天皇の権威に恐れ入らない「反権威の精神」を
本日(4月29日)は「昭和の日」である。昭和天皇と諡(おくりな)された裕仁の誕生日。この人は1901年4月29日の生まれで、1926年に現御神(あきつみかみ)となった。つまり、天皇教の祭神でもあり教祖でもある地位に就いた。そして同時に、大日本帝国憲法上の天皇となった。「統治権を総覧」し、「神聖にして侵すべからず」とされる存在となったのだ。以来1945年までは、4月29日が「天長節」とされた。46年1月1日に人間宣言を発して人間に復帰し、89年に亡くなるまでこの日は「天皇誕生日」であった。没後、この前天皇の誕生日は、「緑の日」となり、次いで2007年から「昭和の日」となって現在に至っている。
いうまでもなく、昭和という時代は1945年8月敗戦の前と後に2分される。戦前は富国強兵を国是とし、侵略戦争と植民地支配の軍国主義の時代であった。戦後は一転して、「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」から再出発した、平和憲法に支えられた時代。戦前が臣民すべてに天皇のための滅私奉公が強いられた時代であり、戦後が主権者国民の自由や人権を尊重すべき原則の時代、といってもよい。
では本日は、戦前の昭和を否定して、戦後の昭和を肯定的に評価すべき日として、ふさわしいかと言えば、そうではなかろう。昭和天皇と諡されたこの人物は、内外に戦争の惨禍をもたらした最高の戦犯である。戦後民主主義は、その責任を追及し得なかった。どころか、その戦犯の誕生日を今だに国民の「祝日」として祝おうというのだ。時代の愚かさを、苦く噛みしめるべき日というほかはない。
時あたかも天皇代替わりの直前である。4月27日(土)から始まった「天皇交代記念大サービス10連休」の3日日でもある。この日に、「天皇代替わりに、異議あり」という連続企画で講演依頼があれば、喜んで出向くしかない。
講演依頼は名古屋からのもの。「天皇代替わりを機に、天皇制を考えるあいちネットワーク」という団体の主催。昨年の12月からの連続企画で、本日が4回目だという。
私の講演の標題は、「主権者として、天皇制と対峙する姿勢を」というもの。詳細レジメを用意して、正味1時間半の講演だった。言いたいことは、次のようなことだ。
客観的には搾取され収奪されているにもかかわらず、奴隷主を敬愛するに至った奴隷こそが、魂までの支配を許した真の奴隷である。同様に、天皇制に囚われ天皇を敬愛するに至ったマインドコントロール下の心根を、奴隷根性になぞらえて臣民根性という。今なお国民に根強く存在する「天皇に恐れ入る精神」が、主権者としてあるまじき臣民根性の残滓にほかならない。
主権者意識を侵害する、天皇制マインドコントロールをはねのけるために、ぜひとも「誰にも恐れ入らない反権威の精神」を身につけよう。
天皇の権威などというものは、みんながないとは言えないからあるように見えるだけのもので、「王様は裸だ」と看破されれば、そんなものは最初からない。教室で天孫降臨神話を説かれた小学生が、「先生そんな話、ウソだっぺ」と喝破すれば破れさる、ウソとごまかしでしかない。
政権に利用価値あるが故に、天皇の「権威」が演出されているのだ。天皇代替わりの今、日本の民主主義の成熟度が試されている。自立した主権者としての矜持をもって、天皇や天皇制に対する毅然とした姿勢を堅持しよう。天皇制を支える、いくつもの小道具を恐れ入らずに拒否しよう。
話が終わったら、質問攻めに遭った。純粋な質問というものはない。「私はこう思うが、講師の意見はどうか」というもの。たいへんに興味深かった。
一方で、「講演の内容は、天皇制の否定面だけが強調されたが、実は肯定すべき面もあるのではないか。たとえば、敗戦直後の占領政策が穏健に進行し、戦後の混乱が最小限に押さえられたのは、天皇制の効用といえないか。国民を統合する作用の肯定面も見るべきではないか」という質問があり、その反対に、「今日の話では、天皇は憲法体系の例外で、地番を振れば番外地にあると言いながらも、憲法に明記されている以上違憲とは言えない、という。そんな話を聞きたくて参加したのではない。憲法が天皇を認めていること自体がおかしい。天皇制をなくせと、どうした言えないのか」という意見もあった。
また「フェミニズムの立場からは、天皇制が家父長制や男女差別の根源ととらえられている。差別は、男女差別だけでなくあらゆるところにある。講師が弁護士だから集会参加者が『先生』というのも、無意識の差別ではないか」「『令和』という新元号のコンセプトは、自民党改憲草案そのものではないか。この新元号に好感を持つという人が73%という調査がある。この数値は、憲法改正を肯定する世論に結びつくものではないか」などなど。
司会が申し訳なさそうに、「時間がありませんので質問を打ち切ります」としたが、「あんなに発言したい人が大勢いたのに、なぜ時間延長ができなかったのか」と懇親会でも、ひとしきり話が弾んだ。
世の中、けっして一色ではない。感性の次元でどうしても天皇制を受け入れられない人もいれば、天皇制に反対する集会で「天皇制の評価面もあるでしょう」という人もいる。みんな、恐れ入らずに、自分の意見を言えばよいのだ。
すこしくたびれはしたが、私としては、「正しい昭和の日」の過ごし方を実践した充実感にあふれた一日であった。
(2019年4月29日)