36年ぶりに行われた北朝鮮の朝鮮労働党第7回党大会。
5月6日から始まって、最終日の9日に「決定書」が採択され、10日が祝賀行事であったとのこと。金正恩の事業総括報告に対して支持賛同が表明され、これが「偉大な綱領」とされた模様。そして、金正恩が最高位と位置付けられたという。
最高位とは、新設の「党委員長」ポストだとのこと。祖父、故金日成がかつて使っていた「党中央委員長」とは異なるとの説明だが、部外者には何のことだか分からない。どうでもよいことでもある。
韓国統一省関係者の「今回の党大会で最も重要なのが金正恩の偶像化」というコメントがメディアを賑わせた。権力者の偶像化? 個人崇拝? 今の時代に想像を絶する。反知性で知られる安倍晋三も考え及ぶまい。愚かな企てと笑って済まされることではない。他国とはいえ、無視しえない隣国でのこと。暗澹たる思い。
偶像となる権力者は、権力者を偶像として崇拝する衆愚の存在と一対をなす。領袖の演説に長い長い拍手を送るあの衆愚。喜々としてマスゲームのコマとなって、個性を埋没させるあの衆愚の姿だ。
日本における衆愚は、かつて臣民と呼ばれていた。明治政府は、「天子様」を偶像として臣民を教化し、『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』と憲法にまで書き込んだ。天皇こそが「最高位」であり、紛れもない偶像であった。実物とは似ても似つかぬ風貌の肖像画を描かせてこれを写真に撮って、ご真影なる偶像を作り上げ全国の学校に配布した。これに最敬礼する衆愚たる臣民たちがあればこその演出。
偶像と衆愚の一対は、理性を剥ぎ取られた衆愚を意のままに操る装置であり構造である。その完成形において、為政者は衆愚に対して、「天皇のために死ぬことこそが臣民の道徳」、「偶像のために死ね」とまで刷り込んだ。
為政者にとって、権力者の個人崇拝・偶像化はこの上ない調法な道具立てである。民衆の意思にしたがって権力が動こうというのではなく、権力の意向に従って民衆を動かそうとする場合の調法である。
日本における天皇の偶像化は19世紀の後半からおよそ100年続いた。世界の趨勢によほど遅れた事態と言わねばならない。21世紀の北朝鮮における金正恩の偶像化は、もはや世界の常識に反する愚挙である。民衆に対する徹底した服従と忠誠を求めることの愚挙というほかはない。
日本国憲法下では、このような愚挙は許されない。「民主主義」に反するからといってよいのだろうが、実は憲法には「民主主義」という用語が出てこない。
ポツダム宣言には、「民主主義」という言葉がある。
第10項の第2文「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。」という用法。この「民主主義的傾向」の含意はよく分かる。
これに比べて、日本国憲法には、国民主権はあっても「民主主義」はない。前文の第1文には、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」という。この「人類普遍の原理」が民主主義であろう。
民主主義とは、集団の意思決定過程において、成員の意思を最大限尊重する手続的原則と言ってよいと思う。まず、衆愚ではない自己を確立した個人の存在が出発点にある。個人が先にあって、集団を形づくる。家族や小集団から、大規模集団、地域社会、国政に至るまであらゆる集団や組織に、民主主義が要求される。あらゆる集団に、衆愚も偶像も不要ということなのだ。
民主主義が浸透している社会では、自立した理性ある個人間の討議によって、集団の意思形成がはかられる。そのとき、個人は平等の発言権をもつことになる。すべての個人に、情報に接する自由と、表現の自由とが保障されなければならない。
偶像も衆愚も、民主主義の反対概念である。偶像化された個人は唾棄すべき存在である。崇拝される個人を、意識的に軽蔑しよう。そして、けっして衆愚にはならないと心しよう。
(2016年5月15日)
4月29日である。かつて、天皇が現人神であった時代には「天長節」と呼ばれ、現人神が人間宣言(!)をしたあとは「天皇誕生日」となり、その死亡の後に「みどりの日」となって、今は「昭和の日」である。
この呼称の変更は、昭和期以後の歴史をよく映したものとなっている。今日こそは、昭和という戦争の時代と天皇制を考えるべき日。端的に言えば、天皇の戦争責任を確認するとともに、その責任追求を曖昧にしてきた国民の責任をも考えるべき日である。
本日の東京新聞が、1面トップに「いま読む日本国憲法」のシリーズ第1回を掲載した。その意気や大いに良しである。モスグリーンの紙面の地に憲法前文を教科書体で全文掲載し、「はじめに非戦誓う」と大見出しをつけている。その解説記事の冒頭が、「戦争は国家権力が引き起こすもの。国民が主権を持って国家権力の暴走を抑えることで、戦争を二度と起こさせないー。日本国憲法全体を貫くこの思想を最初にはっきりと宣言したのが前文です」とある。
国民に多大な惨禍をもたらした侵略戦争と植民地支配は、決して国民の意思によるものではなく、天皇制権力がしでかしたもの。国民は天皇制政府の恐るべき暴走を抑えることができなかった。だから、戦後の平和思想の出発点は、天皇主権を否定して国民主権を確立するところにある、という文脈での解説。昭和の日の一面トップにふさわしい解説ではないか。
国民の加害責任や天皇の戦争責任に触れていないではないかという批判はあるにせよ、「安倍晋三首相らは改憲を訴えるが、憲法は本当に変える必要があるのか。守らなければならないものではないのか。」と旗幟を鮮明にした立派な紙面だと思う。
ところが、である。左肩に恒例の「平和の俳句」欄。いつもは感心しきりなのだが、今日は感心しない。「老陛下平和を願い幾旅路」というのだ。ほかならぬ今日を意識してのこの選句はいただけない。選者のコメントが、さらにいけない。
<金子兜太>天皇ご夫妻には頭が下がる。戦争責任を御身をもって償おうとして、南方の激戦地への訪問を繰り返しておられる。好戦派、恥を知れ。
兵としての過酷な戦争体験から戦争をこの上なく憎むこの人は、その戦争を主導した天皇の責任を本心どう考えているのだろう。天皇個人の責任と、天皇制という制度についても。そして、戦後長らえて退位すらしなかった昭和天皇の姿勢をどう評価しているのだろう。
コメントの文脈からは、「昭和天皇の戦争責任には重いものがあるが、その子による親の贖罪には頭が下がる」ということのようだが、天皇制に対する批判はないのか。「好戦派、恥を知れ。」とは、安倍晋三に向けられた言葉だろうが、夥しい戦争犠牲者を思い起こせば、天皇一族に対しても、「恥を知れ。」と言わずに済まされるのだろうか。
選者は、さすがに「両陛下」などの敬称は使わない。「激戦地への訪問」と、天皇への最大限敬語は避けている。しかし、「天皇ご夫妻には頭が下がる」とは、「アベ政治を許さない」と揮毫したこの人の言とは思えない。
昨日(4月28日)の同欄掲載句が「もう二度と昔の日本にはならないで」というものだった。16歳の女子高校生の作。「昔の日本」とは、何よりも天皇が支配した日本である。国民に主権がなかったというだけでなく、天皇の御稜威のために臣民の犠牲が強いられた軍国日本ではないか。その天皇の時代に戻ってはならないとする句の翌日に、「天皇ご夫妻には頭が下がる」である。大きな違和感を禁じ得ない。
あらためて、東京新聞紙上で憲法前文に目を通してみる。すがすがしい気分。これが私たちの国の政治的な合意点であり、出発点であり、公理である。この前文4段のどこにも天皇は出てこない。出る幕はないというべきだろう。天皇に関わる用語は「詔勅」の一語のみ。「われら(国民)は、これ(民主主義)に反する一切の‥詔勅を排除する」という文脈でのこと。各段の冒頭の言葉は「国民」、国民が主語となる文章が連なっている。要するに、主権者国民が作った憲法の核心部分では天皇も天皇制も、出番はないのだ。
憲法は、戦争の原因を天皇制にあるとして、非戦の決意と一体のものとして国民主権原理を宣言した。歴史を学んで過ちを繰り返さないためには、天皇の責任を曖昧にしてはならない。にもかかわらず、戦後社会は天皇の責任追及を不徹底としたばかりか、天皇の責任を論ずることをタブーとさえしてきた。本日の東京新聞一面はそのことを象徴する紙面構成となっている。
国民主権原理に基づく日本国憲法をもつ我が国で、大新聞がわざわざ天皇の存在感を際立たせたり、持ち上げたりすべきではない。昭和の日、戦争の歴史を思い起こすべき日であればなおさらである。
(2016年4月29日)
近々ロゴスから、ブックレット「壊憲か、活憲か」を出す予定で、原稿を書いている。
