澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「籾井はやめろ」「アベチャンネルにするな」ーNHK包囲の片隅で

昨日(8月25日)の夕方、NHK包囲の抗議行動に参加した。
NHK放送センター西門の近くで、「私たちは怒っているゾー」「籾井はただちにやめろ」「アベチャンネルにするな」などコールを繰りかえしながら、NHKってなんだろう、と考え続けた。

NHKのNは、今や「内閣」のNである。Hは「奉賛」のH、あるいは「諂う」のH。「内閣奉賛会」ないしは「内閣へつらい協会」ではないか。「安倍政権報道部」の実態が抗議の対象とされている。「政府の声でなく、国民の声を報道しろ!」「『皆さまのNHK』を忘れないでー」と声があがる。

戦争法案の審議が進行し、衆議院の強行採決さえなされた。平和と憲法にとっての存立危機事態である。このときに、安倍政権とNHKとの癒着である。とりわけ政権がNHKの人事を牛耳って自らの政策遂行の道具としていることが到底座視しえない。

安倍が籾井を牛耳り、籾井が経営委員会や理事会を牛耳ることで、安倍がNHKを支配し、NHKが安倍政権におもねりへつらう態勢が構築されている。由々しき事態ではないか。

大本営発表を繰り返した戦前のNHKの体質は変わらず、今また、安倍政権と二人三脚で、新たな大本営発表を繰り返そうとしているのだ。このことに危機感を持ち、抗議しなければならないというのが、参加者の切実な思いなのだ。

有名無名の多くの人がリレーでスピーチした。NHK上層部を痛烈に批判するとともに、印象に残ったのは、良心的なNHK職員を励まそうというスピーチだった。

今さら言うまでもないが、NHKは国営放送ではない。受信料は税金ではない。飽くまで、NHKと視聴者各個人との受信契約締結の効果としての民事的な債務なのだ。だから、契約自由の原則に従い、本来は契約するもしないも視聴者の選択による。

ただし、放送法は不思議な規定を置いて、「NHK放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、NHKと放送受信についての契約をしなければならない」と定めて、NHKとの受信契約の締結を「しなければならない」としている。もちろん、受信契約締結強制も民事法上のもので、罰則での強制があるわけではない。契約締結者の受信料不払いも、そのことは民事的な債務不履行とはなり得ても、刑事罰の対象とはなり得ない。

放送法は、NHKを国民の信頼に支えられた報道機関と位置づけている。国民がNHKの報道姿勢を信頼し、進んで受信契約を締結して受信料を支払うことを想定しているのだ。この想定に反して、国民がNHKを見捨てた場合には受信料収入が激減することも想定されているといってよい。

この日のスピーチで、何人かが「今のようなNHKでは受信料を払えない」「籾井がやめるまでは受信料を払わない」「NHKよ。私に受信料を払いたいと思わせるまともな報道姿勢を貫いていただきたい」と発言した。これこそ、放送法が想定する最も真っ当な市民の声だ。

国民から信頼される報道機関としての基本は、何よりも権力から独立していることにある。今のように、政治権力と国民との立場が大きく乖離しているとき、権力と国民は公共放送であるNHKを自らの側に近づけようと、必死の綱引きをしているのだ。今この綱引きは、政権の側が優勢である。会長や経営委員の人事を牛耳って、政治報道には政権批判を許さないどころか、内閣奉賛の実態となってしまった。だから、「政府広報はやめろ」「戦争法案に加担するな」とコールが浴びせかけられるNHKの現状。これはあまりにもお恥ずかしい実態。

NHKOBである永田浩三さんが鋭く叫んだ。「NHKは政権のものでない。国民の貴重な宝物なのです」。なるほど、そのとおりなのだ。

籾井会長は「政府が右といえば、左というわけにはいかない」という安倍政権ベッタリの人物。「籾井会長はNHKトップに最もふさわしくない!」と何度も声があがった。安倍の息のかかったこの人物が会長として君臨する限り、国民の貴重な宝物は、安倍政権の手中でブロックされ、コントロールされるばかり。

国民はそれにふさわしい政府をもつ、という。国民は自分たちにふさわしいメディアをもつ、と言い換えられてもいる。しかし、今のNHKの現状が、国民にふさわしいとは到底考えられない。もっとまともなNHKにしなければならない。短期的には、戦争法案を廃案に追いこむために。長期的には、日本の民主化を促進するために。

それにはまず、籾井をやめさせることが先決問題だ。これが、考え続けての平凡な結論。あらためて叫ぼう。「籾井はやめろ」「アベチャンネルにするな」。
(2015年8月26日)

夏の陣の最終盤ーー「戦争法案廃案」「安倍退陣」「安倍応援団のNHK抗議」の3集会ご案内

例年になく熱かった「戦後70年の夏」。さすがに風と空は涼しさを感じさせるが、戦争法案の廃案と安倍政権退陣を求める運動の熱気は冷めやらない。ますます熱い。

戦争の月・8月の下旬に多くの集会やデモが目白押しだが、その集大成版ともいうべき3集会をご案内する。私も、その片隅で声を上げている。
**************************************************************************
まずは、明日の「8.25NHK包囲行動」である。
  ぜひ下記のURLでチラシを拡散願いたい。
  http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/825NHKhoui/NHKhoui.pdf

メインスローガンは、「政権べったりの報道をやめろ 怒りの声でNHKを包囲しよう!」という大集会。
  日時: 2015年8月25日(火) PM: 6:30?
  場所: NHK放送センター(渋谷) 
      西門、正門、NHKホールそばの3カ所で
      リレートークとコールが行なわれる。
  主催: NHK包囲行動実行委員会
 ・政権に不都合なことを隠すな
 ・NHKは戦争法案に加担するな
 ・中国の脅威をあおるな
 ・国民の抗議の声を伝えよ
 ・国会審議をまともに放送せよ
 ・政治家と会食するな癒着するな
 ・籾井会長はNHK私物化するな
 ・権力監視のメディアになれ!
 ・籾井会長はただちにやめろ!
安倍政権が右といえば左とは言えないNHKへの抗議である。これだけの規模の世論の包囲にさらされながら、まだ安倍政権の命脈が保たれているのは、産経・読売と並んで、「皆さまから視聴料をいただいているNHK」の寄与が大きい。「安倍政権のスポークスマン」とまでいわれる岩田明子解説委員に代表される、その露骨な政権従属報道姿勢が安倍内閣の支持率を何%か押し上げているのだ。これを徹底批判しようという集会。

本日の赤旗〈潮流〉が、次のようにこの集会を紹介している。
「NHKの番組には優れたものがあっても、ニュースは安倍政権寄りだと視聴者の批判は高まるばかり。この機に市民団体の「放送を語る会」が、戦争法案をめぐるテレビニュースのモニター報告を発表しました▼これまで集団的自衛権などでもテレビ報道を検証。今回は、NHKのニュースは『安倍首相発言のコピー』となり、多様な批判的言論を伝えていないと実証的に指摘しました。『戦後未曽有の平和の危機』にジャーナリズムの役割を発揮する覚悟を求めての中間報告です▼明日25日、市民が『怒りの声でNHKを包囲しよう!』と一大行動に出ます。東京・渋谷のNHK放送センターの門前に集合です。大阪や京都では、呼応する取り組みがあります。“みなさまのNHK”へ要望します。7時のニュースで堂々と生中継してはいかが。」

**************************************************************************
明後日(8月26日)には、日弁連が総力をあげた集会を予定している。
「安保法案廃案へ!立憲主義を守り抜く大集会&パレード?法曹・学者・学生・市民総結集!」と集会名も大変に熱い。

詳細は、下記日弁連のホームページを参照していただきたい。
http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2015/150826.html

日時 2015年8月26日(水)
【集  会】 18時?19時(開場:17時15分)
【パレード】 19時15分?
日比谷野外音楽堂(千代田区日比谷公園1-5)
参加費等 参加費無料(事前申込み不要)
参加対象 どなたでも参加いただけます。
※定員3,000名のため、会場にお入りいただけない場合がありますが、パレードには参加いただけます。

集会での発言予定者は、現在のところ以下のとおり。
 宮?礼壹氏(元内閣法制局長官)
 溝淵勝氏(元裁判官、元高松地裁所長)
 山岸憲司氏(前日弁連会長)
 石川健治氏(東大教授・交渉中)
 益川敏英氏(ノーベル賞受賞者・交渉中)
 廣渡清吾氏(東大名誉教授・日本学術会議前会長・学者の会代表・予定)
 上野千鶴子氏(東大名誉教授)
 奥田愛基氏(SEALDs)
 町田ひろみ氏(安保関連法案に反対するママの会)
 道あゆみ氏(弁護士)

