会議の支部総会。東京から来た事務局員は、1000万人を目標とする改憲賛同署名の狙いを説明した」「会場には、長野県内の神社関係者が目立った」「これは請願署名ではない。国民投票という大空中戦で投票を呼びかける名簿になる」「憲法改正は衆参両院3分の2以上の賛成で発議され、国民投票で決まる。国民の会は国民投票の有効投票数を6000万人と想定。署名した1000万人に2人ずつ声かけをさせれば、改正に必要な過半数の3000万票に届くと計算する」。
以下は、毎日新聞3月18日付の記事。いったい、神社界はなぜかくも改憲に熱心なのか。
全国8万社を傘下に置く宗教法人・神社本庁の主張は「大日本帝国憲法は、民主主義的で誇り得る、堂々たる立派な近代的憲法」「帝国憲法の原点に立ち戻り、わが国の国体にふさわしくない条文や文言は改め、…全文見直しを行うのが本筋の改憲のあり方」(神社本庁の政治団体・神道政治連盟発行誌「意」、14年5月15日号)として、憲法1条を改めて天皇を元首とするほか、戦力不保持を定めた9条2項、国の宗教的活動・教育を禁じた20条3項の削除・改正に主眼を置く」という。
毎日は、「神社本庁の一部には、神社存続のために、国家神道の仕組みに戻りたいという心情があるのでは」という識者の意見を紹介している。
日本国憲法の「政教分離原則」とは、政治権力と宗教団体の癒着を許さないということだが、政治権力の側に対する規範と理解されている。「天皇や閣僚はその公的資格をもって靖国神社を参拝してはならない」「県知事は、護国神社に玉串料を奉納してはならない」「市が、地鎮祭を主催してはならない」という具合に、である。その反面、政教分離原則が宗教団体の側に対する規範という意識は希薄だった。神社が署名活動をすること自体は世俗的な政治活動であって、宗教的行為とは言いがたい。しかし、神社がここまでアベ政権と癒着し右翼勢力の中心にあって改憲に熱心であると、「政と教のどちらから歩み寄るにせよ、両者の癒着は防止しなければならない」と言いたくもなる。
憲法20条3項は、次のような書きぶりである。
「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
つまり、「国及びその機関」に対する命令となっている。「国及びその機関」に対して「宗教的活動を禁止する」という形で、宗教との癒着を防止しているのだ。
しかし、20条第1項の第2文は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と、宗教団体を主語にした書きぶりになっている。
改憲署名運動が、「国から特権を受け、又は政治上の権力を行使」に当たるものとはにわかには言いがたい。しかし、「帝国憲法の原点に立ち戻ろう」とする宗教団体が、時の権力にここまで擦り寄る政治性の高い改憲署名活動は、戦前の神社の特権と政治的権力を恢復しようという、反憲法的な目的と効果を有するものと捉えうるのではないか。
宗教団体の側からの政教分離違反の問題として考え直してみる必要がありそうではある。
(2016年5月4日)
安倍内閣発足以来、日本の言論・表現の自由は、惨憺たるありさまとなっている。
ほかならぬNHK(NEWS WEB)が、「報道の自由度 日本をはじめ世界で『大きく後退』」と報じている。本日(4月20日)の以下の記事だ。
「パリに本部を置く「国境なき記者団」は、世界各国の「報道の自由度」について、毎年、報道機関の独立性や法規制、透明性などを基に分析した報告をまとめランキングにして発表しています。4月20日発表されたランキングで日本は、対象となった180の国と地域のうち72位と、前の年の61位から順位を下げました。これについて「国境なき記者団」は、おととし特定秘密保護法が施行されたことなどを念頭に、「漠然とした範囲の『国家の秘密』が非常に厳しい法律によって守られ、記者の取材を妨げている」と指摘しました。」
日本は180国の中の72位だという。朝日は、「日本は2010年には11位だったが、年々順位を下げ、14年は59位、15年は61位だった。今年の報告書では、『東洋の民主主義が後退している』としたうえで日本に言及した。」と報じた。アベ政権成立のビフォアーとアフターでこれだけの差なのだ。
ところで、72位? 昨年から順位を下げたとはいえ、まだ中位よりは上にある? 果たして本当だろうか。この順位設定の理由は、「特定秘密保護法が施行されたこと」としか具体的理由を挙げていない。しかし、実はもっともっと深刻なのではあるまいか。
昨日(4月19日)、日本における言論・表現の自由の現状を調べるため来日した国連のデービッド・ケイ特別報告者(米国)が、記者会見して暫定の調査結果を発表した。英文だけでなく、日本語訳も発表されている。その指摘の広範さに一驚を禁じ得ない。この指摘の内容は、到底「言論・表現の自由度順位72位」の国の調査結果とは思えない。
