澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

3月1日 今日はビキニデー

今日、3月1日はビキニデーです。
1954年の今日、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行いました。広島に落とされた原爆の1000倍もの威力のあるものでした。この核実験で、多くの日本人が被爆しました。その最前線にいたのが、第五福竜丸の乗組員23名の方々です。その全員が急性放射線障害で入院され、久保山愛吉さんが半年後に亡くなられました。原爆に続いて、水爆でも、爆発の最初の犠牲者は日本人となったのです。

3月1日のビキニデーには、この世から恐ろしい核兵器をなくすことを誓い合いたいと思います。

是非東京夢の島にある第五福竜丸展示館にお越しください。そして耳を澄まして、保存されたこの船の、核の悲惨さを訴える声に耳を傾けてください。核のない平和な世の中を作ろうという呼びかけが聞こえてくるはずです。

「お互いに核兵器をもてば、戦争を抑止して平和を保つことができる」という意見はおろかしいのではありませんか。核に囲まれた平和なんてゴメンだ。世界中の原爆も水爆も、そして原発もなくしてほしい。第五福竜丸が、そう言っているように聞こえませんか。

夢の島まで足を運ぶ時間がないかたは、せめて展示館のURLを開いて、第五福竜丸の写真と資料をご覧ください。

 http://d5f.org/

こんな説明があります。

第五福竜丸とは
第五福竜丸は 1954 年3 月1 日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船です。爆心地より160キロ東方の海上で操業中、突如西に閃光を見、地鳴りのような爆発音が船をおそいました。 やがて、実験により生じた「死の灰」(放射性降下物)が第五福竜丸に降りそそぎ、乗組員23人は全員被ばくしました。
その後、第五福竜丸は放射能がへるのを待って東京水産大学(現・東京海洋大学)の学生の航海の練習船「はやぶさ丸」となりました。

水爆ブラボー
3月1日に、アメリカが炸裂させた水爆「ブラボー」は、広島に落とされた原爆の1000 倍(15メガトン)の破壊力でした。爆発によって砕けた珊瑚の粉塵はキノコ雲に吸い上げられ、放射能を帯びた「死の灰」となり周辺の海や島々に降り積もりました。放射能は広範な海と大気を汚染したのです。

漁船の被ばく
被害を受けたのは、第五福竜丸だけではありません。日本各地から多くの船が出漁し被害を受けました。54年末までに856隻が放射能に汚染されたマグロを水揚げしています。多くの乗組員が被ばくした可能性がありますが、健康被害など不明な点が多いのです。

マーシャル諸島の被害
マーシャル諸島は太平洋中西部に浮かぶ、たくさんの珊瑚礁からなる国です。アメリカは1946年から58年までここを核実験場とし、67 回もの実験を行いました。
実験場とされたビキニ環礁とエニウェトク環礁をはじめ、多くの環礁や島が被害を受けたとされていますが、アメリカ政府はビキニ、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリックの四環礁以外の被害は認めていません。
人びとの間ではガンや甲状腺異常、死産や先天的に障がいを持つ子どもが生まれるなど、被害が現れています。また、いくつかの環礁では故郷の島に戻ることができません。

世界遺産ビキニ環礁
2010年7月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により、ビキニ環礁は世界遺産に登録されました。その理由として「珊瑚礁の海に沈んだ船やブラボー水爆の巨大なクレーターなど、核実験の証拠を保持している。繰り返された核実験はビキニ環礁の地質、自然、人々の健康に重大な影響を与えており、平和と地上の楽園とは矛盾したイメージをもち核時代の夜明けを象徴している」と発表しています。同環礁の住民は、いまも帰ることはできません。

第五福竜丸の保存
第五福竜丸(当時は水産大の「はやぶさ丸」)は1967年に廃船処分となり、解体業者に払い下げられ、船体はゴミの処分場であった「夢の島」の埋立地に放置されました。これを知った市民のあいだから保存のうごきがおこり、「沈めてよいか第五福竜丸」の投書(朝日新聞68年3月10日)や原水爆禁止運動など全国で取り組みがすすめられました。
1976年6月に東京都立第五福竜丸展示館が開館し、船は展示・公開されました。

木造船第五福竜丸
第五福竜丸は1947年に和歌山県古座町(現・串本町)でカツオ漁船第七事代丸として建造されました。全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル、総トン数140トンの木造船です。
第五福竜丸は戦後の食糧難の時代に遠洋漁業に従事した木造船としてきわめて貴重です。

「第五福竜丸事件」と「ビキニ事件」
ビキニ水爆実験により、第五福竜丸一隻だけでなく多くの船舶が被害を受けたことから、当協会では「ビキニ事件」という呼称を使っています。マーシャル諸島での核実験は1958年までつづけられており、被害を限定的に捉えることは適切ではないと考えています。

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ビキニデーの今日、東京新聞が、核問題にちなんだ社説を掲載しました。
抜粋して紹介したいと思います。

ビキニ水爆実験の教え 記憶で未来を守れ
64年前、ビキニ水爆実験で第五福竜丸をはじめ多くの日本人漁船員や現地の住民が被ばくした。苦しみは今も続く。教訓を未来に伝えたい。

第五福竜丸の漁船員らが被ばくしたのは、米国の水爆実験「ブラボー」で、1954年3月1日にマーシャル諸島のビキニ環礁で実施された。漁船には23人が乗り組んでいて、実験場の約160キロ東にいた。

5月まで続いた6回の水爆実験で、周辺の海域にいた漁船や貨物船などの乗組員約1万人が被ばくしたとされる。漁船員は帰国後、検査を受けたが、そのデータは長い間、厚生労働省が「ない」としていた。情報公開請求で開示したのは2014年である。

◆治療はなかった
米国がマーシャル諸島で核実験を始めたのは、46年7月。58年までに原爆、水爆合わせて67回に達した。この地域は第二次大戦が終わるまでは日本の委任統治領で、南洋群島と呼ばれた。戦後、米国が施政権を握り、核実験場にされたのである。

