(2022年7月10日)
DHCスラップ訴訟・DHCスラップ「反撃」訴訟では、多くの皆様に、お世話になりました。2014年4月に始まったこの訴訟。まずは私が被告にされた訴訟が、東京地裁から最高裁まで3ラウンドで私が勝訴し、さらに攻守ところを変えた「反撃」訴訟が、これも東京地裁から最高裁まで3ラウンド。合計6ラウンドの闘いで、全て私の完勝となりました。
この訴訟は、昨年1月に全て終了しましたが、その顛末をようやく一冊の書にまとめて、7月中に発刊の運びとなりました。既に、日本評論社のホームページに、「これから出る本」として紹介されています。「スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」という副題。弁護団長・光前幸一さんの丁寧な解説が付されています。
8年前の5月のある日、突然に理不尽なスラップを仕掛けられた当初に思ったことは、ともかくこの訴訟を勝ちきらねばならない、ということだけ。しかし、多くの人たちからのご支援を得て余裕ができてくると、これは私一人の問題ではないと実感するようになって思いは変わりました。
単に仕掛けられたスラップを斥けて良しとするのでは足りない。スラップ反撃の成功の実例を作らねばならない。そして、スラップを仕掛けた側に、典型的な失敗体験をさせなければならない。DHCと吉田嘉明に、「スラップなんかやってたいへんなことになってしまった。スラップなんかやるんじゃなかった」と反省させなければならない。そしてそのことを世に伝えなければならない。そう思うようになったのです。
この本の中では、DHC・吉田嘉明に「スラップの成功体験をさせてはならない」と書いたのですが、本当のところは「スラップの失敗体験をさせなくてはならない」という決意でした。
まずは、自分の言論を萎縮してはならないという思いから、「澤藤統一郎の憲法日記」に、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを猛然と書き始め、これは既に第200彈を超えています。そして、反撃訴訟を提起して、これも勝ちきることができました。DHC製品の不買運動も呼びかけています。私の思いはほぼ達成できたとの満足感があります。
残るのは訴訟の顛末を世に報告するということ。この書の出版によって、ようやく重荷を下ろすことになりそうです。多くの人に支えられ、多くの人を頼っての勝利であって、私はこの間誰よりも幸せな被告であり原告であり続けました。これは私が恵まれた立場にあったからですが、それだけに、スラップへの対抗例を報告しなければならないと思い、読みやすい形でまとめることができたと思います。
この書を、スラップ批判の世論を形成するために広めていただき、さらには実践的なスラップ対応テキストとしてご活用いただけたらありがたいと思っています。
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「DHCスラップ訴訟 ー スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」
著者 澤藤統一郎
予価:税込 1,870円(本体価格 1,700円)
発刊年月 2022.07(中旬)
ISBN 978-4-535-52637-2
判型 四六判 256ページ
内容紹介
批判封じと威圧のためにDHCから名誉毀損で訴えられた弁護士が表現の自由のために闘い、完全勝訴するまでの経緯を克明に語る。
目次
はじめに
第一部 ある日私は被告になった
1 えっ? 私が被告?
2 裁判の準備はひと仕事
3 スラップ批判のブログを開始
4 第一回の法廷で
5 えっ? 六〇〇〇万円を支払えだと?
6 「DHCスラップ訴訟」審理の争点
7 関連スラップでみごとな負けっぷりのDHC
8 DHCスラップ訴訟での勝訴判決
9 消化試合となった控訴審
10 勝算なきDHCの上告受理申立て
【第1部解説】DHCスラップ訴訟の争点と獲得した判決の評価……光前幸一
第二部 そして私は原告になった
1 今度は「反撃」訴訟……なのだが
2 えっ? また私が被告に?
3 「反撃」訴訟が始まった
4 今度も早かった控訴審の審理
5 感動的な控訴審「秋吉判決」のスラップ違法論
【第2部解説】DHCスラップ「反撃」訴訟の争点と獲得判決の意義……光前幸一
第三部 DHCスラップ訴訟から見えてきたもの
1 スラップの害悪
2 スラップと「政治とカネ」
3 スラップと消費者問題
4 DHCスラップ関連訴訟一〇件の顛末
5 積み残した課題
6 スラップをなくすために
【第3部解説】スラップ訴訟の現状と今後……光前幸一
あとがき
資料
DHCスラップ訴訟|日本評論社 (nippyo.co.jp)
(2022年6月5日)
一昨日(6月3日)、東京高裁(渡部勇次裁判長)が「ニュース女子ヘイト報道事件」での控訴審判決を言い渡した。判決の結論は、当事者双方からの控訴を棄却し、昨年9月の一審判決をそのまま維持するとした。
このところ選挙ムード一色の赤旗が、4日の社会面トップでこの記事を報道した。その見出しが、「DHCへの賠償命令維持」「辛淑玉さんへの名誉毀損認定」である。簡潔さがよい。形式的には、一審被告の法人格名は「株式会社DHCテレビジョン」である。そのとおり表記すべきが正確とも言えるだろうが、実質において「DHCテレビ」は、DHCの一部門に過ぎない。「DHCテレビ」はDHCの一人会社である。全株式を所有しているのが親会社DHC。もちろん、 「DHCテレビ」 の代表者はDHCのワンマンにして差別主義者として知られる吉田嘉明(取締役会長)である。このデマとヘイトに満ちた恥ずべき放送は、いくつもの部門をもつDHCの部門の一部に、その社風ないしは体質が表れたと見るべきであろう。違法と断定され、550万円の支払を命じられたのは外ならぬDHCなのだ。
赤旗は、本日も続報を掲載している。「一歩踏み込んだ」「『ニュース女子』訴訟控訴審判決」「原告の辛淑玉さんら評価」という、原告・弁護団の記者会見記事。
一般紙では、東京新聞の報道が、長い見出しで主要な論点を押さえている。「DHCテレビ『ニュース女子』の名誉毀損を認定」「高裁も一審判決支持『番組に真実性は認められない』」
東京新聞の報道は、注目されたところ。何しろ、DHCテレビとならんで被告にされたのが、元東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋なのだから。長谷川はこの番組の司会を務めていた。それでも東京新聞は真摯な報道姿勢を貫いている。そして見出しに「DHCテレビ」を出している。以下、一部を引用する。
