澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

級友との沖縄の旅・4日目ー沖縄と天皇

本日(5月11日)は、沖縄の旅最終日の4日目。糸満から那覇に戻って夕刻には羽田着の予定。4日目の予定記事となる。

今日の沖縄の状況は、戦争の惨禍とアメリカの極東軍事戦略がもたらしたものだが、その結節点に天皇(裕仁)の存在がある。そして、本土がそのような沖縄を放置し、その犠牲の上に安逸をむさぼる構造がある。ちょうど、過疎地に原発のリスクを押しつけ、その便益は中央が受益している如くに、である。

信じがたいことだが、日本国憲法の適用範囲から沖縄を切り離して米軍の統治に委ねようというアイデアは、憲法施行によって一切の権能を剥奪されたはずの天皇(裕仁)の発案だった。彼の超憲法的行動としての「沖縄メッセージ」が、沖縄をアメリカに差し出したのだ。

GHQの政治顧問シーボルトがワシントンの国務長官に宛てた1947年9月22日付公文が残されている。

沖縄県公文書館のインターネットによる資料紹介では、以下のとおりである。

“天皇メッセージ”

(シーボルト書翰の)内容は概ね以下の通りです。
?(1)(天皇は)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
?(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
?(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモ(シーボルト書翰)によると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。

沖縄県には遠慮があるようだが、「沖縄メッセージ」の核心は、「共産主義の脅威とそれに連動する国内勢力が事変を起こす危険に備え、アメリカが沖縄・琉球列島の軍事占領を続けることを希望する。それも、25年や50年、あるいはもっと長期にわたって祖借するという形がよいのではないか」というものである。

昭和天皇(裕仁)には、憲法施行の前後を通じて自分の地位に決定的な変更があったという自覚が足りなかったようだ。1948年3月には、芦田首相に「共産党に対しては何とか手を打つことが必要と思うが」と述べてもいる。

「沖縄メッセージ」の負い目からであろう。昭和天皇(裕仁)は、戦後各地を訪問したが沖縄だけには足を運ばなかった。運べなかったというべきだろう。

「沖縄についての天皇の短歌」「天皇に対する沖縄の短歌」について、内野光子さんから、いくつかを教えてもらった。

 「思はざる病となりぬ沖縄をたずねて果たさんつとめありしを」

これは、死期に近い1987年の天皇(裕仁)の歌。気にはしていたのだ。やましいとは思っていたのだろう。しかし、彼がいう「沖縄をたずねて果たさんつとめ」とは何なのだろうか。謝罪を考えていたとすれば、立派なものだが原爆投下による惨禍についても「やむを得ないことと」と言ってのけた彼のこと。沖縄の民衆に手を振ることしか脳裏になかったのではなかろうか。

父に代わって、現天皇(明仁)は妻を伴って、皇太子時代に5回、天皇となってから6回、計11回の沖縄訪問をして、その都度歌を詠み、琉歌までものしている。多くは沖縄戦の鎮魂の歌であり、それ以外は沖縄の自然や固有の風物・文化にかかわるもの。主題は限定され、現在も続く実質的な異民族支配や基地にあえぐ現実の沖縄が詠まれることはない。

一方、天皇に対する在沖の歌人たちは、次のような厳しい歌を詠んでいる。

 日本人(きみ)たちの祈りは要らない君たちは沖縄(ここ)へは来るな日本(そこ)で祈りなさい(中里幸伸)

 戦争の責めただされず裕仁の長き昭和もついに終わりぬ(神里義弘)

 おのが視野のアジア昏れゆき南海に没せし父よ撃て天皇を(新城貞夫)

根底に、沖縄の人びとのこの激しい憤りと悲しみがあってのこと。かつては天皇の国に支配され、天皇への忠誠故に鉄の嵐の悲惨に遭遇し、そして天皇によって米国に売り渡され、事実上異民族支配が今も続く沖縄。

傍観者としてではなく、沖縄の人びとのこの怒りを真摯に受け止めねばならないと思う。
(2018年5月11日)

級友との沖縄の旅・3日目ー南部戦跡

本日(5月10日)沖縄の旅3日目。本日は、名護から南部戦跡や平和公園をまわって糸満泊の予定。3日目の予定記事となる。

学生時代、初めてパスポートをもって復帰前の沖縄を訪れたことがある。そのときも、南部の戦跡をめぐった。まだ平和祈念公園はなく、平和の礎の建設もなかったが、ごつごつした摩文仁の断崖と、そこに建っていた仲宗根政善さんの次の2首の歌碑が印象に深い。

いわまくらかたくもあらむ やすらかにねむれとぞいのる まなびのともは 
(ひめゆりの塔)

南の巌のはてまで守り来て散りし龍の児雲まきのぼる
(沖縄師範健児之塔)

このとき那覇で、まったく偶然に仲宗根政善さんにお目にかかってお話を伺う機会を得ている。魂魄の塔も印象に深い。

その後、慰霊の塔や歌碑が数多く建てられた。その中の心に残る幾つかの歌を記しておきたい。歌碑の中には、靖国調で違和感を禁じえないものも少なくないが。

わが立てる臥牛の山は 低くして  南海は見えず 吾子はかへらず
この果てに 君ある如く 思はれて 春の渚に しばしたたずむ
(北霊の塔)

むせび哭く み魂の散りしか この丘に かすかにひびく 遠き海鳴り
(ふくしまの塔)

和魂となりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風
(魂魄の塔)

しろじろと しおじはるかに かがやける マブニのおかに きみをまつらん
(のじぎくの塔)

平和祈念公園ができてから確か3度ここを訪れている。その都度平和の礎の大理石の肌に手のひらを当て、刻印を指でなぞっている。故郷を同じくする人の名には一入感慨が深い。

ここでの慰霊の対象は全戦没者である。戦争の犠牲となった「尊い生命」に敵味方の分け隔てのあろうはずはなく、軍人と民間人の区別もあり得ない。男性も女性も、大人も子どもも、日本人も朝鮮人も中国人も米国人も、すべて等しく「その死を悼み慰める」対象としている。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する」立ち場からは、当然にそうならざるを得ない。

味方だけを慰霊する、皇軍の軍人・軍属だけを祀る、という靖国の思想の偏頗さはここには微塵もない。一途にひたすらにすべての人の命を大切にして平和を希求する場、それが、平和祈念公園であり、平和の礎である。

あらためて、貴重な人命を葬り去った戦犯たちの責任を想起する。それは、戦争を起こした責任であり、近隣諸国への加害責任であり、敗戦が明確になってからも戦争を継続した責任であり、民間人の命を危険にさらした責任であり、戦後も長く損害の回復を怠った責任でもある。戦争の惨禍は国がもたらすもの。過去の戦争の被害について徹底して国家の責任を追求することが、再びの戦争の惨禍を防止することにつながる。

(2018年5月10日)

級友と沖縄の旅・2日目ー辺野古

本日(5月9日)沖縄の2日目。本日は、那覇から辺野古に行って名護泊の予定。2日目の予定記事となる。

沖縄は、今年(2018年)が「選挙イヤー」。51件の首長選・議会選挙が目白押しだという。11月に予定の県知事選がメインだが、南城・名護・石垣・沖縄・豊見城・那覇の計6市でも市長選が実施される。オール沖縄陣営は、幸先よく南城市長選で勝利したが、その後の名護・石垣・沖縄で連敗している。転機になった2月4日の名護市長選の結果が象徴的で残念というほかはない。

「オール沖縄」の立場で一貫し、辺野古新基地建設反対で盤石と思われていた現職の稲嶺市政がなぜ敗北したか。選挙後にいろいろ取り沙汰されたが、名護市民の中に「辺野古疲れ」が見られるという指摘に考えさせられた。

いくつもの世論調査の結果は、地元の辺野古新基地建設反対意見が賛成を大きくリードしていることを明らかにしている。だから、過去の2期は「オール沖縄」の稲嶺陣営が勝利した。しかし、今回はそうならなかった。基地建設に賛成ではないが、いつまでも反対をしてはおられない、という市民の気分が「辺野古疲れ」と表現されているのだ。

県を挙げての辺野古新基地建設反対運動は続けられ、それなりの効果も上げてはいるが、国の力は強いと映っている。結局は基地の建設は避けられないのではないか。とすれば、いつまでも反対で突っ張るよりは、よりよい条件で国と折れ合って、現実的な利益を獲得した方が得策ではないか、という心情。

こういう気分の市民には、本土の革新政党幹部からの「基地反対の稲嶺を」という選挙応援は耳にはいらず、「基地問題」よりは「生活」重視へという訴えが功を奏したというのだ。

