澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「嘘つき内閣が嘘に嘘を重ねている」「ご意向内閣総辞職!」「改竄・隠蔽のアベやめろ!」

昨日(5月3日)の憲法記念日。各地の改憲阻止集会は、どこも意気盛んで大いに盛り上がったようだ。当面の課題は「アベ改憲」阻止だが、このような集会や行動の積み重ねは、当面の危機を乗り切る効果をもつにとどまらない。憲法の理念を国民の血肉として獲得する術となるのだ。その意味で、昨日は素晴らしい一日だった。

有明の中央集会のメインスピカーは落合惠子。参集の6万人にこう語りかけている。

「嘘つき内閣が嘘に嘘を重ねています。私たちはすでに知ってしまいました。安倍内閣は『総理のご意向内閣』ではありませんか。忖度がなければ維持もできない内閣ではありませんか」「彼らは福島を忘れ、沖縄を苦しめ、1機800億のイージスアショアなどを米国から喜々として買って国内では貧困率や格差を拡大している。戦争大好き内閣と呼ぶしかありません。公文書の改竄も隠蔽も何でもあり。何でもやるのが現内閣であり、やらないのは福祉と平和と命のためのしっかりした対策であると私は思います」

まったくそのとおりではないか。どの集会のどの発言者も、メッキが剥げて地金が露わになったアベ内閣の本質を衝いている。ジコチュー内閣、行政私物化政権、えこひいき首相、隠蔽・改竄・口裏合わせ、嘘つき・忖度総理…。実はそれだけではない。特定秘密保護法・戦争法・共謀罪そして、行き着く先がアベ改憲だ。だから、「安倍ヤメロ!」「総辞職!」なのだ。

「嘘つき内閣が嘘に嘘を重ねている。安倍内閣は『総理のご意向内閣』」。そこまで言われる内閣も珍しい。こう言われて、そのとおりだよなあと共感が広がる政権もまた珍しい。アベにもその取り巻きにも、怒る理由も気迫もないだろう。もう末期症状だ。「アベのいる内、3分の2ある内」が千載一遇のチャンスなのだから、アベの末期症状は、憲法の元気回復チャンスである。そして、アベ政治の臨終こそが、憲法の再生である。

全国津々浦々に「アベの嘘つき」「アベやめろ」の声が響いたに違いないが、昨日私が講演した立川の憲法集会もその一つ。「市民のひろば・憲法の会」は毎年憲法記念日に集会を開いて今年(2018年)が第32回。今年のタイトルが「やめよう改憲 生かそう平和憲法」というものだった。昨日も述べたとおりの熱気あふれた立派な集会だった。平和で豊かな社会を築くために憲法をどう生かすべきなのか、学び、考えようという気迫にあふれていた。

私の講演の前のプログラムが「朝鮮の楽器演奏と民族舞踊」。西東京朝鮮第一初中級学校(小学生・中学生)の部活動の成果の披露だという。みごとなもので、大喝采だった。

https://www.facebook.com/292497987574541/photos/pcb.992697737554559/992697444221255/?type=3&theater

憲法記念日の憲法集会に朝鮮学校の演舞。まことに時宜を得て結構なことではないか。国際協調、法の下の平等、民族差別の解消、教育を受ける権利、教育行政の責務…等々の憲法理念の実現の課題を考えさせる。このような懸命な子供たちの演技を見ていると国籍や民族などの違いはなんの障壁にもならずに、心の通い合いを感じる。伸びやかな子供たちの豊かな可能性に観客の心が熱くなる。

幕間に申俊植(シンジュンシク)校長が落ちついてコメントした。

「今の演技は、部活動としての民族舞踊の披露です。わが校は、民族教育の特徴はありますが、日本の小学校と特に変わった教育をしているわけではありません。
 地域の皆様にはご理解をいただけるよう努力をしているつもりですが、それでも先日、日本の中学校とのサッカーの対抗試合の際に、相手校の選手から『おまえら、みんなキンジョンウンなんだろう』と言われたという報告がありました。
 私は、腹を立てるのではなく、もっと私たちの日常を見てもらい理解していただく努力をしなければならないと思っています。たびたび、学校見学の日を設定していますが、その日に限りません。いつでもけっこうです、皆様どうぞ見学にお越しください。私自身も授業をもっています。どんな授業を行っているか、ぜひごらんいただきたいと思います。そのようにして、私たちも地域の一員であることにご理解をいただきたいのです」

堂々と立派な、共感を呼ぶ挨拶だった。 **************************************************************************
昨日の集会後、実行委員を中心に20人余りの人々の交流会がもたれた。お茶とお菓子、参加費300円の交流会で、多彩な人々の熱い思いが語られ、貴重な時間となった。

その交流会の際に、内閣総理大臣の衆議院解散権の行使に制約が必要ではないか、党利党略の随時解散権など認めるべきではないとの話題が出た。

解説を求められて、戦後の解散が憲法69条によらずに、7条3項による解散として実務が定着していること。「7条解散は違憲」と提訴のあった苫米地事件で、最高裁大法廷は統治行為論で判断を回避し、結局7条解散にお墨付きを与えることとなったことは解説し、英国の法改正についても触れたが、「その余の各国の制度については調べて当ブログでお返事する」こととした。以下がその回答である。

《アメリカ》上院・下院とも、制度上解散がない。したがって、大統領の解散権もない。

《ドイツ》
上院に解散はない。下院では、首相の信任投票が否決された場合にのみ、首相が解散権を行使できる。留意すべきは、内閣の不信任決議は同時に後継首相を決定しなければならない制度となっており、解散理由とはならない。

《イギリス》
2011年に「固定任期議会法」が成立し、首相による下院の解散権行使というシステムは大きく制限された。議員の任期5年固定を原則とし、解散には下院議員の定数の3分の2以上の賛成が必要となっている。

《フランス》
大統領は、首相及び両議院議長の意見を聴いた後、国民議会を解散できる。

《オーストラリア》
上下院とも、首相がいつでも解散することができる。

《カナダ》
下院は首相がいつでも解散することができる。

(2018年5月4日)

憲法記念日に平和的生存権を語る

2018年5月3日。日本国憲法施行から71年目となる憲法記念日。アベ改憲策動のせめぎ合いの中でこの日を迎えている。改憲派・改憲阻止派ともボルテージは高いが、公平に見て改憲阻止派の勢いが圧していると言って差し支えなかろう。

本日の両勢力のメインとなる集会について、毎日新聞は次のように伝えている。
改憲を目指す「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のフォーラムには約1200人(主催者発表)が参加。安倍晋三首相のビデオメッセージが流され、気象予報士でタレントの半井小絵氏が「北朝鮮の核・ミサイル開発など危機的な状況にもかかわらず、国会では大切な議論が行われていない」と述べた。

改憲反対の署名活動を展開する護憲団体などの集会では、野党4党トップも演説。約6万人(主催者発表)が参加して安倍政権退陣を訴え、和光大の竹信三恵子教授は「平和ぼけという言葉があるが、憲法のありがたみが分からなくなっている」と警鐘を鳴らした。

本日の朝刊各紙の社説のタイトルを並べてみよう。
朝日新聞 「安倍政権と憲法 改憲を語る資格あるのか」
毎日新聞 「引き継ぐべき憲法秩序 首相権力の統制が先決だ」
日本経済新聞 「改憲の実現にはまず環境整備を」
読売新聞 「憲法記念日 自衛隊違憲論の払拭を図れ」
産経新聞 「憲法施行71年 『9条』では国民守れない 平和構築へ自衛隊明記せよ」
東京新聞には本日社説の掲載はない。が、一面トップの大見出しが「9条 世界の宝」である。社会がもっている各紙のイメージどおりの内容の社説となっている。

朝日・毎日・共同の各世論調査が、いずれも安倍政権下での改憲には、過半数が反対している。そして、安倍政権がなくなれば、改憲は遠のくことになる。「アベのいるうち、各院に3分の2の改憲議席があるうち」。これが、千載一遇の改憲のチャンスなのだ。

昨日(5月2日)発表の朝日の調査の一節。
今回の憲法に関する全国世論調査(郵送)では、2020年までの改憲をめざす安倍晋三首相と国民との隔たりがはっきり表れた。国民が求める政策優先度でも「憲法改正」は最下位。安倍首相は「新しい時代への希望を生み出すような憲法を」と語るが、その意気込みは国民に広く伝わっていない。
◆次の政治課題の中で、あなたが安倍首相に優先的に取り組んでほしいものに、いくつでもマルをつけてください。
景気・雇用      60
高齢者向けの社会保障 56
教育・子育て支援   50
財政再建       38
震災復興       34
外交         23
安全保障       32
原子力発電・エネルギー16
憲法改正       11
その他・答えない    4

