澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

平和とともに永遠なれー東京新聞「平和の俳句」

東京新聞一面左肩に毎日掲載の「平和の俳句」。平和を願う多くの人々の感性や知性を代弁して、共感を呼ぶものとなっている。ときに感心し、ときにその句の鋭さにぎょっとさせられる。今日の句にも、ぎょっとさせられた。

  父はただ穴を掘ったとしか言わぬ(9月7日)

60代女性の投句である。この穴の暗さの記憶が、作者の父のその後の人生を呪縛し続けたにちがいない。真面目な人ほど、好人物であるほど、家族にすらいえない辛い暗い記憶に悩み続けることになる。私の亡父にも、口にすることのできない暗い記憶がなかっただろうか。

私が子どものころ、男の大人は、例外なく兵隊の経験者だった。かつて敵と戦場で闘った人たち。銃で武装し鉄兜をかぶって敵を殺す訓練を受けた人たち、私もそういう目で大人を見た。外地で戦って敗れた生き残り…とも。その大人たちは、戦争について多くを語らなかった。「穴を掘った」以上のことを子どもに語りようがなかったろう。伝聞では戦地での暴行や略奪を手柄話に語る大人もいたようだが、私には直接聞いた記憶が無い。

8月28日東京新聞一面のトップに、「元兵員 残虐行為の悪夢 戦後70年 消えぬ心の傷」という、優れた調査報道が掲載されていた。穴を掘った人たちの心の傷が、70年を経た今なお癒えないというのだ。

「アジア太平洋戦争の軍隊生活や軍務時に精神障害を負った元兵員のうち、今年七月末時点で少なくとも10人が入通院を続けていることが分かった。戦争、軍隊と障害者の問題を研究する埼玉大の清水寛名誉教授(障害児教育学)は『彼らは戦争がいかに人間の心身を深く長く傷つけるかの生き証人』と指摘している。」というリード。

「本紙は、戦傷病者特別援護法に基づき、精神障害で療養費給付を受けている元軍人軍属の有無を47都道府県に問い合わせた。確認分だけで、入院中の元兵員は福岡など4道県の4人。いずれも80歳代後半以上で、多くは約70年間にわたり入院を続けてきたとみられる。通院は東京と島根など6都県の6人。

療養費給付を受ける元兵員は1980年代には入通院各500人以上いたが、年々減少。入院者は今春段階で長野、鹿児島両県にも一人ずついたが5、6月に死亡している。

清水氏によると、戦時中に精神障害と診断された兵員は、精神障害に対応する基幹病院だった国府台陸軍病院(千葉県市川市)に収容され、38?45年で1万4百人余に上った。この数は陸軍の一部にすぎず、症状が出ても臆病者や詐病扱いで制裁を浴びて収容されなかった場合も多いとみられる。

清水氏は同病院の「病床日誌(カルテ)」約8千人分を分析。発症や変調の要因として戦闘行動での恐怖や不安、疲労のほか、絶対服従が求められる軍隊生活への不適応、加害の罪責感などを挙げる。

診療記録で、兵士の一人は、中国で子どもも含めて住民を虐殺した罪責感や症状をこう語っている。「住民ヲ七人殺シタ」「ソノ後恐ロシイ夢ヲ見」「又殺シタ良民ガウラメシソウニ見タリスル」「風呂ニ入ッテ居テモ廊下ヲ歩イテイテモ皆ガ叩(たた)キカカッテキハシナイカトイフヨウナ気ガスル」

残虐行為が不意に思い出され、悪夢で現れる状態について、埼玉大の細渕富夫教授(障害児教育学)は「ベトナム、イラク戦争の帰還米兵で注目された心的外傷後ストレス障害(PTSD)に類似する症状」とみる。

清水氏は「症状が落ち着いて入院治療までは必要のない元兵員が、偏見や家族の協力不足などで入院を強いられてきた面もある」と説明。また今後、安全保障関連法案が成立して米国の軍事行動に協力すると、「自衛隊でもおびただしい精神障害者が生じる」と懸念する。」

戦争は残酷なものだ。殺されることも、殺すこともマッピラ。戦争そのものを拒否し、防止しなければならない。

「父が掘った穴」の暗さは個人を蝕み個人の記憶に残るだけではない。人類の文明にポッカリ開いた穴の暗さでもある。あらゆる場で、この穴を塞ぐ努力をしなければならない。

ついでに、印象に残った平和俳句のいくつかを紹介する。

  毛髪と爪が父なり終戦日(8月13日)

これも、ぎょっとさせられる系の句。作者の父の死は外地でのこと。輸送船の沈没か地上戦か、あるいは餓死か。混乱の中で、遺骨は届けられない。出生前に、形見として残していった毛髪と爪だけが父のすべてなのだ。終戦記念日に、戦争を深く考えざるをえない。

  改憲という声開戦に聞こゆ(8月29日)

まったくそのとおり。言い得て妙ではないか。語呂合わせを越えて、本質を衝いている。

  今程の平和でいいと蟇(ひきがえる)(8月25日)

こういうの好きだなあ。いい雰囲気だなあ。「いまほど」でいいんだ。のんびりさせてくれよ。

  九条を吸ってェ吐いてェ生きている(7月12日)

これもいいなあ。平和のうちに生きることと憲法九条との一体感が、肩肘張らずに表現されている。

  戦争の命日八月十五日(8月14日)

父や母の命日ではなく、「戦争の命日」。この日戦争は死んだのだ。再び、生き返らせてはならない。

  国旗よりはためかさせてよ洗濯物(7月6日)

この句では、国旗が勇ましい戦争の象徴、洗濯物が日常の平和の象徴として対比されている。国旗をはためかしても碌なことはない。それよりは、洗濯物をはためかした方がずっと役に立つし楽しいじゃないの。

今後も、ずっと「平和の俳句」に注目したい。そして楽しませていただきたい。
(2015年9月7日)

戦後70年の夏に、何が争われているのか。

例年になく熱い8月が終わった。その熱気はまだ冷めやらない。安保法案の成否の決着はこれからだ。情勢に切れ目はないが、暦の変わり目に戦後70年の夏を振り返ってみたい。

70年前の敗戦を契機に、日本は国家の成り立ちの原理を根本的に変えた。この原理の転換は日本国憲法に成文化され、大日本帝国憲法との対比において、明確にされている。

私の理解では、個人の尊厳を最高の憲法価値としたことが根本原理の転換である。国家の存立以前に個人がある。国家とは、個人の福利を増進して国民個人に奉仕するために、便宜的に拵えられたものに過ぎない。国家は国民がその存在を認める限りにおいて存続し、国民の合意によって形が決められる。国民の総意に基づく限り、どのようにも作り直すことができるし、なくしたってかまわない。その程度のものだ。

