村上春樹が、「ウェルト文学賞」を受賞し、ベルリンの壁崩壊にちなんだご当地スピーチが話題となっている。私は、そのような文学賞の存在を知らなかった。だから受賞自体に関心はないが、スピーチの内容にはいささかの関心をもった。
作家のスピーチともなれば、毎回目先を変えて気の利いたことを言わなければならない。たいへんなプレッシャーだろうが、今回も概ね好評のようだ。東京新聞は「壁なき世界実現を」とタイトルを付けている。毎日は「壁のない世界 想像してみよう」。朝日は、「今も多くの壁がある」。東京新聞のものを推したい。
各紙が、スピーチの「要旨」を掲載している。英語による講演を共同通信が翻訳したもの。示唆に富むとは思うものの、ものたりなさも大きい。
さわりというべきは、以下の一節。
「壁は人々を分かつもの、一つの価値観と別の価値観を隔てるものの象徴です。壁は私たちを守ることもある。しかし私たちを守るためには、他者を排除しなければならない。それが壁の論理です。壁はやがて、ほかの仕組みの論理を受け入れない固定化したシステムとなります。時には暴力を伴って。ベルリンの壁はその典型でした。」
さて、「一つの価値観と別の価値観」の間にある隔たりを「壁」というのなら、壁はあって当然。むしろ、多数派からの同調圧力にさらされる少数派にとっては厚い壁が必要である。とりわけ、「反日」や「非国民」などの中傷にさらされ、あるいは民族的な差別攻撃から身を守るための強固な壁は不可欠である。村上が論じているのは、「他者を排除しなければならない」という特殊な意味合いを込めた「壁」への非難である。問題とされているのは価値観の隔たりそのものではなく、他者の価値観への非寛容や、価値観の違いに発する暴力の象徴としての「壁」なのだ。
端的に「壁」を、非寛容や暴力に置き換えた方が分かり易く正確な表現となったのではないだろうか。たまたま、「ベルリンの壁崩壊・25周年」にちなんで、気の利いたスピーチとするために「壁」が持ち出されたのだ。
来年、第2次大戦終結70年を意識すれば、こうとも言えるのではないか。
「軍事力は人々を分かつもの、一つの民族と別の民族を隔てるものの象徴です。軍事力は私たちを守ることもある。しかし、私たちを守るためには他者を排除しなければならないということが軍事力の論理です。軍事力はやがて、軍事以外の仕組みの論理を受け入れない固定化したシステムとなります。そして、いつか悲惨な戦争をもたらすことになります。第2次大戦はそのような戦争と悲惨の典型でした」
他者を排除しなければならないとする軍事力の論理を否定することによって、異なる他者との共存と平和を実現する思想がもたらされる。この思想が一国の実定憲法に書き込まれたのが、「日本国憲法9条」であり、その前文に明記されている平和的生存権にほかならない。
同スピーチの次の部分。目くじら立てることではないものの、やや明確性に欠ける。
「世界には民族、宗教、不寛容といった多くの壁があります。小説家にとって、壁は突き破らなければならない障害です。小説を書くとき、現実と非現実、意識と無意識を分ける壁を抜けるのです。反対側にある世界を見て自分たちの側に戻り、作品で描写するのです。人がフィクションを読んで深く感動し、興奮するとき、作者と一緒にその壁を突破したといえます。その感覚を経験することが読書に最も重要だと考えてきました。そういう感覚をもたらすような物語をできるだけたくさん書いて多くの読者と分かち合いたい。」
これも、次のように言い換えることができるだろう。
「現実の世界には、民族、宗教を隔てる不寛容の壁があります。それぞれの価値観や文化を認め合うことによってこの不寛容の壁を突き破らなければ、平和はありません。とりわけ軍事力によって形づくられた壁は平和への危険な障害となります。
この障害を取り除くには、なによりも壁の反対側にある世界を理解して自分たちの側に戻り、反対側の世界の人々も平和を望む同じ生身の人間であることを知ることが大切です。それこそが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」することの基礎ではないでしょうか。
そのような相互理解を妨げるもの。それが、他者排除の論理に基づく軍事力であり、相互不信による軍備増強の競争にほかなりません」
最後は、こうまとめてみよう。
「フィクションとしての平和や相互理解を描くことは、現実の平和を築くことそのものではありません。しかし、ジョン・レノンが歌ったように、誰もが想像する力を持っています。不寛容や軍事力の壁に取り囲まれていても、その壁の向こう側の、より平和で自由な世界の物語を語り続けることができるのです。そのことが大切です。何かが始まる出発点になり得るからです。想像の世界での戦争や平和の体験を出発点とし、人間に対する深い信頼をもたらすような創作をつうじて、さまざまな民族や宗教の人々とともに、日本国憲法の理念に基づく世界の平和を享受することができるようにしたいものです」
(2014年11月8日)
10月27日付東京新聞トップの記事が、調査報道のお手本のような内容。ヨコの見出しが、「第1次大戦 日英同盟で合祀1333人」。これは、「第1次大戦時、日英同盟に基づく英国からの要請に応じた日本の参戦の結果、その戦闘で死亡し靖国に合祀された軍人総数は少なくも1333人にのぼる」ということ。それだけなら歴史の一コマの発掘に過ぎないが、この記事は優れてジャーナリステックな意味合いをもっている。タテの大見出しが「『戦域限定』参戦なし崩し」となっている。いうまでもなく、記者の関心は、集団的自衛権行使の具体的なイメージ提供にある。100年前の実例から集団的自衛権行使の恐さを伝えようとしている。
リードに、「開戦当初、日本軍は『戦域限定』で出兵を求められたが、日英両国は戦況の変化を優先することで戦域を拡大させ、その結果、戦没者が増大していく状況が浮き彫りとなった」とある。これが結論だ。
本文に「日英同盟を名目に日本がドイツに宣戦布告する際、英国は中国や太平洋への日本の権益拡大を懸念する中国や米国の意向に配慮し、日本の参戦地域を青島近郊の膠州湾以外に拡大しないように求めた。しかし、英海軍の極東での戦力不足や戦況の変化などに伴い、英国側から太平洋や地中海などへの派兵を求められた。地中海への派兵は日英同盟の適用範囲外だったため、日本政府は派兵に慎重だったが、米国や日本の商船がドイツの潜水艦部隊に沈没させられる被害も続出し、日本も海軍派兵を決定。参戦当初の『戦域限定』は有名無実化した」という。