「判決は、辛さんが組織的に参加者を動員して過激な反対運動をあおっているという番組の内容に、真実性は認められないと判断。現在もDHCのサイトで番組が閲覧できる状態で「韓国人はなぜ反対運動に参加する?」などとテロップで表示されているとして、「在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない」と言及した。
番組の司会者だった本紙元論説副主幹の長谷川幸洋氏の責任については「番組の制作や編集に一切関与がなかった」とし、一審と同様に認めなかった。長谷川氏が辛さんに損害賠償を求めた反訴も同様に退けた。
番組は東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で2017年1月に放送された。昨年9月の一審判決は、DHCに賠償と自社サイトへの謝罪文掲載を命じた。
判決後の会見で辛さんは「名誉毀損が認められてうれしいが、沖縄に対して申し訳ない気持ちもある。平和運動や沖縄を、在日である私を使ってたたくという、二重、三重に汚い番組だった」と振り返った。金竜介弁護士は、判決が出自に絡む誹謗中傷に言及した点に「人種差別をきちんと認めたことは評価できる」と話した。
朝日の見出しは、「東京MXの「ニュース女子」、高裁も「名誉毀損」 賠償命令を維持」である。これはいただけない。この見出しだけだと、東京MXが被告になっているように誤解されかねない。DHCの責任が浮かび上がってこない。
この番組を巡っては、BPO放送倫理検証委員会が 東京MX に対して、「重大な放送倫理違反があった」とする意見を公表。遅れてのことだが、 東京MX は番組の放送を打ち切り、辛淑玉さんに不十分ながらも謝罪している。DHCが頑強に、謝罪もせず、番組の削除もしなかった結果が訴訟での決着となった。朝日の見出しは、「東京MX」を「DHC」か「DHCテレビ」とすべきではなかったか。
毎日の見出しも、面白くない。「『ニュース女子』訴訟、制作会社に550万円賠償命令 東京高裁」である。「制作会社」とはそりゃ何だ。「DHC」も「DHCテレビ」も出て来ない。デマとヘイトの企業に、いったい何を遠慮しているのだと言いたくもなる。
当然のことながら、沖縄の報道は辛口である。沖縄タイムスは「沖縄差別 裁判問えず 辛さん勝訴 笑顔なし ニュース女子訴訟」と見出しを打った。辛さんが、「沖縄に対して申し訳ない気持ちもある」と言った点に、沖縄からの共感である。
そして、琉球新報が下記のとおり伝えている。「『プチ勝訴』ニュース女子制作会社が主張、上告も示唆 控訴審判決受け」という見出し。この明らかな敗訴判決を「プチ勝訴」というDHC側の異常な感覚を曝け出している。
「ヘイトスピーチ反対団体の辛淑玉共同代表への名誉毀損を認めた東京高裁の控訴審判決を受け、被告側のDHCテレビジョンが3日午後、東京高裁前で番組の収録を行った。同社の山田晃代表(社長)は「プチ勝訴」などと主張する一方、「金銭的な部分で不服」として賠償責任を負う点に不満を示し、上告を示唆した。
勝訴とは言わない。プチ勝訴と考えている。山田代表は同日午後の控訴審判決後、東京地裁前に姿を現し、報道陣に独自の主張を展開した。「プチ勝訴」とした理由について、同社ホームページで掲載を続ける番組の削除が命じられなかった点を挙げた。一審に続き550万円の賠償命令が出た点には「会社としてはね、やっぱり1円でも」「金銭的な部分で不服とするのは当然」と述べて「不当判決」とした。今後の方針を問われると「もうワンチャンスある」「上告に向けて検討する」として、「事実認定」の変更が期待しにくい最高裁の判断に望みを懸けた。」
この会社の体質がよく表れている。判決理由で「放送内容の真実性は認められない」「現在もDHCのサイトで番組が閲覧できる状態で『韓国人はなぜ反対運動に参加する?』などとテロップで表示されている。だから『在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない』とされていることに何も反省しないのだ。一・二審とも、謝罪文の言い渡しを命じられていることにも意に介している様子はない。
この会社は、つまりはDHCとその経営を牛耳っている吉田嘉明は、根っからのレイシストである。法や判決で命じられない限り、「ヘイトのどこが悪いか」と居直る体質なのだ。一つは判決で、そしてもう一つは良識ある民衆の批判とDHC製品不買で矯正するしかない。
(2022年5月28日)
一昨日(5月26日)発売の「週刊文春」の広告に、「『うちに来て』 細田衆院議長の嘘を暴く 『セクハラ記録』」なる記事。
続けて、▶女性記者たちの告発「2人きりで会いたい」「愛してる」▶党女性職員が周囲に嘆いた「お尻を触られた」▶最も狙われた女性記者が漏らした「文春はほぼ正しい」▶カードゲーム仲間人妻の告白「抱きしめたいと言われ…」と、衆議院議長を務める78歳氏に関わる報道としては穏やかではない。
文春オンラインによれば、「『全く事実と違います』。先週号の“セクハラ報道”に対し、議運の場でそう述べた細田博之議長。だが、小誌に届いたのは、三権の長に対する女性記者たちからの相次ぐ告発だった。そして、細田氏の発言を覆す物証が―。」
さて、注目の細田博之衆院議長、準備よろしく週刊文春発売当日の26日午前中に、抗議文を発表した。「セクハラ」報道を改めて否定し「すでに事実無根として強く抗議したところだが、同趣旨の記事が掲載されていることに強く抗議する」というもの。それだけでなく、「通常国会の閉会後、弁護士と協議し、訴訟も視野に検討する」という。「提訴するぞ」ではなく、「訴訟も視野に検討する」という、いささか腰の引けた表現だが、訴訟の検討を口にした。
細田に真実提訴の意向があるか否かは判断しがたい。取りあえずは、「事実無根」のポーズを取りつつ、逃げの時間を稼ぐための「訴訟も検討」は、この種事案での常套手段なのだから。
とは言え、細田が事実無根報道の被害者であることを否定はできず、提訴発言はブラフだと決めつけることもできない。
仮に、細田が文藝春秋社を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起したとすれば、最も単純で基本的な構造の名誉毀損訴訟になる。その訴訟は、以下のように進行する。
まずは、原告(細田)が週刊文春記事のうちの名誉毀損記述を特定する。この典型的な事実摘示型の名誉毀損記述が、原告(細田)の社会的評価を低下させるものであることは自明と言ってよい。つまりは、疑いなく名誉毀損言論に当たるのだ。
次に、被告(文春)において、違法性阻却要件を主張することになる。よく知られたとおり、公共性・公益性・真実性である。政治家の不行跡報道が、公共性・公益性に欠けることはあり得ない。残る問題は「真実性」立証の成否のみとなる。「女性記者たちの各告発事実が真実であるか」をめぐる証拠調べが審理の焦点となる。
