澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

次期NHK会長選考に関する要望署名運動へのご協力のお願い

下記の、各地17の視聴者団体が、今日(8月11日)から連名で、NHK経営委員会長宛先にした、署名運動を始めた。

この署名運動への賛同と拡散への協力要請の通知を受けた。
私も署名をして、多くの方への賛同と拡散への協力を要請します。

☆呼びかけ団体は以下のとおり。
 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
 NHKとメディアを語ろう・福島
 NHK問題大阪連絡会
 NHK問題京都連絡会
 NHK問題とメディアを考える茨城の会
 NHK問題を考える岡山の会
 NHK問題を考える会・兵庫
 NHK問題を考える会・さいたま
 NHK問題を考える堺の会
 NHK問題を考える滋賀連絡会
 NHK問題を考える奈良の会
 NHKを憂える運動センター・京都
 NHKを考える東海の会
 NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
 政府から独立したNHKをめざす広島の会
 「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC)
 時を見つめる会
 放送を語る会
 籾井さん!NHK会長やめはったら受信料払います京都の会

☆要望書のタイトルは、
「次期NHK会長選考にあたり、籾井現会長の再任に絶対反対し、推薦・公募制の採用を求める」
というもの。

☆署名による経営委員会長宛の要望事項
1. 公共放送のトップとして不適格な籾井現会長を絶対に再任しないこと
2. 放送法とそれに基づくNHKの存在意義を深く理解し、それを実現できる能力・見識のある人物を会長に選考すること
3. 会長選考過程に視聴者・市民の意思を広く反映させるよう、会長候補の推薦・公募制を採用すること。そのための受付窓口を貴委員会内に設置すること

☆署名用紙の全文(呼びかけ団体、署名運動の趣旨、要望事項、署名欄、署名用紙の郵送先などを記載)は下記URLを参照してください。
  http://bit.ly/2aVfpfH

☆ネット署名も受け付けています。
  https://goo.gl/forms/G43HP83SSgPIcFyO2
 署名に添えられたメッセージを、個人情報を省いて、ネット上で公開しています。
  https://goo.gl/GWGnYc

☆署名の第一次集約とその提出予定
  第一次集約日 9月10日(土)
  第一次分提出予定日 9月12日(月)
  (9月13日(火)が経営委員会長定例会長となります)

☆ 要望事項に添えられた要請文は下記のとおり。
 来年1月に籾井現会長の任期が満了するのに伴い、貴委員は目下、次期NHK会長の選考を進めておられます。
 私たちは、放送法の精神に即して、NHKのジャーナリズム機能と文化的役割について高い見識を持ち、政治権力からの自主・自立を貫ける人物がNHK会長に選任されることを強く望んでいます。
 籾井現会長は、就任以来、「国際放送については政府が右ということを左とは言えない」、「慰安婦問題は政府の方針を見極めないとNHKのスタンスは決まらない」、「原発報道はむやみに不安をあおらないよう、公式発表をベースに」など、NHKをまるで政府の広報機関とみなすかのような暴言を繰り返し、視聴者の厳しい批判を浴びてきました。このような考えを持つ人物は、政府から自立し、不偏不党の精神を貫くべき公共放送のトップにはまったくふさわしくありません。
 次期会長選考にあたっては、視聴者の意思を反映させる、透明な手続きの下で、ジャーナリズム精神を備え、政治権力に毅然と対峙できる人物が選任されるよう、貴委員会に対し、以下のことを強く要望いたします。

皆さま、ご協力のほど、よろしくお願いします。
  ********************************************************************
ジャーナリズムの本領は、国民の知る権利に応えることにあります。
国民の知る権利の対象は、時の政権が国民に知らせたいことではなく、国民に知らせたくないことにほかなりません。 国民の知りたいこと、知るに値することは、時の政権に不都合なこと。これを国民に知らせることが、NHKの使命ではありませんか。

権力から独立してこそのジャーナリズムです。
政府が右と言おうと左と言おうと、これに左右されるようなことでは、ジャーナリズム失格というほかはありません。

ジャーナリズムの公正とは、権力からの独立と同義にほかなりません。
NHKの公正の度合いは、官邸からの距離ではかられます。官邸の思惑を忖度などけっしてしてはなりません。

NHKの信頼を完全に失った籾井勝人会長は失格というほかありません。
NHKの使命を全うするにふさわしい、識見を持った会長の選考を求めます

(2016年8月11日)

ナガサキは『北東アジア非核兵器地帯』の創設を呼びかけている

8月9日、世界が長崎の祈りに耳を傾けるべき日。
「長崎原爆の日」の平和祈念式典での田上富久市長の平和宣言は、例年具体的課題に切り込むことで話題となる。薄っぺらなコピペのアベ挨拶との対比での話題も例年のこと。

具体的で分かり易い、そして真摯な思いのこもった平和宣言の文章に敬意を表せざるを得ない。

今年も、核抑止力論を批判した次のくだりに迫力がある。
「日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである『北東アジア非核兵器地帯』の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの『英知』を行動に移すリーダーシップを発揮してください。」

これがアベの面前でのスピーチである。アベには耳が痛かっただろう。もっとも、アベが聞こえる耳を持っていればの話だが。

被爆地で、核廃絶を願う立場の市長にしてみれば、国の安全をアメリカの核の傘に依存する基本政策は到底受け容れがたいのだ。あたかも、核の保有こそが平和の礎という、国の方針がある如くではないか。そもそも、「作らず、持たず、持ち込ませず」のうち、「持ち込ませず」が有名無実になっており、核密約が存在していたことも公然の秘密。

「非核三原則の法制化」は、有名無実の「持ち込ませず」原則をあらためて、米国に遵守させることなのだ。アメリカの核の傘から脱することによって、「核兵器廃絶を訴えながら、核抑止力に依存する」という矛盾を解消できることになる。

「それで、国の安全は大丈夫?」と不安な人に対しては、「核抑止力に頼らない安全保障の枠組み」としての「北東アジア非核兵器地帯」の創設が呼びかけられている。

2012年長崎平和宣言では、こう言及されているという。
「『非核兵器地帯』の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年(2012年)は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも『北東アジア非核兵器地帯』への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。」

『北東アジア非核兵器地帯』構想は、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、日本の3カ国を「地帯内国家」として、日本の非核三原則をモデルに非核兵器地帯条約を締結する。そして、中華人民共和国、ロシア連邦、アメリカ合衆国の周辺3カ国を、「近隣核兵器国」として、地域内国家3カ国に対する核攻撃をしない「消極的な安全」を保証する議定書に参加するという方式。よく練られた、現実性のある提案というべきだろう。

今年の平和宣言は、こうも言っている。
「核兵器の歴史は、不信感の歴史です。国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。」

アベの耳に届いただろうか。

そして私たち自身も、問われている。
「市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。」

今年の平和宣言は、やや悲痛な趣がある。両院とも、改憲勢力の議席数が、3分の2を越えたという事態が悲痛の原因ではないか。
「このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの『英知』を結集してください。」
(2016年8月10日)

「本郷・湯島九条の会」は、平和を守るため、ますます元気に街宣を続けます。

本郷にお住まいの皆さま、三丁目交差点をご通行中の皆さま。こちらは地元の「本郷・湯島九条の会」です。憲法を守ろう、憲法の眼目である平和を守ろう。憲法9条を守り抜いて、絶対に戦争は繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう志を持つ仲間が集まってつくっている小さな団体です。私たちは小さいけれど、全国に7500もの「九条の会」があります。全国津々浦々で、9条を守る活動をしています。

猛暑の8月です。71年前、敗戦の年の8月も暑かったといいます。8月こそは戦争を思い出し語らなければならない季節です。あの戦争で、310万人の日本人が命を失いました。2000万人といわれるアジアの人々が侵略戦争の犠牲となりました。あの廃墟のなか、私たちは、再び戦争の惨禍を繰り返してはならないと誓いました。その誓いが、日本国憲法に結実したのです。

憲法9条は、おびただしい戦争犠牲者を含めた日本人全体の決意であるとともに、アジアの人びとへの不戦の誓約でもあります。夏、8月は、そのことを思い起こす日としなければなりません。

しかし、日本の現状はどうでしょうか。憲法を破壊し、9条を形骸化しようという危険なアベ政治の暴走が続いています。先程来、お話しがあったとおり、参院選と都知事選が終わりました。憲法を守ろうという旗を立てている私たちにとっては、けっして納得のいく結果ではありません。

案の定、選挙前には控えられてきたアベ政権のホンネの動きが、選挙が終わるや否や、無遠慮に始まっています。小池百合子都政も同じです。

思想家ルソーが言っていることを思い出します。「イギリスの人民は自分たちが自由だと思っているようだが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する投票のそのときだけのことで、選挙が終わるやいなや、次の選挙までの間はイギリス人民は奴隷となってしまう」。現状、まさしくそのとおりではありませんか。

あんなに国民から反対を受けながら強行成立した戦争法は、選挙が終わるまでは身を潜め、今動き出そうとしています。南スーダン情勢が緊迫し内戦状態になっているのに、11月派遣予定の自衛隊員は、駆けつけ警護の訓練を始めようとしているのです。

PKO5原則の遵守によって、これまでは、けっして戦地での紛争には巻き込まれないはずの自衛隊でした。今、350人の現地隊員は、営舎の外に出ることなく、ひっそりと身を潜めています。ところが、11月以後はこれが変わるのです。今度は、紛争のまっただ中に駆けつけてでも味方の援護をします。これは内戦の一方に荷担する宣言にほかなりません。紛争に巻き込まれることを覚悟しなければ駆けつけ警護はできないこと。紛争に巻き込まれるとは、史上初めて自衛隊員の命が奪われ、あるいは自衛隊員が誰かの命を奪う事態となることです。戦後71年間、平和憲法の下、日本が一人の戦死者も出さなかったという原則が崩れることでもあります。

イナダ防衛大臣の就任記者会見では、記者から「自衛隊員の戦死の持つ意味について」質問が飛んでします。イナダは何と答えたか。「自衛権の行使の過程において、犠牲者が出る事も、考えておかなきゃいけないことだろうとは思います。非常に、重たい問題だと思います。」あまりに率直。戦争法の発動は、「自衛権行使の過程において、犠牲者が出る事もある」と防衛大臣が認識しているのです。

