「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」から、『厭戦庶民』の32号と33号が届いた。小さなパンフだが、とても面白い。充実している。肩肘張らないつぶやきもあれば、肩肘張った論文もある。石川逸子さんの詩もあり、みごとな替え歌もあり、言葉遊びもある。肩書を「弁護士・平和委員会代表理事」として内藤功さんも書いている。多くは、神奈川県内の活動家、それも元気溢れる高齢の方の発言集。
この会は、名物活動家・信太正道さんが主宰していた。元特攻隊員だったが出撃寸前に敗戦となって命ながらえた方。戦後は海上保安庁職員、海上自衛隊、航空自衛隊をへて日航機長となった。徹底した非戦論者で、9条改憲阻止の信念と活動に揺るぎがなかった。
信太さんは2015年11月10日に亡くなられたが、その遺志を継ぐ人々が「戦争屋にだまされない」とする、「厭戦庶民の会」の活動を続けているのだ。ひとりの人の熱意が、その人の死後にも他の人に受け継がれる好例。
この会の会則は、9か条ある。その第9条が、以下のとおりである。
「(不戦の誓い)私たちは、戦争を放棄し、軍備および交戦権を認めません」
「改憲的護憲論」には反対を明確にしたうえ、反アベ政権の運動においては、そういう人とも批判的に共闘を、という学習会の報告もなされている。
時節柄、天皇や天皇制、元号に関わる論稿が多い。象徴天皇制を厳しく指弾する意見もある。こんな記事が目を惹いた。
「私は天皇制は勿論、天皇の存在そのものに絶対反対なのです。」という立場を明確にした方の、かなり長い論文の次の一部分。
「戦直後、当時の共産党を中心に、天皇制打倒が叫ばれた。しかし、そこには天皇制の捉え方について、二つの意見があった。
一つは、徳田球一書記長のとらえ方=天皇とは、どう言い繕っても、排他的民族主義・侵略性の思想を秘めた国のトップである。今こそ(この敗戦という大転換期に)即これを無くさないかぎり、いかなる共和的民主国家も出来得ない。というもの。
今一つは、野坂参三に代表されるとらえ方=天皇には二つの側面がある。一つは絶対的天皇制権力機構であり、他方は宗教的側面である。天皇制権力機構は即廃絶すべきであるが、他の天皇の宗教的側面は国民が天皇を慕っているのだから、今、それをも即打倒というべきでなく、後の、国民投票によるべきだ。 そして結果的に…いろんな経緯はあるとしても日本の新憲法に、この野坂泰三氏の思想が取り入れられた。
天皇の制度権力機構は廃止する。しかし日本国の象徴として天皇を残す。である。」
「天皇制の忌まわしさにおいて、その独裁的権力機構と、その宗教的といえる精神的なもの象徴天皇制とどちらが恐ろしいか、私に言わせれば後者です。」
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そして、紹介したいのが、疎開世代の「戦争体験」。
美空ひばり「一本の鉛筆」と
「日米安保闘争」
私の「厭戦」の原点です
長谷川徑弘(84歳)
毎年5月の「平和のための戦争展inよこはま」に「美空ひぱり?一本の鉛筆」の展示を担当して久しくなります。
◇
これには、私が「太平洋戦争」下、横浜から箱根に集団疎開していた時に、母親が「粗末な便箋に鉛筆書きの手紙」を毎月1通出してくれた思い出があるからです。
今年(2019年)6月24日は美空ひぱり没後30年です。
新聞・TVなどで、回顧番組があるでしょうが、「一本の鉛筆」の紹介があるかどうか。若い人たちには、「ひぱり」が、忘れられてきているかも、気がかりです。
◇
「一本の鉛筆」のメロディも歌詞も、淡々としていますが、共に彼女の心情をこめた最高のものです。メロディは低音域でゆったりした3拍子。
歌詞には
「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」
「一枚のザラ紙があれば あなたをかえしてと私は書く」
「一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く」
「人間の命と書く」
「ザラ紙」は「わら半紙=上質紙に対して下等紙」の事。
◇
こうした歌詞が、私が疎開先で受け取った母からの「便箋に鉛筆書き」の手紙とダプルのです。
その母は、5・29横浜大空襲の後の6月9日、産後の体を壊して他界。赤子も後を追う。私と妹は集団疎開先に居て、母の死に顔を見られなかった。
「母を返して」。
こんな事も。戦後、親戚預けになった弟2人が、他人様への気苦労人生でか、数年前に病み他界。今、残りは、年長組の兄・私・妹の3人。人生が逆さまになった。
◇
「戦争体験者」は、「戦争体験」を語り続けなければなりません。「過去」の先に「現在と未来」があるから。
ひばりさんは、横浜大空襲の前、4月16日の磯子地区の“はみ出し爆撃”で被災して。
◇
私の住まいの玄関脇に「一本の鉛筆?ひばり」の手製ボード、メーデーなどには手製プラカー
ドを抱えて出かけます。どこかで見かけたら、私です。
私のもう一つの。“厭戦”は、「日米安保条約」です。
?1952年「旧安保」(「起ちあがれ(安保破棄の歌)」、
?1960年「新安保」(子ども遊び「アンポハンタイ」/6・23全国統一行動)、
?1970年「10年固定期限終了・安保廃棄6・23集会各地で盛り上がる」。
◇
この後、「安保闘争」は影が薄くなって、はや50年・半世紀になろうとしています。
私は、「諸悪の根源・日米安保条約」と指摘する畑田重夫先生(95歳)からいただいた「生涯学習・生涯青春」の直筆色紙を、机前に貼りつけ、がんぱっています。今、84歳。
今、このような無数の先輩たちが、「改憲阻止」「安倍ヤメロ」の運動の先頭にいる。
(2019年6月25日)
昨日(6月23日)は、「沖縄・慰霊の日」。本土決戦の時間稼ぎのためとされる旧日本軍の組織的戦闘が終結した日である。これで戦争が終わったわけではない。多くの悲劇がこのあとに起こる。沖縄県民にとっは、新たな形の悲劇の始まりの日でもあった。
あれから74年。糸満市摩文仁の平和祈念公園で、恒例の「沖縄全戦没者追悼式」(主催は沖縄県)が挙行された。敵味方なく、軍民の隔てなく、すべての戦争犠牲者を追悼するという次元の高いコンセプト。未来の平和を指向するものでもあり、国民感情にピッタリでもあろう。この点、「皇軍の戦没者だけを、天皇への貢献故に神として祀る」という、偏狭な軍国神社靖国の思想と対極にある。
全戦没者名を刻する「平和の礎」には、新たに韓国籍2人を含む42人の名前が刻銘された。二重刻銘による削除者も1人いて、総刻銘数は24万1566人となったという。24万1566人の一人ひとりに、それぞれの悲劇があり、その家族や友人の悲劇があったのだ。
玉城デニー知事の「平和宣言」は、うちなーぐちと英語を交えてのスピーチ。辺野古新基地建設を強行する政府を強く批判し、「県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は民意を尊重せず、地方自治をもないがしろにするものだ」とまで言っている。
そして、今年も「平和の詩」の朗読があった。糸満市兼城小6年山内玲奈さんの「本当の幸せ」と題するもの。次いで、これまた恒例の安倍晋三の首相としての官僚作文の朗読である。
安倍晋三の参列と式辞は、明らかにこの式典のトーンと異なるもので、違和感に包まれていた。案の定、首相挨拶の途中、会場から野次というレベルではない怒声が飛んだ。
