澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

安倍政権にイエローカード。これなら戦争法案を廃案に追い込める

今朝の毎日新聞に目をやって感動を覚えた。1面トップに「内閣支持急落35% 不支持51% 安保強行採決『問題』68%」の大見出し。安倍自民と公明には、衝撃的な調査結果。「やはりこうなったか」とは思いつつも、「それにしても恐るべき変化」である。平和憲法を擁護せよという国民意識の底力に励まされる。これなら、現実に戦争法案を廃案に追い込める。あらためての勇気と自信が湧いてくる。

この調査は月例調査ではない。7月4・5両日の調査からわずか2週間で、安倍内閣支持率は7ポイント減、不支持率は8ポイント増となった。1か月前からの変化を見てみよう。
 安倍内閣 「支持」   45%⇒42%⇒35%
         「不支持」 36%⇒43%⇒51% 
         その差    +9⇒ ?1⇒?14
  戦争法案に「賛成」  34%⇒29%⇒27%
          「反対」  53%⇒58%⇒62%
  今国会成立に「賛成」      28%⇒25%
           「反対」      61%⇒63%
  政府の説明は「十分だ」    10%⇒10%
           「不十分だ」   81%⇒82%
なお、新しい質問事項に対する回答として次のものが目を引く。
  与党の強行採決は 「問題ではない」     24%
               「問題だ」         68%
  法案成立した場合には、
      「抑止力が高まる」             28%
      「戦争に巻き込まれるおそれが強まる」 64%

安倍首相は、アメリカとの軍事的な連携を深めることによって抑止力を高めることができる。抑止力を高めることによって我が国の平和を守ることがこの法案のねらいだ。そのように「丁寧に」説明を繰り返してきた。その説明は、国会で、記者会見で、マスメディアで、テレビ放送で、インターネットで、これ以上はないと思えるほどの情報量として、国民に提供された。むろん、その論旨は荒唐無稽なものではない。しかし、国民は、首相がメリットとして強調する「平和への期待」に納得していないのだ。むしろ、首相がけっして触れようとしない「戦争への危険」の側面に説得力を感じている。これは重要なアンケート結果だ。

毎日は、「安保法案への世論の批判は強まっており、政府・与党の一連の対応が内閣支持率を押し下げたとみられる。」「法案成立によって日本に対する武力攻撃への『抑止力が高まる』は28%にとどまり、自衛隊の海外での活動拡大で『戦争に巻き込まれる恐れが強まる』が64%に上った。『戦争に巻き込まれる』と答えた層では9割近くが法案に反対した。抑止力と考えるか、戦争に巻き込まれると考えるかは、法案の賛否に密接に関連している。」と解説している。

共同通信も17・18両日に実施した世論調査結果を発表している。「内閣支持率は37・7%で、前回6月の47・4%から9・7ポイント急落した。不支持率は51・6%(前回43・0%)と過半数に達し、第2次安倍政権以降で初めて支持と不支持が逆転した。」と、毎日とほぼ同じ数字。1か月で10%の下落は、毎日同様の劇的な変化というべきだろう。

また、「与党が16日の衆院本会議で、多くの野党が退席や欠席する中、安全保障関連法案を採決し、可決したことには『よくなかった』との回答が73・3%を占めた。『よかった』は21・4%だった。」。なお、共同調査では、「安保法案の今国会成立に反対が68・2%で前回から5・1ポイント増えた。賛成は24・6%だった。」という結果。「採決強行よくなかった73・3%」「今国会成立に反対68・2%」は、圧倒的世論と言ってよかろう。「安倍政権は強行採決を反省し、今国会での法案成立は断念せよ」というのが、圧倒的民意なのだ。

明らかに、「安倍政権・自公・底上げ議会」と「民意」とが大きくずれている。安倍と心中せざるを得ない少数のA級戦犯幹部はともかく、風向きを読むに敏なる自民・公明の議員諸君、なかんずく来夏に選挙を控えている参議院議員諸君、ぜひとも考え直していただきたい。これは理を分けての説得ではない。実利を指摘してのアドバイスである。

永田町事情に通じている人の話の受け売りだが、「内閣支持率が40%を切れば黄信号が点滅を始める」のだそうだ。「35%まで下がれば黄信号」。「30%で赤信号が点滅」で、「25%がレッドカード=即退陣」とのこと。60年安保条約が自然成立して岸退陣となったときの支持率が28%、第1次安倍内閣が突然に辞任したときは29%だったという。29%で、安倍さんは突然に体調を崩して政権を投げ出したのだ。

こういうときには、往々にして思いがけないことが起こる。往々にして、デジャビュー現象が起こったりもするものだ。支持率低下は、安倍さんの体に悪いのだから、ここは療養に専念していただいた方が、天下国家のためでもあり安倍さん自身のためでもある。

目標は定まった。安倍政権の退陣と、戦争法案の廃案とは不即不離、同義なのだ。あと、10%の安倍内閣支持率低下が、安倍内閣を退陣に追い込み、同時に戦争法を葬って、憲法と平和を守ることになる。澤地久枝のセンスと先見性が俄然光ってきた。「アベ政治を許さない」がここしばらくのスローガンとして重みをもってきた。あの金子兜太の筆になるポスターとともにだ。

あと10%。そう難しいことではない。材料は盛りだくさんなのだから。
(2015年7月19日)

五輪は聖域か? 国立競技場は聖地なのか?

本日の各紙社説が、新国立競技場の建設計画白紙撤回問題を取り上げている。表題は以下のとおり。なお、日経は別のテーマ2本となっている。
 朝日  新国立競技場問題―強行政治の行き詰まりだ  
 毎日 「新国立」白紙に 混乱招いた決断の遅れ
 東京  新国立競技場 やっと常識が通ったか
 読売  新国立競技場 計画の白紙撤回を評価したい
 産経 「新国立」白紙に 祝福される聖地を目指せ

表題が各社説の姿勢をよく表している。一見政治性の希薄なこのテーマが、鮮やかに各紙の政権とのスタンスのとりかたをあぶり出している。朝日・毎日・東京が、それぞれの個性を出しつつ安倍政権批判を明確にし、他の重要課題と通底する問題の根を指摘した上で、この問題での厳しい責任追及の必要を説いている。3紙ともさすがに立派な社説だが、とりわけ朝日の問題意識の鮮明さと熱気に敬意を表したい。

これに比較して、読売・産経の問題意識の低さは目を覆わんばかり。「首相の判断は遅きに失したとはいえ、適切である」という以上の内容はない。文章の格調もまことにお粗末、そもそも読者に訴えるものが皆無なのである。こんなレベルの記事を読まされる読者は気の毒、一瞬そう思って考え直した。

メディアが読者を感化する側面だけでなく、読者がメディアを育てる側面もあるのだ。国民は自分たちのレベルに見合った政府しか持ちえない、あるいは、「この国民にして、この政府」ともいう。政府だけでなく、メディアも同じだ。安倍政権も、読売・産経も、今の国民意識が育てているのだ。政権とチョウチン・メディアの持ちつ持たれつ。読売・産経水準のメディアが、大手として存在していること自体が、この国の状況を物語っているというべきだろう。

