澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

対朝日集団訴訟を憂うるー新手スラップの横行を許してはならない

本日の朝刊に掲載された小さな記事。朝には見落として、夕方に気が付いた。世間の耳目を引かないようだが、私にはいささかの関心がある。

「慰安婦報道:『朝日新聞は名誉毀損』8749人が賠償提訴」というベタの見出し。
「朝日新聞の従軍慰安婦報道によって『日本国民の名誉と信用が毀損された』などとして、渡部昇一・上智大名誉教授ら8749人が26日、同社を相手取り、1人1万円の賠償と謝罪広告掲載を求めて東京地裁に提訴した。訴状によると、原告側が問題視しているのは、朝日新聞が1982〜94年に掲載した『戦時中に韓国で慰安婦狩りをした』とする吉田清治氏(故人)の証言を取り上げた記事など13本。『裏付け取材をしない虚構の報道。読者におわびするばかりで、国民の名誉、信用を回復するために国際社会に向けて努力をしようとしない』などと訴えている。
朝日新聞社広報部の話 訴状をよく読んで対応を検討する。」(毎日)

世の中は狭いようで広い。こんな訴訟の原告団に加わる「名誉教授」や、こんな提訴を引き受ける弁護士もいるのだ。この奇訴にいささかの興味を感じて、訴状の内容を読みたいものとネットを検索したが、アップされていない。靖国関連の集団訴訟などとの大きな違いだ。

それでも、「『日本国民の名誉と信用が毀損された』として、朝日を相手取り、賠償と謝罪広告掲載を求めて東京地裁に提訴した」というメディアの要約が信じがたくて、当事者の言い分で確かめたいと関連サイトを検索してみた。

「頑張れ日本!全国行動委員会」という運動体が提訴の委任状を集めており、姉妹組織「朝日新聞を糺す国民会議」が訴訟の運動主体のようでもある。これらを手がかりに検索を重ねても訴状を見ることができないだけでなく、請求原因の要旨すら詳らかにされていない。法的な構成の如何にはまったく関心なく、原告の数だけが問題とされている様子なのだ。勝訴判決を得ようという本気さはまったく感じられない。

ようやく3人で結成されている弁護団のインタビュー動画にたどり着いた。3人の弁護士が語ってはいるが、その大半は「訴訟委任状の住所氏名は読めるようにきちんと書いてください」「郵便番号をお忘れなく」「収入印紙は不要です」「委任の日付は空欄にしてもかまいません」などと細かいことには熱心だが、請求原因の構成については語るところがない。「朝日がいかに国益を損なったか」という政治論だけを口にしている。ここにも、真面目な提訴という雰囲気はない。

永山英樹という右派のライターが、次のように提訴記者会見での原告団の言い分をまとめている。おそらくは、訴状を読んでのことと思われる。
「日本の官憲による慰安婦の強制連行という朝日の宣伝により、旧軍将兵、そして国民は集団強姦犯人、あるいはその子孫という汚名を着せられ、人格権、名誉権が著しく損なわれた。日本の国家、国民の国際的評価は著しく低下して世界から言われなき非難を浴び続けている。たしかに虚報を巡って朝日は「読者」に対し反省と謝罪の意は表明した。しかし捏造情報で迷惑を被ったのは「読者」だけではないのである。国際社会における国家、国民の名誉回復の努力も一切していない。そこで朝日新聞全国版で謝罪に一面広告を掲載することと、原告に対する一万円の慰謝料の支払いを求めるのがこの訴訟なのだ」
どうやらこれがすべてのようだ。これでは、そもそも裁判の体をなしていないといわざるを得ない。

この提訴は、訴権濫用により訴えそのものが却下される可能性が極めて高い。訴訟の土俵に上げてはもらえないということだ。訴え提起が民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き信義則に反する場合には、訴権濫用として、訴えを却下する判決は散見される。このような信義則に反する場合としては、?訴え提起において、提訴者が実体的権利の実現ないし紛争の解決を真摯に目的とするのでなく、相手方当事者を被告の立場に立たせることにより訴訟上または訴訟外において有形・無形の不利益・負担を与えるなどの不当な目的を有すること、および?提訴者の主張する権利または法律関係が、事実的・法律的根拠を欠き権利保護の必要性が乏しい、ことが挙げられている。
今回の集団による対朝日提訴は、まさしくこの要件に該当するであろう。

さらに、提訴が訴権の濫用に当たることは、却下の要件となるだけでなく、提訴自体が朝日に対する不法行為を構成する可能性もある。そのときは原告すべてに不法行為による損害賠償責任が生じることになる。通常8749人に損害賠償の提訴をすることは事務の繁雑さと郵送料の負担とで現実性がないが、本件では反訴なのだから好都合だ。反訴状は正副各1通だけで済むし、送達費用はかからない。当事者目録は原告側が作ったものをそのまま利用すればよい。朝日にとってはお誂え向きなのだ。

朝日を被告としたこの訴訟は不法行為構成であろうが、何よりも各原告に、「権利または法律上保護される利益の侵害」がなくてはならない。「国益の侵害」や「日本国民の名誉と信用が毀損された」では、そもそも訴えの利益を欠くことになって、私的な権利救済制度としての民事訴訟に馴染まないことになる。この点で訴訟要件論をクリヤーできたとしても、法律上保護される利益の侵害がないとして棄却されることは目に見えているといってよい。

さらに誰もが疑問に思うはずの、時効(3年)と除斥期間(20年)について、原告側はどのようにクリヤーしようとしているのか、とりわけ除斥期間は被告の援用の必要はない。訴状に何らかの記載が必要だし、原告を募集するについて重要な説明事項でもある。しかし、この点についてはなんの説明もないようだ。

この訴訟は新手のスラップだ。勝訴判決によって権利救済を考えているのではない。ひたすらに朝日に悪罵を投げつける舞台つくりのためだけの提訴ではないか。本来の民事訴訟制度は、こんな提訴を想定していない。

朝日は、早期結審を目指すだけでなく、提訴自体を不法行為とする反訴をもって対抗すべきではないか。負けて元々の提訴で、相手を困らせてやれ、という訴訟戦術の横行を許してはならないと思う。
(2015年1月27日)

襟を正すよう岩手県に求める

冬晴れの空に映える冠雪の岩手山。今日一日は、美しき山のある幸せの地に。

新幹線の車窓から岩手山を望むと、いつも啄木の歌を思い出す。
  汽車の窓はるかに北にふるさとの山見え来れば襟を正すも

タクシーの運転手さんが、誇らしげに言う。
「私らいつも見ていますが、見飽きるということがありません」「特にこの開運橋からの岩手山がみごとでしょう」「この橋で岩手山を見ると運が開けるって、受験生がやって来るんですよ」

本日は「浜の一揆」事件の対岩手県(水産振興課)交渉。その日程に合わせて、吉田さんから岩手県(県立中央病院)に対する医療過誤訴訟の提訴日とした。

盛岡地裁正門の前に地元テレビのカメラがならんだ。分かり易い事案の内容について幹事社を通じての事前のブリーフィングの効果もあったろうが、何よりも原告吉田さんが、自分の名前も顔も出して取材に応じるという勇気が大きな反響を呼んだのだと思う。

