吉田嘉明尋問採用決定は次回(19年1月11日)法廷に持ちこし ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第139弾
次回法廷は2019年1月11日(金)午前11時00分
東京地裁415号法廷(東京地裁・4階、どなたでも傍聴できます)
吉田嘉明人証採用決定の法廷です。傍聴にお越しください。
DHCと吉田嘉明が、私(澤藤)を被告として6000万円を支払えと訴訟提起したのが「DHCスラップ訴訟」。私の至極真っ当なブログでの言論にいちゃもん付けての2000万円の請求だった。私が、このDHC・吉田嘉明の提訴は違法なスラップ訴訟だとブログで批判した途端に、2000万円の請求は、6000万円に跳ね上がった。提訴の目的が、言論の抑制にあったことは明らかではないか。
このスラップ訴訟は、当然のことながら私(澤藤)の勝訴で確定した。しかし、こんな提訴が許されてよいはずはない。不法が放置されてよかろうはずはない。スラップ常習のDHC・吉田嘉明に対して、「スラップ提訴が違法だから損害を賠償せよ」という、「反撃訴訟」が今継続中である。
本日(10月26日)の法廷で、当事者本人両名(私と吉田嘉明)の尋問採用が決定となるはずだったが、持ちこされた。本日の法廷での人証採用決定はなく、改めて次回期日に採否の決定となる。
吉田嘉明の採用に関する裁判所の考え方はこうだ。
「裁判所は、反訴原告(澤藤)側から採用申請のあった反訴被告本人(吉田嘉明)尋問の必要がないとは思っていない。しかし、反訴原告が採用を求める立証趣旨(ないし尋問事項)には他の証人の尋問での代替性があるかも知れない。今のところ、反訴被告(DHC・吉田嘉明)側は人証申請をしていないが、反訴被告側から人証の申請の予定があれば、それを出していただき、反訴原告側の意見も伺って採用の可否を決定したい。」
この裁判所見解に対して、反訴原告(澤藤)側弁護団から、納得しがたい旨の意見が、こもごも述べられた。裁判所は「各意見は十分に理解している」「留意したい」ということで、最終的には、反訴被告に人証申請の機会を与えることとなった。
本年12月7日(金)までに、反訴被告(DHC・吉田嘉明)側が人証の申請書と各申請対象者の陳述書を提出。それに、反訴原告(澤藤)側が賛否の意見を提出した上、次回期日(1月11日・金)に人証採用を決定する。お分かりのとおり、吉田嘉明の採否が焦点となっている。
正直のところ、裁判官が本日の法廷でなぜ吉田嘉明の本人尋問を決定しなかったのか、その躊躇の理由がよく分からない。以下に反訴原告側の証拠申出書を貼り付けておくので、お読み願いたい。この申請を却下する理由などあり得ない。
平成29年(ワ)第38149号 損害賠償請求反訴事件
反訴原告 澤藤統一郎
反訴被告 吉田嘉明、株式会社ディーエイチシー
証拠申出書
2018年(平成30年)10月5日
東京地方裁判所民事第1部合議係 御中
反訴原告訴訟代理人
弁護士 光 前 幸 一 外54名
第1 人証の表示
1 反訴原告本人 澤藤統一郎(主尋問30分程度)
2 反訴被告本人 吉田 嘉明(主尋問60分程度)
第2 立証の趣旨
1 反訴原告本人 澤藤統一郎
(1) 本件文書の内容や、これが掲載された反訴原告のブログ(「澤藤統一郎の憲法日記」)のこれまでの内容から、本件文書の公益目的性は明らかであったこと。
(2) 本件文書における反訴原告の見解は、反訴被告吉田が週刊誌に自ら公表した言動と反訴被告らの提訴行為に関する反訴原告の論評(批判)であり、批判の前提となった事実(政治家への資金提供、提訴)に争いはないから、反訴原告の見解を支持するかしないかは別にして、これが反訴被告らの名誉毀損となる余地はないことが明らかあったこと。
(3)? 反訴原告の論評は、反訴被告吉田が自ら公表した言動を、政治の廉潔性という観点から授受当事者双方を厳しく批判するものであるが、その表現が、反訴被告吉田の公表した言動を離れて反訴被告らを批判したり、批判言論としての節度を逸脱するようなものでないことが明らかであったこと。
(4) 反訴被告らの訴訟提起による言論委縮効果と反訴原告の物質的・精神的損害の程度。
2 反訴被告本人 吉田 嘉明
