(2020年6月10日)
半島の南北関係が不安定に見える。北朝鮮の朝鮮中央通信は、昨日(6月9日)、同日正午から南北間の通信連絡線を完全に遮断すると報じた。朝鮮労働党中央委員会本部と韓国大統領府を結ぶホットライン(直通電話)も含まれるという。
突然に北朝鮮が態度を硬化させたのは、脱北者団体が本年5月31日に北朝鮮に向けて風船で飛ばしたビラ50万枚の散布が原因だという。核弾頭や弾道ミサイルのイラストとともに金正恩朝鮮労働党委員長の写真が掲載され、これに「偽善者金正恩!」とのメッセージが書かれていた。これが、北の体制批判として逆鱗に触れた。
正恩の実妹金与正(キム・ヨジョン)が北朝鮮メディアを通じて非難する談話を4日に発表した。朝鮮中央通信によると、与正はビラを飛ばした脱北者らを「祖国を裏切った野獣より劣る人間のくず」「くそ犬」(訳語の正確性は分からないが)などと罵倒。韓国政府が「相応の措置」を取らない場合には、南北合意の破棄も「十分に覚悟すべきだ」と警告した。これに呼応して、6日には、ピョンヤンで脱北者団体を糾弾する大集会が開かれ、人々が「人間のくずを八つ裂きにせよ」と叫んでいる。
金明吉(キム・ミョンギル)中央検察所長も次のように発言している。「歴史の審判は避けることができず、早晩、民族的罪悪を総決算する時が訪れるだろう。最後の審判のその時、共和国(北朝鮮)の神聖なる法廷は、わが最高尊厳(金正恩)を攻撃した挑発者たちを無慈悲に処刑するであろう」というのだ。
北朝鮮の労働新聞も「最高尊厳」に言及している。脱北者団体を「虫のような者」「人間のくず」と罵倒し、北朝鮮へのビラ散布を「北朝鮮の最高尊厳にまで触れる天下の不届き者の行為」と批判したという。のみならず、「さらに激怒するのは責任を免れようとする南朝鮮当局の態度」とし、「人間のくずの軽挙妄動を阻止できる措置からすべきだった」「決断力のある措置を早急に取れ」と主張して、韓国政府を批判し適切な措置を求めている。
「偽善者金正恩!」という表現は、神聖なる法廷で裁かるべき「わが最高尊厳に対する攻撃」だというのだ。これは信仰を共にする仲間内だけに通じる、聖なる存在への帰依の表白である。信仰を共にする世界の外にいる者には理解不能である。権力や権威を批判する自由は、民主主義の基本である。にもかかわらず、信仰を共にする世界の外にいる者に、自分たちの心情を理解しないこと、同調する行動に至らないことに苛立っているのだ。
こういう動きは、海外だけにあるわけではない。北朝鮮の動きは、神聖天皇を戴いた戦前の大日本帝国をルーツとするものと言ってよい。神聖天皇に忠誠を競った臣民の末裔は、日本にも遺物として残存しているのだ。
その日本では、6月2日高須克弥という人物が、愛知県の大村秀章知事をリコールするため政治団体を立ち上げたと発表した。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」をめぐり、「税金から補助を与えるのが一番許せない」と述べたという。同席者が、百田尚樹、竹田恒泰、有本香、武田邦彦という、「ああ、なるほど」と思わせる分かり易い面々の集合。
大村知事リコールの理由は分かりにくいが、「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などの展示内容」が問題というようである。「国、県民にとって恥ずかしいことをする知事は支持できない」とも述べられたという。
北朝鮮の金与正と日本の高須克弥、精神構造は酷似している。金与正にとっての金正恩と、高須克弥にとっての昭和天皇(裕仁)は、ともに「わが最高尊厳」なのだ。この 「わが最高尊厳」に対する侮辱は、神聖なる法廷で裁かるべき攻撃として許せないという。そして、許せないはずのことを傍観している文在寅や大村知事が許せないというのだ。
与正の感情も、高須の胸の内も、信仰を共にする仲間内だけに通じる、聖なる存在への帰依でしかない。民主主義社会においては、将軍様や天子様への信仰を公的に認めることも、それに対する批判の言論を封じることもあり得ない。さらに、忌むべきことは、同調圧力によって、将軍様や天子様への信仰を強制し、あるいはその批判を掣肘しようとすることである。
国内問題としていま問われているものは、天皇(裕仁)に対する批判の表現に対する賛否ではない。わが国における表現の自由の実質的な権利性である。そのことは、この社会の民主主義の成熟度でもある。
この高須の動きは、民主主義のバロメータとなるだろう。たまたまの偶然で、愛知県民が民主主義成熟度計測のサンプルとなった。表現の自由がどれほど護られているか、あるいは絵に描いた餅に過ぎないか。成熟した民主主義が定着しているのか否か。それが試され、計られる。
高須は100万の賛同署名を集めると口にしたという。この件で100万の署名が集まるようなことがあれば、この社会の民主主義成熟度は0点である。その反対に署名ゼロなら満点の100点。得点を数式化すれば、下記のとおりである。
《100?(署名数÷10000)》点
80点以上なら 優
80?50 良
50?13 可
13以下 不可(リコール成立)である。
なお、愛知県内の有権者数は612万人で、リコール(知事の解職請求)は87万人の有効署名で成立する。請求が有効と確認されれば、その日から60日以内に解職の住民投票が行われ、有効投票総数の過半数の賛成で知事は失職することになる。
(2020年6月9日)
新型コロナウィルス感染症が世界に蔓延しています。言わば、今、コロナウィルスと人類全体が闘っている事態。ウィルスの側は国境を意識しませんが、人類の側の対応は、国境で区切られた国を単位に、総力をあげて闘っています。
ウィルスの存在や人への感染それ自体は自然現象ですが、その対応は、社会的・政治的行動になります。闘いはいまだなかばですが、各国それぞれの流儀のウイルス対策で、成功例もあれば、失敗例も出てきています。
古来、疫病の蔓延は国難と言うべき事態で、国難への対処は国民の一体感を増し、それぞれの国のリーダーは、国難を克服する過程で、国民の支持を固めます。不人気な大統領や首相にとって、コロナは失地回復のチャンスでした。
現に、献身的で賢明な頼りになる政治リーダーとの評価を高めた政治指導者が輩出しています。まずドイツのメルケルの名があがります。そして、台湾の蔡英文、韓国の文在寅、その他ニュージーランドやフィンランド、デンマーク、アイスランドなどがその例です。
これに対して、国民からの評価を失った国の指導者もいます。ハンガリー、ブラジルなど極端な例は除くとして、注目されているのはアメリカのトランプと日本の安倍晋三です。この気の合う両者が、目くそと鼻くそ。
普段はよく見えなかったものが、国民的な危機のときにこそ、誰にもよく見えてきます。わが国にコロナ禍が襲来して、まず見えてきたものは、私たちの国を預かる政権の無能さです。安倍晋三という人物は、コロナで苦しむ国民を尻目に、自宅で犬を抱いて寛いでいるという、ずれまくった感覚。そして466億円の税金を投じて各所帯にアベノマスク2枚を配布するという、アホの対策。しかも、口先だけのスピード感で、やることなすこと、全て後手後手の対応。国民から見離されて、支持率低下というのですが、毎日新聞の世論調査で、支持率27%。まだ27%の国民が支持していることが信じがたい、無為・無策・無能ぶりではありませんか。