この吉田さんの事件はOさんの紹介。Oさんも、県立病院で奥さんを医療過誤事件で亡くされた方。羊水塞栓症での死亡とされ、県は発症の予測も結果回避も不可能として争った。一審盛岡地裁は羊水塞栓症の罹患を否定しての認容判決だったが、控訴審の仙台高裁判決は羊水塞栓症の罹患を肯定しながら医師の発症責任を認めた。羊水塞栓症の発症責任を認めた認容判例は空前である。もしかすると絶後かも知れない。

その困難な訴訟の最中に、Oさんが述懐したことがある。「私は、この裁判に負けたら地元に住み続けることはできません」というのである。県を相手に訴訟を起こすとは、そのくらいたいへんなことなのだ。よほど思いつめ、よほどの覚悟での提訴だということが痛いほどよくわかった。幸いに、一審、二審とも勝訴判決を得て、Oさんは昔のまま地元での暮らしを続けている。

ことほどさように、県を相手に裁判を起こすなどとは勇気のいること。吉田さんは本件事故当時20歳。その吉田さんが、胸を張って、名前を出して、カメラの前で県立中央病院の医原性医療事故の不当と、医療事故に関しての病院の対応の酷さを訴えた。

私が配布したレジメの概要は以下のとおりである。
※本日、盛岡市在住の吉田さんから県立中央病院の医療過誤にもとづく損害賠償請求訴訟を盛岡地裁に提訴した。請求金額は270万円だが、後遺障害未定のため、症状固定後に請求拡張の予定。

※本件は医療過誤事件としては小さな事件である。しかし、誰にでも起こりうる医療事故であり、医療機関側の対応の不誠実さは、患者の権利の問題として到底看過しえない。
☆「過失1」 典型的な医原性医療過誤。医療による過失傷害事件である。
研修医2名が大腿動脈穿刺による採血に失敗。採血は4回試行されていずれも失敗。患者の懇請で看護師に交替して5回目にようやく成功。患者は未熟な研修医の実験台にされた。その直後から下肢の痛み、しびれ、麻痺が生じて緊急入院。大腿神経の損傷があったものと推察される。2か月後に寛解し退院して現在リハビリ継続中。退院5か月後の現在なお松葉杖歩行。
☆「過失2」病院は自ら起こした事故に謝罪せず、不誠実極まる対応。
被告病院副院長は原告に対して、「研修医の彼らは何も悪くありません、普通の青年です」「吉田さんの体に問題があって、このようなことになりました」「吉田さんの態度に問題があったからこうなったんじゃない? 自業自得だよね」と言っている。
この不誠実対応自体が、損害賠償の根拠になる。

※原告は、本件医療事故によって、店員としての職を失い現在無職無収入。
被告病院は、暫定的な収入仮払い要求を拒絶。提訴やむなきに至った。

記者会見は1時間余に及んだ。記者から、吉田さんに、「名前も、顔も隠さずに、訴えたいというお気持ちになられたという動機を」との質問が何度か繰り返される。それに対する吉田さんの答えをまとめると以下のとおり。

「私には陰に隠れなければならない恥ずかしいことは何ひとつありません」「中央病院の名を挙げて自分の憤りを発言するのですから、自分の方も隠れず名前を出した方がよいと思いました」「私が勇気を出して名前を出して訴えることで、多くの人を元気づけ、医療事故で泣き寝入りをすることがなくなるよう願っています」

匿名の発言は無責任で卑劣、心ある人の耳に届くはずもない。吉田さんの姿勢はその対極。メディアに名前を出し、カメラに向かっての堂々の発言であってこその迫力である。吉田さんを映すテレビの幹事社名が「めんこいテレビ」。人を軽んじプライドを傷つける理不尽に対して、素直な怒りの発露を支えることが私の努めだ。

午後は浜の一揆の幹部の面々と一緒に、岩手県(漁業調整課長)との交渉。零細漁民からの「サケ漁の許可」を求める申請書類の補正をめぐって、形式的な打ち合わせがメインのアポではあったが、当然それだけでは終わらない。「なぜ、県は三陸の漁民に三陸のサケを獲らせないんだ」というテーマをめぐっての発言になる。漁民の声は切実でもあり、厳しくもある。

「今のままでは後継者が育たない。岩手の漁業は衰退の一途だ」「漁民の声に耳を傾けないで岩手の漁業を衰退させているのは行政じゃないか」「こんな苦しいときだから、復興のためにサケを獲ることを認めてもらわねばならない」「どうして、サケ漁を浜のボスの巨大な定置網だけ許可して、俺たち漁民には禁止するんだ」「県が漁業界の意見を聞いて判断するというのは納得できない」「県政がボス支配に追随しているというだけではないか」「漁民にサケを獲らせない理由として、浜のボスたちの利益を守ること以外にどんな理屈が立つのか」「どうして、漁民のための県政にならないで、ボスのための県政になってしまっているんだ」「私たちだって、岩手の漁業界の中にいる。どうして県は漁連の幹部の言うことだけを聞いて漁民の声を聞かないのか」「歴代の水産行政の幹部が漁連に天下りしているではないか。あなた方はどうなんだ」「海区調整委員会が県政のチェックにならないことは、メンバーを見れば明らかでないか」…。

漁民の生活を軽んじ、浜のボスと一体となった県行政の理不尽に対して、怒りの発露を法的な手段として支えることが私の努めだ。

岩手県立病院にも、岩手県の水産行政にも、岩手山を見て襟を正していただきたいと思う。夕暮れの岩手山も見応え十分だった。
(2015年1月21日)

赤旗記事に見る東西トンデモ首長との闘い

本日は赤旗記事の紹介。同紙には、他紙にないニュースも解説も調査記事もあることを認めざるを得ない。そのような記事の二つを転載する。

まずは、本日(1月20日)の赤旗6面「おはよう ニュース問答」欄に「東京『君が代』3次訴訟で一部勝訴したね」という記事がある。子(のぼる)が発問し、父(晴男)が答える問答形式での解説。実に要領よく、事件と判決内容の解説がされている。私が書くと、どうしても事情をよく知らない読者にはわかりにくい文章になってしまう。この赤旗解説記事は、読者にわかってもらおうとの配慮が行き届いている。執筆記者に敬意を表したい。なお、文中にある二つの小見出し「賠償請求は棄却」「都教委は謝罪」は省略した。

のぼる 東京地裁が、東京「君が代」3次訴訟で、都立学校の教職員26人、31件の停職・減給処分を取り消したっていうけど、お父さん、どういう裁判なの?
晴男 卒業式や入学式などで「君が代」斉唱時に起立せず、各校長の職務命令に従わなかったとして、東京都教育委員会から戒告や減給、停職処分をうけた都立学校の教職員50人が処分取り消しと精神的苦痛に対する損害賠償を求めた裁判だよ。

のぼる 「一部勝訴」ってあるけど、どういうことかな?
晴男 戒告処分25件については取り消しを認めず、原告らの精神的苦痛には一切触れることなく、都教委に国家賠償法上の過失はないとして賠償請求も棄却したんだ。

のぼる 処分取り消しを求める裁判は、いつから始まっているの?
晴男 2004年に懲戒処分を受けた173人が、処分取り消しを求めて2007年2月に提訴したのが始まりだよ。

のぼる 職務命令や懲戒処分が「思想及び良心の自由」「信教の自由」など憲法に違反するか、懲戒処分が都教委の裁量権逸脱らん用になるかが争点となったわけだね。
晴男 都教委が2003年秋、「教職員は指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱」「式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営」など細部まで規定した実施指針通りの式を強制し、従わない教職員を処分するという通達をだした。「10・23通達」といわれている。その違憲性も争点になった。