また、同日16時?17時、弁護士会館2階講堂クレオで「安保関連法案に反対する学者の会」と合同記者会見も行われる。こちらの出席予定は、以下のとおり。
 濱田邦夫氏(元最高裁判事)
 大森政輔氏(元内閣法制局長官)
 宮?礼壹氏(元内閣法制局長官)
 平山正剛氏(元日弁連会長)
 村越進(日弁連会長)
 水地啓子氏(女性弁護士として)
 廣渡清吾氏(東大名誉教授・日本学術会議前会長、学者の会代表)
 長谷部恭男氏(早稲田大教授・国民安保法制懇)
 小林節氏(慶応大名誉教授)
 石川健治氏(東大教授・立憲デモクラシーの会・交渉中)
 水島朝穂氏(早稲田大教授)
 那須弘平氏(元最高裁判事) メッセージ参加

**************************************************************************
そして、8月30日(日)午後2時が、東京10万人・全国100万人の大集会。
詳細情報は実行委員会のウェブサイト(http://sogakari.com)を参照いただきたい。

戦争法案廃案! 安倍政権退陣!
8.30国会10万人・全国100万人大行動
8月30日?14:00?
場所:国会議事堂周辺ほか

**************************************************************************
声を上げよう。
「戦争法案を廃案に!」
「安倍内閣は退陣せよ!」と。
平和と民主主義を守るために。

声を上げることは、主権者の権利であり責務でもある。
今、大きく声を上げないと平和と民主主義が崩れてしまうかも知れない。
平和と民主主義がいったん崩れると、その再建のために声を上げる自由はもはやなくなる。
だから、手遅れにならぬうちに、声を上げよう。
できるだけ多くの人に呼びかけて、できるだけ大きな声を。

今なら、まだ間に合うのだから。
明日では遅すぎるかも知れない、のだから。
(2015年8月24日)

首相の政治資金収支報告の虚偽記載には厳正な処罰が必要だー検察審査会の市民感覚に期待する

政治資金規正法の運用は厳正になされなければならない。なぜなら、それこそが政治の透明性を確保し、政治を市民の監視下におくことを通じて政治の腐敗を防止する主たる手段とされているからだ。政治資金収支報告書の作成に、厳格な正確性が求められることは当然である。

法の支配を政治の原理とする国家においては、行政府の長に厳格な法の遵守が求められる。日本にあっては、内閣総理大臣に厳正な法令遵守が求められる。とりわけ政治資金規正法にもとづく政治資金収支報告書の記載には、首相なるが故の厳格な記載の正確性が求められてとうぜんである。

首相の政治資金規正法の記載に16個所の虚偽記載が見つかった。明らかに、構成要件に該当する犯罪行為である。政治の透明性確保が、民主政治に死活的に重要であることと考える市民4人がこれを告発したが、東京地検は不起訴処分とした。

不起訴には納得しがたいとして、本日その4人が検察審査会に、起訴相当の議決を求めて審査申立をして受理された。
以下は、その申立書の全文である。
**************************************************************************

                         2015年8月19日
             審 査 申 立 書
東京   検察審査会 御 中
   被 疑 者  下記の両名
        ◇  ◇  ◇  美
          住 所 不詳
          職 業 不詳(団体事務職員と思われる)
        安  倍  晋  三
    住 所  不詳(国会議員としての事務所所在地は、
              〒100-8981東京都千代田区永田町2-2-1
              衆議院第一議員会館1212号室)
          職 業  国会議員(内閣総理大臣)
   申 立 人  被疑者両名の告発人であった下記4名
        醍   醐        聰
        田   島   泰   彦
        湯   山   哲   守
        斎   藤   貴   男
   申立人ら代理人
        弁護士  澤 藤 統一郎
        同     阪 口 徳 雄
        同     神 原   元
        同     藤 森 克 美
        同     野 上 恭 道
        同     山 本 政 明
        同     茨 木   茂
        同     中 川 素 充

添  付  資  料
疎明資料(すべて写)      下記各1通
 1 処分通知書各申立人宛のもの各1通
 2 晋和会2011(平成23)年分政治資金収支報告書 訂正以前のもの
 3 同上訂正後のもの
 4 晋和会2012(平成24)年分政治資金収支報告書 訂正以前のもの
 5 同上訂正後のもの
 6 「サンデー毎日」2014年7月27日号関連記事抜粋
委任状                         4通

        申 立 の 趣 旨
 被疑者◇◇◇美及び同安倍晋三に下記各政治資金規正法違反の犯罪行為があって告発がなされたにもかかわらず、いずれの被疑者についても不起訴処分となったので、被疑者◇◇◇美については政治資金規正法第12条第1項・第25条第1項にもとづき、被疑者安倍晋三については政治資金規正法第25条第2項にもとづき、いずれも「起訴相当」もしくは「不起訴不当」の議決を求める。

        申 立 の 理 由
第1 告発と不起訴処分の経過
1 申立人らは、2014年8月18日東京地方検察庁検察官に対し後記の各被疑事実について被疑者◇◇◇美及び同安倍晋三をいずれも政治資金規正法違反の罪名で告発したところ、同告発については2015年7月27日付で不起訴処分(平成27年検第23108号・23109号)とする旨の通知に接した。
  同不起訴処分をした検察官は、東京地方検察庁廣田能英検事である。
2 前項の処分の当日午後2時過ぎに、廣田検事から申立人ら代理人の澤藤に処分内容を通知する電話があり、口頭で「不起訴の理由は、被疑者◇◇◇美については嫌疑不十分、被疑者安倍晋三については嫌疑なし」との説示があった。
  なお、翌7月28日付朝日新聞朝刊(第37面)には、同じ内容の記事が掲載されている。