 核実験は軍事機密なので、現地ではかん口令がしかれた。米国政府は住民の被ばくを隠す一方で、専門医らを送って放射線の健康影響調査を進めたといわれる。

たとえば、爆心地から百八十キロ東にあったロンゲラップ島では、ブラボー実験のとき、82人が暮らしていた。島民は下痢や嘔吐(おうと)、やけど、脱毛といった急性放射線障害に見舞われた。二日後、米軍が別の島にある基地に移送した。そこでは米人医師によって検査や写真撮影はされたが、特に治療はされなかったという。

米国は57年に「安全だ」と説明して住民を島に帰還させた。帰還したのは、被ばく者と核実験時には島にいなかった住民ら約250人。

人体実験という見方を米国は否定しているが、ブルックヘブン米国立研究所は「もっとも価値ある生態学的放射線被ばくデータを提供してくれる」ことを意義としていた。島では死産、流産が続き、やがて甲状腺がんが多発した。住民は85年に再び、島を離れた。

マーシャル諸島は86年にマーシャル諸島共和国として独立したが、経済は米国に依存している。ビキニ環礁核実験場は「負の世界遺産」に指定されたが、日米で情報が隠されていたこともあり、実態はあまり知られていない。
(以下略)

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今年のビキニデーは、世界中の国々が核兵器禁止条約の締結を目指して、「核兵器のない世界を」「非核平和の日本の実現を」という、運動の高まりの中で迎えることとなりました。

「ヒバクシャ国際署名」と「安倍9条改憲ノーの署名」運動をともに広げようという声も大きく広がっています。

被爆国日本こそが、核兵器の全面禁止・廃絶の先頭に立たねばなりません。まずは、日本政府に、広島・長崎の声と、第五福竜丸の声を聞かせなければなりません。そうして、情けない日本政府に、日本国民の声を集めて突きつけて、「核兵器禁止条約に署名せよ」と迫りましょう。

3・1ビキニデーの今日こそは、そのように思いをめぐらすべき日だと思います。
(2018年3月1日・連続1796回)

俺は持つ きみは捨てろよ 核兵器

あっ、これはすごい。これ、きっと古典になる。
毎日新聞・仲畑流万能川柳1月8日掲載の一句。

 俺は持つ きみは捨てろよ 核兵器 (東京 ホヤ栄一)

これが核大国のホンネだ。とりわけアメリカの。そしてトランプの。

多くの核非保有国が、こう言っている。これが世界の潮流だ。
 世界中 みんな捨てよう 核兵器

ところが、核保有国はみんなこう言うのだ。
 俺だけが 捨てたらヤバイ 核兵器

日本政府の立場はこうだ
 持ちたいが 持つとはいえない 核兵器
 揉み手して 入れてください 核の傘

トランプは、金正恩にこう言ってみろ。
 俺捨てる きみも捨てろよ 核兵器

金正恩もトランプにこう言えないか。
 約束だ 一緒に捨てよう 核兵器

核抑止力とはいったい何だろう。
 参ったか 俺は持ってる 核兵器
 参らない 俺も持ってる 核兵器
 
 参ったか 俺の前には 核ボタン
 きみよりも 俺のが大きい 核ボタン

 俺だけが 持ってたはずだ 核兵器 
 おれ持てば 周りも持つのか 核兵器
 どこよりも たくさん持つぞ 核兵器
 恐いから 俺は捨てない 核兵器 
 持って不安 持たれて不安 核兵器
 使えぬが 捨てるもできない 核兵器

実は、核兵器に限らない。通常兵器による防衛力一般が同じことなのだ。
 俺は持つ きみは捨てろよ 軍事力 
 俺だけが 捨てたらヤバイ 軍事力
 禁止され それでも持ってる 軍事力
 俺捨てる きみも捨てろよ 軍事力
 みんなして 一緒に捨てよう 軍事力
 参ったか 俺は持ってる 軍事力
 参らない 俺も持ってる 軍事力
 参ったか 俺は持ってる 新兵器
 参らない 俺はもってる 新新兵器 
 おれ持てば 周りも持つんだ 軍事力 
 どこよりも たくさん持つぞ 軍事力
 恐いから 俺は捨てない 軍事力 
 持って不安 持たれて不安 軍事力
 使えぬが 捨てるもできない 軍事力

 おまえより 俺のが大きい 防衛費
 生活費 ギリギリ削って 防衛費
 貧困にあえぐ社会の防衛費
 試射なんてしません 一発10億円
 当たるも八卦当たらぬも八卦で1000億
 きっと当たります ミサイルと宝くじ
 価値感だけでなく財布も同じと武器を買い

だから、日本国憲法9条が輝く。
 おれ捨てる きみも捨てろよ 軍事力
 防衛費なくせばくるぞ 豊かな社会
 軍事力なくした地球に真の春
(2018年1月18日)

「核こそは人類と共存し得ない絶対悪」 ― サーロー節子さんの演説に9条の精神を見る。

ノーベル賞に良いイメージは持ちあわせていない。とりわけ、あの佐藤栄作が平和賞を受章という衝撃以来、「そんな程度のものか」という思いが強い。

しかし、今回のICANの平和賞受賞については、被爆者の運動が世界に注目され、核兵器禁止条約の正当性の強力なアピールとなったものと素直に喜びたい。その意味で、昨日(12月10日)オスロで行われた授賞式でのサーロー節子さんの演説は素晴らしいものだった。誰に遠慮することもなく、「核兵器は必要悪ではなく人類と共存し得ない絶対悪です。」と言い切った。これは、制憲議会で語られた日本国憲法9条の精神ではないか。これをこそ被爆者の魂の叫びと受けとめたい。

「私たちは、被害者であることに甘んじていられません。私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。核兵器と人類は共存できない、と。

今日、私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。…その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。

広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。

私たち被爆者は、苦しみと生き残るための真の闘いを通じて、灰の中から生き返るために、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。くり返し、私たちは証言をしてきました。

それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。

9カ国が、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。

今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最良のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

 責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。

 核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

 世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。」

この演説は核廃絶の障害となっている犯人を挙げている。まずは核保有の「9カ国」。つまり、米・露・英・独・仏・中の核保有5大国(P5)に、イスラエル・インド・パキスタン・北朝鮮を加えた「強請9人組」である。いずれの国も、他国の核は危険極まりないもので、自国の核は対抗措置としてやむをえないものであり、平和のための核という。サーローさんは、この核保有9カ国を「都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。」と厳しく指弾する。

サーローさんの指摘は、これにとどまらない。「強請9人組」を主犯として、その共犯者に警告を発している。その筆頭が明らかに日本だ。
「『核の傘』なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。」

もう少しはっきり言い直してみよう。
「『アメリカの核の傘』なるものの下で共犯者となっている日本の安倍晋三さんと行政府の皆さんに申し上げたい。私たち広島・長崎の被爆者の証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、日本政府も真剣に行動すべきことになるでしょう、核兵器禁止条約を早期に批准しなければならないことを知るでしょう。安倍晋三さん、そして行政府の皆さん。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。あなたたちは、自分に言い訳しながら犯している悪事について、その罪の大きさに気づかなければなりません。」
(2017年12月11日)

「核兵器のない世界を求めてー反核平和をつらぬいた弁護士 池田眞規」出版記念の会

池田眞規さんが亡くなられたのは、昨年の今日・2016年11月13日。
池田さんをご存じない方は、当ブログの下記記事(2016年11月16日)をご覧いただきたい。

池田眞規さんを悼む
https://article9.jp/wordpress/?p=7705

没後1年の今日(2017年11月13日)を発行日付とする下記の書が日本評論社から発刊された。
「核兵器のない世界を求めてー反核平和をつらぬいた弁護士 池田眞規」
池田眞規著作集刊行委員会の編になるもの。反核平和をつらぬいた、一人の弁護士の人生とその情熱がこの一冊に凝縮されている。没後一年をかけて、反核法協を中心とする後輩弁護士が中心となって編集したもの。

一昨日(11月11日)、この書物の出版記念会があった。被爆者・反核運動・弁護士・医療者等々の多彩な関係者の集いだった。湿っぽさのない「楽しい集会」と言って不謹慎でないのは、池田さんの人徳だろう。

会の冒頭に池田さんの生涯がスライドで紹介された。朝鮮の大邱で生まれ、釜山の中学生だった池田さんがどのように敗戦を迎え、どのように戦後を生きたか。なぜ、何を目指して弁護士となり、どのようにして「反核」弁護士となったのか。どのように人との輪を作り、繋げていったのか。よくできたナレーションだった。

資料を集めてこのスライドを作った佐藤むつみさん、この書物の中で「池田眞規小伝」を書いた丸山重威さんらが、「さながら、戦後史を見るような人生」と言っていたのが印象に深かった。

個人的には、懐かしい顔ぶれとも出会うことができ、文字には残せないエピソードの数々も聞けて、楽しいひとときだった。眞規さん、ありがとう。
(2017年11月13日)

総選挙公示の日、本郷三丁目交差点にて。

本日(10月10日)が、戦後25回目となる総選挙の公示日。憲法の命運を左右しかねない政治戦のスタート。アベ政権という国難除去が主たる課題だ。その主役は有権者であって、けっして政党でも政治家でもない。

当然のことながら、候補者もメディアも、そして選挙管理行政も、有権者が正確な政治的選択に至るように清潔で自由な環境を整備しなければならない。カネや利益誘導で民意を歪めてはならない。嘘とごまかしで、有権者をたぶらかしてはならない。虚妄の政権を作りあげてはならない。

強調したいことは、選挙という制度において投票はその一半に過ぎないということである。多様な国民の言論戦の結果が有権者の投票行動に結実する。投票の前には、徹底した言論戦が展開されなければならないのだ。今回の選挙では、まずはアベ政権という国難の実態が徹底した批判に曝されなければならない。それに対する防御の言論活動もあって、しかる後に形成された民意が投票行動となる。

論戦の対象とすべきものは、
アベ政権の非立憲主義。
アベ政権の反民主主義。
アベ政権の好戦姿勢。
アベ政権の政治と行政私物化の体質。
アベ政権の情報隠匿体質。
アベ政権の庶民無視の新自由主義的経済政策。
アベ政権の原発推進政策。
アベ政権の対米追随姿勢。
アベ政権の核の傘依存政策。
アベ政権の核廃絶条約に冷ややかな姿勢。
アベ政権の沖縄新基地対米追随姿勢。
………
いまここにある、アベという存在自体の国難を、具体的に指摘し摘除しなければならないとする壮大な言論戦において、有権者は積極的なアクターでなくてはならない。「よく見聞きし分かる」ことを妨げられない「知る権利」だけでなく、自分の見聞きしたこと考えたことを発信する権利も最大限保障されなければならない。まさしく、憲法21条の表現の自由が、最大限に開花しなければならないのが、選挙における言論戦なのだ。

ところが、公職選挙法は基本構造が歪んでいる。憲法が想定する建て付けになっていないのだ。だから、総選挙公示とともに、さまざまな不都合が生じる。

私たちは、地域で「本郷湯島九条の会」を作って、ささやかながらも地道な活動を続けている。毎月第2火曜日を、本郷三丁目交差点「かねやす」前での、護憲街頭宣伝活動の日と定めて4年以上になる。この間、厳冬でも炎天下でも、街宣活動を続けてきた。ところが、たまたま本日が10月の第2火曜日となり、予定の「本郷湯島九条の会」街頭宣伝行動が選挙期間と重なった。