のぼる 判決では、違憲の主張は認めなかったけど、『減給以上の処分では、事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要』とし、減給・停職は違法としているね。
晴男 3年前の東京「君が代」裁判1次訴訟の最高裁判決の内容を維持したもので、3次訴訟原告団・弁護団は「『国旗・国歌強制システム』を断罪し、都教委の暴走に歯止めをかける判断として評価」としているね。

のぼる 違法な懲戒処分をした都教委は謝罪し、反省すべきだね。子どもたちのために自由かったつで自主的な教育を取り戻すたたかいに注目していきたいな。」

もう一つの記事は、4面の「橋下市長は憲法違反 『思想調査』裁判結審 原告が陳述 大阪地裁」という記事。

大阪版では扱いが大きいのかも知れないが東京版では小さい。この訴訟、その後どうなったかと気になっていたが、昨日(1月19日)結審し、3月30日が判決言い渡しだという。他紙の報道にない、私には貴重な情報。

「橋下徹大阪市長による市職員への憲法違反の「思想調査アンケート」(市職員への労使関係アンケート調査)で「精神的苦痛をうけた」として、職員59人が市に損害賠償を求めた裁判が19日、大阪地裁で結審しました。判決は3月30日。
 同アンケートは2012年2月、橋下市長の業務命令として全職員に実施。労働組合への参加や、街頭演説を含む特定の政治家を応援する活動への参加、それらを誘った人の名前まで回答を求めるものです。
 結審では原告団長の永谷孝代さんが最終陳述し、多くの原告が、回答しなければ懲戒免職を含む重大な処分もあり得ると思い、その上で、憲法を守るべき自治体労働者が憲法違反でも回答すべきかと葛藤し、悩み苦しんだと強調。アンケート実施後、多くの職員が心を閉ざし物が言えない職場になったとし、「業務命令と処分で職員を牛耳り、民主主義や働きがいを奪っていったアンケートが憲法違反であることを公正に認めていただきたい」と訴えました。
 同アンケートをめぐっては昨年6月、中央労働委員会が不当労働行為と認定する命令を出しました。橋下市長が同7月、中労委命令の取り消しを求める提訴議案を市議会に提出しましたが、野党4会派などが否決。中労委命令が確定しています。」

東京における教育現場での「10・23通達」との闘いと、大阪市の「思想調査アンケート」との闘いが同根・同質のものであることがよくわかる。いずれも、民主主義の原理をわきまえない横暴なトンデモ首長が問題を引き起こした。

いつの世にも、果敢に闘わずして民主主義の確立も人権の擁護もあり得ないのだ。
(2015年1月20日)

「DHCスラップ訴訟」第1号判決は被告完勝 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第34弾

本日(1月15日)午後1時10分、東京地裁611号法廷で、民事第30部(本多知成裁判長)が「DHCスラップ訴訟」での第1号判決を言い渡した。この事件の被告は、横浜弁護士会所属弁護士の折本和司さん。私同様の弁護士ブロガーで、私同様に8億円を政治家に注ぎこんだ吉田嘉明を批判して、2000万円の損害賠償請求を受けた。

予想のとおり、本日の「DHC対折本」訴訟判決は、請求棄却。しかも、その内容において、あっけないくらいの「原告完敗」「被告完勝」であった。まずは、目出度い初春の贈り物。判決を一読すれば、裁判所の「よくもまあ、こんな事件を提訴したものよ」という言外のつぶやきを行間から読み取ることができよう。「表現の自由陣営」の緒戦の勝利である。スラップを仕掛けた側の大きな思惑外れ。

判決は争点を下記の4点に整理した。この整理に沿った原被告の主張の要約に4頁に近いスペースを割いている。
(1)本件各記述の摘示事実等による社会的評価の低下の有無(争点1)
(2)違法性阻却事由の有無(争点2)
(3)相当因果関係ある損害の有無(争点3)
(4)本件各記述削除又は謝罪広告掲載の要否(争点4)

そして、裁判所による「争点に対する判断」は実質2頁に過ぎない。その骨子は、「本件各記述が原告らの社会的評価を低下させるとの原告らの主張は採用できない」とし、「そうすると、原告らの請求は、その余の争点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これらを棄却する」という、簡潔極まるもの。4つのハードルを越えなきゃならないところ、最初のハードルでつまずいて勝負あったということ。第2ハードル以下を跳ぶ権利なし、とされたわけだ。原告側には、さぞかしニベもない判決と映ったことだろう。

折本弁護団は勝訴に際してのコメントを発表した。要旨は以下のとおりである。

 折本弁護士のブログは、「DHCの吉田会長が、みんなの党代表渡辺喜美氏に8億円を渡した」という、吉田氏自身が公表した事実を摘示した上で、日本における政治と金の問題という極めて公益性の高い問題について、弁護士の視点から疑問を指摘し、問題提起を行ったものにすぎない。
 その記載が名誉毀損にならないものであることは、ブログを読めば一目瞭然であるし、本日の判決も名誉毀損に当たらないことを明確に判断した。
 もしもこの記載に対する反論があるならば、正々堂々と言論をもってすれば済むことであるしそれは週刊誌という媒体を通じて自らの見解を公表した吉田氏にとっては容易いことである。にもかかわらず、吉田氏は、言論をもって反論することを何らしないまま、同氏及び同氏が会長を務める株式会社ディーエイチシーをして、折本弁護士に対していきなり合計2000万円もの慰謝料請求を求める訴訟を提起するという手段に出たものである。これは、自らの意見に批判的な見解を有するものに対して、巨額の慰謝料請求・訴訟提起という手段をもってこれを封じようとするものであると評価せざるを得ず、言論・表現の自由を著しく脅かすものである。
 かかる訴訟が安易に提起されること自体、言論・表現活動に対する萎縮効果を生むのであり、現に、同氏及び同社からブログの削除を求められ、名誉毀損には当たらないと確信しつつも、不本意ながらこれに応じた例も存在する。
 吉田氏及び株式会社ディーエイチシーは、折本弁護士に対する本件訴訟以外にも、渡辺氏に対する8億円の「貸付」について疑問・意見を表明したブログ等について、10件近くの損害賠償請求訴訟を提起している。これらも、自らの意見に沿わない言論に対して、自らの資金力を背景に、訴訟の脅しをもってこれを封じようとする本質において共通のものがあると言わなければならない。
 当弁護団は、吉田氏及び株式会社ディーエイチシーが、本日の判決を真摯に受け止めるとともに、同種訴訟についてもこれを速やかに取り下げ、言論には言論をもって応じるという、言論・表現活動の本来の姿に立ち返ることを求めるものである。

2時半から、記者クラブで折本さんと折本弁護団が記者会見を行った。
小島周一弁護団長から、「原告からは人証の申請もなく、判決言い渡しの法廷には原告代理人の出廷もなかった。訴訟の進行は迅速で、第3回口頭弁論で裁判長から結審の意向が明示され、慌てた被告側が原告本人の陳述書を出させてくれとして、第4回期日を設けて結審した。この訴訟の経過を見ても、本件の提訴の目的が本気で勝訴判決をとることにあったとは思えない。表現行為への萎縮効果を狙っての提訴自体が目的であったと考えざるをえない」
「DHCと吉田氏は本日の判決を真摯に受け止め、同種訴訟についても速やかに取り下げるよう求める。」