朝日が9項目上げた政治課題の中での最低の数字。しかも、「いくつでもマルを付けてください」に、わずか11%の選択。「景気・雇用」「 高齢者向けの社会保障」「教育・子育て支援」が国民にとっての最優先課題であるのに比して、「憲法改正」は最劣後課題と言ってよい。「アベのいるうち」でなくては、改憲問題が喫緊の政治課題になるはずはないのだ。

また、産経新聞・阿比留瑠比(論説委員兼政治部編集委員)の署名記事が興味深い。「国会は国民の権利を奪うのか 憲法改正の時機を失っては悔やみきれない」と題するもの。

同記事は、こう言う。

「そもそも、国会でかつてなく改憲派・改憲容認派の議員が多い今は、千載一遇のチャンスである。与党内からは『国民世論が盛り上がっていない』という声も聞くが、国会が論議をリードしなければ、世論が高まるきっかけも生まれない。」「ポスト安倍候補に挙げられる政治家の中に、安倍首相ほど憲法改正に意欲を示す者はいない。安倍政権のうちにやらなければ、もう憲法改正はずっとできないというのは、衆目の一致するところである。この機を逃して、自民党はいつ『党の使命』を果たすつもりなのか。今やらなければ、長年にわたり、『やるやる詐欺』で有権者をたばかってきたといわれても仕方がないだろう。」「もちろん、改憲を使命とする自民党と長く連立を組んできた公明党にも、議論を前に進める義務と責任があるのは言うまでもない。」

?「現行憲法は施行71年を迎えたが、この間、国会は一度も改正の発議をしていない。従って国民は、憲法に関して意思表示をする機会を、今まで全く与えられてこなかった。憲法は改正条項(96条)を備えており、社会の必要や時代の要請に応じた改正を当然の前提としている。そして国会が発議した改憲案に対し、是非の意思表示をするのは国民の権利であり、その機会はつくられてしかるべきだ。憲法改正の国民投票が実施されれば、独立後初めてのことであり、画期的な意義を持つ。」「自民党をはじめとする国会の不作為でその時機を失うことがあれば、悔やんでも悔やみきれない。」

「アベのいるうち、3分の2の議席があるうち」が千載一遇のチャンスとの認識のもと、改憲世論が盛り上がらないことを焦りもし、嘆いてもいるのだ。

私には、「他人の嘆きは蜜の味」という趣味はない。が、産経の焦りや嘆きを、人権や平和への朗報と認識する理性は持ち合わせている。

本日は、有明に参集の6万人の内の1人にはならなかった。 立川の柴崎学習館で行われた憲法集会に招かれた。「やめよう改憲 生かそう平和憲法」というメインタイトル。例年続けて、32回目となる地域の「手作り憲法集会」。参加者は200人弱といったところ。熱気のあふれる立派な集会だった。

私は、求められたタイトル「憲法を支える平和的生存権」での2時間余の講演。いささかくたびれた。
以下は、レジメの一部
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第1 憲法記念日にちなんで
1 日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続によって成立している。
主権者が、国民投票という形での直接の関与をしていない。
2 第90帝国議会が日本国憲法の制憲議会となった。貴衆両院の審議を経て46年10月29日枢密院が「修正帝国憲法改正案」を可決。同日、天皇がこれを裁可した。その後、11月3日(明治節)を選んで、国民主権を明記した日本国憲法を、旧主権者である天皇が公布した。
その日天皇(と妻)が出席した「日本国憲法公布記念祝賀都民大会」開催。
3 その6か月後の47年5月3日、日本国憲法施行。皇居前広場で「日本国憲法施行記念式典」開催(天皇出席)。官民あげての祝賀ムード。翌年から5月3日は国民の祝日・憲法記念日(「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」)とされている。
4 戦後の「逆コース」以来、政権を担う陣営が憲法に冷淡で「改憲」を掲げ、野党陣営が「改憲阻止」「護憲」のスローガンを掲げる図式が定着。改憲(阻止)問題は、一貫して、最大級の政治課題となってきた。
5 天皇制の残滓が染みついている憲法だが、まぎれもなく人権尊重・国民主権・平和主義に立脚した普遍性をもつ現代憲法。これを後退させてはならない。
6 日本国憲法は「勝ち取った憲法」と「与えられた憲法」の両側面がある。権力側からの改憲策動に抵抗する国民運動の積み重ねが、徐々に日本国憲法の「勝ち取った憲法」としての側面を拡大しつつある。

第2 日本国憲法が危ない(改憲スケジュールの現段階)
1 これまでも、憲法の危機は何度もあった。
憲法敵視の保守政権が続く限り、革新派が「護憲派」となる「奇妙な」構図。
(自民党は、立党以来「自主憲法の制定」を党是としている)
そのたびに、国民は改憲を阻止することで、憲法を自らの血肉としてきた。
(日本国民は、日本国憲法制定に際して国民投票をしていないが、権力に抗して、70年余これを守り抜くことで、日々、自らの憲法として獲得してきた)
2 今回の「安倍改憲」は、前例のない具体的スケジュールをもっての改憲案。
◎手続的法制が整備されている。国民投票法・国会法の改正済み。
⇒参照・別添資料? 「改憲手続き法(概要)」
同   ? 「改憲手続き概要図」
◎両院とも「改憲派」の議席が、3分の2を超えている。
◎「アベのいるうち」、「3分の2の議席あるうち」が千載一遇のチャンス。
(つまり、「アベの退陣」「国政選挙の護憲派勝利」が改憲を阻止する鍵)
3 経過
※2017年5月3日 右翼改憲集会へのビデオ・メッセージと読売紙面
「アベ9条改憲」提案 9条1項2項は残して、自衛隊を憲法に明記。
その種本は、日本会議の伊藤哲夫「明日への選択」論文。
「力関係の現状」からの現実性ある提案というでなく、
意識的に「護憲勢力の分断」を狙う戦略的立場を明言している。
「自衛隊違憲論派」と「自衛隊合憲(専守防衛)派」の共闘に楔を。
実質的に「自衛隊違憲論派の孤立化」が狙われており、警戒を要する。
※同年12月20日 自民党 憲法改正推進本部とりまとめ
改憲4項目 「9条改憲」「緊急事態」「参院合区解消」「教育の充実」
⇒参照・別添資料? 「法律家6団体声明(抜粋)」
※自民党憲法改正推進本部・3月14日役員会
細田博之本部長は9条2項(戦力不保持)を維持、削除・改正する七つの条文案を提示。
▼現行9条
1項 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄
2項 陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権を認めない
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▽2項削除案
(1)総理を最高指揮官とする国防軍を保持(9条の2)
(2)陸海空自衛隊を保持(9条2項)
▽2項維持案(自衛隊を明記)
(3)必要最小限度の実力組織として、自衛隊を保持(9条の2)
(4)前条の範囲内で、行政各部の一として自衛隊を保持(9条の2)
(5)前条の規定は、自衛隊を保持することを妨げない(9条の2)
▽2項維持案(自衛権を明記)
(6)前2項の規定は、自衛権の発動を妨げない(9条3項)
(7)前2項の規定は、国の自衛権の行使を妨げず、そのための実力組織を      保持できる(9条3項)
※以上の(3)案が最有力とされたが、この日細田本部長一任取り付けに至らず。3月22日までに、(3)から、「必要最小限度の実力組織として」を削除した案で一任取り付けとの報道。しかし、党大会での発表に至らず。
※予定では、3月25日自民党大会までに「改正原案」自民案を党内一本化
その後に、改憲諸政党(公・維・希)と摺り合わせ? →改正原案作成
今通常国会(6月20日まで)に原案発議⇒18年末までに改正案発議。
⇒19年春国民投票⇒20年のオリンピック開会までに改正憲法施行。
※改憲派の思惑のとおりには、進行していない。
アベの求心力弱体化で、3月25日自民党大会条文化は不発。
※国会での手順は、
衆院に『改正原案』発議→本会議→衆院・憲法審査会(過半数で可決)
→本会議(3分の2で可決)→参院送付→同じ手続で可決になると
『改正案』を国民投票に発議することになる。
60?180日の国民投票運動期間を経て、国民投票に。
国民投票運動は原則自由。テレビコマーシャルも自由。
有効投票の過半数で可決。
※19年の政治日程は詰まっている。
統一地方選挙・元号発表・天皇退位・次期天皇の即位の礼・大嘗祭
・参院選(7月)・消費税値上げ。
※今が、勝敗を分ける運動のときだと思う。
19年4月までに国民投票を実施させないためには、3000万署名の成否が鍵。そして、参院選に護憲野党の選挙共闘が3分の1を超す議席を獲得すれば、アベ改憲の当面の危機は乗り切ることになる。

