(2022年12月11日)
NHK経営委員会ホームページに、12月5日付の「お知らせ」。「本日の経営委員会において、2023年1月25日付で次のとおり会長を任命することを決定しました」とのこと。
任期3年の次期会長として任命されたのは「稲葉延雄」(株式会社リコー リコー経済社会研究所参与)。前川喜平ではなかった。なお、「前田晃伸現会長は、任期満了により23年1月24日をもって退任となります」と公告されている。
なぜ、稲葉延雄なのか。どのような論議を経ての会長人事なのかはまったくの藪の中。経営委員会は、積極的に明らかにしようとはしない。この次期会長、元は日銀理事だというが、その経歴がNHK会長にふさわしいとはとうてい考えられない。この人事からは、さわやかな風は吹いてこない。明るさも見えない。NHKの未来は展望できない。むしろ、もうNHKダメじゃないのか、と思わせるばかり。
18年10月に、経営委員会から不当極まる厳重注意処分を受けた上田良一会長も、もちろん経営委員会が選任している。その上田会長選任時の「会長指名部会議事録」を追ってみると興味深い。
【NHK次期会長の資格要件】がこう確認されている。
1 NHKの公共放送としての使命を十分に理解している。
2 政治的に中立である。
3 人格高潔であり、説明力にすぐれ、広く国民から信頼を得られる。
4 構想力、リーダーシップが豊かで、業務遂行力がある。
5 社会環境の変化、新しい時代の要請に対し、的確に対応できる経営的センスを有する。
その上で、上田良一(元三菱商事株式会社代表取締役副社長執行役員)を会長に推薦する具体的な理由が以下のように述べてられている。
【推薦理由(概要)】
○ 三菱商事株式会社において、海外経験が豊富であり、経営企画部門の責任者としてリスクマネジメント、グループ経営においてすぐれたリーダーシップを発揮するなど、大きな組織の経営に関する経験が豊富であること。
○ NHK経営委員・監査委員として、放送法に明るく、公共の福祉と文化の向上に寄与するNHKの役割を深く理解していること。また政治的にも中立で、沈着冷静であり、国民・視聴者の方にも信頼いただけると期待できること。
○ 放送現場や関連企業をつぶさにまわり、NHK内部の状況にも精通していること。
○ 組織の独立を守り、現場の自由な取材や番組作成の環境作りの重要性を理解した上で、現在進行中のNHK改革を進める見識や手腕を持つこと。
○ 人望に富み常に冷静沈着で温厚な言動や人柄は、NHK職員の人心を掌握し、融和を図る上でも期待できること。
以上の「会長適格条件」を厳格に墨守する限り、稲葉延雄の不適格は明白と言うべきであろう。あるいは、「会長適格条件」なんぞは、そのときその場でのご都合主義の賜物でしかないというのだろうか。
経営委員会は特殊法人NHKの最高意思決定機関であるが、その最も重要な任務が、会長の任命である。会長人選と適否の論議がどう行われたか、その過程はまったく公表されていない。これじゃ、ダメだろう。放送法(41条)違反でもあろうが、なによりも視聴者国民の納得を得られまい。
《市民とともに歩み自立した NHK 会長を求める会》は、さっそく抗議声明を発表し、同時に公開質問状をNHKに送付した。以下に、ご紹介したい。
《NHK 次期会長選出についての抗議声明》
透明性の決定的な欠如と視聴者・市民の声を完全に無視した 次期 NHK 会長選ひ?に抗議します(付・公開質問状)
市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会
共同代表 小林 緑(元 NHK 経営委員、国立音楽大学名誉教授)
河野慎二(日本シ?ャーナリスト会議運営委員)
丹原美穂(NHK とメテ?ィアの今を考える会共同代表)
貴経営委員会は 12 月 5 日、委員 12 人の全員一致て? NHK の次期会長に稲葉延雄氏(元日本銀行理事)を選出したと発表しました。その稲葉氏は当日、「突然のこ?指名て?大変驚いていますか?…」とのコメントを発表しました。
大変驚いたのは、稲葉氏た?けて?はありません。次期NHK会長選ひ?に強い関心を持ち、新会長には時の政権から自立した公共放送の真のリータ?ーにふさわしい人物を、と運動を進めてきた私たち視聴者・市民の方こそ、大変驚きました。
私たちはすて?に11月4日、貴経営委員会に対して、これまて?5期15年にわたって政権の意向をストレートに受けて選出された財界出身の会長て?はなく、時の政権に媚ひ?ない姿勢を明確に打ち出し、日本国憲法・放送法の精神を踏まえた前川喜平氏(元文部科学事務次官)を次期会長に推薦してきました。
しかしなか?ら、今回の次期会長選ひ?に、稲葉氏か?はからす?も「突然…」と表明したことからも明らかなように、貴経営委員会か?、公共放送NHK会長選考の手続において、透明性を決定的に欠き、かつ私たち視聴者・市民の声を完全に無視したことは、公共放送の存在意義及ひ?民主主義の精神に著しく反するものて?ある、と言わさ?るをえません。
私たちは、従前にも増して経営委員会の運営及ひ?新会長選考過程の不透明さに抗議するとと もに心底からの怒りを表明し、今回の次期会長決定の発表を撤回することを要求するものて?す。
さらに、次の私たちの公開質問状に速やかに回答されることを求めます。
今回の次期NHK会長選ひ?についてのいくつかの疑問・質問
いま、国会て?は日本の防衛のありようをめく?って、日本国憲法第9条とも関係する重要な審議か?行なわれています。そうしたなかて?、NHKか?事実を正確に伝え、視聴者・市民の関心を呼ひ?起こし、深い議論の場を提供することは、公共放送として大変重要かつ大切なことて?す。
公共放送NHKか?日本の民主主義と文化の向上・発展にとって果たすへ?き役割は極めて大きいのて?、次期NHK会長には、シ?ャーナリス?ムと文化について高い見識を有し、言論・報道機関としてのNHKの自主・自律を貫く人物か?選任されるへ?きだと私たちは考えています。
そこて?、私たちの会は、次期会長に求められる基本的資格要件として、日本国憲法はもちろん 現行放送法の精神を踏まえ、シ?ャーナリス?ムの在り方について深い見識を有することのほかに、何よりも政治権力からの自主・自律を貫ける人物で?あることか?絶対条件て?あると考えます。
Q1:今回の会長選ひ?の手続において透明性の確保か?決定的に欠如しているのて?はないか
~密室選出過程の問題性、経営委員会の役割は?~
「政府高官によると、首相は水面下て?稲葉氏に接触して口説き落とし、自民党麻生副総裁や菅前首相ら総務大臣経験者への根回しを行ったという」(『読売新聞』2022年12月6日号)と報道 されています。現行放送法によれは?「会長は、経営委員会か?任命する」(第52条)と規定されていますか?、実態としては首相か?決定し、経営委員会は単なるその追認機関に成り下か?っているのて?はないでしょうか。しかも「全員一致」て?。
かつての経営委員経験者の語るところによれは?、たとえ一部の経営委員か?反対しても、外部に発表する場合は「全員一致」とすることになっており、異論は一切表に出ることはなかったそうて?す。実際、今回の場合、本当に「全員一致」た?っのて?しょうか。そこに嘘はないのて?しょうか。
もしそうて?あれは?、「複数の財界人に断られ、最終的に稲葉氏に行きついた」(自民党幹部)と の見方もある人事(同前『読売新聞』)について、経営委員 12 人全員は、稲葉氏のNHK会長と しての適格性をいつ、と?ういう形て?認識し、賛同したのて?しょうか。また、経営委員会はなせ?会 長に連続 6 期も財界人を求めるのて?しょうか。
国会か?再度求めた「手続の透明性」(参議院総務委員会附帯決議、2015年及ひ? 2016年)も無視して会長選出を行なうとしたら、きわめて重大な問題て?あるため、お尋ねしています。
Q2:私たちか?推薦した前川喜平さんは、選考過程て?、と?のように取り扱われたのて?しょうか。~公共放送のリータ?ーを選考する際、視聴者・市民の声は無視?~
私たちは、政権から自立した公共放送のリータ?ーに最もふさわしい新会長候補として、貴経営委員会に対し、元文部科学事務次官の前川喜平さんを推薦するとともに、視聴者・市民による緊急賛同署名を集めてまいりました。このコロナ禍において署名集めは困難を極めましたか?、当初の予想をはるかに上回る署名か?集まりました。この1カ月、オンライン署名(約24,000筆)、書面署名(約21,000筆)あわせて約45,000筆にものほ?りました(2022年12月6日現在)。
