次回は山場の口頭弁論4月22日(水)13時15分 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第38弾
「被告本人」の称号をもつ澤藤です。
本日の「DHCスラップ訴訟」法廷傍聴にも、そしてまた法廷後の報告集会にも多数ご参集いただき、まことにありがとうございます。
私は表面的には強がっていますが、本当は気が小さいのです。本日も緊張して法廷にまいりました。そして、法廷に入ってたくさんの方のお顔を拝見し、多くの人に支えられているという実感を肌に感じ心強い思いをあらたにして励まされました。
もちろん、傍聴や集会にご参加の皆さまが、澤藤個人の支援というよりは、DHCスラップ訴訟のもつ民主主義への攻撃に立腹し危機感をもってのこととはよく承知しています。
DHCスラップ訴訟のもつ危険性とは、政治的言論の圧殺であり、カネで政治を買おうという策動の貫徹であり、また規制緩和による消費者利益の侵害でもあり、さらには司法を言論弾圧に悪用することでもあります。皆さまは、それぞれの問題意識から、このDHCスラップ訴訟に関心をもたれていることと思います。
とはいうものの、直接の被害者は私です。攻撃されている民主主義的諸理念を代理して、ほかならぬ私がDHCスラップ訴訟の不当を訴えなければならない、そう思っています。
幸い、多くの方にこの場にお集まりいただいています。同期の弁護士の皆さま、私が所属していた東京南部法律事務所の皆さま、消費者委員会活動で苦楽をともにした皆さま。とりわけ、航空関係労働組合の皆さまや、「日の丸・君が代」訴訟原告団の皆さま、その他たくさんの皆さまからご支援をいただいていることに心から感謝申し上げます。弁護士生活40年にして、どれだけのことをしてきたかの通信簿をいただいているような気持です。
さて、次回の口頭弁論期日は第7回(第1回は被告欠席ですので、実質第6回)となり、いよいよ大詰めとなります。もしかしたら、結審の見えてくる法廷になるかも知れません。日程は下記のとおりですので、是非また法廷傍聴にお越しください。
4月22日(水)午後 1時15分 東京地裁631号法廷です。
恒例のとおり、法廷後に報告集会を開催いたします。場所は未定ですが、決まり次第ご通知いたします。
訴訟の経過については光前幸一弁護団長からご報告があったとおりです。これまで、本件の判断枠組みを「事実摘示型」名誉毀損訴訟ととらえるか、それとも「論評型」と考えるかについて裁判所の態度は不明確でしたが、本日の法廷ではかなり明確に「論評型」ととらえることを表明したものとの印象を受けています。
法廷は口頭弁論の場です。私は常々、もっと当事者と裁判所との率直な意見交換があってしかるべきだと考えています。裁判官はそのときどきの自分の心証の傾きを明確にしながら、さらに両当事者の訴訟活動を促すべきだと考えています。それでこそ、焦点の定まった審理が進行するはずではないでしょうか。
本件では、毎回の法廷において相当に被告弁護団と裁判所との口頭のやり取りがおこなわれます。私も必ず発言することにしています。本日の被告弁護団と裁判所とのやり取りの中で、裁判長は「最高裁判例の判断枠組みに従う」ことを始めて口にしました。「個別のケースごとに事案の内容が違うことは当然として、枠組みは最高裁判例に従う」という趣旨。
すかさず光前さんが、「具体的にはどの判決を念頭に置いて、判例の枠組みと言っておられますか」と質問したところ、裁判所から「平成元年判決」との回答を得ました。その前提で、裁判所は「結局、『論評としての域を逸脱したもの』というのが原告のご主張で、『論評としての域を逸脱していない』というのが被告のご主張と理解しています」とのこと。
1989(平成元)年12月21日判決(長崎教師批判ビラ配布事件)の最高裁判決で、「前提としている事実が真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠く」と明言しました。これは「フェアコメントルール」(公正な論評の法理)を採用したものと評されており、論評型の典型判例です。
