澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

えっ? 国連の訪日要請を放置? フクシマの避難者調査で?

(2021年6月11日)
以下は、昨夕(6月10日)の共同通信の報道である。続報はまだないようだ。

タイトルは、「国連報告者の訪日要請放置」「政府、福島避難者調査巡り」

 「国連のセシリア・ヒメネス・ダマリー特別報告者(国内避難民の権利担当)が、東電福島第1原発事故の避難者調査のため18年から3回にわたり訪日を要請しながら、日本政府は一度も回答せず事実上放置していることが10日分かった。うち2回の要請については受け入れられないと判断したが伝えていなかった。

 ダマリー氏は「回答を一切受け取っていない。政策に避難者らの意見をより反映させるためには、聞き取り調査が必要だ」と話した。

 政府は11年に国連人権理事会で特別報告者の訪問を原則、常時受け入れると宣言しており、説明なしに訪問を認めないやり方は国際的な批判を受ける可能性もある。」

 以上が全文である。短い記事だが、読者の感想はどうだろうか。驚くべきことと思う方もあれば、どうせそんなものだろうと冷めた反応の向きもあろう。私は、驚いた方だ。けっして、驚いて見せたということではなく、本当に驚いた。

 私の気持ちの中には、まだ日本という国に対する信用というものがある。国の真っ当さを信じる気持ちが強いのだ。真っ当ならざるこの国の行動にうろたえざるを得ない。

 比較の対象として、中国を意識している。この真っ当ならざる国は、ウイグルに入りたいという国連の調査団を受け入れようとしない。調査の仕方にあれこれ注文を付けるやり口で、結局は受け入れを拒否している。人権後進国は国際的な非礼をせざるを得ないのだ、そう苦々しく思う。中国よ、みっともないぞ。国連の代表を人類の代表として受け入れるべきではないか。

 ところがどうだ。日本もおんなじだ。恥部には触れられたくない。都合が悪いことにはダンマリなのだ。日本政府は、3度の申し入れに一度も回答せず事実上放置しているというのでは、中国以下だ。国際社会に非礼に過ぎる。

 どうしてこんなことになるのか。「18年から3回にわたり訪日を要請」と言えば、3回とも、少なくとも2回は、安倍政権下でのこと。安倍晋三と言えば、2013年9月、ブエノスアイレスIOC総会の場で、フクシマ第1原発の状況は「完全にアンダーコントロール」と言い放った大嘘吐きである。国連の担当者に、「首相のウソ」がバレたらたいへんだと、3回までもダンマリを決めこんだのであろうか。

 しかも、この「アベのウソ」は、東京五輪に絡んでいる。「アンダーコントロール」が真っ赤なウソと分かれば、東京五輪の開催が危うくなると気を回したことでもあろうか。

 「政策に避難者らの意見をより反映させるためには、聞き取り調査が必要だ」という国連側の熱意は至極真っ当だ。過酷事故を起こした日本である。事故の実態をよく見てもらって、せめてはこれを世界の教訓にしてもらうべきことが真摯な日本の在り方ではないか。ダンマリは、中国以下であろう。だから驚くのだ。

 この共同のニュースに驚かない向きは日本を見捨てている。日本とは所詮その程度の国ではないか。とりわけ、安倍晋三が首相になって以来、何もかにもおかしくなった。とりわけ道義は地に落ちた。「国連からの要請にダンマリ」くらいで、驚いていられるか、という気持なのだろう。

 私は、愛国とか祖国、憂国などの言葉に虫酸が走る。それでも、日本には真っ当な国であってもらいたいと思う。だから、日本政府よ、国連を無視したり、非礼な態度をとるのはやめていただきたい。中国にさえ冷笑されるではないか。 

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