私たちの会は11月4日、貴経営委員会に対し推薦した前川喜平さんか?、視聴者・市民の幅広 い支持のあることを証明するために賛同署名約 44,000 筆(2022年11月30日現在)を提出するとともに、貴経営委員会開催直前の12月5日、前川喜平さんについての審議状況についての公開質問状を提出しました。元総務事務次官(日本郵政ク?ルーフ?)による横槍の「声」(番組介入)には直ちに対応するのに対して、私たち視聴者・市民の声か?45,000筆にのほ?っても一顧た?にしないのか?NHKの「お客様志向」の体質て?あるとすれは?、それ自体大変ゆゆしき問題て?す。
ちなみに、経営委員会指名委員会か?2007年11月27日に定めた「次期会長の資格要件」には 「*外部、内部を問わす?推薦する候補か?いれは?委員長に連絡する。」(同日第2回指名委員会議事 録)と付記されていました。
Q3:NHK会長選考については、2015年及び2016年、連続して「選考の手続の在り方について検討すること」を国会から求められています。この点に関し、過去数年の間に、貴経営委員会として、と?のように取り組んた?のか、それとも取り組まなかったのか、お尋ねします。
会長選考にあたっては、BBC(英国放送協会)か?すて?に採用している推薦制、公募制なと?を積極的に導入することにより、政権から公共放送NHKへの直接的な介入を避け、視聴者・市民の 意見を反映させた開放的な会長選考を行なっていくことを提案します。
このことは、現行放送法のもとて?も、経営委員会か?その本来の職責に加え、自主性・自律性を貫き通すことは可能なことて?すし、それか?高らかにうたわれています。こうしたことを通し?て、失われた視聴者・市民からのNHKへの信頼を取り戻していくことになるのて?はないて?しょうか。
以上の質問については、2023年1月15日まて?に下記事務局まて?こ?回答くた?さるよう強く要求します。
(2022年12月10日)
本日で臨時国会が閉幕となった。政権を揺るがした統一教会問題は、生煮えの「被害者救済新法」成立で、いったん休戦となるが、もちろんこれで幕引きにはならない。問題の本質は、「反共」という理念を共有する、カルト集団と、保守政治勢力、なかんづく安倍派との癒着にある。
統一教会は、岸・安倍・安倍の3代やその周辺の政治家と結びつくことによって、違法・不当な伝導強化活動を可能とし、信者からの収奪を重ねてきた。なによりも、その癒着の実態を白日の下に曝さねばならない。とりわけ、安倍晋三や細田博之と教団との癒着は徹底的に洗い出さねばならない。その調査の中から、真に実効性ある被害者救済策が構築されることになるだろう。
なお、国会閉幕後に、日本の防衛問題についての大議論が始まる。政府・与党は《敵基地攻撃能力の保有》の名で、国是とされてきた《専守防衛》論を放擲することになる。その上で防衛費の対GDP比2%を実現し、大軍拡大幅増をやってのけようというのだ。国会が終了しても、政府の動向から監視の目を離すことはできない。
ところで、各国会会期の終了時に確認しておかねばならないことは、各院の憲法審査会の動向である。明文改憲に向けて、事態は進展したのか、しなかったのか。
昨年7月10日参院選投開票直後には、衆参両院で圧倒的な「改憲派議席」を獲得した岸田政権が「黄金の3年間」を手にしたのだと喧伝された。自・公だけでなく、維新も国民も改憲派の旗幟を鮮明にしてきている。25年参院選まで国政選挙はない。改憲勢力は、この間なら明文改憲に向けての強引な国会運営ができる。憲法審査会はその,強引な表舞台となるのではないか。
結論から言えば、深刻な事態というまでには至っていない。政権与党は、統一教会との癒着の実態を追及され常に受け身の姿勢を余儀なくされた。しかも、円安・物価高の経済情勢である。とうてい、積極的に明文改憲を推し進めるだけの余裕も清算も持ち得なかった。
しかし、両院の審査会が議論を停止していたわけではない。自民党改憲案4項目中の「緊急事態」条項については立憲・共産を除く委員の一定の議論が交わされた。のみならず、12月1日衆院審査会の場に、唐突に「論点整理」表が提出されて、衆院法制局の職員がその表の説明さえしている。彼ら・改憲派は、隙あらば遠慮なく…改憲へ向けての執念を表面化するのだ。下記の「緊急声明」が、事態の顛末と意味についてよくまとめている。
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緊急事態下の国会議員任期延長に関する衆議院憲法審査会の運営及び議論の在り方に抗議する法律家団体の緊急声明
2022年12月9日
1 誤解を生じさせかねない姑息なやり方に抗議する
本年12月1日の衆議院憲法審査会において、衆議院法制局が、緊急事態における国会議員任期延長に関する各党会派の発言を論点ごとに整理した資料を提出し、橘幸信法制局長が20分にわたり説明を行った。
これは、自民党の新藤義孝委員(与党筆頭幹事)が、個人的な議論のとりまとめを行うために、衆議院法制局にその資料作成を依頼したものであり、予めの幹事会では、法制局長が資料説明をすることについては合意がなく、いわば不意打ち的に強行したものである。
衆議院法制局に説明させることで、審査会において議論が進展しているかのように見せかけて改憲をすすめようとする姑息なやり方である。事実、一部のマスコミ(NHK)は、1日衆議院法制局が主張を整理した資料を説明したことを伝えて、「衆議院の憲法審査会で論点整理まできた。」「そろそろ仕上げの仕事に入っていかなければならない。」とする自民党茂木敏充幹事長の発言を報道している。
このような姑息なやり方は、与野党の合意に基づき審査会を運営するとした慣例に反し、国民世論を誤って誘導しかねない危険なものであり、自民党には猛省を求める。
2 議員任期延長改憲のみを議論することは根本的に誤りである
衆議院法制局資料からも明らかなように、緊急事態の国会議員任期延長改憲の議論は、その前提に問題があり、重要な問題についての議論が抜け落ちている。
改憲推進派は、国会機能(国会の立法機能・行政監視機能)の維持のために、議員任期延長の改憲が必要であると口をそろえている。しかし、国会機能の維持が必要であることは、改憲派の問題とする任期切れ直前に大規模災害等が発生した場合だけではなく、議員任期が十分に残っている場合も、国会の閉会中または開会中に、大規模災害等の緊急事態が発生すれば同様に問題となる。国会の機能維持というのであれば、現に開会中の国会で委員会を招集し、閉会中であれば内閣が適切に臨時会の召集を求め(憲法53条前段)、あるいは、野党議員の求めに応じて内閣が国会を速やかに召集し(憲法53条後段)、政府が国会議員の質問に十分に答えて議論を尽くすことが必要である。これはいわゆる平時であっても全く同様である。
問題は、内閣が自分に都合が悪いときは国会を開かない、与党多数派が短時間で委員会審議を打ち切り、野党の質問に政府側が真摯に答えようとしない現状である。国会の開会が内閣の専断となっていて、国会(国会議員)が統制できていないこと、与党多数派が十分な国会審議に応じようとしない現状こそが問題の核心である。
この現状に鑑み、憲法に照らして国会機能を全うするためには、たとえば憲法53条後段に基づき臨時会を召集させることを強制する仕組みなど内閣に憲法を守らせる方途や、国会議員が国会の開会について一定の権限を持つような改革案を憲法審査会で議論することこそが求められている。
改憲推進派は、この本質的な議論に応じようとしていない。国会議員の任期切れが迫りしかも、その時に大規模地震などの緊急事態が発生し、その上、日本全土にわたり広範にかつ長期間、選挙が実施できない場合といった(確率的には極めて低く想定し難い)事態に限って、国会機能の維持のために議員任期延長の改憲が必要だと主張している。改憲をするためだけの議論であり、国会機能の維持など本心では念頭にないことが明らかである。