次いで、見えてきたのは、あまりに貧弱な医療体制の実態でした。いつの間にか、保健所の数も人員も減らされ、感染症患者のベッドは足りず、医療従事者のマスクや防護服も足りない。うっかりPCR検査の対象を増やすと、病院もベッドも足りない、医療崩壊が起きるという情けなさ。公立病院は統廃合され、独立法人化が進められようとしています。儲けにつながらない医療が切り捨てられつつあるのです。
それだけでなく、コロナ禍による経済活動自粛が強要される中で浮かび上がってきたのが、この社会での格差・貧困の実態です。弱い立場にある人々への苛酷な皺寄せとなっています。
医療も、格差・貧困も、全ては安倍長期政権がつくってきたものです。安倍政権とはなんだったのか、なんであるのか。もう一度、思い起こしてください。
もり・かけ・さくらにカジノの誘致、河合夫婦に賭けマージャン、電通・パソナに、予備費の10兆円。問題は山積です。嘘とごまかしで、オトモダチ優遇。国政私物化の安倍政権ではありませんか。
いよいよ、末期症状の安倍政権は、国会での追及を恐れて、6月17日に国会を閉会し、自宅に閉じこもって犬と遊ぼうとしています。彼は、野党からの追及をされたくない。延長はせず、10兆円という補正予算を抱えて、当分は政策論議をしたくないという姿勢です。
無策・無能な政権は、国民の命にかかわります。安倍政権の退陣を求める声を上げようではありませんか。安倍政権を倒すことは、しっかりと憲法を護ること。しっかりと憲法を護り、憲法の理念を実現することこそが私たち一人ひとりの命と暮らしを護ることにつながります。
ご静聴ありがとうございました。
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まだ6月だというのに30度の炎天下、毎月第2火曜日定例の本郷三丁目昼街宣をおこないました。11名の参加で、今回もプラスター、横断幕、マイクだけの行動でした。
気がついたことがありました。以前より多くなった通行人はさまさまなことが書いてあるプラスターをけっこ
う見入っている姿でした。「にげるなアベ政権」なとと書いてあるものはみなさんよく見ていました。
マイクは、アメリカ合衆国の黒人殺害事件から始まり、日本での第2次補正予算案における憲法83条(財政民主主義)違反の予備費の追及、コロナ禍での独や台湾の指導者の措置と比べ安倍政権の手際の悪さ、などなどを訴えました。
いよいよ安倍晋三政権の背中が見えてきました。安倍政権に政治の舞台から退場してもらう時期がそこまできました。あと一息、立憲野党の統一を促進する市民運動がいよいよ大切になってきました。全力を投入してたたかいぬきましょう。
本郷湯島九条の会 世話人 石井彰
(2020年6月8日)
本日(6月8日)、NHKの視聴者団体が連名で、NHKと経営委員会に、情報公開に関する要望書を提出した。「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」の審議結果を尊重して経営委員会の議事内容に関する文書を開示せよ、という内容である。
NHKは行政機関でも独立行政法人でもない。従って、情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)の適用対象とはならない。しかし、NHKは公共放送機関として国民の知る権利や民主主義のあり方に大きな影響力を持つ存在である。当然に、視聴者・国民に対する説明責任を自覚すべき立場にあって、「NHK情報公開基準」「NHK情報公開規程」という独自の情報公開制度をもっている。
その骨格は、以下のとおりである。
(1) NHKの保有する文書の開示請求を「開示の求め」と言い、視聴者からの「開示の求め」には原則としてこれに応じる。
(2) しかし、NHKの事業活動に支障を及ぼすおそれがあるなどの理由がある場合は、「不開示」とすることができる。
(3) 不開示者に不服があれば、「再検討の求め」ができる。
(4) 「再検討の求め」には、第三者機関「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」が客観的・中立的な立場から審議し、NHKはその意見を尊重して再検討する。
(5) NHKが最終判断する。
今回の要望は、「情報公開審議委員会」の立派な意見を尊重して、それに従った判断を求めるというもので、概ね下記のとおりである。
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2020年6月8日
NHK会長 前田 晃伸 様
NHK経営委員長 森下 俊三 様
NHK経営委員 各位
NHK情報公開・個人情報保護審議委員会の5.22答申(第797号、第798号)を「尊重」して直ちに本件答申対象文書を開示するよう求める要求書
共同提出団体名(24団体)
NHKとメディアを考える滋賀連絡会/NHKとメディアを考える東海の会/NHK問題大阪連絡会/NHK・メディアを考える京都の会/NHK問題を考える奈良の会/NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ/「日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える11.5シンポジウム」実行委員会/NHKとメディアを語ろう・福島/NHKとメディアを考える会(兵庫)/表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク/NHK問題を考える岡山の会/NHK問題を考える会・さいたま/政府から独立したNHKをめざす広島の会/放送を語る会/時を見つめる会/NHKをただす所沢市民の会/NHKとメディアの今を考える会/NHKを考える福岡の会/NHKを考えるふくい市民の会/言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会/日本の政治を監視する上尾市民の会/マスコミを語る市民の会(宮城)/NHK問題とメディアを考える茨城の会/ジャーナリズムを考える市民連絡会とやま/
【事実経過】
視聴者が2019年9月26日、NHKに対して2つの文書
(1) 「2018年4月24日放送の『クローズアップ現代+』や日本郵政グループについて、NHK経営委員会で行われた議論の内容が分かる一切の資料」及び
(2) 「2018年度以降、NHK経営委員会が上田良一会長に対して行った厳重注意について、経営委員会で行れた議論の内容が分かる一切の資料」
の開示請求を行ったのに対し、NHKは「議論のための資料、および議事録(非公表部分)」については、「NHKの事業に関する情報であって、開示することによりNHKの事業活動に支障を及ぼす恐れがある」として開示できないとしました。
