本日の [産経・正論]欄に、「『和諧』を良しとする日本を誇る」という一文が掲載されている。著者は平川祐弘という相当のお歳の比較文化史家。東京大学名誉教授とのこと。「正論」の常連執筆者の一人である。
もちろん国民誰にも表現の自由は保障されている。だから、目くじら立てるほどのこともないではないか、と言われればそのとおり。が、この人のトンデモ憲法論に幻惑される被害が発生せぬよう、最低限の反論が必要と思われる。
1年ほど前に、彼は、「新しい憲法について国民的な議論を高めたい。比較文化史家として私も提案させていただく」として、やはり「正論」に寄稿している。「『和を以って貴しとなす』。この聖徳太子の言葉を私は日本憲法の前文に掲げたい。‥このような憲法改正には文句のつけようがないだろう」「憲法はそのように日本の歴史と文化に根ざす前文であり本文でありたい」との内容。今回の寄稿はその焼き直し。
よく知られているとおり、自民党改憲草案の前文には、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と書き込まれている。ここでの「和を尊び」は、現実に存在する権力や経済力による支配と被支配の対立構造、あるいは社会的な貧困や格差を隠蔽し糊塗する役割を担っている。
そもそも、十七か条の冒頭に位置する「以和爲貴」は、「無忤爲宗(逆らうことなきを旨とせよ)」や、「承詔必謹」とセットをなしている。「和」とは、対等者間の調和ではなく、「天皇を頂点に戴く権力構造の階層的秩序」と理解するほかはない。本気になって「憲法に『以和爲貴』を書き込もう」と言っているとすれば、甚だしい時代錯誤。近代立憲主義も現代立憲主義も、いや法の支配も、法治主義すらも理解していない人の言としか思えない。
その平川さんが本日の「正論」で靖国の祭神について述べている。未整理の文章で論旨不明瞭といわざるを得ないが、結論だけが「…だから日本は素晴らしい」というもの。どんな結論でもけっこうだが、靖国について「敵味方を超えて行われる鎮魂」と言っている点で、反論しておかねばならない。
平川さんの文章は、平将門を祭神とする神田明神への参拝の隆昌から説き起こされている。そして、次のように展開する。
「祟ると崇めるとは字も似るが、祟りが怖ろしいから崇めたのだ。だが、そんな荒ぶる御霊が鎮魂慰撫されて今では利生の神(平将門を指す)、学問の神(菅原道真を指す)として尊崇される。神道では善人も悪人も神になる。本居宣長は「善神にこひねぎ…悪神をも和め祭る」と『直毘霊』で説いた。鎮魂は正邪や敵味方の別を超えて行われてこそ意味がある」。ここまでの文意は明瞭で、敢えて異を唱えるほどのこともない。
その次からが突然の転調となる。
「読売新聞の渡辺恒雄氏は宗教的感受性が私と違うらしく、絞首刑に処された人の分祀を口にした。私は『死人を区別していいのか』と感じる。解決の目途も立たぬまま大陸に戦線を拡大した昭和日本の軍部は愚かだと思うが、だからといって政治を慰霊の場に持ち込むのは非礼だ。靖国神社は日本軍国主義の問題と決めてかかる人が国内外にいるが、そうした狭い視野で考えていいことか」
文意を繋げると、「神道では善人も悪人も神になる」のだから、「絞首刑に処された東條英樹以下の悪人も神になった」。「分祀とは神に区別を設けること」なのだから、「いかなる悪人であろうとも神になった死人を区別することはよくない」。こう言いたいのだと推測するよりほかはない。なお、それまでの説明と、「靖国神社」「日本軍国主義」「狭い視野」とは関連不明としか評しようがない。
文意がわかりにくいのは、論者が世の常識とは違うことを言っているからなのだ。
日本人の伝統的な死生観が「怨親平等」という言葉に表される死者の平等にあったことはよく知られている。例えば、蒙古襲来の際の犠牲者を、日本の民衆は敵味方の区別なく手厚く葬った。その象徴として円覚寺の存在が語られる。
この日本的伝統を真っ向から否定して死者の差別を公然化したのが、招魂社であり、靖国神社である。維新期の西南雄藩連合は、自軍を皇軍(すめらみいくさ)として、荒ぶる寇(あらぶるあだ)である賊軍との戰に斃れた自軍の戦死者だけを祀った。要するに、徹底した死者の差別であり、魂の差別である。ここには怨親平等のヒューマニズムはかけらもない。政治的な思惑から、天皇への忠誠故の死者を褒めそやし、未来永劫賊軍の死者を侮辱さえしたのである。
戊辰戦争の最大の山場は会津戦争であった。官軍の死者の遺体はこの地に埋葬され、「天皇のために闘った、忠義の若者たちがいたことを後世に伝えるために」石碑が建てられた。一方、賊軍側3000の戦死者には、埋葬自体が禁じられた。死体はみな、狐や狸や野鳥に食われ腐敗して見るも無惨な状態になった。(「明治戊辰殉難者之霊奉祀の由来」・高橋哲哉「靖国問題」による)
この天皇への味方か敵かを峻別し、死者をも徹底して差別することが靖国の思想である。明治維新が、国政運営にこのうえない便利な道具として神権天皇制を拵え上げたその一環として、靖国神社は天皇制政府の軍事におけるイデオロギー装置となった。天皇へ忠誠を尽くして死ぬことを徹底して美化し、その反対に天皇に敵対することを徹底して貶める、死の意味づけにおける差別の体系と言ってよい。この魂の差別については、既に古典と言ってよい「慰霊と招魂」(村上重良・岩波新書)に詳しい。
戊辰戦争で賊軍とされた奥羽越列藩同盟の戦死者も、西南戦争で敗れた西郷軍も、未来永劫靖国の祭神の敵として靖国神社に合祀されることはない。この内戦における死者への差別は、皇軍が対外戦争をするようになってからは排外主義の精神的基盤ともなり、また戦死者を「天皇への忠義を尽くしての戦死」か「しからざる(捕虜や逃亡兵としての)死」かに差別することにもなった。
平川「正論」が、日本人の伝統に反してまで徹底した「死者の差別」をしている靖国神社を引き合いに、祭神の平等、死者の平等を説くから、話がこんがらかってしまうのだ。
(2015年2月4日)
昨日(1月31日)、元ドイツ連邦大統領のリヒャルト・フォン・ワイツゼッカーが亡くなった。われわれには、ドイツの大統領という存在がなかなか理解しにくい。任期5年の国家元首として、党派性の薄い立場だという。血筋ではなく、国民を代表するにふさわしい良識と知性を体現することをもって国家と国民統合の象徴としての機能を期待されているのだ。要するに、尊敬される言動が任務の内容ということではないか。これはたいへんなことだ。ワイツゼッカーといい、ガウクといい、それに相応しい人物と国民の信頼は厚いという。安倍だの麻生だのの類とは大違い。これは、残念ではあるが、ドイツ国民と日本国民の良識と知性の差でもあることを認めざるを得ない。
