澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「知ってますか」 日本が朝鮮の民衆に何をしたかを。

昨今の不愉快極まりない、「嫌韓」の嵐。官邸・外務省が発生源で、メディアと右翼「言論人」がこれを煽っての悪乗り現象。さすがに、そろそろこのバカバカしい騒動に終止符を打とうという良識派の論調が見えはじめている。

本日(9月7日)の毎日新聞夕刊「週刊テレビ評」に、金平茂紀が「嫌韓ワイドショー 憎悪あおり『数字』得る愚行」という記事を書いている。表題のとおりの至極真っ当な内容。その一部を抜粋してご紹介したい。

「今はさあ、とにかく韓国をたたこう」。在京某テレビ局のワイドショーの制作デスクが定例会議の席で言い放ったそうだ。「数字(視聴率)取れるんだよね」。他国に対する偏見・差別や憎悪をあおって数字(視聴率)を上げる。公共の放送が決してやってはならない禁じ手だ。悪化している日韓関係に便乗する形で、日本のテレビは、程度の濃淡はあれ、公認の「嫌韓キャンペーン」を繰り広げているかのようだ。特にひどいのが情報系生番組だ。もちろん一部の報道ニュース番組も例外ではない。

なぜこんなことになってしまったのか。僕らテレビ人は頭を冷やして考えてみた方がいい。今回の日韓対立の直接の引き金は、去年10月の徴用工判決とされているが、徴用工問題とは一体どのような歴史的な事象なのか、ディレクターの君は知っているか。この徴用工問題では、中国との間では裁判で和解が成立し、和解金が支払われている事実を、放送作家のあなたは知っているか。歴史認識の隔たりが対立の根底にある。AD(アシスタントディレクター)のあなたは1910年の韓国併合を知っているか。実際、恐ろしいほどの知識の欠如、無知が、事実認識をゆがめているのではないか。

幾つかの感想を述べておきたい。まずは、時代の空気というもの、あるいはその変転の勢いの恐ろしさである。1年前の今頃、こんな凄まじい嫌韓の風が吹くことになろうとは思ってもいなかった。あっという間に空気は変わる。心しておきたい。ヘイトの言論を侮ってはならない。

二つ目は、この嫌韓の風を煽っている連中が、けっして本気の嫌韓派ではないことである。売れれば良し、数字がとれれば良し、儲けにつながればなんでもありなのが商業メディアの本質的一面なのだ。これが恐い。

さらに、メデイアは大衆の中の韓国に対する差別意識を的確に把握し、これに迎合した。このことを見逃してはならない。日本の民衆の深層にある隣国人に対する言われない差別観。侵略のために植えつけられた差別意識が今なお、根強くあるのだ。

もう一つ。「恐ろしいほどの知識の欠如、無知が、事実認識をゆがめているのではないか」。そうなのか。現場にいる人の言葉として重い。「恐ろしいほどの知識の欠如」をどうすれば埋めることができるのか。考え込まざるを得ない。

できることとして、今こそ、石川逸子の詩を紹介したい。以前にも当ブログに掲載したことのある詩を2編。2編とも、日本が韓国や韓国の民衆にした仕打ちについて、「知っていますか」と歴史を問う詩である。

ここに語られているのは、閔妃暗殺(日本なら皇后暗殺)であり、3・1独立運動弾圧であり、関東大震災後の在日朝鮮人虐殺であり、慰安婦問題であり、日清戦争直前の日本軍王宮占拠事件であり、徴用工問題、創氏改名、朝鮮人被爆…等々である。

韓国の人びとは公教育でこの歴史を学習して育っている。おそらくは、日本人の歴史認識との恐るべき格差があるのだ。われわれ日本人は、苦しくともこれに向き合わねばならない。「恥ずかしい国の 一主権者であることを恥じる」石川さんの気持ちを共有したい。そこが、出発点だ。

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風がきいた

知ってますか 風がきいた 夜の木々に
1895年10月8日
日本軍と壮士らが 隣国の王城に押し入り
王妃を むごたらしく殺害したことを
天皇が『やるときはやるな』首謀者をホメたことを