これに対し、視聴者が不開示とした部分について「再検討の求め」(NHK情報公開規程第17条)を提出しました。
この求めに対して、NHK情報公開・個人情報保護審議委員会(委員長=藤原靜雄・中央大学大学院教授)は2020年5月22日、「一部開示ではなく開示が妥当」との答申(第797号及び第798号、以下5.22答申という。)を提出しました。
NHK情報公開規程第21条は「審議委員会の意見の尊重」との見出しのもとに、次のように規定しています。
「NHKは、審議委員会の意見を尊重して、再検討の求めに対する開示・不開示の判断を行う。」
本件に即してこの条文を適用するならば、「NHKは、審議委員会の意見を尊重して、再検討の求めに対する開示の判断を行う。」ことになります。
仮に、この条文に規定されている情報公開制度の趣旨に反して、NHKが5.22答申と「真逆の判断」を行い、それをNHKの最終判断であるとするならば、5.22答申及び審議委員会設置の意味(存在理由)は失われてしまいます。
ちなみに「NHK倫理・行動憲章」(2004年制定)においても、その「行動指針」で「視聴者のみなさまの信頼を大切にします。」として「NHK情報公開基準にのっとり、事業全般にわたる情報をわかりやすく、積極的に公開します。」と視聴者に約束していることを、本件判断に当たって、経営委員会は再確認していただきたいところです。
【今回の5.22答申の画期的な内容】
今回の5.22答申は、NHKの不開示理由を退け、経営委員の説明責任や経営委員会の情報公開に関する責任について、視聴者の立場を考慮したうえで、次のように明快な説示を展開しています。
「視聴者や広く国民の福祉のためわが国の公共放送の適正な運営と発展にそれぞれが重い責任を負うものである。したがって当然のことながら、視聴者・国民に対し自らの経営委員としての言動については、広く説明責任を負っていると言わなければならない。特に、NHK会長に係るガバナンスの問題というような重要な運営上の問題について、各委員がどのような意見を持ち、どのような議論が行われ、どのような結論に達したの
かについては、より強く透明性が求められることは論をまたない。少なくとも、本件を、議事録非公表の場でなければ各経営委員が率直な意見が言えないような類の問題と位置づけるべきものではない。会長を対象とする『役員の職務の執行の監督』という極めて重要な権限行使に係る議事において、すべての委員がその重要性を踏まえて発言しているはずのものである。…過去に会長に対して、経営委員会が『注意』や『申し入れ』を行った場合、その議事録は公表されている。したがって、本件文書が公開されることによって今後の同種の審議、検討または協議が円滑に行われることを阻害するおそれがある、とするNHKの見解は肯定できない。」
「本件対象文書が関係する一連の事件については、 新聞報道、国会での審議を通じ広く視聴者・国民の強い関心を招くに至っており、NHKの公共性、透明性、経営委員会の議事の経過等に対して一部で疑念が呈され、視聴者に対する十分な説明責任を果たすことが求められている状況を勘案すると、むしろ議事録を速やかに開示することが、今後のNHK及び経営委員会の運営にとっても必要なことと言っても過言ではなかろう。NHK情報公開制度は、受信契約の強制を伴う受信料徴収が行われており、かつ、公共放送を担う機関であるというNHKの立場を踏まえて構築された独自のものである。本件文書の開示はその目的に適うものであろう。」
【私たち視聴者団体の要求】
以上のことから、私たち視聴者団体は、5.22答申がNHK情報公開制度の目的に適ったものとして開示すべき本件関連文書について、直ちに請求者への開示を行うとともに、その一般公開を一刻も早く求めるものです。
私たち視聴者団体が強く求めるのは、今回開示を求めた請求者に開示する議事録、配布資料は、これを経営委員会のHP上でも公開し、視聴者・国民誰もが閲覧できるようにすべきである、ということです。
(2020年6月7日)
久しぶりに、アメリカ発のニュースで、コリン・キャパニックの名を耳にした。この度の白人警官による黒人殺害事件で、全米に拡がった抗議運動の報道の中でのこと。彼は、元NFL所属の49ersでQBだったスーパースター。日本語では「片膝付き」と訳されている、プロテストポーズ「テイク・ア・ニー」の元祖である。
特定の身体ポーズが、政治的・宗教的主張と結びつくことがある。かつては、ヒトラーの崇拝者たちが、一斉に右手を伸ばすナチス式敬礼のうえ、「ハイルヒトラー」と叫んだ。以来、あのポーズは全体主義の印として周りの者をぞっとさせる。
また、アメリカ公民権運動を担った黒人活動家たちは、「ブラック・パワー・サリュート」という、拳を高く掲げる抗議のポーズをとった。1968年メキシコオリンピック表彰台における、トミー・スミスやジョン・カーロスの星条旗に対して拳を突き上げたあの抗議の姿が感動的だった。
2016年8月26日、NFLプレシーズンマッチでの試合前の国歌斉唱時に、キャパニックは起立を拒み、テイク・ア・ニーの姿勢を貫いた。その年の7月5日に南部ルイジアナ州で黒人男性が警官に射殺され、7月6日にも米中西部ミネソタ州で、黒人男性が警官に射殺される事件が続いた。全米に抗議行動が巻きおこっているさ中に、キャパニックは抗議の意思を表明したのだ。彼の日抗議の先は、毅然とした対策をとらない国家に向けられた。「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」と明言している。
この行動に、多くの選手が賛同して国歌斉唱時のテイク・ア・ニーは大きな運動となった。当然のこととして、その賛否にアメリカの世論は大きく割れた。キャパニック批判の先頭に立ったのが、新大統領となったトランプだった。
17年9月22日における彼の支援者集会での演説のえげつなさが衝撃である。これが、超大国大統領の品性の程度である。
「我々の国旗に不敬な態度をとる奴に、NFLチームのオーナーが『あのクソ野郎をすぐにグラウンドからつまみだせ。出てけ。クビだ』と言ったら最高じゃないか」(クソ野郎の原語は、「son of a bitch」)「そのうちどこかのオーナーがきっとこう言うに違いない。『あいつは国旗を侮辱した。クビだ』とね。彼らは知らないのだ。私にはオーナーの友人がたくさんいる。」
得意になって、激した言葉で聴衆に語りかけるトランプ。これにヤンヤの喝采で応える支持者たち。煽る側、煽られる側の相互作用。節度も知性のかけらもない、これがアメリカの一面の現実なのだ。
このトランプ発言に、選手たちが反発してテイク・ア・ニーはさらに拡がった。この事態に、NFLコミッショナーのロジャー・グッデルは「大統領による無神経な発言を受け、彼ら(選手たち)はフラストレーションや失望を平和的な形で表明したのだ」とし、国歌斉唱中に平和的抗議運動を展開するNFL全体の動きを「誇りに思う」とまで語った。
