下記は、本日(3月26日)「赤旗」1面の記事。
「大阪高裁 大阪市に賠償命じる
橋下徹前大阪市長による市職員への憲法違反の「思想調査アンケート」(市職員への労使関係アンケート調査)で「精神的苦痛をうけた」として、職員とOB計59人が市に1900万円余りの賠償を求めた訴訟の控訴審判決が25日、大阪高裁でありました。田中敦裁判長は、一審大阪地裁に続いて、アンケートの一部を違憲と断定。大阪市に賠償を命じました。賠償額は一審判決の1人6000円を変更し5000円としました。
田中裁判長は、アンケートの四つの設問について、団結権(憲法28条)やプライバシー権(同13条)を違法に侵害したと断罪。一審で団結権侵害が認められた組合費の使い道の設問については侵害にあたらないと判断しました。橋下前市長には、アンケートが職員の権利を侵害しないよう確認する注意義務があったのに違反したとして損害賠償を認めました。
判決後の記者会見で、弁護団の西晃事務局長は「アンケートが憲法に抵触する内容を含む違法な公権力の行使であったと明確に判断された勝利判決だ。市は上告することなくこの判決を受け入れてほしい」と話しました。
原告団長の永谷孝代さん(60)は「みなさんの励ましの中でたたかってきて本当によかった。職員が働きがいが持てない職場の状況、市民が苦しむ市政が続くなか、みなさんとともに大阪市が良くなるように運動していきたい」とのべ、大阪市役所労働組合(市労組・全労連加盟)の田所賢治委員長は「憲法守る市役所づくりのために引き続き奮闘する」と話しました。」
他紙の報道では、「アンケートは組合の「政治活動」を問題視した橋下市長(当時)が、職務命令で回答を義務づけて実施。」「昨年12月に組合5団体と市職員29人が原告となった同様の訴訟で、大阪市におよそ80万円の賠償を命じる市側敗訴の大阪高裁判決が確定している。」「今回の判決も上告なく確定する模様」とのこと。
同業者として恥ずかしい限りだが、この件には弁護士が深く関わっている。この違法アンケートを強制した責任者である当時市長の橋下徹が弁護士。そして橋下からの依頼で「特別顧問」となり違法アンケート実施の実務を担当したのが野村修也、やはり弁護士である。権力に対峙して人権を擁護すべき弁護士が人権侵害の側にまわっているのだ。
事件は2012年2月のこと。大阪市は、職員およそ3万人を対象に労働組合の活動への参加や、特定の政治家を応援する活動経験について記名式のアンケート調査を行った。しかも、「このアンケートは任意の調査ではありません。市長の業務命令として、全職員に、真実を正確に回答していただくことを求めます。」「正確に回答がなされない場合は処分の対象となりえます。」と述べて、従わない場合は処分もあり得ることが明示されていた。公権力による思想表白強制といわざるを得ない。常軌を逸しているというほかはない。
当時、この橋下流の乱暴に世論の批判は高く、「このような被告職員の人権を著しく侵害する本件思想調査に対して、労働組合や法律家団体、広範な市民から激しい抗議がなされた。その結果、本件思想調査回答期限後の2月17日、野村修也は、データ開封作業や集計などを「凍結」することを表明せざるを得なくなった。また、同月22日には、大阪府労働委員会が、大阪市労働組合連合会らの実効確保の措置申立てに対して、市の責任において、本件思想調査を中止するよう異例の勧告を出した」(訴状)
そのため、結局は集めたアンケートの回答は未開封のまま廃棄されたが、これで納得しない職員の2グループが、訴訟を提起した。2件の訴訟ともに、職員らが原告となってアンケートの回答強制が人権侵害の憲法違反だとするもの。特定の公務員の故意または過失にもとづく違法な公権力の行使があって、その結果損害が生じたとする国家賠償請求訴訟である。両事件とも、1・2審を通じて、大阪市の敗訴となった。
2件の訴訟はこれで確定する。大阪市は原告らに損害を賠償することになる。ということは、市長の違法行為によって、市が損害を被るということだ。実はその損害の範囲は、必ずしも判決で命じられた賠償額にとどまらない。違法なアンケート調査にかかった費用、たとえば特別顧問野村修也への報酬など、が因果関係ある損害たりうる。余計な紛争の処理に要した費用も同様である。市が不当労働行為救済申し立てや、損害賠償請求訴訟に対応するために出費したものについても、市長の違法行為による損害となり得る。
判決を読む機会に恵まれていないが、判決では、大阪市の公権力行使が違法というだけでなく、市長の故意または過失が明確になったはず。ならば、市長の責任が問われなければならない。具体的な手段は、監査請求前置の住民訴訟である。
国立市に好個の参考事例がある。マンション事業者の明和地所が、国立市の違法な公権力行使によって損害を被ったとして国家賠償訴訟を提起し、2500万円の請求を認容する判決が確定した。市は明和地所に対して遅延損害金を含む賠償金を支払ったが、市民のなかから「市長の違法行為によって、市に損害が生じたのだから、市は当然に元市長に損害分を求償すべきだ。市長は市の損害分を個人で負担すべきだ」というグループが現れて、監査請求を経て原告となり東京地裁に「国立市は、明和地所に支払った損害賠償金と同額を元市長個人(上原公子)に対して請求せよ」との判決を求める住民訴訟を提起した。住民が原告となり、被告は元市長という訴訟である。
東京地裁はこの請求を認容する判決を言い渡し確定した。国立市は、判決にしたがって、元市長に請求したが、拒絶されて元市長に対する損害賠償請求訴訟を提起した。今度は、原告が市、被告は元市長という訴訟である。
その一審判決直前に国立市議会は元市長に対する賠償請求権を放棄することを議決している。一審判決はこれを踏まえて、「国立市議会が上原公子元市長に対する賠償請求権の放棄を議決しているにもかかわらず、現市長がそれに異議を申し立てることもせず、そのまま請求を続けたことが『信義則に反する』」として、国立市の請求を棄却するものとなった。市の債権がなくなったとしたのではなく、議会の債権放棄の議決によっても債権が存続することを前提として、請求を信義則違反としたのだ。なかなか分かりにくいところ。
ところが、控訴審継続中に議会の構成が逆転して、求償権の行使を求める議決が可決される事態となった。これを受けて、控訴審判決は一審とは逆に請求を全部認容するものとなっている。
国立市の事例と同様に、違法なアンケート調査によって大阪市に損害を与えた橋下徹の責任追及は、元市長橋下徹に対しても可能ではないか。大阪市の住民であれば、誰でも原告となれるのが住民訴訟だ。大阪在住のどなたかに、具体化していただきたいものと思う。
なお、大阪市議会の定数は86。与党である「大阪維新の会」の議員数は37である。幸いに半数に達していない。しかし、あと7人を語らえば、債権放棄決議が可能となる。議会の決議で、違法な市長の責任を免じることの不当は明らかというべきではないか。
(2016年3月26日)
維新とはなんであろうか。
