(2020年7月1日)
本日・7月1日は、香港がイギリスから中国に返還された日。アヘン戦争で中国から割譲された香港は、1997年の今日、今度は強引に中国に戻された。50年間(2047年まで)は、一国二制度で高度の自治を約束されてのことである。しかし、以来23年にして、この約束は蹂躙されている。高度の自治は潰え、中国のイメージは地に落ちている。
香港の「民間人権陣線(民陣)」という民主派団体が、2003年以降、毎年7月1日の返還記念日には大規模なデモを継続して主催してきた。昨年(2019年)のデモは、「逃亡犯条例」改正案に反対する100万とも55万人とも言われた規模となったが、今年は香港警察当局がデモを禁止している。北京の指示があってのことか、香港政府当局の忖度によるものか、どちらでも「差不多(チャープトウ)」だ。当局は新型コロナ対策を口実にしているが、信じる者はない。香港のコロナ感染者数は既に大幅に減っているという。
6月28日から開かれていた中国全国人民代表大会(全人代)常務委員会はは、最終日の30日夕刻に、香港への統制を強化する「香港国家安全維持法案」を可決成立させ深夜に公布した。そして、本日7月1日からの施行だという。「国家安全維持法案」とは、香港の自由圧殺法案であり、民主主義封じ込めの法案であり、政治的活動に対する弾圧法案にほかならない。なんという性急で乱暴なやり口。なんという苛酷な圧制。
報道によれば、今回成立した国家安全維持法によって、香港に中国政府の出先機関「国家安全維持公署」が新設され、香港での治安維持を担う。香港政府がつくる「国家安全維持委員会」は中国政府の「監督と問責」を受け、中国政府の顧問を受け入れる。香港政府は中央政府の監督下に置かれ、国家分裂や政権転覆、外国勢力と結託して国家の安全に危害を加える行為を処罰対象とする。中国、香港への制裁を外国に要求することも処罰対象となる、という。
この中国の、つまりは中国共産党の度量のなさは、いったいどうしたことか。何を焦っているのだ。チベットやウィグルで何が行われているか。断片的な報道では事態がよく分からない。しかし、香港の事情を見ていると、もっと酷いことが各地で強権的に行われているのであろうと推量せざるを得ない。
もともとは、鄧小平が言い出した一国二制度ではないか。世界に約束された「高度な自治」のはずではないか。それが、いま強権的に蹂躙されようとしている。事態はきわめて深刻である。
今や中国は、恐るべき人権侵害大国である。国際世論の厳しい批判を、全て「内政干渉」と切り捨て、陰謀論さえ口にする。このなりふり構わぬ様は異様としか評しようがない。
香港の著名な民主派団体「香港衆志」は30日、解散を発表した。香港民主派の活動家に「逮捕情報」の恐怖が広がっているという。
その標的のひとりとみなされている周庭(英名 Agnes Chow Ting、アグネス・チョウ)のツィッターが痛ましい。
2020年6月28日
今日の香港での報道によると、香港版国家安全法は火曜日(30日)に可決される可能性が高い、そして「国家分裂罪」と「政権転覆罪」の最高刑罰は無期懲役という。日本の皆さん、自由を持っている皆さんがどれくらい幸せなのかをわかってほしい。本当にわかってほしい…😭
2020年6月30日
私、周庭は、本日をもって、政治団体デモシストから脱退致します。これは重く、しかし、もう避けることができない決定です。
絶望の中にあっても、いつもお互いのことを想い、私たちはもっと強く生きなければなりません。
生きてさえいれば、希望があります。周庭
「生きてさえいれば、希望があります。」という言葉の中に、切実さと絶望の深さが見える。「自由を持っている、幸せな日本の私たち」が代わって声を上げなければならないと思う。
(2020年6月21日)
わが国の戦前は野蛮な時代だった。野蛮極まる天皇制跋扈の時代であった。その象徴が治安維持法である。1925年制定の治安維持法第1条は、「国体ヲ変革シ、又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ、結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」を処罰の対象とした。
「国体ヲ変革」とは天皇制を否定すること、「私有財産制度ヲ否認」とは、社会主義・共産主義の思想と運動を言う。共産党こそが天皇制批判の急先鋒であって、共産党員が非国民・国賊とされて弾圧の主たる対象となった。その後、弾圧対象者の範囲が際限なく拡大したことはご存じのとおりである。
治安維持法適用の最初の大弾圧が、1928年3月15日の「3・15」事件であった。そして、翌年の「4・16事件」に続く。この大量の検挙者を、数多くの良心的弁護士が献身的に弁護した。ところが、天皇制警察と検察、そして司法は、共産党員被告人の弁護を担当した弁護士を、治安維持法違反として検挙し起訴し有罪とした。
有罪が確定した弁護士は、当然のごとく弁護士資格を剥奪された。弾圧される人々に寄り添って人権擁護の先頭に立つ任務を負う弁護士からその資格と業務を剥ぎ取ったのだ。天皇制とは、かくして国民の人権を剥奪した。天皇制とは、かくも野蛮な代物だった。
