コロナ禍・五輪禍、そして「菅義偉禍」の8月6日広島。
(2021年8月6日)
あの日から76年、例年のとおり猛暑の8月6日。例年と違うのは、コロナ禍のさなか、そして五輪禍のさなかでの広島である。菅義偉にとっては初めての(そして、おそらくはこれが最後の)広島平和式典(「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」)出席であり、核禁条約が発効して初めての8月6日でもある。
広島市長は、事前にIOC会長バッハに対して、原爆犠牲者へのこの日の黙祷を要請した。具体的には、下記の内容である。
「選手村などそれぞれ居られる場所において8月6日午前8時15分に黙祷を捧げることで、心の中で同日開催される広島での平和記念式典に参加するよう呼び掛けていただくことはできないものでしょうか。」
が、ささやかなこの願いは聞き届けられなかった。オリンピックとは何なのだろうか。IOCとは何者だろうか。これが平和の祭典のあり方とは思われない。
菅義偉は、暑いさなかをいやいや式典に出席して、いつもながらの原稿棒読みだった。最近何もかもうまく行かないという苛立ちもあったのであろうか、最初から少しおかしかった。冒頭「広島市」を「ひろまし」と噛み、原爆を「げんぱつ」と読み違えた。さらに、原稿1ページ分を読み飛ばし、ほかに「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」とのくだりも読まなかったという。
毎日新聞によると、「私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない……」と読み上げた後、「世界の実現に向けて力を尽くします、と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、核兵器のない世界の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく」という部分を読み飛ばした、という。
一番大事なところの読み飛ばしである。しかも、これでは文意が通らない。被爆者や遺族に対して礼を失することこの上ない。コロナ禍・五輪禍に加えての「菅義偉禍」と指摘せざるを得ない。
コロナ感染を警戒して、出席者の人数は制限されていたが、首相挨拶以外は真っ当だった。松井市長の平和宣言では、以下のとおり、核禁条約の締結要望が明示された。
「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。」
そして、恒例の子ども代表が「平和への誓い」を読み上げた。もちろん、読み飛ばしなどはなく。印象深いその一部を引用しておきたい。
「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。
私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。
私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。
私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。
そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。
誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません。争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます。
広島で育つ私たちは、使命を心に刻み、この思いを次の世代へつないでいきます。」
菅義偉よ。この子どもたちの清浄な決意を聞いたか。平和への使命の発言に耳を洗ったか。
実は私も、戦後広島で育った一人だ。小学校1年生を市内の3校に通った。いずれも爆心地に近い幟町(のぼりちょう)小学校、牛田(うした)小学校、三篠(みささ)小学校である。その間にピカ(原爆)の絶対悪を確信した。
1945年8月6日午前8時15分をもって、人類史は二分される。私は、漠然としてではあるが、少年時代からそう思ってきた。あの原爆が炸裂した瞬間、人類は疑いなく自殺の能力をもち、そのことを自覚したのだ。
以来、人類が身につけた自らを滅ぼす能力を封じ込めることが人類が取り組むべき最大の課題となった。核廃絶こそが人類共通の願いであり、最大の課題としてあり続け、事態は今も変わらない。
にもかかわらず人類は、核廃絶どころか核軍拡競争を続けてきた。原爆は水爆となり、多様な戦術核が開発された。核爆弾の運搬手段は飛躍的に性能を向上させ、人類は核戦争による絶滅の恐怖とともに生存してきた。人類は、いまだに首をすくめ息を潜めた「萎縮した小さな平和」の空間で生き延びている。
すべての武力が有害で無意味であるが、核兵器こそは絶対悪である。今日、8月6日はそのことを確認すべき日。「この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続け」ようと思う。