澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

つつしんで、「安倍・ビリケン内閣」の名をたてまつる

6月6日、「立憲デモクラシーの会」パネルディスカッションでの、樋口陽一の発言に耳を傾けたい。

「日本の近代化は戦前まで、立憲主義がキーワードだった。ところが、戦後はひたすら民主主義を唱えていればいいという時代があった。立憲主義と民主主義は場合によっては反発し合う。民主主義とは、人民による支配であり、憲法制定権力になる。一方、立憲主義は人間の意思を超えた触れてはならないものがあるとの考え方に基づく」(6月10日東京新聞)

ここで指摘されているものは、民主主義と立憲主義の緊張関係である。戦前、民主主義を標榜することが困難だった時代、政治のキーワードは立憲主義だったという。樋口は、戦前の立憲主義を評価する立場だ。そして、今、立憲主義がないがしろにされていることを、憂うべき深刻な事態として警告を発している。

民主主義は、時の政権に暴走の口実を与える。ファシズムの母胎にもなり得る。これに歯止めをかけるものとして、多数支持だけでは乗り越えられない理念的なハードルとしての立憲主義の機能が期待される。安倍政権には、その自覚が欠けているのだ。

樋口が示唆する視点で戦前を顧みたい。寺内正毅という人物がいた。長州軍閥の出身で、初代の朝鮮総督を務めた。韓国併合の際に、「小早川 加藤 小西が 世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ」という愚かな「歌」を詠んだいやな奴。そして、無益なシベリア出兵を決断して、将兵を無駄死にさせた首相でもある。戦前の植民地主義と軍国主義を象徴するごとき武断派の政治家。彼の内閣は政党政治に基盤をおかない超然内閣の典型ともされる。当時から、識見能力とも無能の評が定着し、民衆からの好感度すこぶる低かった。

この評判の悪い寺内が、当時のマスコミから「ビリケン宰相」と呼ばれていたことが興味深い。ビリケンとは、今は通天閣の名物としてしか知られていないが、アメリカ製の人形キャラクター。この人形に寺内の風貌が似ていたという。そのことに引っかけて、寺内を立憲主義を守らない政権担当者だという、「非立憲(ひりっけん)」の非難と揶揄の意味合いを込めたあだ名。ビリケンのキャラクター自身に罪はないが、たまたま「ひりっけん」という政治用語に発音が似ていた不運からの、ビリケンの受難であった。

石川健治(東大教授)も発言している。
問題提起したい。「合憲と違憲」とは別次元で語られる「立憲と非立憲」の区別についてだ。京都帝国大の憲法学者、佐々木惣一が、違憲とは言えなくても「非立憲」という捉え方があると問題提起した。今、ここに集まってこられた方は今の政治の状況に何とも言えないもやもや感を抱いていると思う。そののもやもや感を「非立憲的」と表現した。まさに今、非立憲的な権力と政権運営のあり方が、われわれの目の前に現れているのではないのか。

樋口が応えて発言を続ける。
現政権はまず憲法96条を変え、改憲発議に必要な国会議員数3分の2というハードルを下げようとした。まずこれが非立憲の典型。安保法案は提出方法そのものが非立憲だ。国民が集団的自衛権の議論に飽きたころに法案を提出し、国民に議論を提起せずに、憲法の質を丸ごと差し替える法案を提出した。さらに安倍晋三首相は米国の議場で、日本の国会に提出もしていない安保法案について、夏までに必ず実現すると語った。これは憲法が大前提としている国民主権にも反する。

東京新聞は、この紹介記事に「法律をまず変え、それに合わせ改憲 これはまさに非立憲的な事態だ」と見出しを打った。

寺内正毅と安倍晋三、時代は違うが似たもの同士。出自は長州、「我が軍」大好き。やることすべてが「非立憲」。

「安倍・非立憲内閣」、「安倍・非立憲首相」、「ザ非立憲・安倍」「非立憲政治家・安倍晋三」…。安倍には非立憲がよく似合う。それにしても、ヒリッケンとは、発音しづらい。ビリケンとはよく言った。いまの世に、もはやビリケンのキャラクターイメージはない。けれども、語感の軽さと揶揄の響きだけは十分に残っているではないか。

そんなわけで、謹んで「安倍・ビリケン内閣」の御名をたてまつることとしよう。
(2015年6月12日)

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