澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「王様は裸だ」ー 天皇も同じことなのだ

(2023年2月4日)
 「週刊新潮」。かつては大嫌いな保守メディアだった。その取材と報道姿勢を唾棄したこともある。が、この頃、齢のせいなのだろうか。あんまり目くじら立てるほどのこともない、と思えるようになっている。もちろん、絶対に身銭を切ってこの雑誌を購入しないという決意に変わりはないのだが。

 最新号の新聞広告に、『陛下、“玉座”の「高御座」で「皇宮警察」が悪ふざけしています』『「天皇皇后」初出席の「視閲式」 総指揮官は「愛子さま」を「クソガキ」と罵った張本人』という記事の見出しが、楽しそうに躍っている。この見出しの付け方、なかなかの出来ではないか。

 週刊新潮には、皇室ネタが多い。とりわけ、秋篠宮長女の結婚問題については、ことのほかの熱心さだった。おそらくは、売れ筋のネタを、もっとも売れるようにさばいて書いたのだ。読者の側から見れば、あの素材を、あのように調理してくれることを望んだということである。

 週刊新潮に限らず、皇室ネタ記事の多くは、皇室・皇族に対する敬意はさらさらにない。表面上は敬語を使っても、内容に遠慮はない。読み手は皇室尊崇の記事などまったく期待していないからだ。「やんごとないお家柄でも、嫁と姑の葛藤は庶民と変わらないのでございますね」「おいたわしや」「おかわいそうに」と言いつつ、実はイジり、貶めて溜飲を下げているのだ。

 『陛下、“玉座”の「高御座」で「皇宮警察」が悪ふざけしています』の記事については、ネットで多少読める。

 『「陛下専用のベッドに寝そべり…」「“玉座”に座って記念撮影」 皇宮警察OBが明かす衝撃の不祥事
 「互いに高御座に座って携帯で写真を撮り合いました」 天皇陛下や皇族方を最も身近でお守りすべき「皇宮警察」で、皇族方への陰口や、パワハラ、不審者侵入などの事態が頻発していることを、これまでも「週刊新潮」は報じてきた。そして今回紹介するのは、即位の礼で用いられた玉座・高御座に座って写真を撮るという悪ふざけが皇宮警察内で常態化していた、という驚きの証言である。

 「即位の礼」で用いられた「高御座」 皇宮警察はここに座って写真を撮るという悪質なイタズラを行った。自らの“悪事”を打ち明けるのは、さる皇宮警察OB。(略)昨今の「バイトテロ」も真っ青、常軌を逸した悪ふざけと言うほかない。…皇室への敬意も職務への忠誠心や緊張感もまったく感じられない数々の振る舞い。

 ―2月2日発売の「週刊新潮」では、大幹部である護衛部長らが口にしていた雅子皇后への侮辱的な陰口の中身や、皇族に関する根拠のないうわさが吹聴されていた事件などと併せて報じる』

 この記事は、皇室・皇族に対する社会一般の関心の持ち方を反映したものに違いない。もちろん、今の世に天皇家を神代から連綿と連なる神聖な存在と思う人がいるはずはない。天皇は敬愛の対象でもありえない。ナショナリズムのシンボルというのも既に無理がある。積極的に、天皇を税金泥棒と悪口を言うことははばかられるが、陰湿な陰口・イジメの対象としてこれ以上のものはない。

 『「天皇皇后」初出席の「視閲式」 総指揮官は「愛子さま」を「クソガキ」と罵った張本人』という見出しの付け方が、事情をよく物語っている。自分の言葉として、天皇の子を「クソガキ」とは言えないが、他人の言葉の引用としては「クソガキ」と言いたいのだ。天皇家に生まれる「親ガチャ」はけっして羨ましいようなものではない。

 あらためて思う。これほどまでに揶揄の対象とされる、皇室や皇族とはなんだろうか。私は、冗談ではなく本心から「気の毒に」「かわいそうに」と思わざるを得ない。

 またこうも思う。実は戦前も、多くの大人たちが天皇や皇室・皇族を揶揄の対象と見ていたに違いない。天皇を神の子孫であり現人神とする「教え」を本気で信じていたはずはない。しかし、天皇を神とする権力の押しつけや、社会的な同調圧力には抗することができなかった。多くの人々が、天皇や皇室・皇族を神につながる一族と信じる振りをせざるを得なかったのだ。権力にとって、臣民どもに天皇の神性や神聖性を心から信仰させる必要は必ずしもなかった。一億臣民に、そのように信仰している振りをさせることができれば、それで十分だったはず。

 アンデルセンの「裸の王様」は、恐い話である。本当の自分の姿がわからない愚かな権力者への揶揄の話としてでなく、「王様の裸」に気付きながら、「王様は裸だ」と言わずに、「いかめしくも神々しい衣装をまとっている王様」が見えるような振りをし続けなければならない民衆の比喩の話としてである。

 さて、週刊新潮。もしかしたら、「王様は裸だ」と触れ回っているのかも知れない。ならば、たいしたメディアではないか。

湯島天神、宗教であるようなビジネスであるような。

(2023年1月29日)
 大寒であるが立春は近い。寒い中で、梅が咲き始めている。この時季は梅祭り準備中の湯島天神がよい。梅は風流でもあるが、なによりも観梅無料が魅力。

 とは言え、境内の混雑ぶりに驚かされる。けっして善男善女の梅見の参詣というわけではない。合格祈願・学業成就祈願なのだ。昇殿参拝の順番を待つ人々が長蛇の列を作っている。そして奉納の絵馬の数に圧倒される。「○○大学合格祈願」「孫の△△が、××中学に合格できますように」の類いの庶民の願いが、この社に渦巻いているのだ。