第3 憲法記念日に平和的生存権を語る
1 日本国憲法は平和憲法である。
9条だけではなく、前文から本文・補則の103条まで、丸ごと平和憲法である。過ぐる大戦における惨禍を繰り返さないという決意から生まれた。加害・被害両面の責任の自覚と反省から、戦争と軍備を放棄しようと決意した。
再び負けない強い国家を作ろうという「反省」ではない。
「平和を望むなら戦争の準備をせよ」という思想をとっていない。
2 日本国憲法の構造は、人権保障を基軸に組み立てられている。
近代憲法は「人権宣言(人権カタログ)」の章と「統治機構(制度)」から成る。人権こそが根源的な目的的価値であり、その他は手段・手段的価値と言ってよい。個人の尊厳を価値の根源とし、国家の制度は人権侵害のないよう設計されている。(個人主義・自由主義が根幹で、国家主義・全体主義を排斥している。)
※三権分立とは権力の集中強大化を防止して人権侵害を予防する基本原則。
※信教の自由という人権を保障するために、政教分離という制度がある。
※学問の自由という人権を保障するために、大学の自治という制度がある。
※言論の自由という人権保障のために、検閲の禁止という権力への命令がある。
3 平和も手段的価値であって、人権としての平和的生存権こそが目的価値ではないか。
平和を制度の問題ととらえるのではなく、国民一人ひとりが、平和のうちに生きる権利をもっていると人権保障の問題として再確認する。
※前文第2段落末尾に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。これを人権保障規定として読み直そうという、先進的憲法学者からの提案。
4 平和を制度の問題とすれば民主的手続によって具体化すべき課題となり、国民個人は選挙を通じた間接民主主義の土俵でしか、関与し得ないことになる。しかし、平和を人権の問題とすれば、民主的手続(≒多数決)によって個人の平和に生きる権利を侵害することは許されない。
5 平和的生存権の、主体、客体、内容、外延はいまだ定まっておらず、生成途上の基本権と言ってよい。これを裁判規範として活用し、政府の戦争政策を法廷活動でストップさせようという試みが、果敢に繰り返されている。
⇒参照・別添資料? 「イラク訴訟名古屋高裁判決(抜粋)」
類似のものとして、首相の靖国参拝や、公的行事としての大嘗祭を差し止めの根拠として、宗教的人格権の構想が用いられている。

第4 「ピースナウ・市民平和訴訟」の経験
1「湾岸戦争」への日本の加担と平和訴訟の概略
1991年1月17日、アメリカを中心とする多国籍軍はイラク軍に対する攻撃を開始した。「砂漠の剣」作戦と名付けられた爆撃と地上戦。これが「湾岸戦争」の始まりとなった。
日本はこの戦争に戦費負担で加担した。90億ドル(当時のレートで約1兆1700億円)の支出は多国籍軍総戦費の2割に当たる巨額。次いで現地への自衛隊機派遣の動きが報じられ、戦闘終熄後にはペルシャ湾まで自衛隊掃海部隊を派遣した。
アメリカが主導する戦争への事実上の参戦である。平和憲法のもとでは許されるはずのない政府の行為を「平和的生存権」を根拠に、訴訟で阻止したいと考える人々が各地で原告団を作り、その総数は3000人を超えた。その中で、最も大きなものが「戦争に税金は使わせない・ピースナウ市民平和訴訟」グループで、東京(原告1067人)・大阪(原告420人)・名古屋(原告542人)・鹿児島(原告2人・本人訴訟)の5地裁に「ピースナウ市民平和訴訟」を提起し訴訟と運動を連携しながら進行した。私は、東京地裁提訴事件の弁護団事務局長を務めた。その他のグループとして、大阪地裁「掃海艇派遣違憲訴訟」(原告212人)、福岡地裁「掃海艇入港住民訴訟」の本訴があり、これとは別に各地に差し止め仮処分の申立があった。
その後、この一連の訴訟を担った人々が「カンボジア派遣違憲訴訟」(大阪)、「PKO違憲訴訟」(東京・名古屋)、「ゴラン高原PKF違憲訴訟」(東京・大阪)、「思いやり予算違憲訴訟」(東京・大阪)、「テロ特措法違憲訴訟」(さいたま)などを提起した。さらに、イラク戦争開戦時には各地でイラク派兵差止訴訟が提起され、名古屋高裁が傍論ではあるが違憲の判断をした(2008年4月17日)ことが記憶に新しい。
さらにいま、全国各地(24地裁)に安保法制違憲訴訟が提起されて、平和的生存権活用の動きが継承されている。

2 「市民平和訴訟・東京」経過の概要
全訴訟の中心となった東京訴訟は、1991年3月4日原告571名が第一次提訴をした。弁護団は88名を数えた。当初通常部の民事13部に配点され、民事2部(行政部・涌井紀夫裁判長)へ回付された。
請求の趣旨は下記のとおりで、国を被告とする民事訴訟としての、「自衛隊機の派遣」差し止め(但し、結局派遣は回避された)請求と国家賠償請求訴訟であって、行政訴訟ではない。
「1 被告国は、湾岸協力会議に設けられた湾岸平和協力基金に対し90億ドル(金1兆1700億円)を支出してはならない。
2 被告国は、「湾岸危機に伴う避難民の輸送に関する暫定措置に関する政令」に基づいて自衛隊機及び自衛隊員を派遣してはならない。
3 被告国は、原告らそれぞれに対し各金1万円を支払え。」
同年4月23日の第二次提訴(原告277名)で、「掃海部隊派遣差止等請求」事件となった。請求の趣旨の概要は以下とおりで、行政訴訟ではない。
「1 掃海部隊派遣差し止め
2 原告一人につき1万円の慰謝料請求」
第三次、第四次提訴は、国家賠償請求だけ、全部併合されて原告総数1067名になった。
差し止め対象の戦費支出が完了し、掃海部隊が派遣先から帰国した後、請求の趣旨を変更して、請求は次の二項目になっている。
1 90億ドルの支出と掃海部隊派遣の違憲違法確認請求
2 一人1万円の損害賠償請求
計20回の弁論を経て、しかるべき証人調べも原告本人尋問も行ったが、敵性証人の採用はなかった。96年5月10日に判決が言い渡され、違憲違法確認請求は却下(門前払い)。国家賠償請求は棄却された。
これを不服として控訴したが97年7月15日控訴棄却の判決となった。
上告の是非については意見が分かれ、多くは断念したが、56名が上告。98年11月26日上告棄却の判決があって、事件は全部終了した。

3 訴額問題「3兆4千億円の印紙を貼れ」
本件では、提訴後第1回弁論以前に、訴額と印紙問題が大きな話題となった。
訴状には、裁判所を利用する手数料として、訴額に応じて所定の印紙を貼付しなければならない。担当裁判所から弁護団に訴額についての意見照会があった。弁護団から、裁判所の意向を打診すると驚くべき回答があった。
裁判所は自らの見解を表明して、訴額は「原告各自について90億ドル」、全体は「その合算額」(90億ドル×571人分)と言った。原告571人の訴額合計を、なんと685兆円とし、訴状に貼付すべき印紙額は3兆4260億円とすべきではないか、としたのだ。
司法の年間総予算が2500億円の規模であった当時のこと。試算してみたら、10万円の最高額印紙を東京ドームの屋根全面に貼り尽くして、まだ面積が足りない額なのだ。これは格好のマスコミネタとなった。
厳しい世論からの批判を受けて、裁判所は態度を軟化。大幅に譲歩して、267万9000円の印紙の追貼命令を出した。差し止めの訴額については、算定不能の場合に当たるとして一人90万円とし、これに原告数を乗じての計算。弁護団は予定の対応として、前記一次訴訟の請求の趣旨1・2項の差し止めにつき二名だけを残して、その余の原告は差し止めを取り下げた。二名を除く他の原告は国家賠償請求だけにしたわけだ。これは必要に迫られて編み出した現場の知恵で、「代表訴訟方式」などと呼んだ。
結局、この対応で印紙の追貼納付は、4000円だけでことが収まった。3兆円から4千円に、壮大なダンピングだった。第二次訴訟についても差し止め請求は二人だけ、あとは国家賠償請求と、同様の手続きとした。
この件は、その後の司法改革論議の中でも話題となっている。

4 後日韓国憲法裁判所訪問の際に、類似の訴訟提起がなされたことを知った。10万人を超す原告数で手数料は無料という。事情を説明した最高裁の判事が、「原告たちは違憲の行政を正そうという有益な行為を行っているのですから」と言ったのが印象的だった。
なお、当時韓国でも平和的生存権の思想と実務での活用があることを知った。「9条をもたない韓国憲法」下の平和的生存権は、個人の尊厳条項から導かれており、一部認容されている判決もあるとのことだった。

5 平和的生存権の構成
※裁判規範性有無の論争
長沼ナイキ訴訟一審判決が訴えの利益の根拠として裁判規範性を認めた。
その後は、2008年4月27日、名古屋高裁民事3部(青山邦夫裁判長)において、
個人的には極めて貴重な経験だった。9条についても、平和的生存権についても、三権分立の構造についても、考えさせられた。法廷と運動の結合、毎回の法廷をどう演出するか、平和的生存権とは何か、三権分立の理念、素晴らしい証人尋問・原告本人尋問…。
しかし、その限界についても考えざるをえなかった。

