今年のノーベル平和賞は、女子教育の権利確立を唱える17歳のマララ・ユスザイフさんと、児童労働から子供を守る活動を続けてきたカイラシュ・サティヤルさんのお二人に決まった。「すべての子を労働から解放」し、「すべての子に教育を」という呼びかけに世界が共鳴したのだ。インドとパキスタン、国境を接して軍事衝突を繰り返す両国の平和活動家への同時授賞も心憎い。これなら、平和賞の名に恥じないと言えるだろう。
だがこの二人の願いが未だに切実なものである世界の現実を傷ましいものと考え込まざるを得ない。貧困と偏見が、子供を、とりわけ女児を教育から遠ざけている。教育こそが貧困と偏見を一掃する切り札なのだが、その教育の普及を貧困と偏見が妨げている。この悪循環克服が、平和のための世界の共通課題であることを今年の平和賞がアピールした。メッセージ性の強い、意義ある授賞との印象が深い。
「一人の教師、一冊の本、一本のペンが世界を変えうる」ことは、象徴的な比喩としては真実であっても、現実には「無数の学校、無数の教師、無数の教材、膨大な予算」が必要である。共同体としての人類の課題として、これを成し遂げなければならない。世界の平和と安定のためには、武器や原発の輸出は役立たない。教育条件の整備こそが喫緊の課題なのだ。
もっとも、教育に関してわれわれは別の次元での問題も抱えている。教育の機会均等の形骸化と教育に対する国家統制である。
国民間の経済格差の固定化は、教育における機会均等の喪失度に相関する。戦後と言われた時代の我が国には、経済格差に依存しない教育の機会均等があったように思う。国立大学の授業料は安かった。授業料免除の制度も利用できた。だから私も、私の二人の弟も大学教育を受けることができた。
本日の朝日のオピニオン欄「戦後70年へ」で、日本の近現代史研究者であるアンドルー・ゴードンさん(ハーバード大)が興味ある指摘をしている。
「60年代の統計ですが、国立大学入学者に占める最も貧しい所得層の学生の比率は、全人口に占めるこの最低所得層の比率とまったく変わらなかった。高等教育へのアクセスが、完全な平等に近い状況だったのです。公立学校の評価がまだ高かった時代です。どんな家庭の子にも道は開かれている。努力さえすれば、良い学校に入り、良い会社に就職ができると信じることができたのです」
―そういう信仰は、もはやないですね。
「いい学校に行くには塾に行かせねばなりません。親が裕福な方が有利です。所得格差が教育格差につながっています」
所得格差が教育格差につながり、教育格差が生涯賃金格差の再生産につながる。格差固定化の社会。不満と不安と絶望とが充満した社会をもたらすことになる。
国家による教育への介入の排除は永遠の課題である。この点の到達度は民主々義成熟度のバロメータでもある。教育の場において、ナショナリズムと排外主義をどう克服すべきか。これは優れて平和の課題でもある。
今年のノーベル平和賞は、世界の人々に、教育を見つめ考え語る機会を提供した。あるべき教育を通じての平和の達成を意図しての試みとして成功したと評価しえよう。
来年は「憲法9条」の受賞で、憲法による平和を世界の話題としよう。そして、非武装中立の思想と運動を世界に普及するチャンスとしよう。
それにつけても思う。マララさんはタリバン襲撃の危険をかえりみず意見の表明を貫いた。襲撃を受けて瀕死の重傷を負ってなお怯まなかった。その勇気ある姿勢に世界が感動し、賞賛した。考えようによっては、マララさんを襲撃したタリバンが、今回の授賞に一役買ったのだ。
日本国憲法9条も、今安倍政権からの不当な攻撃を受けて大きな傷を負っている。これに負けない国民運動をもって世界を感動させたいものと思う。そして、来年の今頃には、「考えようによっては、9条を攻撃した安倍晋三が、今回の9条の平和賞受賞に一役買ったのだ」と言ってみたい。
(2014年10月11日)
子供の頃、オリンピックで日本人がメダルを取ると我がことのごとくに嬉しかった。古橋広之進、橋爪四郎、石井庄八などは、まさしく英雄だった。ノーベル賞も同じ。湯川秀樹を日本の誇りと思った。敗戦の傷跡深かった時代の幼い心情。国民的なコンプレックスの投影であったのだろう。やがて国は傷跡を癒やし、私も長ずるに及んで、ナショナリズムの呪縛とは完全に縁が切れた。
国際競技において、選手が国家を背負って競技をすることを不自然とし、国別メダル争いを愚の骨頂と思うようになった。ノーベル賞についても同じ。日本人の受賞を喜ぶなどという気持ちの持ち合わせはなくなった。「あなたも日本人ならご一緒に、日本人の受賞を喜びましょう」という同調圧力がこの上なく不愉快。
科学の発達が人間を幸福にするなんてウソだと思いこんでもいる。原水爆や原発、数々の大量破壊兵器や人間監視システムを作り出した科学者を尊敬する気持ちはさらさらない。本多勝一さんの、ノーベル賞を唾棄すべきものとする意見に喝采を送って来た。だから、どこの誰がノーベル賞を取るかなど、例年は何の関心も持たない。
ところが今年だけは別だ。もしかしたら、「憲法九条にノーベル平和賞を」実行委員会が推薦した「九条を保持してきた日本国民」が受賞するかも知れないとの下馬評の故にである。申請団体ではない「九条の会」の事務局も、受賞した場合と受賞を逸した場合の二通りのコメントを用意したと聞いた。
東京新聞の報道では、集団的自衛権の行使を容認した安倍政権の憲法解釈変更が平和への脅威をもたらしているからこそ「九条」の受賞が有力なのだという。「平和賞が(戦争を抑止し、平和を希求するという)賞創設の原点に立ち返るには好機」(国際平和研究所(オスロ))だからなのだそうだ。つまりは、安倍政権の戦争志向の危険な動きを抑止するための受賞ということで、同研究所が憲法九条を最有力の平和賞候補としたのは、ひとえに安倍晋三のおかげなのだ。
「九条にノーベル賞」は、「富士に月見草ほど」は似合わない。それでも、世界に話題になるだろう。多くの人が、「日本に九条あり」と知ってくれるだろう。一国の実定憲法に非武装・平和の条文があり、これを支える思想があり、非武装による平和を守ろうとする国民的運動が存在し続けていることを知ってもらえる。まさしく、原発ではなく武器でもなく、九条の平和の理念を世界に広める好機となるのではないか。