「安倍は帰れ!」
「安倍はやめろ!」
「(近年の沖縄の発展は)あんたがやったわけじゃないよ」
「(基地負担軽減は〕辺野古を止めてから言え」
「戦争屋!」
式辞の朗読が進むとともに、ヤジは大きくなり、安倍首相が「私が先頭に立って、沖縄の進行をしっかり前へ進めたいと思います」と述べた途端に、「やめてくれー」と大声が上がり、会場がどよめいたという。チヤホヤされるのが大好きで、忖度文化の頂点に立つ居心地を満喫している彼には、不愉快な体験だったろう。
日本は民主主義国家だという。民主的な手続で選任された日本のトップが首相であって、今その地位に安倍晋三がいる。しかし、日本の首相とは不思議な存在だ。国民を代表する立場で重要な式典に臨んで、「来るな」「帰れ」と猛然と野次られ罵られる。警察が式場を取り巻いて威圧し監視する中でのことだ。ウソとごまかしにまみれ、国政私物化の疑念を払拭できない人物が、長期政権を継続している。この「来るな」「帰れ」と野次られるトップを国民自身が選んでいることになっている。日本の民主主義が正常に作動していないのだ。
6月23日、8月6日、8月9日は、いずれも国民が記憶すべき日として、式典が行われる。晴れやかな日でも、勇ましい想い出の日でもない。民族や国家が、独立した日でも戦勝の日でもない。自ら起こした侵略戦争に破れて、多くの国民が犠牲になったことを改めて肝に銘記すべき日である。
安倍晋三個人としては、そんなところに出たくはない。しかし、いやいやながらも出席せざるを得ない。その席で、辺野古新基地建設強行を語ることもできず、悪役ぶりを披露し、じっと野次に耐えるしかない。「安倍は帰れ!」と野次られても、帰るわけにはいかないのは、あたかも安倍とその取り巻きが日本国憲法大嫌いでありながらもこれに従わざるを得ないごとくである。安倍は6・23、8・6、8・9の各式典に、「帰れ!」と野次られつつも、出席を続けなくてはならない。そう、「悔い改めて、方針を転換します。新基地建設強行は撤回しました」と報告できるその日まで。
さて、いつも話題の平和の詩の朗読。今年も素晴らしいものではあった。引用しておきたい。
本当の幸せ (沖縄県糸満市立兼城小学校6年 山内玲奈)
青くきれいな海
この海は
どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ちこまれ
ほのおで包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地
この大地は
どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄みわたる空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え町が消え希望の光を失った島
体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が七十四年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲さんさを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島がこの国がこの世界が
幸せであるように
お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが
本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが
最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある
令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも
素晴らしい詩だとは思う。しかし、引っかかるところがある。「平成時代」「令和時代」というフレーズである。沖縄の小学生が、こんなにもあたりまえのように、無抵抗に元号を使わされているのだ。
昨年(2018年)12月13日の毎日新聞に、「沖縄と元号」という興味深い記事が掲載されていた。「代替わりへ」という連載の第1回。「1960……昭和35年!4月1日!」 という表題。「米占領下、センバツ出場 宣誓、西暦で言いかけ」という副見出しがついている。
兵庫県の甲子園球場で1960年4月1日にあった第32回選抜高校野球大会の開会式。戦後初めてセンバツに沖縄勢として出た那覇高主将の牧志清順(まきしせいじゅん)さんは、選手宣誓で日付を西暦で言いかけ、すぐに元号で言い直した。当時、米国統治下の沖縄の住民の多くは西暦で年代を考えていた。
本土復帰(72年)後の80年に膵臓(すいぞう)がんのため37歳で亡くなった牧志さん。大会直後の手記に、本田親男・大会会長(毎日新聞社会長)の「いまだ占領下にある沖縄から参加した諸君たちに絶大な拍手を送ろうではないか」とのあいさつを聞き、「感激の涙がとめどもなく流れた」と記していた。その日の毎日新聞夕刊は「七万の観衆の万雷の拍手。那覇ナインはひとしお深い感激にひたっているようだった」と描写している。
牧志さんの妻愛子さん(70)は「このあいさつの後の宣誓でしょ。いろんな感情がこみ上げて、緊張と感動で素に戻っていつもの西暦がスッと出てきたんじゃないの?」と推測する。愛子さんが大切に保存するアルバムには牧志さんの自筆コメントが残る。出場校の整列写真には「チョット恐ろしかった」との感想も。数カ所ある開会式の日付は「1960……!!昭和35年」と記され、言い直しを意識していたようだ。
当時、アルプススタンドで応援した同級生の伊藤須美子さん(76)は「友達と『そもそも、なんで昭和と言わなきゃいけないの』と話していた。言い直しを聞き、沖縄と本土は違うと実感した」と語る。法政大の上里隆史・沖縄文化研究所研究員(42)は「元号は、その土地が元号を定めた主体に支配されているという目印」と指摘する。西暦か元号か。米国か日本か。牧志さんの宣誓は、当時の沖縄の状況を浮き彫りにしていた。
なるほど、復帰前の沖縄にとっては、「西暦か元号か」は、「米国か日本か」であったろう。しかし、復帰を実現してから47年の今、事情は異なる。「西暦か元号か」は、象徴天皇制の本土体制を容認するか否かではないか。
「『戦争終わったよ』投降を呼び掛けた命の恩人は日本兵に殺された 沖縄・久米島での住民虐殺」という記事が、6月22日の琉球新報(デジタル)に掲載されている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190622-00000006-ryu-oki
沖縄戦で本島における日本軍の組織的戦闘の終了後、久米島に配備されていた日本軍にスパイ容疑で虐殺された仲村渠明勇さんに命を救われた少年がいた。現在、東京都練馬区で暮らす渡嘉敷一郎さん(80)だ。渡嘉敷さんは久米島に上陸した米軍に捕らわれるのを恐れて池に飛び込んで命を絶とうとしたところ、仲村渠さんの呼び掛けで思いとどまった。
? 当時、島では日本軍の隊長からは「山に上がって来ない者は殺す」との命令が下されていた。上陸してきた米軍からは、日本兵が軍服を捨てて住民にまぎれこんでいることから「家に戻りなさい。戻らなければ殺す」と投降の呼び掛けが出ていたという。どちらを選択しても死を迫られるという苦しい状況に住民は置かれていた。