その結果、奇妙な政治活動規制がかかることになる。その根拠は、「公選法201条の5」。まことに読みにくい条文だが、そのまま引用すれば、以下のとおり。

(総選挙における政治活動の規制)
第201条の5 「政党その他の政治活動を行う団体は、別段の定めがある場合を除き、その政治活動のうち、政談演説会及び街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類(政党その他の政治団体の本部又は支部の事務所において掲示するものを除く。以下同じ。)の掲示並びにビラ(これに類する文書図画を含む。以下同じ。)の頒布(これらの掲示又は頒布には、それぞれ、ポスター、立札若しくは看板の類又はビラで、政党その他の政治活動を行う団体のシンボル・マークを表示するものの掲示又は頒布を含む。以下同じ。)並びに宣伝告知(政党その他の政治活動を行う団体の発行する新聞紙、雑誌、書籍及びパンフレットの普及宣伝を含む。以下同じ。)のための自動車、船舶及び拡声機の使用については、衆議院議員の総選挙の期日の公示の日から選挙の当日までの間に限り、これをすることができない。」

分かり易く要約すると、
「(政党に限らず)政治活動を行う団体は、その活動のうち、街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラ頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、総選挙期間中に限り、これをすることができない。」

つまり、「本郷湯島九条の会」も、政治的な主義主張をもって活動している以上「政治活動を行う団体」と見なされるとすれば、これまで4年間やってきた街頭宣伝行動のスタイルをとることができない。

私たちは、会の横断幕を掲げ、会のポスターを掲示し、毎回会が作成した手作りのビラを配布し、スピーカーを使い、場合によっては宣伝カーを借りて訴えをしてきた。条文を素直に読む限り、これが違法というのだ。

念のために付言しておくが、本郷湯島九条の会が、特定政党や特定候補の応援をしたことはない。もちろん、投票依頼などしたこともなければする意思もない。それでも、公選法第201条の5が介入してくる。これは、「選挙運動」規制ではなく、選挙期間中に限ったことだが、「政治活動」を対象とする規制なのだ。

そこで、対策を相談した。

第1案 急遽日程を繰り上げて、街宣行動をしてはどうか。これなら、予定の通り、いつものとおりの憲法擁護の宣伝活動が可能だ。

第2案 「九条の会」としてではなく、徹底して個人として行うことなら、201条の5が介入してくる余地はない。スピーカーは使える。。署名活動もできる。しかし、そうすれば、会の名のはいったビラは一切撒けない。横断幕もないことになる。

第3案 「九条の会」として街宣活動をし、合法主義を貫く。ビラなし。横断幕なし。スピーカーなし。肉声ないしメガホンでの宣伝活動をする。

第4案 公選法第201条の5の「政治活動を行う団体」を限定して解釈する。あるいは条文を無視する。憲法に違反している法が有効なはずはない。また、現実的に逮捕や起訴はあり得ないのだから、警告や指導が入るまで予定の通りにやればよい。

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結局、第2案を採用することとなった。たまたま、このとき、ここに集まった個人が、それぞれ個人としての意見を表明するということ。このことに、文句を付けられる筋合いはない。

 

冒頭、私がマイクを握って、次のような発言をした。

ご近所のみなさま、ご通行中の皆さま、私は、本郷5丁目に在住する弁護士です。
日本国憲法とその理念をこよなく大切なものと考え、いま、憲法の改悪を阻止し、憲法の理念を政治や社会に活かすことがとても大切との思いから、志を同じくする地域の方々と、本郷湯島九条の会というささやかな会を作って、憲法を大切しようという運動を続けて参りました。

会は、毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、これまで4年以上にわたって、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前で、護憲と憲法理念の実現を訴えて参りました。とりわけアベ政権の憲法をないがしろにする姿勢を厳しく糾弾しつづけまいりました。この4年間、厳冬でも炎天下でも続けてきた、「本郷湯島九条の会」街頭宣伝行動ですが、本日は理由あって中止いたします。

会は、毎回会の名を明記したビラを作成し配布してきましたが、本日はビラはありません。毎回、「九条の会」の横断幕と、幟を掲げてきましたが、本日横断幕も幟もないのはそのためです。

会としての街頭宣伝活動を中止するのは、本日総選挙の公示がなされたからです。公職選挙法にはまことに奇妙な規定があります。
公職選挙法201条の5は、「(政党に限らず)政治活動を行う団体は、その活動のうち、街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラ頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、総選挙期間中に限り、これをすることができない。」としています。

つまり、選挙期間中は、団体としての政治活動のうち、看板の掲示やビラの配布、スピーカーの使用が禁じられているのです。私は、これは明らかに憲法に違反した無効な規定だと考えますが、「本郷湯島九条の会」としては違法とされていることはしないことにいたしました。

ですから、今私は「本郷湯島九条の会」の会員としての発言をしていません。飽くまで個人としての意見を表明しています。

選挙期間中といえども、個人として政治的見解を表明することに何の制約もありません。むしろ、選挙期間中は、有権者が最大限に表現の自由の享受を発揮しなければならないと思います。本日、ここに幾つかのポスターがあります。「いまこそ、9条守るべし」「核廃絶運動にノーベル平和賞」などのもの。中にはやや大型のポスターもありますが、すべて個人の意見表明としてなされているもので、団体の意思表明ではありません。

そして、たまたまこの場に居合わせた方が、ご自分の個人的な意見を表明したいとおっしゃっています。その方々に、順次マイクをお渡しします。

今日が大事な総選挙の公示日で、10月22日が投票日となります。このスピーカーを通じて流れる個人的なご意見は、その選挙の意義に関わる訴えになろうかと思いますが、あくまで本郷湯島九条の会としての発言ではないことをご理解ください。
(2017年10月10日)

ICANのノーベル平和賞受章に官邸の不快感

ノーベル賞の季節である。例年ほとんど関心はないのだが、今年は別だ。平和賞に国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の受賞が決まった。核兵器の非合法化と廃絶を目指す活動、とりわけ今年の核兵器禁止条約成立への貢献に対する顕彰だという。