私たちは、投票箱が閉まっても主権者であり続けなければなりません。けっして奴隷になってはならない。アベ政権にも、小池都政にも、しっかりと主権者としての目を光らせてまいりましょう。平和を守り続けるために。

月1回、第2火曜日と決めた定例街宣活動は4年目にはいった。今日は、37℃のクラクラする炎天下、6人がマイクを取って思い思いに平和を語った。今後も、雨にも負けず、風にもまけず、雪にも夏の暑さにも負けることなく、日本の平和を崩すまいとにぎやかに元気に続けていこうと、意気軒昂。
(2016年8月9日)                                               

あらためて国民主権を確認しよう。天皇生前退位の可否は、主権者の意思次第なのだ。

言うまでもないことだが、国民が主権者。その主権者の意思に基づいて天皇という公務員の職種が設けられている。天皇は、憲法遵守義務を負う公務員の筆頭に挙げられ、他の公務員と同様に国民全体に奉仕の義務を負う。その天皇は、日本国憲法においては、日本国と日本国民統合の象徴とされている。日本国憲法は、明治憲法とは明らかに異なる新たな象徴天皇の地位を創設した。たまたま、その「初代象徴天皇」に、人間宣言を経た旧憲法時代の天皇が引き続き就任し、現天皇は2代目である。

その2代目天皇が、高齢を理由とする生前退位の意向を表明した。「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」と自ら語っている。

現行皇室典範には天皇の生前退位の制度はない。しかし、憲法には、退位禁止も容認も書いていないのだから、国会で議論して皇室典範(法形式は国会で改廃できる「法律」)の規定を変えれば可能となる。どちらでもよいことで、天下の一大事ではない。天皇の生前退位が認められようと否定されようと、国民生活になんの影響もない。

高齢の天皇が、現行の国事行為に関する執務の作業量が膨大でできないというのなら、作業を最小限にしぼればよい。象徴とは存在するだけのもの。象徴であることから、なんら法的効果が導かれることはない。象徴が何らかの権利の根拠になるわけでもなく、象徴だからこれだけの執務をしなければならない義務が生じるわけでもない。象徴としての天皇は、どこに出向く必要もなく身体的動作も必要ない。国会の開会式出席などは不要だし、皇室外交も象徴と結びつくものではない。全部辞めてもよいのだ。

天皇は、「憲法が定める国事に関する行為のみを行う」とされる。そのほとんどは、書面に署名をする能力で足りる。「外国の大使・公使の接受」くらいが高齢で差し支えることになるだろうか。その場合は摂政を置くことになる。あるいは、国事行為の臨時代行者選任という制度もある。それでなんの不都合もない。

しかし、高齢の天皇が生身の人間として、天皇という職に束縛された境遇からの解放を望み、世人の注目から逃れて晩年を自由に過ごしたいというのであれば、国民の代表が国会で議論してその可否を決すればよい。

憲法22条1項は、「何人」にも職業選択の自由を保障しているが、天皇だけは「何人」の中にはいらない。天皇は憲法上の自由を行使できない。その結果、高齢の天皇は自らの意思だけでは、その地位から解放されない。国会の議論と決議に委ねられているのだ。私は、天皇が退位したいという希望なら、敢えて、その意に反する義務を押しつけ続ける必要があるとは思わない。

天皇の生前退位を認めないというのは、明治維新以後の新制度だ。象徴天皇となってからは、現天皇はまだ2代目。どんな制度設計も主権者の意思次第。伝統だの歴史だのと考慮すべきほどのものはない。

繰り返すが、「天皇の生前退位など、多くの国民にとっては子どもの保育園問題や親の介護問題ほどの重大事ではない」「天皇の願望を叶えるか否決するかは、すべて主権者国民の意思による」ことを自覚することだ。メディアにつられて大騒ぎするのは、愚の骨頂というほかはない。

但し、天皇の生前退位を認めるか否かの問題を通じて、天皇の存在や天皇のあり方が、すべて主権者国民の意思によるものであることを確認する好機ではある。これを機に、天皇制を廃止する議論が大いに巻きおこってもよいのだ。
(2016年8月8日)

「日本国憲法は、原爆死没者の遺言」ーアベ首相は、この語りかけに真摯に答えよ。

8月は、戦争と平和を考える季節。とりわけ上旬は、原爆の犠牲を見つめ直すとき。中旬はあらためて戦争の原因と敗戦の決断が遅れた理由を考え直すとき。そして下旬は、日本再生の理念を再確認するときではないか。加えて、今年の8月には改憲問題が色濃く影を落としている。沖縄の辺野古と?江の問題も絡んでいる。おまけに、天皇生前退位という、さしたる重要事ではないことに世間がかまびすしい。

昨日に引き続いて、広島の話題。

アベが本当に行きたいところは靖國神社。沖縄や、広島・長崎の平和式典は行きたくないところ。「戦争屋」「何しに来た」と罵声を浴びせられたこともあり、明らかに居心地が悪い。それでも行かざるを得ないのは、圧倒的な平和を求める世論のしからしめるところ。

これまでの「首相あいさつ」の定型から、「日本国憲法を遵守し」の一文を外すなど、密やかに姑息な抵抗を試みるのが精一杯。昨年は、「非核三原則堅持」が抜け落ちていると叩かれ、今年渋々と復活した。式典では明らかに主役ではない。脇役と言うよりは、仇役という役どころ。

昨日(8月6日)平和式典後の、被爆者7団体代表との「懇談」も、明らかにいやいやながらも応じざるを得ないからだ。いつものことながら、「ねんごろに話し合う」という雰囲気ではない。

ところで、報道されている限りでの、この席のアベ発言。
「核保有国と非核保有国の双方に協力を求め、世界の指導者や若者に悲惨な実態に触れてもらうことで被爆の実相を世界に伝え、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい」(NHK)

「(原爆症認定について)迅速な認定審査に引き続き取り組む」「唯一の戦争被爆国として、広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない」(時事)

「唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、国際社会の努力をリードし続けていく」「71年前、われわれは二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓いをたてました。そして戦後一貫して平和国家として歩んできました。この平和国家としての歩みが変わることは今後も決してありません」(赤旗)

これだけを読んで、「アベもそんなに悪くない」と早とちりする人もあるのではないか。しかし、記事の全部を読めば、アベの真意は敢えて述べていないところにあることが明らかなのだ。首相挨拶から、意識的にはずそうとした、「憲法を遵守し」や「非核三原則」へのこだわりを見なければならないように。

NHKの記事は以下のとおりで、その報道姿勢はけっして悪くない。
「広島県被団協=広島県原爆被害者団体協議会など、広島県内7つの被爆者団体の代表らは平和記念式典のあと、広島市内のホテルで安倍総理大臣と面会しました。
この中で被爆者団体側は、核保有国が入らずに国連の作業部会で議論が行われている『核兵器禁止条約』について、条約に反対する核保有国の立場に同調するのではなく、被爆国として早期の締結に向けて行動するよう要望しました。

これに対し、安倍総理大臣は、『核保有国と非核保有国の双方に協力を求め、世界の指導者や若者に悲惨な実態に触れてもらうことで被爆の実相を世界に伝え、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい』と応じました。

面会のあと、広島県被団協の坪井直理事長は、「安倍総理大臣は『過ちは繰り返さない』とか、『二度と被爆者は作らない』と言っていたが、はっきりと『核兵器をゼロにする』と言ってほしかった」と話していました。
また、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長は、「核廃絶に向けては、これまでの発言と比べて変化がなかった印象だ。被爆国の立場で『核兵器禁止条約』の締結を核保有国に働きかけてほしい」と話していました。」

つまり、被爆者のアベに対する要請は、「『核兵器禁止条約』について、条約に反対する核保有国の立場に同調するな」というものだった。これに対して、アベは「イエス」と言わなかった。核兵器禁止条約については語らず、「核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい」とはぐらかしたのだ。これは、もちろん要請に対する「ノー」というニベもない回答なのだ。被爆者の切実な要望、核廃絶を求める世論に背を向けるもの。

時事はこう伝えている。
「広島の被爆者7団体は6日、安倍晋三首相と広島市内のホテルで面会し、原爆症認定の柔軟な対応や基準の拡大、核兵器禁止条約の制定などを求めた。
 広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(71)は被爆者の高齢化に言及。『原爆症認定訴訟をしなくていいようにしてほしい』と認定基準の拡大を求めた。核兵器禁止条約についても『日本政府は核保有国に早期制定を呼び掛けてほしい』と訴えた。
 安倍首相は原爆症認定について『迅速な認定審査に引き続き取り組む』と回答。核廃絶に関しては『唯一の戦争被爆国として、広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない』と述べるにとどめ、踏み込んだ発言はなかった。
 一方、広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長(87)は昨年に続き安全保障関連法の撤回を要請したが、安倍首相は『戦争を未然に防ぐために必要不可欠だ』と説明した。
 面会後、吉岡事務局長は『核兵器を一発でも残したら人類は過ちを犯す。日本は悲惨な思いをしたのに、核兵器をなくしてほしいとなぜ発言できないのか。情けない』と苦言を呈した。」

アベのはぐらかし戦術がよく分かる記事となっている。

赤旗はさすがに厳しい。「核兵器は絶対悪 廃絶を」「被爆者、首相に迫る」「改憲企て許さない」という見出し。

「日本政府は核保有国に同調するのではなく、被爆国としての立場にたて」。6日、広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長らは、広島市の平和記念式典後、市内でおこなわれた安倍晋三首相との懇談の席上、核兵器を禁止し、廃絶する条約をすべての国に求める『ヒバクシャ国際署名』を突きつけました。

 懇談には、広島県の七つの被爆者団体の代表が参加。首相に提出した要望書には「ヒバクシャ国際署名」がもつ国際的意義が示され、「『核と人類は共存できない』『再び過ちは繰り返しません』その達成のため、私たちは息の根の止まるまで未来志向で諦めません」という強いメッセージが書き込まれています。

 佐久間氏は、強い口調で『核兵器は悪魔の兵器であり、絶対悪。非人道性が問われています』とのべ、『核保有国に核兵器禁止条約の早期制定を呼びかけられるように要望します』と厳しく迫りました。