これを象徴するのは、小泉進次郎の選挙演説である。理念を語らず、理性に訴えず、感性にだけ訴える手口。欺しのテクニックと言って差し支えない。今や、小泉こそがアベとは別の意味での危険な政治家となっている。2月5日の当ブログを再読いただきたい。

名護高校の生徒諸君 ― 小泉進次郎のトークに欺されてはいけない。
https://article9.jp/wordpress/?p=9879

恐いことに、若年層が「将来ビジョンや理念よりは、今手の届く利益を」という訴えに耳を傾けている。稲嶺陣営は、高齢者層で勝ったが若年層で大きくリードされたのだ。

若年層に限らない。闘いが困難になれば、あるいは展望が開けないときには、闘いを避けて易きにつきたいのが、人の世の常ではある。「オール沖縄」より国家は何層倍も強い。しかも、その背後にはさらに強大なアメリカが睨みをきかせている。

確かに、基地ができれば地元の将来は暗い。しかし、がんばってもどうせ無駄なら、妥協とひき換えの、地元振興策というアメにありつくことができる。闘いを挫折させるこの構造は普遍性のあるものではないか。この困難な中で、地道に闘いを続ける人々に敬意を表せずにはおられない。

名護市長戦での敗北にめげずに、辺野古の闘争は今日も続けられている。ひとときでも、闘う人々と現場をともにしよう。少しの時間でも座り込みに参加しよう。大浦湾にボートを出して、海上の闘いも目に焼き付けておこう。
(2018年5月9日)

級友と沖縄の旅・初日

本日(5月8日)から沖縄。学生時代の仲間9人で本島3泊4日の旅。8日(火)の昼前に那覇に集合して、11日(金)夕方まで。大型のレンタカーを借りて、4日間県内を廻ろうという企画。案内役は、元朝日の記者で退社後に張り切って沖縄に関わり続けている小村滋君。小凡というペンネームで発信を続けている。

宿泊先は、8日が那覇、9日が名護、そして10日が糸満。小村君の予約してくれた宿が、3100円(素泊まり)、5500円(朝食付き)、4000円(素泊まり)と、いずれもリーズナブルなのがありがたい。なにせみんな70代、年金生活者なのだ。

この仲間は、1963年に大学の教養課程に入学して、第2外国語として中国語を選択した「Eクラス」の同級生。当時中国語選択はごく少数派だった。ドイツ語、フランス語、そして理科ではロシア語などが主流だった時代、変わり者27人が中国語を学んだ。主任の教授が工藤篁というこれまた変わり者。およそ、出世主義や権力欲を小馬鹿にする雰囲気に満ちていた。だからなのか別の理由なのかはよく分からないが、Eクラス在籍者からは、学生運動や政治運動の活動家は輩出しても、立身出世や富貴に恵まれた将来とは無縁と信じられていた。

それでも、どこにも例外はあるものだ。27人の同級生のうち、官僚になったのが2人いる。1人は大蔵官僚になって、理財局長から国税庁長官(!)になった。もっともこの友はクラス会にトンと顔を出さない。もうひとりは警察官僚となって警察の位で警視監になっ手の退官と聞いている。多分よい官僚だったであろうが、いずれも異色。裁判官になったのが1人。順調に出世して仙台高裁長官から最高裁裁判官となった。リベラルな人物だったが、惜しいかな在任中に亡くなった。

以上の3人はEクラスの傍流。主流派は立身出世とは無縁の者ばかり。中には、何を生きる糧としてきたのかよく分からぬ魅力にあふれた人も少なくない。学者(哲学・歴史・教育)が3人。ジャーナリストが幾人か。ごく真っ当に民間企業で勤め上げた人もあるが、意外に教育に携わった人が少ない。弁護士になったのは私一人。

誰もが、何ものでもなかった頃に知り合った、氏素性の底が割れている仲間と一緒の旅。しかも沖縄だ。いかで、楽しまざらんや。

沖縄のどこに行くか何を見るかは、その日の風次第。小村君の気分次第。決まっているのは、少しの時間でも辺野古の座り込みに参加しようということ。大浦湾にボートを出して、辺野古を海から見ようということ。そして、瀬長亀次郎の「不屈館」には必ず行こうということくらい。

沖縄行のレポートは帰京後のこととして、5月8日?11日までは、出発以前に書きためた予定記事とならざるを得ない。本日がその第1回である。本日の訪問先は、沖縄戦の最激戦地である嘉数がメイン。それに、首里に王朝が移る以前の王都であった浦添に足を運ぶ。

(2018年5月8日)

沖縄県知事の「辺野古・埋立の承認撤回」の具体化に期待

小凡こと小村滋君から、メール添付の【アジぶら通信 第42号】をいただいた。今号はA4・5頁。文字通りのミニコミ紙だが、さすがに素人離れした体裁と内容。自分で撮った現場の写真もなかなかのものだ。

「アジぶら」という紙名は、学生の作る「アジビラ」みたいなものという謙遜でもあろうが、欧米ではなく「アジア」を見据えてものを考えようという主張。そしてアジアのあちこちを「ぶらぶら」見聞しながら型にはまらない記事を発信しようというコンセプトとお見受けしている。

今号のメインタイトルは、「辺野古」座り込みパワー 4・23?28(小凡・記)」である。ご自身の座り込み体験記。

連続6日500人集中行動「辺野古ゲート前連続6日間500人集中行動」の呼びかけに応じて4月24日、沖縄へ行った。那覇空港に着いて早速、沖縄2紙を買った。集中行動は23日が初日だったから、それを報じる24日紙面は、ともに一面に大きな写真入りだった。朝日新聞(大阪)も23日夕刊は1面に写真入りだった。

見よ!民衆の底力

民衆の底力を見せるのが狙いだ。
辺野古に着いたのは午後2時頃だった。これまで辺野古ゲートには何回か来ているが、座り込みは少人数で静かな抗議だった。今回は違った。リーダーのスピーカーは「午前中で670人。2人が逮捕された」と言った。私のように午後に来る者、午前中で帰る人、延べにしたら700 人は越えるだろう。
森友問題を最初に告発した木村・豊中市議が呼びかけ人として挨拶し大きな拍手を浴びた。東京から来た女性3人のバンドも大きな拍手を浴びた。福島にも通っているという。
午後3時過ぎ、「道路を占拠するのは道交法違反です」などと警察のスピーカー。引っこ抜き規制が始まるようだ。
座り込みの両側を機動隊が囲む。座り込みのお尻に着いた。まだ先だろうと思っていたら、私が引き抜かれた。片腕ずつ2人、足を独り。70?を腕で支えるのは結構しんどい。装甲車の列まで来たところで降ろされた。装甲車とフェンスの間に押し込められて息苦しい空間だった。気がつくとトラックの巨大な列が出来ていた。昨23日は座り込みが終わった4時過ぎてトラックがゲートへ入ったという。この日は午後4時半頃からトラックがゲートへ入り始めた。リーダーの指示に従って少し離れたテント下で集会だった。
その後、逮捕された2人を励ますために名護署に集まった。雨が降り出していた。シュプレヒコールを繰り返しながら留置場のある裏に周り、警察署をひと回りした。解散したとき、日は暮れて、雨は強まっていた。
集中行動、最初の 5 日間は目標を上回る600?700人が詰めかけたが、政権側も機動隊員の数を増やして対応。完全阻止とはいかなかった。しかし最終日の4月28 日「屈辱の日」は県民大会として約1500人が参加し、工事車両はなかったという。

共闘? 分裂? オール沖縄
今回の「集中行動」のきっかけは、2月の名護市長選の敗北だ。保守系の立場からオール沖縄の共同代表だった呉屋守将・金秀グループ会長が共同代表を辞任。呉屋氏らは辺野古の賛否を問う県民投票を推進し、オール沖縄とはブリッジ方式で共闘するとした。これに対して、残った革新系のオール沖縄は「辺野古座り込みこそ民衆運動の原点」と今回の集中行動となった。

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ところで、「後書き」の「県民投票と撤回」という次の記事がやや気になる。

▼「県民投票」と「撤回」 オール沖縄は既に別居している。翁長知事支持、辺野古新基地の阻止では一致しているのに、である。問題は「撤回」と「県民投票」の関係らしい。▼本格的埋立てを7月にも始める、と政権側は公言。大浦湾の自然を守るには6月にも「撤回」せよという。一方は、県民投票での民意証明が撤回の最強武器という。森友・加計問題で首相夫妻関与の実態がいくら出てきても、公文書改ざんしてまで「知らぬ存ぜぬ」の政権が相手だから。▼沖縄タイムスは3、4月と両派識者の論考やシンポを掲載した。「県民投票の前でも撤回できる」と言えば、片や「百害あって一利なし」論をトーンダウンしたようだ。両者はかなり近づいたように私には見える。今回の「集中行動」は民衆運動の原点を見せつけた。一方「『辺野古』県民投票の会」が9月投票めざして署名集めに動き始めた。1+1=3 になる共闘になって欲しい。

