澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

薄汚い地方権力と本領を忘れたジャーナリズムとの、醜くも危険な癒着。

(2022年1月12日)
ある維新の議員が、昨日付のブログでこう発信している。

 「東京新聞 望月衣塑子記者のアンフェア発言に物申す。立憲・CLPの不祥事と大阪の連携協定はまったく同列ではない」

 分かりにくいものの言い方だが、私はこう思う。
 「東京新聞 望月衣塑子記者の発言に非難さるべき不適切さはまったくない。これをアンフェアと謗る維新議員こそ強く非難されねばならない。確かに、立憲・CLPの不祥事と大阪の連携協定はまったく同列ではない。維新と読売の癒着というべき大阪の包括連携協定の方が格段に悪性が強く、はるかに民主主義への負の影響が大きい。これを真逆に描くのは、ミスリードも甚だしい」

 「公権力と大新聞の癒着事件」と、「立憲・CLPの不祥事」との悪性・危険性を比較するには、問題を2層に分けてとらえねばならない。まずは、当該行為自体の可非難性であり、次いで当該行為の可視性の問題である。

 まずは、《読売新聞大阪本社と大阪府との包括連携協定》をどう評価すべきか。誰がどう見ても、ジャーナリズムと権力との癒着である。しかも、巨大全国紙と巨大地方都市の特別な関係の構築。好意的に読売をジャーナリズムと見るならば、権力批判をその本領とするジャーナリズムの堕落と言うべきだろう。また、権力の側から見れば、御用広報紙の取り込みで、批判を受けない権力は堕落する。そのツケは、府民にまわってくる。

 というだけではない。読売という御用新聞とポピュリズム政党維新の癒着である。当然にそれぞれの思惑あってのことだ。とりわけ、維新の府政は問題だらけだ。カジノ誘致も万博も、そしてまだ都構想も諦めていないようだ。コロナ禍再燃の中、イソジンや雨合羽の体質も抜けきってはいない。維新府政は、ジャーナリズムの標的となってしかるべきところ、読売の取り込みは維新にとっては使えそうなところ。客観的に見れば、この上なく危険極まる、汚れた二つの「相寄る魂」。

 但し、この癒着はことの性格上、アンダーテーブルではできないこと。年末のギリギリに発表して共同記者会見に及んだ。もちろん、会見では批判の矢が放たれたが、可視化はせざるを得ない。この癒着は大っぴらに開き直ってなされた。

 対して、《立憲がカネを出していたCLPの不祥事》の件である。こちらは、立憲がカネを出していたことが秘密にされていた。ここが不愉快でもあり、大きな問題でもある。これまでは与党の専売特許と思われていたことを野党第一党もやっていたというわけだ。

 可視化ができているかだけを比較すると、維新と立憲、立憲の方が明らかに分が悪い。立憲も弁明しているが、洗いざらいさらけ出して膿を出し切るのがよい。

 しかし、可視化ができているか否かの点だけを比較して、《維新は公明正大、これに較べて立憲のやることは不透明で怪しからん》というのは、ミスリードも甚だしい。

 行為の悪性や影響力を較べれば、維新の方が格段に悪い。読売と維新は、開き直って大っぴらに、「悪事」を働いているに等しいのだ。

 大阪読売のOBである大谷昭宏の声に耳を傾けたい。

「本来、権力を監視するのがメディアの役割なのに、行政と手を結ぶとは、とんでもない話です。大阪読売はこれ以上落ちようがないところまで落ちた。もう『新聞』とか『全国紙』と名乗るのはやめて、はっきりと『大阪府の広報紙』と言ったほうがいい。そこまで自分たちを貶めるんだったら、もはや大阪読売はジャーナリズムの範疇には置けませんよ」「期待はしていなかったんですが、それにしても行政機関と提携するとは、ジャーナリズムとしてあり得ない。そこまでジャーナリズムの誇りを打ち捨ててしまうのか。OBの一人として哀れというしかないですね」「今回、読売が協定を結んだのは、明らかに部数増と大阪府からの見返りを期待しているからです。大阪府の職員は、朝日や毎日よりも、府と協力関係にある読売を読むようになるでしょうし、読売に優先的に取材上の便宜を図ろうとするでしょう。まさにギブ&テイクです。」「会見では、一部の地方紙も行政と協定を結んでいると言い訳していましたが、痩せても枯れても読売は全国紙ですから、影響力の大きさが比較にならない。しかも、大阪府が、朝日や毎日や産経にも声をかけて、結果的に読売だけが応じたというならまだしも、今回は読売のほうから大阪府に提案したんです。吉村知事は『報道内容に何ら影響されることはない』と言うが、ゴロニャンとにじり寄った側が相手を叩くことなんかできるわけがないじゃないですか」

 「木に縁りて魚を求む」の喩えもある。維新に「権力の謙抑」やら「ジャーナリズムの本旨」を説いても耳にはいるとも思えないが、批判は続けなくてはならない。

ホンマ、身を切る覚悟が必要や。市長の覚悟やのうて、市民一人ひとりの身を切る覚悟や。ついでに、市民の身銭を切る覚悟もな。

(2021年12月23日)
 大阪市長でっせ。府知事とコンビで、大阪・夢洲へのカジノ誘致に血まなこや。横浜は、カジノ誘致を断念しはった。こんだけ儲かるもんに背を向けて、横浜市民はアホちゃうか。マ、おかげでウチは順風満帆や。

 なんちゅうても、夢洲にカジノを作ればやな、経済効果は1兆1400億や。目も眩むような大した金額やおまへんか。このカネに文句をつけるアホがおるのが信じられん。ちまちまと、数字の根拠を説明せいやら、説明資料が黒塗りで怪しからんとか、なにを言うてんねん。こんな難癖つけるのにろくなヤツはおらん。話半分にしても、立派なもんやと思うてもらわなならん。

 そもそも賭博は人倫に反する、ギャンブル依存症を蔓延させる、マネーロンダリングの温床になるだの、こういう頭の固い絶対反対派いう連中はどこにもおるもんや。もちろん、大阪にもおるんやが、こんな連中をまともに相手にしていたら、せっかくの儲けのチャンスを逃がすことになるんや。早うにことを進めんと、アリのように甘い汁に群がってきた業者が、嫌気をさして「カジノ離れ」を起こすことになる。せっかくの経済効果がしぼんでくるやないか。こんな簡単なことが、どないしてわからんのやろ。

 問題は、夢洲のカジノ場建設予定地「適性確保」のための790億円の支出や。内訳は、液状化防止の地盤改良に410億、土壌汚染対策に360億、地中障害物撤去に20億。この出費はしゃあない。1兆1400億の経済効果のためのコストとしての790億。安いもんや。こんな支出に騒ぐのがおかしい。