国民の生活を豊かにするためには、国家の存立が有用であり便利であることが認められている。だからその限りにおいて、国民の合意が成立して国家が存立し、運用されている。それ以上でも以下でもない。

こうしてできた国家だが、与えられた権力が必ず国民の利益のために正常に運営されるとは限らない。個人の自由や権利は、何よりも国家とその機関の権力行使から擁護されなければならない。個人の自由は、国家と対峙するものとして権力の作用から自由でなければならないとするのが自由主義である。この個人の尊厳と自由とを、国家権力の恣意的発動から擁護するために、憲法で権力に厳格な枠をはめて暴走を許さない歯止めをかける。これが立憲主義である。

戦前は、個人主義も自由主義もなかった。個人を超えて国家が貴しとされ、天皇の御稜威のために個人の犠牲が強いられた。天皇への忠死を称え、戦没兵士を神としてる祀る靖国神社さえ作られた。そして、国家運営の目標が、臆面も無く「富国強兵」であり、軍事的経済的大国化だった。侵略も植民地支配も、国を富ませ強くし、万邦無比の国体を世界に輝かす素晴らしいことだった。20世紀中葉まで、日本はこのようなおよそ世界の趨勢とはかけ離れた特異なあり方の国家だった。

70年前の敗戦は、大日本帝国を崩壊せしめた。そして新しい原理で日本は再生したのだ。普遍性を獲得して、国民個人を価値の基本とし、国家への信頼ではなく警戒が大切だとする自由主義の国家にとなった。軍国主義でも対外膨張主義でもない平和と国際協調の国になった。日本は、戦前とは違った別の国として誕生したのだ。かつて6500万年前の太古の世界で、恐竜が滅び哺乳類がこれに代わって地上を支配したごとくに、である。

敗戦とは、戦前と戦後との間にある溝のようなものではない。飛び越えたり橋を渡して後戻りできる類のものではない。戦前と戦後とはまったく別の地層でできており、敗戦はその境界の越えがたい断層とイメージすべきなのだ。この戦前とは異なった新しい国の原理として日本国憲法に顕現されたその体系が、「戦後レジーム」にほかならない。

日本国憲法に込められた、近代民主主義国家としての普遍性と近隣諸国に対する植民地支配や侵略戦争を反省するところから出発したという特殊性と。その両者の総合が、「戦後レジーム」である。

安倍晋三が憎々しげにいう「戦後レジーム」とは、個人主義を根底にこれを手厚く保護するために整序されたシステムであり、実は日本国憲法の体系そのもののなのだ。個人の尊厳、精神的自由、拘束や苦役からの自由等々の基本的人権こそが、国家の統合や社会の秩序に優先して尊重されるべきことの確認。これこそが、「戦後レジーム」の真髄である。

今年は新しい日本が誕生してから70周年。しかし、この夏、建国の理念に揺るぎが見える。いま、なんと「戦後レジームからの脱却」を叫ぶ、歴史修正主義者が首相となり、立憲主義を突き崩そうとしている。しかも、日本国憲法が自らのアイデンティティとする平和主義を壊し、日本を再び戦争のできる国にしようとしているのだ。この夏は、日本国憲法の理念を攻撃し改憲をたくらむ勢力と、70年前の建国の理念を擁護しようとする勢力との熾烈な戦いである。

70年前の国民的な共通体験は、「再び戦争の惨禍を繰り返してはならない」ことを国是とした。しかし、その国民意識は、自覚的な継承作業なくしては長くもたない。とりわけ加害体験については、「いつまで謝れというのか」という開き直り派が勢を得つつある。

安倍晋三を代表として憲法体系を桎梏と感じる勢力が勢いを増しつつある。しかし、これと拮抗して憲法の理念に賛同して、これを擁護しようとする勢力も確実に勢力を増しつつある。

2015年の夏、その決着はまだ付かない。秋へと持ちこされている。
(2015年9月1日)

「平和のための戦争」という欺瞞と「積極的平和主義」

しんぶん赤旗のスポーツ欄に、「戦争とスポーツ」という連載コラムが掲載されている。本日は、小倉中学(旧制)を中心に、「中等野球」が敵性文化として攻撃され、戦時色に染め上げられた歴史を語っている。

1937年に内閣情報局が国民歌「愛国行進曲」を発表すると、翌38年の第24回全国中等学校野球大会では、選手と観客がこの曲を大合唱したという。
「見よ東海の空明けて」で始まるこの曲の1番はよく知られているが、あまり馴染みのない2番の歌詞が全文紹介されている。

起て
一系の大君を 光と永久に頂きて
臣民我等皆共に 御稜威に副はむ大使命
往け
八紘を宇となし 四海の人を導きて
正しき平和打ち立てむ
理想は花と咲き薫る

今、この歌詞の中で目に突き刺さってくるのが「平和」の2文字である。
戦争は、平和を冠して準備された。戦争は、平和を名分として国民を動員した。侵略戦争も「平和のための戦争」とカムフラージュされたのだ。まさしく、これこそが安倍流「積極的平和主義」ではないか。

八紘一宇の精神で大東亜共栄圏を築き、大君を戴く日本が四海の人を導こうという思い上がり。これを、「正しき平和」と言い、「理想は花と咲き薫る」とまで言った。顔から火が出るほど恥ずかしいこんな歌を、「臣民我等皆共に」球場で大合唱したというのだ。この年、国家総動員法が制定されている。ときあたかも日中戦争のさなかで太平洋戦争突入3年前のこと。そして、その太平洋戦争開戦の41年には、夏の甲子園大会も中止となっている。

戦争は、いろんな名目で準備され正当化される。必ず、何らかの美しい大義のスローガンをもつ。

「神の嘉したもう聖戦」、「平和を実現するための戦争」「自存自衛の戦争」「文明のための戦争」「天皇の御稜威を四海に及ぼす戦争」「満蒙という我が国の生命線を防衛するための戦争」「石油資源流入封鎖を打破して国民生活を安定させるための開戦」「暴支膺懲」「鬼畜米英撃滅」…。いずれも、その時代ではもっともらしい戦争正当化の理由になり得たのだろう。

1937年の「正しき平和打ち立てむ 理想は花と咲き薫る」の歌詞が、安倍晋三が今口にする「積極的平和主義」と重なる。「軍事力による平和」、「抑止力に基づく平和」との欺瞞に溢れた「思想」を徹底して批判することが、歴史の教訓を活かすことでなければならない。
(2015年8月18日)