 何やら真剣にお祈りしている人がいる。祈願をし絵馬を奉納すれば、願はかなうと本気になって信じているような雰囲気。そんな姿はいじらしくもあるが、一面不気味でもある。

 境内で放送が繰り返されている。こう聞こえたのだが、空耳でしかなかったかもしれない。

 「合格祈願・学業成就祈願は、けっして神さまが結果を約束するものではございません。万が一不合格となっても、神さまは責任をもちません。祈願の際の奉納金の返還はいたしません。不合格は自己責任とおあきらめいただき、自助努力の上、次の祈願をされ、次の奉納金をお納めください」
 「各学校の入学試験合格者には定員の枠があり、合格を祈願する方は定員の何倍もいらっしゃるのですから、天神様と言えども、合格祈願の皆様全員を合格させるのはもとより無理なことでございます。皆様、そんなことは百も承知で、願を掛け奉納金をお納めいただいていることと存じます。もちろん、天神様も、お祈りの効果などを過大に吹聴したりはいたしません」
 「もっとも、祈祷料などにランクを付けさせていただいてはおりますが、祈祷料の多寡と合格率との相関関係については、あるともないとも申し上げようはございません。ですから、『高額祈祷料を奉納したのに何の効果もなかった。せめて半額を返せ』などいうクレームは受け付けておりませんので、予めご承知おきください」

 「むしろ、当社ではなく、この世の不幸禍は、すべて先祖の因縁によるもので、この因縁を解いて家族の幸福を獲得するためには、何千万円もの高額寄附が必要という、マインドコントロールの宗教もございますので、お気をつけください」

 だれもが、気休めとは思いつつ、それでも合格祈願・学業成就祈願に人が押し寄せる。これは宗教だろうか、ビジネスだろうか。はたまた悪徳商法では。庶民の願いや悩みを上手に掬い取った、このビジネスモデルの成功に驚嘆するしかない。

 なお、湯島天神の梅の見頃予想は2月中旬以降とのこと。2月8日?3月8日までの「文京梅まつり」の舞台となる。

 なお、この神社で祀られている「天神」は、怨霊となって醍醐天皇を殺した王権への反逆神である。民衆は、天皇を呪い殺した天神を崇拝した。これは、興味深い。

 右大臣菅原道真は藤原時平らの陰謀によって、謀反の疑いありとされてその地位を追われ大宰府へ流される。左遷された道真は、失意と憤怒のうちにこの地で没する。彼の死後、その怨霊が、陰謀の加担者を次々に襲い殺していくが、興味深いのは最高責任者である天皇(醍醐)を免責しないことである。
 道真の祟りを恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行い、993(正暦4)年には贈正一位左大臣、さらには太政大臣を追贈している。

 もっとも、宗教は時の権力に擦り寄って生き抜いてきた。今、ネットで読める社伝には、反逆の影もない。

「統一教会」と「天皇教」 どちらのカルトにも洗脳されてはならない。

(2023年1月6日)
 統一教会問題の根は深い。深刻に教訓とすべきは、人の精神はけっして強靱ではないということである。周到にプログラムされたマインドコントロール技術は有効なのだ。自律的な判断で信仰を選択しているつもりが、気が付けば洗脳の被害者となる。その被害者が、次の被害者を生む洗脳行為に加担させられる。こうした連鎖反応が、社会を蝕むことになる。

 そのことを「統一協会 マインド・コントロールのすべて」(郷路征記著・花伝社)が丁寧に教えてくれる。その書物のカバーに「人はどのようにして文鮮明の奴隷となるのか?」という刺激的なキャッチが心に響く。これは、「かつて臣民はどのようにして、天皇のために死ぬるを誉れと教え込まれたか?」と同じ構造の問ではないか。

 明治維新後に生まれた新興宗教である天皇教というカルトは、その成立当初から政治権力と結びついていた。その周到にプログラムされたマインドコントロール技術によって、自律的な判断で信仰を選択しているつもりの国民が、それとは気が付かないうちに洗脳の被害者となった。その被害者が、さらに次の被害者を生む洗脳行為に加担させられる。こうした連鎖反応が、一国の国民全部を蝕むことになって、国を破滅に導いた。

 天皇教の教祖にして現人神と祭り上げられた人物が、睦仁であり、嘉仁であり、裕仁だった。これが、ちょうど文鮮明・韓鶴子の役どころにあたる。天皇教は、皇祖皇宗の指し示すとおり、我が民族のみ貴しとする非合理な八紘一宇を説き、カミカゼが吹くとして侵略戦争に狂奔し、臣民に天皇のために死ね、と教えた。これが天皇教の重要な一部をなす靖国の思想である。

 こうして、77年前までの日本は、天皇カルトが全国の全局面に蔓延し、一国の国民の精神を支配したカルトの国であった。学校と軍隊が主たるその布教所となり、教員が熱心な布教師となった。そして、権力に操られた新聞・出版メディアとNHKが、一般国民への天皇カルトの果敢な宣伝隊となった。

 本日の赤旗の報道で初めて知った。統一教会では、漠然と「宗教2世」とは言わないらしい。親の入信前に生まれた子どもを「信仰2世」と言い、集団結婚した両親から生まれた子どもを「祝福2世」と言うのだそうだ。その数、前者が3万人、後者が5万人だという。

 「統一協会は入信後に集団結婚した両親から生まれた「祝福2世」を“神の子”として特別に位置付けています。他方、親の入信前に生まれていた子どもは「信仰2世」として信者1世と同じ扱いをします。ただ、どちらの2世も家庭への高額献金や集団結婚の強要といった被害は共通しています。

 協会関連資料や関係者によると、これらの反社会的行為を嫌って協会活動から離れる2世も多いといいます。
 このため統一協会は2世を連れ戻すため必死になっています。すべての信者家庭が2世の協会復帰に「命を懸けなければなりません」と強調。「家庭連合に対して完全に背を向け、関わりを一切断っている2世だとしても、捜し出して導かなければなりません」と命じています。」

 統一教会も必死になって組織防衛に活動しているのだ。

 しかし、この8万人の一人ひとりに深刻な悩みがあるに違いない。宗教1世と併せれば、20万人にもなるのだろうか。このカルトが、ここまで蔓延してきたことは驚くべきことではないか。しかし、天皇カルトが洗脳した1億人に較べれば、まだ規模は小さいとも言えそうである。そして、危険な天皇カルトはまだ退治され切っていない。