 これにたいし、安倍首相は、署名については一言も言及しませんでした。『唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、国際社会の努力をリードし続けていく』などとのべるだけでした。

 広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は、『日本国憲法は、原爆投下の悲劇をもたらした戦争の反省からうまれたもの。戦争と原爆による死没者の遺言ともいえるものです。私たちは重ねて安保関連法の撤回を要求し、憲法改正の企てを中止することを要求します』と訴えました。

 安倍首相は、『71年前、われわれは二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓いをたてました。そして戦後一貫して平和国家として歩んできました。この平和国家としての歩みが変わることは今後も決してありません』とすりかえの答弁をしました。」

生き残った被爆者がいう「日本国憲法は、原爆死没者の遺言」という語りかけには、迫力がある。アベは、この語りかけに真摯に答えなければならない。しかし、壊憲派・アベの答えるところはない。答えようとはしないのだ。

「語られた美しい言葉は偽りで、語られなかったところに危険な真意がひそんでいる」というレトリックの典型ではないか。

気をつけよう。暗い夜道とアベの言。何を言ったかだけでなく、何を言わなかったかに心しよう。
(2016年8月7日)

稲田朋美核容認防衛大臣誕生の悪夢

都知事選の敗北を引きずっての8月である。脱力感が抜けないまま、はや原爆忌。この間、内閣改造があって、えっ? 稲田朋美が防衛大臣だと?。悪い冗談はほどほどに、と言わざるを得ないできごと。共和党の大統領候補となったトランプ同様の悪夢。と言うよりはリアリティのないマンガ的なできごとではないか。とはいえ、小池百合子都知事同様、イナダ防衛大臣が現実となっている。そもそもアベ政権の存在が、既に悪夢であり、信じがたいマンガ的できごとであり、冗談のはずの現実なのだ。

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8月3日深夜のイナダ就任記者会見は、さすがにご祝儀会見とはならなかった。記者諸君のツッコミはなかなかのもの。防衛省のホームページに防衛大臣臨時記者会見概要として掲載されている。
    http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2016/08/04a.html

見出しをつけ、多少質疑の順番を入れ替えて整理してみた。少し長いがイナダなるものがよく分かる。ぜひ目を通していただきたい。イナダが、防衛大臣として不適任なこと明々白々ではないか。こんな人物を物騒な地位に就けては、日本の安全にもアジアの平和にも有害だ。もっとも、外の省庁なら適任という意味ではない。この人、過去の自分の発言に無責任だ。質問に噛み合った答弁の能力がない。言っていることが論理的整合性に乏しい。上手に切り返す政治的センスがない。答弁に余裕もユーモアもない。要するに政治家としてはまったくダメということだ。

イナダの歴史認識を問う
Q:大臣は、日中戦争から第2次世界大戦にいたる戦争は、侵略戦争だと思いますか。自衛のための戦争だと思いますか。アジア解放のための戦争だと思いますか。
A:歴史認識に関する政府の見解は、総理、官房長官にお尋ねいただきたいと思います。防衛大臣として、私個人の歴史認識について、お答えする立場ではありません。

Q:防衛大臣としての見解を伺いたい。
A:防衛大臣として、お答えする立場にはないと考えております。

Q:大臣の就任が決まってから、中国やフランスのメディアなどが、右翼政治家と指摘していたと思うのですけれども、大臣のそれについての御見解と、自分をどういう政治家だと。
A:多分、弁護士時代に関わっていた裁判などを捉えられたりされているのではないかというふうに思っておりますけれども、私自身は、歴史認識の問題について、様々な評価はあるでしょうけれども、一番重要なことは客観的な事実が何かということだと思います。私自身の歴史認識に関する考え方も、一面的なものではなくて、やはり客観的事実が何かということを追求してきたつもりであります。その上で、私は、やはり先ほども申し上げましたように、東アジア太平洋地域の平和と安定、そしてそのためには、中国、韓国との協力的な関係を築いていくということは不可欠だろうというふうに思っております。いつでも、私は、交流というか、話し合いの場を自分から設けていきたい。そして、議論することによって、私に対する誤解も、多分払拭されていくのではないかというふうに思っております。

Q:それに関連して、前の大臣、中谷さんは、訪中についてかなり追求されていたと思うのですけれども、大臣、先ほどの質問で聞かせていただいたのですが、訪中に関する考え方を教えて下さい。
A:機会があれば、訪中したいというふうに思っております。

Q:海外メディアは、大臣の歴史問題に関しまして、南京事件について御見解がいろいろあると思うのですが、聞きたいということと、防衛省の正式な見解では、非戦闘員の殺害、略奪行為をやったことは否定できないと。正しいか、いろいろな説はあるのでどれかとは整理はできませんとあるのですけれども、この見解についてはどう御覧になられますか。
A:私が、弁護士時代取組んでいたのは、南京大虐殺の象徴的な事件といわれている百人切りがあったか、なかったか。私は、これはなかったと思っておりますが、そういったことを裁判として取り上げたわけであります。それ以上の歴史認識については、ここでお答えすることは差し控えたいと思います。

Q:外務省の方の見解は、これは政府としての正式な見解ではないと思うのですけれども、どうお考えですか。
A:外務省の見解を申し上げていただけますか。

Q:南京入城の時に、非戦闘員が殺害、略奪行為があったことは否定できないと思われていますと。具体的なニュースについては、諸説あるので政府はどれが正しいか言えませんと。歴史のQ&Aのホームページ、外務省に書いてあるのですけれども、これはいかがでしょうか。
A:それは、三十万人、四十万人という数が、南京大虐殺の数として指摘をされています。そういった点については、私は、やはり研究も進んでいることですので、何度も言いますけれども、歴史的事実については、私は、客観的事実が何かということが最も重要だろうというふうに思います。

Q:この見解については、虐殺があったと。略奪行為。民間人の虐殺であったと。数は分からないと。この認識だと思うのですけど。これはお認めになるのですか。
A:数はどうであったかということは、私は重要なことだというふうに思っております。それ以上に、この問題について、お答えする立場にはないというふうに思っています。

Q:例えば秦郁彦なんて、ああいった右の方だと思うのですが、日本軍の陣中日記ですとか、その作戦の照合とか御覧になって、捕虜になって捕まった人は、正式な軍事裁判にかけられずに殺されていると。これは、民間人ではないし、虐殺に当たる。虐殺というか、不法な殺害に当たるので、そういう意味では数万の殺害は認めざるを得ないと。これは、かなりコンセンサス的にできあがっているところだと思うのですけれども、戦闘詳報とか、先ほど「事実が大切」と仰いましたが、日本側の残した正式な記録に残る少なくとも数万の殺害というのは、認められるのかどうかというのをぜひお伺いしたいのですが。
A:秦先生を含め、様々な見解が出ていいます。何が客観的事実かどうか、しっかりと見極めていくことが重要で、それ以上について、私がお答えできる立場にはないと思います。

Q:外務省の見解についてはどうなのですか。ホームページに載っているのですけれども。外務省と防衛省、見解が違ったら困ると思うのですが。
A:外務省の見解が、政府の見解と反するということではない、当たり前のことですけれども。

Q:大臣もこの見解をとられると、従うということですか。
A:大臣もというか、私は、歴史的な問題については客観的事実が全てであり、数は関係ないという御意見もありますけれども、数を含めて客観的事実が何かということを、しっかりと検証していくことが重要だというふうに思っています。

Q:その点でのポイントというのは、ここ20年ぐらいは議論が進んでいなくて、歴史家でこれに挑戦する人ってあまりいないのですけれども、大臣、そこら辺は、事実、事実と仰られますが、この点についても、捕虜の殺害、この点、疑義があられるということなのでしょうか。
A:私がここで秦先生の見解について、何かコメントをする立場にはありません。

イナダの靖国参拝の意向について問う
Q:大臣は、靖国の参拝を心の問題だとおっしゃったけれども、かつて小泉内閣時代に、総理は堂々と靖国に公式参拝するべきだとおっしゃられていました。それが、なぜ今、防衛大臣になられて、公式参拝をするとも、しないとも言えないのですか。
A:私は、靖国神社に参拝するか、しないか、これは、私は、心の問題であるというふうに感じております。そして、それぞれ一人一人の心の問題について、行くべきであるとか、行かないべきであるとか、また、行くか、行かないか、防衛大臣として、行くか、行かないかを含めて、申し上げるべきではないと考えております。

Q:かつて、総理大臣が一国のリーダーとして、堂々と公式参拝するべきだというふうにおっしゃっていましたけれども、それとは考え方が変わったということですか。
A:変わったというより、本質は心の問題であるというふうに感じております。

Q:そのときには、総理大臣は行くべきだというふうにおっしゃっていた訳ではないですか。心の問題だというふうにおっしゃっていないではないですか。
A:そのときの私の考えを、ここで申し上げるべきではないというふうに思います。また、一貫して、行政改革担当大臣、さらには政調会長、もうずっとこの問題は心の問題であって、行くとか、行かないとかは、お話しはしませんけれども、安倍内閣の一員として適切に判断をして行動してまいりたいと思っております。

Q:行政改革担当大臣としては行かれた。防衛大臣としては、なぜ行くとも行かないとも言わないのですか。
A:行政改革担当大臣の時代にも、何度も予算委員会、それから様々な記者会見でもお尋ねを受けました。その際にも私は、心の問題であり、靖国に参拝するとか、しないとか、すべきであるとか、すべきでないとか、申し上げませんということを一貫して申し上げてきたとおりです。

Q:一国の総理大臣は、公式参拝すべきだと言っているではないですか。べきだと、「べきだ論」を言っているではないですか。
A:私は、これの本質は心の問題だというふうに感じております。