ワイツゼッカーが「荒れ野の40年」と題して連邦議会で演説をしたのは、ドイツ敗戦から40周年となる1985年5月8日。その10年後の8月に日本で戦後50周年の村山談話の発表となり、60周年では小泉談話が続いた。そして今年8月、余計なことに安倍談話が出るという。
安倍談話は、村山談話と対比されるだけでなく、ワイツゼッカーとも比較されることになる。良識と知性の格差は覆うべくもない。国恥となりかねないのだから、やめた方が賢明ではないか。
ワイツゼッカーの名演説は、大きな波紋を巻き起こした。「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」という一節が現代の名文句として有名となった。歴史を直視し、自らが犯した罪と真摯に向き合うことで、はじめて近隣諸国との真の「和解」が可能となるという文脈。これは、同じ全体主義国家として敗戦した日本にとっての優れたお手本以外のなにものでもない。
この名演説、意外に長文である。それに、決定訳を知らない。本日の毎日新聞に、要旨が掲載されているが、これすら相当に長い。文章としてもおさまりがよくない。思いきって、我流にスクリプトして、心にとどめ置きたい。
そして、「ドイツ国民」を「日本国民」に、「ユダヤ人」を、「中国人や朝鮮人」に読み替えて、正確に歴史を記憶するところから、間違った歴史を真に終わらせる方法を考えたいものと思う。
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私たちは、この日(敗戦記念日)に向き合う必要がある。この日はドイツにとってお祝いの日ではない。多くのドイツ人は祖国のため戦うのをよしとした。だがそれは犯罪的な政権の非人間的な目的に寄与するものだった。この日はドイツの間違った歴史の終わりの日だ。
この日は記憶の日でもある。記憶とはそれが自分の内部の一部となるように正直に、純粋に思い出すことだ。私たちは独裁政権によって殺されたすべての人、特に強制収容所で殺された600万人のユダヤ人を記憶する。命を失ったドイツ国民や兵士、祖国を追われたドイツ人を記憶する。ロマ民族や同性愛者、宗教・政治上の理由で殺された人を記憶する。死者の苦しみや、傷つき、強制的に断種され、逃走し、空襲の夜を過ごした苦しみを記憶する。
どの国も戦争や暴力に罪深い間違いを犯した歴史から自由になれない。罪は少数の者に主導されたが、ドイツ人一人一人はユダヤ人の苦難に共感できたはずだ。良心を曲げ、現実を見ず、沈黙していた。
先人は重い遺産を残した。私たち全員が過去に対する責任を負わされている。それは過去を乗り越えることではないし、過去は変えられない。過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる。非人間的な行いを記憶しない者は、また(非人間的な考えに)汚染される恐れがある。和解は記憶なしにはあり得ないことを理解すべきだ。
若者は当時のことに責任はない。だが歴史から生み出されるものに責任はある。若者に呼びかける。憎しみや敵意に陥らず、共生することを学び、自由を尊び、平和のために努力しよう。
(2015年2月1日)
憲法第52条は「国会の常会は、毎年1回これを召集する」と定めている。今日が、戦後70年となるこの年の常会(通常国会)開会の日。多事多難な中で、波乱含みの第189通常国会が始まった。会期は6月24日までの150日間である。
今日は、例のごとく参議院本会議場で天皇出席の開会式が行われる。大日本帝国時代の貴族院での開会式と少しも変わらない。天皇は主権者の代表を見下ろす「お席」から「お言葉」を述べる。そのあと、衆議院議長が「お席」まで階段を登り、おことばを受け取った後、後ろ向きに階段を降りるのだという。天皇に背を向けてはならないからというばかばかしさ。蟹のヨコ歩きを拒否した松本治一郎の気概をこそ見習うべきではないか。議席を増やして存在感を増した共産党議員団はこの奇妙な開会式をボイコットしているはず。それでこその共産党。ものわかりよく、開会式に出席して行儀よく「お言葉」を聞くようになってはならない。
いつも通常国会の前半は、予算審議がメインで経済政策の論議が中心になるのだが、何しろ今年は戦後70年である。歴史認識問題や集団的自衛権行使、安保法制をめぐっての憲法論議が焦点となるだろう。
この通常国会終了後の8月には、村山談話(戦後50年)・小泉談話(60年)につづく、戦後70年の安倍談話が出る模様だ。今国会の歴史認識や憲法論議がその談話に収斂するものと思われる。当時の小泉純一郎をずいぶんな「変人」と思ったが、小泉談話を見る限り常識的な内容となっている。安倍晋三は「変人」の枠には収まらない。既に「危(険)人」である。小泉の支持は保守層にあったが、安倍の支持は右翼層で、危険ラインを踏みはずしている。
本日の朝刊各紙が、昨日のNHK番組での「戦後70年安倍談話」の内容についての安倍自身のコメントを紹介している。
安倍は、「(村山談話や小泉談話など)今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍内閣としてどう考えているかという観点から談話を出したい」と述べ、過去の植民地支配と侵略を謝罪した戦後50年の村山富市首相談話などの文言は、そのままでは使わないことを明言したと受け止められている。
「『植民地支配と侵略』『痛切な反省』『心からのお詫び』などのキーワードを同じように使うか問われると、『そういうことではない』と明言した」(毎日)とのことである。
「キーワード」とは、まさしく文章を読み解くための「キー」となる重要語である。「キーポイント」は和製語だそうだが、まさしく「キーポイントとなることば」。新明解なら気の利いた語釈があろうかと引いてみたが、「問題の解決や文の意味の解明にかぎとなる重要語(句)」と、広辞苑と大差ない。
いずれにせよ、両談話の文意を決定している重要語は、「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」である。これらのキーワードを用いることなく、談話の趣旨を踏襲するなど不可能ではないか。また、わざわざそのようなアクロバティックな文章を練り上げる必要もまったくない。