最も関心を寄せたテーマが、放送メディアに対する政府の「脅し」とジャーナリストの萎縮問題。次いで、特定秘密保護法による国民の知る権利の侵害。さらに、慰安婦をめぐる元朝日記者植村隆さんへの卑劣なバッシング。教科書からの慰安婦問題のが削除。差別とヘイトスピーチの野放し。沖縄での抗議行動に対する弾圧。選挙の自由…等々。
ケイ報告についての各メディアの紹介は、「特定秘密の定義があいまいと指摘」「特定秘密保護法で報道は萎縮しているとの見方を示し」「メディアの独立が深刻な脅威に直面していると警告」「ジャーナリストを罰しないことを明文化すべきだと提言」「政府が放送法を盾にテレビ局に圧力をかけているとも批判」「政府に批判的な記事掲載の延期や取り消しがあつた」「記者クラブ制度は廃止すべき」「ヘイトスピーチに関連して反差別法の制定も求めた」などとされている。また、「(当事者である)高市早苗総務相には何度も面会を申し入れたが会えなかった」という。政府が招聘した国連の担当官の求めがあったのに、担当大臣は拒否したのだ。
今回が初めてという国連特別報告者の日本調査。あらためて、日本のジャーナリズムの歪んだあり方を照らし出した。これから大きな波紋を起こすことになるだろう。
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◆国連報告者メディア調査 詳報に若干のコメントを試みたい。()内の小見出しは、澤藤が適宜付けたもの。
【メディアの独立】
(停波問題)
「放送法三条は、放送メディアの独立を強調している。だが、私の会ったジャーナリストの多くは、政府の強い圧力を感じていた。
政治的に公平であることなど、放送法四条の原則は適正なものだ。しかし、何が公平であるかについて、いかなる政府も判断するべきではないと信じる。
政府の考え方は、対照的だ。総務相は、放送法四条違反と判断すれば、放送業務の停止を命じる可能性もあると述べた。政府は脅しではないと言うが、メディア規制の脅しと受け止められている。
ほかにも、自民党は二〇一四年十一月、選挙中の中立、公平な報道を求める文書を放送局に送った。一五年二月には菅義偉官房長官がオフレコ会合で、あるテレビ番組が放送法に反していると繰り返し批判した。
政府は放送法四条を廃止し、メディア規制の業務から手を引くことを勧める。」
事態をよく把握していることに感心せざるを得ない。放送メデイアのジャーナリストとの面談によって、政府の恫喝が効いていることを実感したのだろう。また、安倍政権の権力的な性格を的確にとらえている。権力的な横暴が、放送メデイアの「自由侵害のリスクある」というレベルではなく、「自由の侵害が現実化」しているという認識が示されている。危険な安倍政権の存在を前提にしての「放送法四条廃止」の具体的な勧告となっている。
(「記者クラブ」「会食」問題)
「日本の記者が、独立した職業的な組織を持っていれば政府の影響力に抵抗できるが、そうはならない。「記者クラブ」と呼ばれるシステムは、アクセスと排他性を重んじる。規制側の政府と、規制される側のメディア幹部が会食し、密接な関係を築いている。」
権力と一部メディアや記者との癒着が問題視されている。癒着の原因となり得る「記者クラブ」制度が批判され、「規制側の政府と、規制される側のメディア幹部が会食し密接な関係を築いている」ことが奇妙な図と映っているのだ。これを見れば、72位のレベルではなかろう。二ケタではなく三ケタの順位が正当なところ。
(自民党改憲案批判)
「こうした懸念に加え、見落とされがちなのが、(表現の自由を保障する)憲法二一条について、自民党が「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」との憲法改正草案を出していること。これは国連の「市民的及び政治的権力に関する国際規約」一九条に矛盾し、表現の自由への不安を示唆する。メディアの人たちは、これが自分たちに向けられているものと思っている。」
この指摘は鋭い。自民党・安倍政権のホンネがこの改憲草案に凝縮している。政権は、こんなものを公表して恥じない感覚が批判されていることを知らねばならない。
【歴史教育と報道の妨害】
(植村氏バッシング問題)
「慰安婦をめぐる最初の問題は、元慰安婦にインタビューした最初の記者の一人、植村隆氏への嫌がらせだ。勤め先の大学は、植村氏を退職させるよう求める圧力に直面し、植村氏の娘に対し命の危険をにおわすような脅迫が加えられた。」
植村さんを退職させるよう求める圧力は、まさしく言論の自由への大きな侵害なのだ。この圧力は、安倍政権を誕生させた勢力が総がかりで行ったものだ。植村さんや娘さんへの卑劣な犯罪行為を行った者だけの責任ではない。このことが取り上げられたことの意味は大きい。
(教科書検定問題)