しかし、残念ながら、本日九条は受賞を逃した。代わって、2014年のノーベル平和賞を受賞したのは、パキスタンで女子教育の権利を求め続けているマララ・ユスフザイさんと、児童労働問題に取り組むインドの非政府組織(NGO)代表のカイラシュ・サトヤルティさんの2人となった。お二人の受賞に祝意を送りたい。
ところで、今年のノーベル賞にまつわる話題で、最も興味深かったのは、物理学賞を受賞した中村修二さんの次の言葉。
「In my cace,my motivation is always anger.(私の行動の原動力は常に“怒り”です)」
毎日の報道では、「中村氏は大学構内での会見で、研究の原動力について『アンガー(怒り)だ。今も時々怒り、それがやる気になっている』と力を込めた。青色LED開発後、当時勤めていた日亜化学工業(徳島県阿南市)と特許を巡り訴訟に至った経緯に触れながら、怒りを前向きなエネルギー源に転換してきたと強調した。中村氏は、自分の発明特許を会社が独占し、技術者の自分には『ボーナス程度』しか支払われず、対立したと改めて説明。退職後も日亜化学から企業秘密漏えいの疑いで提訴されたことが『さらに怒りを募らせた』と明かした。『怒りがなければ、今日の私はなかった』と冗談交じりに語り、『アンガー』という言葉を手ぶりを入れながら何度も繰り返した」とのこと。
読売では、「社内で『無駄飯食い』と批判されていた」「会社の上司たちが私を見るたびに、『まだ辞めてないのか』、と聞いてきた。『私は怒りに震えた』。このような研究に冷ややかな周囲の目や元勤務先との訴訟への怒りが、開発への情熱につながった」という。
予定調和的なコメントがお約束となっている「晴れの場の記者会見」の席上で、歯に衣着せぬ言葉が実にすがすがしい。そうだ。そのとおり、「怒り」は行動の原動力だ。自分のこととして良く分かる。
「同じ日本人」としてなどではなく、「同じく怒れる人」として、中村さんの受賞を喜びたい。
(2014年10月10日)
本日は、日弁連主催の「閣議決定撤回!憲法違反の集団的自衛権行使に反対する10・8日比谷野音大集会&パレード」。日比谷野音が人で埋まった盛況に見えたが、「参加者は3000人を超えた」という発表だった。
民主・共産・社民・生活の各党から合計16名の国会議員の参加を得て、午後6時に開会。村越進日弁連会長の開会挨拶は、なかなか聞かせる内容だった。その要旨は以下のとおり。
「日弁連は、政治団体でも社会運動団体でもありません。当然のこととして、会員の思想信条はまちまちであり、立場の違いもあります。強制加入団体である日弁連が、集団的自衛権行使容認反対の運動をすべきではないと批判の声もあります。
しかし、私たちの使命は人権の擁護にあります。人権の擁護に徹するとすれば、憲法を擁護し、憲法が定める平和主義を擁護する立場に立たざるを得ません。戦争こそが最大の人権侵害であり、人権は平和の中でしか花開くことができないからです。従って、憲法の前文と9条に描かれた恒久平和主義を擁護することは弁護士会の責務であります。
また、集団的自衛権行使を容認した7月1日閣議決定が、立憲主義に反することは明らかで、日弁連はこの点からも、閣議決定の撤回を求めています。
今こそ、多くの人々が人権と平和と民主々義のために力を合わせるべきときです。閣議決定の撤回を求めるとともに、関連諸法の成立を許さぬよう、ご一緒にがんばりましょう」
また、山岸良太・憲法問題対策本部長代行から、日弁連だけでなく全国の52単位会の全部が集団的自衛権行使容認に反対する声明や意見を出していると報告された。また、7月1日閣議決定は、憲法の平和主義に反し立憲主義に反し、ひいては国民主権に反すると説明された。
次いで、6名の発言者によるリレートークが本日のメイン。
出色だったのは、やはり上野千鶴子さん。正確には再現できないが、大意は以下のとおり。
「集団的自衛権を行使する、とは日本がアメリカの戦争の共犯者となること。そのようなことを憲法は許していないはず。にもかかわらず、閣議決定は時の政府の一存でその容認に踏み切った。
憲法は閣議ひとつで変えられる だから7月1日は壊憲記念日
本来、法は時々の政治の要求で踏みにじられてはならない。今、法律家には、失われた法に対する信頼を取り戻すべき責任がある。
若い頃大人に対して『こんな世の中に誰がした』と詰め寄った憶えがある。私たちは、今の若者から同じように詰め寄られてなんと返答できるだろうか。戦後のはずの今を、戦前にしてはならない」
青井未帆学習院大学教授の発言も危機感にあふれたものだった。
「2014年は、あとから振り返って、戦後平和主義の転換点とされる年になるかも知れない。過去に目を閉ざしてはならない。戦争体験を学び次代に伝え、平和の尊さを伝える努力をしていかねばならない。
政治は憲法に従わなくてはならず、超えてはならない矩がある。明治憲法は、権力の統制に失敗したが、日本国憲法はこれまではそれなりに真摯に取り扱われてきた。ところが今、憲法はなきに等しくなってはいまいか、あるいはきわめて軽んじられてしまってはいないか。憲法の最高法規制を見失えば、特定秘密保護法・日本版NSC設置法・集団的自衛権行使容認などの深刻な事態となる」
宮?礼壹・元内閣法制局長官も、中野晃一上智大学教授の発言も、耳を傾けるに値する内容だった。
閉会の挨拶で、?中正彦東京弁護士会会長が、「法律家の常識として、どのように考えても集団的自衛権を容認する憲法解釈は出てくる余地はない」と締めくくった。
会場に各単位会の旗が林立した。自由法曹団や日民協の旗も建てられた。弁護士会はなかなかに立派なものだ。いや、日弁連は現行憲法の理念に忠実という意味において、きわめて保守的な姿勢を貫いているに過ぎない。法律家の宿命というべきであろう。この保守的姿勢が、いま、右翼政権からは邪魔なリベラル派に映るというだけのことなのだろうと思う。
(2014年10月8日)
香港の情勢から目が離せない。いろんなことを考えさせられる。国家とは何か、民主々義とは何か。そして自らの運命を切り開く主体はどう形成されるのか。