仮に国会議員の任期延長について改憲を行ったとしても、国会が開かれるとは限らない。参議院の緊急集会も、憲法上は「内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」(憲法54条2項)とされているため、現状では、内閣が緊急集会を確実に召集する保証はない。むしろ自民党などの改憲派は、緊急事態を口実に選挙を避けて権力を温存したうえで、国会を開かず、緊急政令等の内閣や首相の権限により都合よく政治を執り行うことを緊急事態条項を創設する改憲により目指しているとみるほうが正確である。
3 国会機能の維持のため論点を一から整理しなおすことが必要
12月1日の衆議院憲法審査会で、立憲民主党の中川正春委員が、「緊急事態の中での議員任期延長というほんの一部分のみにこだわるということではなく」「権力の暴走を民主的に防ぐための歯止めをどのように憲法を含む法体系の中に準備しておくかということ、この問題を総合的に議論する必要がある」と指摘した点は正鵠を射ている。
内閣の暴走により国会の機能が果たせていない現状の改革こそが喫緊の課題であり、国会機能の維持を理由に任期延長についての改憲のみを取り上げる議論の在り方は、根本的に間違っていると言わざるを得ない。衆議院憲法審査会は、議論すべき論点を一から整理しなおすことが必要である。
以上
(2022年12月9日)
統一教会の被害予防と救済に向けた新法の法案が、昨日衆院を通過し会期末の明日には参院でも可決となる見通しである。この法案、与党(自・公)側は一刻も早くあげてケリを着けたい。野党(立・維)側は、一歩前進の与党譲歩を引き出したという実績を早期に誇りたい。両者の思惑が合致して、ことは性急に運ばれた。
最終的な法案修正は、党首会談での政治決着とも報道されていたが、現実には密室での不透明な協議で、配慮義務に「十分な」という一語を付加しただけの、この上ない微調整による灰色決着となった。はたして、これで実効性のある予防・救済の法律ができると言えるのだろうか。元2世信者や被害者・弁護団からは「生煮えの法案」と評判は芳しくない。
一歩前進ではあろうが、もっと審議を尽くして、もっと実効性ある法律にできただろうに、と残念である。現行の法体系が、統一教会の横暴から被害者を救済する立法を許さない、などということは考えられない。むしろ、新法案は短時間で安直に作られたものという印象を拭えない。
かつては私法を貫く大原則として、「取引の安全」が強調された。いったん成立した法律行為が軽々に取り消されたり無効とされたのでは、経済社会の混乱は避けられない。法律行為の積み重ねを極力尊重し、過去に遡っての取消や無効を軽々に認めるべきではないという考え方。
民法は、詐欺や強迫によってなされた意思表示の取消を認める。ということは、詐欺や強迫によるものでなければ、取消は認めないということでもある。契約当事者の形式的な平等を前提とする限り、売買でも貸借でも、婚姻でも離婚でも、あるいは高額の寄附であつても、自分の意思でした行為には責任を持たねばならないということが原則ではある。
しかし実質的に、当事者間の力量に大きな格差がある分野では、形式的平等前提の「取引の安全」墨守の不都合は明らかとなる。使用者に対する労働者の保護、大企業に対する小規模企業の保護、そして事業者に対する「消費者利益の保護」を手厚くして初めて、実質的な平等が実現し法的正義貫かれる。
民法では「詐欺または強迫」に限られていた意思表示の取消要件は、消費者契約法では、大きくその範囲を拡げている。通常、これを「誤認類型」と「困惑類型」に分類する。
?消費者契約法上の誤認類型とは
・ 不実告知(消費者契約法第4条1項1号)
・ 断定的判断の提供(同条同項2号)
・ 不利益事実の不告知(同条2項)
?消費者契約法上の困惑類型とは
・ 不退去(同条3項1号)
・ 退去妨害(同条同項2号)
・ 社会生活上の経験不足の不当な利用
(不安をあおる告知 同条同項3号)
・ 社会生活上の経験不足の不当な利用
(恋愛感情等に乗じた人間関係の濫用 同条同項4号)
・ 加齢等による判断力の低下の不当な利用 同条同項5号)
・ 霊感等による知見を用いた告知(同条同項6号)
新法案は、消費者契約上の「困惑類型」を、統一教会への寄附に関して使えるようにしたことが主眼となっている。具体的には、《?不退去、?退去妨害、?勧誘をすることを告げず退去困難な場所へ同行、?威迫する言動を交え相談の連絡を妨害、?恋愛感情等に乗じ関係の破綻を告知、?霊感等による知見を用いた告知》という6項目の「禁止行為」は、消費者契約上の「困惑類型」とほぼ重なる。
なお、両法における「霊感等による知見を用いた告知」についての規定を比較してみよう。
消費者契約法では、
「当該消費者に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げること。」
救済新法(案)では、
「当該個人に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、当該個人又はその親族の生命、身体、財産その他の重要な事項について、そのままでは現在生じ、若しくは将来生じ得る重大な不利益を回避することができないとの不安をあおり、又はそのような不安を抱いていることに乗じて、その重大な不利益を回避するためには、当該寄附をすることが必要不可欠である旨を告げること。」
以上のとおり、救済新法の「禁止規定適用範囲」は、消費者契約法上の「取消対象の困惑類型」範囲を出るものではない。その禁止規定違反に対する制裁は、寄附の取消だけでなく、行政の関与による勧告や,是正命令・法人名公表などもできるようにしてはいるが、けっして「画期的な法案」でも、「ギリギリまでできるところを詰め切った法案」というほどのことでもない。もっと審議を重ね、もっと加害被害の態様を見極めた法の成立が望ましかったといえよう。
被害者は多くの場合、洗脳(マインドコントロール)下で「困惑」せずに高額の寄付をしているという。とすれば、「自由な意思を抑圧しない」という配慮義務規定を禁止規定として、「困惑類型」と同等の法律効果を持たれることができれば、画期的立法になるだろうが、そのためには、もっと徹底した審議を尽くさなければならない。それが放棄されたことが残念なのだ。
結局は、施行後2年の見直し規定に期待したい。
(2022年12月8日)
81年前の本日早朝、当時臣民とされていた日本国民はNHKの放送によって、日本が新たな大戦争に突入したことを知らされた。同時に、パールハーバー奇襲の戦果の報に喝采した。こうして、国民の大半が、侵略者・侵略軍の共犯者となった。実は、本年2月24日のロシア国民も同様ではなかったか。
1941年12月8日付官報号外に、「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」、通称「開戰の詔勅」が掲載されている。何とも大仰で白々しい「美文」に見えるが、実は典型的な「駄文」である。句点も読点もなく難読字の羅列でもある原文の掲載は無意味なので、「訳文」を掲出しておきたい。
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天の助けるところとして代々受け継がれてきた皇位の継承者である大日本帝国天皇は、忠実で武勇に優れた、我が家来である全国民に告げる。
私・天皇は、米国と英国とに宣戦を布告する。陸海軍将兵は全力を奮って闘え。官僚はその職務に励め。その他の国民も各々その本分を尽くし、一億の心をひとつにして、国家の総力を挙げてこの戦争の目的達成のために努力せよ。
そもそもアジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、代々の願いであって、私も常に心がけてきた。各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。ところが、今や不幸にして、米英両国と争いを開始せざるを得ない事態に至った。誠にやむをえないところであるが、けっして私の本意ではない。
中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせるに至らしめ、以来4年余を経過している。幸いに国民政府は南京政府に変わった。帝国はこの新政府と誼を結び提携するようになったが、重慶に残存する政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、未だ相互にせめぎ合う姿勢を改めない。
