安倍首相の「真榊」奉納も違憲である。
本日(4月21日)からの3日間が靖国神社の春季例大祭。春秋の例大祭は、靖国神社でもっとも重要な祭事とされる。期間中の主行事が「当日祭」、「この日には、天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます」とのこと。その例大祭に、安倍首相は参拝はあきらめ、内閣総理大臣の肩書きを明記して真榊を奉納したという。真榊料5万円の支出は明らかに違憲だ。
靖国神社の例大祭の起源は、1869(明治2)年9月、兵部省が東京招魂社の祭典を定めた時に遡る。その際には、正月3日(伏見戦争記念日)、5月15日(上野戦争記念日)、5月18日(函館降伏日)、そして9月22日(会津降服日)の4日であった。要するに、例大祭のルーツは戊辰戦役での官軍戦勝の記念日であった。戦没者の慰霊よりは官軍の戦勝を記念するという靖国神社の基本性格をよく表している祭りの日の定め方。賊軍とされた側にとっては不愉快極まりない日程の決め方なのだ。
1879(明治12)年東京招魂社が改称して別格官弊社靖国神社に列格した際に、例大祭日は5月6日と11月6日の年2回と改められた。11月6日は会津降服日の太陽暦への換算の日である。5月6日の方は、その半年の間隔を置いた日。政府と靖国神社の、内戦における官軍戦勝へのこだわりが良く見える。会津の人々にとって、また、奥州羽越列藩同盟に参加した31藩の「敗者」側の人々にとって、靖国は飽くまで勝者の側だけの軍事的宗教施設であった。
その性格が変わるのが、日清・日露の戦役を経て後のこと。1912(大正元)年に、陸・海軍省は靖国神社の例大祭を4月30日(日露戦争勝利後の陸軍大観兵式記念日)と10月23日(同じく海軍大観艦式記念日)に改めた。ここに、軍事施設としての靖国神社は、内戦の軍隊に対応する宗教施設から、侵略戦争の軍隊に対応する施設に様変わりした。
さすがに戦後の宗教法人靖国神社が陸海軍の記念日をそのまま例大祭の日とすることは憚られたものか、現在の春秋の例大祭は、4月21日?23日と10月17日 ?20日となっている。
安倍首相は、その靖国神社春季例大祭に、「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書きを付して、真榊料5万円を奉納し、真榊を献納したという。
本日の共同通信配信記事。
「安倍晋三首相は21日、東京・九段北の靖国神社で同日から始まった春季例大祭に合わせ『内閣総理大臣 安倍晋三』の名で『真榊』と呼ばれる供物を奉納した。昨年末に参拝したばかりである上、23日に来日するオバマ米大統領が日本と中韓両国との関係悪化を懸念していることに配慮し、参拝は見送る方向だ。田村憲久厚生労働相や伊吹文明、山崎正昭衆参両院議長、日本遺族会会長を務める尾辻秀久元厚労相も真榊を納めた。
首相は昨年春と秋の例大祭でも真榊を奉納した。今回も同様の対応を取り、靖国参拝に反対する中韓両国と、自らの支持基盤である保守層の双方に配慮する」
朝日の記事
「安倍晋三首相は21日、靖国神社で始まった春季例大祭に神前に捧げる供え物「真榊」を「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で奉納した。閣僚ではこのほか、田村憲久厚生労働相も真榊を奉納した。
安倍首相は、中韓両国との関係や、日本と近隣諸国の不安定化を懸念する米国に配慮し、23日までの春季例大祭中の参拝は見送る方針。オバマ米大統領の来日を23日に控えていることも影響したとみられる。神社によると、真榊料は5万円で、21日までに納められたという。
菅義偉官房長官は21日午前の記者会見で「首相の私人としての行動に対して政府として見解を述べる事柄ではない。(日米)首脳会談にまったく影響がない」と述べた。
首相は昨年の春、秋の例大祭にも真榊を奉納している。就任から1年たった昨年12月26日には、靖国神社に参拝し、中国や韓国から非難を受けたのを始め、米国からも「失望」を表明され、外交上の問題になっていた。