当初は、キャパニックの所属チームは「宗教や表現の自由をうたう米国の精神に基づき、個人が国歌演奏に参加するかしないか選択する権利を認める」と同選手の決断を尊重するとの声明を発表した。また、NFLは声明で、「国歌の演奏中に選手たちが起立することを奨励するが強制ではない」と選手を擁護した。
しかし、このNFLのグッデルも、この姿勢を堅持できなかった。翌2018年にはNFLは方針を変え、選手たちの抗議活動を支持せず、国歌斉唱の際にひざまずくことを禁止。違反した場合には処罰を課すとした。これが、NFLの公式姿勢として今日まで続いた。キャパニックと49ersとの契約が切れたあと、彼を迎え入れるチームはなく、いまだに彼は失職状態にある。
しかし、捨てる神ばかりではなく、大手スポーツ用品メーカーのナイキが登場して拾う神となる。キャパニックを同社のイメージキャラクターとして採用した。同社のスローガン「Just Do It」の30周年を記念する広告にキャパニックを起用した。広告では、キャパニックの顔に「何かを信じろ。たとえすべてを犠牲にするとしても」という言葉を重ね合わせている。キャパニックがアメリカの自由を象徴する人物とすれば、トランプがアメリカの不寛容を象徴する存在であり、ナイキはアメリカの懐の深さを象徴したというべきであろう。
もちろん、トランプは、ナイキも執拗に攻撃した。18年9月5日の彼のツイッターは、ナイキを指して「間違いなく殺される」と述べた。「テレビ視聴率が下がったNFLと同じように、ナイキは間違いなく、怒りと購買拒否によって殺される。ナイキはそうなることを分かってやっているのか」とした。
そして、白人警官の黒人に対する絞殺事件という衝撃の新事態を迎える。全米に激しい抗議の行動が巻きおこっている。その矛先は、今、間違いなくトランプに突きつけられている。NFLの選手たちも声を上げ始めた。「人種差別や黒人への組織的弾圧を糾弾し、選手たちの平和的抗議を禁じた過ちを認め、黒人の命の大切さを尊重してほしい」との動画を投稿することでNFLに呼びかけた。
これに、NFLコミッショナーのロジャー・グッデルが呼応した。現地6月5日(金)、NFLが「以前にNFL選手の声に耳を傾けなかった」ことは間違いだったと認め、NFLのソーシャルメディアプラットフォームを通じて投稿した動画で「すべての人が意見を述べ、平和的に抗議」することを奨励すると語ったのだ。具体的には下記のとおりである。
「われわれナショナル・フットボール・リーグは、人種差別や黒人の方々に対する組織的弾圧を糾弾します。われわれナショナル・フットボール・リーグは、以前にNFL選手の声に耳を傾けなかったのは間違いだったと認め、すべての人が意見を述べ、平和的に抗議することを奨励します。われわれ、ナショナル・フットボール・リーグは、黒人の命の大切さを尊重します。個人的には皆さんと共に抗議しており、この国の切望される変化に携わりたいと思っています。黒人選手なくして、ナショナル・フットボール・リーグは存在しません。国内で行われている抗議活動は黒人の選手、コーチ、ファン、スタッフに対する何世紀にもわたる沈黙、不平等、弾圧を象徴しています。私たちは耳を傾けています。私は耳を傾けています。声を上げてくれた選手たちに連絡し、改善方法やNFLファミリーがさらに一致団結して前進できる方法を伝えていくつもりです」
直接にはキャパニックの名は出て来ない。国歌斉唱時のテイク・ア・ニーに言及されてもいないが、「以前にNFL選手の声に耳を傾けなかった間違い」と言えば、このことしかない。結局は、国歌斉唱時における選手たちのテイク・ア・ニー行動を容認するということなのだ。
「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」と言ったキャパニックから見れば、差別主義者トランプを大統領とする米国の国旗にも国歌にも敬意を払うことはとうていできまい。黒人を差別し、黒人に敵意を持つ国は、黒人にとって自らの国ではあり得ないのだ。
もっとも、キャパニックは、国家を本来的に性悪なものとして、原理的に国旗や国歌への敬意表明を拒絶していたわけではない。Black Lives Matterをスローガンとする運動が今度こそ成功をおさめ、トランプが大統領選で大敗した後には、キャパニックも国歌を歌えるようになるだろう。
(2020年6月6日)
6月18日告示の都知事選が目前である。私は、差別を容認し思想・良心を蹂躙して顧みない石原慎太郎知事以来の都政に我慢がならない。小池百合子都政を変えるために有力な「勝てる候補」の擁立を心から願っている。
「市民と野党の共闘」が高揚するいま、その課題は現実的なものと考えていたのだが、どうやら期待外れになりそうだという。報じられているところでは次のような事情だという。
野党四党は当初、統一候補の擁立を目指した。立民の蓮舫参院議員や前川喜平元文部科学次官の名前が挙がったが、いずれも立ち消えになった。新型コロナの感染が拡大し、都の対策の陣頭指揮を執る小池氏の存在感が一気に高まったからだ。れいわ新選組の山本太郎代表も統一候補としての出馬を検討したが、立民と合意に至らなかった。
立民が独自候補にこだわって小池氏に惨敗すれば、衆院選の野党共闘に痛手となることから…共産、社民との共闘の形を整えるため、無所属で出馬を表明している宇都宮氏の支援を事後に決める「プランB」(同)に落ち着いた。(東京新聞)
「プランA」があったのだ。そのプランでは、蓮舫・前川喜平・山本太郎などの錚々たる顔ぶれがリストアップされていた。しかし、結局のところ意中の人は首を縦に振らず、「プランA」は儚く潰えた。やむなく、勝てそうにもない候補者だが、不戦敗よりはマシの形作りのために、「プランB」としての候補者選択を余儀なくされたということなのだ。「プランB」とは言い得て妙だが、意中の人ならぬ「Bクラス」「Bランク」「B面」の候補者の擁立である。
注目すべきは、「プランA」を採用できなかった理由が、「新型コロナの感染が拡大し、都の対策の陣頭指揮を執る小池氏の存在感が一気に高まったからだ」ということである。はたしてその通りだろうか。
確かに、コロナを追い風にした現職の強みは圧倒的で不戦勝に等しいというのが、つい先日までのもっぱらの下馬評だった。ところが、いま雲行き急変の様子がある。猪瀬直樹や舛添要一に対する突然のバッシングの嵐が記憶に新しい。小池百合子が「排除いたします」というたった一言でそのカリスマ性を喪失した事件もあった。この妖しい雲行き、突然の豪雨にもなりかねない。
本日(6月6日)の毎日新聞朝刊に、伊藤智永論説委員の「時の在りか=小池都知事再選を危ぶむ」が衝撃的である。その一節を引用する。なお、全文が、下記URLで読める。
https://mainichi.jp/articles/20200606/ddm/005/070/029000c