昨日(10月1日)は中華人民共和国の国慶節。民主的な選挙制度を求める大規模デモが続く香港でも、慶賀の記念行事が行われた。その会場に掲揚された中国国旗に、両腕でバツ印を示して抗議する学生らの写真(毎日の記者が撮影)が印象に深い。
以下は毎日からの引用。
「中国の建国65周年となる国慶節(建国記念日)の1日、中国各地で記念式典が開かれた。学生らによる大規模デモが続く香港では同日朝、香港政府トップの梁振英行政長官らが中国国旗と香港行政特別区の旗の掲揚式に参加した。会場周辺には多数の学生が詰めかけ、緊張の中での式典となった。
デモは次期行政長官選挙制度に抗議して起きた。デモを率いる学生リーダーらはこの日、式典会場内に入り、中国国旗の掲揚の際に両手でバツ印を示して抗議した。梁行政長官には『辞任しろ』の声も飛んだ。」
ロイターは次のように伝えている。
「香港の民主派デモ隊数万人は、中国の国慶節(建国記念日)に当たる1日も主要地区の幹線道路を占拠し続けた。5日目に入ったデモ活動は衰える気配を見せず、2017年の行政長官選挙をめぐり民主派の立候補を事実上排除する中国の決定に依然として反発している。
香港の金紫荊広場(バウヒニア広場)で現地時間午前8時に始まった国旗掲揚式典は平和裏に行われた。式典を妨害すれば当局の弾圧を受けるとの懸念が、デモ隊にあったためとみられる。ただ、式典会場を取り囲んだ多数の学生は国歌演奏の際、中国政府への抗議を込めてブーイングを送った。
学生組織『学民思潮』の広報担当者は『われわれは65回目の国慶節を祝ってはいない。香港における現在の政治混乱や、中国で人権活動家に対する迫害が続く中、きょうはお祝いの日ではなく、むしろ悲しみの日だ』と述べた。」
私は都教委による教員への「日の丸・君が代強制」を違憲として争う訴訟を担当している。五星紅旗に無言で両手でバツ印を作って抗議の意を表す香港の学生たちと、日の丸への敬意表明を拒否して不起立を貫く良心的な教員たちとがダブって見える。日の丸に象徴される軍国主義国家も、民主々義を否定する大国の強権も受け容れ難い。理不尽な国家を受容しがたいときには、国家の象徴である国旗を受け容れ難いとする行為に及ぶことになる。反対に国旗に敬礼を命じることは、国家への無条件服従を強制するに等しい。これは、個人の尊厳の冒涜にほかならない。
香港は、1997年英国から中国に「返還」された。その際に50年間の「1国2制度」(一个国家两?制度)による高度の自治を保障された。99年にポルトガルから返還されたマカオ(澳門)がこれに続いている。
两?制度(2種類の制度)とは、建前としては「社会主義」と「資本主義」の両制度ということであったろう。しかし、1978年以来の改革開放路線突き進む中国を「社会主義」と理解する者は、当時既になかったと思われる。「市場的社会主義」とか「社会主義市場経済」とか意味不明の言葉だけは残ったにせよ、社会主義の理想は崩壊していたというほかはない。
結局のところ、「1国2制度」とは、「社会主義か資本主義か」ではなく、政治的な次元での制度選択の問題であった。一党独裁下にある人口12億の大国が、自由と民主々義を知った700万人の小国を飲み込むまでの猶予期間における暫定措置。それが「1国2制度」の常識的理解であったろう。
しかし、今や事態はこの常識を覆そうとしているのではないか。一国2制度は、大国にとってのやっかいな棘となっている。少なくとも、小国の側の意気込みに大国の側が慌てふためいているのではないか。「この小国、飲み込むにはチト骨っぽい。とはいえ放置していたのでは、この小国の『民主とか自由という害毒』が大国のあちこちに感染しはしまいか」。大国にとっても深刻な事態となっているのだ。
がんばれ香港。がんばれ若者たち。君たちの未来を決めるのは、君たち自身なのだから。
(2014年10月2日)
アジア大会がようやく賑やかになってきた。とはいうものの、どこの誰が何色のメダルを取ろうが、あるいは取り損ねようが、それ自体はたいしたことではない。
それよりも、目を惹いたのが、本日(9月27日)毎日新聞夕刊3面の、「eye:スポーツで越える壁 仁川アジア大会、広がる日韓交流」という特集記事。
「韓国・仁川で開催中の第17回アジア大会には45カ国・地域から選手約9500人が参加して10月4日まで連日熱戦が繰り広げられている。今大会は日韓関係がぎくしゃくする中での開催となったが、競技会場などでは両国選手や観客が交流する場面が随所に見られた。印象的なシーンをレンズで追った。」というもの。
自国選手の活躍を称賛してナショナリズムをあおるでなく、選手のゴシップを取り上げるでなく、競技会を通じて「両国選手や観客の交流」が広がっていることを記事にしている。毎日の明確な視点を評価したい。
この特集の中に、「『日韓交流おまつり』で金魚すくいに興じる韓国人女性ら。」という写真と短いキャプションがある。「10回目の今回は過去最高の5万人が来場した。初めて参加したオ・ヘウォン(18)さんは『最近の韓日関係で雰囲気が心配ったが、みんな笑顔でよい気持ちになれた』=ソウルで」という内容。
この日韓関係のギグシャグの中で、アジア大会が、ソウルでの「日韓交流おまつり」を大規模に成功させ、「みんな笑顔でよい気持ちになれた」というのなら、スポーツ祭典の効用、たいしたものではないか。毎日の特集記事の結びの言葉が、「スポーツには国の枠を軽々と超える力がある。それを改めて感じている。」となっている。なるほどと思わせる。
これに較べれば、国別のメダル争いなどは些細な、どうでもよいこと。アジア大会でのメダル獲得数は、かつては日本の独壇場だった。1980年代からは、中国がトップ、韓国がこれに続いて、日本が3位という順位が定着している。中国や韓国のメダル獲得数は新興国故のこだわりの表れと解しておけばよい。今回も同じようになる模様だが、日本の3位は、成熟した国のちょうどよい定位置ではないか。
過剰なナショナリズムの発揚から余裕を失い、メダルや国旗にこだわったのでは碌なことにはならない。そのことの教訓となる事件がいくつか起きている。