3面「核心」欄の解説記事に、「第1次大戦『戦域拡大』」「集団的自衛権に教訓」「邦人保護名目も骨抜き」「2次大戦遠因にも」と見出しが並ぶ。
その問題意識は次のとおり明らかにされている。「日英同盟を名目に第一次世界大戦に参戦して、戦没し靖国神社に合祀された日本の陸海軍軍人らが、少なくとも千三百人余に上ることが明らかになったが、当初『戦域限定』が条件だった戦争が拡大したのはなぜか。安倍晋三首相は集団的自衛権行使の範囲を『限定的』と強調するが、専門家は『いったん軍を派遣すれば歯止めがかからず、被害拡大を招く恐れがある』と現代にも通じる歴史の教訓を指摘する」「戦域や戦力を限定した海外派兵がいかにもろく、簡単に骨抜きにされるものか」
まだ、集団的自衛権などという概念のなかった時代。日本は、大国である同盟国イギリスからの参戦要請を断ることもできずに地中海にまで参戦した。当初の限定参戦は、結局なし崩しに戦線拡大に至って日本軍の将兵に多数の戦死者を出したという調査報道となっている。
<平間洋一・元防衛大教授(軍事史)の話>として、「日本は日英同盟を理由に参戦したが人やモノ、情報を動員する総力戦で、戦域を限定することは不可能に近い。」とのコメントが印象的。
その100年後、東京新聞記事の出た10月27日に、英国が13年にわたったアフガニスタン駐留からの撤退を完了したという報道がなされている。こちらは英国の立場はかつての大英帝国ではなく、大国アメリカからの要請による集団的自衛権を行使しての参戦の重荷である。
2001年の9・11事件後、アメリカは個別的自衛権を行使するとしてアフガンへの攻撃を始めた。北大西洋条約機構 (NATO)諸国はテロ攻撃に対して「集団的自衛権」を発動した。英国は、その一員として、2001年以降、アフガニスタンの治安維持を目的に、米軍が率いる国際治安支援部隊(ISAF)の下で13年間にわたって駐留を続けてきた。その英軍がようやく10月27日、拠点にしてきた南部ヘルマンド州の基地をアフガン側に引き渡し、戦闘部隊が撤退が完了した。
この間にイギリスはどれだけの犠牲を払い、何を得ただろうか。朝日の報道が手際よくまとめている。「13年間の英軍の駐留部隊はのべ14万人、死者は453人に上り、かかった総費用は190億ポンド(約3兆3千億円)ともいわれる。英BBCの世論調査では、国民の42%が介入前と比べて英国が『より安全でなくなった』、68%が英国のアフガン介入は『価値がなかった』と答えるなど、多数の犠牲を出した長期の軍事作戦の成果に懐疑的な英世論を示す結果となった。」
集団的自衛権の行使とは、ここまでの覚悟が必要なことなのだ。100年前も今も、である。多数の犠牲と大きな負担を強いられる。それでいて、軍事作戦の効果に懐疑的な世論をつくり出すだけで終わるものともなる。いや、さらに次の大戦争の遠因にさえなるのだ。
集団的自衛権行使については、このような実例報道の積みかさねを期待したい。
(2014年10月30日)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆様。素晴らしい秋晴れの昼休みのひとときに、やや不粋な街頭宣伝ですが、少しだけ耳をお貸しください。
私たちは、「本郷・湯島九条の会」の者です。この近所に住んでいる者が、憲法九条を大切にしよう、憲法九条に盛り込まれている平和の理念を守り抜こうと寄り集まって作っている小さな会です。
ご存じのとおり、「九条の会」は全国組織です。ちょうど10年前2004年の7月に、大江健三郎さんや井上ひさしさんなど九人によって結成されました。「九条の会」は、全国の地域、職場、学園、あらゆる場に無数の「九条の会」の結成を呼び掛けました。私たちの会もこれに呼応して、作られた全国7500もの「九条の会」のひとつです。「本郷・湯島九条の会」は、「ご近所九条の会」です。会長は、私が住んでいる町の町会長さんが務めています。
「九条の会」はこの10月を行動月間とすることを申し合わせました。「集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議し、いまこそ主権者の声を全国の草の根から」というスローガンで、10月を集団的自衛権行使容認に反対する行動をおこす「月間」としたのです。
「本郷湯島九条の会」はこの申し合わせに応じて、10月は毎週の火曜日に街頭宣伝活動を重ねてまいりました。今日は、その最後の日となります。来月からは、毎月第2火曜日だけの街宣活動を予定しています。
10月を行動月間と申し合わせたのは、7月1日に「集団的自衛権行使容認の閣議決定」があり、秋の臨時国会において閣議決定に基づく多くの諸法案が提案される危険を考えてのことです。いまのところ、日本を海外で戦争のできる国にするための具体的な法案の提出は行われていません。しかし、事態が好転したわけではありません。安倍政権は、世論の動向を見ながら法案提出を先送りしているだけのことです。来年の通常国会が本格的な決戦の場となるものと考えられます。
戦後69年。私たちは戦争のない世の中を当たり前のものと考えて過ごしてきました。しかし、安倍政権成立以来事態は大きく動いています。安倍政権ができてからろくなことはありません。武器輸出3原則の撤廃、河野談話見直しの動き、特定秘密保護法、靖国参拝、NHK人事、国家安全保障会議の設置、そして集団的自衛権行使容認の閣議決定です。さらに日米ガイドラインを改訂し、道徳教育にまで手を付けようとしています。危なっかしいことこのうえないといわねばなりません。
そのほか、安倍政権がやろうとしていることは、原発再稼働であり、原発輸出であり、派遣労働を恒久化する労働法制の大改悪であり、福祉の切り捨てであり、大企業減税と庶民大増税ではありませんか。庶民にとって良いことは何にもない。これまでは、「アベノミクスの効果は、今のところは大企業と株屋だけに利益をもたらしていますが、いずれ地方にも家計にもおこぼれがまわってきます。それまで我慢してくだい」と言われてきました。それが嘘だということにようやくみんなが気付き始めました。「放射能は完全にブロックされています」という嘘と同様に、この男は自信ありげに嘘を言うのです。最近の世論調査では、軒並み安倍内閣の支持率の低下が報道されています。とりわけ、経済政策の破綻が世論調査に表れています。