知ってますか 風がきいた 昼の月に
1919年3月1日
国旗をもって「独立万歳」 叫んだ朝鮮人少女が
右手 左手 次々 切り落とされ
なお万歳を連呼して 日本兵に殺されたことを

知っていますか 風がきいた ながれる川に
1923年9月2日
一人の朝鮮人女性が自警団に手足をしばられ
トラックで轢かれ 「まだ生きてるぞ」
もう一度轢き殺されたことを

知っていますか 風がきいた 野の花に
1944年末
与那国島に船で輸送されてきた
朝鮮人「慰安婦」たちが 米軍機に銃撃され
アイゴー 叫びながら 溺れ死んでいったのを

木々が 月が 川が 野の花が
きかれなかった 海 泥土 までが
一斉に答える
知ってます 知ってますよう
風が 日本列島を たゆたいながら吹いていった

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30日以内

2019年1月13日
元徴用工訴訟をめぐって
日本政府は 1965年の日韓請求権協定に基づく
協議再開要請への返答を
30日以内に出すよう 韓国政府に求めた

植民地下 日本男性を根こそぎ徴兵したことから
労働者不足となり
一家の働き手 若い朝鮮人たちを
力づくで 脅して 軍事工場へ 飛行場へ 鉱山へ
拉致してきた 大日本帝国

自らの意思で会社と契約した労働者なんかじゃない
いわば奴隷だったのだ

思い出す
1944年9月 徴用令書の公布を受け
「給料の半分は送金する 逃げれば家族を罰する」
と脅され はるばる郡庁に集まり
軍人の監視を受けながら
貨車で釜山へ 連絡船で下関 汽車で広島の工場へ
12畳の部屋に12人詰めこまれたという
在韓被爆者たちの訴えを

思い出す
「ヤミ船でやっと帰国してみたら
送金はなく 赤ん坊が餓死していました」
「朝鮮総督府になにもかも供出して
屋根のない家に家族がいました」
「爆風で怪我し 体調ずっと悪く 今も息苦しくてたまりません」
口々に訴えたひとたちを

思い出す
「小学校時代
日本語をしゃべらないと殴られた
戦争末期には食器まで銃にすると取り上げられた」
と言ったひとを
「豊臣秀吉の朝鮮侵略を讃える授業が辛かった」
と言ったひとを

むりやり連れてこられたのに
自力で帰るしかなかったから
ヤミ船で遭難し 海の藻屑となったひとたちもいた
劣悪な食事に抵抗して捕らわれ
広島刑務所で獄死したひともいた

待てど待てど 戻らない夫を待ち
老いてもなお戸口に立ち尽くす妻もいた

それらひとりひとりの憤懣に 恨に
思いをいたすこともなく
30日以内と 居丈高に迫ることができるのか
「協定は国と国との約束
個人請求権はなくなりません」
これまでの国会での政府公式見解を
あっさりと 闇に葬り
期限を切って回答をせまる ごう慢に 無礼に 気づかないのか

思い出す
かつて日清戦争前夜
1894年7月20日
朝鮮政府に
受け入れるはずもない4項目の要求を突きつけ
同月22日までの回答を迫った
日本政府を

―京城・釜山間の軍用電話架設
―日本軍のための兵営建設
―牙山駐留の清軍を撤退させる
―朝鮮独立に抵触する清との諸条約の破棄

翌23日深夜
回答がえられないのを口実に
他国の王宮の門を オノやノコギリで打ち破り
王宮を力づくで占領し
国王夫妻・王子を幽閉し 財宝も奪った
日本軍

朝鮮人なら思い出すであろう
腹が煮えかえる歴史を
再び繰りかえすつもりでもいるのか
相手あっての交渉の日時を
30日以内など
一方的に要求するとは!

韓国人留学生が言っていた
「日本の書店には
反韓反中の本があふれていますが
韓国には反日の本など並んでいませんよ」

恥ずかしい国の
一主権者であることを恥じながら
小さな新聞記事を切り抜く

―2019・1・16

日本政府のあまりの無礼な態度に呆れ、拙い詩を作りました。
ご笑読くださいませ。 石川逸子

(2019年9月7日)

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Published in 土曜日, 9月 7th, 2019, at 21:00, and filed under ジャーナリズム, 安倍政権, 歴史認識, 韓国.

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