(2022年1月23日)
核兵器禁止条約は、昨年1月22日に発効した。それから1年である。条約の批准国・地域は現在59。この3月には、オーストリア・ウィーンで第1回締約国会議が開かれる。日本は唯一の「戦争被爆国」として、この条約への姿勢が問われている。当然にこの条約を締結すべきでもあり、少なくも締約国会議にオブザーバー参加をしなければならない。被爆者団体も、原水禁運動団体も、広島・長崎の市民も、国内の平和運動も、一斉に声を上げている。
核禁条約はあらゆる核軍備を違法とする内容である。初めて、核兵器の開発、実験、生産、保有、使用などを全面的に禁じた画期的な内容。国連加盟の6割にあたる122カ国・地域の賛成で2017年7月に採択された。世界の122か国が賛成して採択されたこの条約を日本が批准できなはずはない。いや、日本がこの条約に背を向けることは許されない。締約国以外では、ドイツがオブザーバー参加する方針を表明して話題となっている。日本政府も決断すべきだ。
岸田首相や林外相の言うところは、「(核禁条約は)核兵器のない世界に向けての出口にあたる重要な条約だ」との認識を示しつつ、「世界最大の核兵器国である米国を動かすことを日本としてやらなければならない」「核兵器保有国が1カ国も参加していない。最終的なゴールを目指すには、核を持っている国と持っていない国がしっかりと話をしていくことが重要だ」というだけのことである。核禁条約に加盟できない理由になっていない。
「核禁条約に米国が入っていない。核兵器保有国が1カ国も参加していない。だから日本も参加できない」はまったく理解不能である。日本が締約国になって、国民の核廃絶の大きな世論を背景に、核保有国との協議を続ければよいではないか。それができないとする考えは理解しがたい。
岸田内閣は、核禁条約は敬遠して、核不拡散条約(NPT)大事に執着しているようだが、とうてい納得できない。かつて部分核停条約ができたとき、その平和への一歩前進は、大きく評価された。しかし、部分核停条約からNPTに至る国際条約は、核保有大国の核兵器所持を合法化する側面を持ち続けてきた。それでよいはずはなかろう。
今、日本の政府が、核不拡散条約(NPT)体制擁護に固執して、核超大国の核独占合法化を支援すべきときではない。なすべきことは、《核保有独占を許容する核不拡散条約(NPT)の島》から、《核廃絶の理念に立った核禁条約の島》に、橋を渡して移らねばならない。いつまでも、核保有国と一緒に《不拡散条約(NPT)の島》に留まっていては、この先導役を果たすことはできない。理想を示す先に、自らの位置を置くべきが当然ではないか。
昨日は、各地で、被爆者団体、平和運動体が、「核兵器禁止条約に全世界の参加を」と訴え、日本政府の署名・批准などを求める声明を発表した。「最も被害を知る日本が世界に向けて発信しなければ、核兵器廃絶はできない」と声を上げている。
岸田首相にはこの声が聞こえないのだろうか。このことに関しては聞く耳はなく、聞く力もないというのだろうか。核保有国の声だけに耳を傾けていては、政権もたないことを知らないのだろうか。
(2021年11月26日)
ドイツが変わる。アンゲラ・メルケルからオラフ・ショルツへ。首相の所属政党は、キリスト教民主同盟(CDU)から民主社会党(SPD)へ、である。
9月のドイツ総選挙で第1党となったのが中道左派の社会民主党(SPD)。同党はこれまでメルケルを首班とする大連立政権に参加していたのだが、今回、緑の党、自由民主党(FDP)との3党連立内閣を作ることとなった。その3党連立の合意が24日に成立した。12月上旬に、民主社会党(SPD)党首であるショルツを首班とする新連立政権が誕生する。
新政権での幾つかの変化が報じられているが、最も注目されるのが《核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加》である。3党連立の合意文書は、「国際的な核軍縮において主導的な役割を果たしたい」と表明。「核兵器のない世界、ドイツを目指す」としている。「メンバーではなくオブザーバーとして参加し、条約の意図に建設的に寄り添っていく」という姿勢。もっとも、同時にロシアなどの脅威を念頭に、米国と核兵器の運用を「共有」する仕組みを維持する姿勢も明確にされているという。
核禁条約は全ての核兵器を違法とし、核の使用だけでなく、製造・保有も禁止している。今年1月に正式に発効。これまでに50以上の国・地域が批准の手続きを終え、来年3月にウィーンで第1回締約国会議を開催する。ドイツは、同会議でのオブザーバー参加国となる。その参加表明は、主要7カ国(G7)で初めてのことであり、NATO加盟国としてはノルウェーに次いで2番目だという。
国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のフィン事務局長は「何十年もの間、核兵器に反対してきたドイツ国民にとって、重要な一歩を踏み出したことを意味する」と歓迎する声明を出した。日本国内の被爆地や被爆者団体はこのニュースに湧いている。日本も、ドイツに続くべきだし、一歩前進が現実的に可能だという期待の確信が高まっている。
米国の「核の傘」に依存し国内に米軍基地を置くドイツのオブザーバー参加表明である。唯一の戦争被爆国・日本がドイツに続くべきは当然で、ここで動かなければ、ドイツに比較しての岸田政権の後ろ向きの姿勢への批判が高まることは目に見えている。
しかし、日本政府が動く気配はない。松野博一官房長官は25日の記者会見で、まずは、「条約に核兵器国は一国も参加していない」と強調した。その上で、核兵器禁止条約締約国会議について、「オブザーバー参加といった対応よりも、我が国としては唯一の戦争被爆国として、核兵器国を実質的な核軍縮に一層関与させるよう努力しなければならない」と述べている。要するに、何もしませんという宣言である。
日本政府は、一貫して核禁条約に背を向けてきた。本当は一顧だにする気もないのだ。しかし、核廃絶を願う世論を無碍にもできない。そこで、こういう起承転結の論法を編み出した。
(起) 「日本は唯一の戦争被爆国として、世界の核廃絶を目指す」
(承) 「そのためには核保有国に核廃絶を決意させることが必要だ」