憲法九条は、武力による平和を否定する思想に基づくものです。右手に銃を構えながら、左手で握手をしようということではないのです。平和は、何よりも近隣諸国との信頼関係の醸成によって打ち立てられ維持されるべきものです。双方お互いに信頼関係を形成する努力を求められているのですが、私たちは、まずは自分たちの国から、平和のサインを発信すべきものと考えます。
鎌倉時代の元寇を最後に、日本が近隣諸国から侵略される危機を感じた経験は絶えてありません。この500年間の近隣諸国との戦争は、2度にわたる朝鮮侵略、明治維新後の台湾出兵、朝鮮や満蒙を支配するための日清・日露戦争、第一次大戦における山東出兵、シベリア出兵、そして、朝鮮の植民地化、日中15年戦争、そして太平洋戦争‥。私たちの国が、近隣諸国の民衆の足を踏み続けてきたことは覆い隠すことのできない歴史の真実ではありませんか。
近隣諸国との平和のためには、私たちこそが、侵略戦争や植民地支配を真摯に反省していることを近隣諸国の民衆によく分かってもらう努力が必要なのだと思います。まず、足を踏んだ側が、平和・友好の態度を示さねばならないことは当然のことです。
にもかかわらず、日本国内では、民族差別を公然と口にするヘイトスピーチデモが横行し、河野談話見直しの尖兵だった危険な政治家が首相になって靖国神社参拝まで強行し、さらには従軍慰安婦報道に熱心だった朝日新聞に対する嵐の如きバッシングが行われています。このようなことを見せつけられた近隣諸国の民衆は、日本は本当に先の戦争の反省をしているのだろうか。戦争を繰り返さず、平和を大切にしようとする意思があるのだろうか。そう疑念を持たざるを得ないのではないでしょうか。
一点の疑念が、疑念拡大の悪循環の出発点となり得ます。相互の不信の交換は、不信を増幅させ不信に基づく武力拡大のエスカレートを呼ぶことになりかねません。そのような緊張関係が、偶発的に戦争の勃発につながることを危惧せざるを得ません。
安倍政権の動向は、近隣諸国をいたずらに刺激し重大な事態にいたる危うさに満ちていると言わざるを得ません。この暴走内閣を辞めさせ、もう少しマシな、戦争への危険を感じさせないまっとうな政権に取って替わらせるよう、力を合わせようではありませんか。取り返しのつかなくなる前に。
(2014年10月28日)
恒例の「学校に自由と人権を」集会。今年は、「今こそ子どもたちを戦場に送るな」という副題がつけられた。安倍政権発足以来まことにきな臭い。ヘイトスピーチデモの跋扈、特定秘密保護法、武器輸出3原則の放擲、国家安全保障会議、NHK人事、集団的自衛権行使容認の閣議決定、そして「従軍慰安婦」問題バッシング。「子どもたちを戦場に送るな」という、古めかしいはずのスローガンが、にわかにリアリティを持ち始めたのだ。
「日の丸・君が代」は、子どもたちを戦場に送る小道具として重要な役割を果たすだろう。この旗と歌に対する条件反射的な尊崇の念の植えつけとセットになってのことである。
本日の私の発言は20分。「君が代訴訟の現段階と今後の展望」と題して、詳細なレジメを提出した。が、発言の大意は以下のとおり。
「10・23通達」が発せられてから11年になります。この間、学校における国旗国歌への敬意表明の強制とは、一体どのような意味を持つことなのだろうかと考え続けてきました。解答が出せたわけではありませんが、私なりに4つの問題領域に分けて考えられるのではないかと思っています。
1番目の問題領域は、権力的な強制と、強制を受ける人の精神の内面との衝突あるいは葛藤の問題です。人が人であり、自分が自分であるために、あるいは教員が教員であるために、精神の内面の核となっているものは不可侵でなければならない。「日の丸・君が代」の強制は、このような人間の尊厳を破壊するものとして許されざるものではないだろうか。
「日の丸・君が代」は国旗国歌とされています。日本という国家の象徴です。目に見えない日本国が「日の丸・君が代」というデザインや歌詞・メロディとなって、目の前に形をなします。また、「日の丸・君が代」は戦前の大日本帝国と極めて緊密に結びついた歴史を背負っています。「日の丸に正対して君が代を斉唱する」行為は、現在ある日本国に敬意を表明することでもありますが、天皇を神とした時代の国家主義・軍国主義・侵略主義・差別思想を肯定し、その時代の国家を丸ごと肯定する要素を含むものと理解せざるを得ません。人によっては、自分が自分である限り到底服することができない、という思いがあって当然だと思います。
2番目の問題領域は、教育というものの本質や、憲法・教育基本法が想定する教育のあり方に照らして、「日の丸・君が代」の強制が許されるはずがなかろう、ということです。
本来、教育とは公権力の思惑とは無縁のところで、行われなければなりません。これが近代市民社会での基本原理といってよいと思います。しかし、例外なく、全ての権力は権力に都合のよい従順な国民の育成のための教育をしたくてならないのです。
その悪しき典型が、戦前の天皇制日本でした。天皇を神とし、神なる天皇のために生きることこそが臣民の幸せだと、靖国の思想を教育として説いたのです。その教育の結果が、戦争の惨禍であり、敗戦であったことは国民全てが骨身にしみたところです。
敗戦後は、その失敗の反省から国を作りなおし、原理の異なる憲法を制定しさらに教育のあり方を180度変えたはず。とりわけ、権力が教育の内容に介入してはならないとする大原則を打ち立てたはずなのです。にもかかわらず、どうして教育の場で、「日の丸・君が代」強制という権力による国家主義イデオロギーの刷り込み強制が許されるのか。重大な問題といわねばなりません。
3番目の問題領域は、そもそも権力というものには、できることの限界があるはずではないか。「日の丸・君が代」あるいは国旗国歌を国民に強制することは、立憲主義の大原則からなしえないことなのではないか、という問題です。
国家は、主権者国民によって権力を付与された存在です。主権者国民が主人で、国家はその僕、ないしは道具でしかありません。国民に役立つ限りで存続し運営されるに過ぎないものです。ところが、国民から委託を受けたその国家が、主人である主権者国民に向かって、「我に敬意を表明せよ」と強制することは、倒錯であり背理であるはずなのです。そのような権能は、公権力のなし得るメニューにはいっていないと指摘せざるを得ません。