憲法前文には、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」とある。まさしく、日本国憲法は、歴史認識の所産である。侵略戦争と植民地支配への痛切な反省と謝罪を土台に、不再戦の誓約をしているのだ。
しかし、被侵略国、被植民地国の国民からは、常に日本の為政者に対して、反省と謝罪の自覚の真摯さが問われ続けてきた。ファシズム同盟国であったドイツが徹底した反省と謝罪によって、近隣諸国からの信頼を勝ち得たことと好対照なのである。
さて、安倍談話。「近隣諸国への植民地支配と侵略」「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」「その痛切な反省」「心からのお詫びの気持」などの言葉を使わずして、いったい村山談話の何を継承できるというのだろうか。
民主党の岡田克也代表は「植民地支配や侵略を『細々としたこと』と言った首相の発言は許せない。過去を認め、戦後70年日本がやったことを伝え、未来志向と、この三つがそろわなければならない。過去の反省が飛んでは、戦後70年の歩みを否定することになりかねない」と批判した。
公明党の山口那津男代表は同じ番組で、「キーワードは極めて大きな意味を持っている。それを尊重して意味が伝わるものにしなければならない」と語り、表現の変更に慎重な姿勢を示した。(毎日)
岡田民主党も、山口公明党も、安倍自民に較べれば、すこぶる立派ではないか。最近「安倍話法」のずるさを感じる。原発問題で原子力村に住む人たちの「東大話法」が話題となっているが、安倍話法はこれとよく似ている。誰かが教え込んでいるのだろう。
安倍話法の特徴として、「聞かれたことにはけっしてまともに答えない」。「はぐらかして、自分にとって都合のよいことだけをまくし立てる」。それから、「社会的な理解とはまったく別の意味で言葉を使う」、などがある。
安倍晋三流の「平和」も「積極的平和」も、「安倍話法」の典型。憲法が定める国際協調主義や武力によらない平和との接点がない。武力を整備し、集団的自衛権行使を容認し、武器輸出三原則を骨抜きにし、停戦前の機雷の除去もできるようにし、A級戦犯にも額づいて近隣諸国を挑発することが、「平和を築くための積極的な方法」だというのだ。
この安倍の姿勢での戦後70周年談話とは、背筋が寒くなるほど恐ろしい。その前段階としての今国会の議論における安倍発言のロジックを、じっくりと注視し見極めよう。権力者に対する監視こそ主権者の任務なのだから。
(2015年1月26日)
危惧していたことが現実になった。イスラム国に拘束されていた湯川遥菜氏が殺害された模様だ。まことにおぞましく傷ましい限り。
ところで、安倍首相は「人命第一に私の陣頭指揮の下、政府全体として全力を尽くしていく」と語ったではないか。72時間+αの間に、「私」はいかなる陣頭指揮をし、政府全体としてはどのように「全力を尽くした」のか。
問題が起きてから、政府は湯川・後藤両氏がイスラム国に拘束されており、身代金交渉もあったと知っていたことが明らかになった。たとえば、毎日の1月21日記事が、「昨年11月に『イスラム国』側から後藤さんの家族に約10億円の身代金を要求するメールが届いていたことが分かった。政府関係者が明らかにした」と伝えている。要求金額はその後20億円となったようだが、政府は、昨年11月以来、後藤氏の家族から相談を受けていた。身柄拘束だけでなく、身代金要求の事実も事前に把握していたのだ。
にもかかわらず、首相はわざわざ中東まで出かけて、イスラム国の名を出して関係国への支援を約束して見せた。最初から、人質見殺しの意図があったのではないかと疑問視せざるを得ない。到底、「想定外」などと言い訳できる事態ではないのだ。
直接の問題となったのは、1月17日に、安倍首相がカイロでした政策スピーチである。その内容は、たとえば産経新聞ではこう報道されている。
「(安倍首相は)中東地域の平和と安定に向け、人道支援やインフラ整備など非軍事分野へ新たに25億ドル(約3000億円)相当の支援を行うと表明した。内訳としては、…イスラム教スンニ派過激派組織『イスラム国』対策としてイラクやレバノンなどに、2億ドル(約240億円)の支援を行うとした」
安倍スピーチでの2億ドル支出は、しっかりと「イスラム国対策」と位置づけられたものなのだ。イスラム国側から見れば、人道支援であろうと経済支援てあろうと、自国を敵視してのカネによる介入と映ることにもなろう。「8000キロのかなたからの十字軍参加」と言われる口実を与えたのだ。
このような安倍内閣の外交感覚を疑わざるを得ない。日本人人質が捕らわれていることを知りながら、敢えて挑発をしたと受けとられてもやむを得ないではないか。こんな杜撰な感覚や危機管理能力で、到底集団的自衛権行使などの判断を任せられるはずもない。
このような事態を招いたことの責任だけではなく、ことが起きてからの対応の責任も大きい。問題の72時間の政府の動きはわれわれにはまったく見えない。無為無策だったのではないか。もしかしたら、人命第一ではなく、米英と協調して断固テロと闘って米英ら有志連合からの信頼を得ることに優先順位があったのではないか。
人命救助のためには政府を信頼して任せるしかない、当面は安倍批判の時ではない、多くの人がそう考えていた。しかし、湯川氏が殺害された今、人命救出への政府の本気度は極めて疑わしい。残る後藤健二氏救出のためにも安倍批判が必要ではないか。
1月22日のハッサン中田孝氏(元同志社大学教授・イスラム法学者)緊急記者会見では、この点は次のように語られている。
「今回の事件は安倍総理の中東歴訪のタイミングで起きた。総理自身はこの訪問が地域の安定につながると考えていたようだが、残念ながらバランスが悪いと思う。訪問国が、エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナとすべてイスラエルに関係する国に限定されている。イスラエルと国交をもっている国自体がほとんどないことを実感していないのではないか。そういう訪問国の選択をしている時点で、日本はアメリカとイスラエルの手先とみなされ、難民支援・人道支援としては理解されがたい。現在、シリアからの難民は300万人といわれ、その半数以上がトルコにいる。そのトルコが支援対象から外れているということもおかしい。」