(転) 「非核国による核保有国批判は、核保有国刺激の逆効果だけ」
(結) 「日本は両者間の橋渡しをして核保有国に核廃絶を決意させる」
まずは、目標をはるか遠くに設定する(起)。次いで、そのはるかな目標に密接した困難な条件を提示する(承)。その困難な条件をクリヤーするためには目前の実現可能な課題の効果を否定する(転)。そして、何もしないことを合理化する(結)。
(2021年8月9日)
昨夜は台風9号が九州を襲った。コロナ禍はさらに深刻な様相。東京五輪の喧噪は昨日ようやくにして終わったが、五輪禍はまだ続く。昨日の万能川柳に、「おもてなし出来ず おみやは五輪株」(吹田 のんさん)とあるとおりだ。世の中、安穏ではない。
コロナ禍を押しての東京五輪強行の理由はいくつか数えられるが、その中の一つに、政権浮揚の思惑があったことは間違いない。明らかに政権は、国民やメディアを舐めていた。「オリンピック開催に突っ込めば、メディアは感動の記事一色だ。国民の関心も意識も変わる。そうすれば、低迷する内閣支持率も復活する」との読みである。
この読みは、半分は当たった。確かに、メディアは「メダルラッシュ」「感動大安売り」の記事で埋められた。しかし、沈みかけた政権の浮揚の思惑は当て外れとなった。本日発表の朝日世論調査、内閣支持率28%・不支持率53%という結果である。政権の危機、いよいよ深刻である。
太平洋戦争末期の事情に似ていなくもない。敗戦必至の戦況となって、近衛文麿が天皇(裕仁)に「早期の敗戦受容」を勧告した。しかし裕仁はこれに従わず、「もう一度戦果をあげてから」と講和の時期を失した。そのため、彼は厖大な国民の生命損失に有責の刻印を押されることとなった。なくもがなの、その後の各地の大空襲、沖縄地上戦、2発の原爆投下によってである。菅義偉も、衆院の解散時期を失することになりそうな雲行きである。もっとも、こちらは裕仁ほどの責任の重さはない。
ところで、誰が言ったか「8月は 6日9日15日」。今日はその9日、長崎の原爆投下の日。長崎市が主催する「被爆76周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が挙行された。
本日も、菅義偉は来賓の立場で挨拶を述べたが、針のムシロの心境だったろう。3日前の広島の式典で、信じがたい失態を犯したばかり。被爆者団体から、「不誠実極まりない」と叱責を受けた身だ。彼は、確かに心ここにあらず、ボーっとしていた印象だった。無能総理というだけではなく、不誠実の烙印も消えることはないだろう。
それだけではない。広島・長崎の両市長も被爆者団体も声を揃えて、「日本も核禁条約の締結を」「せめて、条約締結国会議にはオブザーバー参加を」と悲痛なまでの声を上げているが、菅はまったく無視の姿勢を崩さないのだ。
それでも菅は、式典出席見合わせとは言えない。やはり、イヤでも出席せざるを得ないのだ。式典出席が、圧倒的な世論の求める内閣総理大臣としての任務なのだから。思い出す。安倍晋三という人物、沖縄の平和勢力からは蛇蝎の如く嫌われている。それでも、6月23日「慰霊の日」の「沖縄全戦没者追悼式」には出席せざるを得なかった。On-line出席で済まそうとて、できることではない。
安倍晋三は(菅義偉もだが)、沖縄の民意に逆らって新基地建設を遮二無二強行する首謀者。言わば、本土のエゴで沖縄に戦争リスクの負担を押し付けているのだ。だから、「沖縄平和祈念」の式典にはまったく似つかわしくない。それ故に、式場周辺からあからさまに、「何しに来たのか」「カエレ、カエレ」と罵倒されることになる。それでも、「じゃあ帰るよ」とは言えない。罵倒されながらも、式典出席を継続せざるを得ない。これが、民心と離れ、心服されることのない為政者のつらいところ。
菅義偉は、本日長崎の式典に遅刻はしたようだが、読み飛ばすことなく、挨拶の原稿全文を恙なく読み通したという。よくできた。それくらいの能力はあるんだ。ねえ、菅君。人間、優れていることよりは、真面目であることが大切なんだよ。真面目にやればちゃんと仕事ができるじゃないの。
社会人には、「有能ー無能」、「誠実ー怠慢」の評価軸がある。できることなら、有能で誠実と言われたいものだが、なかなかそうはいかない。菅君も、努力次第で「有能」の評価を獲得することは可能だが一朝一夕には無理なこと。任期を考えると間に合いそうもない。一方、緊張次第で「誠実」の評価は得やすいのだが、広島での菅君、君は無能で怠惰と評価せざるを得なかった。今日長崎の君は、まずまず誠実といってよい。だって原稿読めたのだから。
では菅君、君は有能か。総理大臣として求められる能力とは、何よりも官僚が作成した原稿を滑舌よく、聞いてる人に分かるよう朗読できることだ。安倍晋三のように、漢字が読めなかったり、読み間違えたりしなければ立派なものだ。今日の君については、原稿を間違いなく読めたのだからまずまず合格点としたい。採点としては、「可」だ。
今日の式典で、田上富久市長も、被爆者代表の岡信子さんも、切実に訴えていた、核兵器禁止条約の署名と批准そして第1回締約国会議にオブザーバーとして参加することを真剣に考えなくては。それができたら、「良」の判定になるよ。がんばりたまえよ、菅君。残りの任期は長くもないんだから。
(2021年8月6日)
あの日から76年、例年のとおり猛暑の8月6日。例年と違うのは、コロナ禍のさなか、そして五輪禍のさなかでの広島である。菅義偉にとっては初めての(そして、おそらくはこれが最後の)広島平和式典(「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」)出席であり、核禁条約が発効して初めての8月6日でもある。
広島市長は、事前にIOC会長バッハに対して、原爆犠牲者へのこの日の黙祷を要請した。具体的には、下記の内容である。
「選手村などそれぞれ居られる場所において8月6日午前8時15分に黙祷を捧げることで、心の中で同日開催される広島での平和記念式典に参加するよう呼び掛けていただくことはできないものでしょうか。」
が、ささやかなこの願いは聞き届けられなかった。オリンピックとは何なのだろうか。IOCとは何者だろうか。これが平和の祭典のあり方とは思われない。