第2 被疑事実ならびに罪責
1 被疑者◇◇◇美は、2011(平成23)年当時から現在に至るまで政治資金規正法上の政治団体(資金管理団体)である「晋和会」(代表者 安倍晋三、主たる事務所の所在地 東京都千代田区永田町2?2?1 衆議院第一議員会館1212号室)の会計責任者として、同法第12条第1項に基づき同会の各年の政治資金収支報告書を作成して東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に提出すべき義務を負う者であるところ、2012年5月31日に「同会の2011(平成23)年分収支報告書」について、また2013年5月31日に「同会の2012(平成24)年分収支報告書」について、いずれも「寄附をした者の氏名、住所及び職業」欄の記載に後記「虚偽記載事項一覧」のとおりの各虚偽の記載をして、同虚偽記載のある報告書を東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣宛に提出した。
  被疑者◇◇◇美の以上の各行為は同法第25条第1項3号に該当し、同条1項によって5年以下の禁錮または100万円以下の罰金を法定刑とする罪に当たる。
2 被疑者安倍晋三は、資金管理団体「晋和会」の代表者として、同会の会計責任者の適正な選任と監督をなすべき注意義務を負う者であるところ、同会の会計責任者である被疑者◇◇◇美の前項の罪の成立に関して、同被疑者の選任及び監督について相当の注意を怠った。
  被疑者安倍晋三の以上の行為は、政治資金規正法25条第2項に基づき、50万円以下の罰金を法定刑とする罪に当たる。
3 虚偽記載事項一覧
  2011(平成23)年分 (2012年5月31日作成提出)
   ・寄付者小山好晴について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「NHK職員」あるいは「団体職員」
   ・寄付者小山麻耶について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「会社員」
   ・寄付者周士甫について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「会社員」
   ・寄付者すぎやまこういちについて職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「作曲家」
   ・寄付者神浩人について職業欄の「医師」という表示が虚偽
            →正しくは「法人役員」
   ・寄付者中川稔一について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「団体役員」
   ・寄付者井上時男について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「無職」
   ・寄付者吉永英男についての職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは弁護士
  2012(平成24)年分 (2013年5月31日提出)
   ・寄付者小山好晴について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「NHK職員」あるいは「団体職員」
   ・寄付者小山麻耶について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「会社員」
   ・寄付者周士甫について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「会社員」
   ・寄付者すぎやまこういちについて職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「作曲家」
   ・寄付者中川稔一 について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「団体役員」
   ・寄付者宇田川亮子について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「会社員」
   ・寄付者神浩人について職業欄の「医師」という表示が虚偽
            →正しくは「法人役員」
   ・寄付者井上時男について職業欄の「会社役員」という表示が虚偽
            →正しくは「無職」
4 本件虚偽記載発覚の経緯
  本件の発覚は、NHKの職員(チーフプロデューサー)である小山好晴が有力政治家安倍晋三(現首相)の主宰する政治団体(資金管理団体)に政治献金をしていることを問題としたマスメディアの取材に端を発する。
  「サンデー毎日」本年7月27日号が、「NHKプロデューサーが安倍首相に違法献金疑惑」との見出しを掲げて報道した。同報道における「NHKプロデューサー」とは小山好晴を指し、「NHK職員による安倍首相への献金の当否」を問題とするものであった。また、同報道は小山好晴の親族(金美齢)の被疑者安倍晋三への献金額が政治資金規正法上の量的制限の限度額を超えるため、事実と認定された場合は脱法行為となる「分散献金」を隠ぺいするために小山好晴からの名義借りがあったのではないかという疑惑を提示し、さらに、政治資金収支報告書上の寄付者小山好晴の「職業」欄の「会社役員」という表示について、これを虚偽記載と疑う立場から検証して問題とするものであった。
  小山好晴が「NHK職員」であることは晋和会関係者の知悉するところである。政治資金規正法(12条第1項1号ロ)によって記載を義務付けられている「職業」欄の記載は、当然に「NHK職員」あるいは「団体職員」とすべきところを「会社役員」と記載したことは、被疑者安倍晋三に対するNHK関係者の献金があることをことさらに隠蔽する意図があったものと推察される。
  「サンデー毎日」が上記記事の取材に際して小山好晴らに対して「会社役員」との表示は誤謬ではないかと問い質したことがあって、その直後の7月11日晋和会(届出者は被疑者◇◇)は小山好晴の「職業」欄の記載を、「会社役員」から「会社員」に訂正した。しかし、小山は「会社員」ではなく、訂正後の記載もなお虚偽記載にあたる。
  晋和会(届出者は被疑者◇◇)は、7月11日に寄付者小山麻耶(小山好晴の妻・金美齢の子)についても、「会社役員」から「会社員」に訂正している。この両者について、原記載が虚偽であったことを自認したことになる。
  さらに7月18日に至って、晋和会(届出者は被疑者◇◇)は、自ら、後記「虚偽記載一覧」に記載したその余の虚偽記載についても訂正届出をした。合計16か所に及ぶ虚偽記載があったことになる。
  申立人(告発人)らにおいて虚偽記載を認識できるのは寄付者小山好晴についてのみで、その余の虚偽記載はすべて政治資金収支報告書の訂正によって知り得たものである。当然に、訂正に至らない虚偽記載も、訂正自体が虚偽である可能性も否定し得ないが、申立人らは確認の術を持たない。
5 本件各記載を「虚偽記載」と判断する理由
  政治資金規正法第12条第1項・第25条第1項の虚偽記載罪の構成要件は、刑法総則の原則(刑法第38条第1項)に従って本来は故意犯と考えられるところ、政治資金規正法第27条第2項は「重大な過失により第25条第1項の罪を犯した者も、これを処罰するものとする」と規定して、重過失の場合をも含むものとしている。
  その結果、「虚偽記載」とは行為者が「記載内容が真実ではないことを認識した場合の記載」だけでなく、「重大な過失により誤記であることを認識していなかった場合の記載」をも含むものである。
  申立人らは、被疑者◇◇に、寄付者小山好晴の職業欄記載については、故意があったものと思料するが、構成要件該当性の判断において本件の他の虚偽記載と区別する実益に乏しい。
  刑法上の重過失とは、注意義務違反の程度の著しいことを指し、「わずかな注意を払いさえすれば容易に結果回避が可能であった」ことを意味する。本件の場合には、「わずかな注意を払いさえすれば容易に誤記であることの認識が可能であった」ことである。
  本件の「虚偽記載」16か所は、すべて被疑者◇◇において訂正を経た原記載である。小山好晴の職業についての虚偽記載を指摘されて直ちに再調査の結果、極めて容易に誤記であることの認識が可能であったことを意味している。すべてが、「わずかな注意を払いさえすれば容易に誤記であることの認識が可能であった」という意味で、注意義務違反の程度が著しいことが明らかである。
  以上のとおり、被疑者◇◇の行為は、指摘の16か所の記載すべてについて、政治資金規正法上の虚偽記載罪の構成要件に該当するものと思料される。
  なお、被疑者◇◇の犯罪成立は、虚偽記載と提出で完成し、その後の訂正が犯罪の成否に関わるものでないことは論ずるまでもない。
6 被疑者安倍晋三の罪責
政治資金規正法第25条第2項の政治団体の責任者の罪は、過失犯(重過失を要せず、軽過失で犯罪が成立する)であるところ、会計責任者の虚偽記載罪が成立した場合には、当然に過失の存在が推定されなければならない。資金管理団体を主宰する政治家が自らの政治資金の正確な収支報告書に責任をもつべきは当然だからである。
  被疑者安倍において、当該会計責任者の虚偽記載を防止できなかったことを首肯せしめる特別の事情がない限り、会計責任者の犯罪成立があれば直ちにその選任監督の刑事責任も生じるものと考えるべきである。
  とりわけ、被疑者安倍晋三は、被疑者◇◇が晋和会の2012(平成24)年分の政治資金収支報告書を提出した約半年前から内閣総理大臣として行政府のトップにあって、行政全般の法令遵守に責任をもつべき立場にある。自らが代表を務める資金管理団体の法令遵守についても厳格な態度を貫くべき責任を負わねばならない。
  なお、被疑者安倍晋三が本審査申立に対する決議の結果、起訴に至って有罪となり刑が確定した場合には、政治資金規正法第28条第1項によって、その裁判確定の日から5年間公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権を失う。その結果、被疑者安倍晋三は公職選挙法99条の規定に基づき、衆議院議員としての地位を失う。
  また、憲法第67条1項が「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」としているところから、衆議院議員としての地位の喪失は、仮にその時点まで被疑者が安倍晋三が内閣総理大臣の地位にあった場合には、その地位を失うことを意味している。
  そのような結果は、法が当然に想定するところである。いかなる立場の政治家であろうとも、厳正な法の執行を甘受せざるを得ない。本件審査申立における議決に、特別の政治的な配慮が絡むようなことがあってはならない。臆するところなく、厳正な議決を求める次第である。

第3 不起訴処分を不当とする理由
1 以上の次第で、被疑者◇◇についても、被疑者安倍についても、被疑事実の証明は添付の資料をもって十分である。
  しかるに、東京地検検事はこの両者を不起訴処分とした。しかも、口頭(電話)での説示によれば、被疑者安倍晋三については、「嫌疑なし」とのことである。到底納得し得ず、検察審査会の市民感覚に期待して、「起訴相当」あるいは「不起訴不当」の決議を求めるものである。
2 なお、被疑者安倍の罪責とされているものは、被疑者◇◇の選任監督における過失である。これを嫌疑なしとして免責するためには、◇◇の虚偽記載について嫌疑なしと結論づけることが、論理の必然として要求される。
  被疑者◇◇の嫌疑について、「なし」ではなく「不十分」であることは、嫌疑を払拭しえなかったということであり、その◇◇の選任監督の責任についても「なし」とすることは論理の破綻と指摘せざるを得ない。
3 本件は決して軽微な罪ではない
政治資金規正法は、政治資金の流れについて透明性を徹底することにより、政治資金の面からの国民の監視と批判を可能として、民主主義的政治過程の健全性を保持しようとするものである。
  法の趣旨・目的や理念から見て、政治資金収支報告書の記載は、国民が政治の動向を資金面から把握し監視や批判を行う上において、この上なく貴重な基礎資料である。したがって、その作成が正確になさるべきは、民主政治に死活的な重要事項といわざるを得ない。それ故に、法は刑罰の制裁をもって、虚偽記載を禁止しているのである。
  本件16か所の「虚偽記載」(故意または重過失による不実記載)は、法の理念や趣旨から到底看過し得ない。特に、現首相の政治団体の収支報告は、法に準拠して厳正になされねばならない。
  被疑者らの本件行為については、主権者の立場から「政治資金規正法上の手続を軽んじること甚だしい」と叱責せざるを得ない。
4 申立人らは、我が国の民主政治の充実とさらなる発展を望む理性ある主権者の声を代表して本件告発に及んだ。しかし、行政機関としての検察庁(検察官)は、この主権者の声を適正に受け止め得ず、不起訴処分とした。
  申立人らは、主権者を直接に代表する立場にある貴検察審査会の民主主義的良識に期待して、本申立に及ぶ。
以上
(2015年8月19日)

「戦争法案」も白紙に戻せ?国立競技場建築見直しだけでなく

臨時ニュースを申し上げます。
安倍総理大臣は、本日午後総理大臣官邸で記者団に対し、安全保障関連二法案について、「本日臨時閣議を開催して法案を撤回することを決め、議院に所定の手続をとりました。また、これに伴い日本の安全保障についての計画を見直すことを決断しました」と述べるとともに、既にアメリカ政府には了承の内意を得ていること、連立与党である公明党も了解済みであることを明らかにしました。

また首相は、本年4月27日の日米ガイドライン見直しに関して、防衛・外務両大臣が急遽渡米の予定であること、日米首脳会談の日程も調整中であると述べました。

安全保障に関連する10本の法律を一括して改正する「平和安全法制整備法案」及び「国際平和支援法案」の二法案は、これに反対する野党や市民団体からは「戦争法案」と呼ばれていたものです。

