宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその19
宇都宮側の「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」に対する反論の続きである。「見解」は、第1節から第5節までで成っているが、本日は、第4・第5節への反論。
「見解」の第4節「供託金300万円の借入れについて」に記載の金銭貸借は、まったく法的な問題ではない。私の妻が供託金300万円を用立て、かなり遅れて返済してもらった経緯を述べた。この間の経緯について、私は何の違法も指摘していない。宇都宮君の革新共闘候補者としての適格性の存否に関する判断材料のひとつとして、お伝えするに値する情報と考えて提供したまでのこと。宇都宮君を清貧な弁護士と積極評価されるもよし。何の判断材料にもならないと切り捨ててもよい。揶揄も侮蔑の表現もない。道義的に非難をしたつもりもない。もう一度、下記のブログをよくお読みいただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=1767
なお、このシリーズ「その6」に、宇都宮君の随行員であった私の息子・大河が下記の関連するエピソードを綴っている。これも併せてお読みいただくようお願いしたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=1776
概要は以下のとおりである。
「同窓会
宇都宮さんの同窓会にも同伴した。東大駒場の文?(法学部進学)のクラス会だった。…その場で誰かが、「立候補に当たっての供託金はどうしたんだ?借りたのか?」という軽口が飛んだ。宇都宮さんは、それに「自分で用意した」と答えていた。自ら用意すると一旦は言いながら、結局用意できずに、他人から借りた事情を知っている私の前で、なぜそのような嘘を述べるのか、理解に苦しんだ。
その上、その場で旧友に対し、供託金が高すぎて負担が大きいとの持論を繰り返し述べていた。供託金が高いことを問題視するならば、自分で用意できないほど高いのだと率直に語った方が、かわいげがあったのではないだろうか。」
「見解」の第5節「運動員買収との主張について」は、およそ具体性を欠くもので、私の指摘を否定するものとなっていない。私は、事実関係を詳らかにしうる立場にない。私が指摘できるのは、「疑惑」のレベルでしかない。疑惑を解明して黒白を明瞭にする資料は、すべて宇都宮君や岩波書店の側にある。疑惑を指摘されたのだから、手許の資料を駆使して、疑惑を晴らす努力があってしかるべきだ。しかし、「見解」は、指摘された疑惑について解明しようとの真摯さに欠ける。
私が主として問題にしているのは、宇都宮君を候補者として推薦する政党や団体・個人の側に生じるリスクである。清廉潔白を看板にしている政党や市民団体が、本当に宇都宮君を推すことができるのか。支持や推薦した側のクリーンなイメージを傷つけてしまうのではないか。そのことを心配しての「疑惑」の指摘なのだ。当然のことながら、「疑惑」は私が指摘したから生じたというものではない。外形事実としては誰の目にも明らかなことなのだ。
まずは、「熊谷伸一郎さんが、フルタイムで選対事務局長の任務に就きながら、その間岩波書店から、従前同様の給与の支払いを受けていたのではないかという疑惑」についてである。やや煩瑣ではあるが、私の指摘を再掲して、「見解」が反論をなしえているかを吟味いただきたい。
「岩波書店に、(徳洲会やUE社と)同様の疑惑がある。もちろん、調査の権限をもっていない私の指摘に過ぎないのだから、疑惑にとどまる。だが、けっして根拠のない疑惑ではない。熊谷さんは、上司の岡本厚さん(現岩波書店社長)とともに、宇都宮選対の運営委員のメンバーだった。熊谷さんが短期決戦フルタイムの選対事務局長の任務を引き受けるには、当然のことながら上司である岡本厚さんの、積極的な支持があってのこと。選対事務局長としての任務を遂行するために、岩波からの便宜の供与があったことの推認が可能な環境を前提にしてのこと。常識的に、岩波から熊谷事務局長に対して、積極的な選対事務遂行の指示があったものと考えられる。
昨年の2月、私の疑惑の指摘に対して、熊谷さんは、『私は有給休暇をとっていましたから。それに、ウチはフレックス(タイム)制ですから』と言っている。これだけの言では徳洲会やUE社の言い訳と変わるところがない。また、言外に、給与の支払いは受けていたことを認めたものと理解される。
真実、彼が事務局長として任務を負っていた全期間について有給休暇を取得していたのであれば、何の問題もない。しかし、それは到底信じがたい。では、フレックスタイム制の適用が弁明となるかといえば、それも無理だろう。コアタイムやフレキシブルタイムをどう設定しようと、岩波での所定時間の勤務は必要となる。フルタイムでの選挙運動事務局長職を務めながら、通常のとおりの給与の支払いを受けていれば、運動員買収(対向犯として、岩波と熊谷さんの両方に)の容疑濃厚といわねばならない。