渡嘉敷さんは「明勇さんは案内人として米軍に連れてこられていた。村人が隠れているところを回って、投降を説得するのが役割だった。明勇さんに命を助けられた。島の人にとっては恩人。それを、逃げるところを後ろから日本刀で切って殺されたと聞いた」と悔しそうな表情を浮かべた。
「一番怖かったのは日本兵だった」という述懐が、印象に残る。沖縄を本土防衛の捨て石とし、県民の4人に一人を殺した戦争を唱導したのが皇国日本だった。独立後も沖縄の占領を続けるようアメリカに提案したのが、天皇(裕仁)だった。そして今、本土復帰後も続く保守政治の中で、沖縄の人権も平和も蹂躙され続けている。その本土の保守政権は、象徴天皇制と積極的に結び付き、これを積極的に利用しようとしている。客観的に見て、天皇制は沖縄民衆の敵というべきであろう。しかも沖縄は、一度は元号離れの経験をしているのだ。
国民生活のレベルへの象徴天皇制の浸透が元号である。元号の使用は象徴天皇制の日常化と言ってよい。「平成の時代」「令和の時代」という言葉が、小学生の詩の中に出てきて、これが平和の式典に採用されるこの状況を深刻なものと受けとめなければならない。
(2019年6月24日)
昨日(6月19日)の党首討論。正確には、「国家基本政策委員会合同審査会」というそうだ。メディアは注目しなかったが、志位和夫(共産党委員長)と安倍晋三との「討論」を振り返ってみたい。
以下が、その「討論」の議事速報(未定稿)からの引用である。本日の赤旗紙面には、おそらく発言のとおりの、もっと詳細な文字起こしが掲載されている。これによれば、安倍晋三の発言は、この議事速報のように滑らかなものではない。つっかえ、つっかえのよれよれ発言。
○志位和夫君
金融庁が、夫婦の老後資金として公的年金以外に三十年で二千万円が必要との報告書を公表したことが年金への不安を広げております。年金への不安は、これにとどまるものではありません。マクロ経済スライドによる給付水準の引下げという大問題があります。
直近の公的年金の財政見通しによれば、マクロ経済スライドは、現在四十一歳の人が六十五歳で年金を受け取れるようになるまで続き、これによって、受け取れる年金の水準は、平均的な高齢夫婦世帯で月額四万三千円、三十年間で約一千六百万円も減らされます。
先日の参院決算委員会で、我が党の小池晃議員がマクロ経済スライドはやめるべきだと求めたのに対し、総理は、年金は給付と負担のバランスで成り立っている、やめてしまうというのは無責任でばかげた政策と言いました。
しかし、今でさえ老後の生活を支えられない貧しい年金を、マクロ経済スライドを続けて更に貧しい年金にしてしまうことこそ、私は無責任でばかげた政策と言わなければなりません。
マクロ経済スライドを中止しても、給付と負担のバランスをとる手だては幾つもあります。私は、その手だての一つとして、高額所得者優遇の保険料のあり方を正すことを、きょうは具体的に提案いたします。
今の年金保険料は、月収六十二万円、ボーナスを含め年収で約一千万円を超えますと、保険料負担がふえない仕組みになっています。年収が約一千万円の上限額を超えますと、二千万円の人も、一億円の人も、みんな保険料は同じ、年間九十五万五千円です。
そこで、提案でありますが、約一千万円のこの上限額を、健康保険と同じ約二千万円まで引き上げる。そのことによって、約一・六兆円の保険料収入がふえます。その際、アメリカでやっているように、高額所得者の年金給付の伸びを抑制する仕組みを入れる。そうすれば、それによる給付増分を差し引いても、毎年約一兆円の保険料収入をふやすことができます。この一兆円を、マクロ経済スライドをやめ、減らない年金にする財源に充てる、これが私たちの提案であります。
総理に端的に伺います。
年収一千万円を超えますと、保険料がふえなくなる高額所得者優遇の保険料のあり方、これは正すべきではないですか。端的にお答えください、正すかどうか。
問題点の指摘、制度改正の提案、そして質問の内容。すべて、明瞭で具体的である。要約すれば、「給付額不十分な年金制度をさらに切り下げるのがマクロ経済スライド。これを廃止して金額が下がらない年金給付とすべきだ。マクロ経済スライドの廃止に代わる財源確保措置として、現行の高額所得者優遇の保険料のあり方について見直しを提案する。(高額所得者優遇の保険料のあり方)を正すか、どうか。」ということ。時間がない中で「質問に、端的にお答えください」は当然のこと。
保険料を納付し給付を受ける立場の全国民が、こぞって耳を傾けたくなる質問ではないか。これに対する安倍の回答は、いく通りか考えられる。
想定回答その1は、「現行の高額所得者優遇の保険料のあり方は、やはり問題があると思いますので、正します」というもの。こうすれば、安倍政権の人気は急上昇の可能性があった。別に、高額所得者に犠牲を強いるという策ではない。高額所得者優遇措置を改めるというだけ。その結果として「非高額所得者層」の年金給付額を増やす(あるいは減らさない)ことができるのだ。
想定回答その2は、「現行の高額所得者優遇の保険料のあり方は変更することなく維持します」というもの。こうすれば、安倍内閣の人気は落ちるが、自ずと、政治姿勢や基本理念の対決点が明らかになる。ここを議論の出発点として、意見交換が始まることになる。
あるいは、どちらとも明確にせず、曖昧なままとする想定回答その3もありうる。たとえば、「政策の理念には賛同しますが、階層間の利害の調整は容易なことではありません。今後の課題として検討させていただきます」など。いわゆる、リップサービスだけの実質ゼロ回答。
さて、安倍の回答は、以上の想定回答のどのパターンだったか。驚くべし。どれでもないのだ。聞かれたことに答えない、いつもの不誠実極まる安倍晋三流。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) この議論で大変残念なのは、先ほどの党首の議論で、年金のいわば積立金が枯渇するというときに拍手が起こったことであります。
私は、そういう議論はすべきではないですし…
…(発言する者あり)
○会長(佐藤勉君) お静かにお願いします。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) テレビを見ている方々がおられますから……(発言する者あり)
○会長(佐藤勉君) 静かにしてください。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 大切なことも述べなければいけないわけでありまして、基礎年金の運用については、四十四兆円プラスになっているということははっきりと申し上げておきたいと思いますし、マクロ経済スライドについての御質問でございますが、マクロ経済スライドについても、先ほど来お話をさせていただいておりますように、これは平均寿命が延びていきますから、給付はふえていく。そして、生産年齢人口が、ふえていきますから、当然、これは被保険者は減っていく。その分を調整していく、そうしたファクターを調整していく数字によって、将来の受給者の所得代替率を五割を確保していくというものでありまして、それが今発動されて、しかも、それが〇・九から〇・二になったということは、まさに改善したということを申し上げているわけでありまして、先ほどさんざん毀損されましたが、そのことをはっきりと申し上げておきたいと思います。