先の自民党安倍応援若手議員の言論弾圧勉強会で、沖縄2紙が「潰せ」とやり玉に挙げられた。これに反論した沖縄タイムス・琉球新報2紙が、「県民意識に支えられ、県民世論に育てられた」と胸を張ったことが思い出される。読売・産経も、安倍政権支持派の右翼や保守に支えられ、育てられたのだ。読売・産経が、「メディアが権力と対峙する気概をもたず、提灯持ちでどうする」などという批判が通じる相手ではないことは明らかだが、その読者層も基本的に同類なのだ。読売・産経の購読者は、安倍政権御用達メディアの維持育成を通じて安倍政権提灯持ちに参画しているといわざるを得ない。

朝日・毎日・東京とも、競技場問題と戦争法案との関連について明確に触れている。同法案の取扱いが内閣の支持率を低下させる中で、国民の支持をつなぎ止める必要こそが新国立競技場建設計画の見直しの動機だという指摘である。この常識的な見方について、読売・産経はみごとなまでに一言も触れない。

朝日の問題意識とは、こういうことだ。
「問題の核心はむしろ、なぜ、この土壇場まで決断ができなかったのか、である。誰の目にも明らかな問題案件であり続けたにもかかわらず、なぜ止められずにここまできたのか。そこには、日本の病んだ統治システムの姿が浮かび上がる。すなわち、責任の所在のあいまいさである。」

この無責任体制が、結局は安倍政権の民意軽視の常態化をもたらしている。
「競技場問題が迷走した過程で一貫していたのは、異論を遠ざける姿勢だった。政策決定の責任者たちが、国民の声に耳をふさぐことが常態化している問題は深刻だ。」

したがって、問題はひろがりをもっている。
「民意を顧みず、説明責任を避け、根拠薄弱なまま将来にわたる国策の決定を強行する――。それは競技場問題に限った話ではない。国民が重大な関心を寄せる安保関連法案や、原発関連行政にも通底する特徴だ。」

「そのいずれでも国民の多数がはっきりと強い懸念を示している。国民の命と安全に直結する問題だというのに、首相は国会での数の力で押し通し、異論に敬意を払おうとしない。」「(安倍政権は、)安保も原発も、あらゆる政治課題でも、主役は国民一人ひとりであることを悟るべきだ。」と厳しい。

毎日も基本的に同旨で、
「安倍首相は記者団に対し『国民の声に耳を傾け』、方針転換を決断したと強調した。そうであれば、安保政策、沖縄の普天間移設問題、原発政策についても国民の声に謙虚に耳を傾ける姿勢を示してほしい。」と指摘している。

東京は、次のような論調。
「(首相の見直しが)国民の反対の声に真摯に向き合った結果だと、だれが素直に信じられようか」「今度こそ忘れてならないのは国民への情報公開と丁寧な説明、合意づくりの手続きである。神宮外苑の歴史や文化、水と緑の環境との調和を求める声は根強い。」

なお一点。産経の論調にひっかかるものがある。そのタイトルにある「祝福される聖地を目指せ」ということについてである。本文中には、「新たな計画には、五輪招致時に掲げた「アスリートファースト(選手第一)」の理念に立ち返ることが望まれる。」「五輪や競技場の主役は選手なのだ」と言っていることについて。

私は、オリンピックが国民的祝祭であるとも、そうであって欲しいとも思わない。国立競技場を国民的な聖地にすることなどはマッピラゴメンだ。税金を使ってアスリート主役の祭典を行うことには強い違和感を持ち続けている。アスリートなる人種に対しては、「人様の税金を使う身でいったい何様のつもりだ」という気分を拭えない。もっと優先順位の高い切実な税金の使途があるだろうと考えるからだ。

昔から、パンとサーカスが人民をたぶらかす為政者の常套手口だった。いまも、為政者がスポーツを国威発揚やナショナリズム昂揚やらの手口としている。コマーシャリズムがこれに便乗して儲けている。カネにまみれて薄汚いのがFIFAだけてあるはずはなく、オリンピックだって同じに違いない。そんな権力と資本に、税金を提供して舞台をしつらえるということが、バカバカしくも情けない。

財政に関わる主権者意識からは、冷ややかに五輪を見る醒めた目が必要だ。費用を縮小して当初案の1300億円が適正な規模だと考える根拠はない。飽くままで、ゼロベースからの出発であるべきだ。青空の下、原っぱにパイプイスをならべての開会式なんて、最高にエコでスマートでしゃれているではないか。ムシロを敷いて、世界中の人々が車座に座り込んでもよいではないか。

安倍も菅も下村も森も遠藤も、そしてJSCの河野一郎も、有識者会議の竹田恒和・小倉純二・安藤忠雄・佐藤禎一なども、人のカネ(税金)だと思って無責任に浮かれたのだ。立派な施設が必要だというのなら、まずそれぞれが1億円くらいの身銭を切ってはいかがだろうか。えっ? 公選法違反になる? いやそんなはずはない。仮にその恐れがあったところで、そこは皆さま脱法行為はお手のものではないか。

オリンピックが真に平和の祭典だとすれば、戦争法案をゴリ押ししている安倍政権がオリンピックを組織すること自体を自己矛盾というべきではないか。憲法9条を大切にする日本であってこそ、オリンピック開催の資格があろう。月桂冠を掲げつつ、後ろ手に銃を隠し持つ安倍の姿は、オリンピックに似つかわしくない。
(2015年7月18日)

「戦争法案」も白紙に戻せ?国立競技場建築見直しだけでなく

臨時ニュースを申し上げます。
安倍総理大臣は、本日午後総理大臣官邸で記者団に対し、安全保障関連二法案について、「本日臨時閣議を開催して法案を撤回することを決め、議院に所定の手続をとりました。また、これに伴い日本の安全保障についての計画を見直すことを決断しました」と述べるとともに、既にアメリカ政府には了承の内意を得ていること、連立与党である公明党も了解済みであることを明らかにしました。

また首相は、本年4月27日の日米ガイドライン見直しに関して、防衛・外務両大臣が急遽渡米の予定であること、日米首脳会談の日程も調整中であると述べました。

安全保障に関連する10本の法律を一括して改正する「平和安全法制整備法案」及び「国際平和支援法案」の二法案は、これに反対する野党や市民団体からは「戦争法案」と呼ばれていたものです。

自衛隊を設置した1954年以来、政府は「我が国は専守防衛に徹し、集団的自衛権行使は容認しない。だからけっして戦争をすることのない自衛のための実力組織である自衛隊の存在は憲法に違反するものではない」と説明してきました。しかし、今回の二法案は、従前の憲法解釈を大きく転換して、我が国が他国から攻撃された場合に限らず戦争をすることを可能とするものであり、また、外国で外国軍隊の軍事行動の兵站を担う活動も可能とするものです。したがって、圧倒的多数の憲法学者や法律家によって、一内閣が事実上の改憲を行うという立憲主義に反するものであり、憲法九条にも違反すると厳しい指摘を受けてきたものです。

同法案は去る7月16日に与党のほぼ単独採決によって衆議院は通過しましたが、このときの審議打ち切り採決強行が、民主主義の危機という国民世論が沸騰し、安倍政権の土台を揺るがす事態となって、法案撤回に至ったものと思われます。

安倍総理大臣は次のようにも述べました。
「平和は国民の皆さまの大切なもの。その平和をどう守るべきかという政策を決するには、国民一人一人の皆さまが主役となって論議に参加していただく民主主義的手続を経なければなりません。もちろん、自衛隊員の皆さまのご意見もよく聞かなければなりません。法案審議から衆院通過直後に寄せられた各界各分野の国民の皆さまの声に真摯に耳を傾けた結果、法案を白紙に戻し、ゼロベースから見直さざるを得ないと判断しその環境整備を進めてまいったところです」