 しかもやな、この790億、大阪市の一般会計から支出しよういうんやない。市には、「港営事業会計」いう特別会計がある。その財源は、大阪港にある倉庫の使用料や埋め立て事業の収益や。ここから支出するんや。ナンヤテ? どちらにしても大阪市民の財産やて? ナニ?「大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)」破綻時も同じ手口やったろうて? マ、そりゃそうやけどな。

 それに、ホンマに790億円だけで済むのかちゅうんか? オリンピックやら辺野古や、森友学園を連想させるてか? そらまあ、多少は増えるやろな。

 それにしても、なんでみんなこんなに騒ぐんや。きっと裏に何かあるんやろ。そりゃあ、確かに2016年の説明会では、当時知事だったワイはこう言うた。
 「特定の政党が間違った情報を流布してますけど、これだけははっきり言っときます。IR、カジノに税金は一切使いません。民間事業者が大阪に投資してくれるんです」とね。

 けど今回、民間業者の誰も土壌改良の費用を出しはせん。ほたら、市が出すのはしゃあないがな。「カジノ建設に公費は一銭も使わん」と以前に言うたあのときはあのとき、今は今や。ワイも政治家や、それくらいのことは言わいでか。

 最終的には、十分採算ベースにのるんや。決して市民に負担をかけっぱなしにはせえへん。そやさかい、なんの問題もあらへんのや。えっ? そやかて、当初は見込んでいた大阪・関西万博との相乗効果はもう無理やろうて? そりゃコロナのセイや、イソジンが効かへんかったからや。市や府のせいやない。それに、ホンマに観光需要が回復するかって…? きっと回復する…はずや…多分…と思う。格別の根拠はないけれど、そないに思うんや。ここは、賭けなあかんとこや。

 仮に、観光需要が回復せんとしてもやな、この790億円はリスクテイクや。みんなが「身を切る改革」をせなアカンのや。身を切るのは、市長でも知事でもない。市民・府民一人ひとりに決まっている。甘えたらアカンのや。市のカネは市民のカネやから、結局大阪市民は身を切るだけやなく、身銭も切る覚悟も必要や。

 もちろん大阪に博打の空気が蔓延はするやろ。賭博依存症の流行も、風紀の乱れも、暴力団の跋扈も、マネロンも、みんな選挙で維新を選んだときに覚悟したはずやんか。今ごろ、イヤ言うてみたかて、そりゃ時既におそしや。カジノの経営が失敗したときは、市民も府民も一蓮托生や。人間、潔く身を捨てる覚悟が大切。そやないか?

 しかも、こんなことになるのは最初からわかっていた話や。夢洲は市が建設残土や浚渫土砂を埋め立てて廃棄物で造成した人工島や。液状化も土壌汚染も以前から指摘されていたんや。大量の産業廃棄物を夢洲に不法投棄していたこともみんな知っていたやろ。

 それだけやない。カジノを運営するのは、外資とオリックスの共同グループや。竹中平蔵はんが社外取締役を務めていやはるんや。竹中はんのパソナと大阪の行政とは、切っても切れん仲や。そんなことよく分かって、維新は大阪での選挙に勝ったきたんや。今さら、オリックスに冷たくもできんのや。790億円くらいは身銭を切らなきゃならんのよ。

 そんでもな、心配のタネがないわけやない。一番が住民訴訟や。一部の偏った新聞が暴露しおったけど、「これまで大阪湾の埋め立て用地の販売でその対策費を市が負担したことはなく、大阪港湾局は『民間業者の建設費の一部を負担するとみなされ、地盤改良をせずに売却してきた土地との公平性を保てず、住民訴訟で敗訴する可能性がある』とする弁護士の意見を紹介した」んや。

 万が一にも、住民監査かそれに続く住民訴訟でこの790億円が違法支出とされるとやな、最終的には責任者である市長個人にその負担を命じられることにもなりかねん。そうなると、身を切っても、身銭を切っても、責任を背負いきれない。これはえらいこっちゃ。そんな覚悟はできっこない。

維新の政治資金規正法違反告発と、被告発人馬場伸幸の弁明

(2021年12月11日)
 昨日(12月10日)上脇博之さんら学者グループ11名が告発人となって、大阪地検に維新の政治献金収支における違法を告発した。告発代理人弁護士は阪口徳雄君以下21名。私もその一人である。

本日の赤旗は、この告発を次のように報じている。

「維新共同代表らを告発」「投資家から上限超す献金の疑い」「教授ら大阪地検に」
 日本維新の会とその党支部が2020年、旧「村上ファンド」で知られた投資家の村上世彰(よしあき)氏から政治資金規正法が定める年間の上限額を上回る計2150万円の寄付を受けたと届け出ていた問題で、神戸学院大学の上脇博之教授ら11人が10日、規正法違反の疑いがあるとして村上氏や維新の会の馬場伸幸共同代表らを大阪地検特捜部に告発しました。

 告発状によると、党本部である日本維新の会は、20年10月26日に村上氏から2000万円の寄付を受けました。翌27日には馬場幹事長(当時)が代表者の「日本維新の会衆議院大阪府第17選挙区支部」が、村上氏からの寄付150万円を受け取ったため、上限を超える寄付を受けた疑いがあるとしています。

 規正法は、一個人から政党への年間の寄付が2000万円を「超えることができない」としています。党本部と支部の額は合算され、違反した場合は寄付と受領の双方に「1年以下の禁錮または50万円以下の罰金」を規定しています。

 本紙はこの問題を1日に維新の会に質問し、3日付で特報していました。馬場氏は8日に自身のツイッターで、支部が政治資金収支報告書で届け出た150万円の寄付について、別団体である馬場氏の後援会への寄付を支部への寄付として誤記したと説明。今月1日に収支報告書を訂正したとしています。

NHKは、被告発人馬場の弁明を次のように報道している。

【馬場氏“ケアレスミス”】
 告発状を提出されたことについて、馬場氏は「事務所が記載する団体を間違えたケアレスミスだった。今後は、このようなことがないよう複数人態勢でチェックするように事務所に指示した」とコメントしています。

 政治家の責任逃れは、自民党だけの専売特許ではない。「秘書のせい、部下のせいで、オレの責任じゃない」という醜悪なセリフがここでも聞かれる。決して自らの身を切ろうとはせず、秘書や部下に責任を転嫁してすまそうというみっともなさ。

 被告発人馬場はこう言っている。「村上から維新本部への寄附のうち2000万円は維新の本部に、150万円は馬場個人の後援会口座に振り込まれた。ところが、それを後援会事務所職員のケアレスミスで 大阪府第17選挙区支部の入金として届けてしまった。今は訂正されているのだから問題はない」
 それはない。常識的に考えられない不自然な弁明としか言いようがない。

本件告発状の冒頭、「告発の趣旨」は下記のとおりである。
1.告発事実
(1) 被告発人村上世彰は、
 「日本維新の会」本部に対し2020年10月26日に金2000万円を、
 「日本維新の会衆議院大阪府第17選挙区支部」に対し同年同月27日に金2000万円を超える金150万円の寄附を供与した。

