69年目の終戦記念日にー天皇制の残滓と軍国主義の萌芽と
69年前の今日、国民すべての運命を翻弄した戦争が終わった。法的にはポツダム宣言受諾の14日が無条件降伏による戦争終結の日だが、国民の意識においては8月15日正午の天皇のラジオ放送による敗戦の発表の記憶が生々しい。
神風吹かぬままに天皇が唱導した聖戦が終わった日。負けることはないとされた神国日本のマインドコントロールが破綻した日。そして、主権者たる国民の覚醒第1日目でもあった。
69年を経た今日。当時の天皇の長男が現天皇として、政府主催の全国戦没者追悼式で次のように述べている。
「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
どうしても違和感を禁じ得ない。
「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」はいただけない。戦争は自然現象ではない。洪水や飢饉であれば「再び繰り返されないことを切に願い」でよいが、戦争は人が起こすもので必ず責任者がいる。憲法前文のとおりに、「ふたたび政府の行為によって戦争の惨禍が繰り返されないことを切に願い」というべきだった。「心から追悼の意を表し」は、まったくの他人事としての言葉。天皇制や天皇家の責任が少しは滲み出る表現でなくては不自然ではないか。
また、なによりも、どのように「ここに歴史を顧み」ているのか、忌憚のないところを聞いてみたいものだ。
たまたま本日、憲法会議から、「憲法運動」通巻432号が届いた。私の論稿が掲載されたもの。《憲法運動・憲法会議50年》シリーズの第4号。時事ものではなく、今の目線でこれまでの憲法運動を振り返るコンセプトの論稿である。昨年暮れの首相靖国参拝(12月26日)の直後に書いた原稿だが、わけありで掲載が遅れた。そのための加筆もでき、はからずも終戦記念日の今日の配送となったのは、結果として良いタイミングに落ちついたと思う。
その拙稿から「歴史を顧みる」に関連する一節を引用したい。
「日本国憲法は、一面普遍的な人類の叡智の体系であるが、他面我が国に固有の歴史認識の所産でもある。日本国憲法に固有の歴史認識とは、「大日本帝国」による侵略戦争と植民地支配の歴史を国家の罪悪とする評価的認識をさす。
アジア・太平洋戦争の惨禍についての痛恨の反省から日本国憲法は誕生した。このことを、憲法自身が前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と表現している。憲法前文がいう「戦争の惨禍」とは、戦争がもたらした我が国民衆の被災のみを意味するものではない。むしろ、旧体制の罪科についての責任を読み込む視点からは、近隣被侵略諸国や被植民地における大規模で多面的な民衆の被害を主とするものと考えなければならない。
このような歴史認識は、必然的に、加害・被害の戦争責任の構造を検証し、その原因を特定して、再び同様の誤りを繰り返さぬための新たな国家構造の再構築を要求する。日本国憲法は、そのような問題意識からの作業過程をへて結実したものと理解しなければならない。現行日本国憲法が、「戦争の惨禍」の原因として把握したものは、究極において「天皇制」と「軍国主義」の両者であったと考えられる。日本国憲法は、この両者に最大の関心をもち、旧天皇制を解体するとともに、軍国主義の土台としての陸海軍を崩壊せしめた。国民主権原理の宣言(前文・第1条)と、平和主義・戦力不保持(9条1・2項)である。」
ところで、本日の戦没者追悼式には、「天皇制の残滓」のほかにもう一人の主役がいる。「新たな軍国主義」を象徴する安倍晋三首相。7月1日集団的自衛権行使容認の閣議決定後初めての終戦記念日にふさわしく、彼は過去の戦争の加害責任にも将来の不戦にも触れなかった。「自虐史観」には立たないことを公言したに等しい。
その彼の式辞の一節である。
「歴史に謙虚に向き合い、その教訓を深く胸に刻みながら、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世の中の実現に、全力を尽くしてまいります。」
私にはこう聞こえる。
「歴史に謙虚に向き合えば、強い軍事力を持たない国は滅びます。その教訓を深く胸に刻みながら、ひたすら精強な軍隊を育て同盟軍との絆を堅持することによって、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のために、北朝鮮にも中国にも負けない強い国の未来を切り拓いてまいります。そうしてこそ世界の恒久平和に能うる限り貢献することができ、日本の国民が他国から侮られることなく、億兆心一つに豊かに暮らせる日本となるのです。その実現に、全力を尽くしてまいります。」「それこそが、戦後レジームから脱却して本来あるべき日本を取りもどすということなのです。」
来年は終戦70周年。こんな危険な首相を取り替えての終戦記念日としなくてはならない。
(2014年8月15日)