米英両国は残存する蒋介石政権を支援して、アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。しかも、味方する国々を誘い、帝国の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私・天皇は政府に事態を平和のうちに解決させようと、長い間忍耐してきたが、米英は少しも互譲の精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態が続けば、アジアの安定に関する我が帝国の積年の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立もまさに危機に瀕している。ことここに至っては、帝国は今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない。
祖先神のご加護をいただいた天皇は、その家来たる国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、速やかに禍根をとり除いてアジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の栄光を実現しようとするものである。
裕 仁 印
1941年12月8日
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こんな言い回し。最近、どこかで聞いた憶えはないだろうか。そう、プーチンのウクライナ侵攻の日の演説。あれとそっくりなのだ。ただし、プーチンの演説は長い。そして、さすがに裕仁の「詔書」よりは格段の説得力がある。
どちらも、まずは国民に呼びかける。そして自国の正義と、相手国の非道を延々と訴える。自国は、忍耐に忍耐を重ねてきた。しかし、もうその限界を越えざるを得ない。このままでは、自国の生存が危殆に瀕するからだ。すべての責任は敵側にある。このやむを得ない事情を理解して、国民よともに闘に立ち上がろう。
この言い回し、裕仁とプーチンだけではない。いま大軍拡を進めようとしている、改憲勢力の想定レトリックであるのだ。権力者がこんな言い回しを始めたら、危機は深刻だと思わねばならない。
長文のプーチン演説を抜粋してみる。訳文の出典はNHKである。
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親愛なるロシア国民の皆さん、親愛なる友人の皆さん。
この30年間、私たちが粘り強く忍耐強く、ヨーロッパにおける対等かつ不可分の安全保障の原則について、NATO主要諸国と合意を形成しようと試みてきたことは、広く知られている。私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺まんと嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。
その間、NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。それはロシアの国境のすぐ近くまで迫っている。
なぜ、このようなことが起きているのか。私たちの国益や至極当然な要求に対する、無配慮かつ軽蔑的な態度はどこから来ているのか。
答えは明白。すべては簡単で明瞭だ。
1980年代末、ソビエト連邦は弱体化し、その後、完全に崩壊した。当時、私たちはしばらく自信を喪失し、あっという間に世界のパワーバランスが崩れたのだ。
これにより、従来の条約や協定には、事実上、効力がないという事態になった。
ソビエト連邦の崩壊後、事実上の世界の再分割が始まり、これまで培われてきた国際法の規範が、第二次世界大戦の結果採択され、その結果を定着させてきたものが、みずからを冷戦の勝者であると宣言した者たちにとって邪魔になるようになってきた。
事態は違う方向へと展開し始めた。NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。
繰り返すが、だまされたのだ。
正義と真実はどこにあるのだ?あるのはうそと偽善だけだ。
色々あったものの、2021年12月、私たちは、改めて、アメリカやその同盟諸国と、ヨーロッパの安全保障の原則とNATO不拡大について合意を成立させようと試みた。
すべては無駄だった。
世界覇権を求める者たちは、公然と、平然と、そしてここを強調したいのだが、何の根拠もなく、私たちロシアを敵国と呼ぶ。
確かに彼らは現在、金融、科学技術、軍事において大きな力を有している。
しかし、軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。
そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。
この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。
NATOによるウクライナ領土の軍事開発は受け入れがたい
すでに今、NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化し、危険になってきている。
しかも、ここ数日、NATOの指導部は、みずからの軍備のロシア国境への接近を加速させ促進する必要があると明言している。
問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。
それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。
私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。
それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。
さらに強調しておくべきことがある。
NATO主要諸国は、みずからの目的を達成するために、ウクライナの極右民族主義者やネオナチをあらゆる面で支援している。
当然、彼らはクリミアに潜り込むだろう。
それこそドンバスと同じように。
戦争を仕掛け、殺すために。
私たちの政治の根底にあるのは、自由、つまり、誰もが自分と自分の子どもたちの未来を自分で決めることのできる選択の自由だ。
そして、今のウクライナの領土に住むすべての人々、希望するすべての人々が、この権利、つまり、選択の権利を行使できるようにすることが重要であると私たちは考えている。
繰り返すが、そのほかに道はなかった。
目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため
現在起きていることは、ウクライナ国家やウクライナ人の利益を侵害したいという思いによるものではない。
それは、ウクライナを人質にとり、我が国と我が国民に対し利用しようとしている者たちから、ロシア自身を守るためなのだ。
起こりうる流血のすべての責任は、全面的に、完全に、ウクライナの領土を統治する政権の良心にかかっている。
親愛なるロシア国民の皆さん。
力は常に必要だ。どんな時も。
私たちは皆、真の力とは、私たちの側にある正義と真実にこそあるのだということを知っている。
まさに力および戦う意欲こそが独立と主権の基礎であり、その上にこそ私たちの未来、私たちの家、家族、祖国をしっかりと作り上げていくことができる。
親愛なる同胞の皆さん。
自国に献身的なロシア軍の兵士および士官は、プロフェッショナルに勇敢にみずからの義務を果たすだろうと確信している。
あらゆるレベルの政府、経済や金融システムや社会分野の安定に携わる専門家、企業のトップ、ロシア財界全体が、足並みをそろえ効果的に動くであろうことに疑いの念はない。
すべての議会政党、社会勢力が団結し愛国的な立場をとることを期待する。
歴史上常にそうであったように、ロシアの運命は、多民族からなる我が国民の信頼できる手に委ねられている。
あなたたちからの支持と、祖国愛がもたらす無敵の力を信じている。
(2022年12月7日)
11月30日、江沢民が亡くなった。私の心象の中で《尊敬すべき中国》から《野蛮な中国》へ変容したあの時期の、歴史の転換を象徴する人物の一人。この人に対する敬意のもちあわせはないし、弔意もさらさらにない。その点では、安倍晋三と似たり寄ったり。