イナダの従軍慰安婦問題の認識を問う
Q:慰安婦問題に関して聞きたいのですけれども、2007年に、事実委員会が、報告をアメリカの新聞に出したのですけれど、そのときは、大臣は賛同者として名前をつけたのですけれども、慰安婦は、強制性はなかったとコメントもあったので、今の考え方は変わっていますか。
A:慰安婦制度に関しては、私は女性の人権と尊厳を傷つけるものであるというふうに認識をいたしております。今、そのワシントンポストの意見公告についてでありますが、その公告は、強制連行して、若い女性を20万人強制連行して、性奴隷にして虐殺をしたというような、そういった米国の簡易決議に関連してなされたものだというふうに思っております。いずれにいたしましても、8月14日、総理談話で述べられているように、戦場の影に深く名誉と尊厳を傷つけられた女性達がいたことを忘れてはならず、20世紀において、戦時下、多くの女性達の尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を胸に刻みつけて、21世紀は女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていくという、その決意であります。

Q:強制性はあったということですか。
A:そういうことではありません。そういうことを言っているのではありません。

イナダの沖縄・辺野古政策を問う
Q:別件になるのですけれども、先ほど沖縄の件で、大臣は辺野古が唯一の解決策だというふうに従来の政府の見解を示されました。ただ、なかなか移設は進んでいない状況があると、この根本的な原因はどこにあるとお考えでしょうか。
A:まずは、普天間の辺野古移設が決められた経緯でありますけれども、この問題の本質は、普天間飛行場が世界一危険な飛行場と言われ、まさしく市の中心部、ど真ん中、小学校のすぐ近くにあるということだというふうに思っております。そういったこの問題の本質を、やはり住民の皆様方にしっかりと説明をしていくということが必要であろうと思っております。そして、大きな議論の末に、裁判所で国と県が和解をして、和解条項が成立したわけでありますので、その和解条項に基づいて、今、国も提訴し、さらには協議も進めて行くのだということも説明した上で、誠実に対処していく必要がある、引き続き粘り強く取組んでいく必要があるというふうに思っております。

Q:住民に説明するのが必要と仰いましたけれども、防衛大臣になられて、自ら沖縄に訪問する、行きたいというお考えはありますか。
A:この問題については、しっかりと知事や県民の皆様方にも、御説明をする必要があるというふうに思っています。今、具体的にスケジュール的なものを検討しているわけではありませんけれども、その必要があるというふうに考えております。

Q:今日、午前の菅官房長官の会見で、基地問題と振興策がリンクしている部分があるのではないかという懸念が出ました。大臣御自身は、沖縄の基地問題、現在の辺野古移設とか止まっていますが、これが進まない段階では、振興策は減らすべきだとお考えですか。
A:振興策を減らすとはどういうことでしょうか。

Q:沖縄の振興予算を減額すべきだとお考えでしょうか。
A:私は、沖縄の基地移転、そしてその負担軽減、これは、政府を上げて安倍政権が出来ることは全て行い、また、目に見える形で実施するという基本方針の基で、在日米軍の再編を初めとした施策を着実に進めて行きたいというふうに思っております。その上で、振興策について、防衛省として、お答えする立場にはないというふうに思います。また、基地問題と沖縄振興をリンクさせることについては、本日午前の官房長官会見において、菅長官が述べられたとおりだと承知いたしております。

防衛費について問う
Q:防衛費についてお聞かせください。一時的な例外を除いて、日本の防衛費はGDPの1%以下に抑えられていたという整理だったと思うのですけれども、事実として、1%に抑えられてきたと、それが意識されていたという経緯もあるかと思うのですけれども、そういった防衛費の扱い方というのは、適正かどうかというのを、大臣、どのようにお考えでしょうか。

A:予算の中で防衛費がどうあるべきか、日本の安全を守るためにどれぐらいの防衛予算が必要か、非常に重要な問題だと思います。そういった点を踏まえて、中期防も計画を立てているわけでありますので、その中で着実に、必要な防衛費ということは、つけていくということだというふうに思います。

Q:必要があれば、1%を超えることも、躊躇するべきではないというふうに、大臣、お考えでしょうか。
A:しっかりと、いろいろなことを勘案して計画は立てております。そして、その結果が防衛予算、それが必要なものを積み上げたものであるというふうに、私は認識をいたしております。

北朝鮮弾道ミサイル発射に関して
Q:別件で大変恐縮なのですけれども、北朝鮮の弾道ミサイル、発射されたものについて、回収作業というのは、現在、どのような感じで進んでらっしゃるのか。一部報道で、打ち切ったということも報じられているのですけれども、大臣としては、どのように認識されていますか。

A:昨日から今朝にかけて、弾道ミサイル、あるいは、その一部が落下したと推定される海域において、自衛隊のP?3Cや護衛艦、海上保安庁の航空機や巡視船による捜索を実施し、発見した漂流物を回収しているところであります。他方、現在までに回収した漂流物の中に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるようなものは確認されておりません。引き続き、自衛隊の護衛艦や艦載ヘリによる捜索を実施し、仮に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるような物体を発見できれば、それを回収し、分析することを考えております。

自衛隊員の戦死の持つ意味について問う
Q:戦死ということについてお伺いしたいのですけれども、国民国家においては日本に限らず、戦死ということに様々な意味が付与されてきたと思います。現在、自衛隊員を預かる防衛大臣として、戦死、戦争で亡くなるということに対して、どういうふうなお考えを持つのか、戦死という言葉が持つ意味についての御認識をお聞かせ下さい。
A:憲法上、日本は戦争を放棄いたしております。ただ、憲法ができた時には9条があるので、攻めてこられたとしても、白旗を揚げて自衛権も行使しないというのが解釈だったわけですけれども、1954年に解釈を変えて、そして、日本も主権国家であるので、自衛隊は憲法違反ではない、合憲である。そして、自衛権の行使も、必要最小限度の行使を可能であるということを解釈上決め、また、それは最高裁でもそのような解釈にあるわけであります。自衛権の行使の過程において、犠牲者が出る事も、考えておかなきゃいけないことだろうとは思います。非常に、重たい問題だと思います。

重ねて歴史認識を問う。先の戦争は侵略戦争ではないのか。
Q:先ほどお答えいただけなかったので、もう一回聞きますけれども、軍事的組織の自衛隊のトップとしての防衛大臣に伺いますが、日中戦争から第二次世界大戦にいたる戦争は侵略戦争ですか、自衛のための戦争ですか、アジア解放のための戦争ですか、見解を教えてください。
A:政府の見解は、総理、官房長官に聞いていただきたいと思います。私は、昨年総理が出された談話、これが政府の見解だと認識しております。

Q:大臣自身の見解もそのとおりですか。異論はないのですか。
A:昨年の総理が出された談話に異論はありません。

Q:侵略戦争ですか。
A:侵略か侵略でないかというのは、評価の問題であって、それは一概に言えないし、70年談話でも、そのことについて言及をしているというふうには認識していません。

Q:大臣は侵略戦争だというふうに思いますか、思いませんか。
A:私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います。

Q:防衛大臣として極めて重要な問いかけだと思うので答えてください。答えられないのであれば、その理由を言って下さい。
A:防衛大臣として、その問題についてここで答える必要はないのではないでしょうか。

Q:軍事的組織のトップですよ。自衛隊のトップですよ。その人が過去の戦争について、直近の戦争について、それは侵略だったのか、侵略じゃないか答える必要はあるのではないですか。何故、答えられないのですか。
A:何度も言いますけども、歴史認識において、最も重要な事は、私は、客観的事実が何かということだと思います。

Q:侵略だと思うか、思わないかということを聞いているわけです。
A:侵略か侵略でないかは事実ではなく、それは評価の問題でそれぞれの方々が、それぞれの認識を持たれるでしょうし、私は歴史認識において最も重要なことは客観的事実であって、そして、この場で私の個人的な見解を述べる立場にはありません。

Q:防衛大臣としての見解ですよ。
A:防衛大臣として、今の御質問について、答える立場にはありません。

Q:では、関連ですけれども、日中戦争と太平洋戦争は若干違うと思うのですが、日中戦争の前、日本は、あの時は南満州鉄道あたりしか駐留する権利はなかったわけですね、軍隊を。そこからはみ出して、傀儡国家を打ち立てて、満州国を作ったと。これ侵略じゃないのですか。普通の常識から言って、いろいろ議論はあるのでしょうけれど、太平洋戦争は議論があるとしても、満州国を作るときの経緯というのは、どういう法律に基づいたのか、しかも、あのとき陸軍は、天皇の統帥権を最後無視して、暴走して、拡大して、後から認めた件はありますけれども、それが日本にとって最大の軍事的な教訓なわけですよね。日中戦争、あるいは、その満州国の作り方について、評価できないというのは、国のリーダーとして、いかがなものかと思いますけれど、この2点いかがですか。
A:私は、安倍内閣の一員として、政府の大臣として、この場におります。私の個人的な見解や、また、この場は、歴史論争をする場ではないと思います。政府の一員として、私は、政府の見解、これは昨年の70年談話において総理が示されたとおりだというふうに認識をいたしております。

Q:別に歴史認識(論争)をしたいわけではなくて、これはリアルな、過去をどう捉えて、軍をどうコントロールするか、あるいは、今の近隣諸国とどう仲良くやっていくか、今のリアルの問題と繋がっているからお聞きしているので、別に学者的な論争をしたいわけではないのですけど。日中戦争の、特に満州国の作るときの過程というのは、これは侵略じゃないと、歴史学者は、普通、侵略と言うと思うのですけれども、国際法の専門家の議論はあると思うのですけれども、国民感情からして、歴史学者は、普通、侵略というのは、一般の常識じゃないかと思うのですけれども、そういった一般の、例えば世界中の人々に受け止め方ですね。これ、侵略じゃないと言い切って、どこの欧米の方でもリーダーとして議論されたらいいと思うのですけれども、まともに議論できるとお思いなのでしょうか。
A:私は、歴史認識において、最も重要なのは、客観的事実が何かということだと思います。また、昨年の70年談話でも示されたように、我が国は、過去の歩みをしっかり反省をして、戦後、しっかりと憲法の下で、法律を守り、法の支配の下で、どこの国を侵略することも、また、戦争することもなく、70年の平和な歩みを続けてきたこの歩みを続けていくということだと思っております。

Q:これから、例えば、中国、韓国のリーダーとか、欧米のリーダーと会うときに、あの戦争、太平洋戦争はいろいろ議論があるかもしれませんが、日中戦争に関しても、侵略かどうか、私、言えませんというふうにおっしゃって議論されるわけですね。
A:そういう単純な質問はないと思うのですね。

