安倍政権・教育政策の危険度
本日は、日民協と教科書ネットの共催で、「何をめざすかー安倍政権の教育政策」をテーマとしたシンポジウム。
第1次安倍政権は教育基本法を改悪し、愛国心と競争を煽る教育に道を開いた。第2次安倍政権は「強い日本をとりもどす」ための「教育再生」を重点政策にかかげて、教育を大きく変えようとしている。子どものための教育ではなく、国家のための教育をめざすもの。そして財界の要求する新自由主義の立場からのもの。憲法を改悪して「強い日本」「戦争のできる国」「経済的強者に奉仕する」国づくりと連動させたもの。そして、そのための「人材」養成としての教育。安倍教育政策の内容と問題点を浮き彫りにするための報告は以下の3件。
報告1「安倍政権の教育政策は何がどのように危ないのか」
俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
報告2「安倍政権のいじめ防止対策の問題点」
村山 裕(弁護士・東京中央法律事務所)
報告3「教育制度『改革』の問題点-新自由主義教育改革の新たな段階?」
世取山 洋介(新潟大学准教授)
各報告の全文が、「法と民主主義」6月号に掲載される。その他の関連論文も掲載予定。ぜひ、同誌を講読して熟読されたい。
以下は、本日のシンポジウム資料として配布された自民党選挙政策からの抜粋。昨年総選挙のものだが、恥ずかしながら、ここまで書き込んでいるとは知らなかった。多くを語る必要もあるまい。戦後教育改革の成果を根底から覆そうというのが、安倍教育改革である。
※わが党は、世界トップレベルの学力と規範意識を備え、歴史や文化を尊重する態度を育むために「教育再生」を実行します。日教組の影響を受けている民主党には、真の教育再生はできません。
※『教育基本法』の理念に基づき、「自助自立する国民」「家族、地域社会、国への帰属意識を持つ国民」「良き歴史、伝統、文化を大切にする国民」「自ら考え、判断し、意欲にあふれる国民」を育成します。
※全国学力・学習状況調査を全国一斉の学力テスト(悉皆(しっかい)調査)に戻し、全ての子どもの課題把握、学校・教職員の指導改善に生かします。
さらに土曜授業を実現します。
※国旗・国歌を尊重し、わが国の将来を担う主権者を育成する教育を推進します。不適切な性教育やジェンダーフリー教育、自虐史観偏向教育等は行わせません。規範意識や社会のルール、マナーなどを学ぶ道徳教育や消費者教育等の推進を図るため、高校において新科目「公共」を設置します。
※中学・高校でボランティア活動やインターンシップを必修化し、公共心や社会性を涵養します。あわせて地域に根差した伝統・文化や、スポーツクラブ、サークル活動などの地域の絆を守り、コミュニティを支える取り組みを支援(「伝統文化親子教室」の創設など)します。
※公教育の最終責任者たる国(文部科学大臣)が責任を果たせるよう、『地方教育行政の組織及び運営に関する法律』を改正します。
※小・中学校卒業時における学力評価や高校での達成度試験の実施を図り、確実に学力を身に付けさせます。あわせて、高校在学中も何度も挑戦できる達成度テスト(日本版バカロレア)の創設や、それを前提とした論文、面接、多様な経験重視で潜在力を評価する入試改革など、大学全入時代の大学入試のあり方そのものを検討します。
※大学の9月入学を促進し、高校卒業から入学までのギャップターム(半年間)などを活用した大学生の体験活動(国とふるさと、環境を守る仕事?例えば、海外NGO、農業・福祉体験、自衛隊・消防団体験等)の必修化や、学生の体験活動の評価・単位化を行い、企業の採用プロセスに活用します。
※教育の政治的中立を確保しつつ、自治体の教育行政に民意を反映させ、効率的・迅速に運営する必要があります。首長が議会の同意を得て任命する常勤の「教育長」を教育委員会の責任者とするなど、国と地方の間や、地方教育行政における権限と責任のあり方について、抜本的な改革を行います。
※多くの教科書に、いまだに自虐史観に立つなど、偏向した記述が存在します。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」ための教科書で、子どもたちが学ぶことができるよう、教科書検定制度や、副読本なども含めた教科書採択の構造について、文部科学大臣が各教科書共通で記載すべき事項を具体的に定める等抜本的に改革し、いわゆる「近隣諸国条項」に関しては、見直します。
ところで、新装開店記念のサービスをもう一つ。
『実生(みしょう)のこと』
「実生」とは「種」から芽が出たばかりの小さな草木のこと。種を蒔いて芽が出てくるまで、2年以上かかることもある。挿し木や株分けと比べると気の長い人むきだ。根気がいる。何の気配も見えないただの土をじっと見張って、乾いたら水をやらなければならない。水やりも忘れ、何を蒔いたかも忘れた頃に、ぽちんと緑が現れる。それを発見したときの嬉しさといったらない。親と同じ花や実をつけるとは限らない。そのあと花や実をつけるまでになるのには、またまたうんざりするほどの時間がかかる。親と同じ花や実をつけることはない。そこがまた面白いところだ。
我が明日の命もしれないのに、種まきが好きな人がけつこういる。私も同じ。いま庭をみて、数え上げれば、サンショウ、アボカド、イチョウ(ギンナン)、コナラ(ドングリ)、ウメ、サクラ、ユリノキ、ムベ、フジ、チャ、各種モミジ、各種ツバキ、センリョウ、マンリョウ、クリスマスローズ、各種スミレなどの実生が所狭しと生えている。ほとんどは小鳥のプレゼントだ。アボカドなんかは人間が食べたあとの種を捨て蒔きにしておけば忘れた頃に芽が出てくる。クリスマスローズは花の後、種をそのままにしておけば、根元に実生が生えてくる。
なかにはそうもいかないものがある。手塩にかけたものは自慢だ。ハンカチノキとヤマシャクヤク。ハンカチノキは知り合いにもらった種を10個ほど蒔いて3個芽が出た。そのうち1本だけ鉢のなかで、いま20センチメートルぐらいに育っている。見上げるような大木になるのだから、「育ったのが一本でよかった」と思う。今年は蒔いてから4年目の春。ヤマシャクヤクはもっとかかっている。今春初めて、花嫁さんの綿帽子のような白い花を見せてくれた。6年目の正直。忘れた頃に、という気分でないとつきあえない。6弁一重の可憐な花を見ていると、またこの種を蒔いて、いつか庭中ヤマシャクヤクの園にしようという気がしてくるような、こないような。
どだい実生は丈夫だ。その場所が気に入らない限り、芽を出さないのだから。だから実生を山から抜いてきて、自分の庭で育てるのはほとんど不可能だと思ったほうがいい。種をひろってきて、芽が出てくれれば「ひろいもの」だ。
こんなことを繰り返して、長年猫の額のような庭で楽しんでいるのです。気の長いことで。