自衛隊を設置した1954年以来、政府は「我が国は専守防衛に徹し、集団的自衛権行使は容認しない。だからけっして戦争をすることのない自衛のための実力組織である自衛隊の存在は憲法に違反するものではない」と説明してきました。しかし、今回の二法案は、従前の憲法解釈を大きく転換して、我が国が他国から攻撃された場合に限らず戦争をすることを可能とするものであり、また、外国で外国軍隊の軍事行動の兵站を担う活動も可能とするものです。したがって、圧倒的多数の憲法学者や法律家によって、一内閣が事実上の改憲を行うという立憲主義に反するものであり、憲法九条にも違反すると厳しい指摘を受けてきたものです。

同法案は去る7月16日に与党のほぼ単独採決によって衆議院は通過しましたが、このときの審議打ち切り採決強行が、民主主義の危機という国民世論が沸騰し、安倍政権の土台を揺るがす事態となって、法案撤回に至ったものと思われます。

安倍総理大臣は次のようにも述べました。
「平和は国民の皆さまの大切なもの。その平和をどう守るべきかという政策を決するには、国民一人一人の皆さまが主役となって論議に参加していただく民主主義的手続を経なければなりません。もちろん、自衛隊員の皆さまのご意見もよく聞かなければなりません。法案審議から衆院通過直後に寄せられた各界各分野の国民の皆さまの声に真摯に耳を傾けた結果、法案を白紙に戻し、ゼロベースから見直さざるを得ないと判断しその環境整備を進めてまいったところです」

「法案に反対の声は、実は野党の皆さまだけではなく、公明党からも、そして我が党の内部にもくすぶっていました。これまではけっして大きな声としては聞こえてきませんでしたが、法案が衆院を通過した以後の世論の沸騰の中で、『このままでは、到底次の選挙の大敗北を避けることができない』『政権の維持は困難だ』との悲鳴が上がるようになりました。検討の結果、もともと法案の成立に喫緊の要請があるということではなく、アメリカ政府の了解も得られる見通しであると確信したので、私の責任においてこのような決断をした次第です」

なお、この政府の措置に、もっとも難色を示した一人とされる高村正彦副総裁は、総理大臣官邸で安倍総理大臣と会談したあと、記者団に対し、「政府がやることだ。こういうこともある」と憮然たる面持ちで言葉少なに語りました。

今回、安倍政権が突然に安保関連法案を撤回した背景には、この法案が国民世論にきわめて評判が悪く、「違憲の法案だ」「近隣諸国を刺激する愚策だ」「立憲主義に反する」という従前の批判に加えて、衆議院の強行採決では「民主主義の危機だ」「自民党感じ悪いよね」という圧倒的な国民の声を浴びて、このままでは政権自体が持ちこたえられない「存立危機事態」になっていたことが基本にあります。

安倍政権は強行採決の翌日に、同じく反対世論の盛りあがっていた新国立競技場問題について計画の白紙撤回を発表しました。こうした安倍内閣の方針転換を目のあたりにした国民世論が、批判の世論は確実に政権を追い詰め政策を変えることができると自信を強めて抗議運動の規模を拡大させた成果が、本日の安保関連法案の白紙撤回の成果と考えられています。

なお、本日、安保関連法案の白紙撤回の報を受けた直後に、NHKの籾井勝人会長が突然の辞意を表明しました。その理由はまだ公表されていませんが、「政府が右と言えば、左というわけにはいかない」と公言して、陰に陽に安保法案成立のために政権に協力していた立ち場から、自分への国民の大きな批判に耐え得ないと考えたのであろうと推察されています。

また、街の声を拾いますと歓迎一色で、「国立競技場の見直しについてもできないと言っていたけど、国民の声が高まれば簡単にできちゃった。戦争法案もおんなじなんだとよく分かった」「戦争法案撤回によって、平和と民主主義が擁護された」「主権者として民主主義を守ることができた」「何よりも、憲法と立憲主義とを守り抜いた」「国民の行動の力に自信をもった。次の選挙では、自民党と公明党を追い落とすことができるだろうと思う」などという意見を聞くことができました。
(2015年7月17日)

18歳諸君、ワタクシ安倍晋三の歴史認識と憲法論を聞け

昨日(6月17日)改正公職選挙法が成立した。これで、18歳のキミたちにも選挙権が与えられる。国政選挙・地方選挙で投票ができるだけではない。憲法改正国民投票の権利が君たちのものとなる。憲法を変えて新しい国の形を作ることが、君たち若者の役割だ。そのための18歳選挙権だということを肝に銘じていただきたい。憲法改正を期待されている君たちに私のホンネを語るから、心して聞きたまえ。

君たちにとっては古い歴史でしかないかも知れないが、70年前までの我が国は、皇紀輝く強国だった。富国強兵をスローガンとした一億一心の国柄で、台湾を植民地とし、朝鮮を国土に組み入れ、満州の建国を助けた。しかも、皇国の対外政策は、西欧列強に虐げられた東亜の民族の解放であり、五族共和の王道楽土建設という崇高な理想を目指すものであった。

ところが、我が国の精強と東亜の解放を快く思わぬ勢力に対して、我が国の生命線である満蒙の権益を守るために、自存自衛の戦争を余儀なくされた。我が軍と国民は一体となり、ナチズム・ドイツやファシズム・イタリアを盟友とし、世界を敵にまわしてよく闘った。

時に利あらずして善戦もむなしく我が軍は敗れた。しかし、果敢な健闘は皇国臣民としての矜持に照らしていささかの恥じるところもない。遺憾とすべきは、経済的生産力において欧米に比肩し得なかったことのみだ。臥薪嘗胆して、再び敗戦の憂き目を見ることのない強国を作り直さねばならない。これが、「日本を取り戻す」と私が常々唱えている内容だ。

ところが、戦後は風向きが変わった。「富国」はともかく、「強兵」のスローガンが吹き飛んでしまっている。挙国一致に代わって、個人の尊重だの、憲法だの、平和だの、人権だの、そして自由だのというゴタクが幅を利かせている。これでは他国から侮られるばかりではないか。私が、「戦後レジームからの脱却」をいうのは、そこを嘆いてのことなのだ。

戦後謳われた理念のなかで「民主主義」だけが唯一素晴らしいものだ。私の理解では、民主主義とは、選挙に勝ったものにオールマイティの権限を与えるもの。このような民主主義観は、私とウマが合う橋下徹も認識はおなじだ。選挙という神聖な手続を通じて、国政を任された私だ。次の選挙で主権者の意思が私を否定するまでは、ぐずぐず言わずに私に任せておけばよいのだ。

それに対して、「権力も憲法の矩を超えられない」とか、「憲法は権力を縛るためにある」とか、立憲主義とは「民主的に構成された権力といえども手を付けてはならない原則を定めること」などと、七面倒な小理屈が聞こえてくる。そんなことを言ってる奴に、「黙れ、非国民」と言ってやりたいが、残念ながらいまはさすがにそうは言えない。せいぜいが、「ニッキョウソ」「はやく質問しろよ」とヤジる程度で隠忍自重せざるを得ない。

18歳のキミたちに聞きたい。どうだね、憲法がこんなものなら有害だとは思わないかね。私は、日本の国家と国民の安全を守るために、精一杯働こうとしている。憲法がその私の手を縛るとすれば、憲法こそ国家と国民の安全の敵ではないか。憲法を守ることと、国民の利益を守ること、この二つを較べてどちらをとるのか。私は躊躇なく国民の利益をとるね。それがなぜ叩かれるのか、いまだによくわからない。

やはり昨日(6月17日)の党首討論で、この点が浮き彫りになった。このことを伝えるNHKニュースWEB版の報道が私の問題意識をかなり正確に伝えている。さすがは、NHK。「政府が右といえば左とは言えない」の言葉を実践している。これを素材に憲法を語っておきたい。

安全保障関連法案を巡り、安倍総理大臣は党首討論で、憲法解釈の変更の正当性、合法性は完全に確信を持っていると述べました。

キミたちも参考に覚えておきたまえ。自信のないときこそ、断乎たる口調で結論だけを繰り返すのだ。根拠や理由までは言わなくてもよい。人柄のよい大方の国民は、それだけで納得してくれる。マスメディアも、産経と読売だけではなく大方は私の味方だ。私の味方をした方が得になることは皆心得ている。メディアも上手に私をフォローしてくれる。

憲法学者からは、国際情勢に応じて憲法解釈が変わっていくのは当然のことだという意見がある一方、なぜ法案が憲法違反ではないと言えるのか、明確な説明はなかったという指摘もあります。