「日本人2人がイスラム国に拘束されていることは政府も把握していた。それなのにわざわざイスラム国だけをとりあげて、対イスラム国政策への支援をするという発言は不用意といわざるをえない。中東の安定に寄与するという発言は理解できるが、中東の安定が失われているのはイスラム国が出現する前からのこと。」(1月23日Blog「みずき」から引用)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-category-32.html
1月23日、後藤さんの母・石堂順子さんが、「息子救って」と声を上げた。その訴えの最後に、「健二はイスラム国の敵ではない」「日本は戦争をしないと憲法9条に誓った国です。70年間戦争をしていません」と訴えている。
「殺す」「殺される」「捕虜」などは、戦争を前提としての論理である。日本が真に平和国家としての真摯さを貫いていれば、そして平和国家としての国際的認知を獲得していれば、今回のような事態は起こらなかったのではないか。これまで、中東では日本は米やヨーロッパ諸国とは異なる平和志向の国と見なされてきたと聞いてきた。その評判に陰りが見えてきているのではないか。大戦後に不再戦の誓約を遵守してきたはずの日本のイメージを、安倍政権が破壊しつつあるのではないか。だから、アメリカやイスラエルの手先として金をばらまいているというイメージを与えてしまったのてはないか。
憲法をないがしろにしてでも、好戦的な米英やイスラエルとの友好国として国際的な認知を得たいという安倍政権の姿勢が、今回の傷ましい事態を招いたものと批判されなければならない。
残念ながら、われわれの力量が十分ではない。憲法嫌いで武力大好きな安倍政権の姿勢をもって、日本国内が一色になっているととらえられているのだ。多くの日本国民が、「WE ARE NOT ABE!」と声を上げなければならない。さらにその先の「アベ NO THANK YOU!」を旗印にしたい。
後藤健二氏を見殺しにしてはならない。何をなすべきかは、今回は具体化されている。安倍政権が本気になってヨルダンの政府と国民に、訴えなければならない。安倍政権に本気で国民の生命第一の姿勢を貫かせるために、いま、安倍政権への批判が必要だと思う。
(2015年1月25日)
ここ、本郷三丁目の交差点で、お昼休みのひとときに、今年はじめての訴えをさせていただきます。少しの間、耳をお貸しください。
私たちは、「本郷・湯島九条の会」の会員です。この近所に住んでいる者が、憲法九条を大切にしよう、憲法九条に盛り込まれている平和の理念を守り抜こうと寄り集まって作っている小さな会です。私も近所の本郷五丁目に住んでいる弁護士で、憲法と平和を何よりも大切にしようとしている者のひとりです。
今年は、「戦後70周年」をもって語られる年です。70年前と比較すれば、今年のお正月は平和に明けました。戦争のないお正月。空襲警報は鳴りません。敵機の来襲もなく、特高警察も憲兵もありません。徴兵も徴用も、宮城遙拝の強制もなく、治安維持法や軍機保護法で痛めつけられることもありません。ラジオの臨時ニュースが大本営発表をしているでもありません。
70年前の正月、私たちの国は激しい戦争をしていました。戦争のために、国民生活のすべてが統制され、一人ひとりの自由はありませんでした。空襲は日増しに激しさを増し、3月10日には都内の10万人が焼け死んだ東京大空襲の悲劇が起こります。6月には沖縄の地上戦が陰惨を極め、8月には広島・長崎に原爆が投下されて、15日の敗戦の日を迎えます。その日までに、日本国民310万人が戦争で尊い命を落としました。また、日本軍が近隣諸国に攻め込んだことによる犠牲者は2000万人にのぼるとされています。
戦争は日本の国民に、被害と加害の両面において、このうえない惨禍をもたらしました。どんなことがあっても、再び戦争を繰り返してはならない。これが、生き残った国民の心からの思いでした。どうして戦争が起こったのか、どうして戦争を防ぐことができなかったのか。そして、どうすればこのような悲惨な戦争を繰り返さないようにすることができるのだろうか。
真剣な議論の答の一つは、民主主義の欠如ということだったと思います。戦争で最も悲惨な立場に立つことになる庶民の声が反映されない政治の仕組みこそが問題ではないのか。国民が大切な情報から切り離されて、政治に参加できないうちに一握りの財閥や軍人や政治家たちの思惑に操られて戦争に協力させられてしまった。国民一人ひとりが、自分の運命に責任を持つことができるように、国民自身の手に政治を取り戻さねばならない。それができれば、国民を不幸にする戦争を、国民自身が始めることはないだろう。民主主義の発展こそが、平和の保障だという考えです。
もう一つの答が、憲法9条に盛り込まれた平和主義であったと思います。人類は、身を守るために長く暴力に頼ってきました。でも、次第に暴力を野蛮なものとし、暴力ではなく他と相互に信頼関係を築くことで安全を守ることに切り替えてきたのではありませんか。これが文明の進歩というものではないでしょうか。国家という集団でも同じことです。国の平和を守るためには軍事力が必要だというのが長らくの常識でした。しかし、武力の行使や戦争を違法なものとする考え方が次第に成熟し、国連憲章を経て、日本国憲法にこのことが銘記されることになったのです。
日本国憲法9条第1項は、「戦争を永久に放棄する」としています。そして、同第2項は、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と、軍隊をもたないことを宣言したのです。戦争はしないと宣言し、軍隊をもたないという謂わば捨て身の覚悟で、日本は平和を獲得しようとしたのです。
放棄されたものは、明らかに侵略戦争だけでなく自衛戦争までを含むものでした。当時政権を担っていた吉田茂や幣原喜重郎などの保守政治家が、「古来すべての戦争が自衛の名のもとに行われてきた。日本国憲法の平和主義は自衛の名による戦争を許さないものである」「文明と戦争とは両立し得ない。文明が戦争を駆逐しなければ、戦争によって文明が駆逐されしまうだろう」と述べています。
ところが、これが冷戦の中で、変化してきます。厳密な自衛のための武力行使や戦争は憲法が禁じているところではない、とする説明が出てきたのです。これが集団的自衛権行使は認められないとした上で、個別的自衛権なら認められるという理屈です。専守防衛に徹する限りにおいて自衛隊は合憲なのだというのです。