「13日・国民の70年談話」を、「14日・安倍談話」評価の物差しに

8月14日に予定されている安倍談話。「戦後70年談話」と銘打って、近隣諸国へのメッセージとして発信するものとなれば、その骨格は下記のようなものとなろう。

(1) 70年前の敗戦を分岐点として、その前後で歴史は二分されているという認識のもと、
(2) 未曾有の惨禍をもたらした先の大戦を総括して、
(3) 70年前における日本の再出発の理念を再確認し、
(4) 戦後70年間その理念は堅持されたかを検証し、
(5) 今後さらにその理念の実現を目指した未来を語る。

「戦後」談話なのだから、戦争と平和がテーマとなる。戦前の軍国主義や植民地支配が加害被害両面の戦争の惨禍をもたらし、国民の敗戦体験が恒久平和主義の理念を生みだしたことを述べ、戦後70年は曲がりなりにもその平和が保たれた貴重な時代であって、この先も平和が継続するよう努力しなければならない、と結ばれることになろう。

上記の構成で戦争と平和を語れば、次のようなものとならざるを得ない。
「先の大戦は侵略戦争であった。過酷な植民地支配と相俟って、日本は近隣諸国民にこの上ない悲惨と苦痛を与えた。日本は、このことを深く反省し、心から謝罪する。70年前、日本は平和で民主的な国家として再出発した。憲法が最重要の理念とする平和は、この70年間なんとか続いた。さらにこれからも平和持続のための努力を誓う」

これが、戦後継続した保守政権が採用してきた常識的な立場である。念のため、談話の主語は「日本国を代表する首相」である。敗戦をはさんでも、日本という国家に継続性が認められる以上、戦前の天皇制政府が行った植民地支配と侵略戦争については、国家・国民を代表して現首相が反省と謝罪をすべきが当然であろう。

これと比較して、「国民の戦後70年談話」の方は、首相談話のようにシンプルな構成とはなりにくい。それは、主として、国民(あるいは「市民」・「私たち」)の立場の多様性にある。

国民とは、一面は被治者であると同時に主権者でもある。戦前は臣民に過ぎなかった存在が、戦後は理念においては主権者となった。しかし、実のところは権力による統治の対象としてあり続けてもいる。

その国民が戦前において戦争や軍国主義・国家主義に演じた役割はどのようなものだったのだろうか。欺され、煽られ、操作されて戦争に駆り出された人々もあれば、積極的に富国強兵策に加担して利益に預かった人々もいる。また、天皇制政府に徹底して抵抗し反戦運動の故に過酷な弾圧を受けた人々もいるのだ。

「侵略戦争」や「植民地支配」という評価は、客観的なものとしてなしうる。しかし、反省や謝罪のあり方は、それぞれの立場において異なるものとなる。たとえば、国民(市民・私たち)の中に、在日の人々やニューカマーを含むとして、その人々を日本人と同じように「反省」や「謝罪」の主体とする不自然は明らかだろう。戦前平和を求める運動で過酷な弾圧を受けた人々についても、同様である。

国民(市民)の立場から、反省や謝罪をするのかについては微妙な問題がある。少なくとも、「日本国政府に対して、近隣諸国の民衆への加害責任を自覚して、徹底した反省と謝罪をするよう要求する」ことには異論がない。しかし、それだけでよいのか。戦後に生まれた世代の国民(市民)にも、加害者としての責任があり、反省と近隣諸国への謝罪が必要だろうか、必要とすれば何について反省し、どのように謝罪すべきなのか。このあたりの書きぶりは微妙なところである。とりわけ、謝罪が前面に出て来ると、談話の主体として、在日の人々を含むとすることが奇妙なこととなってくる。

戦後70年の総括については、憲法的視座からはさほど困難な問題はない。一貫して保守政権が9条を中心とする改憲を策動し、国民が憲法を擁護してきた。政府がアメリカに従属しながら自衛隊を創設し防衛力を増強し、国民の側がこれに対峙して憲法と平和を擁護してきた70年であった。国民の平和を求める運動の中で、54年のビキニ水爆実験に端を発した原水爆禁止運動と、60年の安保改定阻止運動の盛り上がりとその影響は特筆すべきものであった。

現時点での、安倍政権動向はきわめて危険であり、これから先の「未来志向」において、政権と国民の立場の違いは大きい。安倍談話の未来志向の基本は、「積極的平和主義」となるだろう。「消極的に何もしないで平和を待つのではなく、平和を求める諸国と共同して積極的に平和を創出する」覚悟が語られることだろう。

おそらくは、ここが対決点だ。安倍談話は、積極的平和主義の名のもとに何をしようというのだろうか。明らかに、自衛隊を世界中に派遣することが想定されている。あるいは集団的自衛権行使という戦争が想定されている。軍事力がもたらす「武力に基づく平和」の思想である。互いの軍備による抑止力に依存した「平和」。国民の側は、これに憲法9条が指し示す「武力によらない平和」を対置しなければならない。「平和を望むなら戦争を語らねばならない」ではなく、「平和を望むなら、もっともっと平和を語る」努力をしなければならない。それが、「憲法の視座から」の談話の主要な意味である。

国民の談話は、13日のシンポジウムで発表される。そして、14日には、安倍談話の発表となる。歴史認識と平和のあり方において、彼我の意識の差が明確になるだろう。13日発表の「国民談話」を、安倍談話評価の物差しとして使っていただきたい。
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なお、下記のURLが、8月13日「国民の70年談話」シンポジウムの確定内容のチラシになっています。
ぜひとも拡散をお願いいたします。
http://article9.jp/documents/symposium70th.pdf

集会のコンセプトは次のとおりです。
いま、政権と国民が、憲法をめぐって鋭く対峙しています。
その政権の側が「戦後70年談話」を公表の予定ですが、これに対峙する国民の側からの「70年談話」を採択して発表しようというものです。
そのことを通じて、彼我の歴史認識や平和な未来への展望の差異を明確にし、きちんとした批判をし、国民の立場からの平和な未来の展望を語ろうという企画です。

日時■2015年8月13日(木)11時?13時40分
(開場10時30分)
会場■弁護士会館 2階講堂「クレオ」ABC
  http://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/organization/map.html
■参加費無料 (カンパは歓迎)
<シンポジウム>「国民の70年談話」─日本国憲法の視座から?過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして?
◇第1部 過去と向き合う
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
  高 橋 哲 哉(東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
  堀 尾 輝 久(元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
  暉 峻 淑 子(埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い─砂川・長沼訴訟の経験から
  新 井  章 (弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である
  杉 原 泰 雄 (一橋大学名誉教授)
◇レクイエム 弦楽四重奏(日本フィルハーモニー)
◇第2部 未来を語る会場発言リレートーク
  お一人5分間でお願いします。時間の許す限り。
◇第3部 「国民の70年談話」の発表と採択
(2015年8月11日)