なお、「真実性」は「相当性」(文春側で各名誉毀損事実を真実と信じたことについての相当な事情)でもよい。そのばあいは、損害賠償請求の要件である、故意または過失がないとして、不法行為は成立せず、原告の請求は棄却される。
問題はそれに終わらない。この細田の対文春提訴はそれ自体が、不当なスラップとして違法となり得る。その理由は以下のとおりである。
民事訴訟とは、正当な自分の権利や利益を救済するための制度である。ところが、そのような民事訴訟法本来の趣旨からは明らかに逸脱した提訴がある。被告に応訴の負担をかけることで言論を妨害しようとするものが典型で、このような場合は、提訴自体が違法行為となり、提訴者において損害賠償の責めを負わねばならない。
? どのような場合に、提訴が違法になるか。1988(昭和63)年1月26日?最高裁判所第三小法廷判決は、このように定式化している。
「訴えの提起は、提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となる」
これを本件に当て嵌めてみれば、次のとおりである。
「細田博之の文春に対する訴えの提起は、
(A)提訴者である細田が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、
(B1)細田がそのことを知りながら、又は
(B2)通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、
裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合は、文春に対する違法な行為となる。」
この(A+B(1or2))の充足が、スラップ違法の方程式。本件では、客観的要件である(A)も、 主観的要件である (B1)も、事前に細田にはよく分かっていること。
結局のところ、「2人きりで会いたい」「愛してる」「お尻を触られた」「文春はほぼ正しい」「抱きしめたいと言われ…」云々の記事が真実であれば、原告細田の名誉毀損損害賠償請求訴訟が敗訴となるだけでなく、その提訴自体が違法となって反対に損害賠償債務を負担することになる。
ちょうど、DHC・吉田嘉明が私を名誉毀損で訴えて6000万円を請求してゼロ敗しただけでなく、その提訴が違法なスラップとして165万円の損害賠償を命じられたように、である。
(2022年5月5日)
連休はありがたい。散歩ができる、本も読める。そして、DHCスラップ訴訟の顛末について出版予定本の校正作業の時間もとれる。
この本の原稿の第一稿、身内の評価はさんざんだった。「こんな漢字ばかりが詰まった文章、読む気にもならない」「せっかく出版するんだから、予備知識なしにすらすら読める本でなくちゃ」「分かり易く書く能力に欠けているんじゃないの」などという無遠慮な。これは罵倒か、はたまた励ましなのか。
めげずに書き直して、出版社側は「一応これでよいでしょう」となり、第二校のゲラができた段階。だが、校正の筆を入れ始めると実は際限がない。どこかで妥協するしかない。それでも、読んでいただけるだけの水準のものはできそうではある。完成したら、ぜひお読みいただくようお願いしたい。
《DHCスラップとの闘いの記》の中心テーマは、「表現の自由」である。実質的には「言論の自由」。教科書に書かれた「言論の自由」の解説ではなく、この現実の社会における「言論の自由」を実現するための闘いの記録。誰もが、「言論の自由こそは、民主主義の基盤をなす重要な基本権だ」という。が、実はその自由を獲得するのは容易なことではない。「言論の自由」に敵対しこれを潰そうとするものとの闘いの覚悟が求められる。
私は、「言論の自由」の主要な敵は以下の5者であると思っている。
(1) 公権力
(2) 社会的権威
(3) 経済的強者
(4) 右翼暴力
(5) 社会的同調圧力
「言論の自由」の敵とは、要するに社会の強者であり、多数派なのだ。この社会の強者・多数派に抗い、これを批判する言論が保障されなければならない。このような保障に値する言論は、宿命的に強力な対抗圧力との軋轢を伴う。論者にはこの軋轢に怯まない覚悟が必要なのだ。
DHC・吉田嘉明は、典型的な経済的強者としての「言論の自由の敵」となった。自らは差別的言論を恣にしながら、カネに糸目を付けずに、自分を批判する言論は許さないとするスラップ訴訟をかけまくった。これに加担する弁護士もいたのだ。出版予定の本は、この点をめぐっての記述となっている。
ところで、「言論の自由の保障」というときの「言論」は内容を捨象した言論一般を指しているが、現実の「言論」は常に具体的な内容を伴っている。DHC・吉田嘉明が攻撃した私の「言論」の内容の一つに、《消費者問題としての行政規制緩和》というテーマがあった。
みんなの党の渡辺喜美への8億円提供を自ら暴露した、「吉田嘉明手記」(週刊新潮・2014年3月27日発売号に掲載)を批判して私は同月31日に、ブログに下記のとおり記載した。これが、2000万円スラップの対象となった最初の記述。後に、損害賠償請求額は、合計5本のブロクに対して6000万円請求に拡張された。
「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。DHCの吉田は、その手記で『私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した』旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。」
私が批判の対象とした吉田嘉明の手記の中に、次の一節がある。
「私の経営する会社(DHC)は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には、特別厳しいのかと勘繰ったりするくらいです。いずれにせよ、50年近くもリアルな経営に従事してきた私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関・官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした。ですから、声高に“脱官僚”を主張していた渡辺喜美さんに興味を持つのは自然なこと。」
さて、この言。なにか思い当たることはないだろうか。次のようにも言えるのだ。
「私の経営する会社(「知床遊覧船」)は、主に知床観光の遊覧船の運航をしています。遊覧船で旅客運送を行う場合は、海上運送法における「旅客不定期航路事業」又は「人の運送をする内航不定期航路事業」の許可・届出が必要となり、その主務官庁は国交省・運輸局です。その規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には、特別厳しいのかと勘繰ったりするくらいです。いずれにせよ、リアルな経営に従事してきた私から見れば、国交省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関・官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした。ですから、声高に“脱官僚”を主張していた政治家を応援したくなるのは、自然なこと。少なくとも、本件重大事故を起こす前はそうでした」