Q:でも、報道関係、みんなに見られているからですね。欧米のメディアは、そこに歴史認識を集中しているわけですよ。単純と言われようがそういう具合に、この人こういう歴史認識を持っているのではないかとみんな懸念しているわけですよ。別に、単純に議論を私がふっかけるのではなくて、割と世界中のメディアがそういう懸念を持って、書いていると。それに対して答える影響というのは、我々国民なのですから、説明責任はあると思うのですが、いかがですか。
A:私は、昨年、総理が出された70年談話、この認識と一致いたしております。

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イナダは、2011年3月号の雑誌「正論」の対談で、「長期的には日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべきではないでしょうか」と発言していた。小池百合子と同類。軽佻浮薄の極みというべきだろう。

昨日(8月5日)の記者会見で、この点を記者から突っ込まれて、「憲法上、我が国がもてるとされる必要最小限度(の武力)がどのような兵器であるかということに限定がない」と述べ、憲法9条で禁止しているわけではないとする従来の政府見解に沿って説明した。ただ、「現時点で核保有はあり得ない」としつつ、「未来のことは申し上げる立場にない」とも語った。

イナダが述べたことは、「我が国が核武装することは憲法上は許されることだ」。だが、「現時点では諸般の事情に鑑み、政策として核保有はあり得ない」。もっとも、政策の問題だから、状況次第で未来の核政策はどうなるか分からない。未来とは過去と現在を除くすべて、つまりは明日からのこと」と理解すべきなのだ。

その発言の翌日に当たる今日(8月6日)が、71年めの広島平和記念式典。松井一実市長は平和宣言で、「今こそ『絶対悪』を消し去る道筋をつけるために連帯し、行動を」と呼びかけた。核は、絶対悪なのだ。絶対悪の廃絶こそが平和への道であり、国内外の世論ではないか。

状況次第で核保有が許される、核政策がころころ変わるようなことを許してはならない。「日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」などとは、悪魔の言と言わねばならない。

アベ首相は、6日、広島市内で記者会見し、イナダの発言を「我が国は核兵器を保有することはありえず、保有を検討することもありえない。稲田防衛大臣の発言はこのような政府の方針と矛盾するものではない」と擁護したという。これも同罪なのだ。都知事選敗北の脱力感は払拭し得ないが、早く悪魔が跳梁するこの悪夢を終わらせないと、世界が滅びてしまうことにもなりかねない。
(2016年8月6日)

中国の人権派弁護士弾圧の報に、治安維持法時代の弁護士受難を思う。

時事や共同の配信記事によると、中国の「人権派弁護士」に対する弾圧がエスカレートして、有罪判決が相次いでいる。かつての天皇制政府による治安維持法による弾圧にも似た理不尽が今も現実に起こっているのだ。隣国の問題として座視するに忍びない。

昨年7月、中国当局は「人権派弁護士」を主とする人権活動家を「拘束・連行」した。その数200人を超す。令状による逮捕ではない「拘束・連行」の法的な根拠はよく分からない。治安維持法の予防拘禁のような制度があるのかも知れない。

いち早く警鐘を鳴らした香港のNPO団体「中国人権弁護士関注組」の当時の発表によれば、2015年7月16日までに拘束・連行された人権派弁護士や活動家は205名。「長期化する当局の摘発に、活動家らからは『弁護士を徹底的に脅して抑え込もうとしている』と懸念の声が上がっている」という。

同団体によると、当局が拘束を継続しているのは「社会秩序を乱す重大犯罪グループ」とみなされた「北京鋒鋭弁護士事務所」の主任弁護士、周世鋒氏や女性弁護士の王宇氏ら11人。一部は自宅に軟禁されている。ほかに15人の行方がつかめていない。179人は「一時拘束」だったようだ。

当局に「拘束」された人権活動家たちへの弁護活動が妨害され、弁護士接見も家族との交流も途絶されたまま、「拘束」が長期化した。治安維持法時代と同様、強要されてやむなく転向した者はその旨を表明して釈放されたが、連行1年を経て、拘束が継続している者23名と報じられている。

本年(2016年)7月9日には、今も拘束中の弁護士の家族ら7人が、即時釈放などを求める共同声明を出した。当局はこれに対して翌8日には、支援者の弁護士1人を新たに拘束することで応じ、「抑圧の手を緩める気配はない」(共同)。

その後、7月15日に、中国天津市人民検察院(地検)第2分院は昨年7月から拘束していた人権派弁護士の周世鋒氏や著名な民主活動家の胡石根氏ら計4人を国家政権転覆罪で起訴すると決めた、と報じられた。

周世鋒氏らの国家政権転覆罪刑事公判の進展に注目していたところ、7月30日には、「中国天津市人民検察院(地検)に「国家政権転覆罪」で起訴された中国の人権派弁護士の周世鋒氏ら4人について、家族や家族が依頼した弁護人を締め出した「秘密裁判」が近く開かれる見通しとなった。同罪で有罪の場合、懲役10年以上となるケースが多い。関係者が30日明らかにした。」(共同)との報道があって、その報道のとおりに公判の内容についてはまったく不明のうちに、相次ぐ有罪判決となっている。

周氏は、「著名な女性弁護士の王宇氏=国家政権転覆容疑で逮捕=らと共に弁護士事務所を設立。有害物質が混入した粉ミルクで多くの乳幼児に健康被害が出た事件の訴訟に関わるなど人権擁護に取り組んできた」と紹介される弁護士。

時事通信の伝えるところでは、昨日(8月4日)「中国の天津市第2中級人民法院(地裁)は、『国家政権転覆罪』で起訴された弁護士の周世鋒氏(51)に懲役7年、公民権剥奪5年の判決を言い渡した。周氏は上訴しないと表明した。国営新華社通信が伝えた。
 周氏は北京鋒鋭弁護士事務所の主任として、多くの人権侵害事件に取り組んできたが、昨年7月に民主活動家ら300人以上に対して行われた一斉連行で拘束された。このうち4人が今年7月、政権転覆罪で起訴され、有罪判決が出たのは周氏が3人目。」

続いて今日(8月5日)「中国『人権派』裁判、4人目にも有罪判決」の報道。
「中国で今週相次いで行われている人権派弁護士や活動家の裁判で、4人目にも有罪判決が下されました。この間、家族や主な支援者は自宅で軟禁状態となり、裁判の傍聴は許されませんでした。5日、初公判が行われたのは、会社経営者で人権活動家の勾洪国氏(54)で、国家政権転覆罪で懲役3年・執行猶予3年の判決が言い渡されました。」(TBS動画ニュース)

傷ましいのは、同氏が次のように言わされていることだ。「私は西洋のいわゆる『民主思想』にだまされていたと分かりました」(人権活動家 勾洪国氏)
報道では、「国営テレビで流された勾洪国氏の法廷での発言は、今週裁判が行われた他の3人と似たような文言で反省と謝罪が繰り返されました。」とされている。

「勾洪国氏の妻・樊麗麗さんら家族や主な支援者は警察に監視され、自宅軟禁状態となっていました。」「去年7月に一斉拘束された人権派弁護士や活動家のうち残る19人は、依然として家族や弁護士の接見が許されず、裁判の日程も明らかになっていません」とも報じられている。

刑事司法の公正こそは、一国の人権保障水準のバロメータだ。民主化度の試金石と言ってもよい。国民の人権は、権力の恣意的発動から厳格に守られなければならない。政権や党の意向次第で、法に基づかない人身の拘束があってはならない。適正な司法手続を経ずに、刑罰が科せられてはならない。

中国のこの刑事司法の原則無視は、まるで野蛮な天皇制下での日本共産党員やその同調者に対する弾圧の再来ではないか。

改正治安維持法に、「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」という罰条が設けられている。「共産党の目的遂行の為に弁護活動をした」という認定で、弁護士が逮捕され有罪となったのだ。

良心的に果敢に人権のために闘った優れた弁護士の多くが、法廷で権力と切り結んだ弁護活動を理由に起訴され有罪になり、弁護士資格を剥奪された。3・15事件、4・16事件などの弾圧で逮捕された多くの共産党員活動家が治安維持法で起訴され、その弁護を担当した良心的な弁護士が熱意をもって弁護活動を行った。この法廷での弁護活動が治安維持法違反の犯罪とされて起訴されたのだ。悪名高い、「目的遂行罪」である。「外見上は弁護活動に見えるが、実は共産党の『国体を変革し私有財制度を否定する』結社の目的遂行のために法廷闘争を行ったもの」と認定されて有罪となった。有罪となった弁護士は司法省(検事局)から資格を剥奪された。

中国の事態の深刻さを憂うる。そこに、権力の本性を見ざるを得ない。我が国の天皇制政府の蛮行を忘れてはならない。戦前回帰などなきよう、心したい。
(2016年8月5日)

祝。海区調整委員選挙に、浜の一揆訴訟原告から2名が当選。

昨日(8月3日)、岩手県海区漁業調整委員会委員選挙の投開票。浜の一揆衆から立候補したお二人(菅野修一・藏?平)がみごとに当選した。立派なものだ。たいしたものだ。これで、三陸の浜の空気が少し変わるのではないか。もしかしたら県の水産行政も。

定数9の選挙。事前に浜の一揆から2人立候補の予定が明らかになると、どこからかの天の声で、立候補予定者は合計11名の「2人はみ出し選挙」になる模様と伝えられた。ところが、直前に候補予定者1人が下りて、1人はみ出し選挙となった。1人はみ出し選挙では、当選のための必要得票数がもっとも高くなる。

しかし、心配の必要はなかった。結果は以下のとおりである。

 大井 誠治          1,130
 前川 健吾          1,015
 小川原 泉            951
 久慈市漁業協同組合     753
 菅野 修一            676
 吉浜漁業協同組合       593
 大船渡市漁業協同組合    538
 藏 ?平             365
 原子内 辰巳          325
 JF三陸やまだ          256

投票率は68.68%、投票者総数は6,602票だった。
なお、菅野・藏の両名を除く全候補が、漁協そのものか、漁協の組合長である。いわば、漁協の締め付けの中での選挙戦。浜の一揆訴訟の原告数は100人だから、その10倍の票の獲得は実はたいしたものなのだ。