(2) 被告発人「日本維新の会衆議院大阪府第17選挙区支部」は、2020年10月27日、被告発人村上世彰から金2000万円を超える金150万円を受領した。
  また被告発人同支部代表馬場伸幸、被告発人同支部会計責任者米田晃之らは、互いに共謀して、同日上記金員を受領した。

2.罪名及び罰条
(1)被告発人村上世彰は、政治資金規正法第26条第1号(第21条の3第1項1号)違反。
(2)ア 被告発人「日本維新の会衆議院大阪府第17選挙区支部」は政治資金規正法第26条第3号(22条の2違反)同第28条の3第1項違反(両罰規定)。
   イ 被告発人馬場伸幸及び被告発人米田晃之は、刑法第60条、政治資金規正法第26条第3号(第22条の2)違反。

 政治資金収支報告書の作成・届出に関する違反行為が発覚して後に「訂正」しても、遡及して犯罪の成立を消滅させることはできない。「盗んだが盗品は返還済み」「詐欺はしたが金は戻し」ても、情状として考慮はされても、犯罪成立を否定する弁明にはならない。本件の事後訂正も同様である。

 それだけではなく、本件での馬場の「ケアレスミス」弁明も常識的には成り立ち得ない。こういう姑息な弁明が見苦しい。

 本件の告発人らは、この点について12月10日付け「告発補充書」を提出している。その要点は、以下のとおりである。

1.馬場議員の弁明
 私たち告発人・告発代理人は、2日前の8日正午過ぎに、被告発人村上世彰氏及び被告発人馬場伸幸衆議院議員(当時日本維新の会幹事長、現在共同代表)らを10日10時に政治資金規正法違反で御庁(大阪地検)に刑事告発し、その後記者会見する旨、大阪地裁司法記者クラブに連絡したところ、
馬場議員は、同日午後5時49分自らのツイッター上に「【ご報告】令和2年分政治資金収支報告書の訂正について」を公表し
(https://mobile.twitter.com/baba_ishin/status/1468502968005984260)、その内容の一部が報道された。
その内容を箇条書きすると、以下の通りである。
? 昨年10月、村上世彰氏が党(日本維新の会本部)及び馬場幹事長に対し個人献金を申し出た。
? その際、村上氏は、党(日本維新の会本部)に対しすでに上限額(2,000万円)の献金をする意思を示していたので、馬場幹事長への献金は政党支部(日本維新の会衆議院大阪府第17選挙区支部)ではなく個人後援会(馬場伸幸後援会)に行い、実際馬場伸幸後援会の銀行口座に振り込んだ。
? その経過については、事務方同士で行ったメールのやり取り等もすべて残っている。
? 村上氏は、上限額を超える寄附をする意図がなかったことは確実である。
? しかし、馬場事務所のミスにより、村上氏が振り込んだ献金を政党支部への寄附として誤って計上し、収支報告書にも誤記した。
? (1年1か月経過の後)今年の12月1 日に政党支部と馬場伸幸後援会の両政治団体の収支報告書の訂正を届け出た。

2.上記弁明はとうてい真実とは言い難くおよそ信用できない
 被告発人村上氏が本当に「馬場伸幸後援会の銀行口座」に金150万円を振り込んでいたら、当該後援会が村上氏には領収書を発行し、それらに基づき会計帳簿にその旨を記載して、それに基づいて収支報告書も記載したはずである。にもかかわらず、入金されていない政党支部の会計帳簿に金150万円の寄附収入を計上して収支報告書に記載するミスを犯すことなどありえない。たとえ、そのようなミスをしたとしても、後援会と政党支部の各収支も各残高も合わないことになるはずだから、必ずミスに気付いていたはずであり、支部の収支報告書の作成段階で気が付き、訂正するはずである。
 また、馬場議員側は、2015年分以降の政治資金収支報告書を見ると、個人からの寄附は全て政党支部で受けており、後援会では一切受けていない。昨2020年も同様である。したがって、被告発人村上氏には政党支部の口座情報を伝え、村上氏は、伝えられた政党支部の口座に金150万円を振り込んだというのが真実であると思われる。そして、寄附を受けた政党支部は、村上氏に領収書を発行しているはずである。もしも村上氏が後援会に寄付するつもりだったら、領収書の発行者が政党支部になっていることに驚き、その領収書を突き返して後援会の領収書を発行するよう求めていたはずである。しかし、それもしていない。村上氏は政党支部に寄附する故意を有し、馬場議員側は政党支部で寄附を受領する認識を有していたことを間違いではないと思われる。

3.領収書、会計帳簿、金融機関口座等の捜査を!
 被告発人馬場議員の政党支部と後援会の両政治団体の収支報告書の訂正は、以上の通り虚偽であると思われる。被告発人馬場議員は、被告発人村上が党本部に2000万円の寄附をしたことを知らなかったとは弁明せず、被告発人村上氏が党本部に2000万円の寄附をしたことを知っており、それが政治資金規正法の定める個人寄附の上限額だと知っていたと認めた(上記1?)。
 告発人らは、御庁に対し、被告発人村上が受け取った領収書、被告発人馬場議員の政党支部と後援会の会計帳簿、送金銀行口座、事務方同士の間で送信・受信された電子メールがあるというなら強制捜査で確認して、本件政治資金規正法違反事件の真相を解明していただき、刑事事件として立件していただきたい。国会議員側の収支報告書訂正で犯罪を不問にする「不当な特権」を許してはならないとの思いで告発補充書を提出する。

「愛国無罪」などあってはならない。大村知事リコール署名偽造に厳正な捜査を。

(2021年11月16日)
 いま振り返って、2019年9月の「あいちトリエンナーレ・表現の不自由展その後」は、日本社会の嘆かわしい現状をあらためて教えてくれた。

 問われたのは、この日本の社会に表現の自由がどれほど根付いているかという問題である。天皇を批判する表現の自由はあるのか。従軍慰安婦問題を根底から考えようという表現についてはどうなのか。その困難を知りつつ果敢にこの企画の実行に挑戦した人たち、そして問題が顕在化してからは懸命にこの企画を守ろうとした多くの人たちの真摯さ熱意に讃辞を送らねばならない。

 しかし、これを妨害しようという心ない勢力が、我が国の表現の自由の水準を教えてくれた。その勢力の中心に、高須克弥、河村たかし、吉村洋文、田中孝博らの名があった。右翼とポピュリストたちの反民主主義連合である。

 彼らが、「不自由展」を主宰した責任を問うとして始めた大村知事リコール運動を担った署名活動団体「愛知100万人リコールの会」の会長が高須克弥であり、その事務局長を務めたのが田中孝博。当時田中は、日本維新の会・衆議院愛知5区選挙区支部長(総選挙予定候補者)であった。