その野蛮が、今、中国でまかり通っているという。6月18日日本のメディアが「中国 人権派弁護士に懲役4年の実刑判決 政権転覆あおった罪」と報道している。代表的なNHK(Web版)よると、大要以下の通りである。
中国で、「国のトップは複数の候補者による選挙で選ぶべきだ」などとする提言を発表し、その後、拘束された人権派の弁護士について、中国の裁判所が政権の転覆をあおった罪で懲役4年の実刑判決を言い渡したことがわかりました。弁護士の家族は不当な判決だと訴えています。
判決が言い渡されたのは中国の人権派の弁護士、余文生氏です。余氏は、2018年1月中国の憲法の改正について国のトップの国家主席を複数の候補者による選挙で選ぶべきだなどとする提言をインターネット上で発表し、その後、当局に拘束されました。
余氏の妻の許艶さんによりますと、(6月)17日、検察当局から電話があり、裁判所が余氏に対して政権の転覆をあおった罪で懲役4年の実刑判決を言い渡したと伝えられたということです。
余氏は、2018年に拘束されてから家族が依頼する弁護士との面会が1度も許可されず、今回の裁判は非公開で行われたということで、許さんは、不当な判決だと訴えています。
NHKの取材に対して許さんは「秘密裏に裁判が行われ判決は受け入れられない。中国の人権派弁護士への抑圧は非常に残酷だ」と話していました。
中国では、習近平指導部のもと当局が共産党や政府への批判を押さえこむ動きを強めていて、ネット上の言論統制や人権派の弁護士などへの締めつけが続いています。
弁護士に対する弾圧も野蛮だが、その裁判が非公開で行われている。これは、いったいいつの時代の出来事なのだろうか。野蛮の極みというしかない。
この余文生弁護士に関しては、西日本新聞が2017年10月12日に、こんな報道をしている。
「拷問、監視で狭まる中国の自由 弁護士、後ろ手に手錠18時間 ネットで官公庁批判 拘束も」
「死ぬよりつらい思いをさせてやる」。警官が敵意むき出しの目ですごむ。北京の弁護士、余文生さん(49)は3年前に受けた中国当局の厳しい取り調べが脳裏に焼き付いている。
きっかけは2014年に香港で起きた民主化デモ「雨傘運動」。同年10月、デモに賛同し拘束された北京の人権活動家を支援するよう弁護士仲間に頼まれた。本人との面会を当局に拒否され、ネット上で抗議すると2日後に拘束された。取り調べを受けた北京市第1看守所(拘置所)では鉄の椅子に座らされ、後ろ手に手錠をかけられた。1日13?18時間、その姿勢を続けると「死んだ方がましなくらい痛い」。
拘束は99日間に上り、最後は身に覚えのない罪を認めるよう迫られた。あたかも自白したように、「私は過ちを犯した」などというせりふを暗唱させられ、その姿を動画撮影された。起訴はされずに釈放となったが、長期の取り調べで腹膜が傷つき、開腹手術を受けなければならなかった。
もともとビジネス分野専門の弁護士だった余さん。「逮捕状は一度も見せられなかった。中国の人権状況は問題があると思っていたが、ここまでとは…」。この体験を機に人権問題に取り組むようになった。今は中国国内の人権派弁護士でつくる団体に名前を連ねる。
◇ ◇
12年に発足した習近平指導部は「依法治国」(法による国家統治)を掲げる一方、人権派弁護士への締め付けを強めてきた。
15年7月9日には、中国全土の人権派弁護士ら約300人が一斉に拘束される「709事件」が発生。「5日間、一睡も許されずに気を失った弁護士仲間もいた」と余さんは明かす。自身も再度拘束された。
自由な言論活動を放置すれば、共産党の一党独裁を否定する「西側の価値観」が氾濫し、現体制を揺るがしかねない?。そんな危機感が当局の厳しい対応の背景に見え隠れする。
◇ ◇
「習指導部が言う法治とは、悪い法律で市民を抑え込むことだ」と余さんはため息を漏らす。
最後に、記事は「この記事は2017年10月12日付で、内容は当時のものです」と締めくくっているが、現在なお事態の改善はない。
また、日本人が中国国内で拘束されたり、日本に住む中国人が拘束される例が頻発している。典型的なのが、札幌市内に住むの袁克勤(えん・こくきん)北海道教育大学教授の件。中国に一時帰国帰国中の昨年(2019年)5月29日、長春市の路上で突然、何者かに連れ去られ行方不明となった。その後10か月近くも消息が分からないままだったが、本年3月26日、中国政府が袁教授を拘束していることを初めて認めた。例のごとく、スパイ容疑での拘束だという。
昨日(6月19日)共同通信が、「709事件」の中心人物として国家政権転覆罪に問われ服役した人権派弁護士、王全璋のインタビュー記事を配信した。「弁護士に拷問、自供強要 中国、弾圧の詳細初証言」というタイトル。痛ましくてならない。
総合すると、中国の人権状況は、戦前の天皇制時代並みというほかはない。どうしてこんなことになってしまったのか理解に苦しむ。こんな状態が続く限り、中国が世界の大国にふさわしい尊敬を受けることはありえない。習近平政権、そんなにも余裕がないのだろうか。