世界的なスイマーとして高名な、孫楊(スン・ヤン)の発言が話題となっている。9月23日に男子400メートル自由形で日本の萩野公介を破って金メダルをとり、さらに24日400メートルリレーでも中国チームが日本を破って優勝すると、中国人記者の質問に「(勝って)気持ちいいというだけではなく、今夜は中国人に留飲が下がる思いをさせた。正直に言うと、日本の国歌を聞くと嫌な感じになる」(訳は毎日による)とコメントした。彼は、アスリートとしては大成したが、社会人として身を処すべき方法には疎い人のようだ。換言すれば、体裁を繕うすべを身につけていない正直な人物。それ故に、本音を言っちゃったのだ。
おそらく、「君が代=嫌な感じ」は、彼の本音であるだけでなく、多くの中国人の本音でもあるのだろう。なにしろ、かつて海を渡って侵略してきた恐るべき軍隊の歌と旗そのものなのだから。そんな来歴の歌や旗を、未だに国旗国歌としている方の神経も問われなければならないが。
しかし、中国の世論は相当に成熟している。孫の発言には賛意だけではなく、「場をわきまえよ」という中国国内からの批判の声が上がったそうだ。彼は26日1500メートル自由形で優勝した後に、「申し訳ないと思っている」と謝罪し、釈明した。「おそらく誤解がある。全ての選手は自国の国歌を聞きたいと思っているということ」という内容。
ところで、中国の国歌は「起来!不愿做奴隶的人?!」(立ち上がれ、奴隷となることを望まぬ人々よ)という呼びかけで始まる。日本軍の侵略に屈せず立ち上がって砲火を恐れず戦え、という内容である。日中戦争中、中国共産党支配地域で抗日歌曲として歌われ浸透したもの。だから、「正直に言うと、中国の国歌を聞くと嫌な感じになる」という日本人がいても、いっこうに不思議ではない。「中国への日本軍隊派遣は、侵略ではなくアジア解放のためだ」などと考えている向きには、なおさらである。あるいは、「戦後70年を経て、未だに日中戦争をテーマの国歌でもあるまい」と考える人にも不愉快かもしれない。
相互に不愉快をもたらす、やっかいな国旗や国歌は、国際友好の障害物として大会に持ち込まないに如くはない。ナショナリズムとは克服さるべきもの。あおるための小道具を神聖視する必要はさらさらない。
もう一つの話題が、冨田尚弥選手のカメラ窃盗事件。「レンズを外し、800万ウォン(約83万円)相当のプロ仕様のカメラ本体を盗んだ疑い」が報じられている。同選手は、前回大会の200メートル平泳ぎ金メダリスト。「カメラを見た瞬間、欲しくなった」と供述しているという。トップアスリートであることと、人間として良識をわきまえていることとが何の関連性もないことをよく証明している。伝えられている限りで冨田選手の手口に弁解の余地はない。
しかし、物欲は誰にも共通してあるもの。通常、人はこれを抑制して社会生活を営むが、一定の確率で、抑制が働かない場合が生じる。窃盗罪を犯す人と犯さない人との間に、質的で決定的な差があるわけではない。どこの国のどこの集団にも、乱暴者がおり、暴言を吐くものがあり、窃盗を働く者だっているということだ。
だから、責めを負うべきは冨田選手個人にとどまる。ことさらに冨田選手のカメラ窃盗事件を、「日本人の本性の表れ」などと言ってはならない。そのような言動こそ、「悪しきナショナリズムの表れ」なのだ。
ナショナリズムからの解放こそが、国民の成熟度のバロメーターだ。あらゆる国際イベントからナショナリズムを可能な限り希釈して、国際交流と友好の場にしたいものと思う。
(2014年9月27日)
私には、「水に落ちた犬を打つ」趣味はない。首都の公教育から自由を奪った張本人である石原慎太郎(元知事)は、すでに「水に落ち目の犬」状態と思っていたら、なかなかそうでもない。
昨日(9月25日)「太陽の党が復活」と報じられた。各紙に西村・田母神・石原という極右トリオが手をつないだ写真が掲載されている。
「無所属の西村真悟衆院議員と元航空幕僚長の田母神俊雄氏は25日、国会内で記者会見し、2012年に石原慎太郎氏らが結成して休眠状態だった『太陽の党』を引き継ぎ、党の活動を再開すると発表した。代表に西村氏、代表幹事には田母神氏が就いた。所属国会議員は西村氏1人。次期衆院選で党勢拡大を図る。会見には、次世代の党の最高顧問を務める石原氏も出席した。太陽の党は、次世代の党との連携を視野に入れている。」(共同)との報道。
そんなわけで、石原慎太郎元知事について、打つこと、叩くことを遠慮することはなさそうだ。
日弁連は、毎月機関誌「自由と正義」を会員に配布している。その9月号が先日届いたが、日弁連人権擁護委員会の委員会ニュース「人権を守る」9月号が同封されていた。これは年4回刊である。
ここで、日弁連が石原慎太郎元知事に人権救済警告をしていることを知った。今年の4月下旬のことだが、おそらく、よくは知られていないことなので、全文を紹介しておきたい。
タイトルは、『差別発言で元都知事に再度の警告』『今回は少数者の人権侵害で日弁連からの照会も無視』というもの。担当者の苦々しさが、伝わってくる。
人権救済申し立てに対しては、「不措置」か「措置」の結論が出される。調査の結果、人権侵害またはそのおそれがあると認められる場合には「措置」となり、措置の内容としては、司法的措置(告発、準起訴)、警告(意見を通告し反省を求める)、勧告(適切な措置を求める)、要望(趣旨の実現を期待)、助言・協力、意見の表明等がある。
また、さらに、日弁連は人権擁護委員会による措置の内容を実現させるため、2009年4月以降、人権救済申立事件で警告・勧告・要望等の措置を執行した事例について、一定期間経過後(現在は6ヶ月経過後)に、各執行先に対して、日弁連の警告・勧告・要望等を受け、どのような対応をしたかを照会(確認)している。回答内容が不十分な場合、再度の照会を行うこともある、という。
今回の人権救済措置は同一人物に3度目のもの。紹介記事の内容は以下の通り。
「日弁連は本年4月22日、衆院議員の石原慎太郎元東京都知事に対し、知事時代に、同性愛者など性的少数者を蔑視し、社会から排除しようとする発言があり、性的少数者の人権を侵害しており、社会の差別意識を助長する危険性もあるとして、強く反省を求める警告をしました。