この人、89年6月4日の天安門事件の後、当時の最高実力者である鄧小平によって党幹部に抜てきされた。その後、国家主席にして中国共産党総書記となり、党中央軍事委員会主席にもなった。昨日(12月6日)、その過去の肩書にふさわしい追悼大会が、天安門広場に接する人民大会堂の大ホールで挙行された。
葬儀委員長となった習近平以下、党や政府、軍など各界の関係者が参列し、《中国の経済発展の礎を築いた偉大な指導者》に最後の別れを告げた。党と政府は「全党、全軍、全国各民族人民に告げる書」を発表し、「崇高な威信を持つ卓越した指導者」と最上級の表現で追悼した。人民日報も「永遠に消えることのない功績を打ち立てた」と称えている。
追悼大会では3分間の黙とうが捧げられた。同時刻、中国全土に警笛や防空警報などのサイレンが鳴らされ、哀悼の意が示された。葬儀委員会は娯楽活動の自粛などを要請。全国の政府組織は半旗を掲げ黙祷した。証券取引所も外国為替市場も3分間取引を停止、ユニバーサルスタジオ北京は臨時休業した。江氏の死去後、新聞の紙面や政府機関のホームページ、スマートフォンの買い物や出前サービスのアプリは画面を白黒にして喪に服している。
習近平の弔辞は、故人の数々の業績を称賛して50分にも及んだという。こんな長広舌を聞かされる方は、さぞかし辛かったろう。習は「江氏の名、功績、そして思想は何代にもわたって人々の心に刻まれるだろう」と持ち上げたが、けっしてそうはならないだろう。スターリンのごとく、突然評価が逆転する日が到来するに違いない。その日の早からんことを切望する。
また、その弔辞は天安門事件にも触れたという。当時上海市トップだった故人について「動乱に反対する旗幟を鮮明にし、社会主義国家政権を守り抜いた」「上海の安定を維持した」「改革・開放を堅持した」「社会主義国家守り抜いた」「崇高な威信を持つ卓越した指導者」と改めて礼賛して、一党独裁への異論を許さない姿勢を重ねて強調した。
結局のところ、習の弔辞における江への評価は、「民主化を求める市民・学生を徹底して弾圧したこと」。そのことによって「人権と民主主義を制圧して強権による秩序維持に貢献したこと」「人民に銃口を向ける人民解放軍を作りあげることに大きな貢献をしたこと」なのだ。式の参列者は、習の見まもるなか、江の遺影に3度頭を下げたという。
最後に革命歌「インターナショナル」が演奏された。江沢民は、共産党独裁による体制を維持しながら、それまで労働者階級を代表してきた共産党に、企業家などの入党を認めて党を質的に変化させた人物。貧富の差を広げ、社会のひずみを拡大した人物。その追悼に革命歌「インターナショナル」は似合わない。
(2022年12月6日)
岸田文雄改造内閣は、今年8月10日に発足している。7月8日安倍晋三銃撃事件直後の統一教会との癒着批判の嵐のさなかのこと。統一教会との公然たる接触者を避けての人選。枯渇した人材の割当に苦労しての組閣が、適材適所であろうはずもない。既に3大臣の首がすげ替えられて、4人目も風前の灯だが、国会閉幕に逃げ込めるかどうか。
4大臣だけではない。これ以上はない非適材の不適格者と指摘すべきは、杉田水脈の総務政務官任命である。杉田こそは、女性でありながらの性差別・ヘイト発言の第一人者である。その杉田が、総務省の政務官に起用された。
予想されたとおり、その杉田が過去の厖大な差別発言を問題にされ、攻撃にさらされているが、これもまだ罷免に至っていない。岸田政権、いったい何を考えているのやら。
11月26日以来、杉田は過去の差別言動をめぐり、連日、野党の追及を受けている。12月2日の参議院予算委員会では、「過去の配慮を欠いた表現、そういったことを反省するとともに、松本総務大臣から、そうした表現を取り消すよう指示がありました。内閣の一員としてそれ(方針)に従い、傷つかれた方々に謝罪し、そうした表現を取り消します」と答弁するに至っている。飽くまで、「大臣からの指示による、差別表現の取消しと謝罪」である。自分の考えは別なのだ。
社民党・福島みずほ議員から「杉田さん、謝罪と撤回ですが、どこの部分の発言を撤回・謝罪する?」と聞かれて、「私自身、表現が拙かったことを重く受け止め反省しております。今後はこうしたことがないように誠心誠意努めてまいりたい」としか答えられない。撤回と謝罪は「表現が拙かった」だけのことだというのだ。
そして、杉田政務官を更迭するよう求められた岸田首相は、「職責を果たすだけの能力を持った人物だということで判断した。内閣の方針に従って言動してもらわなければならない」と、杉田擁護を重ねている。
杉田は過去の月刊誌の論文で性的少数者(LGBTなど)について「生産性がない」と記した。同日の予算委では自身のブログで国連女性差別撤廃委員会の会合の出席者をやゆしたことも指摘された。「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」と記載してもいた。2018年6?7月、ツイッター上で「枕営業の失敗」「ハニートラップ」「売名行為」などと伊藤氏を中傷した第三者の投稿計25件に「いいね」を押して、損害賠償書を命じられてもいる。誰が見ても、「人権感覚が疑わしい」と批判せざるを得ない。
その杉田が、インターネット上の誹謗中傷対策の担当政務官だという。この人物の登用はなにかの冗談ではないかと思わせる。何しろ、舛添要一が「インターネット上の誹謗中傷対策を担当する総務相の政務官に、ヘイトスピーチ・オンパレードの杉田水脈議員を任命するというのは、ブラックジョークである。副大臣や政務官の人事は、政策や適材適所ということではなく、派閥間の帳尻合わせの道具である。しかも、大臣に比べて「身体検査」も緩い。」と投稿しているのだから。
その上に、杉田は2016年8月5日、ツイッターに「幸福の科学や統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない」と投稿している。19年4月28日、旧統一協会の別動隊「国際勝共連合」と関係が深い団体主催の会合で講演し、「会場はお客様で満杯。懇親会までじっくりとお話しさせていただき、本当にありがとうございました」と投稿。
「男女平等は絶対に実現しえない、反道徳の妄想だ」「女性差別というのは存在していない」等々の発言もある。昨年は、政治家の性差別発言ネット投票で、ダントツのワースト賞に輝いている。例の「女性はいくらでもウソをつける」発言である。党本部の会合で性暴力被害者支援に関して述べたもので、「やっとの思いで性被害を申告した人に対して、あまりにも心無い言葉だ」などの批判の声が多く集まった。
この杉田水脈という女性、酷い差別主義者ではあるが、ウソつきではないようだ。「女性はいくらでもウソをつける」と自分のことを言っているのだから。
(2022年12月5日)
中国国歌「義勇軍行進曲」は、抗日戦争のさなかに作られ、侵略者である皇軍との闘いの中で唱われたものである。それが、中華人民共和国成立後に国歌となった。刑事罰をもって国民に国歌の尊重を強制する国歌法の制定は2017年になってのことである。
もともとは、侵略軍と闘った人民解放軍が、広く中国の人民に、立ち上がれ、侵略軍と勇敢に闘おうと呼び掛ける抗日抵抗歌であった。敵を恐れず臆することなく、心を一つにして闘おうと呼び掛ける勇ましい歌詞となっている。
この歌が中国の人民を鼓舞し、愛国心の発揚に寄与したのは、日中戦争と国共内戦の終結までであったろう。憲法上国歌と制定され、国歌法による強制が必要になったのは、人々が以前のようには、愛する国の歌として歌わなくなったからであろう。
そして今、その歌が別の意味を込めて若者たちに歌われているという。「闘いに立ち上がれ、ともに闘おう」と友に呼び掛ける闘いの相手を、侵略者日本ではなく、習近平・共産党とする思いを込めて歌うのだという。何という世の移ろい、そして何という若者たちの知恵であろうか。
この歌の歌詞は次のとおりである。
《義勇軍行進曲》
起来!起来!起来!
(立ち上がれ! 立ち上がれ! 立ち上がれ!)
我們万衆一心,
(我々万民が心を一つにして)
冒着敵人的炮火,前進!
(敵の砲火を冒し、前進!)
冒着敵人的炮火,前進!
(敵の砲火を冒し、前進!)
前進!前進、進!
(前進! 前進! 進め!)
起来!不願做奴隷的人們!
(立ち上がれ! 奴隷になるのを望まぬ人々よ)
把我們的血肉築成我們新的長城!