反訴被告らにおいて、反訴原告に対し名誉棄損訴訟を提起し、訴えを追加し、控訴、上告までした主たる目的が、裁判勝訴による反訴被告らの名誉の回復にあるのではなく、比較的社会的影響力のある発言者の批判を名誉毀損として訴え、裁判被告としての苦痛を味合わせることにより、メディアを含めた公衆からの批判言論を将来にわたって抑圧することにあったこと。
第3 尋問事項
別紙のとおり
第4 反訴被告吉田の尋問の必要性
1 本件は、?自ら週刊誌に暴露した有力政治家に対する金8億円という金員の提供行為が、?予期に反して、一般公衆、弁護士、評論家、メディア等から批判されたことに対処するため、各批判が反訴被告ら対する名誉毀損であるとして、?選別基準も不明なまま、?一部の言論について、?何らの事前交渉をもたないまま、?高額の損害賠償請求を、?判明しているものだけでも10件提起したことに、一般の名誉毀損訴訟とは異なる側面を見出すことができるが、その結果として、提訴された10件は、?無意味な和解、取下げ(3件)、?敗訴事件に対する見通しを欠いた控訴・上告(5件)、?一部勝訴(実質敗訴)事件の不自然な控訴放棄(2件)といった異様な帰趨を辿っている。
また、反訴原告に対しては、?このような反訴被告らによる名誉棄損訴訟の提起は「違法なスラップ訴訟」という反訴原告の論評(批判)に対しても追加提訴し、損害賠償請求額を2000万円から6000万円に増額していることに特徴がある。
2 公共性が顕著な事項(取り分け政治的部門)に対する公益目的での批判的言論を抑圧する意図でなされる裁判の提起は、裁判を受ける権利(憲法32条)の重要性に周到な配慮する一方で、民主主義の根幹をなす言論の自由を侵害する行為として、財産権の争いに関する不当訴訟(最判昭和63年1月26日等)とは異なる観点から適正な抑制を図る必要がある。経済格差が司法アクセスへの格差という現象を生んでいる今日、市民の政治参加の場面における言論と資本の調整という旧来テーマは、公共的な言論に対するスラップ訴訟の抑制という新たな課題を突き付けている。
その調整原理は、表現の自由(とくに論評の自由)が強く尊重、保護されている米国とは異なり、論評(批判)言論に対しても、論評対象事実の真実性(真実相当性)を重視するわが国の判例法においては、名誉棄損訴訟のスラップ性(違法性)の要件として、裁判提起の目的や意図といった提訴者の主観面の評価に多く依存せざるをえないが、濫用的意図が一定程度に推測される外観的事実(名誉棄損訴訟としての異質性)が認められる場合には、提訴者は、少なくとも、濫用的意図がないことの説明責任があると考えるのが、表現の自由と裁判を受ける権利の調整原理として妥当である。
3 しかるところ、反訴原告は、反訴被告らによる訴訟の提起が上記のような異質性を持ち、訴訟遂行の不合理性を縷々指摘しているにもかかわらず、反訴被告吉田がこのような異質の名誉毀損訴訟の提訴(選別も含む)を決断し、訴えを追加し、多数の敗訴判決を前にして控訴・上告した理由の説明を求めても、これに正面から答えていない。一例を上げれば、反訴被告らは、全部敗訴事件はすべて控訴・上告しながら、一億円もの高額の賠償を求めた実質敗訴(一部勝訴)事件を控訴しない理由について「紛争の早期解決」の一言で済ませているが、堅固な思想のもとに巨大企業を統率する反訴被告吉田の説明としては、極めて不十分、不合理である。
したがって、反訴原告は、反訴被告吉田を尋問することで、上記の不合理、不自然な事実を合理的に説明できないことを明らかにし、反訴被告らが提起した名誉棄損訴訟の違法性を立証する。
4 なお、反訴被告らは、災害被害者に対し多額の義捐金を拠出しているとして、これを理由に、反訴原告の論評は誤りであり反訴被告らの名誉を侵害しているとの主張を繰り返しているが、前提事実に誤りのない論評の当否や正誤の指摘は、そのような対向する言論で行うのが言論の自由とこれを基礎とする民主主義の大原則である。仮に、篤志家であったとしても、篤志家であることと、前提事実に誤りのない事実についての論評(批判)を不当な論評として裁判手続きを利用し抑圧することが許されるかは、全く別論であることは言うまでもないことであるが、敢えて付言する。
公平の観点から、これに対する、反訴被告代理人弁護士今村憲が起案した「意見書」(10月19日付)当該部分の全文も、掲記しておきたい。こちらも、比較の対象としてよくお読みいただきたい。どちらに説得力があるか、一見明白ではないか。