「石原元知事の差別発言に対する日弁連の人権救済措置は、いずれも知事時代の2000年8月の『三国人発言』に対する要望、03年12月の『ババア発言』に対する警告に続いて三度目です。石原元知事は今回、事実関係の確認を求める日弁連からの二度の照会を無視し、一切の回答を拒否。日弁連は、石原元知事からの主張や反論はないと判断した上で、石原元知事が、対象は異なるが差別発言を繰り返していると認定し、元職であっても知事による発言の影響力は大きいとして、再度の警告としました。
『繰り返される差別発言』
警告の対象となった石原元都知事の発言は三つ。まず10年12月、青少年健全育成条例改正を求める要望書を提出に都庁を訪れたPTA団体などの代表者に「テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやりますよ」などと発言し(第1発言)、この発言の真意を記者から問われると「(同性愛者は)どこかやっぱり足らない感じがする。遺伝とかのせいでしょうか」などと発言したこと(第2発言)が、いずれも新聞報道されました。
さらに11年2月発売の週刊誌の記事では、「我欲を満たすための野放図な害毒は日本を駄目にする」「同性愛の男性が女装して、婦人用化粧品のコマーシャルに出てくるような社会は、キリスト教社会でも、イスラム教社会でもあり得ない。日本だけがあっていいという考え方はできない」などと発言していました(第3発言)。
これに対して、国際的な人権NGOや性的少数者の人権保障を訴えるNGOがインターネット上で抗議活動をおこない、海外からも批判されるなど、社会的反響も確認できました。
『憲法や自由権規約を侵害』
そこで日弁連は、事実関係を調査し、いずれの発言も都知事としての発言であると認定した上で「性的少数者はテレビなどに出演すべきではない存在だという誤った認識を社会に与え」「性的少数者を社会から排除すべきとの差別を招きかねない」「性的少数者は人間として不十分だと受け止められる危険性があり、差別を助長する」と判断。多様な性的指向や性自認を認めず、性的少数者の人権を否定し、その社会進出を拒否し、排除しようとする発言であり、憲法13、14条や国際人権規約などが保障する性的少数者の権利を侵害すると結論づけました。」
日弁連の石原に対する3回の要望・警告は、「民族差別」「女性差別」「性的マイノリティへの差別」についての公然たる発言を人権侵害と認定するものである。人権感覚の欠如に基づく差別発言は、同人の民主主義社会における政治家としての致命的欠陥を露呈している。
このような人物が関わる「太陽の党」は必然的に日陰を作る。日陰となる位置にある人を差別する政党の「党勢拡大」など許してはならない。
(2014年9月26日)
「仁川・アジア競技大会」が始まっている。やや盛り上がりに乏しいようだが、国境を越えて「45の国や地域から9700人を超える選手、監督・コーチ、取材陣、役員らが参加」し交流する大舞台。大規模な人と人との交流を通じて、相互理解と平和を構築する機会として意義のないはずはない。
各大会にスローガンが設定されるそうだ。今回の仁川大会は、「Diversity Shines Here(多様性がここで輝く)」だという。歴史・文化・伝統・宗教の多様性を認め合おうとの趣旨で、それ自体に文句のあろうはずはない。しかし、参加各国において少数民族抑圧の歴史や、男尊女卑の文化、体制順応の伝統、寛容ならざる宗教等々が横行している現実がある。その負の多様性を「輝く」ものと称えることはできない。多様性の名のもとにこれをも尊重すべしとしてはならない。
そのような文脈で北朝鮮選手団に目を向けざるを得ない。その北朝鮮が大会序盤に、「重量挙げで連日の世界新記録」と話題になっている。
「仁川アジア大会第3日(21日)重量挙げ男子は北朝鮮勢の連日の世界新記録に沸いた。男子56キロ級のオム・ユンチョルに続き、この日は62キロ級のキム・ウングクがスナッチとトータルで世界新をマーク。2人のロンドン五輪金メダリストが絶対的な強さを見せつけた」「北朝鮮勢は女子75キロ級にも、ロンドン五輪69キロ級女王のリム・ジョンシムがエントリーしており、旋風は収まりそうもない」(共同)と報道されている。その成績自体には、私は何の興味も関心もない。
私の関心を惹くものは、たとえば次の毎日の記事である。
「表彰式後に世界記録更新の感想を聞かれると、ユニホームの胸に描かれた国旗を誇らしげに示し『敬愛する最高司令官、金正恩(キム・ジョンウン)元帥(第1書記)の愛と配慮がそれだけ大きいから』」
北の体制を支えている国民と指導者の精神構造は、おそらく旧日本の天皇制によく似ている。しかし、戦前の日本臣民も、さすがに外国に向けては「金メダルは天皇陛下のおかげです」「この栄誉を陛下に捧げます」などとは口にしなかったのではないか。
「元帥を敬愛する」も、「元帥の愛と配慮のおかげ」も、「北」を一歩出れば恥ずかしい限り。これをも 「輝く多様性」として認め合おうと言うべきか。
毎日の記事は、「金正恩体制は、今まで以上に国際大会での活躍を重視している。22日の労働新聞は、キムが表彰式で国旗に敬礼する写真とともに『栄誉の金メダル奪取、連続新記録樹立』と報じた」と続いている。あきらかに、北朝鮮はアジア大会を国威発揚の機会ととらえている。そして、国威発揚と個人崇拝とは、彼の国では一体のものなのだ。
おそらく、オム・ユンチョルやキム・ウングクは、元帥様を中心とする北の体制の「支配の側」に組み入れられることになるのだろう。だから、元帥様礼賛は本心からのものに違いない。しかし、むきつけの国威発揚や個人崇拝が、この上なく格好の悪いことであるという感覚には乏しいようだ。そのような感覚が国外では通用せず、却って冷笑されるものと考え及ばない閉鎖された歴史・伝統・文化の中にあるようだ。
もっとも、スポーツを国威発揚の手段としている国は北朝鮮にとどまらない。また、国威の発揚が時の政権の威光として意識されることも言を俟たない。アジア大会参加の各国と「北」との違いは、五十歩百歩。北や元帥様を笑う資格はどの国にもなさそうだ。もちろん、日本にも。