「法案に反対の声は、実は野党の皆さまだけではなく、公明党からも、そして我が党の内部にもくすぶっていました。これまではけっして大きな声としては聞こえてきませんでしたが、法案が衆院を通過した以後の世論の沸騰の中で、『このままでは、到底次の選挙の大敗北を避けることができない』『政権の維持は困難だ』との悲鳴が上がるようになりました。検討の結果、もともと法案の成立に喫緊の要請があるということではなく、アメリカ政府の了解も得られる見通しであると確信したので、私の責任においてこのような決断をした次第です」

なお、この政府の措置に、もっとも難色を示した一人とされる高村正彦副総裁は、総理大臣官邸で安倍総理大臣と会談したあと、記者団に対し、「政府がやることだ。こういうこともある」と憮然たる面持ちで言葉少なに語りました。

今回、安倍政権が突然に安保関連法案を撤回した背景には、この法案が国民世論にきわめて評判が悪く、「違憲の法案だ」「近隣諸国を刺激する愚策だ」「立憲主義に反する」という従前の批判に加えて、衆議院の強行採決では「民主主義の危機だ」「自民党感じ悪いよね」という圧倒的な国民の声を浴びて、このままでは政権自体が持ちこたえられない「存立危機事態」になっていたことが基本にあります。

安倍政権は強行採決の翌日に、同じく反対世論の盛りあがっていた新国立競技場問題について計画の白紙撤回を発表しました。こうした安倍内閣の方針転換を目のあたりにした国民世論が、批判の世論は確実に政権を追い詰め政策を変えることができると自信を強めて抗議運動の規模を拡大させた成果が、本日の安保関連法案の白紙撤回の成果と考えられています。

なお、本日、安保関連法案の白紙撤回の報を受けた直後に、NHKの籾井勝人会長が突然の辞意を表明しました。その理由はまだ公表されていませんが、「政府が右と言えば、左というわけにはいかない」と公言して、陰に陽に安保法案成立のために政権に協力していた立ち場から、自分への国民の大きな批判に耐え得ないと考えたのであろうと推察されています。

また、街の声を拾いますと歓迎一色で、「国立競技場の見直しについてもできないと言っていたけど、国民の声が高まれば簡単にできちゃった。戦争法案もおんなじなんだとよく分かった」「戦争法案撤回によって、平和と民主主義が擁護された」「主権者として民主主義を守ることができた」「何よりも、憲法と立憲主義とを守り抜いた」「国民の行動の力に自信をもった。次の選挙では、自民党と公明党を追い落とすことができるだろうと思う」などという意見を聞くことができました。
(2015年7月17日)

強行採決に抗議し、安保関連法案の廃案を求める法律家団体声明

戦争法案の衆議院強行採決には、多くの声明・アピール・決議が飛び交っている。全国では厖大なものになるだろう。多くは、「満身の怒り」「断固たる抗議」から書き始められ、「強く廃案を求める」理由が語られ、「そのために全力を尽くす決意」で締めくくられている。

廃案を求める理由は、「法案の違憲」「立憲主義違反」「平和主義反する」「民主主義反する」というもの。世論の動向に触れたものも多い。

法律家団体の抗議声明3通をご紹介する。私の所属する日民協や自由法曹団ら6団体の共同声明、東京弁護士会の会長声明、そして席代の東弁会長連名の声明。みんな、素早い。そして、真剣さが伝わって来る。誰も、落胆などしていない。怒りとともに、廃案へ闘う決意十分だ。こんな情勢で、はたして安倍政権持ちこたえられるろうか。
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自民公明両党などによる戦争法案の衆議院強行採決に
強く抗議し、同法案の廃案を求める法律家6団体共同声明

 自民・公明両党は、武力攻撃事態法、自衛隊法など既存10法を一括して改正する「平和安全法制整法案」と新設の「国際平和支援法案」(以下併せて「戦争法案」という。)を昨日の衆議院特別委員会に引き続き、本日、衆議院本会議において強行採決により可決した。私たち法律家6団体は、自民・公明両党などによるこの度の強行採決に強く抗議するとともに、憲法違反の戦争法案の廃案を断固として求めるものである。

1.戦争法案は違憲であること
 戦争法案は、我が国が直接武力攻撃を受けていない場合に、米国ほか他国のために武力行使を行う集団的自衛権を認めるものであり、その行使を限定する歯止めは存在しないに等しい。のみならず、戦争法案は、自衛隊が海外の戦闘地域あるいはその直近まで赴き、米国軍他の多国軍隊の後方支援活動(兵站活動)を行い、また、任務遂行のための武器使用や米艦等防護を口実とする武力行使を可能とするものである。日本の安全を守る、あるいは、国際平和への貢献という名のもとに、自衛隊の海外派兵と武力行使を解禁するものであり、憲法第9条の定める戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認に違反することは明らかである。衆議院での審議により、こうした法案の問題点は払拭するどころか、ますます明らかになる中での強行採決であった。
2.立憲主義・民主主義に反する強行採決
 そもそも昨年7月1日の閣議決定は、「集団的自衛権の行使は憲法違反」という60年以上にわたって積み重ねられてきた憲法解釈を一内閣の判断で根本的に変更するものであり、憲法解釈の枠を逸脱するものである。さらに、本年4月27日、日米両政府は、「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を、現行安保条約の枠組みさえも超える「グローバルな日米同盟」に改定し、同29日、安倍首相は米国上下両院において、法案の「この夏までの成立」に言及するなど、国民主権軽視の姿勢は一貫していた。そして、多数の憲法研究者や元内閣法制局長官らが憲法違反を指摘し、各種の世論調査において国民の過半数が反対し、8割が政府の説明に納得していない現状の中で、自民、公明両党が行った衆議院強行採決は、立憲主義と国民主権・民主主義を踏みにじる戦後憲政史上最悪ともいうべき暴挙であり、断じて許されてはならない。
3.結語
 私たち法律家6団体(構成員延べ7000名)は、安倍政権による反民主主義、反立憲主義手法による戦争法案の強行採決に強く抗議し、今後とも、広範な国民とともに、憲法9条を否定し、日本を戦争する国に変え、日本国民並びに他国民の命を危険にさらす本戦争法案を廃案とするために、全力を尽くす決意であることをここに表明する。

2015年7月16日 
 改憲問題対策法律家6団体連絡会
 社会文化法律センター         代表理事  宮  里  邦  雄
 自 由 法 曹 団             団 長   荒  井  新  二
 青年法律家協会弁護士学者合同部会  議 長   原  和  良
 日本国際法律家協会         会 長   大  熊  政  一
 日本反核法律家協会         会 長   佐 々 木 猛  也   
 日本民主法律家協会        理事長   森    英    樹  
  