辺野古の新基地建設反対運動に注目して丹念に報道を追っている者以外には、「大浦湾の自然を守るには6月にも《撤回》が必要」という文意が分かりにくい。この機会に行政行為における《撤回》の意味を確認しておきたい。

問題になっている《撤回》とは、仲井眞弘多・前沖縄県知事が、国に与えた「海面の埋め立て申請に対する『承認』」の《撤回》である。前知事がした「承認」を、後任の翁長知事が《撤回》すべきということなのだ。

辺野古新基地建設のためには、大浦湾を埋め立てねばならない。しかし、公有水面の勝手な埋立てが軽々に認められてよいはずはない。公有水面埋立法は、公有水面の「免許」を知事の権限とし、「国土利用上適正且合理的ナルコト」「埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」その他の諸要件を満たさない限り、「免許してはならない」と定める。

国が埋立工事をする場合については、特に「国ニ於テ埋立ヲ為サムトスルトキハ当該官庁都道府県知事ノ承認ヲ受クヘシ」(同法42条1項)と定める。つまり、国が海面の埋立をしようとする場合でも、県知事の「承認」が必要なのだ。

仲井眞弘多・前沖縄県知事は2013年12月27日付で、辺野古移設に向けて国の埋め立てに「承認」を与えた。翁長知事は、この「承認」に瑕疵があったとして、「承認を取り消し」た。すなわち、「もともとしてはならない違法な承認だったから取り消す」としたのだ。

紆余曲折を経て、国は「翁長知事の承認取消こそ違法」として、県に対して「承認取消を取り消せ」という是正を指示し、これに従わない県に対して行政訴訟(国の是正指示に従わない不作為の違法確認訴訟)を起こした。残念ながら翁長知事の「承認取消」は最高裁まで争って認められないと法的には決着が着けられた。

「承認取消」が通らなければ、これに代わる「承認撤回」で行こう、というのが運動体の中から提案されている。これが《撤回》の意味。

もともとすべきでなかった間違った承認について遡って効力をなくするのが「承認取消」であるのに比して、承認のときの違法はともかく現時点では承認すべきではなくなっているのだから承認の効力をなくするというのが「承認の撤回」。

昨年(17年)3月、翁長知事自身も集会では「撤回を必ずやる」と発言しているが、1年余を経てその実行はない。軽々にはできない。慎重を要すると考えているのだ。常識には、「承認時以後の事情変更」「承認時には知り得なかった違法事由」を特定して立証しなければならない。運動論としてはともかく、「承認取消」で敗訴している以上、法的には明確な根拠が必要なのだ。

迂闊な《撤回》は、国側から「承認撤回の取消を求める」訴訟提起に持ちこたえられない。これに関して、最近明らかになった知見として、埋立予定海域の活断層の存在と地盤の軟弱性の疑いが、撤回の根拠となり得るのではないかと、話題になっている。

自由法曹団沖縄支部の新垣勉弁護士は、ごく最近大要次の報告をしている。

撤回に向けた動き
 県は、これまで行政法研究者の助言を得ながら、埋立承認撤回の法的根拠と理由を検討してきた。しかし、なかなか撤回に踏み切る適切な事由を探し出せずに苦しんできた。
 ところが、上記活断層の存在及び軟弱地盤の存在は、状況に大きな変化を与えようとしている。これまで、知事を支援してきた撤回問題法的検討会(県内行政法研究者・団員弁護士で構成)は、2月に「県は、検討段階から撤回に向けた具体的準備に入ること」を提言する法的意見書を提出した。
 同意見書は、
 ?活断層の存在が埋立地の安全性を大きく損なうこと(要件事後喪失事由)、
 ?埋立が辺野古の海の豊かな自然環境を破壊し、新基地建設が県民の生活・生命身体等の安全を損ない、沖縄の経済発展を大きく阻害すること(公益事由)
を主な理由に撤回の準備に入ることを提言している。
 県も同様の認識を有しているようであり、今後の進展が期待されている。

今後に注目して見守りたいと思う。
(2018年5月7日)

第五福竜丸展示館に、今年は格別のご支援を。

連休が今日で終わる。ああ、已んぬるかな。
連休は事前には長大で輝いて見える。なんでもできそうな素晴らしい大型連休。ところが、連休に突入すると突然連休は収縮して徐々に光を失い、過ぎ去ると短くて暗いものとなる。終わってみると、この連休には何もなしえなかった、溜まった仕事も片付かないこととなる。例年のことだが、連休とは不思議なものだ。

その連休最終日は、夢の島で公益財団法人第五福竜丸平和協会の理事会だった。評議員会に提案する3月末で締めた年度の決算案と、事業報告案の審議。協会の事業はすべて西暦表示だ。いまどき、どこでも当たり前のことだろう。ところが、役所に提出の書類だけは、元号表示となるので、煩わしいことこの上ない。おそらくは、ビジネスに携わる者の圧倒的多数は元号廃止論者ならん。

4月以後の新年度の事業計画を建てなければならないが、これに少々問題がある。1976年の開館から今年で42年。展示館の改修が必要な時期になっている。今年ようやくその改修工事に着工の予定となった。これに伴い、7月以後来年3月末まで展示館は閉館のやむなきに至る。

休館予定は《18年7月1日⇒19年3月31日》である。となると、東京都からの平和協会への委託料も大幅に減額となることが予想される。財政のピンチを回避しなければならない。

そこで、本日は、平和協会の立場で、広報活動を買って出る。皆様に幾つかのお願いを申しあげたい。

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公益財団法人第五福竜丸平和協会が運営を委託されている第五福竜丸展示館は、念願だった大規模改修工事に着手することになり、その間休館いたします。

本年7月1日から工事に着手し、来春4月2日にリニューアルオープンいたします。展示物も新しいものに替え、充実した映像展示もできるようになります。休館前にも、そして休館明けの新装なった第五福竜丸展示館にも、ぜひお越しください。ボランティアの説明員が丁寧に解説いたします。

アクセスや展示の内容については下記のURLをご覧ください。
http://d5f.org/kyokai.html

実は、9か月もの休館に関連して皆様にお願いがあります。
一つは、休館中も核なき世界を目指す第五福竜丸の航海が途絶えることはありません。展示館外で平和協会の活動にご協力いただきたいのです。

あなたの地域で、自治体で、学校で、あるいは市民団体で、第五福竜丸のパネル展を開催していただけないでしょうか。

平和協会は第五福竜丸の被災をはじめとする核被害の展示パネルセットを貸出しています。毎年20?30か所で、パネル展が開かれています。これを、今年はもっと多くの場所で実行したいのです。たとえば、文化祭で、夏祭りで、市民集会で、人の往来する場で…。

展示パネルは、当館の常設展示をコンパクトにした内容で、さらにマーシャル諸島の核被害や第五福竜丸の歴史に関する展示物、現物資料などの貸出が可能です。協会の学芸員による講演会もお引き受けいたします。

☆当館の常設展示に沿った基本的な20枚組パネルセットの場合の内容や費用は以下のとおりです。
【主な内容】
第五福竜丸の被災、ブラボー実験、事件のスクープ、乗組員の被害、久保山愛吉さんの死、マグロ騒動、放射能雨、原水爆禁止の声の高まり、マーシャル諸島の被ばく者、世界の核実験、ラッセル=アインシュタイン宣言、保存運動、エンジンと展示館など
【サイズ】
A2(42cm×59cm)20枚
【貸出費用】
5千円?1万円+送料実費(宅配便3000?4000円程度)

☆また、20枚組パネルセットを増補しより詳細な42枚組パネルセットの貸し出しは次のとおりです。
【主な内容】
第五福竜丸被災、ビキニ事件の写真、解説に加え、マーシャル諸島の核被害パネル12枚を含む。
【サイズ】
B2(52cm×73cm)42枚
【貸出費用】
3万円+送料実費

☆その他、「マーシャル諸島の核被害」や、「世界の核被害写真パネル」セットもあります。その他、現物資料や講演会などの組み合わせ企画の相談に応じます。
下記にご連絡ください。

TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900
E-Mail:fukuryumaru@msa.biglobe.ne.jp

☆大型展のご案内
博物館や歴史資料館、郷土資料館、自治体主催の催しなどの特別展として、大型展示企画用に展示を構成いたします。
*ビキニ事件展示パネル60枚組(B2判)、もしくは42枚組
*マーシャル諸島の核被害に関するパネル等
*大漁旗
*船体タペストリー
*現物資料50?70点
【過去の実施例】
高知市、立命館大学国際平和ミュージアム、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、枚方市市民ギャラリー、茨木市、多摩市、串本市、丸木美術館、コープみやぎ、西東京平和のつどい等