(2020年6月5日)
昨日(6月4日)、香港ビクトリア公園では天安門事件の犠牲者追悼に1万人を超える人々が集まって集会が開かれた。31年前、北京で民主化を求める民衆を武力鎮圧した中国当局は、今なお、香港の追悼集会を快く思っていない。その意を承けた香港警察当局が、新型コロナ対策を理由に集会を禁止したが、これを押しての1万人を超える市民の集会参加となった。
香港市民は、禁止されていない少人数のグループに分散し、ソーシャルディスタンスを保つ形で、ロウソクに火を灯して集まった。31年前の弾圧による死者を悼むこの行動には、さすがの警察当局も「違法集会」としての制圧を控え、集会は事実上容認された。
暗闇の中の、無数のロウソクの光が美しく感動的である。しばし考える。どうしてこんなにも美しく、こんなにも感動的なのだろうか。
己が魂を護ろうと権力に抵抗する人の姿は、それだけで十分に美しい。大義のために、不当な権力に抗う人々の姿はより美しい。民主化を求めて犠牲になった人々を悼むための、不当な権力の制止に屈しない多くの人々の行動はこの上なく美しく、感動的である。
31年前のあの事件の後、中国の党と中央政府は、巨大な経済発展をなし遂げることで、国民の口を封じることに成功した如くである。パンを得て口を封じた人々の姿は、けっして美しくない。パンのみにては生るにあらずと心を決めた香港市民の行動こそが感動を呼んでいる。
同じ6月4日、香港立法会(議会)では、美しくない多数派の醜い多数決で、「国歌条例案」が可決成立した。この議会は、市民の意見を反映する構造を欠いている。直接普通選挙にはなっていないのだ。親中派が議席の過半数を占める、汚い仕組みで成りたっている。
雨傘運動時のような、また昨年の逃亡犯条例反対運動のような、中国当局の心胆を寒からしめる大規模大衆運動がやりにくいコロナ禍の今を狙っての国歌条例案の上程。火事場泥棒は、どこの国でもことさらに醜い。
権力にへつらう態度は、それだけで十分に醜い。パンを口にするために、人権や民主主義を抛つ国への阿諛追従はさらに醜い。強大な権力に抗う人々をいけにえに差し出そうという阿諛追従はこの上なく醜い。
中国国歌「義勇軍行進曲」は、帝国主義列強なかんずく侵略者日本の皇軍との闘いの中から生まれた中国人民の崇高な歌である。その国歌が、醜い過程を経て成立した醜い法によってでなければ、その尊厳が守られなくなったのだ。
国家に対する愛着や敬意を強制することはできない。国歌尊重の強制は逆効果と知らねばならない。国家が国民に愛国心を強要し、その手段として国歌の尊厳保持を法で固めなければならないと考えること自体が、既に国家の側の敗北であり失敗である。
もちろん、罪はあの「義勇軍行進曲」にあるのではない。罪はもっぱら愛国心を強制しようという中国当局と、これにおもねる香港議会内親中国派にある。
(2020年6月4日)
6月4日である。私の個人史には重要な日。31年前の今日、私の中の「革命中国」という輝ける権威が崩壊した。その日以降、中国は色褪せた一党独裁の人権抑圧国家となった。その思いは、基本的に今も変わらない。
愚かなトランプが、全国に澎湃と巻きおこっている黒人差別への抗議行動に連邦軍の投入を示唆して物議を醸している。抗議デモに暴力的な側面があったしても、その真の原因は人種差別と格差・貧困にある。これを力で押さえ込もうというトランプの流儀に反発が高まって当然である。その世論に押されて、トランプも容易に軍の投入はできない。これが、2020年アメリカの事態。
しかし、1989年6月4日天安門広場では、中国共産党の指示で人民解放軍の戦車隊が、広場を埋めつくした中国の民衆を武力で制圧した。弾圧の犠牲者数は、数百人説から数千人説、1万人超説まであって正確なところは分からない。分からないながらも、党と軍が、民主化を求める人民に銃口を向け武力で弾圧したことには疑いの余地がない。
帝国主義列強や国民党からの苛烈な弾圧を受けながら、人民の中に生まれ、人民の支援によって権力を掌握した中国共産党が、人民を弾圧する側にまわったのだ。しかも、徹底的な苛烈さで。
この弾圧を指揮した最高指導者は鄧小平である。彼は、民主化を求める民衆の行動を、動乱・反革命と規定した。中国にとって何より大切なものは、「政治の安定」であって、「複数政党による選挙や三権分立ではない」と言いきっている。
事件鎮圧後の鄧小平の言葉に、こんなものがある。
「しばらく前、北京で動乱と反革命暴乱が起こったが、これは何よりも国際的な反共、反社会主義の思潮が煽動したものだ。……中国こそ本当の被害者だ。
人々は人権を支持するが、もう一つ国権というものがあることを忘れてはいけない。人格を言うなら、もう一つ国格を忘れてはならない。とくにわれわれのような第三世界の発展途上国は、民族の自尊心を持たず、民族の独立を大事にしなければ、国家は立ち上がれないのだ」(89年10月)
「中国が動乱を平定した後、7ヵ国の首脳が中国を制裁する宣言を発表した。彼らに何の資格があるのか、誰が彼らにそのような権力を与えたのか! 本当を言えば、国権は人権よりはるかに重要なのだ。」(89年11月)