6 内部的議論の数々
☆原理的に司法で解決すべき問題か。あるいは、司法解決に馴染む問題か。
☆請求権は何か。
平和的生存権とは、具体的な給付請求権たりうるのか。
人格権で政府に対する作為・不作為の請求が可能か。
☆違憲国賠訴訟の共通の悩み→主として宗教的人格権
法的保護に値する利益の侵害があったといえるか
☆現職自衛隊員が原告となった安保法制違憲訴訟(自衛隊員の「予防訴訟」)における控訴審で訴の利益を認めた東京高裁第12民事部の判断。
(2018年5月3日)

わたしはふしぎでたまらない ― どうして退陣しないのか

本日(5月2日)の毎日新聞「みんなの広場」(投書欄)に、「歯止めかからぬ支持率低下」と題した意見が寄せられている。長崎県諫早市の麻生勝行さん(77)からのもの。

ご意見の要旨は以下のとおり。
「これほどまでに疑惑にまみれてしまった安倍政権。国民の批判は高まるばかりだ。どうして退陣しないのだろうか。」「安倍晋三首相には政治的良心や適切な判断力が欠如しているようにしか思えない。」「森友学園疑惑、加計学園問題、自衛隊の『日報』隠しなど、隠蔽や改ざんのオンパレードである。どれ一つとして国民が十分に納得できる説明をしていない。誠実な正しい政治をしていないのだから、国民を満足させる答弁ができないのは至極当然である。」「全国世論調査によると安倍内閣の支持率は30%で不支持は49%。支持率の低下傾向に歯止めがかからない状況だ。安倍首相は勇気を持って退陣すべきではないか。」

まったくおっしゃるとおりではないか。
政治の現状 森友、加計、『日報』、隠蔽や改ざんのオンパレード
政府の対応 国民が納得できる説明をしていないし、できない。
その原因  安倍首相に、政治的良心や適切な判断力が欠如していること。
国民の反応 歯止めかからぬ支持率低下
投書者意見 首相は勇気を持って退陣せよ

良識ある国民の多くが同じ気持ち、同じ意見だと思う。とりわけ、「安倍首相には、政治的良心や適切な判断力が欠如している」との指摘には、深く頷かざるを得ない。安倍政権の早期退陣要請は、もはや天の声である。

ところで、この投書には金子みすゞの「ふしぎ」という詩が引用されている。
「わたしはふしぎでたまらない、
  黒い雲からふる雨が、
  銀にひかっていることが。」

投書者は、安倍首相やその取り巻きたちの、政治的良心を欠いた醜悪さを「黒い雲」と受けとめている。その醜悪な「黒い雲」政権が行う、黒く醜い諸政策が、国民の眼前に現れるときには、必ずしも「黒い雲」から落ちてくる「黒い雨」として見えるわけではない。取り繕われ、粉飾されて「銀にひかって見える」のだ。あたかも、美しい銀の雲から降ってきたものの如くに…。このことが金子みすずの言葉を借りて、「ふしぎでたまらない」と語られている。

投書者の思いは、こうであろう。
眼前に銀色に美しく光って見える雨に欺されてはいけない。いまようやく、多くの人の力で、政権の醜悪さが明らかとなった。だから、力を合わせてこの政権を退陣に追い込まねばならない。

なお、みすずの詩は、次のように続く。
  わたしはふしぎでたまらない、
  青いくわの葉たべている、
  かいこが白くなることが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  たれもいじらぬ夕顔が、
  ひとりでぱらりと開くのが。
? 
  わたしはふしぎでたまらない、
  たれにきいてもわらってて、
  あたりまえだ、ということが。

一節、投書者の思いを付け加えよう。
  わたしはふしぎでたまらない、
  良心欠いた政権がこれだけみんなに叩かれて
  それでも退陣しないのが。

もう一節。
  わたしはふしぎでたまらない、
  うそにまみれた内閣に30%の支持がある、
  どこのどなたのご冗談。
(2018年5月2日)

朝鮮半島の平和は困る ― 9条改憲の好機を逃してしまいそう

最近、鏡に映る自分の姿がどうもはっきりしない。後ろの壁がぼんやりと透けて見えるんだ。久しぶりに陽の当たる道を歩いてみたら、自分の影だけが妙に薄いことに気がついた。こんなこと、以前にもあったっけ。そうだ、2007年夏に第1次アベ政権が崩壊したあのあたりのことだ。また胃が痛い。いや腸がキリキリと痛んできた。

内政外交とも八方ふさがりだ。森友・加計・南スーダンだけでない。イラク日報、財務省セクハラ問題で、内政は最悪だ。嘘つき内閣・改ざん政権・公私混同首相・行政私物化総理とさんざんだ。「アベ・やめろ」とうるさくてならない。こんなにまで言われる私には人権はないとでもいうのだろうか。とりわけ、右腕と便りにしてきた麻生さんが、セクハラ次官をかばって火だるまだ。それに、元首相秘書官だった柳瀬が国会で洗いざらいしゃべったら私はいったいどうなることか。どちらも気が気でない。

これまでは、内政の失敗を外交で挽回してきた。安倍得意の外交とさえ言われてきたが、そのメッキが完全に剥げ落ちてしまった。北朝鮮問題こそが私の独壇場だった。トランプ政権と一緒に、ヒトツオボエで「圧力・圧力」「最後までアツリョク」と言ってりゃよかったのだから、楽なもんだった。それで、選挙に勝てたのだから、北朝鮮様々だ。南の文政権に出過ぎたことをするなと釘を刺す役を馬鹿正直に務めていたんだ。

ところが、なんてこった。トランプの奴め、こっそり北と水面下の対話を進めていたんだ。アベの面子など眼中になく、「国際信義よりは中間選挙ファースト」と言うことだった。これまでトランプを「一貫して支持」し、「日米は100%共にある」と繰り返してきたことが、われながら情けなくも恥ずかしい。トランプも金正恩も馬鹿ではなかった。馬鹿を見たのは、私ばかり。今や、トランプが上機嫌で、「南北対話を100%支持する」「アメリカとそのすべての国民は今、朝鮮半島で起きていることをとても誇りに思う」なんて言っている。文在寅の株が大いに上がった。トランプは抜け目なく、習近平まで持ち上げている。私の面目は丸つぶれじゃないか。

さりとて、スネ夫の宿命としてジャイアンには逆らえない。トランプには「拉致問題をよろしく」って、辞を低くしてお願いするしかない。そのお願いはトランプにだけじゃない。南北会談の設定で意気揚々の文在寅にも、頭を下げるしかない。これまで、「最終的かつ不可逆的な合意と言ったろう」などと居丈高な物言いをしてきたように思うんだが、あれは夢の中のことだったのか。

トランプには、頻繁に電話をして日米の緊密をアピールするしかないが、奴はその電話の最中に、ツイートを発信していることがあとになって分かった。私だって、一国の首相だ。あまりに無礼な態度だとは思うが、抗議もできないことがなんとも歯がゆい。

そんなことから、南北会談の前には、「拉致問題が前進するよう、私が司令塔となって全力で取り組む」と言ってみたし、事後には「南北首脳会談はわれわれが決めていたラインにのっとって行われたことが確認できた」と虚勢をはってもみたんだ。こう言わざるを得ない私の立場は、支持者の右翼の諸君には理解も同情もしてもらえるだろうという読みでの発言。右翼以外の「あんな人たち」や「こんな人たち」には、さぞやバカにされることになるんだろうな。だから、キリキリと腸が痛い。

関係国は、みんなそれぞれ主体的に問題に関わっている。中朝首脳会談を皮切りに、南北会談、そしてもうすぐ米朝会談だ。日本だけが蚊帳の外。私の影がうすーくなっている。何とか蚊帳の中に入れてくださいと言わなきゃならないのが癪のタネ。拉致問題の解決には、ピョンヤンに行かねばならないのだが、気が重い。腰も重くなる。うまく行くだろうか。なんと言っても、植民地支配の清算ができていない相手だ。どんな条件を持ち出されることになろうやら。「最終的かつ不可逆的」などと一方的に言って通じる相手ではなさそうだ。

何よりも、思惑外れは北の核やミサイルについての態度の豹変だ。これには心底困った。昨年10月の総選挙は、「国難選挙」と名付けて闘うことができた。与党が勝てたのは、核やミサイルで挑発的な姿勢をとり続けた北朝鮮のお陰だ。Jアラートは頼もしい武器になった。ところがどうしたことだ。南北会談で一気の平和ムードだ。これでは、軍拡の口実もなくなる。防衛予算の拡大もできない。9条改憲進展も棚上げになってしまうではないか。下手をすると、国民世論は、「安倍こそ国難」と盛り上がりかねない。