折本さんご自身は、「弁護士として依頼者の事件を見ているのとは違って、自分が当事者本人となって、この不愉快さ、気持の重さを痛感した」「DHC側の狙いが言論の封殺にあることが明らかなのだから、これに負けてはならないと思っている」とコメントした。

引き続いて、山本政明弁護士の司会で澤藤弁護団の記者会見。山本さんの外には、光前幸一弁護団長と神原元弁護士、そして私が出席し発言した。光前弁護士から、澤藤事件も折本事件と基本的に同様で、言論封殺を目的とするスラップ訴訟であることの説明がなされた。そして最後を「これまでの表現の自由に関する最高裁判例の主流は、判決未確定の刑事被告人の罪責を論じる言論について、その保護の限界に関するものとなっている」「本件(澤藤事件)は、純粋に政治的な言論の自由が擁護されるべき事案として判例形成を目指したい」と締めくくった。

私が事件当事者としての心情を述べ、最高2億から最低2000万円の10件のDHCスラップ訴訟の概要を説明した。神原弁護士からは、植村事件との対比でDHCの濫訴を批判する発言があった。

澤藤弁護団の記者会見は初めての経験。これまで、フリーランスの記者の取材はあっても、マスメディアに集団で報告を聞いてもらえる機会はなかった。

私がまず訴えたのは、「今日の折本事件判決が被告の完勝でよかった。もし、ほんの一部でも原告が勝っていたら、言論の自由が瀕死の事態に陥っていると言わなければならないところ。私の事件にも、その他のDHCスラップ訴訟にも注目していただきたい。

ぜひ、若手の記者諸君に、自分の問題としてお考えいただきたい。自分の記事について、個人として2000万円あるいは6000万円という損害賠償の訴訟が起こされたとしたら…、その提訴が不当なものとの確信あったとしても、どのような重荷となるか。それでもなお、筆が鈍ることはないと言えるだろうか。権力や富者を批判してこそのジャーナリズムではないか。金に飽かせての言論封殺訴訟の横行が、民主主義にとっていかに有害で危険であるか、具体的に把握していただきたい。

スラップ訴訟は、今や政治的言論に対する、そして民主主義に対する恐るべき天敵なのだ。
(2015年1月15日)

明日「DHCスラップ訴訟」第1号判決の言い渡し ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第33弾

明日(1月15日)午後1時10分、東京地裁611号法廷で、民事第30部(合議係)が「DHCスラップ訴訟」での第1号判決を言い渡す。

DHCはサプリメントや化粧品の製造販売を主たる業とする非上場株式会社。吉田嘉明はそのオーナー会長である。昨年の3月末、自ら週刊誌(「週刊新潮」4月3日号)に手記を発表して、みんなの党・渡辺喜美への政治資金8億円拠出の事実とその経過を曝露した。多くのメディアが、渡辺喜美バッシングに走ったが、吉田自身の責任を追及する声もあがった。吉田はそのうちの少なくとも10件の記事を名誉毀損として、東京地裁に謝罪要求や損害賠償請求の訴訟を提起した。それだけでなく、件数はよくわからないが、民事訴訟提起をちらつかせて少なからぬ数のネット記事の抹消請求をして回ってもいる。

東京地裁への10件の提訴は、明らかに自己の行為への批判の言論を嫌忌してこれを封殺しようとするものである。この種の訴訟を「スラップ訴訟」という。民事訴訟の提起は国民としての権利の行使だという反論はあろう。しかし、経済的強者が、訴訟にかかる経費などは度外視して、自分を批判する記事の執筆者に巨額の金銭請求をするのだ。賠償請求額は最も低額なもので2000万円、最高額は2億円である。パリでは言論の自由が銃弾で攻撃された。ここ日本では、スラップ訴訟が銃弾に代わる役割を果たそうとしている。私は2000万円で提訴され、ブログで提訴自体の批判を続けたために、今では6000万円の請求を受けるに至っている。このような面倒な事態を避けるために、批判の筆を抑えようと考えてはならない。多くの人々が、「DHCや吉田に対する批判は避けた方が賢明だ」と考えるようになったら、それこそ彼らの思う壺なのだから。

この10件のスラップのうち、1件は取り下げで終了している。残る9件のうちの第1号判決が明日言い渡しとなる。被告は横浜弁護士会所属の弁護士である。私同様、ブログで「DHC8億円事件」について、吉田の責任に関わる意見を表明して、これを名誉毀損とされたものである。

名誉毀損とされたのは、同弁護士の2014年3月29日付のブログ。「渡辺喜美が受け取った8億円の意味」と標題がつけられているもの。かなり長文だが、要点を抜粋してみる。これで全体を判断することに危険は残るが、十分に大意を掴めるとは思う。

「みんなの党の渡辺喜美が、DHCの会長から、総額8億円を受け取っていたというニュースが流れた。このお金は、3億円と5億円に分かれていて、両方とも選挙の前に渡辺喜美の側の要請に基づいて渡されたという。しかし、渡辺喜美の収支報告書には、このDHCの会長からのお金は載っていないのだ。

徳洲会にしろ、DHCの会長にしろ、そんな多額のお金を政治家に渡すのは、何のためなのか?…ただ単に政治家個人を応援する目的で多額の金を渡すということは考えにくい…。

(渡辺)本人は、あくまで、個人的な貸し借りだとするが、これは、そういうことでないと政治資金規正法や公職選挙法との関係でアウトになってしまうわけで、金額からしても、嘘臭いというほかないだろう。だが、DHCの会長側は「選挙のための資金」との認識を示しており、金が渡されたタイミングからしても、「個人的な」「貸し借り」という説明は筋が通らないように見える。

DHCの会長が渡したとする5億円については、借用証はないという。…収支報告書にも載らない、借用証もない、そんなお金が、本当に「貸し借り」なのだろうか?この点、渡した方、受け取った方の両者が口を揃えて、「貸し借り」だと言っているのだが、安易に鵜呑みにしてはいけないところだ。なぜならば、仮に、政治活動のための寄付ということであれば、資金管理団体を通していないから、渡した側にも微妙な問題が生じることになるからだ。

うがった見方をすれば、当時党勢が上げ潮だったみんなの党が選挙で躍進してキャスティングボードを握れば、政権与党と連立し、厚生労働省関係のポストを射止めて、薬事法関係の規制緩和をしてもらう、とまあ、その辺りを期待しての献金だった可能性だってないとはいえないだろう。

断定的なことはいえないが、実際、大企業の企業献金も含めて、かなりのものが、何らかの見返りを求めてのものであり、そういった見返りを求めての献金は、実質的には「賄賂」だと思うのだ。しかし、これが、刑法上の贈収賄にならないどころか、おおっぴらに横行してしまっているのが、今の日本の実情だ。」

以上のブログの指摘は極めて常識的で真っ当なものではないか。これをしも違法ということになれば、ものが言えない社会の到来といわざるを得ない。

この弁護士ブロガーは、吉田の行為は実質的に違法との認識を示しながらも、現状では法的責任の追求がなかなかに困難な実情を語っている。

実は、ある雑誌の編集部から吉田に対して昨年4月21日付けの文書による問合せがなされている。そのなかに「吉田会長は政治資金に使われると分かりながら資金提供をされましたが、その資金提供が原因で渡辺氏は本人の意思で党代表を辞任しました。資金提供をされた側として道義的責任をどうお考えでしょうか」という質問事項がある。