安倍晋三 ヒロシマの憂鬱

1945年8月6日午前8時15分。広島に投下された原子爆弾が炸裂したそのとき。その時刻こそが人類史を二つに分ける瞬間である。これこそが人類史上最大の衝撃の事件。悲惨きわまりない大量殺戮。人類は、核エネルギーという、自らを滅ぼすに足りる手段を獲得したことを自らに証明したのだ。

その大事件から、今日がちょうど70年。広島の平和記念式典には55000人が参列した。海外からの参加も、過去最多の100か国を超えるものだった。

松井市長が核兵器を「絶対悪」と呼んでその廃絶を訴えた。
「人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは『共に生きる』ために、『非人道性の極み』、『絶対悪』である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。」

さらに注目すべきは次の一節である。
「今、各国の為政者に求められているのは、『人類愛』と『寛容』を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。」

最前列に位置していた、安倍晋三の耳にはこう聞こえたのではないだろうか。
「今、日本の首相に求められているのは、『人類愛』と『寛容』を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。けっしてナショナリズムの鼓舞でも近隣諸国の危険をあげつらう煽動でもありません。近隣諸国の為政者と顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。けっして、武力に基づく積極的平和主義の鼓吹や、切れ目のない防衛体制の構築の宣伝ではないはずです。日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが切実に求められています。憲法の平和主義を蹂躙して集団的自衛権の行使を可能とする戦争法案を制定するなどは、戦争で亡くなった多くの人たちやそのご遺族の平和への願いを踏みにじる暴挙ではありませんか」

安倍晋三という人物、とてつもなく心臓が強い人なのだろう。それにしても居心地が悪かったに違いない。6月23日の沖縄全戦没者慰霊祭と同様、多くの参列者からの敵意を感じたことだろう。あのときには「何しに来たか」「戦争屋」「帰れ、帰れ」という罵声が浴びせられたことが話題となった。おそらく今日も同様の罵声を覚悟での式典参列だったろう。どのくらいの野次や罵声があったかはよく分からない。「戦争法案反対」「安倍内閣打倒」のスローガンを叫んだデモの洗礼は受けたようだ。

被爆者らが式典後の安倍晋三と面談した。被爆者側が、戦争法案について、「憲法違反であることが明白」「長年の被爆者の願いに反する最たるもの」として撤回を要望した。これに対して、首相は「不戦の誓いを守り抜き、紛争を未然に防ぐものであり、国民の平和を守り抜くためには必要である」と述べたと報道されている。また、首相はここでも「国民の皆さんの意見に真摯に耳を傾けながら、分かりやすい説明をしていく」と応えたという。

問題点が明確になってきた。松井市長が平和宣言の中で述べた「武力に依存しない安全保障」の考え方と、安倍首相のいう「専守防衛を越えた切れ目のない防衛力の整備こそが抑止力となって平和をもたらす」という倒錯した思考とのコントラストである。安倍流抑止論は、自国の軍事力は強ければ強いほど抑止力になって平和をもたらす。この考え方は、核こそが最大の抑止力であり、最大の平和の担保だとなりかねない。

あ?あ、ホントはボク、ちやほやされるのが大好きなんだ。無視されたり、罵声を浴びせられたり、「カエレ、カエレ」とやられるのは、相当にこたえる。そりゃボク戦争は好きだよ、だけど「戦争屋」って言われるのは明らかに悪口だから面白くはない。何しに来たかって? 職務上来ないわけには行かないんだ。部下の書いた原稿を読みに来ただけさ。あの原稿の中でボクの意見が反映されているのは非核三原則の言葉をはぶいたことくらい。核こそ究極の抑止力だもの。日本人の核アレルギーを少しずつ正常化しておかなきゃならない。少しずつ国民をならしていかなとね。でも、職務を離れたら二度とこんなところには来たくない。ホントは右翼の集会に行きたいんだ。そこなら、みんな仲間として温かく迎えてくれる。ちやほやしてくれるもんね。

東京に帰ってきたら、もひとつ、イヤなことが待っていた。ボクが見つくろって人選した「戦後70年談話・有識者懇談会」の報告書だ。ボクが本心大嫌いなことは知っているくせに、「侵略」や「植民地支配」なんて言葉が並んでいる。なんのための諮問なのか、あの連中わからんのかね。以心伝心とか、アウンの呼吸とか。分かりそうに思ったんだけど。もしかしたら、沈みそうな船に見切りをつけて、みんなボクの船から逃げだそうとしているのかな。なんだか、トモダチがだんだん減っていきて、淋しいし心細い。

ようやく広島の6日が終わったら、次は9日の長崎が待っている。少し前までは、「怒りのヒロシマ」「祈りのナガサキ」といわれたものだが、最近の長崎は遠慮がない。また何か言われるんだろうから、ホントは行きたくない。でも、行かないともっともっと叩かれる。ほんに、総理も楽じゃない。
(2015年8月6日)

天皇の戦争責任を論じることに臆してはならない

8月には戦争について、思い、語り、考えなければならない。一億国民のすべてを巻き込んだだけでなく、その10倍を遙かに超える近隣諸国の民衆に計り知れない悲惨をもたらしたあの戦争。まずは、事実を曲げることなくその実態を掘り起こし、記録し、けっして風化させない努力を継続しなければならない。

それだけではない。なぜあの戦争がおきたのか、誰にどのような責任があるのか、を厳しく問わなければならない。そのようにして過去と向かい合ってこそ、ふたたびの愚行と惨禍を繰り返さないことが可能となる。

戦争の責任はすべての国民にあったという一億総懺悔論がある。けっして、荒唐無稽な考え方ではない。あの戦争を多くの国民(当時は「臣民」だった)が熱狂的に支持し積極的に加担したことは否定し得ない。多くの国民が近隣諸国の植民地支配や侵略戦争を待望し、他国民衆の犠牲において自らの繁栄を望んだ歴史的事実を消すことができない。傍観した国民はその姿勢に責任を持たねばならないし、戦争に反対した国民さえもが力量不足の責任を問われるべきという立論がある。

しかし、一億総懺悔では、各々の立場や役割に応じた責任の質や大小を明らかにすることができない。不再戦の反省の糧とはならない。それぞれの立場や実際に演じた役割に応じた戦争責任の大小を考えるとすれば、その第一に責任を問われるべきが、昭和天皇裕仁であることはあまりに明白である。