今こそ、自衛隊増強と改憲の絶好の機会だったはずではないか。「アベのいるうち」「両院の改憲派議席が3分の2あるうち」が千載一遇のチャンスだったはず。このままでは、みすみすとその好機を逃してしまいそうだ。何とかしなければならないが…、よい考えも浮かばない。ああ、腸がキリキリ痛むばかりだ。これが、断腸の思いというものだろうか。
(2018年4月30日)

アベ改憲策動の現段階 ― 改憲阻止に楽観論と慎重論と

自民党の改憲策動は今どうなっているんだい。もう、アベ改憲はとても無理だろう。

いや、それは甘い。新聞に「改憲遠のく」の記事が出ているが、運動体には迷惑な話だ。気を抜いてはならない現状だと思う。

そうかな。常識的にはアベ政権は死に体じゃないか。こんな政権に、憲法改正などという力業ができるとは到底思えない。むしろ、運動の成果に自信をもつべきではないのか。

改憲は、内閣の仕事ではない。改正案の審議も発議も、もっぱら国会の仕事だ。アベの力が衰えても、与党がやる気になればできることだ。9月の総裁選でアベ三選が阻止されても、後継総裁が「アベなきアベ改憲」を強行しないとも限らない。

今、アベが火だるまになっているのは根底に改憲強行姿勢があるからじゃないか。アベが追い落とされれば、次の総裁が誰であれ改憲は仕切り直しで、しばらくはおとなしくするだろう。そのような、硬軟おりまぜた柔軟性が自民党のしたたかさだと思うがね。

アベ9条改憲は、12年4月の「改憲草案」よりは、ずっと妥協し後退したものだ。党内には、これを不満とし「改憲草案」の国防軍案を主張する強硬派も少なくない。アベなきあとも、せめてアベ改憲の実現をと、まとまる可能性を否定できない。

自民党が、そんなイデオロギー政党だろうか。自民党の議員が、憲法が票になると思っているはずはない。景気対策、産業振興、震災復興、雇用や年金、教育費援助、農林漁業支援などの現実的な政策に傾斜せざるを得ないところだろう。

いや、今両院ともに、改憲派の議席が3分の2を超している。党内には、いまこそ千載一遇のチャンスという雰囲気が横溢していると見るべきだろう。

その一方で、今のアベ総裁のままでは選挙は戦えないという声が党内に満ちているとも報じられている。アベのバスに乗り遅れまいと有象無象が群がった時代は夢のまた夢。今は、沈みそうなアベ丸から、みんなわれ先に逃げ出そうとしている図ではないか。

党内には、「この連休で気分が変わる。」「内閣支持率も5月中旬にはV字回復」という楽観論もある。これまで何度もの危機を乗り切ってきたアベのしたたかさを過小評価してはならない。

聞きたいのは、アベ改憲スケジュールの現段階だ。もともとは「2020年東京オリンピックまでに改正憲法施行」で、逆算すると、今通常国会中に国会に「改正原案」を発議し、今年の末までに、国会が「改正案」を国民投票に発議しなければ間に合わない。それが頓挫したということではないのか。

当初予定のスケジュールが、かなり難しくなっていることは疑いない。しかし、頓挫したということではない。

少し、詳しく説明してくれないか。

3月14日に、自民党改憲本部が9条改正案の7案を提示した。この中には、9条2項削除案と存続案が混在しているが、初めから最有力だったのは、「9条1項2項はそのまま残して、自衛隊を憲法に明記する」というアベ提案に沿った、「9条2項を維持して、9条の2に、『必要最小限度の実力組織として、自衛隊を保持』」という案だった。

それでまとまらなかったのか。

3月15日が自民党改憲本部の全体会議だった。細田博之本部長は、一任を取り付けようとしたが、まとまらなかった。第2項維持派が「自衛隊」明記案と「自衛権」明記案に分かれたためだと言われている。ここで、アベの求心力低下が表面化した。

その後に、一任を取り付けたと報道されたんじゃないのか。

3月22日に再度の全体会合が開かれた。報道では、「安倍晋三首相の意向に沿って9条第1項(戦争放棄)と第2項(戦力不保持)を維持しつつ自衛隊の存在を明記する憲法改正について、これまでの有力案から『必要最小限度』を削除する修正案が提示された。会合では修正を支持する意見が多数を占め、同本部は今後の対応を細田氏に一任。細田氏は修正案に基づき条文化を進める。」となっている。確かに、一任取り付けとはなった。

これまでの有力案から、「必要最小限度」を削除すると、「実力組織として、自衛隊を保持する」ということか。

おそらくは、条文としてはこうなるだろうということだ。
「9条の2第1項 前条(註・現行9条1・2項)の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
同第2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」

「おそらくは」って、3月25日の自民党大会までに条文案を一本化して、この党大会を具体的な改憲発議に向けての決起集会にするはずだったのだろう。

それが、そうはならなかった。翌日の朝日新聞の一面トップの見出しが、「改憲発議 年内厳しく 支持急落 日程窮屈に」。「党改憲推進本部が急いでまとめた『改憲4項目』の条文案が大会で披露されることはなかった」と報じられている。

改憲テーマは、「9条」・「緊急事態」・「参院選の合区」・「教育充実」の4項目だった。どの項目についても、改憲本部長からの条文化が示されなかったのなら、改憲スケジュール頓挫、ということではないのかね。

いや、今のところは「日程窮屈に」なった程度ということだろう。水面下では、公明党との摺り合わせが進行しているはずだ。

ボクは、3月2日に神風が吹いたと思っている。その日の朝日新聞・朝刊のトップ記事が、森友・決裁書「書き換え疑い」の報道だった。「書き換え疑い」は、すぐに「疑い」がとれ、「改ざん」となった。

その記事がもとで3月27日佐川証人喚問までは漕ぎつけたが、尋問では官邸の責任を否定し、細部は証言の拒否だった。

さらに加計問題だ。愛媛県の文書が出てきて、15年4月2日の官邸での面会が話題となった。これに「首相案件」とあった。さらには農水省、内閣府、文科省から内部文書が出てきた。当時の首相秘書官だった柳瀬が窮地に立たされている。

法的な問題としては、イラク派兵の日報が出てきたことは大きい。1万5000頁もの文書が報告されていなかった。シビリアンコントロールはどうなっているのか。

統合幕僚監部の三佐が、国会前の路上で民進党小西洋之参議院議員の「国民の敵」と罵倒した事件はもっと大きい。こんな、危険な自衛隊を憲法上の組織として位置づけるなど、とんでもないことだ。

このことへの反論として、「憲法に自衛隊の規定も、自衛隊へのシビリアンコントロールの規定もないことが問題だ。憲法に規定すればよい」などという珍論がある。

そして、おまけは財務事務次官福田淳一のセクハラ報道だ。福田の言動もひどいが、麻生の対応が致命的だった。これは、安倍内閣の断末魔の図ではないかね。

アベにとっての起死回生の望みが日米首脳会談だった。結局はなんの土産も持ち帰ることができなくて、安倍外交の失敗が際立つ結果となった。朝鮮半島をめぐる国際問題で、まさしく日本は蚊帳の外だ。

アベが倒れれば、アベ改憲策動はなくなる。アベの失点は、護憲勢力に朗報だろう。

アベが取りこぼして、「オウンゴールでアベ政権が倒れた」ではダメなんだ。改憲阻止の国民運動がアベを打倒したという構図にならなければ、アベ後継の改憲策動が始まることになる。

いま、アベが倒れたとして、これを「オウンゴール」というのは引っかかる。アベを糺弾する運動や言論があってのアベ退陣だろう。アベ改憲阻止とは、何よりもアベ政権を倒すこと。行政を私物化し、隠蔽・改ざん・捏造の、腐敗したアベ政権を糺弾することが今大切だろう。

何よりも、「改憲にこだわっていたのでは、選挙民がアベ自民党を見限る」「改憲論では選挙に勝ち目がない」という世論喚起の運動を高めなければならない。3000万署名を積み上げることが、喫緊の課題だ。

そこのところは異論がないね。いかなる改憲策動も、衆・参どちらかの議院で、護憲派が3分の1の議席をとればよい。今の世論分布なら、護憲野党の共闘で可能となるはずだ。それまで頑張ればよい。

もちろん、そのとおりだ。私は油断せぬよう、楽観せぬよう、世論喚起の運動を押し進めたい。

ボクの方は楽観しながら、市民と野党の共闘が実現するよう運動に参加するつもりだ。
(2018年4月23日)

ホントのこと言っちゃおうかな。やっぱりよそうかな。

私も国会招致を要請される身になりました。謹んで受けざるを得ませんが、いったい何をどうお話しすればよいのやら。

問題は、2015年4月2日のことですね。これまでは、その日に首相官邸を訪問されたとおっしゃる愛媛県の職員の方にはですね、当時首相秘書官だった私は、「記憶の限り会っていない」と申しあげてきました。でも、よく考えてみますと、「会っていないとは言えない」とも思います。