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2015年07月16日

東京弁護士会 会長 伊藤 茂昭

 本日、衆議院本会議において、『安全保障関連法案』が与党のみによる賛成多数で強行採決され、参議院に送付された。
 『安全保障関連法案』は、他国のためにも武力行使ができるようにする集団的自衛権の実現や、後方支援の名目で他国軍への弾薬・燃料の補給等を世界中で可能とするもので、憲法改正手続も経ずにこのような法律を制定することが憲法9条及び立憲主義・国民主権に反することは、これまでも当会会長声明で繰り返し述べたとおりである。
 全国の憲法学者・研究者の9割以上が憲法違反と断じ、当会のみならず日弁連をはじめ全国の弁護士会も憲法違反を理由に法案の撤回・廃案を求めている。法律専門家のみならず、各マスコミの世論調査によれば、国民の約6割が反対を表明しているし、約8割が「説明不足」だとしている。
 このように、法律専門家の大多数が憲法違反と主張し、国民の多くからも強い反対や懸念の表明があるにもかかわらず、『安全保障関連法案』を政府及び与党が衆議院本会議における強行採決で通したことは、国民主権を無視し立憲主義及び憲法9条をないがしろにする暴挙と言わざるを得ない。
 安倍総理自身が、「十分な時間をかけて審議を行った」と言いながら「国民の理解が進んでいる状況ではない」と認めており、そうであるならば主権者たる国民の意思に従い本法案を撤回すべきである。国民の理解が進んでいないのではなく、国民の多くは、国会の審議を通じ、本法案の違憲性と危険性を十分に理解したからこそ反対しているのである。
 参議院の審議においては、このような多くの国民の意思を尊重し、慎重かつ丁寧な審議がなされるべきであり、政府及び与党による強行採決や60日ルールによる衆議院における再議決など断じて許されない。
 あらためて、憲法9条の恒久平和主義に違反し、立憲主義・国民主権をないがしろにする『安全保障関連法案』の撤回あるいは廃案を、強く求めるものである。

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私たちは、安全保障関連法案の撤回・廃案を強く求めます!

2015年7月15日

 「二度と戦争をしない」と誓った日本国憲法の恒久平和主義が、今最大の危機を迎えている。
 現在、国会は政府の提出した「安全保障関連法案」を審議中であるが、会期を異例の95日という長期間延長し、本日、衆議院の特別委員会での採決を強行した。政府与党は、引き続き、本国会での成立を辞さないとの構えを見せ、日々緊迫の度を増している。
 安全保障関連法案は、昨年7月1日の集団的自衛権行使の容認等憲法解釈変更の閣議決定を立法化し、世界中のどの地域でも自衛隊の武力行使(後方支援)を可能とするものである。「厳格な要件を課した」と称する存立危機事態・重要影響事態等の発動の基準は極めて不明確で、時の政府の恣意的な判断で集団的自衛権が行使され、自衛隊の海外軍事行動が行われる危険性が高く、憲法9条の戦争放棄・恒久平和主義に明らかに反するものである。
 また憲法改正手続に則って国民の承認を得ることなく、憲法を解釈変更し、これに基づく法律制定をもってなし崩し的に憲法を改変しようとすることは、立憲主義および国民主権を真っ向から否定するものである。
 衆議院憲法審査会に与野党から参考人として招じられた3名の憲法学者がそろって「安全保障関連法案は憲法違反」と断じ、大多数の憲法学者も違憲と指摘している。これまでの歴代政府も一貫して、集団的自衛権行使や自衛隊の海外軍事活動は憲法9条に違反するとの見解を踏襲してきたのである。
 然るに、政府は「日本をめぐる安全保障環境が大きく変わり、国民の安全を守るためには集団的自衛権が必要」と主張し、武力による抑止力をことさらに喧伝しているが、そのような立法事実が実証できるのかは甚だ疑問である。また、政府は唐突にも、1959年(昭和34年)12月の砂川事件最高裁判決を本法案の合憲性の根拠として持ち出しているが、同判決は、個別的自衛権のあり方や米軍の国内駐留について述べたものであって、集団的自衛権を認めたものではないことは定説である。
 われわれ国民は、日本国憲法の恒久平和主義という究極の価値観のもと、様々な考えや国際情勢の中で平和と武力の矛盾に揺れながらも、戦後70年間軍事行動をしなかったという、世界に誇れる平和国家を創り上げてきたのである。政府は「国民の安全を守るのは政治家である」として、かかる歴史と矜持を、強引に踏みにじろうとしている。
 私たちは、憲法とともに歩みこれを支えてきた在野法曹の一員として、憲法の基本理念である恒久平和主義が、時の一政府の発案によって壊されようとしている現状を深く憂い、ここに安全保障関連法案の違憲性とその危険性を強く国民の皆さんに訴えるとともに、同法案の撤回あるいは廃案を求める。

昭和57年度会長 安原正之  昭和58年度会長 藤井光春  昭和63年度会長 海谷利宏  平成元年度会長 菅沼隆志  平成5年度会長  深澤武久 平成7年度会長 本林徹  平成9年度会長  堀野紀  平成11年度会長 飯塚孝  平成12年度会長 平山正剛  平成13年度会長 山内堅史
  平成14年度会長 伊礼勇吉  平成15年度会長 田中敏夫  平成16年度会長 岩井重一 平成17年度会長 柳瀬康治  平成18年度会長 吉岡桂輔 平成19年度会長 下河邉和彦  平成20年度会長 山本剛嗣  平成21年度会長 山岸憲司  平成22年度会長 若旅一夫  平成23年度会長 竹之内明 平成24年度会長 斎藤義房  平成25年度会長 菊地裕太郎 平成26年度会長 ?中正彦  平成27年度会長 伊藤茂昭
 
(2015年7月16日)

怒りもて、強行採決を安倍政権の墓標とせよ!

まずは怒らねばならない。安倍内閣に対する熱い怒りを共有しよう。この最悪の内閣が、立憲主義を蹂躙したことに。憲法九条に込められた平和の理念を放擲したことに。そして、明らかに国民世論に背を向けた民主主義破壊の暴挙に。

今日(15日)の強行採決スケジュールを決めた13日の自民党役員会で、安倍晋三は「私も丁寧に説明して(国民の)理解が進んできたと思う。」と述べたという(共同)。このノーテンキな日本国首相の言葉の軽さを信じがたいことと驚いたが、本日(15日)午前中の委員会質疑で、同じ安倍が「残念ながら、まだ国民の理解は進んでいる状況ではない」と認めたという(時事)。それでも、採決は強行するのだというその鉄面皮にさらに驚ろかざるをえない。

要するに、国民の理解などはどうでもよいのだ。「丁寧な説明」は口先だけ。恰好だけを繕って、国民の理解があろうとなかろうと、スケジュールのとおりに時至れば数の暴力で決着をつけようというだけのことなのだ。こんな連中に、国の運命を任せてはならない。こんな連中が権力を握るこの国を戦争のできる国としてはならない。

さあ、これからが怒りを行動への本番だ。戦争法案成立阻止と安倍政権打倒が行動の目標となる。

政権寄りの論者の中には、「安倍政権の支持率低下は織り込み済みで想定内の範囲に収まっている」という者がいる。はたしてそうだろうか。いま澎湃と湧き起こっている分厚い世論の批判と包囲が、安倍政権にとっての想定であったはずはない。政権は焦り、苛立っている。世論をおそれ不安を感じている。彼らは、攻勢的に与党単独採決の強行に踏み切ったのではない。このままでは、ジリ貧となって押し込まれるという危機感から、強行採決に追い込まれたのだ。

しかも、戦争法案だけではなく、いろんな問題が政権を悩ませている。いや、正確には、安倍政権の強引なやり口で闘わざるを得ない分野が数々あるのだ。

まずは沖縄だ。辺野古への移設反対の揺るがぬ県民世論は「慰霊の日」以来、反安倍の色調を露わにしている。党内の親安倍勢力の言論弾圧体質も明らかになっている。この「言論圧力勉強会」への処分に対する不満の不協和音も聞こえてくる。これに加えて、このところにわかに重要問題としてクローズアップされてきた新国立競技場建設問題だ。政権の体質を物語る事件として世論への影響が大きい。