さすがは、政府子飼いのNHKの報道。これだと、まるで憲法学者の意見が半々に分かれているような錯覚を与えるだろう。あとで、籾井勝人を褒めておかなくてはならない。

安全保障関連法案を巡り、菅官房長官が、違憲ではないと主張している憲法学者の1人として挙げた中央大学の長尾一紘名誉教授は、党首討論の内容について「環境の変化に応じて憲法解釈が変わっていくのは当然のことだ。どこまでが必要な自衛の措置に含まれるかは、国際情勢を見ながら判断していくべきだという安倍総理大臣の説明は、ポイントを押さえている」と指摘しました。

事情をよく分からぬ人が聞けば、長尾一紘が多くの憲法学者の意見を代表する立場にあると誤解してくれるだろう。そこが付け目だ。しかも、「環境の変化に応じて憲法解釈が変わっていくのは当然のことだ」と憲法学者にお墨付きをいただいたのだから、ありがたい。これこそ、立派な先生だ。

我が国を取り巻く安全保障環境が変わったのだから、これまでは集団的自衛権行使は違憲だと言っていたけれども、この度は合憲としたのだ。どのような軍事行動ができて、どのような軍事行動が禁止されるか。それは、「環境の変化」次第。環境の変化の有無は、私が責任をもって判断する。できることとできないことを総理が仕分けする。これこそが、「ポイントを押さえている」ということだ。

そのうえで、「法案が分かりにくいのは確かだが、安全保障に関することを、すべての国民が詳しく理解するのは難しく、基本原則を説明したうえで法案の成立を図るべきではないか」と述べました。

そのとおりだ。この先生はものがよく分かっている。「安全保障に関することを、すべての国民が詳しく理解するのは難し」いのは当然だ。だから、選挙で選ばれた私を信頼すればよいだけの話。信頼できなければ次の選挙で落とせばよい。それが民主主義というものだろう。

一方、衆議院憲法審査会の参考人質疑で法案は憲法違反だと指摘した早稲田大学の長谷部恭男教授は、「法案がなぜ憲法違反ではないと言えるのかについて、安倍総理大臣から明確な答弁、説明はなかった。相変わらず砂川事件の判決を集団的自衛権行使の根拠にしていたが、この判決からそうした論理は出てこない」と指摘しました。
そのうえで、「これまでの憲法解釈を1つの内閣の判断でひっくり返すことを認めれば、今は憲法違反とされている徴兵制も、その時々の内閣の判断で認められることになりかねない」と述べました。

こういう輩を曲学阿世の徒という。国家よりも、国民よりも、憲法の字面が大切という人種だ。あろうことか、徴兵制までもちだして、これで若者諸君を脅かしたつもりでいる。

ところで18歳の諸君、私だって憲法を守らないとは一言も言ったことはない。ただし、憲法のイメージがずいぶん違うようだ。キミたちは、憲法という枠組みの素材はどんなものとお考えかな。鋼鉄? 木材? ガラス? 陶器? それともコンクリートかな?

私は、憲法はゴムでできているのだと思う。あるいは粘土だ。伸縮自在で融通無碍なことが大切なのだ。所詮、憲法とは道具ではないか。使い勝手のよいものでなくては役に立たない。

それにしてもだ、ゴムの伸び縮みにも限度がある。もっともっと使いやすいものに取り替えたいというのが、私の望みなのだ。だから、18歳諸君。私に力を貸していただきたい。憲法改正に邁進し、再び他国からないがしろにされることのないよう、いざというときには戦争ができる国をつくろうではないか。そしてけっして戦争では負けないだけの精強な軍隊を作ろうではないか。キミたち若者が真っ先に兵士となって戦場に赴き、祖国と民族の歴史を守るために、血を流す覚悟をしてもらいたい。そのための、18歳選挙権であるということを肝に銘じて忘れないように。
(2015年6月18日)

NHK 会長の居座りが国民の信頼回復へのネックだ

毎日新聞の投書欄に、NHK受信料についての投稿が続けて取り上げられている。NHKに対する不審・不満の人々の気持ちを反映したものであろう。これがおそらくは氷山の一角。

5月2日に宮崎市の66歳無職氏が、「NHK(BS)受信料徴収について」、その不合理・理不尽に抗議している。

「先日から、頻繁にNHKのBS受信料を支払えと言って職員が来ます。ケーブルテレビなどBSが受信できるようになっていれば、視聴しようがしまいが、支払ってもらうということなのです。
 これは、頼みもしないのに一方的に商品を送ってきて支払いを強制するのと同じことではないでしょうか。

 NHKが公共放送というのなら、本来、だれでも視聴できるべきではないでしょうか。そうでなければ、受信料を徴収する方向ではなく、受信料を支払っていないところは、視聴できないようにしたらいかがでしょうか。デジタル化された今、可能でしょう。徴収する職員の人件費も節約できますよ。」

この投稿者のケーブルテレビ利用はNHKのBS受信のためではない。おそらくは、NHKBSの視聴には興味もないのだろう。それなのに、「視聴しようがしまいが、受信料は支払ってもらう」というのがNHKの高飛車な姿勢。これは不合理だ。世の中の常識では、欲しいものは吟味して、欲しいだけの量を購入して、それだけの代金を支払う。ところが、欲しくもないもの、使わぬものにまで金を支払えとは、理不尽極まる。「頼みもしないのに一方的に商品を送ってきて、支払いを強制する悪徳商法と同じではないだろうか」と率直な感想が述べられている。もっとも至極。健全な消費者感覚ではないか。

とりあえず、この請求には断固拒否すればよい。NHKとご当人との間には、「地上契約」(地デジ受信だけを内容とする契約)だけが存在していて、「衛星契約」(BS受信も内容とする契約)は未締結だと思われるからである。契約未締結では高額な衛星契約受信料支払いの義務は生じない。

もっとも、放送受信規約取扱細則6条2項は、「地上契約を締結している者が、衛星系によるテレビジョン放送を受信できる受信機を設置したときは、衛星契約について所定の契約手続を行うものとする」となっている。「契約手続を行うものとする」は微妙な表現だが、少なくも、契約締結が擬制されるわけではなく、自動的に受信料支払い債務が発生するわけでもない。飽くまで、任意の契約締結が原則なのだ。

この請求を拒否し続けていれば、NHK側の対抗手段としては訴訟の提起をするしかない。視聴者に対して衛星受信契約締結を求め、その契約成立の日以後の契約に基づく受信料を請求するという訴え。NHKにとってかなり難しい面倒な訴訟である。この訴訟における判決の確定までは、受信料支払い義務は生じない。

そもそも、契約とは締結するもしないも自由である。この投稿者の感覚こそが、法常識に適っているのだ。ところが、放送法64条が、本来自由であるはずの受信契約について、「契約をしなければならない」とする不思議な規定を置いた。「協会(NHK)の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」というもの。

BS受信だけのことではない。地上波受信の基本契約についても同様に、受信契約締結があってはじめて、受信料支払い義務が発生することになっている。これは、NHKの放送内容やその姿勢に国民が共鳴して、公共放送としてのNHKを国民が自発的に支えることを期待しての制度にほかならない。

仮に最終的には面倒な訴訟手続を経てNHKが受信料を強制徴収できるにせよ、法は国民のNHKに対する信頼を基礎とした任意を支払いを期待しているのだ。だから、普通の感覚からは「そこまでやるの?」「NHKやり過ぎじゃない?」「悪徳商法並みの請求」などと批判されるような請求は控えるべきが当然であろう。

次いで、5月4日「NHK受信料、見た分だけに」という、横浜の主婦66歳の投書が掲載された。
「私はNHKのテレビ番組はほとんど見ません。見るのは天気予報、ニュース、地震速報くらいです。それもNHKだけに頼っているのではなく、民放との見比べです。
 歌やサスペンスは好きなので民放では結構見ていますが、NHKの歌番組やドラマはBSを含めてもまず見ません。
 昭和時代は、テレビといえばNHKでした。あの頃の番組にはNHKらしい品格、安心感がありました。今でも懐かしく思い出します。
 NHKのテレビ番組はほとんど見ない今、2カ月4560円の受信料は年金生活の我が家にとっては、最大の出費です。
 私はプリぺイドカードの導入を希望します。電気、ガス、水道、電話のように使用した分だけの料金にしてほしいと思います。」

これも、まことにまっとうな経済感覚ではないか。「必要なものを必要なだけ買いたい」というのが消費者としてのあまりに当然の要求。電気、ガス、水道、電話、みな代金は従量制ではないか。野菜を買っても、魚を買っても、余計なものまで買わせられることはない。抱き合わせで不必要なものまで渡されて、食べても食べなくても代金だけは支払え、などと理不尽なことは言われない。NHKだけがなぜかくも不合理・理不尽を主張できるのか。

2日の投稿者は、「受信料を支払っていないところ(BS)は、視聴できないようにしたらいかがでしょうか」と言い、4日の投稿者はより積極的に、「プリぺイドカードの導入を希望します。使用した分だけの料金にしてほしいと思います」と言う。それがあるべき方向ではないか。