 その会が提出した署名のおよそ8割に当たる約36万人分が偽造だったとして、世を驚愕させた。右翼とポピュリストたちの薄汚さを晒して余すところがない。今、田中は地方自治法違反(署名偽造)の罪名で起訴されて公判中であるが、河村や高須がどう関わったかは、まだ明らかにされていない。

 かつて中国に「?国无罪」(愛国無罪)というスローガンがあった。河村や高須には、「自分たちは愛国者だ。天皇を誹謗する不逞の輩を糾弾する愛国心の発露に違法の謂われはない」という思い上がりがあるのではないだろうか。

 本日の夕刊に、久しぶりに高須克弥の名を見た。「高須院長の秘書ら2人を書類送検 リコール署名偽造の疑い」というタイトル。

 毎日新聞は、こう報道している。

 「愛知県の大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動を巡る署名偽造事件で、県警が署名活動団体「愛知100万人リコールの会」会長、高須克弥氏(76)の女性秘書(68)と50代女性の2人を地方自治法違反(署名偽造)の疑いで書類送検していたことが16日、関係者への取材で判明した。いずれも容疑を認めているという。
 送検容疑は同会事務局長の田中孝博被告(60)=同法違反で公判中=と共謀し、2020年10月ごろ、愛知県内で数人分の署名を偽造したとしている。
 署名偽造を巡っては佐賀市内でアルバイトを雇い、署名を書き写したとして田中被告らが逮捕、起訴されているが、佐賀市以外での署名偽造に関して立件されるのは初めて。
 女性秘書については田中被告の指示で押印のない署名簿に自身の指印を押していたことが既に判明。県警は5月に女性秘書の関連会社を家宅捜索し、任意で事情を聴いていた。地方自治法は署名偽造について罰則がある一方、他人の署名に押印する行為への罰則や過失規定はないため、立件は見送られていた。
 秘書が書類送検されたことについて、高須氏は16日、毎日新聞の取材に「僕はリコールのノウハウもなく、(署名活動団体事務局に)全部丸投げでお願いしますと言っていた。秘書には捜査に協力するようには言ったが、僕には細かいことは全く知らされていない」と自身の関与について否定した。」

また、産経の報道にこうある。

 「大村秀章愛知県知事へのリコール(解職請求)運動を巡る署名偽造事件に関わったとして、地方自治法違反(署名偽造)の疑いで書類送検された高須克弥・高須クリニック院長の女性秘書(68)が、自身が役員を務める企業の従業員らにそれぞれ数万円の報酬を支払って署名を偽造させた疑いがあることが16日、捜査関係者への取材で分かった。」

 取材に対して、高須は、「秘書には捜査に協力するようには言ったが、僕には細かいことは全く知らされていない(だから、僕には責任はない)」「全く知らなかった。私自身は全く関与していない」と話している。安倍晋三を典型とする政治家に真似た、秘書という尻尾切り捨ての術である。

 また、河村たかしも、「報道で知ってびっくりした。とんでもない話ですわ。県警は誰にも遠慮せず、きちんと事実を明らかにしてほしい」と話したという。

 私は知らなかったが、愛知県警は今年2月以降、秘書への任意の事情聴取を複数回実施。同5月には、秘書の自宅や秘書が役員を務める関係会社を同法違反容疑で捜索し、パソコンや携帯電話などを押収していたという。

 遅々としてではあるが、着実に捜査の手が高須の身辺に迫っている印象を受ける。愛国無罪などあってはなない。厳正な捜査を尽くしてもらいたいと願う。

いま、教育現場はどうなっているのか。久保敬校長の「提言」に真摯に耳を傾けよう。

(2021年8月27日)
 8月23日の当ブログで、維新の松井一郎を、傲慢で愚かな市長と批判した。が、どうも言葉が足りない。もっと、ことの本質に立ち入って論じなければならない。

 問題は、大阪市教委が市立木川南小の久保敬校長を文書訓告としたことで世間の耳目を集めることとなった。この文書訓告の根拠とされたのが、同校長が大阪市長松井一郎に宛てた本年5月17日付の「大阪市教育行政への提言」である。これは単に、松井一郎の「思いつき」「気まぐれ」によるオンライン授業を巡る現場の混乱を告発すだけのものではない。「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」という副題のとおりの、堂々たる教育論なのだ。いや、堂々たるというよりは、現場から発せられた、悲鳴にも似た切実な教育論というべきだろう。しかも、教育に対する熱い情熱が胸を打つ。

 当時、朝日デジタルがその全文を掲載した。あらためてこれを末尾に転載させていただく。まずは、名指しされた松井一郎は、真摯にこれに答えなければならない。大阪市の教委も、その事務局も、市議会もこの「提言」を素材に、公教育の現状とあるべき方向を真剣に議論しなければならない。

 市教育委員会は久保敬校長を招聘して議論を尽くすべきだし、市議会各派は久保敬校長から教育現場の現状と教育行政の問題点について意見を聴くべき場をつくるべきだ。聞く耳もたず、文書訓告とはどういうことだ。松井に至っては「文句を言う校長は辞めろ」と言わんばかり。世の中、おかしいのだ。

 「提言」が提起した問題は、大阪市に特有のものではない。府下の学校も、全国の学校も共通の問題を抱えているはずだ。久保敬校長の危機意識が共有されなければならない。議論が巻き起こらねばならない。

 虚心に提言を読んでみよう。この提言は、大阪市教育行政の現状を根底から批判している。表題が、「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」である。大阪の学校現場には、「豊かな学校文化」が失われているのだ。「学び合う学校」にもなっていない。

 「提言」は、学校の現状について、「学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している」、ずばりそう表現している。子どもたちは商品となって、テストの点によって品質管理されている。やがて商品は買い手によってテストの点を品質の基準として選別される。そのため、子ども同士は、日々の「点数競争」に晒されている。

 教職員は、商品工場の品質管理担当者となっている。子どもの成長にかかわるべき教育の本質に根ざした働きができず、何のためかわからないような仕事に追われ疲弊し、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。というのだ。

 その結果、子どもの幸せはどうなっているのか。

 「虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛(づら)くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。」「グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが『がんばった人間』として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。」


 ここで語られているのは、社会が求める型に合わせて人を作ろうという教育への疑問である。そのための、点取り競争の教育が、子どもを不幸にしているというのだ。こういう叫びが、教育現場の校長から発せられていることを重く受けとめねばならない。そして、「提言」の最後はこう結ばれている。

「根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。」

 これが、直接には、市長・松井一郎に宛てた「提言」となっている。残念ながら、松井は、この提言を咀嚼する意欲も能力もない。教育とは何であるか、子どもの成長とはどういうことであるか。本来学校は、社会は、どうあるべきか、社会と個人の関係は…。そして、教育行政は何をなすべきで、何をしてはならないのか。これらのことを考えたこともないようだ。

