澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

河瀬直美が東大入学式で口にした曖昧模糊

(2022年4月13日)
 昨日が東大の入学式。なんと東大は、あの河瀬直美に祝辞を述べさせたと聞いて驚愕した。いや、驚愕したという自分の感性が愚かなのだと思い直す。オリンピックとNHKと東大と河瀬直美。みんなお似合い、俗世のシンボル。

 その河瀬の祝辞の内容が、物議を呼んでいる。朝日が「ロシアを悪者にすることは簡単」と紹介した内容。東大のホームページに、「令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河? 直美 様)」として、全文が掲載されている。相当に長い。こんなもの聞かされる新入生は、さぞかし退屈で辛かろう。が、東大とは、こんな俗世の匂い芬々のところなのだと学ぶ意味はあったかも知れない。

 朝日は河瀬の祝辞の内容をこう記事にしている。((A)と(B)は、私(澤藤)が付けた符号で記事にはない)

 (A)「ロシアを悪者にすることは簡単」としたうえで「なぜこのようなことが起こっているか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないか。誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで私は安心していないか」と述べた。
 (B)そのうえで「自分たちの国がどこかの国に侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある。そうすることで自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したい」と語りかけた。

 (A)は、典型的な「プーチンにも3分の理」という論。「『どっちもどっち』という姿勢に過剰にこだわった結果、結局はものの本質を見誤ってしまっていないか。誤解を恐れずに言えば、『悪』を断罪することを恐れて自分の立場の確立を捨て去ってはいないだろうか」

 (B)は、朝日の記者の上手な筆のさばきで、河瀬がそれなりに真っ当なことを言った印象を読者に与えている。その部分を抜き書きすると下記のとおり。この部分だけを掬い取って評価する向きもあるようだ。

 「人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。」

 彼女なりの人間一般と国家一般との関係について意見を述べ、脈絡なく唐突に「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある」と言う。歴史性や、国際環境をまったく捨象して、どの国も侵略国へ転化の可能性があるとして、その自覚を求めている。悪いことを言っているわけではないが、人を集めて聞かせるほどのことではない。

 よく分からないのは、(A)と(B)とのつながりである。(A)が「どっちもどっち」だから、(B)の「日本を侵略国としてはいけない」という自制論に結びつかない。

 むしろ、(A)で「どう弁解しようとロシアは悪である」と結論し、(B)で「我が国もどのような理由あろうとも他国の侵略をしてはならない」「君たち、一人ひとりが日本をそんな国にしてはならない」とすれば論理は整合する。が、これが彼女の言いたかったことであろうか。定かではない。

 私には、彼女がこう言っているように聞こえる。
 「人間は弱い生き物です。当然映像作家という人間も。だからこそ、とある国家や社会に上手につながって、その中で生かされているともいえます。ですから、東京オリンピックの映画を作れと言われれば、注文者の意図を汲み忖度もして、望まれた映画を作るのです。たとえ、それが「国威発揚プロパガンダ」と揶揄されても。また、NHKから依頼があれば協力を惜しまず、「五輪を招致し喜んだのは私たち」と述べるのです。もっとも、「五輪反対デモは金で動員」のテロップがデマだと批判の声が上がれば、私は関係ないと逃げますがね。だって、人間は弱い生き物なんですから。
 そうして「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある。自制心を持ってそれを拒否する選択をしたい」は、私の判断として、まだ安全な範囲にある言論なのです。せめてこれくらいのことは言っておかないと、作家としての値打ちはない。でも、この言葉に責任をもつかどうかは別問題。繰り返しますが、だって、所詮人間は弱い生き物なんですから」

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