(我らの血と肉で我らの新たな長城を築こう)
中華民族到了最危険的時候,
(中華民族が最大の危機に到る時)
毎個人被迫着発出最后的吼声。
(誰もが最後の雄叫びを余儀なくされる)
冒頭の「起来! 不愿做奴隶的人?!」は、「起て! 奴隷となるな人民!」「立ち上がれ! 奴隷となりたくない人々よ!」「隷従を拒否する人民よ!」などと訳することもできる。中国人民に、日本の奴隷となるな、そのために立ち上がれ、と呼び掛けているのだ。しかし、今若者たちは、「習近平・共産党の奴隷になるな」「立ち上がれ! 中国共産党の奴隷となりたくない人々よ!」との思いを込めて、この歌を歌って呼び掛け、声を合わせているのだ。
2番の「我?万众一心,冒着?人的炮火,前?!」(敵の砲火を冒し、前進!)の、「?(敵)」とは、「習近平・共産党」を指すものとして歌われる。「みんなが心を一つにし、中国共産党の激しい攻撃を覚悟して立ち向かうのだ!」となる。現に、「習近平は退陣せよ!共産党支配はごめんだ!」というデモのスローガンも現れている。
中国で、「国歌法」が制定されたのは、2017年9月1日、中国の「第12期全人大・常務委員会」においてのことだという。その施行は、同年10月1日の国慶節からのこととなった。
中国では1990年に『国旗法』が、1991年には『“国徽法(国章法)”』が制定された。しかし、『国歌法』の制定は遅れた。2004年憲法で国歌は「義勇軍行進曲」と規定されたものの、拘束力ある立法は避けられていた。2017年の『国歌法』制定は、香港や少数民族の状況を睨んでのものであったろうか。
この国歌法、虫酸が走るような、愛国主義の押し付け、押し売りである。まるで天皇制下の締めつけ。心から思う。中国に生まれなくて良かった。この国には、愛国があって個人の尊厳がない。国家と党の支配への忠誠の証しとしての国旗国歌尊重が義務化されている。皇国並みの愚劣。
国歌法は全16条で構成されるが、重要と思われる条項を示すと以下の通り。
【第1条】国歌の尊厳を擁護し、国歌の演奏・歌唱、放送、使用を基準化し、国民の国家概念を増強し、愛国主義の精神を発揚させ、社会主義の核心的価値観を育成・実践するため、憲法に基づき本法を制定する。
【第2条】中華人民共和国の国歌は「義勇軍行進曲」である。
【第3条】中華人民共和国の国歌は、中華人民共和国の象徴と標識である。全ての国民と組織はすべからく国歌を尊重し、国歌の尊厳を擁護しなければならない。
【第4条】下記の場合は国歌を演奏・歌唱しなければならない。
(1)全国人民代表大会会議と地方各級人民代表大会会議の開幕、閉幕。中国人民政治協商会議全国委員会会議と地方各級委員会会議の開幕と閉幕、(2)国旗掲揚式、(3)重要な外交活動、(4)重要な体育競技会、(5)その他、国歌を演奏・歌唱することが必要な場合、など
【第7条】国歌を演奏・歌唱する時は、その場にいる者は起立しなければならず、国歌を尊重しない行為をしてはならない。
【第8条】国歌の商標や商業公告への使用、個人の葬儀活動など不適切な使用、公共の場所のバックグラウンドミュージックなどへの使用をしてはならない。
【第15条】公共の場で故意に国歌の歌詞や曲を改ざんして国歌の演奏・歌唱を歪曲、毀損した、あるいはその他の形で国歌を侮辱した場合は、公安機関による警告あるいは15日以下の拘留とし、犯罪を構成する者は法に基づき刑事責任を追及する。
対日戦争では、法的強制がなくても、人々は愛情と誇りを込めてこの歌を唱った。今若者たちは、がんじがらめの国歌強制の法のしがらみの中で、この歌「義勇軍行進曲」を、習近平体制に対する「抵抗歌」として歌っている。国旗や国歌とは、所詮強制に馴染まないものなのだ。
(2022年12月4日)
私はSNSというものとは無縁である。そのうえ、サッカーにもワールドカップにも何の興味もない。どこの国が勝とうが負けようがどうでもよいこと。だから、日本共産党の中野区議・羽鳥大輔のツィッターが「炎上」したことに、さしたる関心をもたなかった。共産党議員の発言が、ナショナリズム信奉の右派から攻撃を受けて何の臆するところあろうかと思い込んでいた。
が、不明にして同議員が謝罪したことを知らなかった。「炎上」に屈したとなれば、これは「事件」である。ナショナリズムがいびつな同調圧力となって、真っ当な言論を圧殺する事件。スポーツナショナリズムが容易に反共と結びつくことを見せつけた事件。自由であるべき言論空間が非寛容なヘイト体質の発言者に占拠されているという事件…。とうてい看過できない。
最初に私自身の立場を明確にしておきたい。ドイツと日本のサッカー試合、いつもであれば、どちらが勝とうと負けようともどうでもよい些事に過ぎない。しかし、22年ワールドカップ・カタール大会での日独戦は、背景事情があって事情が異なる。この大会は準備段階から腐敗と差別、人権問題で大きく揺れていた。この問題に、ドイツの協会も選手も問題意識が高かった。日本は問題意識が低いというのではなく、見事なまでに何もなかったといってよい。だから、私はドイツに勝ってもらいたかった。そのドイツが負け、日本が勝ってしまったことを、まことに残念に思う。
昔、小学生だったころ、私のあこがれは白井義男であり、古橋広之進であり、石井昭八であり、山田敬三であり、力道山であった。世界に劣等感を持っていた戦後日本人の一人として、世界で対等に闘える「日本人代表」に拍手を送ったのだ。日本が幅広い分野で世界に対等に伍した存在感を示すにつれて、劣等感の同義であったナショナリズムも希薄になった。今回のワールドカップのごとき、国民がこぞって熱狂することには辟易である。
もしかしたら、最近の日本の、知的・文化的・政治的・経済的な衰退傾向が、再び劣等感に支えられたナショナリズムを刺激しているのかも知れない。メディアのナショナリズム煽動にも大きな違和感を禁じえない。おそらくは、私の感覚は羽鳥大輔に近似している。ただ、それが日本共産党とも近似しているかどうかはよく分からない。何しろ、自党の宣伝ポスターに富士山の写真をあしらう国民意識を重視した政党なのだから。
問題の羽鳥大輔ツィッターは3件ある。うち2件は極めて真っ当な内容である。過激でもなければ人を貶めるものでもない。ただ、日本のサッカーファンやナショナリストには、耳に心地よくないかも知れないが、特に目くじら立てるほどのものではない。これに過剰な批判のツィートが寄せられて「炎上」したのは、社会の多数派の不寛容を表すものにほかならない。ナショナリズムに馴染まぬ者への、一人ひとりの「小さな敵意の表明」の集積が、民主主義も表現の自由も圧殺する事態を生じかねない。
そして、3件目は、残念ながら「炎上」に屈した形での羽鳥の謝罪となった。おそらくは、党からの「指示」ないし「指導」があったと推察される。この事件、いくつもの問題を露呈している。
羽鳥の最初のツィートは、毎日新聞の「ドイツ代表、試合前の写真撮影で口塞ぐ 腕章禁止に抗議」の記事を引用して、以下をリツイートするもの。
「日本とドイツのサッカー協会の差を見せつけられちゃうし、日本代表は勝っちゃうしで、残念というほかない。」
「腕章」は多様性を訴えるメッセージ。ドイツは、その腕章の着用を禁じた国際サッカー連盟(FIFA)に抗議をしたのだ。これに対して、日本は何もしなかった。日本サッカー協会会長の田嶋幸三は、わざわざ練習場を訪れて、「今この段階でサッカー以外のことでいろいろ話題にするのは好ましくないと思う」と述べたという。だれ一人、これに異議を唱えた選手はいない。
日本のスポーツ界の実状をよく表している。「昔軍隊、今運動部」である。ドイツと日本とは、その人権意識の高さにおいて、月とスッポン、雲と泥との差なのだ。偏狭なナショナリズムよりも普遍的な人権が重要だとする立場からは、「ドイツが負けて日本勝った。まことに残念」となってなんの不思議もない。
羽鳥は、第1ツィートへの批判に反論する形で、以下の第2ツィートを投稿した。