真摯に戦争を考え、ふたたびの戦争を起こさぬようにと戦争の原因と責任に思いをめぐらすときに、A級戦犯の上に君臨していた天皇の戦争責任に論及すべきは当然である。東条英機以下のA級戦犯の戦争責任には論及しながら、天皇の責任に言及することをタブー視する風潮はまことに危険である。戦前の民主主義の欠如が、大きな戦争の原因だったのだから。再びの天皇の権威確立はふたたびの戦争への道となりかねないのだ。天皇こそは、誰もがもっとも批判の対象としなければならない存在である。天皇への批判を躊躇させるこの社会の空気に、敢えて抗わねばならない。

8月15日が近づくと、「終戦のご聖断」を天皇の功績の如くにいう神話が繰り返される。このような言論は、愚かなものというだけでなく、歴史を偽る危険なものと考えなければならない。

本日の東京新聞は、全2面を割いて「逃し続けた終戦機会 負の過去に向き合え」という特集記事を掲載している。加藤陽子東大教授の「語り」を中心とする企画で、労作と評価できるものではある。が、向き合うべき「負の過去」として加害責任が述べられていない。「逃し続けた終戦機会」における天皇裕仁の責任についてもまったく言及がない。リベラル派を以て任じる東京新聞が、いったいなにを遠慮しているのだ。そのようなメディアの姿勢が、天皇タブーを作りだし拡大していくのではないか。

「天皇の戦争責任」という井上清(京都大学名誉教授)の名著がある。私の手元にあるのは、1975年8月15日初版の現代評論社本だが、著者没後の2004年に「井上清・史論集〈4〉天皇の戦争責任」として岩波現代文庫所収となっている。

この書で明解にされていることは、天皇が単なる捺印ロボットではなかったということである。積極的に東条を首相に据えて、周到に開戦を準備した天皇の開戦責任に疑問の余地はない。

「聖断をもって終戦を決意し、平和をもたらした天皇」というストーリーは天皇自身が語っているところだが、「遅すぎた聖断」であることは明白な事実である。東京新聞企画も、「逃し続けた終戦機会」として、終戦の決断の可能性あった機会6時点をとらえて解説している。その最初の機会が、1943年2月のガダルカナル撤退。2番目が44年7月のサイパン陥落、3番目が44年9月26日天皇が初めて終戦に言及したことが記録として確認できるこの日だという。そして4番目が45年3月10日の東京大空襲の被害のあと。そのあと5月にも6月にも、終戦のチャンスがあったとされている。

それでも東京新聞である。政権の御用新聞ではない。この企画の末尾の記事を転載しておきたい。

「岩手県の軍人の戦死時期を調べた研究によれば、その9割近くが最後の1年半に集中していた。310万人の日本人が死亡し、アジアに与えた惨禍は計り知れない太平洋戦争。やめ時は何度もあった。」

直接には天皇の責任に触れていないが、「やめ時は何度もあったが、遅れたために多くの命が失われたこと」は明記されているのだ。

なぜやめられなかったか。いうまでもなく、国体の護持にこだわったからである。国民の命よりも天皇制擁護を優先した結果が、遅すぎた敗戦を招いてあたら多くの命を失うことになった。それが、310万人の9割の命だという。

米軍による本土空襲は200以上の都市におよび、死者100万人といわれる。1945年8月にはいってからだけでも、水戸、八王子、長岡、富山、前橋、高崎、佐賀、広島、豊川、福山、八幡、長崎、大湊、釜石、花巻、熊本、久留米、加治木、長野、上田、熊谷、岩国、光、小田原、伊勢崎、秋田と、8月15日の終戦当日まで及んでいる。累々たる瓦礫と死傷者の山。国体護持にこだわった一人の男の逡巡が奪った命と言って過言ではない。

井上清は、その書の末尾に、「天皇の戦争責任を問う現代的意味」という項を設けて次のように結んでいる。

「天皇は輔弼機関のいうがままに動くので責任は輔弼機関にあり、天皇にはないという論法に、何の根拠もない。
 東条首相はそのひんぴんたる内奏癖によって、天皇の意向をいちいち確かめながら、それを実現するように努力したのであって、天皇をつんぼさじきに置いて、勝手に戦争にふみ切り、天皇にいやいやながら裁可させたのではない。そして東条は、赤松秘書官の手記によれば、天皇親政の問題に関連して、つぎのように語っている。
 『憲法で「天皇は神聖にして侵すべからず」とあるのを解して、学者は、天皇には何の責任もないと論じている。然し、自分は大東亜戦争開戦前の御決断に至る間の御上の御心持をお察しして、天皇は皇祖皇霊に対し奉り大いなる御責任を痛感せられておる御模様を拝察できた。臣下たる我々は戦争に勝てるかということのみ考えていたのである。それに比べて比較にならぬ程の大きな御責任の下で、御決断になったものである。これは開戦1ヵ月余になって始めて拝承できた払の体験である』。
 ほかでもない内奏癖の東条首相が、天皇はいかに重大な責任感をもって開戦を『御決断になった』かを述べている。
 対米英戦争の開始も、天皇の責任をもった「御決断」によって行なわれた。同様に1931年9月開始の中国東北地方侵略いらいの不断に拡大した中国侵略戦争も、天皇の主体的な「御裁可」とその前段の「御内意」により実現されたのであった。

 占領軍の極東国際軍事法廷は、天皇裕仁の責任をすこしも問わなかった。それはアメリカ政府の政治的方針によることであったとはいえ、われわれ日本人民がその当時無力であったためでもある。降伏決定はもっぱら日本の支配層の最上層部のみによって、人民には極秘のうちに、『国体』すなわち天皇制護持のためにのみ行なわれた。人民は降伏決定に何ら積極的な役割を果すことがなかった。そして降伏後も人民の大多数はなお天皇制護持の呪文にしばりつづけられた。日本人民は天皇の戦争責任を問う大運動をおこすことはできなかった。
 アメリカ帝国主義は、天皇の責任を追及するのではなく、反対に天皇をアメリカの日本支配の道具に利用する道を選んだ。しかも現代日本の支配層は、自由民主党の憲法改定案の方向が示すように、天皇を、やがては日本国の元首とし、法制上にも日本軍国主義の最高指揮者として明確にしようとしている。
 この状況のもとで、1931?45年の戦争における天皇裕仁の責任を明白にすることは、たんなる過去のせんぎだてではなく、現在の軍国主義再起に反対するたたかいの、思想的文化的な戦線でのもっとも重要なことである、といわざるをえない。」

憲法を壊し戦争法案を上程した安倍政権のもとで、しかも天皇責任論タブー視の言論状況の中で、井上清が1975年に発した警告を受け止めなければならない。民主主義の欠如こそが最大の戦争の要因なのだから。
(2015年8月5日)