予定では、下記執筆者4人の共著。私一人が脱稿していない。
「〈友愛〉を基軸に活憲を」 村岡到
「憲法を活かす裁判闘争」 澤藤統一郎
「自民党改憲案への批判」 西川伸一
「五日市憲法草案は現憲法の源流」 鈴木富雄
128頁で1100円が予価。
私の、「憲法を活かす裁判闘争」は、岩手靖国違憲訴訟の経験を素材に今の時点で、憲法を活かす裁判運動の経験をまとめてみようというもの。できあがったら、お読みいただくようお願いしたい。
当時の資料に目を通していたら、靖国訴訟の原告のお一人、菊池久三先生(1916-1995. 北上市)が亡くなられたときの追悼文が出てきた。
「どんぐりころころ」という菊池久三先生の遺稿集の片隅に掲載していただいたもの。尊敬する先輩の生き方を書きとめておきたい。
筋を貫く生き方ー菊池久三先生の印象
手許のずいぶんと古ぼけた手帳を繰ってみると、久三先生との初めての出会いは一九八〇年一二月六日である。古い手帳から往事の懐かしい記憶がよみがえる。
その数日前、 懇意の柏朔司さんから紹介の電話をいただいていた。北上に政教分離の運動を進めているグループがあって、君の事務所を訪ねて行くから法律的な相談に乗ってやっていただきたい、という。その中心人物として「菊池久三」という名を初めて知った。岩手靖國違憲訴訟のプロローグである。
初対面の先生は、紛れもない「教師」だった。それも、「教え子を再び戦場にやってはならない」との思いを熱く語り続ける生粋の「教師」だった。この、出会いの日の印象は最後まで変わることはなかった。
法廷における久三先生の思い出の最たるものは、控訴審での本人としての証言だった。尋問は仙台の手島弁護士が主担当、私がサブだった。延べ一〇時間を越えた尋問準備の打ち合わせは、菊池先生には相当の負担であったと思う。
満席の法廷傍聴者は、政教分離運動の支援者が半分、公式参拝推進派の遺族会動員が半分。そのなかでの久三先生の証言は法廷を圧した。青年学校の熱意あふれる教師として子供たちに忠君愛国の教えを説いたこと、教え子の出征に際して「生きて還ると思うなよ、靖國神社で会おう」と送り出したこと、そして、その教え子たちの真新しいいくつもの墓標を見つけたときの悔恨。戦後は、再び教壇に立つ資格はないと思った自分が、「平和教育・民主主義教育を進めることで、贖罪したい」と思い返し決意したその経緯……。
その決意を一筋に貫いた人であればこその迫力に満ちた証言だった。堂々たる証言は、久三先生の堂々たる人生の発露であった。
訴訟が終わって、お目にかかるたびに私の子供のことを話題にされた。この点も教師なのだな、と印象を深くした。平和教育・民主教育を生涯の仕事とされた久三先生にとって、私は戦後初期の教え子の世代、私の子供は先生の最後の教え子よりやや若い世代。悲惨な戦争体験や戦前の不合理な社会の苦い体験が世代から世代にどう承継されているのか。平和や民主主義擁護の熱い思いがそれぞれの世代でどう育まれているか。気になってならなかったのだと思う。若い世代への期待もひとしおだったのだろう。
久三先生にとって、岩手靖國訴訟の提起は自分の生き方の貫徹の結果として、ごく自然なことだった。久三先生は、この訴訟に関わった私たちに、みごとな筋の通った生き方の手本を見せてくれた。やっぱりどこまでも、久三先生は人の師であった。
戦後の民主教育を支えた師を記憶に留めておきたい。
(2016年4月17日)
米軍による目取真俊の「身柄拘束」と引き続く海保による逮捕。辺野古基地建設反対運動への弾圧として憤っていたが、比較的早期の釈放となったことにまずは胸をなで下ろしている。
海保は、逮捕後すみやかに送検したようだ。送検を受けた検察の持ち時間は24時間。この間に、裁判所に勾留を請求するか釈放しなければならない。結局検察官の判断によって、勾留請求なく身柄の釈放に至った。
もっとも、不起訴処分となったわけではない。刑特法2条を被疑罪名とする嫌疑については処分保留のままで、法的には捜査が継続することになる。早期不起訴を求める世論形成が必要な事態なのだ。
4月2日の東京新聞が、一面と社会面に取り上げ、「芥川賞作家を海保逮捕」「米軍拘束」「辺野古制限区域 海上抗議で初」「『刑事事件化は異常』」という見出しで記事を掲載した。目取真の写真だけでなく、「仲間を返せ、と抗議の声を上げる」現場の写真も付けてのことである。この扱いが事件の大きさを正当に反映したものだろう。毎日も、社会面で記事にし、浅田次郎と又吉栄喜の目取真に寄り添ったコメントを掲載した。
ところが、朝日の扱いがあまりに小さいことに驚き、赤旗には掲載がなかったことに焦慮を憶えた。その上で、ネットで検索した限りで不当逮捕への抗議行動の規模が予想ほどのものでなかったのかと早とちりをしてしまった。今日(4月3日)の赤旗で、共産党の赤嶺政賢も抗議行動に駆けつけたことを知った。社民党の照屋寛徳も、そして沖縄平和運動センターの大城悟事務局長も海保(11管)現場での抗議行動に参加して、「オール沖縄、オール日本の取り組みで基地建設を止めていこう」と訴えていたことを確認して安心した。
私の早とちりは、目取真が「危険な匂い」のする作家であることからきている。もしかしたら、オール沖縄の運動体の一部に、この危険な匂いを敬遠する思いがありはしないかという危惧があった。
けっして熟した表現ではないが、「不敬文学」というジャンルの提唱がある。不敬とは、かつて日本の刑法に存在していた「不敬罪」の、あの不敬である。大日本帝国は支配階級の調法な統治のツールとして天皇制を拵え上げた。人民支配の道具としての天皇制は、一面精神的な支配として「一億の汝臣民」をマインドコントロールするものであったが、これにとどまらない。マインドコントロールの利かない者を暴力で押さえ込んだ。その野蛮な暴力の法的根拠の最たるものが不敬罪である。
敗戦後制度としての不敬罪はなくなった。しかし、「不敬」は死語になることなく、いまだに隠微に生き続けている。天皇や皇族への批判の言論は不敬としてタブーとなっているのだ。世渡り上手はタブーと上手に付き合うことになる。売れっ子作家がタブーに触れることはない。天皇や皇族を語るときには、世の良識にしたがって、当たり障りのないことを述べて済ますのだ。そのことがタブーを再生産することになる。
しかし、作家とは本来危険な存在である。必要あれば、タブーに切り込むことを敢えて厭わない非妥協性をもたねばホンモノではない。「不敬文学」とはそのようなホンモノに対する敬意を込めた造語にほかならない。
沖縄の歴史を紐解くときに、天皇や天皇制との対峙なくして語ることはできない。もちろん日本全国においても同様というべきではあるが、沖縄は間違いなく格別である。沖縄の民衆の意識の深層を掘り起こすときには、天皇タブーに触れることが避けられない。このとき、タブーを意識して心ならずも妥協するか、敢然とタブーに切り込むか、表現者としてのホンモノ度が問われる。
目取真は間違いなく、非妥協派の一人である。昨日(4月2日)の毎日が解説記事の中で代表作の一つとして挙げた「平和通りと名付けられた街を歩いて」がその典型とされている。皇太子(現天皇)夫妻の2度目の沖縄訪問を舞台として、この二人に沖縄戦の記憶を深層に宿している沖縄の民衆を対峙させ、皇室の聖性や虚飾を剥ぎ取ろうとするタブーへの挑戦は、目取真の真骨頂と言えよう。
もちろん、ブログを見れば分かるとおり、目取真の運動に関する発信は極めて真っ当であって物議を醸す要素はまったくない。しかし、「オール沖縄」とは当然に保守層をも含んでいる。革新層にも、統一のために保守層への配慮を過度に重視する傾向もあるのではないか。目取真の位置を私ははかりかねていた。もしかしたら、いざという局面では、「オール沖縄」の目取真に対する視線は冷たくなるのではないか。
私の危惧は杞憂に過ぎなかった。「オール沖縄」は目取真の強靱な精神をしっかりと抱え、支えている。この広さと深さこそが、強さの根源であろう。あらためてオール沖縄の団結のあり方に敬意を表したい。
(2016年4月3日)
私は、天皇制不要論者である。憲法から、第一章「天皇」を削除すべきだと思ってはいる。しかし、いま天皇制打倒が喫緊の課題とは思わない。むしろ、天皇制については、現行憲法の基本的な理念である国民主権や平和主義の実現に障害とならぬよう運用し、国民の総意によって廃止に至ることが望ましいと思う。
そのような、「できるだけ現行憲法の理念実現に支障のない天皇制のあり方」として、性差別のない皇位継承があってもよいのではないだろうか。