問われているのは、巨額のカネで政治がうごかされることを防止しようとする政治資金規正法の趣旨僣脱に関する道義的責任である。当然のことながら、一握りの金持ちの資金によっ政治が左右されてはならない。だから政治献金額には明確な上限規制があり歯止めがかけられている。それが、いかに巨額でも貸金なら問題はないと思うのか、道義的責任を感じないのか、という問合せである。渡辺だけに責任をとらせて、自分の道義的責任についてはどう考えるのか、と問われてもいる。

これに対する吉田の回答が次のとおりである。
「政治資金に使われるとわかりながら資金提供したから道義的責任は感じないのかと、あなたはおっしゃっています。献金なら限度額が法で定められておりますが、貸金に関してはそういう類の法規制はまったくありません。」
彼のアタマには、法的責任だけがあって、道義的責任の言葉はなきがごとくである。法をかいくぐりさえすれば、道義などには関心がない、と言っているのだ。

その彼が回答書の最後を、次のように締めくくっている。
「返済されないかも知れない浄財を、ただ国家のためだけを思い、8億円も投げ出す勇気と大義をあなたはお持ちでしょうか」
おや、貸し借りのはずではなかったの? 私の論評はこれ以上は敢えて差し控えよう。諸賢はこの吉田の言をどう読むだろうか。

以上のやり取りは、10件の訴訟のうち取り下げとなった1件の訴訟で、被告側が提出した書証の一部である。

さて、私が把握している限りだが、「DHCスラップ訴訟」10件は以下のとおりである。すべて、原告は吉田嘉明とDHC。そして、代理人弁護士は、今村憲、山田昭、木村祐太の3名である。

(1)提訴日 2014年4月14日 被告 ジャーナリスト
  請求金額 6000万円
  訴えられた記事の媒体はウェブサイト
(2)提訴日 2014年4月16日 被告 経済評論家
  請求金額 2000万円
  訴えられた記事の媒体はインターネット上のツィッター
(3)提訴日 2014年4月16日 被告 弁護士(澤藤)
  請求金額 当初2000万円 後に6000万円に増額
  訴えられた記事の媒体はブログ。
(4)提訴日 2014年4月16日 被告 業界新聞社
  請求金額 当初2000万円 後に1億円に増額
  訴えられた記事の媒体はウェブサイトと業界紙
(5)提訴日 2014年4月16日 被告 弁護士
 (2015年1月15日一審判決予定)
  請求金額 2000万円 
  訴えられた記事の媒体はブログ
(6) 提訴日 2014年4月25日  被告 出版社
  請求金額 2億円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(7) 提訴日 2014年5月8日  被告 出版社
  (2014年8月18日 訴の取下げ)
  請求金額 6000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(8) 提訴日 2014年6月16日  被告 出版社
  請求金額 2億円
  訴えられた記事の媒体は雑誌
(9) 提訴日 2014年6月16日  被告 ジャーナリスト
  請求金額 2000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌(寄稿記事)
(10) 提訴日 2014年6月16日  被告 ジャーナリスト
  請求金額 4000万円
  訴えられた記事の媒体は雑誌(寄稿記事)

常軌を逸した、恐るべき濫訴と評せざるを得ない。
名誉毀損とされている各記事の内容は大同小異。「見返りへの期待なしに大金を出すことは常識では考えられない」「8億円の政治資金拠出ないし貸付は、厚生労働行政の規制緩和を期待してのことであろう」「政治資金規正法を僣脱するかたちでの金銭授受には問題がある」としたうえ、「DHC・吉田の行為は、金の力で民主主義的政治過程を歪めるもの」との批判を中心としたもの。典型的な政治的言論なのである。

しかも、いずれも原告が自ら公開した週刊誌の手記の記載に基づいて、誰もが考える常識的な推論を述べているに過ぎない。一部に政治的な言論の範疇にない吉田やDHCの素行についての論及も散見されるが、目くじら立てるほどのものではない。

さて、明日の判決。訴訟進行の経過から見て、請求棄却の判決となることは間違いがない。そして、こんな訴訟を提起したDHCと吉田嘉明やこれを補佐した者たちの責任も追及されなければならない。
判決の内容は明日のブログでご報告したい。
(2015年1月14日)

植村提訴記者会見報告ー敵役をかって出た産経に小林節の一喝

1月9日、植村隆元朝日新聞記者が、株式会社文藝春秋と西岡力の2者を被告として、損害賠償等請求の民事訴訟を東京地裁に提起した。係属部は民事第33部。事件番号は平成27年(ワ)第390号となった。

請求の内容は、次の3点。
 (1)ウェブサイト記事の削除
 (2)謝罪広告
 (3)損害賠償
請求する賠償の金額は合計1650万円。請求原因における不法行為の対象は、以下の各記事。

被告文春について
 (1)「週刊文春」2014年2月6日号記事
  「『慰安婦捏造朝日新聞記者』がお嬢様女子大教授に」
 (2) 同8月21日号記事。
  「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」

被告西岡について
 (1)単行本「増補版 よくわかる慰安婦問題」
 (2)歴史事実委員会ウェブサイトへの投稿
 (3)「正論」2014年10月号掲載論文
 (4)「中央公論」2014年10月号掲載論文
 (5)「週刊文春」2014年2月6日号記事中のコメント

植村隆元記者は、朝日に次の2本の記事を書いた。
 (1)1991年8月11日
  「もと朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」
 (2)1991年12月25日
  「かえらぬ青春 恨の人生」
被告らが23年前の原告執筆記事を「誤報ではなく捏造」と決め付け、原告を「捏造記者」とすることは名誉毀損に当たり、また不必要な転職先を記事にしたことは違法なプライバシーの侵害に当たる。これが訴状請求原因の骨格である。

この提訴は、植村バッシングの問題点をほぼ網羅している。他の「週刊文春的な報道」や「西岡的な記事」に対しては、この訴状請求原因の一部の応用で対応可能である。弁護団事務局長は、記者会見で次のとおり発言している。
「植村さんを捏造といっている主体はたくさんある。われわれは全国から弁護士を募り、170人の弁護士が代理人に名を連ねた。その他の被告となりうる人々についても、弁護団の弁護士が力をつくし、順次訴えていき、植村さんに対する誹謗中傷を完全に打ち消すところまで闘いたい」
その言の実行にさしたる労力は要しない。

当日(1月9日)の提訴後に、原告と弁護団が司法記者クラブで提訴報告の記者会見を行った。この会見に憲法学者小林節が同席している。これが興味深い。

小林節は人も知る改憲派の法学者である。「憲法守って国滅ぶ」(1992年)という著書があるくらいだ。だが、安倍内閣のような危うい政権に憲法をもてあそぶ資格はないとして、強固に「とりあえず改憲反対」を唱えている。けっして「そもそも改憲反対」の立場ではない。その小林は弁護士資格を持っており、反文春、反西岡の立場を明確にして植村弁護団に加わったのだ。

記者会見では、冒頭植村がまとまった発言をし、次いで3人の弁護団員が敷衍しての説明をした。その中に小林の発言もあり、「これは法廷闘争だ」「慰安婦問題の論争をしようということではない」「植村と家族にとっての人権問題であり、大学の自治の問題でもある」「誹謗中傷で、名誉毀損であることを法廷の場できちっと決めて責任をとらせる」「そのことで派生したさまざまな攻撃も消えていくことを期待する」