「この意見も前の意見も私個人の意見ですが、日本代表の戦いはすごいと思いますし、ものすごい努力をされたと思います。しかし、『日本代表を応援し、その勝利を喜んでいなければ日本人に非ず。そう考えてないなら黙っていろ』という空気の中で、『日本が勝ってよかった』とはとても思えません。」
私もまったくの同意見だ。どんな理由でどこの国のチームを応援してもしなくても、他人からとやかく干渉される筋合いはない。「オマエも日本人なら当然に日本を応援しろ」「日本の勝利を喜べない者は日本人ではない」という非寛容な社会的同調圧力が、戦前は「非国民」攻撃となり、最近は「反日」攻撃に言葉を変えている。
この羽鳥ツィートに対する批判を拾ってみた。悲しいかな、これが今日の日本の主権者多数派の民度のレベルなのだ。この人たちが、安倍長期政権を支えたと言えよう。
「さっさと日本から出て行きやがれ」「日本を嫌い、日本を蔑んで溜飲を下げていながら一方で日本に依存し続ける。真正の恥知らずだな」「なんだこいつ」「素直に日本嫌いって言えよ笑」「多分、ルーツが日本にないんや」「仕方ないわ。媚中とか親中どころやなくて、中国そのものなんやろな」「中国や北朝鮮を応援してる人でしょ?」「ばかだし、日本から出て行って欲しい」「共産党って本当に日本の事キライだよね」「共産党ってそういう党なんだ」「そうなんよ そういう党なんよ」「僕、サッカー興味ないのですが、狂産党の凄さは、伝わりました。」「どうせ、コメントで馬脚を表しているけど反日議員でしょ。税金泥棒議員は消えなよ」「さすが日本共産党と言うのやら…」「日本代表が勝って残念って何を考えているのですかね?こんなのが日本の国政政党ですから。日本国民はしっかりと考えなければならないのです」「『日本が勝って残念』と思う感性の人が区議というのがやべぇと思うんだが」「天皇制問題や自衛隊問題で同調圧力に屈し続けてきた日本共産党の上層部から圧力があったのではないかなと思えてしまいます」「日本人の台詞じゃないですね」「普段サッカーを観ない人間でも、日本代表が勝てば嬉しいのにね」「ドイツが勝った方が嬉しいはまだ分かるが(死ぬほど大好きな選手がいる等)、日本が勝って嬉しくないはおかしいでしょ」「共産党が『日本』と付けるな。日本が穢れる。立憲君主制すらまともに知らん無能議員の無知極まりない」「日本共産党はこんな、礼儀の無い党派で相手にするべきではない」「日本から消滅すべき党派」「人が喜んでるところに水をさしておいて捻くれた理屈でゴネてよく言うよ!左翼共産党ほど自分達の意見以外まったく認めないくせに」
このような「炎上」の結果、羽鳥議員は突然謝罪に転じる。おそらくは、不本意ながらにである。羽鳥議員には無念であったろうが、問題は個人的な無念よりは、ナショナリズム批判の言論が撤回に追い込まれたことの社会的影響である。謝罪文言は以下のとおり。問題の局面がすり替えられての謝罪であることは、自分自身がよく分かっているはず。
「多くの方からご指摘がありまして現在は以下のように思っています。
選手のみなさんは、努力を重ねフェアプレイで全力を尽くして戦ったわけで、その双方に対して敬意を払うことが政治に携わるものとして当たり前の態度でした。『日本代表が勝って残念』という言動は間違いでした。申し訳ありません。」
さて、無邪気にナショナリズムに酔っている「日本大好き」人間をどう見るべきだろうか。
「人はパンのみにて生くるものに非ず」とは、史上最高の箴言である。そして、「パンとサーカス」はこれ以上のない警句。この組み合わせは、今、こう分裂するのではなかろうか。「誠実に生きようとする人は、パンのみにて生きることはできない。生きるためには自由と人権と民主主義が必要である」「愚民もパンのみでは統治に十分ではない。スポーツとナショナリズムを与えておく必要がある」
古代ローマでの、生臭い「サーカス」は、いまワールドカップやオリンピックに姿を変えている。ローマの権力者は、市民に「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」を提供することによって、市民を政治に無関心な愚民とした。いま、意識的にその政策が行われ、しかも一定の成功をおさめているのではないだろうか。
スポーツナショナリズム恐るべし、と言わねばならない事態である。
(2022年12月3日)
12月10日閉会を間近にした終盤国会。その焦点となっているのが「救済新法(案)」の取り扱いである。12月1日閣議決定され、6日に衆議院本会議で法案の趣旨説明と質疑を行い、同日委員会審議入りすることまでは決まっている。政府・与党の思惑では、衆院で7日可決、参院では9日可決の予定だという。その円滑な審議進行のためには野党の修正案を大幅に飲まざるを得ない。しかしさて、いったい何が問題か。
この法案は消費者庁提出である。同庁のホームページに、閣議決定された下記の「法案の概要」が掲載されている。全18か条の法案の全体像が、一枚のペーパーに要領よくまとめられている。
https://www.caa.go.jp/law/bills/assets/consumer_system_cms101_221201_01.pdf
その要約を掲記し、若干の解説を試みたい。
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法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律案(概要)
(これが法案の正式名称。実態としては「統一教会による《不当な寄附勧誘の防止および被害者救済》に関する法律」案なのだが、特定の団体を狙い撃ちにする立法は避けねばならない。そのため、法案の名称にも条文にも、統一教会の関連用語は出て来ない。)
法案提出の理由 法人等による不当な寄附の勧誘を禁止するとともに、当該勧誘を行う法人等に対する行政上の措置等を定めることにより、消費者契約法とあいまって、法人等からの寄附の勧誘を受ける者の保護を図る。
(「法人等」は、当面、統一教会と読み替えてよい。実質的な立法目的は、「統一教会からの寄附の勧誘を受ける者の保護を図る」ことにある。そのために、この法は「不当な寄附の勧誘を禁止する」とともに、「不当な寄附勧誘を行った場合には、しかるべき行政上の処置をとる」とする。問題は、禁止や違反に対する対応の実効性の有無である。)
1.寄附の勧誘に関する規制等
■寄附の勧誘を行うに当たっての寄附者への配慮義務【第3条】
?自由な意思を抑圧し、適切な判断をすることが困難な状況に陥ることがないようにする
?寄附者やその配偶者・親族の生活の維持を困難にすることがないようにする
?勧誘する法人等を明らかにし、寄附される財産の使途を誤認させるおそれがないようにする
■寄附の勧誘に際し、不当勧誘行為で寄附者を困惑させることの禁止 【第4条】
?不退去、?退去妨害、?勧誘をすることを告げず退去困難な場所へ同行、?威迫する言動を交え相談の連絡を妨害、?恋愛感情等に乗じ関係の破綻を告知、?霊感等による知見を用いた告知
■借入れ等による資金調達の要求の禁止【第5条】
借入れ、又は居住用の建物等若しくは生活の維持に欠くことのできない事業用の資産で事業の継続に欠くことのできないものの処分により、寄附のための資金を調達することを要求してはならない
(寄附の勧誘に関する規制を定める、以上の《第3条?5条》が、この法律(案)の眼目であり問題点でもある。規制の態様は「配慮義務の設定」(3条)と、「禁止」(4・5条)である。禁止規定違反には、報告徴収・勧告・命令・公表という行政措置が可能となり、最終的には罰則の適用もある。しかし、配慮義務違反には行政措置も刑罰も予定されていない。それでよいのか、という問題が指摘されている)
2.禁止行為の違反に対する行政措置・罰則
■報告徴収 【第6条】
施行に特に必要な限度で、法人等に対し報告を求める
■勧告、命令・公表 【第7条】