自民を見限って民主に期待し、民主にも裏切られた保守層の期待幻想が紡ぎ出した虚妄である。半自民、反民主ではあるが、自らの中にプリンシプルを持たない。だからまとまりはなく、一貫した政策もない。全員が一色ではなかろうが、全体としては、世の風向きを読むことに敏感で、自己保身の遊泳に精一杯なだけの、政治世界の盲腸のようなもの。
その盲腸、場合によっては虫垂炎を起こす危険な代物となる。虫垂内部で細菌が増殖すると、膿瘍を形成し穿孔し腹膜炎を起こして重症化する。対処を誤ると、局所症状に留まらず重篤な全身症状となって死に至ることさえもある。起因菌が増殖を始めた盲腸は早めに摘除しなければならない。
今まさしく、維新が危険な盲腸として炎症を起こしつつある。維新が、戦争法案の成立に手を貸そうとしているのだ。自・公とならんで、維新を世論の矢面に立たせなければならない。3本目の批判の矢が必要となっている。取り立ててなんの理念ももたない維新のことだ。世論の風向き次第で態度は変わる。摘出手術の荒療治まではせずとも、批判の注射だけで無害の盲腸に戻すことが可能となる公算もある。
昨日(7月7日)配信の時事通信記事は次のとおりである。
「民主党の枝野幸男、維新の党の柿沢未途両幹事長は7日、国会内で会談し、武力攻撃に至らないグレーゾーン事態に対処する『領域警備法案』について、共同提出を見送ることを確認した。…政府提出の安全保障関連法案の採決日程をめぐって対立し、共同提出に向けた協議が決裂。両党は8日にそれぞれ単独で国会提出する。
会談では同席した維新の馬場伸幸国対委員長が、領域警備法案の審議時間を確保するため、同法案と政府案の採決日程をあらかじめ与党側と合意するよう提案。政府案の廃案を目指す民主党は『与党に手を貸すようなことには協力できない』として拒否した。」
読売がきわめて適切な見出しをつけている。「枝野氏『突然、非常識な提案』 維新との協議決裂」というもの。記事は、「維新の党側は、与党が求めている関連法案の採決について、7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた。」となっている。
産経の報道は次のとおり。
「民主党の枝野幸男幹事長は不快感をあらわにした。維新から『与党に手を貸すような提案』があった」「『出口の話をするような無責任な野党としての対応はできない』として決裂した」
この報道には驚いた。そして、呆れた。これまでは、極右政党「次世代」を除いて、野党の足並みは政府提案の戦争法案反対で揃っていたはず。少なくも、徹底審議での共闘合意ができていたはず。ところが、維新は態度を豹変させて、「戦争法案採決について7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた」というのだ。枝野幹事長が「突然、非常識な提案」と怒るのはもっともな話。民主党の感覚が、真っ当ではないか。
ああ、そうなのか。あらためて合点が行く。6月14日突然に設定された安倍・橋下密談がこんな筋書きを描いていたのか。あれ以来様相が変わってきたではないか。対案を出すだの、民主と共同提案だのと維新が言っていたことは、すべて野党分断、民主抱き込みの伏線だったのか。自民党へ恩を売るための下工作だったのか。与党と維新の間では密約が成立し、「7月下旬採決強行」のスケジュールが組まれていたのだ。自民が、「7月15日採決案」をリークする。維新が手柄顔に、「7月下旬まで先延ばし」して、与党強行のイメージを薄めた採決の舞台を整える。この筋書きに、うっかり欺されるところだった。
維新とは「これ(維)新たなり」の意味だが。昨日露わになった維新のやり口は、まったく清新なところがない。旧態依然の、裏工作、駆け引き、目眩まし。永田町流政治術は自民の専売ではないのだ。
しかし、盲腸の変身が戦争法案反対の運動に大きな影響を及ぼすはずもない。飽くまで、正攻法で、戦争法に反対しよう。違憲法案は廃案にさせるしかない。それが、平和を維持し、国民の安全を守ることなのだ。政権と与党と維新に、3本の矢を突きつけて、それぞれを正々堂々と批判しよう。
(2015年7月8日)
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事態の変化は目まぐるしい。昨日(7日)民主と維新の幹事長会談では壊れた領域警備法案の共同提案が、本日(8日)の党首会談で元の鞘に収まったという。その上で、「党首会談では、与党に領域警備法案の十分な審議を求めることを確認し、法案が参院送付後60日経ても議決されない場合、衆院で再可決が可能となる「60日ルール」の適用を阻止することでも一致した。維新は7日の幹事長会談で、政府案と対案の採決日程を決めて与党と交渉する提案を行ったが、党首会談では取り上げなかった。」(産経)と報道されている。
それでも、「維新の正体」「維新への批判の必要」の私の見解は変わらない。本日のブログの原稿を訂正することなく、掲載する。
人を助けることは美しい行為だ。しかし、安倍内閣を助けようなどとは醜いたくらみ。平和憲法擁護こそが美しい立派な行為だ。ボロボロの戦争法案の成立に手を貸そうとは、不届き千万ではないか。仲裁は時の氏神という。だが、この期に及んでの維新の動きは、「時の死神」たらんとするものにほかならない。
そもそも、維新とは何ものか。誰もよくはわからない。おそらく当の維新自身にも不明なはず。自民を見限り、期待した民主党政権にも裏切られた少なからぬ有権者の願望が作りだした「第三極」のなれの果て。「自民はマッピラ、民主もダメか」の否定の選択が形となったが、積極的な主義主張も理念も持ち合わせてはいない。あるのは、民衆の意識動向に対する敏感な嗅覚と、自分を高く売り込もうという利己的野心だけ。
しかし、ここに来て大きな矛盾が露呈しつつある。「国民意識環境」の大きな変化が、ポピュリズムと利己的野心の調和を許さない状況を作りだしていることだ。ポピュリズムに徹すれば党の独自性発揮の舞台なく埋没しかねない。さりとて、利己的野心を突出させれば確実にごうごうたる世論の非難を受けることになる。
さらに、維新への世論の支持は急速に低下している。真っ当な良識からの評価は皆無といってよいだろう。議席の数は不相応な水ぶくれ。国会内での存在感も希薄だが、国会の外ではほとんどなんの影響力もない。次の国政選挙では見る影もなくなる公算が高い。「崩壊の危機」という見方さえある。彼らの危機感も相当なものであろう。
そのような折り、危機乗り切りの焦りからか、労働者派遣法改正法案審議での「裏切り」に身を投じた。どうやら、毒をくらわば皿までの勢い。農協法改正法案の「対案」を提出して自公との修正協議を迫っている。そして、いまや窮地に陥っている、戦争法案の救出に手を貸そうというシナリオが見え見えである。
しかし、ここはよく考えた方がよい。自公と組むメリットばかりに目が行っているようだが、それは確実に滅びの道なのだ。権力の甘い腐臭の誘惑の先には、食虫植物の餌となる昆虫の運命が待ち受けている。
我が身を安倍政権と与党に売り込むには、いまがもっとも高価に値を付けることができる時期との打算。しかし、安倍政権に手を差し伸べることは、憲法と平和を売り渡すことであり、そしていまや世論に背を向けることでもある。