菅義偉は、暑いさなかをいやいや式典に出席して、いつもながらの原稿棒読みだった。最近何もかもうまく行かないという苛立ちもあったのであろうか、最初から少しおかしかった。冒頭「広島市」を「ひろまし」と噛み、原爆を「げんぱつ」と読み違えた。さらに、原稿1ページ分を読み飛ばし、ほかに「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」とのくだりも読まなかったという。
毎日新聞によると、「私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない……」と読み上げた後、「世界の実現に向けて力を尽くします、と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、核兵器のない世界の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく」という部分を読み飛ばした、という。
一番大事なところの読み飛ばしである。しかも、これでは文意が通らない。被爆者や遺族に対して礼を失することこの上ない。コロナ禍・五輪禍に加えての「菅義偉禍」と指摘せざるを得ない。
コロナ感染を警戒して、出席者の人数は制限されていたが、首相挨拶以外は真っ当だった。松井市長の平和宣言では、以下のとおり、核禁条約の締結要望が明示された。
「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。」
そして、恒例の子ども代表が「平和への誓い」を読み上げた。もちろん、読み飛ばしなどはなく。印象深いその一部を引用しておきたい。
「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。
私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。
私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。
私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。
そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。
誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません。
争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます。
広島で育つ私たちは、使命を心に刻み、この思いを次の世代へつないでいきます。」
菅義偉よ。この子どもたちの清浄な決意を聞いたか。平和への使命の発言に耳を洗ったか。
実は私も、戦後広島で育った一人だ。小学校1年生を市内の3校に通った。いずれも爆心地に近い幟町(のぼりちょう)小学校、牛田(うした)小学校、三篠(みささ)小学校である。その間にピカ(原爆)の絶対悪を確信した。
1945年8月6日午前8時15分をもって、人類史は二分される。私は、漠然としてではあるが、少年時代からそう思ってきた。あの原爆が炸裂した瞬間、人類は疑いなく自殺の能力をもち、そのことを自覚したのだ。
以来、人類が身につけた自らを滅ぼす能力を封じ込めることが人類が取り組むべき最大の課題となった。核廃絶こそが人類共通の願いであり、最大の課題としてあり続け、事態は今も変わらない。
にもかかわらず人類は、核廃絶どころか核軍拡競争を続けてきた。原爆は水爆となり、多様な戦術核が開発された。核爆弾の運搬手段は飛躍的に性能を向上させ、人類は核戦争による絶滅の恐怖とともに生存してきた。人類は、いまだに首をすくめ息を潜めた「萎縮した小さな平和」の空間で生き延びている。
すべての武力が有害で無意味であるが、核兵器こそは絶対悪である。今日、8月6日はそのことを確認すべき日。「この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続け」ようと思う。
(2021年3月22日)
貴重な歴史の証人が失われた。第五福竜丸乗組員として「死の灰」の被曝を体験され、その体験を語り続けてこられた大石又七さんが亡くなった。享年87。
大石さんは第五福竜丸展示館を運営している公益財団法人第五福竜丸平和協会の評議員でもあった。昨日(3月21日)、協会の理事会で初めて訃報に接した。亡くなられたのは3月7日だという。
昨日、第五福竜丸展示館ホームページは、以下の「お知らせ」を掲載した。
第五福竜丸の乗組員として、ビキニ水爆実験に被ばくした大石又七さんが、去る3月7日に亡くなられました。
大石さんは、第五福竜丸の保存が実現し、夢の島公園に展示館が開館した数年後の1980年ごろから時折展示館を訪れていました。1983年に中学生に請われ自らの体験を語ったことを契機に、証言者として歩みはじめました。展示館への来館校が増える中で、クリーニング業を営みながら、断ることなく証言・講和に臨みました。また各地からも声にもこたえ、講演の数は700回を超えます。第五福竜丸を前にしては500回以上お話されてきました。
大石さんは、子どもたちに自らの体験を告げるだけでなく、核がもたらす身体的な被害や精神的苦しみ、差別や社会的な問題、そして核の現状などについて勉強を重ねていきました。1991年には公開された福竜丸被災に関する日米間の外交文書を読みこみ、水面下での政府間のやりとりも著作の中で紹介しています。ここにも「子どもたちに話すからには間違ったことは言えない」との大石さんの真摯な姿勢が感じられます。…
大石さんは、被ばくによる闘病から退院後、東京に出て辛苦を味わいながらも社会の理不尽さや不正を許さない実直な人柄とその行動が、多くの人から慕われました。
第五福竜丸平和協会は、大石さんの意思と行動を心として、核兵器も被ばく被害もない世界にむけて、第五福竜丸の航海を続けます。大石又七さんありがとうございました。
「大石又七さんありがとうございました。」には、特別の実感がこもっている。23人の被曝乗組員の中で、大石さん以外に積極的な語り部はいない。その大石さんも、被災直後から体験を語りはじめたわけではない。30年ほどは、口をつぐんでいた。実は、被曝の体験を語るのは容易なことではない。大きな社会的圧力を乗り越えなければできないことのだ。
