鳥越俊太郎都知事候補の公約について
Blog「みずき」の東本高志さんから、ブログで私を名指した問題提起を受けた。昨日(7月15日)のことだ。野党共闘のあり方についての醍醐聰さんのご指摘をもっともであるとし、私のブログでのこの点についての応接を、「重要な問題提起をスルー」して、いかにも「もの足りない弁明」とされる。ご指摘は下記のとおりだ。
澤藤さん。「告示日が迫る中、大詰めの段階で鳥越氏が野党統一候補者となったことも理解できる。しかし、それで、胸をなでおろし、あとは鳥越氏勝利のために頑張ろう、では都民不在である。それでは、判官びいきではなく、『知名度頼み、政策不在の候補者選び』という宇都宮氏の批判に一理がある。(略)こうした都民に向ける政策、公約が告示日の前日になっても不在のまま、4党の合意で候補者だけが決まるというのは異常である」という醍醐聰さん(東大名誉教授)の指摘も私は同様に重要な問題提起だろうと思います。「4党の合意で候補者だけが決まるというのは異常である」という醍醐さんの指摘は本来の野党共闘はどうあるべきかという根底的な問題提起です。この重要な問題提起をスルーして「4野党が責任もって推薦しているのだ」というだけではこれもいかにも「もの足りない」弁明というべきです。醍醐さんの指摘に本格的に応じてみよう、という気はありませんか?(東本高志 2016/07/15)
私は、Blog「みずき」には関心をもって目を通しているつもりだが、昨日(7月15日)はまったく気付かなかった。今日(16日)、日民協の総会と懇親会を終えて夜帰宅し、パソコンを開いてはじめて気が付いた。私のブログの拙文に、こんなに関心をもっていただいたことをまことにありがたいと思う。
常々、醍醐さんが言っている。「議論が足りない」「意見の異なる人との真摯な議論が必要なのにできていない」「リベラル側の議論の意欲も説得の能力も不十分だ」と。幾分かは、私に言われているように思う。せっかくの東本さんからの議論をうながすご質問。しかも、醍醐さんの指摘を引用してのものだ。「本格的に」はともかく、応じなければならない。
私の「弁明」をまとめれば、次のようになろうか。
(1) 不十分だが緊急避難としてこの際やむを得ない
(2) それでも候補者選定の最低限情報は提供できている
(3) 公約の細目は追完される
(4) 候補者選定の枠組みを作ったのは市民だという大義がある
私は革新陣営の共闘を願う立場で一貫してきた。政党が、自らの理念や政策を大切にして他党と支持を競い合うのが本来の姿であるが、政策が近似する友党との共闘が大義となって、個別政党の共闘拒否がエゴとなる局面がある。保革で一議席を争う首長選挙がその典型であろうし、喫緊の重要課題についての共闘の成否が革新陣営全体あるいは野党全体の死活に関わる問題という局面では、国政選挙でも共闘が大義となるだろう。
私の革新共闘の原イメージは、70年代初頭の革新自治体を誕生させた運動だった。社・共の両政党を当時は強力だった総評が間に立って結びつける。そのような共闘のお膳立てを文化人が準備した。東京・大阪・京都・福岡・愛知などに、そのような形での革新知事が誕生して、国政にも大きなインパクトを与えた。今でも、美濃部革新都政のレガシーには大きなものがある。とりわけ、福祉や公害対策の分野において。
しかし、60年安保闘争後の高揚した雰囲気の中から生まれた革新自治体運動はやがてしぼんだ。共闘の主役だった社会党はその座を降り、労働運動はかつての力を失った。革新共闘そのものが困難な時代となった。東京都知事選挙にもその影は深く、極右の知事に対抗すべき革新統一もならない事態が続いた。
石原の中央政界転身による2012年都知事選での革新共闘は、市民運動が主導して、各政党が候補者を個別に支持する形のものであった。「この指止まれ方式」と言われた。政党は、候補者の出馬宣言に賛同を表明する形で共闘に参加し、けっして政党間の事前の政策協定あっての共闘ではなかった。それでも、これまでにない共闘が成立したことを大いに評価すべきものといえよう。具体的な政策は、選対に参加した学者を中心に立派なものができあがった。共闘参加者全体に違和感のないものとしてである。このとき、政策作りに候補者本人はほとんど関与していないが、それでよい。選挙は陣営としてするもので、候補者も政策に縛られるのだから。
