澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

侵略を許さない「正義」派と、「命どぅ宝」派との停戦の可否をめぐる葛藤。

(2022年5月23日)
 琉球新報の昨日(5月22日)付社説が、波紋を呼んでいる。遠慮なくいえば、評判がよくない。右からも左からも叩かれている。
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1521022.html

 私は、よくぞ問題提起をしてくれたと思う。しかし、全面的に賛成とは言いにくい。さりとて、反論する気持にもなれない。自分のことながら、煮え切らないのだ。ただ、この社説を叩く側にまわりたくないとは思う。

 社説の表題は、「マリウポリ『制圧』 今こそ停戦交渉の好機だ」というもの。今なら、双方が和解交渉のテーブルに着ける。今を逃せば、戦闘は長引き、痛ましい犠牲が際限なく重なることになる。今こそ、国際社会は両国に停戦をうながすべきだ、という。何よりも人命尊重という立場からの、説得力をもつ提言だと思う。

 この社説は、主としてロシア側の事情を述べる。「ロシア軍はウクライナ南東部のマリウポリを完全制圧した。…今ならロシアは戦果を強調できる」「製鉄所で抵抗したアゾフ連隊はロシアが「ネオナチ集団」と呼ぶ部隊。その拠点を制圧したことで国内に戦果をアピールできる」というだけでなく、「ロシア兵の戦死者は約1万5千人に上り、部隊は疲弊しているという。西側諸国の経済制裁でロシア国民の生活も苦しいとみられる」ともいう。タテマエもホンネも、ここがプーチン政権にとっての拳の下ろしどころだというのだ。

 一方、「ウクライナ側も激しい反撃で『負けていない』とアピールできる」「マリウポリは制圧されたが、黒海に面し穀物の主要積み出し港があるオデッサは制圧されておらず経済的な致命傷には至っていないもよう」「しかし、民間人の死者は数万人に上り壊滅状態の街も多いという」。ウクライナにとっても、戦争の継続はとてつもなく苦しい。お互いに「まだ負けていない」と言える状況にある今だからこそ、停戦へのテーブルに着くリアリティがある。「残された課題についての交渉やロシアの戦争犯罪への追及は停戦した上で、時間をかけて話し合い、解決を模索すればよい」というのがこの社説の説くところ。

 最後は、こう結ばれている。「ウクライナ侵攻は住民の4人に1人が亡くなった沖縄戦と重なる面が多い。『命どぅ宝』の観点からも一日も早い停戦こそが最善の道だ」

 「正義」を第一義と考える立場からは、「マリウポリをロシアに譲っての停戦は、侵略によって獲得した利益の享受を認めることになり、とうてい容認できない」ことになろう。「少なくとも、2月24日開戦以前の原状に復すことがなければ、侵略という不正義に成功を許すこととなる。この不正義を認めてはならない」という立論。これが、間違った見解であるはずはない。

 しかし、「命どぅ宝」を第一義とすれば、琉球新報社説のごとき別の意見となる。「市民であれ兵士であれ、またウクライナ・ロシアの国籍を問わず、人の命は、全てかけがえのないものではないか」「停戦の条件があれば、まずは停戦を第一選択とし、その余のことは停戦後に、粘り強く交渉で解決すべきではないか」。この見解も、非難さるべきところはない。

 「正義」を重んじて不正義の停戦を拒絶する立場には、「停戦を先延ばしにしての国民の犠牲を厭わないのか」「この世に、生命以上に大切がものがあるのか」「領土や国境にいかほどの意味があるのか」「大きな譲歩には屈辱が伴うだろうが、プライドより命がずっと大切だろう」「祖国や民族のために死ねと言うのか」などという反論が予想される。

 それには再反論があり得る。「いや、停戦を拒否して戦うのは、大切な自分と身近な人の命を守るためなのだ」「一人では戦えない。自分の命を守るためには強大な軍事力を作って、自分もその任務の一部を担って戦うしかないのだ」と。もちろん、「命どぅ宝」派がそれで納得はしない。「結局、為政者が国民を戦争に動員する理屈と同じではないか」

 ゼレンスキー大統領は、ウクライナからの成人男性の出国を認めることを求める請願書について、「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」と不快感を示したと報道されている。この姿勢に、右派は喝采するだろうが、リベラルは鼻白む。「靖国の英霊」を利用して、戦争を拡大した皇軍と同じ論法なのだから。

 結局、戦争が始まってしまえば、停戦は難しい。個人が戦争から逃げることも難しい。容易に抜け出す出口は見えて来ない。教訓は、絶対に戦争は避けなければならないということ。そのための努力を惜しまず、知恵も働かせたい。

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