この考え方で60年が過ぎました。ところが、安倍政権は昨年これをも覆して、集団的自衛権行使容認の閣議決定をしてしまいました。これは恐るべき事態。憲法の条文を変えないで、解釈を変えることで憲法の根幹を骨抜きにしてしまおうというのです。
もっとも、閣議決定だけでは自衛隊をうごかすことができません。今年の国会では、安倍内閣は、集団的自衛権を現実に行使できるようにするためのたくさんの法律案を提案し、その多くが対決法案となることでしょう。
戦争を始めるためには、それだけでは足りません。教育とマスコミの掌握は不可欠なものです。煽られた戦争の相手国の一人ひとりと仲良くしていたのでは戦争はできません。我が日本民族が優れて他は劣っているとし、近隣諸国への排外主義を煽るには、教育とメデイアの役割が欠かせないのです。
そのような目で安倍内閣を見直すと、憲法改正、集団的自衛権行使容認、特定秘密保護法の制定、村山談話や河野談話の見直し、武器輸出三原則の撤廃、侵略戦争の否定、靖国神社参拝、教育再生、NHKのお友だち人事、国家安全保障会議の設置、、日米ガイドライン改訂…等々の動きは、明らかに70年前の敗戦時に日本の国民が共通の認識としたところとは大きくへだったものになってきています。
そのほか、安倍政権がやろうとしていることは、原発再稼働であり、原発輸出であり、派遣労働を恒久化する労働法制の大改悪であり、福祉の切り捨てであり、大企業減税と庶民大増税ではありませんか。そして、このような状況で民族差別を公然と口にするヘイトスピーチデモが横行しています。従軍慰安婦報道に比較的熱心だった朝日新聞に対する嵐の如きバッシングが行われています。
庶民の生活にとっても、民主主義の良識に照らしても良いことは何にもなく、危険な事態が進行しています。このようなことを見せつけられた近隣諸国の人々は、日本は本当に先の戦争の反省をしているのだろうか。平和を大切にしようとする意思があるのだろうか。そう疑念を持たざるを得ないのではないでしょうか。安倍政権は、緊張関係を煽っているのではないでしょうか。
皆さん、戦後70年の平和をこれからも続けようではありませんか。安倍政権による危うい政治を正して、戦争ではなく平和をと声を上げていこうではありませんか。
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寒さの中で、声を枯らしたが、「くどい」「長すぎる」「工夫が足りない」「もっと短いフレーズで」と悪評サクサクだった。が、めげてはならない。がんぱらなくちゃ。
(2015年1月13日)
いまや、日本のジャーナリズムの良心は地方紙が担っている。事実と歴史に真摯に向き合う姿勢において、地方紙の良質さが際立っている。とても地方紙のすべてに目を通すことはできないが、紹介されたいくつかの地方紙社説を読んでみてその感を強くした。昨日(1月4日)の高知新聞社説「70年目の岐路ー日独に見る戦後の歩み」は、その典型。良質だし、語っていることの水準が高い。「自由は土佐の山間よりいづ」という伝統が息づいているからだろうか。
以下は、かなり長文の同社説の要約紹介。
同社説は、ワイツゼッカーの演説から説き起こす。「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも、目を閉ざすこととなります」「非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです」。この言葉は、ヒトラーを選挙という合法的手法で生み出したドイツの人々の頭から離れなかった。そして、「戦後の思想、哲学、文化などの分野での、かんかんがくがくの議論によって、かの国は過去の記憶、戦争責任、そして未来を語り、過去を克服しようと努めてきた」と評価する。
「戦後25年目の1970年、旧西ドイツのブラント首相がポーランドを訪問し、ゲットー跡でひざまずき、痛恨の過去について許しを請うた。ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ氏は昨年10月、高知新聞記者らと会談。氏は旧西ドイツ首相の謝罪を評価し、国のリーダーが果たす役割と記憶の風化を防ぐことの大切さを語った。ドイツは統一後も政府や企業が基金を積み立て、戦後賠償を続けた。何より彼らはナチス犯罪の時効をなくし、今も自ら戦争を裁いている。」
同社説は、読者に「被害と加害見つめよ」と語りかける。
日独両国とも敗戦国だが、戦後の典型戦争体験として国民に語り継がれたものが、日本では広島・長崎の「原爆体験」であり、ドイツでは「アウシュビッツ体験」ではないか。前者は「被害」の体験であり、後者は「加害」の体験となろう。
戦後の歩みの中で、ドイツは加害者として謝罪と反省を徹底して繰り返すことによって、近隣諸国からの信頼を回復し、今や欧州の盟主という地位にある。
ワイツゼッカー演説があった1985年、日本では「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根首相による靖国神社への公式参拝があった。「英霊」の名の下に戦争の指導者をもまつる一宗教法人への参拝は、憲法の政教分離の原則からいっても果たして許されるのだろうか。安倍首相の靖国神社参拝も、中韓との「トゲ」をあえて刺激した。日独の大きな差異となっている。
社説の最後は次のように結ばれている。
「私たちはあの戦争の被害者意識にとらわれ過ぎていたのではないか。8月の全国戦没者追悼式の式典で安倍首相は、歴代首相が踏襲してきたアジア諸国への『加害責任』に2年続けて触れなかった。日本は今年、どのような戦後70年談話を出すのだろうか。」
強調されていることは2点ある。
まずは、戦争体験における「加害者意識」自覚の重要性である。ドイツでは深刻な加害者意識にもとづく国民的議論があったのに比して、日本では被害者意識が優り加害者意識が稀薄化されている。その姿勢では近隣諸国からの信頼回復を得られない。まずは、ドイツの徹底した反省ぶりをよく知り、参考にしなければならない。安倍政権の靖国参拝などは、信頼回復とは正反対の姿勢ではないか。それでよいのか、という叱正である。
次いで、ドイツの反省が、「ヒトラーを選挙という合法的手法で生み出したドイツの人々の責任」とされていることである。つまりは、ヒトラーやナチス、あるいは突撃隊や親衛隊だけの責任ではなく、ヒトラーを民主的な選挙で支持し政権につかせた全ドイツ国民の責任とし、国民的な「かんかんがくがくの議論」によって過去を克服しようとしたということである。この真摯さが、近隣被侵略国民の評価と許しにつながったということなのだ。