戦争法案の違憲性は、既に国民に広く浸透し確信にまでなっている。丁寧に説明すればするほどボロが出てくる。安倍は、丁寧にはぐらかし、丁寧に都合のよい部分だけをオウムのごとくに繰り返してきたが、それでもこの体たらく。いまや、誰の目にも愚かで危険なピエロとなり下がってしまっている。
政府が法案を合憲と強弁する根拠は完全に破綻した。まさしく「違憲法案のゴリ押し」「憲法の危機」の事態が国民の目に明らかとなり、法案撤回を求める国民世論は大きく盛りあがっている。やや反応が鈍かったメディアもようやくにして重い腰をあげつつある。このとき、まさかの伏兵として維新が安倍政権に手を貸そうというのだ。
「維新の党が今国会に提出する安全保障関連法案の対案の骨子が16日、明らかになった。集団的自衛権を使って中東・ホルムズ海峡で機雷を取り除くケースを念頭に、『経済危機』といった理由だけで自衛隊を送ることができないようにする。安倍晋三首相は同海峡での機雷除去に強い意欲を示しており、修正協議になった場合の焦点になりそうだ。対案は来週にも国会に提出する。」(朝日)
政府も与党も大歓迎で協議に応じることだろう。
おそらくは、維新はこう考えている。
「いまこそ、我が党の存在感を示すとき。数の力では自・公が圧倒しているのだから、この法案はいずれ通ることになる。それなら、少しでもマシなものにしておくことで、世論のポイントを稼げることになるはず」
維新は、戦争法案推進勢力と反対勢力との間に立って、「時の氏神」を気取っているのだろう。しかし、朝日が報道する維新の「対案」は、政府提案の腐肉にほんのひとつまみの塩を振りかけた程度のもの。腐肉は腐肉。法案違憲の本質はまったく変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項に対する死の宣告に手を貸すものである。
維新の諸君よ、鋭敏な嗅覚で世論の法案反対の高まりを見よ。戦争法の成立に手を貸すことが、国民の大きな怒りを招き自らの滅亡に至ることを直視せよ。だから、こう一声かけざるを得ない。「君、死神となるなかれ」と。
(2015年6月17日)
6月15日。55年前のこの日、東大生樺美智子が日米安保条約改定反対のデモの隊列の中で、警官との衝突の犠牲になった。当時私は高校2年生だったが世情騒然の雰囲気が印象に深い。津々浦々に「アンポ・ハンタイ」「岸を倒せ」の声が響いていた。
あの大国民運動をつくり出したものは、何よりも戦争を拒否し平和を願う圧倒的な国民の願いであったろう。当時戦後15年、戦争の記憶は成年層には鮮明に残っていた。「再びの戦争はごめんだ」「危険なアメリカとの軍事同盟なんぞマッピラ」という感覚が国を覆っていた。当時も、政府はアメリカとの同盟が「東」側からの攻撃に抑止効果をもつと宣伝したが、多くの国民が耳を傾けるところとはならなかった。
そして、安保反対国民運動が盛りあがったもう一つの契機が、衆議院での強行採決である。「アンポ、ハンタイ」の大合唱は、平和と民主主義についての危機感が相乗してのこと。その運動の標的となった敵役が、A級戦犯・岸信介であった。
今、再びの「安保ハンタイ」の声。「戦争法案を廃案に」「憲法を壊すな」「安倍を倒せ」の掛け声が全国に渦を巻いている。半世紀を経て、岸信介の孫、安倍晋三が敵役だ。今度は平和主義・民主主義だけでなく、「立憲主義を壊すな」がスローガンに加わっている。
今や、60年安保を彷彿とさせる運動の勢い。状勢は、明らかに憲法擁護勢力が、安倍ゴリ押し改憲内閣を追い詰めている。ところが、このときに意外な伏兵が現れた。裏切り・寝返りと言ってよかろう。維新の動きである。見方によっては、もっとも自分を高く売るタイミングをはかっていたのではないだろうか。維新は、労働者派遣法案で民主・生活と組んで、与党案へ反対で足並みを揃えていたはず。それが、あっという間の自民への摺り寄りだ。
この伏兵の動きが戦争法案反対運動にも影響しかねない。昨日(6月14日)、ゾンビ橋下が安倍と醜悪な3時間の会見。その後、橋下はツィッターで「維新の党は民主党とは一線を画すべきだ」と述べているそうだ。安倍とは蜜月。「自民党とは一線を画すべきだ」とはけっして言わない。
しかし、覚えておくがよい。裏切り・寝返りは、リスクを伴う行為だ。できるだけ高い対価を求めてのタイミングでなされるが、高い対価には相応の大きな危険が伴うことになる。策士策に溺れるのがオチとなろう。
ユダはイエスを売って銀貨30枚を得た。小早川秀秋は、関ヶ原の裏切りで55万石の大大名となった。古来、裏切りの動機も対価の多寡もさまざまだが、共通しているのは、裏切りが打算であること、できるだけ高く売れるタイミングで実行されること、そして、打算ゆえの裏切り者の末路が惨めであること、汚名が長く残ること。
そして、よく覚えておこう。最近教えられて印象に残ったブレヒトの言葉だ。
ベルトルト・ブレヒトは、その著「戦争案内」の最後で、ヒトラーの写真を指しつつ、こう言っているそうだ。
こいつがあやうく世界を支配しかけた男だ。
人民はこの男にうち勝った。
だが、あまりあわてて勝利の歓声をあげないでほしい。
この男が這いだしてきた母胎は、まだ生きているのだ。
腹を切ったはずの落城の將がゾンビとなってうごめく醜悪な世の中だ。問題はゾンビ自身ではなく、むしろゾンビを産みだした母胎の方だ。この母胎はまだ暖かい。戦争法案をめぐる憲法擁護の戦いは、この母胎との戦いでもある。
(2015年6月15日)
大阪市民を二分した「都構想・住民投票」の狂騒は、いったいなんだったのだろうか。問われたものは、大阪都構想の当否でも大阪市の解体の是非でもなかったようだ。実は、民主主義の質が問われたのではなかろうか。
通常の政治課題では強者と弱者との対立構造が分かり易い。権力対民衆、資本対労働、事業者対生活者、中央対地方。あるいは、富者と困窮者、社会的多数派と少数派、人種・民族的な対立、地域間格差、産業間の力量差、大企業対中小企業等々、対立者間の力関係の格差が紛争の中に明瞭となる。
基本的には、現行の経済構造とこれに照応した政治的秩序を擁護しようとする体制派と、現行秩序を不満とする革新派のせめぎ合い、という図式を描くことができよう。しかし、大阪都構想をめぐる政治的な抗争はこの図式とは異なっているように見える。私は、現体制には大いに不満な「革新派」の一員をもって任じてはいるが、「都構想の実現によって大阪の現状を変革しよう」という立論には与しない。
常識的には、「体制擁護の自民党」と「反体制の共産党」の二極を軸として、いくつかの政党がバラエティをもって並立する。この二極を基軸として、政治課題全般がせめぎ合う。ところが、今回、市民を真っ二つにしたテーマで、自・共が共闘しているのだ。
この共闘現象を「反ファシズム統一戦線」になぞらえて説明してよいのか。実のところ、よくは分からない。橋下的なポピュリズムが不気味で警戒すべきものであることは明らかだが、ファシズムないしはその萌芽と規定できるほどのものであるかは分からない。分からないながらも、指摘できることはいくつかある。