その昨日の私のコメントが、新聞を賑わせていますが、なんてったって、会っていないのは「記憶の限り」です。資料も見ず、思い出す努力もせずに、そのときの記憶を口にしただけのこと。「会っていない」と言ってきたわけではないのですから。

それから…。これまで、「私が外部の方に対して、この案件が『首相案件』になっているといった具体的な話をすることはあり得ません」とコメントしてきましたが、よく考えてみますと、「『首相案件』になっていると言わなかったとは言えない」と思いますね。

なんてったって、愛媛県と今治市の職員、それに加計学園の幹部の皆様でしょう。みなさまアベ・カケ関係のお身内の方ばかり、けっして外部の方などではありませんから。

さらにですね…。「私が総理から、加計案件を『首相案件』とするように指示されたことなどはない」ともコメントしてきましたが、よく考えてみますと、「加計学園の設置認可を『首相案件』として優先課題にせよと総理から具体的な指示をいただいたことがなかったとは言えない」と思います。

なんてったって、総理と加計孝太郎さんとは、腹心の友という間柄。私は以心伝心で、総理の気持ちがよく分かっていますから、総理からの具体的な指示を受けるまでもなく、首相案件として関係機関に特別なはからいをするよう、内々の根回し、手回しをしてきました。ですから、軽い気持の「記憶の限り」で総理からの指示はなかったと申し上げてきたのです。ですが、総理夫妻と加計夫妻の飲み会だのゴルフだのという機会に私も何度も参加していますから、うちうちのサークルに入れてもらったことでよい気持ちになっているときに、アベ・カケのお二方から、「獣医学部の件よろしくね」「あの件急いでね」「外に洩れないようにうまくやってね」などと、言われたことがまったくなかったかといえば、それは自信がありません。よくよく考えてみれば、明示のような阿吽の呼吸のような、そんな指示を受けていなかったとは言い切れないと思いますね。

ついでに申しあげれば、真実というものは単純に一つではない。一筋縄では、これをつかまえることはできませんね。「記憶の限り会っていない」も真実、「会っていないとは言えない」も真実。「私が外部の方に対して、この案件が『首相案件』になっているといった具体的な話をすることはあり得ません」も真実なら、「愛媛県や加計学園の方に『首相案件』になっていると言わなかったとは言いきれない」も真実。首相の指示はなかったも真実、あったも真実。状況がより確かな真実を決定するのではないでしょうかね。

まあ、これまでは、真実を思い出すインセンティブはありませんでした。なんと言っても、安倍一強でしたからね。思い出さないインセンティブの方がうんと強かったのですから、その状況では「記憶の限り会っていない」が真実だったのですよ。

でもね、少し状況が変わってきた感じがありますよ。佐川さんが世論から、あれだけ袋だたきになっているのを身近に見ていますからね。膝を屈してプライド捨てて、政権に擦り寄った佐川さん。その佐川さんの、これからの身の振り方が保障されてはいないじゃないですか。そんなことを私も考えなくてはならない。

誰が見たって、安倍一強の時代は終わっていますよ。沈みかけた船から、みんなが逃げ出そうとしてはいますが、問題はどこへ乗り換えたらよいのやら。いま、誰もが微妙な心境でしょう。だから、私も、あれやこれやを思い出すインセンティブと、思い出さないインセンティブとが葛藤しているのですよ。ね、真実は状況次第。状況は、世論次第なのですよ。
(2018年4月17日)

拝啓 菅良二今治市長殿

御地はもう躑躅と藤の季節でしょうか。しまなみ海道の島々も、そろそろ初夏の潮風が吹きわたる頃かと存じます。

今治市内の松山刑務所・大井造船作業場から受刑者が逃走してから1週間が経過しています。諸事、なにかと話題の今治市ですが、市長の大任ご苦労なことと拝察申しあげます。

さて、本日(4月16日)各紙の報道で、貴職が報道各社の取材に応じて、加計学園が経営する岡山理科大学獣医学部新設計画に関連する発言をなされたことを知り、筆を執りました。

先に中村時広愛媛県知事が報道機関に対して、県職員が作成した文書の写を示して、2015年4月2日に、県職員や今治市職員、そして加計学園の幹部職員らが、首相官邸を訪れたこと、当時首相秘書官だった柳瀬唯夫氏と面会し同氏が「本件(加計学園設置案件)は、首相案件」と述べたことが明らかにされています。その旨、県には報告されていると、知事ご自身が率直に述べていらっしゃるところです。

したがって、報道機関の関心は、県職員と同様に今治市の担当職員も、当然に柳瀬氏と面会した際に同氏が「本件は、首相案件」と述べて親身のアドバイスをしたであろうことの確認であったはずです。

ところが、あにはからんや、貴職は「『首相案件』という言葉については『今回の報道で(初めて)目にした』と述べ、自身は『聞いていない』と否定した」旨報じられています。これは到底信じがたいところです。

既に愛媛県知事ご自身が語られたように、「愛媛県の職員には、事実を曲げる何らの動機がない」ことは明白です。一方、これを否定する柳瀬秘書官や安倍晋三首相の側には、事実を事実として認めるわけにはいかない、敢えて事実を否定し、あるいは曲げなければならない動機が大いに存在するところではありませんか。

のみならず、中村知事が県職員の作成と認めた文書とほぼ同じ内容の文書が、獣医師行政を所管している農林水産省で見つかってもいます。既に、真偽・正邪・黒白・理非・曲直は紛う方なく明白になっていると断じざるを得ません。貴職が真実の側につかず、首相や秘書官の側、すなわち虚偽と不正義の側の立場を選択されたことを、今治市民のために不幸なことと、まことに残念に思います。

貴職は、担当の市職員から事情を聞き取ったとしながら、県職員作成の文書に記されている内容や面会相手については、「市情報公開条例に基づき、非開示としておりコメントを控える」と述べたということです。しかも、そのコメントを控える理由について「国や県に迷惑がかかってはいけない。マイナスのイメージがあってもいけないから」と説明したと報じられています。僭越ながら、これは、貴職の見識不足も甚だしいと、厳しく指摘せざるを得ません。

また、別の報道では、非開示の理由を「国や県は一緒に取り組んできた仲間だから、迷惑は掛けられない」と説明したともされています。まことに語るに落ちたとはこのことで、貴職は「真実を語れば、国や県に迷惑をかけることになる」とおっしゃっておられるのです。

真実よりも、「国」や「県」が大切。市民のために真実を語ることよりも、国や県に迷惑をかけてはならないことが、より大事なのだと言っておられるのです。

敢えて申しあげます。真実は、権力に抗してこそ明らかにされなければなりません。政権に不都合で、迷惑がかかる文書であればこそ、これを適正に作成し、保管し、公開する意義があるのです。安倍政権に迷惑がかかるから公開できない、コメントもできないとは、民主主義のイロハもご存じないと慨嘆せざるを得ません。

かねてから、加計学園加計孝太郎氏には、政治権力に擦り寄って、教育をビジネスにしてきた、との悪評芬々たるものがあります。世人の見るところ、その加計孝太郎氏や、腹心の友安倍晋三首相らの「悪だくみグループ」と、愛媛県や今治市とは一線を画すものと受けとめてまいりました。自治体は、政治と結託した政商に利用された被害者だとの認識です。愛媛県の姿勢はこのことを裏書きしています。

ところが貴職の本日のコメントは、今治市も悪だくみの仲間だったのか、と認識を新たにせざるを得ません。今や、安倍政権は沈みかけた船ではありませんか。これまで、安倍一強に擦り寄っていた人々も、我先に船から逃れているありさまではありませんか。今、安倍政権に義理立てしようとしている貴職の態度は、よほどそうせざるを得ない後ろめたい事情なしには考えられないところです。

しかも、天網恢々疎にして漏らさず、とか。是非とも、真実を語っていただきますよう、お願い申しあげます。しからざれば、監査請求・住民訴訟・情報公開請求訴訟等々の法的手段で、今治市民が貴職を法的に追及し糺弾することになることと思い、僭越ながら助言申しあげる次第です。
匆々
(2018年4月16日)

「安倍は歴代の首相でもっとも愚か。論理的能力に欠ける。バカほど恐ろしいものはない」という言論に違法はない。

昨日(4月14日)の国会前大集会。本日の赤旗によると、主催者発表の参加者数は5万人だったという。一面の写真がすごい。国民の怒りのマグマを実感せざるを得ない。これで、安倍政権がもつはずがなかろうと思うのは甘いのだろうか。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-04-15/2018041501_01_1.html

ところで、その集会で某有名教授が熱弁を振るって、聴衆を大いに沸かせた。そのなかに、次の一節があった。
「安倍は歴代の首相でもっとも愚か。論理的に考える能力が著しく欠ける。しかし、バカほど恐ろしいものはない。自らが愚かな者は批判者を強権で弾圧するしかないからだ」