大石さんの著書、『ビキニ事件の真実 : いのちの岐路で』(みすず書房 2003年)の中に、次の一節がある。
ここでまた運動とは逆行することも起こる。他船の被爆者たちの動きだ。俺たちもそうだったが、自分から被爆の事実を隠しはじめたのだ。
当時、乗組員たちには最低補償も労働組合もなく、貧しいその日暮らしだった。補償金が出ないとなれば働かなければならない。うっかり話でもしたら足止めされ、出漁もできなくなる。出漁できなければ、明日から生活に困る。そのとき、体が動けば、自分から「被爆しました」などと言うばかはいない。
福竜丸のように騒ぎに巻き込まれれば、白い目で見られたうえに、差別もされるーそれは船元も同じだった。多くの船子を抱え、船をあそばせておくわけにはいかない。事件の波紋が大きくなるにつれ、みんな恐れをなして自分から隠しはじめたのだ。漁船の生活は船元・船頭を中心とした典型的なタテ社会である。特に焼津は、昔から身内で要職を固める一船一家主義の土地柄、上下関係にもきびしい世界だった。その下で働く漁師たちはたとえ意見を持っていても、従う以外に道はない。そして船という小さな枠で仕切られて、広い海にちらばっているのだ。
やがて、乗組員の中からも事件を忘れさせようとする働きかけが始まる。気がつくと、福竜会という会報が一方的に送られて来るようになった。それは意外なもので、乗組員の発病や苦悩に対して助け合うものならともかく、「俺たちに近づいてくる者はみな共産系の者だ」「気をつけろ」などと口をふさぐものだった。そして、仲間が発病しても死んでも、「被爆とはもう関係ない、一般の病気だ」「第五福竜丸であるとか、元乗組員であるとか、そんなことはみんな忘れろ」「ずい分長生きさせてもらった、放医研の検査には協力しよう」『己のわがままで、どこかに不信の念ありとすれば、人間失格だ』とまで書いて、乗組員から不満が出ないようにした。元乗組員たちは元気な者ほど、今も口をつぐんだままでいる。
被災体験の証言は、口を封じようとする圧力に抗してなされるのだ。屈することなく、その使命感から証言を続けてこられた大石さんに感謝せずにはおられない。亡くなられた今、大石さんが果たした役割の大きさを感じる。
なお、大石さんの著作は、『ビキニ事件の真実』以外に、下記のものがある。
大石又七著、工藤敏樹編『死の灰を背負って : 私の人生を変えた第五福竜丸』 新潮社 1991年
大石又七お話、川崎昭一郎監修『第五福竜丸とともに : 被爆者から21世紀の君たちへ』新科学出版社 2001年
大石又七『これだけは伝えておきたいビキニ事件の表と裏 第五福竜丸・乗組員が語る』かもがわ出版、2007年
大石又七『矛盾 : ビキニ事件、平和運動の原点』武蔵野書房 2011年
(2021年3月12日)
気が滅入ってばかりの3・11報道の中で、たった一つの明るいニュース。東京・上野で30年間灯され続けた「広島・長崎の火」が、昨日(3月11日)原発事故の被災地フクシマ楢葉町に「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」として継承され、再点火された。新たな核廃絶の希望の火がともった。
「広島・長崎の火」から、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」へというコンセプトは、「原子爆弾投下による核爆発被害」だけでなく、「ビキニ被曝や原発事故の放射線被害」をも人類に対する核の脅威と捉える姿勢を示している。この火は、核の脅威を警告するとともに、『非核』を目指す運動の希望の火となって輝き続ける。まことにフクシマの地にあることがふさわしい。
「上野東照宮の『広島・長崎の火』が今はない」という記事を本年2月21日の当ブログに掲載した。上野東照宮の『広島・長崎の火』の由来については、下記のURLをご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=16358
嵯峨敞全という名物宮司の厚志で実現した上野東照宮敷地の「広島・長崎の火」だったが、時代が遷って今度は、早川篤雄という住職の賛同を得て、楢葉町「宝鏡寺」境内に新たな火が灯されたのだ。
2月21日ブログで紹介したとおり、「上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会」は、昨日2021年3月11日をもって解散した。しかし、上野東照宮境内の『広島・長崎の火』が消えたわけではない。ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』として、福島県楢葉町の宝鏡寺の境内に建設されるモニュメントに再点火された。「非核」の思いも受け継がれた。
前回ブログは、「火」が上野からなくなることを惜しむニュアンスの記事になったが、フクシマでの再点火を積極的に評価したい。宝鏡寺の早川篤雄住職は、反原発運動のリーダーとして知られた方。原発避難者訴訟の原告団長でもある。
昨日(3月11日)「宝鏡寺」での「非核の火」をともす式典には130人以上が参加した。新たに立ち上げられた「『非核の火』を灯す会」共同代表の伊東達也氏は「核兵器も原発も人間がつくったもので、人間の力でなくせる。『これ以上ヒバクシャをつくるな』『二度と原発事故を起こすな』の声を日本と世界に伝える決意だ」とあいさつした。
早川篤雄住職は、原発事故で「豊かな自然、平和な暮らし、地域が奪われた」と述べ、「人類の幸福と進歩は平和なくして不可能」と強調した。
東京新聞は、この件を取材して、《福島にともる「非核の火」 原爆、ビキニの資料館も―東日本大震災10年》という記事を掲載している。
移設を機に「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」と名を変えるのは、「環境や命、ふるさとを奪う核被害は許さない」という早川篤雄さんの思いからだという。新たな「火」のモニュメントの近くには、「原発悔恨・伝言の碑」が建てられ、「平和な未来は歴史を知ることから始まる」と、資料館も併設される。原発事故の教訓を中心に、原爆被害や第五福竜丸などが被ばくしたビキニ環礁での水爆実験の資料などを展示する予定と報道されている。