憲法に天皇は男性に限ると書いてあるわけではない。皇位継承のルールは、「国会の議決した皇室典範」が定めることになっている。皇室典範はそのネーミングに「法」の文字がないが、単なる法律のひとつである。国会の過半数の賛成で皇位承継のルール変更は可能なのだ。不磨の大典などではないのだ。国会で、皇位継承についての男女平等を決めれば、女性天皇が誕生することになる。
この提案は、天皇制の廃棄につながる積極的意義があるわけではない。その意味では、枝葉の些事なのかも知れない。が、女性天皇が就任すれば、性差に関する国民意識を大きく変えることになるのではないか。こんなことを考えたのは、女性差別撤廃委員会(CEDAW)の日本への勧告ドラフトが皇位承継の女性差別を問題にしていたからだ。
3月7日、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、日本政府に対する女性差別是正の勧告を含む「最終見解」を公表した。この報告書ドラフトの最終段階まで、「皇位を男系男子に限っているのは女性差別に当たるのだから、皇室典範を改正して差別をなくするよう求める」勧告が盛り込まれていたという。最終見解に盛り込まれていれば、世界の良識が天皇制をどう見ているのかを、日本の国民が知ることになったろう。所与のものでしかなかった天皇制のあり方が、実は国会の議論を通じて国民自身の意思で変更できるのだという、当たり前のことに気が付くきっかけになったのではないだろうか。
いったい、どうして最終段階ではこのドラフトが撤回されたのだろうか。いつか内情を知りたい。そして、今回は見送られたが、いずれしっかりした「勧告」がなされることを期待したい。
政府や自民党、右翼筋は、まったく逆なことを考えているようだ。3月14日の参院予算委員会で、この点に関わる若干の質疑があった。質問者は、右翼筋との関係深い山谷えり子である。
○山谷えり子 自由民主党、山谷えり子でございます。
国連女子差別撤廃委員会で、先頃、日本に対する最終報告案の中に、皇室典範改正を求める勧告が盛り込まれようとしておりました。皇位継承権が男系男子の皇族にしかないという、女性差別ではないかという勧告が盛り込まれようとしたんですけれども、皇室典範改正まで言及するというのは内政干渉でもありますし、また日本の国柄、伝統に対する無理解というのもあろうかと思います。外務省は、しっかりと抗議をして、説明をして、最終的な文章からはそれが削除をされましたけれども、日本の正しい姿を更に戦略的に対外発信していくということが大切ではないかと思います。
安倍内閣になりましてからは、昨年度、国際的な広報予算五百億円上積みをいたしまして、来年度の予算も七百三十億円取っております。この国際広報体制の在り方について、総理はどのようにお考えでございましょうか。
○安倍晋三 国際広報体制についての御下問でございますが、言わば日本の真の姿をしっかりと諸外国に理解をしていく上において、また日本の伝統文化、また日本が進めようとしている政策について正しい理解を得るために広報活動を展開をしていく必要があると、このように考えております。
我が国の皇室制度も諸外国の王室制度も、それぞれの国の歴史や伝統があり、そうしたものを背景に国民の支持を得て今日に至っているものであり、そもそも我が国の皇位継承の在り方は、条約の言う女子に対する差別を目的とするものではないことは明らかであります。委員会が我が国の皇室典範について取り上げることは、全く適当ではありません。また、皇室典範が、今回の審査プロセスにおいて一切取り上げられなかったにもかかわらず、最終見解において取り上げることは手続上も問題があると、こう考えております。
こうした考え方について、我が方ジュネーブ代表部から女子差別撤廃委員会側に対し、説明し、皇室典範に関する記述を削除するよう強く申し入れた結果、最終見解から皇室典範への言及が削除されました。
我が国としては、今回のような事案が二度と発生しないよう、また我が国の歴史や文化について正しい認識を持つよう、女子差別撤廃委員会を始めとする国連及び各種委員会に対し、あらゆる機会を捉えて働きかけをしていきたいと考えております。
典型的な狎れ合い質疑であって緊張感を欠くこと甚だしい。緊張感を欠く中での問題質問であり問題答弁である。首相と与党議員が、こんなレベルでしか「女性差別撤廃条約」の理解をしていないということが大きな問題なのだ。
山谷は、「皇室典範改正を求める勧告は内政干渉だ」という。「日本の国柄、伝統に対する無理解」という言い回しで、国連の勧告を拒否する姿勢を露わにしている。人権の普遍性を認めないいくつかの後進国とまったく同じ姿勢で、滑稽の極みというほかはない。
安倍も呼吸を合わせて、いかにも安倍らしく「日本の伝統文化」については、国連にはものを言わせないという姿勢。
しかし、日本が締結し批准もした「女性差別撤廃条約」は、すべての締約国のあらゆる部門において、男女差別を容認している「傳統・文化」を是正しようとしているのだ。「我が国の傳統・文化に対する無理解」ということ自体が筋違いも甚だしい。
したがって、「伝統に基づく文化としての女性差別が国民の支持を得ている」ことも、国連の勧告を拒否する理由にはなりえない。多くの場合、女性差別は伝統や文化として定着し、国民多数派の支持を得ているからこそ頑迷固陋でやっかいなのだ。それなればこそ、国連や国際社会が是正に乗り出す意味があるのだ。
「そもそも我が国の皇位継承の在り方は、条約の言う女子に対する差別を目的とするものではない」というのもまったくおかしい。安倍は、条約は「女子に対する差別を目的する」制度や傳統・文化だけを問題にしている、と理解しているのではないか。明らかに間違いである。
究極の問題点は、「我が国の歴史や文化について正しい認識を持つよう国連」に働きかけるという点である。国連や国際社会の見解に耳を傾けようというのではなく、「我が国の歴史や文化」を正しく認識せよ、とは独善性の極み、思い上がりも甚だしい。
女性差別撤廃条約(正式名称は、「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」)の関連個所を抜粋しておこう。
「この条約の締約国は、国際連合憲章が基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の権利の平等に関する信念を改めて確認していることに留意し、
世界人権宣言が、差別は容認することができないものであるとの原則を確認していること、並びにすべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳及び権利について平等であること並びにすべての人は性による差別その他のいかなる差別もなしに同宣言に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明していることに留意し、
人権に関する国際規約の締約国がすべての経済的、社会的、文化的、市民的及び政治的権利の享有について男女に平等の権利を確保する義務を負つていることに留意し、
しかしながら、これらの種々の文書にもかかわらず女子に対する差別が依然として広範に存在していることを憂慮し、
女子に対する差別は、権利の平等の原則及び人間の尊厳の尊重の原則に反するものであり、女子が男子と平等の条件で自国の政治的、社会的、経済的及び文化的活動に参加する上で障害となるものであり、社会及び家族の繁栄の増進を阻害するものであり、また、女子の潜在能力を自国及び人類に役立てるために完全に開発することを一層困難にするものであることを想起し、
衡平及び正義に基づく新たな国際経済秩序の確立が男女の平等の促進に大きく貢献することを確信し、
国の完全な発展、世界の福祉及び理想とする平和は、あらゆる分野において女子が男子と平等の条件で最大限に参加することを必要としていることを確信し、
社会及び家庭における男子の伝統的役割を女子の役割とともに変更することが男女の完全な平等の達成に必要であることを認識し、
女子に対する差別の撤廃に関する宣言に掲げられている諸原則を実施すること及びこのために女子に対するあらゆる形態の差別を撤廃するための必要な措置をとることを決意して、
次のとおり協定した。
第一条 この条約の適用上、「女子に対する差別」とは、性に基づく区別、排除又は制限であつて、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう。
第二条 締約国は、女子に対するあらゆる形態の差別を非難し、女子に対する差別を撤廃する政策をすべての適当な手段により、かつ、遅滞なく追求することに合意し、及びこのため次のことを約束する。