朝日デジタルが、第五福竜丸平和協会をインタビューして、安田和也事務局長の「核廃絶への期待だ」「核兵器廃絶に向けた取り組みに対する期待へのあらわれだと思う」とのコメントを記事にし、「受賞を喜んだ」と報じている。私も、平和協会の活動に携わる者の一人として、そして核廃絶を強く願う立場の一人として、「核兵器禁止条約推進運動の受賞」を喜ぶべき立場にある。

しかし、こんなとき「本多勝一はどう言うのだろうか」と思う。彼こそは、私の尊敬するジャーナリスト。この人ほど、ブレのない筋を通す人も珍しい。その本多が、ノーベル賞について、「もともと『賞』というものはすべて基本的に愚劣なのだろう。その中でも特に愚劣なノーベル賞は、かくのごとく、言語的文化的には『人種差別賞』であり、平和に関しては逆に『侵略賞』である。こんなものに断じて幻想を抱いてはならない」(「ノーベル賞という名の侵略賞・人種差別賞」)と言っているのだ。

文中に、その具体例として次の一節がある。1973年11月の文章。
「さて、このたび、その合衆国のキッシンジャー氏、あのB52によるハノイ市絨毯爆撃・大虐殺に最も貢献したキッシンジャー氏に、こともあろうにノーベル『平和』賞が決定した。私は心底から『おめでとう』を言いたい。なぜなら、ノーベル賞というものがいかに愚劣きわまるものかを、大衆に理解されるためにこれは大変役立つからである。これほど明快に本質を見せつけてくれた例は、これまで少なかった。」

また、本多は1978年に、「笹川良一氏にノーベル賞を」という過激な一文をものしている。これが傑作だが、長くなるので引用を控える。さわりは、「笹川良一氏というバクチの胴元と、同氏が受章した勲一等」とを「犬の糞と馬の小便」の取り合わせにたとえるところ。「実にピッタリ、こんなによい受賞者は他に少ない」としたうえで、「笹川氏には、そろそろノーベル賞などいかがであろうか。私は心から推薦したい。それによってノーベル賞の『馬の小便』ぶりが一層みんなに理解される…」という。なお本多には、「天皇にこそノーベル賞を!」(1974年)というエッセイもある。核付き沖縄返還の佐藤栄作が受章したノーベル平和賞である。そのイメージがよかろうはずはない。

だから、「反核運動にノーベル平和賞」を素直に喜ぶことにやや躊躇を覚えるのだが、今回はわが国の政府のお陰で、この躊躇を払拭できそうなのだ。

これも、朝日デジタルの記事から。
「日本政府は、核兵器禁止条約の採択に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞受賞の報を複雑な思いで受け止めている。核廃絶へ向けた意義を認める一方、核・ミサイルの脅威を高める北朝鮮に触れ「遠く離れた国と、現実の脅威と向き合っている我々とでは立場が違う」といら立ちを見せる外務省幹部も。首相官邸と同省は受賞を受けてのコメントを出さなかった。

核禁条約は9月に50カ国以上が署名し、早ければ来年中の発効が見込まれる。ICANの受賞は、核禁条約を政治的に後押しする可能性があるが、日本政府の不参加の立場は変わらない見通しだ。

ただ、日本政府内では受賞を契機に新たな懸念も出始めている。核兵器廃絶に向けて、欧州は2015年にイランが核開発を制限する見返りに経済制裁を解除する合意を米国などとともに結んだ。欧州にはイラン核合意と同様のアプローチが北朝鮮にも有効との主張もあり、今回の受賞で北朝鮮との「対話」を促す機運が高まれば、圧力強化を呼びかけてきた日本の方針がつまずきかねない。」

客観的にみて今年のICANへのノーベル平和賞は、核保有大国に政策転換を迫る力をもつものだ。トランプ政権にもアベ政権にも大きな打撃となり、一方国際的な反核運動のうねりにこの上ない励ましとなるだろう。

朝日はこうも伝えている。
「共産党の小池晃書記局長は6日、朝日新聞の取材に「核兵器禁止条約を主導したNGOの受賞は核兵器のない世界を目指す動きを励ますことになる。逆に日本政府の異常ぶりが際立つことになった」と述べた。」

今回のノーベル平和賞については、「侵略賞・人種差別賞」ではないことを確認しよう。そして、素直に大いに喜ぼうではないか。
(2017年10月6日)

韓国内の核武装容認論台頭を憂うる

憲法9条の恒久平和主義は、抑止論と対決し続けてきた。

抑止論は、「自国の武力の整備は、相手国の武力行使抑止の効果を持つ」「武力の整備を欠いた非武装無防備は、相手国の武力行使を誘発する」「武力の権衡あってこそ相互の攻撃を自制させる」「したがって、相互に均衡をした武力の整備こそが平和の条件である」という。

これが、論理においてまったく成り立たない愚論だとは思わない。しかし、過去の苦い歴史が、このような考え方こそが、軍拡競争をもたらし、恐怖の均衡に人々を陥れ、偶発的な均衡の破綻が悲惨な戦争をもたらしてきた。戦力の不保持を宣言する憲法9条の恒久平和主義は、過去の悲惨な歴史への真摯な反省からの決意であり、唯一の平和の保障策である。

核抑止論ともなれば、さらに問題は深刻である。冷戦終了後も、使う予定もなく、現実には使うこともできない核兵器の廃棄がいまだにできない。相互不信から核軍縮が十分に進展せず、核抑止論の克服ができないうちに、公然と核抑止論の有効性を掲げて核開発を進める北朝鮮の暴挙である。

核保有の5大国には、声を大にして核廃絶を迫らなければならない。米・韓・日の合同演習など軍事挑発行為にも反対しなければならない。しかし、同様に北朝鮮の核開発を批判しなければならない。防衛的なものだからとして容認してはならない。北朝鮮の核抑止論と核開発は、容易に他国に飛び火する。まずは韓国、次いで日本に、同じ論理での核開発を誘発しかねない。