従軍慰安婦の歴史的な論争は、そのあとの冷静な環境のなかできちっと議論されるべきだ、というのが小林の発言の趣旨だった。

そのあとに質疑応答があり、まず質問に手を上げたのは産経の阿比留記者。あきらかに、産経が書こうとしている予定記事の筋書きに使えそうな言質を取ろうとしての質問。植村の回答に再度の質問をし、さらに3度目の質問に及んだが、司会から遮られ、ジャパンタイムズ記者が替わった。その後阿比留記者は、また質問しようとしたが、司会はフリーの江川を指名した。さらに、阿比留が5度目の質問をして植村が回答している。続いて、TBSの質問があり、新聞労連委員長の発言があって、予定の時間が尽きた。

最後に小林が、「ひとこと」と発言の許可を求めた。そして、産経の阿比留記者に向かって次のように言葉をぶつけた。

「今の論争を聞いて、とても不愉快だ。入り口で相手が敵か味方か決めて、敵と決まると、10の論点があっても、都合の悪い8の論点は聞こえなく見えなくなる。自分にとって都合のいい2つの論点だけをガンガンガンガン、お前どう思ってんだどう思ってんだと。そういう議論の仕方が問題だ。
お互い、不完全な人間が日々走りながら記事書いたり報道したりしてるんじゃないですか。完璧な発言をいつもしてきたと自信あるやつなんていません。お互いそうやって、向こう傷しょいながら、大きな議論をして方向性を出していくんじゃないですか。
聞いていて情けない。10ある論点のうち、たった2つだけ。それも決めつけて、自分達の結論に都合のいいようにだけ、何度も何度も確認しようとする。そういう議論をやめてほしいから、この訴訟に私は参加しているんです」

訴訟は、文春と西岡を被告とするものだが、はからずも産経が被告らと責任を分担していることを露わにした一幕。それにしても小林節(ぶし)の一喝は冴えている。

ところで、産経はiRONNAというインターネット・サイトをもっている。ここに「池上彰が語る朝日と日本のメディア論」という記事が掲載された。池上彰が産経新聞のインタビューに答える形の記事。1月6日のこと。
そのなかに、植村バッシングに触れて、「産経さんだって人のこと言えないでしょ?」という池上の発言が掲載されている。

「この問題に関して言えば、元朝日記者の植村隆さんがひどい個人攻撃を受けてしまった。そこら辺の経緯は私も良く分からないからコメントできないですけど、ただ植村さんが最初は神戸かなんかの大学の先生に決まっていたでしょ。あの時、週刊文春がそれを暴露した。あれはやりすぎだと私は思いましたね。こんなやつをとってもいいのか、この大学への抗議をみんなでやろうと、あたかも煽ったかのように思えますよ。
 これについては週刊文春の責任が大きいと思います。植村さんが誤報したのだとしたら、それを追及されるのは当たり前ですが、だからといってその人の第二の就職先はここだと暴露する必要があるのか。それが結局、個人攻撃になっていったり、娘さんの写真がさらされたりみたいなことになっていっちゃうわけでしょ。ものすごくエスカレートする。逆に言えば、産経さんはこの件に一切関与していないにもかかわらず、なんとなく植村さんへの個人攻撃から娘さんの写真をさらすことまで、全部ひっくるめて朝日をバッシングしているのが、産経さんであるかのようにみられてませんか? 産経さんの誰かが書いていましたよね。うちはちゃんと分けているのに、全部ひっくるめて批判するのはおかしいって。そんな風になってしまったのは、これまた不幸なことだと思いますね」

1月9日記者会見は、そのインタビューから3日後のことである。この会見での産経記者の振る舞いによって、「なんとなく植村さんへの個人攻撃から娘さんの写真をさらすことまで、全部ひっくるめて朝日をバッシングしているのが、産経さんであるかのようにみられる…不幸」を重ねてしまったようだ。
(2015年1月12日)

イスラム批判の言論を天皇制批判に置き換えて「表現の自由」を語ろう

表現の自由は、その内容がどうであれ、これと切り離して保障されなければならない。当然といえば当然のこの理だが、これを貫徹することの難しさを痛感させられる。

「私は貴方の意見には反対だ、だが貴方がそれを主張する権利は命をかけて守る」という箴言は、ヴォルテールが述べたとされながら、実は誰も出典を特定できない。それでも人口に膾炙しているのは、その内容が名言中の名言だからだ。具体的な場においてこの原則を貫徹することはなかなかに困難である。実践困難だが正しいからこその名言である。

「シャルリー・エブド」に対するテロ事件の続報に考え込んでいる。街頭にくり出したヨーロッパやアメリカの民衆との連帯に違和感はない。しかし、オランドや安倍晋三、あるいは産経や読売とまで一緒に「言論の自由を守れ」の大合唱の輪の中にいることの居心地の悪さを感じざるを得ない。

我が国の戦後史において、今回のシャルリー襲撃事件に最も近似した事件は何であったろうか。「悪魔の詩」の訳者であった筑波大五十嵐一助教授の殺人事件(1991年7月)ではない。我が国におけるイスラムへの揶揄の言論がもつ社会的なインパクトは、フランス社会とは比較にならないからだ。

おそらくは、中央公論嶋中事件(1961年2月)がシャルリー攻撃に近似するものではないか。雑誌『中央公論』に発表された深沢七郎の小説「風流夢譚」の中に、皇太子・皇太子妃が斬首される記述があった。斬首された首が「スッテンコロコロ」と転がると描写された。これを不敬であるとして右翼の抗議の声があがり、加熱する批判と擁護の論争のさなかに、右翼団体に所属する17歳の少年が中央公論社の社長宅に押しかけ、社長不在で対応した家政婦を殺害した。

まぎれもなく、天皇制の神聖を揶揄する当代一流作家の言論への野蛮なテロ行為である。しかしこのとき、街頭に「私は中央公論」の声は起きなかった。ペンを立てた群衆の行動もなかった。むしろ、この事件を機に、ジャーナリズムの皇室に関する言論は萎縮した。中央公論社は右派に屈服し、「世界」と並んでいたそれまでのリベラルな姿勢を捨てた。

「シャルリー」は、イスラムの神と預言者の神聖を冒涜する言論によって、テロの報復を受けた。これに抗議し、「私はシャルリー」と声を上げることは、イスラムの神や預言者の神聖が尊重に値するものとしつつも、ヴォルテール流に神聖を冒涜する薄汚い言論の自由を尊重すると立場を明らかにすることなのだ。「シャルリーのイスラムを揶揄し冒涜する立場には反対だ、だがシャルリー紙がそのような立場の主張をする権利は命をかけて守る」ということなのだ。

敢えて、安倍晋三に問い糺したい。読売や産経にも聞いてみたい。天皇制の神聖を冒涜し、靖国の祭神を揶揄する言論についても、「そのような主張をする権利は命をかけて守る」と言う覚悟があるのか、と。

1月9日付産経社説は、「信教に関わる問題では、侮辱的な挑発を避ける賢明さも必要だろう。だが、漫画を含めた風刺は、欧州が培ってきた表現の自由の重要な分野である」と、表現の自由の肩をもっている。この原則を「天皇制や靖国に関わる問題では、侮辱的な挑発を避ける賢明さも必要だろう。だが、天皇や靖国を標的にしたものにせよ、批判や風刺は文明が培ってきた表現の自由の重要なその一部である」と、貫くことができるだろうか。ここにおいてこそ、ヴォルテール的な民主主義のホンモノ度が問われることになる。

