皇族の人権を語ることの危うさ
(2021年12月2日)
秋篠宮(文仁)の誕生日が一昨日(11月30日)、天皇の長女(愛子)の誕生日が昨日(12月1日)だった。それぞれに、メディアへの露出を強制された。メディア側の対応は、これまでになくとげとげしい。国民の目が皇室や皇族に対するイジメの目つきになっている。
秋篠宮に対する記者会見では、無遠慮に「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された眞子さんの体調に影響を与えたと考えられる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについて、どのように受け止めておられますか」と質問が出ている。
天皇の長女(愛子)の記者会見は来春までないが、この人を見る国民多くの目は、秋篠宮の長女の例に学んで皇室からの脱出を望んでいるのだろうというもの。が、一部には、将来の女性天皇への就位を望む人々もいる。どちらにせよ、なんとも重苦しい檻の中同然の20歳の誕生日。
このような皇室・皇族をめぐる状況を踏まえて、「皇族の人権」についての議論を耳にするようになった。私が憲法を学んだ頃、天皇に関して考えねばならないことは、他の統治機構における原理とどう整合するのかということだけで、天皇や皇族の人権などは視野になかった。
それが今や、天皇や皇族も社会の多数から、公私にわたる行為に対して好奇の目で見られるようになり、適正な批判だけでなく誹謗や中傷の類いも避けることができない。主観的には不当なイジメ被害に遭遇して、その防御のために「皇族の人権」援用が必要な時代となっているのだ。「開かれた皇室」標榜の必然の結果ともいうべきだろう。
人権とは、あらゆる自然人の誰にも、生まれながらに等しく備わったものである。だから、当然のこととして天皇や皇族個人にも人権は備わっている。
もちろん一定の人権は、憲法が世襲の天皇という制度を認めたことから、天皇や皇族に制約があることはやむを得ない。が、今問題はそのことではない。天皇や皇族に認められている人権は、天皇や皇族以外の一般人民と同等のものであって、それ以上に特に手厚く擁護されるべきものではないということである。
かつて我が国の刑法には、大逆罪という犯罪があり、不敬罪という罪もあった。天皇や三后、皇族の生命・身体や名誉は、臣民とは異なる特別に貴重なものとして厚い法的保護の対象とされたということである。もちろん、いま、そのような立法に許容の余地はない。
このことに関して、秋篠宮の誕生日会見で気になるところがある。当該個所の全文を引用する。
【記者】 複雑性PTSDと診断された眞子さんの体調に影響を与えられたと考えられる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについてどのように思われますでしょうか。
【秋篠宮】そうですね、週刊誌これは文字数の制限というのはあります。一方で、そのネット上のものというのはそういう制限がほとんどないわけですね。それなので、その二つは分けて考える方が良いのかと思います。
娘の複雑性PTSDになったのが、恐らくその週刊誌、それからネット両方の記事にあるのだろうとは思いますけれども、私自身それほどたくさん週刊誌を読むわけでもありませんけれども、週刊誌を読んでみると、非常に何と言いましょうか、創作というか作り話が掲載されていることもあります。一方で、非常に傾聴すべき意見も載っています。
そういうものが、一つの記事の中に混ざっていることが多々あります。
ですので、私は、確かに自分でも驚くことが書かれていることがあるんですけれども、それでもって全てを否定するという気にはなれません。
一方、ネットの書き込みなど、これも私はそれほど多く見ることはありません。
何と言っても、一つの記事に対してものすごい数のコメントが書かれるわけですので、それはとても読んでいたら時間も足りませんし、目も疲れますし、読みませんけれども、中には確かに相当ひどいことを書いているのもあるわけですね。
それは、どういう意図を持って書いているのかは、それは書く人それぞれにあると思いますけれども、ただ、今そのネットによる誹謗中傷で深く傷ついている人もいますし、そして、またそれによって命を落としたという人もいるわけですね。
やはりそういうものについて、これは何と言いましょうか、今ネットの話をしましたけども、誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、これは雑誌であれネットであれ私としてはそういう言葉は許容できるものではありません。
以上です。
これは危険な発言である。厳正な批判がなくてはならない。
読みようによっては、「皇族であった娘の複雑性PTSDをもたらした誹謗中傷の言論を取り締まるべきだ」と解することが可能ではないか。加えて、こういう発言もある。
「何かやはり一定のきちんとした基準を設けてその基準は考えなければいけないわけですけれども、それを超えたときにはたとえば反論をする、出すとかですね。何かそういう基準作りをしていく必要があると思います」
一般人がネットの中傷記事を取り締まるべしとするのは表現の自由に属することだ。しかし、これは皇嗣が口にすべきことではない。もちろん、そのような意図は毛頭ない、と釈明はできるだろう。「ネットによる誹謗中傷の被害者は皇族であった娘だけではなく、広く一般人が被害を受けているではないか」「娘だけを特別視した発言はしていない」「深く人を傷つける言葉は許容できるない、とは言論の取り締まりを求めたものではない」とこの人が言えばそのとおりだろう。が、恐ろしいのは、この皇嗣の言葉を忖度して、動こうという連中がいることなのだ。その意味で、皇族の人権を語ることには慎重でなくてはならない。しかも、皇嗣が皇族の人権を語ることはなおのこと危うい。
前天皇(明仁)が、生前退位の希望をビデオメッセージとして述べることで、皇室典範の特例法制定に漕ぎつけ、生前退位を実現した前例が苦い記憶として新しい。皇嗣に限らず、皇族の発言は、慎重の上にも慎重でなくてはならない。こんな発言が、万々が一にも不敬罪復活につながようなことがあってはならない。