根本的な問題は、熊谷さんが携わっていた雑誌の編集者としての職務も、選対事務局長の任務も、到底片手間ではできないということにある。両方を同時にこなすことなど、できるはずがない。彼が選対事務局長の任務について、選挙の準備期間から選挙の後始末までの間、岩波から給与を受領していたとするなら、それに対応する編集者としての労働の提供がなければならならない。それを全うしていて、選対事務局長が務まるはずはないのだ。それとも、勤務の片手間で選対事務局長の任務をこなしていたというのだろうか。それなら、事務局長人事はまことに不適切なものだったことになる。
どのような有給休暇取得状況であったか、また具体的にどのようなフレックスタイム制であったのか、さらに選挙期間中どのような岩波への出勤状況であったのか、どのように業務をこなしていたのか、知りたいと思う。労働協約、就業規則、労働契約書などを明示していただきたい。徳洲会やUE社には追及厳しく、岩波には甘くというダブルスタンダードはとるべきではないのだから」
(「その16」http://article9.jp/wordpress/?p=1832)
「見解」の主たる反論は、私の指摘には「何の根拠も示されていない」ということにある。その上で、「(熊谷)事務局長は休暇を取得しない日には勤務も行なっていた。そのような対応をしたという応答を得ている」という。宇都宮君が都知事になったとして、徳洲会や猪瀬の違法行為に対する追及はこの程度で終わることになるのだろう。こんなに露骨に身内に甘い体質では到底ダメだ。「そのような対応をしたという応答を得ている」などと言うふやけた調査で済ませる都知事候補を推薦することなどできようはずがない。
私は、宇都宮選対に違法行為があった場合のリスクを問題にしている。疑惑が立証された場合に、宇都宮君を推薦した政党や市民団体のクリーンなイメージに大きく傷がつくことになる。また、有権者に対する責任の問題も出て来る。「見解」は、説得的に疑惑はあり得ないとする論証をしなければならない。疑惑を指摘され、それを否定しようとする以上は、「疑惑のないこと」の立証責任を負担しているのだ。にもかかわらず、「見解」のこの投げやりな姿勢、自信のなさはどうしたことか。
「見解」は、「熊谷さんについて『入社3年目』と記載されているが誤りであり、実際には2007年に入社している」という。この点はおそらく私の誤りだと思うので、『入社5年目』と訂正する。ほかにも、細部で具体的な間違いがあれば、指摘に耳を傾けたい。
「見解」は、「そもそも公選法が規定する『選挙期間』とは告示日以降の17日間に限定されるため、事務局長が『選挙運動にボランティアとして参加』していたのは17日間を超えることはありえない」という。信じがたい稚拙な論理のすり替え。こんな小細工が却って疑惑を深める。その上、法解釈としても明らかに間違っている。
私は有給休暇の取得実態を問題にしている。いったい、熊谷さんには、当時何日分の有給休暇が残っていて、選対事務局長としてフルタイム稼働したほぼ1か月間に何日を消化したのだろうか。選対事務局長としてフルタイム稼働中の有給休暇の取得実態を問題にしているのに、敢えて選挙期間の17日間に限定して問題を考察しなければならない道理はない。そのように限定する予防的な姿勢が、「1か月全期間を問題にされては都合が悪い」という疑惑を生むことになる。
また、法的にも、運動員買収罪の成立は選挙期間中の17日間に限定されるという主張は明らかな間違いである。宇都宮陣営の弁護士がこんなことを言えば、徳洲会もUE社も大喜びだろう。
私は、公職選挙法221条1項1号違反を指摘している。買収の対象となる行為は、選挙運動の定義よりはるかに広い。また、買収・供応の犯罪は、選挙期間中に限定して成立するものではない。同条の文言からも、犯罪成立の時期について何の言及もなく選挙期間に限定されるものではない。立候補届出前の運動員の行為に対する対価の支払いにつき、本罪が成立するとした最高裁判例(1955年7月22日)もある。
「見解」は、「週末や休日を含めれば十分に有給休暇で対応できる範囲内であり、また事務局長は休暇を取得しない日には勤務も行なっていた」と言うが、これは明らかな誤謬の法解釈を前提とした不十分な調査の結論である。これで、疑惑が解消になるとは、起案者自身も考えているはずはない。
「見解」の起案者は、再度の調査をなすべきである。
そして、具体的にどのような有給休暇取得状況であったか、また岩波にはフレックスタイム制が存在するのか、存在するとしてどのようなフレックスタイム制であったのか、熊谷さんにはいつからどのようなフレックスタイム制が適用になっていたのか、さらに事務局就任以後の全期間についてどのような岩波への出勤状況であったのか、どのように岩波の業務をこなしていたのか。資料を添えて、明確にしなければならない。そうでなければ疑惑を解消したとは到底言えない。