(a)男女の平等の原則が自国の憲法その他の適当な法令に組み入れられていない場合にはこれを定め、かつ、男女の平等の原則の実際的な実現を法律その他の適当な手段により確保すること。
(b)女子に対するすべての差別を禁止する適当な立法その他の措置(適当な場合には制裁を含む。)をとること。
(c)女子の権利の法的な保護を男子との平等を基礎として確立し、かつ、権限のある自国の裁判所その他の公の機関を通じて差別となるいかなる行為からも女子を効果的に保護することを確保すること。
(d)女子に対する差別となるいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの義務に従つて行動することを確保すること。
(e)個人、団体又は企業による女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとること。
(f)女子に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。
第三条 締約国は、あらゆる分野、特に、政治的、社会的、経済的及び文化的分野において、女子に対して男子との平等を基礎として人権及び基本的自由を行使し及び享有することを保障することを目的として、女子の完全な能力開発及び向上を確保するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとる。
以上のとおり、この条約は、あらゆる場面での女性差別撤廃という観点から、各締約国の、憲法にも法律にも切り込むことを任務としている。そのことを承知で、日本も締結しているのだ。内政干渉という非難は筋違いである。
また、第1条に「女子に対する差別」の定義がある。
皇位の承継が男系男子に限られ、女子が皇位を継承できないのは、「社会的、文化的分野」における、「性に基づく区別、排除又は制限」であることは自明である。しかも、象徴とされた天皇が男性に限られ、天皇の子として生まれても、女性は皇位の承継から排除されている現状は、国民意識に男尊女卑の遺風を残存させることに影響は大きい。
仮に、皇室典範の立法者である国会に、典範作成の目的が女性差別にはないとしても、国民意識に男尊女卑の遺風を刷り込む、その効果さえあれば、「是正されるべき女性差別」なのである。
「女性は天皇になれない、これは女性差別だ」。女性差別撤廃委員会(CEDAW)はそう考えて、差別を是正するよう勧告案を起草したのだ。今回は手続的な不備があったのかも知れない。今回は撤回となったが、次の機会にはこの勧告が現実のものとなり、さらには国会の審議で皇室典範の改正が実現することを望む。
重ねて言うが、私は、天皇制不要論者である。だが、現行憲法に天皇の存在が明記されている以上は、天皇制廃棄は将来の課題でしかない。そのような時代に、女性天皇はあってもよいではないか。女性天皇が就任すれば、性差に関する国民意識を大きく変えることになるだろう。
敢えて言えば、男系男子皇位承継主義は男尊女卑意識の象徴である。ここに切り込んだ女性差別撤廃委員会(CEDAW)の慧眼に敬意を表したい。
(2016年3月23日)
女性差別撤廃条約(外務省の訳では「女子差別撤廃条約」)の正式名称は、「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」という。
この条約は、「男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念としています。具体的には、『女子に対する差別』を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別の撤廃のために適当な措置をとることを求めています。」(外務省)
条約は1979年の第34回国連総会において採択され、1981年に発効、日本は1985年に締結している。
各国の女性差別撤廃条約の実施状況を審査するのが、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)。その定員は23名。条約締約国から選出され、個人の資格で職務を遂行する。委員の構成は、弁護士や学者、外交官・国会議員・NGO代表などからなる。この委員会意見が、グローバルスタンダードだと言わざるを得ない。
一昨日(3月7日)、その委員会が日本政府に対する勧告を含む「最終見解」を公表して話題となった。勧告は14ページ、57項目にわたるものだという。まさしく、「あらゆる形態の差別」に言及されている。
日本政府の女性差別撤廃へ向けた努力への評価もなされている。しかし、全体としては「過去の勧告が十分に実行されていない」と厳しい指摘となっている、という。
たとえば、夫婦同姓の強制制度。最高裁の「合憲」判決にかかわらず、「実際には女性に夫の姓を強制している」と指摘し、改正を求めている。
女性についての6カ月の「再婚禁止期間」について、最高裁は「100日を超える部分」を違憲としたが、「女性に対してだけ、特定の期間の再婚を禁じている」として、撤廃を求める内容となっている。
マタハラ、セクハラを禁じ、国会議員や企業の管理職など、指導的な地位を占める女性を20年までに30%以上にすることなども求めた。
そして、慰安婦問題には約1ページが割かれ、前回の勧告より詳細な記述になったという。日本政府が「被害者の権利を認識し、完全で効果的な癒やしと償いを適切な形で提供する」ことなどを求めている。この問題では、「被害者中心のアプローチが十分にとられていない」として、日韓両政府が批判されている。
注目すべきは、日本政府が、「慰安婦問題は女性差別撤廃条約を締結した以前に起きたために委員会が取り上げるべきではない」と主張していることについても、取り上げられ「遺憾に思う」とされている。
女性差別撤廃委員会が扱ったテーマは、差別に関する法整備から女性への各種暴力、雇用、人身売買、売春、ゲーム・アニメも含むポルノ規制、アイヌや在日コリアンなどマイノリティーの問題など広範囲に及んでいる。心して耳を傾けるべきだろう。
さて、以上が7日の「最終意見書」に盛り込まれて話題になったこと。今日(3月9日)になって、盛り込まれなかったことが話題になった。皇位継承に関する女性差別である。
女性差別撤廃委員会が日本政府に対してまとめた最終見解の案に、皇位を男系男子に限っているのは女性差別に当たるとして、皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれていたという。
これは、菅官房長官が9日の記者会見で明らかにしたこと。日本側が強く抗議し、7日に公表された最終見解からは記述が削除されたのだという。グローバルスタンダードがローカルルールに譲歩した図ではないか。
具体的には、「皇室典範は男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有しているが、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告していたのだという。なるほど、「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃」は、そこまで及ぶのだ。皇位は紛れもなく国家機関である。皇室典範は国会で改廃が可能である。グローバルスタンダードからは、是正勧告の対象と映るのだ。
皇位が世襲であることは身分的差別として不合理は明らかだが女性差別ではなく、女性差別撤廃委員会の容喙するところではない。しかし、皇位が男系男子に限られているとすれば、国家機関受任における明らかな女性差別があることになる。
官房長官は、記者会見で「わが国の皇位継承の在り方は、女子に対する差別を目的にしていないことは明らかだ」と述べたという。不快感だけは理解できるが、論理的には意味不明。反論になっていない。
夫婦同姓も、再婚禁止期間の設定も、慰安婦問題の解決遅延も、「女子に対する差別を目的にしていない」とは言えるのだ。ローカルルールでは、「女子に対する差別を目的にしていない」として問題にならないことが、グローバルスタンダードでは、「目的」を捨象した「客観的な差別の有無」が問題とされるのだ。
官房長官は、おそらく本当に言いたいことはこんなところだろう。
「我が国は、有史以来天皇という神的な権威を中心に国家を形成し国民を統合してきました。天皇は神聖にして侵すベからざるものなのです。皇位の継承は言わば神の意思によって定められたもので、畏れおおくも臣下の我等が口をはさむことなどできることではありません」
しかし、これこそローカルルールとして日本の一部にだけ通じる話。グローバルスタンダードを論じる場では、通じることではない。