戦争法案を廃案に。戦争法を支える教育行政の暴走にも歯止めを。

「安倍政権の教育政策に反対する会」を代表して開会のご挨拶を申し上げます。月曜日の正午スタートという、ご都合つきにくい日程にもかかわらず、参議院議員会館での教育を考える集会に多数ご参集いただきありがとうございます。

本日の集会のメインタイトルは、『いま、教育に起っていること』であります。
まことにさまざまなことが、いま、教育に起こっております。到底見過ごすことができないことばかり。ひとつひとつのできごとをしっかりと見つめ、見極めなければなりません。この教育分野のできごとは、けっして教育分野独自の問題として独立して生じているわけではありません。当然のことながら、教育問題も政治的・経済的・社会的な全体状況の一側面であります。他の政治や経済や社会状況と切り離して論じることはできません。そのような問題意識が、サブタイトル『戦争法とも言われている安保法制下での教育、ふたたび』として示されています。

国会の内外は、戦争法案審議の成否をめぐって、いま騒然たる状況にあります。その騒然たる状況は、全国津々浦々の教育現場の状況と密接に関連しています。初等中等教育に、政権が、あるいはその意を受けた地方権力が、乱暴な介入をしているだけでなく、いよいよ大学教育にも政権の介入が及ぼうとしています。

その政権が、昨年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定に続いて、いま戦争法案を国会に上程しました。衆議院での審議は紛糾し、政府与党は本日にも大幅な会期延長で、なんとか今国会での法案の成立を画策しています。これまでは我が国の外交にも内政にも、戦争・参戦という選択肢はありませんでした。自衛隊ありといえども、専守防衛の原則を厳守するというタテマエから踏み出すことはできなかったのです。ところが、いま、世界のどこにでも日本の武装組織が出かけていって戦争をする、戦闘に参加する、そういう選択肢をもつ、国に変えようというたくらみが強引に推し進めらようとしています。

もし、政権の思惑通りにことが成就するとすれば、まさしく憲法の平和主義からの大きな逸脱であり、これこそ「戦後政治の総決算」であり、「戦後レジームからの脱却」というほかはありません。この政権の動きと軌を一にして、教育も、そのような政策に奉仕する人材を育成する内容に変更されようとしている、と考えざるをえません。

戦争を政策選択肢とする国とは、いつもいつも効率よく戦争を遂行できるよう、万全の準備を怠らない国です。いざというときには、政権の呼びかけに応じて全国民が一丸となって戦争に参加しなければなりません。そのような国を支える教育とは、いったいどんなものなのでしょうか。

自らものを考え行動する自立した主権者を育てる教育とは対極にある教育。権力が望む批判精神を欠いた国民を育成する教育。結局のところ、権力の意思を子どもたちに刷り込み、国家の言いなりに動く人材を育成する教育。その政策の根底には、国民個人を軽んじる国家主義ないしは軍事大国化の志向があり、大企業の利益に奉仕する新自由主義があります。

本日は、何よりも教育の分野総体が、いったいどうなっているかを正確に把握したいと思います。そして、その背景を煮詰めて考える手がかりを得たいと思います。冒頭に総論として世取山洋介さん(新潟大学教授)の基調講演をお願いしています。「教育情勢全般の状況について」という世取山さんならではのご報告に耳を傾けたいと思います。そのあと、各論として、まず俵義文さん(子どもと教科書全国ネット21)から重大な局面を迎えている教科書採択状況についてのご報告。また、近時新たに大きな問題となってきました政権の大学の自治への攻撃をめぐる問題について岩下誠さん(学問の自由を考える会事務局長・青山学院大学准教授)から、さらには教育の歪みの端的な表れである学校でのいじめ問題について武田さち子さん(ジェントルハート理事)に、それぞれ20分ずつのご報告をいただき、その後ご参加いただける議員や会場の皆さまを交えての意見交換をいたしたいと存じます。

目指すところは、戦争法案と同じ根っこから顔を出している政権の全面的な教育介入に対する摘発です。戦争法案とともに、政権の教育への不当な介入も吹き飛ばすにはどうすればよいのか。教育を「ふたたび」戦前に戻してしまうような愚かさを繰り返すことのないよう自覚しなければならないと思います。そのために、本日の集会が充実した実りある議論の場となりますように、皆さまのご協力をよろしくお願いいたします。
(2015年6月22日)

つつしんで、「安倍・ビリケン内閣」の名をたてまつる

6月6日、「立憲デモクラシーの会」パネルディスカッションでの、樋口陽一の発言に耳を傾けたい。

「日本の近代化は戦前まで、立憲主義がキーワードだった。ところが、戦後はひたすら民主主義を唱えていればいいという時代があった。立憲主義と民主主義は場合によっては反発し合う。民主主義とは、人民による支配であり、憲法制定権力になる。一方、立憲主義は人間の意思を超えた触れてはならないものがあるとの考え方に基づく」(6月10日東京新聞)

ここで指摘されているものは、民主主義と立憲主義の緊張関係である。戦前、民主主義を標榜することが困難だった時代、政治のキーワードは立憲主義だったという。樋口は、戦前の立憲主義を評価する立場だ。そして、今、立憲主義がないがしろにされていることを、憂うべき深刻な事態として警告を発している。

民主主義は、時の政権に暴走の口実を与える。ファシズムの母胎にもなり得る。これに歯止めをかけるものとして、多数支持だけでは乗り越えられない理念的なハードルとしての立憲主義の機能が期待される。安倍政権には、その自覚が欠けているのだ。

樋口が示唆する視点で戦前を顧みたい。寺内正毅という人物がいた。長州軍閥の出身で、初代の朝鮮総督を務めた。韓国併合の際に、「小早川 加藤 小西が 世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ」という愚かな「歌」を詠んだいやな奴。そして、無益なシベリア出兵を決断して、将兵を無駄死にさせた首相でもある。戦前の植民地主義と軍国主義を象徴するごとき武断派の政治家。彼の内閣は政党政治に基盤をおかない超然内閣の典型ともされる。当時から、識見能力とも無能の評が定着し、民衆からの好感度すこぶる低かった。

この評判の悪い寺内が、当時のマスコミから「ビリケン宰相」と呼ばれていたことが興味深い。ビリケンとは、今は通天閣の名物としてしか知られていないが、アメリカ製の人形キャラクター。この人形に寺内の風貌が似ていたという。そのことに引っかけて、寺内を立憲主義を守らない政権担当者だという、「非立憲(ひりっけん)」の非難と揶揄の意味合いを込めたあだ名。ビリケンのキャラクター自身に罪はないが、たまたま「ひりっけん」という政治用語に発音が似ていた不運からの、ビリケンの受難であった。

