澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

街頭で訴えるー「立憲主義・民主主義・平和主義破壊に対する怒りを忘却してはならない」

本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、「本郷・湯島九条の会」からの訴えです。少しの時間、耳をお貸しください。

95日もの会期延長をした、異例ずくめの通常国会が幕を閉じました。この国会で、安倍政権と自公両党は、私たち国民が大切にしてきた、かけがえのない三つの宝を深く傷つけました。

その一つは、立憲主義。
もう一つは、民主主義。
そして、恒久平和主義。

安倍政権は、立憲主義を蹂躙し、民主主義を踏みにじり、恒久平和主義を侵害したのです。あらためて、安倍晋三とその取り巻きに、そして自民・公明の与党に対し、満腔の怒りをもって抗議します。

いうまでもなく、我が国は憲法に基づく政治を標榜しています。憲法の手続によって政治権力が形作られ、憲法が権力の暴走なきよう制約しています。立法・行政・司法のすべての分野における国家の権力作用は、憲法に基づかねばなりません。

ところが、安倍晋三とその一味は、憲法9条が邪魔でしょうがない。日本を戦争のできる国に作りかえようとたくらんできました。本来、そのためには憲法自身が定める憲法改正手続を経るしか方法はありません。しかし、それは国民世論が許さぬことで、およそ現実性がないと悟らざるを得ませんでした。

そこで安倍は、抜け道を考えました。まず、憲法改正の手続条項を変更して、改憲のハードルを下げようとしたのです。ところが、このたくらみが世論の反撃に遭って大失敗。「プレーヤーがルールを変えようとは僭越至極」「やり方が汚い。姑息」「裏口入学的やり方ではないか」。悪評散々で引っ込めなければならなくなりました。これが一昨年の春から夏にかけてのこと。

それでも彼はあきらめず、別の手を考えました。「たまたま今、議会内の議席数は与党で圧倒的多数を占めている。それなら、法律で憲法9条を実質的に変えてしまおう」。昨年の7月1日、閣議決定で集団的自衛権行使容認を宣言し、これに基づく法案をこしらえました。憲法を壊す、下克上の法律。戦争法を無理矢理成立させることで、立憲主義を蹂躙したのです。

そして皆さん。先月17日夕刻のことを思い出してください。あの特別委員会の採決の模様を。いや、正確には採決などはなかった。採決と称する怒号と混乱の模様を。

私は、「人間かまくら」という言葉をこのとき始めて耳にしました。委員長を取り巻いて、野党の抗議を遮断したあの人間かまくらを作った人たちは、特別委員会の与党委員ではなく、自民党議員の秘書連中だったというではありませんか。ルール無視。力づくでの採決もどきの混乱を、採決あったとしたのです。

もちろん、速記録には、「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」とだけ書かれていました。採決不存在というほかはないのです。ところが、10月11日になって、速記録に加筆が行われた。11の法案について、「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」「なお、両案について附帯決議を行った」というのです。あの混乱のなか、それはあり得ない。明らかな捏造です。これは、民主主義を踏みにじる暴挙と指摘せざるを得ません。

このようなやり方で成立したとされた戦争法は、憲法の恒久平和主義を侵害する内容です。この11本の法律を束にして、政府与党は「平和安全法制」と呼んでいます。また、マスコミの多くは「安全保障法制」、略して「安保法制」という言葉を使っています。しかし、この法律に反対する私たちは、ズバリ「戦争法」と名付けました。一定の要件が整えば、日本も戦争をすることができると定める法律だから戦争法。文字どおり、日本を戦争のできる国とする法律だから、戦争法なのです。

平和憲法は一切の戦争と武力行使を禁じたはずではありませんか。最大限譲歩しても、現に侵略を受けた場合の自衛のための武力行使容認に限られる。それ以外の戦争も武力の行使もできるはずがない。そのような常識で、戦後70年を過ごしてきた日本ですが、トンデモナイ安倍内閣は、自衛のための武力行使に限らず、集団的自衛権行使を容認する法を成立させたのです。他国の戦争を買ってまで、戦争に参加しようというのです。

私たちは70年前、戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って、平和国家日本を再生しました。そのとき、なぜあのような悲惨で無謀な戦争をしてしまったのか、十分な反省をしたはずです。その答の一つが、民主主義の不存在でした。戦前、国民は主権者ではなく、統治の対象たる臣民でしかありませんでした。自分たちの運命を自分たち自身で決めることのできる立場になかったのです。情報に接する権利も、意見を発して政治に反映させる権利も、まことに不十分でしかありませんでした。民主主義がなかったから、戦争に突き進んでしまったのです。

今まだ私たちは民主主義を失ってはいません。今からでも遅くはありません。主権者として、戦争を可能とする戦争法廃止を強く求め、平和を壊す安倍政権にノーを突きつけましょう。私たちは、選挙の日一日だけの主権者ではない。いま、安倍政権は、選挙によって多数の支持を受けたとする傲慢をひけらかしていますが、戦争法成立には多くの国民の怒りが沸騰しています。

この怒りを忘れず持続しようではありませんか。来年7月に行われる参議院選挙まで、怒りを持ち続け、この選挙にぶつけようではありませんか。

水島朝穂さんが、ヒトラーの「わが闘争」に、「大衆の理解力は小さいが、その代わり忘却力は大きい」「宣伝はこれに依拠せよ」というくだりがあると指摘しています。いま、安倍晋三もヒトラーを真似して、国民の忘却に期待し、依拠しようとしています。しかし、安倍に言いたい。「主権者を『忘却力が大きい』と舐めてはならない」と。

私たちは反安倍勢力を総結集して、自公両党との選挙戦を勝ち抜こうという試みに賛意を表します。立憲主義・民主主義・平和主義の破壊に加担した、自民・公明そして、次世代、改革・元気各党の議員の落選運動を始めようではありませんか。国民自身のこの手で、立憲主義・民主主義・平和主義を再構築しようではありませんか。
(2015年10月13日・連続926回)

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