最後4番目の問題領域は、直接には国家や権力の問題ではなく、社会の同調圧力の問題です。社会の多数派は少数派に対して、同じ思想、同じ行動をとるよう求めます。これに従わない異端者を排斥しようとします。極端には、国賊、非国民ということになります。今、社会の多数派は、「国旗国歌に対して敬意を表明することは国際儀礼ではないか」「社会人としての常識ではないか」「起立・斉唱くらいはすべきではないか」という態度です。
この多数派の意思が、民主主義の名の下に権力に転化して、「日の丸・君が代」強制となっています。政治的な権力を支え、「日の丸・君が代」強制を合理化しているものが、実は社会の多数派の意思であり同調圧力なのです。
本来一人ひとりの人権は、多数派の圧力からも、権力的な強権の発動からも守られねばなりません。むしろ、少数者の人権だからこそ脆弱で侵害から守られねばなりません。「日の丸・君が代」強制は立憲主義の原則上、公権力のなし得る権限を越えたものであることを厳格に指摘しつつ、教育への権力の介入を阻止するために、今後とも「日の丸・君が代」強制と闘っていかねばならないと思います。
厳しい現場で教育者としての良心を貫いて懲戒処分を受けている皆様には心から敬意を表明いたします。私たち弁護団も、ご一緒に訴訟活動に邁進する覚悟です。
(2014年10月25日)
第二次安倍改造内閣の方針の目玉は、「地方創生」と「女性の登用」だそうである。その両者とも、これまでの政権のなきどころだったということだ。いずれも全国的な成果を上げるには大変な事業だが、閣僚の女性登用だけは手軽に形を作ることができる。
こうして、高市早苗(総務大臣)、松島みどり(法務大臣)、小渕優子(経済産業大臣・原子力経済被害担当等)、山谷えり子(国家公安委員会委員長・拉致問題担当等)、有村治子(女性活躍担当・消費者及び食品安全・規制改革等)が閣僚となった。これに、自民党政調会長の稲田朋美を加えて、6人の女性政治家が「アベトモ」として光の当たる場所に据えられた。「女性閣僚5名は過去最多」「内閣も自ら女性活用へ」などはしゃぐマスメディアもあって、内閣支持率のアップに寄与しているらしい。
それだけでなく、市民団体の中でも、「安倍さん、よいこともやるじゃない」という評価もあると聞く。私には理解しがたい。この顔ぶれで本当に「よいこと」なのだろうか。
女性が政治のリーダーシップをとることは歓迎すべきことである。一般論ではあるが、男性と比較して女性の方が平和志向的といえよう。「母性」が象徴するように、生命やいとけなきものに対する思いやりが強い。か弱きものへの目線が暖かく、人権志向的であるとも言える。だから、女性のリーダーシップ歓迎は、実は平和や人権を歓迎してのことである。
NHKの朝ドラ「花子とアン」の終盤、柳原白蓮のラジオ放送でのスピーチが話題となったという。白蓮の実像についても、そのスピーチの内容がどこまで史実であるも、私は知らない。しかし、ドラマにおけるスピーチとして紹介されているその内容には、頷けるものがあり胸を打つものがある。川柳子が「NHK 朝ドラだけは 平和主義」としているのは、あながち揶揄だけではない。
「私が今日ここでお話したいのは平和の尊さでございます。先の戦争で私は最愛の息子純平(史実では香織)を失いました。私にとって息子は何ものにも代え難い存在でございました。『お母様は僕がお守りします』。幼い頃より息子はそう言って母である私をいつも守ってくれました。本当に心の優しい子でした。子を失うことは心臓をもぎ取られるよりもつらいことなのだと私は身をもって知りました。
もしも女ばかりに政治を任されたならば戦争は決してしないでしょう。かわいい息子を殺しに出す母親が一人だってありましょうか。もう二度とこのような悲痛な思いをする母親を生み出してはなりません。もう二度と最愛の子を奪わせてはならないのです。戦争は人類を最大の不幸に導く唯一の現実です。最愛の子を亡くされたお母様方、あなた方は独りではありません。同じ悲しみを抱く母が全国には大勢あります。私たちはその悲しみをもって平和な国を造らねばならないと思うのです。私は命が続く限り平和を訴え続けてまいります」
「もしも女ばかりに政治を任されたならば戦争は決してしないでしょう。かわいい息子を殺しに出す母親が一人だってありましょうか」というこのスピーチに賛同して、「女性政治家よ出でよ」「もっともっと女性を議員に、閣僚に」と、叫びたいのだ。
しかし、女性ならみんながみんな平和志向で人権志向だというわけではない。中にはひどいのも少なくない。6人くらいなら、ひどいのばかり集めることは容易なこと。
評価されるべき女性政治家の要諦として、まずは、国民の命を大切にする立場から戦争には絶対反対であるか、が問われなければならない。ついで、女性の地位や人権、社会進出のために尽力する姿勢を吟味すべきである。具体的にはいくつかの試金石がある。
先の我が国の戦争を侵略戦争とする歴史認識に立脚しているか
「従軍慰安婦」を許容した戦争を真摯に反省する立場であるか
近隣諸国との友好平和関係樹立のために邁進しているか
集団的自衛権行使容認に反対であるか
原水爆廃絶に本気で取り組んでいるか
原発の再稼働に反対し脱原発を貫いているか
選択的夫婦別姓の早期実現に熱意をもっているか
男女共同参画推進に実績を持っているか
生殖に関する女性の自己決定権を擁護する立場か
男女の役割分担固定化に反対の立場を明確にしているか
女性の労働条件の向上に尽力しているか
日本会議や靖国派の議連に参加していないか
6名すべてが、間違いなくアウトだ。女性でありさえすれば閣僚登用歓迎などとは言っておられない。稲田朋美に至っては、予算委員会の質問で安倍晋三と一緒になって河野談話を攻撃し、安倍に「日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が世界で行われている」とまで言わせている。
このような6人組では、「もしも女ばかりに政治を任されたならば戦争は決してしないでしょう」「かわいい娘を、戦争の最も悲惨な犠牲者である『従軍慰安婦』にさし出す母親が一人だってありましょうか」「すべての悲惨の原因である戦争を再び繰り返してはなりません」とはならない。
「従軍慰安婦」について、狭義の強制性の有無だけを問題にして、あらゆる人に悲惨な犠牲を強いる戦争の根源的な罪悪性を問題にしようとしない女性政治家たち。戦争を根絶しようとする意見に与しようとしない女性閣僚たち。
今、安倍内閣では光当たる立場にあるこの女性政治家たちは、実は女性の味方でもなく、国民の味方でもない。こんな政治家登用に、「安倍さん、よいこともやるじゃない」などと、けっして言ってはならない。