 先の郷路君の著作の一節に、「マインドコントロールによって他人に操作されることを防ぐ道は、マインドコントロールについての知識を持つことである」という、名言がある。なるほどと思う。国家権力や社会的な同調圧力による国民精神の支配から自律した精神を防衛するためにも広く通じることと言えよう。それが、日本の近代史を学ぶという意味なのだと思う。

どうやら日本は、いまだに『神の国』『天皇の国』のごとくである。

(2023年1月5日)
 昨日、1月4日が世の「仕事始め」。首相である岸田文雄も、この日仕事を始めた。その一年の最初の仕事が伊勢神宮参拝という違憲行為。年頭の記者会見を伊勢市で行うという、何ともグロテスクな時代錯誤。

 いま、統一教会のマインドコントロール被害をめぐって、「政教分離とは何か」、「信教の自由の本質をどう見るのか」、「統一教会加害の社会心理学的背景は何であるのか」という真摯な論議が巻きおこっている。そのさなかでの天皇の祖先神を祀る神社への年頭参拝の無神経。戦前の天皇教は、日本国民1億をマインドコントロールすることに成功した。その残滓をどう克服するかが、マインドコントロールから解き放たれた戦後民主主義の最大の課題であったはず。にもかかわらずの天皇教本殿への首相参拝である。意識的か無意識か、政権トップが憲法の理念を尊重しようという姿勢に著しく欠けるのだ。この国の立憲主義は、まことに危うい。

 その点では、立憲民主党・泉健太も負けてはいない。何と、元日には乃木神社の写真をツィッターに掲載したのだ。これに対する当然の批判に、感情的な反発をして物議を醸している。

 彼の1月3日ツィッターはこう言う。
「『乃木神社に参拝したら軍国主義に追従すると批判されても仕方ない』とか、もう酷いもんだ。そうした考えの方がよっぽど危険。私は過去の歴史に学ぶし、教訓にもする。乃木神社創建の経緯もある程度は知っている。でも当然だが、軍国主義者ではない。本当に失礼な話。」

 彼が、歴史を学ぶ姿勢をもっているとは思えない。よく似た論理を繰り返し、聞かされてきた。中曽根や、小泉や、安倍晋三や高市が、下記のように言ってたことと変わりはない。要は、政治家としての民主主義的な感度が問われているのだ。

 「『靖国神社に参拝したら軍国主義に追従すると批判されても仕方ない』とか、もう酷いもんだ。そうした考えの方がよっぽど危険。私は過去の歴史に学ぶし、教訓にもする。靖国神社創建の経緯もある程度は知っている。でも当然だが、軍国主義者ではない。本当に失礼な話。」

 前川喜平が、冷静にこう批判している。「明治天皇に殉死した長州閥の軍人を神と崇める行為。無自覚なのか意図的なのか知らないが、これにより失う支持者は、得られる支持者より多いだろう。」

 乃木は、天皇制の時代に忠君愛国の手本となった軍人。君国のために多数の部下に「死ね」と命じた愚将の典型。これを神として祀る神社への参拝は、極右や安倍晋三崇拝者にのみふさわしい。およそ、平和や、民主主義や人権を口にする人が足を運ぶところではない。

 1月4日朝の泉ツィッターには、さらに驚かざるを得ない。
「本日は伊勢神宮参拝と年頭記者会見の予定です。『皇室の弥栄』『国家安泰』『五穀豊穣』を祈願するとともに、やはり全国民皆様の』平和」と「生活向上」が大切。そのために一層働くことを誓ってまいります」

 岸田に張り合って、泉も伊勢参拝なのだ。その上で、まず『皇室の弥栄』『国家安泰』を祈願するという。この人何を学んできた人なのだろうか。いまだに、天皇教のマインドコントロールに縛られたままのお人のようである。

 もう一つ、1月4日毎日朝刊の古賀攻(専門編集委員)コラム「水説」に驚いた。『憲法1条を顧みぬ国』という表題なのだ。内容は、天皇の血統が絶えることを憂慮して対策を講ずるべきだという趣旨である。天下の毎日の編集委員がこう言い、毎日が恥ずかしげもなく紙面に掲載する、その現実を嘆かざるを得ない。

 憲法第1条は、こう述べている。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権 の存する日本国民の総意に基く。」

 この憲法第1条は、天皇を主語にしてはいるが、国民主権宣言条項である。天皇主権を否定し、天皇の地位は主権者国民が認める限りのものに過ぎないと明示する。国民主権の欠如を『憲法1条を顧みぬ国』と愁うるのは分かる。が、「このままだと皇室は確実に核家族化し、将来の天皇を身近に支える皇族がいなくなってしまう」と嘆いてみせる前に、日本の民主主義や人権のあり方をこそ嘆くべきだろう。

 このコラムの書き出しはこうである。
 「3年ぶりの新年一般参賀に姿を見せた皇族が<少ない>と思ったのは気のせいで、実際には愛子さまと眞子さんの入れ替わりだけだという。こちらが心配性になっているせいかもしれない。」

 つまらぬことを心配しているというにとどまらない。愛子『さま』と眞子『さん』の使い分けがばかばかしい。

 世襲という制度は忌むべきものである。人は平等であるという文明社会の公理に反する。克服すべき人間不平等時代の野蛮な遺物である。社会は、政治家の世襲については批判する。資産家の二代目三代目も軽蔑する。しかし、世襲制度の本家は皇室であろう。皇室や皇族の世襲をこそ批判しなければならない。

 このコラムは、最後をこう締めくくっている。
 「憲法1条は、天皇を国および国民統合の象徴、その地位を「主権の存する国民の総意に基づく」と定める。憲法秩序の骨格なのに、(皇位継承の安定化措置を提言する)17年前の首相演説はうやむやになり、国会が求めた報告も放置したまま。それで済ませる感覚が不思議でならない」