国際スポーツ競技会とは、一面人々の交流の機会でもあるが他面ナショナリズム高揚の機会でもある。前者の側面を意識的に強調して充実させ、後者を意識的に抑制する方針を採らないと、しらけた偏頗な意味のないものに成り下がってしまうだろう。
(2014年9月22日)
本日は、「建国記念の日」である。国家主義復活を目指す保守勢力と、これに抵抗する勢力のせめぎ合いを象徴する日。憲法の理念のとおりの個人の尊重を重んじる勢力とこれを圧しようとする勢力のせめぎ合いを象徴する日であると言い換えてもよい。
国民の祝日に関する法律によれば、「建国をしのび、国を愛する心を養う」と趣旨が規定されている。「建国」の国とはなんぞや。「国を愛する」の国とはなんぞや。「愛する」とは、なにゆえに、そしていかに。疑問は尽きない。
ところで、祝日法には、「建国記念の日」は「政令で定める日」とのみ規定され、2月11日と特定されているわけではない。したがって、政令次第で、8月15日にも、5月3日にも変更が可能なのだ。
言うまでなく、2月11日は日本書紀の神武天皇即位の日を換算したとされる日。その根拠は何度聞いても分からない。もともとが荒唐無稽な神話の世界のこと。しかも天皇制政府が自ら作りあげた天皇制美化のストーリーの一挿話。それをむりやり、明治政府が「紀元節」とした。1872(明治5)年のこと。この日を、いにしえの天皇制国家誕生の日とすることによって、明治政権の正当性を国民意識に植えつけようとの意図によるもの。だから、臣民こぞって盛大に祝うべきことが強制された。
紀元節は、三大節あるいは四大節のひとつとして、国家主義と天皇礼賛の小道具の一つとされた。戦後は、当然に日本国憲法の精神にふさわしからぬものとして姿を消したが、1967年に「建国記念の日」としてよみがえった。
今年の「建国記念の日」は、国家主義復活をめぐるせめぎ合いに、新たな1ページを書き加えた。歴代首相として初めて、安倍晋三がこの日にちなんだメッセージを発表したことによって。
全文は結構長い。抜粋する。
「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨により、法律によって設けられた国民の祝日です。この祝日は、国民一人一人が、わが国の今日の繁栄の礎を営々と築き上げたいにしえからの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を誓う、誠に意義深い日であると考え、私から国民の皆様に向けてメッセージをお届けすることといたしました。
10年先、100年先の未来を拓(ひら)く改革と、未来を担う人材の育成を進め、同時に、国際的な諸課題に対して積極的な役割を果たし、世界の平和と安定を実現していく「誇りある日本」としていくことが、先人からわれわれに託された使命であろうと考えます。
「建国記念の日」を迎えるに当たり、私は、改めて、私たちの愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています。
国民の皆様におかれても、「建国記念の日」が、わが国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、自信と誇りを持てる未来に向けて日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。
この首相メッセージは、「誇りある日本」「私たちの愛する国」「美しい国」「自信と誇り」「先人の努力に感謝」「日本の繁栄」と、歴史修正主義者たちの常套用語で満ちている。
自民党改憲草案の前文が、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承する」と言っていることと軌を一にしている。
さらに、本日の産経「主張」は、これに輪をかけたもの。
「そもそも「建国記念の日」は明治5年、日本書紀が記す初代神武天皇の即位の日に基づいて政府が定めた「紀元節」に始まる。
紀元節の制定は、国の起源や一系の天皇を中心に継承されてきた悠久の歴史に思いを馳せるとともに、日本のすばらしさを再認識することで、国民が一丸となって危機に対処する意味があった。
それから約140年を経た現在の日本にも、対処を誤ってはならない脅威が迫っている。わが国の領土・領海が中国や韓国などに侵され、日本民族が誇りとする歴史も歪曲されて世界に喧伝されている。反日攻勢も絶え間ない。
脅威に対して日本国民は、紀元節制定時の精神にならって一丸となり、愛国の心情を奮い立たせるべきなのだが、現実はとてもそのような状況とはいえない。
日本や日本人をどこまでもおとしめ、国民を日本嫌いに仕向けるがごとき言動を繰り返す政治家やメディアが少なくない。学校教育でも戦後は、神話に基づく建国の歴史が排除され、若い世代の祖国愛の芽が摘まれてきた。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」との祝日の趣旨は明らかに空洞化しており、これを打開するには、国が率先して祝うことが何より必要だ。」
安倍政権下に、田母神が61万票を獲得する時代。右翼メディアはこれだけ、活気づいている。
「建国記念の日」とは、国家主義との対峙に決意を新たにすべき日。そうしなければならないと思う。
(2014年2月11日)
春はセンバツから。毎日新聞がつくったキャッチフレーズであろうが、しばらく前までは心地よい響きをもっていた。私の母校は、甲子園の強豪校で、春の甲子園での14連勝の記録をもっている。かつて、母校が首里高校と対戦して21奪三振の記録を作った。私は、その試合を観戦していたが、武士の情けを知らぬ母校ではなく、健気な首里高に声援を送った。ところが今、そのような余裕はなく、「春はセンバツから」というフレーズがむなしい。今日の日記は、わが母校、最近不振の愚痴であり、八つ当たりである。