「中学校の必修科目である日本史の教科書から、慰安婦の記載が削除されつつあると聞いた。第二次世界大戦中の犯罪をどう扱うかに政府が干渉するのは、民衆の知る権利を侵害する。政府は、歴史的な出来事の解釈に介入することを慎むだけでなく、こうした深刻な犯罪を市民に伝える努力を怠るべきではない。」
安倍晋三自身が、極端な歴史修正主義者である。「自虐史観」や「反日史観」は受容しがたいのだ。ケイ報告は、政府に対して、「歴史的な出来事の解釈に介入することを慎む」よう戒めているだけでない。慰安婦のような「深刻な犯罪を市民に伝える努力を怠るべきではない」とまで言っているのだ。
【特定秘密保護法】
(法の危険性)
「すべての政府は、国家の安全保障にとって致命的な情報を守りつつ、情報にアクセスする権利を保障する仕組みを提供しなくてはならない。しかし、特定秘密保護法は、必要以上に情報を隠し、原子力や安全保障、災害への備えなど、市民の関心が高い分野についての知る権利を危険にさらす。」
特定秘密保護法は、情報を隠し、原子力や安全保障、災害への備えなど、市民の関心が高い分野についての知る権利を危険にさらす、との指摘はもっともなこと。「市民の関心が高い分野」だけではなく、「国民の命運に関わる分野」についても同様なのだ。
(具体的勧告)
「懸念として、まず、秘密の指定基準に非常にあいまいな部分が残っている。次に、記者と情報源が罰則を受ける恐れがある。記者を処分しないことを明文化すべきで、法改正を提案する。内部告発者の保護が弱いようにも映る。」
「最後に、秘密の指定が適切だったかを判断する情報へのアクセスが保障されていない。説明責任を高めるため、同法の適用を監視する専門家を入れた独立機関の設置も必要だ。」
もちろん、法律を廃止できれば、それに越したことはない。しかし、最低限の報道の自由・知る権利の確保をという観点からは、「取材する記者」と「材料を提供する内部告発者」の保護を万全とすべきとし、秘密指定を適切にする制度を整えよという勧告には耳を傾けなくてはならない。
【差別とヘイトスピーチ】
「近年、日本は少数派に対する憎悪表現の急増に直面している。日本は差別と戦うための包括的な法整備を行っていない。ヘイトスピーチに対する最初の回答は、差別行為を禁止する法律の制定である。」
これが、国際社会から緊急に日本に求められていることなのだ。
【市民デモを通じた表現の自由】
「日本には力強く、尊敬すべき市民デモの文化がある。国会前で数万人が抗議することも知られている。それにもかかわらず、参加者の中には、必要のない規制への懸念を持つ人たちもいる。
沖縄での市民の抗議活動について、懸念がある。過剰な力の行使や多数の逮捕があると聞いている。特に心配しているのは、抗議活動を撮影するジャーナリストへの力の行使だ。」
政府批判の市民のデモは規制され、右翼のデモは守られる。安倍政権下で常態となっていると市民が実感していることだ。とりわけ、沖縄の辺野古基地建設反対デモとヘイトスピーチデモに対する規制の落差だ。デモに対する規制のあり方は、表現の自由に関して重大な問題である。
【選挙の規制】 (略)
【デジタルの権利】 (略)
さて、グローバルスタンダードから見た日本の実情を、よくぞここまで踏み込んで批判的に見、提言したものと敬意を表する。指摘された問題点凝視して、日本の民主運動の力量で解決していきたいと思う。
但し、残念ながら、二つの重要テーマが欠けている。一つは、学校儀式での「日の丸・君が代」敬意強制問題。そして、もう一つがスラップ訴訟である。さらに大きく訴えを続けること以外にない。
国境なき記者団もこの報告書を読むだろう。さらには、来年(17年)国連人権理事会に正式提出される予定の最終報告書にも目を通すだろう。そうすれば、72位の順位設定が大甘だったと判断せざるを得ないのではないか。来年まで安倍政権が続いていれば、中位点である90位をキープするのは難しいこととなるだろう。いや、市民社会の民主主義バネを働かせて、安倍政権を追い落とし、72位からかつての11位までの復帰を果たすことを目標としなければならない。
(2016年4月20日)
近々ロゴスから、ブックレット「壊憲か、活憲か」を出す予定で、原稿を書いている。
予定では、下記執筆者4人の共著。私一人が脱稿していない。
「〈友愛〉を基軸に活憲を」 村岡到
「憲法を活かす裁判闘争」 澤藤統一郎
「自民党改憲案への批判」 西川伸一
「五日市憲法草案は現憲法の源流」 鈴木富雄
128頁で1100円が予価。
私の、「憲法を活かす裁判闘争」は、岩手靖国違憲訴訟の経験を素材に今の時点で、憲法を活かす裁判運動の経験をまとめてみようというもの。できあがったら、お読みいただくようお願いしたい。
当時の資料に目を通していたら、靖国訴訟の原告のお一人、菊池久三先生(1916-1995. 北上市)が亡くなられたときの追悼文が出てきた。