 私はこう思う。天皇を「憲法秩序の骨格」と言ってのける感覚の論説委員がいまだに存在し、大新聞がそのような論説を掲載することが、不思議でならない。

 伊勢神宮・乃木神社・天皇は、国家神道・軍国主義・権威主義・世襲制に貫かれている。いずれも御しやすい国民精神を涵養するためのマインドコントロールの小道具、大道具にほかならない。そして今、これを批判しないマスメディアに支えられている。

プーチンそっくりのヒロヒト。いや、ヒロヒトそっくりのプーチン。

(2022年12月8日)
 81年前の本日早朝、当時臣民とされていた日本国民はNHKの放送によって、日本が新たな大戦争に突入したことを知らされた。同時に、パールハーバー奇襲の戦果の報に喝采した。こうして、国民の大半が、侵略者・侵略軍の共犯者となった。実は、本年2月24日のロシア国民も同様ではなかったか。

 1941年12月8日付官報号外に、「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」、通称「開戰の詔勅」が掲載されている。何とも大仰で白々しい「美文」に見えるが、実は典型的な「駄文」である。句点も読点もなく難読字の羅列でもある原文の掲載は無意味なので、「訳文」を掲出しておきたい。

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 天の助けるところとして代々受け継がれてきた皇位の継承者である大日本帝国天皇は、忠実で武勇に優れた、我が家来である全国民に告げる。

 私・天皇は、米国と英国とに宣戦を布告する。陸海軍将兵は全力を奮って闘え。官僚はその職務に励め。その他の国民も各々その本分を尽くし、一億の心をひとつにして、国家の総力を挙げてこの戦争の目的達成のために努力せよ。

 そもそもアジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、代々の願いであって、私も常に心がけてきた。各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。ところが、今や不幸にして、米英両国と争いを開始せざるを得ない事態に至った。誠にやむをえないところであるが、けっして私の本意ではない。

 中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせるに至らしめ、以来4年余を経過している。幸いに国民政府は南京政府に変わった。帝国はこの新政府と誼を結び提携するようになったが、重慶に残存する政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、未だ相互にせめぎ合う姿勢を改めない。
 
 米英両国は残存する蒋介石政権を支援して、アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。しかも、味方する国々を誘い、帝国の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

 私・天皇は政府に事態を平和のうちに解決させようと、長い間忍耐してきたが、米英は少しも互譲の精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
 このような事態が続けば、アジアの安定に関する我が帝国の積年の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立もまさに危機に瀕している。ことここに至っては、帝国は今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない。

 祖先神のご加護をいただいた天皇は、その家来たる国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、速やかに禍根をとり除いてアジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の栄光を実現しようとするものである。
 裕 仁  印
  1941年12月8日

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 こんな言い回し。最近、どこかで聞いた憶えはないだろうか。そう、プーチンのウクライナ侵攻の日の演説。あれとそっくりなのだ。ただし、プーチンの演説は長い。そして、さすがに裕仁の「詔書」よりは格段の説得力がある。

 どちらも、まずは国民に呼びかける。そして自国の正義と、相手国の非道を延々と訴える。自国は、忍耐に忍耐を重ねてきた。しかし、もうその限界を越えざるを得ない。このままでは、自国の生存が危殆に瀕するからだ。すべての責任は敵側にある。このやむを得ない事情を理解して、国民よともに闘に立ち上がろう。

 この言い回し、裕仁とプーチンだけではない。いま大軍拡を進めようとしている、改憲勢力の想定レトリックであるのだ。権力者がこんな言い回しを始めたら、危機は深刻だと思わねばならない。

 長文のプーチン演説を抜粋してみる。訳文の出典はNHKである。

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 親愛なるロシア国民の皆さん、親愛なる友人の皆さん。

 この30年間、私たちが粘り強く忍耐強く、ヨーロッパにおける対等かつ不可分の安全保障の原則について、NATO主要諸国と合意を形成しようと試みてきたことは、広く知られている。私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺まんと嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。

その間、NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。それはロシアの国境のすぐ近くまで迫っている。
なぜ、このようなことが起きているのか。私たちの国益や至極当然な要求に対する、無配慮かつ軽蔑的な態度はどこから来ているのか。
答えは明白。すべては簡単で明瞭だ。

1980年代末、ソビエト連邦は弱体化し、その後、完全に崩壊した。当時、私たちはしばらく自信を喪失し、あっという間に世界のパワーバランスが崩れたのだ。
これにより、従来の条約や協定には、事実上、効力がないという事態になった。
 
ソビエト連邦の崩壊後、事実上の世界の再分割が始まり、これまで培われてきた国際法の規範が、第二次世界大戦の結果採択され、その結果を定着させてきたものが、みずからを冷戦の勝者であると宣言した者たちにとって邪魔になるようになってきた。

事態は違う方向へと展開し始めた。NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。
繰り返すが、だまされたのだ。
正義と真実はどこにあるのだ?あるのはうそと偽善だけだ。

色々あったものの、2021年12月、私たちは、改めて、アメリカやその同盟諸国と、ヨーロッパの安全保障の原則とNATO不拡大について合意を成立させようと試みた。
すべては無駄だった。
世界覇権を求める者たちは、公然と、平然と、そしてここを強調したいのだが、何の根拠もなく、私たちロシアを敵国と呼ぶ。
確かに彼らは現在、金融、科学技術、軍事において大きな力を有している。

しかし、軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。
 そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。
この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。

NATOによるウクライナ領土の軍事開発は受け入れがたい
すでに今、NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化し、危険になってきている。
しかも、ここ数日、NATOの指導部は、みずからの軍備のロシア国境への接近を加速させ促進する必要があると明言している。

問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。
それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。
私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。
それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。

さらに強調しておくべきことがある。
NATO主要諸国は、みずからの目的を達成するために、ウクライナの極右民族主義者やネオナチをあらゆる面で支援している。
当然、彼らはクリミアに潜り込むだろう。
それこそドンバスと同じように。
戦争を仕掛け、殺すために。

