澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

プーチンに読ませたい、小川未明の「野ばら」

(2022年6月6日)
 本日、関東甲信地方に梅雨入りの宣言。陰鬱で肌寒い日である。雨風ともに強い。ウクライナの戦況は膠着して停戦の希望は見えてこない。被害の報がいたましい。国内では戦争便乗派の平和憲法攻撃と、防衛費倍増論に敵基地攻撃能力論まで台頭している。私の体調もよくない。憂鬱この上ない本日。ものを考えるのも億劫だし、煩瑣な文章を書く気力もない。昔読んだ小川未明の童話を引用して、本日の責めを塞ぎたい。

 たしか、小学校の図書室で小川未明の幾つかの作品を読んだ。そのうちの「野ばら」が鮮明に記憶に残っている。読後感は深刻だった。どうして、人と人とは仲良くできるのに、国と国とは戦争をするのだろうか。国なんかなくなければ人と人とは仲良くできるのか、とも考えた。誰が考えても、戦争はおろかなことではないか。もう、こんなことをやってはいけない。

野ばら 小川未明

 大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣となり合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起らず平和でありました。
 ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。
 二人は、石碑の建たっている右と左に番をしていました。いたってさびしい山でありました。そして、まれにしかその辺を旅する人影は見られなかったのです。
 初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は敵か味方かというような感じがして、ろくろくものもいいませんでしたけれど、いつしか二人は仲よしになってしまいました。二人は、ほかに話をする相手もなく退屈であったからであります。そして、春の日は長く、うららかに、頭の上に照り輝やいているからでありました。
 ちょうど、国境のところには、だれが植えたということもなく、一株の野ばらがしげっていました。その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。その快い羽音が、まだ二人の眠っているうちから、夢心地に耳に聞こえました。
 「どれ、もう起きるか。あんなにみつばちがきている。」と、二人は申し合わせたように起きました。そして外へ出でると、はたして、太陽は木のこずえの上に元気よく輝やいていました。
 二人は、岩間からわき出でる清水で口をすすぎ、顔を洗いにまいりますと、顔を合わせました。
「やあ、おはよう。いい天気でございますな。」
「ほんとうにいい天気です。天気がいいと、気持がせいせいします。」
 二人は、そこでこんな立ち話しをしました。たがいに、頭を上あげて、あたりの景色をながめました。毎日見ている景色でも、新しい感を見る度に心に与えるものです。
 青年は最初将棋の歩み方を知りませんでした。けれど老人について、それを教わりましてから、このごろはのどかな昼ごろには、二人は毎日向い合って将棋を差していました。
 初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、駒を落として差していましたが、しまいにはあたりまえに差して、老人が負かされることもありました。
 この青年も、老人も、いたっていい人々でありました。二人とも正直で、しんせつでありました。二人はいっしょうけんめいで、将棋盤の上で争っても、心は打ち解けていました。
 やあ、これは俺の負けかいな。こう逃げつづけでは苦しくてかなわない。ほんとうの戦争だったら、どんなだかしれん。」と、老人はいって、大きな口を開けて笑いました。
 青年は、また勝みがあるのでうれしそうな顔つきをして、いっしょうけんめいに目を輝やかしながら、相手の王さまを追っていました。
 小鳥はこずえの上で、おもしろそうに唄っていました。白いばらの花からは、よい香りを送っていました。
 冬は、やはりその国にもあったのです。寒くなると老人は、南の方ほうを恋しがりました。
 その方には、せがれや、孫が住すんでいました。
「早く、暇をもらって帰りたいものだ。」と、老人はいいました。
「あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりにくるでしょう。やはりしんせつな、やさしい人ならいいが、敵、味方というような考えをもった人だと困ります。どうか、もうしばらくいてください。そのうちには、春がきます。」と、青年はいいました。
 やがて冬が去って、また春となりました。ちょうどそのころ、この二つの国は、なにかの利益問題から、戦争を始めました。そうしますと、これまで毎日、仲むつまじく、暮していた二人は、敵、味方の間柄になったのです。それがいかにも、不思議なことに思われました。
 「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしになったのだ。私はこんなに老いぼれていても少佐だから、私の首を持ってゆけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と、老人はいいました。
 これを聞くと、青年は、あきれた顔をして、
 「なにをいわれますか。どうして私とあなたとが敵どうしでしょう。私の敵は、ほかになければなりません。戦争はずっと北の方ほうで開かれています。私は、そこへいって戦います。」と、青年はいい残して、去ってしまいました。
 国境には、ただ一人老人だけが残されました。青年のいなくなった日から、老人は、茫然として日を送りました。野ばらの花が咲さいて、みつばちは、日が上がると、暮れるころまで群っています。いま戦争は、ずっと遠くでしているので、たとえ耳を澄ましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見られなかったのであります。老人はその日から、青年の身の上を案じていました。日はこうしてたちました。
 ある日のこと、そこを旅人が通りました。老人は戦争について、どうなったかとたずねました。すると、旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争は終ったということを告げました。
 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。そんなことを気にかけながら石碑の礎に腰をかけて、うつむいていますと、いつか知らず、うとうとと居眠をしました。かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊いはきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。
 老人は、なにかものをいおうとすると目がさめました。それはまったく夢であったのです。それから一月ばかりしますと、野ばらが枯かれてしまいました。その年の秋、老人は南の方へ暇をもらって帰りました。

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 小川未明の作品は、既に著作権の保護期間が終了している。転載自由である。青空文庫本を多くの人に読んでいただきたい。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001475/files/51034_47932.html

パロディはいくつもある。下記は、公開されている才能溢れたマンガの一作。
https://rookie.shonenjump.com/series/pGBIkZk5Ffc/pGBIkZk5Ffk 