今年のセンバツも本日でおしまい。特に関心をもたなかったが、準優勝校の校名が済美(サイビと読むようである)であるという。済美の原典は漢籍の古典にあるのだろうが、教育勅語の一節として知られる。該当箇所は「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」というところ。同校のホームページには、その前身である済美高等女学校の開校が1911年とされている。教育勅語の発布から20年ほど後のこと。
「世世、その美を済(な)せる」の内実は、「我が臣民が、よく忠に、よく孝に、心を一つにしている」ことだという。そして、臣民の忠孝の精神こそが、天皇をいただく我が国柄のすばらしさであり、教育の根源がここにある、という。
戦前、忠と孝とが、臣民としての道徳の中心だった。これを「美をなす」ものとし、国体の精華であり、教育の淵源とまで言った。儒家では、おなじみの「修身・斉家・治国・平天下」(「大学」)という。孝という家の秩序と、忠という国家の秩序との整合が求められた。孝の強調は忠のモデルとしてのものである。
勅語は、さらに臣民の徳目を語るが、最後を「常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と結ぶ。
「常に国憲を重んじ」とは、天皇が国民に与えた欽定憲法の遵守を命じているのだ。「憲法とは、人民が君主の横暴を縛るために生まれた」「近代憲法とは、主権者国民が国政を預かる者に対する命令である」という考えの片鱗もない。
当然のことながら、この勅語には人権も民主主義も出てこない。人が平等という観念もない。ひたすらに天皇制の秩序に順応して、いざというときには天皇に身を捧げよ、という「臣民根性」を叩き込もうとしている。
天皇制政府は、これを津々浦々の小学校で暗唱させた。「教育の内容・目的を国家が決めるのは当然」との考えに基づいている。しかし、そのような考え方は民主主義社会の非常識である。公権力は、国民に対して教育条件整備の義務を負うが、教育内容を定める権限はない。日本国憲法と教育基本法の採る立場でもある。最高裁判例(旭川学テ事件・大法廷判決)も基本的に同様の立場である。
当然のことながら、今の済美高校に勅語教育の影は見られない。私学経営の常道として、進学率の向上とスホーツの成績に熱心の様子である。
甲子園では、ときに思わぬことに出くわす。これもかなり昔のこと。盛岡一高が甲子園に出場し、勝者となってその校歌が全国に響いた。歌詞は何を言っているのか分からなかったが、そのメロディは明らかに軍艦マーチであった。さすがに米内光政の出身校、と感心した次第。いまでも、変わらないのだろうか。
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さて、新装開店記念のエッセイ第3弾。
『ツバキのこと』
春は桜ばかりがもてはやされるけれど、今の時期、どこの植物園や公園に行ってもツバキが盛大に咲いている。桜は日当たりのよい真ん中で華やかに目を引くが、ツバキは端っこの日陰に押し込められているので目立たない。常緑の葉っぱが黒々として花を隠してしまうのも不利にはたらく。
ツバキは素人園芸家にとっては様々な利点を持っている。切りつめに強いので場所をとらない形で栽培できるし、乾燥にも強く丈夫で、初心者でも簡単に花を咲かせられる。日陰のベランダでもコンパクトな鉢植えで育てられる。鉢に植えて根っこを窮屈な状態にしておいた方がかえって蕾を持ちやすいのだ。それに、桜の花期が寒桜から八重桜までせいぜい二、三ヶ月なのに対して、ツバキは上手に種類をとり混ぜれば、9月から4月まで八ヶ月もの長い間花を咲かせることができる。丈夫でながもちというところが日本人好みではないと言われてしまうと困るのだが。
色は、白、クリーム、黄、ピンク、赤、紅、紫、紺、黒と多彩。配色も単色、絞り、覆輪、斑入りなど無数の組み合わせがある。花形も花弁が5から6枚の一重咲きから100枚もの花弁を持った千重咲きまである。花の大きさも開花時の直径4?の極小輪から20?もある極大輪まで様々。雄しべについての分類も詳細である。葉の形状も面白くて、柳葉、柊葉、鋸葉などは想像しやすいが、盃葉や金魚葉などという変わりものもある。香りの追求もされている。室町時代から茶道、生け花とともに発展してきた花木なので、愛玩のされ方も生易しいものではないのだ。
容易に交配して種ができ、それを蒔いて5年もすれば花が咲く。だから、種類は際限もなく増えていく。日本では花が小ぶりの侘助ツバキが好まれているけれど、西洋では大きくて、花びら数も多いバラやボタンに見まごう豪華絢爛な花が競って作出された。デュマの「椿姫」のカメリアのイメージはどうしても「白侘助」というわけにはいかない。
一時、ツバキ狂いをして100種類近く集めたことがあった。寝ても覚めても、あれもこれも欲しくて、椿図鑑をめくってはため息をついていたことがあった。一説には日本で4000種、世界で10000種もあると言われているのだから、頭がクラクラした。でも幸い、私は熱しやすく冷めやすいたちなので、今は回復している、と思う。
好きなツバキをふたつ。
「酒中花は掌中の椿 ひそと愛ず」 石田波郷
酒飲みにはこたえられない図でしょう。
“しゅちゅうか”は白地に紅覆輪、牡丹咲きの中輪。江戸時代から伝わる。
「落ざまに水こぼしけり花椿」 芭蕉
この落ち椿はぜったいに真っ赤な五弁のヤブツバキでなくてはならない。普通ツバキといえば第一番にこの花姿がうかぶし、事実圧倒的な人気を誇っているけれど、園芸分類上はヤブツバキという名前は出てこない。これこそヤブツバキとおもわれる、よく似たツバキがたくさんあって立派な名前がついているけれど、素人にはほとんど見分けがつかない。出雲大社藪椿、富泉院赤ヤブ、専修庵、森部赤ヤブ、信浄寺紅、等々日本各地に保存されているとのことである。似ているはずである。みな親がヤブツバキなのだから。
以上はツバキについてほんのさわりで、話は奥が深くて、混沌として、ヤブノナカなので、またまた迷ってはいけないのでこのくらいで終わり。
「特定アジア粉砕新大久保排害カーニバル」とは、何のことだかお分かりだろうか。「在特会(在日特権を許さない市民の会)東京支部」を中心とする、新大久保での排外デモを、彼らはこう自称している。