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☆ 第五福竜丸平和協会では、第五福竜丸の維持管理と財団の活動を支える賛助会員を募集しています。
皆様のご好意により第五福竜丸はこれからも航海を続けていくことができます。
ぜひとも寄附のご協力、会員としてご支援賜りますよう、よろしくお願いいたします。会員には、機関誌「福竜丸だより」をお送りします。

☆会員としてのご支援
1.賛助会員
第五福竜丸だよりはじめイベントのご案内などを差し上げます。
(年会費:個人5千円、団体1万円)

2.ニュース(福竜丸だより)会員
会員様のご自宅へ「福竜丸だより」をお送りいたしております。
(年会費:個人2千円 )

☆今回のみの支援
会員としてではなく寄附も受け付けております。 ご支援いただけると幸いです。
*賛助会費等も税制優遇措置の適用を受けます。
*当法人は平成23年10月26日付で税額控除対象法人になりました。
[賛助会費及び寄附金?2,000円]×40%が所得税額から直接控除されます。

具体的な寄付の方法については、下記URLをご覧ください。
あるいは、電話等でお問い合わせください。
http://d5f.org/contribute.html
(2018年5月6日)

大相撲 牛に寄られて あとがない

闘牛も女人禁制とは知らなかった。毎日新聞によれば、新潟県長岡市の「山古志牛の角突き」(闘牛)、「闘牛場の土俵は、角突き前に酒と塩で清めた時から女人禁制とされていた」という。この「女人禁制」がなくなった。

角突きを終えた牛の健闘を称えるため、オーナーが自分の牛を闘牛場を周回するのが「牛の引き回し」。しかし、清めた土俵に女性オーナーは立つことができない。この「伝統」に、一人の女性オーナーが異議の声を上げ、主催者である山古志闘牛会が真摯に耳を傾けた。

昨日(5月4日)、「松井富栄会長が会員らに解禁を提案。大きな拍手で承認された。松井会長は『山古志の角突きは牛を大事にする。男性でも女性でも牛を大切にしてくれる人たちと、角突きという習俗をこれからも育てていきたい』と話した。」と報じられている。

この「山古志牛の角突き」は、国の重要無形民俗文化財に指定されているものという。その角突きの土俵で、さっそく女性による「牛の引き回し」が実現した。地元紙も好意的に報道している。

ところで、牛ならぬ本家の大相撲の方は、こんなにスッキリとは行かない。公益財団法人日本相撲協会が、ホームページに「女性差別問題」に関する釈明の理事長談話を掲載した。「協会からのお知らせ」と題するもので、先月(4月)28日付である。
http://www.sumo.or.jp/IrohaKyokaiInformation/detail?id=268

大要は、
(1)「舞鶴市での不適切な対応について」謝罪し、
(2)「宝塚市長に土俵下からのあいさつをお願いしたことについて」釈明し、
(3)「ちびっこ相撲で女子の参加のご遠慮をお願いしたことについて」再検討する、
というもの。

とにもかくにも、ダンマリを決めこまず、説明責任を果たそうという姿勢には好感が持てる。今後も続けて協会の考え方を外部に発信していただきたい。オールド相撲ファンの一人として、そう思う。

とはいうものの、この理事長釈明の説得力は極めて弱い。全編「女性差別の意図はないことにご理解を」という趣旨だが理解は難しい。客観的に差別していることが明らかなのに、その合理性について納得させるものとなっていないからだ。もしかしたら、理事長自身が形だけの抵抗をしてみせて、世論に圧された形で性差別を払拭したいと考えているのかも知れない。そんな深謀遠慮さえ感じさせる内容なのだ。

協会は、まずこういう。

?(1)舞鶴市での不適切な対応について
?京都府舞鶴市で行った巡業では、救命のため客席から駆けつけてくださった看護師の方をはじめ女性の方々に向けて、行司が大変不適切な場内アナウンスを繰り返しました。改めて深くおわび申し上げます。

しかし、こうも言うのだ。

?大相撲は、女性を土俵に上げないことを伝統としてきましたが、緊急時、非常時は例外です。人の命にかかわる状況は例外中の例外です。不適切なアナウンスをしたのは若い行司でした。命にかかわる状況で的確な対応ができなかったのは、私はじめ日本相撲協会幹部の日ごろの指導が足りていなかったせいです。深く反省しております。

これでは、「緊急時、非常時、人の命にかかわる状況などの例外」の場合には、女性を土俵に上げてもやむを得ないが、それ以外では「女性を土俵に上げない伝統を守る」という、伝統墨守宣言と読まざるを得ない。女性差別に関する根本的な考察も反省もまったくなされていない。

また協会はこう言う。

(2)宝塚市長に土俵下からのあいさつをお願いしたことについて
?兵庫県宝塚市で行った巡業では、宝塚市の中川智子市長に、土俵下に設けたお立ち台からのあいさつをお願いしました。市長にご不快な思いをさせ、誠に申し訳なく恐縮しております。

そして、これに続けてこう言っている。

??? あいさつや表彰などのセレモニーでも、女性を土俵に上げない伝統の例外にしないのはなぜなのか、協会が公益財団法人となった今、私どもには、その理由を改めて説明する責任があると考えます。

自らの説明責任を認めていることは、立派な姿勢と言わねばならない。また、問題を「あいさつや表彰などのセレモニーでも、女性を土俵に上げない」ことと絞っているのも、そのとおりだ。女性を力士として登録させないことや、男性力士と同じく、女性力士を認めよとなどというレベルでの女性差別を問題にしているのではない。当面問題になっているのは「あいさつや表彰などのセレモニー」での性差別だけなのだ。

協会は「セレモニーで女性を土俵に上げない」理由を3点挙げている。
 第1に、相撲はもともと神事を起源としていること、
 第2に、大相撲の伝統文化を守りたいこと、
 第3に、大相撲の土俵は男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場であること。

これだけでは分からない。もっと詳しい説明があるだろうと思って次を読むことになるのだが、理解は容易でない。

まず第1の「神事起源」説。協会自らがこう言っている。

「『神事』という言葉は神道を思い起こさせます。そのため、『協会は女性を不浄とみていた神道の昔の考え方を女人禁制の根拠としている』といった解釈が語られることがありますが、これは誤解であります。」

ここで語られていることは、「神道は女性を不浄としているが、協会も同じ考え方というのは誤解だ」という弁明だけ。相撲が神事であることが、なにゆえ「セレモニーにおいても女性を土俵に上げてはならないという理由になっているのか」その説明として語られているところはない。

さらに続けて、協会はこう言う。

「大相撲にとっての神事とは、農作物の豊作を願い感謝するといった、素朴な庶民信仰であって習俗に近いものです。大相撲の土俵では『土俵祭(神様をお迎えする儀式)、神送りの儀』など神道式祈願を執り行っています。しかし、力士や親方ら協会員は当然のことながら信教に関して自由であり、協会は宗教におおらかであると思います。歴代の理事長や理事が神事を持ち出しながらも女性差別の意図を一貫して強く否定してきたのは、こうした背景があったからです。」

ここで強調されているのは、「相撲協会は信教の自由を尊重し、神道や神事を力士や親方らに押しつけることはしていない」ということ。してみると、第1の「女性差別神事起源説」は、差別合理化の根拠としては主張されていないということのようだ。

第2の「女性差別伝統文化」説は、「これまでそのような理由が語られていた」というだけで、現在もこれを固執するとはされていないし、その内容の説明もない。

これに較べて、第3の「土俵は力士らにとっては男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場」説」には紙幅がとられている。が、まったく女性を土俵に乗せない理由の説明にはなっていない。もう一度確認しておこう、問題は「あいさつや表彰などのセレモニー」での性差別である。戦いの真っ最中に、あるいは鍛錬に精進しているときに、「戦いや鍛錬に無関係な者の闖入はならない」というのなら、論理としては分かる。しかし、「戦いは終わり、鍛錬も行われていない場」としてのセレモニーとしての土俵である。男性であれば、老人でも、子どもでも、外国人でも、また相撲界とは無関係な知事や市長や議員も土俵に上がって差し支えないのに、女性は一切お断りという理由の説明にはなっていない。

協会の説明は、「多くの親方たちの胸の中心にあったのは、第3の『神聖な戦い、鍛錬の場』という思いではなかったかと思います。」という言い回しで、第3説を「『神聖な戦い、鍛錬の場』という思い」と言い直している。