その上において、共産党の主張は、マクロ経済スライドを廃止して、その上で、なおかつ将来の受給者の給付が減らないようにする上においては、これは七兆円の財源が必要でございます。皆さんはその財源がある、こうおっしゃっています。七兆円というのは巨大な財源であります。巨大な財源があるというのは、これはかつて聞いたことがあるような話でございますが、それはそう簡単には出てこないわけでございます。
いずれにいたしましても、私たちは、このマクロ経済スライドという形において、今の形で、マクロ経済スライドの形において、それを発動させていくことによって今の受給者と将来の受給者のバランスを図っていく、あるいは将来の給付と負担のバランスを図っていきたい、こう考えておりますが、今、志位委員がおっしゃった御提案については、これはまずはちゃんと検証しなければ、その数字は明らかでないわけでありますし、一兆数千億円で賄えるものではなくて、七兆円という、全く枠が違うわけでありますから。
いずれにいたしましても、マクロ経済スライドをやめてしまうという考え方は、もう一度申し上げますが、これはばかげた案だと思います。
○会長(佐藤勉君) 時間が参っておりますので、簡潔にお願いいたします。
こりゃなんじゃ。「端的にお答えください」とされた質問は、「高額所得者優遇の保険料のあり方を正すのか、どうか」ということ。これにはまったく答えようとせずに、他党党首との論争を持ち込み、「マクロ経済スライドをやめてしまうという考え方は、これはばかげた案だと思います。」と締めている。あ?あ。議論するのが虚しくなる手合いなのだ。時間がない。最後の志位発言は次のとおりである。
○志位和夫君 私は、減らない年金にするための具体的提案をやった。それに対するお答えは一切ありません。七兆円というのは、私たちの暮らしを応援する政策のパッケージでやる財源の問題なんです。この問題……
○会長(佐藤勉君) 時間が参っておりますので、終わりにしてください。
○志位和夫君 マクロ経済スライドをやるということは、今の年金の水準を六割から五割に、現役世代との所得代替率を減らすわけでしょう。これは減っていくんですよ。
○会長(佐藤勉君) 時間です。
○志位和夫君 私は、今政治に求められているのは、貧しい年金の現実を直視して、安心の年金に変えるための責任を果たすことだ、報告書を隠蔽することじゃないということを申し上げて、終わります。
○会長(佐藤勉君) これにて志位君の発言は終了いたしました。
安倍晋三という人物。まともな議論をする能力のないことを、政治家としての強みとしているのだ。
それでも、短い時間に、これだけは浮き彫りになった。
「今でさえ老後の生活を支えられない貧しい年金を、マクロ経済スライドを続けて更に貧しい年金にしてしまうことこそ、私は無責任でばかげた政策」というのが、志位和夫の共産党。
「自動的に年金給付額を減らす『マクロ経済スライド』を廃止せよ。そのための財源を真剣に検討せよ」という提案を「もう一度申し上げますが、これはばかげた案だと思います。」というのが安倍晋三。
これが、一握りの「高額所得者層」と、圧倒的多数の「非高額所得者層」との、それぞれの利益代表の「討論」なのだ。どちらに軍配を上げるべきかは、有権者の選択となる。自分に不利な政党選択をすることのなきよう、お間違えなく。
(2019年6月20日)
参院選が近い。総選挙との同日ダブル選はなくなった模様。
政権としては、「どうせこのままでは支持率はジリ貧。すこしでも勝てる見込みがあれば、今のうちにダブル選挙」だったであろうが、そこまで踏み切れなかったということだ。6月26日で今通常国会の会期を終了し、G20終了後の7月4日公示で、同月21日投開票がほぼ確定と伝えられている。
この参院選は日本国憲法の命運を左右する。自・公・維の改憲派議席を3分の2以下に押し込むことができれば、「安倍改憲」のもくろみは当面ついえることになる。何しろ、今が改憲派にとっての千載一遇のチャンスなのだ。このチャンスは、「安倍が首相でいるうち」「両院に改憲派議席が3分の2あるうち」のこと。参院選は、これを突き崩す護憲派のチャンス。
安倍自民は、「日本の明日を切り拓く」「令和新時代・伝統とチャレンジ」とのキャッチフレーズを掲げた上で、参院選公約として下記の6本の柱を建てている。
(1)力強い外交・防衛
(2)経済成長と所得引き上げ
(3)誰もが安心、活躍できる人生100年時代の社会保障
(4)最先端をいく元気な地方
(5)復興と防災
(6)憲法改正を目指す
6番目の柱の「憲法改正」だが、どの世論調査でも「安倍内閣での憲法改正には反対」が国民多数の世論である。与党が、改憲公約を前面に掲げて選挙ができる環境にはない。これを承知で、選挙戦での安倍自民の強調点は、「経済成長と所得引き上げ」の柱に寄り掛かることになる。
「圧倒的な国民には受益の実感がない」「むしろ格差を拡大してきただけ」「企業のための雇用条件切り下げではないか」と言われながらも、政権は数字をつまみ食いしてアベノミクスの効果を語り続けてきた。
「経済政策で票を集めて、獲得した議席で改憲を実現する」というのが、年来の安倍政権の改憲戦略。今回もそうせざるを得ないのだが、「経済政策で票を集める」ことが困難になりつつある。政権が選挙戦では頼みにしているアベノミクス効果が息切れし、崩壊寸前なのだ。
昨日(6月18日)の朝日に、「年収200万円未満が75% 非正規のリアルに政治は」「非正社員が働き手に占める割合は過去最高水準」という記事。あらためて、アベノミクスがもたらした国民生活の実態に驚かざるを得ない。これが、アベノミクス6年の「成果」の内実なのだ。
記事は、こう始まる。
「全都道府県で1倍超の有効求人倍率、高い大卒の就職率、歴史的な低失業率――。安倍政権は『アベノミクスの成果』として雇用の指標をよく語ります。でも、非正規雇用が10人に4人にまで増え、そのほとんどの年収が200万円に満たないことはあまり触れられません。安倍晋三首相が『非正規という言葉を一掃する』と言いながら、歯止めなく増え続ける非正規雇用も、参院選での論点になりそうです。
そして、就職氷河期を経験した非正規労働者の具体例を挙げて、こう言う。
安倍政権はこの春から、「働き方改革」の新制度を順次導入している。ただ、高プロのように働き手のニーズというよりも、企業目線、経営者目線で生産性の向上をめざす改革が際立つ。
首相があまり触れない数字もある。非正規雇用だ。この6年間で約300万人増え、2018年10?12月は2152万人になった。首相は「非正規という言葉を一掃する」と宣言したが、働き手に占める非正規の割合はいまや38%を超え、過去最高の水準にある。
総務省の2017年調査では、非正社員の75%は年収200万円未満。「働いても働いても生活が豊かにならない」、いわゆるワーキングプアに当てはまる。女性だけだと比率は83%に達する。
氷河期世代に象徴される非正規雇用が増え続けるのは、企業が人件費を抑えようと正社員よりもパートやアルバイトを雇ってきたことがある。加えて、1990年代後半以降、自民党政権が企業の求めに応じて派遣労働などの規制緩和を進めたことも背景にある。
平均賃金を上昇させるには、際限なく増え続ける非正規雇用に歯止めをかけることが欠かせない。目先の看板施策にこだわる今の政権にそうした機運は乏しい。直近では、最低賃金の大幅な引き上げを求める政府内の声が、企業側の強い反対でかき消された。
この先、多くの外国人労働者が「特定技能」の資格で入ってくると、平均賃金はさらに伸び悩む恐れがある。?