今年に入ってすでに5回。極端なヘイトスピーチが特徴と報告されている。日の丸や旭日旗を打ち振って、憎悪をむき出しの100人?200人の集団が絶叫する。「韓国は敵、よって殺せ」「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「朝鮮人、首吊れ毒飲め飛び降りろ」という凄まじさ。新大久保だけではなく、大阪の鶴橋でも行われているという。
石原慎太郎が火をつけた尖閣問題、安倍政権の慰安婦問題が背景にあることは想像に難くない。煽動されたナショナリズムの恐さを実証する右派のデモ。排外主義の危険な芽をここに見ざるを得ない。大事に至らぬうちに、手を打ちたいもの。
「法律家として何とかしなければならない。警視庁に申し入れをしないか」と同期の梓澤弁護士から声をかけられた。急遽の呼びかけで12人の弁護士の呼吸が合い、3月31日5回目デモ直前の3月29日(金)に公安委員会・警視総監宛の申し入れ、東京弁護士会への人権救済申し立て、そして「声明」を携えての記者会見となった。
「声明」は以下のとおりである。
1 本日私たちは、本年2月9日以来4回にわたって東京都新宿区新大久保地域で行われてきた外国人排撃デモの実態に鑑みて、今後周辺地域に居住、勤務、営業する外国人の生命身体、財産、営業等の重大な法益侵害に発展する現実的危険性を憂慮し、警察当局に適切な行政警察活動を行うよう申し入れた。
2 外国人排撃のための「ヘイトスピーチ」といえども、公権力がこれに介入することに道を開いてはならないとの表現の自由擁護の立場からする立論があることは私たちも承知している。しかしながら、現実に行われている言動は、これに拱手傍観を許さない段階に達していると判断せざるを得ない。
このまま事態を放置すれば、現実に外国人の生命身体への攻撃に至るであろうことは、1980年代以降のヨーロッパの歴史に照らして明らかなところである。
3 また、ユダヤ人への憎悪と攻撃によって過剰なナショナリズムを扇動し、そのことにより民主主義の壊滅を招いたヒトラーとナチズムの経験からの重要な教訓を、この日本の現在の全体状況の中でも改めて想起すべきと考える。
4 以上のことから、私たちは当面の危害の防止のため緊急に行動に立ち上がるとともに、マスメディアや、人権や自由と民主主義の行く末を憂慮する全ての人々に関心を寄せていただくよう呼びかける。
5 また、上記の集団行進や周辺への宣伝活動において一般刑罰法規に明白に違反する犯罪行為を現認確認したときは、当該実行行為者を特定したうえ、当該行為者と背後にある者に対して、その責任追及のためのあらゆる法的手段に及ぶことを言明する。
記者会見での梓澤君の迫力はさすがのものだった。私のコメントは大要以下のとおり。
私たち12名は弁護士として事態を座視することができずに立ち上がった。弁護士とは、基本的人権擁護を使命とする職能である。基本的人権とは一人ひとりの人間の尊厳を意味するもので、国籍や人種や民族の如何に関わりのない普遍性をもっている。人権擁護の立場からは、特定の人種や民族に対する偏見や憎悪の言動を看過できない。その言動が、具体的な侮辱・名誉毀損となり、あるいは脅迫・業務の妨害に至れば、被害者の人権擁護の立場から、徹底した法的手段をとることを申し合わせている。
行動に名を連ねた12人の中には、これまでこの問題に関わり続けてきた複数の若手弁護士がいる。その行動力には感服のほかはない。しかし、オウムのときの坂本堤弁護士の悲劇が脳裏をよぎる。彼らを第一線に突出させてはならない。多くの弁護士が立ち上がらねばならない。
幸い、31日の「新大久保排外デモ」は、参加者の数も減り、「殺せ」のコールもなかったという。さらに、心強いことに、ヘイトスピーチをたしなめる市民のカウンターデモが人数でも勢いでも、圧倒したという。排外主義を許さない市民意識の健在に大いに胸をなでおろした。
新装開店記念のエッセイ第2弾
『サクラのこと』
今年、東京ではサクラ(ソメイヨシノ)の開花がはやいと騒がれた。しかし、よくしたもので開花してから急に寒い日が続いたので、散るまでの時間が長くかかって、3月末までお花見ができた。普段は気もつかない公園や校庭の一本桜や街路の桜並木が、手品でも使ったかのように華やいで、見慣れた町が別世界のようになる。毎年のことながら、冬の間ふさいでいた気分がパッと明るくなる。心とは単純にして不思議なものだ。
急に強い風が吹いて、花びらが雪吹雪のように舞い狂う場面に逢ったときなど、目も身体も魔術にかかったようにピタリと動かなくなって、このまま花嵐にさらわれてしまいたいと思う。この気持ちは子供の時から変わらないけれど、一度もさらわれることなく、老齢の域に入ってしまった。残念。
平安 久かたのひかりのどけき春の日にしずこころなく花のちるらん(紀友則)
勧酒 コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ(于武陵「勘酒」井伏鱒二訳)
壮絶 後世は猶今生だにも願わざるわがふところにさくら来てちる
(山川登美子 鉄幹・晶子らと「明星」で活躍。29歳で早世)
奇跡 春ごとに花のさかりはありなめどあい見むことはいのちなりけり(古今和歌集よみびとしらず)
願望 ねがわくは はなのもとにて春しなむそのきさらぎの望月のころ(西行)
多分、これらに歌われたサクラはソメイヨシノではなくてヤマザクラだ。ソメイヨシノよりヤマザクラが好きだという人が多い。わたしも同じ。
ヤマザクラが100本ほど自生した山を持ちたいと思う。ヤマザクラは木によって若葉の色も花の色も少しづつ変異がある。若葉は赤みを帯びた黄緑色が基本だけれど様々で、それと一緒に咲く花の花色もほとんど真っ白から淡い紅色まで少しずつ変化があり、その組み合わせはいくら見ていても見飽きない。春の山を眺めると微妙に色の違った霞がかかったように見えるのはそのヤマザクラのせいなのだ。
そのわたしの持ち山は遠くからは人に見せてあげるけれど、ダレも山の中には入れない。歩かせない。触らせない。花好きは強欲。