しかし文面からは、「戦いの場、鍛錬の場」としての土俵に意味はなく、むしろ「男が上がる神聖な」土俵に意味あるとしか理解しようがない。結局は、「男がだけが上がるべき神聖な」場としての土俵に、女性は上がる資格をもたないと言っているのだ。

??? 昭和53年5月に、当時の労働省の森山真弓・婦人少年局長からこの問題について尋ねられた伊勢ノ海理事(柏戸)は、「けっして女性差別ではありません。そう受け取られているとしたら大変な誤解です。土俵は力士にとって神聖な闘いの場、鍛錬の場。力士は裸にまわしを締めて土俵に上がる。そういう大相撲の力士には男しかなれない。大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした大相撲の伝統を守りたいのです」と説明いたしました。

こんな説明で、あの森山真弓が納得したはずはない。セレモニーでも、女性が土俵に上がれない理由の説明にはなっていないからだ。伊勢ノ海が言っているのは、「大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした大相撲の伝統を守りたい」と言っているだけなのだ。繰り返すが、子どもでも、年寄りでも、外国人でも、議員でも市長でも、男性なら土俵に上ってけっこう。同じ年齢、職業、立場でも、女性はお断り。これが差別でなくてなんであろうか。

伊勢ノ海理事(柏戸)やその亜流には、こう言わなくてはならない。「あなたの考え方が女性差別そのものなのです。もし、そうでないと本気でお考えなら、それこそが大変な誤解なのです。考えを改めてもらわねばなりません。神聖な場所には、女性は立ち入り禁止というその考え方をです」

また、内閣官房長官となった森山真弓に、出羽海(佐田の山)はこう言ったという。

「女性が不浄だなんて思ってもいません。土俵は力士が命をかける場所ということです」

これも、通らない理屈だ。「力士が命をかける場所」だから、男性の立ち入りは差し支えないが女性はダメだというのだ。現役時代の柏戸も佐田の山も、私は好きな力士だったが、およそものを考えての発言だとは思えない。伝統・文化・慣わしという実体のないものに寄りかかろうとしているだけなのだ。

現理事長(八角)は、「土俵は男が必死に戦う場であるという約束ごとは力士たちにとっては当たり前のことになっており、その結果として、土俵は男だけの世界であり、女性が土俵に上がることはないという慣わしが受け継がれてきたように思います。」と自信なさげに結論めいたことを言っている。「必死に闘う場としての土俵は男だけの世界」という「慣わし」を容認しているのだ。

但し、理事長は、「この問題につきましては、私どもに時間を与えていただきたくお願い申し上げます。」「外部の方々のご意見をうかがうなどして検討したいと考えます。」と再検討の含みを残している。この柔軟な姿勢に期待したいと思う。

(3)ちびっこ相撲で女子の参加のご遠慮をお願いしたことについて
宝塚市、静岡市などの巡業で、ちびっこ相撲への女子の参加をご遠慮いただくようお願いいたしました。これは、女児の顔面に怪我あることなどを慮り、「また高学年の女子が相手になると、どう体をぶつけていいのかわからないと戸惑う声もあった」から。「けがをしない安全なちびっこ相撲を考えて、再開をめざします。合わせて、女子の参加についても再検討いたします。」という。

これも、再考の結果を期待したいと思う。

私は、物心ついたころからの相撲フアンである。伝統の四本柱を取り去り、尺貫法をメートル法に切り替え、物言いにビデオ判定を取り入れ、外国人力士を平等に扱うなどの改革を見てきた。伝統なんて乗り越えて振り返ればたいしたものではない。山古志村闘牛会は容易に乗り越えたではないか。今どき、「女人禁制」とか、「神聖な男の世界」などとは、感覚がずれているとしか思えない。

相撲協会に比較して、山古志村闘牛会の方が、はるかに鋭く時代の空気を読んでいる。セクハラ問題が政治と社会を揺るがしている今、相撲協会の対応の遅滞は、致命傷になりかねない。

もし女人禁制を続けるのなら、「公益財団」を返上して、純粋に私的な興行団体となればよい。そうなれば、社会もそのように遇するだろう。大相撲、徳俵に足がかかっている。もう、あとがない。
(2018年5月5日)

「嘘つき内閣が嘘に嘘を重ねている」「ご意向内閣総辞職!」「改竄・隠蔽のアベやめろ!」

昨日(5月3日)の憲法記念日。各地の改憲阻止集会は、どこも意気盛んで大いに盛り上がったようだ。当面の課題は「アベ改憲」阻止だが、このような集会や行動の積み重ねは、当面の危機を乗り切る効果をもつにとどまらない。憲法の理念を国民の血肉として獲得する術となるのだ。その意味で、昨日は素晴らしい一日だった。

有明の中央集会のメインスピカーは落合惠子。参集の6万人にこう語りかけている。

「嘘つき内閣が嘘に嘘を重ねています。私たちはすでに知ってしまいました。安倍内閣は『総理のご意向内閣』ではありませんか。忖度がなければ維持もできない内閣ではありませんか」「彼らは福島を忘れ、沖縄を苦しめ、1機800億のイージスアショアなどを米国から喜々として買って国内では貧困率や格差を拡大している。戦争大好き内閣と呼ぶしかありません。公文書の改竄も隠蔽も何でもあり。何でもやるのが現内閣であり、やらないのは福祉と平和と命のためのしっかりした対策であると私は思います」

まったくそのとおりではないか。どの集会のどの発言者も、メッキが剥げて地金が露わになったアベ内閣の本質を衝いている。ジコチュー内閣、行政私物化政権、えこひいき首相、隠蔽・改竄・口裏合わせ、嘘つき・忖度総理…。実はそれだけではない。特定秘密保護法・戦争法・共謀罪そして、行き着く先がアベ改憲だ。だから、「安倍ヤメロ!」「総辞職!」なのだ。

「嘘つき内閣が嘘に嘘を重ねている。安倍内閣は『総理のご意向内閣』」。そこまで言われる内閣も珍しい。こう言われて、そのとおりだよなあと共感が広がる政権もまた珍しい。アベにもその取り巻きにも、怒る理由も気迫もないだろう。もう末期症状だ。「アベのいる内、3分の2ある内」が千載一遇のチャンスなのだから、アベの末期症状は、憲法の元気回復チャンスである。そして、アベ政治の臨終こそが、憲法の再生である。

全国津々浦々に「アベの嘘つき」「アベやめろ」の声が響いたに違いないが、昨日私が講演した立川の憲法集会もその一つ。「市民のひろば・憲法の会」は毎年憲法記念日に集会を開いて今年(2018年)が第32回。今年のタイトルが「やめよう改憲 生かそう平和憲法」というものだった。昨日も述べたとおりの熱気あふれた立派な集会だった。平和で豊かな社会を築くために憲法をどう生かすべきなのか、学び、考えようという気迫にあふれていた。

私の講演の前のプログラムが「朝鮮の楽器演奏と民族舞踊」。西東京朝鮮第一初中級学校(小学生・中学生)の部活動の成果の披露だという。みごとなもので、大喝采だった。

https://www.facebook.com/292497987574541/photos/pcb.992697737554559/992697444221255/?type=3&theater

憲法記念日の憲法集会に朝鮮学校の演舞。まことに時宜を得て結構なことではないか。国際協調、法の下の平等、民族差別の解消、教育を受ける権利、教育行政の責務…等々の憲法理念の実現の課題を考えさせる。このような懸命な子供たちの演技を見ていると国籍や民族などの違いはなんの障壁にもならずに、心の通い合いを感じる。伸びやかな子供たちの豊かな可能性に観客の心が熱くなる。

幕間に申俊植(シンジュンシク)校長が落ちついてコメントした。

「今の演技は、部活動としての民族舞踊の披露です。わが校は、民族教育の特徴はありますが、日本の小学校と特に変わった教育をしているわけではありません。
 地域の皆様にはご理解をいただけるよう努力をしているつもりですが、それでも先日、日本の中学校とのサッカーの対抗試合の際に、相手校の選手から『おまえら、みんなキンジョンウンなんだろう』と言われたという報告がありました。
 私は、腹を立てるのではなく、もっと私たちの日常を見てもらい理解していただく努力をしなければならないと思っています。たびたび、学校見学の日を設定していますが、その日に限りません。いつでもけっこうです、皆様どうぞ見学にお越しください。私自身も授業をもっています。どんな授業を行っているか、ぜひごらんいただきたいと思います。そのようにして、私たちも地域の一員であることにご理解をいただきたいのです」

堂々と立派な、共感を呼ぶ挨拶だった。 **************************************************************************
昨日の集会後、実行委員を中心に20人余りの人々の交流会がもたれた。お茶とお菓子、参加費300円の交流会で、多彩な人々の熱い思いが語られ、貴重な時間となった。