要するに、「市民運動+共産・社民」の範囲を「革新共闘」として、ようやくにして成立に漕ぎつけた。共闘の要は、候補者であった。特定の政党や勢力に偏らない人物が名乗りを上げたからこそ、共闘の枠組みができた。それでも、選挙結果は記録的な大敗を喫した。候補者の魅力に欠けていたこと、選挙実務ができていないことが最大の要因であったろう。
14年都知事選においては、革新側(ないしは野党側)は分裂選挙となった。およそ最初から勝てる見込みある選挙ではなかった。結果は、分裂した両候補の票を合計しても、自公の候補に届かなかった。革新の側は、本気で勝つためには、共闘の幅は拡げなくてはならないこと、分裂選挙してはならないことを学んだ。候補者の選定は、この教訓から出発しなければならない。
16年都知事選は、様相を異にする。これまでと違って、政党間の共闘合意が先行したのだ。しかも、民進・生活を含む4野党共闘の枠組みである。この枠組みで推すことのできる候補者がどうしても必要だったのだ。前回・前々回の候補者では、4野党共闘の枠組みにふさわしからぬことは自明のことであった。候補者個人は、3回目の立候補ともなれば都政の細目に詳しくはなるだろうが、それはさしたる重要事ではない。市民が後押ししてようやくにして作り上げた4野党共闘である。これを生かす候補者の選定が大義なのだ。共闘参加のすべての政党が推せる候補者でなくてはならない。当然のこととして共闘の最大政党である民進の意向も無視し得ない。今回の参院選東京選挙区での民進票は170万なのだ。
せっかくの4野党共闘による知事選の枠組みが人選で難航しているときに、告示間際となって鳥越候補が出現した。政策は共闘成立に必要な大綱でよい。私は、出馬会見で彼が語った第3項目は、実質的に「ストップ・アベ暴走」であったと思う。あるいは、「首都東京から改憲阻止のうねりを」というもの。語られた中身は、改憲阻止であり、戦争法廃止である。歴史を学んだ者として、アベ政権の歴史修正主義を許せないという趣旨の発言もあった。都政に憲法を生かすとの政策と受け止めることができる。これだけでも十分ではないか。もちろん、今回知事選の争点となる知事としての金の使い方、透明性の確保についても語られている。
果たして、細目の公約がなく都民不在であるか。もちろん、時間的余裕があってきちんとした公約を掲げての立候補が望ましい。今回の経緯では不十分であることは明らかだが、「都民不在」とまでいう指摘は当たらないものと思う。
その理由の一つは、候補者の経歴がよく知られていることにある。候補者の政治的スタンスと人間性の判断は十分に可能であろう。出馬会見はそれを裏書きする誠実なものであった。都知事としての資質と覚悟を窺うに十分なものであった。
また、4野党共闘の枠組みは広く知られているところである。立憲主義の回復であり、民主主義と平和の確立であり、戦争法の廃止であり、改憲阻止である。4野党と市民が納得して、この枠組みに乗せられる人であることが都民に示されたのだ。「候補者+4党+支持する市民」がこれから練り上げる具体的な都政の政策をしっかりと見ていこうと思う。それでも、けっして遅すぎることにはならない。
事前の政策協定ができればそれに越したことはないが、ようやくにして成立した4党共闘の枠組みである。これを強く望みつくったのは市民である。これに乗る魅力的な候補者が見つかったのだ。現実に革新の側(反自公の側)が勝てるチャンスなのだ。既に多くの市民団体が鳥越支持の声を上げている。各勝手連も動き出している。政策は、おいおい素晴らしいものが体系化されるだろう。もとより理想的な展開ではないが、今回はやむを得ない。判断材料としての最低限の情報提供はなされており、さらに十分なものが追加されるはずである。傍観者的に都民不在と言わずに、4党枠組みを望んだ市民の一人としてこの知事選に関わっていきたいと思う。
(2016年7月16日・17日加筆)