 松井は、この提言に関する感想を、「校長なのに現場が分かってない」「社会人として外に出たことはあるんか」などと述べたという。まったく、何にも分かってはいないのだ。分かろうともしていない。実は、教育には何の関心もなく、考えているのは、自分の地方政治家としての評判のことだけ。虚しい願望かもしれないが、せめて現場の声に耳を傾け、現場を尊重し、現場とともに考え悩む市長であって欲しい。

 あらためて嘆かざるを得ない。こんな人物を市長にしていることが、大阪の悲劇であり、市民の不幸なのだ。教育を変える運動は、市長を換える課題と結びつかざるを得ない。

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大阪市長 松井一郎様

大阪市教育行政への提言
豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために

 子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。
 学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。
 今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないかとの思いが胸をよぎる。持続可能な学校にするために、本当に大切なことだけを行う必要がある。特別な事業は要らない。学校の規模や状況に応じて均等に予算と人を分配すればよい。特別なことをやめれば、評価のための評価や、効果検証のための報告書やアンケートも必要なくなるはずだ。全国学力・学習状況調査も学力経年調査もその結果を分析した膨大な資料も要らない。それぞれの子どもたちが自ら「学び」に向かうためにどのような支援をすればいいかは、毎日、一緒に学習していればわかる話である。
 現在の「運営に関する計画」も、学校協議会も手続き的なことに時間と労力がかかるばかりで、学校教育をよりよくしていくために、大きな効果をもたらすものではない。地域や保護者と共に教育を進めていくもっとよりよい形があるはずだ。目標管理シートによる人事評価制度も、教職員のやる気を喚起し、教育を活性化するものとしては機能していない。
 また、コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う一人一台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場では今後の進展に危惧していた。3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。
 つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛(づら)くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。
 「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。世界の人々が連帯して、この地球規模の危機を乗り越えるために必要な力は、学力経年調査の平均点を1点あげることとは無関係である。全市共通目標が、いかに虚(むな)しく、わたしたちの教育への情熱を萎(な)えさせるものか、想像していただきたい。
 子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ。テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか。
 あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

 間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない。

 「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

 コロナ禍の今、本当に子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障していくかは、難しい問題である。オンライン学習などICT機器を使った学習も教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、それが子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもたちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。

 根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。

令和3(2021)年5月17日
大阪市立木川南小学校 校長 久保 敬

松井一郎はん、間違うてんのはあんたや。人の言うこと、よう聞きなはれ。

(2021年8月23日)
 世の中は広い。考えられないほど傲慢で愚かな市長がいるし、わけの分からぬ教育委員会もある。そして、何と硬骨な校長もいるものだ。なるほど、この混沌が大阪なんだ。

 《『混乱極めた』オンライン授業巡り、大阪市長批判の小学校長処分》という報道。教育行政のあり方や、言論の自由の意味、そして言論の自由を抑圧することの深刻な意味などについて考えさせられる。あわせて、ものの言えない鬱屈した教育現場の惨状があぶり出されてもいる。なるほど、これが大阪の教育の実態なんだ。維新の勢力が跋扈しているうちは、大阪はアカンとちゃうか。

「大阪市立小中学校が4?5月の緊急事態宣言下に実施したオンライン学習を巡り、「学校現場が混乱した」などと指摘した提言が地方公務員法が禁じる信用失墜行為に当たるとして、市教育委員会は8月20日、市立木川南小(淀川区)の久保敬校長を文書訓告にした。

 市教委は4月、松井市長による突然の方針表明を受け、原則としてオンライン学習を実施するよう各校に通知した。しかし、多くの学校でネット環境が整っていなかったため、授業動画の視聴にとどまるなど満足に実施できず、学校現場や保護者から不満の声が上がっていた。

 久保校長は5月に松井市長や市教育長に実名で提言書を送付した。「市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈した」と指摘。「学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」とし、教育行政の見直しを訴えた。

 これに対し、松井市長は「言いたいことは言ってもいい」としたうえで「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」と批判していた。」

 以上が、報道されている経過の概要である。文書訓告は地方公務員法上の懲戒処分ではないが、その前段階。もう一度同様のことがあれば懲戒するぞ、という警告の意味をもつ。教委の訓告の理由は、「他校の状況を把握せず、独自の意見に基づいて市全体の学校現場が混乱していると断言したことで市教委の対応に懸念を生じさせた」「さらにSNSで拡散されたことが信用失墜行為に当たる」というもの。

 誰が見てもこの訓告理由はおかしい。言外にこう言っているのだ。

「長いものには巻かれろ、出る杭は打たれる言うやおまへんか。もの言えばくちびる寒しでっせ。あんさんも校長や、子らには上手な世渡り教えなならん立場や。市長に逆ろうてもどないもならんことはようお分かりのはずやし、子らにも分を弁えるよう、手本をみせなならん。わしらも、教育委員いうたかて名ばかりや。何の権限もおませんのや。ここは、文訓程度でおさめるのがええとこや。腹も立とうが、何とか呑み込んでいただきとうおますのや」

 松井は、この校長に「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」と言っている。多様性を否定し、批判を封じ、教育を「一つの方向性」に引っ張っていこうという危険な発想。「組織を去るべきだ」は、『非国民』思想の復活ではないか。

 松井一郎の間違いは、大きく2点ある。事前に教育現場の教育専門家の意見を聴いていないこと。だから現場は混乱し、だから校長からも批判の声が上がるのだ。さらに、事後にも現場からの批判の声に耳を傾けようという姿勢のないことだ。

 この経過は看過しがたい。民主主義とは、選挙での為政者への白紙委任ではない。誰もが、常に、為政者を批判できる。為政者は批判の声に謙虚に耳を傾け、政策の修正に努めなければならない。久保校長の提言は「通信環境の整備など十分に練られること(が)ないまま場当たり的な計画で進められ」「保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」というもの。この見解は、保護者へのアンケート調査までしての結論。松井はこの提言に聴く耳を持たない。聴く耳を持たないどころか、「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」というのは、言語道断。これが維新の体質と理解するしかない。維新に権力を握らせることは、恐ろしい。

久保校長はこうも述べているという。

「37年間大阪で教員として育ち、本当に思っていることを黙ったままでいいのかなと。お世話になった先生方や保護者、担任をした子どもを裏切ってしまう感じがした」「今まで黙ってきた自分はどうなんやろうっていうのを、自分自身に問いかけた」

ものを言いにくい現場の空気と、意を決しての発言であることが伝わってくる。また、こうも報じられている。

「60代の市立小学校長は『声を上げにくい中でよく言ってくれた』と提言書の内容を支持した。区内の校長の間でも共感する声が多いという。『これまでも教育現場の声を聞かずに色んなことが決められてきた』。今回のオンライン学習の方針も同じだと感じるという。」