産経が、予想された通りの反応をしている。
「国連女子差別撤廃委員会が、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだとの勧告をしようとしていたことは、同委がいかに対象国の国柄や歴史・伝統に無理解な存在であるかを改めて示したものだ。勧告の理由は、女性だから皇位継承権を与えられないのは差別であるという単純かつ皮相的なもので、125代の現天皇陛下まで一度の例外もなく男系継承が続いてきた事実、日本国の根幹をなす皇室制度への尊重はみられない。」
閉鎖的環境から国際社会への直情的な反発というしかない。自分たちが「国柄や歴史・伝統」と後生大事にしていたものが、実は偏狭な陋習でしかないことを知るべきなのだ。
北朝鮮や戦前の日本が好例である。拳を振り上げて、神聖なものを守ろうという姿勢が、グローバルスタンダードからは滑稽に映らざるを得ない。まずは、国連の委員会の言に耳を傾けよう。同姓の強制も、再婚禁止期間も、従軍慰安婦問題解決も。そして、皇位承継の女性差別についてもだ。
(2016年3月9日)
畏くも、第16代の天皇となられたオホサザキノミコトに「仁徳」の諡が献じられています。「仁」とは為政者としての最高の徳目ですから、この天皇こそが古代日本の帝王の理想像なのであります。
その仁政を象徴するものが、「民の竈は賑わいにけり」という、あのありがたくもかたじけない逸話でございます。あらためて申しあげるまでもないのですが、あらまし次のような次第でございます。
ある日、ミカドは難波高津宮の高殿から、下々の家々をご覧になられたのです。賢明なミカドは、ハタと気が付きました。ちょうど夕餉間近の頃合いだというのに、家々からは少しも煙が上がっていないのです。慈悲に厚いミカドは、こう仰せられました。
「下々のかまどより煙がたちのぼらないのは貧しさゆえであろう。とても税を取るなどできることではない」
こうして3年もの長きの間、税の免除が続きました。そのため、宮殿は荒れはてて屋根が破れ雨漏りがするようなことにもなりました。それでもミカドはじっと我慢をなさいました。
そして、時を経てミカドが再び高殿から下々の家々をご覧あそばすと、今度は家々の竈から、盛んに煙の立ちのぼるのが見えたのでございます。
ミカドは喜んで、こう詠われました。
高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈はにぎはひにけり
こののちようやく、ミカドは民草が税を納めることをお許しになり、宮殿の造営なども行われるようになったのです。なんと下々にありがたい思し召しをされる慈悲深いミカドでいらっしゃることでしょう。
これが、天皇親政の理想の姿なのでございます。何よりも下々を思いやり、下々の身になって、その暮らしが成り立つことを第一にお考えになる、これが我が国の伝統である天皇の御代の本来の姿なのでございます。消費増税によって、民の竈を冷え込ませようというアベ政権には、仁徳天皇の爪の垢でも呑ませてあげようではありませんか。
でも、この話には、いろいろとウラがございます。仁徳ことオホサザキノミコトご自身が、のちに次のような回想をしていらっしゃいます。ここだけの話しとして、お聞きください。
ボクって、天皇職に就職して以来、下々の生活なんかにゼーンゼン関心なかったの。何に関心あったかって。不倫。一にも二にも不倫。二股、三股。もっともっと。ボクって美女に目がないの。古事記にも恐妻の目を逃れての好色ぶりが描かれているけれど、まあ、あれは遠慮して書いてあの程度のこと。ホントはもっと凄かった。で、不倫って結構金がかかるんだ。それでもって、使い込んで…。結局民の竈の煙が立たなくなっちゃったんだ。
ある日、ハタと気が付いたのは、竈からの煙がなくなったってことじゃないの。毎日、上から目線で見慣れた景色だから、竈の煙が薄くなり消えそうになっているのは、前から分かってた。
でも、ある日気が付いたんだ。このままだと、下々から税を取ろうにもとれなくなるんじゃないか、って。竈から煙が立たないって、民草は飢餓状態じゃん。これまで天皇や豪族が民草を「大御宝」なんて言って大切にしてきたのは、ここからしか税の出所がないからさ。文字どおり金の卵を産み続けるニワトリだからなの。その民草が飢えて死にそうじゃ、税も取れなくなっちゃうじゃん。税が取れなきゃ、ボクの不倫経費も捻出できない。
もう一つ気が付いたのは、少し恐ろしいことになっているんじゃないかってこと。これまでは、下々や民草は、絞ればおとなしく言われたとおりに税を払うと思っていた。だけど、竈に煙も立たない状態となると、窮鼠となって反抗しないだろうか。考えてみれば、ボクと下々の格差はすさまじい。民草が怒っても、当然といえば当然。捨て鉢で、宮殿に火を付けたりしないだろうか。テロられることにはならないだろうか。
それで、方針を変えてみたんだ。金の卵を産むニワトリがやせ細ってきたのだから、しばらく卵をとるのは我慢して、ニワトリを太らせなくっちゃ。そして、よい王様を演出して、下々から攻撃されないよう安全を確保しなくっちゃということ。宮殿が荒れ果てたって雨漏りしたって、火を付けられるよりはずっとマシ。
こうして、税を取らないことにしたんだけど、誰でも思うよね。その間、何をしていたのかってね。もちろん、不倫はどうしてもやめられなかった。でも、相当に努力はしたんだ。不倫相手の数も減らして、出費も縮小した。そうして蓄えを少しずつなし崩しに減らしていった。とうとう金庫が底を突いたから、もう一度高殿に登って、「民の竈はにぎはひにけり」ってやったんだ。ニワトリは、もう十分に太った頃だろうからね。この程度で「仁政」だの「聖帝」だのといわれているんだから、ま、楽な商売。
でも、ここからは真面目な話し。この件のあと、いったいボクってなんだろう、天皇ってなんだろう、って真剣に悩むようになった。ボクが税をとっているから、その分民が貧しくなる。3年でなく、ずっと税を取らなけりゃ、民の竈はもっもっと賑やかになるはず。ボクって、実はなんの役にも立っていないことに気が付いたんだ。おとなしい民草から、税を取り立てるだけのボク。自分じゃ働かず、人の働きの成果をむさぼっているだけのボク。いてもいなくてもよいボク。いや、不倫の費用分だけ、いない方がみんなのためになるボク。こんなボクって、いったい何なのだろう。
ちょっぴりだけど反省して、河川の改修や灌漑工事など公共工事なんかやってみた。やってみるったって、「よきにはからえ」って言うだけだけど。それが、記紀に善政として出ている。せめてもの罪滅ぼし。それでも、不倫は生涯やめられそうにない。
(2016年2月27日)
頑迷な都教委との、10・23通達関連訴訟は熾烈に継続している。とうてい先は見えない。国旗・国歌(「日の丸・君が代」)に対する敬意表明の強制は違憲・違法である、との主張をめぐる攻防である。
愚かな都教委が強制をやめるか、最高裁がすべての事案について違憲判断をすることになるまで、この訴訟は継続し続けることになる。
いま、第4次の処分取消訴訟が一審に係属中であり、その第7準備書面を作成の作業中である。今回の私の担当は、憲法20条1項・2項(信教の自由保障規定・政教分離ではない)を根拠とする、「日の丸・君が代」強制の違憲論。
周知のとおり、最高裁は、神戸高専剣道授業拒否訴訟において、信仰上の信念から剣道の授業は受け容れがたいとした学生の訴えを認容した。剣道の授業が客観的に宗教性を帯びると認めたのではない。それでも、剣道の授業強制が特定の信仰者の信教の自由を侵害することを認めたのだ。「日の丸・君が代」強制は、これによく似ている。似ているどころではない。もともと「日の丸・君が代」は神なる天皇と結びついた国家神道のシンボルであった。信仰者が受け容れがたいとする理由の明白さにおいて、剣道の授業とは比較にならない。
論争の応酬の一コマではあるが、その書面のドラフトの比較的まとまりがよい部分を読み易く整理した形で、ご紹介したい。何が、どのように、論争の対象となっているか。その一端をご理解いただけるものと思う。
☆被告(都教委)は、「日の丸・君が代は、国旗・国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたものであって、それ自体宗教的な意味合いを持つものではない。」という。この文章の論理自体がきわめて曖昧である。むしろ、ことさらに曖昧な文章とされたものというべきであろう。
あたかも、「日の丸・君が代」が「国旗・国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたもの」である以上は、「それ自体宗教的な意味合いを持つものではない」と述べているごとくであるが、明らかに失当である。