こう並べれば、DHC・吉田嘉明の妄言の本質も本音もよく分かろうというもの。
(2022年4月10日)
このところ鳴りを潜めているDHCと吉田嘉明だが、久しぶりにそのヘイト体質でメディアに話題を提供している。人権救済申立事件を受けた日弁連が、DHCに人権侵害ありと断定して、警告書を発したのだ。昨日(4月9日)の毎日新聞朝刊が、「DHC会長の差別文章掲載は『人権侵害』 日弁連が警告書」という記事を掲載している。大要以下のとおり。
「化粧品会社「ディーエイチシー(DHC)」(東京都港区)がホームページに在日コリアンを差別する文章を掲載した問題で、日本弁護士連合会は人権侵害に当たるとして、文章を出した創業者の吉田嘉明会長と同社に警告書と調査報告書を送り、差別的な言動を繰り返さないよう求めた。16年2月にも在日コリアンを差別する内容の文章を掲載していたという。
日弁連は警告書で、一連の文章は人格権を保障した憲法13条や法の下の平等を定めた14条にも反すると指摘。「出自を理由に差別され社会から排除されることのない権利、平穏に生活する権利を侵害した」と非難した。」
毎日は、日弁連に人権救済を申し立てていたNPO法人「多民族共生人権教育センター」(大阪市)の記者会見を切っ掛けに記事を書いているが、朝日は3月30日に記事にしている。「DHCと会長に警告書 日弁連、在日コリアンへの人権侵害と指摘」という見出し。なかに、次の言及がある。
「問題になったのは、同社が公式サイトで2016年以降に会長メッセージとして載せた文章。「帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩(やから)です」などと記した。20年11月にも吉田会長名で、「日本の中枢を担っている人たちの大半が今やコリアン系で占められているのは、日本国にとって非常に危険なことではなかろうか」などとする文章を載せた。
日弁連は今回、在日コリアンの排除を扇動していると説明したうえで、「蔑称を用いて在日コリアンを著しく侮辱し、悪質性の程度は強い」と指摘。1500万人以上の通信販売会員を抱える点も踏まえ、「私企業の代表者が私的領域で見解を述べたのではなく、公的領域での表現行為」と判断。一連の内容は在日コリアンへの人権侵害として、差別的言動をサイトなどに載せないよう警告した」
日弁連の警告書と、その理由の「調査・報告書」の全文は相当に長文だが、下記のURLを参照されたい。
https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/complaint/2022/220328.pdf
その結論部分が、下記のとおりである。
https://www.nichibenren.or.jp/document/complaint/year/2022/220328.html
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株式会社DHC・株式会社DHC代表取締役吉田嘉明氏宛て警告
2022年3月28日
株式会社ディーエイチシーが運営する同社のウェブサイトに、「株式会社ディーエイチシー代表取締役会長・CEO 吉田嘉明」名義にて、在日コリアン等について「チョントリー」「似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。」 「日本の中枢を担っている人たちの大半が今やコリアン系で占められているのは、日本国にとって非常に危険なことではなかろうか」などと「会長メッセージ」及び「ヤケクソくじメッセージ」を掲載したことは、憲法13条に基づく人格権として保障される在日コリアン等の出自を理由に差別され社会から排除されることのない権利、平穏に生活する権利を侵害し、また憲法14条の平等権保障の趣旨にも反し人権侵害にあたるものであるとして、株式会社ディーエイチシー及び同社代表取締役吉田嘉明氏へ警告した。
1 株式会社ディーエイチシーに対する警告の措置
在日コリアン等に対する差別的言動を、同社のウェブサイトを含む同社が製作・運営する各種媒体に掲載しないよう警告する。
2 株式会社ディーエイチシー代表取締役吉田嘉明氏に対する警告の措置
在日コリアン等に対する差別的言動を繰り返さないことを警告する。
なお、この人権救済申立て制度について、日弁連ホームページからの引用を中心に、若干の説明を付加しておきたい。
人権救済申立てとは(制度の概要)
日弁連は、弁護士法第1条(「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」)に基づき、さまざまな人権問題についての調査・研究活動を行っている。その中でも、人権擁護委員会では、人権侵害の被害者や関係者の方々からの人権救済申立てを受け付け、申立事実および侵害事実を調査し、人権侵害又はそのおそれがあると認めるときは、人権侵害の除去、改善を目指し、人権侵犯者又はその監督機関等に対して、以下のような措置等を行っている。
〔主な措置等〕
警告(意見を通告し、適切な対応を強く求める)
勧告(意見を伝え、適切な対応を求める)
要望(意見を伝え、適切な対応を要望する)
つまり、「警告」は、「勧告」や「要望」とは異なる「悪質性の程度が最も強く」 看過し得ない行為に対する厳重な措置ということなのだ。DHC・吉田嘉明は、深く肝に銘じなければならない。
ところが、日弁連の調査に際した問い合わせに対し、DHCは一切回答を拒んだという。また、この「警告」が発せられて以来のメディアからの対応の問い合わせにも、DHC広報部は「コメントは差し控える」としている。
DHC・吉田嘉明の体質は変わっていない。批判のないところでは本音を曝してヘイトを振りまいて恥じない。批判が強まると、こっそり撤回する。そして、けっして反省も謝罪もしようとはしない。ノーコメントで押し通す。およそ、腹の据わらない卑怯千万の振る舞い。
DHC・吉田嘉明が私を訴えた、6000万円請求の「DHCスラップ訴訟」でも、一貫して、自分の言に自ら責任をとろうという潔さのない行為。この点の詳細は、もうすぐ書物にまとめて刊行の予定。
ところで、DHC・吉田嘉明は、いつものように無反省・ダンマリ・ノーコメントではすまされないと言うことを知っているだろうか。
日弁連の人権救済申立事件に対する「警告・勧告・要望等」には、《執行後照会》という制度が附随してある。