偶々、海外ニュースで目に留まったのが、スイス各地で行われた6月14日の女性労働者のストライキ。男女間の賃金格差是正や職場でのハラスメント根絶を求めての、ストライキ参加者は計50万人にのぼるという。スイスの全国人口は800万余。日本に当てはめれば、500万人を遙かに上回る規模のストライキとなる。
虐げられている者が声を上げ、立ち上がらねばならない。香港でも韓国でも、民衆の力が政治を変えることを教えている。日本でも、そうありたい。まずは、この不満を参院選で表したい。投票による「反安倍」「反自公」「反アベノミクス」「反改憲」の意思表示を。
(2019年6月19日)
君ら、人生設計を考えるときに100まで生きる前提で退職金って計算してみたことあるか? 普通の人はないよ。でも、今のうちから考えておかないかんのですよ。
年金はね、人生設計のうちの生涯収入の一部だ。まさか、年金だけで老後の生活が安泰なんて、君たち本気で思い込んではおるまいね。年金で100年安心と思っているなんて、冗談だろう。
君ら誤解していないか。「年金100年安心」って、文字どおり「年金の制度維持は100年安心」ということで、「人生100年時代の年金生活が安心」ということではない。2004年の年金改革は「持続可能な年金制度」作りが目的で、老後の暮らしの保証じゃなかったんだよ。この辺の勉強がしっかりできているかね。
君らの勝手な誤解は、政府の責任じゃない。世の中そんなに甘いもんじゃない。知ってるだろう。「自己責任」、「自助努力」だよ。私なんか、年金なんて当てにしていない。受給しているかどうかも自分じゃ知らない。
でもお分かりだろう。老後の暮らしの安心のために、気前よく年金の支払いを振る舞っていたら、たちまち年金制度そのものが成り立たなくなる。年金制度の維持が100年は安全のためには、「入るを量って出ずるを制す」が肝要なんだ。分かり易く言えば、「保険料を増額して、給付額を減額する」「負担増、受益減」ってことだ。
とどのつまりは、高齢者の生活を犠牲にして年金制度を守ろうということ。これって常識だろう。誰が考えても分かることだし、それ以外に、年金制度維持の方法があったら教えてくれ。
今の時勢を考えて見たまえ。保険料負担の現役世代がどんどん減っているのが現実じゃないか。「入るを量る」はたいへん困難だ。ならば、「出ずるを制す」に徹するしか方法はなかろう。
ところが、年金受給者世代が際限なく増えている。平均余命がどんどん延びているんだから、「出ずるを制す」の政策は一人あたりの年金支給額を減らという方法に落ちつくことになる。それだけの単純なロジックじゃないか。
手品じゃあるまいし、「保険料は減らせ」「年金給付は増やせ」なんて、身勝手なことができるわけはない。安倍晋三が、決算委員会で言ったとおり、そりゃ「バカげた政策」だ。「年金100年安心」のためには、「保険料は増やす」「年金給付は減らす」しかないんだよ。
マクロ経済スライドは、そのためのシステム。このご時世、マクロ経済が年金受給者に厳しく推移することは、誰の目にも明らかではないか。安閑と年金受給額を現状維持としていたら、年金制度が崩壊することは目に見えている。だから、経済の悪化にしたがって、年金額を自動的に減額するのが、マクロ経済スライドだ。合理的だろう。年金生活者の生活をカットして、年金制度を維持しようという優れものだ。
2004年は、小泉内閣のときだ。あのとき、安倍晋三は確か自民党幹事長。自公で、「年金100年安心」を吹聴した。でも、あのときから、今のご時世は見通せていた。問題は財源の確保だったんだ。なんと言っても、国庫負担の問題だ。
ここは、基本的な考え方の相違だ。もちろん、「税制による所得再分配機能を最大限発揮せよ」という野党の皆さんの、いつもながらの主張はあるだろう。決まり切ったフレーズとして、「大企業や富裕層への優遇税制を見直せ。負担増を求めよ」「軍事費削って、福祉にまわせ」ってね。
でも、もう、やれることはやった。給付財源の国庫負担分を、段階的に引き上げて3分の1から2分の1までにした。これで十分だろう。これ以上、国庫負担部分を増やすことは、財界がウンと言わない。何よりも、企業や富裕層の経営意欲に水を差すことになり、経済の活性化が失われる。だから、財源は、消費増税しかない。
金融庁金融審議会の報告書が「年金だけでは老後の資金を賄うことができないため、95歳まで生きるには夫婦で2000万円の蓄えが必要」と言って非難囂囂だ。非難の声が高いから、臭い物に蓋をした。政治家として、当然のことじゃないか。
ところがだ。「自公政権の国家的詐欺」だの、「国民に対する年金詐欺」だのとまことに評判が悪い。こんな悪口雑言が言論の自由として許されてよいもんかね。まあ、フランスや韓国や香港とは違って、日本人は行儀がよくて温和しいから安心はしているが、年金問題は選挙に響くところが頭が痛い。
ホンネのところ、言いたいのは次のことだ。
国民諸君よ、年金だけでは暮らせるはずがない。貯金も利息はないに等しい。だから、株に投資したまえ。さすれば、国民こぞっての株式市場参入が実現して、株価が大いに上がる。株価が上がっている限り、政権は安泰なのだ。
えっ? 株式投資のリスクが現実化したらどうなるか? 前にも言ったろう。そりゃ、自己判断・自己責任・自助努力の大原則だ。誰も、責任とってはくれない。世の中けっこう厳しいんだよ。甘えてくれるな。
(2019年6月17日)
安倍晋三がイランを訪問した。アメリカとイランの緊張が高まっている中での注目の外交ではあった。タイミングとしては上々の舞台設定。衆目の一致するところ、安倍はトランプの使いっ走りではあるが、それなるがゆえの期待もあった。
安倍とその取り巻きは、本日(6月14日)の各紙トップに、アベ外交成果の記事が躍っていることを夢みていたのかも知れない。アメリカとイラン、その間を取りもって平和的な解決への道筋をつけることができれば、それは明らかに評価に値する。しかし、夢は所詮夢でしかなかったようだ。本日の大ニュースは、むしろホルムズ海峡でのタンカー攻撃と被災だった。「首相訪問に冷や水」(産経)の文脈での報道。
トランプの、イラン核合意からの一方的な離脱と経済制裁は不可解千万。誰が見ても、真っ当な国のすることではない。イランの怒りはもっともというほかはない。ところが関係国のどこにも、アメリカをたしなめる権威がない。イラン核合意の当事国とは、P5(米・英・仏・露・中)と、ドイツ・EUである。このズラリ並んだ世界の大国が、トランプという粗暴な人物の粗暴な振る舞いを静止できないのだ。
そこで、関係国でない日本の、トランプの使いっ走りに期待が集まった。溺れる者にとってのワラの一本である。「もしかしたら、トランプは振り上げた拳の下ろしどころに苦慮しているのではないか」「面子を保ちつつ、イランとの関係修復の路を安倍に託したのではないか」という期待である。
しかし、この期待は空振りだった。仲介者が交渉をまとめるためには、交渉材料の仕込みが肝要である。反米感情沸騰のイランの指導者を宥めるだけの交渉材料。その「手みやげ」を秘めての外交ではないかとの期待だったが、裏切られた。安倍がトランプから、事前に何らかの譲歩の提示を託されたとは見えない。
アベに提灯の常連を除いては、安倍外交の成果についての大方の見方は厳しい。「失敗」「成果ゼロ」「いつもの、やってる振り」というあたりが常識的な見方。
毎日の評価は、「日本は対話の糸口を探ったが、『仲介』に向けた戦略は練り直しを迫られている。」 というもの。このあたりが穏当なところだろうが、実は練り直すべき、もともとの「戦略」があったとは考え難い。無手勝流で、取りあえず交渉してみたが、なんの成果もなく、初めて「戦略が必要」なことを悟った、というところではないか。要するに、手みやげなく、手ぶらの使いだったわけだ。
安倍の立場は、トランプのメッセンジャーボーイであって、それ以上でも以下でもない。安倍は、トランプと対決してトランプを説得しようとの気概はない。日本の首相の権威のないことを嘆かずにはおられない。
