級友との沖縄の旅・3日目ー南部戦跡
本日(5月10日)沖縄の旅3日目。本日は、名護から南部戦跡や平和公園をまわって糸満泊の予定。3日目の予定記事となる。
学生時代、初めてパスポートをもって復帰前の沖縄を訪れたことがある。そのときも、南部の戦跡をめぐった。まだ平和祈念公園はなく、平和の礎の建設もなかったが、ごつごつした摩文仁の断崖と、そこに建っていた仲宗根政善さんの次の2首の歌碑が印象に深い。
いわまくらかたくもあらむ やすらかにねむれとぞいのる まなびのともは
(ひめゆりの塔)
南の巌のはてまで守り来て散りし龍の児雲まきのぼる
(沖縄師範健児之塔)
このとき那覇で、まったく偶然に仲宗根政善さんにお目にかかってお話を伺う機会を得ている。魂魄の塔も印象に深い。
その後、慰霊の塔や歌碑が数多く建てられた。その中の心に残る幾つかの歌を記しておきたい。歌碑の中には、靖国調で違和感を禁じえないものも少なくないが。
わが立てる臥牛の山は 低くして 南海は見えず 吾子はかへらず
この果てに 君ある如く 思はれて 春の渚に しばしたたずむ
(北霊の塔)
むせび哭く み魂の散りしか この丘に かすかにひびく 遠き海鳴り
(ふくしまの塔)
和魂となりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風
(魂魄の塔)
しろじろと しおじはるかに かがやける マブニのおかに きみをまつらん
(のじぎくの塔)
平和祈念公園ができてから確か3度ここを訪れている。その都度平和の礎の大理石の肌に手のひらを当て、刻印を指でなぞっている。故郷を同じくする人の名には一入感慨が深い。
ここでの慰霊の対象は全戦没者である。戦争の犠牲となった「尊い生命」に敵味方の分け隔てのあろうはずはなく、軍人と民間人の区別もあり得ない。男性も女性も、大人も子どもも、日本人も朝鮮人も中国人も米国人も、すべて等しく「その死を悼み慰める」対象としている。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する」立ち場からは、当然にそうならざるを得ない。
味方だけを慰霊する、皇軍の軍人・軍属だけを祀る、という靖国の思想の偏頗さはここには微塵もない。一途にひたすらにすべての人の命を大切にして平和を希求する場、それが、平和祈念公園であり、平和の礎である。
あらためて、貴重な人命を葬り去った戦犯たちの責任を想起する。それは、戦争を起こした責任であり、近隣諸国への加害責任であり、敗戦が明確になってからも戦争を継続した責任であり、民間人の命を危険にさらした責任であり、戦後も長く損害の回復を怠った責任でもある。戦争の惨禍は国がもたらすもの。過去の戦争の被害について徹底して国家の責任を追求することが、再びの戦争の惨禍を防止することにつながる。
(2018年5月10日)