「日弁連は人権擁護委員会による措置の内容を実現させるため、人権救済申立事件で警告・勧告・要望等の措置を執行した事例について、一定期間経過後(現在は6ヶ月経過後)に、各執行先(DHCと吉田嘉明)に対して、日弁連の警告・勧告・要望等を受け、どのような対応をしたかを照会(確認)しています。回答内容が不十分な場合、再度の照会を行うこともあります」ということなのだ。
DHCよ吉田嘉明よ。ヘイトやスラップやデマの姿勢を誠実に反省し謝罪せよ、二度と繰り返さないと誓約せよ。
そして、日本に居住する皆さんに訴える。こんな悪質な企業や経営者を、無反省のままにのさばらせいおいてはならない。消費者としての日常の商品選択で、DHC・吉田嘉明に反省を迫っていただきたい。
(2022年1月4日)
暮に所用あって上野に一度、銀座に一度外出の機会があった。驚いたのは、そのときの人混み。どこもかしこもマスクをした人々の、密・密・密である。怖じ気づいて、正月三が日はこもりっきりであった。これから来るであろう第6波が恐ろしい。
それでも、正月である。人並みに、今年の希望や抱負も語らねばならないところだが、さして元気が出ない。弁護士として受任した仕事を、丁寧に誠実にやり遂げること、という当たり前のこと以上にはさしたるものはない。
強いて抱負らしいものを挙げれば、DHCスラップ訴訟の顛末を書物にして刊行したい。スラップというものの害悪と、この害悪をもたらした者の責任を明確にし、スラップを警戒する世論を高めるとともに、スラップ防止の方策までを考えたい。これは、私の責務である。
そして、当ブログを書き続ける。来年の3月末で、このブログは連載開始以来満10年となる。2023年3月31日に「自分で祝する、10年間毎日連続更新達成」の表題で記事を掲載するまで多分書き続ける。これは執念である。
DHC・吉田嘉明以外にも、このブログにはこれまで複数のクレームを経験している。当ブログに市井の庶民からの苦情はあり得ないが、私の批判が目障り耳障りという様々な人はいるのだ。そのためにこそ、このブロクを書き続ける意味はある。
もっとも、毎回長文に過ぎるという批判を頂戴し続けてきた。今年こそは、短く読み易く、分かり易く、鋭い記事を書きたいもの。
今年のブログのテーマは、何よりも国会内外における改憲策動と阻止運動の動きが中心とならざるを得ないが、その次には沖縄に注目したい。復帰50年である。そして知事選。辺野古新基地建設継続の可否も正念場となろう。既に、米軍基地からのコロナ感染が話題となっている。その県民の怒りの中での名護市長選が間近である。今年の沖縄には目が離せない。
そして中国である。2月には北京冬季五輪が開催される。ナチス・ドイツ以来の大々的な国威発揚オリンピックとなることだろう。そして、IOCが商業主義の立場からこれに迎合する醜悪な事態となることが予想される。
今秋には、「中国共産党第20回大会」が開催される。党結成100周年で20回目となる。党規約上5年に1度の党大会だが、文革期には13年も開催されなかったこともあるという。今回の党大会が注目されるのは、習近平独裁体制の確立という点である。
「18年の憲法改正で、2期10年までとされていた国家主席の任期制限を撤廃。総書記に任期制限はないため、不文律の「68歳定年」さえ破れば、習氏は来年以降も最高指導者の地位を保つことができる。(時事)」というのが、メディアの解説。習はこの大会で、異例の総書記三選を果たすことになるだろうというのが、報じられているところ。この独裁、ブレーキの利かないものになりはしまいか。
中国共産党政治理論誌「求是」が新年に、昨年11月の習近平演説の内容を明らかにした。習は、1989年の天安門事件について「深刻な政治的動乱に対する断固たる措置で党と国家の生死と存亡がかかる戦いに勝利した」と評価し、天安門事件を朝鮮戦争と同じ国家の危機だったとして事態を収拾できなければ「中華民族の偉大な復興の過程も絶たれていた」とまで述べたという。
この演説は天安門上から、広場の群衆を見下ろす形で行われた。30年前に、民主化を求める多くの人々が犠牲になった場所である。そこで、習は民主主義を求める民衆への弾圧を「戦いに勝利」と言ったのだ。「戦い」の相手は丸腰だ。武器を持たない、市民と学生。これに銃を向け発砲したことを、「やむを得なかった」「忸怩たる思い」「胸が痛む」と言わずに、「戦いの偉大な成果」としてあらためて誇った。
偉大な党の統制に服さない市民には同様に銃を向けるという宣言以外のなにものでもない。恐るべき大国の恐るべき指導者による、恐るべき姿勢。これが、当分続くことになるのだ。
(2021年10月17日)
かつて、武富士こそがスラップ常習企業の雄として君臨していた。知られたくないその業務の実態を報道したメディアやジャーナリストを被告として、名誉毀損訴訟を濫発したのだ。2002年から03年にかけてのこと。
標的になったのは、日経ビジネス・サンデー毎日・週刊金曜日・週刊プレイボーイ・月刊ベルタ・月刊創など。記事を書いた記者も、被告とされた。
そのうちの一件に、「同時代社」(代表・川上徹)を被告とした訴訟があった。同社が出版した「武富士の闇を暴く」の記事によって、武富士に対する名誉と信用が毀損されたとするもの。この件で被告にされたのは、同社だけでなく、記事の執筆を担当した消費者問題専門弁護士3名。そのとき、私は被告代理人を買って出て弁護団長となった。
この訴訟では、消費者問題に取り組む全国の弁護士が総力をあげて、武富士と闘い、その請求を棄却させるだけでなく、提訴を違法とする反訴にも認容判決を得る成果を挙げた。
しかし、当時、「スラップ訴訟」という言葉がなかった。あったのかも知れないが知られていなかった。この言葉が知られていれば、労せずして武富士側の提訴のねらいを明確にして、裁判所に正確な理解を得ることが容易であったろう。世論の理解と支援を得るためにも便宜であったと思う。
さて、時は移って2014年。既に武富士は世になく、スラップ常習企業としての地位を継いだのがDHCである。武富士とDHCとスラップ。よくお似合いではないか。スラップ常習弁護士も代わった。
DHC・吉田は、「8億円裏金授受問題」批判の記事を嫌って、時期を接しての10件の同種事件を提訴している。高額の訴訟費用・弁護士費用の支出をまったく問題にせずに、である。
私もそのうちの1件の被告とされた。他には、私のようなブロガーや評論家、出版社など。最低請求額は2000万円から最高は2億円の巨額である。
損害賠償請求の形態をとる典型的なスラップは、市民運動や言論を恫喝して萎縮の効果を狙っての提訴だから、高額請求訴訟となるのが理の当然。「金目」は人を籠絡することもできるが、人を威嚇し萎縮させることもできるのだ。