私たちの政治の根底にあるのは、自由、つまり、誰もが自分と自分の子どもたちの未来を自分で決めることのできる選択の自由だ。
そして、今のウクライナの領土に住むすべての人々、希望するすべての人々が、この権利、つまり、選択の権利を行使できるようにすることが重要であると私たちは考えている。

繰り返すが、そのほかに道はなかった。
目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため
現在起きていることは、ウクライナ国家やウクライナ人の利益を侵害したいという思いによるものではない。
それは、ウクライナを人質にとり、我が国と我が国民に対し利用しようとしている者たちから、ロシア自身を守るためなのだ。

起こりうる流血のすべての責任は、全面的に、完全に、ウクライナの領土を統治する政権の良心にかかっている。

親愛なるロシア国民の皆さん。
力は常に必要だ。どんな時も。
私たちは皆、真の力とは、私たちの側にある正義と真実にこそあるのだということを知っている。
まさに力および戦う意欲こそが独立と主権の基礎であり、その上にこそ私たちの未来、私たちの家、家族、祖国をしっかりと作り上げていくことができる。

親愛なる同胞の皆さん。
自国に献身的なロシア軍の兵士および士官は、プロフェッショナルに勇敢にみずからの義務を果たすだろうと確信している。
あらゆるレベルの政府、経済や金融システムや社会分野の安定に携わる専門家、企業のトップ、ロシア財界全体が、足並みをそろえ効果的に動くであろうことに疑いの念はない。
すべての議会政党、社会勢力が団結し愛国的な立場をとることを期待する。

歴史上常にそうであったように、ロシアの運命は、多民族からなる我が国民の信頼できる手に委ねられている。

あなたたちからの支持と、祖国愛がもたらす無敵の力を信じている。

旧憲法から新憲法へ。法体系転換の狭間における「プラカード事件」判決

(2022年11月3日)
 本日は、「日本国憲法」公布記念日である。日本国憲法の冒頭に、「上諭」という天皇(裕仁)の文章が、目障りな絆創膏みたいにくっ付いている。下記のとおりの内容だが、これに1946年11月3日の日付が付されている。

 「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

 ところで吉田内閣は当初1946年11月1日を新憲法公布の日と予定していた。ところが、そうすると半年後の翌年5月1日が憲法施行記念日となって、メーデーと重なる。GHQがこれに難色を示して、公布日が2日遅れの11月3日となったという説がある。

 まったくの偶然であるが、この1日と3日にはさまれた1946年11月2日に、東京地裁の重要判決が言い渡されている。旧憲法から新憲法に法体系転換の狭間を象徴する「プラカード事件」の東京地裁一審判決である。

 1946年5月19日の通称「食糧メーデー」(「飯米獲得人民大会」)での出来事。参加者の一人である松島松太郎の、下記プラカードの表記が不敬罪に問われたのだ。

 「詔書 ヒロヒト曰ク 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」(表面)
 「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」(裏面)

 不敬罪は刑法第74条。日本国憲法施行後削除されたが、当時はまだ生き残っていた。条文は、次のとおりである。

 「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス」
 
 構成要件は、天皇等に対する「不敬ノ行為」である。何が犯罪となるのか曖昧至極ながら最高刑は懲役5年。『天皇は神聖にして侵すべからず』とされた時代の弾圧法規の遺物というしかない。

 松島は、三田警察署から出頭を要請されて拒否し逮捕される。そして、天皇制の終焉明らかなこの時期に、検察は敢えて不敬罪で起訴した。

 この事件の弁護団は自由法曹団の弁護士を中心に十数人で編成された。弁護団長布施辰治以下、上村進、神道寛次、正木ひろし、森長英三郎、青柳盛雄、梨木作次郎等々の錚々たる布陣。「ポツダム宣言の受諾によって天皇の神性も神聖性も根拠を失い、不敬罪は消滅した」「天皇、天皇制に対する批判を含む言論・表現の自由は確立しているはずだ」と無罪を主張して争った。

 面白いエピソードが伝えられている。1審の公判で、正木ひろしは、裁判長に「天皇を証人として喚問しろ」と要求したという。もし不敬罪ではなく名誉毀損罪として罪名を換えて処罰するのなら、名誉毀損罪が親告罪である以上、裕仁の告訴の意思の有無を確認しなければならない、という至極もっともな理由だった。

 しかし、裕仁の証人申請は却下されて、判決が言い渡された。新憲法公布の前日となった11月2日のこと。さすがに不敬罪の適用はなかったが、名誉毀損罪の成立を認めた。裕仁の告訴のないままにである。量刑は懲役8月、執行猶予はつかなかった。判決はこう言う。評価はさまざまである。

 「天皇の個人性を認めるに至った結果、かかる天皇の一身に対する誹謗、侮蔑などにわたる行為については不敬罪をもって問擬すべき限りでなく、名誉に対する罪条をもってのぞむを相当とする」

 1947年6月28日、控訴審東京高裁は「不敬罪に当たるが日本国憲法の公布にともなう大赦令で免訴」との判断を下す。この判決の評判はすこぶる悪い。最終的に1948年5月26日、最高裁判所で大赦による公訴権の消滅を理由に上告棄却となり、免訴が確定した。これが歴史上最後の不敬罪事件となった。

 松島は、敗戦直後の1945年11月に日本共産党に入党。田中精機に労働組合を結成して委員長に就任する。1950年以降は神奈川県川崎市に居住し、日本共産党の専従として活動。1960年の安保闘争では神奈川県民会議の代表幹事として運動を指導。衆院選、参院選に立候補したが落選。1973年11月、日本共産党中央委員に就任するとともに、神奈川県委員長を兼任。のち日本共産党中央党学校の主事を務めた。2001年8月9日、胃癌で死去している。