(2014年10月14日)
「法廷で裁かれる日本の戦争責任ー日本とアジア・和解と恒久平和のために」(高文研)を読んでいる。600ページを超す浩瀚な書。日本の戦争責任を追及する訴訟に携わった弁護士が執筆した50本の論文集である。とても全部は読み通せない。結局は拾い読みだが、どれを読んでも、熱意に溢れ、しかも事件と書き手の個性が多彩でおもしろい。
各論文は、宇都宮軍縮研究室発行の月刊「軍縮問題資料」の2006年から2010年まで連載特集「法廷で裁かれる日本の戦争責任」として掲載されたものを主としている。これに加筆し、書き下ろしの論文を加えて、沖縄出身の端慶山茂君が責任編集をしたもの。同君は私と修習が同期、親しい間柄。
日本国憲法は歴史認識の所産と言ってよい。憲法自身が、前文において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する」と言っている。明治維新以来の国策となった富国強兵の行き着くところが侵略戦争と植民地主義であり、その破綻であった。その歴史への真摯な反省が、国民主権・平和・人権の理念に貫かれた憲法を創出した。また、侵略と植民地支配への反省こそが、大戦後の国際社会への日本の復帰の条件でもあった。ところが、今政権は、「戦後レジームから脱却」し「日本を取り戻す」と呼号している。日本の責任と反省を忘れ去ろうとしているごとくである。その今、日本の戦争責任を確認することには大きな意義がある。
「法廷で裁かれる日本の戦争責任」は、政治的・道義的な戦争責任ではなく、法的責任を追及しこれを明確にしようとする提訴の試みの集成である。15年戦争と植民地支配における「戦争の惨禍」の直接の被害者が、侵害された人間性の回復を求めて、日本国を被告として日本の裁判所に提訴したもの。
そのような戦争被害者が日本の戦争責任を追及した訴訟の数は多い。本書の巻末に、「戦争・戦後補償裁判一覧表」が90件を特定している。この表には日本人のみを原告とした訴訟の掲載は省かれている。原爆、空襲、沖縄地上戦やシベリア抑留の被害など、本書では10本の論文に紙幅か割かれている「日本人の戦争被害」の各訴訟を加えれば、優に100件を超すことになる。
本書は、そのすべてを網羅するものではなく、50本の論文が必ずしも1件の訴訟の紹介という体裁でもない。どの論文も独立した読み物となっており、どこからでも読むことができる。全体を「従軍慰安婦」「強制連行」「日本軍による住民虐殺、空爆、細菌・遺棄兵器」「韓国・朝鮮人BC級訴訟」「日本人の戦争被害」などに分類されている。各訴訟が、それぞれに創意と工夫を凝らしての懸命の法廷であったことが良く分かる。困難な訴訟に果敢に取り組んだ弁護士たちの熱意に頭が下がる。本書は日本の弁護士の良心の証でもある。このような献身的な働きが、各国の民衆間の信頼を形作り、平和の基礎を築くことになるだろう。今政権は、「戦後レジームから脱却」し「日本を取り戻す」と呼号して、日本の責任と反省を忘れ去ろうとしている。本書は、その禍根の歴史を忘れてはならないとする警告の書として読まれなければならない。
なお、本書の発刊が本年3月であるが、その後半年を経て、思いがけなくも本書は新たな発刊の意義を見出す事態となった。朝日新聞の吉田清次証言記事取り消しと、これに勢いづいた右翼メディアや靖国派政治家の、朝日や河野談話への執拗な攻撃である。あたかも「日本軍慰安婦」の存在そのものがなかったかのごとき言論が横行している。本書は、この無責任言論への有力な反論の武器となっている。悲惨な性奴隷としての実態のみならず、軍の関与も強制性も判決が事実認定しているのだ。時効・除斥期間、国家無答責、国家間の請求権放棄合意等々の厚い壁に阻まれて、勝訴には至らなくても、証拠に基づく裁判所の認定事実には重みがある。
1993年8月の「河野談話」の末行は次のとおりに結ばれている。
「なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。」
「慰安婦」問題について本邦において提起された訴訟とは、1991年から93年にかけて提訴された「アジア太平洋戦争 韓国人犠牲者補償請求訴訟」「在日・宋神道訴訟」「関釜朝鮮人『従軍慰安婦』謝罪訴訟」の3件である。被害者らの勇気ある名乗り出と提訴が、河野談話を引き出したのだ。そして、韓国・朝鮮人「慰安婦」提訴の後には、中国・台湾・フィリピン・オランダ人などの訴えが続いた。訴訟が明らかにしたこと、訴訟が世に訴えたことは大きい。
本書の「まえがき」のタイトルが、「和解と恒久平和のために」となっている。そして、まえがきを要約した袴の惹句が、次のとおりである。
「日本の裁判所が日本の戦争責任について審理している裁判例50件を、主に訴訟担当弁護士が解説。戦争の惨禍の加害と被害の実相を明らかにし、日本とアジア諸国とのゆるぎない和解を成立させ、恒久平和実現への願いを込める!」
本書は、禍根の戦争の歴史を忘れてはならないとする警告の書である。来年は戦後70年となるが、情勢はますます、本書の警告を必要としている。図書館などに備えていただき、多くの人に目を通していただきたいと思う。
(2014年10月13日)
本日は、日弁連主催の「閣議決定撤回!憲法違反の集団的自衛権行使に反対する10・8日比谷野音大集会&パレード」。日比谷野音が人で埋まった盛況に見えたが、「参加者は3000人を超えた」という発表だった。
民主・共産・社民・生活の各党から合計16名の国会議員の参加を得て、午後6時に開会。村越進日弁連会長の開会挨拶は、なかなか聞かせる内容だった。その要旨は以下のとおり。
「日弁連は、政治団体でも社会運動団体でもありません。当然のこととして、会員の思想信条はまちまちであり、立場の違いもあります。強制加入団体である日弁連が、集団的自衛権行使容認反対の運動をすべきではないと批判の声もあります。
しかし、私たちの使命は人権の擁護にあります。人権の擁護に徹するとすれば、憲法を擁護し、憲法が定める平和主義を擁護する立場に立たざるを得ません。戦争こそが最大の人権侵害であり、人権は平和の中でしか花開くことができないからです。従って、憲法の前文と9条に描かれた恒久平和主義を擁護することは弁護士会の責務であります。
また、集団的自衛権行使を容認した7月1日閣議決定が、立憲主義に反することは明らかで、日弁連はこの点からも、閣議決定の撤回を求めています。