日本でも同じことではないか。天皇ひとりに、あるいは東條英機以下のA級戦犯だけに戦争責任を帰せられるだろうか。国民すべてが、程度の差こそあれ、被害者性と加害者性を兼ね備えている。天皇制の呪縛のもと煽られた結果とは言え、戦争を熱狂的に支持した国民にも、相応の戦争責任がある。再びの戦争を繰り返さないためには、戦前の過ちの原因についての徹底した追求と対応とについての国民的な「かんかんがくがくの議論」の継続が必要なのだ。
その議論においては、侵略戦争を唱導した天皇の責任の明確化と、天皇への批判を許さず戦争へ国民を総動員した天皇制への批判を避けては通れない。天皇の戦争責任をタブーとして、あの戦争の性格や原因を論じることはできない。
皇軍の兵士を英霊と称える姿勢は、加害者意識の対極にあるものだ。ここからは、あの戦争を侵略戦争と断罪し反省する意識は生まれない。皇軍が近隣諸国で何をしたのかについて、真摯に事実と向かい合いその責任を問うことができない。靖国神社とは、公式参拝とは、そのような重い意味をもつものである。
戦後70年。遅いようでもあるが、「被害者意識から脱却して、加害者としての責任の認識へ」国民的議論を積みかさねなければならない。
ところで、東京新聞は「東京の地方紙」として、全国各紙に比較してその良識を際立たせている。これも、元日付け「年のはじめに考える 戦後70年のルネサンス」という気合いのはいった長文の社説を書いている。全体の論調に異論はない。が、どうしても一言せざるをえない。
末尾を抜き書きすれば、次のとおり。新聞の戦争責任に触れたものとなっている。
「◆歴史の評価に堪えたい
戦争での新聞の痛恨事は戦争を止めるどころか翼賛報道で戦争を煽り立てたことです。その反省に立っての新聞の戦後70年でした。世におもねらず所信を貫いた言論人が少数でも存在したことが支えです。政治も経済も社会も人間のためのもの。私たちの新聞もまた国民の側に立ち、権力を監視する義務と『言わねばならぬこと』を主張する責務をもちます。その日々の営みが歴史の評価にも堪えるものでありたいと願っています。」
その言やよし。しかし、天皇が唱導した戦争を煽り立てたことを反省する、その同じ社説の中に、次のような一節がある。
「81歳の誕生日に際して天皇陛下は『日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国とともに支え合って歩んでいけるよう願っています』と述べられました。歴史認識などでの中韓との対立ときしみの中で、昭和を引き継ぎ国民のために祈る天皇の心からのお言葉でしょう。」
一瞬我が目を疑った。これが、私がその姿勢を評価してやまない東京新聞の意識水準なのだろうか。この姿勢では、天皇や天皇制に切り込んで戦争責任を論ずることなど、できようはずもない。
私は、「陛下」や「殿下」「閣下」などの「差別語」は使えない。「お言葉」もそうだ。「陛下」や「お言葉」をちりばめた紙面で、「権力を監視する義務と『言わねばならぬこと』を主張する責務」を果たせるだろうか。本当に、「その日々の営みが歴史の評価にも堪えるものでありたい」と言えるのだろうか。
魯迅の「故郷」の中の名言を思い出そう。
「希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。
それは地上の道のようなものである。
地上にはもともと道はない。
歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。」
「天皇の権威などというものは、もともとあるものではない。
それは地上の道のようなものである。
天皇の権威を認め敬語を使う人が多くなれば、
それが集積して天皇の権威となるのだ。」
だから、「陛下」や「お言葉」を使うことは、自覚的にせよ無自覚にせよ、天皇の権威の形成に加担することであって、戦争の惨禍への反省とは相反することとなる。とりわけ言論人がこの言葉を使うことは、自らの記事の価値をおとしめ、センスを疑われることになろう。
(2015年1月5日)
あらたまの初春。「戦後70年」と冠される2015年の、年の初めのブログの書き初めである。
「日記買ふ」が冬の季語で、「初日記」「日記始」が新年の季語だそうだ。一年の計を思いつつ、新しい日記の第一頁に筆を下ろす。この新鮮な気持はまた格別。手許の歳時記をめくると、その気持よく分かる、という句が並んでいる。
まっ白な月日あふるる初日記 (山口壤邇)
胸埋めるほどに雪降る初日記 (菅原多つを)
新日記三百六十五日の白 (堀内 薫)
日記まづ患者のことを書きはじむ(中台泰史)
記すこと老いて少なき初日記 (中 火臣)
ブログとて気持は日記と同じ。さて、いったい何を初ブログに書くべきか。
この数年、さして目出度いというほどの新年ではない。とりわけ、安倍政権下の正月となってからは。しかし、世の習いにしたがって申し述べる賀詞はけっして嘘ばかりではない。70年前の正月に比べれば、なんたる「目出度さ」であろうか。
この正月、戦争もなくテロもない。空襲警報は鳴らないし敵機の来襲もない。特高警察も憲兵も、徴兵も徴用もなく、町内会が物資の供出を求めて家々を回って来るでもない。治安維持法も軍機保護法も国家総動員法もない。宮城遙拝や「天皇バンザイ」の唱和を強制されることもない。日本の軍隊が海外に展開しているでもなく、ラジオの臨時ニュースが大本営発表として戦況の放送をしているでもない。ならば、十分に中くらいは目出度いと言ってよいではないか。
これは日本国憲法が保障している平和の世の目出度さである。戦後レジームによる平和であればこそ「目出度い」と言っていられる。うっかり、戦後レジームを脱却して、「天皇を戴く国」を取り戻されたのではたまらない。「天皇を戴く国」とは、皇国史観を強制されて、精神の内奥までに権力の支配が及ぶ恐るべき「御代」にほかならない。治安維持法や軍機保護法が猛威をふるい、国民すべてにスパイの嫌疑がかけられる世の中。特高や憲兵、思想検事が巾を利かせる世の中。人種差別や民族差別が横行する社会。個人の自由ではなく、国家の存立こそが唯一価値あるものとされ、個人は国家への服従を強制される。
新年は、そのような70年前に引き戻そうとするたくらみを許してはならないと、あらためて決意を固めるべき時であろう。