仮に、日本が真の平和国家としての信任を各国から得ていたとしたら…、いかなる国とも平等対等の平和外交を貫いていたとしたら…。日本の外交力は、もっと強力なものとなっていたはずではないか。
田中浩一郎・慶応大大学院教授(政策・メディア研究科)が、「イランの期待に応えず」として、毎日紙上に解説している。分かり易く、納得できる内容。とりわけ、イラン側からの見方が鮮明である。部分的に引用して、ご紹介しておきたい。
「イランは米国による経済制裁の影響で国内経済が厳しい状況に置かれており、日本に対して主要財源である原油の輸出を可能にしてほしいと期待していた。しかし、首脳会談後、記者発表をするロウハニ大統領の表情は硬く、事態が大きく動くようなことはなかったと思う。安倍首相も用意された文書通りに話している印象だった。」
「イランからすれば、勝手に核合意から離脱し国際秩序を乱しているのは米国だ。米国の言う通りの形で直接対話に応じることはない。しかし、経済的には苦境が続く。そうした状況下で得た機会が、今回の安倍首相の訪問だった。」
「根本的な問題に対処するなら、日本が米国との仲介役として、イラン側にも信頼を得ることだ。そのためには米国に核合意復帰を約束させることだが、それができない以上、米国が禁じたイラン原油の輸入を日本が続けることを通じ、日本の中立的な立場を明確にする必要がある。だが、今回、日本はそこまで踏み込めなかった。」
「もともと米国に対して厳しい姿勢を示しているハメネイ師を、日本が『手ぶら』で翻意させるのは無理だ。米国が一方的に振る舞っているのに、なぜそれに従わなければならないのかと思うのは、主権国家として当然だ。」
「日本の外交努力が今回限りではなく、継続するプロセスであることを示しておく必要がある。トランプ米政権の中でも特に強硬なボルトン大統領補佐官らに、『日本のようなイランと特別な関係を持つ国まで乗り出してきたのに、イランは交渉に応じなかった。外交の季節は終わり』と、軍事的な対応を始めるアリバイ作りに使われる危険があるからだ。」
一々、もっともである。「トランプと親密で、トランプと価値観を同じくし、トランプの手先に甘んじる外交」の功罪を、もっとリアルに見つめ直さねばならない。政権も、国民も。やがて、トランプが世界から指弾されて失脚する日が必ず来る。そのとき、日本もトランプの同類として指弾の対象とされてはならないのだから。
(2019年6月14日)
加計学園事件で、ダーティーなイメージをすっかりと定着させた国家戦略特区。久しぶりに、全国紙の一面に顔を出した。毎日新聞が、6月11日・12日と連続して問題の各事件をトップで報道した。
国家戦略特区問題とくれば、主役は常に諮問会議議長の安倍晋三である。が、このたびの毎日報道2事件の準主役は同一人物で、国家戦略特区諮問会議・ワーキンググループ座長代理の原英史である。
この人、元は通産官僚。2009年に退官して、2010年民間人の立場で雑誌『SAPIO』に連載した記事の表題が、『おバカ規制の責任者出てこい!』。いささか不真面目な物言いだが、この人の考え方も、この人を有識者委員に迎えた国家戦略特区の基本スタンスも察しがつこうというもの。
規制がおバカか、無理無体の規制緩和がおバカなのかが、今深刻な課題として、問われているのだ。
11日の記事は、見出しが「国家戦略特区 政府ワーキンググループ委員関連会社 提案者から指導料200万円 会食も」「外国人美容師解禁を巡る原氏と特区ビズ社の関係」という記事。
リードだけ引用すれば、下記のとおり。
「政府の国家戦略特区を巡り、規制改革案を最初に審査するワーキンググループ(WG)の原英史座長代理と協力関係にあるコンサルタント会社が、2015年、提案を検討していた福岡市の学校法人から約200万円のコンサルタント料を受け取っていた。原氏は規制緩和の提案を審査・選定する民間委員だが、コンサル会社の依頼で、提案する側の法人を直接指導したり会食したりしていた。」
12日の記事は、見出しが「政府、特区審査開催伏せる」「WG委員関与 HPと答弁書」というもの。
これもリードだけ引用すれば、下記のとおり。
「国家戦略特区ワーキンググループ(WG)の原英史座長代理が申請団体を指南し、協力会社がコンサルタント料を得ていた問題で、原氏と同社が関与した漁業法にかかわる規制改革案のヒアリング開催が、首相官邸ホームページ(HP)で伏せられている。政府は審査の透明性を確保するとして、提案者や規制官庁にヒアリングした日付・案件を公表しているが、今回の案件が掲載されていないのは提案者の要望を受け入れたとみられる。事実と異なるヒアリング件数の政府答弁書も閣議決定していた。」
ジャーナリズムの真骨頂は、権力に不都合な事実を洗い出し暴き出すところにある。毎日は、よく取材してこの任を果たした。これは、氷山の一角ではないのか。願わくは、各紙、各記者が、さらに徹底して追求して、ディテイルを明らかにしていただきたい。
問題の会社は「特区ビジネスコンサルティング」(略称「特区ビズ」、現在は商号変更して「イマイザ」)というのだそうだ。いかにもふざけた名称だし、「特区ビジネスコンサルティング」という業務の成立自体が胡散臭い。「この『特区ビズ』は、少なくとも15年3?12月は、原が代表を務める政治団体『土日夜間議会改革』と同じマンションの一室(東京都千代田区)に事務所を設置。一部のスタッフは団体と特区ビズの業務を掛け持ちし、電話番号も同じだった。特区ビズの社長は、政治団体の事務も担当していた」と報じられている。原は、毎日に反論をこころみているが、この点については否定していない。
また、「同社は15?16年、数十件の特区提案にコンサルタント業務などで関与。このうち少なくとも福岡市中央区の美容系学校法人が、日本の美容師資格を持ちながら国内で就労できない外国人を特区内で働けるようにする規制改革を希望し、同社にコンサル料を支払った。法人などによると14年11月以降、原氏らは法人側と福岡市内でたびたび面会。法人副理事長(当時)は原氏と市内のかっぽう料理屋で会食し、費用は法人が負担した。副理事長はコンサル料の支払いを認め、『特区ビズの方として原氏と会った。提案書の書き方を教わった』と語った。提案は15年1月、特区ビズ社名で内閣府に提出され、WGで審査中」という。この点についても、事実に争いはなさそう。
もう1件。12日報道の件はこんな内容だ。
「複数の関係者によると、この改革案は漁業法で制限されていた真珠養殖の規制緩和を求めるもので、2015年6月ごろ、関東地方の真珠販売会社が提案した。その際、原氏は同社に自身と協力関係にある『特区ビジネスコンサルティング』(特区ビズ、現在は商号変更)を紹介。特区ビズが提案資料を作成し、原氏もたびたび助言した。この規制改革案はその後、WGでの議論を踏まえ、昨年12月の漁業法改正で実現した。」
特区の設定とは、他にない特例を認めようというもの。行政に求められる公平性の原則をくずして、例外としての不公平取り扱いを認めることなのだ。そのような、原則を崩すだけの際だった合理性・必要性が求められる。他の件にもまして、手続の徹底した透明性の確保と、厳正厳格な公平性・中立性について国民の高度な信頼が求められる。
しかし、毎日の取材があぶり出した事実は、国民の疑惑を招くに十分である。あのアベの下で、またぞろ問題が出てきたと思わせる。これに対する原の反論は、「自分はカネをもらっていない」という弁明である。毎日は「原がカネを受けとった」とは言っていないのだが。
毎日は、取材対象の弁明についても、こう記事にしている。
「元経産官僚の原氏は、…毎日新聞の取材に『(同社に)協力はしているが(コンサル料は)知らない。会社と私は関係ない』と説明した。内閣府は『委員が提案者の相談に応じ、制度を紹介するのは通常の活動』としつつも、同社と原氏の関係は『事務局として承知していない』と回答した。」