 「阿倍野区の市立小学校の50代男性教諭は通信環境が整わない中でオンライン学習を進めざるを得ず、児童の学習に遅れが出ていることに危機感を抱く。「私たちは決まった方針に対して何も言えず、従うしかない。諦めていたが、この提言に心から賛同したい」と話した。

 声を挙げることの困難な教育現場。声を押し潰そうという傲慢な小さな権力と、それに抗って発言しようとする良心の角逐。今、どこにもある光景であるが、実は深刻な光景なのだ。

喜ばしや、2度までの維新の目論見の蹉跌。

(2020年11月2日)
昨日(11月1日)投開票の「大阪市廃止」住民投票。1万7000票余の僅差ではあったが否決された。欣快の至りというしかない。

それにしても、仕掛ける側が「絶対に勝てる」という確信があっての住民投票実施である。維新は、このタイミングなら絶対勝てるとの判断で賭に出た…はず。5年前の投票では1万票差の否決だった。今回は、公明党を賛成派に抱き込んでの再提案。必ず勝てると思い上がっていたに違いない。それでも負けたのだ。この衝撃と影響は前回にもまして大きい。

「大阪都構想」は、維新にとっては「1丁目1番地の看板政策」である。それに固執して2度までも負けたのだ。一説では100億円という府・市の予算を投じ、コロナ対策そっちのけでの住民投票対策。住民を敵味方に2分しての宣伝戦は、大山鳴動したのみでネズミ一匹出てこなかった。当然のことながら、維新のこの責任は大きい。

維新の打撃について、時事はこう報じている。

「大阪都構想」が1日、否決された。実現を目指した日本維新の会にとって打撃だ。看板政策が地元の理解を得られず、次期衆院選で狙う全国展開の推進力を失った形で、今後は国政で厳しい立場に立たされそうだ。松井一郎代表(大阪市長)は否決を受け、市長の任期満了後の政界引退を表明。将来的に党が維持されるかも見通せない。

また、政治状況に影響が大きい。維新とは、与党でも野党でもない「ゆ党」だと揶揄される立ち位置。その実態は政権の補完勢力である。いざというときに政権に自らの存在を高く売りこもうという意味での改憲別働隊でもある。こんな輩に勢いづかせてはならない。

ところで、「15年の住民投票に続く2度目の否決で、維新代表の松井一郎大阪市長は23年4月の市長任期満了での政界引退を表明した」と報じられている。意味不明というしかない。任期満了までの在職継続宣言が、どうしてケジメをつけることになるのか、責任を取ることになるのか理解しかねる。

自分に市長としての適格性のないことを自覚したからこそのケジメではないか。重要政策に市民の信頼を得られなかったことに関する責任を取ろうということでもある。速やかに職を辞するのがスジというものであろう。なにゆえ、あと2年半も、のうのうと市長として録を食むと言えるのだろうか。

10月26日に、「大阪市廃止なら年間218億円分の財政コスト増」との試算をメディアに提供した大阪市の財政局長は、事態をどう見ているだろうか。速やかに市長が引責辞任してくれれば今後の軋轢は防げるのだが、あと2年半もの市長在任となれば、その間戦々恐々と報復を恐れなければならない。

また、大阪維新の会の代表代行を務めるという、大阪府知事の吉村洋文である。敗北後の記者会見で、「進退についてだが、今回、1丁目1番地の都構想が否決された。重く受け止め、僕自身が都構想について再挑戦することはない」と述べたという。重くは受け止めたが、責任を取ることまでは考えていないというわけだ。この姿勢もいただけない。

ところで、前回5年前の敗北と同様、確実に維新の存在感に陰りが生じることになる。次の衆院選戦略にも影響を与えるとの観測記事が多い。松井と菅とが親しいことは知られており、「次期衆院選で自民、公明両党の議席が減った場合は「自公維政権を作ればいい」(自民関係者)との声もあるほど」(毎日)だという。ここでの松井のレームダック化は、首相の政権運営に影響を及ぼしそうだ。それ故に、昨日の住民投票の結果が「欣快の至り」なのだ。

なお、偶然なのか必然なのかはわからないが、昨日今日の大阪府と東京都とのコロナ感染者数の比較は以下のとおりである。人口比から見て、大阪の感染蔓延は相当なものだ。

11月 1日 大阪 123人  東京 116人
11月 2日 大阪  74人  東京  87人

大阪都構想などにかまけている余裕なんぞははなかったのだ。

大阪市廃止の住民投票 ー 「維新側のなりふり構わない姿勢は異様だ」

(2020年10月31日)
本日の東京新聞「こちら特報部」の記事が、実によくできている。説得力十分。明日(11月1日)の「大阪市廃止の住民投票」の重要な資料だ。惜しむらくは、投票までに、この記事に目を通す大阪市民がどのくらいいるだろうか。

見出しだけでも、この迫力。ほぼ事態を把握できる。

 大阪都住民投票ギリギリでゴタゴタ
 維新流不穏な火消し
 「行政コスト218億円増」市試算に「捏造」
 市長指摘で財政局長が謝罪

 職員、報道に責任すり替え
 国会代表質問でも筋違いの反論
 専門家冷ややか「情報開示を怠った市長こそ問題」

リードは下記のとおり。

 大阪市を廃止し四特別区を設置することの是非を問う住民投票は一日投開票される。だが、直前になってドタバタが。市当局が出した「廃止なら年間200億円分の財政コスト増」との試算に松井一郎大阪市長が激怒。市財政局長が「捏造だった」と謝罪会見をしたのだ。維新側は、国会の代表質問まで利用して火消しに必死だが、この不穏すぎる状況の背景には何があるのか。

 以上の見出しとリードで、何が問題となっているかがわかるだろう。そして結論が、以下の「デスクメモ」だ。

 「松井市長は特別区の収支は黒字になるとしてきた。それだけに、年二百億円もコスト増になるという試算は、許せなかったのだろう。だからこそ、市財政局長に「捏造」とまで言わせて謝罪させたということか。だが世間には、その強列な火消しぶりの方が目に焼き付いたはずだろう。」

 つまりは、仮に住民投票の結果、大阪市廃止が実現するようなことがあれば、財政コスト増が生じる。その額は現状に比較して年間218億にも達するというのだ。素人の算定ではない。プロ中のプロと言ってよい大阪市財政局の試算なのだ。この試算が絶対ではないことも、記事には書き込まれているが、「有力な試算」であることには疑問の余地がない。

問題は二つある。一つは、このような有力な「大阪市廃止のデメリット」に関して、提案側が責任ある説明を回避していること。【専門家冷ややか「情報開示を怠った市長こそ問題」】という見出し。大阪市民に、「大阪市廃止の是非判断に関する情報」が提供されていないのだ。市民は、「廃止のメリットとデメリット」の両者を比較して賛否を決める。ところが、市長から市民へは、「メリット情報だけが伝えられ、デメリット情報は隠匿されているのだ」。住民投票の主役は、投票する市民でなければならないが、実態は市長が諮問を操作しているのだ。東京新聞の記事は、そのことをよく抉り出している。