今こそ、多くの人々が人権と平和と民主々義のために力を合わせるべきときです。閣議決定の撤回を求めるとともに、関連諸法の成立を許さぬよう、ご一緒にがんばりましょう」
また、山岸良太・憲法問題対策本部長代行から、日弁連だけでなく全国の52単位会の全部が集団的自衛権行使容認に反対する声明や意見を出していると報告された。また、7月1日閣議決定は、憲法の平和主義に反し立憲主義に反し、ひいては国民主権に反すると説明された。
次いで、6名の発言者によるリレートークが本日のメイン。
出色だったのは、やはり上野千鶴子さん。正確には再現できないが、大意は以下のとおり。
「集団的自衛権を行使する、とは日本がアメリカの戦争の共犯者となること。そのようなことを憲法は許していないはず。にもかかわらず、閣議決定は時の政府の一存でその容認に踏み切った。
憲法は閣議ひとつで変えられる だから7月1日は壊憲記念日
本来、法は時々の政治の要求で踏みにじられてはならない。今、法律家には、失われた法に対する信頼を取り戻すべき責任がある。
若い頃大人に対して『こんな世の中に誰がした』と詰め寄った憶えがある。私たちは、今の若者から同じように詰め寄られてなんと返答できるだろうか。戦後のはずの今を、戦前にしてはならない」
青井未帆学習院大学教授の発言も危機感にあふれたものだった。
「2014年は、あとから振り返って、戦後平和主義の転換点とされる年になるかも知れない。過去に目を閉ざしてはならない。戦争体験を学び次代に伝え、平和の尊さを伝える努力をしていかねばならない。
政治は憲法に従わなくてはならず、超えてはならない矩がある。明治憲法は、権力の統制に失敗したが、日本国憲法はこれまではそれなりに真摯に取り扱われてきた。ところが今、憲法はなきに等しくなってはいまいか、あるいはきわめて軽んじられてしまってはいないか。憲法の最高法規制を見失えば、特定秘密保護法・日本版NSC設置法・集団的自衛権行使容認などの深刻な事態となる」
宮?礼壹・元内閣法制局長官も、中野晃一上智大学教授の発言も、耳を傾けるに値する内容だった。
閉会の挨拶で、?中正彦東京弁護士会会長が、「法律家の常識として、どのように考えても集団的自衛権を容認する憲法解釈は出てくる余地はない」と締めくくった。
会場に各単位会の旗が林立した。自由法曹団や日民協の旗も建てられた。弁護士会はなかなかに立派なものだ。いや、日弁連は現行憲法の理念に忠実という意味において、きわめて保守的な姿勢を貫いているに過ぎない。法律家の宿命というべきであろう。この保守的姿勢が、いま、右翼政権からは邪魔なリベラル派に映るというだけのことなのだろうと思う。
(2014年10月8日)
昨日と今日(9月20・21日)は、日民協執行部の夏期合宿。恒例では8月中の行事だが、今年は諸般の事情あってやや遅い日程となった。参加者は23名。
企画のメインは、情勢認識をできるだけ統一するための憲法問題討論会。全体のタイトルは「安倍政権の改憲・壊憲政策の全体像」というもの。分野別に担当者を決めて、30分の報告と、報告をめぐっての40分の討論。時間通りには収まらない満腹感のある議論となった。
全討論の最後を森英樹新理事長がまとめた。私の理解した限りでのことだが、大要以下のとおり。
「安倍政権の改憲路線が、各分野にわたる全面的なものであり、これまでにない質的に本格的なものでもあることは、おそらく共通の認識と言ってよいでしょう。これまでは、一内閣一課題の程度でしか問題にし得なかったことを、あれもこれも俎上に載せている。
今回合宿の討論会で取り上げたのは、下記6分野でした。
9条関係(平和主義、集団的自衛権をめぐる問題)
21条関係(表現の自由、あらゆる分野での憲法擁護言論封殺の動き)
25条関係(生存権、社会福祉・医療保険、介護保険制度)
27条関係(労働権、雇用の喪失と雇用形態の)
31条以下の被疑者被告人の権利(刑事司法改悪の現状)
前文(歴史認識問題・右翼の台頭)
本日取り上げられなかった分野として、下記があります。
26条(教育を受ける権利)
28条(労働基本権、とりわけ争議権問題)
30条(納税者基本権)
第4章(議会制民主主義・選挙制度)
第6章(司法)
第8章(地方自治)
できれば、もう一回これらの分野での報告と議論の機会を持ち、パンフレットとして出版することを考えてはどうでしょうか。
安倍政権の、このような全面改憲のイデオロギーを支えているのが、「戦後レジームからの脱却」というキーワードです。
「戦後」とは、1945年敗戦以前の近代日本を否定的にとらえる時代認識の用語として固有名詞化したものです。戦後民主主義、戦後平和、戦後教育、戦後憲法等々。戦前を否定しての価値判断があります。安倍さんは、これを再否定して「美しい日本」を取り戻すという文脈となる。
また「レジーム」とは、単なる体制や枠組みというだけでなく、フランス大革命以前の体制を「アンシャンレジーム」と言ったことから、唾棄すべき、古くさい体制というニュアンスが込められている。
しかし、「戦後」を唾棄すべきレジームとして否定して、取り戻す日本というのは、けっして未来を指向するものではない。悲しいかな、古くさく、世界のどこからも「価値観を共有する」とは言ってもらうことのできない、天皇制の戦前に回帰するしかないことになります。
問題は、安倍首相のパーソナルファクターではありません。安倍さん個人はいずれ任を離れます。しかし、安倍さんに、シンパシーを持つ勢力が発言権を持ち始めているということです。
この点が、ドイツと大いに異なるところです。
今年のドイツは、いくつもの意味で節目の年でした。
まず、1914年(第1次大戦開戦)から100年。
ついで、1939年(第2次大戦開戦)から75年。
そして、1989年(ベルリンの壁崩壊)から25年、です。
第1次大戦の開戦は偶発でしたが、これが最初の世界大戦に発展したのは、ドイツがフランスに対する開戦を決意し、フランスへの進路にあたる中立国ベルギーを攻略したことに端を発します。今年の8月3日、その100年目の記念式典が、ベルギーの最初の激戦地であるリエージュ開催されました。関係国の首脳が参集したその式典で、ドイツの元首であるガウク大統領が、謝罪と反省の辞を述べています。
さらに、史上初めて毒ガスが本格的に使用された戦場として名高いイーペルでも、ガウクは次のように述べています。
「罪のない多くのベルギーの人々を殺傷した当時のドイツの行為には、みじんの正義もなかった。追悼の言葉だけでなく、謝罪と反省を行動で示さなければならない」