このコメントは、人権思想や民主主義の全否定に等しい。そもそも法の支配や立憲主義の理念に欠ける。言葉が通じないもどかしさを禁じえない。国権や国格などというものは本来観念する必要はない。国家は飽くまで国民に対する義務主体であって国民に対する関係での権利主体ではない。「国権」を観念し得たとしても、その国権の暴走による人権侵害を防止するためにこそ憲法がある。国権は常に人権に優越的な地位を譲らなければならない。「国権栄えれば人権亡ぶ」のである。そうさせないための民主主義の諸原則なのだ。
もっとも、鄧小平が言ったとおり、31年前の中国は「第三世界の発展途上国」であった。しかし、今中国は、堂々たる世界有数の大国になっている。「大国」の意味は、経済力と軍事力においてのもの、人権や民主主義の水準では相変わらずである。
本日の共同通信によれば、「中国外務省報道官は3日、『中国が選んだ発展の道は完全に正しかった』と述べ、武力鎮圧した当時の判断を正当化した。」というが、一方、「感染症の世界的流行や香港の抗議デモへの強硬姿勢により、国際社会の中国指導部に対する懸念は天安門事件後と同程度まで強まっているとの指摘もある。」という。
その昔、「東風は西風を圧倒する」という毛沢東の言葉を感動をもって受けとめた。西風とは、搾取と収奪、格差や貧困を必然化する西欧の資本主義社会を意味し、東風とは、その矛盾を克服する社会主義中国の未来像だと勝手に理解した。今の中国には、そのような理想の片鱗も感じられない。
6月4日。この日に改めて思う。国権よりは人権を、国格よりは個人の人格を尊重する国でなければならない。けっして、他人事ではない。
昨日(5月22日)、遅延していた中国の全人代が開幕した。私の関心は2点につきる。一つは、国防費の増額だ。そしてもう一つは、香港版「国家安全法」の制定という方針。
議事が野党の存在なしに一方的に進行することになる。率直に言って、民主主義も人権も顧みない今の中国は恐ろしい。国内の批判が難しければ、国際的な批判の世論喚起が必要であろう。
トランプのアメリカにも渾身の批判が必要だが、アメリカには強力な対抗勢力がある。人種的、思想的少数者にも、不十分ながら政治行動の自由が保障されている。日本とて事情は同様だ。しかし、中国の強権的な政治体制は異質だ。問答無用の恐さに満ちている。
報じられているところでは、このコロナ禍の経済の疲弊の中でも、中国の今年度国防予算案は、1兆2680億元(約19兆1700億円)。前年実績比6・6%増だという。この規模は、もはや自衛のためのやむを得ざる措置とは受容しがたい。近隣諸国には脅威として受けとめられるであろう。平和的な国際環境維持のために自制を望むというしかない。
そして、問題は香港である。メディアが、「香港版・国家安全法」と呼ぶ立法を、中国本土で制定して、香港に適用しようとの方針だという。朝日は、「香港で保障される人権や自由が中国本土並みに制限される恐れがあり、「一国二制度」は重大な危機に直面している」と報じている。
中国にしてみれば、昨年の「逃亡犯条例」問題で燃え盛った、香港市民の民主主義的行動を座視し得ないということなのだろう。このままでは、台湾の独立運動も活発化するだろう。ウイグルやチベットにも、飛び火するかも知れない。ならば、ここは力で押さえつけるしかない、との判断。
時事は、法案を「国家分裂や政権転覆をたくらむ行為を禁じる内容で、習近平政権は言論やデモの自由などが保障される香港に対する直接的な統治をさらに強化し、反政府抗議活動を抑え込む狙いだ。」と報じている。しかも、「香港メディアは、全人代最終日の28日に採決され、8月にも施行される見込みだと報じている」という。
いま、香港では、コロナ禍対策を理由に、9人以上の集会が禁止されている。ドサクサ紛れの火事場泥棒は、「アベ政権ばかりでなく香港政府もだ」と過日のブログで書いたばかりだが、香港政府の対応は手ぬるいとして、習近平政権が直々に乗り出してきたのだ。
香港の民主派には、この上なく大きな衝撃だろう。反発は必至だが、「一国二制度の完全な終わり」という悲壮感も漂っているという。
これに対して、アベ政権の反応は聞こえてこない。アメリカでは、トランプも、国務省報道官も、強い牽制のメッセージを発している。中国がこうなると、トランプさえも、正義の味方を気取ることができるのだ。
アメリカ議会上院の動きは素早い。中国の新たな法整備を「香港の自治に対する介入」と批判し、関係者に制裁を科す法案を提出したという。
せめて、できることをしたい。香港の市民を支援する声を上げよう。中国の強権的な政治を批判する声を上げよう。小さな声でも無数に集まれば、けっして無力ではなくなる。
(2020年5月23日)
アベ政権の検察庁法改悪案審議強行は火事場泥棒という最大級の非難を受けているが、コロナ禍のドサクサは日本だけのものではない。大きな抗議行動が困難なこの時期だからこそ今がチャンスという火事場泥棒はアベだけではない。香港の事態がまことにアベ政権並みなのだ。