「どんぐりころころ」という菊池久三先生の遺稿集の片隅に掲載していただいたもの。尊敬する先輩の生き方を書きとめておきたい。
筋を貫く生き方ー菊池久三先生の印象
手許のずいぶんと古ぼけた手帳を繰ってみると、久三先生との初めての出会いは一九八〇年一二月六日である。古い手帳から往事の懐かしい記憶がよみがえる。
その数日前、 懇意の柏朔司さんから紹介の電話をいただいていた。北上に政教分離の運動を進めているグループがあって、君の事務所を訪ねて行くから法律的な相談に乗ってやっていただきたい、という。その中心人物として「菊池久三」という名を初めて知った。岩手靖國違憲訴訟のプロローグである。
初対面の先生は、紛れもない「教師」だった。それも、「教え子を再び戦場にやってはならない」との思いを熱く語り続ける生粋の「教師」だった。この、出会いの日の印象は最後まで変わることはなかった。
法廷における久三先生の思い出の最たるものは、控訴審での本人としての証言だった。尋問は仙台の手島弁護士が主担当、私がサブだった。延べ一〇時間を越えた尋問準備の打ち合わせは、菊池先生には相当の負担であったと思う。
満席の法廷傍聴者は、政教分離運動の支援者が半分、公式参拝推進派の遺族会動員が半分。そのなかでの久三先生の証言は法廷を圧した。青年学校の熱意あふれる教師として子供たちに忠君愛国の教えを説いたこと、教え子の出征に際して「生きて還ると思うなよ、靖國神社で会おう」と送り出したこと、そして、その教え子たちの真新しいいくつもの墓標を見つけたときの悔恨。戦後は、再び教壇に立つ資格はないと思った自分が、「平和教育・民主主義教育を進めることで、贖罪したい」と思い返し決意したその経緯……。
その決意を一筋に貫いた人であればこその迫力に満ちた証言だった。堂々たる証言は、久三先生の堂々たる人生の発露であった。
訴訟が終わって、お目にかかるたびに私の子供のことを話題にされた。この点も教師なのだな、と印象を深くした。平和教育・民主教育を生涯の仕事とされた久三先生にとって、私は戦後初期の教え子の世代、私の子供は先生の最後の教え子よりやや若い世代。悲惨な戦争体験や戦前の不合理な社会の苦い体験が世代から世代にどう承継されているのか。平和や民主主義擁護の熱い思いがそれぞれの世代でどう育まれているか。気になってならなかったのだと思う。若い世代への期待もひとしおだったのだろう。
久三先生にとって、岩手靖國訴訟の提起は自分の生き方の貫徹の結果として、ごく自然なことだった。久三先生は、この訴訟に関わった私たちに、みごとな筋の通った生き方の手本を見せてくれた。やっぱりどこまでも、久三先生は人の師であった。
戦後の民主教育を支えた師を記憶に留めておきたい。
(2016年4月17日)
頑迷な都教委との、10・23通達関連訴訟は熾烈に継続している。とうてい先は見えない。国旗・国歌(「日の丸・君が代」)に対する敬意表明の強制は違憲・違法である、との主張をめぐる攻防である。
愚かな都教委が強制をやめるか、最高裁がすべての事案について違憲判断をすることになるまで、この訴訟は継続し続けることになる。
いま、第4次の処分取消訴訟が一審に係属中であり、その第7準備書面を作成の作業中である。今回の私の担当は、憲法20条1項・2項(信教の自由保障規定・政教分離ではない)を根拠とする、「日の丸・君が代」強制の違憲論。
周知のとおり、最高裁は、神戸高専剣道授業拒否訴訟において、信仰上の信念から剣道の授業は受け容れがたいとした学生の訴えを認容した。剣道の授業が客観的に宗教性を帯びると認めたのではない。それでも、剣道の授業強制が特定の信仰者の信教の自由を侵害することを認めたのだ。「日の丸・君が代」強制は、これによく似ている。似ているどころではない。もともと「日の丸・君が代」は神なる天皇と結びついた国家神道のシンボルであった。信仰者が受け容れがたいとする理由の明白さにおいて、剣道の授業とは比較にならない。
論争の応酬の一コマではあるが、その書面のドラフトの比較的まとまりがよい部分を読み易く整理した形で、ご紹介したい。何が、どのように、論争の対象となっているか。その一端をご理解いただけるものと思う。
☆被告(都教委)は、「日の丸・君が代は、国旗・国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたものであって、それ自体宗教的な意味合いを持つものではない。」という。この文章の論理自体がきわめて曖昧である。むしろ、ことさらに曖昧な文章とされたものというべきであろう。
あたかも、「日の丸・君が代」が「国旗・国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたもの」である以上は、「それ自体宗教的な意味合いを持つものではない」と述べているごとくであるが、明らかに失当である。