女性評伝の名手である石井(妙子)氏が、3年半かけて取材した新著は、5月末刊行の「女帝 小池百合子」。即重版の売れ行きらしい。3カ月前から東京オリンピック延期やコロナ感染症対策で張り切る東京都知事の半生を徹底的に跡付けた力作だ。
一読、暗たんとなる。400ページを超える長編で、何人もが次々と小池氏に同じ言葉をぶつける。
「裏切り者! ウソつき!」
政治家の恨み言なら同情もしないが、これが国会議員時代前半に地元だった兵庫県の阪神大震災被災者、環境相当時の水俣病認定漏れ患者、アスベスト(石綿)被害者、築地中央卸売市場の豊洲移転に反対した「築地女将さん会」メンバーの叫びなら、そうはいかない。
政治にウソや裏切りはつきもの、といった訳知り顔にはくみしない。例えば故野中広務元官房長官は政争をいとわず、怖がられ、孤独でも、有権者からこのようにののしられることはなかった。仮にあったら、何とかしようと骨折ったはずだ。
小池氏はほったらかす。追いすがる相手に手ひどい矢を放つ。そんなエピソードがふんだんにある。
震災被災者の陳情を、議員会館で指にマニキュアを塗りながら顔を上げずに聞いて言ったそうだ。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?」
昨日(6月5日)の講談社のネット記事。《「学歴詐称疑惑」再燃の小池百合子…その「虚飾の物語」を検証する》 「『女帝 小池百合子』著者が真相を語った。」というインタビューも、インパクト十分である。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73063
インタビュアー近藤大介と、石井妙子とがこんな遣り取りをしている。
近藤 小池百合子氏は、生まれてこの方、一体いくつのウソをつき続けてきたのだろうと、石井さんの本を読みながら数えていったものの、50くらいまで来てやめました。「嘘八百」という言葉があるけれど、本当にこの本には800くらいのエピソードが詰め込まれているかもしれません。まさに「虚飾の政治家」です。
石井 この政治家(小池百合子)は、ウソにウソを塗り重ねたことで現在があるということが、次第にはっきりとわかってきたんです。ある時は自己顕示欲を満たすため、ある時は自己防衛のためにウソをつく。その後、それを隠そうと土を掘って埋めるけれど、隠そうとするあまり、土をかぶせすぎてしまうので、かえって、土が盛り上がり、そこにあるウソが透けて見える。そんなイメージでした。
具体的問題は、小池百合子の学歴詐称「カイロ大学首席卒業」の嘘である。実は、「首席」が嘘というだけではない。そもそも「卒業」が嘘というのだ。
近藤 「(小池氏は)カイロ大学は1976年の進級試験に合格できず、従って卒業はしていません」はっきりとこう述べている。これが事実なら、小池氏は完全な公職選挙法違反です。
石井は、この点の取材の様子を詳細に語って説得力十分である。
石井と並んで、これまで小池百合子の学歴詐称問題を追及してきたのが、作家の黒木亮。5月30日に、ネットに以下の記事を出している。これも、説得力十分である。
カイロ大学の深い闇…小池百合子が卒業証書を「出せない」理由 「捏造」が当たり前の驚くべき実態
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72912
この二人の調査を前提に、6月2日元検事の郷原信郎がこんな記事を書いている。
小池百合子氏「卒業証明書」提示、偽造私文書行使罪の可能性
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200606-00182101/
「都知事選、小池百合子氏は「学歴詐称疑惑」を“強行突破”できるか」
その記事の中で、郷原はこう語っている。
「カイロ大学卒」の学歴が虚偽である疑いが、石井氏の著書、黒木氏のネット記事で、改めて指摘されている中、疑問に答えることなく、これまでどおり・選挙公報の経歴欄に「カイロ大学卒」と堂々と記載することができるのだろうか。
しかし、それを記載しないで、「正直」に、「カイロ大学中退」などと記載した場合、それまで、「カイロ大学卒業」としてきたことの虚偽性を認めることになる。小池氏にとって、それは政治生命の終焉を意味する。
小池氏にとっての選択肢は、何らかの理由を付けて再選出馬を断念するか、立候補し、従前どおり「カイロ大学卒業」の学歴を選挙公報に記載して都知事選「強行突破」を図るかの、いずれかである。
わずか4日前のこの指摘が、今にわかに注目度を上げている。小池百合子はこの都知事選に、いかなる学歴を記載して立候補するつもりだろうか。どのように学歴を記載しても、小池百合子と学歴詐称とは、密接・密着・親密・濃密な関係として定着するだろう。
かつて、立花隆の調査報道になる「田中角栄研究 その金脈と人脈」が、田中角栄を退陣に追い込んだ事件を思い出す。既に、この書を引いての小池百合子の学歴詐称追及が始まっている。もしや、と思わせる展開である。
そこで、申し上げたい。今や、小池百合子はけっして強い候補者ではない。「プランAの候補者」であれば十分に勝機はある。まだ、時間はのこされている。せっかくの勝機をみすみす逃すことのないよう、市民運動と野党の皆さんには賢明な再考を願う。
(2020年6月5日)
昨日(6月4日)、香港ビクトリア公園では天安門事件の犠牲者追悼に1万人を超える人々が集まって集会が開かれた。31年前、北京で民主化を求める民衆を武力鎮圧した中国当局は、今なお、香港の追悼集会を快く思っていない。その意を承けた香港警察当局が、新型コロナ対策を理由に集会を禁止したが、これを押しての1万人を超える市民の集会参加となった。
香港市民は、禁止されていない少人数のグループに分散し、ソーシャルディスタンスを保つ形で、ロウソクに火を灯して集まった。31年前の弾圧による死者を悼むこの行動には、さすがの警察当局も「違法集会」としての制圧を控え、集会は事実上容認された。
暗闇の中の、無数のロウソクの光が美しく感動的である。しばし考える。どうしてこんなにも美しく、こんなにも感動的なのだろうか。
己が魂を護ろうと権力に抵抗する人の姿は、それだけで十分に美しい。大義のために、不当な権力に抗う人々の姿はより美しい。民主化を求めて犠牲になった人々を悼むための、不当な権力の制止に屈しない多くの人々の行動はこの上なく美しく、感動的である。
31年前のあの事件の後、中国の党と中央政府は、巨大な経済発展をなし遂げることで、国民の口を封じることに成功した如くである。パンを得て口を封じた人々の姿は、けっして美しくない。パンのみにては生るにあらずと心を決めた香港市民の行動こそが感動を呼んでいる。
同じ6月4日、香港立法会(議会)では、美しくない多数派の醜い多数決で、「国歌条例案」が可決成立した。この議会は、市民の意見を反映する構造を欠いている。直接普通選挙にはなっていないのだ。親中派が議席の過半数を占める、汚い仕組みで成りたっている。
雨傘運動時のような、また昨年の逃亡犯条例反対運動のような、中国当局の心胆を寒からしめる大規模大衆運動がやりにくいコロナ禍の今を狙っての国歌条例案の上程。火事場泥棒は、どこの国でもことさらに醜い。