何よりも大切なことは、契約にもとづく受信料支払いの制度の基本が、視聴者にとって魅力のあるNHK、信頼される公共放送であることなのだ。視聴に値する魅力に乏しく、政権への迎合を疑われるジャーナリズムにあるまじき報道姿勢で、しかも人格識見まことに不適格な会長や経営委員人事が実態となれば、国民が任意には受信料を支払いたくないと思うのも当然ではないか。

強制によって受信料の徴収をはかろうというのは邪道なのだ。何よりも、視聴者の信頼を勝ち得なくてはならない。これ以上の不適格はないという現会長を解任し、政権の息のかかった経営委員を交代させ、権力から独立した公共放送としての信頼を取り戻すことが喫緊の最重要課題だと知るべきである。公共放送としての信頼の回復こそが、NHKの経済的な充実の鍵であり、その最大のネックが不適格会長の居座りなのだ。
(2015年5月9日)

心して聴いた、内橋克人の「記者三訓」

今朝、たまたま聞いたNHK第1放送で経済評論家の内橋克人が語っていた。若いジャーナリストに語りかける内容。この人の言うことには常に耳を傾けることにしている。

内橋は1957年に神戸新聞の記者として、ジャーナリスト人生を歩み始めた。そのとき、尊敬する先輩記者から「記者三訓」を叩き込まれたという。

その先輩記者は、「あの戦争の末期には、特高が同席する新聞社となってしまった」「たくさんの部下が治安維持法違反で検挙された」「再びあの時代を繰り返してはならない」と述懐する人だった。

その人から叩き込まれた記者三訓とは、
「現場で自分の目で確かめろ」
「上を向いて仕事をするな」
「攻める側ではなく、攻められる側に身を置け」
というもの。

「現場で自分の目で確かめろ」とは、権力の発表を垂れ流すな、風評を記事にするな、ということ。「現場に出向いて、自分の目で真実を見極めて記事を書け。それこそが記者だ」ということでもあろう。まさしくジャーナリストの原点。その姿勢あればこそ、われわれはメディアを信用してものを考え発言することが可能となる。その姿勢に対する信頼がなくなれば、ジャーナリズムは崩壊する。それは、民主主義の危機だ。

「上を向いて仕事をするな」の「上」については、「社の内外を問わず」と解説が繰り返された。社外の「上」とは、権力であり、権威であり、社会の多数派であろう。そして、社内にあっては記者としての自分の人事権を握っている上司のこと。真実を伝えることにおいて、権力におもねるな、自社の社長にも遠慮するな、というのだ。

そして、「攻める側に身をおいて、攻められている者の写真を撮るな」「最後まで、攻められる側に身を寄せて、攻められている者のまなざしで攻めている者の表情をカメラに収めよ」という。誰の立場から真実を見つめるべきか、誰の立場にたてば伝えるべき真実が見えてくるか、含蓄のある言葉である。

面白いエピソードが紹介された。
「『社長におもねるな。社長の顔色を見るな』って、ペイペイの私が、社長よりもえらいというのでしょうか」と聞いたら、躊躇なく先輩が答えたという。「そのとおりだ。現場で取材し、事実を把握しているオマエの方が、社長よりエライのだ」

ジャーナリスト魂、というべきだろう。内橋は、この上ない先輩に恵まれて記者修業をしたことになる。今、さてどうだろう。各社にこんな上司がどれだけいるのだろうか。司会を務めているNHKのアナウンサーに聞いてみたい。

「政府が右と言っているのに、左というわけにはいかない」という会長が君臨するNHKにジャーナリズムは健在ですか?

「ジャーナリズムのなんたるかを知らず、知ろうともしない会長よりも、現場で格闘している職員の方がエライのだ」と言ってくれる上司はいますか?

あなたは、政権や会長の意向を意識することなく、ジャーナリストとしての任務をまっとうしている自信がありますか?

内橋は、懐旧談を披露したわけではない。特にNHKを名指しすることはなかったが、現今のジャーナリズムの萎縮を嘆いた。萎縮の結果としての「忖度報道」が横行しているという。

ジャーナリズムの鉄則である権力批判を放棄して、権力(政権)の意向を忖度して自主規制し、書くべきことを書かず、言うべきことを言わず、あるいは切れ味に手加減をする報道。「上を向いて仕事をするな」の記者第2訓に、真っ向から反する姿勢の報道。

記者にしてみれば、「そんな政権批判のガチンコ記事を書けば、上司が渋い顔をするだけ。社が守ってくれる保障はない。危ない橋を渡れるはずがないではないか」ということになるのだろう。上司の方は、「社に権力と事を構える覚悟がないのだから波風立てずにやるしかない」と言い、社の幹部は「官邸からの圧力は相当なものだ。業界が一丸となってこれと闘う雰囲気ではない。時代の空気を読むしかない」とでも言うのだろう。報道の自由も国民の知る権利も危機にある時代なのだ。

それでも、内橋はジャーナリズムの神髄を説いてやまない。東京新聞のコラム「筆洗」を例に挙げて、権力におもねらず「再び戦争を起こしてはならない」「原発再稼働の愚を繰り返してはならない」という気概で一貫している、という。私はジャーナリストではないが、権力や経済力と闘うことを使命とする職業を選んだ者だ。内橋や「筆洗」子の姿勢と覚悟を学びたいと思う。

その上で言いたい。時代の空気は、一人安倍晋三だけが作っているものではない。積極消極の差はあれ、責任の大小の差はあれ、この空気を作ることに国民みんなが加担してはいないか。「上」を忖度することなく、みんなが言うべきことを言わねばならない。でないと、いつの間にか言うべきことを言えなくなる時代がやってこないとも限らない。内橋は、ジャーナリストだけではなく、国民すべてに語りかけているのだと思う。
(2015年4月14日)

籾井勝人NHK会長に辞職を勧めるの記

カネに汚い人間は軽蔑される。カネについてだけではなく、生き方そのものが廉潔性を欠くと推測されるからだ。もっとも、市井の人物であれば、カネに汚くても軽蔑されるだけの問題でおわる。だが、公職にあってカネにまつわる公私混同を指摘される人物は、公的な場で徹底して指弾されなければならない。カネで、職務が左右されることになっているのではないかという疑惑を払拭できないからだ。指弾を受けた上、信用できない人物として辞職してもらうに如くはない。

ことがNHK会長職の問題となれば、なおさらのことだ。NHKとは視聴者国民の信頼があって初めて存立しうる公共放送である。運営の資金は視聴者国民の懐から出ている。金銭の管理に関する綱紀にも、コンプライアンス全般に徹底した厳正さが要求されている。そのコンプライアンスに責任を持つ立場にあるトップには、いささかの瑕瑾も許されない。李下に冠を正さなければならず、瓜田に沓を踏み入れてはならないのだ。籾井勝人にはその自覚がない。

思想信条の如何と、生き方の廉潔性とは無関係である。国家主義ジャーナリストも、権力追随主義国営放送経営者も、カネには潔癖でありうる。廉潔な右翼活動家は珍しくない。しかし、籾井勝人は、その思想において権力に対する批判精神を欠いてるのみならず、高給を食んでいながらカネに汚い。天は籾井から二物とも奪った。籾井勝人ほどNHK会長職に相応しからぬ人物はない。

即刻辞めてもらいたい。できれば、明日(3月19日)を待たずに、今日中の辞職をお勧めする。せめて、散り際の潔さくらいは見せてはいかがか。高給故か、職に恋々としているみっともなさは、さらに惨めな結末をもたらすことになるだろうから。

ことは単純だ。NHKの籾井勝人会長は、今年1月2日私的なゴルフに出かけた。遊びの場所は、名門・小金井カントリークラブ。その際ハイヤーを利用したという。純粋に私用なのだから、ハイヤーの手配は自分ですべきであった。あるいは自分でタクシーを呼べばよいこと。ところが、NHKで使っているハイヤー会社の車両が利用され、ハイヤーの手配はNHKの職員にさせた。ここで既に、籾井勝人は瓜田に沓を入れている。

そのハイヤーの代金は4万9585円。なぜか、籾井はこの私用の代金を当日清算していない。当日清算できない事情があれば、「私用だから代金の請求は、NHKにではなく自分宛てにするよう」指示をすべきが当然であるのに、これもしていない。当然のごとく、業者はこれをNHKに請求し、NHKはこれを支払っている。籾井勝人は、自分では支払う意思がなかったのだとしか考えられない。少なくも、その疑惑を拭うことができない。

ハイヤー業者から籾井勝人への傭車代の直接の請求はなされていない。籾井は、「NHKから請求書が回ってきたから直ぐに支払った」と国会(16日衆院予算委員会・小川敏夫議員の質問に対する回答)で述べている。また、小川議員が「支払ったのは監査委員会の調査の後か」「NHKは立て替えたのか」と質問したのに対し、籾井は「答えは控えたい」と回答している。