「日の丸」は神話的な起源をもつデザインであり、「君が代」は神なる天皇の御代の永続を称える祝祭歌として、明治期に事実上の国旗・国歌とされた。「日の丸・君が代」を事実上の国旗・国歌とする天皇制国家は、国家神道を主権原理の根拠とした宗教国家であった。したがって、「日の丸・君が代」は、国家の象徴であっただけでなく、国家神道の宗教的な象徴でもあった。このことは動かしがたい、歴史的事実である。
その後、敗戦を経て神権天皇制は法制度上崩壊し、主権原理を転換した日本国憲法の時代となった。しかし、天皇制は象徴天皇制として存続し、宮中祭祀は「伝統」を固守し続けている。国家神道を支えた各地の神社も宗教法人に衣替えして往時の姿をとどめている。国家神道を支えた社会基盤も社会意識も崩壊に至っていない。その社会基盤と社会意識に支えられて、「日の丸・君が代」も廃絶されることなく、日本の社会に生き残り、国旗国歌とされるに至った。
「日の丸・君が代」の宗教性の有無は、法によって決せられるべき事項ではない。国旗国歌法が成立しようと廃絶されようと、なんの消長も影響も受けるものではない。とりわけ、今議論の局面は、憲法20条1項および2項の基本的人権としての個人の内面における信教の自由をめぐってのものである。国会の多数決の議決によっても動かしがたいものなのである。このことについて、被告が無自覚であることが恐るべきことなのである。
被告都教委の「日の丸・君が代は、国旗国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたものであって、それ自体宗教的な意味合いを持つものではない。」という、恐るべき無自覚、無神経が、原告教員らの積極・消極両面の信教の自由をないがしろにしていると嘆かざるを得ない。
☆また、被告は、「日の丸・君が代は、原告らが主張するように『国家神道と結びついた神的・宗教的存在としての天皇崇拝のシンボル』ではない。それまで日の丸・君が代が我が国の国旗・国歌であることが慣習として成立していたという事実的経過があって、議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化されたものである。」ともいう。
問題は、個人の精神的自由の根幹をなす、自己の内面をいかに形成するかの自由を論じる局面にある。日の丸・君が代が『国家神道と結びついた神的・宗教的存在としての天皇崇拝のシンボル』であるか否かは、個人それぞれの判断にかかる問題であって、法がその判断に介入出来ることではない。
被告の主張の誤謬は、「議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化された」という一文に象徴される。被告は、あたかも「議会制民主主義」や「国民多数の意思」が、人権を制約する大義名分としてオールマイテイであると考えている如くである。
しかし、議会制民主主義がなしうることには明確な限界があって、いかなる絶対多数によっても基本的人権を侵害することは許されない。被告主張の如くに、国会の議決によって、「日の丸・君が代」の意味づけが変えられて、信仰者の信教の自由や、無神論者の信仰を持たない自由が傷つけられてはならないのである。
しかも、国旗国歌法の内容はわずかに2か条、国旗と国歌のデザインと歌詞メロディを定めるだけのものである。それ以上の意味づけ規定はなく、国民の権利義務ともまったく無関係なものである。国旗国歌法の趣旨・目的は、国旗国歌を定義づけるだけのものであって、それを超えて、法の成立が「『日の丸・君が代』から『国家神道と結びついた神的・宗教的存在としての天皇崇拝のシンボル』を排除した」などという効果を生じるものではない。被告の主張は、何重にも牽強付会を重ね、何重にも誤っている。
☆さらに被告は、「国旗・国歌が国民統合の象徴の役割を持つことから、国旗・国歌を取り巻く政治状況や文化的環境などから、過去において、日の丸・君が代が皇国思想や軍国主義に利用されたことがあったとしても、また、日の丸・君が代が過去の一時期において、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として利用されたことなどを理由として、日の丸・君が代に対して嫌悪の感情を抱く者がいたとしても、日本国憲法においては、平和主義、国民主義の理念が掲げられ、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であることが明確に定められているのであるから、日の丸・君が代が国旗・国歌として定められたということは、日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されているということである。」という。