北朝鮮の核とミサイル開発。北に直接対峙している韓国世論の動揺が深刻なようだ。以下は、発行部数韓国最大の朝鮮日報が報じるところ。
「韓国ギャラップが(9月)5?7日に実施した調査では『核武装に賛成』が60%で、『反対』の35%を上回った。野党・自由韓国党支持者で核武装に賛成する人は82%、同・正しい政党支持者で賛成する人は73%、与党・共に民主党支持者でも賛成(52%)の方が反対(43%)を上回っている。韓国社会世論研究所(KSOI)が8日と9日に成人男女1014人を対象に調査した結果も、『北朝鮮の核の脅威に対応して防衛の観点から戦術核を再配備すべきだ』という人が68.2%だった。『南北間関係をさらに悪化させるから戦術核再配備に反対する』という人は25.4%、「分からない・無回答」は6.4%だった。」
韓国世論は、いま深刻な事態にあるのだ。

同じく、日本語で読める朝鮮日報のサイトでは、「(保守系最大野党の)自由韓国党は9月10日、『戦術核再配備と核兵器開発のためのオンライン・オフライン1000万人署名運動』を開始した」と報じている。

また、9月16日付で、朝鮮日報は北朝鮮の核についての主筆のコラムを掲載している。「全く、国とは言えない」という表題の長文のもの。自国のこれまでの核政策を「国とは言えない」と強く批判するもの。1991年に韓国が在韓米軍の核を全面撤去して以来の、歴代韓国大統領による北朝鮮核開発への対応を具体的に無策と批判している。朝鮮日報が保守論壇を代表する立場にあるにせよ、これは見過ごせない。その一部を引用する。

1991年より前は、韓国に核(米軍の戦術核)があり、北朝鮮には核がなかった。それが、韓国から核がなくなり、北朝鮮に核があるという、あべこべの形になった。国際政治の歴史上、こんな逆転はない。一体どうしてこんなことが可能だったのか気になり、91年の本紙を読み直してみた。11月9日付、1面トップは『在韓米軍の核、年内に撤収』だ。その横にある、もっと大きな記事が『盧泰愚(ノ・テウ)大統領、韓半島(朝鮮半島)非核化宣言』だ。韓国国内の核兵器を全面撤去し、今後核を保有・製造・使用しないという内容で、『非核の門をまず南が開け、北に核の放棄を迫る』というものだった。
続いて12月19日付、1面トップは盧大統領の『韓国国内の核不在』宣言だった。米軍の戦術核が全て引き揚げられたという意味だ。92年1月1日付、1面の冒頭記事は『南北非核宣言完全妥結』だ。南北双方が核兵器の試験・生産・受け入れ・保有・貯蔵・配備・使用を禁止するという内容。北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れると約束した。その日、盧泰愚大統領は新年のあいさつで『われわれの自主的な努力により核の恐怖がない韓半島を実現しようという夢で、大きな進展が実現した』と語った。『北が核兵器製造技術を持たないと表明したことは、本当に喜ばしい』とも語った。
全ては、北朝鮮による完全な詐欺だった。南北非核化宣言に合意したその日も、北朝鮮は寧辺でプルトニウムを抽出していた。金日成(キム・イルソン)主席は米軍の戦術核が撤収したのを確認した後、韓国の鄭元植(チョン・ウォンシク)首相と会談した席で『われわれには核がない。在韓米軍を撤収させよ」と要求した。『核査察の約束を守れ』という韓国側の要求には答えなかった。韓国という国の間抜けなドラマと、北朝鮮の核の悪夢が同時に開幕した。
北朝鮮の核問題の過程は、歴代韓国大統領の北朝鮮に対する無知と幻想が国家の安全保障を崩壊へと追いやっていく、完全に『国家の失敗』の歴史だ。盧泰愚大統領の後を継いだ金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、北朝鮮が核爆弾を作っているにもかかわらず、就任演説で『いかなる同盟国も、民族より勝るということはあり得ない』と語った。金大中(キム・デジュン)大統領は、金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談を終えた後、『われわれにも新しい日が差してきた。分断と敵対に終止符を打ち、新たな転機を開く時期に至った』と語った。『北は核を開発したこともなく、能力もない。私が責任を持つ』という発言が報道されたこともあった。…」

NHK(WEB)によれば、「北朝鮮外務省でアメリカを担当する幹部(北米局のチェ・ガンイル副局長)は、15日の弾道ミサイル発射について、『核抑止力強化のための正常な過程の一環だ』と述べ、アメリカのトランプ政権が北朝鮮政策を転換しない限り、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「そのうえで、『アメリカがわれわれを敵視し続け、核で脅し続けるかぎり、われわれは絶対に核兵器とミサイルを協議のテーブルに載せない。まずアメリカが敵視政策と制裁をやめてこそ、対話になる』と述べ、トランプ政権が北朝鮮政策を転換しないかぎり、核・ミサイル開発を加速させる姿勢を重ねて強調しました。」
「また、『核・ミサイル開発は自衛的な措置だ』とする主張を改めて示」した、という。

北朝鮮の、「自国の核開発は自衛的な措置だ。凶悪なアメリカの核攻撃を抑止する唯一の手段だ」という主張は、韓国や日本の好戦勢力や防衛産業にまことに好都合。同じ理屈で核武装や核持ち込みのシナリオを描くことができる。

金正恩。その世襲制、個人崇拝、反人権、非民主的な体制だけでなく、絶対悪としての核をもてあそぶその姿勢においても批判されなければならない。

北朝鮮の地下核爆発実験の報には心が凍りつく。どうして、笑っていられのだろうか。金正恩も開発に携わった科学者たちも。広島や長崎の被爆者の叫びを聞け。叫ぶ術もなく死んでいった多くの人々の声を聞け。核抑止論を主張する人々は、原爆資料館に足を運ばねばならない。丸木美術館で原爆の図を凝視しなければならない。

いまは、関係各国に無条件で和解のテーブルに着くべきだとする国際世論を喚起するしかない。「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」(核兵器禁止条約)の締結が、国際世論の本流になっているいま、その声が巻きおこらぬはずはない。
(2017年9月17日)