籾井自身の説明でも、1月2日の私用ハイヤー代を、3月9日に支払ったというのだ。「こんなことは、民間ならあり得ない」ことではないのか。それともお得意の「よくあること」だというのだろうか。

事件は内部告発によって発覚し、経営委員3人で構成される監査委員会が調査を始めた。この調査が始まったあとで、籾井は金を支払った。調査があったから、慌てて支払ったのだと誰もが考える。内部告発がなければ、あるいは監査委員会の調査が始まらなければ、籾井が金を支払うことはなかったのではないか。そう国民から疑惑を持たれて当然の事態の推移なのだ。

監査委員会を構成する3名が誰かは知らない。が、法律家やコンプライアンスの専門家がいるとは思えない。この道のプロとして、上村達男さんがこのメンバーに加わっていればと残念でならない。

以上が昨日までの情報。今日あらたな重要情報に接した。
まず毎日の報道。「NHKの籾井勝人会長が私用ハイヤー代の請求をNHKに回した問題で、代金を自己負担したのは、監査委員会側から支払いを促された後だったことが17日分かった」というもの。

籾井に代金支払いを督促したのはNHKではなく、監査委員会だったというのだ。内部告発があって、それに基づいて監査委員会が構成されて、一応の調査があっての後に監査委員会が籾井に支払うよう督促したのだ。籾井にこのことがわからなかったはずはない。16日予算委員会における小川敏夫議員に対する回答は、欺瞞に満ちている。

さらに、朝日の報道。
「NHKの籾井勝人会長が私用のゴルフで使ったハイヤー代がNHKに請求されていた問題で、役員が業務の際に使用する乗車伝票が作成され、会長の業務に伴う支出として経理処理されていたことが17日、分かった」
「籾井会長は今年1月2日、東京都渋谷区の自宅と小平市の小金井カントリー倶楽部をハイヤーで往復。車両は午前7時に出庫し、約12時間利用した。伝票上は業務内容として『外部対応業務』と記され、籾井会長名のサインもあった」

この報道は、決定的だ。ことの性質上ニュースソースを出せないだろう。しかし、その記事の具体性から信頼に足りるものと判断してよいだろう。立て替え払いが公私混同で道義的に問題だというレベルではない。プライベートの遊びのカネを「外部対応業務」として、NHKに支払わせたのだ。

籾井勝人は李下に冠を正しただけではなく、スモモの実をもいでいたのだ。そして、あたかも冠を正しただけと繕っていたのだ。せっかくもいだスモモだが、発覚したから返さざるをえなかったということ。「見つかったから返すよ。返したんだから問題なかろう」という例の逃げ口上の常套手段を、またまた聞かされることになったのだ。

籾井君、君はアウトだ。私用の傭車代金をNHKに支払わせたのだ。詐欺罪に当たるのか背任罪なのかはともかく、法的な問題として追求されて当然なのだ。

監査委員会は当初24日に予定していた経営委員会への報告を、19日に開かれる臨時経営委員会で行う、と報道されている。明日(19日)の監査委員会報告に注目したい。どのくらい厳正な調査をおこなったのか、厳正に不適格会長を指弾しているのか。経営委員会側も、その姿勢に関して国民の批判に曝されているのだ。

二つの感想を付け加えておきたい。
一つは、政権と籾井勝人とのつながりの深さについてである。
「菅義偉官房長官は16日午前の記者会見で、籾井会長のハイヤー報道について、『私が承知する限りにおいては全く問題がない』との認識を示した。」と報道されている。

政権は、NHKのコンプライアンスに口出しする立場にはない。ましてや会長の個人スキャンダルをもみ消そうとするかのごとき発言はあってはならないもの。この菅発言は政権と籾井勝人との持ちつ持たれつの関係を露わにするものとなった。おかげで、籾井勝人スキャンダルは、政権の責任を問うものともなっている。

もう一つは、内部告発者の勇気とその功績を称えたいということ。あらためて、内部告発(公益通報)が社会にもたらす有益性を確認したい。そして、この有益な情報を社会に公開するきっかけとなった内部告発者を擁護しなければならないと思う。籾井勝人とその配下の者たちは、内部告発者の犯人捜しをしたり、報復を企てるなどしてはならない。そのようなことがあれば、さらなるNHKの国民不信が深まることになるのだから。
(2015年3月18日)

NHKの良心が忌憚なく語った籾井勝人会長評

上村達男さん(早稲田大学教授、会社法・金融商品取引法)は、NHK経営委員会の「良心」であり希望でもあった。委員長代行として重きをなし、存在感を示していた。すべてを過去形でしか語れないのは、同氏が2月末で退任したためである。

籾井勝人会長は、上村さんとは対照の存在。NHKの「反良心」である。心あるNHK関係者の目には、「NHKの面汚し」「NHKの恥さらし」とも見えよう。一人の人物が、一つの組織の評判をかくも貶めている実例は他にないのではなかろうか。

この度、NHKから「良心」が去り、「反良心」が居残った。上村さんに退任を望む声はなく、籾井会長には「辞任せよ」との声が国に満ちているにもかかわらず、である。これも時代の空気のなせるわざか。暗澹たる思いを禁じ得ない。

その上村さんが、朝日のインタビューに応じた。まさしく、良心の発露としての発言をしている。政府の姿勢におもねる籾井会長の姿勢を忌憚なく批判している。これは、多くの人に知ってもらいたく、要点を抜粋しておきたい。

「放送法はNHKの独立や政治的中立を定めています。しかし、就任会見時の『政府が右と言うことに対して左とは言えない』とか、従軍慰安婦問題について『正式に政府のスタンスがまだ見えない』といった最近の籾井会長の発言は、政府の姿勢におもねるもので、放送法に反します。放送法に反する見解を持った人物が会長を務めているということです」

「会長は『それは個人的見解だ』と言って、まだ訂正もしていませんが、放送法に反する意見が個人的見解というのは、会長の資格要件に反していると思います」

「(籾井会長を満場一致で選んだことは)確かに経営委に責任があります。ただ、籾井氏の経歴を見ると、一流商社である三井物産で副社長まで務め、海外経験も豊富な人物。数人の候補者がおり、籾井氏には異論が出なかった。20?30分の面接では、信条の問題まではわからない。『放送法を守ります』と繰り返していましたし」

「経営委の過半数が賛成すれば会長を罷免できます。少なくとも籾井会長を立派な会長だと思っている委員はほぼいないのではないか。ただ、就任会見直後ならともかく、今は罷免までしなくても事態を切り抜けられると考えている委員の方が多いとみています」

「私はずっと罷免すべきだと思っていた。ただ、罷免の動議をかけて、否決されると、籾井会長は『信任された』と思うでしょう。それでは逆効果になると考えました」

「経営委は専門性に乏しい12人の集まり。審議機関の理事会と情報に格差がある。しかも、会長は理事会の審議結果に拘束されないと理解されてきました。籾井会長には、びっくりするぐらい権力があることになっているんです」

「籾井会長が起こした最も大きな問題の一つは、NHKの予算案に、国会で与党だけが賛成するという状況を生み出したことです。視聴者には与党支持者も野党支持者もいるのだから、原則的に全会一致で承認されることに意味があった。NHKは時の政治状況に左右されてはならないのです。」

「NHKは多様な見方を提供して、日本の民主主義が成熟していくように貢献しなければならない。NHKの独立というのは強いものに対して発揮されるべきもの。弱いものに対しては『独立』とは言わないわけですから」

至極ごもっとも。まったく同感だ。このとおりなのだから、視聴者には受信料支払いの意欲がなくなって当然。少なくも、籾井会長在任中は受信料を停止したくなる。その空気を察してか、また本日(3月5日)籾井問題発言が重ねられた。

「NHKの籾井勝人会長は5日午前、衆院総務委員会に参考人として招かれ、『(受信料の支払いを)義務化できればすばらしい。法律で定めて頂ければありがたい』と発言した」(朝日)という。

これは悪い冗談だ。現行の受信料制度では、NHKは受信料確保のためには国民の批判を気にしなくてはならない。ところが本日の籾井発言は「NHKの評判が悪いから、姿勢をただそう」というのではない。正反対に、「国民の評判など気にすることなく、政府の姿勢におもねり続けることができるようにして欲しい」「いちいち国民の批判を気にかけずに、びっくりするような権力を持ち続けたい」という居直りの発言なのだ。

放送法64条(改正前は32条)は、テレビ受像器を設置した世帯に対して、NHKとの受信契約の締結を民事的に義務づけている。しかし、受信契約締結なければ支払いの義務はないし、もちろん不払いに刑事的な制裁は一切ない。NHKは、公共放送としての姿勢をただし視聴者である国民の信頼を勝ちうる努力をすることによって、国民が「われわれの公共放送を支えよう」として受信料を支払うことを期待されているのだ。