亡父が生きていれば、本日が101歳の誕生日である。そのスパンで、1914年から100年前に遡ると1814年となる。日本はまだ、将軍家斉の時代。ナポレオン・ボナパルトがエルバ島に配流された年だという。
戦後70年もずいぶん長い。1945年から70年を遡ると、1875年、明治8年ではないか。西南戦争以前、江華島事件の年となる。「戦前」を、目一杯明治維新から敗戦までとしても77年間でしかない。大日本帝国憲法制定から敗戦までだと、なんと56年に過ぎない。戦後は長く続いてきた。国民に定着してきた。日々国民が選び取ってきたのだ。
この日本国憲法がもたらす平和を大切にしたい。平和をもたらす日本国憲法を大切にしなければならない。そのことに役立つようなブログを書き続けたい。それが新年の決意。
そして、今年のブログを書き始めるにあたって、「短くしよう」「読んでもらいやすくしよう」「複数のテーマを盛り込むことは止めよう」と決意している。できるだけ…ではあるが。
(2015年1月1日)
年の瀬である。2014年を振り返って見なければならない。良い年ではなかったが、そのトップニュースは何だっただろうか。
上野千鶴子が「壊憲記念日」と名付けた7月1日の、集団的自衛権行使容認閣議決定をおいてほかにないだろう。この日憲法がないがしろにされ、政権が国の運命変更に舵を切った日。とりわけ「立憲主義に大きな傷がついた日」であり、「専守防衛の方針が打ち捨てられた日」と記憶されなければならない。
各メディアが、「今年の十大ニュース」を報じている。12月15日に、新聞之新聞社が主宰する「社会部長が選ぶ今年の十大ニュース」が発表された。在京の新聞・通信8社の社会部長らが出席しての選考会でトップになったのは、予想のとおり「集団的自衛権の行使容認を閣議決定」であった。ちなみに2位以下は次のとおりである。
(2)御嶽山噴火や広島の豪雨など自然災害相次ぐ
(3)消費税8%スタート、景気足踏みで再引き上げは延期
(4)衆院選で自公大勝、解散前に「政治とカネ」で女性2閣僚辞任も
(5)袴田事件で再審開始決定、48年ぶり釈放
(6)青色LEDで日本人3氏がノーベル物理学賞
(7)STAP細胞論文に改ざんなど不正
(8)朝日新聞が「吉田調書」、慰安婦記事の一部取り消し、社長が辞任
(9)危険ドラッグの事件事故が激増、規制強化
(10)朴槿恵韓国大統領めぐる報道で産経新聞の前ソウル支局長起訴
このほど共同通信社と加盟各社が選んだ今年の国内十大ニュースが発表になったが、やはりトップは「集団的自衛権の行使容認を閣議決定」であった。2位以下は大同小異だが、10位に「普天間飛行場の辺野古移設で国調査反対の知事が当選」がはいっている。
当然のことながらニュースの重大性の比重は各社・各紙で異なる。読売の十大ニュースには「集団的自衛権行使容認の閣議決定」はランクインされていない。12位である。しかも、「集団的自衛権を限定容認、政府が新見解」とネーミングが微妙に異なる。
共同通信加盟紙による閣議決定ニュースの解説をそのまま引用すれば、「政府は7月1日、従来の憲法解釈を変更し、自国が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。『国民の権利が根底から覆される明白な危険がある』などに限定する『武力行使3要件』を設けたが、行使できる範囲をめぐり自民、公明両党で意見が分かれる。歴代内閣は憲法9条の許す範囲を超えるとしてきただけに、専守防衛の理念を逸脱しかねない戦後安全保障政策の大転換だ」というもの。
このような「専守防衛の理念を逸脱しかねない」「大問題」「大転換」「最大級のニュース」であることが常識的な理解。
この閣議決定は、安倍政権によるこれからの改憲路線への布石である。自衛隊を海外に派兵して戦闘させるには閣議決定では足りず、具体的な法的根拠が不可欠である。閣議で憲法原則を壊しておいて、次には立法改憲の手続きにはいることになるわけだ。来年は、閣議決定に基づく具体的な安全保障法制のせめぎ合いの元年となる。その手はじめが、既に予告されている「自衛隊の後方支援恒久法」である。
「安倍政権は、来年の通常国会に、自衛隊による米軍など他国軍への後方支援をいつでも可能にする新法(恒久法)を提出する検討に入った。首相周辺や政府関係者が明らかにした。これまで自衛隊を海外派遣するたびに特別措置法を作ってきたが、新法を作ることで、自衛隊を素早く派遣できるようにする狙いがある。自衛隊の海外活動が拡大するため、活動内容や国会承認のあり方でどこまで制約をかけるかが焦点になる」(朝日)
自公政権が、国会内での議席数に驕って、数の力で憲法を無視した立法を強行できると思ったら大まちがいだ。まず、国会での自公政権の議席の数は、小選挙区制のマジックによって嵩上げ上げされた虚構の多数でしかない。しかも、「アベノミクス選挙だ」「経済再建この道しかない」と、争点をずらして掠めとった議席であって、憲法問題や安全保障政策についての国民の信任を得たものではない。
国民の目は醒めている。安倍の暴走がこれ以上になればあっさりと民意は離れることになるだろう。しかも、国民の現政権支持はアベノミクスへの期待が持続する限りにおいてのもの。安倍政権はいよいよキナ臭いが、民意を恐れてもいる。後方支援恒久法案の国会審議入りは来春の統一地方選への影響に配慮して、その後になるだろうと言われている。すべては民意にかかっているのだ。
今年のせめぎ合いは新年にもちこされる。まずは、来春の統一地方選挙が大きな政治戦として自公政権への信任の可否を問うことになる。新たな年は、新たな決意が必要な年となるのだろう。
(2014年12月30日)
幸いに、軍艦マーチも大本営発表もない。トップのニュースは徳島の積雪被害、次いでTPPについての各党の選挙政策、そしてアメリカの大陪審黒人差別問題。開戦のニュースはなかった。
NHKラジオのニュースに総選挙の政見放送が続いた。共産党の小池副委員長が、流暢にアベノミクスの失敗と消費税問題から説き起こし、重点政策を語った。
73年前の今日。1941年の12月8日も月曜日だった。今日と同じく、この日も寒気厳しく東京の空は抜けるように高く澄んでいたという。その日、午前7時NHK臨時ニュースの大本営陸海軍部発表で国民は「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と初めて知らされた。日中戦争膠着状態の中での新たな戦線の拡大である。これを、多くの国民が熱狂的に支持した。