問題のもう一つは、「維新流不穏な火消し」の見出しに見られる、情報操作の強引なやり方である。なりふり構わぬ手口に。局長を恫喝して試算を撤回して謝罪させ、国会代表質問でも筋違いの反論をぶち上げる。その体質を問題としている。

不利な情報の隠匿・改ざんは、まるでアベ政権なみだ。その点では同様の体質。しかし、アベは、下僚に忖度をさせた。ところが維新には、下僚が忖度してくれない。そこで、強権発動となる。東京新聞の記事は、これに怒っている。怒りが、立派な記事の原動力だ。

「一般的に、住民が多ければ多いほど行政の仕事は効率が上がり、一人当たりのコストが割安になる。大阪都構想は現在の市を四つの特別区に分割する。では、現在の人口を四分割して試算するとどうなるのかー。毎日新聞記者のそんな取材に応じ、市が『スケールメリツトを端的に表し、意味があると思って出した数字』(東山局長)だった。」が、同局長は松井市長の逆鱗に触れ「あり得ない数字だろ、虚偽だろ」と指摘されて、メディアに対して「捏造だった」とまで言わせられたのだ。

記事中のコメンテーターの言が良い。

 政治評論家の森田実氏は「国民の負託を受けた国会議員が大阪の問題を(代表質問で)長々と弁ずるのはナンセンス」とばっさり。馬場氏が毎日新聞批判をしたことも「住民投票で形勢が悪くなりそうだとなると、維新の延命のために国会でデタラメをいう。国会議員としての誇りも品もない。辞職すべきだ」と痛烈に批判する。

 都構想問題に詳しい立命館大学の森裕之教授(地方財政学)は「四特別区への分割は例えるなら、一家四人の暮らしから、一人一人が家を持つようなもの。教育や福祉などの標準的な住民サービスを維持するためのコストは増えるが、増加分に対する国の補助はない。それで二百億円増加というわけだ。当局の試算も毎日の報道もその限りでは間違っておらず、松井氏の印象操作ははなはだしい」と憤る。森氏も同様の試算を他の研究者ど進めており「政令市でなくなることで減るコストも数十億円分あり、それを合算するとコスト増は二百億円を下回りそうだ」という。だが、「そもそも財政状況がどう変わるかきちんと試算するのは市長の責任。それを怠った松井氏の怠慢こそが問題だ」と話す。

「維新側のなりふり構わない姿勢は異様だ。東山局長の謝罪会見を聞いたジャーナリストの吉富有治氏は「森友学園」をめぐる公文書改ざん問題が重なったという。「松井市長の言い分が正しいと仮定するなら、職員の過ちの責任は松井氏にあり、市民への背信として松井氏がまず謝罪すべきなのに、部下をねじふせて『誤った考えに基づき試算した』とまで言わせた。メディアや職員に責任をすり替え、都合の悪い情報はうそをついてもつぶす。自らを責任のらち外に置き、敵をつくって批判しては勢力を広げてきたのが維新のやり方。今回も賛成多数となれば『勝利』と、なりふりかまわぬその手ロが国政に広がる可能性がある。まゆにつばをつけて警戒すべきです」

厳しいが、全て同感である。明日の投票の結果に期待したい。

「大阪市廃止」の住民投票、最新世論調査で賛否逆転。

(2020年10月25日)
11月1日、来週の日曜日に、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う大阪市の住民投票が行われる。もっとも、この投票で「大阪都」が生まれるわけではなく、府民の意見が聞かれているわけでもない。大阪市選挙管理委員会による正式な名称は、「大阪市廃止・特別区設置住民投票」である。もちろん、ここには「大阪都構想」の文字はない。問われているのは「大阪市を廃止し、4つの特別区に再編する」ことの是非である。

この住民投票が注目されているのは、もっぱら維新の政治的影響力のバロメータとしてである。2015年の前回投票では、維新が「自・公・共」を相手にたたかって敗れた。最近の地元での維新の勢いを背景にした、再度の住民投票だが、今回は公明が鞍替えし、「維・公」対「自・共」の争いとなっている。

これまで、賛成派が断然優勢とされていたが、反対派との差は縮小しつつあると報じられてきた。そして、本日(10月25日)の世論調査結果の速報で、僅差ながらも賛否が逆転したという。これは、大きなニュースだ。

毎日新聞(デジタル)の本日16時09分(最終更新18時52分)の記事は、次のとおり報じている。

大阪都構想 反対が賛成上回る 9月上旬の前回調査から賛否逆転 世論調査

 大阪市を廃止し、四つの特別区に再編する「大阪都構想」について、毎日新聞は23?25日、大阪市内の有権者を対象に電話による2回目の世論調査を実施した。都構想への賛否は反対が43・6%で、賛成の43・3%を上回った。賛成49・2%、反対39・6%だった9月上旬の前回調査から賛否が逆転した。11月1日に投開票される住民投票に向け、賛否は拮抗している。

 調査は大阪市の有権者を対象に共同通信社、産経新聞社、毎日放送、関西テレビと共に実施。データは共有し、分析・記事化は各社で行った。コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけるRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法を用い、実際に有権者がいる世帯にかかったのは1446件、うち1043人から回答を得た。

毎日だけでなく産経も共同して行った世論調査。これを産経がどう報道しているか。ちょっと面白い。

産経(デジタル)は、本日16:40に第一報を配信した。その見出しが以下のとおり。毎日と共通する内容である。

大阪都構想の世論調査、約1カ月半前と賛否逆転

ところが、18:23の配信記事では見出しがまったく変わっている。

大阪都構想、有権者は高い関心 8割超が「投票に行く」

 ほとんど同じ内容の報道で、見出しを変えたのが興味深い。「賛否逆転」が、大きなインパクトを持つ人目を惹く見出しであることに疑問の余地はない。記者としては、こう見出しを付けたいところ。しかし、この見出しは反対派を勢いづけることになりはしまいか。あるいは、賛成派からのクレームを招く恐れはないか。忖度の結果の見出し変更ではないかと想像させる。その産経記事の抜粋を引用する。

(産経新聞)16:40
 産経新聞社は23〜25日、大阪市内の有権者を対象に電話による世論調査を実施した。大阪市を廃止し、特別区に再編する大阪都構想については反対43・6%、賛成43・3%と拮抗した。9月4〜6日の前回調査では賛成(49・2%)が反対(39・6%)を9・6ポイント上回っていたが、反対が巻き返した。吉村洋文大阪府知事を「支持する」とした人は65・5%で、前回より10・0ポイント減少した。

 今回、都構想に賛成する理由のトップは「二重行政が解消されるから」の35・8%で、前回比8・8ポイント減。次いで「思い切った改革が必要だから」の23・8%(同4・8ポイント増)だった。