私は、自分がスラップの被告とされて以来、同じ境遇の何人かの経験を直接に聞いた。皆、高額請求訴訟の被告とされたときの驚愕、胸の動悸と足の震えを異口同音に語っている。そして、その後に続く心理的な負担の大きさ重苦しさを。被告とされた者に、萎縮するなと言うのが無理な話なのだ。自分の体験を通じて、そのことがよく理解できる。このような訴権の濫用には、歯止めが必要なのだ。
DHC・吉田嘉明から、直接に口封じ狙いの対象とされ、応訴を余儀なくされたのはこの10件の被告である。しかし、恫喝の対象はこの被告らだけではない。広く社会に、「DHCを批判すると面倒なことになるぞ」と警告を発して、批判の言論についての萎縮効果を狙ったのだ。
自らもスラップの被害者となり、先駆的にスラップの害悪を訴えたジャーナリストである烏賀陽弘道さんがこう語っている。
「一人のジャーナリストを血祭りにあげれば、残りの99人は沈黙する。訴える側は、『コイツを黙らせれば、あとは全員黙る』という人を選んで提訴している。炭坑が酸素不足になると、まずカナリヤがコロンと落ちる…。カナリヤが落ちれば、炭坑夫全部が仕事を続けられなくなる」
なるほど、私もカナリアの一羽となったわけだ。美しい声は出ないが、鳴き止むことは許されない。ましてや落ちてはならない。DHC・吉田嘉明からスラップを掛けられて以来、私はことあるごとに、DHC・吉田嘉明の批判を広言し、DHC製品の不買を呼びかけてきた。これに対して、「そんなことを言って大丈夫なんですか」「営業妨害になりませんか」「DHCから訴えられたりしませんか」という反応に接してきた。DHCのブランドイメージは、確実にスラップと結びついている。
スラップが横行している現在、その用語と概念の浸透のための努力が一層必要なことは言うまでもない。スラップの害悪を社会に浸透することも、である。
そして、DHCに対しては、デマとヘイトとステマとスラップに反省を求めて、その反省が目に見えるようになるまで、こう言い続けなければならない。
「DHCの製品、私は買いません」
「DHCの製品、私の親類縁者には買わせません」
「DHCの製品を使っているホテルには泊まりません」
「DHC提供の番組は観ません」
「DHCのコマーシャルが流れたら、スイッチを切ります」
(2021年10月12日)
私は4人兄弟の長男で、下に妹・弟・弟と続いている。その次弟が、この夏突然に亡くなった。本日が2回目の月命日となる。肺がんを患い、小康を得たとの連絡だったが間質性肺炎が進行して死因となった。今年(2021年)の8月12日夕刻のこと。無念でならず、喪失感が大きい。
次弟・明は、その名のとおり、子どもの頃から周囲を明るくする快活な性格だった。京都大学経済学部を卒業後、毎日新聞の記者となり、山口や佐賀や小倉などの支局に勤務した。文章は達者で、自分から「軟派の澤藤と虚名が立っているんだよ」などと言っていた。
労働組合運動にも熱心で、西部本社の委員長も務め、小倉から東京本社までの新幹線往復を重ねた時期もあった。定年を待たずに退職し、その後は福岡県の苅田に住んでいた。
私が、DHC・吉田嘉明から、6000万円請求のスラップをかけられたときは、心配してくれた。私は、弟妹に配慮すべき立場だったが、この時ばかりは配慮される側になった。弟妹の様子を見て、あのとき父母が存命だったら、その心痛はいかばかりであったろうとも思った。
そして、DHCスラップ訴訟の勝訴には喜んでくれた。私の勝訴が確定したあと、明からメッセージが届いた。訴訟の経過をまとめた文集をつくるという連絡への返事のメールに添付されていたもの。このメッセッージは嬉しかった。
◎メッセージ(2017年1月16日)澤藤明(福岡県苅田町在住)
「豊かな髪よ 再び
旦那さん、髪の量が豊かですネ。羨ましい限りですよ」。散髪屋に行くたびに、決まってこう褒められる。
「子供の頃からよく言われましたネ。他に自慢することとてないけれど、髪の量と男振りはね…。こればっかりは、親から授かったもので感謝しているのですよ」。
鏡に映った顔を確かめながら、決まってこう答えることにしている。そして決まって、元被告、兄・統一郎のあまり豊かとはいえない頭髪の顔が浮かんでくる。
兄も若い頃は、フサフサしていた。私の二歳下の弟がよくこんな事を言っていた。
「親戚にハゲは一人もいない。癌で死んだという話も聞かない。俺はハゲにも癌にもならない。兄貴たちも安心していていい」。そんなものなのかと思っていた。
ところが兄は、四十歳を超えたころから頂上の方から薄くなり始めた。母が言った。「なんで統一郎だけが…。明も気を付けなさいよ」
通説では、男性ホルモンの過多が薄毛につながるという。その男性ホルモンは、闘争心が旺盛で、仕事がエネルギッシュなほど豊富に分泌されるらしい。
兄の仕事ぶりについては「季刊・フラタニティ」(ロゴス刊)に現在連載中の「私が関わった裁判闘争」でその一端を知ることができる。また毎日欠かすことなく発信し続けている「憲法日記」からも知ることができる。
これだけ闘争心をもってエネルギッシュに仕事をしていれば、いくら髪の豊富な家系に連なるといえども、その恩恵にあずかることは困難だと誰もが納得できるのではなかろうか。
薄毛が進行し始めた事を嘆いた母も泉下で、むしろ「男の勲章」と思ってくれているような気がする。
その兄が、六十歳代半ばで今度は癌を患った。肺の患部摘出手術が済んだ直後に、いきなり「今千葉の癌センターにいる」と電話してきた時には驚いた。
「うちの家系は、癌とは無縁」のはずではなかったのか。なぜ、酒も煙草も嗜まない兄が癌の病に襲われたのか、少し理不尽で腑に落ちない。しかし術後の経過は順調で既に完治している。
思えば幼いころから「長男として、妹・弟を思いやらねば」というような雰囲気を感じさせる兄であった。
薄毛にも癌にもなってくれて一家の苦難を全て引き受けてくれたのであろう。
DHCからのスラップ訴訟も、誰かが買って出て受けなければならない苦難を統一郎が引き受けた。そして多くの弁護士の支援で勝った。そんな運命的な巡り合わせのような気がする。
今まで経験したことの無い「被告の座」にまで立ったのだから、ある意味では「私が関わった裁判闘争」の中でも出色の勝利といえるのでは。
今後は仕事を出来るだけ減らし、願わくば再びフサフサの髪の毛を取り戻さん事を!」
8月15日、行橋で行われた告別式で私はこのメッセージを読み上げたが、涙が止まらず、最後までは読めなかった。
(2021年9月23日)
DHCスラップ訴訟・「反撃」訴訟の経緯を一冊の本にまとめようと悪戦苦闘している。何とか、今年中にでも出版に漕ぎつけたい。が、なかなか筆が進まない。そして、書いたものを読み返しては、読者に面白いだろうか、有益だろうか。と反問せざるを得ない。
未定稿だが、その冒頭の一部と、末尾の一部を抜き出してみよう。こんな具合なのだが、果たして読者に読んでもらえるものになるだろうか。
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?えっ? 私が被告?