石川健治(東大教授)も発言している。
問題提起したい。「合憲と違憲」とは別次元で語られる「立憲と非立憲」の区別についてだ。京都帝国大の憲法学者、佐々木惣一が、違憲とは言えなくても「非立憲」という捉え方があると問題提起した。今、ここに集まってこられた方は今の政治の状況に何とも言えないもやもや感を抱いていると思う。そののもやもや感を「非立憲的」と表現した。まさに今、非立憲的な権力と政権運営のあり方が、われわれの目の前に現れているのではないのか。

樋口が応えて発言を続ける。
現政権はまず憲法96条を変え、改憲発議に必要な国会議員数3分の2というハードルを下げようとした。まずこれが非立憲の典型。安保法案は提出方法そのものが非立憲だ。国民が集団的自衛権の議論に飽きたころに法案を提出し、国民に議論を提起せずに、憲法の質を丸ごと差し替える法案を提出した。さらに安倍晋三首相は米国の議場で、日本の国会に提出もしていない安保法案について、夏までに必ず実現すると語った。これは憲法が大前提としている国民主権にも反する。

東京新聞は、この紹介記事に「法律をまず変え、それに合わせ改憲 これはまさに非立憲的な事態だ」と見出しを打った。

寺内正毅と安倍晋三、時代は違うが似たもの同士。出自は長州、「我が軍」大好き。やることすべてが「非立憲」。

「安倍・非立憲内閣」、「安倍・非立憲首相」、「ザ非立憲・安倍」「非立憲政治家・安倍晋三」…。安倍には非立憲がよく似合う。それにしても、ヒリッケンとは、発音しづらい。ビリケンとはよく言った。いまの世に、もはやビリケンのキャラクターイメージはない。けれども、語感の軽さと揶揄の響きだけは十分に残っているではないか。

そんなわけで、謹んで「安倍・ビリケン内閣」の御名をたてまつることとしよう。
(2015年6月12日)

汝平和を欲すれば平和を準備せよ

6月6日東大で催された「立憲デモクラシーの会」パネルディスカッションが、時節柄大きな話題となった。総合タイトルは「立憲主義の危機」である。昨日(6月10日)の東京新聞に、その内容が要領よく紹介されている。見出しが「安保法案は立憲主義の危機」と付けられている。

メインの佐藤幸治講演が耳目を集めたが、パネルディスカッションでの樋口陽一発言録に注目したい。傾聴に値するものとして、その一部を東京新聞に採録されたままの形で転載する。

歴史に学ぶとは、負の歴史に正面から対面することであり、同時に、先人たちの営みから希望を引き出すことでもある。今の政治は負の歴史をあえて無視するだけでなく、希望をもつぶそうとしている。戦後レジームからの脱却だけでなく、戦前の先人たちの努力を無視、あるいはそうした努力について無知のまま突き進もうとしている。
1931年の満州事変の時、国際法学者の横田喜三郎(1896〜1993)は、「これは日本の自衛行動ではない」と断言した。その横田の寄稿を載せた学生たちの文集が手許にある。
その中で横田は「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」とのラテン語の警句を引き、「汝平和を欲すれば平和を準備せよでなければならない」と呼び掛けた。そして文集に、学生が「横田先生万歳!」「頑張れ!」と共感を書き込んでいる。恐らく、この二人の学生は兵士として出征しただろう。再び母校に戻ってくることはなかったかもしれない。
今、私たちが対しているのは、平和を欲すれば戦争を準備しようという警句通りの時代。しかし、かつて文集に書き込みを残した若者たちがいたし、この会にも若い人がたくさん参加している。われわれは日本の将来に対して、大きな責任がある。立憲主義の土台を維持できるかどうかは、世界に対しても大事な責任なのだ。

「平和を願う者は、戦争の準備をしなければならない」「平和を欲するのなら戦争を準備せよ」などとは言い古された常套句だが、状況によっては真実であることを否定し得ない。それだけに、まどわされぬよう警戒しなければならない。歴史的には、戦前われわれの上の幾世代かが、このとおりに考え実行して、国を滅ぼした。この警句は、言わば試され済みの亡国の思想にほかならない。

「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」とは、古典的な抑止力思想である。防衛的な自国を近隣侵略国の魔の手が狙っている。飽くまで自国の武力は善である。自国の武力を増強して「戦へ備える」ことこそが戦を避け、平和をもたらす、というのだ。語られるのは、「武力による自国の平和」である。当然に相手国も同様に考える。一国の武力の増強は相手国を刺激して相互の武力の増大を招く負のスパイラルを必然化する。武力を増強すればすれほど、一国の軍事化が進めば進むほど、平和なのだということになる。パラドックスというよりは倒錯の事態である。いつかは破綻を免れない。

70年前、戦争の惨禍から再生した我が国は、この倒錯の思想の克服を宣言した。「汝平和を欲すれば平和を準備せよ」の原則を確立した…はずなのだ。これが、日本国憲法の平和主義の理念であり、9条の精神である。今、時代の逆転を許してはならない。痛切にそう思う。

横田喜三郎は後に最高裁長官となった。前任の田中耕太郎や、その後の石田和外などの「反動」長官にはさまれた「ずいぶんマシな司法の時代」の長官という印象がある。しかし、15年戦争が開始した時代に学生に向かって「汝平和を欲すれば平和を準備せよ、でなければならない」と呼びかけていることはまったく知らなかった。あの戦前の暗い時代にも、9条の精神をもっていた人はいたのだ。共感する若者もいた。

確かに、戦前の先人たちの努力を無視してはならない。あるいは、そうした努力について無知であってはならない。平和を希求した先人についても、立憲主義を追求した先人についても、である。
(2015年6月11日)

潮目は変わってきたー「読売世論調査」と「谷垣帰れコール」と「大集会」と

微動だにしないようで、地球だって動いている。憲法をめぐる状勢が不動なわけがない。潮目は見る見るうちに変わる。今、目の前で、変わり始めたのではないだろうか。爽やかなよい風が吹いてきた。

マグマのたまりがなければ噴火は起こらない。これまで沈潜していた国民の憲法意識、憲法と平和を擁護しようという心意気のマグマが噴出を始めた。大爆発ではない。しかし、力強く着実に。今日は、そのことを実感させる三題噺。三題とは、「読売世論調査」「谷垣帰れコール」、そして「各地の大集会」である。

お題の第一は、読売の最新世論調査。これまでは、5月末時点の調査結果しかなかった。今朝、読売が6月5?7日の全国調査の結果を発表した。これによると、「安倍内閣が最優先で取り組んでいる安全保障関連法案の今国会での成立については、『反対』が59%(前月48%から11%増)に上昇し、『賛成』の30%(前月34%から4%の減)を上回っている」という。1か月で反対が11%増は、大きな事件ではないか。