新しい委員会では、県漁連会長(大井誠治)を含む漁協幹部7名と生粋の漁民2名(菅野・藏)が対峙する。委員会の傍聴に行ってみたいものだ。もちろん、漁協は一色でなく民主的な運営に成功しているところもある。漁協が一色でないように、新委員全部が一色でもない。中には漁民の声に真摯に耳を傾けてくれる委員もいると聞いている。この点が希望だ。

この選挙の管理は、県と各市町村の選挙管理委員会が行う。原則として、県議選挙に準じて公選法の規定が準用となるが、選挙公営制度適用がない。だから、供託金の制度がない。そして、公選法の選挙運動規制が一部読み替えられて適用になる。いくつか現場からの質問を受け、調べて初めて知った。なかなかに興味深い選挙。

ところで、海区漁業調整委員会とは、漁業法に基づいて各海区(原則1県1海区)に設けられた「漁業調整」の役割を持つ委員会。「漁業調整」は漁業法の中心概念だが、分かったような分からぬような。その定義の規定は法にはない。

漁業調整委員会は、「漁業調整」に関して、都道府県知事への諮問機関・建議機関として機能するとともに、委員会みずからが各種の裁定・指示・認定をおこなう決定機関としても広範で強力な権限をもつ(漁業法)。

漁業界には、「地域対立」「漁種対立」「階層対立」があるという。中で、もっとも根深いのが、「階層対立」。いま、その対立構造は象徴的に、三陸沿岸主力魚種サケの採捕の問題に表れている。

現状は、「漁協+浜の有力者」が大型定置網漁の権利を得て、漁獲を独占している。これに対して、小型漁船で操業する「一般漁民」はサケ漁から閉め出されている。うっかりサケを捕れば刑罰の脅しだ。

元々漁民全体の利益のために設立されたはずの漁協が、大規模定置網漁を自営することによって漁民の生活を圧迫している。これは、本来水協法が予定するところではなかったはず。現状の「漁業調整」のあり方を不当・不合理とし、何とか変えなければならないという発想での海区漁業調整委員会選挙への挑戦である。何よりも漁民と漁協の間の対立を解消して、新たな「漁業調整」秩序を作らなければならない。それには漁民の声が反映されなければならず、それこそが浜の一揆のロマンではないか。
(2016年8月4日)

ネトウヨ諸君、匿名でも探し出される。インターネットの誹謗中傷に高額賠償判決。

本日(8月3日)東京地裁民事第24部で、注目すべき判決が出た。新しい法解釈を含むところはまったくないが、インターネット上に氾濫する匿名言論の誹謗中傷記事に歯止めが掛かることを期待させる判決である。

在特会の京都朝鮮学校襲撃事件や徳島教組威力妨害事件では、首謀者だけでなく、付和雷同した参加者も有罪となり高額損害賠償責任を負担した。今度は、ネットだ。匿名に隠れての言いたい放題は通じない。ヘイト記事はなおさらのこと。本人は匿名に隠れて安全地帯にいるつもりでも、探し出せるのだ。住所氏名が割り出せれば、あとは簡単。本日のような判決になる。そして、弁護団は判決認容の170万円とほぼ1割の遅延損害金を厳しく取り立てるはずだ。

原告は女子高生。卑劣なネトウヨ君は、葛飾区四つ木の住人。このネトウヨ君が何をしたのか。判決から要約引用すれば、「被告は,平成26年9月8日,インターネット上のサービスであるツイッターにおいて,原告の写真を掲載し,『原告が,高校生平和大使に選ばれた。詐欺師の祖母,反日韓国人の母親,反日捏造工作員の父親に育てられた超反日サラブレッド。将来必ず日本に仇なす存在になるだろう。』との投稿をした。これは,原告の社会的評価を低下させ,原告の名誉権を侵害するものである。さらに,本件投稿は,原告の肖像権を侵害する。」

ネトウヨ諸君、原告の請求が満額認容されて、このツイッター1通が170万円だ。君も、「反日韓国人」「反日捏造工作員」などと書いてはいないか。口は災いの元、筆は損害賠償の源だ。悪いことは言わない。今後は慎んだ方がよい。君も、被告となり得るのだから。

興味深いのは損害論だ。170万円の内訳は以下のとおり。
ア 精神的損害に対する慰謝料 100万円
イ 調査費用 
  発信者情報開示の仮処分に関する弁護士費用20万円
  発信者情報開示の仮処分に関する翻訳費用20万円
  経由プロバイダに対する発信者情報開示手続に関する弁護士費用20万円
ウ 本件訴訟の弁護士費用10万円

実は、裁判所は判決理由の中で、「本件の慰謝料額は200万円が相当」と意見を述べている。しかし、原告が100万円しか請求していないから、その上限の判決となった。実質的に本件は270万円の判決と理解しなければならない。

匿名を暴くのには手間暇かかる。そのための手続費用が加算されることになる。これも教訓として世のネトウヨ諸君に知ってもらわねばならない。

本件の被告ネトウヨ君は、ネトウヨ族の代表として、貴重な体験をした。身をもって「匿名に隠れての言いたい放題は、実は真っ当な社会では通用しないことなのだ。」「調子に乗ってバカ言ってると、手痛い損害賠償の判決を喰うことになる」ことを学んだ。その学習費が170万円だ。世のネトウヨ諸君も貴重な教訓として、我が身を糺してほしい。

以下はNHKの報道。
「判決のあと、元記者の長女(原告)は、弁護士を通じてコメントを出しました。
この中で、当時の気持ちについて『ひぼう中傷の言葉が大量に書き込まれた時、私は「怖い」と感じました。匿名の不特定多数からのいわれのないひぼう中傷はまるで、計り知れない「闇」のようなものでした」と振り返っています。
 その上で『今回の判決がこうした不当な攻撃をやめさせるための契機や、健全なインターネットの利用とは何かについて考える機会になってほしいと思います』と訴えています」

この言は立派なものだ。原告は「将来必ずや日韓の平和に貢献する存在」になるものと思わせる。
(2016年8月3日)

甘利明は不起訴相当、秘書2名は不起訴不当。政治家秘書は「トカゲの尻尾」だという検察審査会議決。

7月29日、東京第四検察審査会から連絡があって足を運び、被疑者甘利明外2名に対するあっせん利得処罰法違反告発事件の審査申立に対する議決書を受領した。

被疑者甘利明は「不起訴相当」となった。この結果、甘利に対する訴追の道は断ちきられたことになる。到底納得できない。
清島と鈴木の秘書2名は、「不起訴不当」。検察は捜査をやり直すことになるが、強制起訴の道は断たれている。
政治家秘書は「トカゲの尻尾」。これを切り離すことで政治家は生き延びることができる。そのような見本となった検察審査会議決である。

とはいうものの、少なくも秘書については、あっせん利得罪が成立することを認めた議決。それなりの意義はある。甘利についての不起訴相当の判断は、秘書との共謀の立証がないからというもの。秘書限りの犯罪とされたわけだ。

経過は次のとおり。
上脇博之政治資金オンブズマン共同代表(神戸学院大学教授)らが、被疑者甘利明と秘書2名を告発したのが本年4月8日。同告発に対して東京地検特捜部は、5月31日付けで不起訴処分とした。これを不服として、6月3日付で東京検察審査会宛に審査申立書が提出され、被告発人甘利明らの起訴の有無は、東京第四検察審査会の11名の審査員の判断に委ねられていた。その申立の代理人弁護士は49名。その筆頭が大阪弁護士の阪口徳雄君。私も代理人のひとりである。

6月3日の私のブログの表題は、「甘利不起訴ー検察審査員諸君、今君たちに正義の実現が委ねられている」というものだった。再掲しておきたい。

検察審査員諸君、あなたの活躍の舞台ができた。せっかくの機会だ。このたびは、あなたが法であり、正義となる。政治の浄化のために、民主主義のために、勇躍して主権者の任務を果たしていただきたい。

不起訴処分と同時に、甘利の政治活動への復帰が報じられている。甘利本人にとっても、起訴は覚悟のこと、不起訴は望外の僥倖と検察に感謝しているのではないか。不起訴処分は、限りなくブラックな政治家を甦らせ、元気を与えるカンフル剤となる。それだけではない。政治家の口利きは利用するに値するもので、しかも立件されるリスクがほぼゼロに近いと世間に周知することにもなる。

これでは、あっせん利得処罰法はザル法というにとどまらない。あっせん利得容認法、ないしはあっせん利得奨励法というべきものになる。

こんなことを許してはならない。巨額のカネが動いたのは事実だ。甘利自身、薩摩興業の総務担当者から、大臣室で現金50万円、地元神奈川県大和市の甘利事務所で50万円を直接受けとっている。この金が口利き料としてはたらいたことも明らかではないか。薩摩興業は、最終的にはURから2億2000万円の補償金を得ている。この現金授受と口利きの事実、口利きの効果が立証困難ということはありえない。「知らぬ存ぜぬ」は通らない。「秘書が」の抗弁もあり得ない。

有罪判決のハードルが、もっぱら構成要件の解釈にあるのなら、当然に起訴して裁判所の判断を仰ぐべきである。有罪判決となれば、立法の趣旨が生かされる。仮に法の不備から無罪となれば、そのときには法の不備を修正する改正が必要になる。いずれにせよ、検察審査会は単に不起訴不当というだけではなく、国民目線で、起訴相当の議決をすべきである。そうでなければ、政治とカネにまつわる不祥事が永久に絶えることはないだろう。

