安倍の背後にオバマ民主党政権あり
本日(10月3日)「日米安全保障協議委員会」(2プラス2)が共同文書を発表した。
内容は、臨時国会での安倍内閣のたくらみそのもの。さすがに明文改憲の共同謀議は公にされてはいないが、その余はすべて盛り込まれている。オバマ民主党政権は、日本国民の敵以外の何ものでない。
共同文書で、日本が単独でなすべきとされたことは、以下のとおり。
*国家安全保障会議(NSC)の設置
*国家安全保障戦略(NSS)の策定
*集団的自衛権行使容認の検討
*防衛予算の増額
*防衛大綱の見直し
*防衛力強化、地域への貢献拡大に取り組む
米国は、「これらの取り組みを歓迎し、日本と緊密に連携」とされた。
日米が共同して取り組むべきこととして確認されたことは以下のとおり。
*日米防衛協力指針(ガイドライン)の再改定作業を2014年末までに完了
*弾道ミサイル防衛(BMD)協力を拡大し、2基目のXバンドレーダーの配備先を空自経ケ岬分屯基地に選定すること
*サイバー空間、宇宙の分野で協力
*情報収集・警戒監視・偵察(ISR)活動の作業部会設置を歓迎
*南西諸島における自衛隊の態勢強化のため、施設の共同使用を推進
*F35戦闘機製造への日本企業の参画を通じ、技術協力は深化
*「核の傘」を含む拡大抑止の協議を定期的に開催
*情報保全の法的枠組み構築における日本の真剣な取り組みを歓迎
*輸送機オスプレイの日本本土での運用参加など、沖縄県外の訓練増加へさまざまな機会を活用
*在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)の重要性を確認
さらに、「4月に発表した沖縄県内の米軍施設・区域返還計画の進展を歓迎。米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古沿岸部への移設が唯一の解決策だとする両政府の強いコミットメントを再確認。米国は、日本政府が3月に移設実現のため辺野古沿岸部の埋め立てを申請したことを歓迎。米軍訓練海域「ホテル・ホテル」の航行制限を11月末までに緩和。返還予定の米軍施設や区域への立ち入り制限を11月末までに緩和」と、沖縄への一層の負担が具体的に盛り込まれている。
日本の安全保障の基本方針は日米安保を基軸に規定されている。これが、誰の目にも分かりやすい構図。なにしろ、頭を下げて核の傘に入れてもらっている肩身の狭い身。目下の同盟者として、親分の命令には従うしかない立ち場。9条改憲も、集団的自衛権も、秘密保全法制も、主としてはアメリカから押し付けられてのものというのが素直なものの見方。
ところがごく最近、事態が様変わりしたのではないかと思わせることも少なくない。アメリカは、日本よりは中国との関係を重視せざるをえなくなっているのではないか。だから、日本に対して、中国との緊張関係を緩和するようサインを送っている、ようにも見える。むしろ、アメリカは、安倍政権の改憲姿勢や歴史修正主義の動きを牽制している、少なくとも集団的自衛権行使を望んでいないのではないか。そのような論調が注目される。
たとえば、9月30日「毎日」夕刊の「特集ワイド」での北沢俊美・元防衛大臣の次のようなインタビュー記事である。
問:(集団的自衛権が)行使できないと「日米同盟の信頼関係が損なわれる」と言われています。
北沢 米国は行使容認の必要性は感じていませんよ。防衛相在任中に当時のゲーツ米国防長官と8回会談したほか、米政府やシンクタンクの多くの要人に会ったけれど、公式・非公式問わず「日本政府は集団的自衛権行使を容認すべし」との意見は全く聞かなかった。2005年まで国務副長官だったアーミテージさんだけは「容認すべきだ」と言っていたけど。‥
米国が、日本はアジア諸国から危険視されず信頼される国であってほしいと考えていることは間違いない。主要同盟国がそれなりの地位にいてくれないと当然困るんです。「特に中国、韓国とは仲良くしてほしい」という忠告は米国に行けば必ず言われます。だから現状では米国は行使容認の必要性は感じていない。あれば必ず言ってきますよ。
元防衛大臣の発言であるだけに重みがある。しかし、本日の日米の共同文書を見る限り北沢見解は影が薄い。従来型の「目下の同盟」論の説得力が優っている。文書起案のイニシャチブが日米のどちらにあったかは分からない。分からないながらも、超大国アメリカの「安保の論理」が日本の安全保障政策の基本を決定していることに疑問の余地はなく、明文改憲・立法改憲・解釈改憲を阻止する闘いの「敵」は、安倍政権だけではなく、その背後のアメリカ・オバマ政権でもあることを再確認しなければならない。
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秋がきた!
朝起きたら、キンモクセイが香った。この季節、誰よりも早くこの香りに気づきたいと思う。油断していると、キンモクセイは突然香る。急いで外に出て、垣根や街路樹を確かめてみる。厚くゴワゴワした葉っぱの陰に、粟粒ほどのクリーム色の花が恥ずかしそうに隠れている。その色がだんだん濃いオレンジ色になる頃には、街中キンモクセイの香りでいっぱいになる。
おや、サザンカの花も咲いている。一重の薄いピンクの小花が木を覆うように咲きそろうと、庭に上品なご婦人が佇んでいるような香りがする。こちらは白粉の匂いだ。
コムラサキシキブのビーズ玉のような実も薄く紫に色づいてきた。ハナミズキの葉がほんのり色づいた、と思っていたら、真っ赤な実と一緒に銀色に光る花芽が空を向いてピカピカ輝いている。こんな都会の小さな「秋」でもこんなにうれしいのだから、空がどこまでも広がるほんとうの「秋」ならどんなに素晴らしいだろうか。
昔、ススキを思いのままに茂らせたことがあった。その壮大さと華麗さは圧倒されるほどの美しさだった。思い切り長く、四方八方に叢生するススキの穂は、地上に降りてきた太陽を思わせた。株によって穂の色は、濃い紅、明るい紅、樺色、黒茶、黄色、銀色と異なり、その穂からは黄金やプラチナブロンドに輝く葯が盛大に吹き出している。その葯が風にそよぐとき、青空にザランザランという音が響き渡るようであった。生命の歓喜、躍動のひとときに立ち会う幸せに浴したのだ。盛大な驚喜乱舞の秋であった。
さて、小さな秋に戻ろう。チューリップの球根が届いている。春に、手を繋いで散歩する、保育園の子どもたちの歓声のために、早速植え込もう。
(2013年10月3日)