今回テロに遭遇した言論はマジョリティのキリスト教を批判するものではなくマイノリティのイスラムを標的とするものであった。フランス社会では恵まれない側の人々が信仰する宗教への冒涜の言論であったようだ。かつての植民地支配を受けた末裔の宗教への揶揄でもある。マジョリティの側が「言論の自由を守れ」と言いやすい条件が揃っているように思える。

もし、ヨーロッパでキリストを冒涜する表現について、日本で天皇を揶揄する言論について、群衆が街頭を埋めつくして「マジョリテイの心情を傷つける言論であればこそ、より厳格にその自由を保障せよ」と叫ぶ時代が到来するそのとき、ヴォルテールがはじめて笑みを浮かべることになるだろう。
(2015年1月11日)

世界の隅々に「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)」の声を響かせよう

1月7日仏週刊紙「シャルリーエブド」に対するテロには、大きな衝撃を受けた。こんなことがあってはならない。こんなことの連鎖を許してはならない。

「事件当日の7日に、各地で計10万人規模の抗議集会が開かれたことは強い怒りの表れ」(読売)であろう。世界中に抗議と連帯の声が拡がっている。合い言葉は、「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)」である。私も声を上げよう。「私もシャルリーだ」と。「シャルリー」は、言論の自由を擁護しようとする決意の象徴である。けっして反イスラムではない。

「シャルリーエブドは反権力、社会風刺が売り物で、ローマ法王やオランド大統領をやゆするような風刺画も掲載している。2012年にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載した時には、話題性を狙った商業主義との批判も受けたが、一貫して言論の自由を主張し」てきた(毎日)という。そして、たびたびの攻撃にも、萎縮することなく、自己規制をしないという姿勢を貫いてきた。

その気骨あるメディアが攻撃を受けたのだ。こんなときに、したり顔で「やられた側にも問題があった」などと言ってはならない。言論を標的にしたテロに対する徹底的な批判が必要だ。

言論に対する野蛮で卑劣な攻撃は日本でもあとを絶たない。朝日新聞阪神支局襲撃事件は「赤報隊」を名乗る右翼の犯行として印象が深い。リベラルな朝日の記者が狙われたのだ。亡くなった小尻知博記者(当時29)は、盛岡支局の勤務経験があるということだった。私も会っていたかも知れない。そして、今日、文春や西岡力を被告として提訴した植村隆さんは、もと朝日で小尻記者と同期であったという。その植村さんも、家族まで巻き添えにされてネットで右翼からの攻撃にさらされている。勤務先の北星学園も脅迫や業務妨害の犯罪行為の標的にされている。

右翼は暴力に親和性が濃厚だ。山口二矢、前野光保、野村秋介、そして三島由紀夫…。石原慎太郎が、テロ容認発言を繰り返していたことも記憶に新しい。こんなことを言っていることを思い出そう。

「こんな軽率浅はかな政治家はそのうち天誅が下るのではないかと密かに思っていたら、果たせるかなああしたことにあいなった」「何やってんですか。田中均というやつ、今度、爆弾を仕掛けられて、当ったり前の話だ」「爆弾を仕掛けることはいいか悪いかといったら悪いに決まっている。だけど、彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか」「世の中にテロはなくなるかって言ったらあるじゃないですか。人間って、そういうものを最後に持ってる」「どんなやつか知りませんけども、昔ならそんな人間は殺されてますな。愛国の士もいましたから」

「愛国テロ容認」どころではない。「憂国テロ称賛」の姿勢なのだ。このような思想や感性を一掃しなければならない。

今回のシャルリー社襲撃事件を、石原慎太郎流に「天誅」「当ったり前の話」「そういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか」「敬神の士の行為」などと言ってはならない。石原流を離れても、「やられた方にも問題があるのでは」「犯人側の気持ちも分からないでもない」「殉教者の行為ではないか」「一身を捨てた犠牲」などと美化してはならない。

イスラム観、イスラム過激派が肥大化する構造についての認識、南北格差の責任…。それらが大きな問題ではあるが、ここはひとまず置いて、「民主主義社会を擁護するために、言論に対するテロは絶対に容認できない」と叫ばなければならない。「私もシャルリーだ」と唱和しよう。この声を世界の隅々に響き渡らせよう。
(2015年1月9日)

新年の社説に、戦争に対する真摯な反省のあり方を考える

いまや、日本のジャーナリズムの良心は地方紙が担っている。事実と歴史に真摯に向き合う姿勢において、地方紙の良質さが際立っている。とても地方紙のすべてに目を通すことはできないが、紹介されたいくつかの地方紙社説を読んでみてその感を強くした。昨日(1月4日)の高知新聞社説「70年目の岐路ー日独に見る戦後の歩み」は、その典型。良質だし、語っていることの水準が高い。「自由は土佐の山間よりいづ」という伝統が息づいているからだろうか。

以下は、かなり長文の同社説の要約紹介。
同社説は、ワイツゼッカーの演説から説き起こす。「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも、目を閉ざすこととなります」「非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすいのです」。この言葉は、ヒトラーを選挙という合法的手法で生み出したドイツの人々の頭から離れなかった。そして、「戦後の思想、哲学、文化などの分野での、かんかんがくがくの議論によって、かの国は過去の記憶、戦争責任、そして未来を語り、過去を克服しようと努めてきた」と評価する。
戦後25年目の1970年、旧西ドイツのブラント首相がポーランドを訪問し、ゲットー跡でひざまずき、痛恨の過去について許しを請うた。ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ氏は昨年10月、高知新聞記者らと会談。氏は旧西ドイツ首相の謝罪を評価し、国のリーダーが果たす役割と記憶の風化を防ぐことの大切さを語った。ドイツは統一後も政府や企業が基金を積み立て、戦後賠償を続けた。何より彼らはナチス犯罪の時効をなくし、今も自ら戦争を裁いている。」

同社説は、読者に「被害と加害見つめよ」と語りかける。
日独両国とも敗戦国だが、戦後の典型戦争体験として国民に語り継がれたものが、日本では広島・長崎の「原爆体験」であり、ドイツでは「アウシュビッツ体験」ではないか。前者は「被害」の体験であり、後者は「加害」の体験となろう。

戦後の歩みの中で、ドイツは加害者として謝罪と反省を徹底して繰り返すことによって、近隣諸国からの信頼を回復し、今や欧州の盟主という地位にある。

ワイツゼッカー演説があった1985年、日本では「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根首相による靖国神社への公式参拝があった。「英霊」の名の下に戦争の指導者をもまつる一宗教法人への参拝は、憲法の政教分離の原則からいっても果たして許されるのだろうか。安倍首相の靖国神社参拝も、中韓との「トゲ」をあえて刺激した。日独の大きな差異となっている。

社説の最後は次のように結ばれている。
「私たちはあの戦争の被害者意識にとらわれ過ぎていたのではないか。8月の全国戦没者追悼式の式典で安倍首相は、歴代首相が踏襲してきたアジア諸国への『加害責任』に2年続けて触れなかった。日本は今年、どのような戦後70年談話を出すのだろうか。」

強調されていることは2点ある。
まずは、戦争体験における「加害者意識」自覚の重要性である。ドイツでは深刻な加害者意識にもとづく国民的議論があったのに比して、日本では被害者意識が優り加害者意識が稀薄化されている。その姿勢では近隣諸国からの信頼回復を得られない。まずは、ドイツの徹底した反省ぶりをよく知り、参考にしなければならない。安倍政権の靖国参拝などは、信頼回復とは正反対の姿勢ではないか。それでよいのか、という叱正である。