 今、この国境をはさんだ二人の兵士の話は、ロシアとウクライナ両国兵士の関係として連想せざるを得ない。両国の国民と国民とが、兵と兵とが、殺し合うほど憎しみ合っているはずはない。プーチンに読ませたいと思うが、無理だろうか。

プーチン・ロシア政権の強権体質に見えてきたほころび

(2022年5月31日)
 一昨日(5月29日)の東京新聞第4面に「ロシア地方議員 侵攻批判」「極東の沿岸『孤児増え、若者死ぬ』」という囲み記事。また、昨日(5月30日)の毎日に、内容をふくらませた続報。いずれも、現地紙の報道をニュースソースとしている。

 小さな記事だが、これは注目に値するニュース。プーチン政権のウクライナ侵攻に、議会で公然たる批判の声が上がっているのだ。この批判の声には支持者のグループがある。当然に、氷山の一角と見なければならない。表面化せずに水面下に沈潜した批判のマグマは巨大なものでありうる。このただならぬ事態を政権は封じ込めることができるだろうか。

 記事の大要は以下のとおりである。

 「ロシア極東の沿海地方議会で27日、プーチン政権の『体制内野党』とやゆされてきた共産党のワシュケービッチ議員が、特別軍事作戦と称するウクライナ侵攻を批判する一幕があった。政界から非戦の訴えが上がるのは異例だが、議員らはその場で議場から退場させられた。独立系メディア『メドゥーザ』などが伝えた。
 ワシュケービッチ氏は、議案審議中に突然、プーチン大統領に宛てたという声明を読み上げ『作戦をやめなければ、孤児が増える。国に貢献できたはずの若者たちが死んだり、障害を負ったりした。軍の即時撤退を要求する』と述べた。
 同地方のコジェミャコ知事はこの発言に怒り、議会側との申し合わせの上、ワシュケービッチ氏と賛同の拍手をしたとみられる議員を退場させた。」

 「沿海地方州(の議会)」が、固有名詞なのか普通名詞なのかよく分からない。しかし、とある地方議会で、「体制内野党と揶揄されてきた野党・共産党」の議員が公然と反戦・反プーチン演説をしたことだけはよく分かる。しかも、議員1人の行為ではない。「ANNニュース」は、「共産党の議員ら3人が連名で」と報道している。

 毎日新聞は、「野党・共産党のワシュケービッチ議員は軍の即時撤収を呼びかけるプーチン大統領宛ての声明文を読み上げ、これに対し、政権与党『統一ロシア』に所属するコジェミャコ知事は『ナチズムと戦うロシア軍の名誉を傷つける。裏切り者だ』と非難。知事の要求に応じ、議会はワシュケービッチ氏と賛同した議員の発言権を奪う議案を可決した」と報じている。

 プーチン政権を支える与党は、「統一ロシア」で、ロシア共産党はプーチン政権の『体制内野党』と揶揄されてきた少数野党なのだ。

 ロシアは複数政党制で多数の政党があるというが、ロシア連邦議会ロシア連邦議会の国家院(下院)に議席をもつ主要政党は6党だという。
 2021年9月、5年に一度の選挙の結果、定数450のうち、与党「統一ロシア」が324、野党「ロシア連邦共産党」57、「公正ロシア」27、「ロシア自由民主党」21という議席配分、これに「市民プラットフォーム」「政党エル・デー・ペー・エル」が続いている。イデオロギー的には、極左から極右まで、ロシア連邦共産党公正ロシア祖国統一ロシア市民プラットフォーム政党エル・デー・ペー・エルの順に並ぶとされるが、何が右で何が左か、さっぱり分からない。

 いずれにせよ、ロシアにも議会があり、野党があるのだ。ロシア共産党はけっして取るに足りない存在ではない。2021年ロシア下院選挙では得票率21.7%だったという。地方議会の共産党3議員の反乱は、もしかしたら燎原の火となるかも知れない。

 なお、このニュースを報じる毎日が、併せて「ロシア南部の軍事裁判所は従軍を拒否して除隊処分となった兵士らによる異議申し立てを棄却した。ロシア国内で軍事侵攻に賛同しない声や動きが相次いで露呈している」と記事にしている。 〈ウクライナへの従軍を拒否して除隊処分となる兵士ら〉がいるのだ。しかも、果敢に異議申し立てまでしている。それが、ニュースになって民衆の耳目を集めてもいるのだ。 ロシアのあちこちに、少しずつだが、破綻が見えてきているといえるだろう。

歌壇に見る非戦の訴え

(2022年5月30日)
 ロシアのウクライナ侵攻以来、各紙の歌壇に戦争を詠う歌が取りあげられている。戦争の悲惨さや理不尽を、我が国の戦争を思い起こす形で詠うものが多い。いかなる戦争も他人事ではないのだ。昨日(5月29日)の「朝日歌壇」。永田和宏選の冒頭3首が、そのような歌として胸に響く。

 軍隊は軍隊をしか守らない交戦国のどちら側でも
 (東京都)十亀弘史

 軍隊は何を守ために存在するのか。国民を守ることがタテマエだが、実はそうではない。いざというときには、住民を見捨てる。のみならず、住民を殺害さえする。誰のために? 結局は軍隊を守るために。そして、「大の虫を生かすためには、小の虫を殺すのもやむを得ない」とうそぶくのだ。我々は、これを沖縄戦での32軍の蛮行として、また終戦時の関東軍の卑劣な逃避行として記憶してきた。あたかも、皇軍だけの特殊事情のごとくに。しかし、この歌は「交戦国のどちら側でも」と、戦争と軍隊の本質を言い当てている。
 ウクライナへの侵略戦争で、負傷して歩けないと口にしたロシア兵が、足手まといとして上官から射殺されたという。「軍隊は軍隊をしか守らない」とは、闘う能力を喪失した味方の兵士をも守らないのだ。この非情さが戦争の本質なのだ。戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。