このスピーチへの盛大な共感の拍手と喝采にまじって、「あそこまで言って、大丈夫かしら」という、小声のつぶやきが聞こえた。拍手した人の中にも、刑事弾圧や民事の損害賠償提訴を心配の気持があったかも知れない。

そこで書き留めておきたい。心配することはない。この程度のことは言ってよいのだ。この程度のことを言えない社会にしてはならない。端的に言えば、「隣のおじさんはバカだ」と言ってはいけない。しかし、しかるべき場で「首相はバカだ」と言ってもよいのだ。

同じ行為に対して、刑事罰の発動と民事判決による制裁とでは要件の厳格さが異なる。ある行為を対象として、これを起訴して有罪判決を得るための刑事罰のハードルは、民事賠償や謝罪広告を命じる判決よりも、はるかに高い。そこで、「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」が、民事的な制裁の対象となり得るかを検討してみたい。

問題の大枠は、「表現の自由という憲法的価値」と、「個人(安倍晋三)の人格権の尊重という憲法的価値」の衝突を、どう調整するかという課題である。

この点についての最高裁判例の立場は、必ずしも「先進国水準」に達しているとは言えないが、こんな基本構造となっている。

ある批判の言論が、「公然たる事実の摘示によって、原告(被批判者)の社会的評価を低下させた」と認められれば、名誉毀損行為として原則違法である。

ある言論が、人(原告)の社会的評価を低下させた場合でも、次の3要件を被告(批判者)の側で立証できれば、違法性が阻却されて請求棄却の原告敗訴判決となる。

違法性棄却の3要件とは、
(1)表現の内容が公共の利害に関するものであること(公共性)、
(2)表現の目的がもっぱら公益を図るものであったこと(公益性)、
(3)表現内容の重要部分あるいは論評の根拠が真実であること(または、真実と信ずるにつき相当の理由があること)(真実性・相当性)。

「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」の言論が、公共性・公益性を具備していることに、疑問の余地はない。そして、「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」という論評ないし意見の根拠に真実性・相当性があることも明確なのだ。

但し、表現内容が不必要な人身攻撃におよぶなど、意見・論評として許容される域を逸脱したものとされた場合には、名誉毀損にはならなくても侮辱として違法にはなり得る。なお、仮に侮辱になったとしても、慰謝料額は名誉毀損に比較してはるかに低額である。

類似した参考判例として適切なものが、「弁護士バカ」事件として、知られているもの。正確には、「世間を知らない弁護士バカ」という表現が名誉毀損ないしは侮辱に当たるのかが争われた事例。

原告は弁護士の稲田龍示(稲田朋美の夫)、被告は新潮社。週刊新潮の記事をめぐる名誉毀損訴訟である。

この件については、当ブログで何度か言及している。以下の2ブログをご参照願いたい。自分で読み返して、力がはいっていると思う。

「『弁護士バカ』事件で勇名を馳せたイナダ防衛大臣の夫は防衛産業株を保有」
https://article9.jp/wordpress/?p=7458  (2016年9月18日)

「イナダ敗訴確定の名誉毀損訴訟は、DHCスラップ訴訟と同じ構造」ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第103弾
https://article9.jp/wordpress/?p=8637?  (2017年6月2日)

「弁護士バカ」事件の顛末は、報道を総合すれば次のとおりである。
「自民党の稲田朋美政調会長への取材対応をめぐり、週刊新潮に『弁護士バカ』などと書かれて名誉を傷つけられたとして、稲田氏の夫の龍示氏が発行元の新潮社と同誌編集・発行人に慰謝料500万円の支払いと同誌への確定判決の掲載を求め、大阪地裁に提訴した。提訴は2015年5月29日付。」

「同誌は15年4月9日号に「『選挙民に日本酒贈呈』をない事にした『稲田朋美』政調会長」との見出しの記事を掲載。その中で龍示氏が同誌の取材に対し、『記事を掲載すれば法的な対抗手段をとる』と文書で通告してきたことを暴露した。そのうえで、『記事も見ないで“裁判!裁判!”の弁護士バカ』『恫喝だと気づかないのなら、世間を知らない弁護士バカ以外の何ものでもない』と書いた。龍示氏は『掲載を強行しようとする場合に、訴訟などの手段を予告して事態の重大性を認識してもらおうと試みるのは正当な弁護活動』と主張。週刊新潮編集部は『論評には相応の理由と根拠がある』と反論している。」

「2016年4月19日に判決言い渡しがあり、大阪地裁は『論評の域を出ない』として請求を棄却した。増森珠美裁判長は判決理由で、『記事は社会的評価を低下させるが、稲田政調会長の公選法違反疑惑を報じた内容で公益目的があった』と認定。『「弁護士バカ」との表現も論評の域を逸脱しない』とした。」

敗訴の原告は、懲りずに大阪高裁に控訴して控訴棄却となり、さらに上告・上告受理申立をしたが、すべて斥けられて、2017年7月10日に確定している。

この事件。メディアでは次のように紹介されている。
「問題になったのは、同誌(週刊新潮)15年4月9日号の記事。当時自民党の政調会長だった稲田(朋美)氏への取材で、代理人として対応した龍示氏(稲田朋美の夫)について、『世間を知らない弁護士バカ』と書いた。一、二審判決はともに『表現は穏当さを欠くが、論評の域を出ない』として龍示氏の請求を棄却していた。」(朝日

言論の自由は、権力批判のためにこそある。「自民党政調会長の夫」に、「世間を知らない弁護士バカ」と言っても損害賠償の対象とされることはない。いわんや、内閣総理大臣批判の言論においてをや。「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」という貴重な最高権力者批判の言論に対する攻撃を許してはならない。
(2018年4月15日)

国会正門前カルチェラタンのなかで

15時35分、国会正門前。私の目の前で、結界が破れた。これは、物理現象だった。膨れあがった群衆の圧力が規制の結界を破ったのだ。それまで規制に躍起だった警備の警察官が限界を覚って手を引いた。津波のイメージで、それまで歩道に押し込まれていた3万の群衆が、車道にあふれ出た。北側からも、南側からも。こうして束の間の平和なカルチェラタンが出現した。

なんという解放感。コールのリードなく、のびのびと人々が声を合わせた。期せずして、まずは「総辞職」だった。「総辞職!」「総辞職!」「ソウジショク!」「ソウジショク!」…。国会に向かって5分以上も続いたろうか。そして、「アベ辞めろ」「アベ辞めろ」「アベヤメロ」「アベヤメロ」…。

この雰囲気は…。そうだ、先月体験した韓国のデモと集会のあの高揚し確信に満ちた人々の、怒りと明るさ。日本中が怒っている。日本中が安倍退陣を願っている。その日本中の怒りと願いが、今国会正門前に凝縮しているのだ。そして、きっとこの怒りと願いは、今度こそ結実するに違いない。

この広場で、いくつかの小集会で開かれていた。そこでの、こんな若者の発言を耳にした。「お祖父さんの若いころには、国会の中で集会をしたもんだと聞いていました。今、ボクも同じように集会をしています」。なるほど、なるほど。

本日の集会の名称は、「安倍政権は退陣を! あたりまえの政治を市民の手で! 0414国会前大行動」。多くの人が、このままでは日本が壊れるのではないか、という危機感から、早期の安倍退陣を願う一心で集まってきたという印象。

14時からの集会冒頭に、野党各党議員からのスピーチがあり、市民団体や識者からの訴えが続いた。どれも、ボルテージが高い。そして、誰もが口にした。あきれ果てた事態だ。もう、政治は信用できない。政権は私物化され、国民の信を失った。これを放置していたのでは、民主主義が後戻りできないところまで崩壊する。徹底して真相を解明して、安倍政権を退陣に追い込もう。幸いにして、市民と野党の共闘が健在ではないか。

本日の集会で目立ったのは、「安倍晋三は嘘つきだ」「こんなタチの悪い首相はかつてなかった」「安倍は愚かだ。愚かな権力者ほど恐いものはない」「アベの国政私物化を許すな」「人ごとのように言うな。安倍よ貴方が膿だ」「徹底して膿を出し切れ。アベを辞めさせよう」「アベよ、おまえが国難だ」という深刻な安倍批判。スピーチだけでなく、ビラもプラカードも安倍に対する怒りが満ちていた。「安倍晋三逮捕」という大見出しの新聞記事を、手際よくプラカードにしつらえたアピールには一瞬ギョッとした。手作りの工夫さまざま。実に、にぎやかだった。

そして、「文書の改ざんや隠蔽は民主主義の崩壊を意味するもの」という危機感の横溢。「捏造、隠蔽許さない」が、「安倍ヤメロ」とならぶメインのコール。子ども連れ、家族連れの参加者も目についた。車道にあふれる晴れ晴れとした笑顔。この国民の怒りと願いはホンモノだ。ここまで来れば、この確かな動きに、もう後戻りはないだろう。
(2018年4月14日)