ワーキンググループ幹部とコンサルの業者が、こんなにも一体となって、こんなにも親密にビジネスとしてほいほいと動いていることに、愕然とせざるを得ない。コンサルを求める方も、ビジネスチャンスを窺う利にさとい企業である。こんな環境でコンサルの業者が動けば、当然にカネも動く。一体となっている特区諮問会議委員にもカネにまつわる疑惑が生じるのは当然のことだ。
こういう話しは、なかなか外へは出にくい。特区ビジネスのクライアントとしても後ろめたい話で、積極的に語りたいことではない。カネが絡み、諮問会議の関係者が絡んでいればなおさらのことだ。ようやく氷山の一角が見えた貴重な事例。一事が万事、これがありふれた事態なのかと思わせる。まずは、行政や国会の場での、徹底した疑惑の解明が望まれる。
なお、規制改革を担当する内閣府特命担当大臣は、あの片山さつきである。片山さつき自身の問題については、2018年11月9日付けの当ブログをご覧いただきたい。
片山さん、ずさんで、でたらめ。めちゃくちゃじゃないですか。
https://article9.jp/wordpress/?p=11428
嗚呼、アベ内閣。あっちもこっちも、「ずさんで、でたらめ。めちゃくちゃ」だ。
(2019年6月13日)
なに? 前代未聞だと? ミゾユウの事態だって? な?に、いつものことだ。騒ぐほどのことではない。もっとも、「騒ぐほどのことではない」というしかない、が正確なところか。
私は政治家だ。政治家にとって大切なものは、真実でも事実でもない。票だ。選挙だよ。選挙でものをいうのは、幻想だ。何が真実であるかが問題ではない。選挙民に、真実らしく見えるものが何か。それだけが問題なんだ。こんなあたりまえのことが、キミたちにはわからんかね。
ダチョウという鳥があるだろう。危険が迫ると、砂の中に頭を突っ込んで自ら目隠しをするというじゃないか。ほんとかどうかは知らんが、よくできた話だ。私から見ると、選挙民も同じさ。少なくとも、我が党や友党支持の選挙民は。
目を開けるのは、安全を見て安心したいとき。危険は見たくない。不都合には目をつむる。これが私の支持者だ。だから、選挙民の望むように不安を取り除いてやればよいのだ。不都合な真実を取り除くのではない。目隠しすればよいだけのこと。それが、「年金不足・2000万円」の報告書不受理というわけだ。
申し上げたとおり、この金融庁の金融審議会が作成した報告書は、「世間に著しい不安と誤解を与えており、これまでの政府の政策スタンスとも異なりますので、正式な報告書としては受け取らない」んだ。これで、文句があるか。
えっ? 何が誤解かって? これまでの政府の政策スタンスとどう異なるのかって? 世間に与えた著しい不安は、真実が明らかになったからではないかだと? そんなことに、まともに回答していたら、ますます不都合な真実が明らかになってくるだろう。受け取らないと言ったら受け取らないんだ。同じ質問を繰り返すんじゃない。
えっ、なに? 「そもそも、受け取らないなんてことができるのか?」って。森羅万象を司っている内閣の一員である私が、「受け取らない」と言えば、結局はこんな報告はなかったことになる。それだけのことだ。
繰り返し申し上げるが、標準的な夫婦が年金受給を30年継続するとして、公的年金のほかに、「30年間で約2000万円が必要」というのが報告内容だが、このことが真実かどうかは問題ではない。参院選が近いだろう。こんな時期に、「不都合な真実」などは要らん。「不都合な真実」を前提の議論もまったく用がない。必要なのは、「100年安心」という年金制度のキャッチフレーズに、ひびを入れないという配慮だけだ。
最近の審議会は、政権に対する忖度が足りない。選挙間近のこの時期に、こんな答申出すことはないじゃないか。選挙が終わってから、出しゃあいい。トランプだって、安倍晋三との協議内容についての発表を、参院選終了までは伏せると配慮をみせているじゃないか。選挙後ならこんな答申問題にもならなかったのに。
なんだって、敵に塩を送るようなマネをするんだ。たとえば、9月10日参議院決算委員会での安倍晋三に対する小池晃質問だ。これじゃ安倍晋三形なしだ。赤旗が鬼の首を取ったようなはしゃぎようで、こんな風に報道している。これでは困るのだ。
「金融庁は、高齢夫婦の平均収入と支出の差は毎月5万5000円で、公的年金だけでは30年間で2000万円不足すると試算しています。小池氏は、政府がこれまで『厚生年金で必要な生活費はまかなえる』『100年安心の年金』などと宣伝してきたけれど、今回の金融庁の報告書でそれがウソだったことを『ある意味、正直に認めた』とただしました。安倍晋三首相は『国民に誤解や不安を広げる不適切な表現だった』と弁明しましたが、金融庁の試算自体は否定できませんでした。
小池氏は「『100年安心』といっていたのに、人生100年になったら『年金はあてにするな』『自己責任で貯金せよ』というのは国家的詐欺に等しいやり方だ」と批判。答弁に窮した安倍首相は「では、どうしたらいいというのか」などと激こうして繰り返すだけでした。」
赤旗はしょうがないとして、産経系のFNNまでがこんなことを言っている。これは困った。他は推して知るべし、だ。
加藤綾子キャスター:風間さん、麻生大臣が(報告書を)受け取らないってどういうことなんですか?
風間晋解説委員:政府にとって、不都合な真実が明るみに出てしまった報告書なんですよ。今までも年金だけではちょっと心配だよね、赤字だよねってみんな薄々勘付いてはいたわけです。ところがここに、長寿というか、政府が「人生100年時代」だって盛んに言い始めているわけじゃないですか。この赤字が人生100年と合体して『30年で2000万円足りない』という、数字としてはっきり出てしまった。だからインパクトが大きい。これはちょっとまずいということで、報告書はなかったことにしようとしていますけど、この状況は隠せないわけですよね。
加藤綾子キャスター:受け取らなくても、これは変わらないということですよね。
お分かりだろう。こんな報告、普通に受け取っちゃいかんのだ。難癖つけて、なかったことにしなければならない。えっ? かえって、目立つことになったって? やっぱり、私もダチョウになろう。砂の中に頭を突っ込んで目隠しだ。
(2019年6月12日)
こんなはずではなかったんだ。あ?あ、アタマが痛い。
どうせこの先、国民の信頼に応えて人気の出るようなことが出来るはずはない。私にそんな知恵はない。アベノミクスもメッキがはがれてきた。どうせジリ貧なんだから、選挙は早い方がいいに決まっている。でも、このまま選挙に突っ込んでも、ホントに勝てるか自信はない。
有利なタイミングを選んで解散権を行使できるのが私の強み。「国民に大きな負担をかけるだけの、大義のない解散はありえない」なんて意見もあるようだが、そんなバカげた妄言に耳を傾けるほど、私も甘くはない。
大義にこだわってタイミングを失すれば選挙は惨敗だ。大義があろうとなかろうと、選挙は勝つことだけが重要だ。解散の大義なんて取り巻き連中にひねり出させればよいだけのこと。私だって、そのくらいのことは分かっている。
太平洋戦争が絶望的な局面になっても、昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないと」とおっしゃった。国民がどんどん死んでいくあの時に、国体護持という大目標のために、きちんとこう言えるのだから、さすがにご立派な態度。私も真似をしなくてはと思う。「もう一度の戦果」を挙げてから解散して、総選挙に打って出なければならない。
「もう一度の戦果」は、内政ではボロばっかりだから、外交で点を稼ぐしかない。「さすが、外交のアベ」と国民を唸らせる成果が欲しい。それなくしては、解散もできない。憲法改正だってできないことになる。
「外交のアベ」のもくろみは、二つあった。一つは、北朝鮮との交渉による拉致事件の解決。もう一つは、ロシアとの平和条約を締結して、北方領土問題に道筋を付けること。どちらも、できたら素晴らしいのだが、できそうでできない。だんだんと、その難しさが国民の目に分かるようになってきた。だから、アタマが痛い。