逃亡犯条例案の香港議会への提案は、香港市民を中国の刑事司法のイケニエにするものとして猛反発を受け撤回を余儀なくされた。しかし、問題はこれだけではない。中国の対香港支配実効性を強化しようというもう一つの法案、中国国歌への侮辱行為を禁じる「国歌条例案」の審議が強行されつつある。火事場泥棒との非難を甘受せざるを得ない点において、アベ政権と習近平政権、まことに相い似て、相い親しいのだ。
世界の関心がコロナ禍に集中している。香港でも市民が路上に出にくい。しかも、中国のコロナ禍は小康を得ている。今がチャンス、このドサクサに紛れて、市民の反対運動が大きくならないうちに急いで法案を通してしまえ、と考えたのだ。まさしくアベ政権の発想である。
「国歌条例」の国歌とは、言うまでもなく中華人民共和国国歌のこと。抗日戦争のさなかに作られた聖なる民族独立の歌、である。「チライ!(起来=立ち上がれ)」で始まる勇壮な「義勇軍行進曲」。暴虐な帝国日本による侵略の困苦の中にある中国人民に、「奴隷となるな人々よ」「砲火に負けず、勇敢に闘おう」と呼びかける歌詞。学生時代、この歌に文句なく感動した。今もその思いは消えていない。
その感動は、傲慢な侵略者から人間の尊厳を守るために、団結して立ち向かおうという中国人民の精神と行動の崇高さに対する敬意であった。その憎むべき侵略者とは帝国日本にほかならない。
しかし、今、この歌の神聖性の尊重を香港市民に強制しようというの中国の姿勢は、まことに皮肉というほかはない。この歌の精神はいま香港市民の側にある。抵抗する香港市民を制圧しようというのが、習近平体制の中華人民共和国にほかならないのだから。
中国は2017年9月1日に「中華人民共和国国歌法」を制定、同年10月1日の国慶節を施行日とした。この法には、「国歌を演奏・歌唱する時は、その場にいる者は起立しなければならず、国歌を尊重しない行為をしてはならない。」「公共の場で故意に国歌の歌詞や曲を改ざんして国歌の演奏・歌唱を歪曲、毀損した、あるいはその他の形で国歌を侮辱した場合は、公安機関による警告あるいは15日以下の拘留とする」などの刑事罰をともなう強制条項がある。
予てから香港では、中国に反発する若者らがサッカーの国際試合などで中国国歌の斉唱を促されるとブーイングで抗議する行為が相次いでいた。これに対して、中国からの指示で、中国国歌への侮辱行為を禁じる「国歌条例案」が、立法会(議会)に上程されている。違反行為には、最高刑は禁錮3年という信じがたい法案。
報道によれば、「中国政府 香港マカオ事務弁公室」⇒香港政府⇒親中派政党・「民主建港協進聯盟(民建聯)」という指示ルートによるようである。日本では、自公が議会内では圧倒的な勢力を占めて、火事場泥棒の手先となっている。いびつな選挙制度で民意を反映しない香港の議会(定数70)も同じこと。世論の支持のない「親中派」(40議席)が、数の上では多数派で「民主派」(26議席)を圧倒している。
日本で、検察庁法改正案の審議が野党議員欠席のまま強行された5月8日、香港議会でも、親中派の審議強行に民主派が抵抗して大荒れとなった。
時事の伝えるところでは、「親中派議員による議事進行に民主派議員が激しく反発し、議場で両派がもみ合うなど大荒れとなった。中国国歌への侮辱行為を禁じる「国歌条例」成立へ向け、親中派が審議を加速させようとしており、対立が深まっている。」「条例案を検討する内務委員会が開かれたが、民主派議員が委員長席に詰め寄ってプラカードを掲げるなどして議事を妨害。複数の議員が強制退場させられ、衝突で転倒する議員も出た。」という。これによって、香港では再び中国や政府に対する市民の抗議活動が盛んとなる模様なのだ。
国民に愛国心を強制しなければならない国家とは、国民から見て魅力に乏しいまことにみじめな国家である。国民からの信頼が乏しく、国家としての存在が脆弱なのだ。中国は愛国心の強要という姑息なことをやめ、大国の風格を示すがよろしかろう。
なお、香港議会での次の「国歌条例」審議日程は、5月27日(水)だという。
(2020年5月16日)
台湾総統選の結果には注目すべきだろう。時事の記事には、「蔡英文氏が再選 過去最多得票で韓氏に圧勝―「一国二制度」拒絶」と見出しが打たれている。取材者の印象が「圧勝」だというのだ。
昨日《1月11日》の投開票で、投票率は75%と高い。前回が66%だから、選挙民のこの選挙への関心の高さがよく分かる。民進党・蔡英文の得票が817万票(57%)で過去最多であったという。対する最大野党国民党の韓国瑜は552万票(38%)だった。
各紙の報道は、対中関係での強硬路線と融和路線の争いと見て、「強硬な姿勢で臨んだ蔡氏に絶大な支持が集まり、対中融和路線派に圧勝した」とする。なお、同時に行われた立法院(定例113)選でも民進党は61議席を得て過半数を維持した。
時事によれば、蔡候補の訴えは、
「台湾の主権と民主主義を守ろう」
これに対する韓候補のフレーズは、
「中国と関係を改善すれば、台湾は安全になり、みんな金持ちになれる」
というもの。