 戦争で兵の生死は数値だけ戦死になるか戦果になるか
 (筑紫野市)二宮正博

 あらためて言うまでもなく、兵とてかけがえのない「人」である。その人の生死が数だけに置き換えられる。そして、その数は「戦死になるか戦果になるか」なのだ。自軍には「戦死者数」として報告されるが、相手国では「戦果」とされてその死が喜ばれる。決して悼まれることはない。
 殺人は忌むべき人非人の行為である。通常殺人者は唾棄すべき人物として糾弾される。殺人の被害者は、その非業の死を悼まれる。ところが、戦争ではそうではない。相手国の戦死は「戦果」となり、「戦果」を挙げた自国の殺人者は殊勲者となる。こんな人倫に反する戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。

 顔も無く名も無くきょうの数となるコロナ禍の死者ウクライナの死者
 (所沢市)風谷螢

 コロナ禍の死者については措く。「ウクライナの死者」についての無意味さと、それ故の哀惜の情が伝わってくる。戦争では、兵士も民間人も「顔も無く名も無」いままに死者となる。その多様であつた生は切り捨てられ、与えられた無機質な死が数として数えられるのみ。戦争の大義も兵や市民の勇敢も語られず、敵と味方の区別さえない「数となった死」のむなしさ。こんな悲劇をもたらす戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。

馬場あき子選の歌5首は以下のとおり。

 はなっから話し合う気は無いみたいプーチンの卓あのディスタンス
 (岡山市)曽根ゆうこ

 追放の大使館員ら発ちて行く一人一人に罪は無けれど
 (一宮市)園部洋子

 ハエ一匹通さぬやうに封鎖せよと地下には母子あまた集ふを
 (小松市)沢野唯志

 ロシアとの漁業協定成りし夕銀鮭ふた切れこんがり焼ける
 (久慈市)三船武子

 朝日歌壇に反戦詠みし女性たち皆「子」が付く名戦争を知る子
 (春日部市)酒井紀久子

佐々木幸綱選3首。

 「高齢者、地方在住、低所得」プーチン支持層嗤えぬ私
 (中津市)瀬口美子

 軍隊は軍隊をしか守らない交戦国のどちら側でも
 (東京都)十亀弘史

 荒廃の街に天指す教会の十字架かなし戦車横切る
 (春日井市)吉田恵津子

高野公彦選4首。

 ゼレンスキー大統領がネクタイを締める日の来よ 良きことのあれ
 (鳥取県)表いさお

 地下鉄のエスカレーターくだりつつ深さ確かむシェルターとして
 (名古屋市)植田和子

 青と黄に塗り替えられた琴電が讃岐平野の麦畑行く
 
(高松市)伊藤実優

 パーキンソンに悩むプーチンか振顫をかくさむとして机をつかむ
 
(西之表市)島田紘一

 なるほど、歌には言霊が宿っている。人の心に訴える力をもっている。

侵略を許さない「正義」派と、「命どぅ宝」派との停戦の可否をめぐる葛藤。

(2022年5月23日)
 琉球新報の昨日(5月22日)付社説が、波紋を呼んでいる。遠慮なくいえば、評判がよくない。右からも左からも叩かれている。
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1521022.html

 私は、よくぞ問題提起をしてくれたと思う。しかし、全面的に賛成とは言いにくい。さりとて、反論する気持にもなれない。自分のことながら、煮え切らないのだ。ただ、この社説を叩く側にまわりたくないとは思う。

 社説の表題は、「マリウポリ『制圧』 今こそ停戦交渉の好機だ」というもの。今なら、双方が和解交渉のテーブルに着ける。今を逃せば、戦闘は長引き、痛ましい犠牲が際限なく重なることになる。今こそ、国際社会は両国に停戦をうながすべきだ、という。何よりも人命尊重という立場からの、説得力をもつ提言だと思う。

 この社説は、主としてロシア側の事情を述べる。「ロシア軍はウクライナ南東部のマリウポリを完全制圧した。…今ならロシアは戦果を強調できる」「製鉄所で抵抗したアゾフ連隊はロシアが「ネオナチ集団」と呼ぶ部隊。その拠点を制圧したことで国内に戦果をアピールできる」というだけでなく、「ロシア兵の戦死者は約1万5千人に上り、部隊は疲弊しているという。西側諸国の経済制裁でロシア国民の生活も苦しいとみられる」ともいう。タテマエもホンネも、ここがプーチン政権にとっての拳の下ろしどころだというのだ。

 一方、「ウクライナ側も激しい反撃で『負けていない』とアピールできる」「マリウポリは制圧されたが、黒海に面し穀物の主要積み出し港があるオデッサは制圧されておらず経済的な致命傷には至っていないもよう」「しかし、民間人の死者は数万人に上り壊滅状態の街も多いという」。ウクライナにとっても、戦争の継続はとてつもなく苦しい。お互いに「まだ負けていない」と言える状況にある今だからこそ、停戦へのテーブルに着くリアリティがある。「残された課題についての交渉やロシアの戦争犯罪への追及は停戦した上で、時間をかけて話し合い、解決を模索すればよい」というのがこの社説の説くところ。

 最後は、こう結ばれている。「ウクライナ侵攻は住民の4人に1人が亡くなった沖縄戦と重なる面が多い。『命どぅ宝』の観点からも一日も早い停戦こそが最善の道だ」

 「正義」を第一義と考える立場からは、「マリウポリをロシアに譲っての停戦は、侵略によって獲得した利益の享受を認めることになり、とうてい容認できない」ことになろう。「少なくとも、2月24日開戦以前の原状に復すことがなければ、侵略という不正義に成功を許すこととなる。この不正義を認めてはならない」という立論。これが、間違った見解であるはずはない。