2014年5月のとある日。初夏の雨上りの心地よい日だった。世はなべてこともなく、穏やかであったその日の夕刻。とんでもないものが舞い込んできた。
玄関のチャイムが鳴って郵便局の青年が愛想よく声をかけてきた。「澤藤さん、トクベツソウタツですよ。印鑑をお願いします」
「ああ特別送達ね。ハイ、了解」と受領印を押して、東京地裁から私宛の特別送達の封書を受け取る。法律事務所に裁判所からの特別送達。特に珍しくはないが、日常的にあることでもない。さて、受任している誰の件だろうか。封を開けて当事者の表示を見て驚いた。私が受任している事件ではない。私自身が被告として明記されていたのだ。私は、代理人としてではなく、被告本人として私宛に送達された訴状を受領したのだ。初めての妙な体験。いったいこれは何のことだ。
訴状を一瞥してさらに驚いた。サプリメント販売大手のDHCとそのオーナーである吉田嘉明の両者が原告となって、私に対する2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟を起こしたのだ。私のネット上のブログ記事を削除せよとも請求し、屈辱的な謝罪文の掲載も求めている。
なんの前触れもないその唐突さに最初は呆れ、次いでこの上ない不愉快と怒りの感情に襲われた。爽やかな初夏の夕刻の景色が、禍々しい一通の訴状で一変した。その日に始まったDHC・吉田嘉明との闘い。2021年1月に、訴訟が最終的に確定するまで6年8か月である。
当時私は弁護士になって45年目。訴訟の当事者となる依頼者の代理人として、多くの訴訟に携わってきた。しかし、自分が事件の当事者となるのはまったく初めての経験。訴えられるなどとは思いもよらないことだった。しかも、この訴訟は私に違法な行為があって、2000万円を損害賠償せよという。2000万円は私にとっては大金である。とうてい鼻先で笑える金額ではない。私は、猛烈に怒った。
あれから7年余である。おそらくは何年経っても、あのときの怒りは治まらない。DHCと吉田嘉明と、そしてその代理人となった弁護士を決して許さない。私は執念深いのだ。
あらためて考える。当時、私はいったい何に怒ったのだろうか。明らかに、この提訴は私の言論に対する「黙れ」という恫喝であった。私は恫喝されたことにも怒ったが、むしろ恫喝すれば黙るだろうと見くびられたことに腹を立てた。また、どんなめちゃくちゃな裁判であろうとも、これに応訴する面倒をよく知っている。確実に労力を割かねばならない。手間暇がかかるのだ。このことにも苛立った。
そして、思った。弁護士の私が、「黙れ」「口を慎め」と脅かされているのだ。弁護士としての矜持にかけて決して黙ってはならない。絶対に、一歩も退くものか。全力をあげて闘うことを決意した。闘う相手は、直接は原告となった吉田とDHCとその代理人弁護士であるが、決してそれだけではない。自由な言論を封じようとする社会的圧力との闘いと意識した。
大袈裟ではあるが大真面目に思った。これは、正義のための悪の権化との戦いである。
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?反撃訴訟判決の確定
そして、2021年1月15日コロナ禍の年明け。若い郵便局員がチャイムを鳴らして、「澤藤さん、トクベツソウタツですよ」とマスク越しに声をかけた。「はい、特別送達ね」と既視感のある応対。今度は最高裁(第1小法廷)から特別送達。反撃訴訟についてDHC・吉田嘉明の「上告棄却・上告受理申立不受理」の決定通知である。薄っぺらい三つ折りの書面。俗にいう、三下り半の決定通知。これですべてが終わった。
東京地裁からの訴状特別送達で始まって、最高裁からの上告棄却決定の特別送達で終了。この間6年8か月である。本当に長かった、ようやく終わったという実感。
提訴から数えれば6年9か月に及んだ、DHC・吉田嘉明と私(澤藤)との典型的なスラップ訴訟をめぐる法廷闘争だった。繰り返し確認しておくことになるが、私の完勝である。ということは、DHC・吉田嘉明完敗の確定である。裁判は、都合6回あった。私の6戦全勝、DHC・吉田嘉明の6戦全敗である。DHC・吉田には何の策もなく負けるべくして負けた。この経過と判決内容とは、私の勝利というだけではなく、基本権である表現の自由の勝利である。この社会には、まだDHC・吉田のごとき者を批判する自由は保障されているのだ。
判決によってその権利性が保障された私の言論は、無内容なものではない。DHC・吉田嘉明が、カネの力でこの国の政治を歪めようとすることへの批判の言論にほかならない。DHC・吉田嘉明が政治家渡辺喜美に対する8億円の裏金提供が目論んだ政治の歪みとは、規制緩和の「美名」のもと、企業の利潤追求に障害となる行政規制をなくして消費者利益を奪いとろうとしたものであった。そのことを批判した私の言論は、民主主義政治にとっても消費者利益にとっても、極めて有益な、真っ当な言論であった。DHC・吉田嘉明が、私を恫喝して妨害しようとした言論とは、そのようなものである。
結論を明確にしておきたい。今回のDHC・吉田嘉明完敗の最大の教訓は、「DHC・吉田嘉明ごときに恫喝されて、批判に臆してはならない」ということである。デマ・ヘイト・スラップ・ステマ・ブラック体質、極右の言論…、何とも多くの病巣を抱え込んだ問題企業・問題人物としてのDHC・吉田嘉明である。これに対する言論での批判は、事実に基づくものである限り、果敢に行わねばならない。スラップの提訴を恐れるが故のいささかの怯みもあってはならないのだ。また、言論によるものではなく、消費者運動としてのDHC製品不買運動にも積極的に取り組むべきである。少しでも、この社会をよりよりものとするために。
この序章と終章との間に、エピソードはいくつもある。
?えっ? 請求額が6000万円に?