その交流会の際に、内閣総理大臣の衆議院解散権の行使に制約が必要ではないか、党利党略の随時解散権など認めるべきではないとの話題が出た。

解説を求められて、戦後の解散が憲法69条によらずに、7条3項による解散として実務が定着していること。「7条解散は違憲」と提訴のあった苫米地事件で、最高裁大法廷は統治行為論で判断を回避し、結局7条解散にお墨付きを与えることとなったことは解説し、英国の法改正についても触れたが、「その余の各国の制度については調べて当ブログでお返事する」こととした。以下がその回答である。

《アメリカ》上院・下院とも、制度上解散がない。したがって、大統領の解散権もない。

《ドイツ》
上院に解散はない。下院では、首相の信任投票が否決された場合にのみ、首相が解散権を行使できる。留意すべきは、内閣の不信任決議は同時に後継首相を決定しなければならない制度となっており、解散理由とはならない。

《イギリス》
2011年に「固定任期議会法」が成立し、首相による下院の解散権行使というシステムは大きく制限された。議員の任期5年固定を原則とし、解散には下院議員の定数の3分の2以上の賛成が必要となっている。

《フランス》
大統領は、首相及び両議院議長の意見を聴いた後、国民議会を解散できる。

《オーストラリア》
上下院とも、首相がいつでも解散することができる。

《カナダ》
下院は首相がいつでも解散することができる。

(2018年5月4日)

憲法記念日に平和的生存権を語る

2018年5月3日。日本国憲法施行から71年目となる憲法記念日。アベ改憲策動のせめぎ合いの中でこの日を迎えている。改憲派・改憲阻止派ともボルテージは高いが、公平に見て改憲阻止派の勢いが圧していると言って差し支えなかろう。

本日の両勢力のメインとなる集会について、毎日新聞は次のように伝えている。
改憲を目指す「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のフォーラムには約1200人(主催者発表)が参加。安倍晋三首相のビデオメッセージが流され、気象予報士でタレントの半井小絵氏が「北朝鮮の核・ミサイル開発など危機的な状況にもかかわらず、国会では大切な議論が行われていない」と述べた。

改憲反対の署名活動を展開する護憲団体などの集会では、野党4党トップも演説。約6万人(主催者発表)が参加して安倍政権退陣を訴え、和光大の竹信三恵子教授は「平和ぼけという言葉があるが、憲法のありがたみが分からなくなっている」と警鐘を鳴らした。

本日の朝刊各紙の社説のタイトルを並べてみよう。
朝日新聞 「安倍政権と憲法 改憲を語る資格あるのか」
毎日新聞 「引き継ぐべき憲法秩序 首相権力の統制が先決だ」
日本経済新聞 「改憲の実現にはまず環境整備を」
読売新聞 「憲法記念日 自衛隊違憲論の払拭を図れ」
産経新聞 「憲法施行71年 『9条』では国民守れない 平和構築へ自衛隊明記せよ」
東京新聞には本日社説の掲載はない。が、一面トップの大見出しが「9条 世界の宝」である。社会がもっている各紙のイメージどおりの内容の社説となっている。

朝日・毎日・共同の各世論調査が、いずれも安倍政権下での改憲には、過半数が反対している。そして、安倍政権がなくなれば、改憲は遠のくことになる。「アベのいるうち、各院に3分の2の改憲議席があるうち」。これが、千載一遇の改憲のチャンスなのだ。

昨日(5月2日)発表の朝日の調査の一節。
今回の憲法に関する全国世論調査(郵送)では、2020年までの改憲をめざす安倍晋三首相と国民との隔たりがはっきり表れた。国民が求める政策優先度でも「憲法改正」は最下位。安倍首相は「新しい時代への希望を生み出すような憲法を」と語るが、その意気込みは国民に広く伝わっていない。
◆次の政治課題の中で、あなたが安倍首相に優先的に取り組んでほしいものに、いくつでもマルをつけてください。
景気・雇用      60
高齢者向けの社会保障 56
教育・子育て支援   50
財政再建       38
震災復興       34
外交         23
安全保障       32
原子力発電・エネルギー16
憲法改正       11
その他・答えない    4

朝日が9項目上げた政治課題の中での最低の数字。しかも、「いくつでもマルを付けてください」に、わずか11%の選択。「景気・雇用」「 高齢者向けの社会保障」「教育・子育て支援」が国民にとっての最優先課題であるのに比して、「憲法改正」は最劣後課題と言ってよい。「アベのいるうち」でなくては、改憲問題が喫緊の政治課題になるはずはないのだ。

また、産経新聞・阿比留瑠比(論説委員兼政治部編集委員)の署名記事が興味深い。「国会は国民の権利を奪うのか 憲法改正の時機を失っては悔やみきれない」と題するもの。

同記事は、こう言う。

「そもそも、国会でかつてなく改憲派・改憲容認派の議員が多い今は、千載一遇のチャンスである。与党内からは『国民世論が盛り上がっていない』という声も聞くが、国会が論議をリードしなければ、世論が高まるきっかけも生まれない。」「ポスト安倍候補に挙げられる政治家の中に、安倍首相ほど憲法改正に意欲を示す者はいない。安倍政権のうちにやらなければ、もう憲法改正はずっとできないというのは、衆目の一致するところである。この機を逃して、自民党はいつ『党の使命』を果たすつもりなのか。今やらなければ、長年にわたり、『やるやる詐欺』で有権者をたばかってきたといわれても仕方がないだろう。」「もちろん、改憲を使命とする自民党と長く連立を組んできた公明党にも、議論を前に進める義務と責任があるのは言うまでもない。」

?「現行憲法は施行71年を迎えたが、この間、国会は一度も改正の発議をしていない。従って国民は、憲法に関して意思表示をする機会を、今まで全く与えられてこなかった。憲法は改正条項(96条)を備えており、社会の必要や時代の要請に応じた改正を当然の前提としている。そして国会が発議した改憲案に対し、是非の意思表示をするのは国民の権利であり、その機会はつくられてしかるべきだ。憲法改正の国民投票が実施されれば、独立後初めてのことであり、画期的な意義を持つ。」「自民党をはじめとする国会の不作為でその時機を失うことがあれば、悔やんでも悔やみきれない。」

「アベのいるうち、3分の2の議席があるうち」が千載一遇のチャンスとの認識のもと、改憲世論が盛り上がらないことを焦りもし、嘆いてもいるのだ。

私には、「他人の嘆きは蜜の味」という趣味はない。が、産経の焦りや嘆きを、人権や平和への朗報と認識する理性は持ち合わせている。

本日は、有明に参集の6万人の内の1人にはならなかった。 立川の柴崎学習館で行われた憲法集会に招かれた。「やめよう改憲 生かそう平和憲法」というメインタイトル。例年続けて、32回目となる地域の「手作り憲法集会」。参加者は200人弱といったところ。熱気のあふれる立派な集会だった。

私は、求められたタイトル「憲法を支える平和的生存権」での2時間余の講演。いささかくたびれた。
以下は、レジメの一部
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第1 憲法記念日にちなんで
1 日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続によって成立している。
主権者が、国民投票という形での直接の関与をしていない。
2 第90帝国議会が日本国憲法の制憲議会となった。貴衆両院の審議を経て46年10月29日枢密院が「修正帝国憲法改正案」を可決。同日、天皇がこれを裁可した。その後、11月3日(明治節)を選んで、国民主権を明記した日本国憲法を、旧主権者である天皇が公布した。
その日天皇(と妻)が出席した「日本国憲法公布記念祝賀都民大会」開催。
3 その6か月後の47年5月3日、日本国憲法施行。皇居前広場で「日本国憲法施行記念式典」開催(天皇出席)。官民あげての祝賀ムード。翌年から5月3日は国民の祝日・憲法記念日(「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」)とされている。
4 戦後の「逆コース」以来、政権を担う陣営が憲法に冷淡で「改憲」を掲げ、野党陣営が「改憲阻止」「護憲」のスローガンを掲げる図式が定着。改憲(阻止)問題は、一貫して、最大級の政治課題となってきた。
5 天皇制の残滓が染みついている憲法だが、まぎれもなく人権尊重・国民主権・平和主義に立脚した普遍性をもつ現代憲法。これを後退させてはならない。
6 日本国憲法は「勝ち取った憲法」と「与えられた憲法」の両側面がある。権力側からの改憲策動に抵抗する国民運動の積み重ねが、徐々に日本国憲法の「勝ち取った憲法」としての側面を拡大しつつある。