 後年、彼は、あのプラカードの文章を書いたことについて、こう語っている。

「号令をかけて国民を戦争に動員し、かつ生命や財産を奪った張本人はヒロヒト、すなわち昭和天皇ですよ。太平洋戦争は裕仁天皇の「宣戦の詔勅」で始まりました。これは厳然たる事実ですよね。そして「終戦の詔勅」で終結しました。裕仁天皇の意思で戦争が始まり、彼の意思で戦争が終わった。
 明治憲法のもとにおける天皇の臣民に対する命令と意思は、形式として「詔書」をもって周知されました。朕の言葉としてね。詔書は天皇の最高意思を示す形式ですよ。「詔書ヒロヒト曰く」はこの形式をもじったものです。あのプラカードは詔書という形式をとってなされる天皇政治をパロディー化したものでした。」

 「臣民=国民は裕仁天皇の“号令”があったからこそ、苦悶・葛藤しながら応召を受け、かつ戦争に命がけで協力したのです。結果は敗戦でした。
 憲法上、天皇の地位・立場がどうのこうのと言う以前に、最低限の問題として、裕仁天皇は日本国民やアジア各国民に対する道義的な責任があるのです。皇室典範などにおいて天皇の退位を定めていない、などと言って逃げてはいけないですね。 ところが広島と長崎に原爆を落とされ、敗戦となり、国民が戦争の惨禍で苦しみ、遅配・欠配で餓死寸前にあるというのに、その天皇がなお尊崇の対象とされていた。」

「天皇政治は「臣民ノ幸福ヲ増進」するどころか、生命財産を奪い、こんどは国民を飢餓に陥れました。プラカードに示される私の思いは、太平洋戦争であれ、現下の飢餓・欠乏であれ、すべての元凶が天皇制にあるのだということを国民に端的に訴えたかったのです。そうした意識が敗戦以来、私の脳裏に沈潜していたものですから、先ほど即興詩のように書いたと言いましたけれども、深く思案・推敲することなく書きなぐるように吐露できたのでしょうね。」

反王権の神を祀る湯島天神の賑わい

(2022年10月27日)
 天気晴朗、風は穏やかな散歩日和である。この時期の散歩では、例年湯島天神に足を運んで菊まつりの準備の様子を眺める。境内には、幾旒もの「関東第一湯島天神大菊花展」の幟。ほう、「関東第一」である。明治神宮より、新宿御苑よりこっちが上だという心意気。天皇家何するものぞ、という天神のプライドであろうか。

 菊まつりは11月1日から。今、菊が運び込まれて、丁寧に飾り付けの作業が進行している。コロナ小康だからであろうか。菊に興味があろうとも思われぬ修学旅行と思しき子どもたちで賑わっている。セーラー服の女子中学生の声が耳にはいる。
 「ねえ、こんなところでの結婚式もいいんじゃない」
 「えー。わたし絶対にイヤだぁ」

 神式結婚式派も拒絶派も、学業成就を祈願し、200円の恋みくじを引いていた。子どもたちの多くは、学業成就・合格祈願グッズを買っている。合格お守りやら、お札やら、絵馬やら、鉛筆やら。大人向きには、合格祈願の祈祷である。祈祷料は5千円・1万円・2万円・3万円・5万円のランクが表示されている。5千円に較べて1万円の祈祷は倍の効果があり、5万円出せば10倍の合格可能性が見込まれるに違いない。会社には10万円の祈祷料も。宗教活動であるような、経済活動であるような、そしてまた悪徳商法でもあるような。

 そのことはともかく、この神社で祀られている「天神」は、王権への反逆神である。菅原道真の怨霊は、その怒りで天皇を殺している。民衆は、天皇を呪い殺した天神を崇拝した。これは、興味深い。

 右大臣菅原道真は藤原時平らの陰謀によって、謀反の疑いありとされてその地位を追われ大宰府へ流される。左遷された道真は、失意と憤怒のうちにこの地で没する。彼の死後、その怨霊が、陰謀の加担者を次々に襲い殺していくが、興味深いのは最高責任者である天皇(醍醐)を免責しないことである。

 道真の死後、疫病がはやり、日照りが続き、醍醐天皇の皇子が相次いで病死し、藤原菅根、藤原時平、右大臣源光など陰謀の首謀者が死ぬが、怨霊の憤りは鎮まらない。ついに、清涼殿への落雷で多くの死傷者を出すという大事件が起こる。国宝・「北野天満宮縁起」にはこう書かれている。

 延長八年六月廿六日に、清涼殿の坤(ひつじさる)のはしらの上に霹靂(落雷)の火事あり。(略)これ則(すなわち)、天満天神の十六万八千眷属(けんぞく)の中、第三使者火雷火気毒王のしわざなり。其の日、毒気はじめて延喜聖主(醍醐天皇)の御身のうちに入り…。

 延長8(930)年6月26日、皇居内の清涼殿に雷が落ちて火事となった。何人かの近習が火焔に取り巻かれ悶えながら息絶えた。これは、道真の怨霊である「天満天神」の多くの手下の一人である「火雷火気毒王」の仕業である。この日、毒王の毒気がはじめて醍醐天皇の体内に入り、… 醍醐天皇はこの毒気がもとで9月29日に亡くなったという。

 道真の祟りを恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行い、993(正暦4)年には贈正一位左大臣、さらには太政大臣を追贈している。

 道真だけではない。讒訴で自死を余儀なくされた早良親王(死後「崇道天皇」を追号)も、自らを「新皇」と称した平将門も、そして配流地讃岐で憤死したとされる崇徳上皇も、怒りのパワー満載の怨霊となった。怨霊の怨みの矛先は、遠慮なく天皇にも向けられたのだ。だからこそ、天皇はこれらの怨霊を手厚く祀らなければならなかった。

 靖国に祀られている護国の神々も、実は怒りに満ちた怨霊なのだ。臣民を戦場に駆りだし、命を投げ出すよう命じておきながら、自らはぬくぬくと生き延びた天皇(裕仁、そして睦仁も)に対する、戦没者の憤りは未来永劫鎮まりようもない。天皇の側としては、怒れる戦没者の魂を神と祀る以外にはないのだ。醍醐天皇の後裔が、道真の怨霊に対する恐怖から、これを神として祀ったように。