「日の丸」は神話的な起源をもつデザインであり、「君が代」は神なる天皇の御代の永続を称える祝祭歌として、明治期に事実上の国旗・国歌とされた。「日の丸・君が代」を事実上の国旗・国歌とする天皇制国家は、国家神道を主権原理の根拠とした宗教国家であった。したがって、「日の丸・君が代」は、国家の象徴であっただけでなく、国家神道の宗教的な象徴でもあった。このことは動かしがたい、歴史的事実である。
その後、敗戦を経て神権天皇制は法制度上崩壊し、主権原理を転換した日本国憲法の時代となった。しかし、天皇制は象徴天皇制として存続し、宮中祭祀は「伝統」を固守し続けている。国家神道を支えた各地の神社も宗教法人に衣替えして往時の姿をとどめている。国家神道を支えた社会基盤も社会意識も崩壊に至っていない。その社会基盤と社会意識に支えられて、「日の丸・君が代」も廃絶されることなく、日本の社会に生き残り、国旗国歌とされるに至った。
「日の丸・君が代」の宗教性の有無は、法によって決せられるべき事項ではない。国旗国歌法が成立しようと廃絶されようと、なんの消長も影響も受けるものではない。とりわけ、今議論の局面は、憲法20条1項および2項の基本的人権としての個人の内面における信教の自由をめぐってのものである。国会の多数決の議決によっても動かしがたいものなのである。このことについて、被告が無自覚であることが恐るべきことなのである。
被告都教委の「日の丸・君が代は、国旗国歌法によって日本の国旗・国歌と定められたものであって、それ自体宗教的な意味合いを持つものではない。」という、恐るべき無自覚、無神経が、原告教員らの積極・消極両面の信教の自由をないがしろにしていると嘆かざるを得ない。
☆また、被告は、「日の丸・君が代は、原告らが主張するように『国家神道と結びついた神的・宗教的存在としての天皇崇拝のシンボル』ではない。それまで日の丸・君が代が我が国の国旗・国歌であることが慣習として成立していたという事実的経過があって、議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化されたものである。」ともいう。
問題は、個人の精神的自由の根幹をなす、自己の内面をいかに形成するかの自由を論じる局面にある。日の丸・君が代が『国家神道と結びついた神的・宗教的存在としての天皇崇拝のシンボル』であるか否かは、個人それぞれの判断にかかる問題であって、法がその判断に介入出来ることではない。
被告の主張の誤謬は、「議会制民主主義のもと、国民の多数の意思により法律により明文化された」という一文に象徴される。被告は、あたかも「議会制民主主義」や「国民多数の意思」が、人権を制約する大義名分としてオールマイテイであると考えている如くである。
しかし、議会制民主主義がなしうることには明確な限界があって、いかなる絶対多数によっても基本的人権を侵害することは許されない。被告主張の如くに、国会の議決によって、「日の丸・君が代」の意味づけが変えられて、信仰者の信教の自由や、無神論者の信仰を持たない自由が傷つけられてはならないのである。
しかも、国旗国歌法の内容はわずかに2か条、国旗と国歌のデザインと歌詞メロディを定めるだけのものである。それ以上の意味づけ規定はなく、国民の権利義務ともまったく無関係なものである。国旗国歌法の趣旨・目的は、国旗国歌を定義づけるだけのものであって、それを超えて、法の成立が「『日の丸・君が代』から『国家神道と結びついた神的・宗教的存在としての天皇崇拝のシンボル』を排除した」などという効果を生じるものではない。被告の主張は、何重にも牽強付会を重ね、何重にも誤っている。
☆さらに被告は、「国旗・国歌が国民統合の象徴の役割を持つことから、国旗・国歌を取り巻く政治状況や文化的環境などから、過去において、日の丸・君が代が皇国思想や軍国主義に利用されたことがあったとしても、また、日の丸・君が代が過去の一時期において、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として利用されたことなどを理由として、日の丸・君が代に対して嫌悪の感情を抱く者がいたとしても、日本国憲法においては、平和主義、国民主義の理念が掲げられ、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であることが明確に定められているのであるから、日の丸・君が代が国旗・国歌として定められたということは、日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されているということである。」という。
これは、意味不明の無意味な主張である。いま、「日の丸・君が代」の宗教的象徴性について論じている局面で、被告の主張は論争テーマと関連性を持たない。
とりわけ、「日の丸・君が代が国旗・国歌として定められたということは、日の丸・君が代に対して、憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴としての役割が期待されているということである。」という一文は法律論ではない。政治的な宣言文書としては意味を持つかも知れないが、「役割が期待されている」との文言は、何らの法律要件とも法律効果とも結びつくものではない。
被告の論法では、「天皇は憲法において日本国及び日本国民統合の象徴であると定められているのであるから、天皇という存在は当然に憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴である」ということになる。また「『日の丸・君が代』も国旗国歌法において国旗国歌とされた以上は、当然に憲法が掲げる平和主義、国民主義の理念の象徴である」ということにもなる。
憲法が天皇を制度上どう定めようと、また憲法上の天皇についての規定の有権解釈がどのようなものであろうとも、個人が天皇についてどのような見解を有するかは自由でなくてはならない。とりわけ、天皇制の形成過程や歴史的に果たした役割から、天皇の宗教的象徴性についての見解やそれをめぐる思想は完全に自由でなければならない。これは自明の理である。また、当然のことながら、その天皇に関する思想表明の自由には格別の保障がなされなければならない。
同様に、国旗国歌法が「日の丸・君が代」を国旗国歌と定めたとしても、国民個人が「日の丸・君が代」をどう位置づけ、どう理解し、どう評価すべきかという点に関して、いささかも影響されるところがあってはならない。国旗国歌法の制定如何に関わらず、信仰者である原告らについても、また信仰者でない原告についても、その「日の丸・君が代」をめぐる宗教性の有無についての考え方の自由は、最大限に尊重されなければならない。
要するに、基本権侵害を論じる主観的違憲論の局面において、国旗国歌法の出る幕は一切ない。被告が国旗国歌法を持ち出したこと自体が、見当外れの謬論なのである。
☆また、被告は「原告らにおいても、個人として信教の自由が保障されているが、公務員として全体の奉仕者としての地位にあり、しかも、その職務の内容が公教育を行うという公共性を有していることから、原告らが個人的な宗教上の理由から、教育を行うこと(すなわち、この場合は、国旗・国歌の指導を行うこと)を拒否することは、そもそも許されないのである。」という。
「そもそも教育公務員には信教の自由を保障する必要がない」という被告の粗雑な論法は、教育公務員をして精神的自由を持たない奴隷の地位に貶めるものと言わざるをえない。この論法は、社会生活を送るものに、そもそも信教の自由はないというに等しい。
「信教の自由が保障されている」というためには、最低限自らの信仰に反する行為の強制を受けないことが保障されていなければならない。外部的な行為と切り離されて純粋に内心に限定された信教の自由は、権利として論じる意味を持たない。
また、被告が「個人として信教の自由が保障されている」という意味は不明確であるが、「個人として」の意味が「社会生活とは切り離された純粋に私的な生活領域においては」という意味であれば、これも権利の保障に値しない。
きわめて常識的に、「国民のすべてに信教の自由が保障されている」とは、いかなる信仰を持つ者も、また持たざる者も、宗教に関わる理由で通常の社会生活に支障をきたすことのない社会環境が整えられていることを意味する。