フクシマにこそふさわしい「非核の火」。原子炉という地獄で燃える核の劫火ではなく、人類の希望として輝く「非核の火」。2021年3月11日を第1日として、この先ずっと輝き続けていただきたい。
(2021年3月1日)
3月1日、ビキニデーである。1954年のこの日、「ブラボー」と名付けられたアメリカの水爆実験によって遠洋マグロ漁船第五福竜丸が死の灰を被り、乗組員23人が被爆した。45年8月のヒロシマ・ナガサキにおける原爆投下の惨劇から9年を経ないこの日に、人類は新たに水爆による災厄を経験することとなった。
この大事件は日本中を震撼させた。私は当時焼津に近い、清水市内の小学校に通う4年生。騒然たる雰囲気を覚えている。日本の社会全体が放射能の脅威を身近なものとして、おののいた。
その日本社会の雰囲気を背景に、この年の11月東宝の特撮映画「ゴジラ」が封切りになって、観客動員数961万人を記録する空前の大当たりとなった。
「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が水爆実験の影響で目を覚まし日本を襲う」というストーリー。大暴れするゴジラだが、最後は断末魔の悲鳴を残し泡となって太平洋に消える。人々が歓喜に湧く中、志村喬扮する古生物学者がこう呟く。「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」。
あれから67年である。我が国の政府が、核にも原発にも、断固とした廃絶の決意を持っていないことが歯がゆい。ゴジラは、今なお世界のどこかに潜んでいて、日本にも上陸する恐れなしとしない。いや、2011年3月11日、ゴジラは福島浜通りに姿を現したのではなかったか。
ところで、破壊をほしいままにするゴジラは、暴虐な水爆の化身のようにも見えるが、その最期は哀れで悲しげな印象を与える。ゴジラが何を象徴するか、多様な見方が可能だろう。
手許にある平和委員会の「平和新聞」最新号には、「私は『ゴジラ研究者』」「ゴジラは平和を語り続ける」という表題で、伊藤宏さんという大学教授とゴジラの主演俳優だった宝田明さんの対談の写真が掲載されている。伊藤さんは、「ゴジラは反核平和を語り続ける存在」「ゴジラ作品は、核兵器を絶対に使わない、という強いメッセージを持っている」という。
朝日新聞の取材に対して、宝田さんは、ゴジラを「ヒバクシャの悲運を背負った存在」と次のように語っている。なるほど、確かにそのとおりだ。
「海底に暮らしていた巨大生物ゴジラは米軍の水爆実験で安住の地を追われ、東京に上陸し、銀座や国会議事堂を焼き尽くす。そして最後は人類が生み出した残酷な兵器で海に沈む。映画の試写を見ながらわーわー泣きました。『憎っくきゴジラ』ではないのです。人間の強欲によって『ヒバクシャ』とされ、悲しい運命を背負わされた存在。ひとりの観客として心を揺さぶられたのです。」
「核兵器禁止条約が効力を持つのは、もろ手を挙げて万々歳です。目の前の扉がふっと開いた、緞帳(どんちょう)がすーっと上がったという気がします。ただ、被爆国の日本は加わっていない。『核だけは絶対にダメだ』と言える国なのに。なぜ真っ先に批准しないのか、また後れをとるのかという思いです。」
「俳優であるために政治的発言を控えていましたが、還暦を過ぎて戦争体験を語り始めました。「ゴジラ」1作目の制作陣のほとんどが鬼籍に入る中、彼らの思いも語る責任があると思います。…かろうじて生きながらえている戦争体験者として、語るべきことを語り、言わざる聞かざる見ざるの「三猿」にはならないようにしたいと思います。」
3月1日ビキニデーに、あらためて思う。核兵器を必要悪などと言ってはならない。核と人類の共存を認めてはならない。核によって安住の地を追われたゴジラとともに、核廃絶の声を上げよう。
(2021年2月22日)
3月1日ビキニデーが間近である。
1954年3月1日、アメリカはマーシャル群島ビキニ環礁での水爆実験をして、大気中に大量の放射性物質を撒き散らした。焼津を母港とするマグロ漁船・第五福竜丸は爆心から160キロ離れた海域で被爆し、23人の乗組員全員が急性放射線障害との診断で入院。その年の9月、最高齢だった通信士の久保山愛吉さんが亡くなって、多くの国民の怒りと悲しみを誘った。そして、この事件を契機に、国民的な原水爆禁止運動が高揚し、現在に至っている。
第五福竜丸平和協会にとって、3月1日は最も重要な日。毎年3・1ビキニデー前後に集会を企画する。ことしは、「3.1ビキニ記念のつどい2021『ふね遺産』認定記念 オンラインシンポジウム」というイベント。この集会が、昨日(2月21日)開催されてたいへん充実していた。今年は核兵器禁止条約発効の国際的な核廃絶運動の高揚の中で迎える3・1ビキニデーではあるが、「ふね遺産」シンポは面白かった。
「ふね遺産」は、公益社団法人日本船舶工学会が認定する。「歴史的で学術的・技術的に価値のある船舟類とその関連設備を『ふね遺産(Ship Heritage)』として認定し、文化的遺産として次世代に伝え、船舶海洋技術の幅広い裾野の形成を目的とする」「なお、『ふね』の表記は、「船」や「舟」も含める意味で、平がなにするものである」という。
また、「『ふね遺産』を通じて、国民の「ふね」についての関心・誇り・憧憬を醸成し、歴史的・文化的価値のあるものを大切に保存しようとする国民及び政府・地方自治体の気運を高め、我が国における今後の船舶海洋技術の幅広い裾野を形成することをこの活動の目的とする。」ともいう。
このような趣旨を持つ「ふね遺産」にはこれまで24件が認定され、現存する船体としては11隻。第五福竜丸は、認定第25号で現存船としては第9号である。ちなみに、現存船賭して認定を受けた他の10隻は、以下のとおり。
日本丸・ガリンコ号・氷川丸・海王丸・徳島藩御召鯨船「千山丸」・コンクリート貨物船「武智丸」・雲鷹丸・明治丸・マーメイド・遠賀川五平田舟(かわひらた)
第五福竜丸は、『西洋型肋骨構造による現存する唯一の木造鰹鮪漁船』として貴重なものなのだという。認定された同船は、以下のとおりに紹介されている。