この日国民はラジオに釘付けになった。正午に天皇(裕仁)の「宣戦の詔書」と東條首相の「大詔を拝し奉りて」という談話が発表され、午後9時のニュースでの真珠湾攻撃の大戦果(戦艦2隻轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破)報道に全国が湧きかえった。そうして、この日から灯火管制が始まった。
戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にする。73年前には気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされた。治安維持法が共産党の活動を非合法とし徹底して弾圧した。大本営発表だけに情報統制し、宣戦布告を「大詔渙発」として天皇を国民精神動員に最大限利用した。こんな歴史の繰りかえしは、金輪際ごめんだ。
今朝は7時のラジオニュースを聞きながら、布団のなかでぬくぬくと「平和」を満喫した。今のところ戦争はなさそう。軍機保護法も治安維持法もない。共産党も公然と政見放送ができる。これが安倍晋三が脱却を目指すとしている「戦後レジーム」なのだ。安倍晋三が取り戻そうとしている日本とは、「大本営発表の世界」ではないか。この日の宣戦の詔書は、早朝の閣議で確認されたもの。その閣議には、安倍が尊敬するという祖父・岸信介が商工大臣(在任期間1941年10月18日?43年10月8日)として加わっている。そんな日本の取り戻しなど許してはならない。
戦争は教育から始まる。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の弾圧から始まる。戦争は排外主義から始まる。新しい戦争は、過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、特定秘密保護法による外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正者の跋扈は、新たな戦争への準備と重なる。集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのだ。
こんな安倍自民に300議席など与えてはならない。12月8日の今日、強くそう思う。
(2014年12月8日)
日曜(10月9日)の赤旗一面「2014 黙ってはいられない」に、伊藤光晴が登場。よくぞ赤旗に、である。いまや、この人こそ日本の知性。日本の良心。
私は、1962年4月に東京外国語大学に入学している。一年間だけの在籍だったが、そこで新進気鋭の伊藤光晴助教授の流麗な講義を聴いている。もっとも、当時の若者の気風は、「社会を根底から変える思想を持たない経済学は真剣に学ぶに値しない」などというもの。私もそんなポーズを装ってはいたが、本当のところ、社会科学の素養に欠けて、十分な理解ができなかった。今にして、何ともったいないことと残念に思う。もっと真剣に学んでおくべきだった。
いまや経済学の泰斗となった伊東光晴翁からの赤旗記者の聞き書きは、実に分かり易い内容。タイトルは、「いま政権を批判するわけ」。安倍政権に対する仮借ない批判として3点が語られている。まずは憲法、そして経済と雇用についてである。
彼の安倍内閣批判は鋭い。政治について発言しないとする主義を撤回して、都留重人さんなきあと「同じ立場で発言する人がいないから、政治的発言をする」と宣言してのこと。87歳の迫力である。
「特にいま批判しなければならないのが、アペノミクスに隠された『四本目の矢』、安倍晋三首相の『政治変革』です。安倍政権は保守政権ではありません。右翼政権です」と、まず自らの立場を鮮明にする。
その上で、憲法9条の解釈問題に言及する。
「集団的自衛権を認めることは憲法9条に完全に違反します。集団的自衛権は国家間の紛争を武力で解決できるという考えの上に立っています。憲法9条は理想主義ではなく、現実主義だと思います。国家間の紛争は武力以外で解決するしかないというのが2度の世界大戦の教訓です。戦後アメリカが中東その他に何度も武力介入しましたが、国際紛争は一度も解決されませんでした。武力以外で解決するのが現実主義なのです」
そのとおりだ。心してこの言に耳を傾けねばならない。
次いで、専門の経済分野においてではアベノミクスを「経済効果なし」と徹底批判である。
「安倍首相は株価の上昇を得意がっていますが、株価が上がったのは『外国人買い』のためです。欧米市場で株価がリーマン・ショック前を回復し、投資先を探していた外国人投資家が、安倍政権誕生前に日本市場に入ってきて株を買ったのです。政権交代を期待して日本の投資家が買ったのではありません。日銀は年間50兆円もの国債を買い入れてきました。しかし、各銀行は融資先がないので、資金は銀行が日銀に持っている当座預金勘定に積み上がっています。経済的効果を及ぼすはずがありません」「財政では税収がぐんと落ち、支出が増えました。アメリカのような『フラットな税』にすると言って所得税や法人税を減税したからです。税収減と支出の増加を折れ線グラフにすると「ワニの口」のような形です。安倍政権はこの状態で法人税を減税するというから、まさに開いた口がふさがりません」
第一人者の経済政策批判は、心強いことこのうえない。
最後に、雇用政策についての「労働憲法崩す」との批判。
「そして小泉政権以来の労働市場改革です。戦前、中間搾取を許した教訓から、戦後、営利をもった職業あっせんを禁止しました。これを労働憲法と呼びました。それを崩して派遣労働を認めてしまった。とんでもないことです。有能な女性が正社員になれず、派遣社員をしている。そんな状況をつくりながら安倍首相は『女性が活躍する社会』などとよくも言えたものです」
赤旗記事の中では、この3点だけに絞っての批判。しかし、安倍右翼政権の罪は深い。批判すべき点は数え切れないほど。
特定秘密保護法、河野談話批判、朝日バッシング加担、靖国参拝、近隣外交失敗、日米ガイドライン、辺野古新基地建設、オスプレイ配備、原発再稼働、原発輸出、TPP、消費再増税、カジノ解禁、NHKお友だち人事、国営放送化、教育「再生」、右派閣僚人事、格差拡大、弱者切り捨て、地方無視、そして小選挙区に固執しての憲法改正への執念‥‥。
早期に退陣していただかねばならない。平和と民主主義のためにも、庶民の暮らしのためにも。(2014年11月11日)