前回調査では、戦争法反対48%、賛成34%。その差は14ポイント。反対が賛成の1.4倍であった。これが今回調査では、反対59%、賛成30%。その差は29ポイント。反対が賛成の2.0倍となった。明らかな状況の変化、世論が動いたのだ。

このことを読売自身は「政府・与党が法案の内容を十分に説明していないと思う人は80%に達し、与党が合意した安保法制について聞いた今年4月調査(3?5日)の81%と、ほぼ変化はない。『十分に説明している』は14%(4月は12%)にとどまっており、政府・与党には今後の国会審議などを通じて、より丁寧な説明が求められる」と解説している。

この解説には、「丁寧に十分に説明していないから、反対回答が多くなった。丁寧に十分に説明すれば結果は違ってくる」というニュアンスが感じられるが、それは違う。政府提案のまやかしに戸惑っていた国民が、政府説明の進展に従って態度を明確にしつつあるのだ。内閣が「丁寧に十分に正確に」説明すればするほど、民意は反対を明確にすることになるだろう。

もう少し、立ち入って読売世論調査を見ておきたい。問の発し方が、相当に誘導的なものとなっていることにご留意いただきたい。たとえば、次のような設問がある。
現在、国会で審議されている、集団的自衛権の限定的な行使を含む、安全保障関連法案についてお聞きします。
◇安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか。

この問の文章中に、「安全」「平和」「国際貢献」などの語がちりばめられており、「安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。」と断定した上で、賛否を問うているのだ。典型的な誤導質問の手法。さすがは読売、ここまでやるか、と感心するほかはない。

そのような設問に対して、「反対 48%」(賛成40%)は、自覚的意識的な反対論である。この数字の意味するところは重い。
 
読売のコメントはないが、次の問と答がきわめて興味深いところ。
安全保障関連法案が成立すれば、日本が外国から武力攻撃を受けることを防ぐ力、いわゆる抑止力が高まると思いますか、そうは思いませんか。
  抑止力が高まる  35%
  そうは思わない   54%

読売の調査において、抑止力論否定派が過半数。安倍政権の国民説得は完全に破綻している。

はからずも、読売の世論調査が潮目変化の第一報となった。次の世論調査報告が待たれるところ。

さて、2番目のお題は、谷垣禎一自民党幹事長への「カエレコール」の話題。
自民党の若手議員らでつくる青年局が7日、「安全保障関連法」の必要性や拉致問題の解決を訴える街頭行動を全国約80カ所で行ったという。これに、「戦争法案」に反対する市民らも集まり憲法改正反対などを訴え、谷垣帰れコールが巻きおこったことが報じられている。

朝日の記事は以下のとおり。
「東京・JR新宿駅西口では、谷垣禎一・党幹事長が『隙間のない抑止の体制をつくることで日本の平和と安全を保とうとしている』と安保法制に理解を求めた。一部の聴衆から拍手が上がった。青年局は2004年から毎年6月、拉致問題をテーマに一斉街頭行動を繰り広げている。これに対し、プラカードやのぼりを掲げた市民らが『戦争反対』『9条を壊すな』と声をあげた。」(朝日)
「安全保障関連法案に反対する市民が多数詰めかけ、プラカードを掲げて抗議した。谷垣禎一幹事長の演説中には「帰れコール」が発生。JR新宿駅前での演説は、事実上打ち切られた。政府与党は今月24日の会期末までに、法案の衆院通過を目指すが、困難な状況だ。与党が推薦した憲法の専門家までもが法案を「違憲」と断じた経緯もあり、世論の反発はさらに強まる可能性がある。自民党が、JR新宿、吉祥寺両駅前で開いた演説は終始、騒然とした雰囲気に包まれた。「戦争法案反対」「戦争させない」などのプラカードを手にした人が詰めかけ、「法案は撤回だ」と声をあげた。弁士の訴えはかき消され、聴衆の最後方まで届かなかった。谷垣禎一幹事長がマイクを握ると、「(自民党ハト派の)宏池会(の出身)だろう」とやじが飛んだ」(「日刊スポーツ」)

この谷垣受難の一幕、状況の変化をよく示しているのではないか。

そして、3題目はマグマのたまり具合である。
「5・31オール埼玉総行動」が、1万人の集会を成功させた。6月1日付東京新聞が、次のように報道している。
「休日の公園に、参加者たちの『九条を壊すな』との平和を求める声が響き渡った」「公園には午前九時から参加者が続々と集まり、主催団体が用意した約一万一千部のチラシはほぼ配布しきった。集会を企画した農業神部勝秀さん(71)=さいたま市緑区=は「県内での一万人規模の集会は、メーデーでも例がない。県民の危機感の強さを感じさせられる」と驚いた様子で話した」

そして本日の赤旗の報道である。
NO!「戦争する国」 生かそう!平和憲法6・7長野県民大集会が長野市で開催され、2800人が参加しました。「戦争法案をストップさせる」一点で、立場や組織の違いを超えての開催です。県内の26人が呼びかけ人となり、「憲法9条を守る県民過半数署名をすすめる会」「戦争をさせない1000人委員会・信州」など6団体が事務局として準備してきました。

「立憲主義 壊さんといて 大阪弁護士会が集会・パレード」
「集団的自衛権に反対!」「立憲主義を壊さんといて!」。解釈改憲による集団的自衛権行使容認反対、戦争法案の成立を許さないと、大阪弁護士会が野外集会・パレード「日本はどこに向かうのかパート3 なし崩しの海外派兵許すな」を7日、大阪市内で開き、4000人が参加しました。
パレードでは、「集団的自衛権はアカン」「アカン」とコールしながら大阪市内を3コースに分かれて行進。「アカン」のプラカードを掲げるコールに沿道の人たちが注目していました。

このパレードは、朝日も報じている。その見出しがふるっている。「見渡す限り『アカン!』 安保法制『ノー』訴える集会」というのだ。

憲法9条の解釈を変え、集団的自衛権を使えるようにする安全保障法制の関連法案の成立を急ぐ安倍政権に対し、「憲法改正の手続きをとらない『なし崩しの法制化』はノー」と訴える大規模集会が7日、大阪市内で開かれた。主催した大阪弁護士会によると、約4千人が参加。集会後は繁華街に繰り出し、抗議の声を上げながら練り歩いた。
弁護士会の憲法問題特別委員長が「反対の声を上げよう」と呼びかけると、女性や若者らが「アカン!」と書かれた黄色い紙を一斉に掲げた。

マグマの変化をメディアも伝え始めた。手応えは十分。潮目は変わりつつある。
(2015年6月8日)

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