 反対理由で最も多かったのは「メリットが分からないから」の30・8%。「大阪市がなくなるから」(21・3%)、「住民サービスが良くならないから」(15・3%)が続き、それぞれ前回比5・3ポイント増、3・5ポイント増だった。反対派が、大阪市が廃止されると住民サービスが低下するなどと訴えていることが影響しているとみられる。

 この世論調査結果は、反対派の宣伝活動が、大きな成果を上げていることを物語っている。バラ色の「大阪都構想」のメッキが剥げかかっているのだ。

ポピュリズム政党・維新は、今やアベスガ政権の走狗となって、改憲勢力の一翼を担おうとしている。11月1日の大阪市住民投票の結果は、憲法の命運にも関わる。反対派の奮闘を期待して已まない。

日本国憲法を大切に思う有権者は、けっして維新に投票してはならない。

いよいよ参院選に突入である。日本国憲法の命運にかかわる選挙戦。本日(7月5日)の各紙は、安倍政権を問う」「改憲3分の2が焦点」「争点は、年金・増税」とほぼ共通している。

驕る平家は久しからず。長すぎるアベ政権の綻びは明らかで、有権者はウンザリのはずなのだが、アベは、政治の安定」を売り物としての延命策。なんという開き直りよう。なんというふてぶてしさ。なんという図々しさ。

ところで、多くの政党・政派が有権者の支持獲得を競っているが、各政党は一本の物差しの所定の目盛りに位置している。大雑把にいえば、最も右に自民党が、最も左に共産党が位置して、その中間にそれぞれの政党が、あるいは自民寄りに、あるいは共産寄りに、ふさわしい位置を占めている。

本日の朝日が、これを図示している。「朝日と東大谷口研究室」の共同調査による、「候補者 読み説く」という記事。いくつもの指標で、13もの政党の立ち位置を図示しているが、最も目を惹くのは、憲法改正に関する各党の積極度。

常識的には、改憲積極派の最右翼が自民党で、その対極の積極護憲派の位置に共産党がある。その両極の間の自民寄りに公明党、共産党寄りに立憲・国民などがある。この常識は、大きな間違いがない。

ところが、朝日の改憲度物差しの図示には、驚くべきことがある。右翼自民よりも、さらに右に位置する政党がある。なんとそれが維新なのだ。維新こそが自民党を凌ぐ積極改憲派なのである。

念のため、改憲派⇔護憲派》の位置関係を順に並べてみると、次のとおり。
維新・自民・公明・国民・立憲・れ新・共社 の順となる。

そして、自民と公明の間は、かなり大きく開いている。ここに、紛れもない右翼の「N国」や、何ものかよく分からない「安楽死の会」などの諸派が入る。

なるほど、維新と共産。これは改憲・護憲軸の両極端、水と油なのだ。そういえば、最近維新が共産に絡む事件が目につく。取りようによっては、維新の自民党への媚びであり、すり寄りの手段のようでもあるが、本来この両党は本質的に相性が悪いのだ。

通常国会閉幕直前の本年6月25日、野党4党1会派が、共同で衆院本会議に内閣不信任案を提出した。これに、維新は反対に回り、足立康史が反対討論をした。足立が登壇すると、与党席から拍手が起こったという。

足立の演説は驚くべきものだった。アベ内閣が国民の信任に値するものであるか否かの、メインテーマには直接触れずにこう述べ、その行動の基準が、反共にあることを明言したのだ。

「念のため申し上げますが、私たち日本維新の会は内閣不信任決議案に反対と申し上げたのは、別に自民党や公明党と行動を共にしたいからではなく、共産党と同じ行動を取るのが、死んでもいやだからであります!」

通常国会閉会後の6月30日、ドワンゴとヤフー共催によるネット党首討論で、維新の松井代表と、共産党の志位委員長との間に、こんなやり取りがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=Wdm4c7NCqlc

司会:松井さん、お願いします

松井:今、消費増税のお話がありました。これはもう、他の政党の皆さん、そうなんですが、2011年復興増税の折には増税の負担を国民の皆さんにお願いする限り国会議員が、すべての国会議員で身を切る改革をやろうと。ということで、いっとき2割カットがスタートしたのに、今は元に戻ってしまっております。
 まず国民の皆さんに負担をお願いするのなら、自分たちが自分たちの身分を見直すべきだと思いますが、志位さん、どうでしょうか。

志位:あの、私たちは消費税を国民に押し付ける代わりに自分たちの身を切るというのは、これは理屈が違うと思います。身を切れば増税を押し付けていいんでしょうか? そんなことにはならない。ただ、私たちはたとえば、政党助成金、317億円。これ、各党が取っているわけですが、松井さんのところもたくさん貰っていると思います。

松井:いや…、活動経費に…(聞き取れず)
志位:これ全部返上したらいかがですか? 私たちは廃止を求めておりますし、私たちは受け取っておりません。まず身を切ると言うんだったら、まずそこから取り組んだらいかがですか?
松井:いや、それは…

7月3日、日本記者クラブ主催「党首討論会」でもこんな場面があった。
https://www.youtube.com/watch?v=DQgu5yni7rI

松井:前の総選挙のときの党首討論で、国会議員が領収書なしでもらえている文書通信交通滞在費は見直すべきだ、せめて領収書公開しようと提案したとの話があり、「その折、志位さんはやるといったが、あれからもう2年が経過している。今のところ、知らぬ存ぜぬで、これはまったく実行されていない。志位さんの公約というのはそういう軽いもんなんでしょうか」

志位:共産党ウオッチャーで有名な松井さんがご存じないというのは驚きましたが、私たちはホームページで、文通費の使途をすでに公開しております。公表した通り、文通費の趣旨を踏まえて活用し、人件費と選挙には使っておりません。会計処理はすべて、領収書と伝票に基づいて行い、領収書と伝票を保管しており、ルールができればいつでも提出する用意はあります。

 …領収書、私、維新の会についてちょっと調べてみたんですが、ここに持ってきた杉本和巳議員の使途報告書は、100万円の文通費の全額を杉本議員自身が支部長を務める政党支部に入れており、領収書はこの2枚付いておりますが、領収書を発行したのも杉本議員、領収書を受け取ったのも杉本議員、何に使われたのかはまったくのブラックボックスです。この使途が何かが大事なのであって、使途を公表して初めて公表したといえるのではないでしょうか。

 この問題についてもう一言申し上げますと、先ほど「身を切る改革」ということ議論になりましたが、そんなに身を切るのがお好きなら、政党助成金を返上したらいかがと、私は思います。

こういうのを、みごとな「切り返し」「返り討ち」というのだろう。あるいは、「効果的逆襲」「ブーメラン効果」「ツケが回る」「形なし」「ぐうの音も出ない」「身から出た錆」…。維新には党首の発言にファクトチェックの助言をする態勢がないのだろうか。いずれにせよ、憲法を大切に思う有権者は、けっして維新に投票してはならない。
(2019年7月5日)

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