さらに、労働者派遣法改悪に象徴される安倍政権の労働法制問題、社会福祉改悪問題、大学の自治への介入問題。そして、地方切り捨てとTPP。戦後70年談話問題も、既に政権にとっての重荷となっている。

安倍政権は、自らの悪政で多くの分野の多くの人を傷つけ敵に回している。多くの人の安倍政権打倒の共闘の条件を作っているのだ。安倍政権は、自ら墓穴を掘っているに等しい。国民へ大きな傷跡を残さぬうちの、早期退陣の条件が整いつつあるのではないか。ようやくにして、閣内からも、政権の手法についての憂慮の声が上がり始めている。

今日の強行採決を、安倍政権の墓標としよう。この墓標の下に政権の亡骸を葬り、「かつて立憲主義と、平和主義と民主主義とを蹂躙した暴君がいた」と墓標に書き込もう。
(2015年7月15日)

戦争法案許さない!! 強行採決絶対反対!! 安倍を倒せ!! 

この緊急事態に、皆さまに訴えます。しばらく、お耳をお貸しください。
何が緊急事態か。日本を戦争のできる国に作りかえる、とんでもない法案が国会の審議で大詰めを迎えて、明日にも委員会での強行採決が行われようとしているそのことです。「日本が戦争をする国になる? まさかそんなことが」「もし、そんなことになるとしてもずつと先のことでしかなかろう」などと悠長にお考えの方はいらっしゃいませんか。「『狼が出るぞ』という宣伝は聞き飽きた」、そう言ってはおられません。明日(7月15日)、「牙をむいた恐ろしい狼」が出ようとしていののです。

いま、異例の長期延長となった国会で審議中の法案を、政府与党は「平和安全法制」と呼んでいます。また、マスコミの多くは「安全保障法制」、略して「安保法制」という言葉を使っています。しかし、この法案に反対する私たちは、ズバリ「戦争法案」と名付けています。一定の要件が整えば、日本も戦争をすることができると定める法律だからです。文字どおり、日本を戦争のできる国とする法案だから、戦争法案なのです。

平和憲法は一切の戦争と武力行使を禁じたはずです。最大限譲歩しても、現に侵略を受けた場合の自衛のための武力行使に限られる。それ以外の戦争はできるはずもない。そのような常識で、戦後70年を過ごしてきた国民が、突然に安倍内閣という狼に政権を委託してしまったのです。彼は、自衛のための武力行使に限らず、集団的自衛権行使容認を明言し、いまこれを立法化しようとしているのです。他国の戦争を買ってまで、戦争に参加しようというのです。

「戦争が廊下の奧に立っていた」という有名な句があります。もしかしたら明日、「戦争が委員会室の奧に立つ」のです。その後、衆議院の本会議場に戦争が立ち、参議院の議場にも戦争が立つようなことになったら、身震いする事態です。おそらく、教室にも、新聞社にも、テレビ局にも、戦争が立つ風景が展開されることになるでしょう。

私たちは70年前、戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って、平和国家日本を再生しました。そのとき、なぜあのような悲惨で無謀な戦争をしてしまったのか、十分な反省をしたはずです。その答の一つが、民主主義の不存在でした。

戦前、国民は主権者ではなく、統治の対象たる臣民でしかありませんでした。自分たちの運命を自分たち自身で決めることのできる立場になかったのです。情報に接する権利も、意見を発して政治に反映させる権利も、まことに不十分でしかありませんでした。平和と民主主義とは、相互に補い合う、密接な関係にあるというべきです。

我々は主権者として、戦争を可能とする戦争法案の廃案を強く求め、平和を壊す安倍政権にノーを突きつけなければなりません。我々は、選挙の日一日だけの主権者ではない。いま、安倍政権は、選挙によって多数の支持を受けたとする傲慢をひけらかしていますが、あらゆる論戦、あらゆる論壇、そしてあらゆる世論調査の結果が、民意は安倍政権から離れて、戦争法案反対派のものとなりつつあります。私たちは、その主権者の意思を表明しなければなりません。デモ・集会・メール・ファクス・ブログ、あらゆる手段で「戦争法案を廃案に」「強行採決反対」の声を、安倍政権と国会にぶつけましょう。

皆さん、とりあえず国会に出向きましょう。集会に行きましょう。デモ行進にも参加しましょう。力を合わせて、いまこそ行動を起こすとき。狼になど負けてはおられません。

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7月14日、強行採決前日と囁かれる本日は、フランスの革命記念日である。ルイ王朝打倒の市民革命が始まったとされるこの日。安倍レジームに抵抗するにふさわしい日。

昼休み時間に本郷三丁目交差点、夕刻有楽町マリオン前で、2度マイクを握った。その後、日比谷野音の総掛かり大集会に参加し、2万人余の人とともに国会までのデモに参加した。これが私の革命記念日。

集会とデモのシュプレヒコールは、「九条守れ」「戦争法案廃案」「強行採決絶対反対」は当然として、胸にストンと落ちたのは、「安倍を倒せ」だった。ラップ調で、「安倍はやめろ」「今すぐやめろ」「さっさとやめろ」が、大きな声で唱和された。

60年安保の時も、「アンポ・ハンタイ」だけでなく「岸を倒せ」のスローガンが津々浦々にこだました。いま同じように、「アベヲ・タオセ」「とっとと辞めろ」のスローガンが全国に沸き上がりつつある。

「安倍を倒せ」「強行採決絶対反対」「戦争法案廃案」は平和と民主主義の双方を救うことなのだ。
(2015年7月14日)

集会に行こう、デモに参加しようー主権者としての意思表示が必要なときだ

メディアが、一斉に「今週がヤマ場だ」と伝えている。本日(13日)中央公聴会が終了して採決強行の舞台が整ったということなのだそうだ。明日(14日)にも、衆院安保法制特別委員会の決議強行があり得ると言われ、あるいは明後日だとも伝えられ、ずれ込んでも今週中だろうなどとも囁かれている。自民党3役が「決めるべき時には決める」と口を揃えている。60日ルールを意識した採決のリミットが近づいているとのこと。

しかし、この法案の審議を打ち切っての採決強行などは狂気の沙汰ではないか。110時間審議したから議論が尽くされたなどとはとんでもない。そもそも、10本の法改正を一本にしてきたこの法案提出の乱暴さが問題なのだ。本来、10倍の時間を費やしても足りないほど。何よりも、この法案の審議を見守っている国民が、到底審議が尽くされたと認めていない。

民主主義とは熟議の政治である。徹底した議論を尽くすことによって、合意点あるいは妥協点を見出すべきことが想定されている。議論が出尽くして行き詰まり、どうしても結論を出さねばならないときに、はじめて多数決原理が働くことになる。議論を尽くさずしての採決強行を民主主義政治とは言わない。予定された審議時間を消化したからスケジュールに乗っ取って採決を、という手口は「多数派独裁」と言うほかない。