「貴方は、バカではないですか。」亀田得治議員の迫力満点の質問。

安倍政権は末期症状である。行政の不透明などという言葉で表現できるレベルの問題ではない。森友・加計・そして南スーダン、イラク…。どれもこれも、欺瞞・隠蔽・改竄・口裏合わせのオンパレード。これが全て政権の思惑から発していることが明らかになりつつある。

これを、何とか行政の責任に押し込めて、政権に累が及ばぬようにというのが、官邸と自民党。与党議員による国会質疑は、緊張感を欠くこと甚だしく退屈なのが通り相場だが、このところの質疑は、とりわけ噴飯物である。

この点で一躍有名になったのが、和田政宗と丸川珠代。和田については既述のとおりだが、丸川の「佐川さん、あるいは理財局に対して、安倍総理からの指示はありませんでしたね?」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね?」という誘導質問は、議会史に残るだろう。こんな愚かな議員もかつてはいたんだという歴史遺産として不滅の存在になり得る。

昨日の参院決算委員会。太田理財局長は、自民党の西田昌司議員の質問に対して、「昨年2月20日に、理財局側から森友学園に、『撤去費用が相当かかり、トラック何千台も走った気がするといった言い方をしてはどうか』とうその説明をするよう持ちかけた」ことを認めた。この答弁には驚いたが、質疑に緊迫感はなかった。予め、打ち合わせができていた質疑答弁だったのだから。

西田議員は、「バカか本当に!」「国民の代表がここで聞いているんだ」と怒っては見せたが、迫力はなかった。「政権が責任を役人に押し付けており」「自民党質問者はこれに加担している」ように見えるからだ。

口先だけで、官僚に「バカか」という自民党議員とは異なり、腹の底から「貴方は、バカではないですか?」と言った議員もいた。

舞台は、1958(昭和33)年7月2日参議院法務委員会。質問者は日本社会党の亀田得治参議院議員(弁護士)、答弁者は、守田直最高裁人事局長(裁判官)だった。内容は、最高裁判所の全司法労働合に対する、裁判書き事件大弾圧に関する質疑である。

弾圧を受けた側の全司法元委員長吉田博徳さんが、当時を振り返って「法と民主主義」2005年6月号(№399)52?53頁に、次のとおり質疑の模様を報告している。これは迫力満点だ。この質疑で、裁判書き事件の概要も分かる。報告の題名は、「貴方は、バカではないですか? ―亀田得治先生の烈々たる質疑によせて―」というもの。

亀田「本件処分について最高裁判所は、全司法の浄書拒否事件と宣伝していますが、その浄書とはどんな意味ですか?。普通は裁判官が原稿を示してそれをきれいに清書することを言うのですが、本件についは裁判官の原稿はあったのですか?」
守田「あのー、それは原稿というものではなく、裁判所の窓口に提出されている決定・命令・令状等の申請書にもとづきまして、書記官や事務官らが浄書するものでございまして……」
亀田「それはまだその事件のことを裁判官が知らないうちに、申請にもとづいて書くのですか?」
守田「そういうことになります……」
亀田「それなら職員の文書作成そのものではないですか。日本語では浄書とは言いませんよ。最高裁の中しか通用しない勝手な日本語を作っては困ります。国民をごまかすものではないですか?」
守田「…………」(黙して語らず。以下同)
亀田「職員が窓口で作成する書面とは、後に裁判官のハンコを押せば裁判書き原本となる書面ですか?」
守田「そういうことになります。しかし裁判官は疎明資料をよく検討し、判断して(ハンコを押すのですから、その時に裁判書になるのであって、それまでは紙片にすぎませんので……」
亀田「貴方、そんなことを言ってよいのですか? 職員が書いたという事実が消えて無くなるのですか?『誰々を逮捕する。逮捕の理由はこれこれしかじか』、これは裁判の中身ですよ。それがハンコを押したトタンに裁判官が判断したことに変わるんですか」
守田「……」
亀田「行政文書ならそれでもいいですよ。行政文書は誰が下書きを書いてもよいのですから。裁判は違いますよ。裁判官は独立して職務を行い、何人も関与してはならない。貴方も知っているでしょ。例え裁判所職員でも裁判の中身を書いて行けば、『逮捕した方が良いですよ』となるではないですか、関与したことになりませんか?」
守田「…………」
亀田「最高裁がそんな姿勢だから全国に変なことが多発しているのでしょう。某裁判官が逮捕状用紙に記名押印した白紙令状を書記官に渡して、裁判官の知らぬ間にスイスイと逮捕状が出たとか、裁判官が囲碁に夢中になっていて、書類を見ないまま、(ンコを投げて出させたとか、ひどいのになると風呂の中で『出しといて』と命じたとか、まだいろいろありますが最高裁の姿勢が下部に影響しているのではないですか。」
守田「…………」
亀田「ところで裁判書きの下書を作成することは職員の職務内容になっているのですか?。なっているとすれば法律名と条項、通達書を教えて下さい。」
守田「あのー、法律や通達書などで決まっているものではございませんでして……」
亀田「そうでしょう、そんな法律があったら大問題ですよ。では処分の根拠はなんですか。裁判官の職務命令を拒否したとなっていますが、どんな職務命令があったのですか?」
守田「それは包括的職務命令と解しておりまして……」
亀田「聞き慣れない言葉ですね。どんな命令ですか?」
守田「一件一件について出されるのではなく、裁判所の窓口に提出されたものはすべて浄書するように…と。昔は、明治時代には事件も少なかったので裁判官が自分で書いたり、口授したりしたものと思いますが、大正・昭和と事件が急増し、裁判官は法廷実務と判決文に追われるようになりましたから、次第に決定・命令・令状等は職員に手伝ってもらう、そういう習慣となっているわけでございまして……」
亀田「そうすると裁判官の命令を拒否したのではなく、昔からの悪習を拒否したということですか?、逮捕される国民にとっては、一生に一度あるかどうかの大問題ですよ」
守田「…………」
亀田「貴方は東大出身の優秀な裁判官と常々聞いていましたが、今日の答弁は何ですか。子どもでもわかるような簡単な質問にも答えられない。貴方はバカではないですかバカでは……」

 亀田先生は右腕を伸ばして守田氏をにらみつけていた。守田氏は立つたまま下を向き流れる汗をふいていた。後に控えていた裁判官は誰も助け舟を出そうとしなかった。

議長「亀田君、バカはやめなさい」
亀田「やめません。議長もよく聞いて下さい。最高裁といえば憲法の番人、基本的人権擁護の最高責任者ですよ。その最高裁がお膝元の職員に対し、懲戒免職十三人、退職金のでないクビですよ。死刑にも匹敵する極刑を、先程からお聞きのようなあいまいな理由で、これが黙っておれますか」
議長「亀田君、質問を続けて下さい」
亀田「もう一度聞きますが職務命令はどんな形でいつ出されたんですか? 被処分者は誰も聞いていないと言っていますよ。包括的職務命令なんていうのは、本件処分を行うために作り出した新語ではないですか?」
守田「…………」
亀田「それでは次回までによく調査して、一件ごとにどんな職務命令であったのかを書面で提出して下さい」

 当日の参議院法務委員会の議事録では、議長の職権でこの部分が削除されているので、議事録上での確認はできないが、私達は終始傍聴席で直接見ていたのだからまちがいないのである。最高裁の高官が国会の場で。バカと言われたのは、おそらくこの件の外にはないであろう。バカと言われながらも一言の抗議もできず、下を向いて立っているだけだった。これこそが本件処分の自信の無さと、裁判官としての良心の呵責を感じさせる光景であった。
(略)
裁判員制度など新しい司法制度が発足し、司法の民主化に役立つものといわれているが、裁判所の隅々までに民主主義の風が吹き、裁判官をふくむ総ての職員の人権感覚が高まるように努力しなければ、どんな制度を作っても民主化とは結びつかないだろう。

この裁判書き事件は、裁判官が弾圧者なのだから、どうにもタチが悪い。懲戒免職13名の裁判闘争は、18年継続したという。そして、1976年2月に至って、当時職場復帰を望んでいた6名全員を再採用という形式で職場に戻すことで解決した。復職した5人は、まったく同期と同じく18年間の定期昇給も、年金も補償されたという。

なお、守田直裁判官は、第6代の司法研修所長である。私(澤藤・23期)の入所時は鈴木忠一所長だったが、修習終了時(1971年)には守田直所長だった。この所長の下での修習修了式(卒業式)の際に、同期の阪口徳雄君が所長に任官差別の抗議の意を込めた質問をしたことで、罷免とされた。「貴方はバカではないですかバカでは……」と言われてもしょうがないことを繰り返したというべきだろう。

大阪の弁護士だった亀田得治さんは、後に阪口徳雄君を温かく自分の事務所に迎え入れている。
(2018年4月10日)

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