もう少し敷衍すれば、
蔡「なによりも、主権の確保・民主主義の貫徹・自治の防衛が重要ではないか。けっして、大国である中国に呑み込まれてはならない。目先の経済的利益のために、あるいは政治的摩擦を恐れての安易な妥協は将来に取り返しのつかない禍根を残す」
韓「所詮中国の政治的・経済的影響を排除することなど無理なこと。現実的に考えれば、対中融和こそが、望ましい安全保障政策であり、台湾経済を豊かにすることができる」
理念派対実利派の対抗関係でもあり、政治重視派対経済重視派の争いでもあり、短期利益重視派対長期利益重視派の論争でもあると言えよう。
日本各地でもありふれた政治抗争パターンである。原発立地問題や基地建設問題、アベ友学園建設問題、カジノ誘致…、みんなこの手の争いである。日本では、実利派が圧倒的に強く、理念派の旗色が悪い。しかし、香港でも台湾でも、また韓国でも、良識ある理念派の層の厚さに敬意を表せざるを得ない。
なお、4年前の蔡政権発足以後、政権への民衆の支持は必ずしも高揚せず、世論調査による政権支持率は低迷していたという。しかし、中国が事態を逆転させた。2019年1月、習近平が将来の台湾統一に向けて「一国二制度こそが最良の形だ」と発言した際には、蔡氏は即座に「絶対に受け入れられない」と反発した。
そして、同年6月以来の、「一国二制度」の悲劇が香港で繰り広げられた。香港の運動に共感する人々が蔡政権への支持を高揚させた。反対に、台湾でも中国への警戒感が高まり、対中国融和派には、強い逆風となってしまったという。
逆風の源は香港だけではない。たとえば,昨年暮れには上海からこんなニュースが発信されている。
上海に復旦大学という名門がある。日本の大学になぞらえれば京都大学に相当するという。その大学規約の改正が話題となった。毎日の年末の報道では、「大学規約から『思想の自由』削除に抗議 中国の名門・復旦大で異例の集会」という見出し。
中国では大学の規約改正に教育省の許可が必要。同省が12月5日に許可した復旦大の新規約によると、序文にあった「学校の学術・運営理念は校歌にうたわれている学術の独立と思想の自由」との部分が削除された。そして「学校は中国共産党の指導を堅持し、党の教育方針を全面的に貫徹する」となった。
大学では学生らによる抗議集会が18日以降、断続的に開催されている。中国当局は大学での思想管理を徹底。名門大でのこうした集会は極めて異例だ。
この動きは、ネットで伝えられたが、12月末、既にネット上では関連投稿がほぼ削除されている。検索サイトでも「復旦」「自由」などのキーワードで検索できなくなっている。復旦大当局は18日に「改正手続きは合法的に行われ、党の指導をさらに徹底するものだ」とのコメントを出した。
これだから、香港の人々も、台湾の人々も、中国には呑み込まれたくないと必死にならざるを得ないのだ。
(2020年1月12日)
ときおり吉田博徳さんから難しい質問を受ける。先日の電話は、こんな風だった。
「香港の情勢が気になってならないんですよ。どう見ても、大国である中国が、香港市民の民主化要求を掲げる運動を弾圧している。これは、国家が国民の人権を侵害している図ですよね。このことについては、世界中の国や世論が中国を糾弾しなければならない。ところが、これに対して、中国は『香港の問題は中国の国内問題だ。国外からの内政干渉は許されない』と言っていますね。ホントに、そうなのでしょうかね。」「ひとつ、今度会うときにお話しを聞かせてください」
で、今日が「今度会うとき」となった。なんとなく、弁解じみた逃腰の話にしかならない。
「この間の宿題ですが、普通、弁護士は実務で国際法なんかやりません。それに、国際法ってきちんと体系ができているわけではありませんで、大国の実力がまかりとおる側面が大きいということもある。きちんとした話にはなりませんよ。」
「いったい、どんな風に問題を整理して考えればよいのでしょうかね」
「国際法秩序は主権国家を基礎単位に構成されていますから、どうしても、まず国家ありきから出発せざるを得ないのでしょうね。ですから、国家主権を相互に尊重するという意味での『内政不干渉の原則』が議論の出発点。そして、人権原理がこの原則をどこまで制約するか、と考えるしかないでしょうね」。
「内政不干渉の原則は常識的に分かりますが、明確な成文の根拠があるんでしょうか」
「主権国家の存立を認める以上は、内政不干渉は当然の原則となりますが、国連憲章第2条第7項に、『この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではな』い、とあります。国連すら干渉できないのですから、各国が干渉できるはずはない。また、『友好関係原則宣言』と呼ばれる『1970年国連総会決議』が、『いかなる国又は国の集団も、理由のいかんを問わず、直接又は間接に他国の国内問題又は対外問題に干渉する権利を有しない』と確認しています。つまりは、大国といえども小国の存立を尊重して、干渉してはならないということで、内政不干渉の原則は積極的な意義をもっていると評価できることになります」
