平和とともに永遠なれー東京新聞「平和の俳句」
東京新聞一面左肩に毎日掲載の「平和の俳句」。平和を願う多くの人々の感性や知性を代弁して、共感を呼ぶものとなっている。ときに感心し、ときにその句の鋭さにぎょっとさせられる。今日の句にも、ぎょっとさせられた。
父はただ穴を掘ったとしか言わぬ(9月7日)
60代女性の投句である。この穴の暗さの記憶が、作者の父のその後の人生を呪縛し続けたにちがいない。真面目な人ほど、好人物であるほど、家族にすらいえない辛い暗い記憶に悩み続けることになる。私の亡父にも、口にすることのできない暗い記憶がなかっただろうか。
私が子どものころ、男の大人は、例外なく兵隊の経験者だった。かつて敵と戦場で闘った人たち。銃で武装し鉄兜をかぶって敵を殺す訓練を受けた人たち、私もそういう目で大人を見た。外地で戦って敗れた生き残り…とも。その大人たちは、戦争について多くを語らなかった。「穴を掘った」以上のことを子どもに語りようがなかったろう。伝聞では戦地での暴行や略奪を手柄話に語る大人もいたようだが、私には直接聞いた記憶が無い。
8月28日東京新聞一面のトップに、「元兵員 残虐行為の悪夢 戦後70年 消えぬ心の傷」という、優れた調査報道が掲載されていた。穴を掘った人たちの心の傷が、70年を経た今なお癒えないというのだ。
「アジア太平洋戦争の軍隊生活や軍務時に精神障害を負った元兵員のうち、今年七月末時点で少なくとも10人が入通院を続けていることが分かった。戦争、軍隊と障害者の問題を研究する埼玉大の清水寛名誉教授(障害児教育学)は『彼らは戦争がいかに人間の心身を深く長く傷つけるかの生き証人』と指摘している。」というリード。
「本紙は、戦傷病者特別援護法に基づき、精神障害で療養費給付を受けている元軍人軍属の有無を47都道府県に問い合わせた。確認分だけで、入院中の元兵員は福岡など4道県の4人。いずれも80歳代後半以上で、多くは約70年間にわたり入院を続けてきたとみられる。通院は東京と島根など6都県の6人。
療養費給付を受ける元兵員は1980年代には入通院各500人以上いたが、年々減少。入院者は今春段階で長野、鹿児島両県にも一人ずついたが5、6月に死亡している。
清水氏によると、戦時中に精神障害と診断された兵員は、精神障害に対応する基幹病院だった国府台陸軍病院(千葉県市川市)に収容され、38?45年で1万4百人余に上った。この数は陸軍の一部にすぎず、症状が出ても臆病者や詐病扱いで制裁を浴びて収容されなかった場合も多いとみられる。
清水氏は同病院の「病床日誌(カルテ)」約8千人分を分析。発症や変調の要因として戦闘行動での恐怖や不安、疲労のほか、絶対服従が求められる軍隊生活への不適応、加害の罪責感などを挙げる。
診療記録で、兵士の一人は、中国で子どもも含めて住民を虐殺した罪責感や症状をこう語っている。「住民ヲ七人殺シタ」「ソノ後恐ロシイ夢ヲ見」「又殺シタ良民ガウラメシソウニ見タリスル」「風呂ニ入ッテ居テモ廊下ヲ歩イテイテモ皆ガ叩(たた)キカカッテキハシナイカトイフヨウナ気ガスル」
残虐行為が不意に思い出され、悪夢で現れる状態について、埼玉大の細渕富夫教授(障害児教育学)は「ベトナム、イラク戦争の帰還米兵で注目された心的外傷後ストレス障害(PTSD)に類似する症状」とみる。
清水氏は「症状が落ち着いて入院治療までは必要のない元兵員が、偏見や家族の協力不足などで入院を強いられてきた面もある」と説明。また今後、安全保障関連法案が成立して米国の軍事行動に協力すると、「自衛隊でもおびただしい精神障害者が生じる」と懸念する。」
戦争は残酷なものだ。殺されることも、殺すこともマッピラ。戦争そのものを拒否し、防止しなければならない。
「父が掘った穴」の暗さは個人を蝕み個人の記憶に残るだけではない。人類の文明にポッカリ開いた穴の暗さでもある。あらゆる場で、この穴を塞ぐ努力をしなければならない。
ついでに、印象に残った平和俳句のいくつかを紹介する。
毛髪と爪が父なり終戦日(8月13日)
これも、ぎょっとさせられる系の句。作者の父の死は外地でのこと。輸送船の沈没か地上戦か、あるいは餓死か。混乱の中で、遺骨は届けられない。出生前に、形見として残していった毛髪と爪だけが父のすべてなのだ。終戦記念日に、戦争を深く考えざるをえない。
改憲という声開戦に聞こゆ(8月29日)
まったくそのとおり。言い得て妙ではないか。語呂合わせを越えて、本質を衝いている。
今程の平和でいいと蟇(ひきがえる)(8月25日)
こういうの好きだなあ。いい雰囲気だなあ。「いまほど」でいいんだ。のんびりさせてくれよ。
九条を吸ってェ吐いてェ生きている(7月12日)
これもいいなあ。平和のうちに生きることと憲法九条との一体感が、肩肘張らずに表現されている。
戦争の命日八月十五日(8月14日)
父や母の命日ではなく、「戦争の命日」。この日戦争は死んだのだ。再び、生き返らせてはならない。
国旗よりはためかさせてよ洗濯物(7月6日)
この句では、国旗が勇ましい戦争の象徴、洗濯物が日常の平和の象徴として対比されている。国旗をはためかしても碌なことはない。それよりは、洗濯物をはためかした方がずっと役に立つし楽しいじゃないの。
今後も、ずっと「平和の俳句」に注目したい。そして楽しませていただきたい。
(2015年9月7日)