大阪都構想なるものは、実は新自由主義的構造改革にきわめて親和的である。というよりは、財界が求めてやまない道州制実現の橋頭堡として位置づけられたものである。その意味では、中央資本にも政権にも都構想は歓迎すべき政策なのだ。道州制とは、道洲に福祉や教育などの金のかかる住民サービスを押しつけて、国の荷物を軽くしようとするもの。当然に各道州間で大きな住民サービスの格差が生じるが、中央資本にとっての負担軽減策として断然有利になることは明らかなのだ。
村井宮城県知事と橋下大阪市長とは「道州制推進知事・指定都市市長連合」の共同代表を務めている。「道州制に向けて歩みを進めているリーダーを失った。道州制(実現)への影響は間違いなく出る」という村井知事のコメントが産経に紹介されている。
また、橋下の地域振興政策の目玉がカジノ(IR)誘致構想であったことは周知の事実。そのような意味では、大阪都構想をめぐっては、「資本(ないしは中央資本)の利益」対「地域コミュニティの利益」の対立構造があったことは疑いがない。だから、都構想支持派には意識的な新自由主義推進派が含まれている。自民党支持層の4割が、賛成派にまわったのも頷けるところ。また、維新・橋下の「日の丸・君が代」強制や、労働組合への嫌悪の徹底ぶりは、右翼勢力からのシンパシーも得たことだろう。
とはいえ、大阪都構想賛成派の市民は、新自由主義派や右翼ばかりではない。大阪の現状に不満を募らせた多くの人々が、これが大阪発展の青写真と煽られ、その展望に賭けてみようという気持にさせられたのだ。ベルサイユ体制に鬱屈していたドイツ国民がナチスの煽動に乗って、ヒトラーを支持した構図と似ていなくもない。昭和初期の不況に喘いだ日本国民が「満蒙は日本の生命線」というフレーズに心動かされた歴史を思い出させもする。
さて、問題はここからである。一人ひとりが責任ある政治主体として維新から示された「青写真」や「展望」をじっくり見据えて自分の頭で判断しようとするか、それとも、人気者が香具師の口上さながらに語りかける政治宣伝にお任せするか、そのどちらをとるかなのだ。生活の困窮や鬱屈の原因を突きつめて考えるか、考えるのは面倒だからさしあたりの「既得権者攻撃」に不満のはけ口を提供するポピュリストに喝采を送るか、という選択でもある。
前者を本来的な民主主義、後者を擬似的民主主義と言ってよいだろう。あるいは、理性にもとづく下からの民主主義と、感性に訴えかける上からの煽動による民主主義。成熟度の高い民主主義と、未成熟な民主主義。正常に機能している民主主義と、形骸だけの民主主義。独裁を拒否する民主主義と、独裁に根拠を与える民主義。本物の民主主と偽物の民主主義、などとも言えるだろう。
今回の狂騒が意味あるものであったとすれば、民主主義の質について考える素材が提供されたということであったと思う。
なお、個人的に興味を惹かれたことを一点。自民党大阪府連は果敢に橋下都構想を攻撃した。そのホームページでは、自民も維新もともに道州制賛成であることを前提に、道州制とは矛盾するものとして都構想を非難している。党中央とはねじれた判断である。ここには、体制派内部の中央と地方(ないし地域)とのねじれを読み取ることができるだろう。
なお、自民党中央と地方自民党とは、相当に主張も肌合いも異なるのではないか。地方の票が積み重なって中央を形作るが、実は中央の方針を貫徹していては、地方では票にならない。自民党とは、そのあたりを柔軟に対応する術を心得てこれまではうまくやって来た。しかし、沖縄でも大阪でも、党中央と地方組織との矛盾が覆いがたいものとなった。TPPでも、復興でも、農業再生でも、漁業振興でも、あるいは原発再稼働でも同様だ。その他福祉でも教育でも、多くのテーマで自民党の中央は地方党活動家の意識と乖離せざるを得ないというべきなのだ。
保守陣営の中での「地方の反乱」の芽は確かに育まれている。はからずも、今回沖縄だけでなく大阪においても、自・共の共闘までもが可能であることが教えられた。このことも、きわめて意義の深い教訓である。
(2015年5月20日)
大阪都構想は夢のまた夢、露と消えた。維新は落城し、城主はあえなく切腹を約した。まずは目出度い。
目出度いとは、なによりも大阪市民府民のために喜ぶべきだが、憲法の命運にも明るい萌し。「橋下徹?安倍晋三・最悪コンビ」による改憲推進の構想はなくなったと考えて良さそうだ。これで維新内での橋下の重しがとれて、親安倍政権グループの勢力が殺がれ、反政権派がイニシャチブをとるとすれば、ずいぶんマシになるのではないか。
とは言え、住民投票結果の僅差には驚きを禁じ得ない。橋下にもう少しの魅力があれば、ブレーンにもう少しの智恵者がおれば、なんらかもう少しのパフォーマンスが加わっていれば、勝敗の結果は変わり得たと言わねばならない。あるいは支援者の身内を特別秘書にして薄汚い公費を渡すなどのスキャンダルがなければ、あるいは従軍慰安婦問題での馬鹿げた「ホンネの失言」などがなければ、都構想が実現して彼がなお、政治家として居直っていたかも知れないのだ。
げに「民主主義」とは恐ろしいもの。あんなまやかしの、底の浅い提案が紙一重の差で通っていたやも知れないのだ。大阪都構想が半数近くの市民の賛意を得たことについては、今後の正確な検討が必要であろう。
おそらくは、多くの市民府民が大阪の現状には不満を募らせていた。これまでの市政府政の責任は大きい。中央政治担当者も同罪だ。鬱屈して不満な市民の感情は、「どんな方向にであろうとも、ともかく現状の変更を」という思いとなって、クサイクサイ橋下劇場の演技を支持したということなのだろう。橋下のしたことは、鬱屈した市民府民の不満の感情に火をつけたことなのだ。それも、乱暴極まるやり方でである。
民主主義とは、本来が理性にもとづく政治過程である。冷静で知性をもった主権者が、十分な情報を得たうえで、自由な討議を重ねて結論への到達を目指す。その意味では「熟議の政治」である。そのうえで、衆議一決しない場合には多数決でことを決する。そのルールが想定しているものは衆愚政治ではなくポピュリズムでもない。民衆の未成熟な歪んだ感性に訴えて、支持を獲得することは、民主主義の本来が想定するところではない。
橋下流の民衆支持獲得術は、意識的に敵対者を作りだし、その攻撃に鬱屈した民衆を動員して、負の感情を刺激し満足感を与えることにある。その攻撃対象とされる「敵」は、けっして本当に責任のある権力や権威の中枢とはならない。政権や財界や天皇制が、民衆の困窮や不満の根源として指摘され、攻撃されることはない。
「敵」として、バッシングの標的とされるのは、公務員であり、教員であり、労働組合である。庶民にとってほんの少しだけ安定したよい生活をし、ほんの少しだけ気取った生活をしている、嫉視の相手として恰好の階層を、既得権者だと決めつけてイジメの対象とする。これが、庶民のカタルシスとなり、支持獲得に効果抜群なのだ。違憲・違法、あるいは不当労働行為の手段まで使って、徹底してイジメることこそ橋下流であり、維新流なのだ。
これまで維新の勢力拡張は、民衆の中にあるこのような負の感性部分を覚醒し増幅し、カタルシスを味あわせることに依拠してきた。これで、知事選を勝ち、市長選を勝って、都構想でもあわやというところまで漕ぎつけたのだ。