「ところが、現実の問題としては、一国の政府が国内の少数民族や少数派宗教の信仰者を弾圧して人権を蹂躙するとき、国際世論や他国からの批判を封じる口実が内政不干渉の原則となっていますね。」
「そのとおりです。そういう問題意識から、内政不干渉の原則に対抗する、《国際人権》観念が、勃興してきました。1948年の世界人権宣言、1966年採択の国際社会権規約(A規約)・自由権規約(B規約)は、人権の普遍性・国際性を謳って、各国に人権のスタンダード遵守を求めるものとなっています」
「人権の原理に普遍性があるのなら、国家主権に優越しませんか。日本国憲法だって、国家よりも個人の尊厳がより重要なものとしているのでしょう」
「うーん。そこまで言い切れるかは疑問ですが、人権原理の普遍性を高らかに謳うものとして、1993年の世界人権会議で採択された『ウィーン宣言および行動計画』があります。『全ての国家が全ての人権と基本的自由を普遍的に尊重し保護する義務を遂行する必要があることを厳粛に再確認する』『すべての人権は普遍的であり、国際社会は全ての人権を地球規模で、公平に、同じ根拠で、同じ重大性を持って扱わなければならない。全ての人権と基本的自由を促進し保護することは国家の義務である』というものです。
「これなら、人権侵害を行っている国を、他国の政府や国民が批判することは、まったく問題になりませんね」
「この宣言以後、特定の国の人権問題についての批判の言論を内政干渉とは主張できなくなったと言われています。人権侵害の情報がきちんとした根拠にもとづくものである限り、他国の人権に懸念を表明したり批判することは内政干渉とは考えられません」
「では、いったい、国家主権を侵害する内政干渉とはどんなことを指すのでしょうかね」
「結局は、他国の人権侵害防止や救済のためとして、強制力を用いること。とりわけ武力を用いて威嚇したり、あるいは武力介入すること、と狭く考えられるようになっています。」
「なるほど、人権侵害国には、国連・各国・国際世論が総力をあげて批判することが重要で、武力行使はもっと事態をこじらせることになるでしょうね」
「香港の事態に関しては、中国の態度を批判することになんの問題もないと思いますよ」
「アメリカで可決された『香港人権・民主主義法』は内政干渉にならないのでしょうか」
「アメリカの主権行使の範囲を出ていないと考えられます。内容は大きく2点あって、その一つは、現在香港に与えている関税やビザ発給などに関する優遇制度を、今後は毎年の検証に基づいて、見直すか否を判断するということ。もう一つは、香港の自治や人権を侵害した人物に対し、アメリカへの入国禁止や資産凍結などの制裁を科すこと。いずれも、米国の主権行使の範囲内のことでしょう」
「やっぱり、アメリカだけでなく、国連もその他の国々も世論も、人権原理から中国に対して厳しく批判することが必要ですね」
「その点に異論はありません」
(2019年12月21日)
香港の事態が頭から離れない。大国中国の権力に対峙し、民主主義を求めて立ち上がった香港の人びとに心からの敬意を惜しまない。遠くからの声援を送りたいが、これ以上の犠牲を出して欲しくはない。胸が痛むばかり。
いったい中国はどうなってしまったのだろうか。再び天安門事件の蛮行を繰り返して、弾圧国家・人権無視国家・民主主義後進国家の汚名を甘受し、国際社会の悪役になろうというのか。革命前の、あの中国共産党の道義的な崇高さは、どこで投げ捨てたのだ。
昨日(11月15日)の赤旗に、日本共産党・委員長名の声明が掲載された。「香港での弾圧の即時中止を求める」という表題。香港の事態を、「中国による弾圧」と規定した内容。14日の記者会見で公表して、同日午前中に在日中国大使館を通じて中国政府に伝達したという。
全面的にその内容に賛意を表して、全文を転載する。
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一、香港で政府への抗議行動に対する香港警察による弾圧が強まっている。11日には警官が至近距離からデモ参加者に実弾発砲し、1人が腹部を撃たれて重体となった。丸腰のデモ参加者への実弾発砲は、言語道断の野蛮な暴挙である。大学構内への警察による突入で、多数の負傷者と逮捕者が出た。警察は、香港立法会(議会)の「民主派」議員7人を逮捕した。香港警察とデモ参加者との衝突のなかで、デモ参加者から犠牲者が出ており、その真相解明が厳しく求められている。
わが党は、デモ参加者が暴力を厳しく自制し、平和的方法で意見を表明することが重要だと考える。しかし、殺傷性の高い銃器を使用して、抗議活動への弾圧を行うことは、絶対に容認できるものではない。
一、重大なことは、香港当局の弾圧強化が、中国の最高指導部の承認と指導のもとに行われていることである。
習近平中国共産党総書記・国家主席は4日、林鄭月娥・香港行政長官との会談で、抗議行動への抑圧的措置を続けている香港政府のこの間の対応を「十分評価する」としたうえで、「暴力と混乱を阻止し、秩序を回復することが依然、香港の当面の最も重要な任務である」と強調した。「一国二制度」の下で中国政府の指導下にある香港に対するこの言明が、何を意味しているかはあまりにも自明である。