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審査申立書のまとめの部分を抜粋しておきたい。
1 本件は政権の有力政治家の介入事件である
 本件告発事件は、閣僚として政権の中枢にある有力政治家(被疑者甘利明)事務所が、民間建設会社の担当者からURへの口利きを依頼されて、URとのトラブルに介入して、その報酬を受領したという、あっせん利得処罰法が典型的に想定したとおりの犯罪である。同時に、口利きによる報酬であることを隠蔽するために、政治資金規正法にも違反し、不記載罪を犯した事件である。
2 あっせん利得処罰法の保護法益
 あっせん利得処罰法の保護法益は、「公職にある者(衆議院議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に姑する国民の信頼」とされている。政治の廉潔性に対する国民の信頼と言い換えてもよい。本件の被疑者甘利明の行為は、政治の廉潔性に対する国民の信頼を著しく毀損したことは明白である。
 しかも、通例共犯者間の秘密の掟に隠されて表面化することのない犯罪が、対抗犯側から覚悟の「メディアヘの告発」がなされ、しかも告発者側が克明に経過を記録し証拠を保存しているという稀有の事案である。世上に多くの論者が指摘しているとおり、この事件を立件できなければ、あっせん利得処罰法の適用例は永遠になく、立法が無意味だったことになろう。
 被疑者らが、請託を受けたこと、したこと、URの職員にその職務上の行為をさせるようにあっせんをしたこと、さらにその報酬として財産上の利益を収受に疑問の余地はないと思われる。
3 検察の不起訴処分は政権政党の有力大臣であった者への「恣意的」で「政治的」な不起訴処分である
 検察は国民の常識から見て起訴すべき事案を、もし報道されているように検察官が「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をしたというのであれば、その解釈は被疑者が政権政党の有力大臣であったことによる『恣意的』で『政治的』な限定解釈であると断じざるを得ない。
 第1に「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などのような一般的な制限的解釈は正しくはない。条文に「その権限に基づき不当に影響力を行使」したとか言う「行為態様」に関して一切の制限をしていない。
 権限に基づくという影響力の行使とは、行為態様が強いとか弱いとかいうのではなく、国会議員が有する客観的地位、権限に基づき影響力の行使を言うのであって、その影響力の行使の「態様」を制限していないのである。それをあたかも「影響力の行使」の「態様」について『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという制限的な態様を解釈で補充することは検察の極めて恣意的な解釈であると同時に検察の「立法」に該当する。あっせん利得処罰法の保護法益は前記に述べたように政治家はカネを貰って斡旋行為をすることを禁じた法律であり、政治家などの政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼が毀損された場合は処罰する法律であって、その権限の行使態様には一切の制限がないのである。確かに一般の国会議員等が関係機関に要請した場合または口利きのみの行為を罰することは正しくない。しかし、国会議員等の要求、口利きであつてもその「行為」の報酬としてカネを貰うという「議員等とのカネでの癒着による権限に基づく影響力の行使」行為を罰するのであつて、通常の政治家の要請行為を罰するものではない。
 第2に本件の場合は安倍政権の有力大臣であり政治家の「要請」行為であったからこそ、UR側は当初は補償の意思がなかったのに2億2000万円まで大幅に補償額を上乗せして支払っているのである。この結果=社会的事実は甘利大臣側がどのような言葉で要請したかではなく、安倍政権の有力政治家が有する「権限に基づく影響力の行使」という客観的な地位、権限があったからこそ、UR側は飛躍的に補償額を上乗せしたのである。『言うことを聞かないと国会で取り上げる』と言ったとか、言わなかったかの問題でなく、当時の甘利大臣の飛ぶ鳥を落とす「地位」「威力」「権限」があったからこそ、UR側も要求に応じたのである。例えが悪いが巨大な指定暴力団の有力幹部が横に座つているだけで一言も発しなくてもその「威力」に負けて要求に応じるのと同一の構造である。
 第3に、本件は決して軽微な事案ではない。「週刊文春」などの報道によれば、被疑者甘利らが、本件補償交渉に介入する以前には、UR側は「補償の意思はなかった」(週刊文春)、あるいは「1600万円に過ぎなかった」とされている。ところが、被疑者らが介入して以来、その金額は1億8000万円となり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万円となつた巨額の事件であり、甘利側が貰った金額も巨額である。今回の事件は、有力政治家の口利きが有効であることを如実に示すものであり、これを放置すると多くの業者などが、政権政党の有力大臣や有力政治家に多額のカネを払い、関係機関に「口利き」を要請する事態が跋扈することになろう。これを払拭するために、本件については厳正な捜査と処罰が必要とされている。

※本件のような、政権政党の有力大臣や有力政治家による口利きがあったことが明白な事件においてあっせん利得処罰法の適用ができないということになれば、「公職にある者(国会議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼」を保護することなど到底できないことになる。そして、今後政治家による「適法な口利き」が野放しとなり、国民は政治活動の廉潔性を信頼することがなくなり、政治不信が増大することとなる。
 口利きによる利益誘導型の政治が政治不信を招き、それを防止するために制定されたあっせん利得処罰法の趣旨を十分理解したうえで、検察官の不起訴処分に対して法と市民の目線の立場で「起訴相当」決議をしていただきたく審査請求をする次第である。ちなみにあっせん利得処罰法違反で500万円を受領した事件の時効は本年8月20日に満了する。早急に審査の上、起訴相当の議決をして頂きたい。
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7月29日に交付を受けた議決書の全文を資料として掲載する。

平成28年東京第四検察審査会審査事件(申立)第5号(第5号申立事件)
申立書記載罪名 公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反,政治資金規正法違反
検察官裁定罪名 公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反,政治資金規正法違反
議決年月日    平成28年7月20日
議決書作成年月日 平成28年7月27日

議決の要旨
  審査申立人 上脇博之
  審査申立代理人弁護土阪口徳雄外 48名
  被疑者  甘利明  清島健一  鈴木陵允

  不起訴処分をした検察官
   東京地方検察庁 検察官検事 井上一朗
  議決書の作成を補助した審査補助員 弁護士 岡村英郎
  上記被疑者らに対する,公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反,政治資金規正法違反被疑事件につき,平成28年5月31日上記検察官がした不起訴処分の当否に関し,当検察審査会は,上記申立人の申立てにより審査を行い,次のとおり議決する。
議 決 の 趣 旨
 本件被疑事件について,
 1 被疑者甘利明に対する各不起訴処分は,いずれも相当である。
 2 被疑者清島健一に対する公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反被疑事件のうち後記被疑事実1(1)及び同2(3)についての各不起訴処分は不当,その余の不起訴処分はいずれも相当である。
 3 被疑者鈴木陵允に対する公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反被疑事件のうち後記被疑事実2(3)についての不起訴処分は不当,その余の不起訴処分はいずれも相当である。

議 決 の 理 由
第1 被疑事実の要旨
 被疑者甘利明(以下「被疑者甘利」という。)は衆議院議員であって,政治団体である自由民主党神奈川県第13選挙区支部(以下「第13選挙区支部」という。)の代表者であるもの,被疑者清島健一(以下「被疑者清島」という。)は,被疑者甘利の秘書であって,第13選挙区支部の会計責任者であったもの,被疑者鈴木陵允(以下「被疑者鈴木」という。)は被疑者甘利の秘書であったものであるが
1 被疑者甘利及び被疑者清島は,共謀の上,平成25年5月9日,神奈川県大和市内所在の大和事務所において,A社の交渉担当者であったBから,国が資本金の二分の一以上を出資している独立行政法人Cが実施する道路整備事業に関し,独立行政法人CとA社の補償契約に関して請託を受け,被疑者甘利の衆議院議員としての権限に基づく影響力を行使して,独立行政法人Cに対し,A社に補償金を支払うようあっせんしたことにつき,その報酬として
(1) 同年8月20日,同事務所において,Bから現金500万円の供与を受けた。
(2) 同年11月14日,東京都千代田区内所在の被疑者甘利の大臣室において,Bから現金50万円の供与を受けた。
2 被疑者甘利,被疑者清島及び被疑者鈴木は,共謀の上,平成26年2月1日から平成27年11月までの間,Bから,独立行政法人CとA社の産業廃棄物に係る補償契約に関して請託を受け,被疑者甘利の衆議院議員としての権限に基づく影響力を行使して,独立行政法人Cに対し,A社に補償金を支払うようあっせんすることにつき,その報酬として
(1)平成26年2月1日,前記大和事務所において,Bから現金50万円の供与を受けた。
(2)平成26年11月20日,Bから現金100万円の供与を受けた。
(3)平成27年中,Bから,53回にわたって,現金合計795万円の供与を受けた。
(4)平成27年6月頃及び同年11月頃,Bから,パーティー券代名目で現金合計40万円の供与を受けた。
(以上につき公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律(以下「あっせん利得処罰法」という。)違反)
3 被疑者甘利及び被疑者清島は,共謀の上
(1)第13選挙区支部の平成25年におけるすべての収入及び支出等を記
載した報告書(以下「収支報告書」という。)を提出するに当たり
ア 実際は,平成25年8月20日に500万円の収入があったのに,100万円の寄附収入があった旨虚偽の記入をした。
イ 実際は,平成25年9月6日に自由民主党神奈川県大和市第2支部(以下「大和市第2支部」という。)に100万円の寄附をしたのに,その記載をしなかった。
(2)第13選挙区支部の平成26年における収支報告書を提出するに当たり
ア実際は,平成26年11月20日にBから50万円の収入があったのに,その記載をしなかった。
イ実際は,被疑者甘利に対する個人的な贈与であったのに,平成26年2月4日に第13選挙区支部が寄附を受けた旨虚偽の記入をした。
(以上につき政治資金規正法違反)