さらに、「選対からの度重ねての要請により…任務を引き受けた」という「見解」の指摘が見逃せない。「法的見解」とされているから敢えて述べるが、岩波書店の熊谷さんへの運動員買収の疑惑は、「事務局長就任の動機が選対からの要請によるものであったか否か」とはまったく無関係である。選対が運動員買収を要請した事実のあろうはずのないことはさて措くとして、「見解」は何を論じているのかを見失っている。再三言っているとおり、私が指摘し問題にしているのは、公職選挙法上の犯罪成立の疑惑と、疑惑が立証された場合の種々のリスクなのである。「会社員などの政治参加という観点からも問題」などという立法論のレベルでの論争でも、市民感情における可非難性の有無の問題でもない。現行公選法に照らして、犯罪成立のおそれの有無を論じているのだ。「見解」の揺れる視座は、犯罪不成立と言い切ることに自信のないことを表白している。
「澤藤氏は事実と証拠に基づかない私憤に基づく憶測から事務局長らの名誉を毀損する主張を繰り返している」などと言うようでは、法的見解における弁明の放棄と解さざるを得ない。
最後が宇都宮君ご自身の運動員買収疑惑だ。私が疑惑の根拠とするところはずいぶん書いてきたが、疑惑のきっかけは次のとおりだ。
「宇都宮君が発言した。その発言内容を明確に記憶している。
『えー澤藤さん。岩波が問題なら、ボクだっておんなじだ。ボクも、事務所の事務員を選対に派遣して選挙運動をお願いしたんだから』
これには驚いた。本当は、続けて発問したかった。いったい何人を派遣した? 誰を? いつからいつまで? 選挙運動って具体的にどんな仕事だったの? 賃金はいくら払ったの? 勤怠管理はどうしたの?…。しかし、制されて私は黙った。これ以上、彼らを刺激したら、大河(わたしの息子)と、とばっちりを受けたTさんの権利救済(名誉回復)の道は途絶えてしまうと考えてしまったからだ。」(「その10」)
「見解」が弁明として述べるところは、まことに乏しい。わずかに次のとおりである。
「法律事務所事務員は、熊谷事務局長と同様に、有給休暇によりボランティアとして参加したものであり、宇都宮氏に公職選挙法等の違反があるとの主張も全く理由がない」
これを読んで、疑惑の解明になっていると考える人がいるだろうか。宇都宮君の熱心な支持者であればなおのこと、これで納得できようはずはない。
もう一度繰り返さざるを得ない。
「宇都宮君は、選対要員としていったい何人の事務職員を派遣した? 誰を? いつからいつまで? 選対での選挙運動って具体的にどんな仕事だったの? 賃金は平常の通りに支払ったの? 勤怠管理はどうしたの? 各職員について派遣当時有給休暇は何日残っていた? 選対勤務のために何日有給休暇を取得したの?」
「見解」の起案者は、いったいどんな調査をしたのだろう。宇都宮君が私に喋った「ボクも、事務所の事務員を選対に派遣して選挙運動をお願いした」という発言の存否や真偽をどのように確認したのだろうか。それとも、一切の調査の必要はないと考えたのだろうか。
「宇都宮選挙が、公職選挙法の厳しい制限のもと、市民選挙としてきわめてクリーンに行なわれた事実を私憤に基づいて中傷誹謗するものとなっていることは、きわめて遺憾である」という文章が空しい。これは、政治文書であって、「法的見解」ではない。「私憤」「中傷誹謗」などという言葉を、「法的見解」に出している点において、反論不能を自白しているに等しい。
どう考えても弁明は無理だ。疑惑は晴れない。疑惑が晴れない限りは、クリーンイメージを大切にする政党や市民団体、個人が宇都宮君を推すことはできないはず。やはり、宇都宮君、立候補はおやめなさい。
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「授業してたのに処分事件」完全勝訴確定
被処分者の会・東京「君が代」裁判原告団から新年にふさわしい明るい報告があった。
「授業してたのに処分」事件について、昨年12月19日言い渡しの東京地裁判決に、都教委が控訴を断念して勝訴が確定した。
控訴期限は1月6日だったが、都教委は控訴をあきらめた。「控訴するな」と強く要請をした立ち場からは、まことに晴れやかな気持。
「都教委が控訴しても地裁判決を覆すことは、絶対できない」「もし、控訴したら1回結審で控訴棄却にしてみせる」「恥の上塗りはやめた方が良い」「税金の無駄遣いではないか」という気迫の勝利だ。
私たちは都教委に要求する。直ちに、控訴を断念したことを明らかにして違法な処分を行ったことを都民に告知せよ。都教委は違法な処分を行ったことを福嶋常光さんに謝罪せよ。早急に名誉回復・権利回復の措置をとれ。違法な処分を行った責任の所在を明らかにして、再発防止策を講じよ。
これまでの法廷闘争は無駄ではなかった。法廷闘争と運動の力との結合の成果として、いささか感慨深い。
(2014年1月8日)