これは、意味不明の無意味な主張である。いま、「日の丸・君が代」の宗教的象徴性について論じている局面で、被告の主張は論争テーマと関連性を持たない。
とりわけ、「日の丸・君が代が国旗・国歌として定められたということは、日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されているということである。」という一文は法律論ではない。政治的な宣言文書としては意味を持つかも知れないが、「役割が期待されている」との文言は、何らの法律要件とも法律効果とも結びつくものではない。
被告の論法では、「天皇は憲法において日本国及び日本国民統合の象徴であると定められているのであるから、天皇という存在は当然に憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴である」ということになる。また「『日の丸・君が代』も国旗国歌法において国旗国歌とされた以上は、当然に憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴である」ということにもなる。
憲法が天皇を制度上どう定めようと、また憲法上の天皇についての規定の有権解釈がどのようなものであろうとも、個人が天皇についてどのような見解を有するかは自由でなくてはならない。とりわけ、天皇制の形成過程や歴史的に果たした役割から、天皇の宗教的象徴性についての見解やそれをめぐる思想は完全に自由でなければならない。これは自明の理である。また、当然のことながら、その天皇に関する思想表明の自由には格別の保障がなされなければならない。
同様に、国旗国歌法が「日の丸・君が代」を国旗国歌と定めたとしても、国民個人が「日の丸・君が代」をどう位置づけ、どう理解し、どう評価すべきかという点に関して、いささかも影響されるところがあってはならない。国旗国歌法の制定如何に関わらず、信仰者である原告らについても、また信仰者でない原告についても、その「日の丸・君が代」をめぐる宗教性の有無についての考え方の自由は、最大限に尊重されなければならない。
要するに、基本権侵害を論じる主観的違憲論の局面において、国旗国歌法の出る幕は一切ない。被告が国旗国歌法を持ち出したこと自体が、見当外れの謬論なのである。
☆また、被告は「原告らにおいても、個人として信教の自由が保障されているが、公務員として全体の奉仕者としての地位にあり、しかも、その職務の内容が公教育を行うという公共性を有していることから、原告らが個人的な宗教上の理由から、教育を行うこと(すなわち、この場合は、国旗・国歌の指導を行うこと)を拒否することは、そもそも許されないのである。」という。
「そもそも教育公務員には信教の自由を保障する必要がない」という被告の粗雑な論法は、教育公務員をして精神的自由を持たない奴隷の地位に貶めるものと言わざるをえない。この論法は、社会生活を送るものに、そもそも信教の自由はないというに等しい。
「信教の自由が保障されている」というためには、最低限自らの信仰に反する行為の強制を受けないことが保障されていなければならない。外部的な行為と切り離されて純粋に内心に限定された信教の自由は、権利として論じる意味を持たない。
また、被告が「個人として信教の自由が保障されている」という意味は不明確であるが、「個人として」の意味が「社会生活とは切り離された純粋に私的な生活領域においては」という意味であれば、これも権利の保障に値しない。
きわめて常識的に、「国民のすべてに信教の自由が保障されている」とは、いかなる信仰を持つ者も、また持たざる者も、宗教に関わる理由で通常の社会生活に支障をきたすことのない社会環境が整えられていることを意味する。
キリスト教の信仰者である複数の原告に限らず、「日の丸・君が代」の宗教性に鋭敏な信仰者は数多く存在する。これらの信仰者が、「日の丸・君が代」の強制を甘受せざるを得ないことを理由にその宗教上の精神生活に支障をきたすようなことがあってはならない。換言すれば、通常の社会生活と信仰者としての精神生活との矛盾に陥らせてはならないということが、「信教の自由を保障する」という意味でなくてはならない。
信仰者である原告らは、自己の信仰者としての精神生活を堅持しながら、教育公務員としての社会生活を支障なく送るべく被告に配慮を要求する憲法上の権利を有し、被告にはこれに対応する憲法上の義務があるというべきなのである。
☆被告がいう「その職務の内容が公教育を行うという公共性を有していることから、原告らが個人的な宗教上の理由から、教育を行うこと(すなわち、この場合は、国旗・国歌の指導を行うこと)を拒否することは、そもそも許されないのである。」との主張は、著しく偏頗な一面的な議論に過ぎない。原告らの憲法上の権利性を全面的に否定し、教育公務員という属性を理由に、原告らに信仰者としての精神生活の保障を排除する結論となっているからである。