 しかし、「命どぅ宝」を第一義とすれば、琉球新報社説のごとき別の意見となる。「市民であれ兵士であれ、またウクライナ・ロシアの国籍を問わず、人の命は、全てかけがえのないものではないか」「停戦の条件があれば、まずは停戦を第一選択とし、その余のことは停戦後に、粘り強く交渉で解決すべきではないか」。この見解も、非難さるべきところはない。

 「正義」を重んじて不正義の停戦を拒絶する立場には、「停戦を先延ばしにしての国民の犠牲を厭わないのか」「この世に、生命以上に大切がものがあるのか」「領土や国境にいかほどの意味があるのか」「大きな譲歩には屈辱が伴うだろうが、プライドより命がずっと大切だろう」「祖国や民族のために死ねと言うのか」などという反論が予想される。

 それには再反論があり得る。「いや、停戦を拒否して戦うのは、大切な自分と身近な人の命を守るためなのだ」「一人では戦えない。自分の命を守るためには強大な軍事力を作って、自分もその任務の一部を担って戦うしかないのだ」と。もちろん、「命どぅ宝」派がそれで納得はしない。「結局、為政者が国民を戦争に動員する理屈と同じではないか」

 ゼレンスキー大統領は、ウクライナからの成人男性の出国を認めることを求める請願書について、「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」と不快感を示したと報道されている。この姿勢に、右派は喝采するだろうが、リベラルは鼻白む。「靖国の英霊」を利用して、戦争を拡大した皇軍と同じ論法なのだから。

 結局、戦争が始まってしまえば、停戦は難しい。個人が戦争から逃げることも難しい。容易に抜け出す出口は見えて来ない。教訓は、絶対に戦争は避けなければならないということ。そのための努力を惜しまず、知恵も働かせたい。

ロシア国営放送での戦況悪化への批判は、プーチン政権を揺るがすことになるだろう。

(2022年5月20日)
 ニューズウィーク日本語オンライン版に、興味深い記事が続いている。昨日の記事の表題は、「ついにロシア国営TV『わが軍は苦戦』 プロパガンダ信じた国民が受けた衝撃」というもの。原題は、「Russian People Surprised to Find Out Ukraine War Not Going Well on State TV」。ウクライナでの戦況が、「Not Going Well」であることが、「State TV」で公然と語られているというのだ。このことに、「Russian People」が「Surprised」というのだが、我々も驚かざるをえない。

 戦況の悪化は銃後の社会の空気を変え、政治状況をも変えかねない。そのような事態を避けるための報道統制なのだが、もはや覆うべくもない戦況の劣勢が明らかで報道統制困難となりつつあるのだ。プーチン政権、実は見かけほど強くはない。あらゆる面での破綻が見え初めている。さして長くは持たないのではないか。

 これまでは愛国心むき出しに戦果を強調してきたのが、ロシアの国営テレビだったはず。それが、遠慮なく「ロシア軍の状況は悪化する」との見通しを述べるようになっている。「大本営発表はウソだった」「王様は実は裸なのだ」というのだから、その衝撃が小さかろうはずはない。

 「国営TV局『ロシア1』のトークショーでは、番組司会者のウラジミール・ソロヴィヨフが兵站への不満をぶちまけた。『我々の兵に何かを届けるのは事実上不可能では。この不満は100回も述べてきた』『ドンバス地方に何かを持ち込みたいなら、(西部)リヴィウのウクライナ税関を通す方がまだ早い』」

 ソロヴィヨフはこれまでプーチン政権のプロパガンダを積極的に担ってきた人物。デイリー・メール(英)紙は「プーチンの最も有名な操り人形のひとつ」であるソロヴィヨフが軍部を「公然と批判しはじめた」と報じた。

 同紙は続けてこう言っている。「ウクライナ政府転覆をねらう『特別軍事作戦』に数日間を見込んでいたところ、突入から2ヶ月以上が経つ。プーチンの太鼓持ちたちでさえ、進展のなさに言い訳が尽きたようだ。」

 番組出演者らは口々に、兵士たちが「去年の装備(もはや旧式となった装備)」で戦地に送り出されていると述べ、近代化が遅れるロシア軍の状況を憂慮した。

 これに対して、ある視聴者は「去年の装備をもたされ、去年の戦争に、去年の思考と信念をもった指導者によって送り出される。あなた方の華麗な失敗に祝福を。ウクライナに栄光あれ」とのコメントを残した。

 戦地での局所的な問題だけでなく、ロシアには国家として長期化する戦線を支えるだけの経済力が残っていないのではないかとの指摘も国内から出はじめている。軍事評論家のコンスタンティン・シヴコフ氏はTV出演を通じ、「我々の現行の市場経済は、我々の軍の需要に耐えることができない」との分析を示した。

 豪ニュースメディアの『news.com.au』はこうした一連の批判劇を動画で取り上げ、「ウラジミール・プーチンのくぐつメディアがついにプーチンに背を向けた」と報じた。「プーチンのプロパガンダ機関らが、ロシア軍の状況をおおっぴらに批判しはじめた」とし、軍部への不満が表面化していると指摘しているという。

 さらに話題になっているのは、軍事アナリストのミハイル・キョーダリョノクによる発言。「ロシア1」は、プーチン大統領によるウクライナ侵攻について愛国的なトーンで報道を行っているが、キョーダリョノクは同チャンネルの番組「60ミニッツ」の中で、ロシア軍には物資も兵力も不足していることから、兵を総動員しても戦況が大きく好転することはないとの予測を語った。「我々には、(前線への投入に備える)予備隊がないのだ」と氏は述べている。