実際、中国政府は、香港警察による11日の実弾発砲について、「警察側の強力な反撃にあうのは当然である」と全面的に擁護している(12日、外交部報道官)。
中国の政権党系メディアは、香港警察に対し「何も恐れる必要はない」「国家の武装警察部隊と香港駐留部隊が、必要な時には、基本法の規定に基づきみなさんを直接増援できる」と言い放った(「環球時報」11日付社説)。武力による威嚇を公然とあおり立てているのである。
一、今日の香港における弾圧の根本的責任は、中国政府とその政権党にあることは、明らかである。その対応と行動は、民主主義と人権を何よりも尊重すべき社会主義とは全く無縁のものといわなければならない。
今日の世界において人権問題は国際問題であり、中国政府は、人権を擁護する国際的責任を負っている。
日本共産党は、中国指導部が、香港の抗議行動に対する弾圧を即時中止することを強く求める。「一国二制度」のもと、事態を平和的に解決する責任を果たすことを厳しく要求するものである。
(2019年11月16日)
風格という言葉がある。その意味するところの説明は難しいが、なんとなく分からないではない。山岳や巨樹・古木の中には、確かに風格を感じさせるものがある。遺跡や建造物についても同様である。自ずと畏敬の念を呼び起こす雰囲気。今は既に絶滅してお目にかかることはないが、昔は風格のある人物が存在していたともいう。
人間集団にも風格はありうる。ある種の企業の独特の社風に風格を感じ取ることある。デマやヘイトやスラップをもっぱらとする企業には、望むべくもないことだが。
そして、大国には、中小規模の国にはない風格があってしかるべきである。大国の自信と余裕から、大らかで寛大な風格が自ずから滲み出ることになる。
今、大国アメリカの国連の分担金滞納が話題となっている。そのため国連は、深刻な財政危機にあり、「11月の人件費をまかなえない恐れがある」と事務総長が訴える事態となっている。けちくさいトランプの小細工。堂々たる大国のやることではない。世界から、尊敬も信用も得られない、風格なきトランプのアメリカ。
もう一つの大国、中国も同様である。いま、中国は総がかりで、NBA(全米プロバスケットボール協会)と対峙している。そのまなじり決したやり方には、大国の風格のカケラもない。これでは、世界から尊敬も信用も得られまい。風格なき習近平の中国。
問題の発端は、10月4日の一通のツイートである。NBAに所属するヒューストン・ロケッツのゼネラルマネジャーであるダリル・モーリーが「香港と共に立ち上がろう」と書かれた画像をツイッターに投稿した。中国に対する批判の言論ではない。「香港と共に立ち上がろう」である。これが中国の逆鱗に触れた。大きな中国がこの一通のツイートに噛みついたのだ。何という、鷹揚さにも寛大さにも欠けた対応。余裕も自信もないことをさらけ出しているではないか。
もちろん、このツイートはNBAの公式コメントではない。ヒューストン・ロケッツのツイートですらない。あくまで、ダリル・モーリー個人の見解であることは明らかだ。NBAが責任をもつ筋合いはない。常識的には。
中国メディアの反発に対して、NBAはどう言うべきであっただろうか。
「民主主義社会の普遍的理念として表現の自由がある。NBAは表現の自由を尊重し発言者を擁護する」と言うべきであったろう。おそらくは、そう言いたかったに違いない。それでこそ、「自由の国」の「自由の精神」を貫徹することになる。しかし、そうは言えなかった。アメリカは、「自由の国」であるだけでなく、「カネが支配する国」,すなわち「資本の原理が貫徹する国」でもある。表現の自由という理念よりも、儲けのチャンスを逃してはならないとする現実的な要請を優先せざるを得ない。
結局、NBAは自らは関与していないという言い訳の声明を発表しただけでなく、英語と中国語で謝罪した。
NBAにとって、中国は数十億ドルの市場だという(「ニューズ・ウィーク」)。この巨大市場を失いたくはないというNBAの現実感覚が、表現の自由擁護を追いやったのだ。
恐るべきは、巨大市場を擁する中国である。バスケットボールに限らない。スポーツ一般にも限らない。すべての経済分野で、巨大市場を武器とする中国の傍若無人が、まかり通っていることが報じられている。
米中ともに、大国の風格を欠くことにおいて兄たり難く弟たり難し。とりわけ、ナショナリズムをふりかざす中国の格好の悪さが際立っている。
国際的な批判が必要である。私も、ダリル・モーリーに倣って声を上げよう。
「香港と共に立ち上がろう」と。
(2019年10月17日)
(急ぎのお知らせ) 明日10月18日、17時から予定していた「NHK前アピール行動」は雨天の予報を受け、中止となりました。 目下、呼びかけ人の間で、近々に、同じ趣旨で代わりの企画を行う相談をしています。明日中には決定してお知らせします。 たびたびの予定変更ですが運動はしっかり続けますので,よろしくお願いします。