つまりは、民主主義が本来的には想定していない手口での、民衆の支持獲得に、ある程度まで成功を収めた。今回、橋下は政界からの引退を誓約した。橋下はいなくなるが、橋下のような政治家はあとを断たないのではないか。
このような危険な政治家と危険な政治手法を、今後は徹底して警戒しなければならない。それが、投票結果僅差の教訓である。
(2015年5月18日)
先週の土・日(5月9日・10日)は、大阪出張だった。市営地下鉄のアナウンスが、「5月17日の住民投票には、必ず出かけましょう」と、差し出がましい呼びかけを繰り返していた。市長の側は、投票率が上がることを賛成派に有利と見ているのだろう。
毎日(共同・産経)、朝日、読売の各調査すべてが、反対派優勢の結果となっており、橋下自身も街頭演説で劣勢を認めている。とりわけ、「女性に超不人気」と自ら口にしている。普通に考えてみれば当たり前の話し。負ければ即・橋下引退だ。このことをよく確認しておこう。
産経の報道では、「20代女性は調査のたびごとに賛成の割合が低下し、今回は初回の半分以下にまで落ち込んだ(賛成17・1%、反対60・0%)。また、70歳以上の男女も反対が賛成を大きく上回った。子育てや、70歳以上が対象の優待乗車証「敬老パス」に象徴される高齢者福祉など、身近な行政サービスの先行き不透明感に対する不安を投影している可能性もある。」
説得力ある反対派の論拠は、「大阪市内で集められた大量の税金が、大阪市「外」に流出することになるのです。その総額は、実に2200億円!もちろん、これは今、大阪市が担当している事業の一部が大阪府に引き継がれることになるので、その事業のための資金だと解釈できるのですが、2200億円の予算が大阪市外に流出し、それを現大阪市民の自治でその使い道を、現在の様に「管理」出来なくなるのは事実です」。
「年2200億円が大阪市から大阪府に吸い上げられ、市民には大損だ」「住民サービスが不便になる」「住民サービスが下がるのは嫌だ。政令市を守りたい。そう思うなら、反対と書きましょう!」この宣伝が効いている。
これに対する橋下の反論が、大阪の街をつぶすのではない。役所の仕組みをつくり変えるだけだ。「住民サービスが極端に下がることはない」(産経)というもの。これでは防戦にも反論にもなっていない。勝負あったというところ。
安倍と菅が、改憲問題への協力とバーターで橋下・維新にエールを送って、この問題を全国区マターにした。しかしおそらくは、両者の思惑に反してこの薄汚い取引が政権にも大阪維新にも裏目に出ているのだ。
橋下のこの問題での街頭演説をネットで聞いてみた。香具師の口上そのものではないか。およそ、論証というものがない。これに拍手を送っている聴衆がいるのだから寒心に耐えない。容易に口車に乗せられる、人のよい無防備な人々。悪徳商法被害が尽きないわけだ。
とは言え、賛成派は投票所に行くモチベーションが高かろう。反対派は相対的に低いことが予想される。世論調査のとおりの結果が出るかは予断を許さない。
本日の当ブログは、「大阪市解体住民投票」に、反対の立場の気利いたコメントを掲載してみる。発言者の氏名を省略するが、本日のブログのタイトルを含めて、すべて引用である。
二重行政の弊害を取り除いて、それで浮いたカネで、大阪経済の活性化と大阪財政の再建ができる、っていうんだから、こんなウマイ話はない。ウマイ話には気を付けよう。
大阪市長と知事のポストを同じ維新の会の人間が占めてこれだけの時間が経過しているのに、な〜んにもできていない。それがどうして、効率的に行政が運営されるようになると言えるのか…全然理解できない。
小保方晴子「STAP細胞はあります」⇒成功しませんでした。
橋下徹「都構想の効果はあります」⇒試算したらありませんでした。
「東京の繁栄は『都区制度』のおかげでなく、『一極集中』の賜物」
ひと言で言えば、東京の都区制度は自治体として不十分なものであり、それでも栄えているのは企業や人口が集中する首都だから、という話である。大阪の行政の仕組みを東京に似せて変えたからといって東京のように経済発展するはずがない、そもそも各都市の行政機構のかたちと経済情勢の間にほとんど関連がないことなど、子どもでもわかりそうなものだが、橋下は「金持ち東京みたいになるんです」と吹聴しつづけてきた。東京コンプレックスの強い大阪人につけ込む詐術的弁舌である。
大阪市を廃止・分割し、将来の経済効果を図る目処もなく、
必要経費ばかりが膨らむいわゆる「大阪都構想」。
政治をゲーム感覚で捉える権力志向のリーダーのわがままに付き合わされるのは、もううんざりです。
大阪市の廃止・分割より、市民・府民の毎日の暮らしの中には課題がいっぱい!
保育や教育の質の向上。若い世代の女性の就職難や貧困層の増大。女性シニア世代の独居問題。高齢者介護の問題。「大阪市廃止・分割はアカンやろ!」
橋下はこれだけの批判を浴びながらも、一向に反省することなく、「実務を知らない学者が批判している」といった反論を繰り返している。公務員を叩き、学者や教師を叩き、マスコミを叩き、大衆の「負の感情」を煽って自らの支持に変えてきたいつものやり方で、この住民投票を乗り切ろうとしているようだ。しかし、有権者は今度こそ、こうした橋下の反知性主義的な詐術に騙されてはならない。「大阪都構想」などというデタラメによって甚大な被害を受けるのは、ほかでもない、大阪市民自身なのだから。
橋下はいろいろ大袈裟に言う割には、実現しないか、実現すれば失敗だからです。
橋下はある案のいい面だけを強調し、悪い面を隠しているように思われます。世の中にそんなウマイ話はあるものではありません。その案実現の障害となる要因、あるいは、実現した場合の弊害などを検討し、あらかじめ手を打っておくべきなのです。しかし橋下はそれをしません。仮に大阪都構想がそんなに悪くないものだとしても、橋下がやれば失敗するでしょう。
橋下市長はどのタウンミーティングでも「平松さんのときにはたった教育予算67億円、たった67億円、ところが維新の会、もう大阪府と大阪市が一体となっていま政策をすすめています。教育予算は370億円、その額にして6倍です。そこまでもう増やしています」と、「教育予算」を5倍にしたと宣伝するのですが、これは教育予算全体ではなくて自分が重点投資した政策予算の部分だけ取り上げているのです。ちょっと考えれば、260万人人口のいる大阪市の教育予算が67億円とかありえないでしょう。
橋下市長と維新の会が「増やした」と言うのは、塾代助成や学校現場へのパソコン導入など、橋下氏肝いりの目玉施策を積み上げたものに過ぎないのです。橋下市政になったら、そこだけぐんぐん増えるのは当たり前でしょう。
橋下市長になってから、教育予算はその重点投資を合わせても減っているのです。
橋下市政では塾代を補助して、小学校は統廃合し、保育料は値上げしてます。そしてさらに、大阪「都」になったら市内の全保育所を民営化するというのです。まさに暴挙。
これでは子どもの数が減るのは当たり前です。