また。被告の立論は、一方的に結論を述べているが、理由や根拠に触れるところがないが、憲法上の権利の制約を容認すべきとする主張は、制約の根拠についての主張・挙証の責任を負うべきが当然なのである。
☆なお、原告らとしても、教育公務員としての職務の遂行が当該教育公務員の宗教上の信念と衝突する場面において、いかなる場合にも宗教的信念の保障が優越すると主張するものではない。
信教の自由という精神的自由権の中核的権利についての制約が許容されるか否かは、合違憲判断の常道として、制約の目的、制約の手段、目的と手段との関連性の3面における、厳格な違憲審査基準の適用をもって判断されなければならない。
目的審査は、当該教育公務員に課せられる具体的な職務上の義務が真にやむを得ない利益を達成するためのものであるか否か。手段審査は、その利益を達成するための必要不可欠な手段であるか否か。そして、(目的と手段の)関連性審査は、その義務によって課せられる信教の自由に対する制約が必要最小限度のものであるか否か。この3面における検証のすべてに合格して始めて憲法上の人権の制約が許容されることになる。
厳格審査基準からしても、教員の本来的な職務である生徒に真理を教授する場面において、自己の宗教的信念を貫くことは許容されない。「天地は神が創造したもうた」「進化論は聖書に反する誤った考えである」「日本の建国は神武の即位に始まる」などを、真理ないしは真実として教授することは許容されない。子どもの教育を受ける権利を全うする目的から上記3面の審査による制約は容易に肯定されうることになろう。
しかし、「日の丸・君が代」への敬意表明を強制することは、何らの真にやむを得ない利益を達成するための目的を肯定することにはならない。国旗・国歌ないしは「日の丸・君が代」の強制は、生徒たちに国家意識あるいは愛国心を醸成することを目的とするものであろうが、このことは真理の伝達とは異なり、教育公務員の本来的な職務ではない。むしろ、国家をどのように位置づけ理解するかは、優れて価値観に関わる問題として、教育にも強制にも馴染まない。少なくとも、そのような教育公務員の信念は尊重されなければならない。とうてい、「真にやむを得ない利益を達成するためのもの」とは言えない。
また、仮に卒業式等の儀式における秩序維持が肯定されるべき目的ないし利益だとしても、全教員に対する起立・斉唱の強制が、この目的を達成するための必要不可欠な手段であるとも、必要最小限度のものとも到底言えない。積極的に式の進行を妨害することなく、国歌斉唱時に静かに坐っているだけの教員に懲戒処分を科してまで起立や斉唱を強制する必要はあり得ない。
以上のとおり、原告らが、憲法20条1項および2項にもとづいて有する基本権が、「日の丸・君が代」への敬意表明強制によって制約されることは許容し得ない。被告の主張は誤りである。
(2016年2月20日)
朝日が、2月8日から12日まで5回のシリーズで「自治会は今 フォーラム面の現場から」という特集を連載した。各回のタイトルは以下のとおり。
1 断れない「寄付」って変 2月8日
2 神社維持、全員で負担? 2月9日
3 選挙協力、まるで後援会 2月10日
4 退会者に「ごみ出すな」 2月11日
5 「地域の要望」誰の声? 2月12日
自治会・町内会は日本全国に遍く組織されている。多くの人にとって、最も身近な組織と言えよう。自治会・町内会との付き合いにおいて、プリミティブに組織と個人の関わりの基本問題が表れる。したがって、自治会・町内会の運用のあり方は、日本社会全体の構造の縮図として深く関心を寄せざるを得ない。民主主義や個人の自立の問題が見えてくるはずなのだ。いま、その切り口となるキーワードは「社会的同調圧力の組織化」ではないか。
「寄付」や「神社維持」への協力の強制、「選挙」や「地域の要望」への動員は、典型的な社会的同調圧力といえよう。「退会者に『ごみ出すな』」はその強制の手段としての深刻な問題。全体的傾向として、個人の自立が社会的同調圧力に組み敷かれている構図が描かれている。地方行政の末端組織として組み入れられた自治会・町内会のあり方の再考が求められてもいる。
言うまでもなく、自治会・町内会に入会するもしないも自由。なんの理由も不要でいつだって退会可能だ。とは言うものの、ひとり入会せずに非協力を貫くことには相当のプレッシャーがかかってくる。敢えて、退会するのはなおさらのことだ。これが、社会的同調圧力。
非権力的組織であるから、住民の合意だけで組織され運営される。親睦のみならず、地域の環境保全や治安や災害対策に有用であることは言うまでもない。地域と行政とのパイプ役としても、その存在意義は否定し得ない。しかし、現実には民主的な運営の確保が難しく、社会的同調圧力を合理化し実行する組織になる危険を常にはらんでいる。