 彼は防空司令官から軍事評論家に転身し、2020年には「祖国貢献勲章」を受賞した人物。「事実上、全世界が我々に反対している」と、ロシアが国際社会で孤立していることを認め、さらに、重要なのはウクライナ軍が「最後の一人になるまで戦う」意思を持っていることだとし、ロシア軍は士気の高いウクライナ軍を相手に、厳しい戦いに直面することになるだろうと述べた。

 ウクライナ政府は、100万人を動員して、西側諸国から供与を受けた武器で武装させることができると述べ、ロシア軍にとっての状況は「率直に言って悪化するだろう」と指摘した。

 また彼は5月の初め「ロシア1」に出演した際に、ロシア国民を総動員しても、大した戦果は挙げられないと述べ、その理由として、ロシアが保有する時代遅れの兵器では、NATOが(ウクライナに)供与した兵器には太刀打ちできないからだと指摘してもいた。

 戦況の悪化が正確に国民に伝わり、しかも挽回が無理だとなれば、若者の命を無駄に捨てるなという世論が起こることになる。「ロシアの社会の空気を変え、政治状況をも変えかねない」という事態が始まりつつあることを予感させる。

何かしたいと思う方。プーチンに、抗議ハガキを出しませんか。

(2022年5月11日)
 なんということだ。本当の戦争が始まっている。自分の国の戦争ではないが、砲弾が飛び交い、街が焼かれている。人が人を殺し、建物を壊し、略奪もしている。多くの人が難民となって逃げている。この時代に、信じられないなんという野蛮な出来事。

 戦争、こんなに罪なものはない。侵攻したロシアが優勢となれば、ウクライナの人々が殺される。ウクライナが押し戻せば、ロシアの若者が死ぬ。人の血が流れれば、その家族の涙が溢れる。戦争が長引けば、人々の不幸も積み重なる。どちらかの勝利で決着すれば、敗戦国の被害が甚大となる。

 どうしたら、この戦争をこれ以上の被害なく止めさせることができるだろうか。なにか、自分のできることはないか。そう考えていたところに、「救援新聞」(5月15日号)に、「プーチン大統領に 抗議ハガキを出そう」という呼びかけ。なるほど、戦いを始めたのがプーチンなのだから、戦いを終わらせることだってできないはずはない。宛先は、「在日本・ロシア大使館」である。これなら、私にもできる。

ウクライナヘの侵略は中止を
プーチン大統領に抗議ハガキを出そう

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 ウラジーミル・プーチン大統領 殿

国連憲章に違反するウクライナヘの侵略に抗議します。

人を殺さないでください。
戦争に反対する人を逮捕しないでください。
逮捕した人は釈放してください。
核兵器は使わないでください。
話し合いで解決する努力をしてください。
もうこれ以上、血を流さないでください。

住所
氏名

私のひとこと

*上記のハガキ案も活用して、抗議の声をとどけましょう。
【要請先】
 〒106?0041 東京都港区麻布台2丁目1?1
       駐日ロシア連邦大使館
     ウラジーミル・プーチン大統領 殿
 

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 この案文はよくできている。それに、救援会らしさもよく出ている。「人を殺さないでください」が最重要の一文だろうが、私も幾つかの「案文」を考えて見た。

☆人を殺さないでください。人を殺させないでください。
☆どんな理由があっても、軍事侵略は許されません。
☆直ちに、戦闘を停止してください。
☆直ちに、軍隊をロシアに返してください。
☆終戦処理を国連の安保理事会で話し合ってください。
☆このままでは、あなたがヒトラー。
☆絶対に核兵器を使ってはなりません。

☆あなたが始めた戦争です。あなたの責任で終わらせなさい。

「法と民主主義」5月号紹介。「ロシアのウクライナ侵略に抗議する ― 9条徹底の立場から」

(2022年5月6日)
 「法と民主主義」2022年5月号【568号】が、連休にはいる前の4月27日に発刊になっている。特集は、「ロシア―ウクライナ問題」だが、メインタイトルは、「ロシアのウクライナ侵略に抗議する」。そして、副題が「9条徹底の立場から」。拠って立つ立場を明確にしての、平和論であり、9条改憲反対論の特集である。いずれも、時宜にかなった力作。掛け値なく読み応えは十分。学習(会)資料としても使える。ぜひ、ご購読だけでなく、熟読いただきたい。

特集・ロシアのウクライナ侵略に抗議する ― 9条徹底の立場から

◆戦争はやめろ! 絶対に殺すな! ── 特集にあたって … 新倉 修
◆巻頭論文●ウクライナ危機における国際法と国連の役割 … 松井芳郎
◆インタビュー●軍事侵攻の根本原因と市民社会の役割を考える … 君島東彦
◆ウクライナ戦争と日本政府の責任、そしてわれわれは … 和田春樹
◆歴史の針を巻き戻すプーチンの戦争 … 木畑洋一
◆軍事侵攻を契機とする反9条論と改憲論 … 清水雅彦
◆台湾有事の発生を阻止するための外交力こそ … 猿田佐世
◆ウクライナ侵攻を考える ── イラク訴訟の経験から … 川口 創
◆そして、誰もいなくなる前に ── 核兵器による威嚇を許さない … 和田征子
◆ロシアにおける「言論抑圧」 … 竹森正孝
◆ロシアの軍事侵攻に抗議する各地の運動 … 大山勇一
◆【資料】
 ・ウクライナ侵略をめぐる動き
 ・ロシアのウクライナへの軍事侵攻に対する平和を求める声明等を発出した団体