権力にへつらう態度は、それだけで十分に醜い。パンを口にするために、人権や民主主義を抛つ国への阿諛追従はさらに醜い。強大な権力に抗う人々をいけにえに差し出そうという阿諛追従はこの上なく醜い。
中国国歌「義勇軍行進曲」は、帝国主義列強なかんずく侵略者日本の皇軍との闘いの中から生まれた中国人民の崇高な歌である。その国歌が、醜い過程を経て成立した醜い法によってでなければ、その尊厳が守られなくなったのだ。
国家に対する愛着や敬意を強制することはできない。国歌尊重の強制は逆効果と知らねばならない。国家が国民に愛国心を強要し、その手段として国歌の尊厳保持を法で固めなければならないと考えること自体が、既に国家の側の敗北であり失敗である。
もちろん、罪はあの「義勇軍行進曲」にあるのではない。罪はもっぱら愛国心を強制しようという中国当局と、これにおもねる香港議会内親中国派にある。
(2020年6月4日)
6月4日である。私の個人史には重要な日。31年前の今日、私の中の「革命中国」という輝ける権威が崩壊した。その日以降、中国は色褪せた一党独裁の人権抑圧国家となった。その思いは、基本的に今も変わらない。
愚かなトランプが、全国に澎湃と巻きおこっている黒人差別への抗議行動に連邦軍の投入を示唆して物議を醸している。抗議デモに暴力的な側面があったしても、その真の原因は人種差別と格差・貧困にある。これを力で押さえ込もうというトランプの流儀に反発が高まって当然である。その世論に押されて、トランプも容易に軍の投入はできない。これが、2020年アメリカの事態。
しかし、1989年6月4日天安門広場では、中国共産党の指示で人民解放軍の戦車隊が、広場を埋めつくした中国の民衆を武力で制圧した。弾圧の犠牲者数は、数百人説から数千人説、1万人超説まであって正確なところは分からない。分からないながらも、党と軍が、民主化を求める人民に銃口を向け武力で弾圧したことには疑いの余地がない。
帝国主義列強や国民党からの苛烈な弾圧を受けながら、人民の中に生まれ、人民の支援によって権力を掌握した中国共産党が、人民を弾圧する側にまわったのだ。しかも、徹底的な苛烈さで。
この弾圧を指揮した最高指導者は鄧小平である。彼は、民主化を求める民衆の行動を、動乱・反革命と規定した。中国にとって何より大切なものは、「政治の安定」であって、「複数政党による選挙や三権分立ではない」と言いきっている。
事件鎮圧後の鄧小平の言葉に、こんなものがある。
「しばらく前、北京で動乱と反革命暴乱が起こったが、これは何よりも国際的な反共、反社会主義の思潮が煽動したものだ。……中国こそ本当の被害者だ。
人々は人権を支持するが、もう一つ国権というものがあることを忘れてはいけない。人格を言うなら、もう一つ国格を忘れてはならない。とくにわれわれのような第三世界の発展途上国は、民族の自尊心を持たず、民族の独立を大事にしなければ、国家は立ち上がれないのだ」(89年10月)
「中国が動乱を平定した後、7ヵ国の首脳が中国を制裁する宣言を発表した。彼らに何の資格があるのか、誰が彼らにそのような権力を与えたのか! 本当を言えば、国権は人権よりはるかに重要なのだ。」(89年11月)
このコメントは、人権思想や民主主義の全否定に等しい。そもそも法の支配や立憲主義の理念に欠ける。言葉が通じないもどかしさを禁じえない。国権や国格などというものは本来観念する必要はない。国家は飽くまで国民に対する義務主体であって国民に対する関係での権利主体ではない。「国権」を観念し得たとしても、その国権の暴走による人権侵害を防止するためにこそ憲法がある。国権は常に人権に優越的な地位を譲らなければならない。「国権栄えれば人権亡ぶ」のである。そうさせないための民主主義の諸原則なのだ。
もっとも、鄧小平が言ったとおり、31年前の中国は「第三世界の発展途上国」であった。しかし、今中国は、堂々たる世界有数の大国になっている。「大国」の意味は、経済力と軍事力においてのもの、人権や民主主義の水準では相変わらずである。
本日の共同通信によれば、「中国外務省報道官は3日、『中国が選んだ発展の道は完全に正しかった』と述べ、武力鎮圧した当時の判断を正当化した。」というが、一方、「感染症の世界的流行や香港の抗議デモへの強硬姿勢により、国際社会の中国指導部に対する懸念は天安門事件後と同程度まで強まっているとの指摘もある。」という。
その昔、「東風は西風を圧倒する」という毛沢東の言葉を感動をもって受けとめた。西風とは、搾取と収奪、格差や貧困を必然化する西欧の資本主義社会を意味し、東風とは、その矛盾を克服する社会主義中国の未来像だと勝手に理解した。今の中国には、そのような理想の片鱗も感じられない。
6月4日。この日に改めて思う。国権よりは人権を、国格よりは個人の人格を尊重する国でなければならない。けっして、他人事ではない。
(2020年6月3日)
松本光寿君が亡くなったという連絡を受けて茫然としている。50年前、23期の同期司法修習生として司法制度の在り方や法律家の使命などを語り合った仲。享年76、まだ逝くには早すぎる。彼のことだ。此岸には、大きな未練があったはず。
彼は鳥取の人。修習を終えて、郷里鳥取で弁護士となった。登録間もなく、社共統一の鳥取市長選に立候補し、当選には及ばなかったが善戦している。その後、弁護士らしい弁護士として生涯を貫き常に革新の立場を堅持した。
修習生時代の彼は、性温和、大言壮語することも激することもない飄々たる風貌と物腰だった。その彼が、いつの頃からか隠すこともなく検察官志望を口にし、いつの頃からか隠すでもなく青年法律家協会会員ともなった。
当時、裁判所の内部には、憲法擁護を掲げる青年法律家協会裁判官部会の勢力が強く、右翼と自民党と最高裁当局とが、一体となって潰そうと策動していた。これを「ブルーパージ」と言った。われわれ23期修習生活動の共通スローガンは、この策動に対抗して「同期の裁判官志望者のなかから、任官拒否者を出すな」というものだった。青年法律家協会の会員が、最高裁から疎まれ、その思想故に、あるいは団体加入故に、差別されて任官を拒否されるのではないか。憲法を護るべき裁判所にそのような自殺行為があってならない。その運動のボルテージは高かった。
当然のこととして、裁判官志望者は青年法律家協会の会員であることを秘匿した。その雰囲気の中で、松本光寿君は、ただ一人、青年法律家協会会員として検察官志望者であり続けた。彼は、「憲法の理念実現を掲げる青年法律家協会の会員であることと、検察官であることとに何の矛盾もあるはずはない」と言っていた。
それは、まことに真っ当な見解であった。が、問題は、裁判所も法務省も、けっして真っ当ではないことにあった。彼は、何度か、青年法律家協会からの脱退を勧告されたという。それでも、飄々たる風貌と柔らかい物腰に見えた彼は、けっして動揺しなかった。頑固だったと評することもできよう。
そして、彼は検察官としての任官を拒否された。もしかしたら、彼こそは、その思想故に検察官任官を拒否された、歴史上たった一人の人物、なのかも知れない。