安倍国葬が目前、このまま国葬実施強行の意味

(2022年9月21日)
 本日が水曜日。来週火曜日(27日)の安倍国葬まで1週間を切った。この時点で、国葬反対の声はますます高く、国葬中止を求める意見の表明は引きも切らない。

 安倍国葬を支持するのは、アベトモとして甘い汁を吸った連中、岩盤支持層と言われた右翼勢力、統一教会シンパ。これに「自分は国葬賛成というわけではないが、国葬が実施される以上は敢えて反対するのは礼を失する」とのたまう、どこにでもいる「良識派ぶった体制派」。それに加えて、教祖安倍をどこまでも信奉する信者たち。安倍晋三を「日本の宝」と言ってのけた櫻井よしこのごときがその典型。おそらくは、安倍国葬反対の世の動向を、法難と受けとめているのだ。

 自民党の村上誠一郎(元行革相)が、朝日の取材に、「(国葬は)そもそも反対だ。出席したら(国葬実施の)問題点を容認することになるため、辞退する」と明言したという。「安倍氏の業績が国葬に値するか定かではない」「国民の半数以上が反対している以上、国葬を強行したら国民の分断を助長する」「こうしたことを自民党内で言う人がいないこと自体がおかしなこと」とも語っている。その、筋を通す姿勢に感嘆せざるを得ない。

 これに対照的なのが、立憲の野田佳彦。野田は、「私も執行部と考え方は同じ。(政府は)国会を絡めず独善的に決めてしまった。これでいいのかとの気持ちはある」と一応は言うのだ。そのうえで、「元首相が元首相の葬儀に出ないのは、私の人生観からは外れる。花を手向けてお別れする」と出席する意向。

 言ってることがなんだかおかしい。《国葬是か非か》を問題にしているときに、私的な弔意に問題をすり替えているのだ。野田は、増上寺の家族葬には参加しなかったのだろうか。国葬に出席しなければ安倍への追悼ができないとでも考えているのだろうか。個人的に弔問して追悼すればよかろうし、国葬には出席せず国民の一人として献花台に花を手向けるというお別れのしかたもあろう。

 原口一博(立憲・元総務相)が、ツイッターで野田発言を「人生観よりも法と正義が優先する。個人を優先するなど私にはできない」と批判すると、読売が読売らしく、《立民議員、国葬出席の同僚らを相次ぎ非難…》と報じた。自民党幹部の「『弔意を示すな』と強制するのもおかしい」とのコメントを報じている。

 しかし、原口ツィッターは、野田の『弔意を示す自由』をいささかも侵害していない。野田は元首相としての仲間意識を大切に、存分に「私の人生観」のとおり安倍に弔意を示せばよい。ツィッターでも、記者会見でも、雑誌記事でも、駅頭演説でも…。そのことを妨害する者はない。問題は飽くまで、「国葬是か非か」なのである。国葬でなければ弔意を表すことができないはずはない。この論点を誤魔化してはならない。

 最も批判さるべきは、連合会長の芳野友子の国葬出席表明である。この人、記者会見で「苦渋の判断だが出席せざるを得ない」と言ったという。「苦渋の判断」というのは、どう苦汁したのかさっぱり分からない。「出席せざるを得ない」という結論はなおさらである。

 忖度するに、「わたしは、労働者の闘う力など信じちゃいない。労働条件改善は政府に擦り寄ってお願いするしかないんだから、政府から国葬出席を要請されれば、喜んで応じるしかないでしょ」「政府と対決したら、取れるものも取れない。安倍の時代と同様に、上手に付き合うしかないものね」「政府と親密に付き合っていれば、わたしの立場もぬくぬくと安泰でいられるはず」「わたしは、共産党と闘うことを使命としてる。共産党が国葬欠席と言った以上は、私の国葬欠席はあり得ない」「国民は出席と言い、立憲は欠席という。どちらをとっても『苦汁の判断』と言ってみせるしかないでしょ」「中央執行委員会では国葬への批判続出で、『欠席してほしい』と求める声が相次いだのは事実。だけど、出席という結論ありきなんだから、反対意見を押し切ることが『苦汁』だったわけ」

 各地の弁護士会が反対声明を出している。本日は沖縄弁護士会の会長声明が出た。各地の自治体の長の国葬参加の公費支出差し止めを求める住民監査請求も各地でなされている。この勢いは止まらない。

 注目すべきは、地方議会での国葬反対意見書の採択である。本日夕刻の時点で、「毎日新聞の集計では、少なくとも12市町村の議会が国葬中止や撤回を求める意見書や決議を可決している。」「その他、国葬の根拠となる法整備を求める意見書(長野県伊那市議会)や国会での徹底審議や弔意を強要しないことを求める意見書(北海道日高町議会)なども可決されている」という。

 最初の決議は神奈川県葉山町だった。9月6日のこと。意見書は共産党町議が提出。議長を除く13人中、共産、立憲民主、無所属などの計8人が賛成した。意見書では「国葬実施は、安倍元首相の政治的立場を国家として全面的に公認・賛美することになる」「国民に対し、弔意を事実上強制することにつながる」と指摘しているという。

 次いで、8日鳥取県南西部にある日南町議会が、元首相の国葬中止を求める決議案を可決。驚くべきことに全会一致である。以後、9日に小金井市、12日に鎌倉市議会が続いた。さらに、15日高知県大月町議会。ここも、自民・公明を含む議員10名の全会一致。16日には国立市。長野県では本日(21日)までに、大鹿村、南箕輪村、長和町、坂城町、箕輪町の5町村で可決している。

 鎌倉市議会の例を見ると、議長を除く25人の議員のうち、中間派8人が「好意的な退席」となり、共産党、神奈川ネットワーク運動・鎌倉、鎌倉かわせみクラブなど計12人が賛成。反対にまわった公明党、自民党の5人が孤立した。現在の国民意識をよく反映しているのではないか。