歴史を反省するとはこういうものか、と思わせる真摯な内容でした。
第2次大戦開戦のきっかけとなった1939年のポーランド侵攻の責任については、言うまでもありません。
戦後のドイツが生き延び復興するには、ヨーロッパ世界に受け入れてもらわねばならないのですから、過去を深く反省するしか方法がなかったと言えばそれまでですが、ドイツの真摯な反省とその実行とは、周辺諸国からの信頼を勝ち得るものとなっています。
それと比較して日本はどうでしょうか。
日本もドイツ同様に、今年は歴史的な節目の年です。
1874年台湾出兵から140年。
1894年日清戦争から120年。
1904年日露戦争から110年。
1914年第一次大戦から100年。
ドイツは歴史を反省する「風景」を作り出しました。しかし、日本は「無風景」のままなのです。
また、中国は三つの「国辱の日」を持っています。いずれも、日本との関係におけるもの。
5月9日 対華21箇条要求の日
7月7日 盧溝橋事件勃発の日
9月18日 柳条湖事件の日
日本のマスコミが、これら各日を意識して特集を組んだり、回顧や報道の記事を書いていないことを残念に思います。
朝鮮との関係では、もうすぐ11月10日。これは、日本が朝鮮の人々に創氏改名を強制したことによって記憶されている日です。この日に、新聞やテレビが関心を持つでしょうか。
ドイツは過去への反省を徹底することによって国際的な信頼を獲得しました。多くの国から「価値観を共有する国」として受容されています。翻って、安倍政権の「改憲・壊憲路線」は、「歴史の反省をしない日本」「とうてい価値観を共有し得ない日本」を浮かび上がらせることに終わる以外にはありません。
その意味では、私たちは自信を持ってよいと思います。安倍改憲・壊憲路線は、日本国民の利益と敵対するだけではなく、近隣諸国や世界各国の良識から孤立するものであることを指摘せねばなりません。
法律家の任務として、改憲の動向に対応するだけでなく、憲法を根底から否定し全分野においてこれをないがしろにする安倍内閣の政策の総体に対抗する運動に寄与しなければと思います。」
(2014年9月21日)
本日は「九・一八」。1931年9月18日深夜、奉天近郊柳条湖で起きた鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。小学館「昭和の歴史」の第4巻『十五年戦争の開幕』が、日本軍の謀略による柳条湖事件から「満州国」の建国、そして日本の国際連盟脱退等の流れを要領よく記している。
その著者江口圭一は、ちょうど半世紀後の1981年9月18日に柳条湖の鉄道爆破地点を訪れた際の見聞を、次のように記してその著の結びとしている。
「鉄道のかたわらの生い茂った林の中に、日本が建てた満州事変の記念碑が引き倒されていた。倒された碑のコンクリートの表面に、かつて文化大革命のとき紅衛兵によって書かれたというスローガンの文字があった。ペンキはすでに薄れていた。しかし、初秋の朝の日射しのもとで、私はその文字を読み取ることができた。それは次の文字だった。
不忘“九・一八” 牢記血涙仇」
印象の深い締めくくりである。ペンキの文字は、「九・一八を忘るな。血涙の仇を牢記せよ」と読み下して良いだろう。牢記とは、しっかりと記憶せよということ。血涙とは、この上なく激しい悲しみや悔しさのために出る涙。仇とは、仇敵という意味だけではなく、相手の仕打ちに対する憎しみや怨みの感情をも意味する。
「9月18日、この日を忘れるな。血の混じるほどの涙を流したあの怨みを脳裡に刻みつけよ」とでも訳せようか。足を踏まれた側の国民の本音であろう。足を踏んだ側は、踏まれた者の思いを厳粛に受けとめるしかない。
柳条湖事件を仕組み、本国中央の紛争不拡大方針に抗して、満州国建設まで事態を進めたのが関東軍であった。関東軍とは、侵略国日本の満州現地守備軍のこと。「関」とは万里の長城の東端とされた「山海関」を指し、「関東」とは「山海関以東の地」、当時の「満州」全域を意味した。
私の父親も、その関東軍の兵士(最後の階級は曹長)であった。愛琿に近い、ソ満国境の兵営で中秋の名月を2度見たそうだ。「地平線上にでたのは、盆のような月ではなく、盥のような月だった」と言っていた。「幸いにして一度も戦闘の機会ないまま内地に帰還できた」が、それでも侵略軍の兵の一員だった。
世代を超えて、私にも「血涙仇」の責の一部があるのだろうと思う。少なくとも、戦後に清算すべきであった戦争責任を今日に至るまで曖昧なままにしていることにおいて。
何年か前、私も事件の現場を訪れた。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。
柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であった。この秘密を知った者が、「実は、あの奉天の鉄道爆破は、関東軍の高級参謀の仕業だ。板垣征四郎、石原莞爾らが事前の周到な計画のもと、張学良軍の仕業と見せかける工作をして実行した」と漏らせば、間違いなく死刑とされたろう。軍機保護法や国防保安法、そして陸軍刑法はそのような役割を果たした。今、すでに成立した「特定秘密保護法」が、そのような国家秘密保護の役割を担おうとしている。
法制だけではなく、満州侵略を熱狂的に支持し、軟弱外交を非難する世論が大きな役割を果たした。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていた。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。
今の世はどうだろうか。自民党の極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法が制定され、集団的自衛権行使容認の閣議決定が成立し、慰安婦問題での過剰な朝日バッシングが時代の空気をよく表している。偏頗なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。
今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にしよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。
(2014年9月18日)
「原発」は「戦争」によく似ている。