第五福龍丸は和歌山県の古座造船所で鰹漁船として1947年に進水した後、1951年に清水市の金指造船所で鮪延縄漁船に改造された。本船は1954年にビキニ環礁水爆実験で被災したことでも知られる。
木造鰹鮪漁船は戦後の食糧難の時代に数多く建造されたが、本船は良い状態で保存された現存する唯一の実船である。肋骨を有する西洋型木造船の構造を今に伝える貴重な遺産でもある。
保存展示されている同船の搭載エンジンは新潟鉄工所製250PSで、141台製造された中で唯一現存するのものとして貴重である。
シンポジウムは、昨日2月21日(日)の13:00?15:00に行われ、講師は日塔和彦氏(文化財建造物修理技術者,第五福竜丸平和協会評議員,保存検討委座長)、古川洋氏(安芸構造設計事務所主宰,建築構造)、庄司邦昭氏(東京海洋大学名誉教授,造船学)、中山俊介氏(東京文化財研究所特任研究員,近代文化遺産)。いずれも専門性の高い講演で、聞かせた。第五福竜丸保存の意義についてだけでなく、具体的なその方法について示唆に富むものだった。
第五福竜丸は、核による脅威に警鐘を鳴らす船として保存され、多くの人に語り継がれることによって、核なき世界を目指す航海を続けてきた。今回のテーマは、被爆船第五福竜丸ではなく、この船の持つ木造船としての産業歴史的価値に着目するもの。どのような角度からでも、この船の保存の意義を確認していただくことはたいへんにありがたい。
今年の3.1記念シンポジウムは、いつもは地味で表に出ない船体等保存検討委員会の専門的知見を聞くこともできた貴重な機会となった。
(2021年2月21日)
かつて上野の山のほとんどは、徳川将軍家の菩提寺である東叡山寛永寺の境内だった。寺領1万2000石を拝領して権勢を誇った寛永寺だったが、幕末上野戦争で多くの伽藍を焼失し、明治政権に境内を取りあげられた。今その過半が都有地となり、公園や動物園、博物館・美術館の敷地になっている。
昔の権勢はないが、宗教法人寛永寺(天台宗)は今も健在である。そして、かつては東叡山寛永寺の一角にあった上野東照宮も、神社本庁に属する宗教法人となってこれも健在である。東照大権現徳川家康を神として祀った権現信仰は神仏習合の典型とされるが、明治政府は厳格な神仏分離令を発し、今も両者の法人格は独立している。
その上野東照宮の敷地の一角に、「広島・長崎の火」が灯されていた。《上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会》の発案に、当時の宮司・嵯峨敞全(さがひろなり)氏が賛同して実現したことである。
http://uenomorinohi.com/yurai.html
この「火」には、以下のとおりの感動的な由緒を語る銘板が添えられていた。
「広島・長崎の火」の由来
昭和20年(1945)8月6日・9日、広島・長崎に人類最初の原子爆弾が米軍によって投下され、一瞬にして十数万人の尊い生命が奪われました。そして今も多くの被爆者が苦しんでいます。広島の惨禍を生き抜いた福岡県星野村の山本達雄さんは、叔父の家の廃墟に燃えていた原爆の火を故郷に持ち帰り、はじめは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。
核兵器の使用は、人類の生存とすべての文明を破壊します。
核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる緊急のものとなっています。
第二のヒロシマを
第二のナガサキを
地球上のいずれの地にも出現させてはなりません。
これは「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」(1885年2月)の一節です。
昭和63年(1988)3,000万人のこのアピール署名と共に「広島の火」は長崎の原爆瓦からとった火と合わされて、ニューヨークの第3回国連軍縮特別総会に届けられました。
同年(1988)4月、「下町人間のつどい」の人々は、この火を首都東京上野東照宮境内に灯し続けることを提唱しました。上野東照宮嵯峨敞全(さがひろなり)宮司は、この提案に心から賛同され、モニュメントの設置と火の維持管理に協力することを約束されました。
被爆45周年を迎えた1990年8月6日に星野村の「広島の火」が、8月9日に長崎の原爆瓦から採火した「長崎の火」が、このモニュメントに点火されました。
私たちは、この火を灯す運動が、国境を越えて今緊急にもとめられている核兵器廃絶、平和の世論を強める全世界の人々の運動の発展に貢献することを確信し、誓いの火を灯し続けます。
1990年8月 上野東照宮に「広島・長崎の火」を灯す会
それから30年、いま、上野東照宮に「広島・長崎の火」のモニュメントは、あとかたもない。「火」のモニュメントは撤去され、原発事故の被災地である福島県双葉郡の楢葉町に移ることになっている。先に挙げたURLを開くと、「灯す会」からのメッセージがある。
「上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会は、2021年3月11日をもって解散します。」
「上野東照宮境内の『広島・長崎の火』が移設され、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』として、2021年3月11日午後2時から、福島県楢葉町の宝鏡寺の境内に建設されるモニュメントに点火する式典が開催されます。
【宝鏡寺】
〒979-0605 福島県双葉郡楢葉町大字大谷字西代58?4」
何度も上野東照宮に足を運んで、その都度この「火」に感銘を受けてきた私としては、残念でならない。どういう事情なのだろうか。昨年7月の東京新聞は、こう伝えている。
「原爆の火」上野から福島に移設へ 「核」の惨禍でつながる
核廃絶を願って30年間灯ともされてきた上野東照宮(東京都台東区)境内のモニュメント「広島・長崎の火」が年内に撤去され、来年春に福島県楢葉町に移設されることが分かった。社殿など国指定の重要文化財(重文)の防火対策のため、上野東照宮が長年移設を求め、楢葉町で原発避難者を支援する宝鏡寺が引き取ることになった。
