澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

東電刑事事件での高裁無罪判決に拭えない違和感の正体

(2023年1月20日)
 一昨日、東京高裁(細田啓介裁判長)は、東京電力の元幹部、勝俣恒久・武黒一郎・武藤栄の3被告人に、一審に続いての無罪判決を言い渡した。が、なんとも釈然としない。どうしても、ざらついた違和感を拭えない。

 この事件、東電福島第一原発事故に伴う住民の被害に関して、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたもの。当初、検察官の処分としては不起訴だった。が、告発した市民が納得できないとして検察審査会への審査を申立てて起訴相当の議決となり、さらに起訴議決があって、強制起訴となった。

 11人の検察審査委員のうち、少なくとも8名以上(全員だった可能性もある)が、2度にわたって、「起訴すべし」と判断したのだ。予想される巨大津波に対して、なすべき対策を怠って、避難を強いられた入院患者らを死亡に至らせた。その責任は問われるべし、というのが市民の結論である。

 一審以来の争点は二つ。「予見可能性」と「結果回避可能性」である。予見可能性とは、「本件事故の原因となった巨大津波の発生は予見できた」ということであり、結果回避可能性とは、「取るべき対策をとっていれば原発事故は防げた」ということである。いずれの「可能性」の認定も微妙な判断とならざるを得ない。そして、通常の刑事訴訟の原則のとおりに、立証責任は検察官役を務める指定弁護士の側が負うことになる。

 具体的に問題とされたのは、2002年に国が公表した地震予測「長期評価」と、長期評価に基づいて東電子会社が2008年に算出した「最大15・7メートル」の津波予測の信頼性だった。このような事前予測ができていたのだから、当然に「予見は可能」であり、これに基づく対策を取れば「結果回避も可能」だったと考えて少しもおかしくはない。

 ところが、判決は、「10メートルを超える津波が襲来する現実的な情報だったとは言えず、その具体的な根拠についての証明は不十分」と、「予見可能性」と「結果回避可能性」を否定し、一審の無罪判決を不服とした指定弁護士の控訴を棄却した。果たして、これでよいのだろうか。

 通例、人権の重みを論じる立場からは、刑事事件における無罪判決を刑事司法の健全性の証しとして歓迎する。だが、この判決は同列に論じられない。

 現代の刑事司法手続の大原則は、《疑わしきは被告人の利益に》というものである。犯罪の立証のために、訴追側には圧倒的な力量が与えられている。合理的な疑いを容れる余地のない程度にまで犯罪の立証ができなければ、無罪の推定が働く。

 しかし、その刑事司法の大原則は、飽くまで訴追者である警察・検察の力量と意欲を前提としてのものというべきであろう。さらには、被告人として想定されているのは、権力と対峙する個人である。権力を担う人々や、権力と一体となった人物を想定するものではない。

 本件では、指定弁護士の献身的な活動があったが、その活動の力量には自ずから限界がある。検察官が警察を指揮して、また検察庁を挙げての証拠収集能力があることに比較すればその劣位は明白と言わねばならない。

 また、強制起訴された被告人3名は、国策を担っての原発運転者でもある。限りなく権力に近い立場と言ってよい。《疑わしきは被告人の利益に》という現代刑事司法手続の大原則を適用することにためらいがあり、無罪の結論に疑義が晴れないのだ。

 問題の「長期評価」は、国の機関である地震調査研究推進本部がまとめたものである。これに基づいての08年津波予測は「最大15・7メートル」というものであった。これを採用して、予見可能性を肯定しても、少しもおかしくはない。

 ところが、判決は、「長期評価」の信頼性を否定し、「影響が大きな運転停止を義務づけるほどの予見可能性はなかった」「(原発の敷地の高さの)10メートルを超える津波襲来を現実的な可能性として認識させるような情報ではなかった」と結論づけた。その前書きに「誤差を含む」「利用には留意が必要」などとある。東日本大震災が起きた領域の地震発生確率などは信頼度が「やや低い」とされていた。国の中央防災会議の報告などにも採り入れられなかった。などと指摘して信頼性を否定した。併せて、念を入れて結果回避可能性も否定している。

 刑事被告人の人権は、権力作用と直接に対峙するものとして疎かにはできない。刑事司法の諸原則は厳格に守られねばならない。しかし、刑事司法の諸原則が当然の前提としている諸条件が調っているとは必ずしも言いがたい本件においてまで、その大原則を、通常の事件にも増して厳格に貫こうとする裁判所の姿勢に違和感を持たざるを得ない。被害者から上がった「不当判決」「悔しい」という声にこそ、十分に耳を傾けたい。

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