首相は閣僚の靖国参拝を「自由意思」として容認している。今月12日には新藤義孝総務相、20日には古屋圭司拉致問題相がそれぞれ参拝した。」
いずれの記事も、海外からの批判に配慮して、「正式参拝したいところを我慢して、真榊奉納にとどめた」とのニュアンス。しかし、「正式参拝は問題だが、真榊奉納なら違憲の問題は起きない。海外からの批判も避けることができる」というわけではない。むしろ、公式参拝の違憲性については、最高裁の判例はないが、金銭の奉納については最高裁大法廷判例が明確に禁じているところ、とも言えるのだ。
サカキとは、モッコク科サカキ属の常緑樹。常緑樹には、ヨリシロとして神が宿るという信仰があって、神事に用いられる。「榊」という国字もそこから生まれた。榊立を用いて神前に捧げられる。
本来、真榊とは神前に供えるサカキのこと。靖国神社では、春と秋の例大祭でのみ、真榊の奉納を受けつける。安倍首相は第1次内閣の2007年も、昨年の春秋の例大祭でも真榊を奉納した。
愛媛県知事の靖国神社玉串料奉納を憲法の政教分離原則に違反するとした歴史的な愛媛玉串料違憲訴訟における最高裁大法廷の違憲判決(1997年4月2日)がある。玉串料も真榊料も、宗教団体への宗教的な意味合いを付された金銭の奉納である点では同じだが、玉串料よりは真榊料の方が習俗化から遙かに遠く、宗教的な色彩が濃厚と言わざるを得ない。
ちなみに、玉串料訴訟判決の15人の最高裁裁判官の意見分布は違憲13対合憲2だった。反対にまわった守旧派裁判官の名は覚えておくに値する。三好達と可部恒雄。とりわけ、当時最高裁長官だった三好達。いまは、右翼団体の総帥、「日本会議」の議長である。「最高裁長官」だからといって、超俗の公平無私な人格をイメージしたら大間違い。所詮は、俗の俗、偏頗の極み、右翼の使い勝手のよい人物でしかない。
愛媛玉串料訴訟の事案と、安倍真榊料奉納とを比較してみよう。
寄付者は、愛媛県知事と首相。
寄付を受ける者は、両者とも宗教法人靖国神社。
寄付の名目は、玉串料と真榊料。
寄付金額は、愛媛県知事が9回で合計4万5000円、安倍首相が1回5万円。
「玉串」と「真榊」の何たるかについての穿鑿は大きな意味をもたない。「賽銭」「献金」「布施」「供物料」「初穂料」「神饌料」「幣帛料」‥、何と名付けようとも。宗教的な意義付けをした金銭の授受があれば、愛媛玉串料訴訟の目的効果基準の法理が妥当する。
残る問題は、愛媛の事件では、玉串料は露骨に公費からの支出であった。これに対して、安倍首相や政府は、「真榊料の支出は私費から」「だから私的参拝」と言っているそうだ。しかし、麗々しく「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書きを付した真榊がその存在を誇示している。
純粋に私的な参拝というためのメルクマールとしては、三木内閣の靖国神社私的参拝4要件がある。「公用車不使用」、「玉串料を私費で支出」、「肩書きを付けない」、「公職者を随行させない」というものである。仮にポケットマネーからの真榊料5万円の支出であったとしても、明らかに、他の3要件ではアウトだ。
政教分離原則が求めているものは、政権と靖国神社との象徴的紐帯の切断である。靖国神社という特定の宗教団体が国から特別の支援を受けているという外観を作出してはならないのだ。靖国は国を利用してはならないし、政権も靖国神社信仰を利用してはならない。相寄る衝動をもつ両者だが、真榊料奉納を仲介とした結合を許してはならない。
折も折、本日東京地裁に273人の原告が安倍靖国参拝違憲訴訟の提訴をした。昨年12月の安倍首相の靖国神社参拝という違憲行為によって、それぞれの宗教的人格権や平和的生存権が侵害されたという訴え。1人当たり1万円の損害賠償と今後の参拝差し止めを求める内容。同種裁判の提起は4月11日の大阪(原告数546名)訴訟の提訴に続くもの。
安倍憲法破壊内閣に、靖国参拝違憲の判決を突きつけてやりたいものである。そして、同様の法理は参拝だけではなく、真榊料の奉納にも妥当するのだ。
(2014年4月21日)