キリスト教の信仰者である複数の原告に限らず、「日の丸・君が代」の宗教性に鋭敏な信仰者は数多く存在する。これらの信仰者が、「日の丸・君が代」の強制を甘受せざるを得ないことを理由にその宗教上の精神生活に支障をきたすようなことがあってはならない。換言すれば、通常の社会生活と信仰者としての精神生活との矛盾に陥らせてはならないということが、「信教の自由を保障する」という意味でなくてはならない。
信仰者である原告らは、自己の信仰者としての精神生活を堅持しながら、教育公務員としての社会生活を支障なく送るべく被告に配慮を要求する憲法上の権利を有し、被告にはこれに対応する憲法上の義務があるというべきなのである。
☆被告がいう「その職務の内容が公教育を行うという公共性を有していることから、原告らが個人的な宗教上の理由から、教育を行うこと(すなわち、この場合は、国旗・国歌の指導を行うこと)を拒否することは、そもそも許されないのである。」との主張は、著しく偏頗な一面的な議論に過ぎない。原告らの憲法上の権利性を全面的に否定し、教育公務員という属性を理由に、原告らに信仰者としての精神生活の保障を排除する結論となっているからである。
また。被告の立論は、一方的に結論を述べているが、理由や根拠に触れるところがないが、憲法上の権利の制約を容認すべきとする主張は、制約の根拠についての主張・挙証の責任を負うべきが当然なのである。
☆なお、原告らとしても、教育公務員としての職務の遂行が当該教育公務員の宗教上の信念と衝突する場面において、いかなる場合にも宗教的信念の保障が優越すると主張するものではない。
信教の自由という精神的自由権の中核的権利についての制約が許容されるか否かは、合違憲判断の常道として、制約の目的、制約の手段、目的と手段との関連性の3面における、厳格な違憲審査基準の適用をもって判断されなければならない。
目的審査は、当該教育公務員に課せられる具体的な職務上の義務が真にやむを得ない利益を達成するためのものであるか否か。手段審査は、その利益を達成するための必要不可欠な手段であるか否か。そして、(目的と手段の)関連性審査は、その義務によって課せられる信教の自由に対する制約が必要最小限度のものであるか否か。この3面における検証のすべてに合格して始めて憲法上の人権の制約が許容されることになる。
厳格審査基準からしても、教員の本来的な職務である生徒に真理を教授する場面において、自己の宗教的信念を貫くことは許容されない。「天地は神が創造したもうた」「進化論は聖書に反する誤った考えである」「日本の建国は神武の即位に始まる」などを、真理ないしは真実として教授することは許容されない。子どもの教育を受ける権利を全うする目的から上記3面の審査による制約は容易に肯定されうることになろう。
しかし、「日の丸・君が代」への敬意表明を強制することは、何らの真にやむを得ない利益を達成するための目的を肯定することにはならない。国旗・国歌ないしは「日の丸・君が代」の強制は、生徒たちに国家意識あるいは愛国心を醸成することを目的とするものであろうが、このことは真理の伝達とは異なり、教育公務員の本来的な職務ではない。むしろ、国家をどのように位置づけ理解するかは、優れて価値観に関わる問題として、教育にも強制にも馴染まない。少なくとも、そのような教育公務員の信念は尊重されなければならない。とうてい、「真にやむを得ない利益を達成するためのもの」とは言えない。
また、仮に卒業式等の儀式における秩序維持が肯定されるべき目的ないし利益だとしても、全教員に対する起立・斉唱の強制が、この目的を達成するための必要不可欠な手段であるとも、必要最小限度のものとも到底言えない。積極的に式の進行を妨害することなく、国歌斉唱時に静かに坐っているだけの教員に懲戒処分を科してまで起立や斉唱を強制する必要はあり得ない。
以上のとおり、原告らが、憲法20条1項および2項にもとづいて有する基本権が、「日の丸・君が代」への敬意表明強制によって制約されることは許容し得ない。被告の主張は誤りである。
(2016年2月20日)
宮崎市定は『論語』で説かれる徳目の掲載頻度を数え出しているそうだ。いちばん多いのは、孔子が最も大切にした「仁」で97回。次に多いのは、孔子が職業教育的に教えた「礼」の75回。その次が「信」で38回。そして、その次が「孝」と「忠」が同じく18回だという(片山智行『孔子と魯迅』筑摩選書69頁による)。
かくも「忠」の頻度が少ないのは意外ではないか。「忠」は孔子が重視した徳目の一つではあるが、孔子の教説におけるキーワードではなさそうだ。しかも、孔子のいう「忠」は、忠義・忠節という主君に対する服従を美徳とする意味ではない。片山の解説では、「誠実さ」「誠実に真心を尽くす」という普遍性の高い一般的な対人関係での心得である。
「君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事うるに忠を以てす」という一文があるが、これとて、「臣下が主君に仕えるときにも、『忠=誠実さ』が必要」というだけのこと。「普遍的道徳としての忠を君臣間に当てはめ」たに過ぎないという。孔子自身がひとりの君主への「忠節」を尽くした人ではないとも指摘されている。なるほど、そのとおりだ。
ところが後代、儒学が体制の教学となって、事情が変わる。
このことを痛烈に喝破しているのが、清末の思想家譚嗣同という人物の『仁学』。彼は戊戌の政変に敗れて刑死したが、『仁学』は処刑前に友人に託された覚悟の遺稿だという。片山は「儒教道徳の恐ろしさを痛烈に批判したこの書は、出色の名著」という。
譚嗣同によれば、荀子こそが、「後王(当代の君主)に服従し、君統(君主支配)を尊ぶ」方向に道(孔子の教え)を歪めた憎むべき張本人なのである。すなわち、荀子の考えが李斯(戦国時代の法家。始皇帝のときの丞相)に引き継がれ、秦の始皇帝より連綿と王朝の支配のために利用されて、朱儒(朱子学)に至ってそれがいよいよひどくなった、と言う。
したがって、二千年来の政治は秦の政治であり、みな「大盗」(大泥棒=皇帝のこと)であったと言わなければならない。二千年来の学は旬学であり、すべて郷愿(にせ君子。封建思想の儒者)であったと言わなければならない。大盗が郷愿を利用し、郷愿が大盗にうまく媚びただけである。二者は互いに結託し、すべてを孔子にかこつけてきたのである。かこつけた大盗、郷愿を捉まえて、かこつけられた孔子のことを責めたところで、どうして孔子のことがわかろうか?
つまり、論語に表れた孔子の思想と、その後長く封建制度を支えた儒学とは別物というのだ。孔子は権力者とこれに媚びる後代の儒者に利用されたに過ぎないというのが、譚嗣同の立場であり片山の是認するところ。
二千年来、儒者たちは「孔子の名を騙って、孔子の道を敗(やぶ)った」。その際に「支配の道具」として利用され、封建王朝の支配を維持したのが「三綱五倫」である。三綱とは「忠・孝・(貞)節〈君臣・父子・夫婦間の身分的秩序〉」、五倫とは「父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信」をいう。これが、支配者が目下の者を、倫理において服従させるための道具になった。
各王朝の歴代皇帝を「大盗」(大泥棒)という激しさはすさまじい。自らの政治を正当化するために、孔子の学問の真髄を盗み取ったという謂いなのであろう。明治維新以来の日本の天皇は「大盗」のイミテーションというところ。現実に、このようなやり方が敗戦まで通用し、さらにその残滓が今日まで清算されることなく生き残っていることが恐ろしい。
私は知らなかったが、中華民国憲法制定過程で「孔教問題」が論じられたという。
康有為は、儒家でありながら儒教批判の先鞭をつけた大学者だったが、辛亥革命(1911年)後の憲法に「孔教」を国教とするよう提案して論争を巻き起こした。康有為がいう「孔教」は、封建道徳の根拠となった後代の儒教とは異なった、言わば「原始儒教」としての「孔子の教え」だったのだろう。
これに、反対の論陣を張ったのが、のちに共産党創立の立役者の一人となった陳独秀だった。彼の康有為に対する反論は、儒教批判を徹底したもので、「三綱五輪は、単に後代の儒者が偽造したものではなく、孔教の根本教義と見なすべきだ、とさらに批判の度を強めた」(片山)
片山が引用する陳独秀の論が、たいへんに興味深い。
「三綱の根本的意義は、階級制度である。尊卑を分け、貴賤の別をはっきりさせるこの制度を擁護するものである。近代ヨーロッパの道徳と政治は、自由、平等、独立の説をもって大本となし、階級制度とは完全に相反する。これが東西文明の一大分水嶺なのである。」(陳独秀『吾人の最後の覚悟』1916年)