?えっ? 私がまた被告に?
?逃げるな吉田嘉明
など思い出してみれば盛り沢山なのだ。
そして、あらためて思う。私個人としては、いささかも怯むところなく徹底して闘うことで自分のプライドを守り得たのだ。そして、社会的にはとてもよい判決を得た。これをもっと世に広めたい。
そして、この成果を得るために力を尽くしていただいた弁護団の皆様に感謝の気持ちでいっぱいである。
だから、執筆を急がねばと思いつつ気持ちは揺れる。自分では、有益で面白いと思ってみたり、独りよがりに過ぎないと思ったり。その日の気分次第で、自評も毎日くるくる変わっている。が、何とか書かねばならない。
(2021年9月4日)
9月1日、DHCが韓国撤退を公表した。各メディアが、以下のように報道している。これは、民主主義にとっての朗報である。
「DHC韓国法人が撤退表明 会長のコリアン差別発言で不買運動」(毎日新聞)、「DHCが韓国撤退表明 差別問題で反発高まり」(産経)、「DHCが韓国撤退表明 嫌韓発言で不買運動も」(日経)、「DHCが韓国から撤退 相次ぐ嫌韓発言で物議」(聯合ニュース)、「『後頭部の絶壁で韓国系を見分けられる』 嫌韓発言のDHC、韓国から撤退」(朝鮮日報日本語版)、「『つき出たあご、後頭部の絶壁はコリアン系』嫌韓発言のDHC、結局韓国から撤退」(中央日報)
毎日の記事が、以下のとおり簡明に事態をよく伝えている。
「化粧品会社ディーエイチシー(DHC)が、韓国からの撤退を決めた。同社の韓国法人「DHCコリア」が1日、「良い製品とサービスでお客様に満足していただくように努力したが、残念ながら、韓国国内での営業を終了することとなった」と公式ホームページ(HP)で表明した。DHCは2002年に韓国市場に進出していた。
DHCは、創業者の吉田嘉明会長の声明として、在日コリアンを差別する内容の文章をHPに複数回掲載。批判の高まりを受けて、今年5月末までにすべての文章を削除した経緯がある。韓国国内では吉田氏の発言への反発から、DHC商品に対する不買運動が起きていた。」
DHC会長・吉田嘉明の在日コリアンに対する差別発言を契機に、韓国にDHC商品に対する不買運動が起き、不買運動の成果としてDHCは韓国撤退を余儀なくされたというのだ。愚かな経営者の愚かな差別発言が、不買運動という形で制裁を受けたのだ。韓国だけでなく日本でも、DHCに反省を促すために、既に始まっているDHC商品の不買運動を盛り上げたい。
私は、人前で話をする機会あるたびに、このことを語りかけてきた。たとえばこんな風に。
「この場をお借りして、皆様に三つのお願いを申しあげます。
一つ、DHCという会社の商品をけっして買わないこと。
二つ、DHCという会社の商品をけっして買うことのないよう、できるだけ多くのお知り合いにお勧めしていただくこと。
そして三つ目が、DHCという会社の商品をうっかり買ってはならない理由をことあるごとに話題にしていただくこと。
DHCとは、「デマ(D)とヘイト(H)のカンパニー(C)」との評判ですが、それだけではありません。消費者を欺すステルスマーケティングでも、表現の自由を圧殺するスラップ訴訟の常習者としても悪名高い企業です。
あなたが何気なしにDHCの商品を買えば、あなたの財布から出たお金の一部が資金となって、DHCの「デマ」と「ヘイト」と「ステマ」と「スラップ」を増長します。被害が拡大します。この社会はそれだけ悪くなる。
その反対に、あなたが意識的にDHCの商品を買うのをやめれば、DHCの違法行為の規模はその分だけ小さくなります。DHCに反省を求め、不当な行為をやめさせることも可能となります。被害は減り、社会がそれだけよくなります。
是非とも、より良い社会を作るために、DHC商品の不買にご協力ください。」
ときにこんな質問を受けることがある。「それって営業妨害になりませんか」と。私は続ける、「そのとおりです。みんなで、DHC・吉田嘉明の営業を徹底して妨害しましょう。私は、そう呼びかけているのです」。「もし、『営業妨害』という言葉に抵抗感があるとおっしゃる方は、少し品良く『業務阻害』という言葉に置き換えてご理解ください」「私の呼びかける営業の妨害は、実力を行使したり、人を脅したり、デマを流したりするものではありません。飽くまで正当な言論と『不買』という消費者に許された当然の選択を呼びかけるだけ。これが、消費者の主張を貫徹するための、消費者の武器である不買運動なのです」
「DHC・吉田嘉明には、『デマやヘイトやステマやスラップは、社会から反撃を受けることになって、商売上まずい』と考えてもらいたい。『やっぱり、真っ当な商売に立ちもどらないと売り上げに響く』と反省してもらいたいのです。そうなるまで、DHCの営業を徹底して妨害する必要があると思うのです」
消費者には、良質で安全で安価な商品を選択する「賢い消費者」を脱皮して、消費者としての選択権を武器により良い社会づくりをする「主権者」としての自覚が求められている。その自覚にもとづき、企業の反社会的な行為に反省を迫り、制裁を課す強力な手段が、特定企業に対する商品ボイコットであり、不買運動なのだ。DHC商品に対する不買運動は、その典型である。
ぜひ、皆様も、DHC商品のボイコットを。