連載第1回に掲載の、佐倉市の自治会の例が示唆に富む。14年前、役員会での討議を経て、日本赤十字社などへの寄付という事実上の強制をやめたという。もちろん、建前としては寄付は強制ではない。しかし、衆人環視の中で寄付を断ることは難しい。これが、社会的同調圧力のなせる業。そこで、任意制が徹底するよう集め方を変えた。「大判の封筒を使う方法だ。誰がいくら入れたか分からないように封筒のお金を入れるところだけ開けておき、隣の家に回す。封筒の表には寄付するかどうかも、金額も自由と書いた。」
任意のはずの寄付が事実上の強制となる不合理を不合理として確認し、任意制を徹底する具体的な方法まで考えて実行した、最も身近な場における民主主義の実践に、敬意を表せざるを得ない。
朝日の記事は、次の点でさらに示唆に富む。
当時自治会長だった内野光子さんは、封筒方式を実現できたのは当時、役員10人のうち女性が6、7人を占めていたからだと思っている。「リタイア男性中心の『オヤジ自治会』や、同じ人が長く居座る『ボス自治会』では改革が難しい。役員に主婦がもっと入らないと変わらない。
なるほど、言われてみればそのとおり。男性中心の『オヤジ自治会』や『ボス自治会』の問題性は、ひろがりを持っている。自治会が日本社会の構造の一部であり縮図である以上は、地方政界の『オヤジ議会』や『ボス自治体』の問題でもあり、さらには『オヤジ国会』や『ボス内閣』という日本の政治構造にもつながっている。
オヤジやボスは、今この社会の多数派を取り仕切っている。オヤジやボスの常識は、「地域共同体の日常の懇親や親睦による出る杭のない、穏やかな秩序が何より」「行政に貸しを作り、いざというときには行政に口利きのパイプをつなげておくことが肝要」「みんなが文句を言わずに労力と経済的負担をして自治会を支えるべきが常識」「地域の結束のためではないか。自治会が神社への奉賛をすることになんの問題があろうか」「役員は多大な労力を費やしているのだから、会費で多少の飲み食いしたくらいで、細かいことをうるさく言うな」というもの。
このオヤジ感覚ボス体質が保守政党の末端組織とつながる。自治会・町内会を通じて、オヤジやボスの体制派的常識が組織化され保守勢力に吸い上げられる。平時は、天皇制と結びついた神社を支え、行政や警察機構の末端として働き、また保守政党を地域で支える。そして、一旦緩急あらば、大政翼賛会か国防婦人会の末端組織に、あるいは関東大震災後の自警団に早変わりしかねない危うさを持っている。
朝日記事の第2回が、神社の費用負担問題を取り上げている。
この中に、ある自治会長(男性・72)の「神社は地域の守り神、文化のようなもの。特定の宗教という感覚はない」との見解が紹介されている。おそらくホンネなのだろうし、これが社会の多数派の意見なのかも知れない。しかし、少数派のなかには、潔癖な信仰者もいようし、無神論者として特定宗教への寄金に抵抗感をもつ者もいる。このような少数者の意見が無視されてよかろうはずはない。
もっとも、なかなかに少数者の発言は難しい。黙っていれば、多数派の横暴がまかりとおる。自治会・町内会の意見が、地域全体の意見にすり替えられる。かくて、自治会・町内会は、保守政権支配の末端組織として機能することになる。
地元の自治会・町内会の活動に積極的に関わって、原則を曲げずに辛抱強く民主的な運営を実践している方を尊敬する。マンションの管理組合もPTAも同様だ。私には、上手にやり遂げる自信がない。ならば、次善の策として自治会に加入しないのも一つの意思表示。
これまで、居を構えてから幾十年、地域自治会や町内会に加入したことがない。回覧板も寄付の要請も、私の家だけは通り過ぎる。
ずいぶん以前のことだが、ある町会長さんに呼ばれて、親切に加入を勧められたことがある。そのとき、町内会の規約や会計報告、そして立派な会の歴史をまとめた冊子を見せていただいた。ずいぶん整った自治会だと一面好感をもったが、ご多分にもれない問題が2点。自動的に近くの著名な神社の氏子となって自治会からの奉納金の支出が行われていた。そして、もう1点、私の大嫌いな自民党の有力政治家との友好関係が見えていた。自治会の大きな行事はその政治家の「会館」で行われ、会史にその政治家が登場してくる。これは、生理的に受け容れがたい。
中にはいって改革すべきなのだが、私にできそうもない。私にできることは、自治会に加入しない選択肢もあるのだと身をもって示す程度のこと。私は未熟であり、この先も成熟の可能性はない。もしかしたら、この程度のことも都会だから出来ることなのかも知れない。
佐倉市内の住民自治会で、果敢に民主主義を実践してこられた内野光子さんのブログを参照していただきたい。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/cat7752986/index.html
(2016年2月15日)