◆重要文化財の前は「危険」と移設求められて…
…90年にモニュメントが完成。管理団体として、現在の「上野の森に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」が発足した。
灯す会は毎年8月、被爆や戦争体験を語り継ぐ集会などを開いていたが、上野東照宮の宮司が代替わりしたこともあり、2006年から「重文の前で火が燃えているのは危険」と移設を求められてきた。会は台東区役所や区内の寺に移設を打診したが断られ、移設先探しは難航した。
◆原発事故10年の3・11に点火式
弁護士で灯す会の小野寺利孝理事長(79)が、東京電力福島第1原発の避難者訴訟で原告団長を務める宝鏡寺の早川篤雄住職(80)に相談し、受け入れを快諾された。上野からモニュメントと種火を運んだ上で、原発事故から10年となる来年3月11日に点火式を行う計画という。
小野寺さんは「移設は残念だが、今回を機に核兵器の惨禍と原発の被害をつなぐモニュメントにしたい。単に火を移すのではなく、核なき世界を目指す運動も引き継ぎたい」と話す。
上野東照宮嵯峨敞全宮司は1924年生まれ。硬骨の革新派宗教人として知られ、皇国史観を批判する著作もある。この方の生前は、上野東照宮は神社庁に所属してはいなかった。嵯峨敞全宮司逝去の影響の大きさを無念と思わざるをえない。
上野の森から「広島・長崎の火」が消えることはさびしいが、新たな地で「核なき世界を目指す運動」の火として灯し継がれることを期待したい。
(2021年1月22日)
現地時間の1月20日正午、アメリカ合衆国で政権が交代した。本日(1月22日)の各紙朝刊は、いずれもバイデン新大統領の就任演説と、新政権の特色を押し出した大統領令署名を報じている。
その、新大統領の大統領令署名は、
パリ協定(Paris Agreement)への復帰
世界保健機関(WHO)からの脱退撤回
連邦政府の施設でのマスク着用義務化
「キーストーンXLパイプライン」の建設許可の撤回
イスラム教徒が多数を占める国々からの入国禁止の解除
メキシコとの国境の壁建設の中止
市民権を持たない住民を米国勢調査から除外する計画を撤回等々の
トランプ政権からの政策転換を打ち出す狙いによるものばかり。どれもこれも、トランプ流を否定して、オバマ期に「復帰」以上のものはない。これまでの極端に異常な「アメリカファースト」の国から、もとの「グローバリズム」の普通のアメリカに戻ったのだ。
普通のアメリカとは、異常なトランプ流の野蛮なアメリカよりはずっとマシだが、所詮は「グローバリズム」謳歌の経済大国であり、膨張主義的軍事大国でもある。
本日(1月22日)は、核兵器禁止条約発効の歴史的な意義をもった日である。が、バイデン新政権が、この条約にいささかの関心も寄せている形跡は見えない。トランプに尻尾を振って笑い者となった安倍晋三と同様、菅義偉もおそらくは新しいご主人の鼻息を窺うことになる。核廃絶という国民の願いよりは、軍事的宗主国の意向を忖度しようというのだ。
本日の参院本会議の代表質問で、菅義偉は改めて日本政府として「核禁条約に署名する考えはない」ことを明言した。「多くの非核兵器国からも支持を得られていない。現実的に核軍縮を進める道筋を追求する」と強調した。それでいて、「現実的に核軍縮を進める道筋」の何たるかを示すことはない。これが、被爆国日本の首相の正体なのだ。
この核禁条約には長文の前文がある。核兵器禁止の理念を語って格調が高い。その中に、次の一節がある。
核兵器の使用の被害者(被爆者)が受け又はこれらの者に対してもたらされた容認し難い苦しみ及び害並びに核兵器の実験により影響を受けた者の容認し難い苦しみに留意し,
「核兵器の使用の被害者(被爆者)が受けた容認し難い苦しみ」と言えば、広島・長崎の被爆者の被爆体験である。また、「核兵器の実験により影響を受けた者の容認し難い苦しみ」の筆頭には、第五福竜丸23人の被曝者を上げねばならない。とりわけ、久保山愛吉さんを思い浮かべなければならない。
さらに、前文の最後には、「…被爆者が行っている努力を認識して,」との一文がある。この核禁条約の成立には、日本のヒバクシャたちの筆舌に尽くしがたい苦悩と、反核運動との寄与があった。
本日、共同通信の伝えるところでは、オーストリアのシャレンベルク外相は、今日発効の核兵器禁止条約について「被爆者の闘いがなければ制定できなかった」と指摘、今年末にも同国で開催する締約国会議に被爆者を招待すると述べた。共同通信の単独会見に答えたもの。
これが、世界の良識である。これと比較し、ヒバクシャの母国日本の、この条約に対する冷淡さはいったいどういうことなのか。
国連加盟国は193か国、そのうち2017年核禁条約採択時の賛成国は122か国、昨年の国連総会での同条約推進決議に賛同国は130か国に及ぶ。現在、同条約の署名国は86か国で、そのうち批准国は51か国である。周知のとおり、50番目となったホンジュラスの批准から90日後の本日、核兵器禁止条約が発効となった。
世界の核兵器国保有国は9か国とされている。この9か国だけでなく、核保有大国の「核の傘」の下にある国の条約に対する反発は厳しい。この条約に対する恐れの反映というべきであろう。日本もその例に漏れない。
しかし、本日からはこの条約がいう「あらゆる核兵器の使用から生ずる壊滅的で非人道的な結末を深く憂慮し,したがって,いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として,核兵器を完全に廃絶することが必要である」という認識が国際的な理念となり法規範となる。核兵器よ、今日から汝は違法の存在であることを心得よ。
被爆国である日本が、この条約に敵対を続けることは許されない。まずは130か国の同条約推進決議賛同国が批准に至る前に、そして核保有国が世界の趨勢に遅れて、孤立する以前に、批准しなければならない。そのような政府を作らなければならない。
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核兵器の禁止に関する条約
この条約の締約国は,
国際連合憲章の目的及び原則の実現に貢献することを決意し,