第2 日本国憲法が危ない(改憲スケジュールの現段階)
1 これまでも、憲法の危機は何度もあった。
憲法敵視の保守政権が続く限り、革新派が「護憲派」となる「奇妙な」構図。
(自民党は、立党以来「自主憲法の制定」を党是としている)
そのたびに、国民は改憲を阻止することで、憲法を自らの血肉としてきた。
(日本国民は、日本国憲法制定に際して国民投票をしていないが、権力に抗して、70年余これを守り抜くことで、日々、自らの憲法として獲得してきた)
2 今回の「安倍改憲」は、前例のない具体的スケジュールをもっての改憲案。
◎手続的法制が整備されている。国民投票法・国会法の改正済み。
⇒参照・別添資料? 「改憲手続き法(概要)」
同   ? 「改憲手続き概要図」
◎両院とも「改憲派」の議席が、3分の2を超えている。
◎「アベのいるうち」、「3分の2の議席あるうち」が千載一遇のチャンス。
(つまり、「アベの退陣」「国政選挙の護憲派勝利」が改憲を阻止する鍵)
3 経過
※2017年5月3日 右翼改憲集会へのビデオ・メッセージと読売紙面
「アベ9条改憲」提案 9条1項2項は残して、自衛隊を憲法に明記。
その種本は、日本会議の伊藤哲夫「明日への選択」論文。
「力関係の現状」からの現実性ある提案というでなく、
意識的に「護憲勢力の分断」を狙う戦略的立場を明言している。
「自衛隊違憲論派」と「自衛隊合憲(専守防衛)派」の共闘に楔を。
実質的に「自衛隊違憲論派の孤立化」が狙われており、警戒を要する。
※同年12月20日 自民党 憲法改正推進本部とりまとめ
改憲4項目 「9条改憲」「緊急事態」「参院合区解消」「教育の充実」
⇒参照・別添資料? 「法律家6団体声明(抜粋)」
※自民党憲法改正推進本部・3月14日役員会
細田博之本部長は9条2項(戦力不保持)を維持、削除・改正する七つの条文案を提示。
▼現行9条
1項 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄
2項 陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権を認めない
????????????
▽2項削除案
(1)総理を最高指揮官とする国防軍を保持(9条の2)
(2)陸海空自衛隊を保持(9条2項)
▽2項維持案(自衛隊を明記)
(3)必要最小限度の実力組織として、自衛隊を保持(9条の2)
(4)前条の範囲内で、行政各部の一として自衛隊を保持(9条の2)
(5)前条の規定は、自衛隊を保持することを妨げない(9条の2)
▽2項維持案(自衛権を明記)
(6)前2項の規定は、自衛権の発動を妨げない(9条3項)
(7)前2項の規定は、国の自衛権の行使を妨げず、そのための実力組織を      保持できる(9条3項)
※以上の(3)案が最有力とされたが、この日細田本部長一任取り付けに至らず。3月22日までに、(3)から、「必要最小限度の実力組織として」を削除した案で一任取り付けとの報道。しかし、党大会での発表に至らず。
※予定では、3月25日自民党大会までに「改正原案」自民案を党内一本化
その後に、改憲諸政党(公・維・希)と摺り合わせ? →改正原案作成
今通常国会(6月20日まで)に原案発議⇒18年末までに改正案発議。
⇒19年春国民投票⇒20年のオリンピック開会までに改正憲法施行。
※改憲派の思惑のとおりには、進行していない。
アベの求心力弱体化で、3月25日自民党大会条文化は不発。
※国会での手順は、
衆院に『改正原案』発議→本会議→衆院・憲法審査会(過半数で可決)
→本会議(3分の2で可決)→参院送付→同じ手続で可決になると
『改正案』を国民投票に発議することになる。
60?180日の国民投票運動期間を経て、国民投票に。
国民投票運動は原則自由。テレビコマーシャルも自由。
有効投票の過半数で可決。
※19年の政治日程は詰まっている。
統一地方選挙・元号発表・天皇退位・次期天皇の即位の礼・大嘗祭
・参院選(7月)・消費税値上げ。
※今が、勝敗を分ける運動のときだと思う。
19年4月までに国民投票を実施させないためには、3000万署名の成否が鍵。そして、参院選に護憲野党の選挙共闘が3分の1を超す議席を獲得すれば、アベ改憲の当面の危機は乗り切ることになる。

第3 憲法記念日に平和的生存権を語る
1 日本国憲法は平和憲法である。
9条だけではなく、前文から本文・補則の103条まで、丸ごと平和憲法である。過ぐる大戦における惨禍を繰り返さないという決意から生まれた。加害・被害両面の責任の自覚と反省から、戦争と軍備を放棄しようと決意した。
再び負けない強い国家を作ろうという「反省」ではない。
「平和を望むなら戦争の準備をせよ」という思想をとっていない。
2 日本国憲法の構造は、人権保障を基軸に組み立てられている。
近代憲法は「人権宣言(人権カタログ)」の章と「統治機構(制度)」から成る。人権こそが根源的な目的的価値であり、その他は手段・手段的価値と言ってよい。個人の尊厳を価値の根源とし、国家の制度は人権侵害のないよう設計されている。(個人主義・自由主義が根幹で、国家主義・全体主義を排斥している。)
※三権分立とは権力の集中強大化を防止して人権侵害を予防する基本原則。
※信教の自由という人権を保障するために、政教分離という制度がある。
※学問の自由という人権を保障するために、大学の自治という制度がある。
※言論の自由という人権保障のために、検閲の禁止という権力への命令がある。
3 平和も手段的価値であって、人権としての平和的生存権こそが目的価値ではないか。
平和を制度の問題ととらえるのではなく、国民一人ひとりが、平和のうちに生きる権利をもっていると人権保障の問題として再確認する。
※前文第2段落末尾に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。これを人権保障規定として読み直そうという、先進的憲法学者からの提案。
4 平和を制度の問題とすれば民主的手続によって具体化すべき課題となり、国民個人は選挙を通じた間接民主主義の土俵でしか、関与し得ないことになる。しかし、平和を人権の問題とすれば、民主的手続(≒多数決)によって個人の平和に生きる権利を侵害することは許されない。
5 平和的生存権の、主体、客体、内容、外延はいまだ定まっておらず、生成途上の基本権と言ってよい。これを裁判規範として活用し、政府の戦争政策を法廷活動でストップさせようという試みが、果敢に繰り返されている。
⇒参照・別添資料? 「イラク訴訟名古屋高裁判決(抜粋)」
類似のものとして、首相の靖国参拝や、公的行事としての大嘗祭を差し止めの根拠として、宗教的人格権の構想が用いられている。

第4 「ピースナウ・市民平和訴訟」の経験
1「湾岸戦争」への日本の加担と平和訴訟の概略
1991年1月17日、アメリカを中心とする多国籍軍はイラク軍に対する攻撃を開始した。「砂漠の剣」作戦と名付けられた爆撃と地上戦。これが「湾岸戦争」の始まりとなった。
日本はこの戦争に戦費負担で加担した。90億ドル(当時のレートで約1兆1700億円)の支出は多国籍軍総戦費の2割に当たる巨額。次いで現地への自衛隊機派遣の動きが報じられ、戦闘終熄後にはペルシャ湾まで自衛隊掃海部隊を派遣した。
アメリカが主導する戦争への事実上の参戦である。平和憲法のもとでは許されるはずのない政府の行為を「平和的生存権」を根拠に、訴訟で阻止したいと考える人々が各地で原告団を作り、その総数は3000人を超えた。その中で、最も大きなものが「戦争に税金は使わせない・ピースナウ市民平和訴訟」グループで、東京(原告1067人)・大阪(原告420人)・名古屋(原告542人)・鹿児島(原告2人・本人訴訟)の5地裁に「ピースナウ市民平和訴訟」を提起し訴訟と運動を連携しながら進行した。私は、東京地裁提訴事件の弁護団事務局長を務めた。その他のグループとして、大阪地裁「掃海艇派遣違憲訴訟」(原告212人)、福岡地裁「掃海艇入港住民訴訟」の本訴があり、これとは別に各地に差し止め仮処分の申立があった。
その後、この一連の訴訟を担った人々が「カンボジア派遣違憲訴訟」(大阪)、「PKO違憲訴訟」(東京・名古屋)、「ゴラン高原PKF違憲訴訟」(東京・大阪)、「思いやり予算違憲訴訟」(東京・大阪)、「テロ特措法違憲訴訟」(さいたま)などを提起した。さらに、イラク戦争開戦時には各地でイラク派兵差止訴訟が提起され、名古屋高裁が傍論ではあるが違憲の判断をした(2008年4月17日)ことが記憶に新しい。
さらにいま、全国各地(24地裁)に安保法制違憲訴訟が提起されて、平和的生存権活用の動きが継承されている。