前回の解散は一昨年(2017年)の9月、10月22日に総選挙だった。「国難突破解散」なんちゃって。北朝鮮の危機を煽りに煽って、そこそこ勝たせてもらった。今思い返すと、あんなに大袈裟に危機を煽って噴飯物だが、あのときは本当に北朝鮮様々だった。金正恩には足を向けて寝られないと思った。拉致問題なんて、アタマの片隅にもなかったが、今度はそうは行かないから難しい。
しょうがないから、今度は拉致問題で成果を出さなきゃならない。これまでは、戦略も戦術もなく、やみくもに制裁強化だ、圧力だと言って済ませてきた。しかし、現実に成果を出さなきゃならないとなると、これまでの無為無策が足枷になる。まあ、考えてみればあたりまえのことだがね。
で、しょうがない。みっともないけど、方針を変えた。「前提条件なしに、私自身が金正恩との会談を目指す」とね。自分でも、すこし態度が大きいかなとは思ったが、北朝鮮側の反応は予想以上に、嵩にかかったものとなった。「厚かましい」と言うんだ。「厚かましい」だよ。こう言われて、どうすりゃいいんだ。こりゃ、お手上げだ。あわよくば参院選との「同日選」とも思っていたが、とても間に合いそうもない。
6月28、29日に大阪で開かれるG20サミットではプーチンとの首脳会談が予定されている。これで、北方領土問題での起死回生のホームランが出なければ、「もう一度の戦果」はゼロだ。ずるずると、無条件降伏まで行ってしまった、1945年悪夢の再来ではないか。
ところが、これがまた難しくなった。プーチンが、「日露平和条約の締結問題について、『ロシアは条約締結を望んでいるが、日本と米国の軍事協力が締結を難しくしている』との認識を改めて示した」「沖縄の米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題を念頭に『地元住民や知事が反対しているのに建設が進んでいる』と指摘。日本の他の地域でも米軍施設が建設され、ロシアの安全保障に影響する恐れがあるとの懸念を示した」「難しいプロセスだ。すぐには解決できない」と言うんだ。何を今さら、とは思うけど、本当のことだから、反論できない。いや、困った。
結局、こういうことなんだろうな。
北方の4島でも、あるいは2島でも、日本に返還したとする。すると、直ちにアメリカの軍事基地が置かれることににもなりかねない。そういう懸念を払拭できない、と言うんだな。沖縄を見ろ、地元があんなに反対していても、辺野古の基地建設は、有無を言わせず強行されているではないか。日米安保条約は、全土基地方式と言うじゃない。「日米の軍事協力」が、北方領土問題解決のネックなんだ。沖縄で基地建設を強行したことが裏目に出てるんだ。
どうすればいいのだろう。「いっちょう、戦争でもやってみるか」なんてことは、維新の議員じゃあるまいし、口にできっこない。韓国とも、中国とも、北朝鮮とも、ロシアとも、外交みんなダメじゃん。化けの皮が剥がれつつあるのが、一番こたえる。
破れかぶれで、実はもう一つの試みがある。トランプの使いっ走りになって、イランへ行くっていうあれ。あんまり、大きなイベントではないけど、「外交みんなダメじゃん」の中で、一つくらいは成功させたい。トランプもイランも困り切っているようだから、もしかしたら、瓢箪から駒が出て来るかも知れない。そうすれば、大義があうがなかろうが、解散できるかも。いや、無理かな。
解散風、一度は吹かせてみたけれど、やっぱりダメかな。でも、この先、どうせジリ貧なんだから、やった方がいいのかな。グルグルと空回りするばかり。
あ?あ、アタマが痛い。
(2019年6月7日)
トランプが日本列島に不快な熱波を運んできた。暑苦しくて寝苦しくて鬱陶しくて、不愉快極まりない。
私は、長くアメリカの民主主義の伝統には、深甚の敬意を惜しまなかった。さまざまの欠点はあっても、学ぶべきところの多い国。近年その敬意は次第にしぼんではきたものの、オバマの時代まではかろうじて持ちこたえた。が、トランプの出現によって、アメリカに対する敬意はまったく消え失せた。こんな、知性を欠いた、自分勝手で粗暴な男が、世界の大国の大統領だという。危険極まりない。
日本はアベ。アメリカはトランプ。兄たりがたく、弟たりがたし。民主主義そのものに、懐疑的とならざるを得ない。
一昨日(5月25日)、江川昭子さんが「明日の国技館、せめて心ある相撲ファンの方による、短くていいから、力強い『Boo!』の一声が出るように祈りたい。」とツィートして、話題になっている。アベご一統は別にして、心ある人なら皆同じ思いだろう。
とは言え、レイシストでも粗暴でも国賓ではある。大国の現職大統領には違いない。それなりに、応接しなければならないという意見もあろう。その際には、面従腹背で行くしかない。たとえば、次のようにご挨拶を。
この度、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ閣下が、令夫人と共に、我が国を御訪問になりましたことを心から歓迎申し上げます。今宵、大統領御夫妻をこの晩餐会の席にお迎えすることができ、たいへん嬉しく思います。
つらつら思えば、我が国が、鎖国を終えて国際社会に足を踏み出したきっかけは、今から166年前の1853年、貴国の軍艦4隻が浦賀に来航して、いわゆる砲艦外交の威嚇をもって、開国・開港を迫ったからにほかなりません。
300年の平和を満喫していた我が国の民は、サスケハナを旗艦とする4隻の「黒船」の武力を恐れ、貴国をはじめとする世界の列強に屈しました。こうして、まずは翌年の1854年に、貴国との間で日米和親条約を締結し、次いで通商条約を締結しました。それ以来、我が国は、長く列強との不平等条約の撤廃に苦難の道を歩まざるを得ませんでした。
しかし、我が国は貴国から受けた仕打ちを教訓とし、立場を代えて近隣諸国に同様の仕打ちをすることに成功いたしました。こうして、我が国は世界の列強の仲間入りをするまでになりました。
これを快しとされない貴国とは、ついに戦火を交える関係となり、日本にも責任があるとは言え、貴国は日本の各都市に容赦ない空襲を重ねて国民を殺傷し、沖縄地上戦では10数万に及ぶ現地住民の犠牲を余儀なくさせ、さらには広島と長崎に史上初めての原爆投下までされました。
しかし、戦後、日米両国とその国民は、様々な困難を乗り越え、相互理解と信頼を育み、今や太平洋を隔てて接する極めて親しい隣国として、強い親分・子分関係の信頼の絆で結ばれております。
たとえば、一夜にして10万人の焼死者を出した1945年3月10日の東京大空襲。無辜の東京市民を徹底して焼き尽くす計画を練り上げた、カーチス・ルメイ将軍に対して、戦後の日本は最高の名誉ある勲章を差し上げて、その功績をねぎらっています。
日米の友好関係は、今や最高潮に達していると言って過言でありません。その象徴が、沖縄の辺野古新基地建設問題。地元の沖縄県民が、どんなに反対しようとも、日米両政府は固い結束のもと徹底して馬耳東風。いささかの痛痒もなく、動揺もありません。日本国政府が責任をもって貴国の軍事基地建設に余念がないのです。
このような関係を築いて参りました貴国に、私どもは、懐かしさと共に、特別の親しみを感じています。とりわけ、トランプ大統領と安倍首相。ともに、凡庸で国民からの信頼や尊敬とはほど遠い人物でも、現に一国のリーダーが務まるのだという実例をお示しになられて、多くの人たちに希望と親しみを感じさせていらっしゃいます。まことに慶賀なことと存じます。
日本は、今、緑の美しい季節を迎えています。もっとも、大統領御夫妻の御滞在の期間だけが、過去に例のない5月の熱波のようでございます。それでも、おやりになることは、ゴルフと相撲に炉端焼き。お遊びに来られご様子ですから、せいぜい楽しくやってください。
なお、まだ我が国にはカジノはございません。次回お越しの際には、良識ある国民の反対運動を蹴散らして、トランプ大統領に巨額の献金をされているあの業者のカジノができているかも知れません。それをお楽しみに、またぜひお越しください。
では、日米両国における似た者どおしの政権が一日も長からんことを祈念して杯を挙げたく思います。
(2019年5月27日)