さらに、国会の論戦においては、議論の内容が国民の目によく見えて理解されることが重要である。主権者とは投票日一日だけのものではない。国会の論戦をよく見て理解した有権者は、そのことによって論戦に関わった政党やその政策の支持・批判の意見を形成することができる。何を議論しているのかわけが分からず、法案の中身も法案に賛否の根拠もよく分からぬままでの審議打ち切りは、主権者としての意思形成に支障が生じることになる。

首相は国民に「丁寧に説明する」と約束したではないか。あらゆる世論調査において、国民の圧倒的多数は、首相の説明は不十分としている。「丁寧な説明をする」という、国民への約束は果たされていないではないか。国民の大多数が「理解できていない」「首相の説明は足りない」と言っている。にもかかわらずの審議打ち切りは、国民を愚弄し民主主義を冒涜するものとして許されない。

「丁寧な説明」とは、国民に法案を十分に理解してもらい、十分な理解にもとづく国民の声にも耳を傾けるという約束でもあったはず。しかし、首相が説明すればするほど、国民の理解が進めば進むほど、この法案への反対意見が増えてくる。そもそも、主権者国民に支持をされないことが明確なこのような法案は、廃案が筋でこそあれ、採決強行などもってのほかだ。

何よりも、こんなに多くの人から、「立憲主義にもとる」「違憲法案だ」「憲法解釈の限界を超える」「これまでの政府解釈との整合性がとれない」「姑息・裏口入学的な汚い手口」と散々な酷評を得ている法案も珍しい。しかも、その実質は、国民投票なき改憲であり、壊憲なのだ。

この事態に黙ってはおられない。明らかに、民意と国会内の議席構成が大きくズレている。こんなときに、悠長に「次の選挙」を待ってはおられない。主権者としての声を上げよう。内閣と国会に、主権者として物申そう。集会に行こう、デモに参加しよう。街頭宣伝を繰り広げよう。あるいは、要請・抗議の葉書やファクスを集中しよう。主権者としての意思表示が必要なときが来たのだ。
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この時期に符節を合わせたように、朝日とNHKの最新世論調査結果が発表となった。上述のとおり、世論は、集団的自衛権行使容認自体に反対、今国会での戦争法成立反対。首相の説明は不十分、としている。注目すべきは、両調査結果とも、内閣不支持率が支持率を上回って逆転した。ワニの口が閉じたのだ。毎日の調査に続いての慶事である。朝日はともかく、「アベ様のNHK」と揶揄されるNHKの調査結果の影響は大きい。整理して紹介すれば以下のとおりである。

    安倍内閣支持率   41%(前回48%)?7
    不支持率       43%(前回34%)+9
「山が動いた」はやや大げさかも知れないが、この1か月間で、森か林くらいは動いたのだ。有権者の700万人が、「内閣支持」から「不支持」へ鞍替えした勘定になる。この逆転は第2次安倍内閣の発足以降初めてのことだというのだから、これはニュースだ。

また、注目すべきは次の回答結果
    安倍内閣が安全保障法制の整備を進めていることを
    「大いに評価する」   8%
    「ある程度評価する」 24%
    「あまり評価しない」 31%
    「まったく評価しない」30%
プラス評価計は32%、マイナス評価計61%である。

安全保障関連法案を、いまの国会で成立させることに
    「賛成」        18%
    「反対」          44%
    「どちらともいえない」 32%

これまでの国会審議で議論は
    「尽くされたと思う」   8%
    「尽くされていない」  56%
    「どちらともいえない」 28%

「安全保障関連法案は憲法違反ではない」としている政府の説明に
    「大いに納得できる」   4%
    「ある程度納得できる」 20%
    「あまり納得できない」 37%
    「まったく納得できない」29%

安倍政権を支えていた世論は、確実にしぼみつつある。代わって多数派を形成しつつある反安倍勢力の国民世論を、目に見える形として表すべき時がきている。禍根を残さぬためにも、集会に出かけよう、デモに参加しよう。

東京近郊の人は、明日(7月14日)午後6時半日比谷野音に集合しよう。久々の大集会になりそうだ。そして、久々の大きな規模のデモにもなる。
(2015年7月13日)

「まだ国民の支持がある」ー安倍晋三が語る採決強行の論理

ホントのところはですね。安保法制についての丁寧な説明なんて要らないんでございます。なんと言っても、自民党が選挙に勝っているわけでございますから。しかも圧倒的にですよ。国民の皆さまから、存分にやりたまえとワタクシは予めのご支持を得ているんでございます。だから、丁寧な説明抜きの採決強行についても、国民から了解済みだということをご了解いただきたいわけでございます。

民主主義の世の中ですから、民意が最も大切でございましょ。その民意は選挙に表れます。けっして、デモや集会ではないのでございます。2014年暮れの総選挙では、幸いに我が自民党が、主権者の皆さまから厳粛に引き続いての政権の委託を受けたわけでございます。国権の最高機関である国会の議席は、与党が圧倒的な多数を占め、第一党の党首であるワタクシが内閣総理大臣としての指名を受け、憲法の規定に従って天皇陛下にご任命いただいたのでございます。

選挙制度が歪んだ鏡になっているとか、小選挙区制のマジックだとか、民意は正確に議席に反映されていないとか、自民党の絶対支持率はわずか25%だとか、いろいろご意見のあることはすべて承知しています。しかし、どれもこれも民意を獲得できなかった陣営の負け惜しみというほかはありません。現行のルールでワタクシたちは勝たせていただいたのです。勝てば官軍、しかも民主主義の儀式としての選挙で勝ったのです。

その選挙の公約をよくお読みいただけば、今国会でご審議いただいている法案のことも書き込んでありますよ。具体性がないとか、目立たないようにしている、などという些末なご批判はとるに足りないものと思います。公約とは、全体的な方向を決めるものではないでしょうか。そもそも我が党は、堂々と9条を改正して国防軍を作るという具体的な憲法改正案を公表しています。ワタクシが右翼的だとか好戦的だとか、反憲法的だなどと言われているのは、今日に始まったことではありません。昔からのことでございますよ。もちろん選挙前からのこと。それでも、堂々と選挙に勝たせていただいたのですから、安全保障政策については、国民の皆さまから、このワタクシとワタクシの率いる政権がお任せいただいた、そう考えて差し支えないではありませんか。

そもそも、安全保障や軍事の問題については、国民の皆さまには分かりにくいことなのです。選挙で選ばれた政権に任せていただくことがもっとも適切だと確信しているわけでございます。

分かりにくさの原因の一つは、問題が複雑で専門用語も多いこと、本当に理解するためには厖大な時間と労力が必要なのです。実のところ、ワタクシだってよくは分かっていないのです。信頼する官僚の作ってくれた資料とメモの棒読みでなんとか急場を凌いでいるのですから。ましてや、主権者である国民の皆さま方はお忙しい。勤務のことや商売のことで頭がいっぱいでございましょう。安保法制だけを考えて暮らしておられるわけではない。デートもすれば、プロ野球も気になる、NHKのドラマも見なけりゃならないでございましょ。国民の皆さまが十分に安保法制の理解ができないことは当然のことでもあり、やむを得ないことでもあるのです。

分かりにくさの原因のもう一つは、ことがらの性質上、明らかに出来ないことが多いことにあるのでございます。何しろ、防衛機密の漏示は、戦前であれば死刑を含む重罪でした。国会では、野党の諸君が「情報公開せよ」「説明責任を全うせよ」「事実が分からずして審議ができるか」などと叫びます。国民の皆さまには、一見もっともな要求と聞こえるかも知れません。しかし、責任あるワタクシとしては、軽々に公の場で防衛秘密を漏示するに等しい利敵行為に及ぶことができようはずはありません。とぼけて話をそらしているだけというわけでもないのでございます。