「あなたは、どこの国の総理か」「被爆者は満腔の怒りを込め、政府に強く抗議します」

本日(8月9日)、長崎原爆忌。
長崎原爆平和祈念俳句大会という催しが続いていて今年が第64回だという。
以下が、その第64回大会の、大賞以下、知事賞、県議会議長賞などの受賞作品。

 雑巾のねぢれて乾く原爆忌(小田恵子)
 空蝉をちちよははよと拾ひけり(山本奈良夫)
 八月の色紙は鶴になりたがる(牛飼瑞栄)
 焦げ臭い地球儀を拭く八月(山田紅蓮)
 浦上のまほらへ母の日傘行く(中川城子)
 八月の影の重さを曳いて老い(谷川彰啓)
 家中に昭和が歩いている八月(坂田正晴)
 できるコトは祈りだけです原爆忌(相川文子)
 長崎の傷痕のごと曼珠沙華(山本奈良夫)
 オバマ氏の鶴の飛び翔つ朱夏の天(草野悠紀子)
 戦争の卵ぷかぷか春の海(福島露子)

72年前の今日午前11時2分。市民の頭上で2発目の原子爆弾が炸裂した。その惨劇から72年。怒りのヒロシマ、祈りのナガサキと言われるが、もちろん長崎にも怒りは渦巻いている。

本日長崎市の平和公園で開かれた平和祈念式典での、田上富久市長の平和宣言は、今年7月国連総会本会議が採択した核兵器禁止条約への言及に多くの時間を割いた。被爆地の市長として、「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎するとともに、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と痛烈に批判した。

その部分は、以下のとおりである。
「ノーモア ヒバクシャ」 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。
 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにもかかわらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

なんとよく練られた、条理にあふれた宣言文ではないか。この訴えに対して、日本政府の首相は、何も答えない。6日広島で、そして今日長崎で批判されたにもかかわらず、である。言い訳はこうだ。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ(官邸ホームページから)
 真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。

共同通信が伝えるところでは、「安倍晋三首相は長崎市で開かれた『原爆犠牲者慰霊平和祈念式典』後に記者会見をし、国連で7月に採択された核兵器禁止条約に加わらない理由として『核兵器国の参加が不可欠だ。我が国のアプローチと異なることから署名、批准することはない』などと話した。」という。

被爆者ならずとも、怒らずにはおられない。被爆者の怒りの激しさ深さは、はかり知れない。

朝日(電子版)は、「長崎の被爆者、首相に『どこの国の総理か』 核禁条約で」と伝えている。以下の記事。

?「あなたはどこの国の総理ですか。私たちをあなたは見捨てるのですか」
 9日午後、長崎市で被爆者代表の要望を首相らが聞く会合があった。冒頭、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(77)は首相に要望書を渡す前に強い口調で言った。
 米国の「核の傘」に依存し、条約に冷淡な首相には面と向かってただしたかった。要望書は長崎の被爆者5団体がまとめたが、『(条約採択の場に)唯一の戦争被爆国である我が国の代表の姿が見えなかったことは極めて残念です。私たち長崎の被爆者は満腔の怒りを込め、政府に対し強く抗議します』と記した。

被爆者だけではない。国民こぞって、満腔の怒りを込め、政府に対し、安倍晋三首相に対して強く抗議しよう。「いったい、あなたはどこの国の総理なのか」「被爆者とともに満腔の怒りを込め、政府に強く抗議します」と。
(2017年8月9日)

「核廃絶を求める良心の勢力」と「核保有に固執する勢力」との対峙の構図

1945年8月6日午前8時15分。広島に投下された原子爆弾が炸裂したその時刻こそが人類史を二つに分ける瞬間となった。人類史上最大の衝撃の事件。悲惨きわまりない大量殺戮というだけではない。人類は、核エネルギーという、自らを滅ぼすに足りる手段を獲得したことを自らに証明したのだ。

以来72年。人類は、自らを滅ぼしてなお余りある手段を獲得したことを十分に自覚しているだろうか。人類は、自らを滅ぼすに足りる手段を「絶対悪」としてその廃絶に展望を見出しているだろうか。残念ながら、その答は「否」である。

世界の主要国は、自国の核は自衛のための核、自国の核保有は平和を維持するために必要という立場を捨てず、核の保有だけでなく戦術化に余念がない。

それでも、人類の良心は核兵器の廃絶に真摯な努力を傾け続けており、希望は見える。その希望の灯の一つが、本年(2017年)7月7日国連総会において122か国・地域の賛成多数により採択された核兵器禁止条約(「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」)である。

周知のとおり、主要な核保有国は不参加。アメリカの核の傘の下にある被爆国日本も、不参加となっている。一方に、「核保有に固執する少数派の大国とその従属国連合」があり、これに「核廃絶を求める良心多数派諸国」が対峙する構図ができあがっている。

核廃絶実現の課題は、この条約をどう実効あらしめるかにかかっている。核廃絶を求める国際世論をさらに大きくして、「核保有に固執する少数派大国とその従属国」を押し込まなければならない。日本国民の役割は、極めて重要である。

本日、その対峙の構造が国民の目に見えるものとなった。

原爆投下から72年目の「原爆の日」。広島市の平和記念公園では、午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。松井一実市長の平和宣言は、明確に核兵器禁止条約を評価し、これに与しない日本政府を批判するものとなった。対して、安倍首相挨拶はこの課題への直接の言及を避け、見苦しい努力放棄の言い訳逃げることで、「核保有に固執する少数派大国とその従属国」の立場を堅持するものとなった。

松井市長は、平和宣言で改めて核兵器を「絶対悪」と強調。「核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です」「絶対悪である核兵器の使用は人類として決して許されない行為であり、核保有は人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎない」と批判した。それだけでなく、集会参加の安倍首相の目の前で、日本国憲法の条文を引用して憲法が掲げる平和主義を体現して各国に条約締結を促すよう要求し、米国の「核の傘」に依存し条約採択に参加しなかった日本政府に対し、条約の締結促進を目指して「核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう」具体的な課題を突きつけた。