次いで、ドイツの反省が、「ヒトラーを選挙という合法的手法で生み出したドイツの人々の責任」とされていることである。つまりは、ヒトラーやナチス、あるいは突撃隊や親衛隊だけの責任ではなく、ヒトラーを民主的な選挙で支持し政権につかせた全ドイツ国民の責任とし、国民的な「かんかんがくがくの議論」によって過去を克服しようとしたということである。この真摯さが、近隣被侵略国民の評価と許しにつながったということなのだ。

日本でも同じことではないか。天皇ひとりに、あるいは東條英機以下のA級戦犯だけに戦争責任を帰せられるだろうか。国民すべてが、程度の差こそあれ、被害者性と加害者性を兼ね備えている。天皇制の呪縛のもと煽られた結果とは言え、戦争を熱狂的に支持した国民にも、相応の戦争責任がある。再びの戦争を繰り返さないためには、戦前の過ちの原因についての徹底した追求と対応とについての国民的な「かんかんがくがくの議論」の継続が必要なのだ。

その議論においては、侵略戦争を唱導した天皇の責任の明確化と、天皇への批判を許さず戦争へ国民を総動員した天皇制への批判を避けては通れない。天皇の戦争責任をタブーとして、あの戦争の性格や原因を論じることはできない。

皇軍の兵士を英霊と称える姿勢は、加害者意識の対極にあるものだ。ここからは、あの戦争を侵略戦争と断罪し反省する意識は生まれない。皇軍が近隣諸国で何をしたのかについて、真摯に事実と向かい合いその責任を問うことができない。靖国神社とは、公式参拝とは、そのような重い意味をもつものである。

戦後70年。遅いようでもあるが、「被害者意識から脱却して、加害者としての責任の認識へ」国民的議論を積みかさねなければならない。

ところで、東京新聞は「東京の地方紙」として、全国各紙に比較してその良識を際立たせている。これも、元日付け「年のはじめに考える 戦後70年のルネサンス」という気合いのはいった長文の社説を書いている。全体の論調に異論はない。が、どうしても一言せざるをえない。

末尾を抜き書きすれば、次のとおり。新聞の戦争責任に触れたものとなっている。
「◆歴史の評価に堪えたい
戦争での新聞の痛恨事は戦争を止めるどころか翼賛報道で戦争を煽り立てたことです。その反省に立っての新聞の戦後70年でした。世におもねらず所信を貫いた言論人が少数でも存在したことが支えです。政治も経済も社会も人間のためのもの。私たちの新聞もまた国民の側に立ち、権力を監視する義務と『言わねばならぬこと』を主張する責務をもちます。その日々の営みが歴史の評価にも堪えるものでありたいと願っています。」

その言やよし。しかし、天皇が唱導した戦争を煽り立てたことを反省する、その同じ社説の中に、次のような一節がある。
「81歳の誕生日に際して天皇陛下は『日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国とともに支え合って歩んでいけるよう願っています』と述べられました。歴史認識などでの中韓との対立ときしみの中で、昭和を引き継ぎ国民のために祈る天皇の心からのお言葉でしょう。」

一瞬我が目を疑った。これが、私がその姿勢を評価してやまない東京新聞の意識水準なのだろうか。この姿勢では、天皇や天皇制に切り込んで戦争責任を論ずることなど、できようはずもない。

私は、「陛下」や「殿下」「閣下」などの「差別語」は使えない。「お言葉」もそうだ。「陛下」や「お言葉」をちりばめた紙面で、「権力を監視する義務と『言わねばならぬこと』を主張する責務」を果たせるだろうか。本当に、「その日々の営みが歴史の評価にも堪えるものでありたい」と言えるのだろうか。

魯迅の「故郷」の中の名言を思い出そう。
「希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。
それは地上の道のようなものである。
地上にはもともと道はない。
歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。」

「天皇の権威などというものは、もともとあるものではない。
それは地上の道のようなものである。
天皇の権威を認め敬語を使う人が多くなれば、
それが集積して天皇の権威となるのだ。」

だから、「陛下」や「お言葉」を使うことは、自覚的にせよ無自覚にせよ、天皇の権威の形成に加担することであって、戦争の惨禍への反省とは相反することとなる。とりわけ言論人がこの言葉を使うことは、自らの記事の価値をおとしめ、センスを疑われることになろう。
(2015年1月5日)

「暴走する戦車」を止めようーNHK職員・OBの諸君とともに

正月に多くの方から年賀状をいただいた。中には何通か「毎日のブログを楽しみにしています」などというお世辞も。とてもありがたいことと思う。だが、私の方はこの20年ほどは賀状を出していない。汗顔、無礼をお詫びするばかり。

年賀状はそれぞれのメッセージに満ちている。なるほどごもっとも、と膝を叩くようなご意見をたくさん頂戴した。以下はそのうちの一つ。学生時代同級だった多菊和郎さんからのもの。多菊さんは、元はNHKの国際放送局国際企画部職員。NHK放送文化研究所のメディア経営研究部長の任にもあった。退職後には、江戸川大学の教授として、その紀要に「受信料制度の始まり」という優れた論文も書いている。(http://home.a01.itscom.net/tagiku/
ご承諾を得て、挨拶の部分を割愛してご紹介する。

「broadcastという英語の第一の語義は『種を播く』という意味です(OED)。とすると40?の貸農園で少しの野菜を作る私も一人のbroadcasterということになりますが、さて東京・渋谷の大農場ではどのような采配の下にbroadcastingの事業が営まれているのでしょうか。
 去年の夏NHK退職者有志が呼びかけた『籾井会長の罷免を求める活動』には1,500人を超える元職員が賛同の意思を表明しました。古巣の組織の変事というよりは民主主義を毀損する、節度を欠いた権力主義的人事との問題意識が多くの人の脳裏にあったと思います。
 原発再稼動、集団的自衛権行使、言論統制、沖縄‥。暴走する戦車を傍観していてはいけないと私は考えます。」

さすがにメディアの人らしいセンス。ネギやキャベツ、レタスなどが青々とした農園の写真が添えられている。これが彼のbroadcast成果。対して、本家のbroadcasting事業者の方は、豊かな成果どころではない。芽生える緑を踏みつぶすブルドーザーと化そうとしている。「民主主義を毀損する、節度を欠いた権力主義的(会長)人事」とは、事態の本質を喝破したものだ。

OBと現職、思想信条も感性も大きく異なっているはずはない。1500人の「もの言うOB」は、明らかに現職の気持を代弁し現職を励ましていることだろう。がんばれ、NHK職員諸君。

多菊さんの目には、「暴走する戦車」が映っている。NHK人事を通じての言論統制だけでなく、原発再稼動、集団的自衛権行使、沖縄‥等々。同感だ。いま、あらゆる分野で「暴走する戦車」の脅威が目に余る。暴走する戦車を止めなければならない。まずは暴走にブレーキをかけよう。そして止めた戦車には退場を願おう。いまなら、まだ間に合うのだから。

なお、多菊さんの賀状の冒頭に、「謹賀新年 2015年元旦」とある。これが嬉しい。NHKはいまだに元号使用にこだわっているからだ。私も元号不使用にこだわりがある。元号使用は一世一元制の尊重という、体制に従順な姿勢の表明ではないか。なにしろ、「現天皇の即位を起算点として年を特定」しようというのだから。今年の年賀状を眺めると、元号使用派がめっきり減っていることを好ましく思っている。
(2015年1月4日)

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