◆連続企画・憲法9条実現のために(37)
 「核共有論」の非現実性 … 前田哲男
◆司法をめぐる動き〈73〉
 ・旧優生保護法国賠訴訟 大阪高裁判決の意義 … 安枝伸雄
 ・3月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2022●《「核時代の戦争」と世論・情報・メディア その2》
 君は「核戦争」を想定するのか? テレビ、新聞での議論を考える … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№12〉
 明るいリアリスト … 松井繁明先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№40〉
 敵基地攻撃能力について「〔基地だけでなく〕中枢を攻撃することも含むべき」と
 主張する安倍晋三元首相 … 飯島滋明
◆インフォメーション
 あらためて緊急事態条項創設改憲案に反対する法律家団体の緊急声明/
 「改憲ありき」の拙速な憲法論議に異議あり(いま、憲法審査会は?4・7院内集会)
◆時評●プーチンによるウクライナ侵略 … 大久保賢一
◆ひろば●司法の限界? ── 一部に停止命令、一方で工事進行 … 丸山重威

https://www.jdla.jp/houmin/backnumber/pdf/202205_01.pdf

 松井芳郎巻頭論文が必読であることは当然として、君島東彦インタビューが短いながらも印象的である。ウクライナ国内にも、ウクライナの軍事行動を批判する平和運動があることを紹介したあとに、次の言葉がある。

 「日本国憲法の平和原理の核心は、安全を確保するために軍事力依存を極小化し(軍事主権の放棄)、他国との信頼関係を構築するというもの(共通の安全保障)です。安全保障のためにはなによりも武力紛争を「予防」するために積極的に行動することが大切です。21世紀に入って、『受け身の応答から積極的な予防へ』と言われるようになりました」

 そして、「積極的な武力紛争予防」のキーワードが「信頼関係」の構築であるという。「市民に求められているのは、軍事力を使えない環境―信頼関係―を作る努力です」「国境を越えて連帯する市民、越境的市民の連帯が東アジアにおいて平和を構築する努力をしているのです」

 また、清水雅彦論稿が、こういう比喩を述べている。耳を傾けたいと思う。
    
「人が強盗にあったとき、
   ? 強盗が刃物を持っていようが闘う
   ? その場から逃げる
   ? 強盗の要求通り財布を差し出す
という選択肢が考えられるが、?や?の選択を責めることはない。
 しかし、これが国家による戦争だと、なぜ戦うことが当然かの議論になるのだろうか」
 「今回の件でも、ウクライナ国民が
   ? ロシア軍と戦う 
   ? 国内外に逃げる
   ? 降伏する
という選択肢から自身の判断で選択できるのが望ましく、兵役の拒否も保障されるべきである。特に?は屈辱的なことではあるが、犠牲者を最小限にする。時間がかかっても国際世論を背景にした非軍事・不服従等で抵抗するという選択肢もあるはずだ。単純に「非武装」「非戦」(無抵抗ではない)がダメとはならない」

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 なお、「『維新』とは何か」を特集した「法と民主主義」4月号【567号】の売れ行きが好調で、在庫が枯渇しそうとの報告。ぜひ、こちらも、お早めの申し込みを。

https://www.jdla.jp/houmin/backnumber/202204.html

9条改正「不要」57%ー北海道新聞世論調査の朗報

(2022年4月29日)
 本日は「昭和の日」。大型連休の初日だが、東京は生憎の本降りの雨。しかも肌寒い。ツツジも、サツキも、フジも、冷雨にうたれて気の毒の限り。
 
 このぐずついた天候のごとく、このところよいニュースがない。コロナ・ウクライナ・知床事故・道志村…。そして、諸式の物価高である。世の物価はなべて上がるが、賃金は上がらない、年金は下がる。株価だけが人為的な操作で持ちこたえ、持つ者と持たざる者との格差拡大に拍車がかかる。これでどうして、政権がもっているのやら。さらには、敵基地反撃能力だの、中枢機能攻撃だの、核シェアリングだの、防衛費倍増だの。ヒステリックで物騒極まりない見解が飛びかっている不穏さ。

 そう思っていたら、北海道新聞のデジタル版に、以下の記事。
 「改憲の賛否再び拮抗 9条改正「不要」57% 本紙世論調査」というのだ。これは朗報である。闇夜に一筋の光明とは大袈裟だが、元気が湧く。

  「5月3日の憲法記念日を前に、北海道新聞社は憲法に関する全道世論調査を行った。

 憲法を「改正すべきだ」は42%(前年調査比18ポイント減)、
 「必要はない」は43%(同13ポイント増)

 で拮抗(きっこう)した。
 前年は新型コロナウイルスへの不安の高まりなどを背景に改憲意見が強まったが、再び賛否が二分する状態に戻った。

 戦争放棄を定めた憲法9条については「改正すべきではない」が前年から横ばいの57%で、「改正すべきだ」の35%(同1ポイント減)を上回った

 自民党などはロシアによるウクライナ侵攻を機に9条改正に向けた議論の進展を図っているが、市民の間に改憲論は強まっていないことが浮き彫りになった。

 これが、憲法記念日直前の、全道の憲法意識なのだという。これから、順次全国の世論調査が実施され結果が発表されることになるだろうが、「市民の間に改憲論は強まっていないとは幸先のよい調査結果ではないか。

 いま、ロシアのウクライナ侵攻を奇貨として、反憲法勢力が懸命に笛を吹いている。曰わく、「自分の国は自力で防衛しなければならない」「平和を望むなら、軍事力の増強が不可欠である」「それに桎梏となっている憲法を、とりわけ9条を変えなければならない」と。

 この笛を吹いている側の勢力が、自・公・維・国の保守4党。しかし、国民はけっしてこの笛に踊らされてはいないのだ。むしろ、平和への危機意識が「9条守れ」の声に結実しているのではないか。道新の世論調査が、貴重なその第一報となった。さて、これから、メーデーがあり、憲法記念日となる。改憲阻止の世論を大きくしていきたいもの。