普通は旧システムから新システムに乗り換える時、新システムが安全であることを確認し、その場所を確保した上で旧システムを閉じる。しかし5月実施の大阪市住民投票では、新システムが確保できないのに旧システムをまず壊すことに同意せよと問うている。まるで住民は博打を強要されているかのようだ。
現在、橋下維新側は、17年間で2700億円程度の財政効果があると喧伝し、これが都構想賛成論の重大な根拠とされているが、この金額の内訳を知る人々は一般にはほとんどないだろう。しかし財政学者はその中身を冷静に分析し、これが如何に「粉飾」された「盛りに盛りまくった数字」であるかを明らかにしている。
財政学の森裕之・立命館大学教授は次のように指摘する。「大阪府市は特別区になった場合の財政シミュレーションを示しているが、再編効果には大阪市の事業の民営化(地下鉄・バスや一般廃棄物事業など)や『市政改革プラン』など、『大阪都構想』による二重行政の解消とは関係のないものが意図的に盛り込まれている。それらを差し引けば、純粋な再編効果は単年度でせいぜい2?3億円程度」。要するに、「大阪府と大阪市の二重行政が税金のムダづかいを生むというのが、『維新の会』が『大阪都構想』を主張する最大の根拠になっています。しかし、その主張には根拠がありません」(鶴田廣巳・関西大学教授・財政学)ということなのである。
なお、この問題では、もっとも充実している宮武嶺ブログ、「Everyone says I love you !」を是非参照されたい。写真や図解が親切で分かり易く説得力がある。今日の当ブログの記事の一部もここから引用させていただいた。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake
5月17日住民投票の結果は、大阪の将来にかかわるだけでなく日本の民主主義や憲法改正問題にも影響が大きい。是非、「反対」の立場での運動にご協力を。
(2015年5月14日)
統一地方選が終わった。政治状勢に大きな変化はないままである。共産党の健闘、維新や次世代の衰退はけっこうなことだが、自民党は大過なくこの選挙戦を乗り切った。
これで、政局の焦点は戦争法案の提出とその審議に移ることになる。憲法改正の手続を経ることなく憲法の平和主義を眠り込ませ、戦争準備の態勢を整備するたくらみの進行である。加えて、日米新ガイドラインも、日本の武力行使肩代わりに大きく踏み出すことになるだろう。憲法に由々しき事態。
もう一つ。今日から「大阪・夏の陣」が始まる。本日(4月27日)、大阪市の「特別区設置住民投票」が告示になる。これも大きな問題。安倍自民に擦り寄った維新が、「大阪都構想」の実現と改憲への協力をバーターにしているから、看過できない。
全国的には落ち目の維新だが、大阪での勢いは侮りがたい。いったんは葬られたはずの大阪都構想が、不可解な経過で復活しての住民投票である。もっとも、正確には大阪都を作る住民投票ではない。「大阪市解体」住民投票なのだ。
400年前の元和元年(1615年)大坂夏の陣の前哨戦の始まりが4月26日。短期決戦で5月7日には落城している。2015年5月、維新の党が落城するだろう。
私は、小学5年から高校3年までの8年間を大阪府民として過ごした。大阪という土地柄に愛着もあり、人々の気持ちもある程度は分かっている。
大阪人気質とは、何よりもアンチ東京であり、アンチ中央である。ジャイアンツ何するものぞ、阪神こそ最強でなくてはならないという大阪ナショナリズムの心意気なのだ。なんで東京だけが、エラソウに「都」なんやねん。大阪かて、「都」でええやんか。というノリの勢いは無視し得ない。
ところが、このノリは挫折した。大阪都構想が、歴史的に形成されてきた街=コミュニティを破壊する構想でもあることが分かってきたからだ。堺市長選がその転機だった。堺は、これまた独自の地域ナショナリズムに支えられた大都市(人口84万人)である。この街は、アンチ中央だけでなく、アンチ大阪の気質も色濃くある。大阪都構想では、堺という街の統一性が乱暴に失われ、特別区に分割され再編されることになる。当然に反発が噴出した。「堺はひとつ。堺をなくすな」というアンチ都構想派のスローガンに、橋下維新は敗れた。これが天下分け目の関ヶ原であったろう。
本日の毎日社説が、いかにも「公平」らしい筆で、次のように書いている。
「橋下氏は『府と市の二重行政を解消すれば活性化できる』と訴え、反対派は『知事と市長の調整で事足りる』と大阪市の存続を求める。
業務の効率化が(住民投票提案の)理由だが、逆に府と区、事務組合の三重行政が生まれるという指摘もある。再編効果額について府・市の試算では17年間で累計約2700億円だが、市を残したままでも実現できる市営地下鉄民営化などを含めており、反対派は再編効果はほとんどないと反論する。
構想の中身を十分に理解したうえで票を投じたいと思う市民は多いはずだ。しかし、内容がよくわからないという声は今でも少なくない。維新は広報費に数億円をかけて既にテレビCMを流しているが、イメージ戦略に終始するのは望ましいことではない。都構想のメリットとデメリットをきちんと示す責務は一義的には提案した橋下氏らにあることを忘れないでもらいたい」
賛否を問われる「特別区設置協定書」の説明パンフレットに目を通した。一読して、出来がよくない。これはだめだ。これでは市民の心をつかむことはできまい。多くの市民が「よく分からない」と言っている。本当のところは、「よくは分からないままに、イメージで投票してもらいたい」のだろう。
よく分からないという人には、次のようないくつかのポイントを理解してもらえば、よもや大阪人がこの案を支持するはずはないと思う。
※賛成票を投ずれば、大阪市はなくなる。跡形もなくなるのだ。自治体としての大阪市や大阪市議会がなくなるだけではない。大阪市という統一体としてのコミュニティをなくそうということなのだ。もちろん、住居表示からも「大阪市」は姿を消す。政令指定都市としてのメリットも返上することになる。それでよいのか。
※賛成票が過半数に達しても、「大阪都」ができるわけではない。住民投票で「大阪府」の名称を変えることはできない。だから、今回の住民投票は、「都構想を問う」ものではない。「大阪市解体の是非を問う」ものなのだ。この点の理解が重要ではないか。
※財政的なメリットは皆無である。むしろ、財政負担は重くなる。当たり前のことだ。
270万の大阪市を解体して、50万規模の5つの特別区に再編しようというのだ。「大・大阪市」が分割されて、「小・特別区」群に変身する。その是非が、今回の住民投票で問われている。「平成の大合併」のコンセプトとは真反対のことをやろうというのだ。効率や負担の軽減を求めて日本中で自治体の合併がおこなわれたが、自治体分割の例は聞かない。自治体が細分化されれば、確かに自治体と議会は、住民との距離を縮めることになる。しかし、財政的にはコスト高になることは避けられない。
「住民の皆さまには財政的に大きなご負担をおかけします。しかし、その代わりにきめ細かい住民サービスができるようになります」というのなら、それは一理ある。ところが、これを「二重行政の無駄を解消する」「財政メリットがある」施策と強調するから「分からない」のだ。
※現実にかかるコストは借金でまかなうだと?