反訴原告は,本件における前訴そのものというよりも,他の訴訟との関係等について尋問する必要がある旨主張しているように受け取れるが,反訴原告が本件において訴訟対象としている訴訟は,あくまでも本件における前訴のはずであり,当該前訴そのものが違法と言えるかが審理及び判断の対象のはずである。当該前訴を提起した理由,控訴及び上告受理申立てをした理由は,それぞれ,訴状,各準備審面,控訴理由書及び上告受理申立理由書に記載のとおりであり,他の訴訟との比較を検討するまでもなく,当該前訴自体,相当の法的根拠があるものであり,不当提訴などと判断される余地など全くない。反訴被告らの主張が相当の法的根拠があることは,前訴の第1審及び控訴審の判決文の当事者の主張にも整理されているが,本件訴訟においては,訴状,控訴理由書及び上告受理申立て理由書は提出済みであるが,準備書面は提出していなかったので,反訴被告らの主張が相当の法的根拠があることをより一層明らかにするための裏づけ証拠として,また反訴被告吉田をいまさら尋問する必要など全くないことの証拠として,念のため提出しておく。
裁判所は主張との関連性で、吉田嘉明尋問の必要性を判断することになる。が、それとは別の観点から、私は吉田嘉明の法廷での弁明を聞きたい。
昨日のブログでも述べたが、吉田嘉明には、逃げず隠れずに、法廷で思うところを述べてもらいたいものと思う。この訴訟、もともとは、吉田自身が提起したものだ。その元はと言えば、やはり吉田が週刊新潮に書いた手記が発端。言わば身から出た錆なのに、自分の手記を他人が批判したら、それはけしからん、許せんと高額訴訟を仕掛けたのも、スラップ批判に過剰反応して請求額を3倍増したのも、ほかならぬ吉田自身ではないか。この「反撃裁判」も、吉田が原告となって、債務不存在確認請求訴訟として始まったものだ。ならば、法廷の締めくくりくらいは、人任せにせず、堂々と法廷で吉田自身の言葉で、その言い分を述べるがよいではないか。
吉田嘉明よ。あなたは「本物、偽物、似非もの」と並べることがお好きなようだ。たとえばあなたはこう発言している。
「似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。」
本物、偽物、似非ものを語るとき在日の問題は避けて通れません。この場合の在日は広義の意味の在日です。
いわゆる三、四代前までに先祖が日本にやってきた帰化人のことです。
そういう意味では、いま日本に驚くほどの数の在日が住んでいます。同じ在日でも日本人になりきって日本のために頑張っている人は何の問題もありません。
立派な人たちです。
問題なのは日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩です。
いわゆる、似非日本人、なんちゃって日本人です。政界(特に民主党)、マスコミ(特に朝日新聞、NHK、TBS)、法曹界(裁判官、弁護士、特に東大出身)、官僚(ほとんど東大出身)、芸能界、スポーツ界には特に多いようです。
芸能界やスポーツ界は在日だらけになっていてもさして問題ではありません。影響力はほとんどないからです。問題は政界、官僚、マスコミ、法曹界です。国民の生活に深刻な影響を与えます。私どもの会社も大企業の一員として多岐にわたる活動から法廷闘争になるときが多々ありますが、裁判官が在日、被告側も在日の時は、提訴したこちら側が100%の敗訴になります。裁判を始める前から結果がわかっているのです。
似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。
おそらく、あなたは「自分は本物」だとお考えなのだろう。しかし、今、あなたのホンモノ度が問われている。イザというときに逃げ隠れするのは、「本物」ではなく、卑怯未練の「偽物」あるいは「似非もの」と言われても仕方なかろう。
自らが「本物」であることを証明するには、法廷で自らの信念を堂々と述べることだ。そのためには、次回までに裁判所に自らの本人尋問を申請すればよい。裁判所は文句なく採用することになる。そのときには、私もあなたを見直すことにしよう。
(2018年10月26日)