ですから、我が国の安全保障についての論議は、ワタクシを信頼してお任せいただくしかないのでございます。ワタクシが信頼できないとなれば、次の選挙でワタクシに代わるどなたかを選び直せばよいのです。それまではワタクシが総理として責任をもって、法案を提出し国会では与党多数で粛々と物事を決めていく。これが民主主義というものでございます。もちろん一億国民の中には、反対も心配もございましょう。しかし、いちいちこれに対応していては、ものごとは前には進みません。何よりも安全保障には政策決定のスピードと断固たる姿勢が大切なわけでございます。

選挙で選ばれたワタクシこそが国民の総意を体現する立場にあるのでございます。ですから、ワタクシを信頼することは、民意を尊重すること。主権者国民の皆さまには、ワタクシに政治をお任せていただき、反政府的な「戦争法案反対」のデモや集会に参加するなど面倒な上に無駄なことはおやめになって、日常生活にいそしんでいただきたいのでございます。それこそが、賢明でもあり、望ましい民主主義政治のあるべき姿でございましょう。

ワタクシを首班とする閣議決定も、ワタクシの内閣が提案する法案も、それ自体が民意そのものであります。ですから、国民の皆さまには、中身を読まずとも、この法案が国家の安全を守り、国民の幸福を維持し増進するものと信頼していただくことが何よりも肝要なのでございます。

それでも、「戦争準備の法案だ」「他国の戦争に巻き込まれるおそれがある」「安倍の危険な好戦性の表れだ」「違憲の立法だ」などという悪宣伝が振りまかれていますので、これを払拭するために、繰りかえし「国民の皆さまには丁寧な説明を」と申しあげてまいりました。

何のための「丁寧な説明」か。もちろん、国民の皆さまを説得しご納得いただいて、ワタクシにご同意をいただくためのものでございます。けっして、国民の皆さまの民意を問い直すものではございません。法案成立は、国際公約なのですから、今さら撤回はできません。世論調査の結果では「丁寧な説明がなされていない」「説明不足だ」という意見が8割を超えて、説明すればするほど法案に反対の声も増えているやに聞いております。ワタクシのインターネット出演も評判が芳しくない。それなら、聞く耳を持たない、ものわかりの悪い国民の皆さまへのご説明は無駄なことですから、打ち切らざるを得ません。国会の内外でのご説明を打ち切って、「決めるときには決める」。これこそがワタクシに与えられた任務なのでございます。

繰りかえしになりますが、安保法制関連2法の採決強行は、国民の皆さまから負託を受けたワタクシの責任として断固行うものなのでございます。でありますから、野党や、憲法学者や、弁護士会や、広範な有識者や、今や反安倍で固まりつつあるマスコミの論調や、今は影響力を失った自民党の長老諸氏や、宗教団体や、反対の決議を上げている地方議会や、元法制局長や、労働組合や民間諸団体や、昨日は大人数で国会前に押しかけた若者たちや、世論調査に表れた反対世論などが、どんなに大きな声で、なんと言おうとも、やるべき時にはやらねばならないのです。反対の声に耳を傾けて、その説得力にうろたえ反対勢力の大きさに圧倒されて遅疑逡巡することは、尊敬する祖父の遺志に反することでもあり、民主主義にもとるあるまじきことであるとのワタクシの信念をご理解くださるようお願いする次第でございます。

いま、安保法制関連法案に反対は、圧倒的な国民の声になりつつあります。しかし、幸いにして、その反対世論は内閣の不信任には直結していません。最近の世論調査でも、いまだに安倍内閣の支持率は40%を維持しています。たとえ「衆参両院で2度の採決を強行して、その都度支持率が5%ずつ低下しても、まだ30%台に踏みとどまることができ、危険水域までは落ちないというのが政権の思惑だ」、一部のマスコミがこう報道したとおりなのです。「このような事態でなお私を支持してくれる国民の3割」こそがワタクシの心の支えで、頼りであり杖なのでございます。私を支持し共鳴される、この人たちのいる限り、ワタクシはその方々の誠の心に応えるつもりなのでございます。
(2015年7月11日)

維新の正体が見えたー戦争法成立に手を貸す維新に批判を

維新とはなんであろうか。
自民を見限って民主に期待し、民主にも裏切られた保守層の期待幻想が紡ぎ出した虚妄である。半自民、反民主ではあるが、自らの中にプリンシプルを持たない。だからまとまりはなく、一貫した政策もない。全員が一色ではなかろうが、全体としては、世の風向きを読むことに敏感で、自己保身の遊泳に精一杯なだけの、政治世界の盲腸のようなもの。

その盲腸、場合によっては虫垂炎を起こす危険な代物となる。虫垂内部で細菌が増殖すると、膿瘍を形成し穿孔し腹膜炎を起こして重症化する。対処を誤ると、局所症状に留まらず重篤な全身症状となって死に至ることさえもある。起因菌が増殖を始めた盲腸は早めに摘除しなければならない。

今まさしく、維新が危険な盲腸として炎症を起こしつつある。維新が、戦争法案の成立に手を貸そうとしているのだ。自・公とならんで、維新を世論の矢面に立たせなければならない。3本目の批判の矢が必要となっている。取り立ててなんの理念ももたない維新のことだ。世論の風向き次第で態度は変わる。摘出手術の荒療治まではせずとも、批判の注射だけで無害の盲腸に戻すことが可能となる公算もある。

昨日(7月7日)配信の時事通信記事は次のとおりである。
「民主党の枝野幸男、維新の党の柿沢未途両幹事長は7日、国会内で会談し、武力攻撃に至らないグレーゾーン事態に対処する『領域警備法案』について、共同提出を見送ることを確認した。…政府提出の安全保障関連法案の採決日程をめぐって対立し、共同提出に向けた協議が決裂。両党は8日にそれぞれ単独で国会提出する。
 会談では同席した維新の馬場伸幸国対委員長が、領域警備法案の審議時間を確保するため、同法案と政府案の採決日程をあらかじめ与党側と合意するよう提案。政府案の廃案を目指す民主党は『与党に手を貸すようなことには協力できない』として拒否した。」

読売がきわめて適切な見出しをつけている。「枝野氏『突然、非常識な提案』 維新との協議決裂」というもの。記事は、「維新の党側は、与党が求めている関連法案の採決について、7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた。」となっている。

産経の報道は次のとおり。
「民主党の枝野幸男幹事長は不快感をあらわにした。維新から『与党に手を貸すような提案』があった」「『出口の話をするような無責任な野党としての対応はできない』として決裂した」

この報道には驚いた。そして、呆れた。これまでは、極右政党「次世代」を除いて、野党の足並みは政府提案の戦争法案反対で揃っていたはず。少なくも、徹底審議での共闘合意ができていたはず。ところが、維新は態度を豹変させて、「戦争法案採決について7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた」というのだ。枝野幹事長が「突然、非常識な提案」と怒るのはもっともな話。民主党の感覚が、真っ当ではないか。