特別区の新庁舎を建築し新たな議会も作らねばならない。当然にイニシャルコストもランニングコストも嵩むことになる。当たり前だ。市の説明では、これを「再編コスト」と名付けている。新庁舎建設などの当面のコストが600億、その後の運用経費を年20億円と試算している。この再編コストを含めて、「平成29年度から33年度の5年間で、858億円の収支不足が見込まれる」という。
さて、これをどうまかなうか。
「こうして財源をひねり出すことができるからご安心を」として、次のごとく言っている。
「財源対策(例)
土地の売却
各特別区の貯金の取り崩し
大阪府からの貸付
地方債の発行」
おいおい、こんなプランで大丈夫なのか。
※「再編効果」に疑義あり
資産を取り崩し借金をして、これをどう穴埋めをするのか。これが魔法の「再編効果」だ。「信じなさい。信じるものは救われる」の類の話。眉に唾を付けて聞いてみよう。
「府市再編の効果額の試算にあたっては、
?府市統合本部における事業統合や民営化などの取り組み(地下鉄、一般廃棄物、病院など)、市政改革における事業見直し
?職員体制の再編
による効果を算定しています」
この額が、「平成29年度から45年度までの累計では、特別区(現大阪市)分で2630億円、大阪府分で756億円」という。ゴミ収集や地下鉄・バス事業の民営化を前提にしての計算。府市再編を機として職員は削減し、議員の定数は増やさず報酬は3割減とする、などでの積み重ねで「効果」が見込めるというのだ。
話しがおかしい。きめ細かい住民サービスをするのなら人員も予算も嵩むことになる。提案者が説明する「再編効果」は、自治体サービス民営化による合理化というだけのこと。職員の削減もサービスカットというだけのことではないか。「市をなくして特別区にすることによる」財源捻出策ではない。大阪市分割による財政的メリットもまったく語られていない。これは、一種の詐術ではないか。
※結局のところ、「再編コスト」は確実だが、「再編効果」の方はサプリメント誇大宣伝並みのイメージ的効能の説明でしかない。これで、確実に大阪市はなくして、大阪都ができるわけでもない。大阪都構想に巻き込まれる他の都市は反対だ。経済効果は大阪都構想と結びつくものではない。住民投票における賛否の結論は自ずから明らかではないか。
都構想について自民、民主、公明、共産は反対している。オール沖縄の勝利に続いて、オール大阪の勝利を期待したい。そして、もちろん維新の落城を。
(2015年4月27日)
このようにお考えの方は案外多いのではないだろうか。
「自民は嫌いだ。カネに汚い。大企業と大金持ちの味方だ。アメリカベッタリで、戦争の臭いがする。とりわけ安倍はアブナイ」「公明党は安倍自民の下駄の雪。結局は、アブナイ路線の補完勢力ではないか。だから、到底公明党には投票する気になれない」「自公を避けて、一時は民主に期待したのだ。ところが大きく裏切られてしまった。今さら、民主党でもあるまい」「とすれば、第三極にやらせてみるしか選択肢がないんじゃない?」
「第三極といっても、みんなの党がみっともなくつぶれて、その片割れが維新に合流している。結局維新の党しか投票先はないことになる」「維新を信用しているわけじゃない。しかし、未知の魅力にかけてみるという選択肢はあると思う」「維新の選挙演説を聴いていると、大阪では『身を切る改革』というのをやっているようだ。それを全国で、あるいは国政でやってもらったらいいんじゃないの?」
トンデモナイ。維新こそは、安倍自民の外からの補完勢力。改憲を、前から引っ張り、後から押している。しかも、徹底した新自由主義の弱い者イジメに徹したアブナイ集団。こんなところへ大事な一票を投じてはならない。
大阪維新が、世論の風向きを眺めながら、鉛筆を舐め舐め「維新八策」などを書いたり消したりしていた当時は、政策の上では中身のない空っぽ政党に過ぎなかった。それが今は、安倍路線との結びつきを深め、新自由主義と軍事大国化を目ざす勢力として明確になってきている。しかも、この政党はコンプライアンス意識にきわめて乏しい。社会に喝采を得られると思えば、敵を作って徹底していじめようとする。常套とする手口がきわめて危険な政党なのだ。
維新に投票してはならない理由を8項目にまとめてみた。もっと本質的な維新の反民主主義的性格を掘り下げてみたいところだが、とりあえずは分かり易いところでの指摘である。これを「維新八悪」と言おう。あるいは「八難」でもよい。「色の白いは七難隠す。隠すに隠せぬ維新の八難」である。
(1) 維新は、安倍改憲路線の親密なパートナーである。
維新と安倍政権とは、改憲策動に関して秋波を送りあう親密な間柄となっている。橋下徹が、「憲法改正について出来ることは何でもする。ぜひ実現してほしい」と語って首相に全面的に擦り寄り、安倍が大阪都構想に協力する姿勢を示す関係となっている。これまでは、「あやしい仲」だったのが、いまや人目をはばからない「公然たる仲」となり、安倍壊憲政権の補完勢力として、公明とならぶ重要な存在なのだ。
今通常国会でも、安倍政権の「応援団」の性格を鮮明にしている。衆院予算委員会で、松浪健太幹事長代行が「憲法改正で、国の形が国民の手で変わっていくんだと示していきたい」「総理は憲法改正を早くやるべきだとは思わないのか」と改憲をけしかけた質問までしている。維新は、改憲発議の尖兵の役割を負うことになるだろう。
また、維新の議員が「大事なことは、この予算委員会、国会に集まっているわれわれが力をあわせてアベノミクスを成功させることだ」とまで言っている。第三極どころか、自民の別働隊、しかも閣外で右寄りの別働隊と知らねばならない。
(2) 維新は、甚だしく遵法精神に欠ける。
選挙の都度、維新の違反は目に余る。特に2012年12月総選挙では、公職選挙法違反の「買収」容疑で逮捕された8人中6人が「日本維新の会」陣営だった。そのなかに、大阪7区の上西小百合陣営の運動員、愛媛4区の桜内文城陣営の運動員、大阪9区に出馬し初当選した足立康史陣営の運動員3人が含まれている。
維新の違法は、思想調査アンケート問題、刺青調査拒否に対する懲戒処分、組合事務所使用不許可事件等々枚挙に暇がない。こんな体質の政党は他にはない。
週刊新潮の最新号(4月16日号)に維新に集う人々のスキャンダル一覧が掲載されている。標題が、「橋下チルドレン不祥事一覧」というもの。衆院議員から市会議員まで16件の議員不祥事と、10件の公募区長・校長・教育長の不祥事。こんな政党を信用できようはずがない。
(3) 維新は言ってることとやってることが大きく異なる。
政党が「身を切る改革」をいうときの第一歩は、政党助成金の廃止でなければならない。維新は、けっしてそのことは口にしない。税金から政治資金を貰っておいての「身を切る改革」は筋が通らない。そればかりか、橋下徹大阪市長は自分の後援会幹部の息子を特別秘書として採用し、大坂市の税金で給与を払っている。この特別秘書は実は仕事らしい仕事をしていない。市長が、自らの後援会幹部の息子を税金で養っているという疑惑を解明すべく、大阪市民が監査請求をし、現在住民訴訟が大阪地裁に係属している。やがて、判決の形でその全貌が明らかになるだろう。
(4) 維新の政策は弱い者イジメの手法に貫かれている。