不特定・多数の個人への違反行為が認められ、引き続きするおそれが著しい場合、必要な措置をとるよう勧告
⇒措置をとらなかったときは、命令・公表
■罰則 【第16条?18条】 ※両罰規定あり
虚偽報告等:50万円以下の罰金
命令違反:1年以下の拘禁刑・100万円以下の罰金
(以上の行政上の措置も罰則も、4条と5条の「禁止規定」違反にだけ科せられる。3条の「配慮義務」違反の効果としては、この法律には何の制裁も定められていない。民法の不法行為成立の要素にはなるだろうが、民事訴訟の提起を必要とする。はたして、それでよいのか。)
3.寄附の意思表示の取消
■不当な勧誘により困惑して寄附の意思表示をした場合の取消し【第8条】
(第4条の「不当な寄附勧誘行為で寄附者を困惑させることの禁止」に違反した場合の効果として、「困惑しての寄附の意思表示」は、取り消すことができる。民法の取消要件は、「錯誤」・「詐欺」又は「強迫」による意思表示に限られるから、「困惑」による意思表示の取り消し権は一歩前進ではある。が、多くの寄附は「困惑」してのものではなく、喜んでするものだろう。「そのような寄附を、後に取り戻せなければ、この立法の意味の大半が失われる」と被害者側が訴えてきたところ。この声に耳を傾けるべきであろう)
4.債権者代位権の行使に関する特例
■子や配偶者が婚姻費用・養育費等を保全するための特例 【第10条】
被保全債権が扶養義務等に係る定期金債権(婚姻費用、養育費等)である場合、本法・消費者契約法に基づく寄附(金銭の寄附のみ)の取消権、寄附した金銭の返還請求権について、履行期が到来していなくても債権者代位権を行使可能にする
(寄附者本人が、統一教会に寄附金の返還を要求しない場合に、家族が独立して幾分かの請求をできるようにする特例。その請求の範囲は、寄附者が負担する婚姻費用や養育費支払い義務の範囲内に留まる。)
5.関係機関による支援等
■不当な勧誘による寄附者等への支援【第11条】
取消権や債権者代位権の適切な行使により被害回復等を図ることができるようにするため、法テラスと関係機関・関係団体等の連携強化による利用しやすい相談体制の整備等、必要な支援に努める
《法律の運用に当たり法人等の活動に寄附が果たす役割の重要性に留意し、信教の自由等に十分配慮しなければならない》【第12条】 《施行後3年目処見直し》
1日に閣議決定された同法案だが、政府・与党は翌2日に修正の検討に入ったと報道されている。前代未聞のことではないだろうか。修正の検討対象となっているのは、「寄附を勧誘する際の配慮義務規定に何らかの実効性を持たせる方向で検討」し、「規定に従わない場合は何らかの行政処分を可能とする案などが浮上している」という。
内閣は弱いに限る。支持率は、低ければ低いほどよい。そして世論は強くなくてはならない。いま、強い世論が弱い内閣に、法案の修正を余儀なくさせているのだ。
(2022年12月2日)
本日の東京新聞に、「『前川喜平さんを次期NHK会長に』市民団体が署名提出 加計学園報道の『忖度』を批判」という望月衣塑子記者の記事。
「来年1月に任期満了を迎えるNHK会長の後任に元文部科学次官の前川喜平さんを推薦する市民団体が1日、NHKの在り方を考えるシンポジウムを東京・永田町(衆議院・議員会館)で開いた。登壇した前川さんは「加計学園問題で、入手した情報を放送できず記者が涙を流したと聞く。NHKはおかしくなっている」と改革を訴えた。」
NHKは、文字どおりのマスメディアである。メガメディアと言っても、ギガメディアと言ってもおかしくない規模。そして、商業放送でも国営放送でもない。飽くまでも国家からは独立したタテマエの、公共放送である。言わば、国民が受信料という形で直接育てている大切な財産。その報道姿勢は、国民生活にも民主主義のあり方にも、巨大な影響力をもつ。
にもかかわらず、NHKの報道はジャーナリズムの本道を踏みはずしたものと指摘せざるを得ない。とりわけ、安倍政権以来その傾向が著しい。なんとかしなければならない。そのような心ある国民の声が、「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」の結成となり、「会」は前川喜平さんをNHK会長候補に推薦した。前川さんが積極的にこれを受けとめて、今この運動に弾みが付いている。
この運動を始めた市民団体の発想力に脱帽である。ルールの上では、市民が(あるいは市民代表が)NHK会長を選ぶことにはなっていない。視聴者の意見を聞く手続さえまったくない。だから、市民運動がNHK会長の選任に関わろうという発想は出てこない。しかし、NHKが放送ジャーナリズムである以上は、権力側に軸足を置く存在ではない。権力を批判する市民の側に位置するものなのだ。
だから、NHK会長を市民が選ぶべきが王道なのだ。内閣→経営委員会→NHK会長、という権力による選任ルートがそもそも邪道なのだ。市民運動の発想こそが正しく、経営委員会はこれを形式上追認すべきと言えよう。
ところで、NHKの在り方は放送法で決められている。NHK会長とは何か。どう選ばれるのか。
第51条1項 「会長は、協会を代表し、経営委員会の定めるところに従い、その業務を総理する。」
第52条1項 「会長は、経営委員会が任命する。」
同 条2項 「前項の任命に当たつては、経営委員会は、委員9人以上の多数による議決によらなければならない。」
第53条1項 「会長…の任期は3年…とする。」
同 条2項 「会長…は、再任されることができる。」
NHKの最高意思決定機関は経営委員会である。内閣から紐のついた経営委員会が、NHK会長の選任・罷免の権限をもっている。経営委員12人の選任が、NHKの在り方を決めている。
法第31条は、「(経営)委員は、公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。この場合において、その選任については、教育、文化、科学、産業その他の各分野及び全国各地方が公平に代表されることを考慮しなければならない。」とするが、現実は、安倍晋三の息のかかった「アベトモ」に占められている。
現実には「公共の福祉に関し公正な判断をすることができず、広い経験と知識を有する者のうちからの経営委員の選任はない」「教育、文化、科学、その他の各分野及び全国各地方からの選任もなく、ひたすら産業界と右翼文筆家、そして御用学者によって占拠されている」。
そのため、第一次安倍晋三政権時代の2008年1月に、菅義偉総務大臣が古森重隆(富士フィルム社長)を経営委員長に据え、古森が主導して福地茂雄(アサヒビール出身)をNHK会長に選んで以来、松本正之(JR東海出身)、籾井勝人(三井物産出身)、上田良一(三菱商事出身)、前田晃伸(みずほ銀行出身)と、5期(15年)の長きにわたって、安倍晋三と緊密な財界出身者が、経営委員長と政権幹部との密室の協議によって任命されて来ている。ジャーナリズムのあり方も、公共放送の理念も理解しているとはとうてい思えない面々。
その前田現会長の任期が、23年1月に終了する。さて、次期会長も同様であってはならない。前川喜平NHK会長推薦は、これに一石を投じようという市民運動である。この日(12月1日)、前川喜平さんを推薦する賛同署名4万4019筆がNHK経営委員会に提出された。「経営委員会が心の底から改心しさえすれば」、前川喜平NHK会長実現もあり得ないことではない。
またこの日、国会内で開催された「公共放送NHKはどうあるべきか」と題したシンポジウムでは、前川喜平さんを囲む形で、ジャーナリストや研究者、NHKの元職員、市民運動に携わる者が出席して、NHKのあり方について活発な議論を交わした。このようなオープンな議論が重要である。仮に、前川喜平会長が実現しなくても、次期会長は密室での選任過程が問題視されることになる。そして何よりも、その識見や適格性を前川喜平と比較されることにもなるだろう。
この市民運動の成り行き、興味津々である。