第2 検察審査会の判断
 当検察審査会が本件不起訴処分を不当とする理由は,次のとおりである。
1 被疑事実1(1) について(あっせん利得処罰法違反)
? 前提事実
関係証拠によれば,以下の事実が認められる。
ア Bは,平成25年4月頃,A社の総務担当者として独立行政法人Cとの間の,独立行政法人Cによる道路用地取得に関する補償交渉(以下「補償交渉1」という。)に関与することになったが,同年5月頃に独立行政法人Cが検討していた補償金額はA社が主張する補償金額を大きく下回っていた。
イ Bは,同年5月頃,神奈川県大和市内にある被疑者甘利の大和事務所に赴き,被疑者清島に対し,A社と独立行政法人Cとの補償交渉1について,独立行政法人Cに働きかけ,A社が要求する額の補償金を支払わせるよう陳情した。この際,まずA社が独立行政法人Cに対してこの補償交渉1に関する内容証明郵便を送り,その後に大和事務所が独立行政法人Cに接触することになった。
ウ 被疑者清島から依頼を受けたD秘書は,同年6月頃,事前に予約を入れないまま独立行政法人C本社を訪れ,その職員が応接室にてD秘書と面談した。D秘書は,この職員に対しA社が送付した内容証明郵便に対する回答の状況を問い,独立行政法人Cの担当部署において検討している旨の回答を得た。
エ A社は,同年8月,独立行政法人Cとの間で補償契約を締結し,同月中に,独立行政法人Cから,同契約に基づく補償金の一部金の支払いを受けた。
オ Bは,前項の補償金の支払いを受けた日に,被疑者清島に供与するための資金として現金を受け取り,大和事務所に赴いたが,被疑者清島に手渡しだのは現金500万円であった。
 被疑者清島は,Bと協議レ最終的に,このうち300万円を個人的に受領し,残り100万円を県議会議員に寄附することとした。
カ なお,関係証拠上,前記のとおり独立行政法人Cにおいて補償交渉1に関する補償金額を増額することとしたのは,独立行政法人Cにおける算定方法や範囲等の見直し等がきっかけとなっており,D秘書との面談がきっかけとなったと窺わせる証拠はない。
(2) 被疑者清島について
  検察官は,被疑事実1(1) について被疑者清島を不起訴としたが,以下アないしウの理由から,この検察官の判断は,納得できるものではなく,改めて捜査が必要であり,不当である。
ア 第1に,あっせん利得処罰法違反における「請託」とは,「その権限に基づく影響力を行使」してあっせんすることを依頼するまでの必要はないと解されているところ,Bが被疑者清島に独立行政法人Cとの補償交渉1についてあっせんを依頼したこと,被疑者清島がこれを了承したことは関係証拠から明らかであり,「請託」の事実が認められる。
イ 第2に,あっせん利得処罰法違反における「その権限に基づく影響力を行使」したと認められるためには,あっせんを受けた公務員等の判断に影響を与えるような態様でのあっせんであれば足り,現実にあっせんを受けた公務員等の判断が影響を受けたことは必要ないと解されているところ,あっせんを受けた公務員等の判断に影響を与えるような態様の典型例として職務権限の行使・不行使を交換条件的に示すことが挙げられるが,この典型例に当たる行為が認められないからといって,直ちに「その権限に基づく影響力を行使」したといえない訳ではない。当該議員の立場や地位,口利きや働きかけの態様や背景その他の個別具体的事案における事情によっては,公務員等の判断に影響を与えるような態様の行為と認め得る。
被疑者清島は,前記のとおり,A社から独立行政法人Cに対する内容証明郵便が送付された後に,D秘書に独立行政法人Cにその確認をするように依頼レD秘書は,事前の約束もなしに独立行政法人C本社を訪れてその職員と面談して,A社と独立行政法人Cとの本件補償交渉に関する内容証明郵便への対応を確認したが,A社と独立行政法人Cとの補償交渉という民事的な紛争の場面において,対立する一方当事者であったとしても,相手方の都合も問かないまま突然,直接の担当部署でもない相手方の本社に訪問しても対応を断られるのが通常と思われる。D秘書は,あくまでも第三者に過ぎないが,衆議院議員で,有力な国務大臣の一人である被疑者甘利の秘書であるからこそ,応接室に通され,独立行政法人C本社の職員らと面談し,前記の確認をできたとみるのが自然である。D秘書が単に事実確認をするだけであれば,電話を独立行政法人Cの担当部署にかければ十分であり,事務作業としても効率的なはずである。しかしながら,D秘書は,敢えて事前の約束もなしに独立行政法人C,しかもA社との補償交渉を直接担当している訳ではない独立行政法人C本社に乗り込み,面談を求めたのは,そういった行動が独立行政法人Cの判断に影響を与え得るものと判断しているからであると考えるのが自然である。他方,独立行政法人C本社職員がわざわざ自らの業務時間を割いて,D秘書と面談し,補償交渉1に関する説明をしたのも,それをしないと不利益を受けるおそれがあるからと判断したとみるのが自然である。
また,被疑者清島としても,補償交渉1の補償金額が増額された経緯を認識していないとしても,それに関して500万円もの高額の現金を受領したのであるから,それ相応の行為をしたという認識があったと考えるのが自然である。
ウ 第三に,Bが被疑者清島に供与した現金500万円の趣旨は,その交付日が増額された補償金の支払日と同一であること,供与された現金が500万円と高額であることを考慮すると,その交付の趣旨は,補償交渉1に関する補償金額が増額されたという結果に対する報酬,謝礼であるとみるのが自然である。
(3) 被疑者甘利について
 以上のとおり,被疑事実1(1)について被疑者清島に関する再捜査が必要であるが,被疑者甘利が被疑者清島との間で前記の被疑者清島の一連の行為について共謀していたことを窺わせる証拠はない。
 よって,被疑事実1(1)について被疑者甘利を不起訴とした検察官の判断は相当である。
2 被疑事実1(2) について(あっせん利得処罰法違反)
 関係証拠によれば,A社代表取締役のEが平成25年11月14日にBらA社関係者と共に被疑者甘利の大臣室を訪れ,被疑者甘利に直接現金50万円を手渡した事実が認められるものの,この訪問の目的や経緯も考慮すると,この現金50万円がA社と独立行政法人Cとの間の補償交渉1に対する報酬や謝礼として供与されたものとは認められない。
 よって,被疑事実1(2)について,被疑者甘利及び被疑者清島をいずれも不起訴とした検察官の判断は相当である。
3 被疑事実2(1),(2)及び(4)について(あっせん利得処罰法違反)
  関係証拠によれば,平成26年から平成27年頃にBが被疑者甘利に現金50万円を手渡したこと,Bが被疑者清島に現金100万円を手渡したこと,Bがパーティー券代金として各現金0万円を支払ったことが認められる。
しかし,関係証拠から認められるこれらの供与の経緯を考慮すると,A社と独立行政法人Cとの補償交渉をすることの報酬や謝礼として供与されたものとは認められない。
よって,被疑事実2(1),(2)及び?について被疑者甘利,被疑者清島及び被疑者鈴木をいずれも不起訴とした検察官の判断は相当である。
4 被疑事実2(3)について(あっせん利得処罰法違反)
巾被疑者清島及び被疑者鈴木について
検察官は,被疑事実(3)について被疑者清島及び被疑者鈴木をいずれも不起訴としたが,以下アないしウの理由から,この検察官の判断は納得できるものではなく,改めて捜査が必要であるから,不当である。
ア被疑事実(3)の前提となる現金の供与について,関係証拠によれば,被疑者清島及び被疑者鈴木が,平成27年中,Bから,多数回に渡り現金の供与を受け,その合計額は多額なものとなっていることが認められる。この現金の供与は,多数回のことであり,関係者による記録や記憶に不正確ないしは曖昧な点があるとしても,そういった事実が一切存在しないとか,Bを含む関係者において意図的に虚偽の事実を作出したと疑うべき明確な事情は認められない。
イ関係証拠によれば,Bが,この間,被疑者清島に対し,A社の代表取締役の知人に関する事柄やA社に関する別の事柄も相談していた事実が認められるものの,この現金が供与されている間,Bが継続して相談していたのはA社と独立行政法人Cとの道路建設工事の実施に伴う損傷修復等に関する補償交渉(以下「補償交渉」という。)であること,多額の現金供与に経済的に見合う事柄は補償交渉であることを考慮すると,この継続する現金供与の主要な目的は,A社と独立行政法人Cとの補償交渉に関レ被疑者清島や被疑者鈴木においてあっせん行為をすることの報酬,謝礼であるとみるのが自然である。
被疑者清島や被疑者鈴木も,繰り返しの現金提供を受けていること,その間,A社と独立行政法人Cとの補償交渉について相談を受け,関与していたのであるからBによる現金供与の目的を理解していたはずである。
そうすると,双方とも,Bによる現金供与の主要な目的があくまでA社と独立行政法人Cとの補償交渉に係るあっせんすることの対価と理解していると認められる以上,あっせん利得処罰法違反における「請託」を受けて,あっせんしたことの報酬,謝礼として現金供与が行われたとみるのが自然である。
ウ被疑事実(3)は,「あっせんをすること」,すなわち将来あっせんすることの報酬,謝礼として現金の供与を受けたという行為に関するものである。
関係証拠によれば,Bと被疑者清島との間に,独立行政法人Cへの働きかけの方法として具体的な合意,協議の事実までは認められないものの,被疑事実1田に関する補償交渉1の経緯,その際補償金額が増額したことの対価としてBから被疑者清島に対し500万円もの現金が渡されたことも踏まえると,Bが,A社と独立行政法人Cとの補償交渉について,甘利事務所によって独立行政法人C担当者の判断に影響を与えるような働きかけを求めていたことは容易に認めることができる。
他方,被疑者清島も,Bにおいて,被疑事実1(1)同様に,甘利事務所による働きかけによってA社が主張する額の補償金が支払われるようあっせんすることを求めていることを知っていたから,こそ,その対価として多数回に渡り現金の供与を受けていたと認めるのが自然である。被疑者鈴木も,Bから現金供与を受ける中で,被疑者清島から,Bの意図につき説明を受け,認識していたとみるのが自然である。
(3)被疑者甘利について
以上のとおり,被疑事実(3)について被疑者清島及び被疑者鈴木の関係で再捜査する必要があるといえるが,その一連の行為について,被疑者甘利が被疑者清島,被疑者鈴木の一方又は双方と共謀していたことを認め得る証拠はない。
よって,被疑事実(3)について被疑者甘利を不起訴とした検察官の判断は相当である。
5 被疑事実2(3)について(政治資金規正法違反)
関係証拠によっても,被疑事実2(3)のような収支報告書の虚偽記載,不記載があったと認められない。
よって,被疑事実2(3)について被疑者甘利及び被疑者清島をいずれも不起訴とした検察官の判断は相当である。
6 結論
以上のとおり,被疑事実1(1)について被疑者清島を不起訴としたこと,被疑事実(3)について被疑者清島及び被疑者鈴木を不起訴としたことには納得できないため,検察官に再捜査及び再考を求める必要があり,その他について不起訴とした検察官の判断が相当であると判断したから,前記議決の趣旨のとおり議決する。
東京第四検察審査会
以 上
(2016年8月2日)

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