松井一実市長自身が、本年6月、国連本部で始まった核兵器禁止条約の第2回交渉会議に出席し、「条約草案は被爆者の苦しみや願いをきちんと受け止め、言及していることを心から歓迎する」と述べているのだ。これに対して、「唯一の被爆国」を自称する日本政府は、この条約の締結には最初から冷淡で議論への参加もしていない。

松井市長に続いてあいさつした安倍晋三首相は、条約に言及しないことで「核保有に固執する少数派の大国とその従属国連合」の立場に立つことをあらめて明確にした。「核廃絶を求める国際的多数派諸国」の良心に背を向けたといってもよい。

ひるがえって思う。どうしてこんな人物が、平和憲法をもつ日本の首相でいられるのだろうか。本当に日本の民主主義は機能しているのだろうか。
(2017年8月6日)

今の日本は、世界の良識に反人権・反国際協調の国と映っている。

野蛮なトランプが、パリ協定からのアメリカ離脱を表明した。この歴史的愚行の傷は深い。「愚かなアメリカ」「手前勝手なアメリカ」「国際倫理をわきまえぬアメリカ」「ごろつきアメリカ」の刻印が深い。かつてのアメリカの威信回復は、もはや不可能かも知れない。あんな大統領を選出した、アメリカの「デモクラシー」の質が問われている。さて、振り返って日本はどうだろうか。こんな首相を権力の座から引き下ろすことのできない日本の「民主主義」は、アメリカと兄たりがたく弟たりがたい。

アベ政権は、参勤交代よろしく発足直後のトランプに擦り寄って、アメリカとの価値観の共有を強調して見せた。なるほど、野蛮で知性に乏しい、似た者同士。さて今後、両者の関係はどうなることやら。

「デンデンのアベ」に代わって、「ミゾユウのアソウ」が、えらそうにコメントした。
「もともと国際連盟をつくったのはどこだったか。アメリカがつくった。それでどこが入らなかったのか。アメリカですよ。その程度の国だということですよ。」

「この程度の政権」の副総理であるアソウによる、「その程度の国」への批判の言。だが、忘れてはならない。1933年3月、国際連盟脱退という愚挙を犯して国際的孤立化への道を歩んだのが、ほかならぬ日本だった。その程度の国だったのだ。

そしていま、日本は確実に国連との軋轢を拡大しつつある。世界の良識に背を向けつつあることにおいて、連盟脱退の時代に似て来たのではないか。これ以上再びの孤立化への危険な道を歩んではならない。

まずは、シチリア島におけるアベとアントニオ・グテーレス国連事務総長との懇談内容公表問題。日本側の公表内容を国連報道官側が否定した。国連側に、日本の公表内容は我田引水に過ぎるとのニュアンスが感じられる。問題となったテーマは、極めて重要な2点。「慰安婦問題に関する日韓合意評価」と、「『共謀罪』への懸念を表明した国連特別報告者の地位」に関するもの。

アベも、自分の都合のよいことについては、国連の権威を利用したいのだ。そこで、「安倍総理から慰安婦問題に関する日韓合意につき,その実施の重要性を指摘したところ,先方(グテーレス国連事務総長)は,同合意につき賛意を示すとともに,歓迎する旨述べました。」と発表した。しかし、国連側はこれを否定した。「(事務総長は、)慰安婦問題が日韓合意によって解決されるべき問題であることに同意した」が、「事務総長は、特定の合意内容については言及していない」、「問題解決の方向性や内容を決めるのは日韓両国次第だという原則について述べた」だけだという。

また、日本側は「(事務総長は、)人権理事会の特別報告者は、国連とは別の個人の資格で活動しており、その主張は、必ずしも国連の総意を反映するものではない旨述べました。」と発表した。しかし国連側は、「事務総長は安倍首相に対し、(人権理事会の特別報告者とは、)国連人権理事会に直接報告する独立した専門家であると述べた」という。

日本側は、反論しているようだが、無駄だし無意味だ。懇談の席でどう話されたのかが問題ではない。いま、オープンな場で、事務総長が日本側の公表内容を否定していることが重要なのだ。アベが深追いすれば、みっともなさの傷は深くなるばかり。

次に、デービット・ケイ報告問題。国連人権理事会の特別報告者であるこの人。担当は、表現の自由だ。昨年来日して、日本における言論の自由状況を精力的に調査して、深い懸念を表明した中間報告書を作成している。特定秘密保護法問題、担当大臣の停波発言等報道の自由の萎縮、そして教科書検定のあり方など問題とされた内容は具体的だ。この人の報告に接して襟を正さなければならない政権が、逆ギレしてしまっていることが異常な事態である。

さらに、プライバシー担当のジョセフ・カナタチ特別報告者の共謀罪に関するコメント。首相宛ての書簡が話題を呼んでいるが、政府は自らの姿勢を反省する姿勢はさらさらなく、抗議に及んでいる。国連の言うことなど聞く耳もたないという如くである。

そして、思い起こそう。世界の潮流が反核に動いているこのときに、被爆国日本が、核兵器禁止条約に反対の立場を鮮明にしていることを。日本政府は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明して実行している。国連の圧倒的多数国が、6月15日から7月7日まで、後半の交渉スケジュールで核兵器禁止条約を作り上げる交渉の予定だが、ここに日本政府が姿を見せることはない。

他国から日本政府の行動を見たら、日本は反人権国であり、反国連・反国際協調主義の国柄と映るだろう。そして、原水爆禁止にもまったく熱意のない国であるとも。
世界からこのように見られている日本が共謀罪を成立させれば、そして9条改憲を実現させれば、国際社会は1933年の過ちを再び繰り返す日本を想起することだろう。アベ内閣自身が、そのような「印象」をもたれるよう、せっせと「操作」を積み重ねているのだ。
(2017年6月4日)

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