裁判所は、この判決を念頭に「論評としての域を逸脱してはいないか」を、争点に据えたと発言したのです。もちろん、裁判は進行中ですから、裁判所の態度が決定したわけではありません。しかし、原被告双方はこの点を意識して今後の主張立証を積み重ねることになります。
さらに、光前さんから、「『論評としての域を超えた』とは、『人格攻撃にわたるなどの表現の態様の問題』と、『推論の合理性を逸脱している』という両様の問題があり得ると思いますが、裁判所はどのようにお考えでしょうか」との質問に対して、裁判長は「両方ありうるのではないでしょうかね」という曖昧な返事でした。
なお、平成元年最高裁判決に対して、1997(平成9)年9月9日最高裁判決(ロス疑惑夕刊フジ事件)があります。同判決は、「事実を摘示しての名誉毀損」と「意見ないし論評による名誉毀損」との枠組みの違いを明確に意識しつつ、「原告について『犯罪を犯した』とする記事は、事実を摘示するもの」としています。
言わば、論評型の「平成元年判決モデル」と、事実摘示型の「平成9年判決モデル」の二つがあるといって差し支えないと思います。裁判長からは、「平成9年判決も、平成元年判決と趣旨は同じだと理解しています」という「裁判官的発言」もありましたが、結局のところ「本件は論評型として取り扱う」という判断が示されたと言ってよいと思います。
光前さんからご説明あったとおり、被告は次回までに、原告準備書面4に対する全面的な反論の準備書面を提出することになります。その眼目は、名誉毀損訴訟の判断の在り方は、その言論をとりまく状況によって、とりわけテーマと批判の対象となる人物の属性によって異なってきます。平成元年判決と、平成9年判決との違いの理由は、既に準備書面で説明済ですが、あらたな主張整理に基づいて、憲法21条の基本理念から再度説明することとなるでしょう。そのときには、原告吉田は自分を「私人に過ぎない」と言っていますが、トンデモナイ。8億円を政党の党首に政治資金として拠出した人物は、高度の「公人」あるいはそれに準ずるものとなることが強調されるでしょう。また、念のために、澤藤ブログが言及しているサプリメントに関する規制緩和問題についても準備書面で説明し、ブログ記事の論評が正鵠を射たものであることを主張して、必要な書証を提出することになります。
その作業を終えれば、次回でほぼ主張は尽くされることになります。少なくとも、裁判所が関心をもつ点についての主張は完了です。その上で、さて次回をどうするか、どうなるか。一つの山場となるはずです。
また、本日は専修大学の内藤光博教授(憲法学)から、「スラップ訴訟と表現の自由」というミニ講演をいただきました。
民事訴訟とは本来人権保障の一環として侵害された権利を回復するためにある。その本来の使命とはまったく異なり、表現の自由に対する弾圧手段として訴訟を悪用しているのがスラップ訴訟。
スラップ訴訟は勝訴による人権回復を目的とするものではなく、批判の言論に対しての萎縮効果を狙うもの。アメリカの各州の州法にあるような「スラップ被害防止法」が必要ではないか。少なくとも、濫訴者やこれを幇助する弁護士などに何らかの制裁が必要ではないか、とのお話しがありました。
キーワードは萎縮効果です。DHCや吉田の狙いが、批判的言論の萎縮にあることは明らかなのですから、けっして萎縮してはならない。自分にそう言い聞かせています。しかし、これはおそらく私が弁護士だから言えることではないかとも思っています。
私は弁護士ですから、誰に対しても臆することなく萎縮することもなく、言論活動ができる立場にあります。しかし、商売をしている人、勤め先のある人、公務員などにはなかなか難しいことではないでしょうか。私は弁護士として、社会から与えられた「自由業」としての立場に伴う責務を痛感しています。不当な圧力に弁護士が萎縮してしまってはならない。弁護士だからこそ、最前線でこの不当と闘わなければならない。そのような意気込みで法廷の闘いを続ける覚悟です。
是非皆さま、今後とも引き続いて、気の弱い私を支援し励ましていただくようお願いいたします。
(2015年2月25日)