松本光寿君が検察官への任官を拒否されたと同じ時期に、同期の裁判官志望者7名も任官を拒否された。そのうち6名が青年法律家協会の会員だった。当局は、どのような手段でか正確に司法修習生の個人情報を把握していたのだ。
われわれ同期は、この裁判官任官拒否に大いに怒った。その怒りが、修習修了式の阪口徳雄君の研修所長への一言の質問となり、阪口君罷免にまで発展した。一方、松本君の検察官任官拒否事件には、抗議はしたものの大きな運動のテーマにはならなかった。裁判官志望者に対する任官拒否と、検察官志望者への任官拒否とは、自ずと重要さが異なるという暗黙の共通理解があったからであろう。
裁判所は、また裁判官は、独立していなければならない。右翼や自民党の攻撃に屈して、憲法の理念に忠実であろうという裁判官を攻撃してはならない。そのような裁判官志望者を排除してはならない。その強い思いは共通していた。しかし、検察官志望者について同じレベルの問題とはとらえられていなかった。
黒川弘務検事長の定年延長問題で、検察官の準司法機関としての役割が強調されている今、松本君の検察官任官拒否の問題について、もっと深く考えるべきだったかと思う。
その後、ときたまに会った。会えば、あの頃のことに話が弾む。印象に残る2度の機会があった。
その1は、私も彼も、スモン訴訟に携わった。どちらも、第3グループの投薬証明皆無の地元患者の立証に苦労を重ねた。私は盛岡から彼は鳥取から、東京に出て会議に参加してその都度顔を合わせた。
その最初のころの機会だったと思う。「ボクもとうとう自分の顔に責任をもたねばならない齢になった」と彼が言うのだ。リンカーンの言葉を引用しての、40歳になった感慨の述懐。とすると、あれは、36年前のことか。
2度目は、憲法制定60周年の日弁連人権擁護大会である。開催場所が鳥取だった。松本君は、地元鳥取県弁護士会の会長だったと思う。受け入れ側を代表する立場だった。私は、日弁連の憲法問題対策本部の一員として、憲法制定60周年を記念するにふさわしい宣言案の起草に携わっていた。
何しろ、全弁護士が加盟する日弁連の宣言である。紆余曲折いろいろあったが、日弁連の対策本部から最終的な成案としてまとまったのが、下記の宣言案である。これに、かなり長文の提案理由が付されている。今、読み直して、なかなかよくできたものだと思う。
実は、この宣言案の採択は、議場で大いに揉めた。簡単には議決とならなかった。2時間半の「激論」が続いたと記録されている。右からの攻撃を想定していたが、議論は改憲派との間では起こらなかった。左からの攻撃を受けた。「9条2項の戦力不保持に関する姿勢が曖昧」というのが主たる問題点とされた。「これでは、自民党の提案と変わるところがない」とまでの発言があったと記憶する。
予定にはなかったが私も発言した。「個人的な憲法観を宣言に持ち込むよう要求してはならない」「特定の立場からの憲法観を盛り込んだ日弁連の宣言は、国民に対する影響力を弱めることになる」などという趣旨だった。
思いがけなくも、松本君も発言した。地元会を代表する立場での発言として、満場が注目した。彼は、落ちついた態度で、力強く語った。「この宣言案を弱いとか、不十分とする意見は、世の常識とかけ離れている」「これを自民党案と同様などと言うのは、ためにする議論で児戯に等しい」「日弁連はこの宣言案を満場一致で採択して、世に憲法理念の大切さを訴える責務を果たさねばならない」という内容と記憶している。大きな拍手を得た演説だった。
ああ、松本君。髪の色は変わったが、こと憲法に関する姿勢は、あのときから変わっていないのだと感動を覚えた。その松本君が5月初旬に亡くなったという。冥福を祈るばかり。
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立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言
日本国憲法制定からまもなく60年を迎える。
基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする当連合会は、1997年の人権擁護大会では「国民主権の確立と平和のうちに安全に生きる権利の実現を求める宣言」を行うなど、全国の弁護士会、弁護士とともに、日本国憲法と国際人権規約などを踏まえて人々の基本的人権の擁護に力を尽くしてきた。
ここ数年、政党・新聞社・財界などから憲法改正に向けた意見や草案が発表され、本年に入り衆参両院の憲法調査会から最終報告書が提出され、自由民主党が新憲法草案を公表するなど、憲法改正をめぐる議論がなされている。
そこで、当連合会は、自らの責務として、また進んで国民の負託に応えるべく、本人権擁護大会において、日本国憲法のよって立つ理念と基本原理について研究し、改憲論議を検討した。
日本国憲法の理念および基本原理に関して確認されたのは、以下の3点である。
憲法は、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を制限し、人権保障をはかるという立憲主義の理念を基盤として成立すべきこと。
憲法は、主権が国民に存することを宣言し、人権が保障されることを中心的な原理とすべきこと。
憲法は、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義に立脚すべきこと。
日本国憲法第9条の戦争を放棄し、戦力を保持しないというより徹底した恒久平和主義は、平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有するものである。
改憲論議の中には、憲法を権力制限規範にとどめず国民の行動規範としようとするもの、憲法改正の発議要件緩和や国民投票を不要とするもの、国民の責任や義務の自覚あるいは公益や公の秩序への協力を憲法に明記し強調しようとするもの、集団的自衛権の行使を認めた上でその範囲を拡大しようとするもの、軍事裁判所の設置を求めるものなどがあり、これらは、日本国憲法の理念や基本原理を後退させることにつながると危惧せざるを得ない。
当連合会は、憲法改正をめぐる議論において、立憲主義の理念が堅持され、国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和主義など日本国憲法の基本原理が尊重されることを求めるものであり、21世紀を、日本国憲法前文が謳う「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」が保障される輝かしい人権の世紀とするため、世界の人々と協調して人権擁護の諸活動に取り組む決意である。
以上のとおり、宣言する。
(2020年6月2日)
公益財団法人第五福竜丸平和協会からのお知らせです。
第五福竜丸展示館は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館しておりましたが、緊急事態宣言の解除に伴い、本日6月2日(火)より通常通りに開館いたします。