「まず西洋式の社会と国家の基礎、いわゆる平等と人権の新しい信仰(思想)を、輸入しなければならない。この新社会、新国家、新信仰と相容れない孔教に対しては、徹底した覚悟と勇猛な決意を持たなければならない。(陳独秀『憲法と孔教』1916年)
100年前の中国における憲法論争である。日本の現在の憲法状況に通じるものとして、たいへんに興味深い。示唆されるところをいくつか述べておきたい。
康有為対陳独秀の憲法制定に際しての孔教論争は、固有の歴史を憲法に書き込むべきか普遍的原理を貫徹するかの争いである。
康有為には、中華民族の誇るべき精神文化としての孔教が、深く位置づけられていたのだろう。支配の道具としての儒教ではなく、人倫の根本を貫く普遍的な倫理として孔教が間違っているはずはない、という思いが強かったに違いない。これに対する陳独秀は、孔子の教えそのものが人間を差別して怪しまない旧時代の道徳を肯定するものとして排斥の対象とした。個人の「自由・平等」を徹底すべき近代憲法の原則に適合しないと説いたのである。
いま、安倍晋三が「これが具体的改憲案」という、2012年自民党改憲草案は、陳独秀の論だけでなく、康有為のレベルにも及ばない。日本の「歴史・民族・文化」がてんこ盛りなのだ。つまりは、日本民族の固有性をもって、近代憲法の普遍的原理を限りなく薄めてしまおうとの魂胆が見え見えなのである。
しかも、日本民族の固有性の内実とは、「天皇を戴いていること」と「和の精神」以外にはない。いずれも、支配者に都合のよい旧道徳。とうてい、100年前の陳独秀の批判に耐えうるものではなく、康有為にも嗤われる類の代物。
私には、陳独秀が、どのような憲法を作るかを「思想の問題」と捉えていることが印象的である。長い中国の歴史を通じて、学問とは、人格を形成し、生き方の根本を形づくる営みであった。科学や技術の習得を学問とは言わないのだ。その文化の中で育った陳独秀が、「尊卑を分け貴賤の別を前提とする身分制度」を攻撃して、その温存につながる学問思想を否定する断固たる姿勢が小気味よい。この点について、「これが東西文明の一大分水嶺なのである」というのは、学問や思想が身分制度の否定につながることを当然とするという確信に支えられたものであろう。
「神聖なる天皇」を元首とし、「個人よりは家族を重視」し、「承詔必謹の和を以て貴しとなす」憲法を作ろうというのが、安倍晋三の願望。個人の尊厳や、自由・平等という普遍的価値を理解できない反知性というにふさわしい。憲法の理念を学ぶことは、本来的な意味で学問をすることであり、教養を深めることなのだと、あらためて思う。
引用した片山の著書は、昨年(2015年)6月の発刊。主として、孔子の教説をヒューマニズムに通じるものとして肯定的に捉え、魯迅と通底するものがあるとして、魯迅を詳説する。魯迅の儒教批判は痛烈ではあるが、これは後代の支配の道具としての儒教であって、けっして孔子の教えそのものの批判ではないとするのが片山の立場。
もっとも、魯迅の儒教批判は徹底している。『狂人日記』の中では、「狂人」の口を借りて儒教は人食いの教え、とまで言っている。「人食い」とは、体制がつくり出した儒教の倫理が、民衆を徹底して支配していることの比喩である。儒教の倫理に絡めとられて、体制の不合理に反抗しない「中国民衆の無自覚」に対する魯迅の切歯扼腕が詳細に語られている。
他人ごとではない。戦前には、直接的に民衆の精神に侵入して支配の道具となった神権天皇制を唯々諾々と受容した臣民について、そして戦後70年なお、臣民根性を捨てきれない日本の民衆の無自覚に対しても、魯迅と同様に切歯扼腕せざるを得ない。
(2016年2月8日)
宜野湾市長選が昨日(1月17日)告示。2016年の政治の帰趨を占う政治戦が始まった。選挙期間は僅かに一週間の短期決戦。「官邸勢力」と「オール沖縄」との対決。オール沖縄側に勢いがあるものの、決して楽な闘いではない。
いうまでもなく、争点は「普天間・辺野古」問題である。「官邸」を背景とする現職は「普天間返還の早期実現」というシンプルな訴え。これに対する「翁長県政」側の「市政奪還」を目指す側は、「新基地建設なき返還」「基地のたらい回しは許さない」というもの。はるかに次元の高い政治性と倫理性を訴えているのだ。
普天間基地の早期撤去は、宜野湾市民の共通の願いである。この「世界一危険な米軍基地」は、市民に騒音被害と治安の悪化と経済発展の阻害をもたらしている。しかも、最近持ち込まれた「ウィドウメーカー」の異名を持つオスプレイ群の一刻も早い撤退は誰もが望むところ。
しかし、「この危険と騒音と治安の悪化と、さらには自然破壊とを名護市に押しつけてよいのか」「さらに沖縄の危険を増すことになる辺野古新基地建設を許してよいのか」という問題に直面せざるを得ない。また、「政府に協力することで、本当に普天間の早期実現が可能となるのか」「オール沖縄の分断策に政府や米軍から付け込まれることになりはしないか」という問題もある。
昨日の志村恵一郎陣営の出陣式には、翁長知事を先頭に、城間幹子那覇市長や西原、北谷、読谷、中城、北中城の近隣5町村の首長らも勢ぞろいしたという。文字どおり、「オール沖縄・翁長県政」対「政府・与党代理勢力」の対決構図。それ故の全国的な注目政治戦となっている。
ところで、現職市長の佐喜真淳なる人物については、よく知らない。
この人の人物像については、1月14日付「日刊ゲンダイ」が、「園児が教育勅語を唱和…宜野湾市長が出席した大会の異様」という記事を書いて話題となっている。短い記事なので、全文を引用する。
「今月24日に投開票される沖縄県宜野湾市長選。現職で与党推薦の佐喜真淳氏(51)の再選を阻めば辺野古移設の歯止めになることから、全国的な注目度も高い。もっとも、それ以前にこんな人物を再選したら、宜野湾市民は常識を疑われることになりそうだ。
2年前に宜野湾市民会館で開催された『沖縄県祖国復帰42周年記念大会』の動画がネット上で流れており、これに佐喜真市長も出席しているのだが、『まるで北朝鮮みたい』と突っ込まれるほどヒドイ内容なのだ。
オープニングでは地元保育園の園児が日の丸のワッペンをつけた体操着姿で登場。猿回しの猿というか、北のマスゲームように『逆立ち歩き』『跳び箱』をさせられ、それが終わると、全員で〈立派な日本人となるように、心から念願するものであります!〉と『教育勅語』を一斉唱和させられるのだ。
それが終わると日本最大の右翼組織「日本会議」の中地昌平・沖縄県本部会長が開会宣言し、宮崎政久衆院議員といった面々が『日本人の誇り』について熱弁を奮う。この異様な大会の“トリ”を務めたのが佐喜真市長であり、やはり『日本人としての誇りを多くの人に伝えていきたい』と締めくくった。
佐喜真市長が日本会議のメンバーかどうかは知らないが、善悪の判断がつかない園児に教育勅語を暗唱させ、一斉唱和させるなんて戦前そのものではないか。」
「日本会議」のホームページで、「体操演技と教育勅語奉唱(わかめ保育園の園児26名)」と紹介された子どもたちの、「口語版・教育勅語」奉読の場面を見ることができる。この動画を見て戦慄せざるを得ない。「わかめ保育園の園児」たちが、回らぬ舌で、「朕」を「ワタシ」と読み替え、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を、「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」と、口を揃えて言わされている様子が傷ましい。これは、「戦時や緊急事態における国民の心得」ではないか。こんなことを、沖縄戦の悲惨な記憶生々しい沖縄でまわりの大人たちがやらせている。その大人の中に、現地の現職市長が参加しているのだ。確かに、戦前の日本や北朝鮮の教育を思い起こさせる、恐るべき図である。
https://www.nipponkaigi.org/activity/archives/6683
日刊ゲンダイが、「ヒドイ内容」で、「こんな人物を再選したら、宜野湾市民は常識を疑われることになりそうだ」というとおり。いやはや、こんな人物を市長にしてはならない。宜野湾市であろうとなかろうと、である。
口語版・教育勅語はいくつかある。わかめ保育園の元ネタは「国民道徳協会訳」のバージョン。明治神宮のホームページなどで読むことができる。意訳に過ぎ、天皇への忠誠心強調が薄れているようにも思われる。しかし、口語訳になると、教育勅語は俄然生々しい。とりわけ、幼児の口から発せられると、背筋が寒くなる。これが、かつて一億総洗脳教育の教材とされたものだ。参考のために、26人の園児が暗記した全文を掲載しておきたい。
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
(2016年1月18日)