ああ、そうなのか。あらためて合点が行く。6月14日突然に設定された安倍・橋下密談がこんな筋書きを描いていたのか。あれ以来様相が変わってきたではないか。対案を出すだの、民主と共同提案だのと維新が言っていたことは、すべて野党分断、民主抱き込みの伏線だったのか。自民党へ恩を売るための下工作だったのか。与党と維新の間では密約が成立し、「7月下旬採決強行」のスケジュールが組まれていたのだ。自民が、「7月15日採決案」をリークする。維新が手柄顔に、「7月下旬まで先延ばし」して、与党強行のイメージを薄めた採決の舞台を整える。この筋書きに、うっかり欺されるところだった。

維新とは「これ(維)新たなり」の意味だが。昨日露わになった維新のやり口は、まったく清新なところがない。旧態依然の、裏工作、駆け引き、目眩まし。永田町流政治術は自民の専売ではないのだ。

しかし、盲腸の変身が戦争法案反対の運動に大きな影響を及ぼすはずもない。飽くまで、正攻法で、戦争法に反対しよう。違憲法案は廃案にさせるしかない。それが、平和を維持し、国民の安全を守ることなのだ。政権と与党と維新に、3本の矢を突きつけて、それぞれを正々堂々と批判しよう。
(2015年7月8日)
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事態の変化は目まぐるしい。昨日(7日)民主と維新の幹事長会談では壊れた領域警備法案の共同提案が、本日(8日)の党首会談で元の鞘に収まったという。その上で、「党首会談では、与党に領域警備法案の十分な審議を求めることを確認し、法案が参院送付後60日経ても議決されない場合、衆院で再可決が可能となる「60日ルール」の適用を阻止することでも一致した。維新は7日の幹事長会談で、政府案と対案の採決日程を決めて与党と交渉する提案を行ったが、党首会談では取り上げなかった。」(産経)と報道されている。

それでも、「維新の正体」「維新への批判の必要」の私の見解は変わらない。本日のブログの原稿を訂正することなく、掲載する。

維新対案に異議あり。「諸事態乱立」の事態を憂うる。

政府与党の戦争法案には違憲の烙印が定着した。自民も公明も、違憲の世論に抗いがたいと覚悟せざるを得ない深刻事態。世論の攻撃事態に重要影響事態となって、今や法案の存立危機事態なのだ。

この政府案にとって替わろうと登場したのが維新の対案。明日(7月8日)に国会上程の予定と報道されている。どのような裏工作あっての維新案なのか、あるいはは全く裏の話しはないのか詳らかにしないが、これに振り回されてはならない。この法案の取扱が与党に採決強行の口実を与えることを警戒しなければならない。

維新対案提出の動きは今回が初めてではない。6月中旬にもメディアにその内容が公表され、6月17日の当ブログは、「朝日が報道する維新の『対案』は、政府提案の腐肉にほんのひとつまみの塩を振りかけた程度のもの。塩をかけても腐肉は腐肉。法案違憲の本質はまったく変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項に対する死の宣告に手を貸すもの」と書いた。

今回の提案は、衆院法制局の官僚の手を煩わせたものだろうが、相当の分量で法案の形を整えている。目を通すだけでも一苦労の煩わしさ。分量は大部だが、合違憲を判断するには維新がホームページでまとめている2頁の要旨を読むだけで十分だろう。結論は以下のとおり。

「維新の対案は政府提案の腐肉に、こってりと胡椒を振りかけたもの。こってり胡椒を振りかけようとも、その下の腐肉は腐肉。法案違憲の本質は変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項を破壊に導くものである」

議論を次のように整理すべきだろう。
1 「集団的自衛権行使違憲論」は、自衛隊発足以来今日まで長く政府のとってきた解釈であり、憲法学者を含む広範な国民の認識に定着してきた。
2 この「集団的自衛権行使違憲論」は、「武力による個別的自衛権行使合憲論」とセットをなす立論であって、許容限度ぎりぎりの憲法解釈論である。
3 ところが今、「最小限度の限定があれば、集団的自衛権行使を容認する余地がある」、「最小限度の歯止めが明確であれば集団的自衛権行使を可能とする立法が合憲であり得る」という立論が提案されている。
4 しかし、いささかなりとも集団的自衛権行使を容認する余地を認めることは、許容限度ぎりぎりの憲法解釈をはみ出すものであり、「最小限度の歯止めがあることを理由に集団的自衛権行使を可能とする立法案」はすべて違憲であることを明確にしなければならない。
5 また、個別自衛権の名を借りて、自国領域外の武力行使を容認する立論も、集団的自衛権行使違憲の脱法として許してはならない。
6 専守防衛の域を出ない個別的自衛権行使に関する立法について、今政府案の対案として提出する意味はない。基本は現行法で対応は十分であって、現行法を超えて個別的自衛権行使の行動範囲を拡大する立法には、十分立法事実は認めがたく、。

維新は、自らの対案について、「複数の法学者から合憲のお墨付きを得た」という。しかし、私にはこれが合憲とは到底考えられない。また、仮に厳密な意味で合憲の内容であれば、今、そのような法案を対案として国会に提出する意味はない。重要なことは、政府提案の危険な違憲法案を共同で潰すことであって、対案を提出することは敵に塩を送ることになるだろう。

維新の対案では、「存立危機事態」に替えて、「武力攻撃危機事態」(紛らわしいが現行法の「武力攻撃事態」ではない)という新奇のカテゴリーを設定する。この「事態」の定義は、「条約に基づきわが国周辺の地域においてわが国の防衛のために活動している外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険があると認められるに至った事態(我が国に対する外部からの武力攻撃を除く。)」というものである。

その要点は、「第三国から日本に対する攻撃はないが、アメリカに対する攻撃があった場合」に、その攻撃が「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険」と認められれば、自衛隊による武力反撃を可能とするというもの。「我が国に対する急迫不正の侵害が現在する」という国家の正当防衛権行使の要件を具備する必要はないとしているところにある。

「武力攻撃危機事態」が発生すれば、自衛隊の防衛出動が可能となる。「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険」の部分に着目すれば個別的自衛権のふくらましのようでもあるが、いまだ「外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し」ているのみで我が国への攻撃はないのだから集団的自衛権の行使と捉えるよりほかはない。

定義の文言からも、個別的自衛権を意識した「我が国に対する外部からの武力攻撃があった場合」はわざわざ明示的に除かれているのだから、個別的自衛権行使としての武力行使とは別のカテゴリーと理解すべきであろう。維新は、「専守防衛を徹底」と言い、個別的自衛権行使要件の緩和と主張する如くであるが、「集団的自衛権の行使は認めない」との明言には接していない。ホームページの解説を見る限りでは、「存立危機事態にもとづく集団的自衛権の行使は認めない」というのみである。専守防衛(個別的自衛権の行使)からはみ出した「武力攻撃危機事態」において武力を行使する、と言っているとしか理解できない。

要するに、「安保条約(国連決議ではない)に基づく活動に対する攻撃を要件とする歯止め」「我が国周辺という地域限定の歯止め」「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する『明白な危険』を要件とする歯止め」が、最小限度性を担保しているというのだ。政府案よりは限定的であることを売りにした、やはり集団的自衛権容認論にほかならない。

問題は最小限度性の確保にあるのではない。集団的自衛権行使容認に踏み込むことが問題なのだ。憲法原則は、頑固に墨守しなければならない。その立場からは、解釈の許容限度ぎりぎりの専守防衛論を、これ以上緩める余地のないことを確認しなければならない。こってり胡椒をかけても、所詮腐肉は腐肉。やはり、国民に危険な腐肉を提供してはならない。
(2015年7月7日)

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