開館時間 午前9時30分?午後4時(通常通り)
当館では、感染拡大防止策として以下を実施いたします。
職員の健康管理・マスク着用
消毒剤の設置
館内の清掃強化と消毒・換気
ハンズオン展示、映像展示、資料閲覧コーナーの中止
混雑時の入場制限
ご来館の皆さまへ、以下の点についてご協力・ご留意をお願いいたします。
館内では、マスク着用・咳エチケットをお願いします。
手指の消毒、こまめな手洗いにご協力ください。
来館者どうしの距離を十分に取りご見学ください。
長時間の滞在はご遠慮ください。
混雑時には入館をお待ちいただく場合がございます。
発熱などの体調に不安のある方は入館をご遠慮ください。
すぐには、ご来館いただけない方は、まずは、下記の動画をご覧ください。
第五福竜丸展示館・知って見て第五福竜丸
https://www.youtube.com/watch?v=hc6Ao_cKgvQ&t=9s
(KyodoNews)第五福竜丸の内部を公開 水爆実験で被ばく、建造70年
https://www.youtube.com/watch?v=0XYUREv2Nac
(SankeiNews)水爆実験で被ばくの第五福竜丸 建造から70年
https://www.youtube.com/watch?v=sfds8ZAIUlw
その上で、展示館のホームページをご覧ください。
URLは以下のとおりです。
第五福竜丸展示館トップページ
http://d5f.org/
第五福竜丸とは
http://d5f.org/about
展示内容
http://d5f.org/tenji
フェイスブック
https://www.facebook.com/daigofukuryumaru/
やはり、バーチャルではご不満ですね。リアルの船体と展示をご覧になりたい方は、下記アクセスのURLを開いてください。夢の島のお散歩のついでにでも、ご来館ください。もちろん、入場は無料です。
http://d5f.org/access
なお、第五福竜丸展示館では団体見学を受け付けております。
サークル、ゼミなどの団体見学や小、中、高など学校の修学旅行なども多く受け 入れております。周囲は芝生が茂るキレイな公園で、アクセスも良好で大型バス 駐車場などもご用意しております。
ご来館の際には、当館のボランティアスタッフ、学芸員によるガイド(簡単なご 説明、展示紹介、質疑応答など)も行っております。
http://d5f.org/dantai
どうぞ、よろしくお願いします。
(2020年6月1日)
本日(6月1日)、上脇博之さん(神戸学院大学法学部教授・憲法学)が原告となって、注目すべき情報公開請求訴訟(開示・不開示決定取消請求訴訟)を大阪地裁に提訴した。被告行政庁は、法務省法務大臣、人事院事務総局給与局長、内閣法制局長官である。
情報公開請求者として原告適格をもつのが上脇さんお一人、阪口徳雄君ら大阪中心の情報公開訴訟ベテラン弁護士が中心の弁護団だが、何人か東京からの参加弁護士もあり、私もその一人となった。
この提訴を「注目すべき情報公開訴訟」というのは、上脇さんが開示を求めた文書が、いずれも黒川弘務元東京高検検事長の本年1月31日定年延長閣議に至る判断過程を明確にするためのものだからである。
このところの議論で知られところとなったのは、かつては一般公務員の定年制に関する規定は、検察官には適用ないものというのが関係各省庁での統一解釈であった。それが、どこかの段階で解釈変更となって、1月31日黒川検事長定年延長閣議決定となった。しかし、いつ、どのような議論を経て、誰がそのような判断をしたのかは定かでない。
上脇さんは、こう考えた。「閣議決定のための法務大臣請議(閣議を求める手続き)以前に、関係省庁で検察官の定年延長に関する解釈変更摺り合わせが行われたであろう。その摺り合わせの過程の文書の開示を得れば、どこの段階で、『検察官にも一般公務員と同じく定年延長の規定適用が可能』という解釈変更の決断に至ったかわかるはず」。その関連文書の開示を求めることで、解釈変更の過程と理由を明確にすることができる。仮にそのような文書が不存在なら、それ自体で閣議決定の違法を明らかにすることができる。また、閣議決定前に不存在なら、そのような文書は、閣議決定後には存在するはずではないか。
こうして、上脇さんは、本件解釈変更に関係する法務省・人事院・内閣法制局に、閣議決定以前の関係全文書、ならびに閣議決定以後の関係全文書を開示するよう情報公開請求をした。これに対する各行政庁の決定では、貧弱ながらも閣議決定以前の関係文書(各省庁各1点)は出てきた。しかし、これは内容・体裁から、本当に当時作成したものとは信じがたい。そして、閣議決定後の関係文書は、いずれも不存在として不開示決定となった。
そのため、この訴訟の事件名は、「開示及び不開示決定処分取消請求事件」とされている。閣議決定前に作成されたものとして開示された3件の文書についての開示決定と、閣議決定後には作成されていないとして不開示とされた求める3件の文書についての不開示決定を、いずれも違法として合計6件の処分取り消しを求める訴えである。請求が認容されて、取消の判決が確定すれば、各行政庁は改めて真正の開示決定をしなければならない。
分かり易く言えば、求めるものとは違う文書を開示した3件の処分は違法だから取り消せ、あるはず文書を不存在として不開示とした3件の処分も違法だから取り消せ、隠さずにもっとちゃんとした文書を出せ、と求めているのだ。
この情報公開請求は、いずれについても本年1月31日黒川定年延長閣議決定に至る判断過程を国民が知るために不可欠なものである。安倍政権発足以来、森友事件、加計学園事件、桜を見る会事件等々、政権の疑惑として報じられる案件において、当然なされるべき公文書の作成、管理及び情報公開が極めて杜撰である。本件黒川元検事長の定年延長問題もその例に漏れず閣議決定に至る経過が不透明極まる。
閣議決定前に作成された文書として、法務省、人事院、内閣法制局から上脇さんに開示された各行政文書については、真実、閣議決定前に作成された文書であることを示す内容が記載されていない。各省庁の協議の結論だけが一応記載されてはいるが、作成年月日、作成者、その結論に至るまでの協議内容、経過が全く記載されていない。公文書管理法、公文書ガイドライン、各省庁の公文書管理規則などに従えば当然に記載されているはずの、誰と誰が協議して、いつそのような結論に至ったかの「意思形成過程」を明確にする内容が開示されていないのだ。
公開された文書は、無責任に、誰でも、何時でも作成できるメモ的文書あるいは、「作文」に過ぎないと言って過言でない。閣議決定後の文書は不存在という決定であったが、開示された文書は実は閣議後に作成された文書とも思われる。
本件裁判は以上の疑惑を明らかにして、黒川元検事長の定年延長閣議決定過程における、法務省、人事院、内閣法制局の行政文書の作成や情報公開の在り方を問う裁判である。