 安倍国葬が目前のいま、世論の動向如何にかかわらず、国葬実施に突き進むしかないというのが、政府・与党の態度。これは、政府が国葬撤回の機会を失したと見るべきであろう。国葬の実施は政権に大きな傷を残すだろうからだ。政治状況は、けっして「黄金の3年間」を許さぬものとなる模様である。

嗚呼、英日両国の《臣民根性》

(2022年9月20日)
 奴隷は、いかに苛酷に扱われようとも奴隷主に反抗することは許されない。やむなく、奴隷主への抵抗をあきらめ、むしろ迎合の心性を獲得せざるを得ない。これを《奴隷根性》と呼ぶ。悲しい立場ゆえの、悲しい性である。

 だが、《奴隷根性》は奴隷主への消極的な無抵抗や迎合にとどまらない。奴隷が奴隷主に積極的に服従するようにもなる。奴隷を酷使して作りあげた奴隷主の富や文化を、奴隷が誇りにさえ思うようにもなる。奴隷が、奴隷主を心から尊敬し愛するという倒錯さえ生じる。《奴隷根性》恐るべしである。

 臣民が君主に積極的に服従する精神構造を《臣民根性》と呼ぶ。臣民が、その収奪者であり支配者である君主への忠誠を倫理とし、忠誠を競い合い、誇るのである。《奴隷根性》と同様の倒錯というしかない。君主たる王や皇帝や天皇に支配の実力が備わっていた時代には、《臣民根性》は《奴隷根性》と同義・同種のものであった。これも悲しい性というしかない。

 しかし、君主の統治権が剥奪され、人民が主権者になった今になお、遺物・遺風として存在する《臣民根性》は、嗤うべき対象というしかない。その恥ずべき典型が、英国と日本とにあるようだ。

 いや、《臣民根性》は単に嗤うべき存在にとどまらない。主権者意識と鋭く対立するものとして、対決し克服すべきものと言わねばならない。にもかかわらず、《臣民根性》は意図的に再生産されて、今日なお肥大化しつつある。

 《奴隷根性》と根を同じくする《臣民根性》は、抵抗や自己主張と対極の心根である。権威主義になじむ精神構造であり、不合理な旧秩序を受容し、社会の多数や体制に迎合する心性でもある。《臣民根性》は主権者意識を眠らせ、体制への抵抗の精神とは敵対する。

 だからこそ、《臣民根性》は体制派が歓迎する心情であり、全体主義になじむ心情でもある。忌むべき愛国心の基盤ともなり、国家や権力や政党や資本の支配に従順な御しやすい人物を作る。

 昨日、ロンドンで行われたという英国女王の国葬。《臣民根性》再生産を意図した大規模イベントというほかはない。直前の報道の見出しが、「英女王国葬、各国要人約500人参列へ」「一般弔問は最長24時間待ち」となっていた。この見出しの二文は、まったく別の意味合いをもっている。

 英女王国葬に参列する「各国要人500人」は、《臣民根性》涵養によって受益する支配者の側の階層である。一方、最長24時間も待たされる「一般弔問者」は《臣民根性》を深く植え付けられた憐れむべき被治者なのだ。この一般弔問者が75万人にも及ぶという。日本でも繰り返されたところではあるが、遅れた国の恥ずべき光景というしかない。

 安倍国葬には一顧だにしなかったバイデンやマクロンが、女王の国葬に出かけるのは、それぞれの国の《臣民根性》涵養のために、英女王の国葬参加がはるかに効率的で、支配の秩序の確立に有益との思いゆえである。《臣民根性》恐るべしなのだ。

英国女王の葬儀がホンモノの国葬だって?

(2022年9月14日)
まあ、そう煙たがらずに少し聞け。
人間てものはだな
互いに、助けあい与えあい支えあって生きてもきたが、
また一面、奪い合い争いあって暮らしてもきた。
人の世の歴史には、光もあれば闇もある。

自然に生まれた無数の小さな人間の集団の中で、
強欲で狡猾で力の強いものが集団を支配する構造が生まれ、
その支配者が酋長とも族長とも呼ばれるようになったな。
盗賊のカシラや頭目・親分、あるいはボスとおんなじだ。

酋長・族長などがまた、
互いに闘ったり陥れたりを繰り返し、
一番腕力が強く、一番ずる賢いヤツが、
人の世の深い闇で人を蹴落として生き残った。
そいつら生き残りが、王や、皇帝を名乗るようになった。
なに。王も女王も皇帝も天皇も、
もとはといえば、頭目・親分、あるいは酋長や族長なのさ。
それが、人を殺し、人をだまし、人を陥れて、王になった。

奴らは一人の例外もなく
血塗られたその歴史を偽装した。
王位は、神から授かったとか、
民衆の支持を受けたとか、慈悲深かったとか、
神話を作って嘘八百をならべたな。

暴力で脅して民衆を支配するだけでなく、
宗教やら、神話やら、文学やら芸術やら、
ありとあらゆる支配の方法が動員された。
支配の道具としての法まで持ち出されたな。
さらには、道徳や倫理までが拵え上げられた。
服従こそが立派なことだと民衆に教え込んだわけだ。

だから、王座の骨格は、剣と血でできている。
それを、戦利品で飾りたてた王宮の中に据え、
人目を惹こうと奇抜な衣装をまとった王や女王が座る。
冠を戴き、ジャラジャラとアクセサリーを引きずり、
音楽でカムフラージュして
民衆に見映えを整えたものが王位だの皇位だのという代物。

だから、王も女王もテンノーも
野蛮な昔の残り滓。
遅れた国の残り滓。

バカバカしくも、
「安倍国葬はニセモノだが、
さすがにイギリスの女王の葬儀は、
これこそホンモノの国葬だ」
なんて持ち上げる論調が
メディアのなかに明らかに生まれつつある。
チャンチャラおかしくはあるのだけれど、
王政が拵え上げた「王政を支える文化」が、
こうも民衆を捉えてしまったのかという
不気味な話でもある。

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