2 「市民平和訴訟・東京」経過の概要
全訴訟の中心となった東京訴訟は、1991年3月4日原告571名が第一次提訴をした。弁護団は88名を数えた。当初通常部の民事13部に配点され、民事2部(行政部・涌井紀夫裁判長)へ回付された。
請求の趣旨は下記のとおりで、国を被告とする民事訴訟としての、「自衛隊機の派遣」差し止め(但し、結局派遣は回避された)請求と国家賠償請求訴訟であって、行政訴訟ではない。
「1 被告国は、湾岸協力会議に設けられた湾岸平和協力基金に対し90億ドル(金1兆1700億円)を支出してはならない。
2 被告国は、「湾岸危機に伴う避難民の輸送に関する暫定措置に関する政令」に基づいて自衛隊機及び自衛隊員を派遣してはならない。
3 被告国は、原告らそれぞれに対し各金1万円を支払え。」
同年4月23日の第二次提訴(原告277名)で、「掃海部隊派遣差止等請求」事件となった。請求の趣旨の概要は以下とおりで、行政訴訟ではない。
「1 掃海部隊派遣差し止め
2 原告一人につき1万円の慰謝料請求」
第三次、第四次提訴は、国家賠償請求だけ、全部併合されて原告総数1067名になった。
差し止め対象の戦費支出が完了し、掃海部隊が派遣先から帰国した後、請求の趣旨を変更して、請求は次の二項目になっている。
1 90億ドルの支出と掃海部隊派遣の違憲違法確認請求
2 一人1万円の損害賠償請求
計20回の弁論を経て、しかるべき証人調べも原告本人尋問も行ったが、敵性証人の採用はなかった。96年5月10日に判決が言い渡され、違憲違法確認請求は却下(門前払い)。国家賠償請求は棄却された。
これを不服として控訴したが97年7月15日控訴棄却の判決となった。
上告の是非については意見が分かれ、多くは断念したが、56名が上告。98年11月26日上告棄却の判決があって、事件は全部終了した。

3 訴額問題「3兆4千億円の印紙を貼れ」
本件では、提訴後第1回弁論以前に、訴額と印紙問題が大きな話題となった。
訴状には、裁判所を利用する手数料として、訴額に応じて所定の印紙を貼付しなければならない。担当裁判所から弁護団に訴額についての意見照会があった。弁護団から、裁判所の意向を打診すると驚くべき回答があった。
裁判所は自らの見解を表明して、訴額は「原告各自について90億ドル」、全体は「その合算額」(90億ドル×571人分)と言った。原告571人の訴額合計を、なんと685兆円とし、訴状に貼付すべき印紙額は3兆4260億円とすべきではないか、としたのだ。
司法の年間総予算が2500億円の規模であった当時のこと。試算してみたら、10万円の最高額印紙を東京ドームの屋根全面に貼り尽くして、まだ面積が足りない額なのだ。これは格好のマスコミネタとなった。
厳しい世論からの批判を受けて、裁判所は態度を軟化。大幅に譲歩して、267万9000円の印紙の追貼命令を出した。差し止めの訴額については、算定不能の場合に当たるとして一人90万円とし、これに原告数を乗じての計算。弁護団は予定の対応として、前記一次訴訟の請求の趣旨1・2項の差し止めにつき二名だけを残して、その余の原告は差し止めを取り下げた。二名を除く他の原告は国家賠償請求だけにしたわけだ。これは必要に迫られて編み出した現場の知恵で、「代表訴訟方式」などと呼んだ。
結局、この対応で印紙の追貼納付は、4000円だけでことが収まった。3兆円から4千円に、壮大なダンピングだった。第二次訴訟についても差し止め請求は二人だけ、あとは国家賠償請求と、同様の手続きとした。
この件は、その後の司法改革論議の中でも話題となっている。

4 後日韓国憲法裁判所訪問の際に、類似の訴訟提起がなされたことを知った。10万人を超す原告数で手数料は無料という。事情を説明した最高裁の判事が、「原告たちは違憲の行政を正そうという有益な行為を行っているのですから」と言ったのが印象的だった。
なお、当時韓国でも平和的生存権の思想と実務での活用があることを知った。「9条をもたない韓国憲法」下の平和的生存権は、個人の尊厳条項から導かれており、一部認容されている判決もあるとのことだった。

5 平和的生存権の構成
※裁判規範性有無の論争
長沼ナイキ訴訟一審判決が訴えの利益の根拠として裁判規範性を認めた。
その後は、2008年4月27日、名古屋高裁民事3部(青山邦夫裁判長)において、
個人的には極めて貴重な経験だった。9条についても、平和的生存権についても、三権分立の構造についても、考えさせられた。法廷と運動の結合、毎回の法廷をどう演出するか、平和的生存権とは何か、三権分立の理念、素晴らしい証人尋問・原告本人尋問…。
しかし、その限界についても考えざるをえなかった。

6 内部的議論の数々
☆原理的に司法で解決すべき問題か。あるいは、司法解決に馴染む問題か。
☆請求権は何か。
平和的生存権とは、具体的な給付請求権たりうるのか。
人格権で政府に対する作為・不作為の請求が可能か。
☆違憲国賠訴訟の共通の悩み→主として宗教的人格権
法的保護に値する利益の侵害があったといえるか
☆現職自衛隊員が原告となった安保法制違憲訴訟(自衛隊員の「予防訴訟」)における控訴審で訴の利益を認めた東京高裁第12民事部の判断。
(2018年5月3日)

わたしはふしぎでたまらない ― どうして退陣しないのか

本日(5月2日)の毎日新聞「みんなの広場」(投書欄)に、「歯止めかからぬ支持率低下」と題した意見が寄せられている。長崎県諫早市の麻生勝行さん(77)からのもの。

ご意見の要旨は以下のとおり。
「これほどまでに疑惑にまみれてしまった安倍政権。国民の批判は高まるばかりだ。どうして退陣しないのだろうか。」「安倍晋三首相には政治的良心や適切な判断力が欠如しているようにしか思えない。」「森友学園疑惑、加計学園問題、自衛隊の『日報』隠しなど、隠蔽や改ざんのオンパレードである。どれ一つとして国民が十分に納得できる説明をしていない。誠実な正しい政治をしていないのだから、国民を満足させる答弁ができないのは至極当然である。」「全国世論調査によると安倍内閣の支持率は30%で不支持は49%。支持率の低下傾向に歯止めがかからない状況だ。安倍首相は勇気を持って退陣すべきではないか。」

まったくおっしゃるとおりではないか。
政治の現状 森友、加計、『日報』、隠蔽や改ざんのオンパレード
政府の対応 国民が納得できる説明をしていないし、できない。
その原因  安倍首相に、政治的良心や適切な判断力が欠如していること。
国民の反応 歯止めかからぬ支持率低下
投書者意見 首相は勇気を持って退陣せよ

良識ある国民の多くが同じ気持ち、同じ意見だと思う。とりわけ、「安倍首相には、政治的良心や適切な判断力が欠如している」との指摘には、深く頷かざるを得ない。安倍政権の早期退陣要請は、もはや天の声である。

ところで、この投書には金子みすゞの「ふしぎ」という詩が引用されている。
「わたしはふしぎでたまらない、
  黒い雲からふる雨が、
  銀にひかっていることが。」

投書者は、安倍首相やその取り巻きたちの、政治的良心を欠いた醜悪さを「黒い雲」と受けとめている。その醜悪な「黒い雲」政権が行う、黒く醜い諸政策が、国民の眼前に現れるときには、必ずしも「黒い雲」から落ちてくる「黒い雨」として見えるわけではない。取り繕われ、粉飾されて「銀にひかって見える」のだ。あたかも、美しい銀の雲から降ってきたものの如くに…。このことが金子みすずの言葉を借りて、「ふしぎでたまらない」と語られている。

投書者の思いは、こうであろう。
眼前に銀色に美しく光って見える雨に欺されてはいけない。いまようやく、多くの人の力で、政権の醜悪さが明らかとなった。だから、力を合わせてこの政権を退陣に追い込まねばならない。

なお、みすずの詩は、次のように続く。
  わたしはふしぎでたまらない、
  青いくわの葉たべている、
  かいこが白くなることが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  たれもいじらぬ夕顔が、
  ひとりでぱらりと開くのが。
? 
  わたしはふしぎでたまらない、
  たれにきいてもわらってて、
  あたりまえだ、ということが。

一節、投書者の思いを付け加えよう。
  わたしはふしぎでたまらない、
  良心欠いた政権がこれだけみんなに叩かれて
  それでも退陣しないのが。

もう一節。
  わたしはふしぎでたまらない、
  うそにまみれた内閣に30%の支持がある、
  どこのどなたのご冗談。
(2018年5月2日)

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