 ところで、「昭和の日」である。昭和という時代は1945年8月敗戦の前と後に2分される。戦前は富国強兵を国是とし、侵略戦争と植民地支配の軍国主義の時代であった。戦後は一転して、「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」から再出発した、平和憲法に支えられた時代。戦前が臣民すべてに天皇のための滅私奉公が強いられた時代であり、戦後が主権者国民の自由や人権を尊重すべき原則の時代、といってもよい。

 本日は、戦前の軍国主義昭和を否定し、戦後の平和主義昭和を肯定的に評価すべき日でなくてはならないが、なんと、本来の「昭和の日」に、もっともふさわしからぬ人物の誕生日を選んだことになる。疑いもなく、昭和天皇と諡(おくりな)された裕仁こそが、戦前の狂信的軍国主義を象徴する人物にほかならないのだから。

 あの昭和前期の軍国主義の時代、国民には裕仁や軍部の手口が、見えなかった。いま、プーチン・ロシアが、隣国ウクライナに侵略戦争中の「昭和の日」を迎えてこのことを思い起こすべきだろう。

 プーチンの国内世論の支持はすこぶる高いと報じられている。皇軍の侵略を支えた日本国民の民意はそれを圧倒するものだったろう。プーチンの手口はヒロヒトの軍隊とよく似ている。戦前の日本の歴史を見据えて、プーチン・ロシアの責任を見極めよう。そして、プーチンもヒロヒト同様に、内外に戦争の惨禍をもたらした戦争犯罪者であり、平和への敵であることを確認しなければならない。

 戦前の軍国主義昭和を否定し、戦後の平和主義昭和を肯定する立場からは、憲法の理念を擁護し、憲法の改正を阻む決意あってしかるべきである。そうであって初めて、「昭和の日」の意義がある。

ヒトラー・ムソリーニ、そしてヒロヒト。その評価が社会の深層を映し出している。

(2022年4月25日)
 似合いというものがある。あるいは釣り合いというべきか。鶴には亀、梅に鶯、富士には月見草。翁には嫗、ロミオにはジュリエット、そして、ヒトラーにはヒロヒトである。ウクライナ政府の公式ツイッター上の動画で、せっかくヒトラー・ムソリーニと並べられていた昭和天皇(裕仁)の顔写真が、自民党経由の外務省の要請で削除されたという。おやおや、なんという不粋な。お似合いの仲を裂かれて、ヒトラーもヒロヒトも、泉下でさぞ無念の思いではなかろうか。

 ウクライナ政府が、「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」という字幕と共にこの3名の顔写真の動画を掲載したのは、4月1日のことだという。もちろん、プーチン並みの戦争犯罪者としての非難の意を込めてのことである。

 戦前の日・独・伊枢軸3国が侵略国家であり、反人権・反民主主義の全体主義だったことも、その各国の象徴たる人物がヒトラー、ムソリーニ、そして紛れもなくヒロヒトであったことも、世界に共通の常識である。その全体主義好戦国家の敗北は世界的に見れば慶事であった。このキャプションも、プーチン非難にピッタリのお似合い3人組写真掲載も、怒る筋合いはなく、謝るべきことでもない。

 但し、ウクライナ政府には、ちょっとした誤解があったようだ。ドイツやイタリアと同様に、日本も全体主義の過去を清算した民主主義社会になっていると思い込んでいたのではないか。実はそうではなかったことに今ごろ気が付いて、愕然としているのだろうと思う。え?、日本ってまだ戦前と同じなのか?。

 もしかしたら、ウクライナ政府の実務担当者は、ヒロヒトが戦後も天皇として生き延びたことを知らなかったのではないか。また、戦前は神であった天皇が戦後公式には人間となったが、洗脳から逃れられない多くの民衆からいまだに神同然の信仰対象となっていることも。戦前は臣民であった国民が戦後公式には主権者となったが、実は多くの民衆がいまだに臣民根性そのままであることも。さらには、枢軸時代の国旗や国歌だった「日の丸・君が代」を、日本だけが旧態依然として後生大事に護持していることなども。

 ヒトラー・ムソリーニの思想を清算し克服してきた今のドイツやイタリアは、ヒトラーを批判してもムソリーニを非難しても、なんの問題も起こらない。両国ともに、世界の常識が通じる国になっているからである。ところが、日本はそうなっていない。天皇をヒトラーと並べれば、キリスト教徒がイエス・キリストを侮蔑されたごとくに、イスラム教徒がマホメットを誹謗されたごとくに、ヒステリックに喚くのだ。神聖な天皇教の教祖を、戦争犯罪人として扱ったなどとして。ヒロヒトの評価によって、日本社会の深層が炙り出される。

 このヒステリックな抗議を受けて、ウクライナ政府は昨日、ツイッターに投稿した動画から昭和天皇裕仁の顔写真を削除し、謝罪した。やれやれというところだが、謝罪の言葉は難しい。ウクライナは世界の常識に従っただけ、なにも間違っていないからだ。「誤りを犯したことを心からおわびします。友好的な日本の方々を怒らせるつもりはありませんでした」とだけ述べたという。これが精一杯だろう。「怒らせるつもりはありませんでした」のあとに、「どうして皆さんが怒るのか、理解も納得もできてませんけれど…」という余韻が残る。

 ナザレンコ・アンドリーという在日のウクライナ人の幾つかのツィッターが目にとまつた。4月24日付の以下のものが、その典型。正常な神経ではない。

 「ウクライナ公式垢(ママ)は、本当に言葉が出ない程失礼なことをやらかした。「日本の教科書だって同じ歴史観」では済まされない。必ず責任者を特定して、直接抗議し、正しい歴史認識を教える。一般的なウクライナ人との感覚はズレがひどすごる。二度と広報に関わるべきではない。売国奴レベル。」
 