国家の基幹産業と結びつき、国益のためだと語られる。国民の支持取り付けのために「不敗神話」とよく似た「安全神話」が垂れ流される。隠蔽体質のもとに大本営発表が連発される。その破綻が明らかとなっても撤退は困難で、責任は拡散して限りなく不明確となる。中央の無能さと現場の独断専行。反省や原因究明は徹底されない。そして、始めるは易く、終わらせるのは難しい。
死者にむち打ちたくないという遠慮はあるが、それにしても「吉田調書」を見ていると、現場の傲慢さや独断専行ぶりは皇軍の現地部隊を思わせる。シビリアンコントロールや、中央からの統制が効かない。中央は、現地部隊の独断専行を最初は咎めながらも、無策無能ゆえに結局は容認する。
満州事変で、中央の不拡大方針に反して独断で朝鮮軍を満州に進め、「越境将軍」と渾名された林銑十郎などを彷彿とさせる。明らかに重大な軍紀違反を犯しながら、失脚するどころか後に首相にまでなっている。国民や兵士に思いは至らず、「愚かな中央」を見下す傲慢さが身上。石原完爾、板垣征四郎、武藤章、牟田口廉也など幾人もの名が浮かぶ。
吉田所長も同様。本社や官邸と連携を密にし、一体として対処しようという意識や冷静さに欠け、自己陶酔が見苦しい。
「問:海水による原子炉への注水開始が(3月12日)午後8時20分と(記録が)あり、東電の公表によれば午後7時4分にはもう海水を注入していた。なぜずれが生じている?
答:正直に言いますけれども、(午後7時4分に)注水した直後ですかね、官邸にいる武黒(一郎・東電フェロー)から私に電話がありまして。電話で聞いた内容だけをはっきり言いますと、官邸では、まだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は中止しろという指示でした。ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでした。どれくらいの期間中止するのか指示もない中止なんて聞けませんから。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと(同僚に)指示をして、それで本店には中止したと報告したということです。」
これを美談に仕立て、「愚かな官邸・本社に対する現場の適切な判断」と見る向きがあるが、とんでもない。結果論だけでの評価は危険極まる。現場と官邸・本社との連携の悪さとともに、皇軍の現地部隊同様の独断専行の弊は徹底して反省を要する。
この独断専行の裏には、次のような官邸・中央に対する反感がある。
「時間は覚えていないが、官邸から電話があって、班目(春樹・原子力安全委員長)さんが出て、早く開放しろと、減圧して注水しろと」「名乗らないんですよ、あのオヤジはね。何かばーっと言っているわけですよ。もうパニクっている。なんだこのおっさんは。四の五の言わずに減圧、注水しろと言って、清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、班目委員長の言う通りにしろとわめいていた。現場もわからないのに、よく言うな、こいつはと思いながらいた」「私だって早く水を入れたい。だけれども、手順がありますから、現場はできる限りのことをやろうと思うが、なかなかそれが通じない。ちゅうちょなどしていない。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつは、たたきのめしてやろうかと思っている」
管首相に対する言葉遣いの乱暴さにも辟易する。
「叱咤(しった)激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員そろっているところが映っていました。そこに来られて、何か知らないですけれども、えらい怒ってらした。要するに、お前らは何をしているんだと。ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分が悪かったことだけ覚えています。そのうち、こんな大人数で話すために来たんじゃないとかで、場所変えろと何かわめいていらっしゃるうちに、この事象(4号機の水素爆発)になってしまった」
「使いません。『撤退』なんて。菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って。一言。誰が逃げたんだと所長は言っていると言っておいてください。事実として逃げたんだったら言えと」
「あのおっさん(管首相のこと)がそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。私も被告です、なんて偉そうなことを言っていたけれども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、ばか野郎と言いたい。議事録に書いておいて」
戦争と同じく、成功体験だけが記憶に刻み込まれている。中越地震時(2007年)の柏崎刈羽原発の経験が次のように、悪い方向で働いている。
「えらい被害だったんですけれど、無事に止まってくれた。今回のように冷却源が全部なくなるということにならなかった」「やはり日本の設計は正しかったという発想になってしまったところがある」「電源がどこか生きていると思っているんですよ、みんな。電源がなくなるとは誰も思っていない」
最後に、過酷事故に至った原因について、およそ反省がない。
「貞観津波のお話をされる方に、特に言いたい。・・何で考慮しなかったというのは無礼千万と思っています。そんなことを言うなら、全国の原発は地形などには関係なく、15メートルの津波が来るということで設計し直せと同じ」「保安院さんもある意味汚いところがあって、先生の意見をよく聞いてと。要するに、保安院として基準を決めるとかは絶対にしない。あの人たちは責任をとらないですから」
原発事故後の混乱した精神状態によるものと差し引いて聞いても、背筋が凍るような発言ではないか。事故があり、吉田調書が現れなければ、原発の現場がこれほどにも投げやりで乱暴で、責任押し付け合いの状態で運営されているとは誰も夢にも思っていなかっただろう。
こうした東京電力や規制庁の体質が改善されたという保証はない。汚染水も放射性物質の貯蔵も廃炉の道筋も見えないまま、原発の再稼働が進んでいくのは悪夢としか評しようがない。
戦争はこりごりだ。戦争に負けてはいけないではなく、戦争を繰り返してはならない。原発も同様だ。過酷事故を起こしてはいけないではなく、原発再稼動を許してはならない。
(2014年9月13日)