あらゆる核兵器の使用から生ずる壊滅的で非人道的な結末を深く憂慮し,したがって,いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として,核兵器を完全に廃絶することが必要であることを認識し,
事故,誤算又は設計による核兵器の爆発から生じるものを含め,核兵器が継続して存在することがもたらす危険に留意し,また,これらの危険が全ての人類の安全に関わること及び全ての国があらゆる核兵器の使用を防止するための責任を共有することを強調し,核兵器の壊滅的な結末は,十分に対応することができず,国境を越え,人類の生存,環境,社会経済開発,世界経済,食糧安全保障並びに現在及び将来の世代の健康に重大な影響を及ぼし,及び電離放射線の結果によるものを含め女子に対し均衡を失した影響を与えることを認識し,
核軍備の縮小が倫理上必要不可欠であること並びに国家安全保障上及び集団安全保障上の利益の双方に資する最上位の国際的な公益である核兵器のない世界を達成し及び維持することの緊急性を認め,
核兵器の使用の被害者(被爆者)が受けた又はこれらの者に対してもたらされた容認し難い苦しみ及び害並びに核兵器の実験により影響を受けた者の容認し難い苦しみに留意し,
核兵器に関する活動が先住民にもたらす均衡を失した影響を認識し,
全ての国が,国際人道法及び国際人権法を含む適用可能な国際法を常に遵守する必要性を再確認し,
国際人道法の諸原則及び諸規則,特に武力紛争の当事者が戦闘の方法及び手段を選ぶ権利は無制限ではないという原則,区別の規則,無差別な攻撃の禁止,攻撃における均衡性及び予防措置に関する規則,その性質上過度の傷害又は無用の苦痛を与える武器の使用の禁止並びに自然環境の保護のための規則に立脚し,
あらゆる核兵器の使用は,武力紛争の際に適用される国際法の諸規則,特に国際人道法の諸原則及び諸規則に反することを考慮し,
あらゆる核兵器の使用は,人道の諸原則及び公共の良心にも反することを再確認し,
諸国が,国際連合憲章に従い,その国際関係において,武力による威嚇又は武力の行使を,いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも,また,国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎しまなければならないこと並びに国際の平和及び安全の確立及び維持が世界の人的及び経済的資源の軍備のための転用を最も少なくして促進されなければならないことを想起し,
また,1946年1月24日に採択された国際連合総会の最初の決議及び核兵器の廃絶を要請するその後の決議を想起し,
核軍備の縮小の進行が遅いこと,軍事及び安全保障上の概念,ドクトリン及び政策において核兵器への依存が継続していること並びに核兵器の生産,保守及び近代化のための計画に経済的及び人的資源が浪費されていることを憂慮し,
法的拘束力のある核兵器の禁止は,不可逆的な,検証可能なかつ透明性のある核兵器の廃棄を含め,核兵器のない世界を達成し及び維持するための重要な貢献となることを認識し,
また,その目的に向けて行動することを決意し,
厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備の縮小に向けての効果的な進展を図ることを決意し,
厳重かつ効果的な国際管理の下で全ての側面における核軍備の縮小をもたらす交渉を誠実に行い,終了する義務が存在することを再確認し,
また,核軍備の縮小及び不拡散に関する制度の基礎である核兵器の不拡散に関する条約の完全かつ効果的な実施が,国際の平和及び安全の促進において不可欠な役割を果たすことを再確認し,包括的核実験禁止条約及びその検証制度が核軍備の縮小及び不拡散に関する制度の中核的な要素として極めて重要であることを認識し,
関係地域の諸国の任意の取極に基づく国際的に認められた核兵器のない地域の設定は,世界的及び地域的な平和及び安全を促進し,核不拡散に関する制度を強化し,及び核軍備の縮小という目的の達成に資するとの確信を再確認し,
この条約のいかなる規定も,無差別に平和的目的のための原子力の研究,生産及び利用を発展させることについての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならないことを強調し,
男女双方の平等,完全かつ効果的な参加が持続可能な平和及び安全の促進及び達成のための不可欠の要素であることを認識し,また,核軍備の縮小への女子の効果的な参加を支援し及び強化することを約束し,
また,全ての側面における平和及び軍備の縮小に関する教育並びに現在及び将来の世代に対する核兵器の危険及び結末についての意識を高めることの重要性を認識し,また,この条約の諸原則及び規範を普及させることを約束し,
核兵器の全面的な廃絶の要請に示された人道の諸原則の推進における公共の良心の役割を強調し,また,このために国際連合,国際赤十字・赤新月運動,その他国際的な及び地域的な機関,非政府機関,宗教指導者,議会の議員,学者並びに被爆者が行っている努力を認識して,
次のとおり協定した。
第1条 禁止
1 締約国は,いかなる場合にも,次のことを行わないことを約束する。
(a) 核兵器その他の核爆発装置を開発し,実験し,生産し,製造し,その他の方法によって取得し,占有し,又は貯蔵すること。
(b) 核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいずれかの者に対して直接又は間接に移譲すること。
(c) 核兵器その他の核爆発装置又はその管理を直接又は間接に受領すること。
(d) 核兵器その他の核爆発装置を使用し,又はこれを使用するとの威嚇を行うこと。
(e) この条約によって締約国に対して禁止されている活動を行うことにつき,いずれかの者に対して,援助し,奨励し又は勧誘すること。
(f) この条約によって締約国に対して禁止されている活動を行うことにつき,いずれかの者に対して,援助を求め,又は援助を受けること。
(g) 自国の領域内又は自国の管轄若しくは管理の下にあるいずれかの場所において,核兵器その他の核爆発装置を配置し,設置し,又は展開することを認めること。