 「正しい歴史認識」「売国奴」という言葉づかいは右翼のもの。右翼を代表するこの人物に聞いてみたい。「正しい歴史認識を教える」っていったい何を教えようというのか。まさか、昭和天皇(裕仁)に近隣諸国への侵略の意図も責任もないということではあるまい。それは、「正しい歴史認識」ではなく、「歴史修正主義」というのだから。

 それ以外にも、幾つかのツィッターにお目にかかった。

 ふざけるのもいい加減にしろ。ヒトラーと一緒にするな!
 昭和天皇とアドルフ・ヒトラーを一緒にするな。日本にとってひどい侮辱だ。
 (この種のツィートが少なくない。これは、深刻な社会心理学的研究テーマであろう)
 
 金輪際ウクライナは応援しない!
 支援を即、止めろ。そして支援した金も全て返してもらえ。
 ウクライナを支援する気持ちがまったく失せた。謝罪がなければ、応援しない。
 (結局は、ウクライナに対する日本の支援は反ロシアの感情だけからのもので、侵略戦争の被害救援という動機ではないようなのだ)

 ゼレンスキーのパールハーバー演説で怒りの声をあげないからこうなるんだよ!
 ゼレンスキーのパールハーバー発言を許すからこういうことになる!
 (結局、ナショナリズムの呪縛から逃れられず、好戦的日本についての反省のない人々の妄言なのだ)

 改めて思う。全ては、戦前の天皇制プロバガンダによるマインドコントロールを脱し切れていないことからの椿事なのだ。天皇制恐るべし、である。

侵略2か月、ロシアの民衆はプーチンの戦争を支持し続けるだろうか。

(2022年4月24日)
 本日でロシアのウクライナ侵略開始から2か月となった。この2か月間、戦争というものの悲惨さ、愚かさを噛みしめ続けてきた。いま、停戦への光明はまったく見えていない。この理不尽は、いったいいつまで続くのだろうか。

 憎しみ合い、殺し合い、奪い合い、破壊し合い、欺し合い、環境を汚染するのが戦争である。どうしてこんなことが起きるのか。どうしたら、この不幸の源を世界から駆逐することができるのだろうか。

 この戦争は明らかにロシアの側から仕掛けられたものである。軍事大国ロシアの大義のない隣国への侵略戦争。ロシア国内の開戦批判世論が、侵略に踏み切った政権を揺さぶることになるだろう、私は期待も込めて当初はそう考えた。

 ところが、これまでのところそうなっていない。ロシア国民の政権支持率は、開戦後大きく上昇したという。政府系の世論調査機関の調査だけでなく、独立系の世論調査機関レバダ・センターの調査結果も、3月の支持率は83%を記録し、2月の71%から12ポイントも上昇したという。

 そもそも戦争とはナショナリズムを高揚させ、政権の求心力を高めるものだからなのか。あるいはプーチン政権が国内向けプロバガンダに成功しているということなのだろうか。

 だが、大局を眺めればロシアの軍事的な思惑は大きく挫折している。当初はウクライナの首都占領を目指した進軍は思わぬ反撃を受けて撤退を余儀なくされ、兵力を東部への侵攻に集中させてはいるが作戦の進展は思うとおりにはなっていない。制空権を掌握できないことは、侵攻当初から指摘されてきた。黒海艦隊の旗艦『モスクワ』の沈没もあり、兵の士気は低いと報じられてもいる。さらには国際世論の厳しい批判は身にこたえているに違いなく、国際的な経済制裁もこれから効果を発揮してくるだろう。軍事費浪費の負担に財政がどこまでもつのかという問題もある。

 そんな状況で迎えた開戦2か月目の報道の中に、「侵攻継続以外の選択肢なし=支持率の低下懸念―プーチン政権」という〈リビウ発時事配信〉記事に目がとまった。

 ロシアの独立系メディア「メドゥーザ」が22日、ロシア大統領府に近い複数の関係者の話として報じたところによると、政権内では数週間前から戦闘終結に関するシナリオが検討され始めた。しかし、プーチン氏の支持率低下を避ける「出口戦略」を見いだせず、停戦交渉のための世論づくりを放棄し「すべて成り行きに任せる」ことになった、という。

 この報道だけではその真偽を判断しがたいが、こうした方針に至ったことについて、以下のようにプーチン政権の判断理由が述べられている。一言で言えば、ロシアの中産階級の間では侵攻を支持する割合が高く、中途半端な形での幕引きで不満が高まることを警戒したからだというのだ。

 「メドゥーザが引用した、13?16日にモスクワ市民1000人を対象に行われた世論調査結果によると、「実質的に何でも買える」収入を得ている層では、「軍事作戦の継続に賛成」が62%で、「停戦交渉に賛成」の29%を大きく上回った。収入的にその一つ下の層でも、作戦継続賛成が54%で、交渉支持は37%。これが「食費も十分でない」層になると、停戦派が53%と作戦継続派(40%)を上回った。

 社会学者グリゴリー・ユジン氏はメドゥーザに対し、「ロシアの中産階級のかなりの部分が治安・国防関係者と中堅の官吏」であり、「政権の直接的な受益者」だと分析。大統領府に近い関係者も、米欧が厳しい経済制裁を科し、食品を中心に国内の物価が上昇する中でも、こうした層はそこまで影響を受けていないと指摘した。」

 つまり、戦争継続には低所得層の賛意が得られないのだが、停戦には高所得層の反発が強く、停戦に踏み切る決断はしがたいというのだ。しかし、このままでは、確実に国民生活への戦争の影響は深刻化することにならざるをえない。戦争継続反対の世論が、政権批判の世論となって、停戦せざるを得なくなるに違いない。私は、再び期待を込めて、そう思い始めている。プーチン政権の国民的な支持基盤は、けっして盤石ではなさそうなのだ。

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