このことについては、市民運動の中心にある「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」のサイトをご覧いただきたい。
  http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/

また、個人的には、友人である多菊和郎さんのサイトをお薦めする。彼は、NHKに奉職して、今はNHKの外から、NHKのていたらくを嘆いている。多菊さんも、生粋のNHKマンとしてNHKOB群の良心の一人。彼には、NHK受信料制度成り立ちの歴史とその性格についての本格的な論文がありホームページに掲載されている。かなりのボリュームのあるものだが、時間をかけても読むに値する。

  多菊和郎のホームページ
   http://home.a01.itscom.net/tagiku/
 「受信料制度の始まり」

この論文で、彼は「NHKが十分に『視聴者に顔を向けた』放送局でなくなった」場合に視聴者が受信料支払いを拒否することを、「視聴者の『権利』のうちの『最後の手段』の行使」として肯定的に評価している。その場合、「受信料制度は破綻したのではなく,設計どおりに機能したと言えよう」という見解。まさしく今がそのときではないか。
(2015年3月5日)

NHK会長人事の「非合理的、徹頭徹尾馬鹿馬鹿しさ」

NHKの籾井勝人会長がまたまた話題を提供している。この人に抜きがたく刻印されたイメージどおりの、「期待を裏切らない」発言によってである。余りに露骨で拙劣な政権ベッタリの籾井発言に接して、安倍首相のメディア対策人事が成功しているとは到底思えない。これは政権側から見ても大失敗の人事ではないか。

言うまでもなく、真実を伝えてこそのメディアでありジャーナリズムである。真実を不都合として妨害する力を持つ者は、第1に政治権力、第2に経済的富力、そして第3に多数派の社会的圧力である。

これらの諸力から毅然と独立し対峙する存在であってはじめて、メディアとしての存在価値がある。何よりも、報道の自由とは権力から憎まれ、経済的富者から疎まれ、社会の多数派から歓迎されない、そのような事実や見解を報道する自由なのだ。

権力にへつらい、シッポを振って恥じないこのような人物。ジャーナリストとしての矜持を持たないこんな男を、よくぞ見つけてきてNHKのトップに据えたものだ。救いは、ジャーナリストらしい格好すらできないことだが…。

一昨日(2月5日)の籾井発言の内容は、昨日の朝日に詳しく、本日(2月7日)朝日だけが「NHK会長 向き合う先は視聴者だ」と題して社説に取り上げている。朝日のその姿勢に拍手を送りたい。

ああ朝日よ、君に告ぐ。君、萎縮したまふことなかれ。籾井が何を言おうとも、他紙の攻撃激しくも、君の誇りは傷つかじ。この世ひとりの君ならで、ああまた誰をたのむべき。君、萎縮したまふことなかれ。

本日の朝日社説の冒頭を引用したい。さすがに、読みやすい良く練られた達意の文章となっている。
「NHKの籾井勝人会長が、おとといの記者会見で、公共放送のトップとして、また見過ごすことのできない発言をした。
戦後70年で『従軍慰安婦問題』を取り上げる可能性を問われ、こう答えたのだ。
『正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えない。そういう意味において、いま取り上げて我々が放送するのが妥当かどうか、慎重に考えなければいけない。夏にかけてどういう政府のきちっとした方針が分かるのか、このへんがポイントだろう』

まるで、NHKの番組の内容や、放送に関する判断を『政府の方針』が左右するかのような言い方だ。
就任会見で『政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない』と発言し、批判を招いて1年余。籾井会長は相変わらず、NHKとはどういうものか理解していないように見える。
当たり前のことだが、NHKは政府の広報機関ではない。視聴者の受信料で運営する公共放送だ。公共放送は、政府と一定の距離を置いているからこそ、権力をチェックする報道機関としての役割を果たすことができる。番組に多様な考え方を反映させて、より良い社会を作ることに貢献できる。そして、政府見解の代弁者でないからこそ、放送局として国内外で信頼を得ることができるのだ。
政府の立場がどうであれ、社会には多様な考え方がある。公共放送は、そうした広がりのある、大きな社会のためにある。だからみんなで受信料を負担し、支えているのだ。公共放送が顔を向けるべきは政府ではない。視聴者だ。」

昨日の「会見詳報」には、次のような発言も収録されている。

問 去年、朝日新聞の誤報問題で従軍慰安婦が脚光を浴びたが、従軍慰安婦問題を戦後70年の節目で取り上げる可能性は
籾井 なかなか難しい質問ですが、やはり従軍慰安婦の問題というのは正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えませんよね。そういう意味において、やはり今これを取り上げてですね、我々が放送するということが本当に妥当かどうかということは本当に慎重に考えなければいけないと思っております。そういう意味で本当に夏にかけてどういう政府のきちっとした方針が分かるのか、この辺がポイントだろうと思います。

問 先ほどの従軍慰安婦問題で、正式に政府のスタンスがよく見えないとおっしゃった。現時点では河野談話があり、現政府も踏襲すると言っている。それでも政府のスタンスがよく見えないというのは、河野談話について変わるべきだとか変わりうるとか言うことでおっしゃってるんでしょうか
籾井 その手の質問にはお答えを控えさせていただきます。

問 「よく見えない」という認識は……
籾井 あの、どんな質問もお答えできかねます。

問 それはどうしてですか
籾井 しゃべったら、書いて大騒動になるじゃないですか。

問 大騒動になるようなお考えをお持ちなのですか
籾井 ありません。そんな挑発的な質問はやめてくださいよ。

この人の頭の中では、NHKとは「政府のスタンス」に従う伝声管でしかないのだ。そのような戦前のあり方を反省しての放送法であり、あらたな公共放送機関としての新生NHKであったはずではないか。

いま、先日亡くなられた奥平康弘氏の、表現の自由に関する論文を読み返している。そのなかに、戦前の放送規制のあり方に関して次のような叙述がある。やや長いが、是非お読みいただきたい。

わが国放送事業が、1924年、社団法人東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局の設立免許とともにはじまったのは、周知のとおりである。監督庁たる逓信省はその内規、放送用私設無線電話監督事務処理細則(1924(大13)年2月作製、のちしばしぱ改正した)および各放送局施設許可付帯命令書などにより、放送番組内容の詳細な事前検閲権を確保し・所轄逓信局長の監督に服せしめるものとした。のちまもなく、既存三法人を解散させ、日本放送協会を成立せしめたが、放送番組に関する公権力的検閲の大綱は変化しない。1930年全面改正された監督事務処理細則によれば、
(1) 放送種目及び放送内容は社会教育上適当と認めるものに重きを置くこと
(2) 放送内容中経済財界に関する事項については慎重なる考慮を払うここと
(3) 講演・演芸等の委嘱又は雇傭に依る放送は人選を慎重調査し特に外国人を選ぶときは十分に注意すること、などが命ぜられている。
また、大体において新聞紙法・出版法に準拠して、放送番組の禁止・削除・訂正の各事項が列挙されている。これらの諸点につき、逓信局の事前のチェックをうけることもちろんだが、それだけでは不十分というわけか、つぎのようなフェイル・セイフの制度がとられている。
すなわち、各放送には監督者たる放送主任者を配置せしめなけれぱならず、この放送主任者席には「常時放送を監督し得る装置と瞬時に放送を遮断し得る装置をなさしめ、逓信局との直通電話もこの席に設くること」これである。
逓信省は、所轄逓信局を経由して、そのときどきの具体的な禁止事項・注意事項を通達し、たえまない指導監督をおこなっていたが、準戦時体制に入ると、ここでも番組統制権は、他のマス・メディア統制権とともに、内閣情報局の集中掌握するところとなる。」(有斐閣「表現の自由??理論と歴史」『戦前の言論・出版統制』。初出は「ジュリスト」378号・1967年)

同論文で、出版・新聞・放送・演劇・演芸等の表現活動に対する戦前の統制を概観して、氏は最後をこう結んでいる。

「戦前の出版警察を考究して脳裡から離れないのは、日本人はよくも長いこと、こんな非合理的、徹頭徹尾馬鹿馬鹿しい権力を我慢してきたものだという一事である。わたくしには、この秘密をわたくしなりに解明をしてみないかぎり、現行憲法が表現の自由を保障しているということに安心立命することができないように思える。」

「奥平先生に、まったく同感」では済まない。述べられていることが過去のことではなく、現在の問題でもあるのだから。籾井のごときがNHKの会長を続けるこの事態は、まさしく「日本人はよくも、こんな非合理的、徹頭徹尾馬鹿馬鹿しい権力を我慢していられるものだ」というに値する。こんな人物をトップにいただくNHK、こんなトップを任命する安倍政権の「非合理的、徹頭徹尾馬鹿馬鹿しさ」に我慢してはおられない。安心立命など到底できようはずもない。
(2015年2月7日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2015. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.