維新の常套手口は、イジメである。イジメの対象を探し、周囲にイジメに参加するよう煽動する。イジメに参加したものは、カタルシスを味わって維新の支持者となる。
イジメの対象は、権力者や財界ではない。庶民の妬みの相手が選ばれる。これまでのところ、教員であり、公務員であり、労働組合である。そのバッシングの成果として、経費を節約したとしたと誇っている。バッシングに参加した庶民は、カタルシスは得たかも知れないが、結局は自分の権利や賃金の水準をも、低下させているのだ。
(5) 維新の教育政策は強権的な国家主義である。
維新の教育政策は、民間校長の「君が代口元チェック」に象徴される。
驚くべき国家主義、強権主義、管理主義である。ファシズムに通じるハシズムが話題となったが、維新という集団の本質的な恐ろしさが、君が代斉唱の口元チェックに表れている。口元チェックの次は、心の中までの服従を求めることになるだろう。
(6) 維新は労働運動弾圧政党である。
維新の党の足立康史衆院議員は厚生労働委員会で質問に立ち、元私設秘書から未払いの残業代700万円を請求されたことを明かし『払うことはできない。私たち政治家の事務所は、残業代をきっちりと労働基準法に沿って払えるような態勢かと問題提起したい』と述べ、未払いを正当化した。彼は『私は24時間365日仕事をする。そういう中、秘書だけ法に沿って残業代を支払うことはできない』と持論を展開。元秘書からの請求に対しては『ふざけるなと思う』と強弁。
維新は、労働者に対してかくのごとく冷たい。労働者の権利主張に対しての「フザケルナ」という圧殺の姿勢が、維新の本質である。もちろん、労働組合弾圧もこの政党のお家芸である。
(7) 維新はカジノ大好き政党である。
新自由主義のしからしむるところ。維新は、カジノ大好き政党である。大阪で維新を勝たせれば大阪にカジノが生まれる公算が高い。賭博は社会に害毒を流すものとして犯罪である。物を作らず、価値を生まず、ギャンブル依存症の中毒症状と諸々の不幸のみを生じさせる。この選挙で維新を勝たせて、ギャンブル禍の社会にしてはならない。
(8) 維新にはまっとうな人材がいない
「国会サボり事件」で大阪維新の会を除名になった上西小百合衆議院議員、秘書への残業代不払い宣言の足立議員、パワハラ辞職の中原教育長、そして橋下徹市長が、公募で採用した11人の『民間人校長』。そのうち6人が保護者へのセクハラなど問題を起こし、市民から批判をあびることになっている。ラインで仲間はずれにされたとかで女子中学生を恫喝した山本景大阪府会議員。飲酒運転で接触事故を起こしながらそのまま逃走した西井勝元堺市議会議員などなど。著名な人材には事欠かない。やはり、類は友を呼ぶ結果というべきだろう。お粗末極まる人々。本当にこれが政党なのか、疑わざるを得ない。
あなたの大事な一票。ドブに捨てるならまだしも、将来はあなたに襲いかかりかねない危険な野獣を太らせる一票としてはならない。
(2015年4月10日)
議会というところは、諸勢力、諸階層、諸階級の代表が、それぞれの利益を代弁してせめぎ合うコロシアムだ。有権者は、どの政党、どの議員が自分の味方で、敵は誰なのかを見極めなければならない。多くの政党や議員が、騙しのテクニックに磨きをかけて、庶民の味方を装う。「オレオレ詐欺に引っかかってはなるものか」という、あの細心の注意が必要なのだ。
時にホンネが語られることがある。ついつい議員の地金が出る。メッキがはげ、衣の下から鎧が見える。これを見逃してはならない。
その典型例が、昨日(3月25日)の衆議院厚生労働委員会での、維新の党足立康史議員(比例近畿)の発言。これは、維新の党が誰の味方で誰の敵であるかを、よく物語って分かり易い。同時に、維新の党のレベルを物語る点でも興味深い。
共同配信記事は以下のとおり。短いがまことに要領よく事態をとらえたもの。
「維新議員、秘書残業代不払い宣言 『労基法は現実に合わない』
維新の党の足立康史衆院議員(比例近畿)は25日の厚生労働委員会で質問に立ち、元私設秘書から未払いの残業代700万円を請求されたことを明かし『払うことはできない。私たち政治家の事務所は、残業代をきっちりと労働基準法に沿って払えるような態勢かと問題提起したい』と述べ、未払いを正当化した。
足立氏は『私は24時間365日仕事をする。そういう中、秘書だけ法に沿って残業代を支払うことはできない』と持論を展開。元秘書からの請求に対しては『ふざけるなと思う』と強弁。
取材に対し『労基法は現実に合っておらず、見直しが必要だ。議論を喚起するために発言した』と述べた。」
「ふざけるな」と言いたいのは、まずは未払いの残業代を請求している元秘書氏だろう。そして、おそらくは現役の同議員秘書氏もだ。うかうかしていると残業代を含めた未払い賃金の請求権は2年で時効になる。早めに手を打っておくことをお勧めする。
それだけではない。すべての労働者が「足立議員よ、フザケルナ」と言わねばならないし、法による秩序を大切に思うすべての国民が「維新の党よ、フザケルナ」と言いたいところだ。私は、法による秩序すべてが守るに値するという立場ではない。しかし、社会法の典型として弱者を保護する労基法は厳格に遵守されねばならないことは当然だ。仮に、法改正を要するとの意見を持っていたとしても、現に存在する法規に違反することは許されない。この維新議員、恐るべき法感覚と指摘せざるを得ない。
いうまでもなく、残業には割増分(25%)を付した賃金を支払わなければならない(労基法37条)。その支払いを拒絶することは犯罪に当たる。刑罰は6か月以下の懲役または30万円以下の罰金である(労基法119条1項)。足立発言は、国会と公の場での犯罪宣言にほかならない。足立議員は、告発され厳重に処罰されてしかるべきだ。
念のためにユーチューブで彼の質問を聞いてみた。「自分はこういう労働基準法を改正するために議員になった」とまで言ってのけている。臆面もなく、強者の側に立って、弱者保護の法律をなくしてしまおうという使命感。こんな議員、こんな政党に票を投じることは、自分のクビを締めることになる。
画面を見つつ納得した。なるほどこれが維新の役割なのだ。この維新の議員は、「残業代ゼロ法案」を提案している悪役・政府与党の政務三役までを品良く見せている。こんなお粗末な手合いが、維新の党を作り、議員になっているのだ。民主主義の堕落というほかはない。
この足立という議員。元は「みんなの党」支部長からの転身だという。2012年の総選挙では、陣営から選挙違反の逮捕者を出している。投票呼びかけの電話作戦を担当した女性運動員3人に時給約800円の報酬を支払う約束をしたという被疑事実。維新全体がそうだが、コンプライアンス意識に問題あり、なのだ。
「ブラック議員」というネーミングが、まことにふさわしい。ブラック企業、ブラック社長、ブラック選対だけではない。ブラック政党、ブラック政治家、ブラック議員、そしてブラック政権だ。この世にブラックが満ちている。
さて、今日から統一地方選挙に突入だ。ブラック掃除のチャンスである。残念ながら、足立議員は今回は選挙民の審判を受けないが、同類の維新を一掃することは可能だ。労働者の利益のためにも、民主主義の劣化防止のためにも、自民とともに維新にノーを突きつけよう。
(2015年3月26日)